複雑・ファジー小説
- Re: 華壱匁 ( No.2 )
- 日時: 2018/08/03 17:24
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
弘原海御幸は実の所、よくわかっていない人物だ。素性も、経歴も、果たして『人間であるのか』すらも。はっきりとしていることは、御幸はれっきとした『女』であり、古来より日本に住まう妖怪たちが為す『百鬼夜行』の、リーダー的存在であるということ。なぜそうなったのか、それは遥か忘却の彼方。いかんせん、彼女は物忘れが激しいらしく、昨晩の夕飯のことすら忘れることもしばしば。遠い昔のことなど、もってのほかだろう。
「なんてことを御幸さんは思ってみたりもした」
「なぁん」
「猫又?どうしたあっしの散歩に付き合ってくれるんか?」
「んなー」
先程の部屋を出て玄関口。靴を履いてさて外に出るかという矢先、御幸の足元に一匹の猫───否、尾が二つに割れた、所謂『猫又』が寄ってきた。御幸は猫又を抱きかかえ、少しばかり撫でてやると、猫又は満足したのか腕の中で喉を鳴らしたあとに眠り始めた。二つに別れていないことを度外視すれば、普通の猫のように思える。
「おーやおや。おねむかい、寝子(ねこ)さんや」
猫は一日の半分以上を寝て過ごすっつぅからなァ。カラカラと御幸は笑うと、戸を開けて外へと足を踏み出した。
外は思ったより天気が良かったようで、木漏れ日が御幸と猫又を柔く照らす。それとなく心地いい木漏れ日だ。今日はいい散歩になりそうだな、御幸は笑うと、特に目的もなくあたりを歩き始める。
最近寝ても寝たりなかった体を目覚めさせるには、ちょうどいい。昼飯におにぎりでも持ってくるんだったかな、と御幸は思う。あ、でも昼飯食ったような気がする。どっちでもいいか。腹減ったし。くぁ、とあくびをする。やはり木漏れ日が心地いいからだろうか、それとも腕の中で眠る猫又がやけに温いからだろうか、自分でさえ眠くなってきた。元々眠気覚ましに散歩をし始めたのに、これでは本末転倒かね。そう思う御幸であったが、次の瞬間完全に目を覚ます。
『なあ、ここにヨーカイがいるって本当か?』
『マジだよアタシ間違えないもん。あと心霊写真も取れるって』
『なーなら早く撮ろうぜ、待ちきれねー。インスタにアップしよ!』
『いいねどんだけくるかなあ』
どうやら何も知らない人間が、この山に目的を明確に持って来たらしい。とても人間らしい目的だ。心霊写真と妖怪を目当てに来るとは。人間はわからないかもしれないが、それは他人の家に勝手に侵入するのと同じ。荒らすのと同じ。なんでそんなこともわからないんだ。御幸は苦々しく思うが、それが人間というやつなのだろう。人間は人間以外の、人間にとって訳の分からぬ生き物を、理解しようとしない。そうなれば必然的なことだろう。いつになっても、変わらない。
「(やれやれ。さてどうしたもんかね。穏便に帰ってもらうにゃあ……)」
御幸はかぶっている帽子を、深くかぶり直した。今下手に出ても自分たちの存在がバレるだけだし、かといって騒ぎ立てて帰ってもらっても、『何かがいた』と下界で騒がれるだけだ。そうなれば平穏な暮らしはもう戻っては来ないだろう。何かいい案はないかね。思考を巡らせている内に、突然、風がひゅう…ひゅううう……と音を立てて強まる。木々は騒がしく揺れ、こころなしか雲が広がってきた。おやおや、こいつぁヤツの仕業かな。
そうこうしているうちに風はやたらと強くなり、その場に立つことすら難しくなってきた。それを察したのか、その場で写真を取ろうとした人間たちは、逃げるように山を下っていった。その姿に、「落ちねえようになァ、後々めんどくせェから」と心の中で声をかける。届くことはまずないだろうが。
姿が完全に見えなくなった頃を見計らい、御幸は隠れていた場所から動き、空に向かって声を上げる。先程の現象の『主』に。
「いよゥ烏天狗!さっきは助かったぜ」
「自惚れるな、貴様のためではない」
「相変わらずだねェ。少しゃ、素直になってくれてもいいんだぜ?」
「………」
「無視決め込まれちまったか。ほんと気難しいもんだな」
姿は見せないものの、厳かな声で『烏天狗』は冷たく放つ。慣れているのか、御幸は笑いながら受け流したが。返事が返ってこなくなると、これ以上は無理だなと判断し、その場から御幸は立ち去る。いつの間にやら、風はやんでいた。
「にしても、八尺様、八尺様ねぇ。初めて聞いたぜ、長いこと生きてるが」
腕の中で眠る猫又をゆるりとなでながら、御幸は一人先程の、一つ目小僧がよこした噂話を思い起こしていた。なんでいきなりそんな噂話をしたのか。御幸はそれが引っかかる。否、他にもいくつかはあるのだが。
「ただの興味本位かぁ?それとも……」
おなご目当てか、そう言いかけた瞬間、猫又の目が開いた。徐々にではなく、カッと。ある一点をじっと見つめて、フーッと息を荒らげる。その時点ですでに御幸もそちらの方向を見ていた。
そこに見えるは、八尺ほどある身長に加え、白のワンピースに白の帽子。そしてやたらと長ったらしい黒い髪の毛が、風が少しばかり吹いてきたにもかかわらず、たなびかずに下に降りている。
御幸は悟った。アレは『人間ではない』と。明らかに異質であると。そして重なった。一つ目小僧が面白そうに話していた、あの『八尺様』の特徴と。
「(オウオウオウ、噂の主まじでいたぜ。何のようだァ?お仲間探しなら下界でやってくんなァ)」
あっしらの関わるところじゃねえぜ───気づかれぬように心の中で唱えると、今にも飛びかかりそうな猫又をなだめる。今は気づかれちゃならない。何とかしてここから去ってもらおう。その願いが届いたか否か、その異質なものは瞬きをした次の瞬間には、もうそこから消えていた。猫又もそれを察知したのか、あれだけ荒れていた息もすっかり落ち着いている。
「なぁん」
「んん、そうだな。流石に帰って報告と行くか」
「なぁう、なん」
「そうさなぁ。やっぱ眠いよな」
うりゃ、と猫又を一撫ですると、御幸は来た道を戻っていった。
次回更新日 8/10