複雑・ファジー小説
- Re: 戦闘少女は電気如雨露の夢を見るか ( No.1 )
- 日時: 2018/05/13 02:45
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: wSTnsyhj)
/*-- Nardと少女と黄金郷 --*/
静寂だけがあった。 少なくとも私と、これから私と戦うであろう"彼女"にとってそこには静寂しかなかった。 それもただの静けさではない。 荒廃と惰性と無責任が生み出した静寂に殺意が内包された、この上なく不快な静寂。 私達は来る日も来る日もこの静けさに耳を澄まし、静けさを切り裂いて生を叫ぶ。 それが私たちに許された僅かな自由意思。
私がここへ上がってきた大きなエレベータはすでに荒廃したアスファルトの中で廃墟の一部と化していて、もう地下へと私を運ぶことはない。 いや、元々がこの廃墟の一部なんだ。 私を地下から引き摺り出す為に、一時だけ唸るようにして地下へと稼働したんだ。 そう、元は大型機材を地下に運び込むために使われていたのであろう貨物用エレベーターの小さな義務。 殺人者達を、戦場へと運ぶ仕事。
だが、今日の静寂はいつもと違った。 本来ならば私が地上に上がった時点で、私の脳は地下からの通信を受け取るはずだった。 少なくとも、今まではずっとそうだった。 それが今夜はしんと静まり返っている。 それは少しだけ困ったことだった。 私は今日殺すべき相手の事を何も知らない。 どんな武器を使うのか、どこの組織が"造った"のか。 その組織はどのような指向の"機体"を作るのか。
そう、今私はひどく不利な状況だった。 只でさえ私の事は皆が知っている。 私の左腕が五十キロの鉄塊を振り回せる事も、私の脚がその遠心力を支えられる事も、必要ならば鉄塊を握ったまま時速三十キロほどで走れることも。 勿論、その鉄塊が火を噴き、装甲車を難なく破壊できる弾丸を毎分六百発も撃ち出す能力があることも。
一応こちらから通信のアプローチを飛ばして、私は左手にある『ヴルトゥーム』と名付けられた機関銃に弾丸を装填する。 相手が誰であれ、殺し合いになってしまえば関係ない。 死ぬか、殺すか、それだけだ。
ふと、視界の隅に何かが動いた。 私の脳は反射的にそちらへヴルトゥームを向け、指は躊躇いなく引き金を引いた。 静寂の中で爆発音が連続する。 空気を切り裂いて放たれた炸裂弾がコンクリートの壁を打ち砕き、その向こう側で破裂した。 ヴルトゥームとは火星の王の名前。 その名前に恥じない炸裂弾頭を、この機関銃は放つことができた。 私の為に作られた、私の為の武器。 私が生きるために用意された、私の誇り。
ただ、視界の隅で蠢いたのが"彼女"でないことはすぐに分かった。 そこに彼女が居たならば、すぐに脳内に戦闘終了のアラートが流れるはずだったから。
では何だったのか? それを確かめるのは容易ではない。 元々が廃墟なのに、ヴルトゥームはさらに瓦礫を増やしたし、爆砕した灰塵が風に攫われている。 それなのに、その灰塵を見透かす様な機能は私の脳にも目にも搭載されていなかった。
私はもう一度通信のアプローチをする。 地下には今日のこの戦闘の参加者がアナウンスされているはずで、あの男ならばそこから相手の"機体"の性能や特性が割り出せるはずだった。 だが、通信相手は私のリクエストを受信さえしなかった。 その意味も理由もわからなかったけれど、私は少しだけ不安な気持ちになる。 私は、この戦場でたった一人で戦わなければならないのだ。
私は通信をあきらめて再び周囲の静寂に耳を澄ます。 "彼女"の足音、銃を構える音、息遣い、風のぶつかる音、そう言ったものを聞き分けようと脳みその全ての神経を研ぎ澄ます。 "黄金郷"——『エルトラド』と呼ばれているこの戦場に立つと、不思議なことに誰しもが出来るようになる、感覚の鋭化。 五感の全てを鋭く研ぎ澄まし、その全てを瞬時に周囲の現実に向ける技術。 むしろ黄金郷に立ってそれが出来ない娘は、その日のうちに死ぬ。 だから、今日この日まで生きてる娘達は、みんなこうやって意識を瞬時に研ぎ澄ますことが出来るんだと思う。 それが出来る娘も、毎日毎日死んでいくんだから。
そんな私の鋭い感覚の中で、再び動くものがあった。 今度はヴルトゥームを向けず、私の脚、ちょうど膝の上の辺りから鈍い光沢を放っている駆動脚が、乾いてひび割れたコンクリートの路面を蹴る。 私は黄金郷の中でも古参だったから、そう言った不確定な"動くもの"が危険だと言う事をよく知っていた。 その動く何かは熱感知式の追跡爆弾かも知れないし、有線誘導式の低速炸裂弾かも知れない。 だから私は脇目も振らずに走って、手近な廃ビルの窓ガラスを突き破る。 そのまま廊下へ転がり込んで、床に寝転がったままヴルトゥームをビルの入り口側、自分の足先の方へ向ける。 何かが動けば瞬時にこの機関銃がバラバラに破壊する。 だけれども、そのビルには静寂しかなかった。 誰もいない。 そう、黄金郷には、私と"彼女"以外には誰もいない。 打ち捨てられたオフィスビルにも、川を渡る朽ち果てた橋にも、埃だけが舞う繁華街にも、空のショウウィンドウが並ぶデパートにも、時折明滅する蛍光灯が僅かに残る駅にも。
突き破ったガラス片がむき出しの、生身の右肩に突き刺さっている感覚を僅かに脳裏に留めて、私は素早く身を起こす。 また視界に何かが飛び込んできたけれど、今度はヴルトゥームを向けるのを止めて、私はその小さな物体へと全力で駆け出して、掴み取ろうと手を伸ばす。
その物体は私が伸ばした手の、指の間をすり抜けてどこかへ行こうとする。 だけど私はその物体が何であったかを理解した。 脳の内側の方でカチンと音——実際にはそんな音はしないんだけれど、私に内在する意識の中では聞こえる気がする——がして『プラグマ』が起動する。 プラグマによって瞬間的に高められた感覚が、自分の内側から自分を俯瞰するような意識が、その物体を数千分の一ミリ秒単位で立体視して電脳へと視覚情報を送り込む。 プラグマがその視覚情報を精査して、作成された被写体の三次元仮想モデルを電脳へと送り込む。 それを、私の生身の脳が認識する。
その物体は電磁力浮遊、つまりは地球の持つ磁場と自身の発する磁場を反発させあって浮遊状態を維持する全方位カメラだった。 置き型のソレがすでに普及して久しい事は私も知っていたけれど、外部電源なしで浮遊し、尚且つ自在に動き回る様な代物は見たことも聞いたこともなかった。 少なくとも私は。
だけれども、それがただ私を監視するために浮いている訳がないことを、私はよく理解していた。 "私達"は常に無駄な事はしなかったから。 そうして"彼女"は既に私を"視て"いて、私は"彼女"の姿どころか気配も掴めていない。 それがいかに危険な事かを私は十分に理解していた。
すぐに私はカメラへヴルトゥームを連射して駆け出す。 "彼女"に居場所が知られたならば、長居は自殺行為だった。 それにこの廃ビルに駆け込んだのは失策だったかも知れない。 "彼女"が中へ入り込んでくるまで、私は"彼女"の居場所が掴めない可能性の方が高い。
だが、それは杞憂だった。
周囲の空気流動の変化に合わせてプラグマが強制的に起動する。 そのプラグマの意識は私の体に急制動を掛け、その反動で体が宙に浮く。 宙に浮いただけならば受け身をとれば済む話だが、唐突に廃ビルの壁が吹き飛び、私の肋骨の間に凄まじい衝撃が走った。 重金属の骨格が抉られて、上から被せられた金属の補強材が引き裂かれ、ついでに私の皮膚も皮下装甲も内臓も引き裂いて体の反対側まで衝撃が抜けた。 背骨と肋骨の付け根あたりに何かがぶつかって、そのまま背筋を引き千切って通り抜けていくのが感じられた。 もしも"プラグマ"が急制動を無理矢理にでも掛けなければ、その衝撃は私の頭を撃ち抜いていたことだろう。
どっ、と床に自分が叩きつけられる音と、重苦しい発砲音が重なった。 今私が受けた弾丸が秒初速千八百メートルだったとして、弾丸が発砲音よりも明確に後に聞こえた事から、私と"彼女"との距離は約二百メートル。 自分の体の事よりも、倒すべき、殺すべき相手の事が瞬時に脳裏に浮かび、私の腕は迷うことなく弾丸の飛んできた方向へヴルトゥームを向けて引き金を絞る。
爆音と共に廃ビルの壁が崩れて、隣のビルの屋上へ嵐のような弾丸が飛ぶ。 それは炎の嵐、火星の王が巻き起こす小さな嵐。 私は、この銃が弾丸を撃ち出す時のこの反動が好きだ。 命を奪い去る重みを、例えば本人が望まなかった、"造られた命"だったとしても、それを奪い取る重みが、痛みとなって金属の冷たい手首にのしかかる。 だから私はこの銃が好きだ。
だけれども、"彼女"をこの眼で捉えていない以上、いつまでもそうしている訳にはいかなかった。 私は視界の隅に肉の抉れた自分の体を少しだけ収めて、その痛みを意識しないようにしながら走り出す。 走りながら、視界に映る全方位カメラに弾丸の嵐を送るのも忘れない。
恐らく"彼女"は隣の廃ビルの上層階からこちらを狙撃してきたはずだ。 複数の全方位カメラを装備していて、それらを遠隔操作しながら目標を捕捉し、強力な狙撃銃で仕留める。 黄金郷では珍しい長距離戦に重きを置いた機体……。 私は少しだけ考える。 私の胸の下辺りには既に体の反対側まで続く穴が開いていて、恐ろしいほどの勢いで血液が体外へ流れ出している。 肺は逸れているようだが、内臓にもかなりのダメージを負ったはずだ。 この状態で、彼女を視界に収められる位置まで辿り着けるだろうか? そして何より、そこから攻撃へ転じる余力があるだろうか? 背骨から肋骨までを覆う重金属の補助装甲を一発で打ち砕くほどの弾丸を、あと何発耐えられるだろうか?
そこで私は思い至った。 どうせ全方位カメラに位置を捕捉されるなら、コソコソしても仕方がない。 私は走る足を休めずに、先ほど弾丸が飛んできたであろう位置へ向けてヴルトゥームを撃ちまくった。 廃ビルの壁が見る見るうちに無くなっていき、隣のビルの壁もどんどん消え去っていった。 だが——。
ドン、と凄まじい衝撃が私の左肩へ伝わった。 本来は上腕骨——私の左腕は全て金属と人工筋繊維で出来ているので上腕骨ではないが——と肩の付け根辺りに被弾したことはすぐに分かった。 左右の腕には鋼材の装甲が施されているが、"彼女"の撃ち出す弾丸の前に、そんな装備は何の役にも立たなかった。 弾丸が装甲を引き裂き、皮下装甲とカーボン筋繊維を抉り、その中心で腕全体を支えている上腕骨に相当する部分を打ち砕く。 "私達"以外は誰も知らないんだろうけれど、"私達"は金属部位を撃たれてもちゃんと痛みを感じる。 だから私は呻いたし、まだ辛うじて神経系は生きているのに私の左手は機関銃を取り落した。 もっとも、重量が五十キロ以上もある機関銃なんて、もう持ち上げる事が出来ないだろうけど。
私の電脳がすぐさま破損状況を生体脳に電気信号として送り込み、私はもう左腕が使い物にならないことを知った。 左腕がこんな状態になったのは随分と久々の事だった。 重火力兵器はその破壊力と引き換えに機動力を奪う為、近頃はあまり見かけなくなっていたから。
私は電脳に左腕を肩から切り離す様に指示を出し、右脚のホルスターから短機関銃を引き抜いた。 脱臼するように関節が外れて左腕が床に落ちるのと殆ど同時に、私の右手の中で短機関銃が吠える。 この展開式の短機関銃は軽く、小さく、静かで強力。 ヴルトゥームほどの爆発的な破壊力はないけれど、"私達"の体を撃ち抜くぐらいならなんてことはない。 ただ、今この短機関銃、"スタント"と名付けられた私のもう一つの武器が撃ち抜いたのは、"彼女"ではなく、視界に入った全方位カメラだ。 ヴルトゥームよりも遥かに軽いスタントならば、浮遊する全方位カメラを撃ち落す事も難しくはない。 全方位カメラ自体が、そう高速には動いていないという理由ではあるけれども。
私は左腕ごとヴルトゥームを捨て、ついでに重たいヴルトゥームの弾丸もすべて捨てて、目に入る全方位カメラをすべて撃ち落し、"彼女"の視界から消える事に努めた。 長距離戦を得意としている"機体"ならば、機動力は高くない。 そう願って、ただひたすらに"彼女"の視界から逃げ出す事に精を出した——。