複雑・ファジー小説

Re: ムーンタワー ( No.11 )
日時: 2018/09/29 17:36
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: 96/n9kdm)
参照: 金魚

 
 今年の夏は、葬式が多い。母が亡くなったり、教え子が亡くなったり。ミーンミーンと鳴く蝉も、これから仲間の葬式か、と思うくらいにうるさかった。
 教え子である内海 月子が火葬場へと運ばれてゆくのを見送って、俺は葬儀場の外で煙草を吸っていた。比較的穏和な顔をしている俺は、煙草を吸っている姿が似合わない、と言われる。そもそも、少しでも大人っぽく見られたいがために吸い始めた煙草だったが、最近は禁煙していた。今ぐらいは、神さまも許してくださるだろう。
 内海が入院した当初は1週間に1回ほど病院を訪れていたが、それがやがて1ヶ月に1回になり、半年に1回になり、1年に1回になり、気がつけば6年もの月日が経っていた。もう、最後に彼女のお見舞いに行ったのがいつだったか、思い出せない。
 先日、公園で会った少年が遺族の席にいて驚いた。もちろん少年も驚いた顔をしていた。そして内海、という苗字と彼女との関係性から、少年が俺のクラスの不登校児であることを思い出して、愕然とした。しかも、少年ではなく、少女だったのだ。
 白い煙の向こうに、ムーンタワーが見える。今から22年ほど前に完成したムーンタワーは、ついに取り壊しが決まったらしい。残念なことだ。こんな小さな街にこんな立派なタワーなどもったいなかったということだろう。
 そういえば、今日は花火大会だ。ベランダからムーンタワーと花火、悲しみを肴にして、お酒でも飲もう、と思った。

「先生、お久しぶりです」

 俺を呼ぶ声に振り返ると、雨郷が立っていた。喪服姿の彼女の目は真っ赤に腫れている。制服以外の服装は初めて見た。今どきの女子大生らしく、化粧をしている。マスカラを塗り直したようで、赤い目以外は綺麗だった。
 それにしても、彼女はこんな顔だっただろうか。

「久しぶり。卒業式以来だね」

 携帯灰皿に吸殻を捨てる。彼女は何故かその動作をじっと見ていたが、すぐににこりと微笑んだ。

「突然メールを送っちゃってすみません。でも、どうしても先生に会いたくって」

 照れ臭そうに笑う彼女は高校時代の彼女そのもので、安心する。なんだ。さっきのは見間違いか。

「いや。俺もちょうど、色々と話したいことがあったから」

 月子のお葬式の後に会えませんか、とメールが来たのは、一昨日のことだった。雨郷が卒業したときに流れで連絡先を交換したことをすっかりと忘れていて、危うくゴミ箱に捨ててしまうところだった。
 雨郷も悲しいのだろう。何しろ、中学生からずっと、内海と親友だったのだから。

「積もる話もありますし、私の元バイト先のファミレスでも行きましょうか」
「元? 今のところは駄目なの?」
「はい。今のファミレス、たらこスパゲッティがないので」

 明太子スパゲッティはあるんですけどね、と続ける。
 別に、お昼ご飯を食べる訳では無いのだが。

Re: ムーンタワー ( No.12 )
日時: 2018/10/02 21:53
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 席に着き、お冷が運ばれてきて早々に、雨郷はたらこスパゲッティを注文する。百点満点の笑みを浮かべる店員に、俺はドリンクバー、と呟いた。
 就職祝いに母にもらった腕時計を確認すると、既に13時を過ぎていた。昼食は事前に済ませている。俺は不器用な人間だ。人の死体を見たあとすぐに食事などできやしない。
 スパゲッティのみを頼んだらしく、ちょびちょびとお冷を飲んでいる雨郷をおいて立ち上がり、ドリンクサーバーの前に移動した。昔は苦手だったアイスコーヒーも、今では好きになった。30を超えて久しい。俺は大人になった。
 歩く度に氷がカラカラと音を立てる。かつての俺は、氷を食べるのが好きだった。子どもっぽいと言われて、やめたっけ。
 席に戻ると、雨郷はお冷を飲みきってしまったようで、つまらなそうにスマホをいじっていた。その四角形の物体で俺にあのメールを送っていたのだと考えると、不思議だ。俺たちは、お互いのLINEを知らない。雨郷と俺の時間は、6年前から止まったまま。

「煙草、吸わないんですか」

 スマホから目を離し、彼女が呟く。このファミレスは禁煙席と喫煙席が分けられている。テーブルの隅に無造作に置かれている灰皿が、彼女がわざわざ後者を選んで座ってくれたことを示していた。

「いつもは吸わないよ。しばらく禁煙していたんだ。でも、今日くらいは許してほしい、なんて」

 はて、と思う。俺は誰に許されたいのだろう。

「月子、死んじゃいましたね」
「6年も苦しんだんだ。苦しそうな顔じゃなくてよかった」

 内海の死に顔は安らかだった。もういつのことだったか思い出せないが、記憶の端に残っている彼女よりも随分と痩せていて弱々しかった。それでも眠っている彼女は、何か重いものから解放されたような、何も心残りのないような、そんな表情を浮かべていた。

「私、ひとりぼっちだ」

 空っぽになったお冷のグラスを無感動に見つめながら、彼女はぽつりと呟いた。

「先生は、魚美さんが見つかったことは知っていますよね」
「……うん」

 静かに頷く。俺は数日前、夕方のニュースで見覚えのある場所と聞き覚えのある名前を目にした。ムーンタワーの見えるあの公園で、一橋 魚美の白骨遺体が見つかった、と。彼女は6年前からずっと行方不明だった。警察は家出だろう、と言っていたが、まさかすでに死んで、土の下にいただなんて、誰も思わなかったに違いない。

「魚美さんを見つけたの、月子の妹さんらしいですよ」
「え?」

 素っ頓狂な声を上げた俺に、雨郷はどうかしましたか?と首を傾げる。少年のような格好をしたあの子は、何も知らない、と言っていた。つん、と猫のように澄ました態度が、今になって俺を苛立たせる。つまり、彼女は俺をおちょくったということだ。

「世海くん、魚美さんと仲良かったからショック'だっただろうな」
「そうだったんだ」

 女の子なのに世海「くん」と呼ぶのか、と思ったが、何故だかそっちの方がしっくりきたので、黙って会話を続ける。

「はい。あの二人、年齢は全然違いますけど、よく似ていたから」

 あの二人が似ている?俺は、記憶の中の一橋 魚美を手繰り寄せた。豊かな長い髪と垂れ目の瞳。対して、内海 世海は癖のない短めの黒髪とつり目がちの瞳。俺には共通点が全く見当たらなかった。

「世海くんと魚美さんは、どこか他の人と違うところがあって、人を惹きつける魅力がありました。私、魚美さんも世海くんも大好きだったんです。とっても」

 雨郷は、濁った瞳を俺に向けた。どろりとしたその瞳は、海の中によく似ている。

「金村先生。いいえ金魚さん。あなたが人魚を殺したんですね」

Re: ムーンタワー ( No.13 )
日時: 2019/03/06 19:39
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
「よく勘違いされるんですけど、私は昔から、ドジでどこか抜けてておっちょこちょい。でも、馬鹿ではないんですよ。だから、魚美さんが先生と付き合ってることも魚美さんが虐待されていたことも知ってました」

 小さいですけど、この街では名の知れてる会社の社長令嬢ですからね、と雨郷は笑った。アイシャドウで彩られたその目は相変わらず俺を見つめている。

「まあ、先生と魚美さんが付き合ってたことを知ったのは、私が先生のことをずっと見てたからだっていうのもありますけど。私、先生のこと、好きだったんです」

 ほんの少し恥ずかしそうに呟く彼女の瞳に光はない。俺は、彼女のこんな表情なんて知らなかった。

「だからわかるんです。先生が殺したんだって」

 お待たせしました、と店員がたらこスパゲッティをテーブルに置く。その瞬間、彼女の目がそちらに吸い寄せられるようにして俺から離れた隙に、ふぅ、と張り詰めていた息を吐いた。ふと膝を見ると掌に爪が食い込んでいて、ずっと右手を握りしめていたことに気づく。そして今に至るまで、アイスコーヒーを一滴も飲んでいなかったことにも。
 年頃の少女が成熟した男に惹かれるのはよくあることだ。自分よりも器が広い大人に憧れる。けれど、自分が大人になってみると、やがて、その男も大して大人ではなかったことに気づく。そういうものだ。さらには彼女は虐待を受けていた。彼女はいつだって信用できる大人を求めていた。
 時間が経って水滴がまとわりついているアイスコーヒーを震える手で飲み干し、テーブルに置く。ガン、と思ったよりも大きな音が響き、情けないことにぴくり、と肩が震えた。

「たらこスパゲッティ、好きなんですよねー」

 フォークを手に取って、彼女はスパゲッティをつついている。彼女の首から上がどうしても見れなくて、俺はただただずっとスパゲッティが巻かれてゆく様を見ていた。1度目を離してしまったら、もう彼女の瞳を見ることができない。

「どうして殺したんですか」
「……俺は殺してない」
「嘘!」
「本当だよ」

 雨郷が動きを止めた。美しく巻き取られていたスパゲッティが、はらはらと乱れてゆく。

「俺が彼女を、魚美を、殺すはずないじゃないか」

 そうだ。俺には魚美を殺す動機がない。

「確かに、俺と魚美は付き合っていた。でも、それはごく普通の健全な付き合いだったし、俺は彼女を傷つけることをしていない。絶対に」
「絶対に?」
「神に誓って」

 彼女は解けたスパゲッティを少々行儀悪く口に運んだ。まるでラーメンを食べるかのように、麺をすする。

「妊娠させたとか」
「ありえない」
「暴力を奮っていたとか」
「それは彼女の父親だ」

 息を吐いて、俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。彼女との関係に後ろめたいことは何もない、と伝えるように。何十秒経ったのだろう。いや、もしかしたら数分間のことだったのかもしれない。ふと、彼女の目が和らいだ。

「そうですよね。優しい先生が、そんなことするはずないですもんね」
 
 くすりと彼女は微笑んで、今度はお手本のように綺麗にスパゲッティを巻き上げ、口に含んだ。
 今の俺の受け答えのどこかに、何か確信できる要素があったのだろう。正直、ゾッとした。俺が魚美を殺していないことは自分のことなのだからわかるが、他人から見れば確かに俺が1番怪しい人物なのかもしれない。痴情のもつれ。教師と生徒の禁断の恋愛。

「先生は、どうして魚美さんと付き合うことになったんですか」

 彼女の声から、俺を押しつぶすような圧力が消えた。会話を楽しみましょう、と言っているのだろう。その気軽な問いかけに素直に従っていいものか、と躊躇ったが、何処か有無を言わさぬ笑顔に、俺は口を開いた。

「俺は当時、自殺志願者のサイトの運営者だったんだ。今はやってないけど」
「悪趣味ですね」

 咎めるような視線を受けて、俺はため息をつく。自分でもわかっていた。だが、それが俺のストレス発散の方法だったのだ。自殺志願者の書き込みを見て、自分がどれだけ幸せかを再確認する。そんな薄汚れた欲望から、俺はサイトを運営していた。

「そんなある日、偶然、コンピュータ室で魚美がそのサイトに出入りしていることに気づいた。『ヒトミ』という名前で彼女は一緒に自殺をしてくれる人を探していたんだ」

 まさか、学校の生徒がそのサイトに書き込みをしているとは思っていなかったので、魚美が書き込みをしているところを見たときは驚いた。
 
「俺は頃合いを見て、彼女に話しかけた。もちろん、自分が自殺サイトの運営者だということは隠してね。最初はやんわりと『虐待されているんだろう?』と訊ねたから随分警戒されていたけど、何度も何度も関係ない話題を出したり声掛けをしていくうちに打ち解けて、彼女は色々と話してくれるようになって……」

 彼女がねっとりとした視線でこちらを見ていることに気づいた。何故だかにやにやとしている。なんだ? と思って首を傾げると、なんでもない、続けて、と言った。

「……それで仲良くなって、付き合い始めたんだ。俺は彼女を守りたくて、家から出てはどうかと提案した。彼女もそれに賛成して、あの日は荷物を持って俺の家に来るはずだったんだ。いつも逢引していたあの公園で。でも、試験の採点で仕事が長引いてしまって、約束の時間よりも遅めに行ったら、彼女はそこにいなかったんだ。魚美はそれからずっと行方不明のままだ」

 そこまで口にしたところで、嗚呼そうか、と心の中で呟いた。状況的に見れば、俺がやはり1番怪しい人物なのだ。

「なるほど。つまりはそのときから彼女とは会っていない、と」
「……そうだ」

 頷くと雨郷は腕を組み、う〜んと唸り始めた。

「ということはやっぱり、先生が人魚を殺したわけじゃないのかぁ」
「……さっきからそう言っているだろう」
「まあそうですよね。じゃあ、やっぱり……」

 再び自分の中で黙考し始める。俺はその隙にコーヒーに手を伸ばした。冷たい感触が喉を通り過ぎてゆく瞬間、ふと疑問が浮かんでくる。

「……なぁ、雨郷」
「はい、なんですか」

 雨郷が顔を上げる。

「なんで君は、犯人を探しているんだ」

 人魚は6年前に消えた。泡となり、海のどこかへ消えた彼女の記憶は、俺の中で風化して、すでに原型をとどめていない。骨が見つかったことで、誰かに殺されたのかと推測することはあっても、そこに激情はなかった。それに、そのうち警察が犯人を見つけるだろうから、自分から行動を起こさなくてもいいんじゃないか。

「あっ、そっか」

 雨郷は口元に手を当て、上の方を見つめる。何か上手い言い訳を考えようとしている子供のようだった。

「6年も経てば思い出は風化してしまいますから。でもね。私の中で、彼女は特別な存在で。だって、あんな美しい人魚のことなんて忘れられるはずないですよね」

 先生は薄情な人なんですね。くすくすと雨郷が笑う。

「それに、人魚を地に埋めたのは私だから」

Re: ムーンタワー ( No.14 )
日時: 2019/03/09 23:41
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: 4m8qOgn5)
参照: Twitterやめました。当分はやらないです

 
「は?」

 は???????

「ごめん。どういうこと?」

 俺の聞き間違いか?

「だから、私が魚美さんを、あの公園の桜の木の下に埋めたんですよ」

 にっこりと笑う。

「え?」

 え???????

「近くの公衆トイレにスコップが置いてあったのでそれで埋めました。あの辺街灯が全然ないので、先生が来たとき気づかなかったのも無理ないですね」
「は?」
「ふふ、先生、『え』と『は』だけで会話はできませんよ?」

 雨郷は組んでいた手を解き、フォークを握る。そしてあっ、と目を見開いた。

「私は埋めただけですよ。私があの公園に来たときには彼女、心臓が止まっていたので」

 胸元に耳を近づけて確かめたので間違いないです、とスパゲッティを飲み込んで言う。

「あの公園、塾の帰り道から見えるんです。それで先生と魚美さんがあのベンチで会っているのも知ってました。あんなに暗いのに? 私夜目が効くんです。なので見えました。魚美さんが倒れているのも」

 彼女はスパゲッティをくるくると巻きながら、その瞳に間抜けな顔をした男を映している。

「魚美さん、頭から血が出ていました。多分、石かなにかで殴られたんじゃないかな。衝動的な犯行って感じでした。魚美さんは制服を着ていて、周囲にはキャリーバックが転がっていました。直感的に、先生の家に行こうとしていたんだろうな、と思って。だから、私は先生が犯人だと思ったんです」
「ちょっと待ってくれ」

 俺は彼女の前に手を翳す。彼女は俺を見ていたはずだったが記憶の景色を見ていたらしく、突如現実の物体に遮られ、ぴくっと瞼が跳ねた。

「……君が亡くなっている魚美さんを見つけたのはわかった。そして君が殺していないこともわかった」
「はい、そうですよ?」

 彼女は不思議そうに首を傾げる。

「なぜ、埋めた?」

 埋める必要なんてなかったはずだ。そのまま警察に通報していれば。いれば? 何か変わっていた? 少なくとも、こんな悲しい結末を迎えずに済んだのではないだろうか。例えば、内海が死なない未来だとか。そんなことはありえないのだが。

「なぜ????? なぜって……そんなの決まってるじゃないですか」

 彼女がぐにゃりと顔を歪めた。

「人魚は人間の脚を手に入れるために声を失った。ね? 人魚っていうものはそういう生き物なんです。彼女は父親からの虐待を受けていた。私の両親はものすごく優しくて、私に怒ったことなんてないんです。だから私は醜い。彼女は美しい。彼女の美しさには理由がある。魚美さんは美しかった。その死に顔までも美しかったんです。こんな美しい人魚を燃やしてしまうのはいけないと思った。人魚は美しいまま消えるべきだ。そう思って埋めたんです。人魚が泡となって消えてしまうみたいに」

 何を言っているのかわからなかった。いや、確かに魚美は美しい少女だったし、人間を燃やしたくない、というのはわからないでもない。けれど。

「人魚は美しいまま消えたんですよ。あのまま掘り返されることがなければ、それは永遠だった」

 恍惚に浸った目で言う。やっぱりさっぱりわからなかった。

「でも骨が見つかってしまったから美しくなくなってしまった。だから、また美しくしてあげようと思って。じゃあ、彼女の死の真相を暴けば、どうだろう。その犯人を殺せば。ほぉら、とっても美しいじゃないですか」

 誰よりも醜い雨蛙の私が、彼女の仇を討つ。なんて美しい結末。
 そうやってうっとりと呟く雨郷は美しい化粧を施していたが、俺にはちっとも美しくは見えなかった。

「……誰だ、お前は」

 歯の奥から絞り出した言葉に、キラキラとしたアイシャドウの目が三日月の形に歪む。

「嫌ですね。冗談はやめてください。雨郷 花依ですよ、センセ」

Re: ムーンタワー ( No.15 )
日時: 2019/03/13 18:37
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 あの後どうやって帰ったのか、正直覚えていない。会話は覚えているが、あのままどうやって別れ、帰宅したのかわからない。気がつけばリビングにいて、ニュース番組の雑音が流れ込んできたのだった。

『そっか。先生は犯人じゃないのか。じゃあ、怪しいのは……その先生が運営してた自殺志願者のサイトとかで、魚美さんと特別に親しかったりした人っていなかったんですか』
『いや……あ、』
『いるんですか?!』
『いることには。でも……』
『連絡は?』
『あのサイトは削除されたからね。でも、魚美の書き込みのほとんどはオフラインでも見られるように保存しておいたから、遡れれば見ることができると思う。確か、あの掲示板に書き込みをしていた1人とメールアドレスを交換していたと思う』
『じゃあ、その人に連絡を取ってみてください』
『……もうそのメルアドを使っていないかもしれない』
『それでも、です。わかったら連絡お願いしますね』

 煙草に火をつけ、右手の人差し指と中指を擦り合わせるようにして挟む。そうしてベランダで煙を吐く。落下防止の手すりに肘を置きながら、俺はぼんやりとムーンタワーを眺めていた。

『あっ、そういえばムーンタワー、もうすぐ取り壊されるらしいです。うちの会社も投資とかで関わっていたのでとても残念だなって父が言ってました。それじゃあ、また』
「それで別れたんだったな」

 自分の行動を思い出す。記憶の中の彼女は華奢な手を振って歩き出していた。
 そろそろだろうか。花火の時間は。始まるまで、メールでも打っておこう。
 「ヒトミ」と特に親密なやり取りをしていた人物はすぐに見つかった。微かに記憶していた通りメールアドレスも残っていて、俺はスマホに指を叩きつける。

『初めまして。私は以前自殺サイトを運営していた者です。──』

 などとつらつらと書き連ねながら、これではただの迷惑メールみたいだと感じたため、一応自分の本名と職業も明かしておいた。

『あなたはヒトミさんと仲良くしていらっしゃいましたね。実は、ヒトミさんが殺害されていたことがわかりました。ヒトミさんのことについて詳しく聞きたいので──』

 会おう? いやいやそれは突発的すぎるだろ、と灰を落としながら「また御連絡ください」と打ち込み、送信した。
 部屋着のジャージのポケットにスマホを仕舞って、再び目線を開けた世界へと向ける。マンションの上の階や下の階では、子どもたちが手すりから身を乗り出して花火を今か今かと待ち構えている。おいおい危ないぞ、とヒヤヒヤしながらも、そういえば俺もあんな子どもだったな、と思った。
 麻痺している。父親が亡くなった日から、誰かがいなくなる、ということに俺は苦痛を感じなくなっていた。魚美が消えたときも、もしかして死んでしまったのだろうか、ダムに飛び下りたのだろうか、などと考えた。それでも何か行動を起こそうとはしなかったし、やがて彼女との思い出は風化して消えた。そういえばそんな生徒もいたな、ぐらいに思っていたのだ。

『俺の家においで』

 あの激情は、果たして自分の言葉だったのだろうか。わからない。母が死んだ今となっては、さらに麻痺している。心が。
 彼女を助けたい、と思ったのは事実だと思う。虐待を受けている姿を見て、俺が守ってやらなきゃ、とも思った。ちょうどその頃虐待に関する事件があって、国は頼れないのだと悟った。なら、俺じゃないと駄目だ、と思ったのだ。あの美しい人魚を守れるのは、俺しかいない、と。
 ひゅるるるるるるるるる、と白い尾を引いて、どーーーーん、花が空に咲く。

「嗚呼、そういうことか」

 俺はぽつりと呟く。

「俺は人魚がほしかったんだ」

 そして雨蛙は今も欲しているのだ。
 俺はもたれ掛かっていた手すりに額を擦り付け、目を閉じた。煙草がまだ口の中に居座っている。

『私、お父さんが怖い。だから今まで逃げようとしても足がすくんで動かなかったの。でも、先生とならできそうな気がする』

 微笑みの中で彼女はその長い睫毛を伏せ、俺の掌に口づけた。

『ありがとう、金魚さん』





 ヴーという微かな音で俺は目を開けた。どうやら少し寝てしまっていたらしい。煙草はずっと握りしめていたままで、床には灰が溜まっている。あんな花火大会の爆音の中よく眠れたな、と口の端だけで笑うと、スマホの通知音で起きるのもおかしいんじゃないか、と今度は顔全体で笑った。少し足踏みをしてからスマホを取り出し、また手すりに腕を置く。

『こんばんは。僕の名前は内海世海といいます』

 思わずスマホを落としてしまうところだった。9階から。

Re: ムーンタワー ( No.16 )
日時: 2019/03/14 17:25
名前: とりけらとぷす (ID: u/mfVk0T)


こんにちは、お久しぶりです。とりけらとぷすです( ´ ▽ ` )

本業がひと段落し、久々に戻ってきました。

鳴子さんの独特な、謎に包まれた感じ、好きです。
毎回思うのですが、少し読めばすぐに小夜鳴子ワールドに引き込まれていく感じなのです。
私は読書が好きでいろんな作家さんの本を読んできましたが、あ!この人の文だ!とすぐ分かるような、独自の文をお持ちだな、と思います。(語彙力なくてすみません)

雨郷さんの急に溢れ出した狂気にぞっとしました。彼女はそれを当たり前だと思っているんでしょうね。
美しいから、美しいままにしたかった。
わからないでもないです。
芸術家は苦を経験したものこそ美しいものを生み出せる。
苦こそ、人間のえげつなさを、本能を、生々しさを、美に変えることができる。本当の人間らしさを表せるのだと、中学生の時誰かが言っていました。
私はどちらかといえばのうのうと育ってきた者なので、そういう苦からの脱却を経験したことがないに等しい。
もし、本当にそういう類の苦が新たな美を生み出せるならーーーと考えたことはありますね。
何の話でしたっけ。随分話が逸れてしまいました(笑)
感想を書こうと思うのにいつもこうなってしまうんです。自分読書日記をつけているのですが、お話の内容はほとんど書いていない。遠い記憶と結びつけた自分のことばかり書いてしまいます(ーー;)

人魚を殺したのは誰なのか。

続き、楽しみにしてます。
それでは、ごゆるりと更新頑張ってください。



Re: ムーンタワー ( No.17 )
日時: 2019/03/14 19:19
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: 62e0Birk)

 
>>とりけらとぷす様

 毎度毎度ありがとうございます。小説のコメントをいただくことは少ないので、とても嬉しいです。
 お疲れ様でした(???)笑

 ほんまですか。自分ではわからないので……でも、確かにしっかりとした世界観は持っているつもりです。笑
 私自身が平々凡々な人間なので、創作の中の色々な美しい人に憧れます。それぞれのキャラに、自分が美しい、と思う要素と愚かしい、と思う要素をひとつずつ詰め込んでいます。
 読書日記ですか。すごいですね! 読書は思考を整理するような、新しい発見だとかそういうものだと私は思っているので、そこに在るものを在るようにそのまま記述するよりそっちの方がいいんじゃないかと思ってます。笑

 もう読んでくださった方の過半数が誰が殺したのかわかってしまっていると思います。笑 そこまで到達できるよう頑張ります!

 ありがとうございました!

Re: ムーンタワー ( No.18 )
日時: 2019/03/15 23:44
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 夏休みというものは教室内は静かだが、1歩外に出てみれば普段以上の熱気だ。部活に全力を注ぐ生徒たちはとても眩しい。俺も、学生時代は中高とバレーボールばかりしていた。
 夏休み明けの課題テストの問題を作成するために出勤した俺は、一旦その作業を先延ばしにして中庭に出ていた。中庭はテニス部がミーティングに使っている程度で、基本は誰もいない。教室は補習以外では安全面の問題で施錠されているし、鍵で開けるのも面倒くさかったので、結局は集合場所はここにした。
 申し訳程度に陽を避けることのできる小さな屋根の下のベンチに小柄な人物が座っている。肩までの短い髪は黒く、夏用の清潔な半袖のセーラー服から覗く腕は白い。男か女か判断しにくい中性的な顔立ち。その服装からは少女だと窺えるが、やはり魚美には全然似ていないと思った。

「こんにちは」

 そう呼びかけると、ぼぉっとしていた視線がこちらに向いて、その色合いを変える。

「こんにちは……えっと、あのときはすみませんでした」

 申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、構わないよ。気にしてないから」

 バリバリ気にしている。このクソガキ、と今でも思っている。でも、俺は大人なのでそういうことは決して口にしないのだ。

「それで。『ヒトミ』について聞きたいことってなんですか」

 世海くんは俺が自殺志願者サイトの運営をしていたことを何も咎めなかった。いや、心の中では言いたいことはあったのかもしれない。それに免じて、俺も彼女が幼いながらも自殺サイトに出入りしていたことを責めないことにした。

「君は、『ヒトミ』の正体はわかってる?」
「ああ、はいなんとなく」
 
 一橋魚美ですよね、と小さな声で聞いてきたので頷く。その瞬間、彼女は少し顔を顰めた。

「……正直、『ヒトミ』と一橋魚美が同一人物だって考え始めたのは最近なので戸惑ってます。僕はヒトミと仲が良かったし、ヒトミのことが好きだった。でも、人魚のことは嫌いでした」

 俺は世海くんが『人魚』を知っていたことに驚く。そういえば、俺のことも公園で『金魚』と呼んでいたな。

「君はどうしてその呼び名を知っているんだい」
「1度姉が一橋魚美のことをそう呼んでいるのを聞きました。それに、あの3人がお互いを秘密の呼び名で呼びあっているのはなんとなく知ってました」

 どうせ一橋魚美が考案したんでしょう?と言うので俺は苦笑する。全くその通りだったからだ。

『先生は生き物が好きなのね』
『そうだね』
『だから理科室でメダカを飼ってるの?』
『そんな感じかな。でも家では金魚を飼ってる』
『金魚』
『そう金魚。昔夏祭りで捕ったものなんだけど、長生きでね。金魚すくいの金魚は大抵病気を持っていてすぐに死んでしまうことが多いんだけど、なぜか生きてるよ』
『ふふ、先生って、金魚みたい』
『へ?』
『だって、教室っていう水槽の中でゆらゆら揺れてる。生徒と先生の間で、いつも』
『そうかな』
『うんそう。先生っていっつもどっちつかず。それに、金村 賢木って名前の中に金魚が隠れてるよ。素敵』

「どうせ僕も『空蝉』とか呼ばれていたんでしょうね」

 吐き捨てるような世海くんの言葉に、はっと意識を戻す。

「いや……呼ばれてなかったと思うよ」
「え、そうなんですか」

 少し不満げな様子だった。好きの反対は無関心だという。彼女が魚美に向ける嫌悪にも似た感情は……と口にしかけるが、彼女の眼光の鋭さに踏みとどまった。

「……君と一橋さんは仲が良かったと聞いているよ」
「……はぁ?!」

 なんでですか何を根拠に?と彼女は食い気味に返す。あれ、と思った。雨郷は世海くんと魚美は仲が良かったと言っていたはずだ。

「いや、雨郷……花依さんが、君と一橋さんは似ている、と」

 彼女は猫のような目を見開き、すぐにぎゅっと細めた。

「……なぁるほど。確かに僕と彼女は似ている。実の親に愛されてなかったところとか、人とちょっと違うところとか」

 花依さん、ああ見えて鋭いんですね、と彼女は自嘲気味に笑った。
 彼女の家庭環境について、俺は実のところあまり知らない。何度か行った家庭訪問や面談などでも特に問題は感じられなかったし、不登校が続いているのは単純に彼女の個性が可哀想なことにクラスから拒絶されているからだと思っていた。
 彼女は俺の戸惑いを察知したのか、鼻で笑う。

「どーせ、先生にはわかんないですよ。魚美さんのときだって気づかなかったんじゃないですか?」

 図星だった。俺が今のように中学ではなく高校教師だった頃、面談で魚美の父親と対面したが、何ひとつとして見抜くことはできなかった。

『助けて』

 彼女は必死に求めていたのだ。ネットの世界に、自分の居場所を。そんなことになるまでに追い詰められていた彼女を、俺は救うことができなかったのだ。
 俺が黙り込んでいると、彼女は表情を改め、真剣な顔で俺の顔を覗き込む。

「それで。『ヒトミ』と親しくしていた僕に聞きたいことって?」
「ああ、それは……」

 言いかけて、そこで口籠もる。どう聞いたものか、と今更ながら不安に思ったのだ。『彼女を殺したのはお前か』などと。こんな、中学2年生の女の子に聞けるはずもない。いつまで経っても本物の金魚のように口だけをぱくぱくとさせている30代男性の姿に呆れたのか、彼女ははぁ、とため息をついて口を開いた。

「言いづらいのなら、僕が先に答えを言いましょうか。『僕じゃないですよ』」

Re: ムーンタワー ( No.19 )
日時: 2019/08/07 16:32
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 その意味を理解するのにたっぷり5秒ほどかかった。雨郷の衝撃発言を受け入れるのにかかった時間は30秒ほどだったので、短い方だろう。なんとなく「だろうな」と思っていた解答のため、逆に呑み込むのに余分な時間がかかってしまっただけだ。

「大体僕、その頃8歳ですよ? 普通に考えてそんな子どもが高校生を殺せないですよ」

 確かに、と心の中で頷く。自分はかなり混乱していたようだ。かつての教え子は死体遺棄をしているし、その死体を発見したのは内海だというし。

「ところで……急に補習に参加するようになったのはどうして?」

 尖らせた唇に強い拒絶の意思を感じ取った俺は、話題を転換してみた。すると彼女は左手で右の二の腕を掴んで、

「別に……高校は家を出たいので、勉強頑張らないとなって」

 俯きがちに呟く。彼女は中1のときからたまにしか学校に来ておらず、このままこんなことが続けば進学も難しいだろう、と思われていた。しかしこの夏休みの半ば辺りから、彼女は毎日学校に来ては補習を受け続けている。他の科目の先生方は補習中に彼女が提出したというプリントを見て「思っていたよりも優秀な生徒だ」と目を丸くしていた。幼い頃からパソコンを扱っていたらしいし、地頭はいいのかもしれなかった。
 そんな彼女が進学を望むのならば、教師として、俺はその道を整備し、導いてやらねばならない。

「いやいや、選択肢はいっぱいある。時間もあるし、もう少し考えてみるのはどうかな。内海はさっき親から愛されていない、と言っていたけど、それは内海の勘違いかもしれないじゃないか。きちんと親御さんとも相談して……「あのさ」

 猫のような目が、さらにその目尻を釣り上げ、こちらを見つめる。

「僕は人魚じゃないよ」

 にんぎょ。思わず繰り返す。そう人魚。世海くんも繰り返した。

「先生が救いたいのは僕じゃないよね。いや、救いたかった、か。そんな先生の自己満足をさ、僕に押し付けないでよ」

 じゃ、僕、帰りますね、と彼女はベンチの下に置いておいたらしいリュックを背負い、足早に中庭を駆け抜けてゆく。太陽が一瞬強く光り、彼女を包み込む。そこに俺は確かに魚美の姿を見た。

「……俺、は」

 その先の言葉は続かなかった。全身から力が抜けている。額に手を当てると、暑さと悔しさで汗が噴き出していた。
 違うんだ、違うんだよ、と呟こうとするも、光の中の魚美を思い出しては黙り込む。嗚呼、俺はいつだって愚かだ。
 結局、空蝉は人魚を殺してなどいなかった。似た者同士はいがみ合うと言うが、あの2人の関係はきっとそれに近い。そこに友情は生まれなくとも、絆は生まれ得る。殺意などありえない。

「……あ、れ?」

 煙草のケースに伸びかけた手が、ぴたりと止まる。

「じゃあ一体、誰が人魚を殺したんだ?」





金魚……金村 賢木 (終)