複雑・ファジー小説
- Re: この世にゃバグが多すぎる ( No.3 )
- 日時: 2018/05/16 15:23
- 名前: インセクター羽蛾 ◆fKyb7/SVPw (ID: FBVqmVan)
「危うく置いていくところだったわ」
「ラッセが待ってたのは俺なのにか」
そいつは少しラッセの言葉を無視してやいないかと、さっきの皮肉を込めてみる。案の定というべきか、舌打ちを一つ。同じ班の仲間に向ける態度ではないな、毎度のことだが。
「本当に口が減らないわね」
心外だ。お前にだけは言われたくない。鋭い眼光に嘆息で応じる。それだけで言わんとせんことは伝わったようだ。また一つ、大きく舌を打ち鳴らし、お前と話すことは無いと告げる代わりにトウドウは背を向けた。
その様子を見て、君たちは相変わらずだなと、嗜めるようなラッセの言葉。だが主張したい、どう考えても相変わらずなのはあっちの方だ。世の中班長まで含めて女だけのチームまであるというのに、なぜよりによってトウドウがこの班に。何ならチームメイトたる此方としても抗議をしたい。
世の中実際のところ間違いだらけなのではないか、そう思ったが故に口にしてしまう。同音異義語が奴等の総称なので、不謹慎だと咎められてしまう、自分の口癖。
「全く、この世にゃバグが多すぎる」
決め台詞にしては気取りすぎてやいないか。いつものように、この言葉を聞き届けたラッセは、快活な声を上げて笑っていた。
人間は日の光を浴びて育つべきだ、という理由から居住区は地上にある。ビタミンの一種は日を浴びてようやく活性するのだとか何とか。それゆえ、居住区にはちゃんと陽光が差し込むための、強化ガラス製の窓が設置されていた。しかし、開けることは叶わない。何せ、奴等が入ってきたらたまったものではないからだ。
例え近くに奴等が現れ、ここを襲われても内部に被害が出ないようにと、地上エリアはどこよりも頑強な素材で作られていた。二十年前、AAA設立の数年後に開発された特殊な合金。それは自分達アントの武器としても用いられているが、今まで見られてきたどんな虫の外甲より堅く、奴等には砕くことができない。
安全性を確保するためというのは理解している。だがそれでも、全面が合金に覆われた通路というのはあまりに無機質で、冷たい。経費の削減のため壁紙なんて用意されておらず、錆びないことをいいことに材質が剥き出しだ。ぎらぎら蛍光灯の光を受けたまま反射するのが目に優しくない。この居住区において、木製の代物は各居室と通路とを隔てた扉くらいのものだ。
俺と並ぶラッセ、三歩先を歩むトウドウは一様に視線を集める。何せここは男子棟、女子がわざわざ来ることなどそうは無い。しかし、女子以外立ち入れないあちらの棟とは異なり、男子棟は女性も入ることができる。
好奇の目では決してない。両手に華の男に向けた羨望でないことも分かっている。ラッセは体つきこそ女であるが、それ以外は男と相違無い。トウドウの男嫌いもよく認知されている。またお前は振り回されているのかという、同情の目だ。よく言われる、「俺がお前の立場じゃなくてほんとによかった」と。
ただ、ほんとにこいつらと居るのが苦痛かと問われればそうでもない。ラッセは当然、同い年の中では一番強い。同期の中で俺自身が最下位争いをしていることに目を瞑れば、これ以上無いお手本のようなアントだ。体捌きに立ち回り、学ぶべき事は沢山ある。それにトウドウだって、大きな口を叩くだけあり、指揮能力、戦況の把握能力は著しく高い。ラッセとトウドウを組ませることで、新人同士ハイレベルに連携させたいとの願いから同じ班になったのだとか。
対して自分はというと、座学と武道の成績こそよかったものの、アントとしての、虫の特性を利用した実戦の成績があまりに酷かった。特異形質が何一つ発現しない。それゆえ一人、性能が初めから劣っていた。そのハンデを背負いながら戦わねばならぬ。縛りプレイで勝たしてくれるような者は、訓練兵時代から誰一人としていなかった。
不出来な劣等生にはあまりに上等な味方。それは分かっている。だからせめて、これ以上足手まといと言われぬよう、精進せねばならない。できるのかなんて弱音は吐かない。並んでみせる、追い付いてみせる。一匹でも多くの、バグ共を抹殺するために。
「どうしたアキオ、何やら固い顔つきのようだが」
「別に。元から仏頂面なんだよ」
「馬鹿言うな、陽気なムードメーカーのくせして」
「おっかしいな、寡黙で憂いのある儚げな男のつもりだったんだけど」
そういうところが陽気だと言うんだ。ほがらかな彼女の声が金属質の廊下に響いた。鈴のような声とまでは行かないが、鐘くらいには淀みの無いラッセの声。手を口元に添えて笑いを噛み殺している。そうか、そんなに可笑しかったか。今度から、もう少しお調子者な言葉は控えようと思う。
かなり早い時間に訪れたゆえ、食堂はかなり空いていた。入り口の指紋認証を通して中へと入る。AAAに勤める者しか入れないものの、ここでの食事は無料で受けられる。給料も悪くないが、このあたりの福利も中々によい。それだけAAAで働くというのは命がけではあるのだが。
AAA、トリプルエーと称される組織の正式名称は、Anti-BUGs Army Antという。バグに対抗する蟻の軍。まさしく末端の兵隊は、働き蟻といったところだろう。勇猛果敢に、しかし群れを為して巨大な虫どもに立ち向かう姿を指してこの名が付けられたのだとか。
「おばちゃん、洋食のセットを頼む」
「はいよ。ラッセは今日も元気だね」
「いや何、元気で無いと勤めなど果たせんからな。気力が第一だ」
「さっすが。期待の新人は違うね。レイナちゃんは?」
「和食の、鮭で。ご飯は少な目でお願いします」
あんたはもう少し食べればいいのにと、食堂のおばちゃんは陽気に笑った。注文通りの内容を奥にいる職員達に伝え、自分はというとトウドウの白飯を茶碗によそっていた。
「はい、アキオ。あんたは?」
「んー、じゃあサンドイッチとサラダとヨーグルト」
「あんたも男とは思えない食の細さだね。それにやけに怠そうじゃないか。しっかりしておくれよ」
「寝起きなんすよ」
「実際鍛えた体が可哀想なくらいに頼りないでしょ、もう少し精のつくもの食べたら」
こりゃ手厳しいと、おばちゃんがトウドウの毒舌に微笑む。厳しいなんてもんじゃないよと、自分のものより遥かに立派な食事が盆に盛られた、ラッセの朝食を見ながら、ただ溜め息が漏れるのを他人事のように実感していた。
トウドウにしたってほうれん草のお浸しに豆腐とワカメの味噌汁、焼き鮭まで添えられており、健康的で量も女子にしては満足と言える。
野菜こそ摂ってはいるものの、サンドイッチやサラダだけだと確かに、昼には空腹が限界に達してしまいそうだ。しかも今はまだ七時にも満たない。
しかし、だ。この後ラッセと訓練させられることを考えればあまり胃にものを入れたくない。というよりラッセはどうして、目玉焼きにクロワッサン三つ、ソーセージ数本にサラダまで腹に入れた上で戦闘訓練なんてしようと言うのだ。
それくらいのハンデを貰っている方が丁度いいのかもしれないな。レタスにフォークを突き刺しながら、そんな事を考えた。
「ほんとあんた、草ばっか食べてるわよね」
「草言うな、野菜だ野菜。実だってあんだろがよ」
さっきの皮肉にまだ苛立っているのか、トウドウの声には険があった。トマトの鮮やかな果肉を見せつけて俺はその言葉に抗議する。
だがそんな細やかな抵抗など、気にも留めていない彼女は口をつぐむつもりはないらしい。音も無く上品に味噌汁の出汁を口に含み、飲み込むと同時にまた冷淡な目を向けてきた。
「そうね、確かに草ばかりではないわね」
「だろ、人をバッタやキリギリス呼ばわりしないでくれよ」
「そうね。……確かにアキオはそう言ったものがベースになっていないけど、なっていない分むしろ、怖がってるみたい」
その言葉に、フォークを握った手が止まる。こちらを睨んでくる彼女と真っ向から目があった。トウドウの瞳に写る己の姿まで見える。その目は自分で思っているよりも遥かに、冷たい瞳をしていた。
「まるで、蜘蛛であることを認めたくないみた……」
「……レイナ」
此方から見て向かいの席、あるいはトウドウに座っているラッセがその言葉を諌めた。語り続けようとするトウドウを制するように、名前を呼び掛ける。棘こそ無い。しかしだからこそ、その強い声音に二人揃って押し黙るしかなかった。
毎日毎日言い争うのもいい加減にしろとラッセは叱責する。子供のような言い争いばかり、確かに16とまだ我々は若いが、それでもここではいっぱしの兵であるべきだ、なんて。日本で生まれ育った自分たちよりずっと丁寧な言葉で叱られれば、大人しく従うしかない。
「レイナ、言っていいことと悪いことがある。意趣返しの皮肉と人格を踏みにじる罵倒を履き違えるな」
「……分かったわ」
「アキオ、気を悪くしているのは当然だろうが、落ち着いてくれ。私はこれ以上、君たち二人の言い争いのために、後ろ指さされたくないんだ」
「……悪い。いつも、迷惑かけてるのは分かってるよ」
「何、それはお互い様だ。あまり重たく受け止めすぎないでくれ」
そう、ラッセはあまりに優秀だ。人間としてもよくできているし、弱者の気持ちや考えを今一理解できない以外に欠点らしい短所は無い。だからこそ誰もが彼女に期待している。あのような人と共に戦いたいと。だというのに残された我々は、互いに不和を引き起こすのみで、そうそうラッセの役になんて立てた事はない。
トウドウは、口こそ悪いが能力は高い。それこそ、オペレートされずとも勝手に活躍するラッセでもなければ、誰もが重宝する優秀な、戦線に出るオペレーター。戦闘能力こそ決して高くは無いが、それでも類い稀なる分析能力などでいくらでも班をアシストすることができる。無能な俺ですら、駒として使ってくれるくらいにはトウドウは役に立つ。それなのに不和を招くもう一方のお荷物である俺は、単に人数合わせのお荷物でしかない。
だからせめて、命懸けで戦い抜かなくてはならぬと躍起になる。でも、どれだけ誠心誠意、全霊で取り組もうが、結果は出ない。そんな情けない姿に呆れてだろうか。日に日にトウドウが睨んでくる眼光が、強くなっているようにしか見えない。
努力しなければ足手まといのままだ。それなのに、努力したとしても認めてもらえそうには無い。班長は気長に頑張れと笑い飛ばしてくれるけれど、いつまでもその声に甘えてはいられない。
せめて特異形質さえ、発現してくれれば。特異形質の存在しないアントなど存在しない。だから今はまだ、発現する程には卵が馴染んでいないのだろうと主治医から言われていた。
今でさえそこそこ程度には動けるんだ。何、それさえ発現してしまえばアキオも私に並ぶさ。本心からだろうか、慰めのつもりだろうか、ラッセはよくそう言ってくれる。トウドウはその言葉に一笑して「まさか」と吐き捨てるけれど。
まるで、蜘蛛であることを認めたくないみたい。さっきのトウドウはきっと、そう言おうとしたのだろうな。多分に、その言葉は間違っていない。あいつは何だかんだ付き合いが長いだけあってよく分かってる。
自分がバグ達と同類だなんて、認めたくない。きっとそれが飾り気の無い俺の想い。俺の幸せを、家族を奪い取った虫ども。そいつらと同じ力を宿していることに嫌悪してならない。例えそれが、戦う力を得るためだったとしても。
だからだろうか、特異形質が現れてくれないのは。虫を拒絶するこの心のせいで、この身の内に巣食う虫の部分もまた、力を貸すことに抵抗を示しているやもしれぬ。そう思えば、納得せざるを得なかった。