複雑・ファジー小説
- Re: 才能売り ( No.3 )
- 日時: 2018/08/02 22:46
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
※ 2018/8/1分を章のタイトル変更
〈Case2 「美しい」の裏に待つものは〉——安藤美波
あたし、安藤美波。恋するジョシコーセーだよっ、きゃははっ。
最近ねぇ、あたしねぇ、恋しちゃったの! お相手はぁ、聞いて驚け、あの、あのスポーツ万能で成績優秀の武藤先輩だよっ。あの先輩は可愛いコが好きみたい。そりゃあブスよりも可愛いコの方がいいよねっ。ならあたしはあたしは? って思ったけれど、あたしって顔には自信がないのよねぇ。二重じゃないし眼鏡だし、出るとこ出ないでちっちゃいし、美容クリームつけてるのに顔はにきびでいっぱいだし、おまけに声もかすれてヘンだ。叶わぬ恋なのかなぁ。クラスでも人気者のあの先輩の心を射止めるのは誰なのかなぁ。あたしだったらいいのになぁとはつくづく思うんだけれど、駄目だよね、駄目に決まっているよね。
そんな恋するジョシコーセーのあたしが窓の外を見ながら溜め息をついていたら。
「みなみん、武藤パイセンが好きってマジ?」
クラスメートたちが寄ってきた。
「でもみなみんじゃ無理だよね! それよかウチとかほのみんとかのっちーとかのほうが絶対に可愛いよね! 武藤パイセンの事なんか諦めて他のカレ狙ったら?」
きらっち——安西きららはあたしにそんなことを言った。ひどくない!? でも、でも、そんなこと言われても! あたしは武藤先輩に恋しちゃったんだよ? 恋はモーモク! そう簡単にあきらめてたまるかい!
あたしが憤慨してきらっちに何か言い返そうとした時だった、不意にあたしたちみたいな騒がしい女子のものではない、静かな女子の声がした。
「……持っていないものは、自分で手に入れればいいじゃない」
「はい?」
声の主は清楚可憐なお譲様、東寺 夏鈴(あずまでら かりん)。どこかの財閥の令嬢だってさ! そんな彼女がなぜこんな高校にいるのかねぇ。どこか謎めいた彼女は冷めた口調であたしに訊いた。
「才能屋……って、知ってる?」
あたしは知らなかった。するとクラスメートの一人がそれ知ってるよと大声を上げる。
「知ってる、知ってる! 戸賀谷でしょ? 自分の望む才能をあげるけれど、対価として自分の持っている別の才能を払えってやつ! 実在する都市伝説なんだって! まゆことかほのかとか、野次馬で直接行ったことがあるんだって!」
まゆこもほのかも騒がしいクラスメートの一人だ。そんな都市伝説があったなんて、悔しいことにあたしは知らなかった。
わかっているのなら話は早いわと東寺さんは言った。
「武藤先輩の心が欲しいのならば、それには何が自分に欠けているのか考えて才能屋さんにお願いすればいい。そうすれば願いは叶うでしょう」
あたしに何が欠けているか? 簡単だ、あたしにはルックスが足りないんだ。でもそんなもの、半分は生まれつきでもう半分は本人の努力次第。それ以外の要因で何とかなるもんじゃないでしょ? 眉唾だよそんな話ぃ!
あたしは相当怪訝そうな顔をしていたのだろう、きらっちが東寺さんの話を補足する。
「嘘じゃないよ、ホントだよ。どうしても嘘だって言うのならば今度戸賀谷においでよ! これだけは、才能屋だけは実在する都市伝説なんだってばぁ!」
……そんなに言うのならば、行ってみようかなぁ。
でも戸賀谷って遠いんだ。電車で片道二時間ってねぇ。それだけの価値ってあるの?
「なんならウチが交通費払ってあげる! 嘘じゃないんだからね、証明してやるぅー!」
きらっちがそんなことを言ったので、結局あたしは才能屋とやらに行ってみることになった。行き当たりばったりだけれど、結構面白そうな気がした。
- Re: 才能売り ( No.4 )
- 日時: 2018/08/02 09:23
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「戸賀谷—、戸賀谷—」
電車内のアナウンス。「降りるよ」ときらっちが言った。
着いた戸賀谷の町は、都会の林立するビル群とは違って落ち着いた雰囲気のするところだった。一軒家が多く、道路は完全に舗装されてはいるものの、ちょっと遠くを見ると畑も見える。穏やかな町だなぁとあたしは思う。あたしの町はバリバリ都会だ。田舎でもなく、都会でもない。こんな町を訪れるのは初めてである。
「えっとね、確かこっち。ウチもまゆこやほのかと一緒に野次馬に行ったことがあるんだよ? 店主の外道坂灯さんって素敵な人! 武藤パイセンとは違った雰囲気があって結構好きかもー! また会えるんだ、覚えているかな、わくわくぅー!」
きらっちのテンションはかなり高い。外道坂灯さん。外道坂なんてずいぶん物騒な名字だけれど、一応記憶に留めておく。
穏やかな町を十分くらい歩いた。きらっちは何度もきょろきょろしながら道を確認していた。
そしてやがて、きらっちは足を止めた。
「ここだよ、ここ、ここ! 才能屋!」
それは木で造られた、少し古そうな建物だった。二階建てで、余計な装飾はされていなくて、入口らしき扉の上に看板があるだけだ。その看板もまた穏やかな感じがしてなんだかいいところだなぁとあたしは思った。
「才能屋 あなたにお好きな才能売ります! 支払いはあなたの才能で」
看板に書かれていた文字。それだけ見ると何ふざけたこと言っているんだと突っ込みたくなってくるけれど、とりあえず都市伝説の「才能屋」は実在することは判明した。
きらっちは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねてあたしの手を引っ張った。
「行こ行こ入ろ! さぁ早く! あ、これでみなみんが武藤パイセン取ったってウチは怒らないゾ? というか見てみたいわぁ、才能屋さんの奇跡! ウチらは前に野次馬として来ただけで何もお願いしていないんだ! みなみんはするんだよね? してして!」
無責任なきらっちの言葉に半ば押されるようにしながらも、あたしは才能屋のドアを開いた。ドアを開けるとチリンチリンと涼やかな音がした。
「ようこそ、才能屋へ——。って、君は前の野次馬じゃないか。知らないお友達連れて、どうしたんだい?」
その音とともに、少し驚いたような青年の声があたしを迎える。
店は木でできた優しい雰囲気。入口の奥には木製のカウンターがあって、その中にある椅子に優しげなおにーさんが座っていた。
わぁお、優しい系? きらっちは俺様系が好きだって聞いていたけれど、意外だわぁ。
そんなことは置いておいて。あたしは恋するジョシコーセーなんだから。
「えっと、きらっちは付き添い。あたし、お願いがあるの」
ブス、ブス。男子たちに言われたこのサイテーなルックス。何とかできればあたしの恋する武藤先輩の心を射止めることもできるんじゃなぁい? そもそもの話、こんなところまではるばる来たのはあたしの恋が原因なんだから。それにきらっちが面白がってついてきたんだから。
灯さんは、あたしのその言葉を聞くと優しく笑った。
「君は野次馬じゃないんだね。わかった、この才能屋、承るよ。ああ、紹介が遅れたね。僕は外道坂灯、現代に舞い降りた自称『悪魔』さ。ま、腐れ外道でも灯さんでも、好きなように呼んでくれていいさ」
その瞳には、茶目っ気がある。あたしは彼のそんな態度に緊張を解いて、あたしの願いを口にした。
「あたしって、可愛い?」
でも、口から出たのは違った言葉だった。
あたしは知りたかったんだ、知り合いじゃない他の人から見た、あたしの顔がどう見えるかってことを。
あたしは言った。
「あたし、きれいになりたいんです。あたしってブスだから、好きな先輩に見向きもされない。だからあたし、きれいになりたいんです!」
あーあ、言っちゃった。言っちゃったよ、言っちゃった。
そうだねぇ、と灯さんは目を細めた。
「正直な感想、君の見た目は人並み以下だよ。で、何だい? 君の願いは『きれいになりたい』でいいのかな? じゃあその代わりに何をくれるんだい?」
人並み以下。初対面の人に、そう言われた。あたしはこの日のために精一杯着飾ったのに、それでも顔の醜さはは変わらないんだ。ショックだよぉ。
そうだよ、あたしはきれいになりたいんだよ。こんな顔なんか大っ嫌いだよ! でも代わりに、か。代わりに何をあげられるのかなぁ? わからなくて、あたしはきらっちにきいてみた。
「ねぇきらっち、あたしって、何かあるのかな?」
あたしはブスなだけの、あとはフツーのジョシコーセーだ。才能も何もあったものじゃないよ。顔がブスだから女子力だけは上げてきた。でも女子力をあげたら顔だけになっちゃうよぉ。きれいになりたいけれどそれだけは嫌!
そうだねぇ、ときらっちは思案顔。しばらくして、彼女はぽんと手を叩いてあたしに言った。
「そうだそうだ! みなみん、料理うまいじゃん?」
あっ、なるほど、料理かぁ。確かにあたしは料理上手だよ。その腕には自信があるの。だからその腕と同じくらいの美しさを手に入れられれば、武藤先輩もあたしに振り向くかも? ナイスアイデアだよきらっち!
あたしは嬉しくなって、はずむように灯さんに言った。
「決—めた! ねぇねぇともしー、あたし、自分の料理の才能をあげるから代わりに美貌をちょうだい! あたしのお願いはこんなカンジ!」
カンペキでしょ? これで武藤先輩もあたしにイチコロだぁ。
すると一瞬だけ、灯さんの顔に影が差したような気がした。
「……君はそれで、本当にいいんだね?」
何言ってるのさ。さっさとあたしに美貌をちょうだい!
あたしの返事を聞くと、灯さんは深くうなずいてあたしに言った。
「わかったよ、契約成立さ。あ、でも才能の交換後の返品は一切受け付けないからそこのところよろしく。前に勘違いした人にひどい目に遭わされたこともあったから、君は違うと嬉しいなぁ」
だいじょーぶだよとあたしは答えた。逆恨みかぁ、自分で選んだ結果なのにひどくない? 才能屋さんも大変なんだなぁとあたしは思った。
灯さんは淡く微笑んであたしに言う。
「じゃあさ、もっと近くに来てくれないかな。才能の交換には相手に触れる必要があるんだ。僕はうまく歩けないんだよ。立ち上がるのも億劫だから、いつも椅子に座ってる。ああちなみに生まれつきじゃないよ。勘違いした誰かさんにやられたのさ。ひどいよねぇ、まったく」
言って、灯さんはカウンターに隠された足を軽く叩いた。ひどい人もいるものなんだなぁ。
そんなわけで、あたしは灯さんに近づいた。あたしはカウンターの木に自分のおなかをくっつけて元気よく笑った。「これでいーい?」とあたしがきくと、「オーケー、そのまま」と返事が来る。きらっちはそんなあたしと灯さんとを興味深そうな目で見つめていた。今から才能が交換されるんだ、そりゃあ面白いだろうな。
灯さんは、言う。
「それでは始めるよ、お嬢さん。最後にもう一度確認だ。君が望むのは美貌で、代わりに君がくれるのは料理の才だね。これでオーケー?」
「オーケーでぇす」
あたしがうなずくと、灯さんはその顔から穏やかな笑みを消してあたしのおでこに手を当てた。あたしがびっくりして固まると「動かないで」と声が飛ぶ。これが才能を交換するということ? よくわからない感覚が、あたしの中を吹き荒れた。派手な音も光も無い。魔法じゃない、けれど魔法みたいな奇跡。あたしは今、非日常の中にいる。そんなことを感じさせるような奇妙なひとときだった。
何かがあたしの中にやってきて、代わりに何かが永遠にいなくなったような気がした。
それからしばらくして。
「……終わったよ」
声がした。あたしは思わず力を抜くと、ぐらりぐらりと視界が揺れた。「大丈夫?」と駆け寄るきらっち。ああ、あたし、相当緊張していたみたい。
そしてあたしに駆け寄ったきらっちは、つぶらなその目を真ん丸にして、あたしを見て固まった。
あたしはあたしの顔を見ることなんかできないよ。でも、きらっちにはモロに見える。
きらっちはわなわなと唇を震わせて、言った。その顔は青ざめているようにも見えた。
「才能屋さんって、本当だったんだ……」
「ひどいなぁ、疑われていたのかい」
そんなきらっちに灯さんは朗らかに笑う。
「じゃ、君にもその証拠を見せてあげるよ。えーと、鏡、鏡……あった、これだ」
灯さんはしばらくカウンターの中をごそごそやったあと、シンプルなプラスチックの枠の鏡を取りだしてあたしに差し出した。あたしは緊張しながらもそれを手に取る。灯さんは何かカウンターをがさごそやりながらあたしの方を見ずに言った。
「これが君の答えだよ」
そしてあたしは、
見た。
鏡の中に映っていたのは、絶世の美少女だった。
くりくりしたつぶらな目。綺麗な二重でまつ毛が長い。つやつやした紅い唇にはどこか蠱惑的な美しさがあり、あたしの肌は雪のように真っ白で、髪は夜の闇のように綺麗な黒をしていた。白雪姫ってそんな表現をされるような顔だったっけとあたしは思った。もちろんにきびなんてない。鏡に映ったそれはあたしであってあたしじゃなかった。確かにあたしの顔なんだけど、確かにあたしらしさを残した顔なんだけど、でもあたしじゃない顔。別人みたいな顔、でもあたしの顔だった。
そしてそんなあたしの顔は、まぎれもない美少女の顔。
これなら武藤先輩も引っ掛かるだろう。でも、鏡に映ったこの顔を見るとあたしがあたしじゃなくなったような気がして、あたしは少しさびしかった。あんなに大嫌いな顔だったのに、どうしてなのかな。
とりあえず。これまでのあたしは死んだんだ。
「お気に召したかな?」
笑う灯さん、優しく穏やかに笑う灯さん! でも、でもだよ、灯さんは奇跡を起こした。この現実世界じゃあり得ない奇跡を!
だからあたしは思ってしまったんだ。この人を、「悪魔」だと。
非日常を運んでくる、現実世界に舞い降りた悪魔。この人はそう表現するのが正しいのかもしれない……。
「君が対価として払ったものは、今ここで証明することはできない。でもいつか気付くだろう、君は何を得て、代わりに何を失ったのか」
得たものは絶世の美貌、失ったものは料理の腕。
得たものについては良くわかったけれど、失ったものについてはまだ実感がない。
それでも、願いはかなったんだ。拍子抜けするほど、あっけなく。
「……行くよ、きらら」
だからあたしは鏡を返して、放心するきらっちの手を引いて店を出た。
- Re: 才能売り ( No.5 )
- 日時: 2018/08/03 07:42
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◇
「武藤先輩! あたしと付き合って下さい!」
「いいよ。……安藤、変わったな」
「でしょー? でしょでしょ?」
武藤先輩への告白は、あっさり通ってしまった。あまりにもあっさりすぎて、あたしは拍子抜けしてしまった。
あれから。パパとママにも「一体どうしたんだ」と心配され、学校に来たらクラス中から仰天されたあたし。そりゃあそうだろう、ブスブスと蔑んでいた女子がいきなり、白雪姫顔負けの絶世の美少女になっちゃったんだから、驚いて当然だろう。
それからの高校生活は驚くほどあっさり進んだ。あたしは武藤先輩とラブラブだし、誰もがうらやむ超絶美少女。気がつけばきらっちもまゆこもほのかもあたしに近づかなくなっちゃったけど、というかあたしは女子たちから嫌われ者になっちゃったけど、それでも恋愛模様だけは最高だった。
料理ができなくなったのは、あたしが家でカレーを作るのを任されたときにしっかりとわかった。作り方はわかるのに味は最悪。なんだこれ、ニンゲンノタベモノジャナイデス。家族も「本当にどうしたんだ」とあたしを心配してくれたけれどこれだけは、才能屋のことだけは言わないってあたしは決めてる。言ったらみんなを悲しませるだけじゃん。ママが産んだ顔が気に入らなかったからって才能屋で絶世の美貌を手に入れて代わりに料理ができなくなったなんて言えるわけがない。だからあの日のことはあたしときらっちだけの秘密になった。きらっちも特に自分からそのことを明かそうとはしなかった。
こうして時は流れて、
いつしかあたしたちは大人になっていた。
あたしと武藤先輩の恋愛はずっとずっと健在で、同じ大学、同じ学部に行って同じように日々を過ごした。武藤先輩は……いいや、この際はかずくんって呼んじゃえ! 武藤かずくんはあたしが料理できないことにがっかりしているのを励ましてくれた。あたしはそれがとっても嬉しかった。違和感は、消えない。それでも、才能屋に行って良かったなぁって心から思った。
そしてさらに時は流れて。
「美波、結婚してくれ」
かずくんがある日、そんなことを言ったんだ。
「俺はお前が好きだよ、美波。だから、この思いをより確かにするために結婚してくれ、美波」
それを聞いた時、嬉しくて嬉しくて、あたしはものを言うことができなかった。それを勘違いしたのかかずくんはあわてた口調でまくし立てた。
「いや、結婚はまだ早いとかそういうこと言わないでくれよ。俺はお前が好きな言うだ。俺はお前を絶対に幸せにするから頼むからお願いだから俺と——」
「いーよ」
あたしはそんなかずくんに、明るく笑ってそう答えた。
「結婚しよ、かずくん。そして子供作ってさぁ、二人で家庭を作ろーよ」
でも、何でなのかな。どうしようもなく泣けてきたんだ。
「美波……? どうしたんだ、どこか痛いのか?」
「違うよ、違うもん。これは嬉し涙なんだよぅ」
心配げなかずくんに、あたしはそう笑って答えた。でも本当は、心が痛かった。痛くて痛くてたまらなかった。
そうだよ、あたしはずるい女だ。才能屋っていう目に見える奇跡に頼って、自分を磨く努力も大してしないで「あたしはブスだ、みじめだ」って自己憐憫に浸って、その挙句にはかずくんに恋するたくさんの女の子たちを蹴落としてあたしがかずくんの心を射止めた。
努力もしないで、奇跡に頼って。
それがわかっているから、いざこういった瞬間になってみると、嬉しいけれど同じくらいの罪悪感が湧きあがってきて心が痛い。
あたしは、思ってしまった。
これは偽りの愛だ。誰かを蹴落として、本当の自分じゃない自分でしている偽りの愛だ。
あたしはかずくんとの恋人時代、確かに幸せだったけれど、心の底には罪悪感がしこりとなって残っていて、心から幸せだったとは言えなかった。
そして今、あたしはかずくんと結婚する。心のしこりはますます大きくなるのだろうか。
あたしはそれが怖かったけれど、せっかくここまで行きついたんだし結婚してしまえという声が、あたしの中でささやいた。それと罪悪感があたしの中で喧嘩して、あたしは思ってしまった。
——もう、どーでもいいや。
なるようになってしまえ。
今が幸せな瞬間ならば、その幸せを精一杯楽しんでしまおう。
だからあたしは、泣き笑いのような表情を浮かべてかずくんに言った。
「書類、取りに役所まで行こう」
その言葉を聞いて、かずくんはすっごく嬉しそうな顔をした。
そうだよ、これは偽りの愛だよ、本当の愛じゃないかもしれない。
でもね、それでもね、これはあたしの選んだ道、正しい選択だって思ってる道だから。
目いっぱい楽しむよ。それの何が悪いの?
あたしはそう、自分を正当化した。
- Re: 才能売り ( No.6 )
- 日時: 2018/08/05 10:10
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
◇
でもね、幸せな結婚生活は長くは続かなかったんだ。
あたしの美貌はいつになっても衰えない。だからかずくんはあたしの浮気を疑い始めた。あたしが着飾って出かけるたびに、敵意に満ちた視線をあたしに向けるようになった。
結婚したら、現れた本性。それでもあたしはまだ幸せだった。
あんなことが起こるまでは。
「こんな不味い飯なんて食えるか」
ぶちまけられたあたしのカレー。
かずくんが疲れただろうからって、せっかく気合入れて作ったのに。
料理のできないあたしはいつも、かずくんにおいしいものを提供するためにスーパーのお惣菜を買っていた。そのせいで家計はいつだって火の車。食費の占める割合がハンパないのだ。そのせいでかずくんは趣味の魚釣りを止めて、ひたすら働かなくてはならなくなった。あたしは専業主婦をやっていた。掃除も裁縫も立派にこなせる奥さんだよ。それでも料理だけはどう足掻いてもできなかった。それは致命的な欠点だった。
ぶちまけられたカレー。あたしは呆然と床に座り込んだままかずくんを見た。
「前言撤回だ、顔だけで中身のない女。俺は顔の綺麗な女の子が好きだが、料理ができなければ話にならない」
いつかは「料理ができなくても、それでもお前が好きだ」って、言ってくれたのに。
あたしは間違ったのかな。あの時「料理」を対価にしなければ良かったのかな。
でもね、あの時のあたしにはそれしか誇れるものがなかったんだよ! 仕方ないじゃん! あたしは心の中で叫んで、かずくんを睨みつけた。
「何だその目は」
かずくんの声は絶対零度の響きを帯びていた。
「何だと聞いている! 答えろこのクソ女!」
かずくんは座り込むあたしを蹴とばした。あたしは蹴とばされた姿勢のまま動かなかった。——動けなかった。
わかったのはこの瞬間、何かが決定的に終わったのだという妙な確信。
あたしの不味い手料理かスーパーの惣菜、もしくはレストランの食事ばかり食べさせられていたかずくんの食生活は決して良いものだとは言えない。たまりにたまったうっぷんが爆発しただけだ、それだけなんだよ、今日は。
あたしは何も喋らない。服にカレーをくっつけて座り込んで、ただ無言でかずくんを見上げるだけ。そんなあたしをを見てかずくんはさらに手をあげようとしたけれど、寸前で思いとどまって、やめた。
かずくんは、絶対零度の声で言うのだ。
「お前とは離婚するよ、美波」
子供もいるのに。
「子供は俺が引き取る。お前の飯を食っていたら理香は死んでしまうからな」
それは訣別の、言葉。
あたしたちの子の理香は子供部屋で眠っているから、この騒ぎは聞こえない。
かずくんは、あたしの好きなかずくんは、あこがれの武藤先輩は、言うのだ。
「さようなら」
◇
かずくん——いや、武藤さんと離婚したあたしは、堕ちた。武藤さんと離婚したあたしは新しく職業を探すことにした。でもね、これまで専業主婦をやっていたあたし、会社員なんてやったことのないあたしに今更職業なんて得られるわけがないよね? 貧困にあえいだあたし、それでもあたしの美貌は健在だったから——あたしは水商売で身体を売ることになった。
恋も家庭も失って、結局は与えられた美貌しか残らなかったあたし。そんなあたしができることは限られているんだ。
だから今日もあたしは、好きでもない男とその身を交わらせて喘ぎながらも、生きていくための糧を得る。水商売を続けていくうちに、どうしたら男が喜ぶのかわかるようになった。それでも料理は相変わらずだ。惨めだった、あたしは最高に惨めだった。
あの日あの時あたしのした選択は、間違いだったの?
かずくんとの毎日を、幸せだった数年間を、思い返す。
才能屋さん、教えてよ、才能屋さん。
あたしは身の丈に合わないものを、望んではいけなかったの?
あたしは甘い声をあげて喘いだ。あたしの目の前には男の顔、知らない男の、野獣のように醜い顔。そんな男に犯されて、あたしは惨めに啼くんだ。
——これが美貌を望んだあたしの、末路。
そして甘い時間は終わる。得られたお金はかなりのものだ。純潔はかずくんとの生活で捨て去ったけれど、この世界で生きるにはプライドだって捨てなければならない。あたしは衣服を元通り着ると、最高に妖艶な仕草で男に礼をした。
これが、あたしの、末路。
あたしは人生を間違えたんだね。あたしは自分の選択によって狂わされたんだね。
ねぇ、見てよ才能屋さん、これがあたしの末路だよ!
可笑しいでしょう? きっと「悪魔」は戸賀谷の町で、あたしを笑っていることだろう。
悪魔は本当に、悪魔だったんだね……。
〈Case2 「美しい」の裏に待つものは 完〉