複雑・ファジー小説

Re: 【THE MAID.】 ( No.6 )
日時: 2022/06/12 22:31
名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: rMENFEPd)

 刑部暦は自らが置かれた状況に困惑していた。何故ならば彼は今、着慣れない服装で、なれない場所に放り出されているからである。叶うならば、今すぐにでもこの状況が終わってくれればいい───そう思っている。
 周りには見慣れない人々。その人々の関心は全て、この場所に本来いるべきでは無いであろう刑部暦ではなく、目の前の催し物に夢中になっている。彼らは皆、その催し物に参加する『我が子』を目当てにここに来ているのだ。そう、その催し物こそ───

 『授業参観』なのである。





 なぜ彼がここに居るのか。それは数時間前に遡ることになる。

「暦さん、こちらを」

 いつものようにメイド服を身につけ、朝食の準備やら何やらを済ませていると、メイド長である山田に呼び出される。はて今日は何かあっただろうかと考えあぐねていると、山田は周囲に誰もいないことを確認して、一言だけ言って何かしらが入った袋を彼に手渡す。突然のことにこれは?と暦が聞くと、山田はこの中の服に着替えてください、とだけ残して去っていった。一体なんなんだとその袋を開けてみると、入っていたのはなんと『ワンピース』であった。これには思わず暦も目を開いてしまう。

「……えっ?」

 普段からメイド服を着させられているのに、更には初日に女性用のスーツまで着させられたのに、今度はワンピースときた。さすがにどういう事なんだこれは。しかしメイド長である山田が、意味もなくこんなものを手渡すわけが無い。何かしら理由があるはずだ。そう、もしかしなくても『彼女』に関わることであろう。ため息をついて大人しく着替えることとした。

「毎回そうだけどなんでピッタリサイズなんだ……」

 メイド服から、与えられたワンピースに着替え終えると、目の前にあった姿鏡で自らの姿を見る。幸いにも袋の中にベルトとズボンがあったため、精神面の安定のためにも着用しておく。それなりに体格は隠れるものの、今の姿には違和感しかない。そもそもの話、このような服装をみにつけること自体が、本来有り得るべきものでは無いはずなのだが。着ていたメイド服をハンガーにかけ、少し背伸びをしてから外へと出ると、部屋を後にしたメイド長の山田がすぐ側に立っていた。山田は暦の姿を確認すると、彼に向かって口を開く。

「それでは暦さん。今から端末に情報をお送りしますので、指定の場所に向かってください」
「今からですか?」
「ええ。本日はお嬢さまの『授業参観』ですので」

 その瞬間、暦は全てを思い出した。確かに授業参観があると聞いていたし、なんなら本人からそんな話をされた。更には今回はボディーガードである自分自身が授業参観に行かされるとも。つまりは着替えはそれに行くためのものであったのだ。メイド服では目立つ為に。大きなため息をつきそうになるのをグッとこらえ、予め支給されていた端末を開く。そこには確かに行くべき場所の細やかな情報が送られてきていた。山田はさて、と一息つくと、暦に対し言葉を続ける。

「帰りはお嬢さまとご一緒にお戻りくださいね。授業参観ではただ見ているだけで良いですから」

 それだけ言うと彼女は恭しく頭を垂れて、別の場所へと去っていった。暦はその背中をただただ困惑した顔で見送ることしか出来なかった。





 その後、改めて準備を整え、指定された場所───尊が通う学校へと向かい、手続きを済ませて教室へと入る。丁度授業が始まったタイミングだったらしく、彼女がこちらに気づく様子は見られなかった。幸いにも彼女の席がわかりやすい場所であったため、暦は直ぐに見つけることが出来た。あとは教室を広く見ておこう。
 と、思っていたのだが、教室内に入ってくる他の生徒の保護者が想定以上に多く、若干もみくちゃにされてしまった。しかもそれぞれが他者を気にかける余裕すらないのか、かなりの勢いでゴンゴンぶつかってくるのだ。居心地も何もかもが悪すぎる。正直全員を再起不能にしたい。出来るものならば。
 だがそんな状況でも教室内を出る訳には行かない。出たとして尊から目が離れた間に、何者かが危害を与えるかもしれない。または教室内に尊の命を狙っている者がいるかもしれない。ならば尚更出る訳には行かない。なぜなら今の彼は、特殊部隊の傭兵ではない。法龍寺尊の専属メイド兼、ボディーガードなのだ。さらに言うとここは戦場ではない。法治国家、公共施設なのである。下手に暴れ回ることは出来ない。

「(だから、だからこそ早く終わってくれ……)」

 暦は願った。より早い授業の終わりを。より早い任務の終わりを。より早い身の自由を。しかし無情なことに時間は倍速で動いてはくれない。いつだって決まりきった速度で進んでいく。授業が終わるまで残り数十分、彼は最も日常的で、最も地獄のような空間にい続けなければならない。全てはボディーガードの為に、任務のために。

「(にしても)」

 暦は一旦ふうと息をついて心を落ち着かせる。そして教室の中を広く見る。机同士は均等な間を開けて設置されていたり、かつ後ろの席になったとしても見やすいように工夫が施されていたり、こうして大人数が詰めかけたとしても、それなりに受け入れられるスペースがあったり。どれも暦にとっては新鮮なものであった。何せ彼自身、学校というものに通ったことが1度もないのである。物心ついた時から戦場に投げ出され、然るべき教育は必要な時に必要な分だけ。色々な任務に投げ出されたおかげで、一般教養自体は常人と変わりないレベルはあるが、それ以外の所謂『高等学問』というものに関してはほとんど無知、と言っても差支えはないであろう。代わりに『どう生きるか』という分野だけは凄まじく吸収してはいるのだが。
 次々と連ねられていく黒板に書かれている文字。暦にとって見れば、それらは全て何かしらの呪文のように思えてしょうがない。こんなにも分からない物が、戦場以外にもあるものなのだな、と1人感心する。いずれ任務を終えた時、学問を始めてみるというのも良いかもしれない。と、思ったのはさておいて、肝心の尊の様子はどうなのだろうと、改めて彼女の方を見る。

「(しっかり板書してる……な)」

 暦の想像とは違い、きちんと授業を聞いて板書をしている彼女の姿があった。普段は本当に突飛な行動しかしないが、学校内ではしっかりとした生徒として生活しているのだろうか。そういえば彼女の成績などは聞いたことがなかった、まだまだ知らない一面が出てきそうだ。いや、今のところ分からないことばかりなのだが。

「(……このまま平和に終わってくれよ)」

 強く強くそう願った。





「あっ、暦さん!」

 その後特に何も起きず、平和に授業参観は終了した。そのまま解散という流れになり、暦は尊の元へと近づく。それに気づくや否や、尊は顔をぱっと明るくして彼に駆け寄った。教室内は人で溢れていて、とてもじゃないがゆっくり話せる状況になかったので、早めに学校を出ることにした2人は、ゆっくりと帰宅の途につく。帰り道、尊はいつもと違う暦の服装に興味津々で、隙あらばスマフォで隠し撮りをしようとするものの、歩きスマフォは宜しくないとして暦はそれを取上げる。いくらか不満を暦に吐くものの、取り合わない暦にこれ以上何を言っても無駄だと判断したのか、すんなりと大人しくなった。

「暦さんてさ、学校行ったことあるの?」
「いいえ、1度もありませんね」
「ふーん」

 途中、不意に尊がそんなことを聞いてくる。驚きつつも暦はなんでもないように返した。すると尊から返ってきたのは感嘆の声だけ。どうしてそんなことを聞いたのだろうか、そう問うと、さらに返ってきたのは予想もしてない一言だった。

「帰ったら勉強教えてあげるよ」
「え」

 唐突な言葉にピタリと暦は歩みを止め、目をかっぴらいた。そんな反応をした暦が面白かったのか、けらけらと尊は笑うと言葉を続ける。

「私これでも成績良いからね、この前の定期テスト上位5位以内だし」
「クラスでです?」
「学年で」
「……」
「あっ信じてないね!?ホントなんだから!」

 人に教えるのも得意なんだから!と、少し誇らしげに尊は笑顔をうかべる。

「今日のでなんか暦さん授業に興味持ってくれてたみたいだしー、なんか気になるヤツあったら教えられるよ私!」

 屈託なくそう告げる彼女が、あまりにも眩しい。全く、全く彼女は本当に───分からない。だからこそ、『退屈はしないだろう』。この任務についてから、初めて暦はそう思った。少なくとも、今までの戦場暮らしよりかは楽しいものだろう。しばらく間を開けて、暦は口角を少し上げる。

「……お手柔らかにお願いします」
「決まりー!じゃさっさと帰ろー」

 鼻歌まで歌い出すほどご機嫌になった尊を、暦は少しだけ笑いながら小走りで追いかけた。


第3話 終