複雑・ファジー小説
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.2 )
- 日時: 2018/10/14 08:04
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kJLdBB9S)
1話 星王より、提案
「イーダ様、いらっしゃいます?」
ある日の昼過ぎ。私が自室で過ごしていると、扉の向こう側から、そんな言葉が聞こえてきた。
昼食は先ほど終えたため、食事の時間ではないはず。
それだけに、こんな時間に声をかけられるのは不思議だ。
ただ、よく聞く声であったため、私は仕方なく、部屋の扉の方へと向かった。きっと何かの用事なのだろうから。
「……何?」
気は進まないが無視するのも問題なので、嫌々、ゆっくりと扉を開ける。
するとそこには、女性が立っていた。
白いショートヘアに、冷ややかな雰囲気をまとう顔立ち。着ている黒いワンピースは体にぴったりと密着しており、太ももの真ん中辺りまでの丈のスカート部分はかなりタイト。そして、すらりと伸びた脚には、ワンピースと同じ色のロングブーツが吸い付いている。
彼女は、この前の春の襲撃で唯一生き残った私の従者——ヘレナだ。
「今後貴女にお仕えする従者に関する件について、お話に参りました」
「従者はもう要らない。私のために人が死ぬのは嫌だから。前にそう言ったはずだけど」
「いいえ、そういうわけには参りません。本日お話させていただくのは、星王様が自らご提案なさった件についてですので」
私は彼女が苦手だ。
感情のないような冷たい顔つきも、淡々とした遠慮のない物言いも、そのすべてが好きになれない。
何人もいた従者の中で、なぜ彼女だけが生き残ってしまったのか——今でも時折、そんなことを思ったりする。そんなことを考えるのは失礼だと、分かってはいるのだけれど。
「……入って」
「ありがとうございます。失礼します」
本当は従者の話なんてしたくはない。
ただ、ヘレナが断っても帰ってくれないことは目に見えているので、取り敢えず部屋へ招き入れることにした。
話を聞いてから断るでも、遅くはないだろう。
「それで、何のお話?」
向かい合わせに置かれたソファに腰を掛けてから、私はヘレナに尋ねた。
なるべくスムーズに話を進め、早く帰ってほしいからだ。
「イーダ様。貴女が従者をお付けにならないのは、人が傷つくのが嫌だから、という理由でしたね」
「えぇ」
「ならば、従者となるのが人でなければそれでいい」
ヘレナは、相変わらずの淡々とした調子で、そんなことを言った。
だが、私にはその意味がよく分からない。
「そうお考えになった星王様が、貴女の従者に相応しいものを用意なさっています」
「父が?」
従者はもう必要ないと言っているのに……。
「はい」
「人でない従者を用意した、ということ?」
「そうです」
話せば話すほど、よく分からなくなってくる。
人でない生き物に従者が務まるとは思えない。従者の仕事は、人でなくともできるような単純なものではないからだ。
「ヘレナ、まったく意味が分からないわ。まず、その『人でない従者』というのは、何なの?」
最初は適当に聞いて断ればいいと思っていたのだが、別の意味で興味が出てきてしまいつつある。
「収容所より、従者の才を認められた者を連れて参るのです」
「まさか!」
このオルマリンの各地に、罪人などを入れておく収容所なるものが存在していることは、以前から知っていた。
だが、そこから私の従者を選ぶだなんて。
収容所出身の者が王女の従者となった話など、一度も聞いたことがない。
……それに。
収容所から連れてくるのなら、結局、人ではないか。
「それならば、もし仮にその者に何かがあったとしても、貴女が罪悪感をお持ちになることはないでしょうから」
「人でないという話だったのに。結局は人じゃない」
「いえ、彼らは人ではありません」
ヘレナは微かに俯いたまま、赤い瞳だけをこちらへ向けてくる。胸を貫かれたかと勘違いしてしまうような、冷たく鋭い視線だった。
「我々は、あそこで暮らす彼らを、『人』とは呼ばないのです」
私には、ヘレナの言葉が、いまいち理解できなかった。
ただ、人とは呼ばない——その言葉だけが、妙に耳に残る。
この星の王女ゆえ、ほぼすべてを知っているものと思っていた。けど、もしかしたら、それは違うのかもしれない。
ふと、そんな風に思ったりした。
その時、ヘレナが唐突にソファから立ち上がる。
「そういうことですので、イーダ様。よろしくお願いしますね」
「え?」
話についていけず首を傾げていると、ヘレナは無表情のまま続ける。
「明日、ここへ候補となる者を連れて参ります。その中より、イーダ様がお選び下さい」
「選ぶって……何なの?」
「イーダ様の従者はイーダ様が選ぶべき、と、星王様が」
従者の多くを失ったあの襲撃以来、私はあまり部屋の外へ出なくなった。そして、新しい従者を取ることもしなかった。そんな私を心配して、星王はこのような提案をしてくれたのだろう。
娘の私が言うのも何だが、星王は優しい人だ。だから、私のことを気にかけてくれているのだと思う。
それを考えると、少し申し訳ない気もした。
「それでは、失礼します」
ヘレナは淡々とそう述べると、丁寧にお辞儀する。
真面目な彼女らしい、きっちりとした振る舞いだ。
……常に無表情なところだけは、少し妙な感じだけれど。
「明日の朝、また伺います」
「いいえ、それは結構よ。従者は要らないと、もう一度、父に伝えておいて」
「いえ、既に準備は進んでいますので。では失礼します」
一応断ろうとしてみたのだが、ヘレナはそれだけ言って出ていってしまった。彼女は、私の意思を聞く気など、さらさらないようである。
ヘレナは今日も、相変わらずの優しくなさであった。
……やはり、彼女は苦手だ。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.3 )
- 日時: 2018/10/14 17:39
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0llm6aBT)
2話 候補者紹介
翌朝、私は起きるなり、服を着替えた。お出掛け着ではなく、部屋やその周辺で生活している時にいつも着ている、これといった特徴のない白いワンピースに着替えたのである。というのも、ヘレナが訪ねてきた時に寝巻きでは、さすがに恥ずかしいからだ。
着替えを終え、洗面所へと向かう。
そこで私は、髪に酷い寝癖がついていることに気がついた。元々直毛な方ではないのだが、今日はいつにも増して髪がうねってしまっている。
支度しなくてはならない日に限って、これだ。嫌になってくる。
だが、文句を言っている暇などない。
ヘレナが来るのも時間の問題。彼女がやって来るまでに、一刻も早くこの髪をどうにかしなくてはならない。
私は、洗面台の脇にある青いボタンを押す。すると、蛇口から透明な水が溢れ出した。それを両手で受けるようにして手を濡らし、その湿った手で髪に触る。
「何とか直るといいのだけれど……」
誰に対してでもなく、一人呟く。
それから私は、鏡に映る自分の姿を、意味もなく見つめたりした。
「おはようございます、イーダ様。お迎えにあがりました」
寝癖を直すことに成功してからしばらく経った頃、ヘレナは現れた。
丈の短いタイトな黒ワンピースに、ロングブーツを履いた長い脚。女性らしからぬ白髪のショートヘアに、感情の読み取れない冷たい顔つき。彼女は今日も相変わらずだ。
「え、どこかへ行くの? ここへ連れてくるという話じゃなかった?」
「はい。その計画だったのですが、候補の中に約一名、どうしてもイーダ様の部屋へは行かないとごねている者がおりまして」
自室の外へ出ることに変わったのなら、もう少し早く言っておいてほしかった。それを知っていれば、服装ももっと華やかなものにしたのに。
「早めにお知らせできず、失礼しました」
一応、知らせなかったことを悪かったとは思っているようだ。
それが分かったため、私はそれ以上、何も言わないことに決めた。既に謝罪している人を責める趣味はない。
「分かったわ……特別よ?」
「可能でしょうか」
「えぇ。そこへ行って、私の口からちゃんと断らせてもらうわ」
するとヘレナは、少しばかり眉間にしわを寄せた。
だがすぐにいつもの無表情へと戻る。
「では、そちらまでお送りします」
自室の外へ出るのは数日ぶりかもしれない。前に外へ行った時から何日くらい経ったのか、はっきりと覚えてはいないが、一日二日でないことだけは確かである。
「ありがとう。でも、従者を選ぶ気は本当にないわよ」
「取り敢えず来ていただければ、それで構いません」
ヘレナは私の気持ちなんて、微塵も考慮してくれそうにはない。彼女が冷たいことは前から知っていたが、改めて再確認した気分だ。
やはり、苦手である。
そんなことを考えつつ、私はヘレナの後ろについて歩く。目的地へと向かうために。
目的地までの距離は、それほどなかった。
歩くのがさほど速くない私でもほんの数分で着けたくらいの距離である。
「イーダ様、こちらへお入り下さい」
「えぇ」
行く先にどのような光景が待っているのだろう。ふと、そんなことを思った。そのせいで不安になり、足を止めてしまう。
私の変化にすぐに気がついたヘレナは、無表情な面をこちらへ向け、微かに首を傾げた。
「……イーダ様? どうなさいました?」
彼女はそう尋ねてくれた。だが、「色々想像して不安になった」なんて言えるわけもない。なので私は、ただ首を左右に動かすだけにしておいた。
「いえ、何でもないわ」
「そうですか。失礼しました」
ヘレナはそれ以上何も言ってこなかった。
彼女の淡白さは、こういう時だけはありがたく思える。
先ほどヘレナが開けてくれたボタン開閉式の扉を通過すると、そこは広い部屋だった。私の自室も、王女の部屋というだけあって結構な広さがあるのだが、恐らくそれよりも広い。中規模くらいならパーティーを開けそうなくらいの広さの部屋だ。
「王女様! ようこそ来て下さいました!」
想像していたより広い部屋を感心しながら眺めていると、唐突に声をかけられた。
あまり見かけたことのない、六十代くらいと思われる男性だ。
知り合いでもない人に話しかけられ、私は困ってしまった。どこの誰か知らない人に対して振る話題なんて持っていなかったからである。仕方がないから、「おはようございます」とだけ言っておいた。
すると男性は、自ら話し始める。
「わたくし、オルマリン第一収容所の所長、ダンダ・ンバーラでございます! 本日は、お美しい貴女様の従者となれそうな男を、幾人か連れて参りました!」
「あの、私は……従者を必要とはしていません」
「そう仰らずに! 見ていって下さいませ!」
速やかに断って帰ろうと思ったのだが、ダンダは話を聞いてくれそうになかった。それどころか、片方の手首を持たれ、引っ張っていかれてしまう。
「えっと、ダンダさん? 私は従者など……」
「まぁそう仰らずに! 見ていっていただけるだけで構いませんから!」
駄目だ。私ではどうにもできない。
そう悟った私は、すぐに自室へ帰ることは諦め、見るだけ見ていくことにした。
本当は気が進まないけれど。
それから私は、用意されていた椅子に座り、従者候補として連れてこられた男性を何人か見た。
ある人は、いかにもお世辞という感じの褒め言葉をかけてくれ、ある人は、己の有用さを証明しようと特技を披露してくれた。
私の従者になれば、もう収容所で暮らさなくていい。
だから、皆、選んでもらうことに必死なのだろう。
収容所内の環境はあまり良くないと聞くから、彼らの気持ちも分からないことはない。だが、もう少し隠せないものだろうか。
必死さが伝わってきすぎるため、誰にもまったく興味が湧かなかった。
それどころか、不快感さえ覚えた。
「私、もう帰ります」
五人ほど見た時、私はダンダにそう告げた。
やはり、こんな中に、私が興味を持つような者がいるわけがない。見れば見るだけ不快な気分になっていく——それだけだ。
「えっ」
「元々、従者を選ぶつもりはありませんでしたから」
「ええっ! そんな、まだ数人おりますぞ?」
ダンダの顔は驚きと焦りの混じった色に塗り潰されている。
少し申し訳ない気もするが、もはや時間の無駄だと判断したため、私は続けた。
「何人見せていただいても、同じことです。きっと……私の心を動かすような方は、ここにはいらっしゃらない」
彼らは、収容所から出たい一心で良いところを見せようとしているだけ。地位を得た瞬間、きっと化けるだろう。そんな者を近くに置いていては、後々、何をされるか分かったものでない。
「ですから、もう帰らせていただきます」
するとダンダは、近くにいる部下らしき者へ、大きな声で指示を出す。
「おい! あいつだ! あいつを連れてこい!」
「えっ、やつですか?」
「そうだ!」
「ですが、あの者はかなり危険ですっ」
「構わん! 連れてこい!」
「は、はい!」
——あいつ?
何か、特別な人がいるのだろうか。
ダンダとその部下らしき人の会話を聞く限り、他とは違う特別な者がいる、という雰囲気だ。
「お、王女様。どうか、お座り下さいませ。珍しいタイプをお見せしましょう」
「まるで人でないかのような言い方ですね」
「し、失礼でしたでしょうか」
「いえ……ただ、不思議な言い方だと思っただけです」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.4 )
- 日時: 2018/10/15 16:31
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kEC/cLVA)
3話 ベルンハルト・デューラー
待つことしばらく。
一人の青年が、二人の男に両腕をしっかり拘束されながら、連れてこられた。
他の者たちとは、扱いが明らかに違う。これまでの者たちは、こんな風に拘束されてはいなかった。ということは、この青年は他の者たちとは違う、ということなのだろう。
「連れてきました!」
「おぉ、ご苦労」
その様子を確認した後、ダンダは私の方へと向いてくる。
「王女様、この男はいかがでしょう? 他より凶暴ではありますが、しつけてしまえば役立ちますぞ!」
両腕をしっかりと拘束されている青年は、容姿だけ見れば、至って普通だ。
ほぼ黒と言ってもおかしくはない、暗い焦げ茶色の髪。細く凛々しい目に、黒い瞳。ダンダは凶暴だと言うが、青年の容姿から凶暴性を窺うことはできない。
「凶暴、とはどういうことですか? 何か罪を犯しでもした方なのですか?」
浮かんだ疑問をずっと持っておくのも面倒なので、思いきって尋ねてみた。
するとダンダは、渋いものを食べたかのように顔をしかめつつ、私の問いに答えてくれる。
「この男は抵抗ばかりして、己の立場を理解していないのです。それゆえ、もう少し教育が必要やもしれませんな。ただ、しっかり教育すれば、優秀な駒となることは確かです」
ダンダの説明を聞いてから、私は再び、青年へと視線を向ける。それから少しじっと見つめていると、拘束されている青年がこちらを向いた。
私を睨んでいる。
まるで、親の仇を見るかのような目つきで。
先ほど目にした、他の者たちの媚びるような目つきとは、真逆だ。
彼は私に気に入られようとは思っていない——言葉を交わさずとも、それが伝わってくる。
でもなぜだろう。
よく分からないけれど、彼には興味が湧く。
彼は一体何者なのか。彼はこれまで、どのような人生を歩んできたのか。そんな風に、色々知りたくなってしまう。
——気づけば、私は彼のいる方へと歩み寄っていた。
「貴方、他の人とは違うわね」
自然に口が動いた。
これまでは、話したくなんて一度もならなかったのに。
「貴方からは、他の人にはなかった気高さを感じるわ。お名前、聞かせてもらっても構わないかしら」
すると青年は、私を睨んだまま、小さく口を動かす。
「ベルンハルト・デューラー」
凄く冷たい声だ。
でも、なぜか惹かれる。もっと知りたいと思ってしまう。
「ベルンハルトというのね。素敵な名前だわ」
それは正直な言葉だった。機嫌取りのお世辞などではない。
「私はイーダ・オルマリン」
「……オルマリンの女に用などない」
両腕を拘束された青年——ベルンハルトは、私の歩み寄ろうする努力を、粉々に打ち砕いた。
この星の王女である私にこんな態度をとる人は、なかなか見かけない。
「念のため言っておくが、僕はオルマリンの女に仕える気など、微塵もない」
「……そうなの? なら、なぜここに?」
「強制的に連れてこられただけだ」
ベルンハルトが私から目を逸らすことはなかった。彼は、ほんの一瞬も私から目を離さず、ただひたすら睨み続けている。
「僕はオルマリンに屈する気はない。オルマリンの女に仕えるということも、絶対にあり得ない」
どうやら彼は私の従者となる気はないようだ。むしろ、私を嫌っている様子である。
その時。
眉間にしわを寄せながら、ダンダが私たちのいる方へと、ずんずん歩いてきた。先ほどまでとは顔つきが違っている。
何事かと思っていると、彼はズボンから短い鞭を取り出した。
「無礼者め!」
そして、その鞭でベルンハルトの頬を叩いた。
「……っ!」
ベルンハルトの頬から、赤いものが流れ出す。
ダンダに鞭で叩かれた時に、切れてしまったものと思われる。
「王女様に対し、何ということを!」
鋭く叫んでから、ダンダはもう一度、鞭でベルンハルトの頬を叩いた。
「や、止めて下さい!」
「オルマリン人でもないくせに、調子に乗るな!」
制止しようと言ってみたが、ダンダは少しも聞いてくれない。今のダンダは、ベルンハルトを傷つけることに集中しすぎてしまっているようだ。
「貴様! 王女様にあのような口の利き方をするとは、万死に値するぞ!」
ダンダの指示で、ベルンハルトの両腕が厳しく締め上げられていく。
それでも、ベルンハルトは平静を保っていた。だが、締め上げがかなりきつくなり上半身が反り返ってくると、その顔を歪めた。
「……く」
苦痛に声を漏らすベルンハルトを見て堪らなくなった私は、ついに声を荒らげる。
「止めて! 彼に酷いことをしないで!」
半ば無意識に体が動き、気づけば、ベルンハルトとダンダの間に立っていた。
自分でも、自分の行動がよく分からない。
ただ、私がその位置へ入ったことで、ベルンハルトが鞭で打たれるのを回避することができた。それだけは良かったと思う。
「お、王女様。そこをお退き下さい……!」
「いいえ。退かないわ」
確かに、ベルンハルトは無礼かもしれない。
でも、だからといって、傷つけて良いということにはならない。
「一方的に傷つけるのは止めて!」
「し、しかし、王女様……」
「ベルンハルトとは私が話します! ちゃんと話せば、きっと分かってくれるはずよ。だから、それまで少し待って」
私がベルンハルトを庇う理由など、何もない。ただ、目の前で彼が傷つけられるところを見るのが嫌だっただけだ。
こういう時だけは王女で良かったと思ったりする。
それから私は、ベルンハルトの方へと体を向け、改めて話しかける。
「頬は平気?」
「心配されるようなことではない。貴女は知らないだろうが、収容所では、こういうことは日常茶飯事だ」
「……そうなの? 酷い環境なのね」
収容所内では暴力が当たり前なのだろうか。だとしたら、そこで暮らしている人たちは、きっと辛いはずだ。
「僕からすれば、オルマリンは倒すべき敵だ」
「ベルンハルトはオルマリン人でないの? どこかからやって来たの?」
気になったので質問してみた。しかし、彼は微かに俯いて、「答える必要はない」と言うだけだった。
——刹那。
「……えっ?」
首の後ろ側、うなじに、突如冷たいものが触れた。
瞳だけを動かし背後へ視線を向けると、視界の端に、ダンダが拳銃を突きつけている様子が入る。
「……どうして」
「本当なら従者となった者に殺らせるつもりだったのですがな。どうやらそれは無理そうですので、ここでわたくし自らが手を下すことと致します」
私は信じられなかった。
まさか、ダンダが私の命を狙っていたなんて。
「では、王女様。お覚悟を」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.5 )
- 日時: 2018/10/16 04:39
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oN2/eHcw)
4話 見送るのは、寂しい
うなじに触れる銃口から、ひんやりとした感触が広がる。生まれてこれまで、一度も体験したことのないような感触に、心臓の脈打つ速度が急加速した。周囲の者にまで聞こえてしまっているのではないかと思うほど、大きく、バクンバクンと鳴っている。
「ンバーラ! 何をするつもり!?」
目の前にはベルンハルト。背後にはダンダの拳銃。
そんな緊迫した状況の中、私は、ヘレナの鋭い叫び声を聞いた。
いつも淡々とした調子でしか物を言わないヘレナが、叫んでいる。
そのことが、今の状況が異常であることを物語っていた。
「銃口を離しなさい!」
ヘレナの鋭い声が聞こえてくるけれど、彼女を捉えられるほど大きく振り向くことはできない。下手に動けば、撃たれるかもしれないからだ。
「知るか! 死に損ないの女ごときが、口出しするな!」
耳に飛び込んできた荒々しい声。その主は、恐らく、ダンダだろう。目で確認することはできずとも、耳だけで十分察することができる。
「イーダ様の命を狙うなど、反逆罪よ!」
「黙れぃっ!!」
その次の瞬間、ぱぁん、と乾いた音が鳴った。
一二秒して、うなじから銃口が離れたことに気がつき、すぐに振り返る。
「……そん、な」
振り返り視界に入ったのは、ダンダに撃たれたヘレナの姿だった。
ヘレナは、目を大きく見開き、驚きの色に満ちた表情のまま止まっている。まるで、そこで時が止まってしまったかのように。
宙には、赤い飛沫が待っていた。
その数秒後。
撃たれたヘレナの脱力した体は、ドサリと床に崩れ落ちる。
「次は王女様ですぞ」
倒れたヘレナに声をかけにいこうとしかけたのだが、ダンダに再び銃口を向けられたため、それは諦めた。
私は無力だ。至近距離にある銃口から上手く逃れ、ヘレナのところまで走るなんて、できっこない。
「や、止めて。撃たないで」
「これはわたくしの出世のため。今さら止めることなど、絶対にできませんぞ」
「……出世のため? 貴方は、自分の出世のためだけに、私を殺めるつもりなの?」
「収容所所長というのも、楽しいものではありませんからな」
私にはダンダが分からなかった。
人には出世したいと思う心があるということは、私にだって理解できる。といっても私には縁のないことだけれど、それでも大体想像はつく。
だが、他人を傷つけてでも出世したいなんて、思うものなのだろうか。
そんなことをしたら、罪を背負って生きていかなくてはならなくなるだけのことなのに。
「では、さらば!」
ダンダが引き金を引く——ほんの一瞬前。
ベルンハルトが、私の足を払った。
「きゃ」
拳銃に意識を向けすぎるあまり、ベルンハルトを注視していなかった私は、足を払われ転倒する。
だが、そのおかげで命を取り止めた。
私に向かって飛んできていた銃弾は、転んだことで私には当たらず、そのまま進む。そして、その先にいた、ベルンハルトを拘束している男の顔面に命中した。
「何ぃっ!?」
結果的に部下の顔面を撃ち抜いてしまうこととなったダンダは、そのしわが多く刻まれた顔に、焦りの色を滲ませる。
「ふっ!」
「ぐぎゃあ!!」
片腕の拘束が解けたことに気づいたベルンハルトは、もう一方の腕を拘束している男の鳩尾へ膝をめり込ませた。突如膝蹴りを食らった男は、情けない叫びをあげて、その場に倒れ込む。
ベルンハルトはその隙を逃さない。
彼は、倒れ込んだ男の腰のホルスターから素早く拳銃を抜き取ると、その銃口をダンダへ向ける。
急展開に何とかついていこうと頭を持ち上げると、ベルンハルトに足で止められた。なかなか乱暴だが、下手に動いて命を落とすのも嫌なので、床に伏せておくことにした。
数秒後、破裂音が空気を揺らす。
「よし」
何がどうなっているのか、今の状況がまったく掴めない。だが、ダンダの声がしなくなったので、少しだけ顔を上げてみる。
「……何が……どうなったの?」
口から疑問がするりと出た。
それに対しベルンハルトは愛想なく返してくる。
「終わった」
本当に短い、一言だけの答えだ。
このとんでもない状況を、一言にまとめてしまえるというのは、なかなか凄いことだと思う。大雑把というか、何というか。
「お、終わったのね……?」
「取り敢えず」
また新たな敵が現れる可能性は否定できない。だが、取り敢えず落ち着いたことは確か。
なので私は、伏せていた体を少し起こした。
「取り敢えず? ということは、まだ終わりでないかもしれないの?」
「僕に聞かれても困る」
ベルンハルトの声はとても冷たいものだった。彼の声には、優しさなんてものは欠片も存在していない。
ただ、彼がいたおかげで私は助かった。
彼の咄嗟の動きがあったから、私はダンダに殺されずに済んだのだ。
だから私は、拳銃を握ったまま立っているベルンハルトに、礼を述べておくことにした。
「ベルンハルト……だったわね。その、助けてくれてありがとう」
彼の瞳がこちらへ向く。
「貴方がいなかったら、殺されていたわ。本当に、ありがとう」
「助けたつもりはない」
「え。そうだったの? じゃあ、すべては偶然?」
「ただ、オルマリンの女などに借りを作りたくなかっただけだ」
ベルンハルトの私への接し方は、これまで体験したことがないほどのそっけなさだ。けれど、それを不快だとは感じない。不思議なことだが、「そんなもの」といった感じなのである。
「なるほど。そういうことだったのね」
そう言った瞬間。
私の頭に、ヘレナが拳銃で撃たれた光景が蘇った。
「あ!」
咄嗟に立ち上がり、ヘレナがいた方向へと駆け出す。
「ヘレナ! 大丈夫っ!?」
床に倒れ込んだヘレナを目にした瞬間、私は衝撃を受けた。
力なく倒れている彼女が、ぴくりとも動いていなかったからである。
「ヘレナ……?」
赤い泉の中に横たわる彼女は、目を開いたまま、壊れた人形のように止まっている。その光景を目にしてなお、私は、彼女がどういった状態なのか掴みきれない。
「ヘレ……ナ、ねぇ、どうして返事してくれないの」
今朝、私を迎えに来てくれたじゃない。
この部屋へ入る時だって、ボタンを押して扉を開けてくれたじゃない。
なのにどうして、今は、返事の一つさえしてくれないの。
「どうして何も返してくれないのよ!」
絞り出すように叫んだ。
彼女の今が理解できなくて。理解したくなくて。
「呼んでいるのに!」
ヘレナのことは苦手だった。ずっと、そうだった。あの、淡々とした口調と氷のような眼差し——今でも好きにはなれそうにない。
けれど、思えば彼女がずっと傍にいた。
あの十八の春。従者のほとんどを失い、それからは、唯一生き残った彼女と話すことが増えて……。
苦手だと思っていた。
彼女とは気が合わないと、そう思っていた。
でも——そんな彼女が相手であっても、見送るのはやはり寂しい。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.6 )
- 日時: 2018/10/16 14:28
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: b92MFW9H)
5話 謝っても遅いのだけれど
ヘレナの腕が冷えていく。
時が経つにつれ、生の温もりは失われ、残るのは陶器人形のような感触だけ。
「……ヘレナ」
彼女は銃口を向けられた私を救おうと、ダンダに厳しい言葉をかけた。そして、撃たれた。私のせいで命を落としたも同然だ。
「……ごめんなさい」
また一つ、命が奪われた。
私が王女だったから。私が無力だったから。
王女というこの身分は、結局、悲劇しか引き寄せない。もう誰も犠牲にするまいと、これまで新しい従者をとらずにきたのに、やはりまた犠牲を出してしまった。
「本当に……ごめんなさい、ヘレナ」
その冷えきった体を抱き、私はそっと謝る。
謝ったからといって、彼女が生き返るわけではないのだけれど。
部屋に静寂が訪れてから、どのくらいの時間が経っただろうか。ヘレナの死をすぐに受け入れることができずにいた私には、あれからどのくらい時が経ったのか、よく分からない。
ただ、気がつけば人が来ていた。
ヘレナの亡骸を抱いて固まっていた私に、最初に話しかけてきたのは、星王の側近である男性だった。
「王女様、一体何があったのです?」
「……貴方は」
「シュヴァル・リンクですよ。王女様のお父上、星王様の側近です」
「……そう。そうだったわね。思い出したわ」
シュヴァル・リンク——その名前は聞き覚えがある。
あまり詳しくは知らないが、日頃の生活の中で聞いたのだろうと思う。
三割くらい白髪の混じった灰色の髪に、彫りの深いはっきりとした顔立ち。瞳は灰色を少し混ぜたような水色をしている。
シュヴァルは、そんな男性だ。
「これは一体、何がどうなったのです?」
「……ダンダという人が、私を」
なるべくちゃんと伝わるように説明しようと頑張ってみたけれど、完璧な説明をすることは難しかった。
「彼が……ベルンハルトがいなければ、今頃……私も」
そんな風に途切れ途切れながら話していた時だ。
シュヴァルは遠くを眺めるような目つきをしながら、近くにいても聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで、「役立たずめ」と呟いた。
「ヘレナは役立たずではないわ!」
誰に対しての言葉なのか分からないにもかかわらず、私はそんなことを言ってしまった。うっかり、言葉が口から滑り出てしまったのである。
いきなり鋭い声を浴びせられたシュヴァルは、顔面に戸惑いの色を浮かべた。
だが、少しすると柔らかな笑顔になる。
「まさか。彼女のことではありませんよ」
ならば、誰に対しての言葉だというのか。
「さっきの言葉はヘレナに対してのものではない、と言うのね?」
「えぇ、もちろんです。命を懸けて王女様を護ったのならば、従者の鏡と言えるでしょう。役立たずなどではありません」
「そう……そうよね」
ヘレナのことは好きではなかった。だがそれでも、彼女を否定されるのは良い気分がしない。まるで私が否定されているかのような心境に陥るからだ。
「シュヴァル……貴方が心ない人でなくて、良かったわ」
私がそう言うと、彼は笑顔のまま言葉を返してくる。
「心配なさらないで下さい。このシュヴァル・リンク、心ない行為は絶対に致しませんから」
他人ひとが悲しんでいる時に、屈託のない笑みを浮かべていられるのが、とても不思議だ。
ただ、今はそんな細かいことに注目しているような状況ではない。それゆえ私は、シュヴァルが笑顔でいることを指摘しはしなかった。
「王女様、色々あってお疲れでしょう。一度、星王様のところまでお連れします」
「父のところへ?」
「はい。従者が完全にいなくなった今、お一人でいらっしゃると危険ですから」
確かに、そうだ。
従者がいなくなったのをチャンスと思い、さらに私を狙ってくる者がいる可能性は、否定できない。
「星王様のいらっしゃるところまで、案内します」
「ありがとう」
礼を言いながら立ち上がる。
その瞬間、視界の端に、再び身を拘束されたベルンハルトの姿が入り込んだ。
「シュヴァル。彼をどうするつもり?」
まさかそんなことはないだろうが、もし彼が罪人扱いされるようなことがあっては大変だ。なので一応確認しておいた。
「ベルンハルトなどという、そこの男のことですか?」
「えぇ」
「彼からは聞き取りを行います」
聞き取り。何だか嫌な響きだ。
色々あった後で心が荒んでいるせいかもしれないが、聞き取りという名の酷いことが行われそうな気がして仕方がない。
「聞き取りとは、具体的にどのようなことを?」
「それは王女様には関係のないことです」
シュヴァルは笑顔のまま、きっぱりとそう返してきた。聞き取りの具体的な内容を私に教える気はないようだ。
「まさか、私には言えないようなことをするつもり? ベルンハルトに乱暴なことをするのは、絶対に許さないわよ」
ベルンハルトは私を嫌っているのだろうが、私は彼を嫌いではない。それに、好き嫌いを除けて考えても、彼は命の恩人だ。
「王女様はなぜ、そんなにも、そこのベルンハルトなどという男を気にかけていらっしゃるのです? もしや……異性として気に入られました?」
シュヴァルは、にやりと、嫌らしい笑みを浮かべる。
……これは完全に、悪意があるパターンだ。
王女といえども、ただの娘。そんな風に馬鹿にされているのかもしれない。
「そういうことなら、顔を傷物にするようなことは致しません。ご安心を」
どうやら、すっかり誤解されてしまっているようだ。
「……そんなのじゃないわ」
「隠さずとも構いませんよ、王女様。お気に召す者がいて安心しました」
「命の恩人だから、傷ついてほしくない。ただそれだけのことだわ」
「ふふふ。否定なさるところが初々しくて、可愛らしいです」
違うと言っているじゃない!
そう叫びたい衝動に駆られるも、ぐっとこらえた。
今は喧嘩している時ではない、と思ったからだ。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.7 )
- 日時: 2018/10/17 16:23
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SsOklNqw)
6話 愛情が過剰
その後、私は、シュヴァルに連れられ星王の間へと移動した。
父親が生活している部屋へ入るのは久々なので、少しばかり緊張するかもしれない——と思っていたのだが、そんな思いはすぐに吹き飛んだ。
「イーダぁ! 無事だったのかぁ!!」
いきなり抱き締めてくる。
星を治める星王とは到底考えられない、軽い行動だ。
しばらく会っていなかったため忘れていたが、彼がこういう人であることを思い出した。
「事件に巻き込まれたと聞いて、心配したんだぞぉ!?」
「お願い、父さん。人が見ているところで抱き締めるのは止めて」
「離すなんて無理だぁ!」
シュヴァルを筆頭に、周囲にいる者たち皆が、くすくすと笑っていた。父親が二十歳近い娘を何の躊躇いもなく抱き締めているのだから、笑われるのも無理はない。
「最低でも今日一日、ずっと抱き締めるからなぁ」
「止めて! 父さん、本当に止めて!」
私は父親の腕を振り払った。
他人がいるところで父親に抱き締められ続けるなんて、いろんな意味で恥ずかしすぎるからである。
「そういうことをするなら、自分の部屋に帰るわ」
「うそーん! それはショックだぁ!」
父親の頭を抱える大きなアクションに、周囲の側近たちは苦笑していた。当然だ、私にとってはただの父親でも、彼らにとっては星王なのだから。この星を治める者がこの様では、苦笑する外あるまい。
「じゃあもうしないっ。もう抱き締めたりはしないから、せめて今日一日はここにいてくれよぉ!」
「何もしないと誓うならいいわよ。あんなことがあった後で一人の夜というのも、あまり嬉しくはないし」
「おおっ! そうかっ! ならば誓おう! 何もしないと!」
今日の父親は恐ろしいくらいテンションが高い。
娘が命を狙われた後なのにこの明るさとは、もはや不思議な人である。
「では星王様。このシュヴァル、これにて失礼致します」
「そうだな。連れてきてくれて助かった」
私と話す時とは全然似ていない、別人のような声だ。シュヴァルに対し言葉を放った時だけは、父親がちゃんとした星王に見えた。
こうして、取り敢えず今日一日は、星王の間で生活することとなったのである。
「いやぁーそれにしても、こんな風にイーダと過ごせる日がまた来るとは思わなかったなぁ」
仕事机で書類を漁りながら、父親がそんなことを呟く。
あの春の襲撃以降、私は、自室からほとんど出ない生活を送っていた。それゆえ、父親ともしばらく会っていなかったのだ。
だから、こうやって二人で過ごすのは、とても久しぶり。
「そうね。確かに、久しぶりだわ」
「昔はよくここで遊んだんだけどなぁ!」
「それは小さい頃の話でしょ」
人が死んだというのに、こんなにのんびりしていて良いのだろうか。こんな呑気な会話をしていて、罪ではないのだろうか。私はふと、そんなことを思った。ひとまず安全なところに移動できたのは良かったが、やはり、まだあまり明るい気分にはなれない。
「ねぇ、父さん。一つ質問してもいい?」
「もちろんいいぞ! どんな質問でも、どーんと来い!」
「……どうして私は命を狙われるの?」
私が問いを述べた瞬間、室内が静寂に包まれた。
答えはすぐには返ってこない。
もしかしたら父親は、私に気を遣って、明るい雰囲気作りをするよう努めてくれていたのかもしれない。だとしたら、こんな暗い問いを投げかけるべきではなかった……もっとも、今さら後悔しても遅いことだが。
「星王家の一人娘だから、だろうなぁ」
質問してからだいぶ時間が経った頃、父親はそんな風に答えた。
まとめた書類を机でトントンと揃えながらも、過去に思いを馳せるような目つきをしている。何かを思い出しているのかもしれない。
「イーダは、星王になる可能性のある女であり、将来星王となる子を生む可能性のある女でもあるからなぁ。普通よりもかなり狙われやすいのかもしれない」
「こんなことばかり……疲れるわ」
「だよなぁ。イーダだって、狙われたくてここに生まれてきたわけじゃないもんな」
父親は立ち上がると、私が座っていた椅子の方へと近づいてくる。何だろう、と思っていたら、突然抱き締められた。
「すまんなぁ、イーダ! 辛い思いばかりさせてぇっ!!」
耳元で凄まじい大声を出され、鼓膜を痛めるかと思った。
何というか……正直少し鬱陶しい。
「ちょ、ちょっと。抱き締めるのは止めて。そんなことをするなら帰るわよ」
「すまん! 帰らないでくれぇっ!」
「だったらべたべたしないでちょうだい!」
「本当にすまんっ! けど、イーダが可愛すぎて自制できん!!」
わけが分からない。馬鹿なのだろうか。
「怖いことを言わないで。そろそろ本気で逃げるわよ」
「許してくれぇっ!」
「なら怖いことを言わないようにしてちょうだい」
「あぁ、もちろん! もちろんだとも!」
彼は多分、私の言おうとしていることを、ちゃんと理解してはいないだろう。その場では「もちろん」などと言っておきながら、またそのうち寄ってくるものと思われる。彼はいつもそうだから、さすがにもう読めてきた。
「けど、今だけはギュッとさせてくれ! 頼む!」
「離してちょうだい! 変よ、父さんは!」
穏やかな時間を過ごしていたはずなのに、いつの間にやら言い合いみたいになってきてしまう。
「親なんだ! 少しくらい可愛がってもいいだろぉ!?」
「可愛がると抱き締めるは同義ではないのよ……?」
「そんな小さいことはどうでもいいっ! 今はイーダを可愛がることが優先なんだ!」
「言っていることが全部おかしいわよ」
父親は元々、こういった強引さを持った人だ。それゆえ、かつては慣れていた。だが、最近はあまり関わっていなかったため、こういうことをされるのは久しぶりで、どうも慣れない。
「本当に、もう止めてちょうだい!」
あまりの鬱陶しさに、思わず父親を突き飛ばしてしまう。急に突き飛ばされた父親は、バランスを崩し、しりもちをついた。
——ちょうどその時。
星王の間の、外と繋がる扉が開き、シュヴァルが現れた。
「せ、星王様……?」
豪快に床に転がってしまっている父親を見て、シュヴァルは戸惑った顔をしている。
無理もない。良い年した大人が、床に転がっているのだから。
「シュヴァル、どうかしたの?」
父親はすぐには返事をできそうにないため、私がシュヴァルに言葉を返しておいた。
「あの、これは一体……?」
「無理に抱き締めてきた罰だから、気にしないで。それより、用は何?」
シュヴァルは「そ、そうですか」と少し引いたように言っていた。そして、十秒ほど経ってから、彼は述べる。
「ベルンハルトの聞き取りが終了致しました。こちらへお連れしても構わないでしょうか。……と、星王様にご確認を」
「連れてきてくれていいぞ」
今度は父親が答えた。
いつの間にか起き上がってきていたらしく、既に上半身は完全に起きている。
「承知しました、星王様。では、ベルンハルトをお連れします」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.8 )
- 日時: 2018/10/18 06:27
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 62e0Birk)
7話 彼と星王
シュヴァルは許可を得ると、一度星王の間を出ていく。そして、数分してから戻ってきた。
戻ってきたシュヴァルの背後には、ベルンハルトの姿がある。ベルンハルトは、やはり鋭い目つきをしていた。彼の心は、まだ解けていないようである。
「ベルンハルトを連れて参りました」
シュヴァルは父親に対しそう言った。
続けて、私の方へ顔を向けてくる。
「王女様、ご安心を。顔に傷はつけておりません」
う……まただ……。
こういうことを言われるのは想像の範囲内ではあるが、正直、あまり嬉しいことではない。
「おかしなことは言わないでちょうだいね、シュヴァル」
父親に誤解されたら、非常にややこしいことになりそうだ。だから、前もってシュヴァルにそう忠告しておいた。先に忠告しておかないと、どのようなことを言われるか分かったものでないから。
「えぇ、もちろん。このシュヴァル、余計な口は開きません」
シュヴァルは笑顔で応じてくれた。だが、笑顔のせいであまり信用できない。
……やはり、一応警戒しておかなくては。
「噂の彼を連れてきてくれたんだな、シュヴァル」
「はい。お連れしました」
シュヴァルは軽くお辞儀をし、背後に立っていたベルンハルトの体を前へと押し出す。
それに対しベルンハルトは、シュヴァルを冷たく睨んだ。恐らく、乱雑に扱われたのが不愉快だったのだろう。
「そうやって、すぐに他人を睨むのはよくありませんよ」
「余計なお世話だ」
ベルンハルトは相変わらずだ。しかし父親はというと、明るい笑みを浮かべて、ベルンハルトに話しかけようとしていた。
「初めまして。君が噂の男の子だね」
今のところ、ベルンハルトのことを悪くは思っていないらしい。
それが分かり、私は密かに安堵した。星王である父親がベルンハルトを嫌ってしまえば、彼の立場は危うくなる一方だから。
「シュヴァルから、イーダの従者になってくれる予定だと聞いているよ」
父親がそう言うと、ベルンハルトは怪訝な顔をする。
「それは間違いだ。オルマリンの女に仕える気はない」
「なっ! そうなのか?」
「僕は仕えるとは言っていない」
「そんなぁ!」
ベルンハルトにきっぱりと返され、父親は星王らしからぬ情けない声を出した。
私の父親には星王としての威厳が欠けている——素直にそう感じた。
彼が優しく悪人でないことは、もちろん知っている。それはもう、嫌というほど。一人の人間という意味では、彼は善い人だと思う。ただ、娘の私から見ても、彼が星王に相応しくないことは明らかだ。
善良な人間であることと、人々の上に立つに相応しい人間であることは、必ずしも一致するものではない。
「イーダの傍にいてくれるという話は、嘘だったのか!?」
「嘘ではない。僕はそもそも、『仕える』とは言っていない」
星王の前であっても淡々とした態度を崩さないベルンハルトの度胸は、なかなかのものだ。媚を売ろうとしていないところが、良い意味で印象的である。
「勝手に話を進めておきながら、僕が嘘をついたかのように言われるのは、非常に不愉快だ」
「確かに……それもそうだな。すまなかった!」
父親は頭を下げ、謝罪した。
その素直すぎる対応に、近くで見ていたシュヴァルは驚いた顔をする。まるで珍妙な生物を見たかのように、目をぱちぱちさせていた。
「そういうことなら、今ここで改めてお願いしよう! イーダの従者になってやってくれぇ!」
「断る。僕はオルマリンには仕えない」
即答だった。
星王相手に、こうもはっきりと断れるなんて、ベルンハルトはある意味逸材かもしれない。
「なら、夕食だけでも一緒に! それで心が変わらなければ、断ってくれて構わないっ!」
どうやら父親は、ベルンハルトを気に入っているようだ。父親は今、ベルンハルトの頑なな心を動かそうと必死である。
「……なぜ、そのようなことを言うのか」
しばらく黙り込んでいたベルンハルトが放ったのは、そんな言葉だった。
「僕はオルマリン人ではない。それゆえ迫害を受けてきた」
ゆっくりと口を動かす彼の、その細い目からは、どことなく哀愁が漂っている。何か、言葉として発することのできない複雑な思いが、胸のうちにあるのかもしれない。
「だから、突然態度を変えられても、そう容易く納得することはできない」
ベルンハルトの口から放たれる言葉。それは、彼が生きてきた人生を垣間見ることができるような、静かで寂しげなものであった。
「……ベルンハルト。貴方は、オルマリンを恨んでいるの?」
「そうだ。僕はオルマリン人と分かりあえるとは考えていない」
「でも、あの時は助けてくれたわよね」
ダンダに命を狙われた時、頼んだわけでもないのに、彼は私を救ってくれた。
あの優しさが幻だったとは、どうしても思えない。
「私がオルマリン人だということは知っていたはずよね。にもかかわらず助けてくれたのは……なぜ?」
少し怖いが、ベルンハルトの顔へ視線を向ける。すると、彼も私の顔を見ていたことが分かった。
偶然に過ぎないのだろう。
ただ、今はなぜか、得体の知れない運命のようなものを感じる。
「あの男を殺れる機会を逃すわけにはいかなかった。ただそれだけだ」
「ダンダという人に恨みがあっただけ、ということ?」
「そうだ」
「じゃあ……私を助けてくれたわけではなかったのね?」
「そういうことだ」
助けてくれたのだと思っていたが、それ自体が間違いだったというのか。
「そうだったのね」
なぜだろう、妙に悲しい。
彼なら私を護ってくれるかも——そんな風に期待している部分があったから、悲しいのかもしれない。
「イーダを護ることが目的でなかったということなのかっ!?」
個人的にしんみりしていたところ、それをぶち破るように、父親が声を発した。
「こんなに可愛いイーダより、他の男へ意識を向けていたというのか!? 君は正気かっ!?」
しんみりしていたのが吹き飛んだのはありがたいことだ。
……が、親馬鹿は大概にしてほしい。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.9 )
- 日時: 2018/10/19 00:31
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Rn9Xbmu5)
8話 そういうところ
その後、父親が必死にベルンハルトを説得し、今夜の夕食は三人で食べることになった。
私と父親、そしてベルンハルト——その三人で、である。
ただ、半ば強制的に私たちと食事を共にしなくてはなったベルンハルトは、納得がいかない、というような顔のままだった。
「ベルンハルト! 今日は美味しいものを食わせてやるからな!」
「触るな」
「何だそれ。美味しいもの、食べたくないのかぁ?」
「ここにいることを強制しておいて、そのようなことを言われても、不愉快なだけだ」
父親はベルンハルトを気に入っているようで、彼にどんどん絡んでいっている。しかしそれとは逆に、ベルンハルトは、父親のことを嫌っているようだ。二人は完全にすれ違ってしまっている。
「相変わらず冷たいな」
「当然だ。親しくするつもりはない」
仕事机のすぐ横にある椅子に座っているベルンハルトは、何を言われても、顔色を変えたりはしない。常に無表情で、視界に入った者を時折鋭く睨むだけである。
私は少し離れたソファに座り、父親とベルンハルトの様子を眺めていた。それ以外にするべきことがないからだ。
ベルンハルトは、今のところは、大人しくしている。
もちろん、心を開こうとはしない。が、私や父親へ何か仕掛けようとしている感じはなかった。
「そういや、ベルンハルトはどこの出身なんだ?」
「答える必要はない」
「何だそれ。そのくらい、教えてくれたっていいだろ?」
父親が、女を口説こうとしている男に見えて、心なしか笑えた。
「そんなことを聞いて、何になる」
「何になる、か……すまん! そこまで考えてはいなかった!」
「馬鹿か」
星王に対し平気で「馬鹿」なんて言える度胸だけは、尊敬に値すると思った。
……いや、正確には、尊敬できるところは度胸だけではないのだが。
「馬鹿とは何だぁ!? それは酷くないか!?」
「事実を述べたまでのことだ」
「うそーん! じゃ、俺は馬鹿星王ってことか!?」
「個人的見解ではあるがな」
父親とベルンハルトのやり取りを聞いていると、何やらおかしな気分になってきた。
身分としては、父親の方が圧倒的に上なはず。なのに、会話を聞いている感じでは、ベルンハルトの方が上であるかのように感じられるのだ。
だが、取り敢えず平和な時間が訪れたことは嬉しい。
もし願いが叶うなら——これからはこんな風に、穏やかに過ごしたい。
それからも穏やかな時間が過ぎた。
そして、やっと夕食の時間が訪れる。
「本日はこちらの部屋まで運び込ませます」
シュヴァルはそう知らせに来てくれた。
それにしても、側近がこういった類の仕事までこなしているということは、少々意外だ。彼のような側近が関わるのは、政治的な仕事なんかに関してだけなのだろうと、何となく想像していたのだが。
夕食の時間が来ると、料理が星王の間へ運ばれてきた。
下にコマがついていて手で押せるようになっているテーブル。その上に、料理の乗った皿が並べられている。
「よし、食べよう」
料理が運ばれてきたことに気づき一番に声をあげたのは、父親だった。その顔つきからは、わくわくしていることが強く伝わってくる。久々に親子で食事ができることが、嬉しいのかもしれない。
「イーダと一緒の夕食! 久々だな!」
「えぇ、そうね」
父親の高いテンションには少しついていけないが、一応無難な言葉を返しておいた。盛り上がっているところに水をさすのは、申し訳ない気がしたからである。
すると父親は、今度は、ベルンハルトの方へと視線を向けた。
「ベルンハルトも早く来いよ。食べるぞ!」
椅子に座っていたベルンハルトは、声をかけられてから、ゆっくりと腰を上げる。そして、私や父親がいる方へと歩みを進めてきた。
ただ、凛々しさのある彼の顔に、何か表情が浮かぶことはない。
黙々と歩いてきたベルンハルトは、私と父親の近くへ来ると、その足を止めた。
「あら、来てくれるの。案外優しいのね」
私がそう言うと、彼の表情が初めて動いた。
先ほどまでの無表情から一変、眉間にしわをよせ、不愉快極まりない、といった感じの顔つきになっている。
今の私の発言は、そんなに嫌な思いをさせるようなものだったのだろうか……。
「優しくなど、ない」
「そう? でも、本当は嫌でしょうに、こうして一緒にいてくれているわ。それだけでも、十分優しい人だと思うわよ」
するとベルンハルトは、その薄い唇を真一文字に結んだ。彼の瞳は相変わらず私を捉えているが、睨まれているというよりかは、凝視されているという雰囲気である。
それからしばらく、彼はその場に立ったまま、口を開こうとしなかった。
——まさか、怒らせてしまった?
そんなことが脳裏をよぎる。
せっかく我慢していてくれているのに、不快な思いをさせてしまったら、もはや申し訳ないとしか言い様がない。
私が一人ぐるぐると考えていた——その時。
「……貴女は苦手だ」
ベルンハルトがぽそりと呟いた。
「え?」
「貴女はよく分からない」
彼の瞳には、私の姿が、くっきりと映り込んでいる。それほどに澄んだ瞳をしているのに、表情は曇っているのが、とても不思議だ。
「貴女も、あの男も、よく分からない」
「あの男って……父のこと?」
ベルンハルトは一度だけ静かに頷く。
「オルマリン人でもない僕に、なぜこんなにも関わろうとするのか。理解不能だ」
「貴方が何人でも、そんなことは関係ないわ」
そう言ってから、私はふと、ヘレナの言葉を思い出した。
『我々は、あそこで暮らす彼らを、『人』とは呼ばないのです』
確か彼女はそんなことを言っていたような……。
「ベルンハルト。貴方が違和感を抱いているのは、人として扱われていることに対して、なの?」
偶然思い出したヘレナの言葉。そこから繋がったことを、ベルンハルトに尋ねてみた。
「もし違ったら……ごめんなさい。あくまで想像の域を出ないことではあるのだけれど」
私は改めて、彼の瞳へ視線を向ける。
「……違った?」
するとベルンハルトは、微かに目を細めながら、口をゆっくりと動かす。
「……そうかも、しれない」
「やっぱり!?」
「そういうところが苦手だ」
「え。どういうところよ」
「そういうところだ」
いや、そういうところとだけ言われても、どういうところかまったく分からないのだが。
そんな風に内心突っ込んでしまったことは、私だけの秘密にしておこう。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.10 )
- 日時: 2018/10/19 18:05
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: b92MFW9H)
9話 ダルマグロの刺身
久々に自室の外で食べる夕食。久々に誰かと一緒に食べる夕食。
私にとっては、とても新鮮なものだった。
従者の多くを失ったあの日から、私は、周りに人がいない方が良いと思って過ごしてきた。誰かを巻き込んでしまうくらいなら、一人でいる方が幸せだ。そんな風に考えて生活してきた。
けれど、人の温もりを感じながら過ごす時間というのも、たまには必要なのかもしれない——今はそんな風に思う部分もある。
「ベルンハルト、それ食べないのか?」
「……僕には必要ない」
「ダルマグロの刺身だぞ? 食べないと損だぁ!」
「魚は受けつけない」
父親は相変わらずだ。
食べ物への関心が薄そうなベルンハルトに対し、何の躊躇いもなく、どんどん話しかけていっている。
室内にいるのは、私と父親、そしてベルンハルトとシュヴァル。だが、実際食べ物を口にしているのは三人だけだ。シュヴァルは、ベルンハルトがおかしな動きをしないか見張っておく役のようである。
「貴方は魚が苦手なの?」
「あまり好みでない」
「もしかして、食べられない感じ?」
今日の夕食には、ダルマグロの刺身があった。宝石のように赤く輝くその身は、見る者にダルマグロの新鮮さを感じさせてくれる。
ダルマグロは、マグロにしてはあっさりしているため、個人的にはとても好みだ。
だがベルンハルトはというと、白い皿に乗った赤いダルマグロの切り身を見て、渋柿を食べたような顔をしていた。その手が、ダルマグロの刺身へ伸びることはない。
「生の魚など食べたことがない」
「え。そうなの? そんな人もいるのね」
そこへ父親が口を挟んでくる。
「ダルマグロは高級魚だからなぁ!」
大きな声を出している父親は、ダルマグロの刺身を既に完食し、その隣に盛られたオルマリンイカの刺身を食べているところだ。
彼の食べる早さは、私の想像を遥かに超えていた。
もっとも、私が食べるのが遅いだけなのかもしれないが。
「ベルンハルト、苦手なら無理しなくていいのよ」
「だが、残すのはもったいない」
彼は意外と真面目なのかもしれない。
「せっかく用意されたものだ。食べる」
「ふふっ。ベルンハルトって、真面目なのね」
すると彼はこちらを睨んできた。
「馬鹿にしているのか」
すぐにこんな険しい顔をするのは、育ってきた環境のせいだろうか。
本人に直接聞くわけにはいかないため、真実を確かめることはできない。けれど、もしそうなのだとしたら、それはとても悲しいことだ。
「馬鹿にしてなんていないわ。普通の会話よ」
静かにそう述べると、彼は私を睨むことを止めた。
彼は表情のない顔に戻ると、ダルマグロの刺身へ手を伸ばす。そして、その赤い身を、手に持ったフォークで貫く。
「美味しいわよ、ダルマグロ」
私は一応そんな声をかけておいた。
その直後、ベルンハルトはダルマグロの刺身を口に含んだ。
赤い宝石のような身を口へ入れると、ベルンハルトは暫し咀嚼する。その後、数十秒ほど経ってから、彼はようやく飲み込んだようだ。
「妙な触感だ」
「……美味しくなかった?」
「なぜかぐにぐにする」
「生のダルマグロはそんなものなのよ」
今のベルンハルトは、不快そうな顔をしてはいない。ただ、奇妙なものを食べてしまった、とでも言いたげな顔つきをしている。ほどよい歯ごたえも、慣れていないと奇妙なものに感じてしまうのかもしれない。
「こんなものは食べたことがない」
「ベルンハルトの故郷では、魚は食べないのね」
「収容所には魚などいない」
きっぱりと述べつつ、ベルンハルトはダルマグロの刺身へフォークを突き刺している。
二切れ目に進んでいるということは、到底食べられないような美味しくなさではなかったということだろう。それが分かり、私は密かに安堵した。
「……収容所?」
私は故郷の話をした。なのに彼は収容所と言った。これではまるで、彼が、収容所で生まれ育った人間であるかのような流れになってしまっている。妙だ。
「貴方の故郷は収容所なの?」
だが、その問いに彼が答えることはなかった。
きっと、オルマリン人である私なんかには、言いたくないことなのだろう。何となくそう察したため、私は、それ以上問うことはしなかった。他人が問われたくないと思っていることを問うほど、無情な人間ではない。
こうして、私とベルンハルトの会話は一旦幕を下ろした。
その時、それまでずっと黙っていたシュヴァルが、唐突に口を開く。
「星王様。少しばかり、席を外させていただいても構わないでしょうか」
「あぁ。好きにしてくれ」
「ありがとうございます。それでは暫し、失礼させていただきます」
シュヴァルは軽く頭を下げると、速やかに退室していった。
恐らく、何か急ぎの用でも思い出したのだろう。星王の側近ともなれば、やはり、それなりに忙しいみたいだ。
今度会ったら、その時からは、「いつもお疲れ様」くらいは声をかけるようにしようと思う。
こうして、星王の間にいるのが三人になった——そんな時だった。
「イーダ! 伏せろ!」
父親が突然そんな言葉を叫んだ。
だが、頭がすぐにはついていかない。何を言っているのか咄嗟に理解できるほど、私は聡明ではないのである。
その次の瞬間。
飲み水が入っていた私用のガラス製グラスが、悲鳴のような凄まじい音をたてて砕け散った。
「……何!?」
あまりに急なことで、何が起こったのかまったく掴めない。
けれど、危険が迫っていることだけは、本能で察知することができた。
ただ、今度は逆に気が動転し、目に見えない何かがいたずらをしたのか、なんて馬鹿なことをことを考えてしまうような状態になってしまう。
「次が来る!」
耳に飛び込んできたのは、父親の鋭い声。
視界の端には、立ち上がるベルンハルトの姿が映る。
「ま、窓の方……?」
「イーダ! 椅子に隠れるんだぁっ!」
日頃とはまったく違う父親の声色に、かなり危険な状況におかれているのだと理解した。
取り敢えず隠れる。今私にできることは、それしかない。
だから私は、すぐに椅子から立った。そして、椅子の下へと潜り込む。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.11 )
- 日時: 2018/10/20 19:25
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: A4fkHVpn)
10話 僕一人に戦わせるつもりか
食器が割れる甲高い音は、誰かがあげた悲鳴であるかのように、空気を揺らす。
私は恐怖の泉に突き落とされながらも、声を発することなく、椅子の陰に隠れていた。
ここは星王の間だ。扉の向こう側には警備の者がいるはずである。いくら扉の向こう側にいるとしても、これだけの音が響いていれば異変に気づくはず。
……なのに。
誰一人として助けに来てくれない。それは一体なぜなのか。
「ここには警備の者はいないのか」
「いや! 扉の向こうにいる!」
椅子の陰に隠れつつ耳をすますと、ベルンハルトと父親が話している声が聞こえた。やはりベルンハルトも、この状況で誰も来ないことに違和感を持っているようだ。
「なぜ駆けつけない……っ」
「ベルンハルト! 大丈夫かぁ!?」
父親が声を大きくする。
ベルンハルトに何かあったのだろうか。少し心配だ。
「問題ない、軽傷だ」
「ならいいが……って、うわっ!」
直後、足音が聞こえてきた。一人二人ではない足音だ。大体五人分くらいだろうか。
——やっと助けにきてくれた!
私は最初そう思った。
が、その嬉しさは、一瞬にして恐怖に変わる。
「窓から入ってくるとは何事だぁっ!?」
父親がそう叫ぶのを、耳にしてしまったからだ。
彼の言葉を聞けば、やって来たのが味方でないことは明らか。警備の者が窓から入ってくるはずがないのだから。
足音が近づいてくる。
様子を窺おうと、椅子の隙間からほんの少しだけ顔を出すと、こちらへ進んでくる男の姿が見えた。
部屋へ入ってきているのは一人ではないのだろうが、私の方へ近づいてきているのは一人だけだ。
どうする? どうればいい?
私は頭を巡らせる。
元々さほど聡明ではないが、取り敢えず考え続けた。
「おぉっ! 王女隠れてんじゃねーか!」
私の存在は既にばれてしまっているようだ。となると、ここから引きずり出されるのも、時間の問題だろう。このまま隠れている、なんて選択肢は、もはや選べない。
「イーダ! 気をつけろぉっ!」
馬鹿みたいに叫ぶ父親の声が聞こえた。
「引っ張り出してやんぜぇ!」
男が椅子に顔を近づけてきた——その瞬間を狙い、椅子を一気に押す。
「ぐべっ!」
椅子は男の顔面に直撃。
顔面を強打した男は、情けない声を出した後、その岩のような鼻を押さえていた。
「何すんでぇい!」
「……ごめんなさい」
一応謝罪して、椅子の陰から出る。男のいない方を通り、父親に合流した。
「イーダ! 無事か!」
「えぇ、何とか」
「あいつら、銃を持っているからな。イーダも気をつけないと駄目だぞ」
そう話す父親の手には、拳銃が握られていた。
父親が持っている拳銃は、使い込まれた感じがまったくない拳銃だ。星王が銃撃戦をする機会など滅多にない、ということが伝わってくる。
「ベルンハルトは?」
「彼は戦ってくれている」
「そうなの?」
ここまで移動する間、周囲を見る余裕などほとんどなかった。それゆえ、ベルンハルトを見つけることはできなかったのだが、どうやら戦ってくれているようだ。
テーブルの隙間から、音のする方へ視線を向ける。
すると、一人の男を投げ飛ばし銃を奪うベルンハルトの姿が見えた。
「父さんが頼んだの?」
「そうだ。イーダの身に何かあったら、堪らないからな」
そう言ってから、父親は私の体をぎゅっと抱く。
「何度も怖い目に遭わせて、ごめんな」
温もりが全身を包み込む。いつまでもこうしていたいと思うような、そんな温もりだ。
けれども、温かさを感じるほどに辛くなる自分がいた。この温もりを失う日を想像して、胸が痛くなるのである。
「気にしないで。父さんは悪くないわ」
「イーダ、優しいな! 誇らしい娘だ!」
「だ、抱き締めるのは止めてっ」
こんなことをしている場合ではない。それは分かっているにもかかわらず、私と父親は、なぜか揉み合いになる。
だが、ベルンハルトが一旦下がってきたことで、私たちの揉み合いは収まった。
「親子揃って何をしている」
男から奪い取った銃を胸元に構えているベルンハルトは、私たちを一瞥した後、呆れたように呟く。これはもう、完全に馬鹿だと思われてしまったかもしれない。
「僕一人に戦わせるつもりか」
ベルンハルトは不満げだ。
「念のため言っておくが、僕一人で勝てる保証はない」
「何ぃ!? そうなのかぁっ!?」
父親は驚いた顔をする。
どうやら、彼にはその発想はなかったようだ。
「警備の者を呼んできた方がいい」
ベルンハルトは胸元に抱えた銃の引き金を引く。すると、ダダダ、と凄まじい音が響いた。硝煙の香りが漂ってくる。
「僕一人でできることには、限りがある」
「なら、加勢するぞ!」
父親はそう返すと、拳銃を手に、腰を上げる。
「……できるのか?」
「当然だ! これでもオルマリンの星王だからな!」
「そうか」
ベルンハルトと父親はそれぞれ武器を構え、侵入者の男たちへと弾丸を放つ。発砲の音にまぎれて、男たちの声も聞こえてくる。
私の位置から状況をはっきり掴むことはできない。
だが、男の悲鳴が聞こえてくるところから察するに、一人か二人は倒せているものと思われる。
けれど、数では負けている。
ベルンハルトとあまり強くない父親の二人だけで、侵入者全員を倒しきれるかといったら、それは分からない。
私も力にならなければ。
そう思い立ち、扉へと駆けた。
扉の外へ行けば警備の者がいるはずだ。そこでこの状況を伝えれば、彼らはきっと助けに来てくれるーーそう思ったからである。
「イーダ!?」
「人を呼んでくるわ!」
父親にそう返し、扉のロックを解除する。解除作業は思ったよりスムーズにできた。
扉を開け、部屋の外へ出かけた——その時。
「イーダ! 危ないっ!」
「……え」
「避けるんだっ!!」
父親の緊迫した言葉が耳に入ったのとほぼ同時に、私の首もとを銃弾が通過していく。
ぎりぎり当たりはしなかったものの、髪が切れ、ひと房はらりと地面へ落ちた。その銃弾は、最後、扉に突き刺さった。
ダメージはない。けれど、初めて体験したかなり危機的な状況に、私は体を動かせなくなってしまった。今や、恐怖に全身を支配されてしまっている。
「イーダ! すぐに行くからなぁっ!!」
父親はこちらへ駆けてくる。
——その右肩を、銃弾が貫いた。
「父さんっ!」
「く……はっ……」
赤いものが視界を舞う。
まるで、花びらが儚く散ってゆくかのように。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.12 )
- 日時: 2018/10/21 12:36
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: JbPm4Szp)
11話 待ち望むは、救世主
目の前で父親が撃たれる光景を見る日が来るなんて、思いもしなかった。
いつも笑っていて、明るくて、騒がしくて。本当に鬱陶しい人。
けれど、正直に言うなら、その優しさは嫌いではなかった。
そんな彼を失うかもしれないと思った時、これまでの記憶が、脳裏に鮮明に蘇る。
それは、大切な人を失う記憶。
当たり前に存在していたものを奪われる、恐怖に塗り潰された悪夢。
「父さん!」
私は無意識に駆け寄っていた。
右肩を撃ち抜かれた衝撃で床に倒れ込んだ、父親のもとへ。
「大丈夫!?」
「……も、もちろ、ん」
父親はそんなことを言いながら、笑みを浮かべようとする。けれど、その顔は引きつって、まともに動いていない。
助けを求められないものかとベルンハルトの方へ視線を向けたが、彼はまだ交戦中。到底呼べるような状態ではない。なので、ベルンハルトに助けを求めるという選択肢は消滅した。
「し、死なないで。お願いよ」
「星王だから、なぁ……こんなくらいでくたばってちゃ、いけないだろぉ……」
撃たれたのが肩であったことが、唯一の救いだ。
もし少しでもずれて背中に命中していたら、即死した可能性だってある。いや、それならまだしも、出血多量によって、赤に染まりながら死んでいくことになっていた可能性だってゼロではない。
「だが、これは少し……まずいなぁ……」
「父さん?」
「ベルンハルトに任せっきりになってしまうしなぁ……」
「そんなことはいいわ。そんなことよりも、父さんの命の方が重要よ」
すると父親は、倒れ込んだ体勢のまま、首をゆっくりと左右に動かす。
「イーダ……それは違う……」
「え?」
「一対多になったらなぁ……今度は、ベルンハルトが、こんな風になるかもしれな……」
「言わないで!」
私は思わず遮った。
言われたら、聞いてしまったら、最悪を想像してしまう。また私のために命が失われるという最悪を、考えてしまう。
「お願い! それ以上、言わないで!」
らしくなく、鋭く叫んでしまった。
そんな私に対し父親は、そっと片手を伸ばし、私の頬を触る。
「……分かっている、から」
父親の瞳は私をじっと見つめていた。
温かみのある視線だ。これが、親が子を見る目、というものなのだろうか。
「イーダは……外へ逃げるんだぁ……ここにいたら巻き込まれる……」
「でも、父さんやベルンハルトを残して逃げるなんてできないわ」
「いいから……この部屋から出ていってくれ……」
「無理よ。そんなこと、できるわけがない」
怪我して倒れている父親。嫌なのに戦ってくれている人。彼らを放って逃げ出すなんて、私にはできない。できるわけがない。
そんなことをして私だけが生き延びたって、その先には何の喜びも存在しないではないか。
「イーダはなぁ、この星の……オルマリンの未来なんだ……だから、こんなところで死ぬなんてぇ……許されたことじゃない……」
自分は死んでもいい、とでも言いたげだ。
まるですべてを諦めたかのような言い方は、気に食わない。
「それを言うなら、父さんだってそうじゃない! 父さんが今いなくなったら、この星を誰がどうやって治めるのよ!」
「……イーダが、いるだろ」
「な……何なの。止めてよ、そんな言い方」
「可愛いイーダなら……星一つくらい、ちゃんと治めて……いける」
父親の言葉は、まるで自身の死を悟っているかのような、穏やかなものだった。
けれども、いきなりそんなことを言われても、「これからは私に任せて!」なんて返せるわけがない。私はまだ王女にすぎないのだから。私にこの星を治めてゆくほどの能力が備わっていないことは、誰だって知っているだろう。
けど……もしかしたら、本当に駄目なのかもしれない。
そんな風に諦めかけた、ちょうどその時だった。
「何の騒ぎですか」
先ほど私がロックを解除した扉から、シュヴァルが姿を現したのだ。
「シュヴァル、戻って参りました」
彼は、襲撃が始まる直前に部屋から出ていっていた。しかし、この素晴らしいタイミングで帰ってきてくれた。今だけは、彼が救世主に思える。いつもと変わらない格好にもかかわらず、輝いて見える。
「シュヴァル! 助けてちょうだい!」
私は彼にそう訴えた。
彼のことは、個人的には、あまり好ましく思っていなかった。どうも仲良くなれそうな気がしなかったのである。
だが、この状況下においては、個人的な好き嫌いなど無関係。
どんな相手にでも助けを求めたい——今の私の心は、そう叫んでいる。
「またしても襲撃ですか?」
「そうよ! それで、父さんが撃たれたの!」
シュヴァルは私へ視線を向けたままコクリと頷くと、声は発さずに、片手をすっと掲げた。すると、彼の背後から警備の者が二三名現れ、入室してくる。
「捕らえなさい」
警備の者に命じるシュヴァル。
その姿は、私が今まで目にしたどんな彼よりも、凛々しく勇ましく、かっこよかった。
星王の間へと入ってきた警備の者たちは、透明な素材で作られた薄い盾を持ち、侵入者の男たちがいる方向へ突き進んでいく。その足取りは、さすが警備の職に就いているだけある、と思えるほどに安定している。
「星王様。すぐに救護班を呼びますので、もう少し辛抱なさって下さい」
その後、シュヴァルは床にしゃがみ込み、倒れている父親へ声をかけた。だが、その時には既に、父親は意識を失っていたため、返事はなかった。
「王女様の方は、お怪我は?」
「私は無傷よ」
「それは何より。では、負傷者は星王様のみですね」
シュヴァルがそう確認した時、私はふと、少し前の会話を思い出した。
「待って。ベルンハルトもよ。多分、ベルンハルトも怪我しているわ」
するとシュヴァルは、まったく感情のこもっていない目で、呆れたように私を見る。
「彼のことは知りません」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.13 )
- 日時: 2018/10/22 15:42
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qToThS8B)
12話 唯一の救い
「彼のことは知らない、ですって?」
危機的状況に陥っていた私たちを助けにきてくれたシュヴァル。彼のことを私は一度「まるで救世主」と思ったけれど……前言撤回。シュヴァルはやはり、救世主などではない。救世主どころか、ただの心ない人だ。
「どうしてそんなことが言えるのよ」
「王女様は勘違いなさっています。星王様や王女様と、ベルンハルト。それらはまったく異なる存在です」
シュヴァルは無線で誰かと連絡をとりつつ、淡々とそんなことを言った。
「何よ、それ。どういう意味?」
「ベルンハルトは収容所より連れてこられた男にすぎません。星王家の方々と同じように扱われるわけがないでしょう」
そう話すシュヴァルの目は、とても冷たい。氷で作られた剣のような視線を放っている。
「でも同じ人間だわ」
「違います」
「そんなことない!」
「いいえ。オルマリン人でない彼は、貴女方どころか、我々とも違うのです」
シュヴァルは当たり前のように言う。けれども、私には理解できなかった。
確かに、ベルンハルトはオルマリン人ではないかもしれない。だが、同じような姿をしているではないか。体も顔も、見た感じ、オルマリン人と何も変わらない。そっくりだ。
にもかかわらず、なぜそれほどに「違う」と認識しているのか、私には理解不能である。
「……もっとも、王女様の従者ともなれば、多少は扱いが変わるやもしれませんがね」
静かにそう述べたシュヴァルの瞳は、不気味な輝きをまとっていた。
この、よく分からない感じ……どうも馴染めない。
こうして、私とシュヴァルの会話は終了した。
ちょうどその頃に、彼が呼んでいた救護班が到着。右肩を撃たれた父親は担架に乗せられ、手当てするべく、星王の間から運び出されていった。
私は胸のうちに黒いものを抱えたまま、星王の間から避難。今回も何とか、ほぼ怪我なしで乗り越えることができた。あれだけ危機的な状況におかれながら、大きな怪我をせずに済んだというのは、本当に幸運だったと思う。
ただ、星王の間に残してきてしまったベルンハルトの身が心配ではある。
あまり酷い怪我をしていないと良いのだが。
それから一時間ほどが経過し、ようやく、父親が運び込まれた部屋へ入ることを許された。手当てが完了し状態が落ち着いたから、とのことだ。なので私は、血の飛沫がついてしまっている白いワンピースを脱ぎ、清潔なものに着替えてから、部屋へと入った。
そこにあったのは、ベッドの上に横たわる父親の姿。
呼吸は浅く、意識はない。ただ、穏やかな顔つきであることだけが、私にとっては救いだった。
父親がこんな目に遭ったのは、私が迂闊な行動をしたせい。その思いがあるだけに、父親が苦しそうにしていなくて安心した。もしも苦しみ続けていたとしたら、私は父親に何と謝れば良いのか分からないところだった。
「やれやれ。一体どこの誰がこのようなことを」
私の隣に立っているシュヴァルが、そんなことをぽそりと呟く。
珍しく共感した。今は私も同じ気持ちだ。
こんなことをして、一体何になるというのか。人を傷つけ、幸せを奪って、何が楽しいというのか。襲撃なんてする心は、私には、まったく理解できない。
「シュヴァル、貴方はどこへ行っていたのよ」
「少しばかり用事がありまして」
「貴方がいなくなった途端、襲われたのよ。きっと、貴方がいなくなるのを待っていたのだわ」
「それは想像にすぎません」
確かに、これといった根拠があるわけではない。
しかし、だからといって「想像」と一蹴されるのは、少々不快だ。
「想像が間違いだとは決まっていないわよ」
「……それもそうですね」
シュヴァルはそれ以上言い返してはこなかった。多分、相手が王女の私だったからだろう。
「ではこれにて。失礼します」
「言ったそばからそれ? また何かあったらどうするのよ」
あんなことがあった後なのだから、もう少しくらい気を遣ってほしい。
……そう思うのは、贅沢だろうか。
「その点はご安心下さい、王女様」
私が文句を言い放つと、シュヴァルは宥めるような柔らかい声色で述べた。
「貴女は従者をとることを拒んでらっしゃったようですが、こうなってしまえば仕方がない。ということで、従者もどきを用意させていただきました」
シュヴァルは、片手を胸に当てながら、そっとお辞儀する。
「従者もどき?」
「はい。そちらは一応オルマリン人ですので、あの収容所上がりとは質が違います」
「さりげなくベルンハルトの悪口を言うのは止めて!」
どさくさにまぎれて嫌みを言われるというのは、自分のことでなくとも、良い気はしない。だから一応指摘しておいた。
それに対し、シュヴァルは口角を持ち上げる。
「……ふふ。王女様はやはり、彼をとても気に入っていらっしゃるのですね」
馬鹿にしたように、ニヤニヤと笑っている。
「だったら何か問題が?」
「いえ、何も。初々しく魅力的な王女様だと、そう思っただけです」
「失礼ね」
「おや。それは実におかしな話です。魅力的というのは失礼な言葉でしたか」
そんな微妙な言葉を最後に、シュヴァルは部屋から出ていく。
去りゆくその背中を眺めながら、私は心の中で「嫌なやつ!」と吐き捨ててやった。
本当に失礼な人だ、シュヴァルは。
失礼にもほどがある。
すやすやと穏やかな寝息をたてている父親と二人になると、急激に部屋が広くなったような気がした。
音がない。動きもない。
そんな中に一人佇んでいると、深海の檻に閉じ込められているかのような感覚に襲われる。
私は眠る父親の枕元へ移動すると、その場にしゃがみ込み、そっと呟く。
「ごめんね」
父親がこんな目に遭ったのは、私が勝手な行動をしたせい。何もできない無力な人間なのに、無理をして何かしようとしたから、こんなことになってしまった。だから、謝っておいたのだ。
けれども、返事は返ってこない。
そのことが、現状を私の胸へ突きつける。痛いほどに。
そんな時、唐突に扉が開いた。
「こーんばーんはっ」
聞き慣れない女性の声が耳に入り、私は立ち上がる。色々あった後だからか、またしても敵か、と警戒してしまう。
「……どなた?」
「初めましてー、貴女がイーダ王女ね」
まさに「大人の女性」という雰囲気の、綺麗な人だった。
後頭部の高い位置で結った、赤く長い髪。華やかな睫毛に彩られた、水晶のように透明な水色の瞳。
「……私をご存知なのですね」
「えぇ。そーよ」
つい見惚れてしまうような華やかさを持った人だ。
ただ、少し軽い感じもする。
「何かご用ですか」
すると彼女は、困ったような笑みを浮かべながら、片方の手をぱたぱたさせた。
「もー、王女様ったら。べつに、あたしなんかに敬語じゃなくていーわよ」
凄く不思議な人だが……もしかして、彼女がシュヴァルの言っていた従者もどきなのだろうか。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.14 )
- 日時: 2018/10/23 14:19
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3KWbYKzL)
13話 赤い髪のリンディア
「なら……普通に話させてもらうわね」
敬語でなくてもいい、とのことなので、取り敢えず普通に話すことにした。本人がそれでいいと言っているのだから、問題ないのだろう。
「それで、貴女は一体?」
すると、大人びた彼女は、にこっと華のある笑顔を作って口を開く。
「あたしの名前はリンディア・リンク。これからよろしくお願いするわねー」
赤色の長い髪が印象的な彼女——リンディアは、大人びた顔立ちだ。しかし、その顔に浮かぶ表情は、非常に明るさのあるものである。
「リンディアさんというのね」
「あー、ほらほら。さん付けなんてしなくていーわよ」
「なら……リンディア?」
「そうねー。それがいいわ。それでお願いするわ」
リンディアは付近に置かれている椅子を発見すると、何の躊躇いもなく腰掛けた。しかも、堂々と足を組んでいる。女性が人前でとる格好とは到底思えないような座り方だ。
「あ、そーだ。あたし、従者になったのよ。よろしくねー」
やはりか。
シュヴァルが言っていた「従者もどき」とは、やはり彼女のことだったようだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「さすがは王女様ねー。丁寧でびっくりするわ」
私は改めてリンディアへと視線を向ける。
彼女の服装は独特なものだった。
灰色の軍服のような上衣に、脚のラインの出る黒いズボン。そして、膝までのブーツを履いている。ちなみに、黒いズボンの裾はブーツの中へ入れてあるため、ブーツが非常に見えやすい状態だ。
「ところでイーダ王女。貴女の周りって、寂しいのねー」
「……どういう意味?」
「あ、誤解しないでちょうだいね。悪い意味じゃないのよ。ただね、この星の王女ともあろう人に、護衛の一人もついていないことに驚いただけなのよー」
リンディアの口調は爽やかだ。
ただ、ほんの少しだけ毒気を感じるような気もするけれど。
「ま、あたしとしては、その方がやりやすくて良いけどねー」
一つに束ねた長い髪を色っぽく掻き上げる仕草が印象的だ。
「これから貴女が私を護ってくれるの?」
「そーよ」
「あの……私の近くにいると危険だわ。何があるか分からないもの。だからどうか、あまり近づかないで」
するとリンディアは、急に眉間にしわを寄せた。
「ちょっとー。何よ、それ。もしかして、あたしのこと信じられないのー?」
彼女は椅子からすっと立ち上がると、流れるような足取りで私の方へと歩いてくる。そして、その華のある顔を、私の顔へとぐいっと近づけてきた。
「女だから弱いなんて思っていたら、大間違いよ」
リンディアの顔から笑みが消える——しかし次の瞬間には、彼女の顔はそれまでと変わらないものに戻っていた。
「ま、心配しなくて大丈夫よー。あたしはイーダ王女を怪我させたりしないから」
言いながら彼女は、太ももに取り付けてあるホルスターから銃を抜く。女性の手に似合う小さめの拳銃で、全体が赤く塗られているものだ。
「……銃をよく使うの?」
「そーよ。こう見えてもあたし、オルマリン杯で優勝したこととかあるのよねー」
何やら自慢が始まった。
オルマリン杯で優勝するということがどのくらい凄いことなのか、私にはよく分からない。ただ、オルマリンの名がついているということは、それなりに大きな大会なのだろう。ということはやはり、結構凄いことなのか……。
私は返答を返せぬまま、そんなことをぐるぐる考えてしまう。
「何なら腕前を見せてあげてもいーわよ。イーダ王女が『お願い、見せて』って頼んでくれるな——」
「随分上から目線だな」
リンディアの言葉を遮るように聞こえてきたのは、ベルンハルトの声。
「な、何よアンタ! いきなり現れて!」
「いや、少し前からここにいたが」
まったく気づかなかった……。
「気づかないわよ! そんなの!」
「僕にさえ気づけないような者は、従者には向いていない」
「なーによ! その言い方!」
ベルンハルトに挑発的な態度をとられたリンディアは、怒りを露わにしながら、彼へ近寄っていく。
「アンタ一体誰なのよ?」
「ベルンハルトだ」
「名前を聞いているわけじゃないのよ! 何者かーって、聞いてるの!」
「何者か? 僕はベルンハルト・デューラーだ」
また名前を言うのか……。
私は内心そう呟いてしまった。
二度目の問いの答えも、一度目の答えとさほど変わらないものだったから、リンディアはきっと怒るに違いない。
そんな風に思ったのだが——意外にも、彼女は笑い出した。
「あっはははは! あは! あははははっ!」
突然大笑いし始めた。まるで、何か悪いものを食べてしまったかのようだ。
「そっか! そーいうことね!」
リンディアは信じられないくらい派手に笑っている。何がそんなにおかしいのか不明だが、彼女的には笑えて仕方がないのだろう。
「アンタが噂の、蛮勇の息子ねー?」
あっけらかんと言い放つリンディアに、ベルンハルトは鋭い視線を向ける。
「……蛮勇、だと」
「だってそーじゃない。確かアンタのお父さん、反乱起こして処刑されたんじゃなかったっけー?」
不快の色を滲ませるベルンハルトを見て、リンディアはニヤニヤしている。ベルンハルトの反応を楽しんでいるようにも見える顔だ。
「反乱? 処刑? 一体、何のことなの?」
話がよく分からないので尋ねてみた。
するとリンディアは、赤い髪を手でふわりととかしながら、笑みを浮かべて答えてくれる。
「あれ、知らないのー? なら教えてあーげるーわよっ。ベルンハルト・デューラーのお父さんはねー、第一収容所で反乱を起こしたの。けど鎮圧されちゃって、結局処刑されたのよー」
話の内容自体は、決して明るいものではない。だが、リンディアの口調は、軽やかで明るいものだった。
「そんなことが……」
「反乱を起こすなんて、ばっかよねー」
リンディアは片手で頭を掻きながら、呆れたような声を出す。
「大人しくしとけば、それなりに生きていけたってのにー」
「それ以上話すな!」
突然、ベルンハルトが叫んだ。
彼は憎しみのこもった目で、リンディアを睨んでいた。
その形相は、まるで鬼のよう。
この世のすべてを憎んでいるかのような、そんな顔つきをしている。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.15 )
- 日時: 2018/10/24 17:36
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: CwTdFiZy)
14話 従者
リンディアが反乱について話したせいだろうか。ベルンハルトは、今までにないくらい、恐ろしい顔つきをしている。もはや人の域を超えている、と言っても過言ではないような、憎しみに満ちた表情だ。
だが、当のリンディアは、少しも怯んでいない。
「なーによ。いきなりキレちゃって」
怯むどころか、余計に刺激するような発言を続けるので、こちらがハラハラする。ベルンハルトがさらに怒ったらどうしよう、なんて考えると、不安になってしまうのだ。
「その気性の荒さ、父親譲りかしらねー」
「り、リンディア。それ以上刺激しない方がいいわ」
「大丈夫よ、イーダ王女。もしこいつが何かやらかしても、あたしがちゃーんと護るから」
いや、そういう問題ではないのだが……。
そんな風に思いながら返答に困っていると、ベルンハルトが鋭い表情のまま口を開いた。
「念のため言っておくが、僕はそこまで馬鹿者ではない」
彼は、はっきりと言いきった。
こうも言いきってしまえるというのは、少し憧れる。私にはあまりできないことだから。
「見境なく攻撃したりはしない」
ベルンハルトが淡々とした調子で述べると、リンディアは片側の口角をそっと持ち上げる。
「ふーん、なるほど。イーダ王女のこと、嫌ってはいないのねー」
「……何だと」
「オルマリン嫌いと噂のアンタのことだから、もっと憎しみを向けているものだと、そー思ってたわー」
リンディアが明るくもまったりした調子で言うと、ベルンハルトは微かに俯く。それから数秒して、再び面を持ち上げると、ほんの少しだけ穏やかになった凛々しい顔で返す。
「いや。最初は嫌っていた」
……はっきりと言われてしまった。少し辛い。
「あら、そーなの?」
「そうだ」
「じゃ、今は嫌いではなくなったーってことなのね?」
長い睫毛の生えた目をぱちぱちさせながら確認するリンディア。
その確認に対し、ベルンハルトは一度だけ小さく頷く。
「少しだが、心が変わった」
ベルンハルトの瞳は凛々しい。けれども、どこか悲しげな雰囲気をまとってもいる。一つの単語では到底説明できないような目つきを、今の彼はしていた。
「心が変わったーって、どーいうことよ」
「……お前に話す気はない」
「は!? ちょっと、何よその口の利き方!」
「お、落ち着いて、リンディア」
「あたしのことをお前呼ばわりして、ただで済むと思ったら大間違いよ!」
ベルンハルトに「お前」と呼ばれたことに、リンディアは激高する。
私は何とか彼女を静めようと声をかけてみたが、ほぼ無視、という状態だった。憤慨する彼女を落ち着かせるほどの力は、私にはなかったようだ。
躊躇いなく怒りを露わにするリンディアは、かなりの迫力。
しかし、ベルンハルトにしてみればたいしたことではないらしく、彼はリンディアを無視して、私へと歩み寄ってきた。
一メートル離れているか離れていないかくらいの距離で足を止めると、彼は、私の顔をじっと見つめてくる。何か言いたげな眼差しだ。
「何か、お話?」
黙って凝視され続けるのも怖いので、小さな声で尋ねてみた。
すると彼は、真一文字に結んでいた唇を動かす。
「……気が変わった」
控えめな声。ただ、彼の真っ直ぐな性格がよく伝わってくる声色だ。彼らしい声、というのが相応しいだろうか。
「イーダ・オルマリン。貴女に仕えても構わない」
「え?」
いきなりの言葉に、私は思わず情けない声を出してしまった。
「それは、その、私の従者になろうかなって思ってくれたということ?」
脳内は大嵐。正直なことを言うなら、今かなり動揺している。頭の中は混乱状態だ。
けれども、それが他人にばれたら恥ずかしい。
だから私は、懸命に、平静を保つよう努めた。
……いや、そう見えるように振る舞うよう努めた、が正しい。
「そうだ」
「えっと……本気なの?」
「嘘は言わない」
言葉を交わしている間、彼はずっと、私を真っ直ぐに見ていた。
その見つめ方を見れば、彼の言葉が本気であるということは、いとも簡単に分かる。嘘を言っている人間がこんなにも真っ直ぐな見つめ方をするとは考え難い。
「でもね、ベルンハルト。その……今さらこんなことを言うのも問題だけれど、私、従者に傍にいてもらうのは、怖いの」
ベルンハルトは首を傾げる。
「ヘレナが殺されたところは貴女も見たでしょう。ああいうことが、前にもあったのよ。それから……誰かに傍にいてもらう気にはなれなくて」
リンディアからの視線も感じる。だが彼女は何も言ってこない。ただ、私へ視線を向けているだけだ。
「私のせいで誰かが死ぬのは、もう嫌で……」
「僕は死なない」
唐突に放たれた言葉に、半ば無意識に目を見開いてしまう。
死なない——その言葉をこんなにもはっきりと告げられたことは、今まで一度もなかったからだ。
どこに死なない根拠があるというのか。
何を根拠として死なないと断言できるのか。
ただ一言、そんな短い言葉を言われただけで信じてしまうなんて、普通ならあり得ないこと。
けれども、彼の唇から出たその言葉には、聞いた者に言葉を信じさせてしまう不思議な力があった。魔法かと勘違いしてしまうような、明らかに普通でない力が。
「どうだろうか」
「……ベルンハルト」
「最終的に決めるのは貴女だ」
ベルンハルトの瞳には、私の姿が映り込んでいる。彼はそれほどに、こちらを凝視していたのだ。
信じてもいいのだろうか——彼を。
「……そうね」
もう二度と、新しい従者は迎えない。まったく関係のない人を巻き込んでしまうことになるから。
かつて私はそう決意した。
だが、その決意は揺らぎつつある。
……いや、本当は、とうに崩れていたのだろう。
ベルンハルトに助けてもらったあの時から。
「よろしくお願いします」
私はベルンハルトへ片手を差し出す。
「せっかく、ベルンハルトが仕えてもいいという気になってくれたのだもの。断る理由なんてないわ。だから、これからよろしく」
いきなり手を差し出されたことに、一瞬戸惑いの表情を浮かべるベルンハルトだったが、すぐに普段通りの淡白な顔つきに戻る。そして、私の出した手を握ってくれた。
「決まりだな」
「えぇ、頼りにしているわ」
「僕にできることはする」
「ありがとう。けれど……くれぐれも無理はしないでちょうだいね。命を落とすようなことがあったら、悲しいから」
もう二度と、あんなことは繰り返さない。
従者に命を落とさせたりはしたくない。
彼ならーーベルンハルトなら、その願いを叶えてくれるだろう。きっと。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.16 )
- 日時: 2018/10/25 22:33
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)
15話 芽生える予感
こうして、ベルンハルトを従者として迎えることに決めた。
新しい誰かと出会い、同じ時間を過ごすこと。そして、その誰かと、いつか別れなくてはならないこと。それらに対する恐怖心は、まだ完全に消えたわけではない。
だが、いつまでも怯えて閉じ籠もっているだけでは何も変わらない、と思う気持ちもある。
だから私は、彼を迎えようと決断したのだ。
「じゃ、彼も従者になるってわけねー」
それまでは私とベルンハルトの会話を黙って聞いていたリンディアが、私たちの話がまとまるや否や、口を開いた。
「面白くなってきたじゃなーい」
久々に話し出したリンディアは、口元に挑戦的な笑みを浮かべている。
「イーダ王女は、あたし一人じゃ納得できないって感じみたいねー?」
「いいえ。それは違うわ」
「えー。でも、どう考えてもそうじゃなーい」
べつに、リンディアがどうだからベルンハルトを従者にする、というわけではない。単に、今その話になったから、というだけのことだ。だが、そう思われてしまったものは仕方がない。
「あたしの目の前でそんな話をするってことはー、さりげなく見せつけているとしか思えないのよねー」
め、面倒臭い……。
内心そう思ってしまったが、それをはっきり告げるのも問題だ。それに、無益な争いは避けたいという思いもあるため、下手に出ておくことにした。
「そう思わせてしまったなら、ごめんなさい。謝るわ。けれど、本当にそんなつもりはなかったの」
それは、まぎれもない事実である。
「本当にー?」
「えぇ、本当よ」
リンディアの水晶のような瞳を見つめ、落ち着いた調子で返した。
すると彼女は口を閉ざす。
そして、それから少し、十秒には満たない沈黙の後、彼女は再び口を開く。
「……ま、そう言うならいーわ」
リンディアの表情が、ほんの少し柔らかくなった気がした。
「べつに、あたしだって、イーダ王女を悪く言いたいわけじゃなーいものー」
「分かってくれたのね。ありがとう、リンディア」
「変なこと言って、悪かったわねー」
そう言ってからリンディアは、ベルンハルトの方へと歩いていく。数歩進んだ後、彼の前で足を止めると、彼女はさっと手を伸ばした。
「ま、よろしくねー」
しかし、ベルンハルトはその手を取らなかった。
「悪いが、お前と握手する気はない」
ベルンハルトに冷たい態度をとられ、リンディアは顔に怒りの色を浮かべる。
「ちょっと、何よそれ」
リンディアは低い声を出す。
だが、ベルンハルトはそのくらいでは怯まない。特に何かを言うことはせず、冷ややかな目つきでリンディアをじっと見ているだけだ。
「せっかく握手してあげよーとしたのに、拒むなんて。一体、どういうつもりなの?」
「お前のような女と馴れ合おうとは思わない」
「すっごく感じ悪い男ね!」
ベルンハルトの言葉は、リンディアの怒りに油を注ぐばかり。これでは、ベルンハルトが何か言えば言うほどリンディアは怒る、という構図にしかならない。
「そもそも、僕は握手してほしいなどとは言っていないはずなのだが」
「そーね。だったら何? あたしのサービス精神にいちゃもんをつける気?」
従者になったと思ったら、いきなり喧嘩。
こんなことが続くようではやっていられないので、勇気を出して、はっきり言うことにした。
「喧嘩は止めて!」
こんな偉そうに言うというのも、問題だとは思う。だが、取り敢えず止めないことにはどうにもならないから、仕方がない。
「喧嘩する従者なんて、必要ないのよ!」
つい調子を強めてしまった。
ベルンハルトとリンディアが、同時に私の顔を見る。
——やってしまった。
こんな思いやりのないことを言ってしまうなんて。私は最低だ、と思わざるを得なかった。二人とも、危険な目に遭うことを承知した上で従者になってくれた、勇敢な人なのに。
「あ……その、ごめんなさい」
力になろうとしてくれている人に対して、私はなんということを言ってしまったのだろう。
「さすがに言いすぎたわ。ごめんなさい」
すると、リンディアが口を開く。
「やーね! そんな暗い顔をしないでちょーだい!」
あっけらかんとした声に、私は驚きを隠せなかった。
驚きのあまり、言葉も出ない。
「貴女は悪いことなんて、なーんにもしてないじゃなーい」
自分の赤い髪を指でくるくるといじりながら、リンディアはそんなことを言う。しかもさっぱりした声色で。
妙な人である。不思議で仕方がない。
「イーダ王女が謝ることなんてないのよー」
「そうだ」
突如、ベルンハルトが参加してきた。
「原因はこの女。貴女ではない」
だがやはり、彼はリンディアを刺激するようなことしか言わない。そこにぶれはなかった。正直一番困るところなので、できればぶれてほしいのだが。
「ちょっとー。今、何て言ったのー?」
「原因はイーダ王女ではない、と言っただけだ」
「本当にそれだけだったかしらねー?」
「僕は嘘はつかない」
今回は喧嘩に発展するところまではいかなかったようだ。
思えば、こんな風に誰かと過ごすのは久しぶり。はっきりと「嬉しい!」と言うことはできないけれど、やはり嬉しさはある。
そんなこんなで、私は、ベルンハルトとリンディアという従者を得た。
もし何かが起きた時のことを考えると、また過去と同じ悲劇が繰り返されないか、少し不安。ただ、それとは裏腹に安心感もある。よく分からない、微妙な心境だ。
けれども、この出会いはきっと、私の中の何かを変えてくれるだろう。
具体的な根拠はないけれど、そんな予感がするのだ。
その予感が——良い意味で当たりますように。
私はそう願う。今、心の底から。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.17 )
- 日時: 2018/10/26 12:47
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: EZ3wiCAd)
16話 その笑みは月夜に開く
「シュヴァル・リンク様ぁ!」
夜、月の光の差し込む廊下。窓際で暗い空を見上げていたシュヴァルは、名を呼ばれ、煩わしげに振り返る。
そこに立っていたのは、一人の男。
背は低く、痩せていて、顔には落ち窪んだ目と曲がった鼻。髪は紫気味の灰色で、前髪がくるりとカールしている。それに加え、着ているスーツはかなり大きめのサイズで、腕や腹回り、脚など、あらゆるところがぶかぶか。
そんな、奇妙な外見の男である。
「あぁ、貴方ですか。クネル・ジョシー」
「うふふ。そうよーん」
「何の用ですか、こんな真夜中に」
シュヴァルが冷たく返すと、痩身の男クネルは両腕を背中側に回しながらくねくねする。
「あーん。冷たーい」
現存する言葉では表現できないような、クネルの珍妙な言動に、シュヴァルは苛立ったようだ。少々調子を強める。
「そういうのは結構です!」
やや不機嫌なシュヴァルは、そう言い放った後、クネルを睨む。
「それで、用件は何です」
「実はねーん」
睨まれることに慣れているのか、クネルは、シュヴァルに睨まれても動じていない。それどころか、口元にうっすらと笑みを浮かべている。
「これよーん」
クネルがジャケットのポケットから取り出したのは、小指ほどの高さしかない小さな瓶。
透明の小瓶の中には、真っ白な粉末が入っている。いかにもさらさらしていそうな粉末だ。
「それは!」
クネルが小瓶を出した瞬間、シュヴァルは驚いたように、目を大きく見開いた。
しかし、彼が驚きの表情を浮かべたのは一瞬だけ。
彼はすぐに驚きの表情を消すと、今度はニヤリと悪そうな笑みを浮かべる。
「……なるほど。そういうことでしたか」
「うふふん。約束はちゃーんと果たしたわよーん」
「ならば最初にそう言って下さいよ」
「あーん。やっぱり冷たいわねーん」
そんなことを言いながら、脚を「ル」の字のようにして妙なポーズをとるクネル。
「では話をしましょう。こちらへ」
「やったぁーん! 二人きりー!」
シュヴァルは窓際から離れ、月光のみが降り注ぐ廊下を歩き出す。足音はたてず、ゆっくりとした足取りで。
一方クネルは、その痩せた体をくねくねさせながら、シュヴァルの背を追っていく。何やら楽しそうな、軽やかな足取りで。
シュヴァルは胸元から手のひらサイズのカード取り出すと、鉄製の扉の横にある四角いパネルへ、そのカードを当てた。すると、ピッと高めの音が鳴る。続けて、ガチャンとロックが解除される音がした。
鉄製の扉を開けると、シュヴァルはクネルに向けて述べる。
「ここで話をしましょう」
するとクネルは頬を紅潮させながら、「そうねーん」とだけ返す。何やら、嬉しそうな顔つきだ。
こうして、シュヴァルとクネルは、部屋へと入っていく。
二人が入った部屋は、書斎のような、落ち着いた雰囲気を持っていた。
室内には事務机や本棚はあるが、その他の娯楽的な要素を含むようなものは何もない。まさに、真面目な人の部屋、といった感じだ。
「ここで話すのーん?」
「そうです。ここなら誰も来ませんし、防音になっているので外にも漏れませんから」
「うふふ。それは良いわねん!」
クネルは両手をそれぞれ両頬へ当て、太ももはぴったりと閉じ、嬉しそうな顔でくねくねしている。
「大事な瓶、落とさないで下さいよ」
「分かってるわよーん。うふっ」
シュヴァルに注意されたからか、クネルは体を動かすことを止めた。
「二日後、王女の従者ヘレナの葬儀が執り行われます」
クネルがくねくねすることを止めたのを見て、シュヴァルは淡々と話し始める。その声は、とても冷たい。
「その葬儀の後、参列者による食事会があります。そこでそれを使い、王女を暗殺して下さい」
シュヴァルは事務机の上に置かれたアンティーク調のランプに明かりを点す。すると、クネルはそのランプへ駆け寄る。
「まぁー! このランプ、まるでお花みたい! 素敵ねぇー!」
急にまったく関係のないことを言い出したクネルに腹を立てたシュヴァルは、手で事務机を強く叩いた。
「きゃ!」
「……聞いていますか?」
「ご、ごめんなさーい……可愛かったから、つい」
「聞いていましたか?」
ギロリと睨まれたクネルは、身を縮めながら返す。
「も、もちろんよーん。葬儀の後の食事会で暗殺すれば良いのよねーん?」
「そうです」
「研究室から貰ってきたこの薬品、本当に使っていいのーん?」
「構いません」
今のシュヴァルの顔には、表情というものは欠片もない。
「どんな手を使っても構いません。ただ、絶対に成功させて下さい」
「もちろんよん!」
クネルは男だが、なぜかシュヴァルに擦り寄っていく。不自然なほどに距離が近い。
「成功した暁には——本当に、アタシを部下にしてくれるのよねーん?」
「えぇ。成功すれば、です」
「やったぁーん! アタシ、頑張っちゃうわー!」
「ただし、失敗した時には斬首の可能性もあります。それは覚悟しておいて下さいよ」
シュヴァルが放った夢のない発言に、クネルは思わず顔を強張らせた。失敗すれば容赦なく切り捨てられる、と悟ったからだろう。
だがクネルは、その程度で逃げ出すような根性無しの男ではなかった。
「もちろん! もちろんその覚悟よーん!」
彼の顔に迷いはない。
「シュヴァル様の部下になるためなら、アタシはどんな試練にも負けないわよぉー!」
拳を握り締めながら叫ぶクネル。
そんな彼の姿を見て、シュヴァルは、ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「やる気に満ちているようで、何よりです。くれぐれも……失敗のないように」
アンティーク調のランプが、黒い笑みを浮かべたシュヴァルの顔を、怪しげに照らしていた。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.18 )
- 日時: 2018/10/27 21:06
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: as61U3WB)
17話 ネージア人
翌朝、目が覚めると見慣れない部屋にいた。自分がいるのが自室でないことに驚いて飛び起き、辺りを見回す。すると、ベッドに横たわる父親の姿が目に入った。
そこでやっと思い出した。
私は昨夜、父親のいる部屋で眠りについたのだった、と。
「起きたのか」
状況をすぐには飲み込めずにいた私に、ベルンハルトが声をかけてきた。
「おはよう、ベルンハルト」
私がそう挨拶すると、ベルンハルトは真面目な顔で「おはよう」と返してくれた。きっちり挨拶してくれるところは好印象だ。
「ベルンハルトは早く起きたのね」
「いや、まだ寝ていない」
予想外の返答に、思わず「えっ!?」と言ってしまう。
寝ていない可能性など、まったく考えに入れていなかった。
「寝ていないの!?」
「そうだ」
「どうして」
「僕には、主人を護る義務がある」
ベルンハルトは実にあっさりと答えた。
昨日従者になったばかりだというのに、既に従者らしい発言をしているのが、不思議でならない。
「まさか……私を護るために?」
そう尋ねてみた。
すると彼は、真面目な顔のまま小さく頷く。
「夜間こそ見張っていなくてはならない」
彼は従者としての役目を全うしようと頑張ってくれているようだ。
嫌いなオルマリン人である私を、夜も寝ずに見張っていてくれるなんて、感動ものである。
「そうだったのね……ありがとう、ベルンハルト」
私が感謝の意を述べると、彼は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「たいしたことはしていない」
「いいえ、たいしたことよ。そこまでしてくれるなんて思わなかったわ」
気まずそうな顔をしたまま黙るベルンハルトに、私は、思いきって尋ねてみる。
「その……ベルンハルト。どうして従者になってくれたの?」
初めて出会った時、彼は「仕える気はない」と言っていた。その意思は頑なであるかのように見えた。けれども彼は、最終的に、私の従者となることを選んでくれた——それが不思議だったのだ。
「最初は、仕える気はない、と言っていたでしょう。でも、従者になってくれたわよね。それは……なぜ?」
するとベルンハルトは、その薄い唇を動かす。
「気が変わった。それだけだ」
短い答えだった。
それ以上話す気はないのかもしれないが、一応さらに突っ込んでみる。
「なぜ気が変わったの?」
その問いに対しては、ベルンハルトはすぐに答えなかった。何か考えているような表情で、しばらく黙り込む。
「話したくないなら、言わなくても大丈夫よ……?」
「貴女はオルマリン人。それゆえ、卑怯な悪人だと思っていた」
「へ?」
「だが、それは間違いだと分かった。僕が知っているオルマリン人は最低な人間ばかりだったが、貴女や貴女の父親はそうではないと判断した」
ベルンハルトは淡々と述べる。
「それに、貴女は父親を大切にしている。だから少し親近感を抱いた」
相変わらず感情のこもっていない声だ。
ただ、なぜか冷たくは感じない。
「ベルンハルトも、お父さんのことが大切だったの?」
「当然だ。父は尊敬に値する人だった」
自身の父親を、こうもはっきりと「尊敬に値する人」と言ってのけるということは、ある意味凄いことだと思う。そして、凄いことであると同時に、素晴らしいことだ。
「そう。ベルンハルトのお父さんなら、きっと、素晴らしい方だったのでしょうね」
「貴女が素晴らしいと思うかは分からない。オルマリン人からすれば、単に蛮勇でしかなかったのかもしれない」
「確かに……オルマリン人でないだけで悪く言う人はいるかもしれないわね。けれど、ベルンハルトのお父さんは、きっと素晴らしい人だと思うわ」
今は、こうして静かに語らえることが、何よりも嬉しい。
「私は、もっと貴方のことを知りたいわ。話してもらえない?」
「……僕のことについてを、か」
「えぇ。無理なら構わないけれど」
「いや、無理ではない。それに、従者になる以上話さないわけにはいかないだろうと、予想はしていた」
ベルンハルトは真剣な顔をしていた。頬を緩めることはない。
「……ありがとう。嬉しいわ」
それから私は、ベルンハルトから、彼に関する話を聞いた。
彼の父親は、星都より遥か北にある島の生まれ。
その島に暮らす者たちは、ネージア人と呼ばれていたらしい。
今から数十年も前、オルマリン星統一を掲げていた星王軍は、ネージア人もオルマリン人として生きるよう説得した。が、ネージア人はそれを拒否。かくして、星王軍とネージア人らは戦争へと至ったということだ。
その戦争は長引いた。
ネージア人側だけにではなく、星王軍側にも、多くの犠牲を出したらしい。
だが、最終的には星王軍の勝利に終わった。
その後、生き残ったネージア人らは、第一収容所へと入れられたそうだ。星王軍は、再び彼らと戦争になることを恐れたのだろう。
「そうして収容所に入れられたネージア人の中に、僕の父もいた。父は収容所内で一人のネージア人女性と親しくなり、やがて僕が生まれた」
ベルンハルトの説明は、意外と分かりやすい。あまり賢くはない私でも分かるくらい、簡単にして説明してくれたので、とても助かった。
「じゃあ、ベルンハルトにはオルマリンの血は流れていないのね」
「そうだ」
「なるほど、そうだったのね……」
「幻滅させてしまったなら、すまない」
突然謝ってこられた。
私は慌ててフォローする。
「違うの! 幻滅なんて、するわけない。少しだけでもベルンハルトのことを知ることができて、嬉しいわ!」
ただ、慌てているせいで、逆に怪しげな感じになってしまったかもしれない。
だが本当なのだ。
ベルンハルトがオルマリン人でないことに幻滅する、なんてことは、あり得ない。
「話してくれてありがとう」
「参考になったなら良かった」
「優しいのね!」
すると驚いたことに、それまでは真剣な顔だったベルンハルトが、困ったような顔つきになった。
なんというか……可愛い。
「い、いや。そんなことはない」
「恥ずかしがらなくていいのよ?」
「恥ずかしがってはいない!」
「本当にー?」
「な、何なんだ!」
これまでは凛々しさが勝っていて気がつかなかったが……こういうベルンハルトも悪くないかもしれないと思ったのだった。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.19 )
- 日時: 2018/10/28 17:13
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AdHCgzqg)
18話 慣れないことでも、少しずつ
ベルンハルトと話をしていると、唐突に扉が開いた。
何事かと一瞬身構えてしまったが、ただリンディアが入ってきただけだった。
「戻ったわよー」
リンディアは昨日と同じ服装だ。大人の女性、といった雰囲気も健在である。
「おはよう、リンディア。どこかへ行っていたの?」
「そーなの。ちょっと用事があったのよー」
私の問いに、リンディアは笑顔で答えてくれた。
大人びた顔に笑みが浮かぶその様は、美しく、女性らしい魅力に満ちている。余裕がある、ということが伝わってくるところも、印象的だ。
「用事って?」
「ヘレナって人の葬儀に関する連絡があったの」
「ヘレナの!?」
意外だった。
リンディアの口からヘレナの名が出てくるなんて。
「そーよ。明日執り行われるらしいわ。イーダ王女も当然参加なさるわよねー?」
「えぇ。もちろんよ」
「じゃ、あたしも喪服を用意しなくちゃならないわねー」
人が亡くなったことに関する話をしているにしては、随分軽い口調だ。
リンディアはヘレナのことを知らない。それゆえ、彼女にとっては、ヘレナの葬儀など他人の葬儀にすぎないという認識なのだろう。それは分からないでもない。
ただ、せめて私の前でくらいは軽く話さないでほしい——少しそんな風に思ったりした。
「イーダ王女、僕は参加した方が良いだろうか」
私とリンディアの会話を黙って聞いていたベルンハルトが、唐突にそんなことを尋ねてくる。
「なーに言ってんのよ、アンタ。オルマリン人しか参加できないに決まってるじゃなーい」
「やはり、そうか」
「アンタは外で控えてなさい」
「……仕方ないな」
リンディアの返答を聞き、ベルンハルトは残念そうに俯いた。
もしかして、彼はヘレナの葬儀に参加したかったのだろうか?
そんな風に思い、声をかけてみる。
「ベルンハルト、もしかして、葬儀に参加してくれるつもりだったの?」
すると彼は、首を左右に動かす。
「気にするな。参加できないということは分かっていた」
やはり参加する気でいてくれていたようだ。彼の口からはっきりと聞いたわけではないけれど、雰囲気で分かる。
「あのね、ベルンハルト。もし貴方が参加しようと思ってくれるのなら、私が口を利くわ」
一応提案してみる。しかし彼は、頷こうとはしなかった。
「いや、いい」
「そうなの? 本当に?」
「その女のことをよく知っているわけでもないからな。無理に参加しようとは思わない」
どうやら、葬儀へ参加することは完全に諦めているようだ。
彼が諦めているというのなら、私に何かができるわけもない。だから、この話はここまでにしておくことに決めた。
「あ、そーだ。葬儀後の食事会になら、出てもいいんじゃなーい?」
リンディアが急にそんなことを言う。
「そうなのか?」
「式典ではないもの、問題ないと思うわよー」
「では、その時はイーダ王女についておくことにする」
落ち着きのある声で述べるベルンハルト。
その瞳に迷いはない。
「それでも構わないだろうか」
急にそう聞かれたので、私は「もちろん構わないわ」とだけ返しておいた。それ以上長い、気の利いた言葉を返すには、準備が足りなかったのである。
こうして、話はまとまった。
その直後、リンディアが話題を変える。
「それと、これからは王女様って呼ぶわねー」
「えぇ」
「じゃ、王女様。よかったら浴場とか行かなーい?」
いきなり何を言い出すのだろう——私の心の中に、そのような思いが満ちる。つい先ほどまでヘレナの葬儀の話をしていたというのに、いきなり浴場へ行くお誘いに変わるなど、急すぎてついていけない。
「昨夜は体洗ってないわよね? あたしも今から行こうと思うんだけどー……一緒にどう?」
確かに、昨夜は風呂には入れなかった。
あんなことがあった後で自室に戻る気にはなれなかったから。
「そうね。リンディアの部屋の浴場?」
すると彼女は、ぷっ、と吹き出す。笑われてしまった。
「違うわよ。共用浴場に決まってるじゃなーい」
「あぁ、そっちのことだったのね」
「王女様ったら、おかしーわねー。面白すぎて飽きないわ」
そんなにおかしなことを言ったつもりではない。だから、私のどこがおかしいのか、面白いのか、理解不能である。ただ、私はリンディアからすれば笑えるようなことを言ってしまった、ということだけは確かだ。
「で、どーするー? 一緒に行く?」
私は少し迷った。
というのも、共用浴場という場所を利用した経験がないからである。
これまで私は、いつも、自室内に設置された風呂場で入浴していた。幼い頃には、父親に連れられて星王の間近くの風呂場へいったことはあるのだが、その二箇所以外の場所で入浴したことはない。
なので、共用浴場へ行ったところでちゃんと入浴できるのか、心配なのだ。
「……王女様? どーかした?」
「い、いえ」
「何か問題でも?」
「いいえ、違うの。ただ……共用浴場なんて行ったことがないから、少し不安で」
するとリンディアは、数回、目をぱちぱちさせた。
そして、それから数秒ほど経って、くすっと控えめに笑う。
「そーいうこと。やっぱり王女様ねー」
またしても笑われてしまった。
何とも言えない、複雑な心境だ。
……いや、もちろん、笑ったリンディアを責めるつもりはないのだが。
「えぇ。ごめんなさい、あまり慣れていなくて」
普通の生活について、もう少し勉強しておいた方が良かったかもしれない。私はふと、そんなことを思った。何も知らない私では、外の世界の人と自然に繋がることさえ難しいのだと、気づいたから。
「ま、べつに謝るほどのことじゃないけどねー」
さらりと言いながら、リンディアは私に手を差し出してくれる。
「せっかくだし、あたしが色々教えてあげてもいーわよ!」
私が無知であることに対し、彼女は怒っていないらしい。
そう気がついた時、目の前の暗雲が一気に晴れるような感覚を覚えた。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.20 )
- 日時: 2018/10/29 20:00
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: DMJX5uWW)
19話 共用浴場
「凄い! 広い!」
リンディアと一緒に共用浴場へ入った瞬間、私は思わず叫んでしまった。驚きの広さだったからである。
「そりゃそーよ。大勢が一斉に使うもの」
彼女の言葉に、なるほど、と納得する。
私の部屋の浴室なら私しか使わないが、この共用浴場は誰か一人だけが使うという場所ではない。そう考えれば、驚くべき広さであることも納得できる。
「温かいお風呂もあるわ。なかなかナイスなところでしょー?」
「えぇ。面白いところね」
素敵なところだとは思う。
しかし、周囲に人がいる場所で肌をさらすということが、どうも慣れない。
「他人もいるのに肌を見せていいところが不思議だわ」
「ま、お風呂だもの。むしろ当然じゃない?」
「そういうものなのね……」
当然と言われてしまえばそれまでだ。
私にとっては特別でも、皆にとっては当然。そういうことも、世には多くあるのかもしれない。
リンディアと話しながらシャワーの方へと歩いていっていると、ふと、耳に言葉が飛び込んできた。
「ねぇあれ、王女様じゃない?」
若い女性と思われる声だ。
「えー。王女様はこんなところに来ないってー」
「でも、そっくりだよ?」
「ないない。きっと、新しい侍女か何かだってば」
「そうかな……ま、そうだよね。引きこもりの王女様が共用浴場になんて来れるはずないもんね」
私のことを話しているのは、どうやら二人組のようだ。明るい声に軽やかな口調でありながら、その端々からは悪意の欠片が感じ取れる。もしかしたら、私のことをあまりよく思っていないのかもしれない。
そんなことを考えて一人もやもやしていた、その時。
「アンタたち!」
リンディアが、先ほど私のことを話していた女性たちの方に向けて言い放った。
「せーかいよ。この娘こは王女様」
続けてリンディアは、女性二人組にずんずん近寄っていく。
「言葉には気をつけた方がいーわよ?」
「な、何ですか! いきなり!」
「王女様に嫌みを言う馬鹿者には天罰が下るわ。ま、アンタらなんて、べつにどーでもいーけど」
リンディアはそこまで言い、再び私の方へ戻ってくる。
「行きましょ、イーダ王女。あんな馬鹿者は無視でいーから」
無視でいい、と言われても、そう簡単に無視なんてできない。聞いてしまった以上、どうしても真剣に受け止めてしまう。
「ね?」
「……えぇ」
部屋の外はやはり冷たい。
私にはまだ、厳しい世界だ。
その日、父親はまだ目を覚まさなかった。穏やかな顔をしてはいたけれど、ずっと眠っているだけで。何度か声をかけてはみたのだが、返答は一切無し。私が下手に動いたせいでこんなことになってしまったのだと思うと、胸は痛むばかりだった。
翌日、私は朝から黒いワンピースに着替えた。
ヘレナの葬儀に備えて、である。
「着替えたのか」
黒いワンピースへの着替えを終えた私へ一番に話しかけてきたのは、ベルンハルト。彼はなぜか、私を凝視している。
「……どこか変?」
「い、いや」
ベルンハルトは少し慌てた様子で、首を左右に動かした。
どうしたのだろう。様子がおかしい。
「どうしたの? ベルンハルト。様子が変よ」
「いや、べつに変ではない」
「大丈夫?」
「あ、あぁ」
ベルンハルトは私から視線を逸らしながら、ぎこちない返答をする。きっぱりと物を言う彼らしくない言葉の発し方だ。
そこへ、リンディアが口を挟んでくる。
「あら、素敵。なかなか似合ってるじゃなーい」
「本当に?」
「つかないわよ、嘘なんて」
「ありがとう……!」
よく見ると、リンディアも黒いワンピースに着替えていた。彼女も参加するから着替えたのだろう。きっちりした印象のワンピースゆえ、彼女が着ていると少し不思議な感じもするが、それなりに似合ってはいる。
「お前も着替えたのか」
「そーよ。参加するんだもの、仕方ないじゃなーい」
「いや、べつに。悪いとは言っていない。ただ」
「……ん? 何よ」
意外と話すベルンハルトに、リンディアは怪訝な顔をする。
「あまり似合ってはいないと思ってな」
「は!? 何ですって!?」
……まずい、リンディアが怒り出しそうだ。
「何なのよ! いきなり!」
「いや、ただ真実を述べたまでなのだが」
「本っ当に嫌なやつね! アンタ!」
あぁ……またしても……。
「不愉快極まりないわ!」
「落ち着いて、リンディア。ベルンハルトもきっと、悪気はないと思うの」
何とか静止しようとそう述べると、憤慨していたリンディアはこちらを向いた。
「……そーね。相手にするだけ無駄よねー」
最後の一文のせいで頷けないが、取り敢えず落ち着いてくれたのでホッとした。これなら、本格的な喧嘩に発展することもないだろう。
しかし、そんな風に安堵したのも、束の間。
ベルンハルトはさらに言葉を発する。
「ちゃんと護ってくれよ」
「あたしに言ってるのかしら」
「そうだ。何があるか分からない、常に警戒を怠るな」
するとリンディアは、腰につけていたホルスターから赤い拳銃を抜く。そして、その銃口をベルンハルトの顔へ向けた。
「心配しなくていーわよ。あたしはアンタみたく戦い慣れしてない人間じゃないから」
一瞬どうなることかと焦ったが、リンディアは言うだけ言って、拳銃を腰のホルスターへとしまった。撃つつもりはなかったようだ。
「こー見えてもあたし、オルマリンじゃトップクラスだもの」
「そうか。ならいいが」
自慢げなリンディアに対し、ベルンハルトはあっさりと返す。彼には、リンディアへの関心というものは存在しないようである。
「頼りにしているわね、リンディア」
「どんどん頼りにしちゃっていーわよ!」
「ありがとう。嬉しいわ」
相変わらず自慢げな顔つきのリンディアを見て、ベルンハルトは顔をしかめていた。見たくないものを見てしまった、というような顔をしていたのである。
だが私としては、優秀な者が傍で守ってくれるというのは、嬉しいことだ。
自称とはいえ、オルマリントップクラスを名乗るほどの者ならば、ちょっとやそっとでくたばったりはしないはず。そういう意味で、嬉しいのである。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.21 )
- 日時: 2018/10/30 22:55
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)
20話 葬儀、そして食事会
「リンディアって、銃の扱いが得意なのよね? 誰かに習ったの?」
ヘレナの葬儀へ向かう途中、リンディアと二人だったので、ずっと黙っているのもどうかと思い、話を振ってみた。
「そーよ」
「師匠的な人がいるの?」
「えぇ」
行き先は第二ホール。
いつも私が暮らしているこの建物とは、二階から渡り廊下で繋がっている。
「その……どんな人?」
あまり色々聞くと、詮索していると勘違いされるかもしれない。だから、気になることすべてを尋ねることはできない。が、少しくらいなら尋ねても問題ないだろう。
それに、これから共に過ごすであろう人のことだ。少しは知っておかなくては。
「馬鹿なジジイよ」
リンディアははっきりとそう答えた。
予想外の答えに、私は、まともな言葉を返すことができなかった。
「え……」
「以上でも以下でもないわー。あたしの師匠は、馬鹿なジジイだったの」
「は、はぁ……」
何と返せと。
「狙撃手のねー」
「狙撃手?」
「そ。馬鹿だけど、腕だけはいいのよー。ま、馬鹿だけどね」
自分の師匠をそんなに馬鹿馬鹿と言うこともないと思うのだが。
そんなことを思いながら、私は歩いた。
第二ホールへは、あっという間に着いた。
渡り廊下を渡り終えたところが、第二ホールが入っている建物の、一階ロビーになっている。そこにある扉から、第二ホール内へ入るのだ。
第二ホールは、私が思っていたより、ずっと立派だった。
天井は高く、二階席や三階席まであり、コンサートでもできそうな感じのホールだ。
こんな立派なところでヘレナを見送ることができるというのは、とても嬉しいことである。
「結構綺麗なところねー」
「素敵なところ。リンディアは……初めて?」
「そーよ。あたし、そもそもこの辺で暮らしてなかったから」
「良かった。実は、私も初めてなの」
自分だけが初めてではなかったことに、私は安堵した。リンディアも初めて来たというのなら、安心だ。
その後、第二ホール内にて、ヘレナの葬儀が執り行われたのだった。
一時間後。
しめやかに執り行われた葬儀は終了し、ホールの外で食事会の開始を待つ。
「何もなかったか」
「えぇ! 大丈夫だったわ、ベルンハルト」
「それなら良かった」
私たちは、葬儀には参加しなかったベルンハルトと合流した。
彼は黒いスーツ姿。漆黒のジャケットとネクタイのせいか、いつもより引き締まって見える。
もちろん、日頃は情けなく見える、というわけではない。ただ、黒いスーツ姿だと、より一層凛々しく感じられるのである。
「服、似合っているわ」
黒スーツを着てかっこよくなったベルンハルトに、私はそう声をかけた。
すると彼は、眉を寄せる。
「そうか? ……少し違和感がある」
「いつもとは違うものね」
「動きにくい」
ベルンハルトはスーツを気に入ってはいないようだ。
「スーツだもの、動きづらいでしょうね。仕方ないわ」
「不便だ」
「けれど、凄くかっこいいわよ」
「実用性に欠ける」
私が肯定的な言葉をかけても、彼は不満を漏らすばかり。どうやら彼は、スーツの動きづらさに、かなりの不満を抱いているようだ。
「まったく、文句が多いわねー」
「お前は黙っていろ」
「はいはい。黙ってるわよ」
そんな話をしながら、壁にかけられた時計へ目をやる。時計の針は、食事会の開始時間の、十分前を示していた。扉の隙間からホールの中を覗くと、だいぶ準備が進んでいることが分かる。
「食事会、楽しみねー」
「…………」
「ちょっと、イーダ王女。いきなり黙ってどうしたのー?」
「あ。ごめんなさい。ついぼんやり……」
扉の隙間からホール内の様子を窺うことに、夢中になりすぎていた。
「しっかりしてちょーだいよ?」
リンディアは呆れたような顔で言ってくる。
「そんな様子じゃ、また暗殺を企まれるわよー」
「縁起でもないことを言うな」
「アンタは関係なーい」
彼女の言うことは正しい、と私は思った。
こんな風にぼんやりしていてはいけない。
恐らく何も起こりはしないだろうが——いつ何が起きるか分からないのだから。
数分後、一階ロビーから第二ホールへ続く扉が、再度開かれた。いよいよ食事会が始まるのだ。私は周囲に警戒しつつも、食事会を楽しむことに決めた。
「オ・ウ・ジョ・サ・マ!」
唐突に声をかけられ、振り向く。するとそこには、低身長で痩身の男性がいた。見覚えのない顔だ。
「えっと……失礼ですが、どちら様でしたっけ」
「お話するのは初めてよねーん! アタシ、クネル・ジョシーっていうの。よろしくーん!」
妙なテンションの男性だ。
くねくねした動きをしていて、名前がクネル。奇妙だが、覚えやすいところは良い。
「オウジョサマ、元気そうで安心したわぁーん」
「あ、ありがとうございます」
クネル自身に非があるわけではないが、どうも親しみを持てない。その奇妙な言動を、不気味だと感じてしまうのだ。
隣にいるベルンハルトを一瞥すると、彼も、訝しむような顔つきをしていた。
「オウジョサマは少食なのーん? それとも、遠慮して? 良ければ、アタシが取ってくるわよん」
クネルはなぜか積極的に関わってくる。
「い、いえ……結構です。お気遣いありがとうございます」
「あらぁん、そう?」
「はい。私はその、あまりたくさんは食べないので」
初対面の相手に取りに行かせるなんて、申し訳なくてできない。だから私は、理由をつけて、丁重に断った。
「なら仕方ないわよねぇーん。ドリンクを取ってきて差し上げるわぁー」
クネルはそんなことを言いながら、私たちのもとを離れていく。
ドリンク置場へと歩いていっている。
食べ物を取ってきてもらうことは何とか断れたが、飲み物を取ってきてもらうことは断りきれなかったのだった。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.22 )
- 日時: 2018/10/31 15:22
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SEvijNFF)
21話 いつも本気で
「いやー。このプリン、なかなか美味しーわねー」
第二ホールにて開催されている食事会を一人満喫しているのは、赤い髪のリンディア。
彼女は結構大食いなようで、おかず系お菓子系問わず、色々食べている。
周囲の人たちのことなどまったく気にせず、好きなものを食べたいだけ食べていくスタイルが、非常に彼女らしい。
私には絶対にできないことだけに、凄いと思わざるを得ない。
「イーダ王女、これも結構美味しーわよー」
周囲を眺めつつぼんやりしていた私に、ご機嫌なリンディアが話しかけてきた。手には小さなグラスが持たれている。
「これは?」
「ゼリーよ。色が綺麗でしょ」
確かに、リンディアが持っているグラスにはゼリーらしきものが盛りつけられていた。私たちが暮らすこのオルマリン星のような、澄んだ青のゼリーだ。
「青いわね」
「おかしな返答ねー」
「そう?」
その青は、晴れた空のようにも穏やかな海のようにも見える。
「そーよ。だってべつに、何色かなんて聞いていないでしょ」
「ごめんなさい……」
「あ。そーいうことじゃないのよー。ただ、ユニークだと思っただけなの」
そんな風に、リンディアとたわいない会話をしていると、近くにいた黒スーツ姿のベルンハルトが口を挟んでくる。
「くれぐれも油断はするなよ」
いきなりの忠告には少し戸惑ってしまった。だが、言っていること自体は間違いではない。だから私は、頷いておいた。
「いちいちうるさいわねー」
リンディアはベルンハルトが気に食わないようだ。
「念のため、だ」
「……どーいう意味?」
「従者なら、周囲には常に目を配っておくべきだ」
「アンタに言われたくないわよ!」
強い調子で言われたベルンハルトは、呆れたように目を細める。
「そうだろうな」
「そーよ!」
リンディアは吐き捨てるように返した。
やはり、この二人に平穏が訪れることはなさそうだ。
そんなことを考えていると、小さな人影がこちらへ寄ってきた。誰かと思い、人影の方へ視線を向ける。すると、その人影は先ほど少し話したクネルのものだと、すぐに分かった。
「お待たせしてごめんなさぁーい!」
クネルはグラスを持っている。
「ドリンク、お持ちしたわよーん!」
「あ、ありがとうございます」
私はクネルから、茶色い液体の入ったグラスを受け取る。
「これは?」
「ブリウン茶よぉーん! アタシのお勧め!」
「お茶ですか?」
「そうそう! 飲んでみてぇ!」
クネルはなぜか、凄く飲んでほしそうにしている。
よく分からないが、もしかしたら、絶対に「美味しい」と言わせる自信があるのかもしれない。
せっかく「飲んでみて」と言ってくれているのに飲まないのも何なので、取り敢えず一口だけ飲むことにした——その時。
「イーダ王女」
ベルンハルトが、私の手からパッとグラスを奪った。
「ベルンハルト……?」
「少し毒味を」
彼はクネルを冷ややかに一瞥し、静かな声でそう答えた。
それに対し、クネルは憤慨する。
「ちょっとぉ! まさか、アタシが毒を盛るとでも思っているのぉん!?」
クネルは顔中の筋肉を引きつらせながら、声を荒らげた。その様子は、直前までとは別人のようだ。
「失礼にも程があるわぁーん!」
「不快にさせたなら謝る。ただ、確認は必要だ」
「何なのよぉ! アタシがオウジョサマを毒殺しようとしている根拠があるっていうのんっ!?」
「いや、そこまでは言っていない」
ベルンハルトはグラスを顔へ近づける。そして、液体をほんの少しだけ口に含んだ。
その数秒後。
何かに気がついたかのように、ぱっと目を見開く。
「他のグラスを取ってくることはできるだろうか」
ベルンハルトは真剣な顔で、リンディアに問う。唐突なことに、彼女は戸惑った顔をした。
「何よ、いきなり」
「無理か」
「いや、だから何なの? そんな真剣な顔をして、一体どーしたのよ?」
「少し違和感がある」
ベルンハルトの言葉に、リンディアは愕然として頬を強張らせる。
「……まさか。あり得ないわ、そんなこと」
「だが、少しおかしい」
「こーんなに人がいるのよ? そんなことをするかしら」
リンディアはさりげなく、私をクネルから離す。
「ブリウン茶、取ってくるわー」
「みんなしてアタシを疑うっていうの!? 酷い! 酷ぉーい!!」
そんな風に激しく騒ぐクネルを無視し、リンディアはドリンクコーナーへと向かう。その時の彼女の表情は、いつもとはまったく違い、真剣さが感じられるものだった。
場には、私とベルンハルト、そしてクネルだけが残る。
「ちょっと、ベルンハルト。一体、何がどうなっているの」
「少しだけ待て」
「このままで大丈夫なの? 人を呼んだ方がいい?」
「問題ない」
ベルンハルトはそう言うが、一度芽生えた不安の芽を摘み取ることは容易くない。また悲劇的なことが起きたら、と考えてしまう癖は消せないのだ。
「イーダ王女は、そこにいればそれでい——」
目の前の彼が言いかけた時。
「くっ!」
突如顔をしかめるベルンハルトを目にし、私はようやく、何かが起きたことを察知した。
「ベルンハルト!?」
「下がれ!」
鋭く命じられたため、私は数歩後ろへ下がる。
そして見てしまった。ナイフを握ったクネルの姿を。
「あらぁん。かわされちゃったわねーん」
クネルは片手にナイフを握り、もう一方の手は頬に添えている。この状況下でまだくねくねしていられるところは、少し凄いと思ったりした。
だが今は、呑気に感心している場合ではない。
「本性を現したか」
「うふふんっ。こうなったら、本気でいかせてもらうわよーん」
その頃になって、周囲の人たちもやっと異変に気づいたようだ。「なになに?」などと、ざわめきが広がる。
「覚悟なさぁーい!」
痩せた体の胸の前にナイフを構えつつ、クネルはそんなことを言い放つ。妙にテンションが高い。
「それはこちらのセリフだ」
対するベルンハルトは、クネルを冷たく睨んでいる。棘のある睨み方だ。
「アタシが弱そうだからって、侮っていたら駄目よーん」
「侮ってなどいない」
「本気で行かせてもらうわよんっ!」
周囲の人たちは、そそくさと離れていってしまう。誰も、クネルを止めようとはしない。人とは案外こういうものなのかもしれない、と思ったりした。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.23 )
- 日時: 2018/11/01 20:31
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)
22話 確証はなくとも、可能性はある
周囲の人々が離れていったことにより生まれた空間で、クネルとベルンハルトは対峙する。
静かながら和やかに行われていた食事会だったが、クネルが本性を現したことにより、場の空気は一変。今やホール内は、かなり緊迫した空気に包まれている。
「覚悟しなさいよぉぉぉーん!」
ベルンハルトに向けて、クネルはナイフを振り下ろす。
しかし、その刃が命中するより早く、ベルンハルトはクネルに蹴りを叩き込む。彼が放った低めの蹴りは、クネルの腹部辺りに当たった。
「何してくれるのよんっ!!」
一撃を食らったことによって、クネルの顔面が荒々しさをまとう。
だが、ベルンハルトは怯まない。
彼はクネルの手首を掴むと、その手からナイフをもぎ取った。
収容所で生まれ育ち、戦闘職に就いていたわけでもないはずのベルンハルトが、なぜこうも戦うことに長けているのかはよく分からない。ただ、今私は、安心して彼の背を見つめることができた。
これといった具体的な根拠があるわけではない。
けれど、ベルンハルトに対しては、なぜか「彼ならやってくれる」と思えるのだ。
「あーん! 奪うとか酷いわぁーん!」
「いや、刃を向ける方が酷い」
冷ややかに返した後、ベルンハルトは片手に持っていたグラスをクネルへ投げつけた。茶色の液体が飛び散り、グラスは床に落ちて砕け散る。
「あーん! お茶をかけるなんて酷ぉーいっ!」
「観念しろ」
ベルンハルトはほんの数秒で、クネルとの距離を一気につめた。そして、クネルへと腕を伸ばす。
——だが次の瞬間、驚くべきことが起きた。
「く、くっそぉぉぉーん! もうこうなったらぁーっ!」
クネルがその場から逃げ出したのだ。
彼は、ベルンハルトとは逆の方向へ駆けていく。私を殺すことは諦めて、ひとまずこの場から退くつもりなのだろう。
あまりに突然だったため、さすがのベルンハルトも、すぐに追いかけることはできていない。
ーーしかし。
「ぎゃっ」
逃走し始めて数秒もしないうちに、クネルは短い声を放った。そして、その細く小さい体は、ドサリと地面へ崩れ落ちた。
それにより、ホール内に動揺の渦が広がる。
甲高い悲鳴をあげる者。慌ててホールから出ていこうとする者。また、それらとは逆に、野次馬的に倒れたクネルへ近づこうとする者。
反応は人それぞれだが、一部始終を見ていた多くの者が、パニックに近しい状態に陥ってしまっている。
「ちょっとー。これ、どうなってるのよー?」
ドリンクを取りに行ってくれていたリンディアが、その整った顔に戸惑いの色を浮かべながら、私たちのもとへと帰ってきた。
「……リンディア」
「一体どーいう状況なの?」
少し離れた場所にいたリンディアは、一部始終を見ることができなかったようだ。その表情からは、急展開についてくることができていないということが、はっきりと伝わってくる。
「逃げ出そうとしたクネルが、突然倒れたの」
私は最低限の言葉だけで説明した。
詳しく説明しようと頑張れば頑張るほど、分かりにくい説明になる。それは明らかだったから。
するとリンディアは、捨てられた人形のように倒れているクネルへと視線を向け、顔に呆れの色を滲ませる。
「馬鹿ねー。こんな、人がたーくさんいるところで殺そうだなんて、馬鹿としか言い様がないわー」
彼女は、自身の一つに束ねた赤い髪を指でいじりつつ、そんなことを呟いた。
「どんな頭をしているのかしらねー」
リンディアが放つ言葉の端々には、相変わらず毒気がちらついている。既に亡き者となってしまった人に対してですら毒を吐けるというのは、「さすがリンディア」と言わざるを得ない。少なくとも、私にはできないことだ。
……もっとも、どちらが良いかは別の話だが。
「けど、ま。王女様が無事で何よりだわー」
「心配してくれてありがとう」
「べつにー。たいしたことじゃなーいわよー」
私が礼を述べると、リンディアは少し気恥ずかしそうな顔をしていた。
そこへ、ベルンハルトが入ってくる。
「イーダ王女……貴女はなぜ、こうも狙われる?」
すぐには答えられなかった。彼が放った問いに答えるには、精神的な準備が必要だったからである。
「一日一回、と言っても過言ではないペースだ。妙だとは思わないのか」
「狙われるのは……私が王女だから。きっと、そうだわ」
クネルから奪い取ったナイフを手に持ったまま、ベルンハルトは眉をひそめる。
「本当にそれだけなのか」
もしかしたら、それだけではないのかもしれない——うっすらとそう思うことはある。だが、決定的な根拠があるわけではない。だから、はっきりと答えることはできないのだ。
「外部の人間が貴女を狙っているのだとしたら、いくらなんでも、こんな頻度で貴女を襲うことはできないだろう。王女の居場所など、そうたくさんの者が知っているものではないだろうから」
ベルンハルトは真面目な顔で、淡々と言う。
私には、彼の言おうとしていることのすべては分からなかった。ほんの少しは理解できる気もするのだが。
「まさかアンタ……王女様を狙ってるのが内部の人間だと言いたいの?」
「確証はない。だが、可能性はある」
二人の会話を聞き、私は思わず口を開く。
「待って! そんなこと、あり得ないと思うわ」
言わずにはいられなくなったのだ。
「私の周囲には、そんな裏切るような人はいないと思うの!」
私の周りに悪人はいない。そう信じているし、これからも信じていたい。そうでなくては、心が折れてしまう。
「だがイーダ王女。こんな無能な男が、自ら王女暗殺を計画するとは、とても考え難い」
「じゃあ……クネルに指示した人がいるということ?」
「そうだ。そして、クネルに指示をした人物は、内部の人間なのだろう」
ひと呼吸おいて、ベルンハルトは続ける。
「あくまで、僕の想像だが」
……そう。これは所詮、ベルンハルトの勝手な想像にすぎない。だから、現実などではない。それが真実だという具体的な根拠もないのだ。
けれど今は、彼の言葉が正しいような気さえする。
なぜだろう。
よく分からないけれど……。
——刹那。
「王女様!」
リンディアが叫び、私に覆い被さってくる。
直後、彼女は「うっ」と呻き声を漏らした。
「リンディア!?」
彼女はそのまま、膝を折り、地面に座り込む。それから、勢いよく顔を持ち上げて、ベルンハルトに向けて叫ぶ。
「三階よ! 追って!」
「……分かった」
珍しくあっさりと了承したベルンハルトは、三階席に向かって駆け出す。
幸い、ホールの端に上の階へと続く階段があったので、比較的速やかに上へ向かうことができそうだ。
「リンディア、平気!?」
「えぇ、平気よー。腕に掠っただけだもの」
私はまったく気づけなかったが、どこかから狙い撃たれたようだ。
「私のせいね……ごめんなさい」
すると彼女は目を伏せる。
「謝るのは止めてちょーだい」
「え?」
「あたしはあたしの任務を全うするだけのこと。イーダ王女が謝る必要なんてなーいの」
その声は、少しばかり苛立っているようにも感じられた。
「ま、後はベルンハルトの帰りを待つのみかしらねー」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.24 )
- 日時: 2018/11/03 00:03
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5VUvCs/q)
23話 綿菓子と硝煙
ベルンハルトは駆けた。
ホールの隅、赤い布の張られた階段を、彼は駆け上がっていく。
二階席の脇を通り越し、さらに階段を登り、三階席へとたどり着いた。
「——おや」
ベルンハルトの視線の先には、一人の男性。
きちんとセットされた白髪。そこらにはいなさそうな、いかにもただ者ではない雰囲気を漂わせている目つき。体には黒い布をまとっているが、その隙間からちらちらと、紫のスーツが覗いている。
「……お前か」
ベルンハルトは、目の前のただ者ではなさそうな男性を警戒し、身を固くする。
「いやはや、こうもすぐに見つかってしまうとは」
男性の左腕には、少なくとも子どもの身長ほどはあると思われる、大型の銃。
「目は良く、素早く動ける。ある意味、若さは強みと言えるのやもしれんね。羨ましく思うよ」
「……何の話だ」
「私も昔はもっと元気だったのだよ。それに、比較的モテた」
「は?」
男性の突飛な話に、ベルンハルトは怪訝な顔をする。
「もっとも、こんなことをしていたせいで見事に婚期を逃したのだがね」
「くだらない話を聞く気はない」
怪訝な顔をしていたベルンハルトは、先ほどクネルから奪ったナイフを、胸の前に構える。彼は目の前の男性に対し、冷ややかな視線を注いでいた。
「その若さ、実に羨ましい。若い頃は私もそうだったよ。もはや懐かしい思い出と化してしまったが」
白髪の男性は、遠い過去へ思いを馳せるように、微笑する。
「ところで君、綿菓子は好きかね?」
妙な問いを発しながら、羽織っている黒い布の下から透明なビニール袋を取り出す。
「何も、そんなに警戒することはない。……いや。警戒するな、という方が無理があるか。では正直に話そう。私は先日、弾丸を放つと同時に綿菓子を作ることができる銃を開発してね。試しに撃ってみたところ、予想外に大量の綿菓子ができてしまったのだよ」
白髪の男性が下らないことばかりを話すことに、ベルンハルトは呆れ果てていた。もはや返答する気にもならない、といった顔になっている。ベルンハルトからしてみれば、綿菓子が大量に出来上がった話など、馬鹿らしくて仕方がないのだろう。
「だから君にもあげようというわけだ。なんせ、糖分の過剰摂取は体に毒だからね」
「必要ない」
「そうか。それは残念だよ」
白髪の男性は口角を持ち上げる。そして、持っていた大型の銃をベルンハルトへと向けた。
「……良い餞別せんべつだと思ったのだがね」
男性の銃から弾丸が放たれる。
だが、ベルンハルトは咄嗟にその場から飛び退き、弾丸をかわした。
「それが本性か」
ベルンハルトは着地すると、白髪の男性へ一気に接近していく。男性は弾丸を放つことで、ベルンハルトを迎え撃つ。
「いや、まさか。こんなものは、私の本性などではない」
無数の弾丸がベルンハルトへ降り注ぐ。だが彼は怯まない。決して動きを止めたりはしなかった。
銃弾の嵐を掻い潜り、ベルンハルトは男性の懐へ潜り込む。もはや射程圏外だ。
「……ただの仕事だよ」
接近戦へ持ち込み、ベルンハルトの勝利はほぼ確定かと思われたのだが、そうでもなかった。
男性の目は、ベルンハルトを確かに捉えていたのだ。
白髪の男性はベルンハルトに、冷淡な眼差しを向けている。つい先ほどまでの気さくな雰囲気が嘘のようだ。今や彼に、人間らしさなんてものは存在しない。
「っ!」
直後、ベルンハルトは苦痛の声を漏らした。男性に、大型の銃で殴られたのである。
「近距離戦への対策をしていないとでも、思っていたのかね」
ベルンハルトは何も返さない。唇は真一文字に結んだまま、男性の腕へとナイフを振った。
「おっと」
ナイフは男性の腕を確実に捉える。
彼の腕から、赤い飛沫が散った。
「普通に斬られてしまうとは」
腕に傷を負ってなお、白髪の男性は余裕に満ちた顔つきをしている。危機感など微塵も感じていないような表情だ。
負傷しても平然としている男性を目にし、さすがのベルンハルトも動揺する。
まさか、と。
「距離を見誤ったか……老眼かな?」
男性はまたしても呑気なことを述べる。
「いや、最近実に近くが見えにくくてね。遠くは見えるので日頃の仕事に影響はないのだが……不便としか言い様がないね、これは」
「ふざけるな!」
ベルンハルトはついに声を荒らげた。
いつまでも呑気な発言を続ける男性に対し、腹を立てたのだろう。
「叩き潰してやる」
「なるほど、実にいい。やはり、若者はそうでなくては」
「ふざけたことを……!」
「まぁ、そう怒らないでくれたまえ。私とてべつに、悪気があってこんな発言をしているわけではないのだから」
白髪の男性は、ジャケットのポケットから黒ずんだ球体を取り出す。手のひらで転がせるくらいの、あまり大きくはない球体だ。
その正体が分からず、ベルンハルトは仕掛けづらくなる。
「一つ教えてくれるかね?」
「……何だ」
「君、名前は何というのかね」
「答える必要はない」
ベルンハルトは、男性の問いに答えはしなかった。
「それは残念だよ。君には少し、関心があったのだがね」
「関心など、勝手に持たれたくはない」
すると男性は、はぁ、と大きめの溜め息をついた。そして、残念そうに「そうか……」と漏らす。
「では、それで構わない。今日はこれにてお開きとしよう」
男性は静かな声でそう述べると、手のひらに乗せていた黒ずんだ球体を投げた。
白い煙がベルンハルトの視界を奪う。
「くっ……!」
視界が真っ白な状態では、さすがのベルンハルトも、男性を追うことはできない。
それから少しして、白い煙が晴れた頃には、既に誰もいなくなっていた。三階席に立っているのは、ベルンハルト一人だけになっていたのである。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.25 )
- 日時: 2018/11/03 18:55
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 49hs5bxt)
24話 父娘
第二ホールを出てすぐ隣にあるこの部屋には、私とリンディア、そしてベルンハルトだけがいる。扉の外には警備の者を置いてくれているとのことなので、今ここはわりと安全なはずだ。
「逃げられた、ですって!?」
結局、ベルンハルトは敵を捕まえることはできなかったらしい。
それを聞いたリンディアは、ばっさりと言いきる。
「イーダ王女を狙ったやつよ!? それを取り逃すなんて!」
リンディアは、私を狙った銃弾により片腕を負傷した。だが、今回は周囲に人がいたため、速やかに手当てを受けることができた。そして、そのおかげか、意外にも元気そうだ。意識もしっかりしているし、大きな声も出せている。
「すまないとは思っている」
「あり得ないあり得なーい!」
私を狙撃した人物を捕らえることに失敗したベルンハルトを、リンディアは責める。
「これじゃもう、ただの無能じゃない!」
「待って、リンディア。ベルンハルトは頑張ったわ」
「あら」
「ミスを責めても、何かが変わるわけではないわ」
「イーダ王女は優しいのねー」
私だってもちろん、捕らえられなかったことは残念に思う。もし捕らえられていたなら、情報を得ることができたかもしれなかったのだから。
けれども、何をどう言おうが過ぎたことは変わらない。
捕らえられなかった——その事実をねじ曲げることなど、いくら頑張ってもできはしないのだ。
「それで、何か情報はないのかしらー?」
「容姿や話した内容くらいはある」
「あるならさっさと言いなさいよ!」
今のリンディアは、なぜか妙に攻撃的だ。いちいち突っかかっていく。
けれども、ベルンハルトは反発しなかった。落ち着いた調子で、見たものを伝えてくれる。
「白髪の男で、紫のスーツの上に黒いものを羽織っていた。確かな年齢は分からないが、若くはない」
「紫のスーツだなんて、奇抜ね。見たことないわ」
私は思わず、求められてもいない感想を述べてしまった。
「……他にはー?」
リンディアは椅子に腰掛け、既に手当てを済ませた自分の腕へと視線を注ぎながらも、しっかり話に参加している。
「他は……そうだな。綿菓子を作れる銃を開発した話や、老眼で近くが見えにくい話をしていた」
「何だか不思議な人ね」
私が思ったことを口から出すと、ベルンハルトはこちらへ目を向けてコクリと頷く。
「ペラペラ話すところが不気味な男だった」
ベルンハルトの目つきは鋭かった。顔全体から、威圧感を漂わせている。だが、その顔は凛々しく魅力的で、嫌な印象ではない。
「……変わった人よねー」
リンディアはぽそりと呟いた。何とも言えない、というような顔つきで。
「何か、心当たりがあるのか」
「んー……ちょっと思うことがあるのよね」
「なるほど。思うこと、とは?」
ベルンハルトはリンディアの考えていることに関心があるらしく、目を開いて彼女の姿を見つめている。
しかし、彼女がベルンハルトの問いに答えることはなかった。
「いーえ、べつに。たいしたことじゃないわ。……忘れて」
今さら忘れることなんて、できないだろう。
そう思ってしまったが、それを直接述べることはできなかった。忘れて、と言うことが、彼女なりの優しさなのかもしれないと感じたから。
その時、誰かが扉をノックした。私は返事をしようとしたが、それより早くリンディアが「はーい」と返事する。すると、扉が開いた。
「調子はいかがですか、王女様」
入ってきたのはシュヴァル。
彼の顔を見るのは、もはや、久々な気さえする。
「シュヴァル!」
「はい。またもや王女様を狙った事件があったと聞き、伺わせていただきました。ご無事で何よりです」
「他人事みたいに言うのね」
「不快にさせてしまったのなら謝ります。申し訳ありませんでした」
「……いいえ。気にしないで」
既に謝罪してくれている者を、それ以上責める気はない。
「それでシュヴァル。何をしに来たの?」
「リンディアが怪我したと聞いたので、少し様子を見させていただこうかと思い、来させていただきました」
「なるほど。そうだったのね」
するとリンディアは述べる。
「なーによ! 善人ぶっちゃって!」
「リンディア、相変わらず生意気ですね」
「生意気で悪かったわねー! アンタの性格が遺伝したのよ!」
……遺伝した?
あっさりと放たれた言葉が、妙に残った。予想していた範囲より外の言葉が出てきたからかもしれない。
「シュヴァルとリンディアって、もしかして……」
私は思わず口を開いてしまった。
「親子、なの?」
シュヴァルとリンディア、そしてベルンハルト。三人の視線が、一気に私へ集中する。
何かまずいことを言ってしまっただろうか、と不安になった。
そんな私の不安を拭い去ってくれたのは、リンディアの言葉。
「えぇ、そーよ! シュヴァルはあたしの父親!」
彼女のさっぱりとした言い方が、この胸の内を満たしていたもやを、一気に晴らしてくれた。水晶のように透き通った水色の瞳に、そこから放たれる真っ直ぐな視線。それらすべてが、私の心に晴れ間をもたらしてくれる。
「そのせーで、あたしはこんなに可愛くない女になっちゃったってわけ!」
赤い髪のリンディアが自嘲気味に笑うと、シュヴァルが口を挟む。
「リンディア! 今言うことではないでしょう!」
「なーによ。小さい頃から、預けっぱなしだったじゃなーい」
「それはリンディアが望んだからでしょう!」
「ふーん。あたしは望んだ覚えなんてなーいわよー?」
何やら騒々しい。
リンディアは最初から、その大人びた容姿とは裏腹によく喋る人だった。だから、こんな風に話すのも分かる。だが、シュヴァルがこんなに喋る人だとは知らなかったので、少々意外だ。
二人の言い合いはしばらく続き、数分ほど経ってから、やっと落ち着いた。
「ま、もーいーわ」
言い合いを終わらせたのは、意外にもリンディアだった。
「それより——アスターと連絡はとれる?」
長く続いた軽い口喧嘩のようなものが終わった後、リンディアは真面目な顔になり、シュヴァルに対してそんなことを言う。
その言葉に、シュヴァルは首を傾げた。
「アスターに連絡を?」
「そー。久々にはなるけれど、無理かしら」
「可能です。けど、どうして?」
シュヴァルとリンディアの会話は、父娘の会話にしてはそっけない。私も娘の身だから分かるが、父娘なら、もっと親しげに話すはずなのだが。
……いや、もちろん個人差はあるのだろうけど。
「ちょーっと話したいことがあるのよねー」
「分かりました。では連絡します」
リンディアはその場で立ち上がり、大きく背伸びをする。それから私のいる方へ視線を向けて、「少し外すわねー」と言ってきた。別段止める理由もないので、私は「分かったわ」とだけ返しておいた。
そんなこんなで、リンディアとシュヴァルは部屋を出ていった。室内には、私とベルンハルトだけが残される。
「イーダ王女」
「何?」
二人だけになるや否や、ベルンハルトが自ら話しかけてきた。驚きだ。
「アスター、とは誰だ」
「え?」
「オルマリンに仕える者か」
恐らく、先ほどリンディアが言ったのを聞いて、気になっているのだろう。だが、アスターなんて名前は私も知らないので、答えようがない。
「ごめんなさい。私も知らないわ」
するとベルンハルトは、小さく「そうか」とだけ漏らし、黙り込んだ。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.26 )
- 日時: 2018/11/04 16:45
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: w1J4g9Hd)
25話 初めから強い人間など、いない
ベルンハルトと二人きり。そこに会話はない。
彼はもう、私に話すような話題を持っていないのだろう。微かに俯き黙っているところから、それを察した。
「ねぇ、ベルンハルト」
なので、今度はこちらから話しかけてみることにした。
「無事に戻ってきてくれて、ありがとう」
すると彼は、ほんの一瞬戸惑ったような顔をしたが、わりとすぐに淡々とした声で返してくる。
「感謝されるようなことはしていない」
「いいえ。無事に戻ってきてくれただけで、ありがとう、だわ」
「だが、捕らえられなかった」
ベルンハルトは納得できていないような顔をしている。
「これではまだ、優秀とは言えない」
ベルンハルトは凄く不思議な人だと思う。
オルマリン人のことも、私のことも、決して好きではないはず。にもかかわらず、従者になることを選び、真面目に働こうとしてくれている。
私にはまだ、彼のすべてを理解することはできそうにない。
「凄く真面目ね」
「……僕のことか?」
「えぇ」
「いや、僕は真面目ではない」
それから彼は、私を真っ直ぐに見つめて述べる。
「多少融通が利かないだけだ」
確かにそうかも……。
「ベルンハルトのそういうところ、嫌いじゃないわよ」
時折不思議に思うことはあるけれど、嫌な感じはしない。むしろ、私は彼に対して好感を抱いている。
「これからも傍にいてくれる?」
「……今のところは、そのつもりだ」
ベルンハルトの発した言葉を聞き、私はホッとした。
しかし、それも束の間。
はっきりと言われてしまう。
「だが、僕への情を持つのは止めた方がいい」
「……どういう意味?」
「人はいずれ死ぬ。悲しみたくないのなら、他人に情を抱かない方が賢明だ」
なぜ、敢えて今こんなことを言うのか、私にはよく分からなかった。これまでも、ベルンハルトを理解できないことはたまにあったが、今回は特に理解不能である。
「……どうしてそんなことを言うの」
「真実を述べたまでだ」
「そんなこと、言わないでちょうだい!」
私はつい大きな声を出してしまう。
「本当は今も怖いの! でも、少しでも前を向こうとしているのよ! なのに、なのに……そんなことを言わないで!!」
ベルンハルトの言うことも、間違いではない。それは分かっている。
けれども私は、その真実を告げられることに耐えられるほど強い人間ではなくて。
常々最も恐れていることを、改めて他人の口から聞くというのは、私には厳しすぎることだったのである。
「……イーダ王女」
「想像したくないの。傍にいた大切な人を奪われるところなんて」
私がらしくなく大声を出したからか、ベルンハルトは困惑したような顔をしていた。
「ごめんなさい、こんなこと。貴方に言ったって、何の意味もないのに……」
瞳から涙が溢れる。
真実を述べただけの者に食ってかかってしまった、自分を制することさえままならない私が、あまりに恥ずかしくて。
顔をなかなか上げられない私に対し、ベルンハルトは言う。
「大切な人を失わずに済む方法がある」
「……え?」
予想外の言葉に、私は思わず顔を上げる。そして、ベルンハルトへ視線を向けた。
「失わずに済む……方法?」
「そうだ」
「……教えて!」
世の中には、そう都合のいい話などない。それゆえ、きっと楽ではない方法なのだろう。だがそれでも、大切な人を失わずに済む方法があるのならば、知っておきたい。
「それは、貴女自身が強くなることだ」
ベルンハルトはそう答えた。
「貴女自身が強くなり、貴女の命を狙う者を消し去る。そうすれば、もう何も失わずに済む」
「……無理よ、そんなの」
「できる保証のある方法、とは言っていない」
「……分かっているわ。そうよね、そんな都合のいい話があるわけない……」
私が強くなる。
そんなこと、できるわけがない。
生まれて今日まで、私は、『強さ』なんてものとは無縁に生きてきた。いや、それ以前の問題だ。戦いに無縁どころか、普通の人々と同じような生活さえ経験せずに今日まで生きてきた私が強くなるなんて、夢のまた夢。
そんなことが可能なら、宇宙の果ての異星まで歩いていくことだって可能だろう。
「私ももっと……強い人間に生まれられたら良かったのだけれど。ベルンハルトやリンディアみたいに、勇気のある人間に生まれたら……」
うっかり弱音を吐いてしまった私に、ベルンハルトは静かな声で言ってくる。
「初めから強い人間など、いない」
「……そうかしら」
「そうだ。僕も、昔は今より情けなかった」
「えっ、そうなの?」
思わず驚きの声を漏らしてしまった。失礼なことをしてしまったかと一瞬不安になったが、ベルンハルトは何事もなかったかのように続ける。
「幼い頃は、同年代の者たちにいつも馬鹿にされてばかりだった。体力はない、運動神経もよくない、すぐ泣く、と」
ベルンハルトが放つ言葉に、私は戸惑うしかなかった。
「……本当?」
「そうだ。僕は嘘はつかない」
「ベルンハルト、よく泣いていたの?」
「幼い頃は、だがな」
それを聞き、私は彼に親近感を抱いた。
今は勇敢で凛々しいベルンハルト。だが、そんな彼にも弱々しい時代があったのだということを知ることができ、嬉しい。
彼もまた、一人の人間——そんな風に考えられるようになった。
「なら、私も頑張らなくちゃ駄目ね」
「頑張らなくてはならない義務があるわけではないが」
「いろんなところへ行って、いろんなことを知る。そうやって、少しずつでも賢くなっていかなくちゃならないわよね」
「貴女がそれを望むのなら、それが貴女に必要なものなのだろう」
私はベルンハルトへ視線を向ける。するとちょうど、彼も私の顔を見ていた。
「これからはもっと頑張るわ!」
「無理はしなくていい」
「じゃあ、無理のない範囲で頑張るわね!」
「いや、力みすぎだ」
「べつに力んでなんてないわ!」
「明らかにいつもより力んでいるように見えるが……」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.27 )
- 日時: 2018/11/05 18:23
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 393aRbky)
26話 簡易電話ボックスにて
イーダがベルンハルトと二人で話していた頃。
父親であるシュヴァルと共に部屋を出たリンディアは、希望した通り、一人の男性と連絡をとっていた。第二ホールのある建物から出てすぐの場所にある簡易電話ボックスにて、である。
簡易電話ボックス内にて、一人受話器を耳に当てている彼女の顔は、険しいものだった。
「リンディアよ。久しぶり」
黒い受話器に向かって、彼女は声を発する。
『えーと?』
受話器の向こう側から聞こえる男性の声は、音の高さは低めなのだが、明るさを内包しているものであった。どことなく呑気な雰囲気を感じさせる声である。
「何よ、それ! 感じ悪いわね!」
『……あ。ようやく思い出したよ、赤いリンディアだね?』
「そーよ! 最初に名乗ったでしょ!?」
手に持った黒い受話器を耳元に当てながら、リンディアは鋭い声を発する。厳しい娘が鬱陶しい父親に向けるような、厳しさのある口調だ。
『そうだったそうだった。気づくのが遅れてすまなかったね』
「アスター……アンタ、相変わらずね」
『おぉ! こんな萎れた私に、若い頃と変わらないと言ってくれるのかね? それは喜ばしい』
受話器の向こうの男性——アスターが、少し嬉しそうな声でそんなことを言うと、リンディアは低い声で言い返す。
「ふざけんじゃないわよ、ジジイ」
簡易電話ボックス内のリンディアは、顔をしかめていた。
『おや。そういう意味ではなかったかな』
「なーんにも褒めてないわよー」
『そうかそうか。それは実に残念だよ。……それで、本題は何かね?』
アスターは、呑気なふりをしつつも、リンディアが何となく電話をしただけではないことに気づいているようだ。
「暇つぶしでかけたわけじゃないってことくらいは気づいたみたいねー?」
リンディアは少しも慌てていない。
『それはまぁ……分かるとも。君はこんな老いぼれを気にかけるような優しい娘ではない』
受話器の向こうから返ってきた言葉に、リンディアは一人苦笑する。
無論、その場に彼女以外の人間はいないため、彼女の苦笑を目にする者は一人もいなかったわけだが。
「よーく分かってるじゃなーい」
『君は私の唯一の弟子にして、娘のような存在だからね』
「キモイわ! 勘違いしないでちょーだい。弟子だけど、娘ではないから」
『それは分かっているとも。だからちゃんと、娘のような存在、という言い方にしておいたではないか』
ははは、と、受話器越しにアスターの笑い声が伝わってくる。
それを聞いたリンディアは、ますます不愉快そうな顔をした。生理的に無理、というような、嫌悪感ががっつりと滲み出た顔である。
「ま、それは置いておくとしてー……アスター、アンタ」
『ん? 何かね』
数秒の沈黙。
「イーダ王女を狙ったの、アンタでしょ」
リンディアの真剣さに満ちた声が放たれる。
すると、それまでは楽しげに喋っていたアスターが、初めて黙った。
「アンタは仮にも、あたしの師匠。それなのにこんなことを言う日が来るとは、夢にも思わなかったわ」
『……何を言っているのかね、君は』
「べつに、とぼけなくていーわよ。真実だけを吐いてくれれば、それでいーから」
簡易電話ボックス内の空気が、一気に重苦しいものへと変化する。
それはまるで、つい先ほどまで晴れていたのに急に雨が降り出した時の空のよう。あるいは、不気味な灰色をした分厚い雲に覆われた世界のよう、とも言えるかもしれない。
とにかく、息をすることすらままならないくらいの、重苦しい空気だ。
「どーしてイーダ王女を狙ったりしたの」
リンディアの声もまた、重苦しさを感じさせる、低いものであった。
「イーダ王女を殺したって、アンタは何も得しないはずでしょ。それなのに、どうしてあんな馬鹿なことをしたのかしら」
その時、暫し黙っていたアスターが、ようやく口を開く。
『……なぜ私を疑う?』
彼の問いに、リンディアは冷静に応じる。
「イーダ王女の胸を貫ける位置、あんなに正確に狙える人なんてそうたくさんはいないわよ」
『いやいや。三階から一階にいる人間を狙うくらいなら、誰でもできると思うが』
アスターの発言に、リンディアは眉をひそめる。
「……ちょっと」
『ん?』
「どーして三階からなんて知ってるのよ」
——暫し、沈黙。
それから数十秒ほどが過ぎた時、アスターは急に笑い出す。
『ははは! これはやってしまった!』
「じゃあ、やっぱりそーなのね」
『いやはや、君はさすがだな。ある意味……素晴らしい! 満点!』
「……は?」
アスターのよく分からない発言に、リンディアは渋いものを食べたような顔になる。それまでは嫌悪感に満ちた表情だったが、そこへさらに、呆れの色が混じってきた。
『まさか普通にばれているとは思わなかっただけに、驚いた。衝撃だよ。いや、もう今、愕然としている』
「いろんな表現をしろ、なんて言ってないわよー」
リンディアは彼の弟子。それゆえ、彼のことをよく知っている。だからこそ、イーダを狙ったのが彼であることに、早く気がついたのだろう。だが、当のアスターはというと、リンディアに気づかれるとは思っていなかったらしい。言葉こそ明るさと軽さのあるものだが、その声は、彼の動揺を見事に表している。
「さすがに動揺してるみたいね?」
『もちろんだとも。なんせ、君がイーダ王女の傍にいることなんて、微塵も想定していなかったからね』
「もっと色々想定しておくべきだったわね、アスター」
リンディアは、少し勝ち誇ったように述べる。
『その通り。本当に、君の言う通りだよ。この私がこうも容易く見つかるとは……夢にも、ね』
それとは対照的に、アスターの声からは、どこか哀愁が漂っている。
『なんて言ってみたら、それらしくて少しかっこいいかもしれない!』
「はぁ!?」
リンディアは半ば無意識に大声を発する。睫毛に彩られた華やかな目を、大きく見開きながら。
『今、ふと思いついたのだよ』
「馬鹿みたいなこと言うのは、もー勘弁してちょーだいよ……」
周囲に誰もいない簡易電話ボックスの中では、リンディアとアスターの声だけがすべてだ。それ以外の物音は、何一つとしてない。
「ま、いーわ。それより、どーしてイーダ王女を狙ったのか、話してもらってもいーかしら?」
『私が君に話すことかね、それは』
「そーよ! 今のあたしはイーダ王女の従者なの。だから、せめて理由くらいは聞いておかないと納得できないわ」
『おぉ、リンディアとは思えぬ正義面』
「うっさいわね! そーいうのは要らない!」
『そして、君はやはり、私にとって娘のような存在だよ』
アスターの言葉に、リンディアは電話が置いてあるテーブルのようなものを強く叩いた。
苛立ちが我慢できないくらいまで膨らんだからだと思われる。
『娘とは父に厳しいものだと聞くが、どうやら間違いではな——』
「黙れって言ってるでしょ!!」
『あ……そうか。怒らせる気はなかったのだがね』
「怒らせる気がないのなら、大人しく問いに答えてちょーだい」
リンディアは黒い受話器を耳に当てたまま、真剣な顔で、改めて問う。
「どーしてイーダ王女を狙ったの?」
真剣な顔のまま問うリンディア。
『……ただの仕事だよ。そこに理由などありはしない』
彼女の問いに、アスターは短く答えたのだった。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.28 )
- 日時: 2018/11/06 21:57
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fjkP5x2w)
27話 ただ、時には
「リンディア、まだ帰ってこないわね」
「そうだな」
「電話でもしているのかしら。それにしては長い気がするけど」
「確かに。もう一時間ほどになるな」
私とベルンハルトは、リンディアが戻ってくるのを待っている。だが、彼女は一向に戻ってこない。時間がかかるとは言われていないだけに、「大丈夫だろうか」と心配になってしまう。
彼女は負傷している。だから、もし事件か何かに巻き込まれたら、上手く逃れられないかもしれない。
つい癖で、そんなことばかりを考えてしまい、憂鬱になる。
もっとも、誰かが悪いわけではなく、完全に自業自得なのだが。
「イーダ王女」
「……何?」
「あまり暗い顔をしない方がいい」
ベルンハルトの忠告に、私は驚いた。
というのも、彼がそういうことを言うとは思っていなかったからである。今の忠告は、私の中にある彼のイメージとかけ離れていた。
ただ、言っていること自体は間違いではない。
「その通りだわ。これからは気をつけるわね」
「そうするといい」
ちょうど話が一区切りついたその時、扉が開いた。
扉の向こう側から現れたのはリンディア。
一つに束ねた赤い髪が非常に特徴的なので、パッと見ただけで、彼女だということが分かる。
「リンディア! お帰りなさい!」
彼女が帰ってきたことが嬉しくて、半ば無意識に、いつもより大きな声を発してしまった。
「ただいまー」
「会いたかったわ!」
私はリンディアに駆け寄り、その手を握る。そしてそれから、彼女の顔を見上げた。リンディアの顔は、いつもと変わらず大人の魅力に満ちていたが、どこか曇っているようにも感じられる。
「……何かあったの?」
「なかったわよ。なーんにも、ね」
何だろう、と思い尋ねてみたのだが、リンディアは何一つとして話してはくれなかった。
本当なら、もっと突っ込んでいっても良かったのかもしれない。ただ、彼女が胸に秘めているのは言いたくないことなのかもしれないので、それ以上聞くことはしないでおいた。
——しかし。
「嘘だな、それは」
ベルンハルトがばっさりと言った。
せっかく私が突っ込まないことにしたのに、彼は平気でそんなことを述べたのである。
「イーダ王女、その女は嘘をついている。信じすぎない方がいい」
「ベルンハルト……?」
彼が予想外のことを言い出したため、私は戸惑いを隠せない。
「真実をはっきりと言え」
ベルンハルトはリンディアを鋭く睨みながら、冷ややかな声でそう言い放った。今の彼は、この世のありとあらゆるものを貫けそうな、そんな目つきをしている。
私は、ベルンハルトからリンディアへと視線を移す。
するとリンディアは、ふっ、と口元を緩めた。
「……ま、そーね」
「リンディア?」
何なのだろう。彼女は一体、何を秘めているのだろう。
そんな風に一人不安に揺れていると、そんな私を安心させるように、リンディアは笑顔を向けてくれた。
「申告するにはまだ早いかもと思っていたのだけれど」
「一体何が……?」
「あたし、明後日休みを取るわ!」
リンディアはあっけらかんと言った。
え、そんなこと? という感じだ。
「休み?」
「会いに行かなきゃーな人がいるのよねー」
「なんだ、そんなことだったの。良かった」
私は思わず安堵の溜め息を漏らしてしまった。
何か重大なことだったらどうしよう、という不安が、一気に払拭されたからである。
その後、父親が目を覚ましたという連絡を受け、私たち三人は彼の寝ている部屋まで急行した。
部屋に入るや否や、大きな声が耳に飛び込んでくる。
「イーダぁ!」
周囲の目などまったく気にしない大きな声が、空気を豪快に揺らす。
室内には私たち以外の人もいるというのに。ここまでくると、もはや呆れる外ない。子どもか、と突っ込みたい気分だ。
「目が覚めたのね。良かったわ」
父親が座っているベッドへ歩み寄ると、控えめに声をかける。すると父親は、その瞳をキラキラと輝かせた。
「イーダぁ! 本当に優しい娘だなぁっ!!」
「そんなことないわ。普通よ」
「いや! 最高の娘だぁ!」
まさかの抱き着きがきた。
警戒を怠っていた私も悪いのかもしれないが、他人がいるところで迷いなく娘に抱き着くのは止めていただきたいものだ。
「お願いだから、そういうのは止めてちょうだい」
「無事で良かったぁ」
「心配してくれるのは嬉しいわ。でも、抱き締めるのは勘弁して。恥ずかしいわ」
「異性だとは思わなくていいんだぞぉ! なんせ、父娘だからなぁー!」
抱き着かれたまま、少し離れたところに立っているリンディアを一瞥する。予想通り、彼女は戸惑った顔をしていた。私と父親の関係は、やはり普通ではないようだ。
離してほしい——私の心はそんな思いに満ちている。ただ、怪我しながらも無事生き延びてくれたことは嬉しい。それだけに、雑に扱うのもどうかという思いもある。
そんな心境ゆえ、私は父親にはっきりした態度を取りきれなかった。
そのせいで、父親はやりたい放題。
周囲から向けられる、困惑したような視線が痛い。
「まぁ、相変わらず仲良しで素晴らしいですね」
「あとはお二人でお楽しみ下さいませー」
室内で父親の世話をしてくれていた女性らは、当たり障りのない言葉を残して部屋から出ていってしまう。気を遣ってくれたのだろうが、その気遣いが逆に痛い。
「いやぁ、これで気兼ねなく可愛がれるなぁ!」
「気兼ねないのは最初からじゃない」
「やっぱ、他人がいると全力で可愛がるのは無理だからなぁ!」
「今も二人ほどいるわよ」
「星王の威厳を守るのは、大事なことだからなぁ!」
いや、星王の威厳なんてものは初めからなかったと思うが。
一言一言に突っ込みたいところがあるのだが、多すぎて、逆に突っ込みづらい。いちいち違和感を指摘するほどの気力は、私にはないのだ。そもそも、騒がしい父親と一緒にいるだけで、疲労感に襲われてしまう。
ただ、時にはこんな風に過ごすことも悪くはないのかもしれない。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.29 )
- 日時: 2018/11/07 21:15
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AtgNBmF5)
28話 情緒不安定気味
今は部屋に四人。私と父親、リンディアにベルンハルト。それだけで、他には誰もいない。先ほどの父親の抱き着きにより、気を遣わせてしまったのかもしれない。
「ところでイーダ、自室の外での暮らしにはだいぶ慣れたかぁ?」
「え、えぇ……」
そういえば、と密かに思った。
ほんの数日前まで、私はずっと自室にいた。一日のほとんどを自室の中で過ごし、誰かと関わることもせず、一人でいたのだ。
だが、今は違う。
今の私には、ベルンハルトやリンディアがいる。それに、自室の外に出て、色々なところを歩いている。
こんなにも一気に生活が変わる可能性など、考えてもみなかった。
「あまり元気のなさそうな声だなぁ」
「……命を狙われているのよ。元気いっぱいとはいかないわ」
すると、父親が叫ぶ。
「何ぃっ!?」
リンディアとベルンハルトは、思わず顔をしかめていた。二人が顔をしかめた原因は、父親の叫びだと思われる。
「まだ狙われているのかぁ!?」
「そうよ。さっきも、毒殺やら狙撃やら試みられたわ」
「うそーん!?」
父親が弾丸のように放つ尋常でないハイテンションの発言にも、今はそれほど笑えなかった。
「どうなってるんだぁ! ベルンハルト!」
突如声をかけられたベルンハルトは、目をぱちぱちさせる。
「さっきちゃんと聞いたぞぉ! イーダの従者になってくれたんじゃなかったのかぁーっ!?」
「そ、そうだ」
「なのになぜイーダが狙われるぅ!!」
父親はベルンハルトへ、重みのある視線を向けている。ねっとりじっとりとした視線だ。
「待って、父さん! ベルンハルトは悪くないのよ!」
「そうなのか? イーダ」
「えぇ、そうよ。ベルンハルトはちゃんと傍にいてくれているわ。彼は何も悪くないの」
責めるべきは、ベルンハルトではない。
「悪いのは……他人の命を狙う人たちよ」
——刹那。
急にダァンと音がした。
驚いて振り返ると、壁にもたれかかるようにして腰を下ろしかけているリンディアが視界に入る。
「リンディア!?」
名を呼ぶと、彼女は細めた目で私を見た。
水晶のような水色の瞳は、確かにこちらを向いている。私を捉えている。だが、いつもより目力がない。
「何事だ」
リンディアのすぐ隣に立っているベルンハルトが、彼女へ声をかけた。
「……べつにー」
「貧血か」
「……放っておいてちょーだい」
しゃがむような体勢をとっている時点で、「べつに」というような状態でないことは明らか。にもかかわらず、リンディアはベルンハルトにそんなことを言った。ということは、もしかしたら、ベルンハルトを心配させたくないからの発言なのかもしれない。
「リンディア、本当に平気なの?」
近寄りつつそう尋ねると、彼女は「へーきよ」と短く答えた。しかし、どうも平気そうでない。
「無理しなくていいのよ?」
「お気遣いどーも。でも、そーいうのは要らないわー」
そこへ、父親の声が飛んでくる。
「イーダの優しさを拒むだとぉっ!?」
「父さん! そういうのは止めて!」
みっともない大声を連発されると困るので、一応制止しておく。すると父親は、私の制止を聞いて口を閉ざしてくれた。彼の素直さは、こういう時には非常にありがたい。
「取り敢えず、少し休んだ方がいいわ。リンディア」
「……役立たずって、思ってる?」
リンディアの顔つきはどこか暗い。顔そのものの華やかさは健在なのだが、そこに浮かぶ表情が日頃とは異なっているのだ。
「まさか。そんなこと、思うはずがないじゃない」
彼女は私を庇ってくれたのだ。にもかかわらず役立たずなんて思うほど、私は恩知らずではない。
「……どーも」
「私のことは気にしないで。今はゆっくり怪我を治して——」
「止めてちょーだい!」
突如、声を強めるリンディア。
彼女の一声で、場が静まり返った。
「不快にさせたならごめんなさい。けど……」
「いいえ。ただ、あたしに気を遣うのは止めてちょーだい。あたしは王女様に気を遣ってもらえるよーな人間じゃないわ」
リンディアの瞳は複雑な色を湛えている。
私が知る限りの言葉では形容できないような、言葉にはならない色。それは、美しくも、どこか寂しげな色である。
「そんなことないわ。今の貴女は大切な従者だもの、心配するのは当然よ」
「当然なんかじゃないわよー」
「そうなの?」
「えぇ。あたし、親切にされると調子狂っちゃうのよねー……どーも慣れないの」
どうやらそういうことだったらしい。対応に困っている、というだけで、不快にしてしまったわけではないようだ。それならまだ良かった。
ただ、ここまでの様子から察するに、彼女が情緒不安定気味であることは確かだ。
現時点では原因は不明だが、彼女には彼女の事情があるのだろう。
「今から慣れていけばいいわ。べつに、何も急がないのだから」
「……優しーのね」
「え? 普通よ?」
彼女はどのような人生を歩んできたのだろう。ほんの少し、そんなことが気になった。
そこへ、ベルンハルトが口を挟んでくる。
「取り敢えず、明後日の休日は休息に使うべきだ」
放たれた言葉に対し、リンディアはベルンハルトをキッと睨む。それから、鋭さのある声色で「アンタは黙ってて」と返した。
二人の間に流れる空気は、とにかく冷たい。
「そのお姉ちゃんは、明後日何かあるのかぁ?」
ベルンハルトに続き、父親までもが口を挟んできた。何も言わずとも、話は聞いていたようだ。
「聞いていたの、父さん」
「そりゃあな! ……で、明後日何があるんだぁ?」
「リンディアは人に会いに行くそうよ」
すると、父親は笑顔になる。
「会いに行かず、来てもらうってのはどうだ?」
父親は提案したが、リンディアは首を左右に動かす。
「いいえ。生憎ですが、それはできません」
「……そうなのかぁ?」
リンディアもさすがに、星王に対しては丁寧な言葉を使うことがあるらしい。星王相手に生意気を言うほどの無礼者ではないようだ。
「イーダが大事にしている人のためなら、誰だって呼び出してやるぞ!」
「それは結構です」
「はっきり言われてしまったぁっ!?」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.30 )
- 日時: 2018/11/08 21:08
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e.VqsKX6)
29話 人影
その晩は自室へ戻った。
正直なところを言うなら、まだ不安があるので、父親のいる部屋にいたかった。
大勢でいれば、怖くないし寂しくもないから。
けれど、怪我しているわけでもない私がいつまでもそこにいたら、迷惑でしかないだろう——そう思ったから、自室へ戻ることに決めたのである。
数日前までずっと閉じ籠もっていた自室だが、久々に戻ると、何だか寂しい気がした。
……なぜだろう。
ついこの前までは、ここが唯一の安息の地だった。自室で過ごす時間だけが穏やかで、外へは極力行きたくないと思っていた。
それは揺るぎないものだったのだ。
それなのに今は、自室内にて一人で過ごす時間を、妙に寂しく感じる。
ベッドに入っても、頭には、ベルンハルトやリンディアばかりが浮かんできた。夜分にもかかわらず、会いたい、なんて思ってしまう。
「明日になれば会える」
私は自分に言い聞かせるように、そんなことを呟く。
そうして横になっているうちに、いつの間にか、眠ってしまっていたのだった。
……。
…………。
風が頬を撫でる感覚に、私はふと意識を取り戻した。うっすらと目を開くが、灯りの消えた部屋ゆえ、あまり何も見えない。ただ、視界の端にぼんやりと、白いものがひらめいている様子が入った。色と動きから察するに、カーテンだろう。
その直後、私の瞳は人影を捉えた。
ベルンハルトかリンディアか、あるいは侍女か。きっと何か用事で入ってきたのだろう。
最初はそんな風に思ったが、どうやら違うらしい、と気づく。
刹那、人影と目が合った。
「——おや」
目が合うや否や、信じられないほどの恐怖感が私の全身を駆け巡る。訳が分からないが、首が粟立つのを感じた。
「起きてしまったようだね」
私が目覚めたことに気づいたらしく、男性の影が近づいてくる。足音をたてない歩き方だが、接近してきていることは、影の動きと気配で十分に分かる。
「助け——っ!?」
咄嗟に助けを呼ぼうとしたが、それより早く、男性の手が私の口元を塞いだ。
黒い手袋をつけた大きな手は、呼吸すらも十分には許してくれない。口だけではなく、鼻までも押さえられているため、息苦しい。
「おっと。騒ぐのは止めていただこうかね」
「……んんっ!」
何か発するよう試みるが、声はやはり出なかった。
その頃になり、ようやく、男性の姿がはっきりと見えてきた。
白い髪はきっちりとセットされていて、極めて紳士的。また、若干柔らかさのある目つきをしている。しかし、単に優しい人といった雰囲気とは異なり、その瞳からは力を感じる。鋭く研がれた刃を瞳の奥に隠し持っているような、そんな目だ。
ちなみに、服装は黒い布をまとっているため見えない。
「何も心配することはない。私はべつに、不潔なことをしにやって来たわけではないのだよ」
夜に勝手に他人の部屋へ侵入している時点で、そこそこ不潔だと思うのだが。
「だから、そんなに警戒しないでくれたまえ」
「んんんんっ!」
するわよ、と言ったつもりだったのだが、やはりまともに発することはできなかった。口元を押さえられているせいだ。
「では、少し失礼」
次の瞬間、私の体はふわりと持ち上がった。
どうやら男性に抱えられたようだ。見知らぬ男性に体を持ち上げられるというのは、どうもしっくりこない。
「おぉ、案外軽い」
今はあまり嬉しくない。
「ガラスのように繊細な腕に、陶器のように滑らかな顔。私もできるなら、君みたいな娘が欲しかった」
「……離して!」
口元を押さえていた手が離れた隙を逃さず、私は叫んだ。そして、手足を動かし抵抗する。こんな怪しい男性に誘拐されるなんて、恐ろしすぎるから。
「おっと。あまり暴れないでくれるかね? 落としてしまいかねないのだが」
「暴れるわよ!」
むしろ、落としてくれた方がありがたいのである。
何としても男性から逃れ、部屋の外まで出なくてはならない。そうしなければ、どんな目に遭うか。だが逆に、扉の向こう側へ行けさえすれば、私の勝ちだ。
四肢をばたつかせ、身をよじる。けれども、男性は離してくれない。
「さて。では行くとしよう」
「ちょっと!」
「大丈夫、動かなければ、危険なし」
「…………」
こうして私は、またしても、渦に巻き込まれていく。
平穏はまだ戻りそうにない。
あれから、どのくらいの時間が経過したのだろう。よく分からない。ただ、男性に抱えられたまま、長い時間が過ぎた。
父親、ベルンハルト、リンディア——みんなは心配するだろうか。私の身を案じてくれるのだろうか。
そんなことを考えながら、夜を駆け抜けていった。
「さぁ、着いた」
男性が足を止めたのは、いつも私たちが暮らしている星都から少々離れた場所。周囲に建物はあまりなく、木々が生い茂っている。都会、という感じではないところだ。
「私を……どうするつもりなの」
「ひとまず中へ。自己紹介はその後にしようではないか」
「まさか殺すつもりで……?」
そう問うと、男性は首を左右に動かす。
「今のところその予定はないよ。状況が変わらない限りは、だがね」
男性が私へ向ける眼差しは、柔らかく優しげなものだった。
……どこまでも不思議な人。
彼は、わざわざ私の部屋へ侵入し、この身を捕らえ、連れ去った。本来なら、そこには悪意しかないはずだ。身代金を要求するにせよ、自身の好奇心を満たすために使うにせよ、である。
しかし、彼の視線から悪の色が伝わってくることはない。それどころか、優しいのだ。
「そう……」
私はそれだけ返すと、口を閉ざした。まったく知らないところなので逃げ出すには適さないが、だからといって彼と何かを話す気にもなれなかったから。
その後、私が連れていかれたのは地下室。
だが、牢屋のような部屋ではない。本やらビニール袋やらが散らかった、生活感たっぷりの部屋だ。
「君にはしばらく、ここで過ごしていただこうかね」
「……暗いわ。それに、凄く散らかっている」
すると男性は口角を上げる。
「ははは。それは失礼」
笑っているようなことを言っているが、心は笑っていないことがまるばれだ。ぎこちなさが凄まじい。
「さて。では自己紹介といこうか」
「…………」
「私の名は、アスター・ヴァレンタイン。呼び方は——ヴァレンなどはどうかね。ま、そこは指定しないが」
アスター。
彼はヴァレンタインの方に重きをおいて名乗ったが、私としては、アスターの方が気になった。というのも、以前リンディアの口から聞いたことのある単語だったから。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.31 )
- 日時: 2018/11/09 17:19
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HPUPQ/yK)
30話 笑われるかもしれない
それでなくとも慣れない薄暗い地下室で、いかにも怪しい初老の男性——アスターと二人きり。その状況に、私は、筆舌に尽くし難い恐怖感に襲われた。
もはや、私を護ってくれる者はいない。このような状況下では、私を護れるのは私しかいないのだ。
だが、いくら私が抵抗したところで、男性に力で勝つことはできないだろう。それゆえ、もう、目の前の彼が悪人でないことを願うことしかできない。
「アスターさん……だったわね」
「そっちで呼ぶとは、驚いたよ。で、何かね」
「どうしてこんなことをするの?」
狙いが分からないので、取り敢えず尋ねてみた。
もちろん、簡単にすべてを話してくれる可能性はかなり低い。だがそれでも、少しは何か判明するかもしれないと思ったから。
「誘拐なんてして……どうするつもり?」
するとアスターは、狭い地下室内にある椅子に腰をかける。彼が腰をかけた瞬間、椅子がキィと軋んだのが印象的だ。
「ただの仕事だよ」
彼は眼球だけを動かして私を見て、小さな声で答えた。
「……仕事? 貴方は、そんなことを仕事にしているの?」
品のある容姿からは、そんな物騒な内容を仕事にしている人間だとは想像がつかない。
「そうだよ」
「……もったいないわ。貴方みたいな人なら、真っ当な職にだって就けるでしょうに」
「そんな風に言っていただけるとは、光栄だ。ま、無理なのだがね」
さりげなく、ばっさりと否定されてしまった。
「普通の家に生まれ、普通に育っていっていたなら、真っ当な職に就けた可能性もあったかもしれないが……なんせ、色々複雑だったのでね」
「でしょうね。王女を誘拐、なんて、どう考えても普通じゃないもの」
つい本音を漏らしてしまい、やってしまった、と慌ててアスターへ目を向けた。
機嫌を損ねてしまったら大変だ。私の命に関わるのだから。
しかし、意外にも、アスターは怒りの色を浮かべてはいなかった。それどころか、口元に笑みを湛えている。
「いかにも! 君は正しい」
彼は案外機嫌が良さそうだ。
「せっかくだ、歓迎会といこう。何が良いかね? えぇと……」
椅子から立ち上がったアスターは、黒い布を脱ぎながら、テーブル近くの四角い棚へと向かう。そして振り返る。
「酒は嗜まれるのかね?」
「飲まないわ。というより、まだ飲める年ではないの」
「それは残念だ」
「ごめんなさいね」
「いやいや。何も気にすることはない」
では、とアスターは続ける。
「これはどうかな?」
彼が棚から取り出したのは、透明のビニール袋に入った、綿のような塊。触ると柔らかそうだが……食べ物なのだろうか。
「それは?」
「まさか、知らないのかね? 綿菓子という食べ物なのだが」
その時、ベルンハルトの発言を思い出した。
この前取り逃がした狙撃手に関する情報の中にも、確か、綿菓子が何とかというものがあったような……。
「分かったわ、綿菓子! そういえば、そんな見た目だったわね!」
うっかり明るい声を出してしまった。
これではまるで、ここにいることを楽しんでいるかのようではないか。相手のペースに乗せられないよう、気をつけなくては。
あくまで敵地であるということを、忘れてはならない。
「差し上げよう」
アスターは、綿菓子の入った透明のビニール袋を渡そうとしてくれる。
「……結構よ」
だが私は、そっぽを向いた。
日頃ならこんな態度をとることはしなかっただろう。せっかく渡そうとしてくれているのを拒むなど、申し訳ないから。
しかし、今は別だ。
「な。ほ、本当に要らないのかね?」
「えぇ」
「そうか。お気に召すものがなくて、すまないね」
「……いえ」
この狭い空間に、親しくもない男性と二人というのは、精神的に疲労を感じざるを得ない。が、このくらいで弱っていては王女なんて務まらない。だから私は、己を励まし、気をしっかり持つように心掛けるようにした。
一方アスターはというと、私が受け取らなかった綿菓子の入ったビニール袋を開けつつ、元の椅子へと戻っている。
「アスターさん、あの……」
私は勇気を出して、改めて話しかけてみることにした。
「少し……聞かせてもらっても構わない?」
「ん? 何かね」
彼は綿菓子をつまみながら、私へと視線を向けてくる。その表情から悪さを感じ取ることはできない。やはり、彼が悪人だとは思えなかった。
「私を誘拐するよう、貴方に頼んだ者がいるの?」
「……鋭いね、君は」
いや、べつに鋭くはないと思う。
振る舞いを見ていれば、彼が根っからの悪人でないことは分かる。実際、ここへ来るまでも、もちろん今も、彼はあまり乱暴な手段を使おうとはしなかった。真に悪人であるならば、私を丁寧に扱ったりはしないはずだ。
「やっぱり。それは誰なの?」
「残念ながら、それをお教えすることはできない。依頼主との契約違反になるからね。それに……私はあまり口の軽い男ではなくてね」
「……真面目なのね」
「いいや、そうではない。普通なのだよ、これが」
綿菓子を口に含みつつ述べるアスター。彼の表情には、暗い影がまとわりついているように見えた。本当はこんな仕事をすることを望んでいないのかもしれない。見た者をそんな風に考えさせるような、複雑な顔つきをしている。
「私のような仕事は、口が固くなければやっていけないのでね」
「そう……大変ね」
——大変?
言った後で、私は不思議に思った。
目の前の男性に対し、憐憫の情を抱いてしまっている私がいる。そのことに戸惑ってしまったのだ。
そんな風に、一人戸惑いの波に飲まれかけている私へ、アスターは声をかけてくる。
「……それにしても、調子が狂うのだが」
彼はまだ綿菓子を食べている。だが、先ほどまでは存在した暗い影は、その顔から消えていた。
「どうして?」
「普通は、もっと逃げようとしたり暴れたりするものなのだが、君は大人しい。しかも、一日も経っていないにもかかわらず、ここに馴染んでいる」
馴染んでなんかないわよ。
そう言ってやりたい衝動を抑えつつ、アスターの顔へ視線を注ぐ。
するとアスターは、目を数回ぱちぱちさせた後、困ったような顔つきになる。
「……な、何かね?」
どこかあどけなさの残る、困惑したような顔。微かに恥じらいを感じさせるそれは、少年みたいな雰囲気を醸し出している。
可愛らしいことは可愛らしいのだが、初老の男性には少しばかり似合わない……かもしれない。
「アスターさん、もし良かったらなのだけど」
やはり、彼を完全な悪人と思うことはできない。そこで、思いきって説得してみることにしたのだ。
「私の依頼も……受けてくれない?」
馬鹿だと笑われるかもしれないけれど。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.32 )
- 日時: 2018/11/10 17:25
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ShMn62up)
31話 地下室にて
依頼を受けて私を誘拐したのなら、それは彼自身の意思によるものではないということ。それならば、説得して私の味方になってもらうことも夢ではないはずだ。そう考えて、私は口を開く。
「依頼するには、何が必要なの? お金なら、家に帰ればいくらでもあるわ。私の貯金だけでも、それなりの金額は出せると思うし……」
今は一応、敵同士という感じではある。だが、これといった何かがあって対立しているわけではない。
だから、きっと——そう思っていたのだけれど。
「いや、君に雇われることはできない」
きっぱりと断られてしまった。
「……なぜ?」
「私みたいなのは、気安く雇わない方がいいのだよ」
「そ、そうなの?」
「王女が人殺しを雇っていたなど、大問題になると思うがね」
アスターはきっぱりと言い放つ。ただ、嫌そうな顔をしてはいない。
……大丈夫、まだいける。
「貴方、本当は今の仕事に納得していないのでしょう? 私のところへ来てくれれば、もう無意味な殺しなんてしなくて済むわ」
私がそこまで言った瞬間。
アスターは突如立ち上がり、金属のような冷たい視線を向けてきた。
「無駄だよ」
つい先ほどまでのアスターは、穏やかな紳士といった雰囲気だった。しかし今の彼の瞳には、穏やかさなんてものはない。
「たとえ何と言われようとも、私が仕事を放棄することはない」
「仕事?」
「そう……王女を連れ去り、助けに来た従者を殺害するという仕事だよ」
アスターの唇から放たれた言葉に、私は思わず声を荒らげてしまう。
「それは止めて!」
私が傷つくだけならまだ諦められる。が、ベルンハルトやリンディアまでもが巻き込まれたら、ということは考えたくない。
「従者を殺すのは止めて!」
「おっと、どうしたのかね? いきなり取り乱すなど、君らしくない」
「約束してちょうだい! 従者は殺さないと!」
こんなことを言っても無駄かもしれない。遺される者の痛みなど、彼はきっと分かってくれないだろう。いくら訴えようと、何の意味も為さず終わる可能性が高い。
だがそれでも、言葉を口から出さずにいることはできなかった。
「まずは落ち着きたまえ」
「落ち着いていられるものですか! こんな状況で!」
「いやいや。先ほどまでは落ち着いていたではないか」
確かにそうだ。
けれども、従者に手を出すつもりだと知ってしまった以上は、黙ってなどいられない。
——だが結局、私の訴えが聞き入れられることはなかった。
聞き入れられるどころか、逆に、手首を掴まれてしまう。アスターの握力は、予想を遥かに超える強さだ。年老いても男、といったところか。
「黙っていただけるかね?」
氷のように冷たく、刃のように鋭い——そんな瞳で凝視されると、得体の知れない悪寒に見舞われて、言葉を失ってしまう。
「物分かりが良くて助かるよ」
いやいや、物分かりなんて関係ないわ。
そう言いたい気分だ。
こうもあからさまに圧をかけられては、誰だって黙る外ないだろう。物分かりが良いか悪いかなんてことは、ほとんど関係ないはずだ。こんなにも冷ややかな視線を向けられ、それでもなお大人しくならない人間がいるとすれば、よほど勇敢な者に違いない。
「では、もうしばらくはここで辛抱していてくれたまえ」
私は、地下室の突き当たりの壁にぴったりと合わせて置かれたベッドに、半ば強制的に座らされた。簡単に木材を組み、タオルを敷いただけのようなベッドなので、座り心地もあまり良くない。
「そこは日頃私のベッドだが、今日は特別に、君に貸して差し上げよう」
「……貴方のベッドなの」
「なに、心配することはない。敷いてあるタオルは、毎日きちんと洗っているからね」
そんな風に話すアスターは、元の穏やかな雰囲気に戻っていた。
「何なら嗅いでみても構わないのだが」
「嫌よ!」
思わず叫んでしまった。
「おぉ、そんなに鋭く拒否されるとは」
「……いきなり叫んだことは謝るわ。けれど、私にはそんな趣味はないの」
「それはそうだろうね」
分かっているなら、言わないでほしかった。
「では失礼するとしよう。もうすぐ朝が来るが——しばらく休んでいるといい」
アスターはそう述べると、まとっていた黒い布を脱ぎ、テーブルの上に置く。そして、紫のスーツ姿になり、地下室から出ていった。
……アスター、綿菓子、紫のスーツ。
すべてが上手くはまっていく。まるで、パズルのピースが綺麗にはまっていくかのように。
やはり彼が、アスター・ヴァレンタインが、あのホールで私の命を狙った男性なのだろうか。
アスターが地下室から出ていった後、私はその場に留まったまま、ぼんやりと辺りを見回していた。理由などない。ただ、今はあまり動く気にはなれなかったのである。
それにしても——ここは物騒な部屋だ。
壁には銃が立て掛けられているし、テーブルの上には何やら怪しげな部品のようなものが散らかっている。そちら方面に関する知識が乏しい私でも、物騒さを感じるほどである。
「……ベルンハルト」
ごろりとベッドに転がると、半ば無意識で、彼の名を漏らした。頭の中に、ふと、彼の顔が蘇ったから。
助けてほしい。助けに来てほしい。
そう思いはするけれど、私はすぐに首を横に振った。
もし戦いになれば、アスターはベルンハルトを潰しにかかるだろう。仕事だから——その言葉が存在する限り、アスターは手加減などしてくれないはずだ。アスターとベルンハルトがぶつかった時、どちらが勝利を掴むのかなんて、実際にやってみないと分からない。
「はぁ」
仰向けに寝たまま溜め息を漏らした、その時。視界の端に、不意に、何か四角いものが入った。
「あれ?」
私は上体を起こし、四角いものを手に取る。よく見ると、厚みのある本のような形をしていた。
「これって……」
紫色のハードカバーを開く。中は白いノートになっており、黒い文字がずらりと並んでいた。印刷ではなく、手書きの文字が。恐らく、日記帳か何かなのだろう。
私は最初のページから、軽く目を通すことに決めた。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.33 )
- 日時: 2018/11/12 09:30
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)
32話 日記帳と繋がり
そこに綴られていたのは、物語。
若くして狙撃手としての才能に目覚め、いくつもの大きな成功を経て高名を手にした、一人の男性。そんな彼が、その栄光の裏側で、いかに考え悩んできたのか。恐らく誰も知らないであろう苦悩が、そこには鮮明に書かれていた。
そして、一人の少女との出会いについても記されている。
知人の娘である、赤い髪をした気の強い少女が、弟子入りすべくやって来たこと。彼女に色々教えつつも楽しく過ごしたこと。
その少女の名が——リンディアだった。
「……やっぱり」
リンディアが以前言っていた師匠というのは、アスター・ヴァレンタイン、彼のことだったのだろう。
だが、それにより、ますますよく分からなくなってしまった。
なぜアスターは、私の従者と戦うことになるような仕事を受けたのだろう。かつての弟子がいるというのに。
リンディアが私の従者になったことを知らなかったのだろうか?
それならば、彼が仕事を受けたのも分からないではない。なんせ、リンディアが私の従者となったのは、数日前のことだから。
しかし、それならば、気づいた時点で身を引こうとすると思うのだが。
……いや、どこか抜けたところのある彼のことだ。引こうと思ってはいるもののそのタイミングを逃した、ということもありえなくもないか。
私はそれからも、日記帳を読み続けた。
正直に言うならば、私はあまり、読書というものが得意な方ではない。本は必要であれば読みはするが、自ら進んで読んだ本というのは、あっても数冊しかないと思う。
そんな私ではあるが、この日記帳はどんどん読み進めることができた。
文章が滑らかで、心情が伝わってくる。飾り気のない言葉ばかりなのに、意識しないうちに引き込まれてしまう。それはもはや、日記などというレベルではない。一つの小説のよう、と言っても言い過ぎではないレベルだ。
人殺しなんて止めて、物書きにでもなればいいのに。
そんな風に思いながら、読み終えた日記帳を閉じ、元々置いてあった場所へと戻した。
ーーふと、目を覚ます。
「少しは眠れたかね?」
気がつくと、室内にはアスターがいた。
彼はベッド横の椅子に座っている。にもかかわらず、今まで気づかなかった。
どうやら、あの日記帳を読み終えてから寝てしまっていたらしい。
「え、えぇ……少しだけ」
日記帳を読んでいてあまり寝ていない、なんてことは言えないので、曖昧な返事にしておいた。
真実は述べられないが、これといった良い嘘も思いつかなかったからである。
アスターは先と変わらず、紫色のスーツを着ていた。だが、白髪が以前よりもさらりとしているような気がする。恐らく、風呂に入りでもしたのだろう。
「少しでも眠れたのなら、良しとしよう。おかげで、私も風呂に入ることができた」
やはり、入浴を済ませてきたみたいだ。
「今は……お昼?」
「そうだよ。真っ昼間、というべきかな」
太陽光の入ってこない薄暗い地下室にいると、どうしても、時間が把握できなくなってきてしまう。ヒントが何一つない、というのは、なかなか厳しいものがある。
「さて」
アスターはゆっくりと腰を上げ、壁にかけられた銃器を手に取る。
「そろそろ時間かな」
彼の瞳が冷ややかな輝きを放つのを見て、私は思わず後ずさる。
「……射殺でもするつもり?」
腕が、唇が、震えた。
その黒い銃口がこの身に向けられるところを想像してしまったから。
だが、彼は首を横に振った。
「まさか。安心したまえ、君を射殺する気などないよ」
私は内心、胸を撫で下ろす。
しかし、呑気に「良かったぁ」などと思っている暇はない。まだ何も解決してはいないのだから。
「餌とはなってもらうが、ね」
「……従者を仕留めるための?」
「その通り! 君は察しがいいね!」
アスターは一瞬笑みを浮かべ、らしからぬ明るい声を出す。
「その従者が……リンディアであっても?」
私は恐る恐る言った。
すると、アスターの表情が固まる。
「リン、ディア?」
「えぇ。彼女は貴方の弟子よね」
「……なぜ君がそのようなことを?」
アスターは目を細め、訝しむような顔をしながら、首を傾げた。彼の頭の中には、いくつもの疑問符が浮かんでいることだろう。
「リンディアは今、私の従者なの。だから、彼女から聞いていた話と貴方の言動から推測したのよ。従者を殺害するということは、貴方が彼女を傷つけなくてはならないかもしれないということ。それでも止めるつもりはないの?」
既に初老とはいえ、アスターは一般人でないのだ。この程度で彼の心が揺れるとは考えづらい。
「躊躇うのだろうね、普通の人間なら」
その声は低い。真夜中の湖畔のような、不気味なほどの静けさを含んだ声だった。
「仕事ゆえ、仕方ないのだよ。……それに、私はもう躊躇うことを忘れてしまった」
黒くいかにも重そうな銃器を抱えながら、アスターは呟くようにそう述べた。ところどころしわの刻まれた顔面には、寂しげな色が、水彩画のように滲んでいる。
——その時。
突如、爆発音が響いた。
鼓膜を破りそうなほどの大きな音が、地下室の淀んだ空気を大きく震わせる。
助けかもしれない!
そう思った瞬間、胸の奥から希望という名の光が溢れ出てきた。
一旦溢れ始めた光は止まることを知らない。涙が止まらなくなるのと同じように、希望も、一度溢れ出すと止まらないものなのだろうか。
「お出ましかな」
アスターは銃器を持ったまま、地下室の外へと歩みを進める。
その背は、年齢ゆえか、哀愁を漂わせていた。
地下室からアスターが出ていった後、私は、扉の隙間から外の様子を覗く。
扉の隙間と言っても、顔一つが通るかどうかさえ分からないほどの細い隙間だ。外の光景がちゃんと見える保証はない。が、ひと房の赤い髪が視界を駆け抜けた。
赤い髪ということは、来てくれたのはリンディアだろうか。
「まーさか、こんなことになるとはねー。馬鹿な師を持つあたしの身にもなってほしーわ」
「会うのはいつ以来だったかね? 久々に会えて嬉しく思うよ」
「こんな形で再会なんてしたくなったわー」
「そうかね。やはり厳しいな、君は。昔の可愛らしさはどこへ消え去ったのやら」
明るさ不足のせいで、顔まではっきりとは見えない。
ただ、声でリンディアだと判断できた。
「うっさいわねー。ちょーしに乗ってんじゃないわよ、ジジイ。その口、撃ち潰してやりましょーか」
この乱暴さのある口調。間違いない、リンディアだ。
「撃ち潰す? いやはや、これまた奇妙な動詞を作ったものだね」
リンディアは「とにかく」と言い、少し空けて、急に声を荒らげる。
「王女様ーーイーダ王女は、返してもらうわよ!!」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.34 )
- 日時: 2018/11/12 09:31
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)
33話 銃弾の嵐の中
リンディアの叫びとほぼ同時に放たれたのは、緑色の細い光。
何がどうなった放たれた光なのか、私は暫し分からなかった。だが、アスターがトリガーを引いているようには見えない。となると、リンディアが放ったものなのだろう。
もしかしたら、彼女が光線銃を使ったのかもしれない。
いつも彼女が持っているある赤い拳銃が、光線を放つことのできるものだったという可能性が有力だろうか。
「まったく、いきなり他人に向かって撃つとは。危険だとは思わないのかね」
アスターは先ほどより数歩下がった位置に立ち、顔をしかめている。
「さすがのあたしも、ふつーは撃たないわよー」
「普通は撃たないのに、師匠に向かっては撃つのかね」
「今は敵だもの。撃つのはとーぜんじゃない」
隙間が狭く、よく見えない。
ここから見て分かるのは、リンディアとアスターが武器を手に対峙していることだけだ。
「年寄りを敬う心くらいは忘れないでほしいのだがね!」
直後、アスターがトリガーを引いた。
ダダダ! と轟音が響く。
頭蓋骨まで粉砕されてしまいそうな音に、私は思わず耳を塞いだ。凄まじい銃声には、まだ慣れない。
リンディアは低い姿勢で銃弾を避け、鋭く発する。
「ベルンハルト!」
彼もいるのだろうか。
もしここへ来てくれているのだとしたら、会いたい。
そんなことを考えていると、こちらへ向かって駆けてくるベルンハルトの姿が見えた。扉へと一直線に向かってきている。
「そう容易く連れ帰られるとは思わないでくれたまえ! ……なんて言ったらかっこいいかもしれないね」
ベルンハルトが駆け出したことに気づいたアスターは、すぐに狙いをベルンハルトへ移す。
目標こそ変わったが、行うこと自体は変わらない。アスターはそのまま連射を続ける。
扉を貫通した弾丸が当たるかもしれない——そう思った私は、ほんの少し横へと移動。その数秒後、いくつかの弾丸が、扉に穴を空けた。
銃弾が飛び交う、狭い地下室。
もはや、私が様子を確認できるような状況ではない。
「……っ」
私にはもう、耳を塞ぎ、部屋の隅で小さくなっていることしかできなかった。銃弾の餌食にならないためには、それしかなかったのである。
ーー少しして、そんな私の耳に、落ち着きのある声が聞こえてくる。
「無事か、イーダ王女」
戸惑いつつ顔を上げると、ベルンハルトの姿が見えた。白いカッターシャツに黒のズボンという質素な服装だが、この状況下においては、王子様か騎士のように感じられる。
「ベルンハルト……!」
「怪我は」
「ないわ。大丈夫よ」
傍にしゃがみ込んでくれたベルンハルトに、私は思わず抱き着いた。
王女が異性の従者に抱き着くなど、問題かもしれない。それに、まだ解決したわけではないので、油断している暇はない。
しかし、彼に会えたことが嬉しくて、つい心のままに行動してしまったのだ。
「いきなりどうしたんだ」
「また会えて……良かった……!」
アスターは私を殺す気ではないようだった。だが、解放してくれない可能性が高かったことは事実。一歩誤れば、私は一生この地下室で暮らさねばならないかもしれなかったのだ。
「僕はべつに、そのような言葉を求めてはいない」
ベルンハルトは冷めていた。ただ、今は、そんな冷めた様子すらも愛おしい。
「ありがとう。来てくれて」
「礼は要らない。来たくて来たわけではないから」
……やはり冷たい。
せっかく感動の再会を果たしたというのに、このテンション。さすがに低すぎないか、と思ってしまう。
「ひとまず出よう」
「えぇ。けど……あの銃弾の嵐の中を行くの?」
ベルンハルト一人なら問題ないのだろう。
しかし私は素人だ。銃弾を避け続ける自信など、欠片もない。
「それしか方法がない」
「……それは少し、怖いわ」
「外にはリンディアがいる。あの女なら上手くやるはずだ」
アスターは多分、相手がリンディアであっても躊躇わずに撃つだろう。彼は切り替えのできる人間だから。
けれど、リンディアがアスターを一切躊躇いなく撃てるのかは、分からない。
もしそれができないのだとしたら、リンディアとアスターの戦いは、リンディアが圧倒的に不利だろう。
「リンディアに無理はさせられないわ」
「何を言っている? 貴女が助かるのが第一ではないのか」
「助からないより助かる方が良いことは確かよ。けれど、リンディアを危険に曝してまで……」
私が言い終わるより早く、ベルンハルトは私の腕を掴んだ。そして、私の体を一気に引き寄せる。
突然のことに、私は思わず放ってしまう。
「ちょ、ちょっと? ベルンハルト?」
しかし彼は、私の言葉には答えない。そのまま私の体を抱え上げた。
最近、こうして抱き上げられることが妙に多い気がする……。
「もう何も言わなくていい。このまま外まで連れていく」
「悪いわ、そんなの。重たいでしょう? 自分で歩——」
「いや、べつに重たくはない」
ベルンハルトは淡々とした調子で述べると、私の体を持ち上げたまま、外へと歩みを進めていく。
その様を目にしたアスターは、銃口をこちらへと向け——かけたが、リンディアに飛びかかられてそのまま床に倒れ込んだ。
「させないわよ!」
「まったく……少しは労ってほしいものなのだがね……」
「銃口を向けておいて、よくそんなことが言えるわねー!」
若くないとはいえ、アスターも男性だ。それを飛びかかって押し倒すリンディアの勢いといったら、凄まじいものがある。
「ベルンハルト! 先に行ってちょーだい!」
リンディアは、アスターを床に押さえつけたまま、顔だけをこちらへ向けて叫んだ。その言葉に対し、ベルンハルトはこくりと頷く。
「リンディア! 怪我しちゃ駄目よ!」
私はベルンハルトに抱き抱えられたまま、リンディアに向かって述べる。
すると彼女は、ほんの数秒だけ私へ目を向けてくれた。口角が持ち上がっていたことから察するに、「分かっている」と言いたかったのだろう。
こうして私は、リンディアとベルンハルトの活躍により、無事地下室から脱出することができたのだった。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.35 )
- 日時: 2018/11/13 10:14
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SsbgW4eU)
34話 浮遊自動車オルマリン号
救出された後、私は、外まで迎えに来てくれていた浮遊自動車——通称オルマリン号にベルンハルトと乗った。
数年前、世に初めて浮遊自動車というものが現れた時、父親がすぐに購入したのが、このオルマリン号である。
数十センチほど浮いて走行するため、従来の自動車より震動がかなり少ない。そんな謳い文句で登場した浮遊自動車だったが、乗り心地がいまいちとの意見が多く、人気を博すことはなかった。
その結果、浮遊自動車は世から消えてしまうこととなる。
恐らく、いまだにこれを使っているのは、星王家の人間くらいしかいないだろう。
それにしても、このオルマリン号。実に何とも言えない乗り心地である。
「相変わらず狭いわね……ねぇ、ベルンハルト」
隣に座っているベルンハルトへ視線を向ける。
彼は何やら本を読んでいた。
「本?」
すると、ベルンハルトは本を閉じ、こちらへ目を向けてくる。
「何か言ったか」
「本を読んでいるの?」
「そうだ」
正直、意外だ。
ベルンハルトは本なんて読まないものと思っていた。
「何の本?」
「あ、いや。たいしたものではない」
「小説か何か? 見せて!」
「な、止め——」
ベルンハルトが持っている本を見ようと、彼の方へ身を乗り出す。が、勢いがつきすぎたせいで、ベルンハルトの太もも辺りに倒れ込んでしまった。
浮遊自動車が大きく左右に揺れる。
「何事ですか!?」
運転手の男性は驚きに満ちた顔で振り返り、後部座席を確認してきた。そして、狭い座席内でとんでもない体勢になっている私たちを目にし、ますます驚いた表情になる。
「……一体、何を?」
振り返った彼は、ベルンハルトへ訝しむような視線を注ぐ。
「従者とはいえ……王女様に手を出したりしたら、とんでもないことになりますよ」
「僕は何もしていないが?」
疑うような目を向けられても、ベルンハルトは冷静だった。この状況でも落ち着いた口調であれるその度胸は、見上げたものだ。
「……本当ですか?」
「僕は本を読んでいた。そこにイーダ王女が突っ込んできた。それだけだ」
「……事実で?」
「そ、そうなの! 私がうっかりしてしまっただけよ!」
怪訝な顔をする運転手に向け、私は慌てて言った。このままではベルンハルトが悪者になってしまいかねない、と感じたからである。
「それなら仕方ありませんよね」
「揺らしてしまって、ごめんなさい」
「そこの従者に原因があったなら、上へ申し上げるところでしたよ」
私が迂闊な行動をとったせいで、ベルンハルトらに迷惑がかかることもあるのだと、改めて気づいた。
これからは気をつけなくては。
「そういえばベルンハルト」
「何だ」
「リンディアは大丈夫かしら」
元の体勢に戻ってから、私は彼に話を振ってみた。
「怪我とかしていないと良いのだけれど……」
するとベルンハルトは、眉を寄せつつ返してくる。
「あの女なら、そう易々と負けはしないと思うが」
仲は良くなくとも信頼してはいる、ということなのだろうか。
何にせよ、ベルンハルトに「易々と負けはしない」と言わせるリンディアは凄いと思う。彼が認めざるを得ないくらい有能だということだから。
「それにリンディアは、貴女を誘拐した男と知り合いだ。向こうも本気で手は出せないだろう。そこを考慮すれば、リンディアが不利ということはないはず」
できればそうであってほしい。
アスターは躊躇いなどないと言っていたけれど、その言葉が偽りであってほしいと、今は心から思う。
「そう……そうよね」
「まだ納得できないのか?」
「いえ、そんなことはないわ。ベルンハルト、貴方は正しい」
可愛い弟子を手にかけることのできる人間など、存在しない。
きっと……そのはずなの。
「ご無事で何よりです、王女様」
帰還した私を迎えてくれたのはシュヴァルだった。
あんなことがあった後だというのに、彼はいつもと変わらない微笑みを浮かべている。私の身をさほど心配していなかったことが、まるばれだ。
星王の側近である彼からすれば、その娘である私のことなど、正直どうでもいいのかもしれない。
「お迎えありがとう、シュヴァル」
「星王様がお待ちです」
シュヴァルは私の従者ではない。だから、こんな風にあっさりとした対応なのも、当然といえば当然なのだろう。ただ、やはり少し寂しい気もする。
それから私は、シュヴァルについていった。
すぐ後ろにはベルンハルトが控えてくれている。そのため、安心感はかなりある。
もちろん、ベルンハルトが裏切らない保証なんてものはない。だが、これまで何度か私を救ってくれた彼のことは、純粋に信じられる。
「それにしても、王女様を誘拐するような不届き者がいるとは、驚きました」
父親のところまで案内してくれている途中、シュヴァルが唐突に口を開いた。
「私も驚いたわ。扉の外には見張りがいたはずなのに、気づかれず部屋へ入ってくるなんて……予想外よ」
「仰る通りです。このシュヴァルも、話を伺い驚きました」
私とシュヴァルが、ある程度の距離を保ちつつ言葉を交わしていると、後ろにいたベルンハルトが口を挟んでくる。
「ここは警備がいい加減すぎる」
ばっさりと言ったベルンハルトを、シュヴァルはさりげなく睨みつける。ナイフの先みたいに鋭い、ゾッとするような目つきで。
「ベルンハルト。無駄口を叩くのはお止めなさい」
しかし、当のベルンハルトは表情を崩さない。
睨まれたわけでもない私すら、気味の悪い悪寒に見舞われたというのに。
「僕は事実を言ったまでだ」
「今ここで言うべきことではないでしょう」
「なるほど。言われては困ることだった、ということか」
「そうではありません。ただ、不安を煽るような発言を慎んでいただきたい、というだけのことです」
シュヴァルとベルンハルトの間に漂う空気は、とにかく冷たい。話に参加していない、近くにいるだけの私ですら身震いするほどの、冷たすぎる空気である。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.36 )
- 日時: 2018/11/14 05:43
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: BEaTCLec)
35話 表裏一体
その後、私は父親と会った。
私の顔を見た彼は、星王らしくなく涙ぐんだ。しかも、近くにシュヴァルやベルンハルトがいるにもかかわらず、躊躇うことなく抱き締めてきた。
「無事で良かったぁっ!」
「え。え、ちょ……」
父親の凄まじく高いテンションに、私は上手くついていくことができなかった。
「心配したぞぉっ!」
「あ、ありがとう……」
それしか言えない。
「イーダは可愛いから、狙われるのは仕方ないのかもしれない! だがしかし! わざわざ自室に忍び込んでというのは、怪しからん!」
私たち二人以外もいるところでこんなことを叫ぶのは、勘弁してほしい。親馬鹿も大概にしてくれ、と言いたい気分だ。
「で、誘拐犯はどんな男だったんだぁ!?」
「普通におじさんだったわ」
「おじさん!?」
私が発した答えに、父親は目を大きく見開く。彼の予想とは違っていたようだ。
「お、おじさんだって!? こんなくらいのおじさんか!?」
父親は自分を指差しながら質問してきた。
だが、いきなりそんな質問をされても、よく分からない。
「多分もっと上だと思うわ」
「そうなのか……はっ! まさか!」
「え?」
「そいつの狙いは、父親の座かっ!?」
えぇぇ……。
そんなこと言われても。
アスターは確かに怪しげな人ではあった。服装もあまり見かけないようなものだったし。けれどさすがに、「父親になりたい」なんて思ってはいないだろう。
「まさか、それはないと思いますよ」
私が返答に困っていたところ、シュヴァルが入ってきてくれた。
「王女様の父親になろうなどと企むような身の程知らずは、この星にはいないでしょう」
「そうかぁ? イーダは可愛いから、起こりえると思うんだが?」
「王女様がお可愛い、ということは間違ってはいないでしょう。星王様の仰る通りです。ただ、父親になりたいと思うかどうかは、また別の話ですよ」
シュヴァルのことは、正直、あまり好きでない。だが、こういった場面で口を挟んでくれるのは、ありがたいと思う。
「普通の人間は、そんな恐れ多いことを考えたりはできません」
冷静なシュヴァルの言葉を聞き、父親はぱあっと明るい顔つきになる。その切り替えの様は、まるで小さな子どものようだ。
「そうか! それもそうだな!」
父親は何やら嬉しそうである。
「イーダの父親は譲るものか!」
……いや、だから、誰も父親の座を狙ってなんかいないってば。
内心そんな風に呟いてしまった。が、それは私だけの秘密にしておこう。
「それでシュヴァル。犯人の犯行動機の調査は?」
父親は急に真顔になった。
「確保が完了し次第、速やかに調査に移ります」
「頼りにしているからな」
「このシュヴァルにお任せを」
シュヴァルは軽く頭を下げると、口元に微笑みを浮かべたまま退室していく。足音もたてない、滑らかな足取りで。
「……何が面白いのよ」
部屋から出ていくシュヴァルを背を眺めながら、私は半ば無意識に漏らしてしまった。その言葉を聞いて驚いたのか、父親とベルンハルトが、同時に私へ視線を向けてくる。
「イーダ?」
「イーダ王女?」
私へ視線を向けた二人が私の名を発したのは、ほぼ同時。
「シュヴァルがどうかしたのかぁ?」
個人的にはあまり好きでないが、父親はシュヴァルを信頼している。だから、シュヴァルを悪く言うことはしづらい。
「あ……べつに。何でもないわ」
どう答えるべきか暫し考えた後、私はそう発した。
するとベルンハルトが言う。
「何か思うことがあるなら、はっきり言った方がいい」
そこへ、父親も乗っていく。
「そうだぞ! 遠慮は要らない!」
私は真実を告げるべきかどうか迷った。
シュヴァルを信用できない。
ベルンハルトはともかく、父親にそんなことを言っていいものか。
父親はシュヴァルを信頼し、側近として重用している。もし仮に、私がこの心をはっきりと言えば、父親の考えを真っ向から否定することになってしまう。
「いえ。本当に……何でもないの」
父親の考えをあからさまに否定することは、今の私にはできなかった。
そんな勇気はない——それが真実だ。
「イーダ王女。さっきは何を言おうとしていた?」
父親が星王の仕事とか何とかで部屋を出ていき、殺風景な部屋に二人だけになってから、ベルンハルトはそんなことを尋ねてきた。二人だけになったタイミングを見計らい、質問してくれたのだろう。
「本当に何でもないわ」
「シュヴァルか?」
ベルンハルトの言葉に、私はドキリとした。
まるで、心を見透かされているみたい。
「……気づいていたの」
「当然だ。シュヴァルの背を見ながら呟いていたからな」
「……そうだったのね」
どうやら、ばれていないと思っていたのは私だけだったようだ。隠せているつもりでいただけに、少し恥ずかしい。
「よく見ているのね、ベルンハルト」
「それが僕の役目だ」
確かに、そうかもしれない。従者が主の様子をしっかり見ているのは、何も珍しいことではないのだから。
「……ありがとう」
「え」
「オルマリン人なんて好きではないでしょう。なのに貴方は、私の傍にいてくれている」
そんな彼に対し、「ありがとう」以上に言わねばならない言葉など、存在するだろうか。少なくとも、私には思いつかない。
「本当にありがとう」
ベルンハルトは、目を見開き、眉を寄せた。彼の凛々しい戦士のような顔に、今は、戸惑いの色だけが滲んでいる。
「これからもまた迷惑をかけてしまうかもしれない。でも、貴方を不幸にはしないように頑張るわ。だから、ずっと傍にいてね」
周囲に誰もいないからこそ言えた言葉だ。父親、シュヴァル、リンディア——その誰か一人でもここにいたなら、こんなことは言えなかったと思う。
しかし、ベルンハルトはきっぱりと返してくる。
「いや、ずっとはない」
彼が何を言おうとしているのか分からず、私は混乱する。
「そうなの……!?」
「健康体でなくなった場合や、貴女が結婚した場合など、僕が貴女の従者でなくなる可能性はいくつも存在する」
「え、え……」
「そもそも、人間には『ずっと』などない。人間は有限の生き物だ」
もはやオロオロすることしかできなかった。彼の言葉は、私に、一番信じたくないことを突きつけていたから。
「頷くことは簡単。だが、簡単に頷くことは、裏切りにもなりかねない」
ベルンハルトの黒い瞳は鋭い。私の、見ないふりをしている深部を、いとも容易く突いてくる。
だから苦手。だから怖い。
けれど——それが少し嬉しくもあるの。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.37 )
- 日時: 2018/11/15 07:41
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: tDpHMXZT)
36話 お帰りなさい
その日の晩、自室前にてリンディアと再会した。
リンディアの姿を見るや否や、私は、彼女に抱き着いてしまった。離れていたのは約一日くらいにすぎないのに、もうずっと会えていないような気がしたから。
「無事だったのね! リンディア!」
「えぇ、そーなの。けど……どーして抱き着くの? 王女様」
感情のまま行動してしまったため、リンディアに戸惑った顔をされてしまった。嫌がられていないことは救いだが、困惑されてしまうというのは少々恥ずかしいものがある。
「一人残してきてしまったから、心配だったの」
「なるほど。そーいうことねー」
「怪我はなかったの?」
「もーちろん! あんなジジイに負けるほど弱くはないわよ!」
それを聞き、ほっとした。
心ないようなことを言っていたアスターだが、やはり、実際に弟子を手にかけるほどの悪人ではなかったのだ——と、そう思えたから。
私は、リンディアの師である彼を、悪人であるとは思いたくない。
「あの男は確保したのか?」
それまでは黙って傍にいたベルンハルトが、唐突に口を開いた。
私はリンディアから離れる。
「どうなったんだ」
リンディアを見据えるベルンハルトの表情は、とても固いものだった。冷たいというよりかは、凛々しいと表す方が相応しいような、そんな顔つきをしている。
「それはもちろん、捕まえてきたわよ」
「……それなら良いが」
「あ! もしかして、あたしを疑ってるのかしらー?」
リンディアはいじわるそうに口角を持ち上げる。しかし、ベルンハルトが顔色を変えることはなかった。
「いや、そういうわけではない。気にするな」
そう述べるベルンハルトの顔には、微かに哀愁の色が浮かんでいる。勇敢さ溢れる容貌に秋のような色が足された今の彼は、既存の言葉では表現しづらい、不思議な魅力をまとっていた。
「しっかし、まさか本当にアスターだったとはねー」
腕組みをしながらリンディアは漏らす。
「まったく、あのジジイは何を企んでるんだか……」
「アスターさんが自ら、というわけではないと思うわよ。誰かが彼へ指示したのでしょう」
本人がそう言っていたのだ。
無論、彼の発言が嘘という可能性もないことはないが。
「そーかしら」
「アスターさんはそう言っていたわ」
すると、リンディアはぷっと吹き出す。
「まっさか王女様、アスターの言葉を信じてるのー?」
私は思わず目をぱちぱちさせてしまう。彼女の発言の意味が、一瞬捉えられなかったから。
「やーねー! もう! あいつが事実なんて吐くわけないじゃない!」
「そ、そうなの?」
「王女様ったらー。素直で可愛いわねー!」
リンディアに大笑いされてしまった。
アスターの言葉を信じることが、大笑いされるようなことだとは考えてもみなかったため、正直少しショックだ。
私には、アスターが嘘をついているようには思えなかった。ただ、彼をよく知るリンディアが言うのだから、それが事実なのかもしれない。
……それでも私は、彼の言葉を信じたいのだけれど。
「ま、でもこれで解決ねー。アスターもさすがに、もう余計なことはしないでしょ」
「どんな手を使って逃げ出すか分からない。しっかり拘束しておくことだ」
「さすがに、ここから逃げ出すなんてことはできっこないわよー」
「ならいいが」
リンディアとベルンハルトは、私を含まずに、そんな風に話をしていた。
そして、待つことしばらく。
話が一段落してから、リンディアは私へ顔を向けてくる。
「今夜はトランプなんてどう? もちろん、王女様の部屋でねー」
「え」
リンディアからいきなり放たれた提案に、私は戸惑いを隠せなかった。彼女の口からそのような言葉が出てくるとは、想像してもみなかったからである。
「トランプ?」
「そーそー。あたし、こう見えても強いのよー」
何やら自慢げなリンディアを見ていると、段々明るい気分になってきた。
「楽しそうね!」
「みんなでやれば楽しーわよ」
「ぜひ!」
誰かとトランプ遊びをするなんて、いつ以来だろう。
トランプは、幼い頃に数回遊んだことがあるが、もうずっとやっていない。どんなルールがあったかも忘れてしまった。
ただ、たとえどのような状態であったとしても、リンディアたちとなら楽しめる気がする。
「ベルンハルトもどう?」
二人でも楽しいけれど、三人ならきっともっと楽しいだろう。そう思ったので、私は彼にも声をかけてみた。しかし、彼は気まずそうな顔をする。
「いや、僕は……」
「嫌?」
ベルンハルトは首を左右に動かす。
「僕は貴女の部屋へは入れない」
「え、そうなの?」
「男の従者が王女の自室へ入るなど、間違いなく問題になる」
言われてみれば、確かにそれはそうかもしれない。健全な関係であるとはいえ、男女である以上、距離が近づきすぎると問題視される可能性はある。特に、私が王女という身分ゆえ、なおさらだ。
しかし、二人きりでないなら良いと思うのだが。
「大丈夫よ。リンディアもいるもの」
「……そうだろうか」
「えぇ! 大丈夫よね、リンディア」
リンディアに話を振る。すると彼女は頷いた。
「そーね。あたしの前で不健全なことなんて、誰もできないわー」
「ほらね!」
私は視線を、リンディアからベルンハルトへと戻す。
「だから、ベルンハルトも一緒にトランプしましょう!」
するとベルンハルトは、私から目を逸らした。喧嘩した後のような、気まずそうな顔つきだ。
言いたいけれど言えないことでもあるのだろうか。
「……やっぱり、嫌?」
「いや、べつに」
「なら参加してくれる?」
「貴女が命じるならば、参加しても構わないが……」
ベルンハルトは何やらもじもじしている。
「じゃあ——」
「そ! なら決まりね!」
私が言葉を発するより早く、リンディアがそう言った。
「今夜は三人でトランプ大会! で、どーよ?」
彼女の、肩にかかっていた赤い髪を片手で背中へ流す仕草は、とても大人っぽい。まだまだ未熟な私には、到底真似できそうにない。
「イーダ王女が望むなら、僕はそれでも構わない」
「なーによ。アンタはまたそーいうこと言うのねー。素直になればいーのに」
「何を言っているんだ」
「またまたー。本当は参加したくて仕方ないんでしょー?」
「……うるさい」
私は、リンディアとベルンハルトの会話を、微笑ましく聞いていたのだった。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.38 )
- 日時: 2018/11/16 18:15
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AdHCgzqg)
37話 トランプ大会開催中
「ま、また負けた……」
私の自室にて開催されている、三人だけのトランプ大会。
今のところ、私は全敗である。
「あたしの一人勝ちねー!」
他の人の手札から一枚選び、自分の手札に加え、二枚揃ったものから捨てていくトランプ遊びで、私はリンディアに惨敗し続けている。既に十試合ほどしているのだが、まだ一度も勝てていない。
「少しは加減をした方がいいと思うのだが」
「えー? そんなの失礼じゃなーい」
ベルンハルトが私に気を遣うくらいの負けっぷり。こうなってしまっては、もはや笑うしかない。
「イーダ王女を一勝もできない状況へ追い込む方が問題だ」
「あたしにわざと負けろって言うの?」
「生死に関わることでもない。少しくらい負けても問題ないだろう」
「嫌よ。わざと負けるなんて、絶対にごめんだわ」
リンディアは本当に強かった。
慣れている慣れていないという次元の話ではない。彼女の強さといったら、「これを仕事にしてもやっていけるのでは?」と思ったほどである。
「リンディアはトランプ、凄く強いのね」
ただ、私としては、負け続けるだけでも楽しい。
このまま続けていても、きっと、ずっと負け続けることだろう。それは分かっている。それでも、止めたいとは思わない。それは、勝者になることよりもリンディアたちと傍にいられることの方を重視しているからだ。
従者なんて要らない。一人でいる方が、ずっと気が楽。
頑なにそう思っていた頃もあったな、と、ふと思ったりした。
一日中一人で過ごしていたのも、今や懐かしい思い出だ。
「トランプには自信があるのよ。王女様、たくさん負かしちゃってごめんなさいねー」
「こんなに強いなんて、とても凄いことだと思うわ」
「嫌になったら言ってちょーだいね」
「まさか。嫌になるどころか、楽しい気持ちでいっぱいよ」
あの頃は、誰かが傍にいるのが嫌だった。特に、従者というものが嫌いだった。私が、私の王女という地位が、いずれ彼らを傷つけてしまうことになるから。
けれど、今はそうは思わない。
ベルンハルトやリンディアが傍にいてくれることを、素直に嬉しいと感じられる。また、「いつか傷つけてしまうのでは」という不安も、徐々に薄れてきた。
「もう一試合するかしら?」
「えぇ! もちろん!」
二人となら、幸せに暮らせるだろう。
具体的な根拠があるわけではないが、今はそんな風に、前向きに考えられる。
「……もう疲れた」
「アンタ、やる気ないわねー」
「僕はトランプをする契約などしていない」
「なかなか勝てないからって、弱ってんじゃないわよー」
いつまでもこんな風に穏やかな時の中で過ごせたなら、それはきっと、何よりも幸せなことだろう。
どんな贅沢よりも、どんな貢ぎ物よりも、ただの平穏が欲しい。
「ベルンハルトはもう止めるの?」
「続けた方がいいか」
「貴方の意思を尊重するわ。けれど、できるならもう少しみんなで続けたいわね」
「……分かった。では、続ける」
やる気を喪失しつつあるベルンハルトを説得し、次の試合へと入っていく。
楽しい。
純粋な思いだけが、今、この胸を満たしている。
それから一時間ほど経過した頃、リンディアが唐突に口を開いた。
「王女様はどこかへ行ったりしないのー?」
彼女の、水晶のように透明感のある水色の瞳が、私をしっかりと捉えている。美しい瞳に見つめられると、こちらも自然に彼女を見つめ返してしまう。そして、彼女の大人びた美貌に見惚れた。
「……どーしたのよ?」
「あっ。ご、ごめんなさい」
「あまりぼんやりしていちゃ駄目よー?」
「そ、そうね。気をつけるわ」
見惚れてしまっていた、なんて言えるわけがなかった。
「で、行きたいところとかある?」
「行きたい……ところ?」
「深い意味なんて、なーんにもないわ。ただ、たまにはお出掛けしたいと思わないのか、少し気になったのよ」
お出掛け、か。
私は内心重苦しい溜め息を漏らす。
もちろん、普通の人たちみたいに、お出掛けしてみたいとは思う。楽しいだろうな、とも思う。けれども、私には無理だ。もし私が外へ行けば、きっとまた、何らかの事件に巻き込まれるに違いない。周囲に色々と迷惑をかけてしまうだろう。
「……私には無理だわ」
周囲に迷惑をかけてまで外へ行きたいとは、とても思えない。
「どーしてよ」
「私が出歩いても、迷惑をかけるばかりだもの」
「何よ、それ。そんなことで諦めるっていうの?」
「そういう運命なの。仕方ないわ」
刹那、リンディアの両手が私の肩を掴んだ。
「……っ!?」
「簡単に諦めるんじゃないわよ」
ベルンハルトはリンディアへ警戒したような視線を向けていた。
「上手くいくように考えればいーだけじゃない!」
リンディアの目からは苛立ちが感じ取れる。
もしかしたら、私が、すべて諦めているような発言をしてしまったからかもしれない。
「本当は、行きたいの? それとも行きたくないの?」
「……関心はあるわ」
正直に言うなら、一般人のような生活をしてみたい、という思いがまったくないわけではないのだ。王女として生まれたことを悔やんではいないが、平凡な暮らしに憧れている部分は多少ある。
「なら決まりね!」
「え」
唐突に「決まりね」なんて言われても、何が決まったのかまったく分からなかった。
「いつか、街へお出掛けしましょ!」
リンディアはあっけらかんとそんなことを言う。
だが、私からすれば不思議で仕方がない。
「待て。王女を勝手に外へ連れ出すのは、さすがに問題だろう」
「何よ、うるさいわねー」
「それに、遊びで連れ出すなど許可されるとは思えないのだが」
「アンタは黙ってなさいよ」
ベルンハルトとリンディアが険悪なムードに包まれている。
二人はいつもこうだ。
すぐに言い合いみたいになり、何とも言えない冷たい空気を漂わせ始める。
その場にいる私の身にもなってほしい。
「僕も従者だ。言いたいことは、はっきりと言わせてもらう」
「いちいちうるさいのよ!」
「間違っていると思うなら、はっきりとそう言えばいい」
「遊び心なさすぎ! 何なの、それは!」
あぁ、もう……。
「騒ぐな。耳が痛い」
「勘違いしてんじゃないわよ! この蛮勇の馬鹿!」
「そこまで言われる筋合いはない」
二人の険悪な空気に耐えかねた私は、ついに言葉を発してしまう。
「喧嘩は止めて!」
思わぬ大声が出てしまった。
リンディアとベルンハルトは、口を閉じ、私へと驚いたような視線を向けてくる。
「……す、すまない」
「そーね。……騒いで悪かったわね」
二人とも予想外に素直で、こう言っては何だが、驚いた。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.39 )
- 日時: 2018/11/19 19:55
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: De6Mh.A2)
38話 シュヴァルの野望
「で、見事なまでに失敗しましたね」
狭い部屋の中、シュヴァルは不満げに漏らした。
椅子に括りつけたアスターを、冷ややかに見下しながら。
「……そろそろ解いてはもらえないかね?」
氷のように冷たい視線を向けられながらも、アスターの口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。どこか余裕を感じさせるような笑みが。
「残念ですが、それはできません」
「こんな老人を拘束して何が楽しいのかね。君は相変わらず趣味が悪い」
「二度も仕損じた無能に、自由などあるわけがないでしょう」
冗談混じりに話すアスターとは対照的に、シュヴァルの表情は固い。まるで、金属で作られた仮面をつけているかのようだ。
「いやはや、君の娘がとても優秀だったのでね。ついうっかり負けてしまった」
ははは、と軽やかに笑うアスターを見たことで、シュヴァルの目つきはさらに険しくなった。自分が真剣に話しているにもかかわらず、不真面目な態度を取られたことが、不愉快で仕方ないのだろう。
「笑いごとではありませんよ。失敗したということはつまり、殺されてもおかしくはないということです」
シュヴァルが威圧的な視線を向けながら言い放つ。
すると、アスターは急に真面目な顔になって言い返した。
「……脅しは無駄だと分かっていないのかね」
室内に二人以外の姿はない。誰も見ていない静寂の中、二人の小さな声だけが空気を揺らしている。
「私を消したところで、次に消されるのは君だよ」
「まさか。あの星王が気づくはずはありません」
「星王はそうかもしれないね。ただ、それ以外の誰かが気づく可能性はおおいにある」
アスターは、拘束されていてもなお、余裕を感じさせる顔つきのまま。
一方シュヴァルはというと、アスターとは対照的に、かなり苛ついている様子だ。眉間がぴくぴくと微動している。
その様子を見て、アスターは口を開く。
「シュヴァル、君はなぜそうも王女殺害にこだわるのかね?」
問いを放った彼の瞳には、鋭い輝きが宿っていた。
「彼女は、誘拐犯である私に対しても、憎しみを向けたりはしなかった。あんなに平和主義で繊細な娘を殺害する必要など、ないと思うのだがね」
その問いに、シュヴァルは低い声で答える。
「平和主義であろうが、繊細であろうが、そんなことは関係ありません。彼女は王位継承権を持っている。それだけで、生かしてはおけないのです」
アスターは何も返さない。
ひと呼吸おいてから、シュヴァルは続ける。
「我が願いを叶えるには、王位継承権を持つ者を消す必要がありますから」
「君の願いは確か——可愛い女性を虐めることだったかね?」
その瞬間、シュヴァルは近くのテーブルを強く叩いた。バァン、という大きな音が、室内の空気を激しく震わせる。
「我が願いは、そのような下らぬことではありません」
「おや? 違ったかね」
「このシュヴァルの願いは、ただ一つ。星王となり、オルマリンを自分のものとすること。それだけです」
シュヴァルの目は希望に満ちていた。輝いている。
ただそれは、純粋な輝きではない。
野心に満ちた輝き。
獲物を狙う肉食獣のごとき、鋭い目つき。
「おぉ。それは実に壮大だね」
「そのためなら何でもします。邪魔者がいれば、誰であろうが消してみせる」
シュヴァルの瞳に迷いはなかった。その視線は槍のように真っ直ぐで、また、剣のように鋭利だ。
「そのために、ここまで上り詰めたのですから」
彼の曇りのない目を見て、アスターは、感嘆と呆れが入り交じったような溜め息を漏らす。
「……決意は固いようだね」
「当然です。この星を手に入れるためなら、何だって捨てられます。むしろ、喜んですべてを捨てる覚悟です」
語りながら恍惚とした表情を浮かべるシュヴァルに対し、アスターは愚痴るように告げる。
「よく分からないな……私には」
「でしょうね」
「おっと。予想外にはっきりと言われてしまった」
「人を殺めること以外に才のない貴方には、分からないでしょう」
シュヴァルの冷ややかな言葉に、椅子に括られ拘束されているアスターは眉を寄せ、顔をしかめた。その表情からは、複雑な心境であることが窺える。
しかしシュヴァルは、そんなことには気づかない。
目前の初老の男などには、微塵も関心がないのだろう。彼にとっては、自身の野望を叶えることがすべてだ。
「……それもそうと言えるかもしれないね。私はとにかく、権力には興味がない」
「でしょう?」
「シュヴァル、君の言う通りだ」
まだ拘束されたままのアスターは、シュヴァルに言われたことを素直に認めた。すると、シュヴァルが自慢げな顔で、アスターへと近づいていく。
「アスター・ヴァレンタイン——貴方は大人しく、このシュヴァルの力となれば良いのです」
そして、どこからともなく取り出した刃渡り十センチほどの刃物を、アスターの喉元へと押し当てた。
天井から降り注ぐ灯りを浴び、銀色の刃がギラリと輝く。
「次こそ必ず成功させなさい。それが最後の機会です」
二人の視線が交差する。
そこにあるのは、仲間意識なのか敵意なのか。もはやそれすら分からない。
「これもすべて、差別のない平和なオルマリンを作るため。分かりますね?」
「……残念だが、私にはよく分からないのだよ」
アスターの答えに、シュヴァルは目を大きく見開く。
「私は、あのような若い娘を殺害する必要性を感じないのだがね」
——刹那。
シュヴァルは、アスターが括りつけられている椅子を、全力で蹴り飛ばした。
静寂の室内に、痛々しい低音が響く。
男性一人を乗せた椅子は、それなりの重量がある。それゆえ、シュヴァルが蹴り飛ばしても、距離はさほど出なかった。しかし椅子が倒れたため、アスターはその下敷きになってしまっている。
もっとも、椅子と言ってもさほど立派な物ではないため、下敷きになっただけで生命の危機、というわけではないが。
「人殺しは大人しく人殺しをしていろ!」
日頃の様子からは想像できないくらいの厳しい形相で、シュヴァルは言葉を吐く。
「いいな!?」
しかし、椅子の下敷きになったアスターが頷くことはなかった。
「……生憎、私は若い娘を虐める趣味などないのでね。ここで身を引かせてもらうことにし……ぐぅ!?」
最後まで言えず、アスターは苦痛の音を漏らした。それは、シュヴァルが椅子ごと踏みつけたから、であった。
「ならば死になさい」
「な、何をするのかね! 危ないよ、今日の君は!」
胸元を圧迫されたアスターは、何とか呼吸を確保しつつ抗議する。
「リンディアが人殺しの子になっても良いのかね!?」
アスターが必死にそう言うと、シュヴァルの乱暴な行為はようやく止まった。
シュヴァルは片手で髪をくしゃくしゃと数回掻く。
そして冷静さを取り戻し、静かな声を発する。
「……それもそうですね」
その時には、顔つきも、普段の彼のものに戻っていた。
「罪人などいつでも処分できる。このシュヴァルが自ら行うことではありませんでしたね」
アスターは何も返さない。
シュヴァルの言葉を黙って聞いているだけだ。
「覚悟しておきなさい、アスター・ヴァレンタイン。明日には——この世とお別れかもしれませんよ」
脅すようなことを言うシュヴァルは、どこか勝ち誇ったような顔つきだ。アスターを見下し、満足しているのかもしれない。
一方アスターはというと、何も発することなく、ただ宙を見つめていた。
彼が何を考えているのかは、今はまだ、誰も知らない。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.40 )
- 日時: 2018/11/19 19:56
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: De6Mh.A2)
39話 たまには学ぶ
昨夜遅くまでトランプで遊んでいたこともあってか、翌日目を覚ますと、既に昼を回っていた。
誰も起こしに来なかったことから察するに、今日は別段これといった用はなかったのだろう。
「おはよー」
ベッドの上で「まず何からしよう」と考えていると、リンディアの声が聞こえてきた。驚いてそちらへ視線を向ける。すると、ソファに腰掛けているリンディアの姿が視界に入った。一つに束ねた赤い髪が、朝日の下ではよく映える。
「おはよう、リンディア」
挨拶を返し、ベッドから下りた。
「見張ってくれていたの?」
「そんな感じかしらねー。ま、寝てはいたけど」
「ありがとう」
「見張りはこれからもあたしに任せて」
「頼りにしているわ」
言いながら、私は洗面所へと向かう。そして、鏡で状態を確認しつつ、乱れた髪を整える。
その途中、背後から再びリンディアが現れた。
「ベルンハルト呼んできたわよー」
「え! もう!?」
気が早すぎるだろう。
まだ髪を整えることさえ終わっていないというのに。
「身支度はゆっくりで大丈夫よー。ベルンハルトはソファのところで待たせとくわね」
「えぇ」
私は髪を整える作業に戻る。元より直毛ではない髪も、もうひと頑張り、というところまで綺麗にはなった。あと少しだ。
……それにしても、ベルンハルトがいると思うと、何だか落ち着かない。
だが、落ち着かないからといって、彼らをいつまでも待たせるわけにはいかない。なので私は、可能な範囲内で、てきぱきと身支度を済ませた。
「ごめんなさい! お待たせ!」
髪を整え、寝巻きから普段着へ着替えてから、私は洗面所を出る。このくらいまで支度できていればベルンハルトの前へ出ても問題ないだろう、と思えたから。
「お疲れ様ー」
「女性は朝から大変だな」
リンディアとベルンハルトは、ほぼ同時に応じてくれた。
ベルンハルトが立ったままなのに対し、リンディアはソファをがっつり陣取っている。パッと見るだけで二人の性格が分かるという、実に面白い状態だ。
「えぇ、少し面倒だわ」
「従者に対し気を遣うことはないと思うが」
「そうかもしれないわね。けど、私は王女だもの」
するとベルンハルトは首を傾げた。
彼には私の発言の意味が、あまり理解できなかったのかもしれない。
「身嗜みくらいはちゃんとしておかなくちゃ駄目だわ」
……いや、本当は違う。
これまでの私は、身嗜みにこだわるような質の人間ではなかった。私は、王女だからきっちりしておかなくては、などと考えるような真面目な人間ではない。
なのに、今はどうしてそんなことを考えているのか?
それは多分、「ベルンハルトに見られている」という意識があるからだろう。
恐らく私は、心のどこかで、彼に良く思われたいと願っているのだ。
「従者の前だとしても、なの」
だから、こんなことを言ってしまっているのだろうと思う。
「……そうか」
ベルンハルトは私の顔から視線を逸らし、小さくそう呟いた。彼らしい控えめな声で。
その直後、ちょうど静かになったタイミングで、リンディアが口を挟む。
「イーダ王女に用事があるんでしょー? さっさと言いなさいよ」
彼女の言葉に、ベルンハルトはハッとした顔をする。そしてそれから「そうだった」と漏らした。
「イーダ王女、これを」
そう言いながらベルンハルトが渡してきたのは、紙の束。数十枚くらいはあるだろうか。
「え、これは……?」
「星王の側近からだ。すべての紙に記入を終えたら、僕に渡してくれ。提出してくる」
私は手渡された紙を、一枚一枚、丁寧に捲ってみる。
そして驚いた。
すべての紙に、びっしりと、様々な問題が書いてあったから。
「これは……勉強?」
「よく分からない。ただ、必ず提出するようにと言われた」
「分かったわ。ありがとう」
心の中で密かに溜め息をつく。
まさかこのタイミングで勉強しなくてはならないことになるとは、夢にも思わなかった。
「何それ。王女様はまだ勉強なんてしているのー?」
軽い調子で尋ねてきたのは、リンディア。
「えぇ。一般教養の課程がまだ残っているわ」
「へーっ! けど、あたし、そんなのやってないわよ? なーのに、大人になってる」
「規定の内容をマスターしなかったら、永遠に勉強させられ続けるの。星王家の人間だからなのかもしれないけれど」
するとリンディアは、片手を頭部に添えながら述べる。
「王女様もなかなか大変ねー」
私は王女。いずれこの星の頂点に立たねばならないこととなるかもしれない地位にある。だから、普通の人たちより色々なことを学ばねばならないのも、当然と言えば当然だ。星王家に生まれてしまった以上、勉強は決して避けられないものである。
「そうなのよ。けれど、必要なものだから仕方ないわ」
「ふーん。王女様ったら、真面目ねー」
私が真面目なのではない。リンディアが不真面目なのだ。
……ほんの一瞬、そんなことを思ってしまった。
その時。
トントン、と、軽いノック音が聞こえてきた。
「……誰かしら」
一番に反応したのは、リンディア。
「ちょーっと見てくるわねー」
彼女は扉の方へと歩いていく。
流れるような足取りが、彼女の持つ大人の女性という雰囲気を、ますます高めている。歩き方まで魅力的とは、恐るべし、という感じだ。
私はベルンハルトと共に、その場で待機しておく。
「はーい。どちらさ——なっ!!」
リンディアはゆっくりと扉を開け、直後、一瞬にして顔を引きつらせた。
「アスター!?」
彼女が発した言葉を聞くや否や、ベルンハルトは腰元のケースからナイフを抜く。その動作は、光のような速さだった。
「どーしてここにいるのよ!」
「来ちゃった」
「キモいのよ! 来ちゃった、じゃないでしょ!」
私を護るように数歩前へ出たベルンハルトは、固い表情のまま状況を窺っている。アスターが仕掛けてきた時に備えているものと思われる。
そんな緊迫した空気が漂っているにもかかわらず、当のアスターは落ち着いた様子だ。
「いきなりで申し訳ないのだがーー少々、匿ってはもらえないかね?」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.41 )
- 日時: 2018/11/19 19:57
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: De6Mh.A2)
40話 嵐の再来?
先日私を誘拐したばかりの男性——アスター・ヴァレンタイン。
彼は、何の前触れもなく、私たちの前へ現れた。
「今度は何しに来たのかしら」
リンディアは太もものホルスターから拳銃を取り出すと、その銃口をアスターへ向ける。それに対しアスターは、苦笑しながら、両手を肩の高さくらいに掲げた。
「銃口は勘弁してくれたまえ」
「よく平気でここまで来れたわね。馬っ鹿じゃないの」
「馬鹿に見えるかもしれんが、案外馬鹿でもないのだよ。それより、入れてはくれないかね?」
飄々とした態度で部屋に入れるよう頼まれたリンディアは、鋭い目つきのまま叫ぶ。
「入れるわけないじゃない!」
叫ぶと同時に、リンディアの指は引き金を引いていた。銃口から、緑色に発光する弾が飛ぶ。
——しかし、それがアスターに命中することはなかった。
「おっと」
「……避けるとはね」
「引き金へ意識を向けたのがバレバレだったが、それが君の本気かね?」
アスターは余裕の笑みを浮かべている。
「うっさいわ!」
「匿ってくれるならば、黙ろう」
「残念だけど、それは無理よー。アンタ、ついこの前自分が何をしたか、分かってないの?」
「分かっているとも。しかし、あれは依頼主との契約によって行ったことにすぎない」
その時、外からパタパタという足音が聞こえてきた。その足音に反応し、アスターは無理矢理室内へと入ってくる。
「ちょ、何なのよ……?」
「少し失礼」
止めようとするリンディアを押し退け、室内へ無理矢理入ってきたアスターは、速やかに扉を閉めた。
アスターが入ってきたのを見たことで、ベルンハルトの表情はますます険しいものへと変化する。
「それ以上近づけば命はない」
「ははは。実に物騒だね、君は」
ベルンハルトが脅すような発言をしても、アスターは顔色を変えなかった。警戒することさえせず、呑気に笑っている。ベルンハルトには負けない、という自信があるのだろう。
「だが残念。私はそちらへ近づかざるを得ないのだよ」
ナイフを構えているベルンハルトがいるというのに、まったく躊躇わずに歩み寄ってくる。
「来るな」
「来るな、と言われると、行きたくなってしまう。人の心とはそういうものでね」
アスターは黒い布をまとっていない。それゆえ、紫のスーツがよく見える。その影響か、今日のアスターはいつもより怪しげな雰囲気だ。
「動くな!」
私から一メートルも離れていないくらいの距離まで彼が来た時、その首に、ベルンハルトがナイフを突きつけた。これまでは適当に流し続けていたアスターだったが、この時ばかりは足を止める。
「邪魔をするのは止めてくれたまえ。……なに、安心していい。危険なことをするつもりなど、微塵もないのだから」
だがベルンハルトは、納得できない、というような顔のまま。元より警戒心の強い彼は、少しの言葉でアスターを信頼するほど甘い人間ではなかったようだ。
「そんな言葉で他人を騙せると思うな」
「待って、ベルンハルト。本当に何か用かもしれないわよ?」
「イーダ王女はそんな調子だから狙われるんだ」
ベルンハルトを宥めようと声をかけたのだが、逆効果になってしまった。彼を余計に苛立たせてしまったかもしれない。
「そーよ、王女様。こればかりはベルンハルトに一票だわ」
リンディアまでそんなことを言い始めた。
「アスター、アンタねー……。さすがに空気読めていなさすぎでしょ!」
「おや? そうかね」
「そーよ! 信用しろっていうのは無理があるわ! この状況でアンタを信用する人間なんて、普通いないわよ!」
そういうものなのか。
実は信じかけてしまっていたことは、黙っておこう。
「ま、確かにそれも一理ある。信用されるには功績が必要、というものだね」
いやいや。それ以前に、何を話しに来たのかを言ってほしいのだが。
そんなことを考えていると、アスターの首へまだナイフの先を突きつけていたベルンハルトが、口を開く。
「目的は何か、その場で言え。できないなら、生かしてはおけない」
ベルンハルトの顔つきは、いつになく険しい。それはまるで、敵を全力で威嚇する小動物のようだ。
「君は実に良い従者だね。よほど彼女を大切にしていると見た」
「ごまかすつもりか」
「まさか! 私もそこまで卑怯者ではないよ」
アスターの口から、一体、どのような言葉が出てくるのだろう。それを考えるだけで、胸の鼓動が速まる。彼の表情から察するに、あまりシビアな話ではなさそうだが、真実は聞くまで分からない。
「アスターさん……何か用なら言っていいのよ?」
「では、言わせていただくとしようかね」
彼の言葉を待つ。
なぜか少しワクワクしながら。
「先日断っておきながらこういうことを言うのも何だが……私を雇ってはくれないかね?」
予想外の言葉が出てきたことに驚き、思わずまばたきを繰り返してしまった。つい先日あんなことがあったばかりで、「雇ってくれ」だなんて、衝撃。
「論外だ」
私が答えるより先に、ベルンハルトがそう答えた。
ベルンハルトがナイフを握る手に力を加える——その瞬間。
アスターはベルンハルトを、凄まじい威圧感の漂う目つきで睨んだ。
「君に言ってはいないのだがね」
声があまりに冷たくて、私は半ば無意識のうちに身震いしてしまっていた。
その言葉は私へ向けられたものではない。それを理解していないわけではないのだ。なのに、氷の刃を突きつけられたかのような、凄まじい恐怖感を覚えてしまった。
わけもなく、脚が震える。
なぜこんなにも恐ろしいのだろう——。
「……じょ」
誰かの声が聞こえる。
「……ダ王女」
声の主は分からない。ただ、その声が私を呼んでいることは確かなようだ。
私を呼ぶのは誰? 私を呼ぶこの声は、誰のもの?
曖昧な意識の中、私は頭を巡らせる。しかし、これといった答えは見つからない。答えは私の中にはないのかもしれない——そう思った辺りで、ふと意識が戻った。
「アスターさんっ!?」
目を開いた瞬間、視界にアスターの姿が入った。そのことに驚き、私は思わず叫んでしまう。王女らしくない品のない行動をしてしまったことを、若干後悔した。
「目が覚めたかね」
「どっ、どうしてっ!? ……って、あれ?」
この時になってようやく、自分がベッドの上に寝ていたことに気がついた。
もっとも、ベッドで寝た記憶はないのだが……。
「私、どうしてここに」
理解し難い状況に戸惑い、キョロキョロしていると、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「起きたのねー、王女様」
リンディアだ。
彼女もいる。ということは、また誘拐されたのではなさそうだ。
「急に倒れるから、びっくりしたわよー」
「そ、そうだったの……」
倒れた記憶など、私の頭には残っていない。ただ、この状況でリンディアが嘘をつくとも思えないので、彼女が言っていることは多分真実なのだろう。
「貧血かね?」
ベッドの脇に佇んでいたアスターが尋ねてきた。
「覚えていないわ……」
「なるほど。疲れていたのだろうね」
刹那、リンディアの声が飛ぶ。
「アンタのせいでしょ!?」
「そうかもしれんね」
「せめてちゃんと謝りなさいよ!」
「一理ある。では」
アスターは私を、真剣な顔で、真っ直ぐに見つめてくる。
「先日は色々とすまなかったね。謝罪しよう」
「い、いえ。気にしないで」
真っ直ぐな眼差しを向けて謝られるというのは、どこか気恥ずかしいものだった。しかも、年上の男性にだから、なおさら。
「さて、では本題といこう。改めて……私を雇ってはくれないかね」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.42 )
- 日時: 2018/11/20 21:21
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gK3tU2qa)
41話 運命の糸は人を引き寄せて
その後、私はアスターから、彼が今陥っている状況について聞いた。
このままでは消されてしまうかもしれない、という状況であることを。
それらについて語るアスターの表情は真剣そのものだった。目の色、眉の角度さえも、いつもとは違っている。その言葉に偽りはない——そう思わせる力を持った表情だ。
そんな彼の後ろで私たちの様子を見守っているリンディアは、水晶のように透き通った水色の瞳を、微かに揺らしている。
「返事を聞かせていただきたいのだが……どんな感じかね? イーダ王女」
私は迷っていた。
個人的には、アスターのことは嫌いでない。だから、もし彼が私に雇われることを望むのなら、私は「それでいい」という気持ちだ。
だがしかし、これはそんなに単純な話ではない。
彼は私を危険に曝した人間だ。そして、多くの人がそのことを知っている。リンディアやベルンハルトはもちろん、父親も、その近くにいるシュヴァルも。それゆえ、彼——アスターが私の従者になることを許可しない者は、たくさん発生するに違いない。
反対するすべての人々を説得するなど、私には恐らく無理だろう。
「えっと……」
私は悩み、はっきりと答えることはできなかった。
どう対応するのが一番良いのか、誰でもいいから教えてほしい。今は素直にそう思う。でなくては、話を進められないから。
「一つ誤解のないように言っておくと、『従者』にしてくれとまで贅沢を言う気はないのだよ」
「えっ?」
「分かっていただけるかね」
いや、まったく分かりません。
「つまりだね、えぇと……簡単に言うと。ごみ掃除から雑用まで何でも申し付けてくれたまえ! ということだよ」
なるほど。
かなり大雑把な説明だが、それまでよりかは理解できた気がする。
それにしても、掃除までできるとは、かなり万能だ。
「掃除までしてくれるの?」
「もちろんだとも」
「部屋掃除とか、洗面台の掃除とか?」
「ん? そんなところにごみがあるのかね」
少し話が噛み合っていない……ような。
内心「妙だな」と思っていたところ、リンディアが私に教えてくれる。
「アスターが言ってる『掃除』っていうのは、殺害するってことよー」
「そうだったの!?」
私は思わず声をあげてしまった。あまりに意外だったから。
「人を殺すのは駄目よ! アスターさん!」
するとアスターは、ふっ、と息を吐き出す。彼が久しぶりに笑った瞬間だった。
「……さすがだね、君は」
「え、そう? 普通よ?」
「いや、それは普通ではないよ」
そうなのだろうか。
「大概の人間は、誰かに憎しみを抱いているものなのだよ」
「貴方も、そうなの?」
大概の人間、と言うのだから、アスター自身だって当てはまらないことはないはず。そんな風に思って、私は尋ねてみた。
その問いに、アスターは一瞬だけ目を見開く。
しかし、ほんの数秒後には、普段と何ら変わらない顔つきに戻っていた。
「私……か」
聞いてはならないことを聞いてしまったかもしれない。
「私には、憎しみを抱いている人間などいないよ」
「そうなの? じゃあ、私と貴方は——」
「すべて消してしまえるから、というだけだよ」
アスターの口から出たのは、私の想像の遥か斜め上を行く言葉だった。
これが彼の本性なのかと思うと、やはり少し怖い。それに、私に彼をコントロールできるほどの力があるとは、とても思えない。
「…………」
「おや? どうしたのかね、急に黙ったりして」
「……聞いて、アスターさん」
「ん。何だろうか」
アスターの視線がこちらへ向く。
「もし私が雇ったら、もう物騒なことから足を洗ってくれる?」
すると、彼は数回まばたきした。
話についてくることができていないのか、きょとんとした顔をしている。例えで表すなら、道端で未確認生物を見かけてしまった人のような顔つき、といったところだろうか。
「一人の普通の男性として、働いてくれる?」
「それはつまり、殺害任務は無し、ということかね」
「えぇ。ゼロとはいかないかもしれないけれど……極力は、ね」
「もちろん構わないが……専門外の分野でこの老人にできることといったら限られている。あまり役には立てないと思うのだが」
私がアスターを雇えば、誰かに雇われた彼に殺害される人は減る。それはきっと、この星にとってプラスのことだと思うの。
「貴方は変わる。生まれ変わる。そして、これから先は穏やかに生きるの。それで構わない?」
「もちろんだとも。ただ、命を狙われた時だけは力を使わせてもらって良いかね?」
「当然、やむを得ない場合のみは許可するわ」
「ではそれで」
「じゃあ決まりね」
その瞬間、リンディアが叫ぶ。
「ちょっ……王女様、正気!?」
リンディアはかなり驚いているようだ。顔全体の筋肉が引きつっているのが見てとれる。
「えぇ。リンディア、貴女は反対?」
「いや、さすがにそれはまずいでしょー!?」
「これもきっと、何かの縁だわ」
「いやいや、そーいう問題じゃないわよ!? そんな簡単に信じていーの!?」
私だって、こんな展開になるとは思っていた。だが、現にこういう話になってきているのだから、恐らくこれが運命なのだろう。
「だってほら……アスターさんはリンディアの師匠なのでしょう? なら、信頼しても大丈夫だと思うの」
「確かに、アスターがあたしの師匠であることには間違いないけど、王女様はちょっと甘すぎないー?」
やはりリンディアは反対なのだろうか。もし私がアスターを雇ったら、彼女は従者を止めてしまうのだろうか。
そんな不安が胸を渦巻く。
「リンディアは、嫌?」
一応聞いておいた。
すると、リンディアは気まずそうな顔になる。
「べつに嫌とかじゃないけどー……」
アスターは、会話する私とリンディアをじっと見ていた。
「ただ、こんなジジイと一緒に働くとか……萎えるわー」
「酷くないかね!?」
「そうよ、リンディア。古いものには古いものの良さがあるの。ほら! 数千年前の建造物が大事に保存されていたりするでしょう?」
「さすがにそこまで古くはないのだがね……」
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.43 )
- 日時: 2018/11/22 12:18
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fQORg6cj)
42話 捜索中の交錯
イーダらがアスターに関する相談をしている間、ベルンハルトは、彼女の自室を出てすぐのところで待機していた。
つまり、扉の外で一人ぽつんと立っていたのである。
外は既に騒ぎになっている。
王女を誘拐した罪で拘束していたはずのアスターが、忽然と姿を消したからだ。
ベルンハルトは、アスターがイーダの部屋にいることを知っている。が、それを他者へ話すことはしなかった。扉の外に立っていると、その前を通過する者に何度か「初老の男を見なかったか」と問われたが、ベルンハルトはその都度「見ていない」と答えた。リンディアとそう約束していたのである。
そんな彼の前へ、唐突に、シュヴァルが現れた。
「おや、ベルンハルトではありませんか」
声をかけられたベルンハルトは、冷たい視線を向けつつ言葉を返す。
「何か用だろうか」
対するシュヴァルは、警戒心を剥き出しにされたことに苦笑した。それから、どこか余裕のある声色で問う。
「アスターを知りませんか?」
「……アスター?」
「先日王女様を誘拐した、あの男です。拘束していたのですが、今朝から行方不明になりまして」
ベルンハルトは眉一つ動かさず答える。
「見ていない」
もちろん嘘だ。
だが、彼の表情は、いつもと何ら変わらない。
今のベルンハルトの表情を見て「嘘をついている」と察知できる者など、世には、ほぼいないだろう。
もし仮にそんな者がいたとするならば、それを職にでもできるに違いない。
「そうですか。……ところで」
「まだ何かあるのか」
「王女様は一体何をなさっているのです?」
シュヴァルは早くも次の問いを放った。
しかし、ベルンハルトは慌てない。落ち着きを保ったまま答える。
「リンディアと話を」
「なるほど。一体何のお話を?」
「それは知らない。ただ出ていくよう言われた」
「仲間外れだなんて、酷いものですね」
口元に薄く笑みを浮かべながら述べるシュヴァルに、ベルンハルトは無表情のまま返す。
「時にはそういうこともあるだろう」
その言葉を聞いたシュヴァルは、一瞬、面白くなさそうな顔つきになる。しかしすぐに笑みを取り戻し、ふっと息を吐き出しながら口を動かす。
「オルマリン人にしか聞かせられないことというのも、あるのやもしれませんね」
わざとベルンハルトを刺激しようとしているかのような言葉だ。だが、この程度の発言に過剰反応するベルンハルトではない。
「……そうだな」
ベルンハルトは、ただ少し寂しげな顔をするだけであった。
「なぜそんな顔をするのです?」
「いや、べつに何でもない」
「何でもない、と自ら言う時点で、何でもないことはない。そういうものです」
周囲は人々が慌ただしく動いているというのに、二人だけは静寂の中にいた。無機質な空気が、二人を包んでいる。
「気にしているのですか? 己がオルマリン人でないことを」
「……放っておいてくれ」
「それはできません。迷いのある従者など、危険分子でしかありませんから」
シュヴァルの声色は真剣そのもの。なのに、顔には笑みが浮かんでいる。声色と表情——そのずれが、何とも言えない歪さを生み出していた。
「僕が裏切るとでも?」
「最悪、反乱分子に協力して主を、なんてことも考えられますからね」
そんな風に話すシュヴァルに対し、ベルンハルトははっきりと言い放つ。
「それはない」
その瞳に迷いはなかった。
「自分で決めた道から逸れることは、断じてない。それは誓える」
ベルンハルトの瞳から放たれる視線は、槍のように真っ直ぐだ。
目つきを見れば、彼が真実を述べていると、誰だって分かるだろう。
「なるほど。それは失礼しました。以前、そういうことがありましたので」
「……以前?」
ベルンハルトは眉間にしわを寄せる。
「イーダ王女に刃を向けた従者がいたのか」
「いえ。彼女ではなく、王妃様に、です」
「……何かあったのか」
怪訝な顔をしたベルンハルトが呟くように漏らす。
するとシュヴァルは、愉快そうに口角を持ち上げた。
「実は。王妃様はずっと昔に亡くなられたのです」
「……そうか。見かけないと思った」
「王女様を可哀想だとお思いで?」
「いや、片親を亡くす程度では生温い。可哀想などではない。ただ……」
ベルンハルトは、数秒してから続ける。
「同情を求めようとしない姿勢は評価できる」
発言をうけてシュヴァルは、「なるほど」と言いながら、ゆったりと手を叩いた。
シュヴァルの反応が予想外だったのか、ベルンハルトは顔面に戸惑いの色を浮かべている。しかし当のシュヴァルはというと、愉快なものを見たような楽しげな表情のまま。戸惑った顔をされていることは、ちっとも気にしていない様子だ。
「お前らしい言葉ですね、ベルンハルト」
「……そうだろうか」
二人の間に流れる空気は、相変わらず、言葉では形容できないような微妙なものである。
そんな空気のまま、しばらく沈黙が続く——そして、やがてシュヴァルがそれを破った。
「さて、では仕事の続きをすることとしましょう。もしアスターを見つけたら呼んで下さい」
「分かった。……ちなみに、アスターを見つけたら、どうするつもりだ」
「見つけたら? 再び拘束するに決まっているでしょう」
「聞きたいのは、その後だ」
すると、これまではほとんどの時間笑みを浮かべていたシュヴァルが、眉をひそめた。
「投獄するつもりか」
「まさか。投獄なんて、あり得ませんよ。王女様を誘拐したというのは、極めて重い罪ですから。それに一度脱走したという罪も加われば、もはや——」
二三秒ほど間を空けて、シュヴァルは続ける。
「死刑ものです」
放たれたのは、冷ややかな言葉。
もしイーダがこれを聞いていたならば、衝撃で体調を崩していたかもしれない——そのくらいの言葉だった。
シュヴァルが去っていった後、イーダの自室前に残ったベルンハルトは俯く。
彼のことだ、「一人でいるのが寂しいから」なんて理由ではないだろう。だとしたら、彼が曇った表情になっているのは、なぜなのか? その本当の理由が分かる者は、彼自身の他にはいないだろう。いや、彼自身すら己の表情の意味を理解できていない、という可能性もある。
ただ一つ、推測できる要素があるとすれば。
ベルンハルトはイーダのことを考えている。
そのくらいだろうか。
- Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.44 )
- 日時: 2018/11/22 12:20
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fQORg6cj)
43話 困った時の星王様
私は、自ら雇ってほしいと申し出てきたアスターを、雇うことに決めた。
普通ならば、敵として知り合った人間を雇うなんてことはしないだろう。第三者から見れば、愚か者だ、と笑われるかもしれない。
ただそれでも雇うことにした理由は、二つある。
一つは、これまで接した中でアスターが悪人だとは思えなかったから。そしてもう一つは、彼がリンディアの師だから。
そのくらいで信じるなんて、と思われるかもしれない。が、私は信じることに決めた。
悩んだ末、そちらの道を選んだのである。
だから、どんな結果が待っていたとしても、悔やみはしない。
とはいえ、アスターは拘束されているところから勝手に抜け出してきたという状況にある。雇う以上は父親やシュヴァルにも伝えなくてはならないのだろうが——なかなか難しいことになりそうだ。
少なくとも、反対はされるだろう。
……いや、反対されるだけならまだいい。
それよりも厄介なのは、アスターが再び拘束され、罪人として投獄されでもした時だろう。もしそんなことになれば、雇う話はぱあになりかねない。
まずどうすれば……、と散々悩んだ挙げ句、私は父親に相談してみることにした。
彼ならちゃんと話を聞くぐらいはしてくれるだろう、と、そう思ったから。
その晩、私は、父親に相談するべく星王の間へと向かった。
彼は相変わらずの高テンションで、「イーダが自ら来てくれるなんて!」と、歓喜の声をあげていた。
純粋に喜んでいる彼を見ていると、こうして都合のいい時だけ利用する私が悪人のようにも思えてくる。が、今さら止めることもできない。そのため、私は、父親にアスターの件を相談した。
私たち親子と、ベルンハルトとリンディア——そして、当のアスター。
そんな何とも言えない顔ぶれでの話し合いとなった。
最初父親は、アスターを雇うことに反対した。当然だ、何を仕掛けてくるか分からない人物なのだから。
しかし、一二時間ほど説得し続けた結果、父親はアスターを雇うことを認めてくれた。
「ありがとう! 父さん!」
「イーダがそこまで言うなら仕方ないっ! 特別だからなぁ!」
もう少し苦労するかと思ったが、予想よりかはスムーズに話が進んだ。
「良かったわね、アスターさん」
アスターが参加しづらそうな顔をしていたので、話を振ってみた。
「本当に、色々すまないね」
「いいの。命は何より大事だもの」
「狙撃以外となると、綿菓子を作るくらいしかできないが……よろしく」
「綿菓子を作れるの!?」
「もちろん、作れるとも」
「凄いわね!」
なぜだろう。理由は分からないけれど、アスターとは会話が弾む。こうして話していると、ずっと昔から知り合いだったみたいな感覚だ。
「もしかしてアスターさん、お菓子作り名人?」
「いやいや。名人というほどではないよ」
「けど、綿菓子を作れるなんて凄いわ」
そんな話をしていると、突如、父親が口を挟んできた。
「あーっ! イーダぁ! どうしてそんなに仲良しなんだぁっ!?」
品の欠片もない大声だ。
正直、こちらまで恥ずかしい気持ちになった。
けれど、仕方ない。彼はいつだってそういう人だから。これが彼の素ゆえ、今さら変えることはできない。もはや諦める外ないのである。
ーーが。
「イーダはアスターのことが好きなのかぁーっ!?」
これにはさすがにイラッときてしまった。
「ちょっと、父さん! 何を言い出すのよ!」
思わず鋭く言い放ってしまう。
当事者の父親はもちろん、リンディアやベルンハルト、アスターまでも、驚いた顔をしていた。
いきなり鋭い物言いをしたのだから、驚かれるのも無理はない。ただ、場にいる自分以外の人全員に戸惑いの混じった驚きの顔をされるというのは、複雑な心境だ。
「あ……ごめん、なさい」
取り敢えず謝罪しておいた。
すると、珍しくベルンハルトが口を開く。
「貴女でも、そんな物言いをするのだな」
幻滅されてしまっただろうか。
ベルンハルトに嫌われるのは嫌だ。だから、不安になった。
——しかし次の瞬間、その不安は払拭された。
「なんというか……意外だ」
そう言って、ベルンハルトが頬を緩めたからである。
今度は私が驚く番だった。なぜって、彼が笑みを浮かべるところなんて滅多に見かけないから。ベルンハルトが笑った、なんて、「天変地異の前兆」と言っても過言ではないくらい珍しいことだ。
「おぉ!? ベルンハルトが笑った!」
密かに驚いていたところ、父親がそんなことを言った。
「いやー、珍しいこともあるものだなぁっ!」
「確かに珍しーわねー」
父親とリンディアがそれぞれ述べる。
ベルンハルトが頬を緩めるという珍しい現象が発生したことに気がついたのは、私だけではなかったみたいだ。
「お! もしかして、イーダの可愛さに気づいてきたのかぁ?」
「従者が主に恋するなーんて、本当に起こるのね。小説の中だけの話だと思ってたわー」
ベルンハルトは眉間にしわをよせながら「違う」と返す。しかし、すっかり楽しくなってしまっている父親とリンディアは、止まらない。
「無理もない! イーダは可愛いからなぁ!」
「青春って感じでいーわね」
結局、途中からはベルンハルトを冷やかす会と化してしまっていた。
しかし、アスターを雇うことに関しては、父親が「自分が上手くやる」と言ってくれたので、今日のところはこれで上出来。ひとまず、私の目標は達成された。
これでまた仲間が増える。仲良くできる人が増える。
それはとても嬉しいこと。
ついこの前まで従者さえ拒んでいた私が言うと、妙に聞こえるかもしれない。が、今は、周囲に人が増えることを、純粋に「嬉しい」と思えるのだ。
私がこんな風になれたのは、ひとえに、周囲の人たちのおかげ。
父親、ベルンハルト、リンディア——多くの人が支えてくれたから、現在の私がある。