複雑・ファジー小説

Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.18 )
日時: 2018/09/09 07:19
名前: モンブラン博士 (ID: mrjOiZFR)

試合開始のゴングが鳴るなり、不動はムースに真一文に突進する。
だが彼女はそれを軽々と飛び越え、後方に着地すると、素早く不動の腋腹に蹴りを食らわせる。

「わたくしを感電させたかったみたいですが、そう甘くはありませんわよ」
「だろうな。だが、その方が俺も腕がなるッ!」

不動は振り返り裏拳で反撃する。
彼の拳を屈んで躱し、足払いで地面に倒したムースは口元に手を添えて微笑む。

「何でもない攻撃で倒れるとは、まだ試合序盤ですのに情けないですわね」
「軽口が叩けるのも今のうちだ」

不動は好戦的に笑うと相手の服の胸倉を掴んで、自らの頭部を大きく引く。そして速度をもって額を彼女の顔面に衝突させた。

「ああああッ」

高い悲鳴をあげ、額と鼻っ面から血を噴き出しムースはふらりと体勢を崩した。

「女の子の顔面に頭突きをするなんて、マナーがなっていませんわね」
「それがどうした」

懐から取り出した白ハンカチで血を拭く彼女に構わず、不動は二撃目の体勢に入る。振り下ろされた鋼鉄の頭は、ムースの小さな両手によりしっかりと受け止められてしまう。

「ホホホホ……同じ攻撃がわたくしに通用するとお思いでしたら、随分と低く見られたものですわね」

だが、不意に彼女の腹に激痛が走る。

「かはっ……」

目を大きく見開き、口から血や唾を吐き出す。不動に腹を殴られたのだ。ムースの可憐なコルセットにはしっかりと不動の拳の跡が付いていた。腹を抑えつつ、彼女は訊ねる。

「今のは撒き餌だったというのですか」
「それぐらいも見抜けぬから、お前はいつまで経ってもゴミなのだ」

不動は容赦なく彼女の華奢な腹に立て続けに膝蹴りを打ち込み、更にがら空きとなった顔面に殴打を加えていく。不動の鉄拳に左右の頬を打たれ、ムースは徐々に後退していく。背後はいうまでもなく、電流が流れる鉄柵が待ち構えている。
並の人間ならば挟み撃ちにされて終わりだが、ムースは違った。
彼女は不動の股下をスライディングで抜けて安全な背後に回ると、彼の両肩に飛び乗った。相手は頭上にいるため、不動からの攻撃手段は皆無に等しい。その光景を目の当たりにした美琴の脳裏には、三日前に首を絞められ失神した不動の姿が鮮明に浮かび上がってきていた。

「不動さん、頑張ってください!」

まるで祈りを捧げるかのように手を強く組んで師を応援する美琴。
鉄柵に阻まれているが、声なら届けることができると、美琴は珍しくも声を大にした。

「あなたは先ほど言いました!自分がムースを倒すと。わたしの出番はないのだと。
あの言葉は嘘だったのですか!?嘘でないのなら、ここから反撃してみてください!」

その時、美琴の背後から意外な人物の声がした。

「立って応援すると疲れるから、椅子に座った方がいいよ」

聴きなれた声に振り返ると、そこにはパイプ椅子に腰かけたスターがいた。

「どうしてあなたがここにいるのですか」
「試合を間近で観戦したいからね。君も隣の席にどうぞ」

いつの間にか、彼の隣にはもう一つのパイプ椅子が用意されていた。

「スターさん、こんなに近くで座っていたらお客さんの迷惑になってしまいますよ」
「特等席だから問題ないよ。それに、立っている君の方がよほど観客の視界を遮っているんじゃないかな」

正論を言われ言葉に詰まる彼女に、スターは指で隣のパイプ椅子のクッションをつつく。無言で座れと示しているのだ。彼の言い分も一理はあったので、美琴はひとまず座ることにした。
隣に目をやると、スターは偉そうに足を組み、ポテトチップスの袋を開けて、美味しそうにパリポリと食べる。その態度に美琴はため息を吐き、彼を咎めた。

「スターさん。不動さんが命懸けで闘っているのですから、そのような態度で試合を観戦するのは失礼ではないでしょうか?」
「不動君は両腕を防がれているし、リーチ的にもムースを振り落とすのは無理があるだろうねえ。さて、ここからどう反撃に出るかな」

言葉を完全無視し、にこにこ顔で語るスターに美琴は改めてリングに視線を戻す。不動はムースにより脳天肘打ちを無防備のまま食らい続けていた。やがて彼の額が割れ、鮮血が顔を隈取のように赤く染めていく。

「不動様。これぐらいの攻撃でもうお手上げですか。でも、無理もないですわね。頭上からの攻撃を防ぐ術はないのですから」
「思い込みが激しいゴミだ。教えてやる。この体勢は、こうすれば崩れ去るッ!」

不動はコーナーポストに突進すると、そこを駆け上がり、飛び上がると、背中からリング目がけて落下する。すると当然のことながら、組みついているムースも一緒に落ちることとなり、結果としてマットに首を強打してしまった。頭を振り、立ち上がろうとする彼女の下に大きな黒い影ができる。見上げると、そこには猛禽類の如き瞳に殺気を宿し、仁王立ちで見下ろす不動の姿が。

「ゴミ、ここからは俺の反撃といこうか」

ムースの細い腹を巨大な足で踏みつけ、更にその身体を膝の上に乗せ、弓なりにさせることで標準を合わせ、一気に拳を解き放つ。

「往生させてやるッ!」

怒りの籠った拳はムースの顔面にクリーンヒット。彼女は口から血飛沫を噴き出し、マットを赤く染める。
その光景に不動はニヤリと笑い。

「地獄はまだ始まったばかりだ」

不動はムースを簡単に目よりも高く抱え上げ、マットに叩き付ける。
そこから腹を両足で体重をかけて何度も踏みつけ、髪を掴んで立ち上がらせると、喉元に手刀を打ち込む。
苦しさのあまりムースが喉を抑え悶絶すると、今度は彼女の右足に足払いをかけた。倒れたムースは立ち上がろうと足に力を込める。だが、ガクガクと足が震え、直立さえ困難な状態に陥っていた。

「やりますわね……」
「まだ喋れる余裕があるとは」

不動は辛うじて立ち上がった彼女に容赦ない平手打ちを食らわせる。
乾いた音が響き、リングの至るところにムースの吐いた血が付着する。
試合を観戦していた美琴は、興奮したのか、少し高い声でスターに告げた。

「スターさん。最初はどうなるかと思いましたが、これほどの猛ラッシュをしているのですから安心ですね。ムースさんも防戦一方ですし」
「どうだろうね」
「どうだろうねって……不動さんはあの通り、優勢じゃないですか」
「君はそう思うのかもしれないけど、わたしから見て、今の彼は彼らしくないね」
「彼らしくない?」

反復する美琴だが、スターは答えない。ポップコーンを口に運びながらもじっと試合を観戦している。美琴にはスターの言葉の意味がわからなかった。現に不動はムースを圧倒している。彼の剛腕から繰り出される打撃を食らい、ムースは後退しているではないか。出血も多く、このままいつまでも攻撃を耐えられるとは思えない。不動の勝利は時間の問題と評しても不思議ではないはず。それなのに何故、スターはこんなことを口にするのだろうか。
不動は彼の弟子であるはずなのに。どうして弟子を応援しないのだろう。するとスターは小さく呟いた。

「不動君は必死だね」
「試合ですから、誰でも必死で勝利を掴み取ろうとすると思うのですが、違うのですか」
「わたしが言いたいのはそうじゃない。必死と言うのは、彼がムースの恐怖から逃れようと必死で抵抗しているということだよ。彼は焦っている。一刻も早くムースに勝利したいという焦りが動きに出ている」
「そういうものなのでしょうか。わたしにはいつもの不動さんに見えるのですが……」
「今にわかる。見ていてごらん」

リングの上では不動がムースの脳天に鉄拳を振るい、そこから彼女の身体を鉄柵に放り投げたところだった。ムースは身を翻すこともせず、鉄柵に背中から激突。遠目でもわかるほどに彼女の全身をオレンジの火花が包み込み、爆竹のような激しい音が周囲に響いた。

「ううっ……」

小さく呻き倒れたムースはちょうど正座の姿勢となっていた。
その瞳は虚ろになっている。
完全な放心状態の瞳には戦意を感じ取ることができない。まるでフランス人形のようにおとなしくなった少女に不動は距離を詰めていき。

「お前自身の提案でお前が真っ先に負傷するとは。身から出たサビとはこのことだ」

不動はムースの小さな顔を鷲掴みにして、片腕だけで宙に持ち上げる。

「残念だったな。俺はお前に完敗した嘗ての俺ではない。修行を得て進化をした俺の力により、往生されるがいいッ」

パッと手を離すと、ムースはそのまま地面へと身体を倒していく。一瞬の隙を逃さず、その細い首にラリアートを炸裂させ、再度鉄柵に衝突させようと試みた。
無防備のまま鉄柵に突っ込んでいくムース。だが、鉄柵にぶつかる直前に閉じられた瞳がカッと見開き、両腕を伸ばして脳天からの衝突を防いだ。華麗にリングを着地したムースは、試合開始前と変わらぬ微笑みを見せ。

「演技も楽ではありませんですわ」
「演技…だと!?」

彼女の発した意外な言葉に不動は瞳孔を縮めた。ムースは恭しくお辞儀をして顔を上げる。
その表情には残忍な笑みが張り付いていた。不動が歯をギリギリと噛みしめ、眉間に深い皺を出現させる。相手を仕留めそこなった自分に対する怒りだった。ムースはコルセットのスカートの裾を掴んで口を開く。

「あなたはおかしいと思わなかったのですか。わたくしの衣服が鉄柵に衝突した際に何のダメージも受けていないことに」

彼女の言葉を聞いた美琴はハッとして。

「言われてみれば、あれほどの電撃を受けたのですから衣服が黒焦げになっているのが普通ですね。
彼女の服には電気を通さない工夫でもしているのでしょうか」
「美琴様、ご名答ですわ。最も、不動様はあなたより年長であるにも関わらずそのような当たり前のことさえ気づかなかったほどの、残念な頭の持ち主のようですけれど」
「黙れッ!」

不動は吠え、タックルを決めようとするが、ムースは鉄柵を蹴って反動をつけ、彼の直前でくるりと一回転し、足の裏で不動を蹴る。
まるでロケットのような一撃を受け、不動は反対方向に盛大に吹き飛ばされ、鉄柵に激突。全身を電流が駆け巡る。

「ぐ……おおおおおッ!」
「わたくしと違ってあなたは皮膚を晒していますから、電流はざそかし痺れるでしょうね。ああ、何て可哀想な不動様なのでしょう。こんな電流に苦しみ辛い思いを味わうくらいなら、いっそのこと……」

禍々しい狂気を宿した瞳を光らせ、虚空から鞭を取り出した。一振りするとパァン!という音が高らかに響き渡る。

「もっと苦しめて壊して差し上げますわ。さあ、不動様? 鮮血と絶叫でわたくしを楽しませてくださいな」

ムースは笑い声を発しながら、電流を食らって動けない不動を鞭で滅多打ちにする。不動が立ち上がり腕でガードの体勢をとるが、ムースは巧みな鞭さばきで防御が難しい足や肩などを狙って当てていく。しなる鞭は音速を超えるスピードで放たれ、百発百中で不動の足や肩に激しい痛みを与えていく。ズボンや皮膚は切り裂け、肌からは血がダラダラと流れていく。鞭による切り傷はその数と深さをましていく。あまりに一方的な展開に、最初は不満を漏らしていた観客も目の前の光景の凄惨さに声も出ない。するとムースは鞭をマットに落とし。

「皆様の反応がイマイチですわね。
それにわたくしも鞭で甚振るのは飽きましたわ。今度は、これで苦しんでいただきましょう」

彼女が指を鳴らして虚空から取り出したのは機関銃だ。銃口を不動に向け、ムースは言った。

「蜂の巣になってくださいな」

可愛らしい声とは裏腹に無慈悲に引き金を引くと、無数の弾丸が不動目がけて飛び出してくる。普段なら超高速で躱してのけるか、片手で全ての銃弾を掴まえるくらいのことは不動にとっては朝飯前だった。
しかし今の彼は度重なる鞭による打撃を受け続け、体力をかなり消耗していた。もはや躱す気力も弾を握る体力もなく、それらの銃弾をまともに受けてしまう。

「グ……ムッ!」

不動は腕を交差させて防御をとるも、その衝撃の凄まじさに後退を余儀なくされる。ムースにとって残弾数などは問題ではなかった。彼女にとって重要なのはいかにして不動を苦しめるかだけなのだ。弾切れを気にすることなく撃ちまくる彼女に不動は防戦一方だった。普段は銃弾を受けてもビクともしない頑丈な肉体を誇る不動であるが、今は事情が違う。ムースの機関銃の弾が尽きた頃には、リングには大量に散らばる銃弾と地面に倒れ伏した不動の姿があった。

「た、立たなければ……」

両腕に力を込めて立ち上がろうとする不動を、ムースは靴で彼の頭を踏みつけ、地面に押し付ける。
そして先ほど自分がされたように冷たい光を宿した瞳と狂気の漂う満面の笑みで見下ろし。

「無様ですわね不動様。あの時わたくしの演技に気づいていれば、ここまで痛めつけられることはありませんでしたのに」
「お前の攻撃など屁でもない」
「言ってくれますわね。わたくしは早くあなたの口から出される悲鳴が聴きたいのですよ。涙を流して許しを請いて絶叫するあなたの姿、そろそろ見せてくださいな」
「生憎だが、俺は怒りの感情以外はとうに捨てたのでな。お前の願いは永久に叶わん」

するとムースは握った両腕を顔の前に持ってきてわざとらしく驚いた。

「まあ! それは初耳ですわ。あなたの断末魔と鮮血を見るのを楽しみにこの試合を用意いたしましたのに。仕方ありませんわね。願いが叶えられないのでしたら、あなたには夢の世界に旅だっていただくしかなさそうですね。永遠に」

彼の耳に顔を近づけ囁くムース。
こうすることで不動の恐怖を煽ろうとしたのだが、彼は仏頂面を崩さない。諦めたのか小さくため息を吐き、肩をすくめる。そして間をとると、彼の顔面に強烈な蹴りを打つ。
その衝撃に不動はうつ伏せから仰向けにされてしまう。大の字になった彼に迫るは、上空から錐揉み回転しながら落下してくるムースの身体だった。

「ゴフッ」

頭で腹を串刺しにされ呻き声と血を吐き出す不動。だが、彼女の攻撃は終わらない。その細い腕のどこにそれほどの力が潜在しているのかと思われるほどの怪力で高々と不動を持ち上げ、マットに突き刺す。
マットに両足が埋まり、無理やりに直立不動となった彼を見て、ムースは天井の鉄柵に届きそうなほど高く跳びあがり、そこからドロップキックを打ち込む。
斜め上からジェット機のように襲い掛かるそれを躱せる体力は不動にはない。腕を掠めた蹴りは鎌鼬のように彼の腕を切り裂き、血を噴き出す。四方八方、縦横無尽に放たれる飛び蹴りの連射砲を食らい続ける不動に美琴が言った。

「不動さん、動いてください」

絞り出されるように言ったその声が不動に届いたかはわからない。自分の師匠のような存在の男は、無言でいいように敵に甚振られている。それが美琴には耐えられなかった。
入門した当初から圧倒的な実力を誇ってきた不動。厳格ながらも心の奥には確かな優しさを宿した不動。彼が敵に何もできずにやられている。美琴はその現実を認めたくなかった。

「こんなの、嘘です!
あの不動さんが、何もできずに倒されるなんて、そんなの不動さんじゃありません!」

鉄柵を掴み、ボロボロと涙を流しながら美琴は訴える。

「李さんを助けられなくていいんですかっ!」

すると、不動が口を開いた。

「……すまん」

彼の発した一言に美琴は耳を疑った。
あの不動さんが謝った?
これまで一度も聞いたことがない、不動の謝罪。彼の短い一言を聞き、美琴は悟った。彼は自分と相手の実力差を知っている。その上で何もできない無力な自分を恥じている。自分では彼女をどうすることもできない。そんな自分が恥ずかしくて情けないのだろう。彼の口から出た精一杯の謝罪の言葉に美琴は鉄柵から手を離した。一生懸命頑張っている相手にこれ以上頑張れと語るのは無理をさせていることになる。自分は安全なリングの外にいて、彼の苦しみを理解できる立場にない。それにも関わらず彼を励ますのは残酷なことではないだろうか。そんな思いが美琴の頭を駆け巡った。
その時、美琴は気づいてしまった。
不動の身体に異変が起きていることを。