複雑・ファジー小説
- Re: アンサイズニア ( No.1 )
- 日時: 2018/07/25 20:13
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
#0 前奏
今でも夢に見る、二年前のあの日のことを。
肌を焦がす紅炎が走る。魔王の放った紅蓮の火球を何とか避け、見送った。背後でレンガが灰と化すのも気にかけず、男は駆ける。白銀に煌く刃をかざし、背負う赤のマントをひらめかせ。
大気を焼き、爆ぜる雷光。どす黒い鋼皮が覆った魔王の掌に、青白く燃ゆる電撃が走る。掌が男へと向けられ、稲妻が瞬時に空間を走り抜けた。だが、勇者である彼は怯まない。後方からの支援を信じて疑っていないからだ。
勇者を雷光が射抜くより早く、光の膜が勇者の身体を覆った。衝突した雷撃はそれ以上男に近づくこともできず、むしろ避けるように四方へと散らばっていく。後方に立つ僧侶による防護魔法、これまでの旅で鍛え抜かれたその防御力は、魔王の魔法にもひけを取らない。
直接狙うのは無駄、そう判断した魔王は雷雲を作り出した。屋内だと言うのに、泥のような雲が天井を隠し頭上に広がる。刹那、煌く極光、堕ちる稲光。落雷を自覚するのと同時に轟く雷鳴、肌を焼く雷電、耳を引き千切るような怒号、全てが折り重ねられ、炸裂する。
縦横無尽に、ランダムに降り注ぐ雷。魔王城の床が、落雷の熱と衝撃とで砕け散り、舞い上がる。僧侶は何とか雷撃が仲間たちに当たらないよう、上方のみを必死に庇っている。バリアを張る度に手を合わせ、指を組んでいるが雷を受ける度に、その衝撃が合わせた掌にも伝播し、痺れそうな衝撃で今にも解けそうだ。
お互いの連携さえかき消そうとする雷の鳴り響く轟音。だがその中でも、けたたましい音に不快感をも示さず、ただ前へと進む男が一人。言わずと知れた、人類の救世主。あらゆる魔法をその身に修め、あらゆる剣技をも吸収し、これまで幾度となく逆境を超えてきた神に愛された男。
聖剣の勇者、そう呼ばれている。肝心の聖剣は当然、彼が握るその一太刀に他ならない。舞い散る砂塵を魔力で押し固めた魔王は、土の槍を四方八方から勇者へと撃ち放した。稲光が瞬いた地を避け、狭い隙間を縫うように走る。ただ、ひたすらに。討つべき仇敵だけをその目に据えて。
空を飛び交う槍が迫る。というのに、勇者は慌てない。雷撃から他の仲間を護るのに精いっぱいの僧侶が、これらに対して魔法の障壁を張る余裕は無いだろう。すなわち、自分で処理しなければならないというのに。
走る足を止めようともせず、眼前から迫る一槍をまず砕く。前に走るだけで、その他ほとんどの槍は避けることができた。左右から迫っていた何本もの石槍は、互いにその身を打ち付け合い、砕け散ってしまった。礫が飛ぼうにも、もう勇者はその地点から見て遥か彼方。風さえも置き去りにする彼の脚に、そんなものは追いつかない。
ただ、その一群だけでは当然終わらない。撃ち砕かれた礫をもう一度寄せ集め、同じような石の剣を錬成。今度は後方や上方向も含めて、全方位から勇者へと一斉掃射。ネズミ一匹逃さない。それほどの物量の剣が、槍が、矛が、矢が、数十数百数千と降りかかる。
しかしどうして、それで怯むと思ったのか。勇者の前進から迸る魔力の奔流。属性は風、漏れ出る魔力が気流を作り、砂塵、砂埃を吹き飛ばす。彼を中心として視界の晴れた空間が広がった。
途端に急停止、前方へと進むエネルギーが行き詰まる。行き詰ったその勢いに押され、勇者の体勢が崩れることは無い。その勢いを利用して、その場で回転、斬撃に合わせ刃に風の魔法を乗せ、彼を中心として広がっていく。炸裂する翡翠色の強風、同時に幾重にも走り抜けたかまいたちが、迫る土くれの矢や剣を全て粉微塵に斬り裂き、吹き飛ばした。
まだ攻め手を緩めるつもりは無いのだろう。魔王の発した氷の魔術に炎の魔力、次々と飛んでくる魔法の連撃を次々と聖剣で切り伏せる。一に斬撃、二に薙ぎ払い、三に引き裂いて四に両断。
距離を詰める。魔王も臆さない。互いに理解している。己こそが自軍で最も強いと、勝つには限界だろうと超えていき、精を力を魂を振り絞るしか無いと。恐怖に退けばそれは勝鬨からも遠ざかり、臆せばそのまま勝利の女神に置いて行かれる。
この僕ならば、この俺ならば、目の前の者を屠れる。その信念が揺らぐことは、決してない。
その懐にまで詰め寄った勇者。その距離に、これ以上魔法で抵抗しても無意味と悟った魔王はというと、己も抜刀した。手を空中に翳すと、闇の粒子が収束し、一本の大剣が生成される。
そして最後に、凄絶な剣戟。邪気を孕んだ大剣と、光の加護を受けた聖剣、相反する二つの刀が、何度も何度も切り結ぶ。火花が舞い散り、鋼の軋む悲鳴が上がる。刃が零れると同時に火花散る。受けきれなかった斬撃に薄皮一枚を持っていかれる。激しく動く度に互いの血が宙に舞い、星の海のような火花の群れに呑まれて消えていく。
交差する剣を押し合い、一進一退の攻防が続く。もはや、勇者の仲間は両者の戦いに割って入ることはできなかった。体力も、魔力もまったく残っていない。邪魔にならないところで見ている事しかできず、悔しさを噛み締める。
切り結ぶ両者の影を、ただはらはらと見守ることしかできない。勇者の顔に走った切創から血が飛ぶごとに、心臓をわしづかみされた心地になる。彼が力で打ち負けると、息が詰まりそうになる。
今日ここで、彼が敗北の辛酸を舐めるとすれば、そのまま人類は衰退するしか無いだろう。ただそれは、魔物たちから見た魔王に関しても同じだった。
全ての者が固唾を呑んで見守る中、決着は唐突に訪れた。
勇者が態勢を崩した瞬間、追撃に迫る魔王の大ぶりな一撃。隙を突いたその一瞬で、勝敗が決すると誰もが理解した。しかし、その勝敗の予想は見ていた者全てを裏切ることとなる。
隙を突いたと魔王の側は思っていた。しかしそれは、敢えて作った隙だとしたら。確信してしまった勝利の美酒に、呑む前から酔いしれてしまったその最期の一振りは、驚くほどに隙だらけであった。
乾坤一擲。待っていたぞとばかりに、全ての力を乗せた鋭い一太刀を、彼の甘えを貫くように合わせた。魔物の王が握りしめた、大ぶりな剣の刃が綺麗に切断され、大きな刃は吹き飛んだ。と同時に、魔王の胴体には大きな傷が一直線に走った。噴水のように真っ黒な血潮が噴き出て、目の前の勇者の身体を穢していく。
「僕の勝ちだね」
その返り血を浴びた彼は、地面に伏し、もはや動けなくなった魔王に、そう呼びかけた。
それこそが、この物語の前日譚。
さらには、未来に怒る悲劇の発端であった。