複雑・ファジー小説
- Re: 華壱匁 ( No.4 )
- 日時: 2018/08/18 14:39
- 名前: サニ。 ◆6owQRz8NsM (ID: dUTUbnu5)
翌日。猫又に叩き起こされた御幸は、眠い目をこすりながら服を着替えて、目覚ましに日を浴びようと縁側にくる。木漏れ日が差し込んで心地がいい。こんな時には、緑茶を飲むのが一番だ。隣にはいつの間にやら持ってきてくれていたのか、子供たちがお供えしてくれたおにぎりが置かれてあった。うむ、理想的な朝である。膝下には猫又がおり、叩き起こしたくせに自らはそこでうつらうつらと船を漕いでいる。まあこれはこれで寝子らしいか。御幸はそう思いながら、猫又の喉あたりを撫でる。
「あー平和だなー」
握り飯を頬張り、緑茶を飲んでふとそんなことをつぶやいてみてしまう。このまま何事もなく、寝て過ごせればいいんだけどなァ。その幻想は見事に粉々に砕け散るわけだが。
「御幸さん!」
二口目を頬張ろうとしたその時、ふいに後ろから大声で名前を呼ばれ、おにぎりを落としそうになる。なんとか落とさずキャッチできたからいいものの、食事中に大声はマナー違反だぞ、と注意してやろうと後ろを振り向いたら、そこには血相を変えた鎌鼬。妖怪に血相も何もあるかとは思うが、とにかく血相が変わっていたのだ。
何かあったのかと御幸は問うた。だが返ってきた答えは、ろくに参考にもならなかった。
「昨日の夜にあれがこれでどれがあれで」
「落ち着け鎌鼬。緑茶でも飲め」
呆れて緑茶を差し出すと、鎌鼬はすぐにそれを奪い取るようにして、ずずずと一気に飲み干した。そして一息つく。いくらか落ち着きを取り戻したようだ。
「で、どうしたよ」
「その、昨晩に僕と一つ目で街に行っただろう?最初はまだ良かったんだ、最初は」
だが途中で別の足音が聞こえたから隠れたこと、その方向からやってきた若い男がなぜかガリガリにやせ細っていたこと。そしてその人間の後ろに───
「身長が八尺ほどある女が、いた」
「───!」
その一言に、御幸の目は鋭くなる。幸いにしてなんとか逃げ切れたこと、その女が『ぽっ、ぽぽっ』という、不可解な音を出していたこと、そして明らかに、『コチラ側』をみていたこと。その時の状況をかいつまんでだが伝えると、何か不安のようなものが落ちたのか、鎌鼬は唐突に眠気に襲われたらしい。しばらく寝てくるよと、別の部屋へ去っていった。
「……」
御幸は考える。八尺様がもし本物だとしたら、そいつはもう麓の村に来ている。そして明らかに力が強まっている。なにせここは、八尺様が封印されていた地区ではない。ならば、力を強めてこちらにいよいよ来た、と考えるのが妥当であろう。それか「ついてきてしまったのか」。いずれにせよ、早めに対処せねばならなくなってしまった。面倒くさいが、やるしかない。おにぎりのためにも、平穏な暮らしのためにも。
「……猫又、お前さんもこい。今日は昼間っから、出かけなならねえ見てェだ」
「ぅなぁう」
残りの握り飯をぽいぽいと食べ、少しばかり背伸びをすると、猫又を抱えて別の場所へと移動することにした。
「一つ目の野郎、面倒な都市伝説ふっかけてきおって。あとで説教だな」
勿論食っちゃ寝生活を崩されるきっかけとなった、一つ目小僧に対してのフォローも忘れちゃいなかった。なんで変な噂話を持ってくるんだ、つかそもそもどこでそんな話を聞いてきたんだ。また勝手に街に降りてったな?
「あーあ、休みてぇ」
「んななぅ」
「そうさな、あっしら年がら年中休みだったわ」
なんとも羨ましいことを呟いた。
「あれ?つか一つ目は?」
「なあん」
「は?当分美女は勘弁?なんだそりゃ」
◇
さて、街へ出るために服をそれなりに目立たぬ物へと着替え、ふらりふらりと辺りを練り歩く。勿論猫又は尾を一つにし、怪しまれぬようにあちらこちらを飛び回ったり、気まぐれにしているようだ。
街の人々の話を断片的に聞いていくと、やはり八尺様のことばかり。相当広まっているようだ。人々は噂好きだな。口には出さずとも、他人事のように思う。他に話しのネタはないのか。ないか。それとなく入ったコンビニで、適当に目についたタバコと紙パックの烏龍茶を買い、外に出る。ただうろついてるだけでも怪しまれるかと思ったが故の行動だった。紙パックの烏龍茶にストローを突き刺し、一気に半分まで吸い上げる。
それにしたって、先程のコンビニで流れていたラジオですら、八尺様の話ばかりだった。なんでこうも噂というのは広まりやすいのか。というか、ただの掲示板への書き込みが、こんなに広まったのは何故なのか。たかが創作の書き込みだろう。妙に腑に落ちない。またたく間に飲み干した紙パックの烏龍茶をゴミ箱に投げ捨てると、御幸はタバコを開けて一本取り出し、火をつける。うぇ、まずい。失敗した。やっぱ煙管のほうが旨い。
ふと、同じくタバコを吸いに来たのであろう、通りがかった男に声をかけ、八尺様について何か詳しいことを聞き出せないか試みる。その者は八尺様という名前を出しただけで表情を変え、ひょいひょいと話してくれた。
「八尺様かい!そりゃあ、いま世間でも知らん人はいないくらいの話さ。なんでも、若い男をとっ捕まえて、殺しちまうんだとよ?いやー怖いねえ。まっ、俺は年食ってるから問題ないがね」
「そうかい?あっしから見りゃ、充分若いとは思うがねェ」
「おっ、お前さん見どころあるな!俺もまだまだヤングボーイって所か」
なははと笑うその男に、特に返事をすることなく御幸はまずいと評したそのタバコを吸う。煙管を吸いたいところだが、今この時代で煙管を日常的に吸う者は、ほとんどいないだろう。ぐっとこらえる。とそこで、男は何か思い出したようにまた口を開く。
「そーだ、確か近頃、ここらへんの若い男が妙に窶れたっていうんだ。話を聞きゃ、変な音がするだとかやばいのがいるだとか、そういうことばっかりでよ。本当に八尺様にでも取り憑かれたんでねえかな?噂話だけどよ」
「───そいつぁ、本当かい?」
「ああ。まさに好青年って感じのやつがよ。急に顔色悪くしてふらついて、夜も出歩ってるっていうしよ?ありゃー、悪いもんでも来たんかねえ」
次の瞬間、御幸はタバコを握りつぶした。
「なるほどな……ありがとうよ、面白い話が聞けたぜ。これはほんの礼だ」
御幸は先程買ったタバコの箱を男に押し付け、走ってその場から去っていった。突然タバコを押し付けられた男は御幸を引き留めようとするも、まあ貰えるものならいっか、と特に気にせずタバコを吸い続けるのだった。
「あー、平和だなー」
◇
白い変な奴が、目の端に映るようになってそれなりに経つ。そいつはこちらに何をするでもなく、ただそこに在り続け、自分その者をじっと見つめてくる。ときたまに、自らの部屋の窓をばんばんと激しく叩き、どこへ行くにしてもついてくる。気の紛らわしに酒でも飲んでみたが、そいつは消えることを知らずに居続ける。
『ぽっ ぽぽっ ぽぽぽ』
「それ」はじっと、そんな不可解な音を立てながらやってくる。何をするでもない、何が来るわけでもない。ただ、ただそこにいるだけで。
今日もまたそこにいる。あまりにも恐ろしくてついに御札を買いまくり、至るところに貼りまくり、盛塩までしてしまった。布団の中に潜り込み、明日が来るのをひたすら待ち続ける。以前噂話で聞いた『あれ』にひどく似ている、いやそのものの気はしたが、あえて認知しない。認知してしまえばそこで終わってしまうと思った。なぜなのかはわからない。
『ぽっ ぽ』
ばんばんと音がなる。やつが窓を叩いている。ここに入ろうとしている。頼む、頼むから帰れ。帰ってくれ。
───知らざぁ言って、聞かせやしょう
───我ら妖怪御一行
───只今百鬼夜行道中
───どんちゃん騒いで道行きますれば
───何卒、何卒、願います故
突如、鈴の音が鳴る。あたりはいつの間にか変わっていて、足元には彼岸花畑が広がっている。目の前には奴と、見知らぬ『誰か』が立っていて、奴を睨めつける。そしてふっと口元を柔らかくする。手には刀が握りしめられている。やたらと細身で長い刀だ。
「よーォよく頑張ったな。御札と盛塩。いい対策法だ。っつってもあっしも良くは知らねぇけどな。にしても数日も魅入られといてよく無事だったな、おめぇさん」
誰かは振り向いて、こちらに声をかける。何がなんだかわからないその者に、誰かはにやりと笑ってみせる。
「大丈夫でさァ。あっしはただの人間ですよ。ちょいと訳有りでは───ございますがね」
白い奴は誰かに向かってゆらりゆらりと近づいてくる。逃げたほうがいい。そう叫んでみるも、大丈夫大丈夫と言って、その誰かは聞かない。
「ああ、近くで見るのは初めてだが、こりゃあかなりの大物だな───お前さんら、出てきな。かなりの大物だぜ、歓迎してやんなァ!」
そう声を上げた瞬間。白い奴は別の何かによって引き裂かれた。
「さっすが猫又!的中だな」
「んなぁおう」
「え?今のは鎌鼬?ああすまねえ!でもすげえなあ鎌鼬!」
「ちょっと幸(こう)さん!無視しないで!」
「いやあすまねえすまねえ鎌鼬。ぐっじょぶって奴だな!」
数多の鎌を携えた別の何かが、その者に対し文句をつけるが、軽く受け流して化物の方を見据える。いつの間にやら近くには、一つの目しかない子供がいて、その子供は化物を見てひどく興奮しているようだ。
「ひぇ〜っ、あれが本物の八尺様かィ!すっげぇわくわくすんぜェ!なっ、なっ、見てみろよっ、すげえよアレ!」
「こぉれ一つ目。被害者に見ろとか言うんでねェ。オメェさんも下がってな」
ちぇっと一つ目と呼ばれたその子供は舌打ちをして、その者の後ろに隠れる。するとこちらも、どこからともなくぐいっと手を引かれた気がして、思わずそちらへと行ってしまう。ちょうど一つ目が隠れた場所と同じであった。
その者はにやりと口角を上げ、腰に携えていた長身の、細身の刀に手をかける。ちゃきっと音がする。
───さぁさいざご覧あれ
───我ら妖怪御一行
───我らの平和のため、我らの生活のため、今宵やって参りました
───今こそこの世に紡がれた因縁を
───我が絶刀(たちがたな)にて、無に返しましょうぞ
その瞬間、化物はひとふりとともに霧散した。
◇
「さっすが姐さん!見事だったぜ!」
「被害者の人間は寝たかィ?」
「バッチリ寝てるよ、幸さん」
八尺様を霧散させた後。その場はもとの風景へと戻り、魅入られた男は気絶するように寝てしまっていた。それを確認した御幸たちは、とりあえずホッとしてその部屋から出ていく。盛塩も御札も直して。
昼間御幸が戻ってきたあと、御幸は鎌鼬と一つ目小僧、そして猫又を引き連れて夜、街へと駆り出した。気づかれずに八尺様に魅入られた男に近づき、御幸が手にする刀───絶刀(たちがたな)でその八尺様を、現世からの因縁から断ち切った。それ即ち『噂を潰す』行為に等しい。一歩放っておけば更にまずいことになるし、かといって他に行かれても困る。そこで何物でもない刀にて、因縁を断ち切ることによって、噂はようやく死ねることができる。それができるのは御幸の絶刀(たちがたな)だけ。他のものでは、なまくら同然である。
「にしてもおめぇさん、何もしなかったな」
「えっやったじゃねえか!ほら、八尺様に魅入られた奴の家の特定とか!」
「気配でわかるからそうでもないような…」
「鎌鼬の兄さんまでぇ!」
「ははは、下がってろとはいったけどな」
「どーすりゃよかったんでぃ!」
ぷんすこぷんすこと一つ目は憤るが、鎌鼬も御幸もサラリと流してしまう。と、そこで御幸の足元にいた猫又が、大きくあくびをして御幸の胸元へ駆け上がる。それをうまく抱きとめ、御幸は猫又の喉元を撫でる。
「やあ、おねむかい。寝子さんや」
「なぁん」
「ははっ。それならもう帰るか。あっしも眠くなってきたぜ」
さてさて、噂はどこへ。
そう言い残すとあっという間にいなくなっていたとさ。
◇
街からは忽然と八尺様の噂が消えた。あれほど話されていた噂は跡形もなく、人々のタネは世間話となっていた。盛り塩も、御札も、更にはいつの間にやら売られていた『八尺様グッズ』なるものも、きれいサッパリ消えていた。人の噂は七十五日やらなんやら、そんなも言葉があるが、本当にその言葉通りのようだ。
ある喫茶店にて、若い高校生と思しき女子たちが、いつものように話に花が咲く。
「ね、ね、知ってる?ネットで『噂』になってる、この『白いワンピースのでっかい女の人』───」
人々の好奇心は『噂』となり、『肉』を持つ。
第壱話 八尺様
終