複雑・ファジー小説
- Re: Lion Heart In White ( No.5 )
- 日時: 2018/07/09 21:45
- 名前: 玲央 (ID: hgzyUMgo)
「そう言えば、このセリフってどうなの?」
野球部の掛け声が、こちらの部室にまで届く。甲子園も目前に差し迫ったからだろうか、最近の彼らの声にはより一層の気迫がこもっていた。けれども、その部屋でパソコンと睨めっこする彼女ら二人には関係がない。この高校が野球の名門だろうが、この夏兵庫で戦うことが決まっていようが。
「うーんと、どこ?」
「えっとねー、ここ。サブキャラの梨花って子の言葉」
「どのセリフかな……。『宗助以外、好きになる価値のある人なんていないよ』ってやつ?」
「そうそれ」
「えー、どうして? 梨花がその男の子が誰より好きだって認めるところなんだよ?」
指摘をした彼女の目の前で、不満げな声を漏らす。「私の考えた決め台詞がそんなに嫌いか」と、意見を求めてきた割には喧嘩腰の姿勢だ。これを伝えることは本当に正しかったのだろうかと、指摘した女生徒は目を泳がせた。けれども、目の前の友人は本気で怒っているというのに、まだ自分の周りには甘い芳香が漂っている。
ならばきっと、これが正しいはずだ。
「うーんとね、何て言うか……否定的な言葉なんだよね、このセリフ」
「そうだよ。今までずっと意志が弱くて流されるまま過ごしてきた梨花が、初めて自分の好きな人が誰かちゃんと自覚するんだよ。今まで弱かった分、強い言葉を使ってるの」
「強い言葉……そう、強い言葉なんだけど、意志の強さよりも棘ばかり目立ってるんだよね。優しい女子ってイメージが損なわれるっていうか。……そもそもこの子、ちょっと前まで別の子と付き合ってたよね?」
「うん、そう。ちょっとチャラい感じの男の子と、流されるままに」
「にも関わらず、別れた後に好きな人がすぐにできて、そんな事を言う様な子、好きになりにくいよ、読者は。作者の茜は自創作の子だから、それでも好きになれるけれど、読者から見たら急に性格が悪くなったようにしか思えない」
別に展開を否定している訳では無い。むしろここまで丁寧に話を運んで来ていた。どうしたら茜に理解してもらえるだろうかと鮮やかな桃色の唇に真っ白な指を添わせた。白桜 葵【シロサクラ アオイ】は思案する。ただ、未だに身に纏う空気は、暖かく、とても穏やかだった。これは別に、夏が始まったからだというだけではないだろう。
向日葵【ハピネス】の寵愛は、自分が正しいと教えてくれている。機嫌悪く怒りを露わにする茜も、煌びやかに瞬く光で包まれている。なら大丈夫だと、意を決し、拳にこめる力を強めた。
「梨花は、その昔の彼氏にも感謝してるんだよね?」
「うん、まあそうだね。強く意志を示そうとする姿勢や、時には我儘も大事だって、その人から教わるから」
「だったら尚更、その人の事を悪く言うのは駄目でしょ」
色素の薄いブルーの瞳で、真っ直ぐに睨んでくる茜の眼光を受け止める。ほんとにこれでいいと思うか、目を合わせたまま無言の空気を貫くことで尋ねてみた。次第に、その眼光の苛立ちは和らいでいく。
「分かるよ。一人だけ特別扱いして、他を全部切り捨てれば、一番強い強調になるだろうって。でもね、それで納得できるかは別の話」
「そう……だよなあ。私も今、自分の好きな漫画のキャラでこのセリフ想像してみたけど、そしたらイメージ駄々下がりになっちゃったなあ」
「うん……。やっぱりね、言葉っていうのは言い方でいくらでも表情が変わっちゃうものだから」
黄金の絹糸のような前髪を弄びながら、葵は具体的な一例を挙げる。同じ恋愛作品におけるセリフで考えた方が、茜も考えやすいだろうと。
葵が提示したシチュエーションは、『自分の彼氏が一番かっこいいと女の子が主張するシーン』だった。
「同じことを言うにしても、その言い方で読者の印象は大きく変わっちゃうと思うんだ。「私の彼氏以外、一人残らず醜い」ってセリフと、「私の彼氏以上に、かっこいい人なんてどこを探してもいない」って二つを比べてみて。二つ目の方は、発言者が如何に彼氏に惹かれているか、彼を好いているか分かるじゃん。他の誰よりも彼氏が好きなんだって」
「でもあれだよね、さっき言われた私のセリフだったり、葵の言った「私の彼氏以外ダメダメだ」ってセリフだと、他の人を罵倒する言葉になるんだよね。自分の彼氏以外を軽く見て、嫌な事口にする女に。確かに……それは駄目だよね」
「部誌に乗せるってことは誰かに読ませる前提があるんだよね?」
「うん。九月の文化祭で配布するんだ」
「だよね。だったら、色んな人に好いてもらえるような書き方にしてみよう?」
うぅー、と唸り声を漏らして机に突っ伏する。そんな茜の様子を見る限り、納得してもらえたようだった。良かった良かったと、平たい胸を撫でおろす。
暑苦しいからと開いた窓から、穏やかな風が差し込む。花なんてどこにも咲いていないのに、時期も見当違いだろうに、金木犀の強い花の香が押し寄せる。葵にしか分からない、芳しい風が撫でる。
「涼しいね」
と、茜は言う。梅雨も明けて、夏が始まろうとしていた。葵を除くクラスメイト達が夏服に衣替えしたのも、もう懐かしく感じられる。あれは確か、五月だったろうから。期末テストも終わって、二週間もすれば夏休みが始まろうとしている。
けれども葵にとってはその風は暖かかった。喧嘩に繋がるようなことも無く、無事に彼女と打ち合わせを終えられた。茜は文芸部のみ、葵はそれと演劇部に掛け持ちで所属していた。それゆえ茜の書いた作品を共に推敲することがあるのだが、今日はテスト明け初めての打ち合わせであった。
「ところで……さ」
「どうしたの、茜」
少し緊張した様子で、茜が話を切り出した。私達ももう、来年には受験生だねと。
何となく、レモンみたいな酸っぱい臭いが漂い始めた。
「あー、それは聞きたくない聞きたくない。私は茜と違って成績悪いしなあ」
「それでも一応、今年の内からオープンキャンパスとか、行かない?」
「いや行くよ。行くんだけどさあ……どうしようかなぁ、って」
行きたい大学や志望する学部が無いわけではない。しかし、その選択肢は大きく分けて二つあった。少し遠い町だが、葵でも堅実に合格できる大学。あるいは、たゆまぬ努力を途方もないほどにこれから積み重ねてようやく入れるような、近場の大学。
彼女が進みたいと思っているのは文学部だった。どこの大学にもあるような、至ってありふれた学部。しかし、彼女に与えられた選択肢は少なかった。窓から入る風が優しく彼女の髪を揺らす。「諦めなさい」と、頭を撫でて諭すように、優しく。
厭味ったらしく、なびいた横髪が鼻をくすぐる。下に向けた双眸が、その金糸を捉えた。分かってるよ、などという独り言は胸の奥にしまい込んだ。
「あのさ、私と同じ大学とか、行かない?」
その問いかけは、本来とても嬉しいものだ。『こんな自分』でも受け入れて、同じところに進学したいと願ってくれる友人。こんな友人が出来ただけでも、喜ばしいと言うのに。
それなのに不幸ものの自分は、その申し出を断らねばならない。罪悪感が、ナイフの形を成して、深く深く葵の心を抉っていた。
さっきまで、暖かかったはずの空気は、今度こそ夏らしく業火のように葵の肌を焼いていた。
「やめときなよ、茜。ジロジロ見られるよ……」
「でも、葵だったら大丈夫だよ!」
「うん、知ってる。クラスの友達も、演劇部の人たちも、「葵なら」って許してくれる。でもね、駄目なんだ」
茜が行きたいと願う大学がどこなのか、葵は既に知っていた。聖陵寺大学。MARCHと称される大学より一段ほど見劣りするが、それでも十分に胸を張れる大学。歴史のある大学であり、著名な先輩も多く輩出している。
しかし、その大学はとても簡単な二元論で葵の入学を、否、受験からして既に拒んでいた。
「聖陵寺ってね……寵児の受験を、認めてくれてないんだ」
歴史ある大学が故に、異端児を拒んでいた。しかも寵児は、人間だとは認められていても、危険な因子の枠を超えることができない。本人の性格に意志、全てを無視して寵児であると言うだけで悪魔のレッテルを貼られてしまう。
「あっ……そう、だったね」
「ごめんね」
そのごめんが、何に対して謝っているのか葵にも分からなかった。同じ所に進めなくてごめんなのか、要らぬ心労をかけさせてごめんなのか。それとも、こんな私で申し訳ない、という意志なのか。
「まあ、私の第一志望って聖陵寺から電車で三駅のところだからさ、大学入っても仲良くしてね」
「あっ……うん!」
何か言わなくちゃな。そう思って急いで取り繕う。先ほど考えていた、自分には少し難易度の高い大学。そちらに進学すれば聖陵寺に進む茜とは高校を出た後も交遊を続けられるだろう。そのためには、これから呆れるほど受験勉強に勤しまねばなるまいが。
しかしそれでも、豆鉄砲を喰らった後に再び笑顔が明るくなった茜の様子に、葵も心底ほっとした。肌を刺すような“熱さ”も、気づけば汗をかきそうな程度の“暑さ”に変わっている。風そよぐ放課後の空気が、また葵の頭を撫でた。今度は、よくできましたと褒めているようであった。
「それにしても葵の髪の毛ほんとに羨ましいなー。伸ばさないの? 金髪のロングって綺麗そうじゃない?」
「あっはは。小学校の頃伸ばしてたんだけどね。手入れ面倒だからもうやんないかな」
「しかも肌真っ白だしさー。ほんと、寵児って可愛いしかっこいいよね、皆」
「ありがと」
その声は、いくらかしぼんでいた。正直なところ寵児であることが羨ましいと言われるのは、心が痛む。それは、人が持っていないものを自分が持っている罪悪感などではなく、むしろその逆の感情。自分にとっては皆の方が羨ましくてならない。そんな、無いものねだり。
寵児は全員がアルビノ。アルビノが全員寵児とは限らないが。メラニンを合成する経路の途中に存在する何らかの酵素の遺伝子変異などが原因で起こる、全身が白く、あるいは色が薄くなってしまう先天的症状。髪の毛などがいい例なのだが、真っ白になると言うよりかは金色や白金色になる。虹彩は血管の色が透けて赤くなるケースもあれば、銀色や青色になるケースもある。瞳も、同様。
それゆえ、純粋な日本人だと言うのに葵もその他の例にそぐわず、金髪碧眼というステータスを手に入れているのである。
確かに、真っ白な肌に自然な金髪、蒼い瞳というのは夢見る乙女にとって羨ましい代物なのだろう。しかし、それがいつもいい方向に働くとは限らない。葵一人だけが、涼し気な半袖を着ているクラスメイト達に紛れて暑苦しそうな長袖をこんな時期まで用いているのも、その一つだ。メラニンは人体への紫外線の影響を防いでくれている。そのため、メラニンが不足しているアルビノは、紫外線の影響をもろに受けてしまう。
日焼けしてしまいやすいだけならまだしも、皮膚がんのリスクが高まってしまう。それゆえ、夏であろうと長袖長ズボンが望ましい。それゆえ、運動部に入りたいというのに、紫外線対策のために自分から身を引いたほどだ。
その上、アルビノ全体の特徴として弱視が挙げられる。かくいう葵もコンタクトレンズは手放せない。眼鏡はあまり好きでは無くて、高校に入ったのを機にコンタクトに変えていた。
茜が、自分のことを慰めるために羨ましいだなんて言ってくれているのは理解していた。それゆえ余計に、強い言葉で反駁する訳にも行かなかった。黙っていれば、肌に触れる空気は心地いい。しかし、ひとたび口を開こうとすれば、ピリピリと痺れるような緊張感が肌を襲うのだ。
「ま、ほんとは大したことない顔立ちなのに美少女ぶっていられるのは得かなー?」
「いやいや、素の顔立ちも悪くないって」
何とか強がってみる。しかし、向日葵の寵愛が葵に、その応対が正しいと告げているのとは裏腹に、彼女の心は棘だらけだ。彼女自身が棘を生やしているのではなくて、突き立った刃が無数に輝いている。
愚痴を飲み込む。伝えても、何の解決にもならないだろうから。むしろ、この場の雰囲気が凍てつくだけだ。この話題が長引けば自分が傷つくだけ、そう判断した葵は、何かを思い出す演技をして演劇部の方に行かなくてはとの旨を述べる。
「一緒に帰ろうかと思ったけど、仕方ないか」
「うん、ごめんごめん。月曜は一緒に帰ろう」
演劇部の集まりは、今日の所は自由参加だった。嘘では無かったが、行く必要は無い。それでも行こうと思ったのは、今日の心模様で茜と話し続けるのは危険だと判断したためだ。
葵の寵愛、ハピネスという言葉に向日葵の名が与えられているのは両親の洒落っ気が由来だった。葵の能力は常に適用されている。葵や身の回りの人間、あるいは周囲の環境の一挙手一投足に対し、見えない誰かが採点している。その点数が、匂いや肌への質感、音楽になったり視覚的な要素になったりして葵に伝えられる。よりよい未来への選択肢ほど、甘く芳しく香り、暖かく肌を撫で、穏やかな音となり、煌いて見える。
まるで日の当たる地に向かって葵が歩いていくようだから。それゆえ、幸福論【ハピネス】となるべき名が、向日葵【ハピネス】の寵児と呼ばれるようになった。
ただそれは、あくまで未来の自分にとっての幸福。今の自分にとってそれが最も嬉しい選択しではないことも、しばしば。将来的にそれが最もいい未来になると理解していても、目の前の吉事を見逃さねばならぬことは多い。あるいは、ズタズタになる自分の心を庇うこともできずに、ただ傷だけ負い続けなければならないことも。
そして、そう言ったシチュエーションにおいて、大概は目の前の相手は、悪気なく自分に接しているのだ。彼女らにとって、その言葉は率直な言葉であったり、あるいは葵を労わるものであるはずなのに、言われた葵にしてみると、ナイフのように思えることもある。
違うんだよ。言えない、そんな事。何が分かるのさ、言っちゃいけない。だって、そんな事言ったら折角できた友人が離れて行ってしまうから。一人ぼっちに、なっちゃうから。
そんなの寒くて、怖くて、寂しいじゃないか。だからこそ葵は、寵愛の標に従って、今の自分の悲痛な声を噛み殺してでも明るい方へと歩いていくのだ。
卑怯者だなと、卑屈な考えが、また。ふとした時、ネガティブになると思い浮かぶ、消極的な考え。生きていく上で、ずるをしている。他の誰かじゃない、自分の冷静な、理性と呼ぶべき分身が後ろ指を指している。
私は正解を選んでいる、そのつもりだ。けれども本当はこの能力は、『誤りを避けるだけ』の能力ではないか。そんな疑念も、しょっちゅう浮かぶ。
後ろ向きになるなと、誰もいない廊下で首を左右に振った。寵児だからこそ知っている、世の中の理不尽。疎外に迫害、差別に仲間外れ。欺瞞、敵対心、羨望。薄汚い負の感情は、痛いくらいに浴びてきた。一番向けられて悲しい感情は、恐怖だとももう知っている。
「でも、一番可哀想な人は、私なんかじゃないんだよね、きっと」
世の中には、寵児ではないただのアルビノもいる。そう言った人たちは今の世の中において、最も弱いと言えるだろう。私達寵児は、せめてもの情けで神様から愛された。寵愛を、貰った。けれども彼らはそうではない、寵愛も与えられず、見た目だけ寵児と同じだから、悪魔だと遠ざけられる。
「そんな可哀想な人、本当にいるのかなあ」
分からない。しかし、きっと存在しているのだろう。するとやはり、彼らが一番不幸の星のもとに生まれたと言って相違ない。
今の世の中で、『能力を隠す寵児』と『ただのアルビノ』を区別する方法なんてないのだから。