複雑・ファジー小説

Re: Lion Heart In White ( No.4 )
日時: 2018/06/28 00:44
名前: 玲央 (ID: hgzyUMgo)

 因果の順序を履き違えてはならない。そのように教授はいつも口にしている。いつだって、原因ありきの結果だけが自然界には蔓延している。実験室での実験は得られる結果を推測したうえで系を組み立てることもあるが、自然界は違う。結果を見たが故に原因を推測できようとも、結局は今目にしている景色よりも、過去に起こった出来事が先行しているのだ。
 先ほどのラマルクの要不要説というのはキリンを例にすると、高いところにある木の葉を食べるためにキリンの先祖は首を長くするよう進化したのだと主張する。他種との食糧争いを避けるために、高い位置の葉を食べることができるようにと体を変容させていったという論理。
 当然こんな論理、今の時代では受け入れられていない。世の中そんなに都合よく事が運ばないのだ。ならばなぜキリンの先祖はその首を長くするよう進化してきたのか、それはその方が有利だったからであり、さらに付け加えるならば元の姿が不利だったからだ。

「身長の高い人や低い人、様々な人がいるだろう? 同様に、足の長い人、肥満体系の人、バストの豊満な人、様々な個性がこの世には存在している」
「それと同様に、動物にも個性がある。オスの三毛猫が居れば、脚が一本足りない状態で生まれてくる獣に、牙や角が同種の他個体と比較して取り分け長い山の動物たち」
「そしてキリンの先祖には、背が高い個体と背が低い個体がいた。まあ、正確には首が長いものと短いものだけどね。大柄な哺乳動物だ。草食というのは獲物と戦う危険を伴いにくい代わりに、それだけ多くの食事を必要とする」
「そうすると、生存競争が起こる……不便な体ですね」
「その気になれば光合成できる君と同列に扱う訳にはいかないさ」

 大きく口を開けて教授は笑って見せる。それは、瀬白木の何気ない発現を気に入ったことを示していた。寵児というのは実に興味深い、瀬白木 ヴァイスという男は、飢餓に晒されるとたちまち全身が緑色に染まる。その成分を解析してみたこともあったが、正体は光合成色素であるクロロフィルだった。暗所で腹を空かせれば、今度は化学合成細菌の中に見られるような酵素が翻訳されていた。

「その生存競争のおかげで進化が起きるのさ。背の低い個体、口が高いところまで届かない個体は生存競争に敗れた。その環境に適応することも出来ず、世界から愛されることも無かった」
「そして勝ち残った個体だけが交配を重ねた結果、長身の個体だけが残り、積み重なった遺伝的な形質が、恒常的に脚や首が長い個体だけを生むように遺伝子は定着していった……新しい、種が生まれた」
「その通りだよ」

 有利か不利かは実際にその時が来るまでは誰にも分からない。そう言った男は、また微笑みと同時に皺を顔に浮かべて上方を指さして見せた。天に向かって真っすぐ伸びてこそいるが、鬱蒼と茂った森の中、木の葉の天蓋に遮られたせいで、青空なんてほとんど見えない。

「気づいているかね?」
「何にですか?」

 あどけなく瀬白木は首を傾げる。問いかけの意図など、唐突過ぎて察することもできない。

「先ほどまで歩いていたところと比べてここらには背の高い木が多い。分布が厳密に決まってしまっているんだね。それがどうしてだか分かるかい?」

 なるほど、上を指したその手は、空でなくて木々の頭部を示していたのかと理解する。実際、三十分ほど前に二人が歩いていた辺りに生えていた木々とは種が違うとは、落ち葉の形から察せられた。

「それは……分からないですね」
「確かに、これは事前にいくつか前提を知っていないと答えられないね。では問いを変えよう、さっきまで頻繁に見ていたそれほど背の高くない木々は、どうしてこの辺りに生えていないと思う?」
「それは流石に簡単ですよ。こんな薄暗い、陽もろくに差さない場所で、植物なんて育つはずありません。呼吸量が光合成量を追い抜いてしまう」
「その通りさ、だからここらよりも北側には、ずっと同じ木々が生え揃った林が続いている。しかし逆に、ここよりも南の方には今までずっと見かけていた低木が立ち並ぶという訳さ」
「……とすると二種の木々はそれぞれ古来は全く別のテリトリーを持っていたということか。おそらくは二つの林はそれぞれ独立していた。だが、生物として当然であるべきこととして、互いにその領域を拡大しようとした。己の種を保存しよう、地上の覇権を握ろうと」

 瀬白木の考え事のスイッチがオンになる。こうなると自分でさえも意識の蚊帳の外に追い出されると理解しているため、余計なことはしないようひたすらその様子を見守ることに決めた。

「そして南へと進む高い木々と、北上しようとする低い木々との進路が重なったんだ。そしてそこで、二種の間で生存競争が起きた……植物同士の生存競争において大切なのは日光を浴びられるかどうかだ。水は同じ土壌で育つだけあって差が出ない。しかし、背が高い植物の方がその光を独占できる。……ならばなぜ、ここ以南では低木が茂っていた。段々そのテリトリーを拡大する高木に駆逐、淘汰されても可笑しくないというのに。ここに至る道程においては、背の高い木など一つとして存在していなかった」
「一応ヒントとして教えてあげるけれど、この高木の林は北以外の三方を低木に囲われている。西と東の辺りは、地層を調べたところ、昔は木々が生えておらず、背の高い木と低い木、双方の若木の死骸が地面の中から見つかっているそうだ」

 果たして耳に入っているのだろうか。それは瀬白木にしか分からない。ただ、この度は幸運なことに聞き入れてもらえたようである。

「つまりよーいどんで生育を始めれば勝つのは低木の方だと言うこと。両者で何が異なるのか……。待てよ、今僕は教授に言われるまで、木々の種が変わったことに気が付いていなかった。違いに気を取られちゃ駄目だ、普遍性にも目を向けた方が良い」

 目的地に辿り着かないなら、その経路に間違いが無いのかもう一度見直してみた方がよい。見落としている点は無いか、もう一度考え直す。そしてその見落としは思っているよりもずっと近くにあった。
 その答えは、とっくに自分が口にしていたと言うのに。

「そうか。最終的にどちらが高くなるかどうかと、その過程とは必ずしも一致しない。同時に生育を始めれば、さっきまで見ていた比較的背の低い木の方が成長が早いんだ。だから先に上空を覆いつくしてしまうから、本来高いところまで成長するはずの種が十分に高くなる前に栄養不足で枯れてしまう。だから、予め成長しきった木々同士ではこちらの方が強いけれど、一緒に種を蒔いたとするとあちらの方が強くなるんだ」

 しかし、これではまだ足りない。教授の出す問いが単なる時間つぶしであったことは多くない。とすると、この問いにはまだ何か先があるはずだ。それはきっと、彼が間違えてしまった一問目と、どこかで繋がっている。
 それは一体、どこにある。きっと、大事なことは、もうとっくに教授が口にしているはずだ。
 環境と、適応。それ以外の道しるべは、考えられなかった。

「そろそろ答え合わせをしても構わないかい? 時間も限られているのでね」
「ええ、構いません」
「一応まとまったみたいだね、考えは。それじゃ聞かせてもらおうかな」
「ここらの地域では初めからこの種の木々が栄えていました。それゆえ、他の木々はもう成長できなかったのでしょう、何せこれだけ暗いのですから」
「ああ、そうだね。正しいよ」
「そして、互いにそのテリトリーを拡大しようとした結果、南で見ていた……かつ、東西においても見られると言う背丈の低い木々と生息領域が重なる空間が出来上がりました」
「そうだね、そこにおいては共に苗木、あるいは落ちたばかりの種だった」
「そして成長を始めます。結果だけ見れば確かに、ここらで見かける木々の方が太陽の光を独占するように見えます。しかし、生き残ったのはこちらではない方の木々だと言います。とすると成長の過程においてはあちらの方が強かった。すなわち、こちらの木々が成長するよりも別種の木の方が成長が速いため、これらの木々、その苗木よりも背が高い成樹の姿になってしまった。それゆえ、最終的には強くなるはずの木々も、文字通り生存競争に勝てなかったのです」
「……短期成熟型の種が、大器晩成型を打ち負かした、と」
「そんな答えじゃ教授は満足しませんよね?」

 隈の上の瞳が、無感情に教授の瞳を見ていた。感動的な気配も無ければ、得意げな光も感じられない。ただ、事務的に確認していると言わんがばかりの瞳だ。

「……何が言いたいのかな?」
「いえ、教授のことですから。『早熟の木々が、遅咲きの彼らにとって、不利な環境を作り出した』と言い換えて漸く、正解なのではないかと思っただけです」
「全く可愛げの無い生徒だ。その通り、それが僕の望んでいた回答だ」

 立ち上がり、尻についた砂を払う。正答したのが予想外だったのだろうか、少々詰まらなさそうな顔をしていた。
 いや、むしろその顔色は嫌悪と呼ぶべきものだろうか。瀬白木はその胸中を察してしまう。検体としては申し分ない寵児でも、生徒としては薄気味悪くて仕方が無いのだろうと。日進月歩で彼の背中に追いつこうとする真っ白な学生が、気味悪くて仕方ないのだろう。寵児の分際で、そんな声すら聞こえてきそうである。
 だからだろうか、教授がそれ以上主張しようとしないのは。きっと彼は、低木を人間、高木を寵児に例えていたはずだ。我々が先に蔓延っているから、悪魔の申し子たる能力者に居場所など無いのだと。
 しかし、植物と人間とは本質が大きく異なる。我々人間は自分が適応する環境を探しに行ける。そして、自分にとって住みよい環境を積極的に生み出すこともできる。駆逐されるのがどちらか、など決めつけられる由も無い。

「先へ進もう。陽が落ちる前に帰りたいしね」
「そうですね。目的の崖は、すぐそこですかね」
「さあ。何せ僕は言った事ないからね」
「でも場所は知ってるんですね」
「有名だからね、自殺の名所として」


 しばらく歩くと、ようやく目的の場所へと到着した。鬱蒼と茂っていた木々が、その空間だけ立ち入り禁止だと言わんがばかりに立ち入っていなかった。そこはまるで、鋭い刃物で斬り落としたようにそびえる直角の崖だった。
 覗き込むと下には、同じような林が広がっている。ここから落ちたらどれくらいで地面に着くのかな、などと瀬白木は一人考えた。

「ここから飛び降りるのが今日の課題でしたっけ」
「ああ、そうさ。そうした場合に君がどのように適応するのかと思ってね」
「考えられるとしたら三択ですね。飛ぶか、浮き上がるか、落ちても問題無いような外殻を手に入れるか」
「君には真っ白な羽がよく似合うと思うよ」
「アルビノだからですかね」

 そんな軽口を叩きながら、鞄をその場に落とした。自分が助かるのは適応力の寵児であるがゆえに必然的に明らかだが、手荷物が真っ逆さまに落ちてしまえば堪ったものでは無い。財布を落とせばしばらく生活できないうえ、携帯を無くすと誰とも連絡が取れなくなる。
 まあ、財布がなくなったところで食事の必要のない自分にはあまり関係のない話かと瀬白木は開き直る。

「鍵がポケットに入れっぱなしだったりしないかい?」
「忘れてました。ありがとうございます」
「落とさなければ問題ないとはいえるがね」
「どうせ運が悪いから落としてましたよ」
「それではこれから飛ぶわけだが、覚悟のほどは」
「問題ありません」
「背中を押してやろうかい?」
「教授が望むならして下さって構いませんが、別段必要ありません」
「ほんっとうに君は生意気だよ」
「自分の生に無頓着なだけですよ」
「そうやって冷静に自己分析してる辺りも子供っぽくないね」
「二十歳にもなって子供っぽいのも考え物ですし」
「ああ言えばこう言う。女性から嫌われるよ」
「そもそも寵児ですので愛されたことなんて」
「ああもう五月蠅い! 面倒だから早く行きたまえ」
「……分かりました」

 気だるげな三白眼で、切り立った絶壁の直下の様子を眺めた。なるほど、一件遠いように見えるが、実のところ地面まで数秒とかからずに落ちるのだろうなと理解する。たかだか数十メートル、さすれば一瞬の出来事にも思えるだろう。
 別段、迷いも躊躇も必要なかった。ただ、教授がちゃんと見ているかだけを確認する。彼のあずかり知らぬところで勝手に飛び降りれば、文句を言われてリトライさせられることだろう。
 それが特別面倒だとは思わないが、やり直しからの帰宅の遅れはさらなる文句を生む。そうなってはずっと面倒なままだから教授の起源は損ねないに越したことは無い。
 肝心な確認は済んだが故に彼は、待つのも面倒になったがためにそのまま、虚空へと足を踏み出した。当然彼の能力は空中で立つようなものではないため、そのまま真っ逆さまに落ちていく。

「さあてどうなる?」

 その足取りをなぞる様に崖の縁へと駆け寄り、眼下を見下ろした。だがそこに、瀬白木の姿は無かった。どういう事かと驚愕する男。だが次の瞬間、真上へと駆けのぼる一陣の旋風。前髪が上昇するのを感じ取り、上空を見上げる。太陽を背にするその姿は、それ自身が影となっているようでよく見えないが、その正体など考えるまでもない。
 そのシルエットはかつて学生の頃、国語の教科書で目にしたイカロスの姿によく似ていた。白い羽毛が神々しくも舞い落ちる。その様子が、まるで人間を超越し、神の地平へと足を踏み入れたようで苦々しい。まるで自分こそが世を統べるものだと寵児が主張しているかのごとし、だ。
 舞い散る綿のような羽はまるで大粒の雪のようで。蒸し返るような炎天下、二人しか存在しえないその場は、季節外れの光景が広がっていた。