複雑・ファジー小説
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.38 )
- 日時: 2020/05/04 23:04
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
【 君を食べたい。 】
それにしても、その気持ちの悪い口説き方どうにかならないの。あたしが溜息まじりにそう言うと、彼は少し照れたように笑って「僕は正直者なんだ」と嘘をつく。
今日で彼が私のもとに通って六十三日目。二か月が過ぎたとある春の日のことだった。
「どうしても、君は僕のお願いを聞いてくれない?」
「そうね。嫌だわ、だってあなたは馬鹿な人間どもと一緒だもの」
「君の言う「馬鹿な人間」と僕が同じかどうかはそれは君の主観でしかないよ」
「そうね。客観的に見たとしてもきっとあたしと同じ意見を持つ人がほとんどだと思うわ。そんな迷信を信じちゃって馬鹿みたい」
こんなに毎日毎日馬鹿みたいに通いつめるこの男に、あたしは少しだけ感心していた。みんな彼と同じようにあたしのもとに通っては、諦めて帰ってしまうから。そこからもう二度と足を運ばない。でも彼だけは気持ち悪いくらいに、ずっとあたしに会いに来ていた。
地元では有名な、人魚のいる場所と噂されるこの場所には、彼みたいに毎年数人とある願い事をしにやってくる。もちろんこの人魚伝説はあくまで噂であって、地元の人間は他所では絶対に口にしない。口にしてしまうと何か良くない厄災があるとかないとか、もちろん噂だからほとんどの人間は信じていない。だけど、たまにやってくる。たまたま噂を聞いてしまった若者が。みんな揃って同じことを言う。
「 人魚の肉を食べると不死身になるって聞いたんだけど 」
むかしむかし、人魚の肉を食べた人間が何百年も生きたらしい。それももちろん噂。そんなことあるわけない。
でも、その噂が人間界で流れたかと思うと、人魚狩りが始まった。見つかった人魚たちはみんな殺され、人間たちの食い物になった。
だけど、人魚の肉は人間には毒である。そんなこと知る由もない人間たちは、人魚の肉を食べてバタバタと死んでいった。そこから、人魚の話は絶対禁句。言ったら人魚に殺されるとでもまた噂を流したのだろう。
そして噂はすべてぐちゃぐちゃになって、人魚の肉を食すと不死身になれる、という迷信は一部の人間だけ知ったまま、それもまた噂として消えていった。
「不死身になってどうしたいの?」
「僕にはどうしてもやりたいことがあるんだ」
「でもあたしの肉を食べても不死身にはなれないかもしれない」
「そうかもね」
人間の気配には敏感だったはずだった。彼に背後をとられたとき、あたしは恐怖を隠せなかった。どうしよう、逃げられない。殺される。
人間がこの場所にくるとき、必ず姿を現してはいけない。何故なら、ここに来るってことは望みはたった一つだけだから。
彼に初めて見つかってしまった日、その日のことを鮮明に覚えている。
「君はもしかして人魚?」
彼の嬉しそうに少し上ずった声が耳にこびりついて離れない。
初めて会った日も、今日と同じように彼はあたしに背筋も凍る気持ちの悪い告白をしてきたのだ。「君を食べたい。」くだらない、最悪な、愛の告白。