複雑・ファジー小説
- Re: チュリーロゼッタ、可愛い君は ( No.2 )
- 日時: 2018/08/18 00:17
- 名前: 流聖 (ID: m.NeDO8r)
雨の檻
それは、冬の日のことだった。
しんとした冬の空間は秘密めいた静謐さで、特別な瞬間だと私は思う。あの日も寒かった。君の体も冷たくなっていた。それがなんだか可哀想で私は懸命に抱き締めて君を暖めた。懐かしいな。キンと冷えたまだ誰も吸っていないような空気を細く吸う。そして温かい息を吐くほどその白さは増す。それが面白くてはぁぁと私は息を吐く。吐いた空気は白くてふわふわで、そう、幸せを運ぶ白鳥みたい。冷たい空気の中で踊るスワン。まるで空中のアートのようだと思った。
空には灰色の雲が出てきた頃、私は墓地に辿り着いた。天気予報を見たから今日雨が降ることはわかっていた。ちゃんと天気予報を見なさい、それか新聞を読みなさい。君はそう言ったことがあったね。私はバッグから折り畳み傘を出して開く。傘はまるで雨の日にしか咲かないお花のようだ。柄も大きさも人それぞれのお花。私の傘は黒猫のシルエットが柄だった。君の傘は白猫だった。
ポトリ、傘に雫があたった音がする。最初はポトリ、ポトリ、と。次第にボタボタボタと。まるで、空の涙、ううん、そんな感じじゃない。空の汗、やだ、なんか汚ない。まるで、そう、空の喋り声ね。うふふ、キャハハ。とても楽しそうに喋っている音がBGMになる。
君の名前が刻まれている灰色の石が濡れ始める。冷たい冬も、静かな雨も、ずっと一人でここに耐えているんだ。寒そう、悲しそう、寂しそう。あの日と同じ、可哀想だ。私はバッグからもうひとつ、白猫が柄の傘を出して開くと、君を守るように置く。少しはましになっただろうか。
ふと、隣を見ると、女性がいた。隣の墓をじっと見つめている。たぶん私と同じくらいの歳。あと、びっくりするぐらい美人。線の細い、華奢で折れそうな白い手足、つくりものめいた精巧な顔、神秘的に濡れた黒目がちの瞳、思慮深い長い睫毛、湿気を帯びた震えそうな肌、甘やかな香り、放たれた真っ直ぐの黒髪。全てが一片の隙もなく完璧だった。その完璧さは暗闇の中で仄かに光る白い灯火のようで、世界から浮いて見えた。二次元に三次元を置いたみたいな、火を見るより明らかな異質さ。それでいて、今にも空気に溶けて消えてしまいそうな儚さもある。この穢れた地上では生きづらそうな天使のようであり、美しさ故に気まぐれに世界を滅ぼしてしまいそうな女神のようでもあった。
そして、それ以上に目を引いたのは格好だった。この寒い時期に白いキャミソール一枚で傘もささずに雨のなか立っている。しかも裸足だ。きっと絶望的に常識がない人なのだろう。君も、そうだった。
私は白猫が柄の傘を掴んで美しい女性に向かって一歩を踏み出した。パシャリと水溜まりが音をたてる。せっかく少し大人っぽいのに挑戦してみようと思って買ったシンプルなグレーのブーツが汚れてしまうのも気にせずに、私は彼女に近づき傘を差し出した。
彼女はぬるりとこちらに顔を向けた。私が映った生気のない瞳はより一層人間味を消していた。ここではないどこかを見ているような、何も考えていないような、美人の割に容姿を活かしきれていないもったいない目だな。
「雨の、檻。」
- Re: チュリーロゼッタ、可愛い君は ( No.3 )
- 日時: 2018/08/18 12:43
- 名前: 流聖 (ID: m.NeDO8r)
雨の檻
「雨の、檻?」
綺麗な声だった。男とも女ともとれるような中性的な耳に心地よい声。しかし彼女が唐突にそう言った言葉を私は理解できなかった。それでもこのままでは良くないと思った。とにかくどうにかしなくちゃ。
「あの。そのままだと良くないんで…。えっと、私の家、き、来ませんか」
言っているうちに段々恥ずかしくなって最後の方は消えてしまいそうな小ささだった。
彼女はもともと大きな目を見開き、信じられないものを見るような眼差しで私を見た。
そんな顔もやっぱり綺麗だ。彼女の一瞬は映画のワンシーンのようにいつも完璧だ。
私の家はそう遠くない。歩いて5分程だろう。歩いている間、気まずい空気が流れるに違いない。今のうちに話題を考えておかないと。いや、その前に彼女は裸足だった。
「これ、履いてください。私は大丈夫ですから。あと上着も。」
私はその場でブーツを脱いだ。靴下だけが私の足を包んでいる。ぬかるんだ冷たい地面は気持ち悪くて、でもなかなか味わえない新鮮なものでもあった。上着も脱いで彼女にかけた。ああ、待って。足のサイズのこと考えてなかった。ここで履けないんですけど…なんて言われたらすごく恥ずかしい。
彼女がブーツを履いている間、私はそんなことを考えてすごくひやひやしていた。綺麗な足だな。ネイルも何もしていないけれど、生まれたばかりの新生児みたいに思わず愛しく思ってしまう、そんな足だ。私が心配してるよりもブーツは案外彼女の足がすんなりと入った。よかった。サイズが一緒なのかな。
「行きましょう」
結局頭がごちゃごちゃになっていて話題なんて考えられなかった。気まずい沈黙が二人の間に流れるが、雨の音が少し紛らわせてくれた。靴下だけで歩くのは結構足が痛い。石とか草とかがあたって変な感じがする。そして何よりも冷たい。足の感覚がなくなりそうだ。今すぐ温かいお湯に浸かりたい。気持ちいいだろうなぁ。あ、でも彼女を先に入らせないとダメか。
彼女が言った雨の檻という言葉の意味を考えてみる。雨の檻。そういわれればそんな気もする。私達の周りに降り注ぐ雨は、まるで広く包み込む檻のよう。そう言う意味だろうか。もしかして雨の檻じゃなくて、あめのおりっていう名前かもしれない。だとしたら随分変わった名前だけど。それか外国語かな。アメノーリ?ううん、ちゃんと彼女は「お」を発していた。アメノオリ、なんだろう。イントネーションは聞いた通りなら合っているはずだ。そもそも何でいきなりそんな言葉を言ってきたのだろう。何か暗号みたいな、察してほしかったことがあったのだろうか。
家につくと、鍵を開けて急いで中に入った。玄関で彼女が脱いだブーツはかなり汚れてしまっていた。あーあ、少し残念。雨の日に履いてくる私がいけない。私は濡れて気持ち悪い靴下を脱ごうとした。するといきなり彼女が膝まずいた。
「わっ。え、ど、どうしたんですか。」
膝まずいて私を見上げる彼女の尊顔はやっぱり美しい。今にも泣きそうな、寂しそうな顔だった。それよりも、どうして膝まずいているのだろう。
「靴下を、脱がさせてください。」
「え」
なんだこの人。雨の中、裸足でキャミソール一枚、傘もささずに居る時点で可笑しいとは思っていたけれど、これほどとは。さっき会ったばかりの赤の他人に何言ってるんだ。この人どういう環境で育ったんだろう。なんだか時代錯誤な事だな。
すると彼女はいきなり私の片足を綺麗な細い手で丁寧に持ち上げた。いきなりのことでバランスを崩した私は、思わずフローリングの床に尻餅をつく。お尻にあたった衝撃はあんまり痛くなかった。この人本気だ。彼女は私の履いている濡れて汚れた靴下を脱がし始めた。丁寧に、繊細に、まるで割れ物を扱うように。なんだこの状況。私は呆気にとられていて言葉が出なかった。彼女はもう片方の靴下も脱がせると、ようやく私の足から手を離した。よくわからないが一件落着ということにしよう。どこかが間違っている気もするが、お互いに迷惑はかけていない。と思う。
私は彼女をリビングソファーに座らせて、タオルを持ってきた。ちゃんと洗っているし汚くはないと思うけれど、なんだか不安で一度も使っていない新品のタオルを渡した。靴下はもう履けそうになかったので捨てた。お風呂の準備もしないと。私は衣装タンスの中からヒートテックと白いニットのトップスと、紺の内側がもこもこになっているジーパンを出した。背丈は私と同じくらいだし、体型も服が着られるくらいには同じだろう。下着はさすがに用意出来なかった。
キッチンで何か温かいものを食べさせないとと思ったが、冷凍食品は美味しいけれど人様に出すのには気が引ける。作るのも時間がかかる気がして、彼女がお風呂に入っている間にご飯はつくって、今は飲み物だけ出しておこう。
「ココア、コーヒー、ホットミルク、紅茶、どれがいいですか?」
「ホットミルク」
ホットミルクを選ぶところからして、なんか子供っぽいな。普通、他人の家に上がったときは落ち着かなくてそわそわしたり緊張する人が多いと思うが、彼女の柔らかい表情はまるで自宅のようにリラックスして見える。そちらの方が私も無駄に気を張らなくて済むから良いけれど、やっぱり彼女は少しずれている。
ホットミルクが注がれたマグカップを机の上に置くと、彼女はゆっくりと飲み始めた。彼女の冷えた指先はマグカップを包み込んでほんのりと温かくなる。雨の音をBGMにして家で二人で過ごすのは結構悪くなかった。心地よいとすら思う。私は彼女の隣に座った。足が冷たい。足と足を重ねて擦り合わせてどうにか温かくしようとするがなかなか温まらない。そんな私を見かねて、否、見かねても普通はそんなことしないが、彼女はまた私の足下に膝まずいて私の足を包み込んだ。彼女の指が私の足を滑って撫でていく。指、指と指の間、爪、甘皮、間接、踵、土踏まず。足の至るところまでを彼女の白い指が通る。
「あったかい、でしょ?」
私はこくんと頷いた。彼女の足だって、床についた膝だって、私よりずっと寒そうなのに、なんて優しい子だろう。甘くてふわふわで濃密な、わたあめのように溶けてすぐに消えてしまいそうな空気が流れた。ピー、ピーとお湯が沸いたことを知らせる音が部屋に響いた。
「お風呂、入っておいで。」
いつの間にか敬語はタメ口に変わり、古くからの親友のような感じさえ覚えた。彼女は私の隣に座り、少し考え込んで答えた。
「一緒に?」
最初はそんなつもりはなかったけれど、彼女の悪戯っ子のようないたいけな表情は私を魅了させた。脳みそがむせかえるような甘ったれたお菓子になってしまいそうなくらいには、私はもう彼女に堕ちていた。私はおずおずと思わず彼女に手を伸ばす。首に腕を絡ませて、抱き寄せてしまう。何故だろう。引力かな?彼女を抱き締めるのはもう世界の原理のような感じがした。薄々彼女が男だということには気づいていたけれど、まあ、いっかぁ。
- Re: チュリーロゼッタ、可愛い君は ( No.4 )
- 日時: 2018/08/18 13:38
- 名前: 流聖 (ID: m.NeDO8r)
雨の檻
冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルタブを開ける。人様の物だがそこは気にしない。缶ビールは冷蔵庫の半分を占めるくらいに入っていたけれど、彼女結構飲むのかな?飲まなさそうな純朴な顔してるけど。すぐ酔っちゃいそうな、酒に弱い顔。男がいるのか。のわりには処女だったけど。随分と大事にされてるんだな。
ぐいっと一口飲むとアルコールが全身に染み渡るような感覚がする。ビールこそ主食。主食こそビール。最近ビールとオムライス以外食べてないな。いや、昨日ホットミルク飲んだか。隣で寝ている彼女の顔はふやけた幸せそうな顔だ。そんな顔、俺は一生出来そうにないや。赤の他人と風呂入って寝ただけなのに何が幸せなんだろう。夢の中に男が出てきてるのかな。
これからどうしよう。行く宛もなければ生活出来るだけの資金もない。ここに居候してるわけにもいかない。男が帰ってきたらアレだし。いや、待てよ。彼女墓地にいたよな。未亡人だったりして。一回も犯してもらえずに先に逝かれたのか。可哀想というかなんというか。結構悲しいことは引きずりそうだ。男が死んだのを負い目に感じて私だけ幸せになるなんてうんたらかんたらめんどくさい事考えて別の男と付き合うとか出来なさそう。俺が貰ってやるか。
「今、何時?」
彼女がゆっくりと身を起こして訪ねた。寝ぼけた半目はカーテンの隙間から差し込む光を眩しそうにしている。壁にかけてある時計を見ると午前11時20分だった。仕事とかしてるのか彼女。普通のサラリーマンか何かだろう。俺の事養ってくれないかな。缶ビールを彼女から死角の場所に置いて隠す。出しかけていた煙草もしまう。彼女には俺に美人な男の娘という設定がある。ならそれを崩したくない。妙かも知れないが彼女の事は好きだから。
「11時20分だよ。」
きっと俺の顔は天使のようだろう。小さい頃から天使だ人形だのと言われていたから嫌でもわかる。俺がどうしようもなく美人で綺麗だということ。世界から浮いてしまうこと。白い灯火は消されてしまいそうなこと。でもいくら顔が整っていようが彼女の方がずっと可愛い。だから、どうか、俺の綺麗さを彼女で埋めてほしい。今日も雨は降り続けていた。雨が穢れた地上を浄化するみたいに、世界を包む檻のように、彼女も俺の綺麗さを閉じ込める。彼女の薄くて小さいけれど確かにある膨らみに顔を埋めると、母のお腹の中の胎児のような気持ちになる。このまま時間が止まってしまったような感じ。時計の秒針は、時ではなく音だけを刻む機械と化し、雨と同じように世界の歯車を滞りなく進める自然になる。ああ、君の一部として生まれたかった。そしたらずっと一緒にいれたのに。俺は世界に同調できたはずなのに。空気を吸って読んで呑んで圧されて苦しむ必要もなかったはずだから。彼女は俺と正反対の、どこにでもいる一人。一緒にいると可愛いなと思う普通の人間。俺は彼女と正反対の、世界の果てに存在するような独り。同じ空間に一緒にいるはずなのに俺だけ浮いて別物の天使。羽はもぎ取られたのか、否、今にもきっと生えるはずだ。俺はちゃんと俺が居るべき場所に飛べるはずなんだ。
「赤ちゃん、できちゃったかな」
「あなたに似たらきっと生きづらいね。」
「世の中は顔が全てだから。」