複雑・ファジー小説
- Re: 飛んでヒに入る夏の虫【8月完結予定】 ( No.11 )
- 日時: 2020/08/16 12:25
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)
拝啓
恥の多い生涯を送ってきました、なんて。有名な書き出しを真似してみる事しかできない私を、あなたはどう思うでしょう。
ありがちな事しか綴れないけれど、よくあるやつです。
“あなたがこれを読んでいるとき、私はもうこの世にいないでしょう”
そう。遺書です。迷惑を承知でこの手紙をあなたに遺そうと思います。逝ってしまう私を、許してほしいとは言いません。私はあなたに恨まれ、罪の意識を背負う覚悟なんてありません。だから死ぬのですから。臆病で、挑戦よりも逃亡を繰り返してきた私だから。
そもそも、私が何故この手紙を君に宛てたか。それは言ってしまえば君に対して抱いてきた「名前のない感情」によるもの。
何だそれは、と思うでしょうが、その名の通り、既存の言葉では表せない感情です。
私は君が好きでした。でも、恋のように甘く酸っぱく苦い、なんてものではありません。味で表すならもっと苦々しい、とても飲み込む事のできない激しい感情。苦くて辛い、何よりも痛々しい。蛇みたいに心の奥でとぐろを巻いて、のたうち回っては私の気持ちに荒波を立たせて、どうにも無視することができない。愛おしいのに、狂おしいほどの嫌悪とも相違ない。それを恋などとは呼べやしない。
そう、私は君のことが大嫌いでした。
あの日出会った君は、私にとっての太陽でした。
眩しくて眩しくて、ジリジリと灼熱で私を溶かしてゆく。真夏の陽射しの如き君が、私は大好きでした。
草木を伸ばし、自然を豊かにさせていく反面、君のその明るさは、水を殺す。私はきっと水だった。君の灼熱に苦しんでいました。
それでも私が君の側にいたがったのは、枯れてしまいたかったのだと思います。君と一緒に、枯れたかった。
私の人生は君に狂わされてばかりだったらしいです。君がいなければ駄目になってしまう。だから先に死んでしまうことにしたんだ。逆の立場なら、私は君の後を追って何処までも行くけれど、君はどうだろう? 後追い自殺なんて馬鹿げてるって、病室のベッドで笑い飛ばして、私との約束なんてなかったことにするかもしれないですよね。そんなのは悔しい。私だけが君に狂わされていたと思うと、やっぱり妬ましいです。祟ってしまいたい。冗談ではないよ。今度は私が君の人生を狂わせてしまいたいと本気で思ってるよ。
私は透明でした。
君と出会うまでの10数年に色はなかった。君と見た景色にだけ、鮮やかな色彩が溢れていました。空が青いのも、金魚が紅いのも。君の好きな花、マリーゴールドだっけ。君と一緒だから、あんなに綺麗に見えたんだと思います。君がいたから知ったことでした。それまでの空も金魚も、あの花も、無色透明の質素な物でした。君がいなければ色彩を知ることは無かった。
……君が俺に色をくれたんだ。
私は君と出会ってから初めて人生を歩みだしたのです。君が色を与えてくれてから世界を知った。君を愛して初めて喜びを知った。君を恨んで初めて悲しみを知った。ずっと本当は寂しかったのかもしれない。それに気付いたのも、君を知ってからだ。
君を知らなかったら私は、ずっとずっと、言い様のない、不定形の寂しさを引き連れて今も歩んでいけたのかもしれない。あの日、飛ぶ勇気等、本当はなかったのだから。
でも、そうはならなかった。君を知り、私は初めて生きた。
この激しくのたうった感情と折り合いを付けて、結果私は死ぬことにした。
「名前のない感情」に、名前が与えられてしまう前に、私は「名前のない感情」を独り占めするために、逃げ出したかったのだ。
君に抱いた、君だけに抱いた私の気持ちを、誰にも理解させるものか。君にさえ、理解させたくはない。この苦しみが君だというなら、私は敢えてそれに呑まれてしまおう。そう思ったのだ。
俺は、とても不器用に生きてきた。君と出会う前の無色な人生なんて、否定して無かったことにしたいくらいに、なんにも無かった。
勿論友達なんかいなかった。いたのは僕の妄想の中だけ。イマジナリーフレンド。君によく似た明るくて優しい女の子がいた。ただ、物心付いたときには消えてしまう。その程度の存在だった。私の妄想なんだ、その程度に決まっている。
私は(黒く塗りつぶされている)悪かったから、気にしていないよ。強いて言えば、常識や現実や回避の仕方。私がおかしいってことを教えてくれなかった、両親を恨んだ。
彼らは私に触れると穢れると言って、私を避けていた。私にとって、彼らはみんな敵だったけれど、本当に淘汰されるべきは私1人だった筈なんだ。周りを恨むことしかできない不器用な私だった。あの頃に、しっかり自分を殺せていたなら。君に出会わずに済んだかもしれないのに。私が人生において後悔していることは、小学生の時、ちゃんと死なななったことと、君に出会ってしまったことと、生まれてきたことだ。
俺はあの頃、酷く寂しかった。当たり前だ、周りは敵しかいないのだ。俺が悪かったとしても、何かに縋り付きたかった。結局俺はどうやって生きていたのだっけ。虫食いの記憶しか残っていないよ。だから、色が無いんだ。
色の無かった世界を揺蕩うだけでも良かったのに。あの日、君を知った。
太陽と見間違うほどのその光に、俺は溶かされていた。
衝撃を受けた。
君という太陽が、俺の人生に与えた歪は余りにも大き過ぎたんだ。俺が今までの俺を否定してしまうことがこんなにも容易いなんて、知らなかった。強い光に、目が潰されてしまったのだと分かるのに、そう時間はかからなかった。
きっと君はあの日、神様だった。ああ、こんなことを言うと流石に気持ち悪いかもしれない。でも、見間違いでは無かった、直感から確信へ。君は俺の神様だった。
偶像でも構わない。俺は君を崇拝する信者だ。
でも、神様は今日、壊れた。
こんな簡単に終わりが来るとは思わなかった。これからずっとずっと、縋っていられると信じていた拠り所が、硝子よりも脆く崩折れて、僕はそれを泣きながら眺めて。
神様、君は何も悪くない。君が死んで、君の言葉を見た瞬間、僕は生きながらに殺されたのだけど、それは全て僕に非があった。信じたのも期待したのも僕なら、裏切られ、失望するのもまた僕だけでいい。
僕はもう、君を神様だなんて思ってない。偶像拝はやめたんだ。だけど、まだ、盲信の残渣が僕の中でのたうつのだ。それこそが、君に対する盲目的な愛で、呪いで、嫉妬と恨みと懐古の入り混じった醜い「名前の無い感情」の正体。
何処までも純粋で純情。だが、何処までも歪み捻じれ、穢らわしい。それが、君に抱く感情。
君は神様だった。地に堕ちた。僕の中で君は死んだのだ。本当の意味で死んだ。
君の言葉を見返しながら、僕は思うのだ。君に出会わなければ良かったと。
苦しみから逃れたいのに、君は僕を開放しない。君は神様の残渣を残して記憶の中で微笑むから。恨めしい。妬ましい。途方もなく愛おしい。きっと君などいなければ、色は無くとも世界は美しかったのに。
僕の人生は君だった。でも此れは、君に対する恋文ではなく。なんのために、誰に向けて捧げる遺書だろうか。
神様は死んだ。僕の神様は死んだのだ。これは後追い自殺。君より先に死んでしまおうと思っていたのに、先を越されてしまった。なんだかおかしいね。
僕は本当は君の神様になりたかったのかもしれない。君に必要とされたかったのだ。盲目的に僕を見てほしかったのだ。愛されたかった。
でもきっと、俺のような人間ですらない何かが、愛されたいなんて、おこがましいことで。
こんな言葉を使うのは、相応しくないかもしれない。けれど、僕は君を、愛していました。愛されたかったからなのかもしれない。でも、見返りとかそれ以前に、この気持ちはずっとあったんだ。
大嫌いな君。だけど、心から愛していました。
出会わなければよかったと願うのに。嫌いで嫌いで仕方ないのに、愛していました。これだけははっきり言える。死んでしまった神様。君の屍に、少しだけ近づけたらいいと思う。
夏の太陽が僕を焼き殺す。灼熱に、会いに行きたい。だから今日、僕は飛びます。
俺はきっと、飛んでヒに入る。夏の虫。
敬具