複雑・ファジー小説
- Re: 【THE MAID.】 ( No.2 )
- 日時: 2018/06/03 22:33
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
そこに服がある限り、それを着なければならない。暦はしばらく呆然としていたが、時間はまってはくれない。このあとに依頼主である夫婦に会わなければならないのだ。いつまでもこうして突っ立っているわけにも行かない。ため息をついて諦めて、そのメイド服を手にとって袖を通した。
「ぴったりだ…」
恐ろしいほどぴったりだった。まるで何もかも、全てが暦の体型にあわせて作られたようである。昨日の今日で、こんなにピッタリのものが作れるのだろうか。流石に無理だろう。というよりなぜメイド服が支給されたのだろう。ご丁寧にヘッドセットまで。全くわけがわからない。
ふとスカート部分に妙な重みがあるなと感じた。気になってめくってみれば、スカートの内側に銃火器が、所狭しと仕舞われていた。中にはナイフや爆弾まで。完全に自分のために用意されたものだろう。暦は本日何度めかわからないため息をつく。
着替え終わったことだし、外に出て待っていようかと思った矢先、軽くノックが3回鳴らされる。はい、と暦は応えた。
「そろそろ旦那様と奥様の所へ向かいましょう。お服は宜しいですか?」
「え、あ、はい……」
困惑しつつも、暦は扉を開き、外に出た。外ではメイド長の山田が立っており、メイド服を着て出てきた彼を見て、やはりどこか訝しげな顔をする。何かしてしまっただろうか、無意識のうちに。暦は山田さん?と声をかける。
「っ、失礼しました。それでは参りましょう」
「はい」
山田と暦は、何かが引っかかったまま、依頼主である夫婦のもとへと向かった。
◇
暫く歩いたあと、山田はある扉の前でピタリと足を止める。暦もまた同じように歩みを止めた。ひときわ大きな扉だ。しかも他の扉と作りが違う。法龍寺家の象徴なのか、わざわざ龍の装飾がところどころされてある。
山田は軽くノックを3回する。
「山田、入ります。刑部様も入られます。今宜しいでしょうか」
「構わない」
山田がそう言うと、中から通った声が帰ってくる。声からして『旦那様』の方だろう。山田は扉を開き、暦を先に入れて自らもまた部屋に入り扉を閉める。先に中に入った暦は、少し背筋を伸ばして、依頼主である夫婦を真っ直ぐに見据える。事務机と思しきそれの前に座る、いかにもな男とその隣に立つ、いかにもな女。反対方向にいるはおそらく、その男女の娘なのだろう。手に持っているスマフォを、なぜこちらに向けているのかは気にしないでおく。
「はじめまして。刑部暦と申します。此度よりこちらにて───」
「ああそんなに堅苦しくしなくて大丈夫だ。分かってるから。暦くん」
「は、はい…」
とここで暦はふと気がついた。今この人は、メイド服を着ている僕を、暦くんと呼ばなかっただろうか?いや、事前に連絡は入れてあるから、性別はとっくにしてっいるはずだ。ではなぜメイド服を用意したのか?それとも別の人間が用意したのか?疑問符が浮かび上がり、それはどんどん増えていく。
「私はこの法龍寺家の当主、法龍寺芳雄だ。こちらは妻の法龍寺光子」
「よろしくね暦くん」
「はい、宜しくお願いします…」
「そしてこちらが、今日から君にボディーガードになってもらう娘の、法龍寺尊だ。さあ尊、挨拶なさい」
そう言って当主、法龍寺芳雄は隣の娘───尊に促す。そして娘から出てきた一言に、暦は絶句することとなる。
「SNOWしていい!?」
「……は?」
一体この2日間で何回いっただろうか。始まりはいつだっただろうか。今回ので何回目になるだろうか。あまりの言葉に暦は、もう口癖のようなそれを無意識のうちに出していた。SNOWとはなんだ、そもそも挨拶の代わりにSNOWしていいとはなんだ、というかSNOWしていいって何なんだ、わけがわからないぞこの保護対象。暦は口を半開きにして、呆然とする。あまりの唐突さに、あまりのわけがわからなさに、ただ呆然とするしかなかった。
「ははははは!尊、そんなにメイド服着てもらって嬉しいのはわかるが、まずは挨拶なさい」
「そうねえメイド服かなり似合ってるからねえ。やっぱりこっちのほうがいいわねえ」
「え?」
「ああ。メイド服を用意したのは娘なんだ。写真を見てね、絶対似合うってきかなくて。実際かなり似合っているが」
「……」
なんなんだこの親子は。ただ会っただけなのにものすごく疲れてきた。いつの間にかメイド長は、部屋にはもういないし。暦はため息をつきそうになったが、既のところで飲み込む。いくら疲れる親子だからとはいえ、目の前でため息を漏らすわけにはいかない。暦は咳払いを一つ。
「それで、本日から早速ボディーガードとして───」
「ああ。娘のショッピングに付き合ってくれないか?」
「唐突ですね」
「そういわなさんな。この子はホントによく狙われててね」
「(ものすごく当たり前のように言ったな)」
数が多くて困るよ、と、芳雄は笑いながら言うが、いや笑い事じゃないだろ、と暦は心の中でツッコミを入れる。というかよく狙われるって何なんだ。いや、実業家のひとり娘なのだから、狙われてもおかしくはないだろう。だがそれを笑い事で済ますのは、いささかどうなのか。
ふと気がつけばいつの間にやら、ボディーガード対象の尊は、とっくの前に部屋から出ていっていた。なんだか自由だな、とは思う。だが目の前の当主に向き直れば、少しばかり神妙な顔をしてこちらを見ている。何か言いたげのようだ。暦はどうされたのですか、と促した。
「……娘がいたから笑ってはいたのだが、実はあの子は、ある巨悪組織から、本気で命を狙われていてな。この前は既のところで助けられなかったら、今頃君が見ていたのは娘の、首から上が無くなった『体』だったろう」
「───詳しく、聞かせてもらえますか」
芳雄はその言葉に強くうなずき、妻がこっそり持ってきておいた椅子に、暦に座るように言う。暦は光子に丁寧に礼を言うと、その椅子に座り続きを、といった。
「ある日の帰り道でね、突然意識がなくなったそうなんだ。気がついたらさびれた倉庫のような場所にいた、と、娘は言っていた。そこで娘は、見知らぬ男数人に、執拗に脅されたようなんだ。口には出したくないこともされそうになったようでね。しまいにはナイフで首を切られそうになったそうだ。既のところで彼女の友人が気づいて助けてくれたからその時はどうにかなったが……それ以来彼女は、男という生物をひどく怖がるようになったんだ。幸いにも、私は平気なようだがね」
「それで、なぜ僕を?僕も男でしょう」
「───偶然さ。依頼を頼んだ特殊部隊に、ちょうど君がいた。君なら、言い方は悪いだろうが、女顔だしメイド服でも似合うのではないか、とね。部隊の方からそう貰ったんだ」
「なる程……そういう事ですか」
戦闘能力が高く、礼儀もわきまえて、かつ声も比較的高めで女顔。無茶とも思えるその条件に、奇跡的に合致するのが彼、刑部暦だったという訳だ。暦はだからメイド服が支給されたのか、とひとり納得した。それならば仕方がない。
「ちなみにメイド服のサイズがやたらぴったりなのは」
「リサイクルだ。安心し給え、クリーニングはしっかりしてある」
「そういうことでしたか」
「納得いただけたかな?」
「ええ」
暦は力強く頷く。そんな事情があるのならば、命令通りにメイド服を着よう。それにこの服、色々と仕込めるし。暦は席を立ち、挨拶をすると扉の前にまで向かう。
「最後に少しいいかな?」
「はい」
芳雄は暦を呼び止め、暦もまた返事をして芳雄の方へ向き直る。
「君、車のフロントガラスを一発で蹴破れないか?」
「無茶言わないでください」
でもやっぱりどこか、この親子はおかしい。いろいろな意味で。
第1話 終