複雑・ファジー小説
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.8 )
- 日時: 2018/08/24 09:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◆
〈三章 破滅の果てに〉
力ある者はアシェラルの族長に。それがここの法則だ。オレは覚悟していたさ、覚悟していたともさ。エクセリオが「神憑き」であることがわかった時点で、オレは族長候補から外されると。
だがな、わかっているのと実際にその通告を聞くのとは話が違うんだよ。
エクセリオが「神憑き」とわかってから一週間後、オレは族長さまに呼び出された。
「我の後継ぎから貴公を除名し、エクセリオとする」
告げられたのは、決して変えられようのない事実。決定事項。オレは黙ってその言葉を聞いていた。
「理由は、わかるな? よって貴公はこれより『救世主』の任を解かれ、ただ人と成り下がる」
反論の余地はない。反論しても意味はない。オレは自分の心の内に絶望が広がっていくのを感じていたが、黙ってそれを受け入れるしかなかった。
「貴公の炎の魔法など、彼の『錯綜の幻花』に比べれば弱々しいにも程がある。強き者は村長に、これ我が村の決まりなり。あとから生まれた者に負けたということは、貴公はそれまでの男だったというわけだ。
——『救世主』メサイア。貴公の時代は終わったのだよ」
そしてオレは、奈落に落ちた。
オレは「救世主」だ。「救世主」だった。オレは「救世主」として育てられ、それ以外の生き方を何一つ教わらなかった。オレは生まれたときから歩むべき道を定められていた。オレには「救世主」として生きる以外の選択肢はなかった。なのに今のオレは「救世主」じゃない。オレの居た座はエクセリオによって奪われた。エクセリオはなりたくて「神憑き」になった訳じゃないからあいつに罪はないが、あいつの態度に罪があった。
——なぁ、エクセリオよ、無垢で無邪気な天才よ。
何故、お前はそうも笑っていられるんだ? 人を突き落として就いた地位なのに、突き落とした当人に対して。いくらそんな過去があったとしても、お前は異常だよ、エクセリオ。
あれからもずっと、あいつはオレに笑いかけてくる。無垢に——無邪気に。だからオレはあいつを憎んだ。
「救世主」以外の生き方を知らぬオレは散々蔑まれ、嘲笑われ、人々の憎悪の対象になってさえいるのに。それでもあいつはオレに変わらぬ態度で笑いかけてくる。オレはそれが、その神経が信じられない。だからオレはあいつが憎くてたまらなくなった。幸せだった時はもう、終わった。
それでも、どうしてだろう? オレはあいつのことが嫌いになりきれずにいた、憎みきれずにいた。
あいつだけが、エクセリオだけが、オレを親友と呼び、オレを本当の名で呼んでくれるから。
ああ、胸が苦しい。喉の奥が焼けるようだ。焼けるような煩悶が、葛藤が、オレの中を吹き荒れてオレを粉々にしようと暴れ回る。
憎いはずなのに、憎みきれずに。好きなはずなのに、好きになりきれずに。
いっそ、最初からエクセリオがオレをオレの名で呼ばず、オレに敵対する態度を取ってくれていたらどんなにか良かったのに、とオレは思った。そうすればこんなに苦しくなかった、こんな思いを抱かずに済んだ。最初から、オレを憎んでさえいてくれれば、オレは、オレはッ!!
でも、現実はそんなに甘くはないんだよ。エクセリオはオレを蹴落としながらも、悪気のない悪意で、オレを純粋に信じているような眼をして、話し掛けてくるのだ。そのたびにボロボロになったオレの心は葛藤のあまり血を流し、オレの中を激情が吹き荒れる。二律背反、対立する気持ち。だから苦しく、だから辛い。
オレの心は疲弊しきっていた。それでもエクセリオはオレの傍に寄って来て、笑うのだ。オレはこの気持ちをどうすればいいのかわからずに途方にくれた。
そして、冬が来た。
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.9 )
- 日時: 2018/08/25 11:33
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◆
その年の冬は大雪だった。エクセリオはその雪の中、酷い風邪を引いて家から出られなくなってしまった。
エクセリオが住んでいるのは、彼の両親が昔住んでいた家だ。その家はちっぽけな彼にとってはあまりに大きすぎる。時々、次期族長候補のために他のアシェラルがその大きすぎる家を手入れするらしいが、あいつもオレと同じ、基本、一人だ。
幼くして両親を亡くして、広すぎる家に一人住む。あいつは一人で暮らし続けるオレに、自分と似た空気を感じ取ったのだろうか。
そして今、あいつは病気だ。でも見舞ってくれる人なんてほとんどいない。次期族長候補になったのに? なんて雑な扱いなんだ。やっぱりこの村はどうかしてるよ。
そう思った、オレ。でもオレは違う、この村の、他の無慈悲で情を持たない大人たちとは違うんだ。だから、オレはバスケットにパンや果物を入れて、大雪の中、あいつの家まで歩いた。オレは炎、火炎を操るメサイアだ。オレに限って言うならば、雪だろうがなんだろうが関係ない。降り積もる雪も、オレの歩くそばから溶けた。
やがてたどり着いたのは、大きな木造の家。誰もいない。そこには冷たい空気が漂っていた。オレはその入り口をノックするが返事がない。そういえばオレがエクセリオの家に来たのはこれが初めてだったなと思いつつ、「メサイアだ、見舞いに来た」と声を掛け、中に入った。鍵は掛かっていなかった。
大きな家だ、造りはよくわからない。族長さまの弟、つまりエクセリオの父とやらは、それなりに資産を持っていたのだろうか。きょろきょろしながらオレは歩いた。すると、しんしんと雪の沈黙が辺りを覆う中、オレの耳に届いた微かな、しかし確かな、声。
「メサイア……?」
「エクセリオ……!」
弱々しい声に導かれ、その声のした部屋に向かうと、火の落ちた暖炉の設置されているひと部屋のベッドの上に、エクセリオが横たわっていた。今は、冬の夜だ。その中で暖炉もつけず布団一枚で寝ているとは、身体に障る。実際、部屋の中はぞっとするくらい寒かった。体調が悪いってのにこんな部屋に寝かせるとは、つくづく村の大人たちも薄情者である。こいつは曲がりなりとも次期族長候補だぞ? ……オレを意図せずして蹴落としたことは、この際、置いておく。
オレはエクセリオを気遣って、炎の魔法で暖炉の薪に火をつけた。いつからあったのか、手入れ係が入れたのか知らんが、暖炉の中にはたくさんの薪があった。
暖炉に火がつけば、少しは暖かくなった部屋の中、赤くぼんやりとした光に、横たわるエクセリオの顔がうっすらと照らされる。その顔は蒼白で、額からは汗が流れているのにエクセリオはぶるぶると震えていた。オレは思わず声を掛けた。
「おい……大丈夫か?」
その額に手を当てると、熱かった。エクセリオの瞳は涙で潤んでいた。どう考えても普通の状態ではない。
「雪を拾って冷たいタオル作ってやるから少し待ってろ」
見てられない。オレがエクセリオにそう声を掛けて部屋を出ようとすると、オレのマントが引っ張られる感覚がした。見ると、エクセリオが必死の顔で身を起こし、オレのマントの端を掴んでいる。エクセリオはすがるように弱々しく言った。
「お願い……行かないで」
オレはそんな聞き分けのない子供みたいな、いや実際まだ子供のエクセリオに、諭すように言った。
「すぐに戻る。いなくなるわけじゃないから安心しろ。というかお前はまだ寝てろよ。無闇に身を起こすと身体に障る。頭とか、今、すごい重いんじゃないか?」
どうしてだろう、こうやって気遣っている時、オレのエクセリオに対する憎悪は消えていたんだ。
オレは自分の心を省みる。今、オレの中にあるのはいたわりと心配だった。あんなに、悩んでいたのに。あんなに、葛藤していたのに。どうしてだろう、今は、今だけは、あいつを憎いと感じないんだ。
——オレにも人の心が残っていたか。
そう思うと、安心した。オレは壊れかけているけれど、病人を、弱っている人に憎しみを抱くほど、壊れてはいないんだ。もしもこのまま状況が平和に過ぎ去れば、オレはまだきっと、戻ることができる。
エクセリオはオレの言葉に返答する。その声もかすれてがらがらになっていて、息をするのも辛そうだ。無理するな、とオレは声を掛けた。
エクセリオは、言う。
「重いよ、辛いよ。でもそれ以前に……怖いんだよ。だから傍にいて、メルジア」
何が、とは言わなかった。そしてエクセリオはオレに頼んだ。
「ね、僕を暖炉の前まで運んで。そして隣にいてよ、ね」
オレは言われたとおりにエクセリオの華奢な、羽根みたいに軽い身体を暖炉のそばまで運んでやると、その隣にそっと寄り添った。するとエクセリオはオレの肩に、その小さな頭を預けた。「お、おい……?」戸惑いながらもオレが不器用にその小さな身体を抱き締めてやると、その全身が震えているのがわかった。でも、その震えは病気のせいだけではないように感じた。エクセリオはオレにぎゅっとしがみついて、固く目を閉じて唇の隙間から声を漏らした。
「死ぬのが、怖いんだ」
エクセリオは唐突にそんなことを言った。オレにしがみつく力が強くなる。その姿は、まるで藁にでも縋ろうとする、今まさに溺れようとしている人の姿にも見えた。それだけ、必死そうだったのだ。オレは心配げな顔をして、エクセリオを覗きこんだ。
「エクセリオ……?」
エクセリオは震えながらも、答えた。
「死ぬのが、怖いんだ。僕、二十まで生きられないんでしょ。今、辛いよ苦しいよ。このまま死んじゃうのかな、それは怖いよ。怖くて怖くてたまらないから、どうしても震えちゃうんだよ……」
発されたのは、エクセリオの本音。
エクセリオ。「神憑き」であることが判明したこの天才には、常に死の気配が付きまとうようになった。エクセリオはいつも笑い、口では気丈なことを言って強気な態度を取るけれど。本当は、怖かったのだろう、とても怖かったのだろう。
まだ、この世界でやりたいことはたくさんあるのに。
自分だけが誰よりも先に、誰も知らない未知の世界へ旅立たねばならないことが。
オレはこれまで、自分の視点でしか物事を考えていなかった、考えられていなかった。エクセリオがどう思っているかなんて考えたことも無かった。オレは自己中な救世主だった。自分中心の視点でしか、物事を見ることができなかった。
しかし、
こうやって聞いた、エクセリオの本音。
それはあまりにも悲しくて。
誰だってそうだ、誰だって死は怖い。けれどエクセリオは余命が定まっている。いつ死ぬかわからないからのんびり生きている他の人たちとは違うのだ。その恐怖は、その不安は、どれだけのものか。
オレは震えるエクセリオを強く抱き締めた。するとエクセリオもその細い身体で精一杯の力を出して、オレにしがみついてくる。オレはその頭を撫でてやりながらも、優しく慰めるように言った。
オレは救世主じゃなかったのかもしれないけれど。
それでも、少しでも誰かの救いになれるなら。
「大丈夫だ、エクセル。炎は命、命は燃えるもの。たとえお前の命の灯が消えそうでも、オレが燃やしてやる、オレの炎で永らえさせてやる。だってオレは『炎』のメサイアなんだ、燃やすことは得意なんだよ」
その炎はいつしか、自分自身を焼き尽くして灰に変えるのかもしれないけれど。
現に、オレの心はずっとずっと不安定だったんだから。
それでも今は違う。今の炎ならば、熾火みたいに優しく穏やかな炎ならば、きっと誰かを暖められる。
オレはエクセリオに、気分転換のための話を持ち掛けることにした。
「病は気から、という。少し落ち着けよ、幻の花。
気分転換に話をしようか。エクセル、オレたちアシェラルの民の始祖の話……知ってるか?」
ううんとエクセリオは首を振る。そうか、とオレは頷いた。
「まだ教わってないんだな。じゃ、話をしようか。綺麗な、この大空みたいに綺麗な、どこまでも澄み渡った物語だよ」
そしてオレは語り始める。
「昔々、それは今から二万年ほども昔。戦乱で荒れた世界に、一人の少年がいた。その名はフィレグニオ。彼は戦の日々の中でも空だけはずっと綺麗だという理由で、空に憧れて空ばかり見ていた。戦いなさい、何をぼうっとしているんだと周りは言うけれど、それでもフィレグニオ少年は空ばかり見ていた——」
それは、神に空を願い、願いを聞き届けられて空を飛ぶ翼を得た少年の物語。未来、彼の子も背に翼を持つようになり、彼は全てのアシェラルの始祖となる。こうして翼持つ一族、アシェラルの民は誕生したんだ。
そんなフィレグニオ少年の本名は、フィレグニオ・アシェラリム。偶然か、必然か。エクセリオの名字と同じ名字を持つ。
オレは、語る。語る、語る、物語を、語る。冬の夜、暖炉の光が複雑な陰影を生み、辺りをぼんやりとした光で照らしだした。
気がつけば、エクセリオの震えはおさまっていた。話が終わるころにはエクセリオはオレの肩に頭を預けたまま、眠ってしまっていた。落ち着いたのだろうか、その顔にはもう恐怖がなかった。オレはそんなエクセリオを見て微笑むと、彼を起こさないようにしながら慎重に自分のマントを外し、毛布代わりにエクセリオに掛けてやった。
久しぶりに訪れた穏やかな時間。オレの心は複雑だったけれど、この瞬間だけは確かに、満たされていた、満たされていたのだ。
感じたのは、多幸感。
この幸せが、この穏やかな時間が、永遠に続けばいいのに。オレはそう思っていたけれど。
永遠なんて、存在しないんだ。
それをどこかでわかっていて、だからこそこの時間が失われることを恐れる自分がどこかにいた。
冬の夜はゆっくりと過ぎる。冬の夜は静かで、辺りは沈黙に包まれる。
オレは暖炉の炎を見ていた。今、この部屋には暖炉のパチパチと爆ぜる音と、エクセリオの静かない寝息以外の音は一切存在しなかった。
オレは炎を見ていた。オレみたいな炎を、オレそのものみたいな、鮮やかな炎を。
ある冬の一日の夜が、静かに過ぎようとしていた。
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.10 )
- 日時: 2018/08/26 12:03
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◆
永遠なんて、存在しなかったんだ。あれ以降もエクセリオは無邪気な言葉でオレを笑い、悪気のない悪意でオレを傷つけた。本人にその気持ちはないのだろう、しかし確かに確実に、エクセリオの言葉のナイフはオレを突き刺して心をズタズタに切り裂いた。オレは幸せだったあの日を想い、思うほどに、苦しんだ。悪気のない悪意。エクセリオに悪気はないのに、その言葉に行動に込められた無邪気な悪意のせいで、オレは大親友を、憎んだ。
そして事件は起きた。
エクセリオと冬の一日を過ごし、しばらくしてから大人たちの態度はさらに悪化した。オレは自分の家から追い出され、家を失い路頭に迷った。最初の数日は野宿をしてその日を過ごしたが、誰も使わなくなった古民家を発見してそこに寝泊まりすることにした。そこはあちこち壁や天井に穴が空いていたが、少しは雨風を凌げる分、野宿よりはマシだろう。
でも、大人たちって醜いんだな?
オレが「救世主」でなくなった時から大人たちは手のひらを返したように態度を変えた。崇拝は嘲笑に、尊敬は侮蔑に、期待は憎悪に。何もかもが一転し、オレは栄光から破滅へと突き落とされた。
皆、オレが「救世主」であった頃はオレにすり寄ってきていたのに、候補がエクセリオに変わった途端、皆が皆エクセリオにゴマすりやがるんだ。人を散々持ち上げといて、その人が落ちたらこのザマか、ハッ。人間の醜さを見たような気がした。アシェラルはもっともっと、誇り高い一族だと思っていたのにな? それもオレが「救世主」であるために刷り込まれた都合の良い情報か。
この古民家には既に石を投げられた回数数知れず、ゴミ捨て場にされたことも両手の指では数え切れない。放火されたことだってあるんだぜ? 信じられるか? だがな、これが現実なんだよ! これが「救世主」として崇められて捨てられた——メルジア・アリファヌスの現実なんだよ、クソがッ!!
そうやって物思いに耽っていたら、背中から掛けられた無邪気な声。
しかしその言葉は、オレの内から憎悪の炎を呼び出すには十分すぎた。
「どうして出て行かないの?」
何の気も無しに掛けられた無邪気な言葉。それはエクセリオの言葉。オレの背筋に何か冷たいものが走ったような気がした。大好きな、友人なのに。彼はオレを突き落とした張本人。
エクセリオは言うのだ。どこまでも無垢に無邪気に——残酷に。
「ねぇね、メルジア。今、とっても苦しいんだよね? ならさぁ、この村から出て行けばいいじゃん! 出て行けばきっと、苦しまないで済むよ!」
オレはゆっくりと後ろを振り返った。そこには邪気の全く存在しない、純粋な笑顔があった。無垢で無邪気で純粋で。悪意や敵意は全くなくて。しかしそれ故に腹が立つ。善人ほどたちの悪い人間はいない。
「……エクセリオ」
「なぁに、メルジア。って、顔怖いよ? 僕、何か気に障ること、言ったかなぁ?」
「……どの口が、それを言うんだ」
突如、心の底から炎の如く噴き上げてきた怒り。オレは溢れかえる感情に目の前が真っ赤になった。オレは怒鳴った。それはオレの、「救世主」メルジア・アリファヌスの心からの叫びだった。オレの心は落とされたことによって激しく血を流し、悶え苦しんでいた。エクセリオへの愛が憎悪が、絡み合った愛憎がオレを狂わせる。オレは血を吐くような思いで叫んだ。
「どの口が——どの口がそれを言うんだよッ! 出て行くのはお前の方だろう!? 後から生まれたくせに、何の努力もしないでオレが持っていたもの全て奪いやがって、挙げ句の果てに出て行けだと!? ——厚顔無恥にも、程があるだろうッッッ!!」
オレの怒りに呼応して、燃え盛る炎が召喚される。それはエクセリオを焼かんと躍り狂ったが、オレは僅かに残った理性で辛うじてそれをエクセリオに向けないようにする。
エクセリオは不思議そうに首を傾げた。
「でもここから出て行けば、居場所が見つかるかもしれないのに。メルジアが嫌な思いをするのはここだけでしょ?」
オレは無理だとその言葉を否定する。
「無理だ、幻花。オレは他の世界など知らない。そして『救世主』としての生き方以外知らない。そんなので、外の世界で生きていけると思うのか? 本気でそう思っているのだとしたら、お前は馬鹿だ!」
「でもメルジア、最初から諦めるの? そこに希望を見出さないの? 可能性は完全にゼロって訳じゃないじゃない。諦めるのはまだ早いってば」
「——希望を奪ったのは、お前だろうがッ!!」
炎。怒りに呼応して。オレはついにそれを抑えられなくなった。オレが感じた憤怒が、悲哀が、憎悪が。「炎」という他者を傷付け得る凶器となってエクセリオを襲った。エクセリオは思わず悲鳴を上げる。
「うわ、メルジア、何するの? 熱いよ……痛いよ!」
いくらエクセリオの「実体のある幻影」といえども、あいつが防げるのもまた実体のあるものだけ。オレの「炎」はエクセリオの咄嗟の防御をかいくぐり、奴の身体に達した。肉の焼ける音、人肉の焦げる異臭がオレの鼻を突く。
その時のオレは、笑っていた。狂ったように、悪魔の如くに。
——嗤っていた。
「ハハ、ハハハッ! どうした幻花! あんたの実力はそんなものか! ほらな、族長になるのはこんな弱い奴じゃないんだよ。オレの方が優れている! だからだからだから——オレが、メルジア・アリファヌスが、族長なんだよッ! お前なんかじゃないッ!!」
歪んだ心が生み出した狂気。悶え苦しむエクセリオを見て、オレは高らかに笑っていた。
「お前なんか族長じゃない! この泥棒猫め、オレの前からさっさと失せろッ!!」
「痛いよ……苦しいよ……メルジア、助け……て……!」
エクセリオは炎を消そうと必死で大地を転げ回るけれど。オレの炎を舐めてもらっちゃ困るんだ、そう簡単に消されるものではない。炎、炎、炎! 炎こそオレの取り柄だ! 炎だけがオレの強みだ! それ以外は何も持っちゃあいないが——炎はオレを、裏切らない!
そうやって高らかに笑っていたら。
オレの背後で、地獄の底から響くような、冷たく低い声がした。
「……救世主」
族長さまの声だ、とオレは確信した、
時。
「お前は一体何をやっているんだッ!!」
火花。オレの頭の中が一瞬真っ白になった。続いて、激痛。頭に手を触れると、そこがねっとりと濡れていた。手に付いたそれは鮮やかな赤をしていた。それからは鉄錆の臭いがした。殴られたんだな、と気付くのに数秒。オレは視界の端で、エクセリオの炎が水の魔法で消火されているのを見つけた。水の魔法を使っているのは族長の奥さんだ。そこまで見て、オレは現状をようやく意識した。
「救世主……偽りの救世主めッ! 次期族長に何をしたッ!」
飛んできた拳。殴られて視界が赤く染まる。オレはそのまま地にくずおれた。痛い、苦しい! けれども、族長さんよ、一つだけ、言わせてもらおう!
オレは怖かった。この後自分が何をされるのかと思うと怖くて怖くてたまらなかった。だがな、毒を食らわば皿までだ、もう問題を起こしてしまったのだから言わせてもらうぜ、ああ。そうでもしなけりゃ、何も報いることができないだろう。
オレは必死で主張した。
「違う……違うんだ、族長さま! オレはただ、貴方に認められたかっただけなんだ!」
エクセリオに対して憎悪が湧いたのは確かだけれど。オレの本心はただひとつ、族長さまに認められたい、もう一回認めてもらいたい、それだけなんだ。エクセリオばかりじゃなくて、もう一回、もう一回! これまでみたいにオレを、オレを! 褒めてくれれば、認めてくれれば、それでそれだけで良かったんだよッ!
しかしそんなオレの思いなんて、わかってくれるわけがない。
族長さまは憤怒に目をぎらつかせて拳を振り上げた。
「問答無用! お前は次期族長候補に対する殺人未遂という重大な罪を犯した! そして代々アシェラルでは、重罪人に対して行う罰がある! そうさ、お前は罰を受けるんだッ! お前なんて、お前みたいな出来損ないなんて——こうしてやるッ!」
ぼんやり霞む視界の中、オレは族長さまがどこからか鉈を取りだしたのが見えた。ああ、殺されるのかな。オレはそう思ったけれど。
現実はもっと残酷だった。
一閃。鉈の凶悪な刃が閃く。しかしそれが落としたのはオレの首ではなくて。
——翼だった。
激痛。耐えがたいほどに。これまで感じたことのないほどの、下手すれば正気を失ってしまいそうなほどの激痛がオレを襲う。視界が赤く染まり、痛みのあまり何も考えられなく、
——痛イ。
痛イ、痛イ、痛イ。
痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛庸痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛庸痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛イタイイタイタイタイ痛イタイ痛イ痛痛痛イイタ痛イタイ痛イイイタ痛イタ痛痛イイタイ痛痛痛イタイ痛痛痛痛イタイイ痛イ痛イ痛イイタイイイイイ痛イイ痛痛イタイイイ痛イイタ痛痛痛イイイ痛イイ痛イイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィイ痛ィィィィィイィィィィィィィィィィィィ痛ィアィァイァイイァ…………
気がつけば、意識は消えていた。
耐えられるような痛みではなかった。
◆
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.11 )
- 日時: 2018/08/27 09:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◆
翼を失って、オレの生活はますますひどくなった。
エクセリオは命が助かったばかりか、傷一つ残らないらしい。オレだけだ、オレだけに消えない傷が残った。オレだけなんだ、オレだけだ。
——どうしてオレが。
どうして、大人たちに言われたとおりに「救世主」として生き続けたオレなんだ。どうして、どうして、どうして! どうしてオレなんだ、どうしてオレが。こんなにも、こんなにも、苦しまなければならないんだッ!
そしてオレは思ってしまう。それは、思ってはならないことだったのに。あいつとの日々を全否定するような言葉なのに。襲い来る無慈悲な現実の前、オレの中にわずかに残っていた友情や絆なんて言葉は、いとも簡単に崩れ去る。オレの心は、叫んだ。
——どうして、エクセリオじゃないんだッ!!
こんなに苦しむのが、どうして、エクセリオじゃないんだッ!!
翼の傷がひどく痛み、疼く。オレはもう、二度と空を飛べない。
そしてオレはとうとう、「存在しない者」となった。
嘲られ、蔑まれる日々はまだましだったのだと、失ってからオレは気が付いた。
事件の後、オレが仮に住んでいた家は取り壊され、そこは地ならしされて更地になった。オレがそれに文句を言おうが、誰もオレに反応してくれない。オレが相手の肩などを掴めば、「幽霊がとり憑いた」と大騒ぎして、「除霊」と称してひどい目に遭うようになった。
オレが道端に立っていたら、石ころか何かのように蹴とばされて見向きもされず、声を掛けても反応しない。
背中の激しい痛みと闘いながらも、オレは不意に悟った。
——ああ、もう「救世主」なんて存在しないんだな、と。
蝶よ花よとエクセリオばかり可愛がられて。その陰で一生懸命生きていた救世主はもう、存在しない。
涙が、零れた。オレの中で激情が吹き荒れる。報われなかった思いが、一方的に踏みにじられた幸せが、ズタズタにされて千切れ飛んだ心が! 叫んだ。
い、いいい要らなかったのなら、救世主なん、て、要ら、要らなかったのなら! さ、最初か、ら、な、なななな何も、期待、するなよ。望むなよ、オレに何かを願うなよッ! だか、ら——無駄に期待された、から! こんなにも、こんなにも辛いんだよ! 最終的に「存在しない存在」にするくらいなら! オレに「普通の人間」としての立場をくれよ、オレに「普通の人間」として生きる権利をくれよ、なぁ! 「救世主」なんて要らない! 馬鹿みたいだ! 救世主なんて——誰も、誰も! 望んじゃいなかったんだ! かえって誰かが不幸になるだけじゃないか、なぁ!? なんでオレをそんなものにしたんだよ! なんでオレにそんな不幸を背負わせたんだよ! 自分たちの不幸を肩代わりする体のよい生贄の子羊が欲しかったってだけだろう! 大人はいつだってそうだ、自分の都合ばかり押し付けて! 生贄にされる相手のことなんて、露ほども考えたことなんてなかったんだろう、あぁ!? オレはそんな奴らのために利用されたのか! そんなに醜い奴らのために悲しみを、痛みを、苦しみを味わったのか! 味わわされたのか! なぁ! オレは自分の人生をそんなものの為に浪費なんてしたくない! なのにさせられた! なぁ、一体どうしてくれるんだよ! どうしたらオレは救われるんだよ!! 「救世主」は救いなんて望んじゃいけなかったのか!? ふざけるなよッ、なぁッ!!
悲しかった、悔しかった、苦しかった、辛かった、憤ろしかった、憎かった、腹立たしかった、虚しかった、そして幸せな奴らが羨ましくて、妬ましくて、疎ましくて、忌々しくて、狂おしいほどに壊してやりたいとさえ思って、狂った。
今やオレは「存在しない者」だ。いくら悲しかろうが辛かろうが、この思いを打ち明けられる人なんていない。オレはこんなにも歪み、醜く染まった惨めな心を抱えながら、まだまだ先の長い人生を生きるのだろうか。——生きなければならないのだろうか。
荒れ狂う感情が心を支配し、理性を奪う、冷静さを奪う、正しい判断能力を奪う。
「メルジア」と、唯一オレの本名を呼んでくれたエクセリオの声ももう聞こえない。オレは負の感情に支配され、狂った。壊れかけていた心が、ついに完全に——壊れた。
狂った先にあるものは? 狂った先に何を見出す?
オレは虚ろな目で宙を見つめた。見つめる先にあったのは、オレが生まれたときに記念に作られた天使の像。「救世主」誕生を祝う、奇跡の像。幸せを、平和を、約束してくれるはずだった女神の像。……クソッタレの天使の像。何も叶えてくれなかった、ただ微笑むことしかできないただの像。ご利益なんてあったものじゃない。
結局、それは幸福なんかもたらしてはくれなかった。
そしてオレは、破滅する。
今も破滅してはいるが、さらに、さらに。取り返しのつかない域まで。そうして大人たちに見せつけてやるんだ、あなたたちが「救世主」と呼んだ少年に、一体何をしたのか。
エクセリオも憎いけれど。大人たちもまた、この憎悪の一端を担っているのは、確かで。
だから、教えてやる、見せつけてやる。
オレは小さな決意を固めると、幽鬼のようにゆうらりと、実に頼りない足取りでその場を後にした。
オレは、死んだ。オレは、死んだんだ。否、オレは死んだんじゃない、死んでいたんだ。そうさ、生まれたときから死んでいた。「救世主」になったときから死んでいた!
ああ、泣きたいよ。この運命を呪いながらも、子供みたいに大声で泣きたい。
神様なんて存在しない。神は万人を助けてくれるわけではない。
そんなの、下らん理想論なんだ。
だから、オレは————
- Re: SoA 青空に咲く、黒と金 ( No.12 )
- 日時: 2018/08/28 08:40
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◆
翌朝、一つの死体が見つかった。それは冬の冷気の中で凍りつき、ぞっとするほどに美しかった。その顔には皮肉げな笑み。その足元には、「これが『救世主』の末路だ」と、血文字で殴り書きされた木の板が転がっていた。
天使像の腕に縄を掛けて首を吊っていた少年。その名前を、誰が覚えていよう。その思いを、その生き様を。誰が知ろう、誰が解ろう。
その叫びが、誰に届こう。
メルジア・アリファヌスはもういない。赤髪の炎使いは、もういない。
鬼神のような形相で、運命を呪いながら死んでいった少年はかつて、「救世主」と呼ばれていた。
偽りの「救世主」。望まれなかった「救世主」。利用され尽くした挙げ句に追い詰められた「救世主」。
その実態はただの一人の少年に過ぎなかったのに、何故。何故、このような悲劇が起こったのだろうか。
「救世主」はもういない。否、最初から存在しなかった。「救世主」は偽りだった。そんなものなんて——存在、してすらいなかったのだ。
そしてそれから何年も過ぎ、大人たちは当たり前のように日々を過ごす。誰も覚えてはいない。誰もそのことを知らない。誰も「メルジア」なんてわからない。誰一人として、破滅した「救世主」のことなんて気にも留めない。彼らは全てをなかったことにして、いつも通りに生活を続ける。昨日も今日も、そのまた明日も。一人の少年がいなくなっても。その少年を、破滅させても。
誰が、覚えていよう。その名前をその姿を、「彼」の優しさを使命感を、真面目さを、葛藤を。——その生き様を。
こうして忘れられていく。こうして全ては風化していく。
そして今日も時は流れる。
「メルジア……」
エクセリオは小さくその名を呟いた。
彼を倒して得た地位。彼を破滅させて得たその地位は、エクセリオにとっては強い強い罪悪感とつながる。
失ってから初めてわかった、大親友だと思っていた彼の本当の気持ち。
エクセリオは、両の手で自分をぎゅっと抱き締めた。かつてエクセリオを優しく抱き締めてくれたメサイアは、メルジア・アリファヌスは、もういない、けれど。
「みんながあなたを忘れても、僕だけは決して忘れない。そしてずっとずっと、償い続けるんだ」
少年の死は、エクセリオの心に深い傷を残した。
「僕は、忘れないよ、メルジア」
死んだメサイアは一通の遺書を遺した。それはエクセリオに宛てられていた。そこに書かれていたのは恨みの文章、エクセリオに対する恨みの文章。エクセリオが才能を持って生まれたことは罪ではないが、エクセリオはその言葉によってメサイアを傷つけ、最終的に破滅に追い込んだ。
悪いのは大人たちかもしれないけれど。
エクセリオもまた、メサイアを追い詰めたのは確かで。
エクセリオは己の言動を省みる。「どうして出ていかないの」無邪気さから放った純粋な台詞。しかしその台詞がメサイアをこれ以上ないほどに傷つけたのだと、メサイアが死んだ今ならばわかる。エクセリオがいたせいで、メサイアは居場所を失った。その張本人たるエクセリオがそんな台詞を放ったならば、激怒して当然だろう。そしてその激怒がメサイアに罪を犯させ、彼を狂わせ、破滅に追い込んだ。メサイアはエクセリオを愛していたのかもしれない。しかし憎悪が、葛藤から生まれた激情が、エクセリオへの愛を上回ったのだ。もしも生まれた場所が違っていたのならばきっとこうはならなかっただろう悲劇。しかし残酷な運命は、最悪の形で二人を別れさせた。
エクセリオは、ぽつりと呟いた。
「……メルジアを殺したのは、僕だ」
『お前なんか生まれなければ良かったのに』
それは遺書に記されていた、メサイアの本心。遺書にこもっていたのは憎悪。
友達だと思っていた彼からのその言葉は、エクセリオの心に深く深く突き刺さり、決して抜けない棘となって彼を苛んだ。そしてそれはこれからもエクセリオを、苛み続けるのだろう。
「ごめん、ごめんよ、メルジア。ごめん……」
今、自分の犯した罪に気がついてももう全ては後の祭りで。死んだ救世主は戻ってこない。
偽りだった救世主。名ばかりで、その実態は人々の不幸の掃け口だった救世主。
エクセリオは涙を流した。
「ごめん、なさい……」
その償いは、永遠に続くのだろう。短い命、「神憑き」。彼が償える期間は非常に短いけれど。そもそもどうやって償えばいいのかすらわからないけれど。彼はその間ずっと、その死を背負い続けるのだろう……。死に怯えたエクセリオを慰めてくれたメサイアは、もういないのだから。エクセリオは一人になった。独りに——なった。
「僕は、逃げない」
しばらくして、エクセリオは毅然とその顔を上げた。その瞳に浮かんだのは、小さいがしかし揺るぎのない、確固とした決意の炎。
エクセリオはその表情のまま人型の幻影を呼び出すと、それを使ってメサイアの亡骸を天使像から降ろした。そして別の幻影に穴を掘らせると、亡骸をそっと穴の底に横たえさせて土をかけた。その顔は首が絞まったことにより赤黒く膨らんでいて、それでいて凄絶なまでに美しかった。
エクセリオはメサイアを埋葬した。その墓標として、近くで見つけた榛の枝を挿した。
メサイアの、メルジアの、偽りの救世主の、エクセリオの破滅させた大親友の墓標の前で、彼はもう戻らないのだと冷たい現実を突きつける土盛りの前で、エクセリオは祈るように両の手を組み合わせる。
そして、誓った。
「僕は族長になるよ、メルジア」
それは、
「あなたを蹴って就いた地位だ、罪悪感はある。でも僕は族長になる」
悲しみから、苦しみから、
「僕にはやりたいことがあるんだ。それは、」
後悔から、身を灼き尽くすほどの罪の意識から、
「族長になって——この村の腐った意識を、変えてやることさ」
逃げない誓い。
エクセリオは、宣言した。
「——僕は罪から、逃げないッ!」
その顔にはいつもみたいな笑顔がない、無垢さがない、無邪気さがない。
代わりのようにあったのは、張り詰めた強い決意。
図らずも一人の人間を破滅に追いやってしまった真白き心の天才は、罪というものを、大人たちの悪意というものを、知ってしまったから。もう無垢で無邪気だった頃には、戻れない。彼は人間の闇を知った。
エクセリオは誓う。自ら破滅させてしまった親友の墓前で、冷たく残酷なまでに明確な、罪の証の目の前で、己の魂に誓う。逃げずに罪を背負い続けることを、安易な逃避には向かわぬことを。
「メルジア、僕は一生を掛けて、あなたに償うよ。決して長くはないけれど、この命のある限り……!」
そのためには。
まずは村を変えなければならない。
「僕は行くよ、メルジア。あなたの屍を乗り越えて、あなたの死を背負って、前へ」
雪の中、エクセリオは立ちあがって踵を返す。最後にもう一度祈りを捧げるような仕草をすると、エクセリオはいなくなった。
雪はしんしんと降り続く。間もなくその背中は見えなくなった。
去りゆくエクセリオの後ろにゆうらりと、まるで彼を見送るように立ち上がった半透明の赤い影は。「救世主」を強制的に演じさせられた、名も無き少年の影は、
罪を背負った天才の、思いの見せた幻影だったのだろうか。
◆
こうしてこの物語は幕を閉じる。悪意によって滅ぼされた少年と、無邪気すぎるゆえに無意識の内に相手を追い詰めた少年。二人の間には切れない絆が、確かな友情が、確実にあったのに。どうしてだろう、歯車は壊れ、全ては狂わされた。
「救世主」なんて、必要なかったんだ。
最初から——最初から。
〈偽りの救世主——Messiah of False 完〉