複雑・ファジー小説
- Re: 飛んでヒに入る夏の虫【8月完結予定】 ( No.8 )
- 日時: 2020/08/23 05:53
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Whg7i3Yd)
7日目。
俺はあの頃、酷く寂しかった。当たり前だ、周りは敵しかいないのだ。俺が悪かったとしても、何かに縋り付きたかった。結局俺はどうやって生きていたのだっけ。虫食いの記憶しか残っていないよ。だから、色が無いんだ。
色の無かった世界を揺蕩うだけでも良かったのに。あの日、君を知った。
太陽と見間違うほどのその光に、俺は溶かされていた。
衝撃を受けた。
君という太陽が、俺の人生に与えた歪は余りにも大き過ぎたんだ。俺が今までの俺を否定してしまうことがこんなにも容易いなんて、知らなかった。強い光に、目が潰されてしまったのだと分かるのに、そう時間はかからなかった。
5日目。
そういえば、今年が平成最後の夏だと世間では騒がれていたっけ。最後だからこそ、何かを成そうとするやつが大勢いるらしい。俺達も、最後に何か残せるだろうか。
見事なまでの赤に染まった空の下、海も青さを潜めて、朱に色付いている。それを綺麗だな、と言って眺めている。昼間の暑さも鳴りを潜めて、吹き付ける海風が丁度いい。
まだ半分湿った服を着た俺達は、海辺から少し離れた砂浜に腰を下ろして、ぼんやりと暮れていく空を見つめていた。
アキツはさっきコンビニで買ったシャボン玉を吹いている。夕の赤がシャボン玉を照らして、オレンジ色に輝いている。これもまた、幻想的だ。今日が終わろうとしている中、宙を逡巡して、やがて弾けるシャボン玉に俺達は何を思うのだろう。
少し振り向くと、変なところに背の高い向日葵が何本も咲いている。砂浜に咲くものなのか、と疑問に思いつつ俺はその花に近付いた。
太陽にそっくりな、その大輪。それが急に忌々しく思えてきて、俺は向日葵の茎に触れる。指と指を少しずらしただけで、ペキ、と単調な断末魔をあげて、その首は折れ曲がった。血は流れないが、よくわからないベタつく液体が滲み出て、俺の手に付いた。
「何してるの」
花を手折った俺を怪訝そうに見つめるアキツと、視線が交差する。
俺は答えない。代わりに、隣に咲いていた向日葵の茎に触れて、また同じように爪を立てて手折る。だらしなく項垂れた大輪を見ていると、なんとなくいい気味だと思えてきた。
誰が植えたのかも知らない、なんの罪も無い花の命を刈り取る。俺は今、最低なやつに見えているだろう。アキツは咎めるような目で俺を見守っている。ただ、やめさせようとはしない。所詮他人事で、でも確かに俺の罪を数えている。
そこに咲いていたぶん、全ての向日葵の首を折って、死体ばかりの花畑になったそこを眺めて、俺はポツリと言う。
「寒い」
「……風邪でも引いた?」
肌が冷えるわけではない。凍えているのはもっと奥の方、心だ。
海の方を振り返って、空を見据える。濃い赤の陽は、海の中に沈みかけている。もうすぐ、物言わぬ夜がくる。オレンジに交じる濃い群青には薄っすらと星が散りばめられていて。赤く染まった雲に、その青さに、滅茶苦茶な空だと思う。
「ケイは俺の太陽だった。俺の太陽は、枯れたんだ。太陽の枯れた世界は、寒い……」
やっぱり、泣きだしてしまいそうだった。
彼女が俺を置いて死んだなんて、まだ信じられない。あれだけ一緒に逝こうと約束していたのに、どうしてケイはそれを破ったのだろう。何が目的だったのだろう。俺は、1年死ぬのを待ったのに。
ケイと一緒じゃなきゃ嫌だった。歯を食いしばっても、その隙間から嗚咽が零れそうになる。
「はやく、ケイに逢いたい」
そっちへ、逝きたい。もう、終わりにしたい。家族のことも、学校のことも、向き合わなければならなかった現実も。何もかも忘れて、終わってしまいたい。息苦しいなら、息をするのを止めにしたい。
「うん。一緒に逝こう。ぼく達、そのためにここに来たんだから」
アキツが手を差し出してくる。白くてヒョロくて、頼りないのに、その死神みたいな腕が、今は何より頼りになるような気がした。
アキツの腕を掴む。ぬるい体温で、俺の腕を引いて、何処かへと歩き出す。どこに向かっているのかはあえて聞かなかった。黄昏の海岸を、俺達は砂を踏みしめて歩く。
日が暮れて、暗くなっても砂浜を歩いた。昼間はちらほらいた観光客も姿を消した。濃紺の海が空の星を写してキラキラと瞬いている。ずっと進んでいると、砂浜が終わったので、少し道を逸れて歩く。土の道を征く。フェンスの下に海が広がっている。
道を進んでいると、岬みたいなところに辿り着いた。こんなところがあったんだ。俺達は無言だったけど、お互いそういうことを考えたと思う。
フェンスのギリギリのところまで行って、海を見下ろす。ここから落ちたなら、簡単に死ねるだろうか。高さに少し足が竦む。
「いいね、ここ。ぼくはここがいい」
アキツも遥か下の海面を見下ろしながらポツリと言った。どういう意味かなんて聞く必要もない。俺達がしに来たことは1つなのだから。
「もう、いくのか?」
今すぐに。終わらせてしまうのかと。
アキツは緩く首を横に振った。
「ぼく、最期に朝焼けが見たいんだ。だからまだ。夜明けまで待つよ。ゼンはどうする?」
「俺もちょっと、書きたいものがある。まだ完成してないんだ」
俺は鞄に持ってきた書きかけの用紙と筆記用具を取り出して、ペンを走らせる。覗き込んできたアキツが、「遺書?」と訊ねてくる。
「俺は生きていたんだって、遺したいから。アキツは書かないのか」
「ぼくはいいよ。別に何かに書き記すほど、ぼくの人生に厚みなんてなかったからね。誰もぼくが死んだ理由を知らなくたっていい。適当に想像して、こうだったんじゃないかって妄想して。ぼくは誰かの考えた空想の中で生きるから」
アキツは深みのあることを言っているような、そんな気もする。自分が本当はどうだったか、誰も知らないままでいいというのも、死に方の1つの形なのかもしれない。でもそれって寂しいことじゃないだろうか。俺は誰かに、俺の人生を知って欲しいと思う。
俺はこんなに生きていたんだって。苦しかったことも、辛かったことも、どうしようもないことばかりで四面楚歌の生きづらさに足掻いて、藻掻いて、その先に死ぬことを選んだんだって。けして簡単な選択じゃなかったんだって。でももう、生きていられないから死ぬしかないのだと。世界に知らしめたい。
俺とは全然違う考え方をするアキツに、興味が湧いた。
「じゃあ、お前のこと教えてくれよ。どうせ最後なんだから、誰かに聞いてもらったほうがいいんじゃないか」
アキツは少し目を見開いた。それから、緩く笑う。
「君に話す程のものでもないんだって。ぼくなんて、本当に何もないんだって。なんにも……無かったよ」
諦めるみたいな口調でアキツはそう言った。そうして、フェンスに体を預けて、宙を見上げる。
「ぼくが不登校になったのは、いじめが原因だって言ったでしょ。ぼく、頭が良かったんだよね。それが気に食わないとかで、変なやつに目をつけられてさ。毎日嫌なことされたよ」
聞きながら、俺は自分の遺書を書き足して行く。拝啓、で始まる誰に宛てるわけでもない手紙。くだらない人生だったと自分でも思うけれど、それでも誰かに見つけてほしくて、文字に起こす。
自己承認欲求、顕示欲。そんなものがこの期に及んで働いているのだろうか。臆病な目立ちたがり屋が、拗らせて。何してんだろうって、思う。
「嫌なこと沢山されたけど、最後にはやり返してやったから。別にぼくの死ぬ理由にいじめなんて関係ないんだ、本当は。うん、本当に。いじめなんて些細なことだから、もっと、大きな理由があって……」
アキツの言葉がそこで止まった。どうかしたのかと顔を上げる。彼の白い頬を次から次へと伝う涙を見て、ギョッとした。
「あれ……、あれ?」
「アキツ」
どうして涙なんか出るのか、わからないって顔をしている。理由が不鮮明なのに、涙は後を追うように溢れる。アキツはそれを拭って、擦って。唇を歪める。
「ええと、言いたくないことなら、無理に話さなくいいからな? お前の中で、お前だけの中で、大切に隠していてもいいと思う」
「……違うんだ」
なんでこんなに涙が止まらないんだろう。アキツはへらっと笑った。頬を綻ばした拍子に、ハラハラと涙が落ちて、乾いた地面に染みを作る。
「ぼくのことなのに、なんでわからないんだろう? ねえ、ゼン。ぼくはまだ……」
アキツはその先の言葉を紡ぐことを躊躇った。まだ溢れる涙を拭いつつ、結局彼はその言葉の先を隠したまま。
「もうやめよう。夜明けまで、下らない話がしたいな」
「賛成。マジで取り留めのないこと話して、修学旅行の夜みたいにしようぜ」
「話しながらでも書けるものなの、それ」
それ、と遺書を指さされる。別に集中して書くものでもない気がするから、そのへんはどうでもいい。
「気にすんな。ほら、最期の夜なんだからさ」
話したのは、中身のない雑談。最期だからこそ、大いに盛り上がった。好きな女の子のタイプだとか、教科書に乗っていたあの話だとか、嫌なクラスメイトの話題とか。
話しながら、遺書を書いて。俺達の最期の夜はとっぷりと更けていった。