複雑・ファジー小説
- Re: 飛んでヒに入る夏の虫【8月完結予定】 ( No.7 )
- 日時: 2020/08/02 12:54
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)
5日目。
本日も憎らしいほどの快晴なり。直射日光に唸りながら、俺達は最寄り駅のバス停で、バスに乗り込んだ。
乗客の中に小学生くらいの3人組がいて、キャッキャと楽しそうに行き先の話をしたり、お菓子を分け合っては、キラキラ眩しい笑顔を振りまいている。冷房で寒いくらいに冷えきった車内、今にも死んでしまいそうな顔した俺達には、ちょっと眩しすぎた。実際死にに行く俺達と、未来のある子どもたちじゃ何もかもが違いすぎる。眩しいものは苦手だ。目がチカチカして、頭だって痛くなる。そこにあるだけでこちらが不調になるのだ。遠ざけたくて仕方がない。
早く下車しろ。そう思わずにはいられなかった。
幸いなことに、小学生たちは俺達が降りる予定のバス停のいくつか前で、元気よく去っていった。水族館前、とアナウンスされていたので、それはそれは楽しい夏休みの思い出を作りに来たのだろう。本当に、死ぬための移動をする俺達は何をやっているのだろうな、なんて気持ちになる。
隣に座るアキツの様子を窺うと、窓枠に肘を付いて眠りこけていた。これで俺も寝たら、知らないバス停まで連れて行かれてしまいそうだ。仕方なく俺はスマホを弄って時間を潰す。
「……あ、着いたぞ。ほら、起きろよアキツ」
しばらくバスに揺られて、俺達は目的地に辿り着く。眠そうに目を擦るアキツの腕を引いて、さっさと下車した。冷房の効いていた車内とは裏腹に、噎せ返りそうなほどの熱気にクラっとする。
アスファルトからも、空からも、酷い熱が襲い掛かってきて、サンドイッチみたいにされる。
憂鬱に思いながらも、俺はそっと深呼吸した。夏の空気は、トマトの匂いだと思っていた。何処にもトマトなんて無いのに、確かにトマトなんだって。以前ケイに言ったら「青臭いだけでしょ」と言われたのを思い出す。そうなのかもしれない、というかそうなのだろうが、俺にとっての夏の匂いはトマトなのだ。
毎年同じ臭いがするのに、別の夏が来る。変な感じだ。
「夏の空気って、トマトの匂いがするよな」
アキツにも同意を求めようとして、ポツリと言う。未だに少し眠そうなアキツは、キョトンとした目で俺を凝視するばかり。もう、何でもないと冷たく言い放って、目線を逸らす。きっと俺だけの独特な感性なんだろうから、わかってもらえなくてもいい。
「言われてみれば、トマトかもね」
思わず振り向く。……わかるやつもいるんだな。それだけの小さなことなのに、なんだか無性に嬉しかった。
俺達は海が見えるところまで来ていた。堤防の下を覗けば、少し街並みがあって、でももうそこには紺碧の海水が何処までも続いている、といったところだ。潮の匂いと、少しべたつく空気が心地よい。海に、来たんだって感じがして、少し気分が高揚する。あとは、この照り付ける酷い直射日後さえなければ最高なのだけど、と思う。
「もっと先のバス停で降りれば海、近かったかもな。こっからじゃ結構歩くことになりそうだけど、アキツはへーきか?」
もやしみたいに白くて頼りない彼の顔を覗き込みながら問う。なんだか既に顔色が悪いように見えるし、もしかしたらデフォルトでこんな顔色だったかもしれない。
「暑くて死にそう」
低い声でそんなことを言われたって、もうバスは行ってしまったし、俺達は歩くしかないのだが。がんばれ、と軽く労って、俺は潮風を楽しみながら進む。きっと最後に見ることになる海の青さを、存分に目に焼き付けたかった。
しばらく2人して寡黙に歩いていたが、なんとなくアキツの横顔を見たとき、本気で気分が悪そうに見えたので、思わず声をかける。
「お前、大丈夫?」
「……無理」
無理、って言われてもなあ。どうしたものかと辺りを見回すと、ちょうどいい所に自動販売機があるのを見つける。車通りの少ない道路を渡って、対岸側。小銭を何枚か入れて、適当なミネラルウォーターのボタンを押した。ガタン、と子気味いい音がして下に落ちてきたペットボトルを手に取る。よく冷えていて、気持ちが良かった。
フラフラと道路を渡って付いてきたアキツを屈ませて、いきなり頭から水をぶっかけてやった。
「っわ! 冷た、なに、うぺぺっ!」
「これでマシになっただろ?」
アキツの髪を滴る雫が、Tシャツにまで染み込んでいる。でも実際、顔色はマシになったような気がするので、多分これで良かったのだ。
「俺のお陰で生き返っただろ。よかったな」
「よかったけど、なんか違う……」
後のペットボトルに残った水は、その場で飲み干した。水分補給がどれほど大事なものなのか、よくわかる。一気に飲みきって、ふうと息を吐いてから、空のペットボトルは自動販売機脇のゴミ箱に押し込んだ。
「あとで金返せよ」
「水のぶん? 110円程度でしょ、みみっちいな。奢ってくれてもいいんじゃないの」
俺が水をかけなければ、枯れた植物みたいに干からびていたくせに、よくそんなことを言うな、と思う。でもアキツが、「どうせもう、死ぬだけなんだから」と付け足したので、言葉に詰まってしまった。
もう俺達は死にに行く。だとしたら、ありったけ持ってきたこの財布の中身は、使わないほうが勿体無い。そうだよな、と納得してしまったので、アキツへの請求はなかったことにした。
また少し歩いて、コンビニを発見したので、そこで昼ご飯を買うことにする。海辺で駄弁りながら食べようか、なんて、いつか小学生のときに行った遠足を思い出してしまう。でも、悪くない。
俺は昼食の他に二人で分け合えるアイスとかお菓子もかごに入れる。本当にこれじゃあ遠足気分だ。
アキツはと言うと、おにぎりをいくつかとお茶のペットボトルを数本両手に抱えていて、なんて面白みのないやつ、と思った。
「もしかしてお前、甘いもの嫌いだったりするの」
「そんなことはないけど」
「じゃあもっとお菓子とか買えば?」
そう言われて少し悩む素振りを見せたあと、アキツが持ってきたのはシャボン玉だった。「なにそれ、飲むのかよ」とからかえば、当然海辺で遊ぶのだと返される。真面目に答えやがって、やっぱりアキツは面白くないやつだ。
コンビニの冷気で少し冷やされた俺達は、再び真夏の直射日光に挑む。耐えきれずに俺は買ったばかりのパピコを開封して、半分アキツに差し出す。チョココーヒー味の小さなアイス。2人で分け合えるというのが、ロマンが詰まっている。これ一つで同じ冷たさ、同じ味を共有できる。別にアキツとそれをしたかったわけではないけれど、誰か分け合える相手がいるというのはなんだかとても大事なことに思える。
二人でパピコを咥えながら歩いていると、ようやく砂浜のある場所に辿り着いた。
海だ。
俺は思わず手に持っていたコンビニの袋をその辺に放り捨てて、走り出す。砂に足を取られて上手く進めない感じがする。でも、目の前に海が広がっている。その興奮を抑えきれずに、駆けていって、波打ち際をサンダルで蹴って、服が濡れるのも構わずに浅瀬にダイブした。
塩っぱい水を思い切り口に含んで、ペッと吐き出す。冷たい。潮の匂いが体いっぱいに包み込んできて、俺は今海にいる。
あとから遅れて歩いてきたアキツは、俺が落としたビニール袋を持って、不服そうな顔でこちらを見ていた。
「そんなにビッチャビチャになって。着替えなんて持ってきてないんでしょ」
どうせもう死ぬくせに、アキツは現実的なことばかり考える。死ぬ覚悟がないのかよ、とさえ思う。喧しい話を聞くのは面倒で、俺は足元の海水に両手を突っ込んで、バシャ、とアキツ目掛けて水をぶっかける。
「ぶわっ。何するんだよ、馬鹿なんじゃないの!?」
「馬鹿はどっちだよ、最後くらい思いっきり楽しもうぜ。全部嫌なこと忘れてさ」
そう言って、また何発か海水をお見舞いする。呆れた顔のアキツは砂浜にコンビニの袋を放って、靴を脱ぎ捨てると海水に足を浸した。冷て、とぼやきながらも、俺と同じように海水を両手で掬って、かけてきた。顔に思い切りかかったそれが口に入って、ペッペッと吐き出す。
よくもやったな、そっちこそ、と全身濡れることなんて気にも止めず、お互い本気で水をかけ合った。