複雑・ファジー小説

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.25 )
日時: 2020/03/15 22:53
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: A2dZ5ren)

【 プラスチック 】


 がんちゃんは「お前じゃない」と私に言った。



 高校二年生の時に付き合い始めて、大学一年の春に別れて、成人式で久しぶりに彼に再会した。がんちゃん、と呼んでいた。彼の名前を私はそのあだ名でしか覚えていない。
 お母さんに選んでもらった薄ピンクの着物は、ド派手な花魁の黒の振袖を着た元ヤンキー少女に目が行くばかりで全然目立つことはできなかったけど、友達からは似合ってるよと褒められて、それで私は十分だった。式が終わって友達と振袖姿の写真をスマホにおさめようとしていたところに、彼はやってきた。友達は気まずそうにこちらを見てから、曖昧に言葉を濁して目を逸らす。「ごめん、ちょっと話したいんだけど」がんちゃんの声に、友達はまたあとでね、と私のもとから去ってしまった。

「なにか用ですか?」

 私の冷ややかな言葉に、がんちゃんの表情はぴたりと固まった。気まずさという沈黙が数秒流れて「久しぶり」と彼はぼそりと呟いた。「お久しぶりです」私は敬語を崩すことなく返事をする。がんちゃんは下を向いたまま、私と視線が合うことはない。百八十も身長があるくせに、子犬のように縮こまって馬鹿みたい、と私は思った。

「用事がないなら私はもう行きますけど」
「ちょ、ちょっと、ちょっとだけ、話を」
「どうしてですか、話すことなんて私は何もないです」
「でも、俺、謝らなきゃいけないことがあって」
「謝らなくても結構です。っていうか、がんちゃんが悪いわけじゃないのにどうして謝るの? どうして反省してるくせにまだ私に関わってこようとするの? もう干渉してこないでよ、お願いだから」

 がんちゃんが私の右手をつかんだ。皮膚に指が食い込むくらいに強く。痛い、というとがんちゃんは慌てて手を離した。ごめん、ごめん、何度も何度も何かに囚われているかのように、呪いの言葉のようにぼそぼそと呟いたがんちゃんに、私は「もういいよ」とも「死んでくれ」とも言えなかった。


「がんちゃん、お願いだからさ、私のことは忘れて勝手に幸せになってよ」


 十八歳の冬の日。センター試験がもうすぐだね、お互い頑張ろうね、なんて言ってた時期。私は交通事故にあった。
 不幸な事故だった。左折車が自転車で横断していた私に気づかずに轢いてしまった。幸い命は助かったけれど、私は頭を強くぶつけた衝撃で記憶を一部失ってしまった。当時付き合っていたがんちゃんのことも。
 ずっとがんちゃんはお見舞いに来てくれた。私ががんちゃんのことを思い出せなくても優しく微笑んでくれて、ずっとそばにいるよって言ってくれた。好きだなって思った。彼のことは一切思い出せないけれど、これからずっと隣にいてほしいって思った。
 だけど、がんちゃんはそれに「耐える」ことができなかった。


「お前じゃない」



 どれだけ昔の自分の映像をみて、昔と同じように、がんちゃんが好きだったころの私と同じように演じても、がんちゃんは「違う」と言った。キスをするのも、がんちゃんは耐えられなかったんだろう。罪悪感に。
 私はがんちゃんの彼女だけど、がんちゃんの記憶の中の彼女じゃない。同じ見た目の別の人間。がんちゃんも最初はわかっていただろうに、それでもやっぱり無理だった。


 「ごめん、お前と付き合えない」と振られたのはゴールデンウィークの初日だった。理由は簡単。好きだったのは私じゃなくて、記憶をなくす前のわたしだったから。どう頑張っても私はあの頃には戻れないのに。どれだけ上手に演じてもがんちゃんは今の私を受け入れてくれなかった。こんなの同性の恋人に子供がほしいから別れてくれ、というくらい理不尽な振り方だよ。
 退院記念に一緒に夢の国に行くという約束をしていたのに、裏切られた。すごくショックだった。それからがんちゃんが私に連絡してくることはなくなった。がんちゃんが楽しそうに大学生活を送っているってことも友達から連絡があって知った。新しい彼女と幸せそうっていうのも友達から聞いたよ。全部聞いたよ。


 だから、もうそれでいいんだ。お願いだから、忘れさせてくれ。
 私の脳みそはプラスチックみたく柔くて弱いんだ。がんちゃんが好きって記憶だけ鋭い針で穴があけられて、それを私は一生忘れられないんだから。罪悪感で死にたきゃ勝手に死ね。生まれ変わってももう一度君に恋をするとかふざけて笑いあった日のことを私は覚えていない。スマホに残った楽し気なラインを私はいまだに消去できてない。女々しい人間だ。ああ、こんな今の私は死ねばいいのに。