複雑・ファジー小説
- Re: 少女の香は花に似ている。 ( No.2 )
- 日時: 2018/06/28 19:03
- 名前: 片谷天晴 ◆nqpaN7kCns (ID: LwOm547C)
大きな犬を知っている?
そう、大きな犬。巨大な、それこそ人間を一口で飲み込んでしまえるくらいには、大きな犬。もののけ姫も真っ青なくらいの。しらないよね。犬種とか、そういうんじゃなくて、ただ、本当に、「大きな犬」が、存在するんだよ。彼は、ほんとうに、ただの、大きな犬だった。知ったような口ぶりだねって?うん、まあ、知っているからね。そうだ、こうも暑いんじゃ、なんにもする気が起きないでしょう?僕と、友人だった彼の話でも聞いておくれよ。
【大きな犬】
みんなは、僕がいじめられっこだったことを知っているっけ?知らなかったら、今、ここで言うね。僕は、当時いじめられっこだったんだ。といっても、靴にゴミを入れられたりだとか、話しかけても無視されるだとか、すれ違いざまに暴言を吐かれるとか、その程度のものだったんだけどね。って、重要なのは内容じゃない。僕がいじめられっこで、友達の1人もいない奴だったっていう事実だけだ。
そんな僕が、ある日出会ったのが、彼だった。彼は下校途中の寂れた神社の敷地内にいて、ごろりと寝転がっていた。僕は最初、彼が犬だなんて気がつかなくて、ただ、そこにわけのわからない黒い塊が“ある”と思っただけだった。なんだろうか、と近付くと彼は僕の気配に気がついたのか、背中を震わせてから、ぐるりと首をこちらに向けた。シベリアンハスキーに似た鼻先が目の前に現れた時、僕は声もなく、ただその場にへたりこんでしまった。制服が汚れるとか、そんなのを気にかけている暇もなかった。今思えば、この時に、意地でも逃げておけばよかったのだ。逃げなければ、ならなかったのだ。……まあ、今言っても仕方のないことだから、ここまでにしよう。
驚きのあまり、呆然として動かない僕に、彼は「やあ」と蚊の鳴くような声で挨拶をした。よく覚えている。普段の僕よりも、ずっと小さな声だった。なにしてるの、なんて。僕はそれに違和感を覚えるどころか、なんだか安心感のようなものを抱いて、「あのね、学校って知ってる?」なんて、いつもよりずっと幼い口調で話しかけてもしまった。「しってるよ」と彼は穏やかな声で答えてくれたよ。優しかったんだ、彼は。ずっと。僕は彼に一気に、ダムが決壊したかのような勢いで、自分のことを話した。学校のこと、家族のこと、自分自身のこと。その間、時間の流れが遅くなったみたいにかんじたし、実際遅かったんだと思う。彼と話して、家に帰っても、いつも17時前だった。帰宅部の僕だとしても、ずいぶん早かった。彼のことは、誰にも話さなかった。話す相手もいなかった。友達も、家族も、誰もが僕に無関心だった。……でも、友達はすぐにできたよ。彼が話してくれた怪談話を女の子にすると、みんな楽しんでくれて、周りに集まってきてくれた。
僕は彼を神様だと思っていた。
神社にいて、僕のことを気にかけてくれて、本当に本当に神様みたいだったんだ。彼は、大きな犬だった。一緒に散歩をした時、鳩の肉が美味しいことを語ってくれた。
僕は彼の話をした。たった1人、一番、僕と仲良くしてくれた女の子に。彼女は彼に会いたいと言った。だから僕は彼女を連れて行った。友人同士を会わせたかったから。彼の鼻先に、彼女は立って、きょろきょろと見回して、「なんにもいないじゃん」と不機嫌そうに言った。僕はきょとんとして、彼と彼女を交互に見た。彼はつまらなそうに彼女を見ていた。やっぱり嘘だった、いっつも怪談とかにやにやしながら話して、キモイってみんな言ってるんだよ。彼女は笑いながらまくし立てて、僕はなにも言えずに彼女を見た。あ、やっぱり、って心のどこかで声がして、それにかぶさるようにして、彼が「大丈夫?」と言った。またあの、蚊の鳴くような声だった。僕は答えなかった。彼はぱっくりと大口を開けた。真っ赤で、真っ白で、歯が大きくて、鋭くて、怖かった。彼の口の中を僕は初めて見た。彼はもう一度「大丈夫?」と言った。僕はうなずいたけれど、彼女は帰ってこなかった。どこにもいなくなった。誰も彼女を知らなかった。僕は怖かった。彼はずっと神社にいた。
僕は彼ときっとまだ友人なのだろうけれど、あの日から彼と話をしていない。今の僕が彼の前に行ったら、きっと僕自身が食べられてしまう。彼は僕の友人だから、きっとそうする。僕はそれをよくわかっている。
大きな犬を知っている?
そう、大きな犬。巨大な、それこそ人間を一口で飲み込んでしまえるくらいには、大きな犬。大きな、大きな。