複雑・ファジー小説
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.13 )
- 日時: 2018/08/30 08:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
〈青空に咲く、黒と金 本編〉——黒銀の聖王&錯綜の幻花
国を救いたい、国を守りたい。若き王の胸に宿るは、熱き思い。
彼は愛する祖国を、武力で侵略されてしまったから。
そんな彼の異名を、黒銀の聖王といった。
長く生きられなくても、だからこそ、精一杯生きたい。若き族長の胸に宿るは、ささやかな願い。
彼は二十歳まで生きられないという、宿命を背負っていたから。
そんな彼の異名を、錯綜の幻花といった。
絡み合う運命は、王と族長を出会わせる。そして二人で挑んだ数多くの難題。育んだ絆はいつしか、互いをかけがえのない存在へ、相棒へ、半身へと、変化させていく。
出会いの果てには、必ず死が待っていると、知っていても——。
これは、島国、神聖エルドキアに伝わる英雄譚。黒銀の聖王と錯綜の幻花の歩んだ、歴史に連なる足跡の物語。
「俺は、王だから。この国を、絶対に守りぬく」
「僕は幻の花。美しく咲いて、美しく散るのさ」
青空に咲く、黒と金。青空に咲いた、聖王と幻花。
描かれる美しき物語を、ご覧あれ。
◇
〈第一章 崩れ落ちていく〉——ラディフェイル・エルドキアス
帝国暦三九八六年、四月。
「我ら帝政アルドフェックは、神聖エルドキアへの侵略戦を、開始する!」
一方的に発された宣戦布告、そして始まった侵略戦。
この世界「アンダルシア」には北大陸と南大陸の主に二つに分かれ、帝政アルドフェックは北大陸の中央に位置する。対して神聖エルドキアは、北大陸から少し南東に行ったところにある島国である。海を隔てている分侵略も容易ではないはずだが、アルドフェックは周辺の国々を侵略によって支配して十分に力をつけたため、エルドキアに攻め入ることが出来たのだ。
当時の神聖エルドキア王、エヴェル・エルドキアスはこの侵略に対し、断固として抵抗することを宣言した。神聖エルドキアは誇り高き国、神の国。ゆえに、簡単に落ちることなど許されない。彼らには選民思想があった。
エヴェルはこの防衛戦にあたって、新たな法を発布した。曰く、
「誇り高き我らが民よ、侵略に屈するな、全力で抗え! 命捨ててもこの国を守れ!」
というものだった。そして国民はその法に従って必死で戦った。もともとエルドキアは神の国と自称するだけあって精鋭ぞろいの国、アルドフェックの有象無象に負けるわけも無かった。アルドフェックは数が多いだけで中身のない国、エルドキア国民は侵略者をそう侮っていた。
しかし実態は、違ったのだ。
「……オレを、舐めるな」
突如現れた南大陸から来た傭兵、「隻眼の覇王樹」デュアラン・ディクストリを始め、アルドフェックの武将はもちろん、兵士までもが一筋縄ではいかない相手だったのだ。こうなると後は人海戦術、同じくらいの戦力同士ならば数が多い方が圧倒的に有利。攻めるよりも守る方が有利といえど、エルドキアの優位は完全に消え去った。
それでも、王は法を撤回しなかった。
撤回できなかったのだ。誇り高き民の頂点に立つ王が、その誇りを捨て去って降伏することなど。十五歳になったばかりのラディフェイルにだって、それはわかってはいたけれど——。
「兄上」
漆黒の髪、闇を宿した紫紺の瞳、漆黒のマントに漆黒のブーツ。マントには銀の鷲の刺繍が入っており、それが彼を夜空のように見せる。
全身黒づくめのラディフェイルは不安そうな顔で、一番上の兄、セーヴェスに問い掛けた。
「国は、これからどうなるんだろう?」
わからない、と、優しげな緑の瞳を曇らせてセーヴェスは答える。その胸元で、エメラルドのペンダントが揺れた。まるで彼の瞳みたいな、優しく穏やかな光をたたえたエメラルド。
「民を思うならば降伏した方が良いだろう。このままいけば、僕らきっと全滅する」
でもね、と彼は言う。
「それは本当に民を思うことに繋がるんだろうかって、僕は思うんだ。それで民の命は救えても——国の象徴たる王が帝国に頭を下げるなんてことがあったら、民の心は破壊される。難しい問題だよ、ああ、難しい問題だ」
セーヴェスはその綺麗な顔を、難しげにゆがませていた。
ラディフェイルも不安だったが、今一番、不安を感じているのはこの兄だろうと彼には容易に想像がつく。セーヴェス・エルドキアス。彼はこの国エルドキアの第一王子で、次に王となる者だから。王位から離れた、第三王子のラディフェイルとは違うのだ。
それでもラディフェイルは不安だった。彼はこの国を深く深く愛していたから。
そんな弟の頭を、セーヴェスは優しく撫でる。
「大丈夫だよ、大丈夫だ、ラディ。もしも何かあったとしても、この僕が何とかするから。最悪、降伏することになって民から愚王と罵られたって、その責はすべて僕が受けるから。生贄がいれば万事解決なんだよ。そして僕はその、生贄にふさわしい」
嫌だ、とラディフェイルは兄の身体を抱き締めた。
「俺は、嫌だ。兄上が、誰よりも優しい兄上が、国のために犠牲になるなんて!」
しかしセーヴェスは、仕方のないことなんだよ、と言って、ラディフェイルの身体を引き離した。
「僕は誇りを保つことよりも、降伏をして少しでも多くの命を救うことに尽力するね。そうしたらきっと恨まれるだろう。でも、それで、いい。それが王としての僕との在り方、王としての僕の最良の選択なんだから」
その緑の瞳には、凛とした揺らがぬ意志。ラディフェイルのちゃちな言葉では、否、他の誰のどんな言葉でも、そよとも揺らがぬ確固たる意志。
外見は優男でも。
宿した意志は、強烈だった。
セーヴェスは、言うのだ。
「それが、僕の生き方だから」
だからごめんよ、と、彼は泣きそうな顔で、ラディフェイルに言った。
戦況は思わしくない。すでに国民の三分の一は戦場で命を散らしたという。国が崩壊するのも時間の問題だ。それでもエヴェルは法を撤回しない。
セーヴェスは、囁いた。
「僕は、国のためならば悪魔になるよ」
その次の日、兄弟の父、エヴェルは死んだ。
毒殺だったらしい。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.14 )
- 日時: 2019/04/17 23:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「俺は、疑いたくないけれど——」
「駄目、兄さま。その先は言わないで」
エヴェルが死んで、セーヴェスが臨時で即位して王になった。そしてセーヴェスはエヴェルの法を撤回、降伏する方面に持ち込もうと、アルドフェックに交渉し始めた。するとそれに怒った国民が暴動をおこし、国は荒れに荒れた。
そんな中で、ラディフェイルと五歳下の妹エルレシア、そして第二王子、十八歳のクレヴィスは王宮のある部屋で話し合っていた。
ラディフェイルは、父を毒殺したのはセーヴェスであろうと推測していた。その推測を裏付けるようにクレヴィスが発言する。
「悪いがエルレシア、父上を殺したのは十中八九、兄上だぞ。兄上以外、父上を殺す理由のある者がいるのか? それこそアルドフェックの刺客でも来たならば別だが、アルドフェックは今のところ、王宮にまで侵入したことは、ない」
ラディフェイルは思い出す。前日の、セーヴェスの言葉を。『僕は、国のためならば悪魔になるよ』。その言葉と、決意のこもった揺るがぬ瞳。そして言った、『ごめんよ』。
いやいやをして否定しようとする十歳のエルレシア。でも現実は、そう甘くはない。セーヴェスがエヴェルを殺した、おそらくこれは真実だ。
国を良くしようとして、
悪魔になった第一王子。
そして悪魔はいつか殺される。衆目の前、晒されて。
別の道はなかったのだろうかとラディフェイルは思ったが、既に賽は投げられた、今更死者が蘇るわけでもないし、あとは成り行きを見守るしかないのだろう。
そしてクレヴィスはセーヴェルみたいに優しくはなかったから、ラディフェイルを慰めることはしなかった。エルレシアに対してもそれは同じだった。
ただクレヴィスは、現実を突きつける。
「戦いが、始まるぞ」
内憂外患、外からはアルドフェック、内からは怒り狂った国民。二つの脅威が王宮に迫る。
「覚悟を決めろ。悪いが僕は自分のことに精一杯なんだ、弟妹を守る余裕なんてない。全て終わって皆が無事であったのならば、その時再会を祝おうじゃないか」
言って、踵を返して立ち去ろうとするクレヴィス。その背にラディフェイルは声を投げた。
「何処へ、行くんだ?」
決まっているだろう、と、淡々とクレヴィスは答えた。
「逃げるんだよ、この王宮から。王位は棄てる。暗礁に乗り上げた船にいつまでも乗っていたら、こっちが溺れるだけ。僕は溺れたくないからな。……降伏は、アルドフェックに受け入れられるだろう。でもその代わり、僕ら王族は誇りを踏みにじった者として、国民から絶対に許されない。生き延びたければ今すぐ逃げろ。忠告できるのはそれだけだ。僕は自己保身に入る。臆病なんて言うな、人間は結局のところ皆、自分本位な存在なんだから。……ついてきたいなら、いますぐ動け。僕なら安全な場所を教えてやれる」
それだけ言って、クレヴィスはいなくなった。
おそらくもう二度と戻ってくる気はないのだろうとラディフェイルは思った。
そしてラディフェイルもエルレシアも、動けなかった。
最後、二人の視界から消える前、クレヴィスは後ろを振り返った。そして誰もついてこないのを見ると、諦めた顔をして今度こそ本当にいなくなった。
欠けていく。一人、二人。最初に父、次に兄。ラディフェイルの周囲から、次々に家族が欠けていく。
まだ十五歳に過ぎないラディフェイルと十歳に過ぎないエルレシアは、そんな様をただ呆然と見送るしかできなくて。
「……俺は、無力だ」
悔し涙を流しながらも、ラディフェイルは拳で王宮の柱を殴った。
エルレシアは呆けた顔をして、突っ立ったままその様を眺めていた。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.15 )
- 日時: 2019/04/18 23:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
降伏は、受け入れられた。アルドフェックはもうこれ以上、エルドキアを攻めないと約束した。外患は取り除かれた。
すると気になってくるのは内憂の方だ。誇りを捨てた王を、国民は愚王、軟弱な王となじり、あちこちで暴動が起こった。
そしてついに、その日は来た。
「逃げなさい、ラディ、エリシア」
すっかりやつれた顔のセーヴェスが、そんなことを言った。
怒り狂った国民が、その日、王宮に攻め寄せた。
「僕がすべての責任を取る、僕が生贄になるから。お前たちまで巻き込まれる必要はないんだよ。だからさっさとお逃げ」
欠けていく家族たち。
セーヴェスの瞳に宿る意志は、揺らがない。
でも、何を言っても無駄だと知っても、ラディフェイルは言いたかった、伝えたかった。大好きな、この兄に。
「……兄上」
ラディフェイルの隣では、幼いエルレシアがすがりつくような眼をしてセーヴェスを見ていた。
「どうしても、一緒に逃げることはできないのですか」
当然だよ、と彼は言う。
「それが、王だから。それが、王としての在り方だから。でもね、僕は」
セーヴェスの毅い瞳から、不意に雫がこぼれ落ちた。彼は両腕でラディフェイルとエルレシアを息が詰まりそうなほど強く抱き締めると、言った。
「この長くはない生、確かに幸せだったって思ってる。君たちというかけがえのない家族と過ごせた日々、忘れないさ。クレヴィスは逃げたけれど、あれは妥当な判断だしね。僕は、僕は——」
零れ落ちた雫が、ラディフェイルとエルレシアの頭を濡らす。
「……確かに、幸せだった、よ!」
言って、彼は二人から腕を離して、先ほどとは打って変わった鋭い口調で命じた。
「さあ逃げなさい、ラディ、エリシア。運があればまた会えるだろう! 僕のことはいいから、さあ早く!」
セーヴェスは言うと、ラディフェイルの手に何かを押しつけた。それは彼がいつも身につけていた、エメラルドのペンダント。まるで自分の遺品を渡すような、行動。
セーヴェスは叫ぶように命じた。
「逃げなさい!」
誰が、誰が、その命令に逆らえるだろう。
命じたその緑の瞳からは、涙とともに血も流れているように、ラディフェイルは感じた。
そして二人は、落ち伸びる。
残ったセーヴェスは十中八九、死ぬことになるだろうとわかっていても。
ラディフェイルは、願わずにはいられなかった。
(神様、神様、運命神フォルトゥーン! 我らに再会を、兄上に幸運を!)
叶わぬ願いだと知っていても、願わずにはいられないことがある。
こうしてきょうだいは、家族は、引き裂かれたのだった。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.16 )
- 日時: 2019/04/20 19:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
一目散に逃げる、とにかく逃げる。
自分を守ってくれた王宮から。自分の愛する兄を置いて。
二人は逃げなければならなかった。この国を、神聖エルドキアを、守るために。
暴徒化した国民たちが、いつか誰を殺してしまったのか気付き、新たな指導者を求めるその日まで。
セーヴェスは死ぬ、そしてクレヴィスは王位を棄てた。ならば残る王族は、十五歳のラディフェイルと十歳のエルレシアのみ。第三王子には王位なんて渡らなかったはずなのに、運命の必然か、この瞬間、ラディフェイルの双肩に、国の未来は託された。
崩れ落ちていく。平和が、幸せだった毎日が。
ラディフェイルの頭に浮かぶは、走馬灯。戦争が始まる前の、楽しかった日々。もう戻らない、遠い日の幻。
「……俺は、王だ」
ラディフェイルは呟いてみた。その言葉、その重み。まさか幼いエルレシアが王になるということなんてあるわけがないから。
セーヴェスが背負い、その役目のために命を散らさねばならなくなった、あまりにも重い役目。
「俺は、王だ!」
走りながらも、ラディフェイルは決意を新たにする。
そして目的地もわからぬ逃亡劇の途中、ラディフェイルは、
「ぐっ……!?」
刺された。
◇
戦争は、終わったはずなのに。
「兄さま!?」
エルレシアの悲鳴。ラディフェイルの身体が崩れ落ちていく。
突如彼の中を突き抜けた鈍い痛みは、腹を突き抜けて熱さとなる。
一瞬、己の身体に感じた異物感と、それが引き抜かれることで生まれる脱力感。
ラディフェイルの、疲労と痛みに揺らぐ視界の端、血濡れた剣が見えた。
がくりと彼が膝をつけば、腹が真紅に染まっていた。
「終わりだ、神聖エルドキア第三王子、ラディフェイル・エルドキアス」
そんな声が遠く聞こえ、踵を返して去っていく気配がした。ばれて、いた。ばれて、いたのだ。
ラディフェイルの全身から力が抜け、彼は辺りに血を撒き散らしながらも倒れ、動かなくなった。
「兄さま! 嘘、嘘よ、兄さまぁ!」
エルレシアが彼にしがみついて泣きだすが、ラディフェイルは身体を動かすことが難しくなっていた。
受けたのは、致命傷。
痛みの中で、激痛の中で、抜けていく力、脱力感の中で、
神聖エルドキア第三王子、ラディフェイル・エルドキアスは、
——生きたいと、思った。
せめて、戦いが終わるまで。
引き下がる訳にはいかなかった。
このまま死ぬ訳にはいかなかった。
どうしてすぐに王子とわかったのだろう。しかしそれは些細な問題だ。
尽きぬ疑問の果てにあったのは、死の恐怖。
全くわからない世界へ行くことへの本能的な恐怖と、まだ何も終わっていないのに自分だけが先に逝く恐怖。
だから。
ラディフェイルは、動かぬ身体を無理して動かす。地に指を立て、意地でも立ち上がろうとする。
何も成さぬままであの世へ逝くことを、彼は決して許せなかったから。
ぽつりぽつりと雨が降る。それをぼんやりと眺めながらも、彼は明確に意識する。
——生きたいと、思った。
せめて、戦いが終わるまで。
たとえ泥沼の中、這いつくばってでも。
王子としての誇りなんて、とうに捨て去っても。
引き下がる訳にはいかなかった。このまま死ぬ訳にはいかなかった。
たとえこの国が終わるとしても、せめて、この目で、その黄昏を、しかと見届けたかった。
兄の遺したこの国、背負うと決めた重荷。ラディフェイルには、生きなければならない理由があった。
ラディフェイルは、
——生きたいと、思った。
この戦場にいる誰よりもずっと。しかし、
ラディフェイルの全身から力が抜ける。その紫紺の瞳から、輝きが失われる。
エルレシアの悲鳴が、世界をつんざいて響き渡った。
それでもそれでもラディフェイルの心は、死しても尚、生を求めていた。
——生きたい。
生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい——。
狂いそうなほどに強い生への叫びを、魂の叫びを、上げたのに。
悲しいかな、その肉体は、既に死んでいた。
◇
暗闇の中、「彼」は、微睡みから目を覚ます。
——呼ぶ声が、したから。
戦いが終わるまで、生きたいと。生きたいと、生きたいと、生きたいと、何よりも強く。
けれどもその声はすぐに途絶え、「彼」の目には一つの遺体が映っていた。
しかしその願いは、気まぐれなる闇の神を、動かすに至った。
小さな島国は荒れ狂う暴動の中。
飛び交う悲鳴、そして怒号は、いつの時代にもあったもの。
だからいつもの「彼」ならば、そんな小さな願いなど有り触れたものだと言って気にも掛けなかっただろうに。
声が、聞こえたから。
——生キタイ。
魂を底から揺さぶるような、本能的な生への叫びが。
それが聞こえたとき「彼」は、一つくらいは奇跡を起こしてもいいような気がした。
雨の大地に、鴉が舞う。「彼」は赤眼の鴉に姿を変えると、一つの遺体の前に飛んでいった。
雨の大地に、「彼」の眷属たる鴉が舞う。
こんな日には、奇跡の一つくらい起こしてみたって、いいだろうと「彼」は思う。
何があっても生きることを決して諦めようとしない人ほど、美しいものはない。
「彼」は、思うのだ。
ならば、せめて——散りたい時に散れるように、してやりたい、と。
——声が、した。
生きたいか、とそれは問うた。
だからラディフェイルは迷いなく、「生きたい」とそれに答えた。
せめて、戦いが終わるまで。この戦争が、終わるまで。この国が、平和になるまで。
ラディフェイルは、
引き下がる訳にはいかなかった。このまま死ぬ訳にはいかなかった。
だから。
『面白い。ならばその願い、叶えてやろう!』
雨の大地に、奇跡が起きる。
漆黒の鴉が、赤眼の鴉が、ラディフェイルの遺体にすがって慟哭するエルレシアの前、舞い降りる。
そして、
姿を、変えた。
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.17 )
- 日時: 2019/04/22 20:16
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
この時、エルレシアは一瞬だけれど確かに見た。言葉では、表現できない。ただそれは大きく黒く、そして圧倒的に深い闇をその身の内に秘めていた。まるで闇の神様のような、見る人を呑み込みそうなほどに濃い闇を。「彼」は、その一瞬の後には漆黒の男の姿になった。しかしその姿は男だったが、輪郭がはっきりしない、全身影みたいな姿だった。エルレシアはまだ彼の正体を知らなかったが、その姿には見る人を畏怖させる力があった。だからエルレシアは知らず、死んだ兄にすがることも忘れてその姿に見入り続けた。
「彼」は、口を開く。
「……願いを、受けた。契約は、成った」
「彼」は死せるラディフェイルの額に手を触れた。
雨の大地に、奇跡が起きる。
死んだはずなのに、致命傷を受けて、命を落としたはずなのに。
その瞼がふるふると震え、紫紺の瞳に光が宿った。エルレシアが歓喜の叫びをあげて、うれし涙を流しながらも兄の身体にしがみつく。ラディフェイルはその様をぼんやりと眺めていた。その瞳が優しげに細められる。
それは紛れもない奇跡。雨の日に起こった、紛れもない本物の奇跡。
蘇ったラディフェイルの唇が震え、言葉を紡ぐ。
「……俺は、生きられたのか」
ラディフェイルはゆっくりと身を起こす。その身体から、あの致命傷は消えていた。
ラディフェイルはわんわん泣くエルレシアを不器用に撫でてやりながらも、目の前に立つ異質、謎の「彼」に誰何した。
「そんな奇跡を起こした、あんたは……誰だ?」
「この世界アンダルシアが闇神、ヴァイルハイネン」
にべもなく来た返答は、ラディフェイルの予想を大きく上回るもの。
闇神ヴァイルハイネンを名乗った男は、固まるラディフェイルに言うのだ。
「我は被創造物たる人間を愛する奇妙な神、神々の中でも異質なる存在。我は人間を愛し、人間の生に共に寄り添うことを望む者。……声が、聞こえたのだ。『生きたい』という、声が。だから我は気まぐれに、助けてみようと思ったのだ。信じられないか? ならば死んだはずの貴殿がなぜ今生きていられるのか、それを考えよ」
エルドキアの王族も学ぶ、神々の物語。神々の実在する世界で、この世界「アンダルシア」で、本当にあった物語。遥か昔、時という概念すらなかった時代、世界創造とともに生まれた七の闇神、闇の七柱神。そのうち五神は世界の安寧を保つために闇に埋もれたが、ヴァイルハイネン、ゼクシオールの双神だけは、天に残った。
闇神ヴァイルハイネン。今、ラディフェイルの前に立つ存在は、最古の神々の一人だった。そしてこの神は人間を愛し、時に人間のためにその悠久とも言える時間のほんの一瞬を費やし、その人間の一生に寄り添うという、話。遥か昔、「蒼空の覇者」フィレグニオが、彼に願って翼を得、翼持つ民「アシェラル」の創始者となったように。闇神の奇跡は見渡せば、世界各地に散らばっている。
その奇跡が、ラディフェイルの元に舞い降りた。闇神の気まぐれが、ラディフェイルの方を向いた。
彼の眷属たる、赤眼の鴉とともに。
死者復活なんて、普通の人間ができるわけがないのだ。
ラディフェイルは驚きに目を見開いた。
そんな彼に、ただし、と闇神は言う。
「『この戦乱が終わるまで』貴殿はそう願った。この国に平和が訪れるまで、と。ゆえに貴殿はその願いの通り、戦乱が終わって平和が訪れたら死ぬさだめ。そもそもが、死者を強引に生き返らせたのだ、貴殿は今や生ける死体、我ができるのもそこまでだし、貴殿も平和になったその先を見ることまで、願う余裕はなかった」
ラディフェイルは生き返るけれど。
全てが終わって決着が付いたら、今度こそ本当に死ななければならない。
それでも、本来ならば今ここで死ぬはずだった命なのだ、だからこれはチャンスだ、気まぐれなる闇の神のくれた、唯一無二のチャンスなのだ。
ラディフェイルは、頷いた。頷いて、頷いて、深く深く平伏した。
彼の目の前に立つは紛れもない神、奇跡を起こせる存在だった。
そんなラディフェイルを見て、闇神はふっと笑う。
「契約は、成った」
次の瞬間、影そのもののようだった彼の姿が、変化する。
くっきりとした輪郭は稲妻のような鋭さを秘め、その瞳は血の色の赤、その髪はぬばたまの黒、鴉の濡れ羽色。漆黒の、あちこちに穴が空いたボロボロのマントを身につけ、その下のベストもシャツも漆黒で、ズボンも鋲を打ったブーツも漆黒、極めつけは漆黒の手袋に胸から下げた黒曜石のペンダント、腰に差された漆黒の金属の剣。闇から生まれたような姿、しかし先程までの人外の姿ではなく、確かに人間らしい姿で、闇神ヴァイルハイネンは改めてこの場に顕現した。その姿からはもう威圧感や畏怖感を感じられなかった。
「オレは、闇の剣士ハイン」
改めて彼はそう名乗る。
先程までの勿体ぶった口調を捨てて。
その顔に、不敵で挑戦的な笑みが浮かんだ。
「少年、あんたの命はこのオレが預かったが、オレはあんたと共に過ごしてみたいんだ。人間という存在の、その生き方に、生き様に興味がある。だからオレのことはハインという仲間として扱ってくれないか」
闇神ヴァイルハイネン、もとい闇の剣士ハインは、こうしてラディフェイルらの旅についていくことになった。
まだ状況を呑み込み切れていないラディフェイルらに、彼は笑いかける。
「ま、おいおい慣れてくれればいいさ。とりあえず、今のオレは神様なんかじゃないぜ。ただの、強い闇の力持つ剣士だよってことでよろしく頼む。人間の姿、人間の口調……慣れるのにそれなりに時間は掛かったが、これなら不自然じゃないだろう」
とある雨の日、一人の少年に奇跡が起きる。
そして少年はその奇跡を受け入れた瞬間、その運命を強制的に定められることになった。
ラディフェイル・エルドキアスは戦わなければならない。この国のため、神聖エルドキアの平和のために。
待っていても平和は訪れない、待っていても何も始まらない。だから。
ラディフェイルは立ち上がる。ゆっくり、ゆっくりと。誰の手も借りずに、一度は死んだ身体を動かして、自分の足で、自分だけの力で。
「……俺は、王だ」
それは、宣言。
「——俺は! 王だ!」
役目から、重荷から、
逃げない誓い。
こうして神聖エルドキアに、新たなる王が、誕生した。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.18 )
- 日時: 2019/04/24 00:26
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
降伏したことにより、戦乱は収まる。その代わりに暴動は起こる。
侵略戦に負けた国はアルドフェックの者たちに支配され、近いうちに体制が出来上がるだろう。
戦乱は、終わった。しかしラディフェイルはまだ、これを戦乱の終わりとして見てはいなかった。
セーヴェスの首が、大好きな兄の首が、民たちによって、彼が守ろうとした民たちによって晒されたのを見たとき、ラディフェイルは思ったのだ。
——まだ戦乱は終わっていない。
ヴァイルハイネンもそれをわかっていたようで。
「オレとの契約期間は、あんたが国を取り戻すまでだ」
と言ってくれた。
国は落ち、民は乱れる。こんな情勢の中で「俺は王だ」と名乗り出るのはあまりに愚策。
だから、ラディフェイルらは潜むことにした。
いつか民が支配体制に不満を抱き、自分たちの手で殺したセーヴェスを惜しむようになる日が来るまで。
願いは叶わなかった。戦乱に引き裂かれた兄弟が再会する日はついぞ来なかった。運命はそう、個人に都合よくはできていない。セーヴェスの死は必然の死だった。あの日、彼はもう二度と会えないことをわかっていて、それでも次の世代を担う者を生き残らせるために自ら犠牲になったのだ。
セーヴェスの首が晒されたのを見たとき、エルレシアは思い切り涙を流したが、ラディフェイルは泣かなかった。
彼は、思ったのだ。いつの日かこの国にようやく平和が訪れたとき、自分が死ぬ前に一度だけ、兄を思って涙を流そうと。それまで涙は取っておくと。
ラディフェイルはエメラルドのペンダントを握りしめる。セーヴェスと別れる前に彼がくれた、彼の遺品。まるで彼の瞳のような、美しい緑をしたエメラルド。
いつかいつしかいつの日か。この国に平和が訪れたとき、作られるであろうセーヴェスの墓に。このエメラルドを埋めようとラディフェイルは思った。
でも、まだ、その時ではないから。
「潜もう、時が来るまで」
こうして王は、民に紛れる。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.19 )
- 日時: 2019/04/24 00:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
〈第二章 罪色の花〉——エクセリオ・アシェラリム
ラディフェイルらの物語が始まってから五年後のこと——。
神聖エルドキアにある唯一の山、その奥の高い所にある隠された村、アスペに新たな風が吹き荒れる。
一つの家の、扉の外。
「僕は、何?」
エクセリオ・アシェラリムは呟いた。罪背負う無邪気な少年は、呟いた。
既にメサイアの、メルジア・アリファヌスの死から四年が経過している。その間に、前族長ルェルト・アインタスは心不全のため急死し、彼の家族は妻のアイナだけになった。そして前族長の死により、次期族長候補だったエクセリオは自動的に族長になった。かつて族長になるはずだった人物、名前さえ忘れ去られた人物、存在しなかった救世主、偽りの救世主の代わりに。
そんな彼のもとには世話係がつくことになった。桃色の翼、桃色の瞳、桃色の髪を持った娘アウラは、エクセリオの呟きに不思議そうな顔をした。
「僕は何、って、何ですか?」
エクセリオは、聞かれていたのか、とバツの悪そうな顔をした。
「いやさ、時折僕、自分がわからなくなることがあるんだよ。何のための族長、何のための命なのかなぁって、さ。……アウラは知ってるよね? メルジア——偽りの救世主、メサイアのこと」
メサイアが死んだ日、エクセリオは誓った。罪から逃げないと、一生を掛けて償うと。そのために村の意識を変えてやると。
村の意識を変えることは、エクセリオにはできなかった。だからエクセリオはアスペではない外部からもアシェラルを呼んで、村の重く淀んだ空気を入れ替えようと画策した。村の人たちはエクセリオに絶対服従だった。それがこの村の掟だったから。
エクセリオはエクセリオなりに、頑張って動いて改革をした。それでも、彼は時折思ってしまう。メルジアにはよく回る頭と野心があった、しかし自分にはない。ならば何故、自分はここにいるのだろう、と。
「僕はさ、メルジアに比べればずっと虚ろなんだよね。生きる希望も特になくって、ただ『生きている』だけの、壊れかけの幻影人形。だから、僕は自分に訊ねてみたんだ。『僕は何?』……って」
風に揺れる金色の髪、陽の光に溶けてしまいそうな、淡い金色の衣装。かつては希望に満ちて燦々と輝いていたその金色の瞳には今や、かつてのような無邪気さが抜け落ち、虚ろな暗い影が差している。
エクセリオはいまだ、四年前の過去に囚われたままだ。
「僕は、何!」
エクセリオの叫びに、アウラは答えることができなかった。アウラにもわからなかったのだ、何のために、今、彼がここにいるのか。アウラは自分の世話するこの少年が大好きだったが、この叫びに対しては、応える言葉を持たなかった。
「恩人、だ」
すると、不意にアウラの背後から声がした。アウラは気配を感じさせずに近づいた人影に、怒ったような目を向ける。
「びっくりさせないでください、カイオン」
「済まない。ただ、落ち込む主を放っておけなかったってだけだ」
現れた影は灰色の髪に青の瞳、灰色のマントを身に纏った、どこか鋭い印象を与える少年だった。その腰には、灰色をした無骨な剣が二本、差さっている。その背からは灰色の翼が生えていた。
カイオンは優しい調子でエクセリオに言った。
「あなたはオレを救ってくれたじゃないか。だから少なくとも、あなたはオレの『恩人』だよ」
一年前、エクセリオは一人のアシェラルを助けた。そのアシェラルは外部から来たアシェラルで、アスペに向かう途中で人間たちの襲撃に遭い、酷い怪我を負いながらも逃げてきたところだった。そこを偶然通りかかったエクセリオが助け、仕返しとばかりに幻影で人間たちを惑わせて全く違う方向に導いた。カイオンは瀕死の状態で、その全てをずっと見ていた。それ以来、カイオンは彼に忠誠を誓うようになった。
慰めるカイオン。そんな部下に、自ら部下になった、自らエクセリオの腹心の部下になった年上の少年に、エクセリオは不思議そうな目を向ける。
「なら僕は、何を目的として生きればいいの」
「生きることを」
今度はまた、別の声が割り込んだ。緑の髪に暗緑色の瞳をし、暗い緑のマントを羽織った長身の男。厭世的で老成した雰囲気を持った彼は、カイオンやアウラと同じくエクセリオの部下であり、彼に近しい者だった。
緑の彼——リュエンは、言う。
「長くはない命なんだろう、ならば生きることを目的とすればいいじゃないか。精一杯生きて、死ぬ。それが死んだ救世主への償いのなるのではないだろうか?」
「それはそうだけど……」
まだ悩むエクセリオに、難しいことはやめましょうとアウラが言う。
「とりあえず、好きなようにすればいいんじゃないですか? あなたは風、あなたは幻影。何も悩まず何にもとらわれず、自由に生きればいいんです。……さて、夏とはいえど、ずっと外に出たままではお身体に障りますよ」
アウラが強引にまとめ、エクセリオの背中を押して家の中に入れる。その後ろを、守るようにリュエンとカイオンがついていく。
メサイアの死から、四年。
罪背負う少年の傍らには、いつの間にか仲間がいた。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.20 )
- 日時: 2019/04/26 07:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「エクセリオ様、エクセリオ様!」
「う……ん、何?」
アウラの緊迫した声に、金色の少年は目を覚ます。お逃げ下さい、とアウラは緊張気味の口調で言った。
「人間たちです、襲撃です! もう、一体何なんですか! アスペはいつか、村ごと移動しなければならない日が来るのかもしれませんね!」
襲撃、その言葉に、寝ぼけ眼だったエクセリオの意識は完全に覚醒する。
かつて、メサイアが生きていた時代にも、人間たちによる襲撃は、あった。
メサイアとの思い出が、悔やんでも悔やみきれない思い出が、エクセリオの原点たる思い出が、彼を突き動かす。
まだ幼さの残るその瞳に、エクセリオは真剣さを宿した。
「リュエンと、カイオンは?」
「既に迎撃に向かっております。しかし今回の襲撃、これまでのとは規模が違うみたいで……」
「呼び戻す。話を聞くよ」
鋭く言い放ち、エクセリオは素早く身支度をした。
その瞳に、その顔に、昨日のような寄る辺なさ、弱々しさは、ない。
エクセリオはエクセリオなりに、覚悟を決めたようだった。
彼は右手を横に広げ、手をひらいて、閉じる。すると現れる、灰色の鳩。
本物そっくりなそれは、本物と遜色ないそれは、エクセリオの作りだした幻影。エクセリオはそれを二羽作り出すと、家の窓から外に飛ばした。するとエクセリオの視界に、鳩の目から見た視界が二つ広がる。エクセリオの頭は三分割された。人間の本体と、二羽の鳩。それでもエクセリオは三つの身体を、何不自由なく同時に動かす。彼の情報処理能力は、人智を超えるほど速く、的確だった。
本体のエクセリオは、不安げに隣に立つアウラに問う。
「二人は、今、何処へ」
「村の入り口だと思います……」
「了解。僕自身が伝言を送ろう」
エクセリオの金の瞳には今、猛禽の如く鋭い光が浮かんでいた。その背中には、族長の風格があった。
逃げないって、誓ったから。精一杯、好きなように、自由に生きればいいと、かけがえのない仲間が教えてくれたから。だからエクセリオは、前に進める。
もともと弱い少年ではなかった。メサイアのことがショックで、それを引き摺って囚われていただけなのだ。
エクセリオは、静かに呟く。
「僕はエクセリオ・アシェラリム。翼持つ民アシェラルの、族長だ!」
死を背負い、死を越えて。後悔の道を歩く。それでもいつかその先に、贖罪の道が開けることを、信じて。
エクセリオは笑った。明るく無邪気に、無垢で天真爛漫に。——そして、獰猛に。
「——さあ、狩りが始まるよ」
その背にアシェラルの証たる、純白の翼が広がった。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.21 )
- 日時: 2019/04/28 23:20
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
エクセリオの心を乗せた、二羽の鳩。それは間もなく、襲撃の全貌をその目に捉えた。
鳩の耳は人間のものとは違い、キャッチできる音が違う。しかしエクセリオは鳩の幻影で作られた身体を勝手につくりかえてほぼ人間と同じ音を捉えられるようにし、また、鳩の喉から人間の言葉が出せるようにした。
鳩の目で、二羽の鳩の目で、エクセリオは、見る。
小さな村、山の奥深く、高所にあるこのアスペの村に、
雲霞の如くやってくる、数多の人間たちの姿を。
規模が、違う。規模が、違った。これまでエクセリオが経験してきた襲撃とは、規模が。
これまでは多くても十人程度だったというのに、
この多さは、何なのだろう。
その中で、鳩の瞳は見覚えのある暗緑色を捉えた。暗緑色は手に剣を握り、人間たちと戦っているようだった。その顔が少し苦痛にゆがんでいる。よく見れば、彼の暗緑色のマントの肩が裂け、そこから赤い液体が流れだしていた。赤い液体は彼のマントを染め上げていく。
幻影の鳩は、エクセリオの声で言葉を投げた。
「リュエン!」
「……ッ、いきなり現れないで下さい!」
不意の声に、人間と切り結んでいたリュエンの体勢が崩れる。しかし驚いたのは人間も同じようで、人間は不思議そうな眼を幻影の鳩に向けた。ごめんごめんと幻影の鳩はエクセリオの声で謝る。
「当の僕から伝言さ。いいかい、今すぐ戻りなさい、というか戻れ。状況説明を頼もうか? その上で作戦会議だ、オーケイ? 今、僕の近くにはアウラしかいないんだよ。もしも僕らに何かあったとして、アウラだけで僕を守れるのかな?」
リュエンは、頷いた。
「承知した! で、カイオンは?」
「生憎と僕も知らないんだよ。一緒じゃなかったの?」
「……探すか」
一瞬、リュエンの顔に不安げな色がよぎった。
リュエンとカイオンは幼馴染だ。三歳年上のリュエンはいつも、あらゆるものを拒絶する雰囲気のカイオンを、まるで弟のように大切に扱っていた。
そのカイオンが、行方不明。この混乱した状況下で。
とりあえず、と幻影の鳩は、言う。
「戦線離脱、さっさと僕本体の所に来て。僕の幻影はカイオンを探す。参考までに聞くけど、アイナさんは、どうした?」
アイナ・アインタス。彼女は前族長ルェルトの妻だ。
再び襲いかかってきた人間と冷静に剣を交えながらも、リュエンは淡々と答えた。
「死んだ」
「そう」
対するエクセリオの答えも、淡々としたものだった。
「ま、メルジアを殺した前族長夫婦が死んでも、特に感慨は湧かないけれど。
ところでリュエン、今、抜けられる?」
「隙を作ってくだされば」
「任せて」
リュエンの言葉に、幻影の鳩は頷くような仕草をした。
次の瞬間、
現れた、幾十の花の幻影。それは何もない虚空から突如ふわりと現れ出でて、濃密な、本物の花の香りを辺りに撒き散らした。
実体のある幻影。エクセリオの幻影は、人の五感に働きかける。ゆえに見破れない、わからない。日頃から人や物をよく観察している彼の作り出した幻影は完璧で、どこにも不自然な要素なんてない。彼の幻影は魔法素で作られているから唯一、魔法素そのものを見ることができる「イデュールの民」ならば彼の幻影を見破れるだろうが……。彼らは迫害によって離散し、今はもう、滅多に会えない人種になってしまったから問題ない。
リュエンと切り結んでいた人間は、花の幻影に目を丸くして動きを止めた。その瞬間、リュエンが背の翼を大きく広げて、飛翔、戦線を離脱する。その身体に追いすがる矢は、エクセリオが生み出した幻影で受け止めてリュエンを守った。
リュエンは自分の傍らに寄り添う、幻影の鳩に呟いた。
「改めて思うが……エクセリオ様の幻影は、すごいな」
「当然でしょ?」
声からは無邪気な笑いが感じられる。
じゃ、行くよ、と幻影の鳩は言った。
「もう一方に飛ばした別の鳩がカイオンを見つけたみたいだ。みんなすぐに合流できるさ」
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.22 )
- 日時: 2019/04/30 09:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
エクセリオの小さな家の、居間にあるテーブルの前。エクセリオ、アウラ、リュエン、そしてカイオンは合流した。リュエンは肩から血を流し、カイオンの右の翼は折れていた。激戦だったらしい。そんな二人の傷を、アウラがせっせと治療する。アウラに直接戦闘力はないが、彼女に医術の心得はあった。
「情報の提供、頼むよ」
早速とでも言うかのように、エクセリオは口を開いた。
「今回のこれは普通の襲撃じゃない。一体何があったのさ?」
「……異種族狩りだ」
それに答えたのは、身体中傷だらけのカイオン。全身を這う痛みに顔をゆがめる年下の幼馴染を見て、「無理するな」と声を掛けてからリュエンが言葉を引き継いだ。
「人間たち、いよいよ本格的な戦争を始めるらしい。その際に邪魔な異種族を撲滅しようって算段なのだとよ。で、我ら翼持つ民アシェラルが狙われた。奴ら、本気だぞ。だからあんな大軍勢で来たんだ」
「異種族狩り……」
エクセリオは悲しそうな顔をした。
「僕らは普通の人間とほとんど変わらないのに。ただ背に翼を持つだけ。なのに、どうしてそんなひどいことをするのかなぁ?」
「知らぬ。ただ、我らは彼ら人間からすれば異端だ。そして異端は蔑まれ、排除される。違うか?」
それが人間の性だから。
そっか、とエクセリオは頷いた。
「ならば人間の性に、僕らがどうこう言うことはできないね……。
じゃ、作戦会議だ。僕らはどうすればいいのかなぁ? どれが最良の選択なのかなぁ?」
逃げましょう、とアウラが言う。
「このままここにいても、人間たちに殺されるだけ。だから逃げましょう。最悪、この島の外へ!」
逃げれば生き残る道は広がる。逃げなければ十中八九、殺される。
先祖代々住み続けたこの村、アシェラルの秘境、アスペを捨てても。
生きなければ、生き延びなければ、話にならないから。
そうだね、とエクセリオは進路を定める。
「逃げよう。逃げて、逃げて、逃げて、新しい道を探そう!」
進路は決まった、定まった。
エクセリオは、自分を捕らえ続ける過去の幻影に、心の中で問うた。
——ねぇ、メルジア。
これで、よかったんだよね……?
答える者は、今やこの世にいないけれど。
◇
他のアシェラルを見捨てても、エクセリオだけは逃げ延びる。それが一同の立てた作戦だ。何もアシェラルはアスペにしかいないというわけでもないし、最悪、この村を捨てても族長さえ生き延びればアシェラル再興の余地はある。秘された村、天空の村アスペは十中八九、壊滅するだろう。しかしそれでも、族長さえ生き延びれば。
「だからオレたちは、使い捨ての駒だ。存分に利用してくれよ」
決意を秘めた瞳でカイオンがそんなことを言う。
「オレとリュエンはあなたとアウラを守る。世話係が、あなたをよく知る世話係がいなければ、あなたの身体に何かあったとき対応できないからな。そんなわけで、オレたち戦闘要員はそんな二人を守るために命を賭ける」
エクセリオは泣き笑いのような表情を浮かべて、それでも抵抗するように言った。
強気なことを口では言うけれど、本当は失いたくなかったから。
ぶれる心、弱い心。だってエクセリオはまだ、十四歳なのだ、たった十四歳なのだ。
メサイアと初めて出会ったのは彼が十四歳の時。その時のメサイアは十四歳のくせに今のエクセリオよりずっとしっかりしていたけれど。
「……死にそうになったら、逃げてもいいんだよ?」
対するカイオンの言葉はにべもない、一言。
「できるか」
「……そう」
この異常事態で、カイオンの見せた瞳はどこまでも澄み渡っていて、綺麗で。
それは死を覚悟した者の見せる、決意の瞳、決意の青。
それを見て、エクセリオは悲しく笑った。
「わかったよ。……じゃあ、行こう」
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.23 )
- 日時: 2019/05/02 05:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
万事うまくいくなんて、そんなの夢物語だ。いくら綿密に立てた計画でも、それは意図しないところから崩れていくもの。
生き延びるために、生き延びるために、
飛び立とうと、したのに。広げた翼は何故、空を掴まなかったのか。
それはアスペの村の端の崖の上でのことだった。飛び立つには、高所から飛んだ方が上手くいくから。
「エクセリオ様!」
何かに気づき、焦ったようなカイオンの声。それを認識する間もなく、
エクセリオの背中に、熱さが走った。
「あっ……」
気が付いたら、
「エクセリオ様ッ!」
落下していた身体。エクセリオはとっさに翼を広げて態勢を整え、空を飛ぼうとしたが、
飛べ、なかった。
翼の感覚が、なかった。
彼が代わりに感じたのは、激痛。
耐え難いほどの、気の狂いそうな激痛。
エクセリオは、激痛の中、気付いた。
——僕は翼を落とされた。
アウラのリュエンのカイオンの声がエクセリオを追いかける。しかしそれを許さじと飛んだのは人間たちの怒号。
エクセリオは落ちていく。傷付いて、翼を失って。
「邪魔だ、クソッ!」
カイオンの苛立たしげな声。その声を聞いている間に、落ちるエクセリオの身体は、
大地に、叩きつけられた。
「……ッ!」エクセリオの口から押し殺した悲鳴が漏れる。翼を落とされ、高所から落ちて。元から病弱だった少年の身体はボロボロだった。
そして感じたのは、痛み。翼を落とされたことによる、痛み。その激痛の中、気の狂いそうなほどの激痛の中、エクセリオは昔、自分と同じように翼を落とされたメサイアのことを思った。あの日、彼が翼奪われたあの日、彼もまた同じ痛みを味わったのだろうか、と。それはこんなにも、こんなにも、激しく燃えるようで狂いそうなほどの激痛だったのか、と。
エクセリオは落ちていく。地に叩きつけられただけでは飽き足らず、高山の不安定な崖を、ごろごろと、転がり落ちるように。
痛みのあまり鈍感になった耳が、かすかな音をとらえた。それはリュエンの、カイオンの、アウラの、必死の声。
「エクセリオ様ッ! どこですか、どこにおられるんですかッ! 聞こえるのならば返事してくださいッ!」
崖から落ちて、鉱山の木々にその姿は遮られて。今、エクセリオの姿はどこにもない、誰にも見えない。
身体を蝕む激痛を堪えながら、落ちる身体を止められずにいながらも、それでもエクセリオは声を発そうとしたけれど、
息の詰まるような衝撃が、彼にそれをさせなかった。
やがて落下は止まり、エクセリオはボロボロの身体で道のない森に横たわる。ああ、死ぬのかなと彼は思った。人間にやられて死ぬなんて、あまりに間抜けだ滑稽だ。しかし間近に迫った死の息吹を、彼は明確に感じ取れた。
「げほっ……」
力なく横たわる彼は大きく咳をした。少年の胸を熱さが通り抜ける。彼が咄嗟に口に当てた手には、真っ赤で粘りついて、鉄錆の匂いを発する液体がべったりとついていた。
吐血。ああ、死ぬんだな、死ぬのは嫌だなと思いながらも、彼の身体は冷えていく。やがて彼の手足の感覚がなくなり、彼の意識を白い靄が覆い始めた。
ああ、死ぬんだな。死ぬのは嫌だな。
これじゃあちっとも償えないじゃないかと思う少年の思いとは裏腹に、
意識蝕む白い靄に覆われて、彼は闇に溶けていった。
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.24 )
- 日時: 2019/05/04 12:24
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
闇の中で、彼は夢を見た。自分しかいない、自分の姿しか見えない空間に彼はいた。その空間の中の彼は無傷で、ただ、翼だけがなかった。しかし痛みは感じられなかった。
その中で彼は、どこからとも知れぬ声を聞いた。
『エクセリオよ、運命に呪われし子よ』
「だ、誰ッ!?」
声に反応し、エクセリオは無明の闇を見透かさんと目を眇めるが、いくら目を眇めても何も見えない、何もわからない。この不思議な世界の中では、エクセリオだけがすべてだった。エクセリオしか、目に見えるものは存在しなかった。
上からか下からか、前からか後ろからか右からか左からか。重力すらもあやふやになってくるような空間の中、不思議な声が再度響く。注意して聞けば、それは女性の声のようにも聞こえた。その声は笑うような響きを帯びていた。
『そんなに怯えるでない。我はこの世界の双子の運命神が姉、ファーテだ……と言って、そなたは信じるか?』
突飛な、あまりに突飛な話。しかしエクセリオは知っている、話として聞いている。この世界「アンダルシア」には、人間臭い神々がいるのだと。そもそもアシェラルの始祖とされるフィレグニオだって、神に空を願って翼を与えられたという逸話がある。この世界において、神とは近しい存在なのだ。
エクセリオは、その目に不信を浮かべて空間に問うた。
「……あなたが神様だというのならば、その証拠を見せてほしい」
『我が信用ならないか』
声は面白がるように言って、しばし間があってまた声がした。
『よかろう。ならば我がそなたの過去について、語っても構わないが? 運命神は全ての被造物の過去を創らぬ。されど一部の存在——そう、「神憑き」などの過去や未来は、例外なく我ら双子が創るのだよ。そしてそなたのその罪色の過去を創ったのも、この我に他ならない。だからそなたについては何もかもを知っている。話せば理解してくれるだろうか?』
「な——んだって?」
その言葉を聞いて、エクセリオは愕然とした。
身に負った罪も、メサイアの死も。すべて運命神によって創られたものだというのか。最初から決まっていた運命なのか。メサイアが、あの優しかったメサイアが破滅したのだって——運命だったと、そう、この神を名乗る女性が決めていたのか、定めていたのか。
それを思うと、エクセリオの中に怒りが湧いてきた。その怒りは、理不尽に対する怒り。彼が生まれてこの方感じたことのないような、純粋で燃えるような、まるでメサイアの炎の魔法のような、赤々とした怒り。
エクセリオは湧いてきたその怒りの大きさに戸惑いつつも、怒りを言葉にし、叫んだ。
「ならば、ならば神よ! あなたが神だというのならば、何故僕にメルジアに、こんな不幸を背負わせたんだ! 不幸なんて別にわざわざ創らなくてもいいじゃないか、あなたは万能の運命神なんだろうッ!? こんな不幸を背負うのは、何も僕じゃメルジアじゃなくてもいいじゃないか! それを——何故ッ!!」
その叫びを聞いて、運命神を名乗る声は一つ、トーンを落とした。
『それは傲慢というものだし、何より不幸は世の摂理なのだよ、少年』
声は、言うのだ。
『一つ。もしもこの世の中に幸福ばかりが満ち溢れたら、幸福というものは当たり前になり、それは価値を喪失する。その果てに残るのは怠惰と退屈のみが支配する世界だ。そんな出来損ないの世界に、我々はわざわざ住みたいとは思わない。
一つ。富める者あればその裏には必ず不幸な者、貧しい者がいる。これもまた世の摂理だ。働く者と彼らを働かせている者、主人と奴隷。それくらいの格差はあって当然。格差がない社会など、誰もが幸福な社会など、存在しないし我はそれを理想郷と呼ばぬ。不幸も幸福も同じくらいあってこそ初めて、世界は成り立つのだと我は考える。
一つ、そなたが不幸を背負わなければ、他の誰かが同じくらいの不幸を背負うことになる。そなたはそれでいいのかもしれない。自分に関係のない誰かがいくら不幸になったところで、自分の知ったことではないと考えるのかもしれない。しかしそれは傲慢、恐るべき傲慢だ。我はこの不幸を罪を、そなたがそなたであるからこそ、そなたに与えたのだ』
その声は、諭すような調子を帯びていた。
声に打ちのめされ、エクセリオはがっくりと膝をつく。
「ならば——ならば僕は、どう、すればいいの……?」
『自分の信じる道を生きよ』
声は、言う。
『そうそう、言い忘れておったが、我がわざわざここまで来た理由を話していなかったな。そなたは二十まで生きられぬ、それは我ら神々が定めた律法なり。しかし教えてやろう。これは我ではなく弟のフォルトゥーンが定めたことなのだが——』
声は、囁くように小さくなった。
『そなたに限って、**まで生きられぬ』
知った答え、儚い命。運命神が告げた命は、あまりにも短くて。
その目に絶望を浮かべる少年に、あわてたように声が言った。
『ああでも安心してほしい。我は運命神として予言しよう。近いうち、そなたには完全な贖罪の機会が与えられると、既に物語は動いていると』
エクセリオは、虚ろな瞳で宙を見つめた。
「こんなに儚い命で……贖罪なんて、僕にできるの?」
ああ、できるともさと声は力強く笑う。
『そなたがそれを贖罪ととらえるかはそなた次第だが……。さて、我はもう帰らねばならぬ。必要事項は伝えたぞ? エクセリオよ、神に呪われし子よ。我はそなたに不幸を与えたが、それでも我は信じているぞ。どんな運命も宿命も、抗う意志があれば変えられると。さぁ、我の定めた道を変えてみせよ!』
その声を、最後に。
エクセリオの意識は、現実へと戻された。
ゆっくりと瞼を開けて、彼が最初に見たのは紫水晶、否、紫水晶によく似た瞳だった。
その瞳の持ち主は、漆黒の髪を持ち、銀の鷲の刺繍の入った黒銀のマントを羽織った少年だった。その胸元では、エメラルドのペンダントが輝いていた。
その顔を見ると、エクセリオの胸の中に、どうしようもない懐かしさと耐えがたい感情が、何故だか溢れ出してきて。
初対面のはずなのに。
泣きだしそうな顔で、エクセリオは思わず呟いた。
「……ただいま」
「お帰り」
エクセリオのそんな言葉に、少年は力強く笑って応えた。
エクセリオは、感じた。
——ああ。
——ああ、僕は。
——ようやく、めぐり会えたんだ——。
会うべき人に。自分の贖罪を、捧げるべき人に。
エクセリオは、その紫水晶の瞳を見つめた。するとその瞳は、やや不器用に微笑んだ。その笑みにつられるようにして、エクセリオは笑った。笑って、笑って、笑った。喜びに、笑った。歓喜に、笑った。胸の内からこみあげてきた幸せな感情に——笑って、笑って、笑った。
メサイアを失ってからずっとぽっかりと空いたままだった心の穴が、今ようやく、満たされたかのような感覚をエクセリオは覚えた。
かくして二人は、出会う。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.25 )
- 日時: 2019/05/06 23:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第三章 出会うべくして】——ラディフェイル・エルドキアス
彼が最愛の兄を失って、一度死んで生まれ変わって、闇の神様とともに市井に潜むようになってから、四年。まだエクセリオの物語が始まる前、しかし彼の物語は始まっている頃のこと。
その風潮は、起こった。
「もう嫌だ、もう嫌だ!」
「アルドフェックの支配なんて、嫌だ嫌だ!」
起こったのは、小さな、しかしたくさんの反乱。
降伏後、アルドフェックは神聖エルドキアに圧政を敷いた。高すぎる税、国民の強制徴兵によって国は女と子供、老人ばかりになり、アルドフェック民が国に来たとあっては町村総出で迎えなければならない。しかしいくら弱き民が反乱を起こしても、指導者なくばそれはすぐに鎮圧される。神聖エルドキアの間では不平不満が高まっていた。誰もアルドフェックに逆らえなかった。逆らった者は見せしめに、血祭りにあげられた。それに逆らおうにも人がいない。侵略戦の際、国民の三分の一が戦死したのだ、そもそも人数が少ない、足りない。
そんなエルドキア国民に、アルドフェック側は、言うのだ。
「さっさと降伏しないのが悪い。反抗心ある民は徹底的に叩きのめさねば、いつまた反乱を起こされるかわからぬからな」と。
そしていつしか人々は思うようになる。
——セーヴェス様が、正しかったのだ、と。
恥晒し、として自分たちで殺した王子、セーヴェス・エルドキアス。彼は最初から降伏を掲げていたが、誰もがそれに反対し、最終的に国を幸福に導いた彼を処刑した。それは、間違いだったのだ、と。
しかし何を思っても全ては後の祭り、死んだ命は戻らない。
だから国民たちは思うようになった、願うようになった。
新たな指導者の、導きを——。
たとえそれが、身勝手な願いだと知っていても。
「そろそろか」
そんな風潮を知り、ラディフェイルは呟いた。
ここ四年の隠遁生活の間に彼はだいぶやつれたようだが、その紫水晶の瞳に宿る光は変わらず、鋭く未来を見据えていた。彼の胸で、兄の遺したエメラルドが優しく光る。
ラディフェイルは、その瞳の紫水晶に強い光を宿して、後ろにいるエルレシア、そして闇神ヴァイルハイネンことハインに問い掛けた。
「なぁ、もう潮時だろう? 民の不平不満は高まり、民は自分たちで殺した兄上を惜しむようになった。そして民は新しい指導者を望んでいる。ならば」
ラディフェイルは、黒手袋に包まれた拳をぎゅっと握りしめた。
「この俺が、王として、指導者として、立つ」
兄の叶えられなかった夢を叶えるために、兄の望んだ平和を、この国に体現するために。
ラディフェイルは黒銀のマントを羽織った。市井に紛れている間は、その裏地を表にして羽織っていたマントを——エルドキア王家の証たる、マントを。黒地に銀の刺繍が施され、その肩に銀糸で鳥の王、鷲の描かれたマントを。
羽織った途端、宿るは王者の風格。
彼ははにかむように笑った。
「まぁ王冠も玉璽もないが、そんな王でもついていってくれるかな」
当然だよ、と、エルレシアはそんな兄を見て、噛み締めるように言った。
「兄さま、すごい。本当に王様みたい」
そんなエルレシアも、ずいぶんみすぼらしい身なりになってはいるけれど。
ならば立て、と、すっかり人間の姿が板に付いたハインが、言った。
「時間はない。今この瞬間にも、不幸な民は増えているだろうから」
ああ、とラディフェイルは頷いた。
頷いて、胸のエメラルドを握りしめて、軽く瞑目する。
——兄上、見ているか?
——兄上の望んだ平和な世界が、もうすぐで、訪れるぞ——。
◇
ラディフェイル・エルドキアス、王として立つ。
その日、そんな知らせがエルドキア中を駆け巡った。
彼はこう、宣言した。
「民よ、誇り高きエルドキアの民よ。王は立った、指導者は成った。我こそはと思う者、我に続け。我ら『エルドキア解放戦線』、今ここに、国を食い荒らす害虫アルドフェックに、宣戦布告する」
民の待ち望んだ指導者が、正真正銘の王が、立った。
それに誰が逆らえよう。
この日、王が立った。
この日、王が立ったのだ。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.26 )
- 日時: 2019/05/09 11:44
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
宣言を発し、ラディフェイルは奪われた旧王都で待つ。
自分の味方になってくれる、優れた人材を。
しかし事態はそう簡単には進まない。
「何が王だ、何が指導者だ、誰が害虫だ! 今だ今だ、今の内に、この王を名乗る不届き者を排除せよ!」
彼の宣言に殺気だったアルドフェック民が、彼にその剣を向けた。やれやれとラディフェイルは溜め息をつく。
「やはりそう簡単にはいかないか……」
「当たり前だ! 死ね!」
向かってきた剣を、
「……誰に刃を向けている?」
薙ぎ払ったのはハインの剣。
助かった、と特に感慨も込めずに行って自分の剣を抜き放つラディフェイルに、当然だろうとハインは返した。
「オレは闇の剣士ハイン、新たな王を守るもの。言っておくがその実力は、そんなに弱いものじゃないぜ?」
そんなハインに、ラディフェイルは命じた。
「俺はいいからあんたはエルレシアを守ってくれ。自分の身くらいは自分で守れるが、エルレシアは剣も魔法も使えないんだ」
「了解です、陛下?」
ラディフェイルの命令に、面白がるようにハインは答えた。彼がエルレシアを守るように彼女の前に立つと、エルレシアはハインのマントにしがみついた。怯えたように、エメラルドみたいな緑の瞳が動く。そんな彼女の頭を、ハインは優しくぽんぽんと撫でた。
さて、とラディフェイルはアルドフェック民たちに言った。
「俺に刃を向けるのならば、俺も相応に戦うが?」
その言葉を皮切りに、旧王都に残っていたアルドフェック民たちが一斉に彼らに襲いかかってきた。
この場で民の信頼が試される。もしもこのとき誰も助けに入らなかったのならば、ラディフェイルは王として失格だったということになる。
向かってきたアルドフェック民。切り結び、斬り飛ばし、ラディフェイルは応戦する。彼はエルドキアで一番とさえ言われたほどの剣の使い手、そう簡単には倒されないが……。
「加勢致しますぞ!」
知らぬその声を聞いた時、ラディフェイルはとても嬉しかった。
「協力、感謝する。しかして、貴殿は?」
ラディフェイルの隣で戦う初老の男性は、剣で相手を斬り飛ばしながらも答えた。
「私はヴィアン・カーディス! 先王の宰相をしていた者です! 参上遅れましたこと、大変申し訳ない所存にございます!」
「……あの、鋼の宰相が」
ラディフェイルは驚いたように眉をあげた。
彼は直接会ったことはなかったが、彼らの父が王をやっていた時代、「鋼の宰相」と呼ばれる宰相が国にいた。彼は実に見事に国を導いていたが、戦争が始まった直後に謎の失踪を遂げ、そのため先王エヴェルは道を踏み外したと言われる。その宰相の名は、ヴィアン・カーディス。
消えていた理由はわからない。しかし生真面目な彼が国をないがしろにするくらいなんだから、余程のことがあったのだろうと人々は囁く。そんな、常に国の中枢にいた彼に、第三王子という、王位から離れたラディフェイルが、簡単に会えるはずもなく。だからラディフェイルの記憶にある限り、これが初対面のはずなのだが……。
「覚えておりますぞ。幼い頃の陛下は、大層腕白であらせられた」
戦いながらもそんなことを口にする彼に、ラディフェイルは驚きの目を向けた。
「……以前に、会ったことが、あったのか?」
ええ、ありますとも、と鋼の宰相ヴィアン・カーディスは頷いた。
「陛下が三歳くらいのときに、一度だけ。水面に映る月を取ろうとして池に落ちて、大層な風邪を引かれましたなぁ。その時は私が池に飛び込んで助けたのですよ」
「……覚えていないな」
そうやって会話をしている内に。
気がつけば向かってくる相手はいなくなっていた。
当然だ、エルドキア一の剣の使い手に、武術も優れた鋼の宰相、そして闇神の変じたハインが相手とあっては、有象無象で倒せるわけもなく。どうやらアルドフェック民たちは王都から撤退したらしい。
「この程度か、脆い」
呟いたラディフェイル。するとどこからか歓声が湧いた。
「新王様、万歳!」
「ラディフェイル陛下、万歳!」
見ると町のあちこちからエルドキアの民たちが出てきて、万歳を言いあっているのだった。それを見て、呆れたようにラディフェイルは苦笑した。
「なんだなんだ、高みの見物か? 結局直接助けに来てくれたのは宰相だけだったじゃないか。皆、腑抜けになったものだ」
恐ろしい圧政は、残された民から抵抗する気力すら奪ってしまったのかもしれないけれど。
男や若者を奪われて。反乱を起こしてもすぐに潰され見せしめに残酷に殺されて。だから民たちは抵抗することを恐れるようになったのかもしれない。そんな民たちに、その目に歓喜を浮かべながらも、まだ少し怯えた顔をする民たちに、なだめるようにラディフェイルは言った。
「大丈夫だ、王がいる」
そして彼は、改めて民たちに問い掛けた。
「ここに王は成り、王都は奪還された。さて、そこで問うが」
その紫水晶の瞳が、きらりと光る。
「『エルドキア解放戦線』に参加してくれる、心ある者は——いないか?」
アルドフェック民が、圧政を敷いていた民がいなくなった今度こそ。
王都に残されたエルドキアの民たちは、我も我もと声をあげたのだった。
ここに、王は、成った。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.27 )
- 日時: 2019/05/11 22:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「王が、立ったか。思ったよりも呆気ない治世だったな」
アルドフェック王宮。面白がるように、皇帝ニコラス・アルドフェックは呟いた。そんな彼の前に控えるのは、まだ若い一人の男。灰緑色の髪に青灰色の瞳を持った辺境伯は、その日、皇帝から直々に呼び出されていた。
「フレイグ・アヌミス」
「はっ」
名を呼ばれた若い男は、身を正す。
そんな彼に、ニコラスは命じる。
「貴殿には『対エルドキア軍』を率いて、エルドキアの反乱を鎮め、こちらの支配を取り戻してもらおう。我はそなたを信じている。望むならば帝国の軍も貸すが?」
皇帝の命に、フレイグは慎重に答える。
「かしこまりました。されど、軍を貸していただけるという申し出はありがたいのですが、私の軍だけで挑むのは駄目でしょうか」
ニコラスは面白そうな顔をした。
「ほう、よかろう。ならば貴殿の軍隊だけで、エルドキアを支配してみせよ。我は期待しているぞ」
「はっ!」
フレイグは床に頭をこすりつけた。
彼が皇帝の申し出を断ったのには理由がある。立派な辺境伯、統治の上手い辺境伯として周囲から称えられる彼は、信頼関係を何よりも大切にしていた。だから出会ったばかりの見知らぬ部下よりは、自分と深い信頼関係を結んでいる自分の部下たちを連れていった方が良い、そう考えたのだ。その間でしか通じない特殊な信号がある、特殊な合図がある。だからこそ。
フレイグ・アヌミスは帝国の犬だ。しかし彼には彼の意思がある、彼には彼なりの意思があり、彼はそれにのっとって生きている。彼は愚かな人間ではない。だから、だからこそ、皇帝ニコラスは彼を対エルドキア軍隊長に任じたのだ。
物語は、動き出す。時間は、待ってはくれない。
神聖エルドキアに、新たな風が吹き込もうとしていた。
「行くぞ、皆」
皇帝からの命令の内容を告げ、フレイグ・アヌミスは旅立ちの用意をする。そんな彼の隣には、赤い髪に桃色の瞳を持った、はつらつとした娘がいて目を輝かせていた。そんな彼女らを皆から一歩離れたところで、漆黒の髪に吊り目がちの赤い瞳を持った、冷めた少年が眺めている。
赤髪の娘は嬉しそうな顔をしてフレイグの腕にしがみついた。
「やった、やったぁ! あのエルドキアだよ、あのエルドキアに行けるんだよっ!」
あのな、と、そんな彼女を鬱陶しそうにフレイグは払いのけた。
「観光じゃないんだぞ、戦争に行くんだぞ、フレイア。その意味を取り違えてくれるな」
わかってるよ、とフレイアと呼ばれた娘は答えた。
「たっくさん焼くんだよね、焼き尽くすんだよね。あたし、役に立てるかなぁ?」
言って、彼女は右手を握りしめて、開いた。すると生まれる炎の輝き。
フレイグ・アヌミスの妹フレイアは、優秀な炎使いなのだ。
そんな彼女を若干不安げな目で見つつも、フレイグは先ほどから一言も言葉を発しない漆黒の少年に声を掛けた。
「リレイズ」
「…………」
しかし少年は答えない、どころかそっぽを向いて腕を組んでいる。フレイグはそれでも言葉をつなげる。
「お前に活躍してくれ、なんて言わない。でも置いていくわけにはいかないからな、ついてきてほしいんだ、リレイズ」
「……僕は『リレイズ』なんかじゃ、ない」
ようやく発されたのは拒絶の言葉。フレイグは疲れたように息をついた。
「まだ、心をひらいてはくれないのか」
「僕は傷付き過ぎたんだ。呼ぶなら呼べよ、僕の偽りの名を呼べよ。そう——“得体の知れない(アンノウン)”と」
言って、少年は瞑目した。
フレイグは大きくため息をつく。
「全く……こんなメンバーが私のメインの仲間なんて、気苦労が絶えない」
フレイグは頭を抱えた。
それでも、と彼はフレイアに、リレイズに、慈愛のこもった目を向ける。
「懐いてくれなくとも拒絶されても、私は皆を愛しているよ……」
その思いが、届かない人がいると知っても。
「私たちは、家族だから」
その言葉に、一瞬リレイズの肩がぴくりと動いた。しかし、それだけだった。彼は相変わらず皆を拒絶し続ける。
こうしてこちらも、動き出す。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.28 )
- 日時: 2019/05/13 09:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ラディフェイルが王として立ってから、半月。彼のもとにはたくさんの人々が集まり、ここに『エルドキア解放戦線』は成った。彼は副官をヴィアン・カーディスに定め、少しずつ自分の部隊の体制を整えていった。
そんなある日のこと。
偶然訪れた山、珍しい薬草があると聞いて、今後のために薬草を採りに行った森の中で、
ラディフェイルは、見たのだ。
全身から血を流して倒れる、金色の少年の姿を。
その姿はボロボロで、洩れる息は今にも途絶えそうなほど弱々しかった。ラディフェイルはその少年を抱えあげた。彼の身体に少年の血が付いたが、そんなことを気にしてはいられない。彼はとっさに、この少年を助けなければ、と思ったのだった。この際薬草採りなんて後回し、助けられる命を助けることの方を優先するべきだろう。
抱えあげて、ラディフェイルは気づいた。
「こいつ……アシェラル、か?」
その背中に妙に浮き上がった二つの塊は、切り落とされた翼の残骸か。
ラディフェイルは思い出す。最近あったらしい異種族狩り、アルドフェックによる本格的な侵略を。
近いうちアルドフェックから「対エルドキア軍」なる部隊が来るという話をラディフェイルは小耳に挟んだが、だからこそ彼は思う。この異種族狩りは、これから始まる大きな戦いの、前哨戦なのだろうか、と。
ラディフェイルは腕に抱えた少年を見た。まだ幼さの残る顔、そして不思議なくらいに軽い体重。
——こんな、少年が。
こんな少年が、こんな目に遭うなんて、と、彼はアルドフェックに対する憤りを感じた。
「……とりあえず、拠点に運んでいくか」
ラディフェイルは、少年の傷に障らないように慎重に彼を運んでいく。
彼は知らない。少年は、ただの不運な少年ではないことを。少年はある意味、自ら望んでこの場にいるのだということを。そして少年の背負った大きな罪のことも、彼が大きな立場にいるのだということも、何も知らない。
ただ、助けたかったから。
ラディフェイルの動機はそれだけだった。
こうして二人の運命は、絡みだす。
◇
ラディフェイルは、少年の傍にいた。少年の傍に寄り添って、少年が目覚めるのを待っていた。
あの後。事情を説明したラディフェイルは、「折角助けたんだ、目覚めるまで傍にいる」と皆に言い、周りの者もそれを承諾した。全身ボロボロだったアシェラルの少年は手当てを受け、今は清潔なベッドに寝かされて安らかに寝息を立てている。切り取られた翼を治すことはできなかったが、体調は少しずつ回復しつつあるようだ。
ラディフェイルが少年を助けてから一週間後。そんな少年はついに、目を覚ました。
目を覚ました少年は、今にも泣きそうな顔をしていた。
その顔を見ると、自分の中に不思議な感情が湧きあがってくるのをラディフェイルは感じた。
初対面のはずなのに。
まるでこの少年が、出会うことを運命づけられた、宿命の半身であるかのような——。
少年の唇が、動いて言葉を紡ぎ出す。
「……ただいま」
「お帰り」
初対面のはずなのに。少年のその言葉に、自然と返したラディフェイル。
うるむ瞳で自分を見つめる少年に、ラディフェイルは不器用に笑いかけた。するとその笑みにつられるようにしてエクセリオは笑った。笑って、笑って、笑った。嬉しそうに。心からの歓喜をその顔に滲ませて。
その顔はとても晴れやかだった。
傷だらけの少年は、掠れた声で、名乗る。
「僕は翼持つ民アシェラルの族長、エクセリオ・アシェラリム」
ラディフェイルは、知らない。少年が「族長」を自称できるようになるまで、どれほどの悩み苦しみがあったかなんて、知らない。
そんな少年に、ラディフェイルは堂々と、誇り高く名乗ったのだった。
「俺は神聖エルドキアが王、ラディフェイル・エルドキアス」
少年は、知らない。ラディフェイルの「王」という名乗りに、どれほどの思いと祈りが込められているのかなんて、知らない。
ラディフェイルは少年に手を差し出した。少年はその手を握った。
握った手から、感じたお互いの体温、温かさ。
そして、安心感。
出会うべき相手に、ようやく出会えたのだということから生まれる、安心感。
「初めまして、若き族長」
「初めまして、若き王様」
笑い合えば。穏やかな空気が二人の間に広がった。
エクセリオの意識は、現実へと戻された。
【第三章 出会うべくして 完】
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.29 )
- 日時: 2019/05/15 17:33
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
エクセリオの回復は遅い。そしてラディフェイルも王であるがために暇ではない。いつでもエクセリオについていられるわけではない。それでも二人は運命に引かれるように、長い時間を二人で過ごした。
そしてやがて、時が来る。
エクセリオが助けられてから、三週間は経っただろうか。
ある日彼は自らラディフェイルの天幕を訪れて、こう言った。
「……少し話があるんだけれど、聞いてくれるかな?」
その頃になればもう大方傷は治って、彼は自力で歩けるほどには回復していた。
失われた翼は、元に戻ることはないけれど。
「お暇をしに来たんだ」
そう、少年は言って頭を下げた。
「最初に言ったろ? 僕はアシェラルの族長なんだって」
僕を探している人がいるから、さ、と彼は言う。
「傷が治ったのなら、帰らなくちゃ。みんなみんな、心配してる」
そうか、とラディフェイルは頷いた。
少年は族長だ。ただの、迫害された異種族だけってわけじゃない。彼には彼の帰る場所があり、それを邪魔することはできない。
出会いに不思議な運命を感じた二人。それでも、別れる時は呆気ない。
「今までお世話になりました」
笑って、
少年が天幕を出ようとした刹那、
爆音。
「エクセリオッ!」
叫び、ラディフェイルは咄嗟に少年を抱き抱えて爆風から守る。人々の悲鳴、焦げ臭いにおい。
ラディフェイルは自分の背中がべたつく液体で濡れているのを感じたが軽傷と判断、抱きかかえた少年を見る。
「無事か? 待ってろ、今何があったか確認しに行く」
「大丈夫。ん、僕も行くよ。僕の力、きっときっと役に立てる」
走りだしたラディフェイルを少年は追いかける。
ラディフェイルはヴィアン・カーディスがいるはずの天幕へ向かった。しかしそこはもぬけの殻で、襲撃の跡だけがあった。
ラディフェイルは舌打ちをする。
「襲撃か? アルドフェックの手の者か? くそっ!
ヴィアン、ヴィアン! 鋼の宰相! いるのならば返事を寄越せ、今すぐにだッ!」
鬼気迫る形相で叫んだラディフェイル。そこには王者の風格があった。
「ここに、陛下」
答える声。天幕の横の布が大きく開き、そこから初老の男性が現れた。
流石は鋼の宰相、何かあったときに備えて隠れ場所を用意していたらしい。
ラディフェイルは問う。
「ヴィアン、一体何があった?」
「襲撃ですね。アルドフェックの者かと。内通者がいた様子です」
「……内通者とは、エルドキアも落ちぶれたものだなッ!」
忌々しげに、舌打ちを一つ。
そうしている間に、ヴィアンの天幕の周辺にラディフェイルの部下たちが集まってくる。中には負傷した者もいるが、死者はいないようだ。
ほっと息をついたのも、束の間。
「良くない知らせがあるぜ」
ハインがぼそりと呟いた。
「エルレシアが、見当たらない」
今回の襲撃はエルレシアが目標だったのかもしれんな、と。
それの示すことは——。
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.30 )
- 日時: 2019/05/17 08:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
翌日、書状が送られてきた。書状の末尾には「帝政アルドフェック辺境領主 フレイグ・アヌミス」と書かれている。その人物が書状の送り主なのだろう。書状の裏には地図まであった。
書状にはこう書いてある。。
『エルレシア・エルドキアスは預かった。返して欲しかったのならば王自らが我らを訪ねていただきたく。尚、王以外の者が現れた場合、もしくは王に随伴者がいた場合、エルレシア・エルドキアスの安全は保証しない』
要は。
「……陛下の命でもってエルレシア様を救えと? そこに行ったら十中八九、陛下の命はないでしょうに」
難しい顔でヴィアンは言う。
しかしラディフェイルにはエルレシアを奪われてはならない理由があった。
闇神の奇跡で仮の命を得たラディフェイルは、“この戦争が終わったら”死んでしまうさだめ。彼は王になれるのかも知れないが、世界が平和になった暁には、彼は死んでしまう。彼はあくまでも一時的な王にしかなれないのだ。
エルドキア王族の生き残りを考える。ラディフェイルの最愛の兄セーヴェスは民衆に殺され、次兄クレヴィスも失踪して行方不明。父親エヴェルは何者か(恐らくセーヴェス)に殺されて、ラディフェイルは早死にする。
そうなると残されるのはエルレシアだけだ。エルレシアだけしか、残った王族はいないのだ。
自ら位を捨てて自己保身に入ったクレヴィスなど、戻ってきても誰も王として認めてはくれまい。
エルレシアしかいないのだ、彼女しかいないのだ。この国を最後まで率いることのできる人物は。
そのエルレシアが、奪われた。それは大問題である。
難しい顔をするラディフェイルに、
「……いいアイデアがあるんだけれど」
掛けられた声が、ひとつ。
金色の少年が笑っていた。自分の周囲に幻影を纏わりつかせながら。
ラディフェイルは首をかしげる。
「お前、帰るんじゃなかったのか」
ううんと少年は首を振った。
「こんな事件の真っ最中に帰るのなんて後味が悪いよ。命を助けてくれた人なんだ、お礼くらいはしないとね」
「……ありがたい。で、そのアイデアとは?」
少年は笑う。無邪気に、嬉しそうな顔で。
彼は言うのだ。
「あのさぁ、その話だけど、偽者を向かわせても、偽者ってばれなければ何の問題もないんだよねぇ?」
「……ああ、そうだが。しかしそう簡単に偽者など」
「できる」
言って、エクセリオはその手をさっと横に振った。
次の瞬間、
現れた幻影。
最初は実体がなかったそれは、見る見るうちに実体を帯びて。
気が付いたらそこには、二人のラディフェイルが立っていた。
そう、まさにラディフェイルが二人いるとしか思えない。どれか幻影か最初から知っていなければまるで見わけがつかないレベルで、その幻影は正確にラディフェイルの姿を映し取っていた。
ラディフェイルは驚きの声を上げる。
「お前は……幻影魔導士だったのか!」
「自称『幻想使』ってね」
得意げな顔でエクセリオは笑う。
「僕は『実体のある幻影』使い。この幻影は触れても消えないし、しっかりと触った感触があるんだよ。すごいでしょ?」
これなら騙せるかな、と彼は首をかしげる。
「もちろん、喋らせることもできるよ。もっとも、僕はまだ出会ったばかりであなたのことをよく知らない。指示がないと騙し切れるのか謎だけれど」
ラディフェイルは驚きの目でエクセリオを見た。
ヴィアンもまた、その目に驚きを浮かべていた。
エクセリオは笑った。
「アシェラルの族長は、一族の中で最も魔法の才に優れた者しかなれない。僕がたった14歳で族長やってるのも伊達じゃないんだよ?」
けれど。
その笑みには喜びばかりではなく、どこか後悔のような暗い感情も垣間見えた。
ラディフェイルは知らない。エクセリオの今のその座が、「救世主」と呼ばれた少年を蹴落として得られたものであることを。
「族長」と名乗るたび、少年の中に迸る胸を抉られるような激しい痛みを、ラディフェイルは知らない。
深く訊ねはしない。過去に何があったにせよ、それはエクセリオの問題だから。
代わりにラディフェイルは頷いた。
「その能力は大変便利だな。それの使用を前提として、エルレシア奪還作戦を練ろう」
辺境領主フレイグ・アヌミスの実力は未知数だ。
今後のためを思うのならば、可能な限り本人が出向かない方がいいだろう。
そのための囮だ、そのための幻影だ。
ラディフェイルの頭が高速で回り始める。
このままでは終わらない、終わらせない。
「エクセリオ、感謝するッ!」
仲間に無事を知らせるのが最優先のはずなのに、時間を割いて協力してくれた若き族長。
その思いを無駄にしないためにも、ラディフェイルは動き始める。
◇