複雑・ファジー小説
- Re: アンサイズニア ( No.3 )
- 日時: 2018/07/28 00:08
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
#2 何の変哲も無い答え・前
彼自慢のリルチェの咲き誇る花壇を眼で堪能し、今度は久々に話でもしようかと提案されたところであった。フローリアの近くに住んでいるとは言っても、特に訪れるような用事も無かったようで、カナテ達も見るのは久しぶりであったらしい。そのため、その真紅の花弁に目を奪われたが故に、初めは気が付いていなかったようだ。
しかし、そろそろ家の中に引き返そうかと思った時の事だ。裏の畑の隅、そこには見覚えのある金色の十時が日を受けて輝いていたのだ。しかし、記憶に残るその姿と比べると、些か老いた印象に思えた。老いた、と表現するのはおそらく正しくないだろう。それこそ、錆び付いたと言ってやる方が正しく感じられた。
しかしカナテには、それは老衰だとしか思えなかったのだ。特別な剣と呼ばれるだけあって、その錆び付き方は一般的な鉄の剣とは違っていた。赤茶色の錆が斑に付くのではなく、その輝きを失ったかのように全身が黒ずんでしまっていた。その柄だけは、未だに黄金に輝き続けている。
「ラティ、畑の隅に刺してるあれって……」
「あっ……」
流石に彼も、明確な後悔を声には出さなかった。しかし、その顔色が全てを物語っていた。自分が失態を犯した時に、宥めようとする癖が出ていた。下唇の右の方を、犬歯で噛む癖。魔王軍と戦っていた頃から、その習慣は何も変わっていないらしい。
言葉にせずとも、「しまった」と考えていることは一目瞭然。それはひとえに、彼らがずっと旅をしていたからだ。たとえ二年間会っていなかったとしても、その過去は変わらない。見れば思い出してしまう、お互いのいいところも、悪いところも。
「……中に入ってからで、いいかな?」
カナテ、リース、そしてこの場に居ないパンプ。かつての仲間には決して伝えぬようにと隠してきた秘密が彼にはあった。いや、カナテ達からすれば、いつの間にかラティに秘密が出来ていたと呼ぶべきか。何せ、この秘密が生じたのは、彼らと別れてからの話なのだから。
無用な心配をかける訳にはいかない。そのために、ずっと隠し通してきた。今日もできることなら、知られずに帰ってもらおうと思っていたぐらいだ。平和になった今の時勢で、あれを抜かざるを得ない時は、もう来ないと思っていたからだ。
一度、言葉をまとめるための時間が欲しいと正直に伝えると、二人の表情が強張った。何か深刻な事情があるのだろうと、すぐに理解できたためだ。ラティの顔つきは今、かつての旅の途中ですら見たことが無い程弱弱しさが浮き彫りになっていた。当時は弱音を見せられない状況だったと言うのもあるだろうが。魔王と対峙したその瞬間などより、ずっと青ざめている。
腰を据えて話したい。その要求を飲んだ二人はラティに屋内へと案内してもらった。忘れ去られた遺物のように、庭の隅に人知れず眠っている、聖剣に背を向けて。居間へと通して貰い、丈夫そうな木の椅子に座る。少し待っていて欲しいと告げ、奥の方へとラティは果物と水とを取りに向かった。
細い首の便に、瓶の中の水を入れる。戸棚に入れておいたリルチェの実や、近くの青果店で仕入れたその他の果実を木の器に盛る。事前に準備をしたものではあったが、こんな心地で出すことになるとは思ってもいなかった。この秘密は、墓場まで持っていこうと決めていたはずなのに。
「おや、随分と顔色が悪いな。折角の再会だというに」
影も現れないまま亡霊が、勇者だった男に囁いた。嫌味らしい口調を交えた幻聴、声が聞こえどもその姿も気配も無い。これはただ、自分が見ているだけの幻想に過ぎない。聞こえないふりをした彼は、片手に瓶、もう一方の手に器を手にした。
「聞こえないふりか。哀れな男だな」
耳を貸すなと感情が叫ぶ。あくまで、ありもしない幻を感情が再生している訳では無いと理性の側がむしろ自覚していた。これは妄想でも無ければ、ただの思い込みであってもくれない。無視していても改善はされない、厄介な後遺症であった。
「この俺を倒したというからには、さぞかし豪胆であろうなと思っていたのだが。とんだ見込み違いだったようだな。ただ剣に使われていただけのちっぽけな傀儡。俺を真に討ち倒したのは聖剣の勇者でなくて、勇者の聖剣だったという訳だ」
「黙れレルハロード」
ついには彼の我慢も堪え切れなくなる。これまで無視していたのも感情であれば、地雷を踏み抜かれ噛み付いたのもまた、感情であった。
「おや、逆鱗に触れたかね」
「いい加減にしろ。お前が出てくると気が散るんだ。……二人の前では、出てこないでくれ」
「やれやれ、人類の救世主は思ったより我儘な事だ」
せめてもの嫌がらせだ。そう言い残して、去り際に声の主は嗤ってみせた。次の瞬間、ラティの心臓が飛び跳ねた。先ほど腕に走ったのと、同じような痛みに心臓をわしづかみにされる。息を吐くことも吸うこともできなくなり、呻くこともできずそのまま蹲った。
大きな音を立て、手に持っていた瓶たちが床の上に転がった。息が詰まった閉塞感に対抗するためか、目も口も大きく開いて、大きく咳をしては、深く空気を吸い込む。
苦しさよりも、悔しさに胸が痛くなる。どうして自分がこんな目に。誰が見ている訳でもないのに、顔を伏せながら彼は地面を大きく殴りつけた。
それと同時に、重なりながら二つの足音が迫る。心配して現れたリースは、ラティの様子を見て、より一層目を丸くした。床に広がった水に、転がった果物の様子を見て、何があったのかと問いただしながらラティの身体を起こす。
その頃にはもう、情けなさと投げようのない怒りとでぐちゃぐちゃになっていた青年の顔は、取り繕った儚い笑みへと変わっていた。ただそこで転んでしまっただけだと、恥ずかしそうに頬を上気させる。これまでずっと、不安そうな人たちを励ますために、弱音を隠す演技をしてきた勇者一行、その代表であるラティだ。凶事があったことを隠すのは、酷く得意だった。
「ごめん。もう一度水入れて、果物は洗ってから持っていくよ」
「それはいいけど……どうせだし手伝うわ」
「あはは、お客さんだからゆっくりしてもらおうと思ったんだけど……やっぱりリースには手伝ってもらおうかな」
「いや、俺らに変に気ぃ遣うなよ今更。俺だって手伝うから、早く立てよ」
カナテが伸ばした手をとり、立ち上がる。その顔は、かつて共に旅をしてきたあの日々によく見たものだった。少し不安材料や懸念があったものの、考え過ぎだったかとカナテは一安心する。こうして見直せば、いつも見ていた彼と何ら変わりない。
しかし、リースはというと、むしろあの頃と何ら変わりない表情だからこそ、一抹の不安を抱いた。僧侶であるがゆえに理解していた。ラティは、体力がギリギリでも、毒に体を蝕まれていようと、他の人間の治療を優先させる男だという事を。
ただ、彼から言い出さない以上、追及してしまえばそれは世話焼きでなくただのお節介になってしまう。彼はもう、子供じゃないと主張していた。ならば年下扱いして庇おうとするのは快く思わないであろう。
久々の再開を楽しみたい、それも事実でありさらに理由はもう一つ。
しかし三つ目の理由については、カナテから語らせるべきであろう。そう判断した彼女は、その場を何とか丸く収めることにだけ努め、青年を支えるようにして椅子と机のある部屋へと戻ることにしたのだ。
「そうか、パンプの奴はまだ来れないのか」
「学会の発表があるらしいよ。こうやって話を聞いて初めて分かるけど、パンプってやっぱり頭良かったんだね」
腕を組み、神妙な顔つきで意外だと同意している二人の男を見て、リースは笑う。いつも難しい言葉や宿泊代の計算間違いをパンプから咎められていた二人がそれを言うのかと、声を上げて明るく笑った。それを言われると耳が痛いと、二人は揃って苦笑した。
「でも実際、あいつ居なかったらやばい局面はいっぱいあったよな」
「それを言い出したら二人だってそうだよ。カナテ達が居なかったら、僕たちはきっと、魔王討伐なんてできなかった」
「よく言うよ。お前ありきの勇者一行なのに。ていうか俺より強い奴は拳聖の山に呆れるほどいたし、リース以上の僧侶はフローリアに何人もいたろ?」
「まさか。俺が背中を預けられたのは、間違いなくカナテ達三人だけだよ。だから、君たち以上はあり得ない」
「お前は驚くほど恥ずかしいことをあっさりと言うな……」
「昔からそうよね、ラティって……」
「何さその目は。褒めてるんだから喜んでよ」
柔らかい表情を二人に向け、ラティは水を注ぐ。近くの井戸水を汲んだものだが、この土地の水は驚くほど質が良い。口に含み、飲み込んだ途端にリースも、綺麗な水ねと水質を認めた。
一応、熱魔法で加熱して、中毒にならないようにしているから安心だとラティは補足する。
ただ、いつまでもこんな穏やかな談笑が続かないことは覚悟していた。庭に刺したままの剣を見られてしまったのだから。彼の覚悟した通りに、明るく楽しいだけの談義はそこで終わった。
しかし、カナテ達から切り出された話は、彼の予想から大きく外れた話題であった。今しがた、不可解な聖剣の姿を見られたばかりだと言うのに、その話がされるものだと思っていたのに。
しかし二人は、それ以上に不穏な噂を彼のもとへと持って来ていた。これは、ノースコースト地方からの商人に聞いた話なのだけれど、そんな前置きをしてカナテは、ラティに『ある出来事』について切り出した。
「暗澹の蜘蛛……って話があるんだ」
「あんたんの、くも?」
彼らにとっては難しい名を付けられたものだったが、詰まるところ真っ暗な蜘蛛と言いたいらしい。そんな風にリースが横から支援した。
「魔王城ってさ、ずっと暗い霧が立ち込めてたろ?」
「うん、確かそうだったね」
「それと同じように、黒い靄を身に纏っているらしいんだ」
それも、人間よりもずっと大きな蜘蛛が。何も知らない呑気な子供は、蜘蛛が雲を纏っているんだってと笑っているらしいが、事態はそう呑気に笑っていられるものではないと、眉をやや吊り上げながらカナテは力強く述べた。
「足は家屋さえ簡単に踏みつぶし、牙は岩をも砕く。半端な鎧ぐらいなら鎌で一裂き。魔王程じゃないとはいえ、正真正銘の化け物だ」
「噂じゃなくて、そんな魔物がまだいるの?」
瞠目し、驚きを露わにする。そんな話信じられないとでも言いたげだ。魔王との戦いが終わる以前に、魔王軍幹部などの魔王に次ぐ強力な面々も打ち漏らすことなく全て屠ったはずだ。今聞いたような化け物がいたとしたら、当時から噂になっていただろうし、自分たちが戦っていなければおかしい。
「どうして、今更になって……」
「今更だからこそ、らしい」
「えっ?」
魔王討伐を為し遂げた今になってから、だからこそ現れたのだとの言葉に、声を失う。しかしその沈黙こそが雄弁に、何故かという問いを表現していた。問われてもいないが、尋ねてくるのを待つまでも無い。事の顛末を語るため、カナテは続けた。
「聖騎士長を覚えているか?」
「ああ、聖都を守っている聖騎士団の隊長さんだよね。ニーシュさんだっけ」
「そうだ。聖騎士団の一部の人員が、魔王城跡地をたまに視察するらしい。残党狩りの目的でな」
「その時、何か目にしたって事?」
「流石、そう言う察しは良いな」