複雑・ファジー小説
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.30 )
- 日時: 2020/04/06 14:31
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
【 死神さんと 】
優しくなりたいんです。蝉の鳴き声が部屋の中にこだまして、彼は今にも泣きそうな震えた声でそう言った。
新築の家特有の木の匂いがふわりと鼻をくすぐって、私は正座していた足を少しだけ崩す。
「無理だと思います」
じわじわと熱気が窓の隙間から入り込んできて、エアコンの冷たい風と入り混じって気持ちの悪い空気だった。まるでお風呂のような空間で、彼は少し汗をかきながら、ずっと俯いたまま唇を噛んでいる。
暑いですね。彼が何も言い返してこなかったから、私は世間話に路線を切り返そうとカバンの中からタオルを取り出して首筋の汗をぬぐった。彼はやっぱりこちらを見ずに、そうですね、と短く言葉をつぶやくだけ。
「ど、どうしても、もう、無理なんでしょうか」
「……だってもう死んじゃいましたしね、無理ですよ」
彼の肩は小刻みに震えていた。事実をまだ受け入れ切れていないようで、傍から見ればかなり滑稽だった。ぐすん、と鼻をすする音が聞こえたかと思うと、い草の綺麗な薄緑の畳にぽつりと大粒の涙が落ちた。
「まだ、俺にはやらなきゃいけないことがあるんです」
「そうですか。残念ですね」
「どうしようもないんですか?」
「そうですね、どうしようもないです」
「どうにか、ならないんですか?」
「……残念ながら、どうにもならなんいんですよ」
彼が何度も食い下がる。私の言葉を聞くたびに落胆して、それでもまだ希望があると信じて、顔は涙でぐちゃぐちゃだったけれど、瞳は死んでいなかった。
だから、嫌なんだ。私は表情は変えずに心の中で大きくため息をついた。面倒くさい、という本音は絶対に口には出せないから。
畳に爪を立てて彼はまたぐっと唇を噛みしめる。
「あなたを殺したら、俺はここから出られるんでしょうか?」
ぐちゃぐちゃの顔で彼はゆっくり立ち上がった。伸ばしてきた手は私の首を掴んでぎゅっと親指に力が入る。喉が潰されるような感覚がした。
「無理ですよ。だって私は人間じゃないから、死にません」
彼が本気で力を入れたことがわかるくらいに大きく赤く、くっきりと痣はできた。だけど私は軽くけほけほと咳払いするだけ。喉が潰されたような、そんな感覚がしただけ。
「魂の回収はもうあと一時間後です。やりたいことはありませんか?」
彼はもうどうにもならないことをようやく察したのか、すとんと膝を落としてそのまま倒れ込んだ。死にたくないよ、うわごとのようになんどもなんどもその言葉を繰り返す。そうですね、私は彼の言葉に相槌を打つだけで、ずっと進むだけの時計の針を見つめていた。
もう取り返せない時間を、彼の過去を。彼の望んだ未来を。私はかなえてあげることはできない。あと一時間足らずで私は彼の魂を狩る。とある夏の日。私はいつものように、一人の少年の命を奪おうとしていた。