複雑・ファジー小説
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.40 )
- 日時: 2020/05/07 22:21
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
【 もうひとりの彼女 2 】
彼女が深い眠りにつく前に、泣きそうな声で言った。ごめんなさい、震える唇で必死に言葉を紡ぐ彼女の瞳には、涙が浮かんでいた。だけど、その日、彼女は泣かなかった。
「許してほしいの」
彼女がそっと裸足で椅子の上に立った。上から吊るされたロープに軽く触れて、少し躊躇ってこっちを見た。
「全部全部なかったことに、なればいいなって」
それはもう、無理なんだけどね。へらっと困ったように笑って、彼女は部屋を見渡した。彼女の部屋は花柄の淡い桃色の壁紙で、家具もピンクで統一された女の子らしいものだった。本棚の上に飾ってある年季の入ったテディベア。机の上に乱雑に積み重ねられた教科書。床に脱ぎ捨てられた制服。すべてが彼女の生きていた証拠だった。呼吸を整えて、彼女はまたロープを握る。
ごめんね。彼女がまた泣きそうな声で言った。
「弱いあたしを許してほしい。現実から逃げちゃうあたしを、どうか」
許してほしい。彼女はそう言って、ロープのわっかを首にかけた。ぎゅっと彼女の首が締まる。勢いよく蹴り上げられた椅子が俺のもとに転がって、彼女の泣き叫ぶ声が聞こえた。助けて、その声は俺と彼女しかいないこの家に大きく響いた。苦しむ彼女の声に俺はじいっと耐えた。
彼女の「死にたくない」という声が聞こえるまで。
彼女を助けてしまったとき、俺は罪悪感で死にたくなった。ロープを急いで刃物で切り落した。彼女の体が地面に勢いよく打ち付けた。ガン、と大きな音が部屋中に響いた。
彼女は死にたかったのに、そのために俺を呼んだのに。ひとりじゃ怖くて足がすくむかもしれない、だから側で躊躇わないように見ててほしい。そのために彼女は俺を呼んだのに。俺は彼女の望みと正反対のことをしてしまった。意識のなくなった真っ青な顔をした彼女をベッドに寝かせて、俺は部屋を飛び出した。触れた彼女はまだあたたかく、脈はあった。まだ彼女は生きている。
怖くなって必死で走る。彼女はまだ生きている。もしかしたら助けたせいで俺は彼女に嫌われてしまうかもしれない。地面を蹴りながら、無我夢中で目的もなく走り続けた。近くにあったコンビニに入ると、店内の静かな音楽に俺は少しだけ冷静になって、歩き回った。奥にあったトイレに入って俺は呼吸を整える。気持ちが悪くて吐きそうだった。俺は夏休みが終わったあと、きっと彼女に嫌われる。許されない。
*****
「やめてよ、そんな顔するの」
「だ、だって、ちょっと、待ってよ。だって君は、ほら、これ、君は昏睡状態の」
言いよどむ俺をよそに、ドッペルゲンガーは笑わずに俺を責め立てる。
「どうしてさ、寛太くんは知ってるの。昏睡状態って。みんな知らないはずだよ」
「いや、だって」
「だって、今日も宮川有栖は学校に来てたもの。普通に登校してたでしょ、知るはずがないのよ有栖が入院してることは」
俺を見下ろす女の瞳は憎悪で黒く染まっていた。
病室のドアをそいつは閉めて、つかつかと中に入っていく。彼女は見舞い用のパイプ椅子に座ると、俺にもこちらに来いと手招きした。
眠る彼女と、椅子に座った彼女の顔を見比べる。瓜二つのその顔に、俺はやっぱり声が出なかった。
「お姉ちゃんを殺したのは、寛太くんで間違いないんだよね」
ドッペルゲンガーは人殺し、と強く俺を睨みつけた。
その瞳が、俺の脳に深くこびりついて離れない。