複雑・ファジー小説
- 第一章 ( No.3 )
- 日時: 2018/05/13 14:36
- 名前: 林檎川 (ID: KE0ZVzN7)
『水炎邂逅篇』
壱幕 『森山』
* * *
「ーー合同任務、ですか?」
筆を動かす純希の口から発せられた言葉を、涼介は声に出して繰り返した。
百人は住める程巨大な屋敷の中に響いた声が木霊し、聞き慣れない単語群が耳の中で何度も繰り返された。合同任務という概念は、涼介達陰陽師にとって存在し得ないものなのだ。
「驚くのも無理は無いよ。恐らく陰陽師の歴史を振り返っても片手の指で数えられる程希少性の高い任務だからね」
「そんな任務が、何故俺に任されたんですか?」
「さあね。御頭の考える事は凡人には到底理解出来ないのさ」
妖を滅する力を持つ陰陽師ーーその頂点に君臨する御頭。
本名不明、年齢不詳。何もかもが謎に包まれた御頭の指示によって、陰陽師は動く。陰陽師の全ては、御頭に委ねられていると言っても過言ではない。
御頭は、十五の班に分かれた陰陽師達に出現した妖を滅ぼす様命令を下す。任務と呼ばれるこの行為は、基本的に班単体で挑むものである。その例外として、異なる班同士で妖を滅ぼす様命じられる合同任務が存在する。
だが、陰陽師という組織の構成上合同任務は滅多に起こり得ない。数百年に一度の奇跡とまで呼ばれいる事が、今起きているのである。
「本当に意味不明ですね。朱雀班は二人しかいないというのに」
「考えたら負けだよ、涼介君。ここは前向きに行こうじゃないか」
「朱雀さんは早く班員を集めてくださいよ……。このままじゃ無くなりますよ?この班」
長い銀髪を愉快に揺らしながら墨を削っている朱雀純希を前に、炎龍時涼介は大きな溜息を吐いた。
陰陽師朱雀班。班員は二名、たった二名だ。
発足して二年と歴史は浅いが、それでも陰陽師の名を背負った立派な班だ。にも関わらず、陰陽師史上最も自堕落な班という異名を持つ事態にまで発展してしまった。
天狗屋敷と呼ばれる巨大な屋敷まで所有しているのに、まるで息をしていないかの様だ。
「いい加減班長としての自覚を持って下さい。いつまでも墨で遊んででも何も変わりませんよ?」
「僕は決して遊んでいるわけでは無いさ。こう見えて、案外働いてるんだよ」
「じゃあ班員の一人や二人くらい集めてきて下さい。冗談抜きでこの班やばいですよ」
「やばくても何とかなるさ、多分。僕の座右の銘さ」
「捨てて下さいそんな銘」
班長である純希からは一切危機感が感じられないが、実際危機である。
班が潰れる条件は、二つある。
人員不足か、班員の全滅だ。
後者は陰陽師界隈では珍しい話ではない。仮に滅んだとしても、代わりに新しい班が発足する。しかし、人の数には限りがある。かつて三十近く存在した班は、十五になるまで減ってしまった。妖との戦いによる傷跡は、こういった形でも現れている。
それに比べ、前者による班の解体は滅多に発生しない。仮に人員が減った場合、班超の自主申告による班の解体という形で終わりを迎える。上からの圧力で潰されるなど、そうそう起こり得る時代ではないのだ。
班員が二人しかいない。そんな馬鹿げた状況で無ければの話だが。
「もしこの班が無くなったら、俺はまた露頭に迷う事になるんですよ。拾ってくれた恩を忘れた事はありませんけど、もうちょっとやる気を出して欲しいですよ……」
「僕だってこの班を滅ぼす訳にはいかないさ。やらなければいけないことがあるからね。それにーー」
純希の言葉が止まった。屋敷内に鳴り響いた馬の鳴き声によってだ。
今まで言葉だけで対応していた純希は、筆をゆっくりと置き涼介の方へと体を向けた。動かしにくそうな白色の袴を上手に動かし、静かに立ち上がった。
涼介も、表情と姿勢を改めた。
和んでいた雰囲気が、たった一瞬の出来事で一転した。
一筋撫でれば崩れてしまいそうな程張り詰めた空気の中、純希が口を開いた。
「迎えが来たみたいだね。話は任務が終わってからにしよう。合同任務の相手は既にいるみたいだから、任務の詳細はその子に聞いてね」
「分かりました。じゃあーー」
「あ、涼介君。毎度の事だけど、班長として一つ言わせてもらうよ」
今までの、軽々しい笑顔を浮かべていた男はもういない。
真剣な眼差しで、仲間を見つめる純希の姿がそこにはあった。
「死力を尽くして、最後は生きて帰ってくるように。おかえりを、言わせてね!」
「ーーただいまと言えるように、頑張ります。行ってきます……!」
死と常に隣り合わせ。
生還できる確率は限りなく低い。
それでも、人は戦い続ける。生を奪う理不尽に、死に物狂いで立ち向かう。
其々の想いを、胸に抱きながら。
* * *
一人になり、静まりかえった部屋の中。
純希は、深い笑みを浮かべていた。
「ーー帰りを楽しみに待っているよ、涼介君」