複雑・ファジー小説

Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.5 )
日時: 2020/08/10 06:20
名前: モンブラン博士 (ID: daUscfqD)

スターさんの姿を見たわたしは再会できた嬉しさのあまり涙が堪え切れなくなりました。泣いているわたしを見たからでしょうか、スターさんはハンカチを差し出しました。

「君は神秘的な雰囲気とは違って、意外と泣き虫なんだね」
「ごめんなさい」
「謝ることはないよ。泣きたいときは思いきり泣くといいのだからね」

涙を拭いて彼にハンカチを返しますと、彼は今度はわたしに大きく手を広げ、その両腕でわたしを優しく抱きしめました。彼の腕の中はとても優しい感触で温かみを感じます。できることならこのままいつまでも彼の腕の中にいたいと思う程です。そんなわたし達を見た不動さんは軽蔑するかのような視線を送っていましたが、やがてポツリと呟きました。

「修行を重ねたつもりではあったが、ああも簡単に背後を取られるとは、やはりスターの腕は鈍ってはいないようだ」
「そんなことはないよ、不動君。君は今でも充分に強い。ただ、わたしが君の遥か上を行っていただけだよ」
「その言葉は励ましにはならんぞ」
「おっと! これは失礼したね」

高らかに笑うスターさんとは対照的に不動さんは背中を小さく丸めて珍しくため息を吐きました。それが修行しても追い越すことのできない師匠に対する尊敬のものなのか、それともスターさんの底抜けの明るさに呆れてのため息なのかはわかりませんが。
少なくともわたしに言えることはこの二人のレベルにまでスター流を極めるには相当なレベルの修行を積まないといけないということだけでした。
スターさんはハグを解くと自分の腕時計を見てにっこりと微笑み。

「いい時間だから、美琴ちゃんの自己紹介も兼ねてそろそろ道場に顔を出すとしようかな。不動君、君はどうする?」
「……たまには奴らの顔を見るのも悪くはないかもしれんな。いいだろう、付き合うとしよう」
「そうこなくっちゃ! じゃあ、早速行くとしようか!」

わたしの腕を掴んで軽快なスキップで歩き出すスターさん。その後ろをしかめ面で歩く不動さん。彼らの間に挟まれてわたしは何とも言えない気持ちになりました。先ほどのエレベーターに乗り込みますと、スターさんはエレベーターのボタン列の真下にある空白のスペースを押しました。すると空白部分から新たに六つのボタンが現れたのです。それぞれ地下一階〜六階まで表示されていることから、このボタンは地下行きだということがわかりますが、スター流道場はまさかこの建物の地下にあるのでしょうか。そんなことを考えていますとスターさんは瞳を輝かせて。

「君の推測通りだよ。スター流道場は地下にある!」
「……私の心を読みましたね。でも、どうして地下に作ったのですか?」
「地上にいると外敵が多くてね。その点地下なら滅多に侵入されることもないし、気づかれる心配も少ないからね」
「外敵?」
「君には言っていなかったけど、スター流はただの格闘流派ではないんだ。その秘密は門下生が説明してくれるはずだからお楽しみにね」

ウィンクをするスターさんですが、わたしは彼の顔が一瞬だけ真剣な色になったのを見逃しませんでした。

「さあ、着いたよ! ここがスター流道場だ!」

興奮気味に語るスターさんの前には会長室と同じように観音開きの扉があります。

「今日もみんなに会いに来たよ! 君達、元気にしていたかなー?」

高いテンションで扉を開けるスターさんですが、中には誰もいないようです。
道場の中は扉と違って意外にシンプルな作りになっており、部屋の中央にプロレスのリングが設置されてある以外はサンドバックが吊り下げられていたり、ランニングマシンがあったりと道場というよりはスポーツジムに近い形のようです。それにしては不動さんのような筋肉隆々な体格を作るにしては、設備的に不足しているように感じるのは気のせいでしょうか。
名前の通り仁王立ちになっている不動さんとは対照的にスターさんはサンドバックの裏側を見たり、リングのエプロンの下を覗き込んだりと忙しく動き回っていましたが、やがて小首を傾げました。

「おかしい。みんなかくれんぼでもしてわたしを楽しませる魂胆なのかと思ったけど、どうやら違うらしい」
「当たり前だ。誰がお前を楽しませるか」
「それはそれで残念だけど、ともかく皆を探さないことには美琴ちゃんを紹介することができない。困ったぞ……」
「一階にいないとなると六階に行ったと考えるのが妥当だろうな」
「そうか、六階か! わたしはすっかり六階の存在を忘れていたぞ!」

不動さんが「六階」という単語を口にすると途端にスターさんの顔がパアッと晴れやかになり、ピョンピョンとスキップを始めました。その様子を見たわたしはこっそり不動さんに耳打ちします。

「スターさんっていつもあんな調子なのですか」
「そうだ。長年の付き合いだが、奴のテンションの高さにはついていけん」
「何か言った?」
「何でもない(です)」

急に彼が聞き耳を立ててきましたので、わたし達は慌てて誤魔化します。まさか不動さんと言葉がハモる時が来るとは思ってもみませんでした。


「……」

結論から言いますと六階へ足を踏み入れたわたしは言葉を失ってしまいました。先ほどのスポーツジムに似た外観とはまるで違うのです。
広大な施設の中には全面を超強化ガラスで覆った透明な部屋の中の四方八方に機関銃が取り付けられ、中へ入った人を蜂の巣にするコーナーや、学校などでよく見かける長四角形のプールの中に凶暴なワニを何匹も入れたもの、特大の水槽にシャチやサメなどを一緒くたに入れたもの、火の輪くぐりや舌が煮えたぎる溶岩となったボロ橋の上に取り付けられたリングなど、どれをとっても常識では考えられない設備ばかりが整っています。スターさんは興奮気味に設備を説明をしていますが、正直言ってわたしは血の気が引いてきました。わたしが思うにこれはあくまで視覚で人を刺激させる為だけに作った設備だと思うのですが、実際はどうなのでしょうか。気になったわたしは、究極の質問をスターさんにぶつけました。

「まさかとは思うのですが、スター流の門下生のみなさんは毎日ここで修行を重ねているのですか?」
「そのまさかだよ」
「……大変失礼なのですが、ここで修行したら命を落とす方もいるのではないでしょうか」
「常人なら一〇〇%死んでしまうね。そうなるように設計して貰ったから。でも、わたしが弟子入りさせたのは全員普通ではない子達ばかりだからね。君を含めて」

君を含めてという彼の物言いがわたしが普通ではない存在ということを認識させると同時に、こんなとんでもない場所で修行するのかと改めて実感するに相応しい力を持っていました。
横を並んで歩く不動さんを見上げつつ、彼に訊ねてみます。

「不動さんもこの修行を受けたのですか」
「いや。正直言ってここの小さな設備では俺の修行の足しにもならないのでな。世界中の猛者を相手に放浪の旅をしていたところだった」
「放浪の旅……ってここが修行にもならないって……」
「スターも甘くなったものだ。昔の奴は今とは比較にならんほど厳格な指導をしていた。昔が懐かしいものだ」

彼はこれ以上の過酷な修行を強いられていたということでしょうか。
これなら不動さんが極限まで鍛え上げられた筋肉を有しているのもわかる気がします。

不動さんが超人的な秘密を持つ理由は分かったのですが、スター流の門下生の皆さんの姿が見当たりません。不動さんはここにいると推測していたのですが、当てが外れたのでしょうか。
腕組をして考えていますと、奥の方から何やらビシバシという激しい音が聞こえています。まるで闘っているような音なのですが、この先で何が起きているのでしょうか。するとスターさんが急に駆け出しました。

「待ってください。どこに行くんですか?」
「この部屋の奥にあるスパーリング部屋だよ。あの音からすると、皆が実践練習をしているのかもしれないね」
「実践練習?」
「そう。いつ敵と戦ってもいいように、絶えず実戦を想定したトレーニングを重ねる必要があるんだよ」
「あの、先ほどから外敵とか実戦とか、わたしにはどうも話の内容が飲み込めないのですが……」
「百聞は一見に如かずという諺がある! 百回聞くより一度目で見た方がすぐにわかる! ついてきたまえ!」

相変わらずのテンションの高さで颯爽と走るスターさんを追いかけるわたしですが、彼の走る速度の速さにはついていくことがやっとです。しかも、奥に行くにつれて通路が入り組んでいるのです。真っ直ぐかと思ったら右に曲がり、その次は左、また少し真っ直ぐいったかと思ったら右……とまるで迷路のように複雑な通路です。スター流の皆さんはこれほど複雑な通路を迷うことなく、目的地に辿り着くことができるのでしょうか。
するとわたしと並んで走る不動さんが口を開きました。

「複雑な作りの理由は侵入者を迷わせる意味も含まれている。とはいえ、このような通路にした理由の大部分がスターの『楽しいから』なのだろうが」

楽しいからという理由だけで頭が混乱しそうになる作りの通路にするとは、最初に会った際に言っていた通り、スターさんの中には常識というものが存在しないのかもしれません。ということは、これから先ここで修行するとなると常識から外れた思考を身に着ける必要があるのかもしれません。個人的に必要最小限度の常識や良識は残しておいた方が生きやすいとは思うのですが。それから一〇分ほど走り回った後、ようやくスパーリング室に到着しました。中に入りますと二人の人物が中央に設置されているプロレスのリングで激しい攻防を繰り広げていました。

「やあやあ、諸君! 今日も元気にやっているねえ!」

スターさんが声をかけますと二人は動きを止めて振り返り、軽々とロープを飛び越え床に着地し、わたし達の所へ歩いてきました。するとスターさんはいきなりわたしの背中を押して二人の前へ突き出しました。

「この子は今日からわたし達の新しい仲間になる美琴ちゃんだよ。仲良くしてくれたまえ」
「あ、あの……み、美琴です。今日からよ、よろしくお願いしますっ!」

突然のこともあったのでしょうか、言葉が途切れ途切れになってしまっただけでなく変な声になってしまいました。
二人はじっとこちらを無言で見ています。何も言わないことからすると、もしかして怒っているのでしょうか。
弁解したいと思いながらも、恥ずかしさのあまり二人の顔をまともに見ることができません。もしも二人に鏡を差し出され顔を映されたなら、わたしの顔は真っ赤になっていることでしょう。
ああ、穴があったら入りたいです……
なるべく二人に顔を合わせないように俯いていますと、いきなり誰かがわたしの頭を両手でがっしりと掴んで、無理やり引き上げたのです。

「な、何するんです、かぁ……」

途中で声が小さくなっていったのは、わたしの顔を上げた人に見惚れてしまったからです。長い睫毛に白い肌、着ている中国服の右肩にはポニーテルに赤髪が垂れかかっています。まるでテレビなどで出てくるモデルのように綺麗な男性にわたしは一瞬で心を奪われてしまいました。彼は爽やかな笑みを浮かべ。

「女の子が俯いてばかりいるのはよくないよ」
「は、はい……」
「自己紹介が遅れたね。李(リー)だよ。よろしくね」

差し伸べられた彼の細長く綺麗な手を掴んで握ります。李さんの方がわたしより少し背が高いのでわ
たしを見下ろす格好になってはいますが、彼と視線を合わせるだけで胸が高鳴るのを感じ取れます。生まれてこの方、恋愛には無縁でしたが、ここにきてわたしにもついに初恋の人に巡り合えたのかもしれません。
さっきは遠くで見ただけでしたので、顔はあまりよくわからなかったのですが、これほどまでに美しい男性とは思ってもみませんでした。
名残り惜しいではありますがいつまでも握っている訳にもいきませんし、もう一人の方も待っていることですから、渋々わたしは彼の手を離してもう一人の人物に顔を向けました。

「美琴です。よろしくお願いしまー—」

ここで言葉が切れたのは決して李さんの時のように見惚れたからではありません。その方の目があまりにも冷たかったからです。不動さんと同等程度の高身長なのですが、彼とは違ってガリガリに痩せており、皺が深く刻まれ頬がこけた顔に立派な白いカイゼル髭、オールバックの髪が特徴で純白の軍服風の衣服を着たダンディな老紳士です。彼は遥か上からわたしをギロリと見下ろしました。その瞳からはまるで感情を読み取ることができず、視たものを全て凍り付かせかねないほどの冷たい妖気のようなものを感じ取りました。この老紳士には近づかない方が賢明なのかもしれません。ただ、一つだけ気になったことと言えば、純白で統一された服を着て、果たしてカレーライスを食べる時に服を汚さないかということだけでした。