複雑・ファジー小説

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.49 )
日時: 2020/05/26 00:47
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)

【 もうひとりの彼女 9 】



「なに、やってんの」


 がしゃんと体育倉庫のドアが開いて、そこに彼は立っていた。
 走ってきたのか息が切れていて、首筋には汗が伝っている。

「え、ああ、なにも、なにもしてないよ。違うんだ、俺は、全部こいつが誘ってきたんだから。違う、俺は違う」

 私の縛られた手足を見て、彼は怒りで肩を震わせていた。
 私を犯そうとした男は彼の逆鱗に触れたのだろう。胸倉をつかまれて壁に押し付けられていた。目を泳がせた男はどもりながらすべての行為について否定した。
 俺が悪いわけじゃない。全部、この女が悪いんだ。
 でも、寛太くんの怒りはそんな言葉じゃおさまらなかった。
 寛太くんの拳が振り落とされる。「やめて」と叫ぶと同時に、鼻すれすれの位置で止まった。

「どうして」
「……だって、私は無事だもん。寛太くんが助けてくれたから、ほら、無事じゃん」

 男はもうすでに失神していた。
 胸倉から手を放して、寛太くんは私のもとに駆け寄る。

「ごめん。俺は」
「無事だって言ってるじゃん。寛太くん、ほら、見てよ」

 私は精いっぱい手を広げて笑って見せた。寛太くんの悲しい顔は見ていられなかった。

「私は綺麗な体のまま、寛太くんのおかげで、ほら」

 痣だらけの手やロープで絞められた皮膚の赤い部分も、寛太くんにとってはきっと許せないことなのかもしれない。だって、寛太くんはきっと


 お姉ちゃんを守れなかったことをずっと後悔してたから。


「私は、死なないよ」

 あと何時間、あと何分、あと何秒、何かが違ってたら寛太くんはこんな馬鹿みたいな男たちからお姉ちゃんを守れていたのかもしれない。お姉ちゃんがこんな奴らのせいで死のうとしたりしなかったのかもしれない。だけど、こんなの「たられば」だ。どれだけ願おうとも過去が変わるわけでもない。私がお姉ちゃんの姿で毎日お姉ちゃんの振りをして学校に通っていても、私が宮川有栖になれるわけじゃない。
 寛太くんが守りたかった「宮川有栖」にはなれない。

「俺は、また守れなかった」
「そんなことないよ」
「俺はまた」

 ずっと私のそばにいてくれた。寛太くんはきっとまたあんなふうになるのが怖かったんだろう。
 寛太くんは止められないから。きっと私がこのことでお姉ちゃんと同じように死のうとしても、寛太くんは止められない。

「姉さんがむかし、同じように事件に会って、酷いことをされて……でも、誰にも言えなかった。警察に言うのも恥ずかしくて、ただずっと後悔してた。姉さんはあの時のことが忘れられないのか、だんだんおかしくなっていっちゃって、精神的に病んじゃって、いま病院にいるんだ」
「寛太くんは、そのお姉さんと私のお姉ちゃんが同じようになると思ったんだね」
「死にたい、って姉さんもよく言ってた」
「うん」
「でも、周りはみんな「死んだらだめだ」「生きなさい」って言うんだ。それで姉さんがどんどん狂っていっちゃった。何が正解なのかはわからない。姉さんが生きてくれてることは嬉しいけど、それがずっと重荷になってると思うと俺は……」

 寛太くんは言った。
 有栖も同じようになると思った。
 止めたら狂ってしまうと、狂って精神が壊れてしまうと思った。

 どうすればいいのか、なにが正解なのか分からなかった。
 止めなきゃいけなかった。もっと早く駆けつけて助けなければいけなかった。

 私はごめんと繰り返し土下座しながら謝り続ける寛太くんを見て、可哀想に思った。
 私だって、そんな状況になったら正解なんてわからないから。

「寛太くんは、お姉ちゃんに死んでほしかったの?」
「……幸せになってほしかった」

 私の質問に答えたのか、少しずれた返答をした寛太くんは泣きながら私の手を取った。

「保健室に行こう。早く手当しなきゃ」

 弱い人だな、と思った。そして不運な人だな、とも。
 優しさは心を蝕んでいく。綺麗な心は、黒に染まりやすいから。
 私は、弱くて可哀想な寛太くんが、そんなに嫌いじゃなかった。