複雑・ファジー小説
- Re: 少女の香は花に似ている。 ( No.1 )
- 日時: 2018/06/28 18:34
- 名前: 片谷天晴 ◆nqpaN7kCns (ID: LwOm547C)
私は君の母であり父であり姉であり……つまり、君が手に入れられなかった【家族】になりたいと思ってる。
彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。誤解を招くといけないので弁明するが、僕は18年間親元で育ったし、20歳の今日までは働きつつ実家で暮らしている。親がいない施設育ちの可哀想な子、というわけじゃあない。じゃ、なんで僕が家族を手に入れてないと彼女は表現するのか。それは、うん、なんでだろうか。いや、とぼける必要もないか。どうせこれは僕が、僕の頭の中で、僕に語りかけているだけのことだ。
僕の母は、21歳になってすぐに僕を産んだ。父は高校時代の先輩で、当時23歳だったという。母は当時、大阪の短大を中退していて、父は高校を卒業して働き出して5年目だかそれくらいだった。ここまででわかるだろうが、僕はそう、望まれて生まれたわけではない。望まないどころかむしろ、父(または母。或いは両者)にとっては、悪魔の落とし子のようなものだったのではないだろうか。小学生にもなると、僕はよく父に「本当に俺の子か怪しいものだけどな」と、ぼやくように言われていた。父が当時女性からよく好かれていたこと、母はお世辞にも社交的とは言えない性格で、結婚相手にするつもりなんてなかったこと、山梨と大阪の遠距離恋愛で他に男でもいたんじゃないかと疑う反面、浮気なんかできる奴じゃないから、どうせ俺の子供なんだろうと諦めていること。僕はどうしてか(いや、理由は明確なのだが)母より父のことが好きで、よく2人で出掛けていたのだが、その度にそんなようなことを言われていた。「ああいう性格の女(ヒト)だから、諦めてお前が大人になれ」とも。
悲しいことに僕は随分賢い子供で、言われていることをきちんと理解して、それはもう【良い子】になった。母が「仕事をしている」と嘘をついて毎日保育園に預けられていた時も、たまたま本当に仕事をしていたときに、職場の男性と浮気未遂をして夜中まで保育園に迎えに来なかったときも、手作りの食べ物を保育園のおやつでしか食べたことがなかったときも、文句なんて言わなかった。母からは愛されていた記憶もないけれど、疎まれていた記憶もあまりない。自我がまだ芽生えていなかっただけなのかもしれない。それを全て崩したのが、妹の誕生だった。
僕が小学校3年生になる直前に彼女は生まれた。その頃父と母は別居していて、僕は母と共に母の実家にいた。その病院は、出産したひとと、その家族に病院附属のレストランで食事をするお祝いみたいなものがあって、そこで数ヶ月ぶりに家族3人が揃って食事をした。妹は、赤ちゃんなのもあって、誰からも可愛がられていた。多分、これで僕がもう少し幼かったり、頭の悪い人間だったら、赤ちゃん返りなり駄々をこねるなりしたんだろうけど、残念ながら僕は賢かった。精一杯妹が可愛いふりをして、積極的に世話をして、自分の立つ場所を確保した。そのくせして根本は子供で、月に数回の父と会うときには母に言われた通り「浮気相手と僕たち、どっちが大事?」なんてどうしようもないことを尋ねたりした。結局のところ、妹が生まれて少ししてから、家族は4人になって、また一緒に暮らし始めた。父は妹を随分と可愛がっていた。僕は理由がないと買ってもらえなかったおもちゃも服も、妹には次々に与えられた。この頃から、僕は母にひどく反発するようになった。といっても、彼女はよく理不尽な発言をするので、それにいちいち反論する程度のものだ。可愛い反抗期だと思う。だけど、母にとってはそうではなかったのだろう。殴られたし、罵られたし、そのくせ機嫌のいい時や外では猫なで声で甘やかそうとして、「私っていい母親でしょ?」なんて顔をした。それが益々僕を荒れさせた。父は気づいていたようだが、無視していた。
「悠」
は、と我に返る。
幼少期のことを思い返すと、つい長くなる。親のことを恨んでいるつもりはない。ただ、典型的な【機能不全家族】だったな、と思うだけだ。正直、もっと辛い家庭がたくさんあると言われたら「まあそうですね」と答える他ない。心配そうにこちらを見つめる彼女に僕は「君が僕を愛してくれるなら、それでいいよ」と返す。偉そうで、馬鹿馬鹿しい答えだ。でもそれを彼女は当然じゃない、と笑いもせずに答えるから、ああ僕の人生もなんだかんだ捨てたものじゃないのだな、と思う。昔付き合っていた人は、なんだか僕を愛しているのか、それとも僕を愛することで自我を形成しようとしているのかわからなくて、つくづく自分は誰かのお飾りなのだと思った。それを全部取っ払って、ああ嫌だと全てを嫌悪して嘆く僕を見て、それでも貴方がいいと言ってくれた彼女は何者だろう。
まとまらない考えだ。頭の中でつとつとと紡がれる言葉。存在しない何かと会話をして、自分を形成する癖。それでもいいじゃないか、と思う。彼女は僕を抱きしめて、その温かみの中で僕は幼子になる。柔らかな肉が、僕の魂に許しを与える。未だ賢いせいで大人のように振る舞えてしまう小さな小さな僕を、彼女は許容する。だから僕は僕でいい。この薄汚くて偏屈で、お世辞にも立派とは言い難い、精神の遅滞した僕でも、この世界は、彼女は、許してくれる。だから僕は、僕でいい。家族を、過去を、恨み言を、捨てもせず許せもせず、しかし憎み続けず生きていられる。きっとこれが、家族になるということなのだろう。彼女は紛れもなく、僕の家族になっている。