複雑・ファジー小説
- Re: 植物標本 ( No.16 )
- 日時: 2018/08/22 18:48
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
エトの頭の中で、いくつものどうして、が駆け巡る。どうして、花の病は閉じ込められるのか。どうして、ロランは死にゆくのだろう。どうして、母は亡き兄の面影を辿ることを、強いたのだ。少年の装いしか許されず、花冠を編むことを厭うて、少女らしい振る舞いを禁じた。さりとて、母が末に手に取ったのは、少年のまがいものではない。久方ぶりの母からの便りは、エトに弟が出来たのだと、そう淡白に綴られていた。
混乱のままに、胸が打ち震える。堰を切ったように、涙が溢れた。後に残ったのは、泣き虫が、2人。
「何故、泣くんだ」
ぎょっとして、シエルは眉根を寄せた。けれどもそう言う彼の頬にも、つうと流れた涙の跡が一筋、きらめいていた。
「わからない。けれど、ひたすら悲しいんだ。友に置き去りにされることや、母に捨て置かれることは、どんなにさみしいことだろう」
不意に檸檬にも似た、清かな匂いがあたりに広がる。エニシダの、匂いだ。
「ねえ、シエル。教えてくれないか、花の病は、ロランは、どうして」
口が縺れ、言いたいことが纏まらない。思考が氾濫する。胸のあたりに、鈍い痛みが広がった。
シエルが苦々しげに言葉を手繰る。
「この、忌々しい花の匂いのせいだ。強い花の香は、不治の病をもやわらげる。けれど、俺たちはどうなる? 激しい感情に身悶えながら、死ぬんだ。神さまなんて耳障りのいい言葉を使って、塔に閉じ込めて、大人になるか死ぬまで飼い慣らされる」
かつて顔を歪めた、薔薇の匂いを思い出す。二ネットは別離の苦しみを、その身に嘆きながら朽ちていった。ならば、ロランはどうだと言うのだろう。
シエルはエトを真っ直ぐに見据える。その面差しには、僅かばかりの疲れがにじみ出ていた。
「それでもお前は、花の病を神のみわざだと、そう言うのか」
「……当たり前だろう、そう習ってきたんだ。母だって、信心深い私を望んでいる」
そうだ、いつだってエトは己を欺いた。神を信じたのは、母がそのようにあるべきだと言ったからだ。では、エトの本心はどこにあるのか。
「俺は明日の早朝、塔を出る」
はっきりとした物言いだった。エトは翡翠の双眸を数度またたかせる。シエルがゆっくりと、手を差し出した。
「エトは、どうする」
シエルは今、エトに問いかけていた。彼は、星の天蓋を欲していたのだ。