複雑・ファジー小説

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.2 )
日時: 2018/08/18 07:44
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈前日譚  偽りの救世主メサイア〉——メルジア・アリファヌス

 アシェラルの民。それは背に翼持つ一族。
 二万年の昔、一人の少年が神に空を願って、その願いが聞き届けられて翼を得たのが一族の起源とされている。
 彼らは謎めいていて、一般の人間の前にはほとんどその姿を現さない。
 しかし人は彼らを見つけると、その背の翼欲しさに迫害するという。ゆえに彼らは人間と関わらない。
 彼らの住まう村もずっと、秘匿され続けてきた。

 「錯綜の幻花」と呼ばれる英雄がいた。彼は「実体のある幻影」を生まれながらにして操る力を持っていた。彼はアシェラルの民であり英雄だった。しかし、彼の過去にはどうしても消せない傷があった。
 彼は今でもその時のことを鮮明に思い出せるのだ。深い深い悔恨の念と共に。彼は図らずも、一人の人間をこれ以上ないほどに破滅させた。下らぬ無知と偽善によって——。

 「救世主」と崇め奉られた少年がいた。彼は生まれながらにして、凄まじいほどの炎の力を持っていた。彼はアシェラルの民であり救世主だった。しかし、彼の人生はあまり楽しいものではなかった。
 なぜなら、彼の幸せは「悪気の無い悪意」によって壊されたからだ。

 持ち上げられて突き落とされた一人の少年。彼は「錯綜の幻花」の身近にいたアシェラルだった。
 これから語られるは「錯綜の幻花」エクセリオと、「偽りの救世主」メルジア・アリファヌスの物語。
 墜ちていく星と昇っていく星。まるで対照的だった二人の少年の物語を、
——ご覧あれ。

  ▼

〈序章 「救世主」の使命〉

 オレはメサイア、十四歳だ。名の意味は救世主。本当の名はメルジア・アリファヌスというんだが、誰もがオレをメサイアと呼ぶ。誰が「メルジア」を覚えてくれているのだか。まぁそれはオレの定めなのかも知れないな。オレがどうこうできる問題ではないんだ。
 オレはアシェラルの民の族長候補だ。アシェラルの民は聞いたところによると、オレのいるこの小さな村アスペからしか族長は選ばれないそうだ。そして代々族長候補は一人だけしか選出されないことになっている。よってオレが次の族長になるのはほぼ確定したようなものなんだ。オレは将来を約束されていた。オレの先に、暗い影なんて一切無かった。
 アシェラルの民では代々優れた魔法の才を持つ者が族長になる。そしてオレは非常に優れた炎の魔法を持っていた。だから族長になれたのさ。オレの力は圧倒的で、村ではオレに敵う者なんて誰一人いなかった。そんなオレのあだ名は「救世主」。その由来にはオレの力の強さとあと一つ、オレがアシェラルの創始者の生まれたとされる日に生まれたことも関係している。誰もがオレを「救世主」と呼び、誰もがオレに「救世主」になることを望んだ。だからオレはひたすらに「救世主」であろうと頑張った。ゆえに通称は「救世主メサイア」だ。
 今日だって。
「メサイア様—!」
 道行けばかかる声。何事かとオレは振り向いた。
 オレの視線の先にいたのは一人の娘。彼女は困ったような顔をしてオレに近づいた。
「昨日、雨降ってましたよね? それでですね、私誤って薪を家の外に置いてしまって、それで薪に火がつかなくて困っているんですよ。だから」
「解った」
 オレは頷き、彼女に「どこだ?」と問うた。彼女は慌ててオレを件の家に案内する。
 そうさ、オレは「救世主」。全てのアシェラルを救わなければならない存在ゆえに、どんなに小さなことでも頼まれれば必ずしなければならない。ああ、やってやるさ、この力の続く限り。オレはその生き方しか知らない。どんなに他の存在になりたいと願っていても、「救世主」という立場から逃れるすべをオレは持たない。だからオレは変わることを願ってはいけない。変化を望むは罪なのだ。オレは「救世主」としての以外の生き方を知らないんだから。それ以外は教わらなかったんだから。
 だからオレは今日も淡々と「仕事」をこなす。午後には族長さまからの講義を受ける。
 実際「救世主」なんてそんなものさ。全然大した存在なんかじゃない。
 それにオレの炎の力は少しばかり——破壊に向きすぎている。現実世界じゃあまり役に立たないんだ。それこそ戦争でも起きない限りは、な。

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.3 )
日時: 2018/08/19 11:02
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


 少女について行って薪を燃やす。多少湿っていてもオレの炎ならば関係ない。大して苦労はせずに仕事をこなし、そろそろ時間かなと思って族長さまの家へと向かう。
 その途中で、嘆きを聞いた。
「————ッ!」
 言葉にならない声だけの叫び。身も凍るような魂の叫び。
 何だ、一体何があった? オレは急いで、声のした方に走り出す。
 そこで見たのは。
「一体なんだってんだ! 何でこの里が人間にばれる!?」
「翼を奪え!」
 襲い来る人間たちと、狂乱するアシェラルの民。一人のアシェラルが地面に倒れ、背中から血を流している。そこに本来あったはずの翼は、根元から切り取られていた。
 オレは愕然とした。何故、何故だ? 何故、この閉ざされた里に外部の人間が?
 その答えは、人間の言葉から解った。
「ラッキーだな! 道に迷ってアシェラルに遭遇! 翼は高く売れるんだよなぁ!」
——成程。
 道に迷った愚かな人間たちが、偶然この場所を見つけて襲撃したというのか。
 ならばオレは「救世主」の名にかけて、これを撃退しなければならない。
 視線をめぐらせ、状況を確認する。やって来た人間は十人。随分多い。何かの一団だろうか?
 人員はほとんど男で構成されているが、中には女もいた。女は不安そうな顔で、男たちの後ろに隠れている。全員が全員、侵略者であるという訳ではなさそうだ。三人の男は女を後ろに庇ったまま、その場から動こうとしない。
つまり実質、敵は六人。
「救世主さま!」
「おお、我らが救世主さま、お助け下さい!」
 逃げてきたアシェラルがオレを見つけて必死に呼びかける。任せろとオレは頷いて、男たちの前に立ち塞がった。
 オレの目の前には翼を奪われたアシェラルがいる。オレはそっとそのアシェラルを抱きかかえると後ろに横たえて、これ以上の怪我を負わないようにした。抱えたアシェラルはまだ息があるが重傷だ。すぐに他のアシェラルがそいつを受け取り、巻き込まれないように後ろに下がった。
 そうだ、これはオレの戦いだ。「救世主」と侵略者の戦いだ。そしてこういった場合、「救世主」は絶対に勝たなければいけない。「救世主」は全てを救い、守る絶対的な存在なのだから。
 立ち塞がったオレを見て、男の一人が声を掛けた。
「何だ貴様は? 貴様一人で俺たちに立ち向かおうというのか?」
 その顔に浮かんだのはあからさまな侮蔑と、どういたぶってやろうかと思案する嗜虐心。どのようにここに来たにしろ碌な奴じゃないなと思い、オレは相手を嘲笑うように鼻を鳴らして答えた。
「『救世主』メサイア、この村を護る者。アシェラルの次期族長候補にして炎使い。あんたらみたいな屑を倒すのならば、オレ一人で十分だ」
 オレの挑発に、男は顔を真っ赤にした。単純な奴だ。
「ふざけるなよなぁ! 救世主ヅラしやがって! 馬鹿にしてんのか!!」
「最初から救世主だ、救世主ヅラなどしていない。ああ、勿論馬鹿にしているとも。気付かなかったのか? だとしたら本当に正真正銘の馬鹿だな」
 オレが言い終わるか言い終わらないかの間に。
 一閃。
 男がオレの目の前で剣を振った。しかしそれはオレに当たる寸前で空振りした。オレの赤い髪が切られて風に吹き散らされた。
 男の目には、狂気と怒気。
「馬鹿にするんじゃねぇ! 俺はこの腕の一振りでてめぇを殺せるんだ」
「ならばこっちは、この腕の一振りで貴様を火達磨ひだるまに出来る」
 言うが早いか。
 オレは地を蹴って奴と距離を取り、即座に魔法素マナを組んで式を作り、それを一気に崩壊させた。
——そうさ、魔法はこうやって放つ。
 途端、現れた炎は男を包み込み、男は一気に生ける焚き火と化した。
 この世界、「アンダルシア」には魔法素マナと呼ばれる目に見えぬエネルギー物質があり、オレたち魔導士はそれを感覚的に組み合わせて「式」を作り、組んだ「式」を一気に崩壊させて空間に歪みを作り、それを魔法とするんだ。
 魔法素マナにはそれぞれ「属性」があって、干渉できる事象が「属性」によって異なる。例えば、属性「火」は「火」に関する事象を起こすことができるが、「水」を操ることはできないというわけだ。
 魔導士は目に見えず、触れることも出来ない魔法素マナを生まれつき組み、そして「式」を破壊する力がある人たちのことなんだ。魔法素マナをどう感じるかは人それぞれだから、詠唱も何もアドリブだ。自分で自分の「式」をイメージできれば何を唱えたって構わない。魔法は理論じゃない、才能がものを言う。魔導士の世界即ち才能の世界だ。オレのこの「炎」も生まれつきの才能によるものだしな。
 オレは何も唱えなかった。ただ身に着いた感覚だけで魔法を使い、男に向けて放った。慣れれば詠唱なんざ要らないんだよ。
「うがぁぁぁ……熱ぃ、熱ぃよぉ。水、誰か水、を……!」
 苦しみ悶える男。だがな、オレは言ってやった。
「翼を奪われたアシェラルが、どれだけ苦しむのか分かっているのか?」
「助けて……助け……」
 そうさ、あんたが先程翼を奪ったアシェラルはきっと、その痛みに永遠に苦しむことになるだろう。翼はアシェラルにとっては手足と同じくらい大切な器官。それを易々と奪っておいて、助けてくれなんてよく言える。オレが気付くのに遅れたばっかりに、あいつは一生不自由なままだ!
「甘えるんじゃない。さっさと死ね」
 オレは一気に火勢を強くした。苦しませずに殺してやる。有り難く思え。
 傍から見ればこれはちっとも「救世主」じみてはいないだろう。いっそ悪魔の所業にすら見えるはずだ。だがな、仕方がないんだ。オレの持っているのは破壊の力。破壊の力で誰かを救い、何かを守るには悪魔のようになるしかないんだよ。それはとうの昔に割り切っていた。
 オレはアシェラルの「救世主」だ。他の目なんて気にする暇はない。
 そうやって生ける焚き火をじっと眺めていたら。
 あることを失念していた事に気が付いた。
「隙あり! よくも、よくもヴィンをやってくれたなぁ!」
「救世主さま!」
 怒声、悲鳴。
 反射的に身を翻したが、己の右腕に確かに感じた熱さ。それは燃えるようで、やがては狂いそうなほどの激痛に取って代わる。
「く……くあぁ……!」
 オレの右腕には、無残な傷があった。オレは思わず右腕を抱きかかえてうずくまる。
 失念していた。敵は一人ではなかった。
 オレが倒したのはまだ、六人中の一人だけだったのに。
 うずくまるオレ。それを好機と見て、残った五人が一気にオレに襲い掛かる。「救世主さま!」との悲鳴。しかし誰も助けに来ることはなく、いたずらに叫ぶだけ。
 ギラリと光る、五本の剣。対するオレは大きな怪我を負って。
 こんな状況では、魔法素マナを組むのに集中できるはずがないのに。
 死にたくなかったから、生きたかったから、オレは、
「燃えよ! はぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああッ!!」
 燃えるように痛む右腕。痛みを実際の炎に変えて。
 激痛と熱さが、これ以上ないほどにオレの意識を明瞭にした。
 そして。
「うわぁ! 熱いぞ!」
「ぎゃああああああ!」
 ごうッ、と音を立てて突如燃え上がった炎。それは炎の至近距離にいたオレ自身の肌も焼いたが、その炎は男のうち二人を包み込み、三人をオレから遠ざけた。
 オレは低く、唸るように叫ぶ。
「オレに……近づくなぁッ!!」
 さらに舞い上がった炎。
 激痛のあまり遠のきそうになる意識を、懸命に繋ぎ止めて。
 オレは全てを焼き尽くさんと燃え上がり、今まさに自分の制御を離れようとしている轟炎の中、力を振り絞って立ち上がった。
「燃えよ!」
 叫んで、傷ついて麻痺しかかった右腕を振れば。先程の火炎で辛うじて難を逃れた男二人に火の玉が飛ぶ。
 悲鳴。霞んだ目で眺めやれば、女と彼女を護るように立っていた男三人も、逃げるようにして村を出ていく。
 人道的に言えば、本当はこの四人を見逃すべきなのだろう。現にオレもとっくに限界を超えている。しかしここはアシェラルの秘境。この場所を知った外部の人間を、生きたまま逃がすわけにはいかないから。
 傾く身体。それでも完全に倒れる前に、火の玉一つ、飛ばし、燃え上がる。それが一気に四人にぶち当たって燃えだしたのを見た時、ついに身体が限界を迎えて。地獄のように燃え盛る炎の中、オレは自分の意識が急激に闇に包まれていくのを感じた。

 なぁ、みんな……。
——オレは、あんたたちの救世主に……なれた、よ……な……?

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.4 )
日時: 2018/08/20 10:31
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


  ▼

 身体が、熱かった。特に傷を受けた右腕の辺りが。いや、全身が熱を持っていた。燃えるようだった。
 朦朧とする意識の中、オレは自分がふかふかしたベッドの上に横たえられているのをぼんやりと理解した。
「お目覚めになられましたか」
 遥か彼方から聞こえてくるような声。意識が混濁して、誰の声だかまるで判別がつかない。ただ声の調子から女性であることは分かった。
「救世主さま、よくぞ我らを守ってくれました。貴方のお陰で我らは救われたのです」
 その言葉は本当に嬉しそうで、心からオレを讃えているように聞こえた。
 だが、どうしてだろう。その言葉の裏に、声に。かすかな軽蔑が混じっているように思えたのは。
 オレはあろうことか、こう感じてしまったのだ。
 『あなたが傷ついてくれたおかげで、今日も我らはのうのうと暮らせます』と言っているように。
 そうだ、確かにこの体制に不可解さを覚えることもあった。何故オレだけが「救世主」と呼ばれ、そのあだ名を盾に何でもやらなければならないのか。それをおかしいと思ったこともあった。
 だがな、オレは「救世主」以外にはなれないゆえに、そういった疑いを持ってはいけないんだ。
 それにやりがいだってある。誰かを守り、何かを護る。それはオレにとっての喜びだった。「救世主」として生きることは辛いこともあるが、オレはそれにやりがいを感じていた。
 だから笑って、小さく答えた。
「当然のことさ……」
 そしてオレの意識は再び落ちる。


 あの翼奪われたアシェラルは死んだらしい。色々と手は尽くしたが間に合わなかったようだ。その結果、オレにはやらなければならないことが出来た。
 あれから三日後の夜。まだ傷の治りきらぬボロボロの身体で、オレは立ち上がって歩き出す。
 この村では土葬はしない。死者は皆、炎で燃やす。アシェラルは天の一族。地に埋められるなんてあってはならないことだから。
 で、燃やすと言ったら? 当然オレだ。炎を操るオレしか適任はいないのさ。だから向かったんだ、火葬場へ。ボロボロの身体を引きずりながらも。
 向かった先で見た嘆き。死んだのは男アシェラルで、その遺体に一人の女アシェラルがすがって泣いている。恋人か、家族か。オレは村の全員を把握しているというわけではないからよくわからないが、大切な人なのだろう。
 足を引きずるような足音に気づき、彼女はオレを見た。
「救世主さま……」
 濡れた瞳がすがるようにオレを見る。オレは深く頷いた。
「これから、燃やす。だから離れろ」
 言葉に素直に従って、女アシェラルは泣きながら離れた。
 オレと、遺体と。近くにあるのはその二つだけ。炎は危険だから皆、遠巻きにして近寄らない。
 くずおれそうになる身体を叱咤して、オレは炎を呼び出すために式を組んだ。通常の、攻撃用の式ではない。だってこれは火葬の炎、鎮魂の炎なのだから。
「炎の神ヴォルディオスよ、今、一人の天の民があなたの元に還る。我願う。の者の魂を受け入れ給え、あなたの腕で燃やし給え、罪を悪を、受けた苦痛を浄化し給え——!」
 荼毘だびにふすときの専用の言葉を唱えれば。轟、と音を立てて燃え上がる炎。それは夜の中にたとえようもなく美しく照り映えた。
 舞い散る火の粉は死んだアシェラルの魂の燃える様。炎の赤は死んだアシェラルの魂の色。ああ、命が燃えていく。
 炎は広がっていき、オレと死者を人々から隔てるカーテンとなって周囲を取り囲んだ。
 燃える、燃える、命が燃える。魂が燃える。人生が燃える。静まり返った夜の帳に、紅に燃える炎の宴。冥府に旅立つ魂を送る、眩しく鮮やかな魂の宴。
 オレは体の疲労も忘れて、自分の呼び出したそれに見入り続けた。

 やがて火勢が収まって、静かに静かに夜が明ける。
 死んだアシェラルは灰になり、オレはもう立っていられなくなり倒れた。
 だが、やりきったという思いはあった。あれはオレだけにしかできないことだから。
 だから何度でも働くのさ。だってオレは「救世主」だからな。

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.5 )
日時: 2018/08/21 08:29
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈二章  幻の花〉

 「彼」が来たのはそれから半年が過ぎた頃のことだった。「彼」はオレよりも六つ下、つまり八歳の、見るからに儚げな印象を宿した少年だった。彼は無理して笑っているような笑みをその顔に貼り付けていた。
 この村では滅多に外部からのアシェラルが来ることはない。他のアシェラルは他の里にもいるのだそうだが、秘匿された特別なこの村に、そういった「外部」が来ることは稀だ。だからオレは驚いた。「外部」の人間が来たのを知って。
 族長さまから聞いた話によると、「彼」の両親はこの村の出なのだが、ある時好奇心の赴くままに二人して駆け落ち同然にこの村を出て、そのまま帰らなかったらしい。それから長い時が過ぎて戻ってきたのは二人の骨と、この少年。二人は人間に殺されて、その前に生まれて二人によって命を譲られた「彼」のみが帰ることが出来たという。
「本来ならば外部のアシェラルをこの村に入れることは許されないが、この少年の場合は特別だ。入れてやらなければアシェラルが廃る。我らは鬼の心を持っているというわけでは、決してない」
 族長さまは言った。
 「彼」は両親の死の間際にこの村までの道のりを聞かされ、それを頼りにたった一人で辿り着いたらしい。大したものだとオレは思いつつも、その悲惨な過去に思いを馳せた。
 「彼」の名を、エクセリオ・アシェラリムという。
 アシェラリム。それはアシェラルの中でも一部の者しか名乗れない、特殊な血筋の高貴な苗字。苗字に「アシェラル」を冠することが出来るのはほんの一握りの者だけ。オレだってメルジア・アリファヌスだ、そんなに高貴な苗字じゃない。族長さまの名も、ルェルト・アインタスだったから違う。
 エクセリオの父は現族長さまの、非常に仲の良い弟だったらしい。明るく良く笑う人で、それでいて気紛れ。その妻となった人はこの村で生まれ育ったアシェラルの一般人。いつも穏やかで優しくて、水の魔法が使えたらしい。二人は幼いころからの知り合いで、ともに「外の世界」に憧れていたという。
 やって来た新入りとその周辺について得られたのはそんな情報だ。族長さまは弟の死を知るなり、人前で号泣してしまった。それほど仲が良かったのだろう。
 そしてオレは今日も今日とて、「救世主」としての、定められた仕事に勤しむ——、
 筈だったのに。

「危ないよ!」

 声。
 突き飛ばされた身体。
 何か重いものが落ちてきたみたいな大きな落下音。何だ、何があった?
 振り返ったオレは、見た。先程までオレがいた場所に落ちてきたらしい巨大な木材と、その後ろに立つ黄金の影を。そして黄金の影の隣に立つ、全く同じ姿の存在を。
「何もなくてよかった。怪我はない?」
 そう問いかけてきた少年は、最近話題の、
「……エクセリオ・アシェラリム?」
「そうさ、それが僕の名前。気軽にエクセルって呼んでいいよ?」
 明るく無邪気に笑った黄金。彼がオレを助けてくれたのだろうか? オレはまじまじと落ちてきた木材とエクセリオの華奢な体を見た。
 無理だ。彼みたいな弱々しい人間があの状況でオレを助け、自分も一切怪我を負わないで平然としていられるなんて絶対に無理だ。
 オレは彼の隣に立つ、彼と全くそっくりな人影を見た。それはエクセリオと酷似した外見を持っていた。こいつはいったい誰なんだ? エクセリオに双子がいたという話も聞いたことが無い。
 オレは疑問を解消するべく、エクセリオに問いかける。
「助けてくれてありがとう。ところでそいつは誰だ? あんたの双子か?」
 双子の訳が無いと知りつつも、ついついそう訊いてしまう。そう訊かざるを得ない。
 するとエクセリオは、得意がるように笑うのだった。
「これ? これは僕の幻影。僕は幻影使いなの。僕にそっくりでしょ?」
 彼が踊るように手を振れば、まるで人間のように動き出す「それ」。
「しかもこいつは触れるの。そして物を動かすことも出来るんだ。君を助けたのは、僕が作りだしたこの幻影さ?」
 実体のある幻影。唐突にそんな言葉が浮かんだ。
 オレはその力を知って愕然とした。

 こいつは——こいつの、力は。

 様々なことに応用できるだろう。さっきみたいな人助け以外にも、こんな精度で人を再現できるのならば普通に人を騙せる。
 無邪気に笑うエクセリオ。しかし彼は凄まじいほどの力をその身に宿していた。
 いや、まだわからない。中には短期間で力を失う魔導士だっているんだ。エクセリオのこの力はもしかして、束の間の夢なのかもしれない。実際、人の身に余る力を持つ者のほとんどは幼少期にその力を開花させ、大人になるにつれてその力を失っていく。十歳になる頃にはほとんどみんな無くなる。エクセリオもそんなものなのかもしれない。だが時に、ごく稀に。その力を失わずに十歳を迎え、そのまま力を持ったまま成長していく者たちがいる。それはほんの一握りだが確かに存在する。そしてそういった者たちは皆、二十歳を迎える前に必ず何らかの原因で死ぬ。人の身に余る力に対して、運命の女神が制裁を下すのだとか。
 そんな彼らは皆、こう呼ばれる。

——「神憑き」と。

 神のとり憑いた子は圧倒的な力を約束されるが、その代わり未来を約束されない——。
 オレはエクセリオが前者だと信じる。アシェラルに神憑きなど聞いたことが無い。どうせあの力も十歳になる頃には確実に消える。何も恐れることはない。
 そう思い至って、オレは己の内に宿した恐怖に気が付いた。
 アシェラルの族長候補は一人きり。それは一度決まると滅多なことでは変わらない。が、変わる例外があるのだ。それは、村に族長候補を凌ぐほどの才能が現れた時。族長と村の者全員の判断による多数決で決められ、そうやって族長候補が交代することもある。前に候補交代が起きたのは五十年前だと聞いている。つまり滅多にない訳だが。
 要はオレの座も地位も絶対ではないということだ。そしてオレは、今の座を失うことが非常に怖い。今の座を失ったらきっと、オレは「救世主」でいられなくなる。「救世主」以外の生き方を知らないオレが「救世主」の座を失ったらオレは……オレは、どうなる……? 
 だがまだエクセリオが神憑きと決まったわけじゃない。だが彼が神憑きであった場合、オレは確実に落とされる。堕とされるのだ、絶対に墜とされる。
 オレは目の前の少年のどこまでも無邪気な瞳を見た。彼はオレに危惧を抱かれていることには気づかないだろう。彼は思考の海に入ったオレを、不思議そうに見つめてくる。
 まぁ、まだ決まったわけじゃあ、ないか。
 オレは偽りの笑みを張り付けて少年に言った。
「ありがとう」
 そして逃げるようにしてその場を立ち去った。
 最初はただの不憫な少年としか思えなかったのに、その力を知った途端、オレには彼がどうしようもない壁に思えてきたのだった。
(大丈夫だ、まだ決まったわけじゃない)
 そう自分を叱咤するも。
 二年後、少年が十歳になる日のことを、怖くて怖くて仕方がなく思っている自分がいた。

  ◆

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.6 )
日時: 2018/08/22 14:47
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

  ◆

 縁とはつくづく奇妙なものだ。オレはエクセリオとの初めての出会いから、繰り返し彼と出会うことになった。それまではただの「有名なだけの他人」同士だったのに、エクセリオはオレを見かける度に声を掛けてくるようになった。
 今日も。
「メルジア!」
 オレの「本当の名」を呼んで、近づいてきた黄金の影。こいつだけがオレを「救世主」と呼ばないんだ。こいつだけがオレを「メルジア」と呼び、本当のオレを見てくれる。メルジア・アリファヌスなんて本名、時にオレですら忘れそうになるのにな。
 その日、オレはまた「救世主の仕事」として雑用みたいなことをこなしていた。
 エクセリオは言う。
「ねぇ、メルジア」
 明るく笑って。

「どうして『救世主』なんてやっているの?」

 どこまでも無邪気に。
「メルジアがやっているのは、ただの雑用じゃん」
 その言葉は、オレの心に深く突き刺さった。
「『救世主』って、もっと違う生き方だと僕は思っていたのにな」
 無邪気に笑って、何のためらいもせずにエクセリオはオレの心を抉った。
 エクセリオが言ったのは、ずっと前からオレの心にくすぶっていた疑念と不信。そんな疑いを抱いてはいけないのに、エクセリオの言葉はオレの暗い思いを再燃させた。
 そうだ、本来の救世主ならばこんな雑用ばかりの生活なんてしないはずだ。何かあったら真っ先に犠牲にならなければならないのが救世主としての在り方ならば、救世主の幸せはどこにある? 犠牲になることに幸せを感じろというのか? ただひたすらに献身し、自らを省みるなということなのか? 救世主は要はただの、わざわいを押しつけるための便利な——
(駄目だ、考えてはいけない!)
 オレが「救世主」としての在り方に疑問を持ってしまったら、オレ自身が破滅する。なのに奴は不思議そうな顔をするのだ。
 悪気のない悪意。
「ねぇ、どうして? 教えてよ!」
「……黙れ」
 心の葛藤。打ち克ちたいから、オレは無邪気なだけの彼に言葉の刃を向けた。
「そんなのどうだっていいだろう! オレが『救世主』であることは生まれつきなんだ! そんなことにつべこべ言うな!」
 ……八つ当たりだとわかっていた。エクセリオは一瞬、虚を突かれたような顔をした。その顔が暗く沈む。
 オレに出会う前のエクセリオもそんな顔をしていた。悲惨な過去。両親を失ったばかりで寄る辺なく、それでも苦しいのを、悲しいのを悟られたくないから無理して笑っていた。
 壊れた笑顔。
 しかし沈んだ顔でも、エクセリオは笑っていたんだ。
教えてくれ。どうしてお前はそこまでして笑う?
 その顔が、痛ましくて。八つ当たりした自分が、腹立たしくて。居たたまれなくなったオレは、ついにその場から走り去った。
「メルジアー?」
 エクセリオの声が、罪のない声がオレを追いかけて心を切り裂いた。

  ◆

 エクセリオの才能は化け物だ。少なくともオレはそう思う。
 日を追うごとに彼の力はどんどん強くなっていった。一度に同時に操れる幻影の数が増えていった。
 魔法素マナを操るには「魔力」と呼ばれる、消耗型の特殊な力が必要になる。それは扱う魔法の規模によって消費量が変わっていく。魔力の所持量は生まれつき決まっていて、決して変わることはない。魔力を消費すると精神的に疲弊する。が、消費し過ぎて魔力が底を尽くと、消費対象を失った魔法は己の身体すら破壊してしまう。そこまで行く例はごく稀だが、実際に魔法を使い過ぎて身体のあちこちが破裂した人間もいたらしい。オレはそこまでの無理なんてしたことがないが。
そして魔力は休めば回復する。個人差があるが回復にはそれなりの時間がかかる。
 オレが信じられないのは、エクセリオが全然魔力切れを起こさないことだった。
 「実体のある幻影」だぞ? 十歳まで持ち続ければ「神憑き」にすらなれるレベルの力だぞ? それで作りだした幻影を何体も同時に操るんだぞ?
 確かに扱いを覚えればどれくらいで魔力切れを起こすのか分かるようになるから、魔力切れを起こさないように注意することはできるだろう。しかし彼ほどの魔法の持ち主ならば、すぐに魔力切れで倒れてもおかしくはないのに。それなのに、オレは奴が魔力切れで倒れたところを見たことが無い。おそらく、凄まじい量の魔力を持っているのだろう。
 オレだって確かにそれなりの魔導士ではあるが、「神憑き」になるには全然足りないし何より、他人よりもたくさん炎を操れるだけでそんな能力、エクセリオの「幻影」に比べれば簡単に霞んでしまうものなんだ。
 そしてある日、エクセリオのその稀有なる才能が村の皆に知らしめられる事件が起きた。

 エクセリオは生まれつき身体が弱かった。外に出るにもすぐに病気をする虚弱体質だった。現にオレと話している時に急にぶっ倒れて焦ったことも何度もあった。エクセリオは身の内に膨大な力を持っていたが、その代わりのように身体が弱かった。特に寒さの激しい冬の日なんかは、彼が外に出ることさえも稀だった。だからオレは彼のために、お見舞いに本を持って行った事も何度もあった。
 それは本来ならば彼が外出することなんてない、ある寒い冬の日のことだった、
 隠されたこの村に、目的を持って侵略者がやって来たのは。
 時刻は早朝。まだ誰もが眠っている時、
 それは起きた。
「うわあああぁぁ!」
 上がった悲鳴。その頃、オレは安らかに眠っていた。その声に目を覚ませば、視界に映ったのは炎の赤。
(敵襲? またか、またなのか!)
 どこからばれるのかまるで分からない。アシェラルの里は、人の寄りつかない高山の中にあるのに。
 外に出てみたら、轟々と音を立てて村が燃えていた。
 炎。
 それは、オレの力。
 ただし一言言及しなければならない。オレは確かに炎を操るが、それは呼び出すこと専門で、自分で呼び出した炎以外は消すことが出来ない。
 つまり。
 この状況で、「救世主」はまるで頼りにならない——。
 なのに。
「救世主さま、お助け下さい!」
 それなのに。
 村の人々は皆、一様にオレに縋ってくる。オレは何も出来ないと知っているだろうに、オレが「救世主」だから奇跡を起こすとでも思っているのだろうか?
 精々できることは放火した犯人を見つけて倒すことくらいか。考えている間に火は広がっていく。
「くそ! 誰か水使いはいないのか!?」
 思わず叫んだオレの隣で。
 居るはずのない人の声がした。
「出来たよ。もう、お終いさ」
 笑った小さな声とともに、一瞬にして火は掻き消えた。
「……エクセリオ」
 オレは「彼」の名を呼んだ。
 あの現象を見る限り、エクセリオが放火の犯人としか思えないのだが? 彼が現れた瞬間、あれほど辺りを覆い尽くしていた炎は消えた。
 オレは彼に難しい顔を向けた。
「どういうことだ、説明しろ」
 詰め寄っている間に皆の声。「どこも焼けていない!」「ならさっきの炎は何だったんだ!」
 エクセリオは笑う。笑う、笑う、無邪気に笑う。
 その唇が、言葉を紡いだ。
「僕は朝早く起きて何かおかしいなって思った。よく見たら外の人間が何人かいた。そいつは何が目的かわからないけれど村に火をつけようとしてた。だから僕が」
 先んじて、と言おうとしたエクセリオはそこで小さなくしゃみをした。そこに至ってオレは、彼が寝間着のままだと気が付いた。小さな身体が寒さで震えている。
 このままだと病気になるな、と思ったオレは、自分の羽織っていた黒のマントを脱いで、そっとエクセリオに差し出した。サイズの差もあって彼にはぶかぶかだったが、エクセリオは礼を言ってありがたそうにそれを体に巻きつけた。
 彼は気を取り直して説明を続ける。
「先んじて、物陰で幻影を使って偽物の炎を起こしたのさ。すると奴らはびっくり仰天! 小さないたずらのつもりだったのかなぁ? でもその人達には、起こした炎がごうごう燃え盛って広がっていったように見えたんだよね。そのまま固まっていた人たちを捕まえるのは簡単だったよ」
 言って、彼が軽く腕を振れば。途端、不意に現れた、「実体のある幻影」のロープで縛られた幾つもの人影。
 オレは驚いた。奴は、エクセリオは。
「『実体のある幻影』だけでなく、通常の幻影も操れるのか……!」
 それも、本物とほとんど遜色のないくらいにリアルに。
「僕、役に立てたでしょ?」
 無邪気に笑った金色の影。オレはそれに戦慄した。
 誰もが彼のその力を見ていた。誰もが彼の「実体のある幻影」を見ていた。
 エクセリオがゆらりと手を振れば、現れる、本物そっくりの幻影。
 前から気づいていたはずなのに。

——こいつの力は本物だ。

 改めて理解し震えた心。
 その時蘇った、彼の力を初めて目の当たりにしたときの恐怖。
 「救世主」はまるで役に立たなかったのに、外部からの少年が、大して苦労もせずに村を救った。
 やがて彼は村にて、「小さき英雄」と持てはやされるようになる。
 その栄光と反比例するように、「救世主」たるオレは人々に軽く見られるようになっていった。

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.7 )
日時: 2018/08/23 07:54
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


  ◆

 オレには知りたいことがある。
 ある日、オレはエクセリオに訊ねた。
「なぁ、お前、どうしていつも笑っているんだ?」
 あの日。エクセリオがはじめて村に来たあの日。彼は両親の遺骨を抱えてやってきた。
 両親を殺され、悲しくないはずがないのに、それでも笑っていたエクセリオ。無邪気に無垢に、天真爛漫に笑っていたエクセリオ。その言葉にオレは確かに傷つけられたが、悲しいことがあったというのにこの笑顔は、この無邪気さは、なんだ。オレはそれが不可解でならない。
 するとエクセリオはその顔を一瞬だけ曇らせた後、無理に笑っているような笑顔を作った。
「父さんも母さんも、ずっとずっと笑顔でいなさいって僕に言ったんだ」
 自分が死ぬ間際も、ずっと、とエクセリオは呟いた。
「だから僕は笑顔でいるんだよ。むくで無邪気で、素直でいるんだよ。でも本当は僕、すごく悲しい。悲しくて悲しくて胸が張り裂けそう。でも、父さんが母さんが、『笑顔でいなさい』って僕に言ったんだ。だから僕は笑うよ、悲しくても、辛くても、ずっと。そうしないと、壊れちゃうから」
 オレは、エクセリオの抱えた闇を知った。
 エクセリオが両親の死を忘れて笑っているだって? とんでもない。両親の死という出来事は幼いエクセリオの心に非常に大きな傷を残し、エクセリオは笑うということでしか、自分を守ることができなくなっていたのだ。笑顔の、意味。エクセリオの笑顔の、意味。それにはそんな狂気じみた闇が隠されていたなんて。
 迂闊だった、とオレは思った。こんなこと、聞くんじゃなかった。
 親友なのか敵なのか、いまだよくわからないエクセリオ。それでも、知らない方が良いこともある。
 笑うエクセリオ。しかし真実を知ったあと、オレにはその姿が非常に痛ましいものであるように感じた。見ていられなくなって顔をそむけたオレを、不思議そうなエクセリオの声が追いかける。
「どうしたの、メルジア。僕は平気だよ! 笑顔でいれば、悲しいこともつらいことも、忘れられるんだから!」
 無垢に、笑う。無邪気に、笑う。天真爛漫に、この世の悲しみを知らないかのように笑う、エクセリオ。
 それを見ているのが、オレは悲しかった。

  ◆

 それから数年、時が経った。身体の弱いエクセリオは相変わらず病気ばかりしたが、彼の操る幻影の力は、どんな時でも衰えを見せなかった。寧ろ日ごとに強くなっていく気さえした。
 そして、ついに「運命の日」が訪れた。
 オレがエクセリオに初めて出会って三年後。エクセリオの十歳の誕生日がやって来た。

 十歳。それは人の身に余る力を持つ者が「神憑き」であるかを判定する歳だ。十歳になる前に力が消えていればその子は「過去の神童」で終わる。それは一時期持てはやされるものの、いずれは消える名声だ、栄光だ。そういった子がそのまま大人になった場合、一種の昔話として語られる程度の現象。それ自体も珍しいことには珍しいが、「神憑き」の比ではない。
 「神憑き」は才能が長く維持される代わりに歩む道は修羅の道。どう足掻いても「神憑き」の子は二十歳まで生きられない。に十歳になる前に病か事故か、はたまた殺されるか。何らかの原因で必ず死んでしまう。そうなるように天が采配しているかのように、絶対に死ぬのだ。
 エクセリオの才能はどう見ても人の身に余る力。だから彼は「過去の神童」か「神憑き」のどちらかになるのだが、果たして。
 彼が十歳を迎えた夜、皆の前で、その才能が残っているかが測られた。

「エクセリオ・アシェラリム」
 族長さまの声が、アシェラルの儀式場にしんしんと響く。
 これまでの歴史を紐解いてみるに、アシェラルに「神憑き」が誕生した試しはない。
 エクセリオがその日に生まれたことはわかってはいるが、具体的にどの時間に生まれたかまでは不明である。そのため「神憑き」判定の儀式はその日をまたいだ深夜、行われた。
「力を、見せよ」
 もしもエクセリオが「神憑き」ならば、見せられる力も何もあったものではないだろう。そして今この場所で嘘をつく理由もない。
 エクセリオは頷いて、いつもやるようにして両手を広げた。その幼い顔が緊張で固まる。
「行くよ……」
 オレも緊張した。願わくは、彼が「神憑き」ではあらんことをと。

 しかし、
 虫の予感は、
 本物だった。

「……僕って」
 呆然とした顔で呟いた、金色の少年。
 彼が軽く腕を振ったとき、現れたのは変わらぬ幻影。
 エクセリオが選んだ幻は、自分自身。彼の目の前には彼そっくりな幻影が立っていた。
「……動いて。僕に触って」
 震える声で命じれば、その幻影はエクセリオに触れた。

 エクセリオに触れられた。

 すり抜けずに。しっかりとした質感を持って!
「判定! エクセリオ・アシェラリムは『神憑き』である!」
 族長さまの声が遠く聞こえた。オレはそれから続く言葉を聞き取ることが出来なかった。
 嘘だろう、あり得ない。オレの頭は現実を受け入れることを拒否するが、どこかで「やっぱりな」と思っている自分がいた。あいつの才能、溢れんばかりのその才能! やっぱりな、あいつは「神憑き」だったんだ!
 これで全てが決まった。エクセリオはオレより優れたアシェラルだ。で、このアスペの村は実力主義だ。オレは間もなく落とされるだろう。——堕とされる、だろう。
 心の中に絶望が広がっていくのを感じたがどうしようもない。親しく付き合ってくれ、オレを「救世主メサイア」と呼ばずに素直に「メルジア」と呼んでくれたエクセリオ。それは確かに嬉しかったが、この瞬間、何かが決定的に変わった気がする。何かが決定的に壊れた気がする。
 一つ。エクセリオは十中八九、オレの居場所を奪っていくだろう。
 そして一つ。オレが「親友になるかもしれない」と僅かに期待した彼は必ず早死にする。
——なあ、エクセリオよ、錯綜の幻花よ。
 お前が「神憑き」でさえなかったら、全て丸く収まったのに、な。
 くも運命は残酷で、オレたち神ならぬ身は、それに翻弄されるしかないのか。
 なぁ、そうなのか? そうなるしかないのか? なぁ!
……誰か教えてくれよ。

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.8 )
日時: 2018/08/24 09:51
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

  
  ◆

〈三章 破滅の果てに〉

 力ある者はアシェラルの族長に。それがここの法則だ。オレは覚悟していたさ、覚悟していたともさ。エクセリオが「神憑き」であることがわかった時点で、オレは族長候補から外されると。
 だがな、わかっているのと実際にその通告を聞くのとは話が違うんだよ。
 エクセリオが「神憑き」とわかってから一週間後、オレは族長さまに呼び出された。

「我の後継ぎから貴公を除名し、エクセリオとする」
 告げられたのは、決して変えられようのない事実。決定事項。オレは黙ってその言葉を聞いていた。
「理由は、わかるな? よって貴公はこれより『救世主』の任を解かれ、ただ人と成り下がる」
 反論の余地はない。反論しても意味はない。オレは自分の心の内に絶望が広がっていくのを感じていたが、黙ってそれを受け入れるしかなかった。
「貴公の炎の魔法など、の『錯綜の幻花』に比べれば弱々しいにも程がある。強き者は村長に、これ我が村の決まりなり。あとから生まれた者に負けたということは、貴公はそれまでの男だったというわけだ。
——『救世主』メサイア。貴公の時代は終わったのだよ」
 そしてオレは、奈落に落ちた。

 オレは「救世主」だ。「救世主」だった。オレは「救世主」として育てられ、それ以外の生き方を何一つ教わらなかった。オレは生まれたときから歩むべき道を定められていた。オレには「救世主」として生きる以外の選択肢はなかった。なのに今のオレは「救世主」じゃない。オレの居た座はエクセリオによって奪われた。エクセリオはなりたくて「神憑き」になった訳じゃないからあいつに罪はないが、あいつの態度に罪があった。
——なぁ、エクセリオよ、無垢で無邪気な天才よ。
 何故、お前はそうも笑っていられるんだ? 人を突き落として就いた地位なのに、突き落とした当人に対して。いくらそんな過去があったとしても、お前は異常だよ、エクセリオ。
 あれからもずっと、あいつはオレに笑いかけてくる。無垢に——無邪気に。だからオレはあいつを憎んだ。
 「救世主」以外の生き方を知らぬオレは散々蔑まれ、嘲笑われ、人々の憎悪の対象になってさえいるのに。それでもあいつはオレに変わらぬ態度で笑いかけてくる。オレはそれが、その神経が信じられない。だからオレはあいつが憎くてたまらなくなった。幸せだった時はもう、終わった。
 それでも、どうしてだろう? オレはあいつのことが嫌いになりきれずにいた、憎みきれずにいた。
 あいつだけが、エクセリオだけが、オレを親友と呼び、オレを本当の名で呼んでくれるから。
 ああ、胸が苦しい。喉の奥が焼けるようだ。焼けるような煩悶が、葛藤が、オレの中を吹き荒れてオレを粉々にしようと暴れ回る。
 憎いはずなのに、憎みきれずに。好きなはずなのに、好きになりきれずに。
 いっそ、最初からエクセリオがオレをオレの名で呼ばず、オレに敵対する態度を取ってくれていたらどんなにか良かったのに、とオレは思った。そうすればこんなに苦しくなかった、こんな思いを抱かずに済んだ。最初から、オレを憎んでさえいてくれれば、オレは、オレはッ!!
 でも、現実はそんなに甘くはないんだよ。エクセリオはオレを蹴落としながらも、悪気のない悪意で、オレを純粋に信じているような眼をして、話し掛けてくるのだ。そのたびにボロボロになったオレの心は葛藤のあまり血を流し、オレの中を激情が吹き荒れる。二律背反、対立する気持ち。だから苦しく、だから辛い。
 オレの心は疲弊しきっていた。それでもエクセリオはオレの傍に寄って来て、笑うのだ。オレはこの気持ちをどうすればいいのかわからずに途方にくれた。
 そして、冬が来た。

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.9 )
日時: 2018/08/25 11:33
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


  ◆

 その年の冬は大雪だった。エクセリオはその雪の中、酷い風邪を引いて家から出られなくなってしまった。
 エクセリオが住んでいるのは、彼の両親が昔住んでいた家だ。その家はちっぽけな彼にとってはあまりに大きすぎる。時々、次期族長候補のために他のアシェラルがその大きすぎる家を手入れするらしいが、あいつもオレと同じ、基本、一人だ。
 幼くして両親を亡くして、広すぎる家に一人住む。あいつは一人で暮らし続けるオレに、自分と似た空気を感じ取ったのだろうか。
 そして今、あいつは病気だ。でも見舞ってくれる人なんてほとんどいない。次期族長候補になったのに? なんて雑な扱いなんだ。やっぱりこの村はどうかしてるよ。
 そう思った、オレ。でもオレは違う、この村の、他の無慈悲で情を持たない大人たちとは違うんだ。だから、オレはバスケットにパンや果物を入れて、大雪の中、あいつの家まで歩いた。オレは炎、火炎を操るメサイアだ。オレに限って言うならば、雪だろうがなんだろうが関係ない。降り積もる雪も、オレの歩くそばから溶けた。
 やがてたどり着いたのは、大きな木造の家。誰もいない。そこには冷たい空気が漂っていた。オレはその入り口をノックするが返事がない。そういえばオレがエクセリオの家に来たのはこれが初めてだったなと思いつつ、「メサイアだ、見舞いに来た」と声を掛け、中に入った。鍵は掛かっていなかった。
 大きな家だ、造りはよくわからない。族長さまの弟、つまりエクセリオの父とやらは、それなりに資産を持っていたのだろうか。きょろきょろしながらオレは歩いた。すると、しんしんと雪の沈黙が辺りを覆う中、オレの耳に届いた微かな、しかし確かな、声。
「メサイア……?」
「エクセリオ……!」
 弱々しい声に導かれ、その声のした部屋に向かうと、火の落ちた暖炉の設置されているひと部屋のベッドの上に、エクセリオが横たわっていた。今は、冬の夜だ。その中で暖炉もつけず布団一枚で寝ているとは、身体に障る。実際、部屋の中はぞっとするくらい寒かった。体調が悪いってのにこんな部屋に寝かせるとは、つくづく村の大人たちも薄情者である。こいつは曲がりなりとも次期族長候補だぞ? ……オレを意図せずして蹴落としたことは、この際、置いておく。
 オレはエクセリオを気遣って、炎の魔法で暖炉の薪に火をつけた。いつからあったのか、手入れ係が入れたのか知らんが、暖炉の中にはたくさんの薪があった。
 暖炉に火がつけば、少しは暖かくなった部屋の中、赤くぼんやりとした光に、横たわるエクセリオの顔がうっすらと照らされる。その顔は蒼白で、額からは汗が流れているのにエクセリオはぶるぶると震えていた。オレは思わず声を掛けた。
「おい……大丈夫か?」
 その額に手を当てると、熱かった。エクセリオの瞳は涙で潤んでいた。どう考えても普通の状態ではない。
「雪を拾って冷たいタオル作ってやるから少し待ってろ」
 見てられない。オレがエクセリオにそう声を掛けて部屋を出ようとすると、オレのマントが引っ張られる感覚がした。見ると、エクセリオが必死の顔で身を起こし、オレのマントの端を掴んでいる。エクセリオはすがるように弱々しく言った。
「お願い……行かないで」
 オレはそんな聞き分けのない子供みたいな、いや実際まだ子供のエクセリオに、諭すように言った。
「すぐに戻る。いなくなるわけじゃないから安心しろ。というかお前はまだ寝てろよ。無闇に身を起こすと身体に障る。頭とか、今、すごい重いんじゃないか?」
 どうしてだろう、こうやって気遣っている時、オレのエクセリオに対する憎悪は消えていたんだ。
 オレは自分の心を省みる。今、オレの中にあるのはいたわりと心配だった。あんなに、悩んでいたのに。あんなに、葛藤していたのに。どうしてだろう、今は、今だけは、あいつを憎いと感じないんだ。
——オレにも人の心が残っていたか。
 そう思うと、安心した。オレは壊れかけているけれど、病人を、弱っている人に憎しみを抱くほど、壊れてはいないんだ。もしもこのまま状況が平和に過ぎ去れば、オレはまだきっと、戻ることができる。
 エクセリオはオレの言葉に返答する。その声もかすれてがらがらになっていて、息をするのも辛そうだ。無理するな、とオレは声を掛けた。
 エクセリオは、言う。
「重いよ、辛いよ。でもそれ以前に……怖いんだよ。だから傍にいて、メルジア」
 何が、とは言わなかった。そしてエクセリオはオレに頼んだ。
「ね、僕を暖炉の前まで運んで。そして隣にいてよ、ね」
 オレは言われたとおりにエクセリオの華奢な、羽根みたいに軽い身体を暖炉のそばまで運んでやると、その隣にそっと寄り添った。するとエクセリオはオレの肩に、その小さな頭を預けた。「お、おい……?」戸惑いながらもオレが不器用にその小さな身体を抱き締めてやると、その全身が震えているのがわかった。でも、その震えは病気のせいだけではないように感じた。エクセリオはオレにぎゅっとしがみついて、固く目を閉じて唇の隙間から声を漏らした。
「死ぬのが、怖いんだ」
 エクセリオは唐突にそんなことを言った。オレにしがみつく力が強くなる。その姿は、まるで藁にでも縋ろうとする、今まさに溺れようとしている人の姿にも見えた。それだけ、必死そうだったのだ。オレは心配げな顔をして、エクセリオを覗きこんだ。
「エクセリオ……?」
 エクセリオは震えながらも、答えた。
「死ぬのが、怖いんだ。僕、二十まで生きられないんでしょ。今、辛いよ苦しいよ。このまま死んじゃうのかな、それは怖いよ。怖くて怖くてたまらないから、どうしても震えちゃうんだよ……」
 発されたのは、エクセリオの本音。
 エクセリオ。「神憑き」であることが判明したこの天才には、常に死の気配が付きまとうようになった。エクセリオはいつも笑い、口では気丈なことを言って強気な態度を取るけれど。本当は、怖かったのだろう、とても怖かったのだろう。
 まだ、この世界でやりたいことはたくさんあるのに。
 自分だけが誰よりも先に、誰も知らない未知の世界へ旅立たねばならないことが。
 オレはこれまで、自分の視点でしか物事を考えていなかった、考えられていなかった。エクセリオがどう思っているかなんて考えたことも無かった。オレは自己中な救世主だった。自分中心の視点でしか、物事を見ることができなかった。
 しかし、
 こうやって聞いた、エクセリオの本音。
 それはあまりにも悲しくて。
 誰だってそうだ、誰だって死は怖い。けれどエクセリオは余命が定まっている。いつ死ぬかわからないからのんびり生きている他の人たちとは違うのだ。その恐怖は、その不安は、どれだけのものか。
 オレは震えるエクセリオを強く抱き締めた。するとエクセリオもその細い身体で精一杯の力を出して、オレにしがみついてくる。オレはその頭を撫でてやりながらも、優しく慰めるように言った。
 オレは救世主じゃなかったのかもしれないけれど。
 それでも、少しでも誰かの救いになれるなら。
「大丈夫だ、エクセル。炎は命、命は燃えるもの。たとえお前の命の灯が消えそうでも、オレが燃やしてやる、オレの炎で永らえさせてやる。だってオレは『炎』のメサイアなんだ、燃やすことは得意なんだよ」
 その炎はいつしか、自分自身を焼き尽くして灰に変えるのかもしれないけれど。
 現に、オレの心はずっとずっと不安定だったんだから。
 それでも今は違う。今の炎ならば、熾火おきびみたいに優しく穏やかな炎ならば、きっと誰かを暖められる。
 オレはエクセリオに、気分転換のための話を持ち掛けることにした。
「病は気から、という。少し落ち着けよ、幻の花。
 気分転換に話をしようか。エクセル、オレたちアシェラルの民の始祖の話……知ってるか?」
 ううんとエクセリオは首を振る。そうか、とオレは頷いた。
「まだ教わってないんだな。じゃ、話をしようか。綺麗な、この大空みたいに綺麗な、どこまでも澄み渡った物語だよ」
 そしてオレは語り始める。
「昔々、それは今から二万年ほども昔。戦乱で荒れた世界に、一人の少年がいた。その名はフィレグニオ。彼は戦の日々の中でも空だけはずっと綺麗だという理由で、空に憧れて空ばかり見ていた。戦いなさい、何をぼうっとしているんだと周りは言うけれど、それでもフィレグニオ少年は空ばかり見ていた——」
 それは、神に空を願い、願いを聞き届けられて空を飛ぶ翼を得た少年の物語。未来、彼の子も背に翼を持つようになり、彼は全てのアシェラルの始祖となる。こうして翼持つ一族、アシェラルの民は誕生したんだ。
 そんなフィレグニオ少年の本名は、フィレグニオ・アシェラリム。偶然か、必然か。エクセリオの名字と同じ名字を持つ。
 オレは、語る。語る、語る、物語を、語る。冬の夜、暖炉の光が複雑な陰影を生み、辺りをぼんやりとした光で照らしだした。
 気がつけば、エクセリオの震えはおさまっていた。話が終わるころにはエクセリオはオレの肩に頭を預けたまま、眠ってしまっていた。落ち着いたのだろうか、その顔にはもう恐怖がなかった。オレはそんなエクセリオを見て微笑むと、彼を起こさないようにしながら慎重に自分のマントを外し、毛布代わりにエクセリオに掛けてやった。
 久しぶりに訪れた穏やかな時間。オレの心は複雑だったけれど、この瞬間だけは確かに、満たされていた、満たされていたのだ。
 感じたのは、多幸感。
 この幸せが、この穏やかな時間が、永遠に続けばいいのに。オレはそう思っていたけれど。
 永遠なんて、存在しないんだ。
 それをどこかでわかっていて、だからこそこの時間が失われることを恐れる自分がどこかにいた。
 冬の夜はゆっくりと過ぎる。冬の夜は静かで、辺りは沈黙に包まれる。
 オレは暖炉の炎を見ていた。今、この部屋には暖炉のパチパチと爆ぜる音と、エクセリオの静かない寝息以外の音は一切存在しなかった。
 オレは炎を見ていた。オレみたいな炎を、オレそのものみたいな、鮮やかな炎を。
 ある冬の一日の夜が、静かに過ぎようとしていた。

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.10 )
日時: 2018/08/26 12:03
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

  ◆

 永遠なんて、存在しなかったんだ。あれ以降もエクセリオは無邪気な言葉でオレを笑い、悪気のない悪意でオレを傷つけた。本人にその気持ちはないのだろう、しかし確かに確実に、エクセリオの言葉のナイフはオレを突き刺して心をズタズタに切り裂いた。オレは幸せだったあの日を想い、思うほどに、苦しんだ。悪気のない悪意。エクセリオに悪気はないのに、その言葉に行動に込められた無邪気な悪意のせいで、オレは大親友を、憎んだ。
 そして事件は起きた。

 エクセリオと冬の一日を過ごし、しばらくしてから大人たちの態度はさらに悪化した。オレは自分の家から追い出され、家を失い路頭に迷った。最初の数日は野宿をしてその日を過ごしたが、誰も使わなくなった古民家を発見してそこに寝泊まりすることにした。そこはあちこち壁や天井に穴が空いていたが、少しは雨風を凌げる分、野宿よりはマシだろう。
 でも、大人たちって醜いんだな?
 オレが「救世主」でなくなった時から大人たちは手のひらを返したように態度を変えた。崇拝は嘲笑に、尊敬は侮蔑に、期待は憎悪に。何もかもが一転し、オレは栄光から破滅へと突き落とされた。
 皆、オレが「救世主」であった頃はオレにすり寄ってきていたのに、候補がエクセリオに変わった途端、皆が皆エクセリオにゴマすりやがるんだ。人を散々持ち上げといて、その人が落ちたらこのザマか、ハッ。人間の醜さを見たような気がした。アシェラルはもっともっと、誇り高い一族だと思っていたのにな? それもオレが「救世主」であるために刷り込まれた都合の良い情報か。
 この古民家には既に石を投げられた回数数知れず、ゴミ捨て場にされたことも両手の指では数え切れない。放火されたことだってあるんだぜ? 信じられるか? だがな、これが現実なんだよ! これが「救世主」として崇められて捨てられた——メルジア・アリファヌスの現実なんだよ、クソがッ!!
 そうやって物思いに耽っていたら、背中から掛けられた無邪気な声。
 しかしその言葉は、オレの内から憎悪の炎を呼び出すには十分すぎた。

「どうして出て行かないの?」

 何の気も無しに掛けられた無邪気な言葉。それはエクセリオの言葉。オレの背筋に何か冷たいものが走ったような気がした。大好きな、友人なのに。彼はオレを突き落とした張本人。
 エクセリオは言うのだ。どこまでも無垢に無邪気に——残酷に。
「ねぇね、メルジア。今、とっても苦しいんだよね? ならさぁ、この村から出て行けばいいじゃん! 出て行けばきっと、苦しまないで済むよ!」
 オレはゆっくりと後ろを振り返った。そこには邪気の全く存在しない、純粋な笑顔があった。無垢で無邪気で純粋で。悪意や敵意は全くなくて。しかしそれ故に腹が立つ。善人ほどたちの悪い人間はいない。
「……エクセリオ」
「なぁに、メルジア。って、顔怖いよ? 僕、何か気に障ること、言ったかなぁ?」
「……どの口が、それを言うんだ」
 突如、心の底から炎の如く噴き上げてきた怒り。オレは溢れかえる感情に目の前が真っ赤になった。オレは怒鳴った。それはオレの、「救世主」メルジア・アリファヌスの心からの叫びだった。オレの心は落とされたことによって激しく血を流し、悶え苦しんでいた。エクセリオへの愛が憎悪が、絡み合った愛憎がオレを狂わせる。オレは血を吐くような思いで叫んだ。
「どの口が——どの口がそれを言うんだよッ! 出て行くのはお前の方だろう!? 後から生まれたくせに、何の努力もしないでオレが持っていたもの全て奪いやがって、挙げ句の果てに出て行けだと!? ——厚顔無恥にも、程があるだろうッッッ!!」
 オレの怒りに呼応して、燃え盛る炎が召喚される。それはエクセリオを焼かんと躍り狂ったが、オレは僅かに残った理性で辛うじてそれをエクセリオに向けないようにする。
 エクセリオは不思議そうに首を傾げた。
「でもここから出て行けば、居場所が見つかるかもしれないのに。メルジアが嫌な思いをするのはここだけでしょ?」
 オレは無理だとその言葉を否定する。
「無理だ、幻花。オレは他の世界など知らない。そして『救世主』としての生き方以外知らない。そんなので、外の世界で生きていけると思うのか? 本気でそう思っているのだとしたら、お前は馬鹿だ!」
「でもメルジア、最初から諦めるの? そこに希望を見出さないの? 可能性は完全にゼロって訳じゃないじゃない。諦めるのはまだ早いってば」
「——希望を奪ったのは、お前だろうがッ!!」
 炎。怒りに呼応して。オレはついにそれを抑えられなくなった。オレが感じた憤怒が、悲哀が、憎悪が。「炎」という他者を傷付け得る凶器となってエクセリオを襲った。エクセリオは思わず悲鳴を上げる。
「うわ、メルジア、何するの? 熱いよ……痛いよ!」
 いくらエクセリオの「実体のある幻影」といえども、あいつが防げるのもまた実体のあるものだけ。オレの「炎」はエクセリオの咄嗟の防御をかいくぐり、奴の身体に達した。肉の焼ける音、人肉の焦げる異臭がオレの鼻を突く。
 その時のオレは、笑っていた。狂ったように、悪魔の如くに。
——嗤っていた。
「ハハ、ハハハッ! どうした幻花! あんたの実力はそんなものか! ほらな、族長になるのはこんな弱い奴じゃないんだよ。オレの方が優れている! だからだからだから——オレが、メルジア・アリファヌスが、族長なんだよッ! お前なんかじゃないッ!!」
 歪んだ心が生み出した狂気。悶え苦しむエクセリオを見て、オレは高らかに笑っていた。
「お前なんか族長じゃない! この泥棒猫め、オレの前からさっさと失せろッ!!」
「痛いよ……苦しいよ……メルジア、助け……て……!」
 エクセリオは炎を消そうと必死で大地を転げ回るけれど。オレの炎を舐めてもらっちゃ困るんだ、そう簡単に消されるものではない。炎、炎、炎! 炎こそオレの取り柄だ! 炎だけがオレの強みだ! それ以外は何も持っちゃあいないが——炎はオレを、裏切らない!
 そうやって高らかに笑っていたら。
 オレの背後で、地獄の底から響くような、冷たく低い声がした。

「……救世主」

 族長さまの声だ、とオレは確信した、
 時。
「お前は一体何をやっているんだッ!!」
 火花。オレの頭の中が一瞬真っ白になった。続いて、激痛。頭に手を触れると、そこがねっとりと濡れていた。手に付いたそれは鮮やかな赤をしていた。それからは鉄錆の臭いがした。殴られたんだな、と気付くのに数秒。オレは視界の端で、エクセリオの炎が水の魔法で消火されているのを見つけた。水の魔法を使っているのは族長の奥さんだ。そこまで見て、オレは現状をようやく意識した。 
「救世主……偽りの救世主めッ! 次期族長に何をしたッ!」
 飛んできた拳。殴られて視界が赤く染まる。オレはそのまま地にくずおれた。痛い、苦しい! けれども、族長さんよ、一つだけ、言わせてもらおう!
 オレは怖かった。この後自分が何をされるのかと思うと怖くて怖くてたまらなかった。だがな、毒を食らわば皿までだ、もう問題を起こしてしまったのだから言わせてもらうぜ、ああ。そうでもしなけりゃ、何も報いることができないだろう。
 オレは必死で主張した。
「違う……違うんだ、族長さま! オレはただ、貴方に認められたかっただけなんだ!」
 エクセリオに対して憎悪が湧いたのは確かだけれど。オレの本心はただひとつ、族長さまに認められたい、もう一回認めてもらいたい、それだけなんだ。エクセリオばかりじゃなくて、もう一回、もう一回! これまでみたいにオレを、オレを! 褒めてくれれば、認めてくれれば、それでそれだけで良かったんだよッ!
 しかしそんなオレの思いなんて、わかってくれるわけがない。
 族長さまは憤怒に目をぎらつかせて拳を振り上げた。
「問答無用! お前は次期族長候補に対する殺人未遂という重大な罪を犯した! そして代々アシェラルでは、重罪人に対して行う罰がある! そうさ、お前は罰を受けるんだッ! お前なんて、お前みたいな出来損ないなんて——こうしてやるッ!」
 ぼんやり霞む視界の中、オレは族長さまがどこからか鉈を取りだしたのが見えた。ああ、殺されるのかな。オレはそう思ったけれど。
 現実はもっと残酷だった。
 一閃。鉈の凶悪な刃が閃く。しかしそれが落としたのはオレの首ではなくて。
——翼だった。
 激痛。耐えがたいほどに。これまで感じたことのないほどの、下手すれば正気を失ってしまいそうなほどの激痛がオレを襲う。視界が赤く染まり、痛みのあまり何も考えられなく、
——痛イ。
 痛イ、痛イ、痛イ。
 痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛庸痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛イタイイタイタイタイ痛イタイ痛イ痛痛痛イイタ痛イタイ痛イイイタ痛イタ痛痛イイタイ痛痛痛イタイ痛痛痛痛イタイイ痛イ痛イ痛イイタイイイイイ痛イイ痛痛イタイイイ痛イイタ痛痛痛イイイ痛イイ痛イイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィイ痛ィィィィィイィィィィィィィィィィィィ痛ィアィァイァイイァ…………

 気がつけば、意識は消えていた。
 耐えられるような痛みではなかった。

  ◆

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.11 )
日時: 2018/08/27 09:45
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


  ◆

 翼を失って、オレの生活はますますひどくなった。
 エクセリオは命が助かったばかりか、傷一つ残らないらしい。オレだけだ、オレだけに消えない傷が残った。オレだけなんだ、オレだけだ。
——どうしてオレが。
 どうして、大人たちに言われたとおりに「救世主」として生き続けたオレなんだ。どうして、どうして、どうして! どうしてオレなんだ、どうしてオレが。こんなにも、こんなにも、苦しまなければならないんだッ!
 そしてオレは思ってしまう。それは、思ってはならないことだったのに。あいつとの日々を全否定するような言葉なのに。襲い来る無慈悲な現実の前、オレの中にわずかに残っていた友情や絆なんて言葉は、いとも簡単に崩れ去る。オレの心は、叫んだ。
——どうして、エクセリオじゃないんだッ!!
 こんなに苦しむのが、どうして、エクセリオじゃないんだッ!!
 翼の傷がひどく痛み、疼く。オレはもう、二度と空を飛べない。
 そしてオレはとうとう、「存在しない者」となった。

 嘲られ、蔑まれる日々はまだましだったのだと、失ってからオレは気が付いた。
 事件の後、オレが仮に住んでいた家は取り壊され、そこは地ならしされて更地になった。オレがそれに文句を言おうが、誰もオレに反応してくれない。オレが相手の肩などを掴めば、「幽霊がとり憑いた」と大騒ぎして、「除霊」と称してひどい目に遭うようになった。
 オレが道端に立っていたら、石ころか何かのように蹴とばされて見向きもされず、声を掛けても反応しない。
 背中の激しい痛みと闘いながらも、オレは不意に悟った。
——ああ、もう「救世主」なんて存在しないんだな、と。
 蝶よ花よとエクセリオばかり可愛がられて。その陰で一生懸命生きていた救世主はもう、存在しない。
 涙が、零れた。オレの中で激情が吹き荒れる。報われなかった思いが、一方的に踏みにじられた幸せが、ズタズタにされて千切れ飛んだ心が! 叫んだ。
 い、いいい要らなかったのなら、救世主なん、て、要ら、要らなかったのなら! さ、最初か、ら、な、なななな何も、期待、するなよ。望むなよ、オレに何かを願うなよッ! だか、ら——無駄に期待された、から! こんなにも、こんなにも辛いんだよ! 最終的に「存在しない存在」にするくらいなら! オレに「普通の人間」としての立場をくれよ、オレに「普通の人間」として生きる権利をくれよ、なぁ! 「救世主」なんて要らない! 馬鹿みたいだ! 救世主なんて——誰も、誰も! 望んじゃいなかったんだ! かえって誰かが不幸になるだけじゃないか、なぁ!? なんでオレをそんなものにしたんだよ! なんでオレにそんな不幸を背負わせたんだよ! 自分たちの不幸を肩代わりする体のよい生贄の子羊が欲しかったってだけだろう! 大人はいつだってそうだ、自分の都合ばかり押し付けて! 生贄にされる相手のことなんて、露ほども考えたことなんてなかったんだろう、あぁ!? オレはそんな奴らのために利用されたのか! そんなに醜い奴らのために悲しみを、痛みを、苦しみを味わったのか! 味わわされたのか! なぁ! オレは自分の人生をそんなものの為に浪費なんてしたくない! なのにさせられた! なぁ、一体どうしてくれるんだよ! どうしたらオレは救われるんだよ!! 「救世主」は救いなんて望んじゃいけなかったのか!? ふざけるなよッ、なぁッ!!
 悲しかった、悔しかった、苦しかった、辛かった、いきどおろしかった、憎かった、腹立たしかった、虚しかった、そして幸せな奴らが羨ましくて、妬ましくて、疎ましくて、忌々いまいましくて、狂おしいほどに壊してやりたいとさえ思って、狂った。
 今やオレは「存在しない者」だ。いくら悲しかろうが辛かろうが、この思いを打ち明けられる人なんていない。オレはこんなにも歪み、醜く染まった惨めな心を抱えながら、まだまだ先の長い人生を生きるのだろうか。——生きなければならないのだろうか。
 荒れ狂う感情が心を支配し、理性を奪う、冷静さを奪う、正しい判断能力を奪う。
 「メルジア」と、唯一オレの本名を呼んでくれたエクセリオの声ももう聞こえない。オレは負の感情に支配され、狂った。壊れかけていた心が、ついに完全に——壊れた。
 狂った先にあるものは? 狂った先に何を見出す?
 オレは虚ろな目で宙を見つめた。見つめる先にあったのは、オレが生まれたときに記念に作られた天使の像。「救世主」誕生を祝う、奇跡の像。幸せを、平和を、約束してくれるはずだった女神の像。……クソッタレの天使の像。何も叶えてくれなかった、ただ微笑むことしかできないただの像。ご利益なんてあったものじゃない。
 結局、それは幸福なんかもたらしてはくれなかった。
 そしてオレは、破滅する。
 今も破滅してはいるが、さらに、さらに。取り返しのつかない域まで。そうして大人たちに見せつけてやるんだ、あなたたちが「救世主」と呼んだ少年に、一体何をしたのか。
 エクセリオも憎いけれど。大人たちもまた、この憎悪の一端を担っているのは、確かで。
 だから、教えてやる、見せつけてやる。
 オレは小さな決意を固めると、幽鬼のようにゆうらりと、実に頼りない足取りでその場を後にした。
 オレは、死んだ。オレは、死んだんだ。否、オレは死んだんじゃない、死んでいたんだ。そうさ、生まれたときから死んでいた。「救世主」になったときから死んでいた!
 ああ、泣きたいよ。この運命を呪いながらも、子供みたいに大声で泣きたい。
 神様なんて存在しない。神は万人を助けてくれるわけではない。
 そんなの、下らん理想論なんだ。
 だから、オレは————

Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.12 )
日時: 2018/08/28 08:40
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


  ◆

 翌朝、一つの死体が見つかった。それは冬の冷気の中で凍りつき、ぞっとするほどに美しかった。その顔には皮肉げな笑み。その足元には、「これが『救世主』の末路だ」と、血文字で殴り書きされた木の板が転がっていた。
 天使像の腕に縄を掛けて首を吊っていた少年。その名前を、誰が覚えていよう。その思いを、その生き様を。誰が知ろう、誰が解ろう。
 その叫びが、誰に届こう。
 メルジア・アリファヌスはもういない。赤髪の炎使いは、もういない。
 鬼神のような形相で、運命を呪いながら死んでいった少年はかつて、「救世主」と呼ばれていた。
 偽りの「救世主」。望まれなかった「救世主」。利用され尽くした挙げ句に追い詰められた「救世主」。
 その実態はただの一人の少年に過ぎなかったのに、何故。何故、このような悲劇が起こったのだろうか。
 「救世主」はもういない。否、最初から存在しなかった。「救世主」は偽りだった。そんなものなんて——存在、してすらいなかったのだ。
 
 そしてそれから何年も過ぎ、大人たちは当たり前のように日々を過ごす。誰も覚えてはいない。誰もそのことを知らない。誰も「メルジア」なんてわからない。誰一人として、破滅した「救世主」のことなんて気にも留めない。彼らは全てをなかったことにして、いつも通りに生活を続ける。昨日も今日も、そのまた明日も。一人の少年がいなくなっても。その少年を、破滅させても。
 誰が、覚えていよう。その名前をその姿を、「彼」の優しさを使命感を、真面目さを、葛藤を。——その生き様を。
 こうして忘れられていく。こうして全ては風化していく。
 そして今日も時は流れる。

「メルジア……」
 エクセリオは小さくその名を呟いた。
 彼を倒して得た地位。彼を破滅させて得たその地位は、エクセリオにとっては強い強い罪悪感とつながる。
 失ってから初めてわかった、大親友だと思っていた彼の本当の気持ち。
 エクセリオは、両の手で自分をぎゅっと抱き締めた。かつてエクセリオを優しく抱き締めてくれたメサイアは、メルジア・アリファヌスは、もういない、けれど。
「みんながあなたを忘れても、僕だけは決して忘れない。そしてずっとずっと、償い続けるんだ」
 少年の死は、エクセリオの心に深い傷を残した。
「僕は、忘れないよ、メルジア」
 死んだメサイアは一通の遺書を遺した。それはエクセリオに宛てられていた。そこに書かれていたのは恨みの文章、エクセリオに対する恨みの文章。エクセリオが才能を持って生まれたことは罪ではないが、エクセリオはその言葉によってメサイアを傷つけ、最終的に破滅に追い込んだ。
 悪いのは大人たちかもしれないけれど。
 エクセリオもまた、メサイアを追い詰めたのは確かで。
 エクセリオは己の言動を省みる。「どうして出ていかないの」無邪気さから放った純粋な台詞。しかしその台詞がメサイアをこれ以上ないほどに傷つけたのだと、メサイアが死んだ今ならばわかる。エクセリオがいたせいで、メサイアは居場所を失った。その張本人たるエクセリオがそんな台詞を放ったならば、激怒して当然だろう。そしてその激怒がメサイアに罪を犯させ、彼を狂わせ、破滅に追い込んだ。メサイアはエクセリオを愛していたのかもしれない。しかし憎悪が、葛藤から生まれた激情が、エクセリオへの愛を上回ったのだ。もしも生まれた場所が違っていたのならばきっとこうはならなかっただろう悲劇。しかし残酷な運命は、最悪の形で二人を別れさせた。
 エクセリオは、ぽつりと呟いた。
「……メルジアを殺したのは、僕だ」
 『お前なんか生まれなければ良かったのに』
 それは遺書に記されていた、メサイアの本心。遺書にこもっていたのは憎悪。
 友達だと思っていた彼からのその言葉は、エクセリオの心に深く深く突き刺さり、決して抜けない棘となって彼を苛んだ。そしてそれはこれからもエクセリオを、苛み続けるのだろう。
「ごめん、ごめんよ、メルジア。ごめん……」
 今、自分の犯した罪に気がついてももう全ては後の祭りで。死んだ救世主は戻ってこない。
 偽りだった救世主。名ばかりで、その実態は人々の不幸の掃け口だった救世主。
 エクセリオは涙を流した。
「ごめん、なさい……」
 その償いは、永遠に続くのだろう。短い命、「神憑き」。彼が償える期間は非常に短いけれど。そもそもどうやって償えばいいのかすらわからないけれど。彼はその間ずっと、その死を背負い続けるのだろう……。死に怯えたエクセリオを慰めてくれたメサイアは、もういないのだから。エクセリオは一人になった。独りに——なった。
「僕は、逃げない」
 しばらくして、エクセリオは毅然とその顔を上げた。その瞳に浮かんだのは、小さいがしかし揺るぎのない、確固とした決意の炎。
 エクセリオはその表情のまま人型の幻影を呼び出すと、それを使ってメサイアの亡骸を天使像から降ろした。そして別の幻影に穴を掘らせると、亡骸をそっと穴の底に横たえさせて土をかけた。その顔は首が絞まったことにより赤黒く膨らんでいて、それでいて凄絶なまでに美しかった。
 エクセリオはメサイアを埋葬した。その墓標として、近くで見つけたはしばみの枝を挿した。
 メサイアの、メルジアの、偽りの救世主の、エクセリオの破滅させた大親友の墓標の前で、彼はもう戻らないのだと冷たい現実を突きつける土盛りの前で、エクセリオは祈るように両の手を組み合わせる。
 そして、誓った。
「僕は族長になるよ、メルジア」
 それは、
「あなたを蹴って就いた地位だ、罪悪感はある。でも僕は族長になる」
 悲しみから、苦しみから、
「僕にはやりたいことがあるんだ。それは、」
後悔から、身を灼き尽くすほどの罪の意識から、
「族長になって——この村の腐った意識を、変えてやることさ」
 逃げない誓い。
 エクセリオは、宣言した。

「——僕は罪から、逃げないッ!」

 その顔にはいつもみたいな笑顔がない、無垢さがない、無邪気さがない。
 代わりのようにあったのは、張り詰めた強い決意。
 図らずも一人の人間を破滅に追いやってしまった真白き心の天才は、罪というものを、大人たちの悪意というものを、知ってしまったから。もう無垢で無邪気だった頃には、戻れない。彼は人間の闇を知った。
 エクセリオは誓う。自ら破滅させてしまった親友の墓前で、冷たく残酷なまでに明確な、罪の証の目の前で、己の魂に誓う。逃げずに罪を背負い続けることを、安易な逃避には向かわぬことを。
「メルジア、僕は一生を掛けて、あなたに償うよ。決して長くはないけれど、この命のある限り……!」
 そのためには。
 まずは村を変えなければならない。
「僕は行くよ、メルジア。あなたの屍を乗り越えて、あなたの死を背負って、前へ」
 雪の中、エクセリオは立ちあがって踵を返す。最後にもう一度祈りを捧げるような仕草をすると、エクセリオはいなくなった。
 雪はしんしんと降り続く。間もなくその背中は見えなくなった。
 去りゆくエクセリオの後ろにゆうらりと、まるで彼を見送るように立ち上がった半透明の赤い影は。「救世主」を強制的に演じさせられた、名も無き少年の影は、 
 
 罪を背負った天才の、思いの見せた幻影だったのだろうか。

  ◆

 こうしてこの物語は幕を閉じる。悪意によって滅ぼされた少年と、無邪気すぎるゆえに無意識の内に相手を追い詰めた少年。二人の間には切れない絆が、確かな友情が、確実にあったのに。どうしてだろう、歯車は壊れ、全ては狂わされた。

 「救世主」なんて、必要なかったんだ。
 最初から——最初から。

〈偽りの救世主メサイア——Messiah of False 完〉