複雑・ファジー小説

Re: 植物標本 ( No.13 )
日時: 2018/08/19 17:52
名前: 凛太 (ID: aruie.9C)

 ジョゼは背が高く、図体だけみれば、大人となんら変わりのない子どもだ。塔の制服は、彼には窮屈すぎるくらいだった。褐色の肌は、南の地方の生まれだろうことを思わせる。
 エトが彼の前に立ちふさがる。ジョゼは、いたく疲弊していた。

「君が、ジョゼだよね」
「あんたは、確か……エトだな」

 ジョゼは、うっそりとエトを見つめ返す。

「急に引き止めてすまない」
「それで、何の用」
「余計なお世話だとは重々承知だ、けどあまりにも君が……悲しんでいるように見えたから」

 エトの気遣わしげな視線を跳ね除け、ジョゼは大きく息を吐きだした。鈍色のため息だ。

「噂には聞いてたけど、お前は相当好奇心が強いな。知りたいんだろ、彼女の死の真相」

 ジョゼが自嘲気味に笑った。

「違う、違うんだ」

 エトが大きくかぶりを振る。そうしてゆっくりと、言葉を選びとっていく。

「上手く言えないんだ。ただ、他の皆は死に淡白だったから、余計に君が気になって」
「ああ、だろうな。ここにいれば、全員そうなる」

 いずれは、誰しもが死に慣れていくのだろうか。エトは、じわりと腹のあたりが重くなる。
 ほんのひと時の沈黙の後、先に口を開いたのはジョゼの方だった。

「場所、移動しようか」


 階段の踊り場は、窓から一筋の金色の光が差し込んでいる。喧騒は遠く、ここならば誰も立ち入ることのないのだろう。
 ジョゼはオリーブ色の壁にもたれかかり、きっちりと結ばれたループタイを解く。緩慢な仕草で襟裳の鈕を外せば、なだらかな鎖骨のあたりにかけて広がる、丸みを帯びた花が姿をあらわす。

「これ、見てくれ」
「……花の痣。こんなにも薄い」
「プリムラの花だ」

 エトのものと比べて、ジョゼの痣は淡く掠れていた。もはや花弁の輪郭は、肌の色と曖昧に溶け合っている。

「俺、もうすぐで塔を出るんだ。大人になる」

 彼は淡々と、そう言ってのけた。神さまは無垢な子どもを尊ぶ。大人になれば塔を去るのは、当然のことだ。厳粛な手続きを重ね、国に雇われたものしか、大人が塔に立ち入ることはない。

「……二ネットには」
「もちろん、伝えたよ。互いの故郷はひどく離れていたし、塔を出たらもう会えなくなることは、承知の上だったんだ」
「……彼女の方が耐えられなかったんだね」
「花ってのは、脆いんだな。少しの負担で、萎れちまう」

 ジョゼの声色は、存外におとなしやかなものだった。そうして、しとしとと言葉を継ぐ彼の語り口は、のどかな春雨を連想させた。

「ここの奴らは、昨日まで隣で机を並べていたやつが死んだって、あっけらかんとしてるんだ。亡くなるのは神さまが見捨てたからで、病が治るのは試練に乗り越えたから。全てが、神の思うままに、って考えてる。だから、死に鈍感なんだろうな」

 塔の子どもは死に近いからこそ、悲しむことはない。悼むということを知らないのだ。二ネットが亡くなったことも、明日になれば忘れてしまうだろう。

「私は……神さまの教えを尊いものだと思うよ。だけれども、もし、友人が亡くなった時、それを神さまの思召しのためだけに旅立ったと、考えたくないんだ」
「そうだな」

 ジョゼが静かに頷く。

「……今となっては、シエルの気持ちもわかるんだ」

 神さまを信じない、あの背徳的な少年は、彼女の死をどう思うのだろう。エトは目を瞑り、くゆる思考を巡らせたが、想像につかない。
 ジョゼは壁からそうっと離れると、エトの方へ顔を向けた。憂いを帯びているが、会った時よりはうすらと晴れやかだ。彼は片手をあげる。

「豊穣の餐の前に、ここを出るんだ。また会うことがあったら、よろしくな」

 エトはジョゼを見送ると、制服の袖裾を捲った。左腕に滲み出る、エニシダの花の痣に視線を落とした。細やかな花びらが連なり、一つの植物を形作っている。ジョゼの痣と比べても、彼女のものははっきりとしていた。けれどもはじめて塔に来た日より、痣は広がり、色濃くなっていたのは、どうしてだろう。