複雑・ファジー小説
- Re: 夢見ズ探偵 ( No.5 )
- 日時: 2018/05/17 20:37
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
目を覚ました時にはもう朝だった。空は小鳥がさえずり、太陽はあまねく光を部屋に注ぐ。風もあまり吹いてはいないようで、窓を開ければ、そよ、と心地よく私の肌を撫でる。雲ひとつない良い天気だ。眩しいともさえ思える。
私はまだ半分寝ぼけている眼をこすり、ベッドから降り立つ。寝巻きであるパジャマのボタンをひとつずつ丁寧に外し、壁にかけてあったいつもの服を身につける。ドレッサーの前に座り、幾らかヘアスプレーをかけてやって櫛で髪をけずる。その後でハーフアップに仕立ててやり、洗面所で顔を洗ってそれなりの化粧をして、いつもの黒い手袋を付ければ、今ではすっかり板についた『夏織』が出来上がる。今日もなかなか良い出来だと思う。自分で思うのもなんだけれど。
私はいくらか満足して、探偵さんがいるであろう応接室へと顔を出す。
「おはよう、夏織くん」
「おはよう───探偵さん」
第3話
『死んだ人間に関わることで、まず最初に消える記憶は、その人自身の声である』
探偵さんはいつものように、そこにいた。悪趣味な紅茶を一口飲み、私に挨拶したあとは手元の本へと目線を戻した。それなりに分厚い本だ。ちらりとタイトルを見れば、『十角館の殺人』と書かれてあるのがわかり、私は思わず口に出す。
「……綾辻行人」
「ああ。少し気になってね。買ってきたんだ」
「『館シリーズ』、読んでなかったの」
「生憎『最後の記憶』と『眼球奇譚』くらいしか読んでなかったんだ」
「……」
最後の記憶と眼球奇譚。私もどちらも読んだのだけれど、しばらくホラーものは勘弁だと思うほど、どっしりと来た。正直途中で挫折しそうになった。あれほどまでにどっしりと居座るホラーも、なかなかないと思う。特に最後の記憶は。にしても、今の探偵さんの顔は非常に悪趣味だ。犯人がそうそうに分かったのか、ニヤニヤしている。気味が悪い。
「分かったのね」
「ここまでわかりやすいとね」
「私に対する嫌味かしら」
そう、私は十角館の殺人の犯人は、最後明らかになるまで分からなかった。どんなトリックを使ったのか、そもそも招待したのは誰だったのか。それと好みの登場人物が結局……という事もあったので、読み終わったあとしばらく別の本に手がつけられなかった。なのにそれを知らずとも、探偵さんはこれみよがしににやけている。若干私の方へ目線をちらりとやって。
「悪趣味よ」
「はは。ごめんごめん」
そう言うと探偵さんは、栞を挟んで本を閉じる。椅子から立ち上がれば、オレンジジュースを持ってきてあげよう、と、調理場へと向かっていった。
「……」
そう言えば探偵さんがいつも座っている椅子は、かなり良いものだ。座ったことはないけれど、見た目からしてとても高いものなのだろうな、と思う。いつもは探偵さんが座っていて、私は座ろうなどとは到底思わなかったけど、今こうしてみると、非常に座りたいと思える。今ならいいか。どうせ探偵さんはオレンジジュースを取りに行っているし。
「えい」
ポスン、と座る。かなり良いものだ。座り心地は最高で、背もたれも丁度いい具合。なによりフカフカしていて、軽く1時間はこうしていられる。いや、そうしたい。例え探偵さんが帰ってきたとしても、返さないでおこう。きっとこの椅子に座れるのは、ほとんどないだろうし。
「……」
ふと思う。ぬるい人肌が残っていて、探偵さん意外と体温高いんだな、と。何を馬鹿げたことを考えているのだろう。けど何故かこの椅子のフカフカのせいで、おかしなことを考えざるにはいられなくなっている。ついに私の思考回路は狂ってしまったのだろうか。
「夏織くん、持ってきたよ」
「……」
だがそんな時間は、帰ってきた探偵さんによって終わりを告げる。無慈悲にも。私は渋々椅子から立ち上がり、応接室のソファに座って、探偵さんからオレンジジュースを受け取り、一気に半分を飲み干す。ちゃんと氷のない、グラスいっぱいのオレンジジュースだ。私は探偵さんをひと睨みする。だけど彼はニッコリと笑って、先程まで私が座っていた上質な椅子に座って、こちらを見る。
「ここ、座る?」
「お断りするわ」
───────
暫くオレンジジュースを飲みながら、ぼうっと何をするでもなく過ごしていると、本を閉じる音がする。探偵さんが本を読み終えたのだろう。軽く伸びをして私に話しかける。
「そういえば夏織くん」
「何かしら」
「廃墟探索に興味はあるかい?」
「廃墟?」
私がオウム返しのように復唱すれば、探偵さんはそう、と頷く。
「廃墟探検だ。実はここの近辺にひとつあってね。もうボロボロなんだけど。そこの捜索をして、何かあったら連絡してくれないかって」
「誰から?」
「知り合いから」
そこまで言うと、彼は珍しくため息をつく。額に手の甲を載せて、虚空を仰ぐ。何かあったのだろうか、そのお知り合いの人と。でもそれは私が踏み込んでいい場所ではないのだろう。その話には触れずに、次の話を探偵さんに促す。探偵さんはすまないね、と謝って話を再開する。
「それで、君も来ないかと」
「貴方1人じゃダメなのかしら」
「君に留守を任せてもいいけど、君、人と話すの嫌いだろ」
「……否定はしないわ」
そう、否定はしない。あくまでも。ただ好きとか嫌いとか、そんな生易しいもので片付けられるものではないけど。私は最後に残った少しだけのオレンジジュースを飲む。
「なら僕と来た方が退屈しないだろ。京極夏彦の新刊も買ってあげるから」
「……なら、5冊ね」
「なんで1冊?」
探偵さんは首を傾げる。もう忘れたのか、この人は。
「この前の『4冊』、まだ買ってないでしょう」
「……ああ。そういうこと」
私はグラスを目の前のテーブルに起き、探偵さんの方へ顔を向ける。
「だから5冊よ。いい?」
「はいはい。夏織さんの仰せの通りに」
探偵さんはわざとらしくそう言うと、じゃあ出かける準備でもするかな、と言って応接室をあとにする。また今回もカウンタックなのだろうか。まあ別にいいけれど。
「……でも、悪趣味」
まるで私を『姫様』と言いたげなあの目は、『潰してしまいたい』。
続く