複雑・ファジー小説

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.48 )
日時: 2020/05/22 21:29
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)


【 もうひとりの彼女 8 】




「ねえ、忘れたの?」




 教室移動の途中に肩を叩かれた。ぞくっと寒気がして、私は後ろを振り返る。
 一人の少年が奇妙な笑みで立っていた。
 どこかで見たことのある顔だった。そうだ、あのときの私をみて笑った男。


「何が、ですか」

 後ろに一歩下がって、私は手に持っていた教科書をぐっと胸元に押し付けた。

「あんなことされても、僕のことを何一つ覚えてくれていないんだね」
「だから、何のこと」
「僕たちはあんなに愛し合ったのに。もっと愛し合わなきゃ君の心には残らないのかな」

 男は私の首元に手をはべらせて、またにやりと口元を緩めた。
 鳥肌が全身にたって、私はその手を思いっきり撥ね退けた。びっくりした衝動で、私はその場から逃げた。階段を勢いよく駆け上がる。気持ちが悪くて、それ以外は考えられなかった。
 あとから、彼が言っていた言葉はすべて「お姉ちゃん」のことだと理解して、またぞわっとした寒気に襲われる。


 愛し合った、ってどういうこと。


 第二理科室に入ると、もうそこには寛太くんがいて、私を見て心配そうに「どうしたの?」と声をかけてきた。「なにも」と返すけれど、上手く笑えなかった。
 寛太くんが私の頭をぽんぽんと撫でて「大丈夫だよ」と笑った。

「何が大丈夫なの?」
「なんだろうね」

 根拠のない言葉は嫌いだった。だけど、この男の言葉には強い信念が感じられた。
 絶対に「大丈夫」にする、とまるでそのためなら世界でも変えてしまえるかのような、そんな強い感情が、彼の強い眼差しから感じ取れた。

「誰かに何か言われた?」

 何も言われてないよ。私は席に座って、小さく息をついた。
 目を閉じる。ふいにさっきの男の笑みが脳裏に浮かぶ。こびりついて離れない。
 愛し合った、という言葉は一体何だったのだろう。
 考えても無駄なのに、私の心はそれでぐちゃぐちゃになって、授業もまともに聞いてられなかった。

 放課後になって、寛太くんが一緒に帰ろうと私の席に近づいてきた。

「あ、寛太くんさ、今日委員会あるの覚えてる?」
「え。そうだっけ、あ。……ごめん、ちょっとだけ待っててくれない?」


 クラスメイトの言葉に寛太くんの表情が歪んだ。頼み込む彼を無視して「私は帰る」と言い張って外に出た。寛太くんは困った顔をしていたけれど、何でそんな顔をするのか私にはよくわからなかった。
 私には寛太くんの行動の意味がわからないから。

 校門に向かって歩いている途中に、声がした気がした。
 名前を呼ばれたのだろうか、私はふいに後ろに振り返る。
 私の瞳に映った男は、やっぱり笑っていて、やっぱり気持ちの悪い吐き気のするような、

 そんな笑みだった。


*****


 「どうしたら思い出してくれるの?」
 「君は僕のことを好きになってくれるはずだった」
 「あれだけ愛し合ったじゃないか」
 「君だって合意だったでしょう。抵抗もしてこなかったじゃないか」
 「僕と一緒にぐちゃぐちゃになってよ」
 「ねえ、お願いだから僕のものになって」


 気が付くと私は体育倉庫の中で手首を縛られた状態で放り捨てられていた。
 目の前には一人の男。見たことがある。あの日、私に廊下で声をかけてきた男だった。
 彼は譫言のように気持ちの悪い言葉を何度も繰り返し呟く。
 私が目を覚ましたのに気づいたのか、またにやっと笑って「おはよう」と言った。
 手首のロープは頑丈に縛られていて外れる気配がなかった。私は怯えながらも彼に話しかける。

「あんたは何がしたいの」
「……何って、そんなの決まってるじゃないかあ」

 彼の手が私の頬を撫でる。じめっとした汗が私の頬に塗りたくられる。

「僕は今から君ともう一度愛し合うんだよ」

 ゆっくりと彼のねばついた手が私の体に落ちていく。
 声は、出なかった。