複雑・ファジー小説

Re: ハートのJは挫けない ( No.85 )
日時: 2022/05/11 06:14
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)

 僕の父親は、ヒーローだった。
 はっきり言って、彼は器用な人間ではなく、寧ろ馬鹿と形容される側であったことは間違いない。簡単に人の事を信じるというか、人を疑うという事を苦手としていた。
 彼は欠点だらけだった。色々な所がなっていなくて、詰めが甘い。完全無欠なんて言葉をどう捻じ曲げても当てはまりそうにないタイプだった。
 それでも、僕は自分の父親の事が好きだった。他人の為に全力で動ける父親が。常に人の事を考えていられる父親が。周囲から信頼を集めていた父親が。
 彼が言っていたのだ。人を救う事が、一番の生き甲斐だと。自分の行動で人が少しでも幸福になれたら、それよりも嬉しいことは無いと。

 そんな彼を、僕はヒーローだと思った。


 でも、僕のヒーローは死んだ。
 だから、思った。
 僕が、ヒーローになろうって。
 彼の代わりに、なろうって。






 燃え盛る炎を背景にして、僕の身体を持ち上げる男。この四宮秋光という男が、僕の実質的な命令役だ。
 それが、今こうして僕に敵対している。

「気分はどうかな? 一条」
「……ぐっ……」
「オイオイ返事くらいしてくれよ……なぁ!」

 膝が鳩尾に激痛を伴って叩き込まれ、胃の中の空気が不自然な音と共に口から出た。口の中から流動物が出そうになるのを必死に堪える。
 四宮は首を鳴らしながら僕をゴミを投げるみたいに適当に放り投げた。先程の戦闘で既に受け身を取れる程の体力は無くなっていた。床に派手に背中を打ち付ける。

「なぁ一条、おじさん確かこう教えたよなぁ。仕事は徹底的にって」
「……ぐぁっ……」
「……喘いでねぇでちったぁ返事してくれよな? おじさん、そんなに気ィ長くないんだからさぁ」

 僕が立ち上がろうとした所に、容赦なく回し蹴りが襲い掛かる。防御する術も無く側頭部に直撃。視界がグラつき数秒後に視界が安定する。その時には既に僕の体は地にうつ伏せで倒れていた。
 が、髪が引っ張られる感覚がした。そのまま頭皮が千切れそうな感覚に変わり、頭が宙に浮く。僕の頭を持ち上げる四宮は、顔だけは笑っていた。
 でもその奥の瞳は、全く楽しそうではない。

「おじさんさぁ、暇じゃないのよ。ねぇ、わーってる?」
「……す、すみませ……」
「誠意を見せろよ誠意を、ほらねぇ」

 不意に頭に下方向の力が掛けられ、地面と顔面が派手に正面衝突する。鼻が特にジンジンと痛むが、四宮はこちらの事などお構い無しに、玩具で遊ぶかのように、僕の頭を何度も地面に叩き付ける。その度に激痛が脳に響いて意識が飛びそうになる。

「おじさんも人を虐める趣味は無いんだけどねぇ。ほら、無能な奴って見てるとイライラする訳。それ自体は罪じゃないんだけどさぁ、身の程を弁えろって話。お宅、未だにヒーローになれるなんて思ってんの? ダメダメぇ。そういう絵空事が言えるのは極一部の限られた人間なんだから」
「…………い」
「なんて?」
「……うるさい……! 誰もお前の助言なんて……求めてないだろ……!」
「……かぁー…………折角人生の先輩として言ってやったのにこの始末か…………」

 四宮は呆れた顔で腰を落とし、僕の顔を目が合うように持ち上げる。

「おじさんもさぁ、許してやろうかなくらいは思ってたのよ。ね? だけどねぇ。おじさん嫌いなの」

 四宮の右手に、文字通り火が付いた。手をまるごと覆うほどの炎と呼ぶべきそれを僕に近付けて彼は言う。

「一条、お前みたいな勘違い野郎の事がさぁ」
「……止めろ……!」
「言葉遣いってもんはどうしたのよ。なんだ? 自分の本性見透かされてイラついたかい? それとも殴られて腹が立ったかい? 勘違い野郎って言葉が嫌だったかい?」

 四宮は小さく、最大限の侮蔑を込めた舌打ちをして、僕に言葉を吐き捨てる。

「生憎、どれもこれもお前の失敗だの欠点だのが招いた事。おじさんは事実を言っただけ。違う? 薄々気が付いてんだろ?」


「一条、お前はヒーローになれないよ」

 認めたくなかった。

 僕がヒーローになれるって信じてるなら、僕がヒーローなら。今すぐこの場で反発しただろう。
 その言葉が憎くて憎くて仕方ない。今すぐにでも撤回させてやりたい。そう思っている。

 だけど、僕はそれを行動に示せなかった。

「……ぁ…………」

 ただ、呆然としているだけ。それしか出来ない。

「もう知ってんじゃないの? 気が付いてんじゃないの? 一条自身が一番。自分がそんな器じゃないって」
「……違う! 違う! 違う違う違う!」

 今更必死になって首を振った。必死になって、勢いで否定を続けた。何回も何回も何回も。まるで内側からせり上がってくる肯定から目を背けるように。

「……違う…………ちが…………う……」

 でも、その勢いが失せた時、僕は言葉を失った。出てくるのは否定の言葉じゃないくて、情けない自分を嘆く、涙。

「……お前も随分面倒臭い野郎だねぇ」

 溜め息をついた四宮は、炎を更に一層激しく燃やした。そして、その燃え盛る手を僕に近付けてくる。

「燃やしてやるよ。もう何も思い出せないくらい。お前も辛かったろ? そんなバカみたいなもの、追い続けるのはさぁ」

 その手が僕の顔面を掴んだ時、感じたのは言い表せない程の熱だった。とにかく熱い。痛いのではない。熱いのだ。普通は痛覚に変わるはずなのに、その炎はただただ熱いだけ。

「おじさんのハートは《心を焼く力》。お前もじきに、何も知らない真っ白な灰になるだろうねぇ」

 自分の中で何かが焼けていくのを感じた。
 でも何が焼けたのかは思い出せない。不思議なくらい、全く。
 このまま全部燃えるのだろうか。
 いつかは僕という人格すら、燃えるのだろうか。

 四宮が僕をこうしているのは、情報漏洩を防ぐ為だろう。つまり、僕はもう彼らとは居られない。要らないものという事だ。
 つまり、彼女は僕を要らないと言ったのだ。唯一、僕の存在を見付けてくれた彼女が。認めてくれた彼女が。居場所を作ってくれた彼女が。必要ない。無価値だ。そう判断したのだ。
 そんな僕に、生きる価値なんて無い。
 いっそこのまま、灰になるなら、それはそれでいいと思った。彼女が必要としてくれないなら、この世界はもう要らない。
 僕も、要らない。


 そう思っていた次の瞬間、僕らの背後の炎の幕の一部が裂けるように開いた。驚いて四宮は振り返る。
 咄嗟に背後を見た四宮の顔に、明らかな同様が走る。
 炎の中から、一つの影が姿を表した。その片割れが、刀をこちらに、四宮に向ける。
 束の間の静寂の後に、言葉を切り出したのは四宮だ。

「…………驚いた驚いた。おじさん、結構全力だったんだけど」
「心配すんなよオッサン。オレも大分削られたからよぉ」

 軽口を飛ばし合っているが、彼らの雰囲気は剣呑だ。無川刀子は常に四宮を睨み、一瞬たりとも目を離さない。一方四宮は僕の事を一旦置いて無川刀子に対峙する。こちらを構っている暇が無いのだろう。
 そして、無川の後ろから、炎の洞窟を通って大柄の男が一人。

「待ってろ正義。今助ける」

 友松共也が、居た。

「……馬鹿じゃないんですか。貴方」

 思わず、そう言葉が零れた。
 どうしてここまで出来るのか。分からない。本当に分からない。

「そうだ。俺は馬鹿だ」

 だけど、と彼は拳を握る。


「人を見捨てるのが賢明だって言うんだったら、俺は人を救いたい馬鹿になる」

 彼はそう言って、馬鹿みたいにとびっきりの笑顔を浮かべた。
 僕は悟った。
 僕は、こんな風にはなれない。ヒーローには、なれないんだと。






 正義を放ってこちらに相対する四宮には若干の動揺が見て取れた。恐らくあの炎の幕を突破してきた事を想定していなかったのだろう。今ならまだ、チャンスはある。

「……へぇ。あんちゃんたち、思ってたよりもデキる子みたいだねぇ」
「ハッ。余裕ぶっこいてる暇があるなら命乞いした方がいいんじゃねぇかオッサン」
「悪いねぇ嬢ちゃん。おじさん、簡単には引けないんだよねぇ」

 四宮が冗談っぽくそう言うが、その笑顔さえ若干硬い。そして向こうが動く。
 彼は再び超高速の光弾を無川に発射した。途方も無いハートが込められた一撃。無川のハートすら上回るほどの力を持ったそれが、無川に向かって行く。

「あまりオレを舐めるなよ」

 無川はそれを真っ向から切り付けようと刀を上段から振り下ろした。
 刀と光弾が接触した瞬間、無川の刀と光弾が拮抗。が、それもすぐに破られ無川の刀が光弾を真っ二つに切り裂く。切り裂かれたそれらは爆発もしなければ燃えることもなく虚空へ消え去る。

「もうテメェのハートは通用しねぇ」
「…………ハハハハハ……嘘でしょ。おじさん、こんな化けモンがいるだなんて聞いてないんだけどねぇ……」
「悪ィがこちとらテメェと同じ人間様だ。化けモンなんかそもそも居ねぇ」

 無川はそう言ってから一気に横方向に跳躍して四宮との距離を詰め、長い刀を横から薙ぐように振るった。

「……しょうがないねぇ……おじさんもちょっと、頑張ってみようか……な!」

 だが無川の刀は停止した。無川の目が驚きで見開かれる。
 一方四宮が持っていたのは、炎だ。正確には、棒状に圧縮された炎。まるでそれは炎の剣とも呼ぶべき形を取っている。

「……ンなモンで防げるかよ!」

 無川がそう言うと、徐々に炎剣が削られ始め、無川の刀が少しずつ四宮に迫る。

「共也ァ! 今の内に一条を!」
「分かった!」

 四宮が何も手が出せないこの間に、俺は正義の回収を試みる。正義の倒れている地面と俺のすぐ側の空間を繋げればいい。
 だがいつのように適当に場所を決めるわけにはいかない。少し狂えば正義の体が接続された空間に挟まれてその部分が削り取られてしまう。だから慎重になる。

「……お前は…………どこまで……」

 正義は俺がハートを使おうとしていることを悟ったのか、俺に尋ねる。

「さっき言ったろ。俺は馬鹿だ」

 照準が定まった所で、ハートを使う。すると正義の体が地面に飲み込まれるのと同時に、俺の上から落ちてくる。一度キャッチして、彼を地面に寝かせてから、俺は言う。

「馬鹿は損得の計算なんかしねぇんだよ」

 その時、俺は確かに油断していた。
 正義が必死な形相になるまで、俺は異常には気が付かなかった。

「……どけ……!」

 瞬間、正義が立ち上がって俺を突き飛ばす。
 その時、初めて気がついた。
 俺が繋げた空間から、四宮から放たれた炎が飛んできていることに。俺のちょうど真上に降り注いでいることに。
 その炎が、正義に直撃するまで、俺は気が付かなかった。

「……あ……え…………」

 俺の喉は意味不明な音を発すだけ。驚き過ぎて声が出ないとは正しくこの事か。
 正義は意識が無いのか、自分の体に炎が纏わりついているのに未だに微動だにしない。

「お、おい! しっかりしろ!」

 正義に纏わりつく炎達をどこか適当な所に飛ばす。炎の大部分はそれで処理できた為に、炎はそこまで長く燃えることは無かった。

「……テメェ……」
「言ってるでしょ? 仕事だって。おじさん、一応正義の保護者なんだけど」

 睨み付けた先の四宮は、無川と未だに鍔迫り合いを続けつつも俺に言った。その顔には汗が浮かんでおり、既に余裕がなくなっている事を表していた。
 逆にそんな状態でも、彼は正義を狙ったのだ。つまり、彼にはどうしても正義を狙う理由があった。

「何故正義をここまで狙う」
「……犯人が正直に動機を言うのはドラマの中だけだよ。あんちゃん」

 少しだけ強ばった口調でそう話すと、彼は一旦炎剣を手放して距離を取った。無川の刀が主が居なくなった炎剣を真っ二つに切り裂く。

「オッサン、もう終わりだろ」
「……ふぅ……おじさん、もう疲れちゃったよ」

 四宮は表情に如実に疲れを表している。考えてみれば、あんな炎の幕を使ったのだから、精神的には既に限界の筈だ。

「だから、今日は引かせてもらおうかな」
「今更逃がすと思ってんのか?」
 
 無川が再び切り込もうと、一歩踏み出した。

「ははは。ま、目的は果たせたし、今回は許してあげるよ」

 そう言いながら、四宮はパチンと指を鳴らす。
 瞬間、視界が白に染まった。直後の目を焼くような熱さに、これが閃光だと言うことに気が付いた。言わばフラッシュ。相手の視界を強い光で一時的に奪う道具。彼が行ったことはさながらそれに似ていた。
 目の強いモヤが晴れた時、四宮はそこにはいなかった。



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