複雑・ファジー小説
- Re: 植物標本 ( No.19 )
- 日時: 2018/11/18 13:53
- 名前: 凛太 (ID: xV3zxjLd)
子どもたちが、友の抜け殻を目にする機会はほとんどない。塔で亡くなれば、大人たちの手によって人知れず対の塔へ葬られる。外で命を落とせば、聖者として讃えられる。やがては首都の墓地におくられて、ふたたび塔へ戻ることはない。
首都に着けば、二人は人の波を縫うように、駅舎からおどり出た。久方ぶりの雑踏だ。エトは戸惑いながらも、シエルの背を追いかける。
「さあ、はぐれるなよ」
「わかってるよ」
子どもたちは、古典的な煉瓦造りの建物が並ぶ通りを歩む。首都の建物は、どこか重厚な雰囲気を醸し出す。どの建物も、白や茶色などの落ち着いた色合いを基調としたもので、古めかしい印象を与えた。
「それにしても、なんだか変な雰囲気だ。どこの家も窓は締め切っていて」
エトは辺りを見回しながら、そう呟いた。年代物のアパルトマン、派手な看板を掲げたチョコレート屋。目に入る建物のほとんどは、分厚いカーテンで窓を覆っていた。行き交う人々も同様で、暗い色合いの服ばかりを身に纏う。
「子どもに、葬列を見せないためだ」
「……葬列?」
「目抜き通りの方に行けば、見れるさ」
ようやく辿り着いた首都の目抜き通りは、厳粛な雰囲気に包まれていた。人々は葬列を一目見ようと、道の脇に立ち、声を潜めて囁きながらも首を伸ばす。彼らの視線の先、盛装した聖歌隊や司祭たちが、一列に連なっていた。その先頭、真白の馬車が硝子の棺を携えて、葬列を率いてゆく。聖櫃の中、金木犀に抱かれて眠る彼の人は、紛れも無い。ロランだ。
「こりゃ、大層な行列だな」
「しかし、酷な事だよ。まだ子どもだったんだろう」
「仕方ないさ、そういう使命を果たすために、生まれたんだから」
ひそやかな、低い話し声。葬列を遠巻きに眺めながら、大人たちは軽口を叩きあう。
「だめだ、これじゃあロランが見えない」
その傍らで、エトは呆然と立ち尽くしていた。ここは、子どもばかりいる塔ではないのだ。大人たちの広い背中に阻まれて、葬列を望むことすら叶わない。
「行かなきゃ、ロランの顔を、見なきゃ」
宵の眸は、ひとすじに前へと注がれていた。彼は無意識のうちに、群衆へ飛び込んだ。人の波を掻き分けて、友の元へ行かねばと足掻く。
ロランは、自らの信仰のために死んだ。それは、本当に正しかったのだろうか。故郷にも、ましてや塔にも還れず、ひとり睡る。それでは、あまりにも。ならばとシエルが、自分こそが、彼を見届けねばならない。シエルを突き動かすものは、義憤にも似た感情だった。
「シエル、待って!」
後ろで、エトが叫ぶ。遠くからでいい。一目、ロランの顔を見ることができたのなら、それでいいのだ。
やっとの思いで群衆を押し遣ると、飛び込んでくるのは重々しくも歩みを進める葬列の姿だ。清かな白い装束を纏った聖歌隊は、神の慈しみを讃える詩を歌う。皮肉なものだ、とシエルは思う。神を慈しんだが故に、ロランは逝ってしまったのだ。
「シエル、急に走り出すなんて」
数秒遅れて、エトが追いついた。しかし、シエルは物言わない。彼の視線は、ロランを連れ行く聖櫃に絡め取られていたからだ。夜色のまなこが、揺らぐ。そこからは、すべてがゆるやかに流れていく様に感じた。
全ての苦難を享受したような司祭の深いしわ、大人たちの身勝手なさざめき、肌を撫でる冴えた静謐さ。世界を彩る一つ一つが、はっきりとエトを呑み込む。そして、かすかに見えた、ロランの顔。彼は、どこまでも澄み渡った表情をしていた。悲しみでも、怒りでもない。ひたすらに、安寧に満ちていた。エトはただ、彼の亡骸を、綺麗だと感じたのだ。
遠くで鐘の軽やかな音が響き渡った。