複雑・ファジー小説

Re: 飛んでヒに入る夏の虫 ( No.2 )
日時: 2020/07/01 22:51
名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)



 再び猛暑の中をフラフラと歩くリビングデッド? デッドングリッビ? となりつつ、駅を目指す。陽射しは強くて眩しくて、ちゃんと目を開けていられないくらいだ。熱されたコンクリートから放たれる熱気にもクラクラしてしまう。
 そんな中、どうにか辿り着いた駅は、やけに人の量が多く見えた。……嫌な予感がする。改札前にできた人混みを見るに、予感は確信に変わりつつあったが、駅員さんが拡声器を使用してアナウンスする内容から、やはり人身事故の影響で電車が止まってるのだと知った。
 この時点で、アキツに会いに行く気は失せたため、真っ直ぐ家に帰ろうかと思ったが、どうやら人身事故が起こったのがこの駅での事らしく、上り方面にも下り方面にも電車は動いていないらしい。つまり、俺は帰れなくなった。
 1駅程度なら歩いて帰れそうとも考えたが、正直この炎天下を30分近く歩く気力はなかった。

 改札前の人混みの中にいると「電車が復旧するまでに2時間くらいかかる」なんていう話し声が聞こえてきて、思わず俺は項垂れる。更に「近くのドーナツ屋で時間を潰そう」という話し声が聞こえてきたので、俺もそうしようか、とその人たちに着いていった。

 ドーナツ屋に入って、カフェオレだけ注文して、適当に時間を潰す。こんな事になるくらいなら、夏休みの課題各種も持ってくればよかった、なんて普段の真面目な思考が働きかけたが、自分に夏休み明けがこないことを思い出して、馬鹿馬鹿しく思った。
 先程盗み聞きさせて頂いた2人組が近くの席に座っていて、今回の人身事故の詳細について話していた。どうやら女性がホームから線路に飛び込んだとか、足を滑らせただけとか、誰かに突き落とされた可能性があるとか、事件性もあるため、電車の復旧が遅れるかもしれないらしい。

「めっちゃ血ついてるじゃん」
「こっちの人は轢いた電車の中にいたらしいよ。ゴリゴリゴリって、やばい音したって」
「こっわー」

 SNSに載せられた画像でも見ながら話しているのだろう。不謹慎にも、その女性が轢かれた瞬間、ホームで電車を待っていた誰かが、写真を撮って画像を載せたらしい。
 暇を持て余す俺は、カフェオレをひとくち口に含んで、アキツに電話をかける。コール音がしばらく鳴り続けて、もう切ろうかと思いかけたところで、ようやく電話口からボソボソとした声が聞こえた。

『……もしもし』
「悪い、なんか人身事故の影響で電車動かなくなったから、お前んち行けなくなったよ」

 と、告げた瞬間、電話口から酷いノイズ混じりの騒音が響いて、思わず耳からスマホを遠ざけた。

「な、なんだよ煩いな……」
『──あ、ごめん。ケータイ落としちゃって』

 ドジっ子か? なにしてんだよ、と苦笑しつつ、カフェオレを一口。

「そういうわけだから、オケ?」
『あんまりオッケーじゃないけど。うん』

 ピ、と通話終了の電子音がしてアキツの声が途切れた。

 暗くなった画面に写った俺の顔をぼんやりと見つめる。不眠続きの隈の目立つ、霊鬼のような顔。
 最近は両親の声が煩くて、もっと眠れなくなってきていた。何も聞こえないように耳を塞ぎ、眠ってしまいたいのに、浅い眠りを繰り返しては深夜に胸騒ぎがして目を覚ましたり、眠いのに眠るのが怖くなって、ベッドに横になったまま、薄暗い部屋に視線を彷徨わせる日々が続いていた。眠ろうとすればするほど、急に不安になって、過去の嫌なこととか、思い出したくもない記憶ばかりが頭を巡る。そうして、気が付けば空が白み始めて、夜に置いてかれていて。蝉の声が煩い朝がくる。リフレイン。

 カフェオレを口に含んだ。冷えた店内で、温かいそれを飲む。苦くて美味しくない。でも、身体の内側から温まる感覚が心地よい。カフェオレは懐かしい匂いがする。朝、目を醒ましてリビングに行けば、食卓に着いた両親が美味しそうに飲んでいて、試しにちょっと味見させてもらっても、ちっとも美味しくなくて。「大きくなったらゼンにもわかるよ」と笑う親の顔が、好きだった。
 今だって全然美味しくない。だけど、幸福の記憶に縋るみたいに口内を満たす。苦味が舌に纏わりついて、脳内を満たすのは不快感だけなのに。


 ──1年前の6月。
 雨の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、地表を見下ろした病院の屋上。久しぶりに晴れた透明の空の下、そういえばなんで雨の匂いがするんだろうって考えて、俺を屋上に閉じ込めるフェンスから滴る水滴に、早朝のうちに降ったのだと知る、午前9時。
 無色の街並みをもう一度見渡す。今からあの中に吸い込まれて、俺も無色になるのだろう。憂鬱な家から逃げるみたいに飛び出して、学校に行くために電車に揺られて、でも気が付いたらこんなところにいて。俺はもう、疲れていた。
 静かにフェンスに手を掛けた。冷たい雨粒に指先が濡れる。構わずよじ登って、飛んでしまおうとした。

「死ぬの?」

 唐突に背後から聞こえた女性の声。振り返ると、肩の辺りで切り揃えられた髪の、同い年くらいの女の子が薄っすら微笑みながらそこに立っていた。病院着姿で、右手で点滴スタンドを引いていたから、すぐにここの患者だとわかった。

「……止めないでよ。なんの事情も知らないで、なんの責任も取る気もないくせに、死んじゃダメとか言う奴は、偽善者だ」
「止めてなんかあげない。わたし、善人だもん」

 クスクスと小馬鹿にするみたいに笑っていたけれど、顔の造形がいいからか、そこまで腹は立たなかった。

「あなた、ここの患者さん? 何の病気?」

 彼女の質問に、俺は首を横に振って答える。

「俺は、ただ死にたくて高いところ探していたら、偶々この病院に辿り着いただけ」

 それを聞くと彼女は瞠目して、嬉しそうに手を叩いた。

「生きたくて足掻く人が溢れ返ってる場所を自殺場所に選ぶなんてハイセンス! わたしも病気でそんなに永くないんだけど、そんな人の前で自殺するのってどんな気分?」
「……生きたい君は、命を粗末にしやがって、とか思ってんの?」
「なわけ」

 俺の質問に嘲笑するような声で否定する。それがちょっと意外で、フェンスを握る手に力が篭もる。
 なんとなく、勝手に、俺と同じ人なのかもしれないって思ったから。期待を込めて、意を決して、口にする。

「じゃあ、一緒に死なない?」

 俺がそう言うと、彼女は目を剥いて、固まった。
 それから、腹を抱えて笑いだした。引かれるような発言はしたかもしれないが、面白いことを言ったつもりはなかったのだが。

「あなたのその制服、近くの高校の生徒でしょ? 何年生」

 急に話題を変えられて戸惑いつつも、右手の人差し指と中指を突き立てて答えた気になったが、なんだか突然ピースサインをつくるおかしなやつみたいだなって思って、既に自分が最高におかしなことをしているんだから、どうでもいいかと考えを改める。
 彼女は「一緒だ」と、嬉しそうに声に出してから、すこし俺に歩み寄ってきた。

「わたしと一緒に死んでくれるなら、あと1年生きてくれる? それくらいが源氏 蛍(ゲンジ ケイ)の余命なの」
「ケイ?」
「わたしの名前。蛍って書いて、ケイ。短命なの。儚い命、蛍の光みたいでしょう?」

 それが、ケイとの出会いだった。
 その後、アキツとはケイ繋がりで知り合ったけれど、よくよく話を聞いてみれば、同じ高校で、しかも同じ学年だった。そのくせ全然知らなかったのは、彼が不登校だったからだ。理由は知らないが、年単位で引きこもり続けているらしく、一生の殆どを水中で過ごす蜉蝣みたいだ、なんて思った。ついでに本人に言った。そうしたら「蜉蝣は2、3年くらいだけど、蝉なんか10年くらい土の中で過ごすらしいよ」と返された。蝉って、俺のことを言っているらしかった。でも俺はむしろアウトドア派だ。……あまり家に、居たくないから。