複雑・ファジー小説

Re: 植物標本 ( No.14 )
日時: 2018/08/20 22:27
名前: 凛太 (ID: aruie.9C)

【天蓋を望む】

 きらびやかな金管楽器の音が天へと届けば、豊穣の餐がはじまる合図となった。この日ばかりは、塔に活気がみちる。子どもたちは思い思いの衣装を纏い、あちこちを駆けてゆく。宗教歌は始終鳴り止まず、熱狂が静まることはない。
 談話室は、子どもたちで溢れていた。中でも年長の子らは、こぞって弦楽器を披露する。彼らの周囲には、小さな輪が出来上がっていた。その中に見知った顔をみつけ、エトは肩を叩く。

「御機嫌よう、お嬢さん」
「びっくりした!」

 気取って恭しくこうべを垂れて見せれば、ネリーが鈴を転がすように笑う。彼女の顔は薄く化粧が施され、どこか大人びて見えた。

「やっぱり、真珠色のにしたんだね」
「似合うかしら」
「もちろん」

 慎ましい真珠色のワンピースは、ネリーによく似合っていた。エトは談話室の周りを一望する。質素な制服を脱ぎ捨てて、さまざな色彩に身を包む。宝石箱が散らされたような光景に、エトは目を細めた。

「みんな、よそ行きの服を着ていて、違うところみたいだ」
「それなら、あの服を貸すのに。いつも通りの制服だなんて、つまらないわ」
「女の子らしい服装を着たら、ユーゴあたりは泡を吹いて驚いてしまうね」

 エトとネリーは互いに顔を見合わせて、口角を緩めた。そうしてネリーは、じっとエトの顔に視線を注ぐ。

「でも、すこうしだけ、見てみたい気がするの。ね、いたずらを仕掛けましょうよ」
「みんなを驚かすってこと?」
「楽しそうでしょう」

 なんと返事をしたら良いか、考えあぐねてしまう。エトは曖昧な表情を浮かべた。

「まあ、ねえ」
「ね、きまり!」

 ネリーが軽快に両手を合わせた。せっかくの祭事なのだから、少しばかり羽目を外しても良いのかもしれないな。そう、エトは自身に言い聞かせてみせると、背の高い影が近づいてくるのを捉えた。子どもたちと同じように、この塔に住む神学者だ。僅かに年輪が刻まれた面差しは、祭事だからだろう、いくらかやわらいでいた。

「ああ、エト。こちらへ来なさい」
「何か用ですか、先生」

 老人は、右手にはしばみ色の封筒を持っていた。

「ご家族から、手紙が届いていたよ」
「ありがとうございます」

 両手で封筒を受け取る。宛名の部分には、よく馴染んだ名前が刻まれていた。母から手紙が来るなど、はじめてのことだ。エトは大切に、衣嚢にしまい込む。

「楽しんでいるかな」
「ええ、とても」
「君は塔に来て半年だけれど、何か困ったことは?」

 エトはためらった。左腕の痣が、日に日に濃くなっていること。このことを、相談するべきか、迷っていたのだ。エトは恐る恐る、袖を捲る。老人は象牙色に濁ったまなこを見開いた。

「おお、これは……」
「半年前より、痣が広がっているんです。先生、これは何かの前触れでしょうか」

 老人が首を横にふった。彼はエトの腕を掴み、よくよく目を凝らそうと顔を近づける。そうして、数秒が過ぎたことだろう。ふと、老人は顔を上げ、恍惚とした表情を浮かべた。

「おめでとう、エト。君は、選ばれたんだ」