複雑・ファジー小説

Re: 夢見ズ探偵 ( No.1 )
日時: 2018/05/04 08:11
名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)

雨。しとどに降る、雨。
私はたったひとり、雨の中公園にいる。
公園には誰もいなくて。誰もかもがいなくて。そこにあるのは錆び付いた遊具だけ。遊具たちは遊ばれるのを待つかのように、ただそこにあり続ける。

 私は帰るところがない。いや、厳密には帰る場所が、『ついさっき』なくなったところ。呪いにも似た私に宿された『体質』に、両親とそれまで呼んでいた人たちは恐れ、気味悪がり、また存在をなかったことにし、家という暖かなものから私を廃棄した。それはまるで、ぬいぐるみをあたかも最初からなかったかのように、軽く捨ててしまう無邪気な子供のように。私は捨てられた。行く宛などない。頼るすべも持ってはいない。繋がれる板のような端末も、かつて両親と呼んでいた人たちに目の前で潰された。
 もう疲れてしまった。願わくば、親切なお人が『毒薬』を持ってきて、私の口に入れてくれることを。安らかに『休める』ことを。そんな祈りにも似た『願い』を心の中で唱え、私は目を瞑る。もうどうなってもいい。

「───君、どうしたんだい」

 そう思っていたのに。『悪趣味なその人』は私に声をかけた。まるで私を心配するかのように。助けを求めてくれと言わんばかりに。私は帰って頂戴ということを言外に含ませて、口を開く。

「ただここで寝ていただけよ」
「お昼寝とは言えないお天気だが?」

 その人は傘を指している、けれども私には傘のひとつすらない。雨から身を守るすべもない。本当に親切なら、毒薬でもひとつは渡すべきなのに。あるいは傘を差し出すべきなのに。その人は私にまた声をかける。

「何があったんだい?」
「貴方は知らなくていいことよ」
「僕ではだめかい?」
「毒薬のひとつでも寄越さないようならお断りね」
「あいにく今日は品切れでね」

 そういってその人は肩をすくめる。なぜこの人はこんなにも粘るのだろう。普通なら最初の時点で、見限ってこの場を立ち去るものだとばかり思っていた。でもなぜこの人は私に話しかけるのだろう。物珍しいのだろうか。いい加減に『そういう年頃の気まぐれ』だと思って帰ってくれないのだろうか。

「───君、僕の助手にならないか」

 唐突にかけられた言葉に、私は何事かと思う。雨の中、公園で寝ていた女子高生に向かって、それもほとんど何もかもを聞かないまま、そんなことを言うなんて。いや、そもそも『助手にならないか』などという戯れ言を口に出す方が可笑しいのだろう。何も言わぬまま次の言葉を待っていると、その人はふっと笑う。

「そうしたら、毒薬のひとつでも君にくれてやろう」
「素性も知らないで、よく唐突に助手になれなんて言えるわね」
「詳しい話を聞くのは、後ででいいかなと思っただけだ。こんな場所で話し込むのも、僕も君も嫌だろう?」

 そういってその人は私に、傘を持つ手とは反対の手を差し伸べる。まるでこの手に捕まれと言うように。その手はちゃんとした男の人の手だった。この手に捕まれば私は死ねるのだろうか。それとも生かされるのか、それとも。
 でも。既にもうどうでも良くなっていた。今はただ───帰る場所が欲しかった。ゴミ捨て場であろうと、焼却炉であろうと。私は帰る場所が欲しかった。与えられるのなら、誰からでもよかった。
 
 ───私はその手にゆっくりと、自らの手を乗せた。


プロローグ
『現実はいかなる時でも、その真の姿を人々に見せることはなく、また形を崩すこともない』


「湯加減は如何だったかな」

 あの後。私は彼が運転するという車に乗せられ、彼の事務所である『右京探偵事務所』にいる。右京探偵事務所というのだから、彼の名は『右京』と言うのだろう。昔テレビで見たホームズのような人物の名前と一致していたが、とてもそんな雰囲気は彼からは出ていない。あちらは探偵ではなく、警察官だったけれど。彼はホームズと言うよりは、3つの顔を持つ誰かに似ている気がする。考えすぎなのか、疲れて思考がままならないのか。私はため息をついて、自らの髪を拭いていたタオルを、そこにあったカゴに投げ入れる。今日はとても疲れた。本来なら寝る時間ではないのだけれど、泥のように眠りたい。けれど彼は、そうさせてはくれないようだ。

「さてと。話を詳しく聞かせてもらおうか。君はなぜ、あんな所で、傘もささずに、しかも寝ていたんだ?」

 目の前に出された紅茶を一口飲むけれど、正直私の口には合わない。悪趣味な味がした。ティーカップをソーサーに置き、私は口を開く。

「家を追い出されたのよ」
「家を?」
「気味が悪いって。可笑しいわね」

 多少自嘲気味に呟くと、彼はふむ、と顎を撫でる。癖なのか、それとも意識しているのか。

「君の存在が、かい?」
「……正確に言えば、『体質』かしら」
「体質?」

 彼は多少前のめりになって聞いてくる。少し間を開けて、意を決した私は、体質のことを話す。

「───私は、死んだ人間の死の記憶が見える」

 そういうと彼は、少し驚いた顔になって……興味深そうに、続けて、とだけ。悪趣味だなと思う。けど話さないわけにもいかない。ここまで来てしまったのなら、すべてを話す。

「ある日突然、見えるようになったわ。それは予兆もなしに見えるの。フラッシュバックのように。いつでもどこでも、そこで『死んだ人間が過去にいる限り』、突然見えるわ。───だから。私はどこにも行けなくなった。どこへも行く気を失くした。部屋にこもるようになった。行く先々で吐き気を催すようになった、体調を崩すようになった、よく気絶するようになった……だから。あの人たちは気味悪がったのね。心配するでなく。元から私が気に入らなかったのだろうけど。それで今日、ついに家を失くしたわ」
「……成程。行く宛もなくふらふらしていたら公園に辿り着いたと」
「その時点でもう雨は降っていたわ。本当ならあの場所で死ぬつもりだったのだけれど」
「僕が邪魔をした感じかな」
「ええそうよ」

 私はため息をついて、悪趣味な紅茶を一気に飲み干す。ちょうどいい具合に冷めていたので、どうにか味を感じることなく、飲み干すことが出来た。
 話を一通り聞いた目の前の彼は、神妙な顔で何かを考えた後に、少し笑って口を開く。まるで運がいいぞというように。

「なら尚更。この事務所、というか、探偵である僕の助手をしてほしい。僕は普通の事件に興味なくてね。誰も追ってないような、未解決に至った事件を探るのが好きなんだ。というかそれを仕事にしてるんだけど」
「……悪趣味ね」
「それはそれ。で、君のその体質を使って、仕事を楽にしたい。君は帰る場所がほしい。ある程度は合致してるんじゃないか?」
「……」

 確かにこの用件を呑めば、私はこの事務所という『家』が、新たなる帰る場所となる。かつ、ある程度は生き延びることが出来る。ただそうなるためには、この『体質』を利用しなければならない。場合によっては精神をも壊すほどの『死の記憶』を見ることになるかもしれない。そもそも私は───

「無言は肯定と捉えていいかな?」

 にっこりと彼が言うものだから、私が今まで考えていたことがすべて吹き飛んだ。その笑顔を見るなり、私はもうどうでも良くなってしまった。帰る場所があるのなら。もういい。

「……もういいわ。好きにして頂戴」
「決まりだね」

 彼は私に手を伸ばす。もしかしなくても、この手は握手を求めている?

「僕の名前は──『右京 雅人(ウキョウ マサト)』。変わり者の探偵さ」

 やっぱり。右京って名前だったんだ。顔に似合わず古風な名前だと思った。私はなんだか毒気を抜かれて、無意識のうちにその手を握り、握手する。

「───君の名前は、今日から『夏織(カオリ)』だ。夏を織ると書いて、夏織。夏の終わり際だからね」
「……ネーミングセンスの欠けらも無いのね」
「そう?いい名前だと思うけど」
「いいわ。夏織と呼んでちょうだい。『探偵さん』」


 そこから。私たちの『探偵劇』は始まった。


「ところで毒薬は?」
「君みたいなのに渡すわけがないだろう」

プロローグ 終