複雑・ファジー小説
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.13 )
- 日時: 2018/08/30 08:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
〈青空に咲く、黒と金 本編〉——黒銀の聖王&錯綜の幻花
国を救いたい、国を守りたい。若き王の胸に宿るは、熱き思い。
彼は愛する祖国を、武力で侵略されてしまったから。
そんな彼の異名を、黒銀の聖王といった。
長く生きられなくても、だからこそ、精一杯生きたい。若き族長の胸に宿るは、ささやかな願い。
彼は二十歳まで生きられないという、宿命を背負っていたから。
そんな彼の異名を、錯綜の幻花といった。
絡み合う運命は、王と族長を出会わせる。そして二人で挑んだ数多くの難題。育んだ絆はいつしか、互いをかけがえのない存在へ、相棒へ、半身へと、変化させていく。
出会いの果てには、必ず死が待っていると、知っていても——。
これは、島国、神聖エルドキアに伝わる英雄譚。黒銀の聖王と錯綜の幻花の歩んだ、歴史に連なる足跡の物語。
「俺は、王だから。この国を、絶対に守りぬく」
「僕は幻の花。美しく咲いて、美しく散るのさ」
青空に咲く、黒と金。青空に咲いた、聖王と幻花。
描かれる美しき物語を、ご覧あれ。
◇
〈第一章 崩れ落ちていく〉——ラディフェイル・エルドキアス
帝国暦三九八六年、四月。
「我ら帝政アルドフェックは、神聖エルドキアへの侵略戦を、開始する!」
一方的に発された宣戦布告、そして始まった侵略戦。
この世界「アンダルシア」には北大陸と南大陸の主に二つに分かれ、帝政アルドフェックは北大陸の中央に位置する。対して神聖エルドキアは、北大陸から少し南東に行ったところにある島国である。海を隔てている分侵略も容易ではないはずだが、アルドフェックは周辺の国々を侵略によって支配して十分に力をつけたため、エルドキアに攻め入ることが出来たのだ。
当時の神聖エルドキア王、エヴェル・エルドキアスはこの侵略に対し、断固として抵抗することを宣言した。神聖エルドキアは誇り高き国、神の国。ゆえに、簡単に落ちることなど許されない。彼らには選民思想があった。
エヴェルはこの防衛戦にあたって、新たな法を発布した。曰く、
「誇り高き我らが民よ、侵略に屈するな、全力で抗え! 命捨ててもこの国を守れ!」
というものだった。そして国民はその法に従って必死で戦った。もともとエルドキアは神の国と自称するだけあって精鋭ぞろいの国、アルドフェックの有象無象に負けるわけも無かった。アルドフェックは数が多いだけで中身のない国、エルドキア国民は侵略者をそう侮っていた。
しかし実態は、違ったのだ。
「……オレを、舐めるな」
突如現れた南大陸から来た傭兵、「隻眼の覇王樹」デュアラン・ディクストリを始め、アルドフェックの武将はもちろん、兵士までもが一筋縄ではいかない相手だったのだ。こうなると後は人海戦術、同じくらいの戦力同士ならば数が多い方が圧倒的に有利。攻めるよりも守る方が有利といえど、エルドキアの優位は完全に消え去った。
それでも、王は法を撤回しなかった。
撤回できなかったのだ。誇り高き民の頂点に立つ王が、その誇りを捨て去って降伏することなど。十五歳になったばかりのラディフェイルにだって、それはわかってはいたけれど——。
「兄上」
漆黒の髪、闇を宿した紫紺の瞳、漆黒のマントに漆黒のブーツ。マントには銀の鷲の刺繍が入っており、それが彼を夜空のように見せる。
全身黒づくめのラディフェイルは不安そうな顔で、一番上の兄、セーヴェスに問い掛けた。
「国は、これからどうなるんだろう?」
わからない、と、優しげな緑の瞳を曇らせてセーヴェスは答える。その胸元で、エメラルドのペンダントが揺れた。まるで彼の瞳みたいな、優しく穏やかな光をたたえたエメラルド。
「民を思うならば降伏した方が良いだろう。このままいけば、僕らきっと全滅する」
でもね、と彼は言う。
「それは本当に民を思うことに繋がるんだろうかって、僕は思うんだ。それで民の命は救えても——国の象徴たる王が帝国に頭を下げるなんてことがあったら、民の心は破壊される。難しい問題だよ、ああ、難しい問題だ」
セーヴェスはその綺麗な顔を、難しげにゆがませていた。
ラディフェイルも不安だったが、今一番、不安を感じているのはこの兄だろうと彼には容易に想像がつく。セーヴェス・エルドキアス。彼はこの国エルドキアの第一王子で、次に王となる者だから。王位から離れた、第三王子のラディフェイルとは違うのだ。
それでもラディフェイルは不安だった。彼はこの国を深く深く愛していたから。
そんな弟の頭を、セーヴェスは優しく撫でる。
「大丈夫だよ、大丈夫だ、ラディ。もしも何かあったとしても、この僕が何とかするから。最悪、降伏することになって民から愚王と罵られたって、その責はすべて僕が受けるから。生贄がいれば万事解決なんだよ。そして僕はその、生贄にふさわしい」
嫌だ、とラディフェイルは兄の身体を抱き締めた。
「俺は、嫌だ。兄上が、誰よりも優しい兄上が、国のために犠牲になるなんて!」
しかしセーヴェスは、仕方のないことなんだよ、と言って、ラディフェイルの身体を引き離した。
「僕は誇りを保つことよりも、降伏をして少しでも多くの命を救うことに尽力するね。そうしたらきっと恨まれるだろう。でも、それで、いい。それが王としての僕との在り方、王としての僕の最良の選択なんだから」
その緑の瞳には、凛とした揺らがぬ意志。ラディフェイルのちゃちな言葉では、否、他の誰のどんな言葉でも、そよとも揺らがぬ確固たる意志。
外見は優男でも。
宿した意志は、強烈だった。
セーヴェスは、言うのだ。
「それが、僕の生き方だから」
だからごめんよ、と、彼は泣きそうな顔で、ラディフェイルに言った。
戦況は思わしくない。すでに国民の三分の一は戦場で命を散らしたという。国が崩壊するのも時間の問題だ。それでもエヴェルは法を撤回しない。
セーヴェスは、囁いた。
「僕は、国のためならば悪魔になるよ」
その次の日、兄弟の父、エヴェルは死んだ。
毒殺だったらしい。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.14 )
- 日時: 2019/04/17 23:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「俺は、疑いたくないけれど——」
「駄目、兄さま。その先は言わないで」
エヴェルが死んで、セーヴェスが臨時で即位して王になった。そしてセーヴェスはエヴェルの法を撤回、降伏する方面に持ち込もうと、アルドフェックに交渉し始めた。するとそれに怒った国民が暴動をおこし、国は荒れに荒れた。
そんな中で、ラディフェイルと五歳下の妹エルレシア、そして第二王子、十八歳のクレヴィスは王宮のある部屋で話し合っていた。
ラディフェイルは、父を毒殺したのはセーヴェスであろうと推測していた。その推測を裏付けるようにクレヴィスが発言する。
「悪いがエルレシア、父上を殺したのは十中八九、兄上だぞ。兄上以外、父上を殺す理由のある者がいるのか? それこそアルドフェックの刺客でも来たならば別だが、アルドフェックは今のところ、王宮にまで侵入したことは、ない」
ラディフェイルは思い出す。前日の、セーヴェスの言葉を。『僕は、国のためならば悪魔になるよ』。その言葉と、決意のこもった揺るがぬ瞳。そして言った、『ごめんよ』。
いやいやをして否定しようとする十歳のエルレシア。でも現実は、そう甘くはない。セーヴェスがエヴェルを殺した、おそらくこれは真実だ。
国を良くしようとして、
悪魔になった第一王子。
そして悪魔はいつか殺される。衆目の前、晒されて。
別の道はなかったのだろうかとラディフェイルは思ったが、既に賽は投げられた、今更死者が蘇るわけでもないし、あとは成り行きを見守るしかないのだろう。
そしてクレヴィスはセーヴェルみたいに優しくはなかったから、ラディフェイルを慰めることはしなかった。エルレシアに対してもそれは同じだった。
ただクレヴィスは、現実を突きつける。
「戦いが、始まるぞ」
内憂外患、外からはアルドフェック、内からは怒り狂った国民。二つの脅威が王宮に迫る。
「覚悟を決めろ。悪いが僕は自分のことに精一杯なんだ、弟妹を守る余裕なんてない。全て終わって皆が無事であったのならば、その時再会を祝おうじゃないか」
言って、踵を返して立ち去ろうとするクレヴィス。その背にラディフェイルは声を投げた。
「何処へ、行くんだ?」
決まっているだろう、と、淡々とクレヴィスは答えた。
「逃げるんだよ、この王宮から。王位は棄てる。暗礁に乗り上げた船にいつまでも乗っていたら、こっちが溺れるだけ。僕は溺れたくないからな。……降伏は、アルドフェックに受け入れられるだろう。でもその代わり、僕ら王族は誇りを踏みにじった者として、国民から絶対に許されない。生き延びたければ今すぐ逃げろ。忠告できるのはそれだけだ。僕は自己保身に入る。臆病なんて言うな、人間は結局のところ皆、自分本位な存在なんだから。……ついてきたいなら、いますぐ動け。僕なら安全な場所を教えてやれる」
それだけ言って、クレヴィスはいなくなった。
おそらくもう二度と戻ってくる気はないのだろうとラディフェイルは思った。
そしてラディフェイルもエルレシアも、動けなかった。
最後、二人の視界から消える前、クレヴィスは後ろを振り返った。そして誰もついてこないのを見ると、諦めた顔をして今度こそ本当にいなくなった。
欠けていく。一人、二人。最初に父、次に兄。ラディフェイルの周囲から、次々に家族が欠けていく。
まだ十五歳に過ぎないラディフェイルと十歳に過ぎないエルレシアは、そんな様をただ呆然と見送るしかできなくて。
「……俺は、無力だ」
悔し涙を流しながらも、ラディフェイルは拳で王宮の柱を殴った。
エルレシアは呆けた顔をして、突っ立ったままその様を眺めていた。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.15 )
- 日時: 2019/04/18 23:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
降伏は、受け入れられた。アルドフェックはもうこれ以上、エルドキアを攻めないと約束した。外患は取り除かれた。
すると気になってくるのは内憂の方だ。誇りを捨てた王を、国民は愚王、軟弱な王となじり、あちこちで暴動が起こった。
そしてついに、その日は来た。
「逃げなさい、ラディ、エリシア」
すっかりやつれた顔のセーヴェスが、そんなことを言った。
怒り狂った国民が、その日、王宮に攻め寄せた。
「僕がすべての責任を取る、僕が生贄になるから。お前たちまで巻き込まれる必要はないんだよ。だからさっさとお逃げ」
欠けていく家族たち。
セーヴェスの瞳に宿る意志は、揺らがない。
でも、何を言っても無駄だと知っても、ラディフェイルは言いたかった、伝えたかった。大好きな、この兄に。
「……兄上」
ラディフェイルの隣では、幼いエルレシアがすがりつくような眼をしてセーヴェスを見ていた。
「どうしても、一緒に逃げることはできないのですか」
当然だよ、と彼は言う。
「それが、王だから。それが、王としての在り方だから。でもね、僕は」
セーヴェスの毅い瞳から、不意に雫がこぼれ落ちた。彼は両腕でラディフェイルとエルレシアを息が詰まりそうなほど強く抱き締めると、言った。
「この長くはない生、確かに幸せだったって思ってる。君たちというかけがえのない家族と過ごせた日々、忘れないさ。クレヴィスは逃げたけれど、あれは妥当な判断だしね。僕は、僕は——」
零れ落ちた雫が、ラディフェイルとエルレシアの頭を濡らす。
「……確かに、幸せだった、よ!」
言って、彼は二人から腕を離して、先ほどとは打って変わった鋭い口調で命じた。
「さあ逃げなさい、ラディ、エリシア。運があればまた会えるだろう! 僕のことはいいから、さあ早く!」
セーヴェスは言うと、ラディフェイルの手に何かを押しつけた。それは彼がいつも身につけていた、エメラルドのペンダント。まるで自分の遺品を渡すような、行動。
セーヴェスは叫ぶように命じた。
「逃げなさい!」
誰が、誰が、その命令に逆らえるだろう。
命じたその緑の瞳からは、涙とともに血も流れているように、ラディフェイルは感じた。
そして二人は、落ち伸びる。
残ったセーヴェスは十中八九、死ぬことになるだろうとわかっていても。
ラディフェイルは、願わずにはいられなかった。
(神様、神様、運命神フォルトゥーン! 我らに再会を、兄上に幸運を!)
叶わぬ願いだと知っていても、願わずにはいられないことがある。
こうしてきょうだいは、家族は、引き裂かれたのだった。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.16 )
- 日時: 2019/04/20 19:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
一目散に逃げる、とにかく逃げる。
自分を守ってくれた王宮から。自分の愛する兄を置いて。
二人は逃げなければならなかった。この国を、神聖エルドキアを、守るために。
暴徒化した国民たちが、いつか誰を殺してしまったのか気付き、新たな指導者を求めるその日まで。
セーヴェスは死ぬ、そしてクレヴィスは王位を棄てた。ならば残る王族は、十五歳のラディフェイルと十歳のエルレシアのみ。第三王子には王位なんて渡らなかったはずなのに、運命の必然か、この瞬間、ラディフェイルの双肩に、国の未来は託された。
崩れ落ちていく。平和が、幸せだった毎日が。
ラディフェイルの頭に浮かぶは、走馬灯。戦争が始まる前の、楽しかった日々。もう戻らない、遠い日の幻。
「……俺は、王だ」
ラディフェイルは呟いてみた。その言葉、その重み。まさか幼いエルレシアが王になるということなんてあるわけがないから。
セーヴェスが背負い、その役目のために命を散らさねばならなくなった、あまりにも重い役目。
「俺は、王だ!」
走りながらも、ラディフェイルは決意を新たにする。
そして目的地もわからぬ逃亡劇の途中、ラディフェイルは、
「ぐっ……!?」
刺された。
◇
戦争は、終わったはずなのに。
「兄さま!?」
エルレシアの悲鳴。ラディフェイルの身体が崩れ落ちていく。
突如彼の中を突き抜けた鈍い痛みは、腹を突き抜けて熱さとなる。
一瞬、己の身体に感じた異物感と、それが引き抜かれることで生まれる脱力感。
ラディフェイルの、疲労と痛みに揺らぐ視界の端、血濡れた剣が見えた。
がくりと彼が膝をつけば、腹が真紅に染まっていた。
「終わりだ、神聖エルドキア第三王子、ラディフェイル・エルドキアス」
そんな声が遠く聞こえ、踵を返して去っていく気配がした。ばれて、いた。ばれて、いたのだ。
ラディフェイルの全身から力が抜け、彼は辺りに血を撒き散らしながらも倒れ、動かなくなった。
「兄さま! 嘘、嘘よ、兄さまぁ!」
エルレシアが彼にしがみついて泣きだすが、ラディフェイルは身体を動かすことが難しくなっていた。
受けたのは、致命傷。
痛みの中で、激痛の中で、抜けていく力、脱力感の中で、
神聖エルドキア第三王子、ラディフェイル・エルドキアスは、
——生きたいと、思った。
せめて、戦いが終わるまで。
引き下がる訳にはいかなかった。
このまま死ぬ訳にはいかなかった。
どうしてすぐに王子とわかったのだろう。しかしそれは些細な問題だ。
尽きぬ疑問の果てにあったのは、死の恐怖。
全くわからない世界へ行くことへの本能的な恐怖と、まだ何も終わっていないのに自分だけが先に逝く恐怖。
だから。
ラディフェイルは、動かぬ身体を無理して動かす。地に指を立て、意地でも立ち上がろうとする。
何も成さぬままであの世へ逝くことを、彼は決して許せなかったから。
ぽつりぽつりと雨が降る。それをぼんやりと眺めながらも、彼は明確に意識する。
——生きたいと、思った。
せめて、戦いが終わるまで。
たとえ泥沼の中、這いつくばってでも。
王子としての誇りなんて、とうに捨て去っても。
引き下がる訳にはいかなかった。このまま死ぬ訳にはいかなかった。
たとえこの国が終わるとしても、せめて、この目で、その黄昏を、しかと見届けたかった。
兄の遺したこの国、背負うと決めた重荷。ラディフェイルには、生きなければならない理由があった。
ラディフェイルは、
——生きたいと、思った。
この戦場にいる誰よりもずっと。しかし、
ラディフェイルの全身から力が抜ける。その紫紺の瞳から、輝きが失われる。
エルレシアの悲鳴が、世界をつんざいて響き渡った。
それでもそれでもラディフェイルの心は、死しても尚、生を求めていた。
——生きたい。
生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい——。
狂いそうなほどに強い生への叫びを、魂の叫びを、上げたのに。
悲しいかな、その肉体は、既に死んでいた。
◇
暗闇の中、「彼」は、微睡みから目を覚ます。
——呼ぶ声が、したから。
戦いが終わるまで、生きたいと。生きたいと、生きたいと、生きたいと、何よりも強く。
けれどもその声はすぐに途絶え、「彼」の目には一つの遺体が映っていた。
しかしその願いは、気まぐれなる闇の神を、動かすに至った。
小さな島国は荒れ狂う暴動の中。
飛び交う悲鳴、そして怒号は、いつの時代にもあったもの。
だからいつもの「彼」ならば、そんな小さな願いなど有り触れたものだと言って気にも掛けなかっただろうに。
声が、聞こえたから。
——生キタイ。
魂を底から揺さぶるような、本能的な生への叫びが。
それが聞こえたとき「彼」は、一つくらいは奇跡を起こしてもいいような気がした。
雨の大地に、鴉が舞う。「彼」は赤眼の鴉に姿を変えると、一つの遺体の前に飛んでいった。
雨の大地に、「彼」の眷属たる鴉が舞う。
こんな日には、奇跡の一つくらい起こしてみたって、いいだろうと「彼」は思う。
何があっても生きることを決して諦めようとしない人ほど、美しいものはない。
「彼」は、思うのだ。
ならば、せめて——散りたい時に散れるように、してやりたい、と。
——声が、した。
生きたいか、とそれは問うた。
だからラディフェイルは迷いなく、「生きたい」とそれに答えた。
せめて、戦いが終わるまで。この戦争が、終わるまで。この国が、平和になるまで。
ラディフェイルは、
引き下がる訳にはいかなかった。このまま死ぬ訳にはいかなかった。
だから。
『面白い。ならばその願い、叶えてやろう!』
雨の大地に、奇跡が起きる。
漆黒の鴉が、赤眼の鴉が、ラディフェイルの遺体にすがって慟哭するエルレシアの前、舞い降りる。
そして、
姿を、変えた。
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.17 )
- 日時: 2019/04/22 20:16
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
この時、エルレシアは一瞬だけれど確かに見た。言葉では、表現できない。ただそれは大きく黒く、そして圧倒的に深い闇をその身の内に秘めていた。まるで闇の神様のような、見る人を呑み込みそうなほどに濃い闇を。「彼」は、その一瞬の後には漆黒の男の姿になった。しかしその姿は男だったが、輪郭がはっきりしない、全身影みたいな姿だった。エルレシアはまだ彼の正体を知らなかったが、その姿には見る人を畏怖させる力があった。だからエルレシアは知らず、死んだ兄にすがることも忘れてその姿に見入り続けた。
「彼」は、口を開く。
「……願いを、受けた。契約は、成った」
「彼」は死せるラディフェイルの額に手を触れた。
雨の大地に、奇跡が起きる。
死んだはずなのに、致命傷を受けて、命を落としたはずなのに。
その瞼がふるふると震え、紫紺の瞳に光が宿った。エルレシアが歓喜の叫びをあげて、うれし涙を流しながらも兄の身体にしがみつく。ラディフェイルはその様をぼんやりと眺めていた。その瞳が優しげに細められる。
それは紛れもない奇跡。雨の日に起こった、紛れもない本物の奇跡。
蘇ったラディフェイルの唇が震え、言葉を紡ぐ。
「……俺は、生きられたのか」
ラディフェイルはゆっくりと身を起こす。その身体から、あの致命傷は消えていた。
ラディフェイルはわんわん泣くエルレシアを不器用に撫でてやりながらも、目の前に立つ異質、謎の「彼」に誰何した。
「そんな奇跡を起こした、あんたは……誰だ?」
「この世界アンダルシアが闇神、ヴァイルハイネン」
にべもなく来た返答は、ラディフェイルの予想を大きく上回るもの。
闇神ヴァイルハイネンを名乗った男は、固まるラディフェイルに言うのだ。
「我は被創造物たる人間を愛する奇妙な神、神々の中でも異質なる存在。我は人間を愛し、人間の生に共に寄り添うことを望む者。……声が、聞こえたのだ。『生きたい』という、声が。だから我は気まぐれに、助けてみようと思ったのだ。信じられないか? ならば死んだはずの貴殿がなぜ今生きていられるのか、それを考えよ」
エルドキアの王族も学ぶ、神々の物語。神々の実在する世界で、この世界「アンダルシア」で、本当にあった物語。遥か昔、時という概念すらなかった時代、世界創造とともに生まれた七の闇神、闇の七柱神。そのうち五神は世界の安寧を保つために闇に埋もれたが、ヴァイルハイネン、ゼクシオールの双神だけは、天に残った。
闇神ヴァイルハイネン。今、ラディフェイルの前に立つ存在は、最古の神々の一人だった。そしてこの神は人間を愛し、時に人間のためにその悠久とも言える時間のほんの一瞬を費やし、その人間の一生に寄り添うという、話。遥か昔、「蒼空の覇者」フィレグニオが、彼に願って翼を得、翼持つ民「アシェラル」の創始者となったように。闇神の奇跡は見渡せば、世界各地に散らばっている。
その奇跡が、ラディフェイルの元に舞い降りた。闇神の気まぐれが、ラディフェイルの方を向いた。
彼の眷属たる、赤眼の鴉とともに。
死者復活なんて、普通の人間ができるわけがないのだ。
ラディフェイルは驚きに目を見開いた。
そんな彼に、ただし、と闇神は言う。
「『この戦乱が終わるまで』貴殿はそう願った。この国に平和が訪れるまで、と。ゆえに貴殿はその願いの通り、戦乱が終わって平和が訪れたら死ぬさだめ。そもそもが、死者を強引に生き返らせたのだ、貴殿は今や生ける死体、我ができるのもそこまでだし、貴殿も平和になったその先を見ることまで、願う余裕はなかった」
ラディフェイルは生き返るけれど。
全てが終わって決着が付いたら、今度こそ本当に死ななければならない。
それでも、本来ならば今ここで死ぬはずだった命なのだ、だからこれはチャンスだ、気まぐれなる闇の神のくれた、唯一無二のチャンスなのだ。
ラディフェイルは、頷いた。頷いて、頷いて、深く深く平伏した。
彼の目の前に立つは紛れもない神、奇跡を起こせる存在だった。
そんなラディフェイルを見て、闇神はふっと笑う。
「契約は、成った」
次の瞬間、影そのもののようだった彼の姿が、変化する。
くっきりとした輪郭は稲妻のような鋭さを秘め、その瞳は血の色の赤、その髪はぬばたまの黒、鴉の濡れ羽色。漆黒の、あちこちに穴が空いたボロボロのマントを身につけ、その下のベストもシャツも漆黒で、ズボンも鋲を打ったブーツも漆黒、極めつけは漆黒の手袋に胸から下げた黒曜石のペンダント、腰に差された漆黒の金属の剣。闇から生まれたような姿、しかし先程までの人外の姿ではなく、確かに人間らしい姿で、闇神ヴァイルハイネンは改めてこの場に顕現した。その姿からはもう威圧感や畏怖感を感じられなかった。
「オレは、闇の剣士ハイン」
改めて彼はそう名乗る。
先程までの勿体ぶった口調を捨てて。
その顔に、不敵で挑戦的な笑みが浮かんだ。
「少年、あんたの命はこのオレが預かったが、オレはあんたと共に過ごしてみたいんだ。人間という存在の、その生き方に、生き様に興味がある。だからオレのことはハインという仲間として扱ってくれないか」
闇神ヴァイルハイネン、もとい闇の剣士ハインは、こうしてラディフェイルらの旅についていくことになった。
まだ状況を呑み込み切れていないラディフェイルらに、彼は笑いかける。
「ま、おいおい慣れてくれればいいさ。とりあえず、今のオレは神様なんかじゃないぜ。ただの、強い闇の力持つ剣士だよってことでよろしく頼む。人間の姿、人間の口調……慣れるのにそれなりに時間は掛かったが、これなら不自然じゃないだろう」
とある雨の日、一人の少年に奇跡が起きる。
そして少年はその奇跡を受け入れた瞬間、その運命を強制的に定められることになった。
ラディフェイル・エルドキアスは戦わなければならない。この国のため、神聖エルドキアの平和のために。
待っていても平和は訪れない、待っていても何も始まらない。だから。
ラディフェイルは立ち上がる。ゆっくり、ゆっくりと。誰の手も借りずに、一度は死んだ身体を動かして、自分の足で、自分だけの力で。
「……俺は、王だ」
それは、宣言。
「——俺は! 王だ!」
役目から、重荷から、
逃げない誓い。
こうして神聖エルドキアに、新たなる王が、誕生した。
◇
- Re: 【本編始動】SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.18 )
- 日時: 2019/04/24 00:26
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
降伏したことにより、戦乱は収まる。その代わりに暴動は起こる。
侵略戦に負けた国はアルドフェックの者たちに支配され、近いうちに体制が出来上がるだろう。
戦乱は、終わった。しかしラディフェイルはまだ、これを戦乱の終わりとして見てはいなかった。
セーヴェスの首が、大好きな兄の首が、民たちによって、彼が守ろうとした民たちによって晒されたのを見たとき、ラディフェイルは思ったのだ。
——まだ戦乱は終わっていない。
ヴァイルハイネンもそれをわかっていたようで。
「オレとの契約期間は、あんたが国を取り戻すまでだ」
と言ってくれた。
国は落ち、民は乱れる。こんな情勢の中で「俺は王だ」と名乗り出るのはあまりに愚策。
だから、ラディフェイルらは潜むことにした。
いつか民が支配体制に不満を抱き、自分たちの手で殺したセーヴェスを惜しむようになる日が来るまで。
願いは叶わなかった。戦乱に引き裂かれた兄弟が再会する日はついぞ来なかった。運命はそう、個人に都合よくはできていない。セーヴェスの死は必然の死だった。あの日、彼はもう二度と会えないことをわかっていて、それでも次の世代を担う者を生き残らせるために自ら犠牲になったのだ。
セーヴェスの首が晒されたのを見たとき、エルレシアは思い切り涙を流したが、ラディフェイルは泣かなかった。
彼は、思ったのだ。いつの日かこの国にようやく平和が訪れたとき、自分が死ぬ前に一度だけ、兄を思って涙を流そうと。それまで涙は取っておくと。
ラディフェイルはエメラルドのペンダントを握りしめる。セーヴェスと別れる前に彼がくれた、彼の遺品。まるで彼の瞳のような、美しい緑をしたエメラルド。
いつかいつしかいつの日か。この国に平和が訪れたとき、作られるであろうセーヴェスの墓に。このエメラルドを埋めようとラディフェイルは思った。
でも、まだ、その時ではないから。
「潜もう、時が来るまで」
こうして王は、民に紛れる。
◇