複雑・ファジー小説

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.47 )
日時: 2018/11/23 14:54
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HhjtY6GF)

44話 新しい朝

 あれから二週間。
 私の周りは、だいぶ賑やかになった。

「ねぇ、リンディア。ここ分かる?」

 だが、ここのところ、こなさなくてはならない勉強が妙に増えた。それゆえ、あまり自由には過ごせない。

「なになにー?」
「オルマリン星と同じように人間が暮らしている星の名前」
「簡単じゃなーい。もちろん分かるわよ」
「……教えて?」
「そーいうわけにはいかないわねー」

 ただ、そんな中でも私たちは、色々話したり隙を見つけては遊んだりしている。

 そんなことができるのは、一人ぼっちでないおかげだ。

 以前のように一人で生活していたなら、今みたいに時折息抜きすることもできなかっただろう。

「教えてちょうだい!」
「駄目駄目ー」
「どうしてよ、意地悪ね」
「それは普通考えて、自分でやらなきゃでしょー?」

 特に、リンディアがいてくれるのが大きい。というのも、彼女は女性なので、いつでも室内へ呼ぶことができるのだ。

「ま、ヒントぐらいはあげてもいーわよ。頭文字が『ち』の星!」
「ち?なるほど……ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち、ち……」
「どう? 分かりそー?」
「……ちきゅう?」
「正解! 分かってるじゃなーい」

 ——平穏は素晴らしい。

 あれ以降、何か事件が起こることはなかった。

 そもそもアスターが仕掛けてこなくなったというのもあるが、彼がこちらについたことで悪い輩を警戒させられているということも一因だろう。

 そんなことを考えていると、ゆっくりと扉が開いた。

「少し失礼するよ、イーダくん」

 入ってきたのはアスターだった。
 金属製だろうか、大きく無機質な箱を持っている。

「アスターさん、そんな大荷物でどうしたの?」
「少しばかり運び込ませていただこうかと思ってね」

 運び込む? と首を傾げていると、リンディアが話に参加してくる。

「王女様のお部屋でしょ、物騒な物を運び込むんじゃないわよー」
「武器を何一つ置いていないというのも不安ではないかね?」
「べつにー。あたしがいるんだもの、不安なんてなーいわよ」

 話しながら、アスターは大きな箱を部屋の隅へ置く。

「だが、リンディアとて、四六時中傍にいるというわけにはいかないだろう? なに、金など求めないよ」
「そーいう心配してんじゃないわよ!」

 こうして見ていると、アスターとリンディアは親子みたいだ。正しくは師弟なのだろうが、父と娘という雰囲気も確かにあった。

 二人のやり取りは、眺めているだけで穏やかな気持ちになってくる。実に不思議だ。


 その日の昼、私は久々に、食事の間にて昼食をとることにした。

 食事の間は食事のための部屋である。厨房の近くに設けられた部屋なので、自室や星王の間まで運んできてもらうより、温かい状態の料理を食べられるのだ。

 ただ、食事の間には給仕担当の者が数名いる。だから、適当な服装では行けない。そこだけが、少々面倒なところである。

 そんな面倒臭さゆえに、もう半年近く食事の間へは行っていなかった。
 しかし、特に意味はないが気が向いたため、今日行くことにしたのである。

「食事のためだけの部屋があるのか」
「えぇ、そうよ。ベルンハルト」

 食事の間を目指して歩きながら、私はベルンハルトと言葉を交わす。

 それにしても、今日のこの服装はしっくりこない。
 膝下まであるコバルトブルーのワンピースは、ウエストの辺りを銀のリボン結んでいる。その結び目が妙に圧迫感があり、何とも言えない心境だ。

「実に贅沢な暮らしだな」
「そう? あまりいいものでもないわよ」

 また、履いている黒いパンプスの足に馴染まないこと。
 ヒールはそんなに高くないものを選んでいる。が、それでも歩きにくい。取り敢えず綺麗なものを、と選んだため、履き慣れていないのだ。

「正直、こんな風に着飾るのってあまり好きじゃないの」
「そうなのか」
「えぇ。だってほら、自由自在に動けないじゃない?」
「なるほど。動きが制限される、ということか」

 ベルンハルトは、白のワイシャツに昆布色のネクタイ、そして黒いズボンという格好だ。そのシンプルさから察するに、恐らく支給品なのだろう。

「確かに、動きづらそうではあるな」
「でしょう?」
「女性ゆえの苦労もあるということだな」

 ベルンハルトは私の苦労を理解してくれた。

 まさか理解してくれるとは。

 ……正直、少し意外だ。


 食事の間へ到着すると、私は、指定されている席に座った。向かいには父親の姿がある。

 見るからに高級そうな椅子は、かなり立派で、座り心地も最高だ。座る部分が柔らかいため、腰がほどよく沈み込む。

「では、お持ち致します」

 給仕担当の者は、そう言って、厨房へと引っ込んだ。それにより、食事の間にいるのは四人だけになった。ちなみに——私と父親、ベルンハルトとシュヴァル、の四人である。

「イーダ、来てくれてありがとうなぁ」
「私が久しぶりに来たくなっただけよ。気にしないで」
「それでも嬉すぃーぞ!」

 私の背後にはベルンハルトが、父親の後ろにはシュヴァルが、それぞれ控えている。私と父親だけとなると何かあった時に心配だが、ベルンハルトとシュヴァルがいてくれれば安心だ。

「で、実は話があるんだが、聞いてくれるかぁ?」

 父親は何やら話したそうだ。だから私は「聞くわよ」と答えた。すると、彼は元気そうな声で話し出す。

「今週末、視察があるんだが、イーダも一緒に行かないか?」
「えっ……」
「こうして外に出られるようになったわけだし、記念になぁ! どうだどうだ?」

 言いながら、父親は期待の眼差しを向けてくる。凄く断りづらい空気だ。

「ちょっと待って、ちゃんと説明してちょうだい。どこへ行くのかすら分からない状態では、答えられないわ」

 すると、父親の後ろに控えていたシュヴァルが、軽くお辞儀した。

「具体的な内容につきましては、このシュヴァルが申し上げましょう」
「貴方が?」
「はい。視察日程につきましては、このシュヴァルの管轄で——おや」

 その頃になって、食事の間に料理が運び込まれてきた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.48 )
日時: 2018/11/25 14:28
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Re8SsDCb)

45話 視察について

 話している途中で昼食が運ばれてきたため、会話が一旦中断された。

「こちら、野菜炒めでございます」

 最初に目の前へ出されたのは、緑色をした棒状の野菜アスパラガスと、白色の棒状の野菜アスポラガスを炒めた、シンプルな野菜炒め。

 見るからにあっさりしていそうな料理だ。

「オルマリンイカのフライです」

 こちらからは良い香りが漂っている。醤油のような香りがすることから察するに、既に味付けしてあるタイプのフライなのだろう。

「そして、パンとオイルでございます」
「ありがとう」
「どういたしまして。……では、失礼致します」

 二品とパンだけという少量であることに、私は正直驚いた。もう少し色々用意されているものと思い込んでいたからである。だが、これは夕食ではなく昼食。だから、この程度の量が普通なのかもしれない。

「よし! 早速いただこう!」
「美味しそうね」

 量は少なめ。けれども、味は悪くはないはずだ。

「イーダ! 欲しいのあったら言ってくれぇっ!」
「えぇ。ありがとう」
「確かアスポラガス好きだったよなぁ!?」
「いいえ、そんなことを言った覚えはないわ」

 恐らく、父親はアスポラガスが嫌いなのだろう。嫌いだから、食べたくないから、私に押し付けようとしているに違いない。というのも、私は父親とアスポラガスについて話した覚えがないのだ。

「星王様はアスポラガスがお好きでないのです」

 一人で色々考えていると、シュヴァルが口を挟んできた。その言葉を聞き、私は、「やはり」と納得する。

 シュヴァルのことは、あまり好きでない。が、彼が父親のことをきちんと見ていることは確かだと思った。長年側近をしているだけのことはある。

「そっ、そんなことっ!」
「事実です。……でしょう? 星王様」
「うぅ……かっこ悪いことを暴露するなよぉ……」
「アスポラガス、昔からお嫌いでしたよね」

 そんな風に話した後、シュヴァルは、改めて視線を私へと向けた。

「では。視察について、シュヴァルよりお話します」

 アスポラガスやら何やらですっかり忘れてしまっていたが、視察の話をするところで止まってしまっていたのだった。

 私はそれを、今さら思い出した。

「予定は一泊二日。一日目は星都を見て回った後、北へと移動します。そして二日目は、第一収容所へ視察に。その視察が終了した後、帰ってくることとなります」

 シュヴァルは淡々とした調子で説明してくれた。

 すると、私の背後に立っていたベルンハルトが口を開く。

「第一収容所、だと」

 椅子に座ったまま振り返ると、ベルンハルトの動揺した表情が見えた。いつも冷静な彼だが、今は、目を見開いている。

「……あぁ。そういえば、あそこはお前の生まれ育った場所でしたね」
「イーダ王女をあんなところへ連れていくつもりか」
「はい。王女様も時には社会をご覧になるべきかと思い、このコースを選んだのですが、何か問題でも?」

 シュヴァルはほんの少しも笑みを絶やさず、ベルンハルトへ言葉を返していた。大人の対応である。

「……いや」

 ベルンハルトは言葉を飲み込む。

「お前としては、王女様に過去を見られるのは嫌でしょうが、そこは少し我慢して下さい。すべては王女様が社会を勉強なさるためなのです」

 そこまで言って、シュヴァルは口角を持ち上げた。

「それとも——ベルンハルト、お前は同行しないでおきますか」

 何やら嫌な感じの表情だ。笑みを浮かべているにもかかわらず、悪意しか感じ取れない。

「……いや、行く」
「そう言うと思っていました。忠誠心があって、何よりです」

 ベルンハルトが低い声で答えると、シュヴァルは怪しげな笑みを浮かべたまま返した。そこへ、オルマリンイカのフライをガツガツ食べていた父親が口を挟んでくる。

「おぉ! ベルンハルトの生まれはあそこかぁ!」

 その発言を聞いたベルンハルトは、父親へ、鋭い視線を向けた。そして、威圧するような低い声を発する。

「だから何だ」

 ベルンハルトは自分が収容所生まれであることを気にしているのかもしれない。

 ……もっとも、罪人の息子なわけではないのだから、そんなに気にすることもないと思うのだが。

「いやいや! ただ単に、良かったなぁって言いたかっただけだ!」
「……は?」
「イーダに対してな!」

 急に話がこちらへ来た。

「仲良しなベルンハルトの故郷へ行けるなんて、ラッキーだよなぁ」
「えぇ。そうね」

 確かに、良い機会だとは思う。第一収容所へ行けば、ベルンハルトについてもっと知ることができるかもしれないから。彼の過去には、少しばかり興味がある。

「ベルンハルトのこと、もっと知ることができたら嬉しいわ」

 するとベルンハルトは、曇った顔つきで言う。

「……イーダ王女」
「え。何?」
「僕は知られたくない」

 その瞳には、いつものような鋭さはなかった。雨が降る直前の空のように、どんよりしている。

「あんなところ、貴女には見せたくない」
「どういう意味なの?」

 私はベルンハルトの方を向き、尋ねた。
 それに対しベルンハルトは、五秒ほど黙った後、重苦しく口を開く。

「……幻滅される気しかしない」

 どうやら、それを気にしていたようだ。他人からしてみれば何も思わないようなことであっても、本人からすれば気になるものなのかもしれない。

「しないわよ、幻滅なんて」

 私ははっきりとそう返した。

 どんなところで生まれていたって、どんなところで育っていたって、ベルンハルトがベルンハルトであることに変わりはない。だから、幻滅なんてするわけがない。

「ベルンハルトはベルンハルトだもの」

 すると彼は目を見開いた。
 曇り空のようだった瞳が、輝きを取り戻す。

 ——刹那。

「おぉ! 名言だなぁ、イーダ!」

 父親が余計なことを言ってきた。
 面倒臭い流れになる気しかしない。

「ひゅーひゅー」
「王女様はベルンハルトと仲良しですね」
「ひゅーひゅーひゅーひゅー」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.49 )
日時: 2018/11/25 14:29
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Re8SsDCb)

46話 信用するのは難しい

 食事の間にて昼食をとりつつ、今週末の視察の件について話している。

「イーダ、視察ついてきてくれるか?」
「えぇ。構わないわよ」

 私とて、外に出た経験がないわけではない。だが、外へ行くのは凄く久しぶりなので、少々不安があることは事実だ。体調が悪くなったらどうしよう、だとか、誰かに襲われたらどうしよう、だとか——余計なことを考えてしまうのである。

「社会に触れる勉強も、時には必要だもの」

 けれども、ベルンハルトのルーツについて何か分かるかもしれないと思うと、楽しみになってきた。
 自分でも意外なのだが、「行きたくない」とは少しも思わない。

「この際、思いきって行ってみることにするわ」

 私がそう述べると、星王は息を吸い込む。心の中で「何だろう」と不思議に思っていると、彼は大きく口を開けた。

「イーダぁぁぁぁぁぁっ!」

 突然の叫び。場に動揺が広がる。

「ちょ、ちょっと。いきなり何なの? 父さん」
「せ、星王様……?」
「いきなりどうしたんだ」

 私とシュヴァル、そしてベルンハルト。三人が言葉を発したのは、ほぼ同時だった。

 だがそれは、私たちが気の合う仲間だから、というわけではない。もしここにいたのが赤の他人三人だったとしても、きっと今と同じことになったはずである。

 それほどに、父親の叫びが凄まじかったのだ。

「父さんは嬉しいぃぃぃ! 嬉しいんだよぉぉぉ!」

 まったくわけが分からないのだが。

「お願いだから、落ち着いてちょうだい。一体何なの? 落ち着いてから話して」
「イーダが立派過ぎて辛い!」
「え……」

 さすがに、すぐに言葉を返すことはできなかった。

「社会に触れる勉強も必要、なんて言うとは思わなかったんだよぉ! いつの間にそんなに立派になったんだぁ!?」

 深い意味などない。なんとなく言っただけの発言だ。それだけに、そこに触れられたことが驚きである。

「そんなことだろうと思いましたよ……」

 私と父親のやり取りを傍から見ていたシュヴァルは、呆れ顔。

 無理もない、か。


 食事の間での昼食を終えると、私はベルンハルトと共に自室へ戻る。

「ただいま」

 部屋の中では、リンディアとアスターが何やら話していた。
 それも、かなり寛いだ様子で。
 ここは私の部屋だというのに、もはや、二人の部屋であるかのような状態になってしまっている。

「お帰りー」
「お邪魔しているよ」

 リンディアは足を組みながらソファに座っている。アスターは、リンディアの向かいのソファに腰掛けて、なぜか綿菓子を食べている。

 何だろう、この謎に満ちた状態は。

「お昼食べられたー?」
「えぇ」
「そ。なら良かったわー。同行できなくて悪かったわね」

 そんな風に言葉を発するリンディアは、まるで、この部屋の主であるかのようだ。

 もし何も知らない第三者が今の状態を見たとしたら、間違いなくリンディアの部屋だと勘違いすることだろう。

「リンディアたちは?」
「食べたわよー」
「そう! 何を食べたの?」
「あたしはサンドイッチ。アスターは綿菓子」
「サンドイッチはともかく、綿菓子って……」

 そんなどうでもいいようなことを話していると、自然と笑みがこぼれた。理由はよく分からないけれど、心が穏やかになる。

「昼食が綿菓子ではおかしいかね?」

 まだ綿菓子を食べているアスターが、私へ視線を向けてきた。

「それは明らかに変だ」

 私が返すより先に、私の後ろにいるベルンハルトが返す。彼がいきなり会話に参加してくるとは思っていなかったため、少々驚いた。

「ん? 君に聞いたつもりはなかったのだがね」
「そんな質問、イーダ王女が答えるまでもない。馬鹿げたことを尋ねるな」
「相変わらず厳しいね、君は」

 言いながら、アスターはゆっくりと腰を上げる。

 こうして見ると、彼は意外と背が高い。それなりに年をとっているはずなのだが、背筋がしっかりと伸びている。

「君のような者が傍にいれば、イーダくんもさぞ安心だろうね——ベルンハルトくん」

 髪の生え際を片手でひと撫でした後、アスターはベルンハルトに向かって数歩足を進めた。一歩が大きすぎないところが、大人びている。

「気安く名を呼ぶな」
「おや? お気に召さなかったかな。それは失礼」
「その話し方も止めてくれ。不愉快だ」
「さりげなく注文が多いね、君」

 アスターがわりと積極的に関わりにいくのに対し、ベルンハルトはあまり交流したくなさげだ。その様は、出会って間もない頃の父親とベルンハルトを彷彿とさせる。

 警戒心の強いベルンハルトは、他人をすぐに信用できない。
 恐らく、それが、知り合って間もない者との接触をあまり好まない理由なのだろう。

「ところでベルンハルトくん、君はどのくらい戦闘能力があるのかね? ……もちろん、若さ迸る動きは以前見せてもらった。だが、君の戦い方をじっくりと見たことは、まだない。少し気になっているのだが……見せてはくれないかね」

 アスターの瞳はベルンハルトをしっかりと捉えている。彼がベルンハルトに関心を抱いていることは、無関係な私でさえ容易に分かることだ。

「断る」

 だがベルンハルトは、やはり、はっきりと拒否した。それに対し、アスターは溜め息を漏らす。

「……まったく。なぜ君はそうも拒むのかね。私にはよく分からんよ」
「理由を述べる必要などない」
「いや、気になる。そう言われると余計に気になる。話してはくれないかね?」
「話すつもりはない」
「おぉ、はっきりと断られてしまった」

 ベルンハルトの凛々しい面には、警戒の色だけが滲んでいる。

「僕はまだ、仲間だとは思っていない」

 彼が言葉を発したことで、室内が何とも言えない空気に包まれた。当のアスターはもちろん、リンディアまでも、戸惑ったような顔をしている。そんな中で私は、「勝手に話を進めすぎたかな」と、少々後悔した。

「ちょっと、何なのー。その言い方は、さすがにないんじゃなーい?」

 冷たい言葉を放ったベルンハルトに向けて、リンディアが言う。

 妙な空気になってきた。

「イーダ王女を狙った男だ、そう簡単に信用することはできない」
「だったらどーして、最初に反対しなかったのかしらねー」
「王女に反対できるほどの地位ではないからだ」
「あーら、そ。ま、そーよね。王女様に嫌われちゃったら、また収容所に逆戻りだものねー」

 ベルンハルトの眉がぴくりと動く。

「リンディア! そんなこと、言わないで!」
「どーしたの? 王女様」
「嫌みは止めてちょうだい。冷たいことを言うベルンハルトも問題だけど、彼の傷を抉るようなことを言うのも問題だわ」
「……真面目ねー」

 こういう形で「真面目」と言われるのは、複雑な心境だ。

 だが、喧嘩にならずに済んだので、取り敢えずこれでよしとしておこう。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.50 )
日時: 2018/11/26 03:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Btri0/Fl)

47話 美しいリンゴ

 一歩誤れば喧嘩に発展してしまいそうな流れを何とか落ち着けたところで、私は、視察の件について話した。

 もちろん、第一収容所及びその周辺へ行くことも。

「視察? これまた急ねー」

 立ち上がったリンディアは、手を腰に当てながら、怪訝な顔をする。

「怪しーわね」

 リンディアはそんなことを言う。
 私にはよく分からないけれど、彼女がそう言うなら怪しいのかもしれない——そんな風に思った。

「止めておいた方がいい?」
「まーべつに、王女様が行きたいなら行っていーと思うけど」

 私の気持ちを尊重してくれるようだ。それは実にありがたいことである。ただ、私とて「私が正しい」という自信を持っているわけではない。だから、この判断で正解なのか不安な部分はある。

「アスターさんはどう思う?」
「私かね」
「えぇ。意見を聞きたいのだけれど」
「イーダくんは行きたいのだろう?」
「……そうね、できれば」

 絶対に行きたい! というほどの行きたさではない。
 だが、できれば行かずに済む方がいい、という感じよりかは、行きたい。

 行ってみたいなとは思う。

「けれど、無理矢理行く気はないの。みんなが危ないと言うなら……取り消すわ。今ならまだ間に合うもの」

 私がそう言うと、アスターは困り顔になった。

「ううむ……実に難しいね」
「どういうこと?」
「行ってみようという心は素晴らしい。しかし、あの辺りは確かに、危険地帯ではある。行くべきか、行かぬべきか、微妙なところなのだよ」

 アスターまでこんなことを言い出すものだから、どうするべきかますます分からなくなってきた。私が何とも言えない心境に陥っていると、ベルンハルトが口を挟んでくる。

「貴女の好きなようにすればいい」

 真っ直ぐな声だった。

 そこに優しさなんてものは存在しない。けれども、背を押してくれる力は確かにある。

「行くも行かないも、貴女が決めることだ」
「……ベルンハルト」
「そうやって周囲に聞くのは、責任を一人で背負うことを恐れているからだろう」
「そうなの……かしら」

 あの時は本当に、迷いなく、行こうと思っていたのだ。だから、そう答えた。あの言葉に偽りはなかった。
 けれど、リンディアから「怪しい」と言われて、「もしかしたらそうなのかもしれない」と思ってしまって。それからは、行くべきなのかどうか、よく分からなくなってしまったのである。

「ちょっと、ベルンハルト。そんな言い方しなくてもいーんじゃなーい?」
「僕は事実を述べたまでだ」

 リンディアの発言を一蹴した後、ベルンハルトは私の顔へ視線を向けてきた。

「貴女が決めるだけでいい。行くのか、行かないのか、どっちだ」

 真っ直ぐに放たれた問いに、私は迷う。
 どうしよう、と。

 ——そして。

 迷い迷った果てに、私は答える。

「……行く」

 それが答えだった。

「行くわ」

 これが私の答え。
 迷う要素は色々あるけれど、今は私の心を優先する。

 それでもみんなは怒らないだろう。そう信じることができるから。

「決まりだな」

 ベルンハルトは、その凛々しい顔にほんの少しだけ笑みを浮かべた。
 彼がたまに浮かべる笑みは、何だか特別な感じがして嫌いでない。日頃なかなか見られないものだからこそ、運良く見ることができた時には得した気分になれるのだ。

「何だかんだで、結局行くのねー」
「おや、なかなか良い雰囲気だね。悪くない! 二重丸二個半!」
「アンタは黙っててちょーだい」

 リンディアとアスターの妙なやり取りを聞き、意味もなくほのぼのした。

「これはまた、本格的な仕事になりそーね」

 妙なやり取りを終え、リンディアはそんなことを言う。

「迷惑をかけたら、ごめんなさい」
「あ。べつに、王女様に対する嫌みとかじゃないわよー」
「こうして出掛けられるのも、リンディアみたいな優秀な従者が護ってくれるおかげだわ」

 するとリンディアは、顔を微かに赤らめながら、ぷいっとそっぽを向く。

「褒めたって何もでないわよー。ま、あたしが優秀っていうのは間違いじゃないけどねー」
「そんな態度をとっても、可愛くはならない」
「は!?」
「むしろ不気味だ」
「ちょっとアンタね! 何なのよ!」

 ……まずい、喧嘩が。

「可愛くないと言っているんだ」
「べつに可愛く見せようとなんてしてませんー!」
「そうなのか。ならいいが、その態度は痛々しい。極力控えるべきだ」

 ベルンハルトの辛辣な言葉に、リンディアは顔を真っ赤に染める。その顔は、まるでリンゴのよう。言うなれば、美しいリンゴ。

「失礼にもほどがあるってものよっ!」
「事実を述べたまでだ」
「うっさいわね! 黙りなさい!」

 それにしても、ベルンハルトとリンディアは、なぜこうも全力で喧嘩できるのだろう。個人的に、そこは少々不思議だったりする。

 家族というならまだ分かる。
 昔からの知り合いというなら、それも分かる。

 だが、ついこの前知り合ったばかりの二人ではないか。なのになぜ、ここまで躊躇なくぶつかれるのか、疑問で仕方がない。

 そして、疑問であると同時に羨ましくもある。

 私は王女だ。だから、私に対して喧嘩を売ってくる者なんていない。それはありがたいことではあるのだけれど、仲良く喧嘩している二人を見ていると、「私も参加したい」とまったく思わないでもないのだ。

「何なのよー!」
「落ち着きたまえ、リンディア。心配せずとも、私は君の良さを知っているよ」
「アンタはいーから」

 アスターはリンディアに冷たくあしらわれていた。彼は彼で気の毒な役回りだ。

「……ベルンハルトも、リンディアも」

 喧騒の中、私はそっと口を開く。

「何だ」
「なにー?」

 二人の視線がこちらへ注がれる。

「これからもよろしくね」

 私がそう言うと、二人は揃って、きょとんとした顔になった。私の発言が唐突すぎて、理解が追いつかなかったのかもしれない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.51 )
日時: 2018/11/27 21:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Z/MkaSMy)

48話 外へ

 週末、いよいよ一泊二日の視察へ向かう朝が来た。

 いつもは青系のドレスやワンピースを着ることが多いが、今日は珍しくベージュにしてみた。というのも、ベージュのワンピースなら少しは大人びて見えるかなと思ったからである。

 久々の外出だ。ワクワクとドキドキ、どちらも凄まじい。
 心臓が疲れ果ててしまいそうなほどに、胸は激しく拍動している。

 私は移動のために、浮遊自動車の後部座席へ乗り込んだ。

 今日使う浮遊自動車は、この前乗ったオルマリン号より大型のもの。五人まで乗ることができる。そのため、両隣にはベルンハルトとリンディア、助手席にアスター、と、みんなで乗ることができた。

 ちなみに、運転手は黒服の男性である。

「それでは出発致しマス」

 運転席に座っている黒服をかっちりと着こなした男性は、独特のイントネーションでそう言ってから、アクセルを踏む。すると車体が、ふわりと浮き上がる。

「おぉ! 浮遊自動車とは、こういう感じなのだね! 面白い!」

 車体が地面から離れ動き出すや否や、助手席に座っていたアスターが感嘆の声をあげた。

 太ももの上に黒く無機質な銃器を置いているのはかなり物騒だが、彼の表情は晴れやかだ。しわの刻まれた顔はどう見ても大人なのに、その表情だけは、子どものような純粋さをはらんでいる。

「アスターさん、浮遊自動車は初めて?」
「その通りだとも。私は運転系は駄目なのでね」
「そうなの? 意外だわ」
「私が扱えるのは銃器だけなのだよ」

 そういうことらしい。

「しかし——私がこうして生きていられるのも、イーダくんの恩情のおかげだ。そこの感謝は忘れていないよ」

 フロントガラス越しに見える風景へ視線を注ぎつつ、彼はそんなことを言った。
 その声はどこか儚げで、大人びている。

「いいのよ。私としても、こちらへ来てくれて嬉しかったわ」

 人を殺めることのできる力を持ったアスターを放っておいたら、きっとまた、誰かが命を狙われる。狙われるのが、私か、他の誰かかは、分からないけれど。

 そんなことでは、平和は訪れない。
 平和どころか、悲しみばかりが積もっていってしまう。

 だからこれで良かった。

 彼を仲間に加えることで、奪われる命が一つでも減るかもしれないなら、それはきっと意味のあることだと思うから。


 その後、私たちは星都の色々な場所を見て回った。

 オルマリン美術館では、館長より説明を受けながら色鮮やかな絵画を見た。また、透明感のあるグラスや立体作品を眺めたり、常に変形し続ける不思議な作品を見学したりもした。

 感想を簡潔に述べるなら、「面白かった」である。

 ただし、それは、常に変形し続ける不思議な作品に関しての感想。それ以外の絵画や立体作品は、至って普通で、これといった珍しさのないものであった。つまり、平凡だったのだ。

 それ以外にも、星都の中心部にある大きな広場を散歩したり、そこからほんの少し離れたところにある小さな民芸品工房を見学したり。

 視察はなかなか楽しかった。
 日頃の暮らしの中には存在しないような刺激が、たくさんあるから。

 それは、モノクロの世界で生きてきた人間が、色のある世界へ飛び出したような感覚に近いと思う。

 すべてが新鮮で、すべてが感動なのだ。


 そして昼過ぎ。
 星都視察を終えた私たちは、再び浮遊自動車へ乗り込み、北へと移動することとなった。

「楽しかったわね!」

 後部座席に座るや否や、私はそう言った。
 言葉が勝手に口から出ていたのである。

「ね、ベルンハルト」
「そうだな」
「もしかして、そうでもなかった?」
「いや。凄く興味深かった」

 ベルンハルトは相変わらず愛想のない顔で返してくる。

「ただ、僕は従者だ。何かがあれば貴女を護らなくてはならない。警戒を怠るわけにはいかない」
「それはどういう意味?」
「つまり、全力で楽しむことはできないということだ」

 やはり感情の感じられない声色だ。しかし、冷たさはない。そこから察するに、不機嫌ではないのだと思われる。

「いつ何が起こるかは分からないからな」

 彼の言葉を聞き、「確かに」と思った。

 今は平和だけれど、それがいつまでも続くと思ったら間違い。日頃でもあれだけ事件が起こるのだから、外へ行っている時はなおさら気を引き締めておかなくては。

 私が一人決意を新たにしていると、リンディアが口を挟んでくる。

「もー、ベルンハルト。あんまり不安を煽っちゃ駄目よー?」

 リンディアは棒付きキャンディを舐めていた。

「煽っているわけではない。事実を述べているだけだ」
「怖いことばっかり言ったら、素直な王女様がかわいそーでしょ?」
「事実ゆえ仕方がない」
「王女様の気持ち、もー少し考えなさいよ」

 二人が言葉を交わしているところを見ていると、やがて、リンディアが上衣のポケットから棒付きキャンディを取り出した。そして、差し出してくる。

 新品の、赤い棒付きキャンディだ。

「王女様、食べていーわよ」
「キャンディね。何の味?」
「イチゴ味」
「素敵! いただくわ」

 私はそれを受け取った。
 お菓子を貰うなんて、友達同士みたいで楽しい。

「食べてみるわね」

 そう言って、リンディアから貰った棒付きキャンディをビニール包装から出そうとした——その時。

「待て!」

 ベルンハルトが唐突に発した。
 私に向かって言っているのだろうと思い振り返ったが、彼が目を向けているのは、私ではなかった。

「どこへ行くつもりだ」

 彼の視線の先にいたのは、黒服の運転手。

「なぜ他の車と別ルートに進んだ」

 ベルンハルトの言葉を聞き、窓の外へ目をやる。すると、薄暗い風景が視界に入った。地面も完全に土で、整備されていない道であることが容易に分かる。

「こ、これは一体」

 思わず漏らしてしまった。

 つい先ほどまでは普通に進んでいたのに……。

「おっと。もうバレてしまいマシタか」

 黒服の運転手は、アクセルを踏んだまま小さな声で言った。
 いかにも怪しいセリフだ。

 その発言を聞いた時、本能的に、黒服の運転手が敵だと感じた。

 だって、もし彼が善良な者なのなら、このタイミングで「バレてしまった」なんて言うわけがないもの。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.52 )
日時: 2018/11/29 19:27
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oUAIGTv4)

49話 迫るは、影

「ちょっと。何? 今の発言」

 リンディアは、黒服の運転手が発した「バレてしまった」というような主旨の言葉に、すかさず言及する。

「どーいうことよ」
「意味を聞いているのデスか? 深い意味なんてありマセン」

 黒服は、曖昧な返答をしつつ、アクセルを踏み続けていた。それにより、私たちを乗せた浮遊自動車は、どんどん怪しげな場所へと進んでいってしまっている。窓の外が薄暗くなってきた。

「取り敢えず停めなさいよ!」
「すみマセンが、それはできマセン」
「は!?」
「なぜなら、これが自分の仕事だからデス」

 そこまで話したところでリンディアは黒服の運転手を見切り、助手席のアスターに向けて言う。

「停めさせてちょーだい!」

 するとアスターは、ほんの少し面倒臭そうに「私がかね」と漏らす。が、太ももの上に置いていた銃器をすぐに抱えると、運転手へ銃口を向けた。

「停めたまえ」

 この至近距離から銃撃するつもりなのだろうか。

「それはできマセン。たとえ脅されたとしても、不可能デス」
「ほう、そうかね。では——」

 アスターの瞳に、鋭い輝きが宿る。

「さらば」

 彼は躊躇いなく引き金を引いた。
 銃声が響き、銃弾が運転手を貫く。

「……ひっ」

 私は思わず引きつった声を漏らしてしまった。

 情けないとは思う。けれども、銃撃をこんな間近で見たことなんて、これまで一度もなかったのだ。だから、仕方ないではないか。

 鼓膜が破れそうな音に、凄まじい衝撃。怖くないわけがない。


 ——それからしばらくして、車はようやく停まった。


 扉を開け、一番に車外へ出たのは、リンディア。

「一体、どーなってんのかしらねー」

 彼女は地面に降りると、辺りをキョロキョロと見回す。それに合わせて私も窓の外を見渡してみた。が、これといって特徴的なものはない。視界に入るのは、樹木や岩だけだった。

「リンディア、何か分かりそう?」
「いやーまったく分からないわー」

 私は内心溜め息をついた。
 リンディアが何も分からないなら、私に分かるわけがない。これからどうすれば良いのやら。

「一旦引き返す?」
「そーすべきよね。けど……」
「けど?」
「その凄いことになってる運転席をどーにかしなくちゃ、無理よねー」

 そうか。言われてみれば、その通りだ。紅に染まった運転席に座りたい者なんて、いるわけがない。

「それに、そもそも、運転できる人がいないんじゃなーい?」
「え、そうなの?」
「あたしもアスターも、許可証は持ってないわよー」

 私はすぐにベルンハルトの方を向く。その瞬間、彼は静かな声で「僕も持っていない」と言った。今から私が問おうとしていたことを、彼は既に察していたようだ。

「そんな! じゃあ戻れないじゃない!」

 黒服の運転手は、もはや運転などできない状態。そして、他に浮遊自動車を動かせる者はいない。ならどうしろと。

「落ち着け、イーダ王女」
「無理よ、落ち着けないわ。何が起こるか分からないのに」
「これだけ揃っているんだ、慌てなくていい」

 ベルンハルトは妙に冷静だ。
 何がどうなるか分からない、こんな状況だというのに。

「そ、そうよね。私が心配しすぎているだ……」

 ——刹那。

「っ!?」

 どこから飛んできたのか分からない銃弾が、浮遊自動車の扉に突き刺さった。

 窓も扉も防弾仕様になっているらしく、幸い、銃弾が車内にまで届くことはない。が、弾が扉に刺さった衝撃が、空気を震わせ、車体を揺らす。

 半分立ち上がったような体勢をとっていたため、予想していなかった揺れにバランスを崩してしまい、座席で腰を打った。

 それなりの勢いでぶつけたため、結構痛い——けれど、一番に思ったことはそれではない。

「リンディア!」

 彼女は車外にいる。今の銃撃に巻き込まれているかもしれない。

 すぐに頭に浮かんできたのは、こちらだった。

 もう誰も傷つけさせたくない。もう二度と命を失わせたりはしない。胸にそう誓ったというのに、もしリンディアが銃撃に巻き込まれていたら。考えたくはないけれど、この状況だからあり得る。

「大丈夫!?」

 車外へ出ようと、扉の方へ移動する——が、ベルンハルトに腕を掴まれた。

「今は出ない方がいい」
「……どうして止めるの」

 手には、リンディアから貰った棒付きキャンディ。それが視界に入るたび、外へ出ていきたい衝動に駆られる。しかし、ベルンハルトはそれを許してくれない。

「貴女が勝手に動くと被害が拡大する」
「なっ……」
「以前星王が撃たれた例を忘れたわけではないだろう」

 それを言われると、私には返す言葉がなかった。

 痛いほどに真実だったから。

「……それはそうだけど、でも! リンディアを放ってはおけないわ!」

 すると、助手席で待機しているアスターが、ははは、と笑った。

「イーダくんは優しいね。ただ、リンディアを心配することはないよ」
「アスターさん、そんな呑気に……」
「心配せずとも、あの娘は強い。ただの銃撃でくたばるような娘ではないよ」

 言いながら、アスターは扉を押し開ける。

「と言いつつも援護に出ちゃう!」
「へ?」

 アスターの妙な言動によって、脳内が疑問符だらけになってしまった。

「……わけだから、君の気持ちは分かるけどね」

 車から出る瞬間、アスターは小さくウインクした。
 恐らく、励まそうとしての行動なのだろう。それは察することができた。が、何とも言えない気分だ。

 車内にいるのが、私とベルンハルトだけになってしまった。

 人が減るたび、心細くなる。
 何かを失ったような、そんな感覚に襲われるのだ。

 けれど、それに負けているようではいけないのだろう。それでなくとも弱いのだから、せめて心くらいは強く持たなくては。

「イーダ王女」
「……ベルンハルト?」
「いつでも動けるよう、準備しておいた方がいい」
「えぇ、そうね」

 そう返すと、ベルンハルトは目をぱちぱちさせた。

「どうしたの?」
「……いや」
「何? 何か思うところがあるのなら、はっきり言って」
「……さっき、貴女の雰囲気が変わったような気がした」

 ベルンハルトの口から出たのは、予想の範囲から飛び出した意外な言葉。

「そう?」
「気のせいかもしれない。気にするな」

 そんな風に話していた時だ。
 ひび割れた窓ガラスの向こう側に、一つの影が覗いたのは。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.53 )
日時: 2018/11/29 19:29
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oUAIGTv4)

50話 喧嘩するほど仲良し

 視界の端に映ったのは、黒い影。見たことのない、怪しい形をした影だった。その正体を確かめようと振り返りかけた刹那、ベルンハルトに手首を掴まれ、引っ張られた。

 それからしばらくの記憶はない。

 ただ、土の香りが鼻腔を通過した覚えている。舞い上がる土埃の香りだけを——。


「イーダ王女! 起きろ! イーダ王女!」
「……ベルン、ハルト?」

 まだ細い視界に、ベルンハルトの姿が入った。いつも冷静な彼が慌てた顔をしている。不思議でならない。

「しっかりしろ!」

 相変わらずの厳しい発言。
 やはり、彼は私を王女だなんて思っていないのだわ。

「どうしたの、ベルンハルト。そんなに慌てて……」

 そこまで言った時、突如、片足に痛みが走った。

 すぐには判断できなかったが、どうやら、痛んだのは左足のようだ。痛みから数秒後に、そのことに気がついた。というのも、ワンピースの左足に被っている辺りに赤い染みができていたのである。

 ……怪我でもしたのだろうか? そんな記憶はないが。

「意識が戻ったか」
「えぇ。何かあったの?」

 私が尋ねると、ベルンハルトの表情が暗くなる。

「敵の攻撃を、足に」
「私が?」
「僕が早く動けなかったせいだ。すまない」

 こうして話せているということは、たいした怪我ではないということだ。なら、気にするほどのものではない。確かにズキズキはするが、誰かが命を落とすくらいならこの方がずっとましである。

「それはいいけど……敵は?」
「リンディアとアスターがほとんど倒した」
「そう! なら良かった!」

 すると、ベルンハルトは気まずそうな顔になる。

「ただ、まだ一人だけ残っている」
「そうなの?」
「あっちでリンディアが交戦中だ」

 ベルンハルトが示した方へと視線を向ける。すると、赤い拳銃を手に何者かと対峙するリンディアの後ろ姿が見えた。

「通してくれへん?」
「お断りよー」
「そしたらまぁ、無理矢理通してもらうしかないな」
「そっちもお断り」

 そんなやり取りが聞こえてくる。

「ベルンハルト、あれは……」
「襲ってきた敵の最後の一人だ」

 私は目を凝らす。すると、リンディアと対峙している者の姿が見えた。もっとも、十メートルほどは距離があるため、すべてをはっきりと捉えることはできないけれど。

「女の子……?」

 思わず漏らした。

 リンディアと対峙している者が十四くらいに見える少女であったことに、驚いてしまったからである。

 襲撃してくる者といえば、これまでは大概は男性だった。それも、銃器を抱えた屈強な男性である。それだけに、敵が少女であるという事実は衝撃だった。

「ベルンハルト、あの子、本当に敵なの?」
「貴女の足をやったのもあいつだ」
「そんな。見間違いではないの」
「間違いない」

 どうしても信じられない。

「あり得ないわ。だって、あんな可愛い女の子よ」
「見た目だけだ。中身は凶悪な襲撃者にすぎない」
「そんな……」

 ベルンハルトの発言を信じられないまま、リンディアがいる方へと視線を戻す。

 その時、既に、リンディアと少女は動き出していた。

 リンディアが赤い拳銃の引き金を引くと、緑色の光が放たれる。少女はそれを、目にも留まらぬ速さでかわす。

「凄い……!」
「感心している場合ではない」

 少女の華麗な動きに見とれていた私は、ベルンハルトに突っ込まれて正気に戻った。

「そ、そうよね。リンディアを応援しなくちゃ」
「応援ではない。逃げるんだ」
「それは違うわ、ベルンハルト。私たちだけ逃げるなんて駄目よ」

 敵がいるところにリンディアを残していくわけにはいかない。彼女がどれだけ強いとしても、だ。

「何を言っているんだ」
「リンディアを見捨てるようなことはできないの!」

 私が調子を強めると、彼も声を大きくしてくる。

「貴女はいつまで寝ぼけたことを言っているんだ!」

 喧嘩している場合じゃない。それは分かっている。けれど今さら引けなくて、私は言い返してしまう。

「寝ぼけてなんかないわよ!」
「怪我人は大人しくしていればいいんだ!」
「ベルンハルト! 貴方、王女に向かってよくそんな言い方をするわね!」

 私がそこまで言うと、ベルンハルトはついに黙った。

「……すまない」

 小さく謝罪するベルンハルトを見て、少し申し訳ない気分になる。

 彼は私の身を案じてくれていたのだ。にもかかわらず、私は冷たい態度をとってしまった。彼の厚意を拒否するようなことを言ってしまった。

 なんてことをしてしまったのだろう、私は。

「……こちらこそ、ごめんなさい」

 私とベルンハルトが湿った空気に包まれている間も、リンディアは戦っていた。今もまだ、赤い拳銃から放たれる緑色の光が、時折視界の端を駆け抜けている。

「その、ベルンハルト?」
「……何だ」
「怒ってる?」

 十秒に一回ほどリンディアと少女の戦いへ視線を向けつつ、ベルンハルトの顔色を窺う。
 しかし、彼は静かな顔つきをしているので、心が読めない。何を考えているのか、どのような心理状態にあるのか、彼は読み取らせてくれなかった。

「怒ってる……わよね?」

 勇気を出して、もう一度尋ねてみた。
 すると、彼はようやく口を開く。

「怒っていない」

 だが、すぐには信じられなかった。穏やかな顔つきをしてはいないからである。

 いかにも怒っている、という顔つきでもないのだが、彼の表情には冷たさがある。そのような表情で「怒っていない」と言われても、呑気に「そっか! 良かった!」とは返せない。

「本当に?」
「本当だ」
「言っているだけじゃない?」
「当然だ。嘘はつかない」

 初めは彼の言葉を信じられなかった。一応言っているだけなのでは、と疑ってしまっていた。

 しかし、こうしてやり取りをしていると、心は徐々に変わってくる。

 ベルンハルトがそんな嘘をつくわけがない。彼が私に気を遣うわけがない。それらは、よく考えてみれば容易に分かることだ。

「そう……そうね。ありがとう」
「いや、僕は何もしていない」
「……ふふっ」
「何を笑っている?」
「ごめんなさい。ただ、ベルンハルトが面白くって」
「僕にはよく分からない」

 まだ戦いは終わっていない。だから、呑気に話をしている場合ではない。ただ、それでも今は、彼といられることが嬉しい。


「ベルンハルトくん! 呼んできたが、どうするのかね!」

 それから数分ほど経っただろうか。背後から、アスターの声が聞こえてきた。

「アスターさん?」
「おぉ! 目が覚めたようだね!」
「一体何を?」
「助けを呼びに行っていたのだよ。ベルンハルトくんの指示でね」

 アスターの言動からは、あまり危機感を感じない。もっとも、今日に限ったことではないのだけれど。

「足の怪我、大丈夫かね?」
「えぇ。心配させてごめんなさい」
「なに、君が気にすることではないよ」
「それで、助けって? 誰を呼びに行っていたの?」

 私がそう問うと、アスターは笑顔で答える。

「君のお父さんだよ」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.54 )
日時: 2018/12/02 00:15
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hxRY1n6u)

51話 説教父さん

 数秒後、整備されていない道の向こう側から、二台の浮遊自動車が走ってくるのが見えた。一台はオルマリン号、もう一台はこれといった特徴のない浮遊自動車だ。

「案外早かったな」
「気づいて引き返してくれている途中だったからね」
「そうか」

 ベルンハルトとアスターはそんなことを話していた。

 二台の浮遊自動車は、私たちのいる辺りで動きを止める。そして、動きが止まるや否や、バン! と音をたてて扉が開いた。

 そこから出てきたのは、父親。

「イーダぁぁぁ!」

 彼は叫びながら駆け寄ってくると、その勢いのまま、私の体を凄まじい力で抱き締めた。
 胸元が急激に圧迫され、息が止まりそうになる。

「何がどうなってこうなったんだぁ!?」
「と、父さん……息苦しいわ……」
「何ぃ!? まさか、呼吸器がまずいのかぁ!?」
「ち、違……離して!」

 あまりに息苦しいので、調子を強める。すると、ようやく離してもらえた。やっと、という感じだ。私は急いで、呼吸を整える。

「で、何があったんだぁ? イーダの車がいなくなってることをシュヴァルが気づいてなぁ! びっくりしたぞぉ!」

 説明した方が良いのだろうが、生憎、私もいまいち状況を理解できていない。なので「どうしよう」と思っていたところ、傍にいたベルンハルトが口を開いた。

「途中で突然ルートが変わり、道から離れた。そしてその後、大勢の敵に攻撃された。恐らく、運転手も襲撃者の仲間だったのだろうな」
「攻撃ぃ!?」

 ベルンハルトは落ち着いている。その冷静さといったら、「もういっそ、ベルンハルトが星王になればいいんじゃ……」なんてことを、密かに考えてしまったほどである。

「何で星王より王女を狙うんだぁ!? おかしいだろぅ!!」
「僕は襲撃する側ではない。よって、敢えて王女を狙った理由など答えようがない」

 ベルンハルトが淡々と返したちょうどその時、父親の後ろからシュヴァルが姿を現した。

「でしょうね」

 シュヴァルがやって来たことに気づくと、父親は、今度は彼へ絡む。

「おいシュヴァル! 何でこんなことになるんだ!」

 ただ、先ほどまでとはノリが少し違う。
 ほんの僅かに星王らしさを取り戻した声色である。

「運転手くらいちゃんと選んでくれよ!」
「申し訳ありません、星王様。このシュヴァル、王女様を危険な目に遭わせてしまったことは反省しております」

 片手を胸元に添え、頭を下げるシュヴァル。

「チェックが万全でなかったこと、謝罪します」
「今後は気をつけるように」

 父親の発する声には硬さがあった。妙に厳しい声色だ。いつものはちゃめちゃな彼とは、雰囲気がかなり違う。
 今のような状態ならば、ある程度、立派な星王に見えるかもしれない。

「それでイーダ、怪我はないのかぁ?」

 父親はこちらへ視線を向けると、急にふにゃりと頬を緩める。

「えぇ……あ」

 最初は「怪我はない」と言いかけたが、遅れて、左足を負傷していることを思い出した。
 色々あって忘れていたが、一度思い出すと、痛みが再び蘇る。左足に、じんわりと鈍痛が広がってきた。

「そうだ。左足を怪我したみたいなの」

 静かに言うと、父親は目を剥く。

「何だってぇーっ!?」

 父親は、周囲に気を遣うことなどなく、木々を揺さぶりそうなほどの大声を発した。

 近くにいた私なんかは、「鼓膜が破れたらどうしよう」と不安になった。それくらいの、かなり大きな声だ。少なくとも、日頃の生活で聞くことはないようなものである。

「ベルンハルト! 何をしてるんだぁ!」
「ちょっと、父さん」
「怪我させるなんて、あり得ないぞぅ!」
「父さん、止めて。ベルンハルトは悪くないの」

 荒々しい声を出す父親を制止しようと、色々言ってみる。

「ベルンハルトのせいじゃないわ。私がおっちょこちょいだっただけよ」

 しかし、カッとなってしまっている父親を止めることは、容易ではなかった。

「すまない」
「従者だろぉっ!」
「申し訳ない」

 ベルンハルトは意外にも素直だ。

「しっかりしてくれよぉーっ!」

 だが、ベルンハルトが大人しいのを良いことに彼を責め続ける父親を、私は許せなかった。

 私が怪我をしたことは事実。しかし、そのすべてをベルンハルトのせいにするというのは違うだろう。
 生死が絡むような大怪我にはならなかったのだ。今はそれだけで十分ではないか。


 その時。

 私は、父親の後ろにいるシュヴァルがリンディアの方へ視線を注いでいることに、ふと気がついた。

 まだ少女とやり合っているリンディアを、鋭い目つきで見つめているのだ。

 ーー娘の戦いぶりを見守っているのだろうか?

 最初はそう思ったけれど、彼の様子を見ているうちに、そうではないような気がしてきた。私は、リンディアの方を熱心に見つめるシュヴァルの目を、さりげなく見ておく。

「今後は気をつけてくれよぉ!」
「もちろんだ」
「頼むぞぉ!」
「分かった」

 顔は向けず、横目でシュヴァルの様子を確認する。

「もちろんベルンハルトだけではないぞぉ! アスター!」
「わ、私かね?」
「そうだぁ! しっかりしてくれよ、大人だろぅ!?」

 父親は、まだ何やら喚いている。私が怪我したことを、よほど気にしているのだろう。

 心配してくれること——それ自体はありがたいのだが、こうして周囲の者たちに当たり散らすというのは、少々問題かもしれない。

 そんな風に思いながら、シュヴァルへと視線を向ける。
 すると、彼が珍しくまばたきするところが見えた。

 ぱち、ぱち、と二回ほどのまばたきである。

 ーー直後、リンディアの声。

「ちょっ、何よ! ここまできて逃げるってのー!? ホント狡いやつね!」

 何事かと思いリンディアの方を向く。すると驚いたことに、少女の姿が消えていた。

 あの少女は、ほんの十秒ほど前まではリンディアと戦っていたのだ。にもかかわらず、今付近にその姿はない。逃走したのだろうが……信じられない素早さだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.55 )
日時: 2018/12/02 00:16
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hxRY1n6u)

52話 襲撃者は逃走し

 シュヴァルのまばたきと少女の逃走。

 そこに何らかの関係があるのかどうかは分からないけれど、なんとなく、無関係ではないような気がする。

 私一人が考えたところで何も分からないに決まっている。それは一応理解しているつもりだ。ただ、一度気になり始めてしまうと、気にしないことはかなり難しくなってしまうものである。

「王女様!」

 立ち上がりもしないまま関係性について考えていた私は、リンディアの声で正気に戻った。思考の世界から現実の世界へ引き戻された、という感じである。

「大丈夫だったー?」

 少女に逃げられたリンディアは、堂々とした足取りでこちらへ歩いてきた。

「リンディア!」
「へーき?」
「えぇ、おかげさまで無事よ」

 彼女はずっと戦っていた。にもかかわらず、私たちの前で疲労の色を見せたりはしない。そこは尊敬するべきところだと思う。

「それよりリンディアは? 怪我はない?」
「問題なしよー」

 一つに束ねた赤い髪を揺らしながら爽やかな笑みを浮かべる彼女は、凛々しくてかっこよかった。

「ま、逃げられちゃったけどねー」

 そこへ、ベルンハルトが口を挟む。

「逃がしたのか」
「何よ、その目は?」

 ベルンハルトとリンディアの視線がぶつかる。火花が散りそうなぶつかり方だ。

「あまり優秀ではないな」
「……は?」
「なんだかんだといつも偉そうに言うが、僕とさほど変わらない。そう思ってな」

 その言葉を聞いた瞬間、リンディアが目の色を変える。

「ちょっと、アンタ。それはどーいうことよ?」

 みるみるうちに気まずい空気になってきた。もはや喧嘩になる気しかしない——そう思ったのだが。

「落ち着きたまえ、リンディア」

 近くにいたアスターが、そんなことを言いながらリンディアの肩に手を乗せる。

「すぐにカッとなるのは良くないのだよ」
「……触らないで」
「小さなことで怒ると、肝臓にも胃にも、悪影響しかないと思うのだが」

 アスターはリンディアを落ち着かせようと述べる。しかし、その発言がリンディアを苛立たせてしまっていた。完全に逆効果だ。

「アンタと一緒にしないで!」
「まさか。リンディアを私と同じだなんて、言えるわけがない」
「不愉快だから、年寄りは出てこないでちょーだい!」

 リンディアは顔をしかめながら言い放つ。
 かつての師に対してとる態度とは、とても思えない。

「おぉ……厳しい……」

 一方アスターはというと、アンタだの年寄りだの言われたにもかかわらず、さほど怒っていない。慣れているようだ。

「さて。では王女様」
「シュヴァル?」
「足の手当て、させていただきます。どうぞこちらへ」

 リンディアとアスターのやり取りを観察していたところ、シュヴァルが手を差し出してきた。その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。不気味と感じてしまうほどに穏やかで優しげな笑みだ。

 しかし、だからといって断るわけにもいかない。
 そんなことをしたら、何を言われるか分からない。

 だから私はその手を取った。

「もしもの時のために医師を連れてきていますので、手当てさせます。こちらの自動車へ」


 十分後。

「これでいかがですかな? 王女様」
「ありがとう」
「どういたしまして。大事なくて何よりです」

 シュヴァルが案内してくれた先——オルマリン号でない方の浮遊自動車内にて、怪我した足を手当てしてもらった。

 処置を施してくれた医師によれば、出血はさほどないため体調に影響が出ることはない、という状態らしい。

 周囲を心配させるのは嫌なので、たいしたことがなくて良かった。

「もう平気か」

 しばらくして、浮遊自動車内へ様子を見に来たベルンハルトは、包帯を巻いた左足を見て、そんな風に声をかけてきた。

 日頃と大差ないあっさりした表情ではあるが、一応心配してくれてはいるようだ。

「えぇ。平気よ」
「そうか……それなら良かった」
「心配してくれたのね。ありがとう、ベルンハルト」

 私が礼を述べると、ベルンハルトは視線を逸らす。

「貴女のために心配したわけではない。僕の地位が失われたら困る、それだけだ」
「それは嬉しい言葉! ベルンハルトは、今の『イーダの従者』という地位を、気に入ってくれているのね」
「ち、違う!」

 ベルンハルトは即座に首を左右に動かした。

 動作はもちろん、表情からも、慌てていることがひしひしと伝わってくる。

 敵に襲われた時でさえ冷静さを失ってはいなかったというのに、こんなただの会話で慌てるなんて。
 彼の慌てる基準がよく分からない。

「どうしたの? そんなに慌てて」
「な。慌ててなどいない!」
「本当? 明らかに落ち着きがないわよ」
「うっ……」

 そんな風に話す私とベルンハルトを、医師は微笑みながら見つめていた。

 ……いや、温かく見守ってくれていた、という方が正しいかもしれない。


 手当てを終えた私は、医師のいた浮遊自動車から出る。

 その時には、既に、私とベルンハルト以外のみんなが集合していた。父親にシュヴァル、リンディアやアスター。大集合である。そして、彼らは何かを話しているようだった。

「何を話しているの?」

 一瞬入っていくことを躊躇いかけたが、勇気を出して参加していってみる。

「あら、王女様じゃなーい」

 一番に応じてくれたのはリンディア。
 彼女は、私の存在に、誰よりも早く気づいてくれた。

「おぉ。イーダくんにベルンハルトくん」

 続けて、もうすっかり馴染んでいるアスターが声を発する。

「イーダぁ! 手当て、終わったのかぁっ!?」

 そして、さらに続けて父親。
 声の大きさでは彼が一番だった。

「今、この後の予定について話し合っていたところです」

 最後に述べたのはシュヴァル。
 彼だけはちゃんと、私の問いに答えてくれていた。

「そうだったのね。それで、どういう結果になったの?」
「王女様はどうなさいますか」
「え、私?」
「視察を予定通り続けるか否か、ということです。一旦中止にすることも可能ですが、いかがいたしましょう」

 私が足を負傷したから、継続不可能になるかもしれない、と考えてくれているのだろうか。気を遣ってくれているのだとしたら、ありがたいことだ。

 ただ、私は視察を中止する気はない。

 襲撃者は去った。
 この足の傷も、さほど深くはない。

 それゆえ、視察を止めるほどの大変な状態ではないと思うのだ。

「続けるで良いと思うわ」
「そうですか?」

 私がはっきり答えると、シュヴァルは微かに眉を持ち上げた。

「えぇ。たいした怪我でもないし。ちゃんと歩けるわ。もし可能なのなら、このまま予定通りに進めましょう」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.56 )
日時: 2018/12/02 00:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hxRY1n6u)

53話 雪

 左足の怪我は、案外たいしたことはなかった。だから私は、視察を続けることを選んだ。

 せっかくここまで来たのに、今さら帰るというのも残念な気がしたからである。

 こうして視察を続けることになった私たちは、再び浮遊自動車へ乗り、目的地のある北へと移動。その間は、別段何も起こらず、順調に進むことができた。


 そして、星都より遥か北にある、ポラールという街へたどり着く。

「凄い……!」

 街へ到着し、浮遊自動車から降りた瞬間、高い空から白いものが舞い降りてきた。

 まるで鳥の羽のようなそれは、ひらりふわりと降りてきて、手のひらの上でじわりと滲む。この手のひらは、決して熱いわけではない。にもかかわらず、白いものはあっという間に溶けて消えてしまった。非常に繊細で、あまりに儚い。

「なくなっちゃった……」

 思わずそう漏らすと、聞き逃さなかったシュヴァルが説明してくれる。

「それは雪ですよ、王女様。ほんの少しの熱だけで、溶けて消えるものなのです」
「そうなの?」
「星都には雪など滅多に降りませんから、王女様が驚かれるのも仕方ありませんね。ただ、この辺りではよく降るものなのですよ」

 なんて美しいのだろう。
 もはや何もない手のひらを見つめ、そんな風に思った。

 穢れを知らぬ純白。少女のように柔らかな感触。そんな素晴らしいものなのに、輝くのはほんの一瞬だけ。

 刹那の煌めきほど美しいものはない——。

「……素敵ね」

 半ば無意識に漏らしていた。

「きっと……儚いから美しいのだわ」
「そうかもしれませんね」

 私の呟きに、シュヴァルはそっと返してきた。
 彼がこんなにシンプルに返してくるとは思わなかったので、こう言っては失礼かもしれないが、驚いた。

「儚いものこそ、美しいというものです」

 シュヴァルはそっと唇を動かす。
 その言葉は、何か深い意味があるかのような雰囲気を漂わせていた。

「……過去に何かあったの?」
「いえ。あくまで私が思うことです」

 思いきって尋ねてみたのだが、シュヴァルは何も答えてはくれなかった。彼が発した「あくまで私が思うこと」という言葉が真実か否かは、私には知りようがない。

「ただ、人が儚さに惹かれることは確か」
「そういうものなの?」
「はい。歴史上の人物、英雄と呼ばれるような存在。いずれも、その最期が壮絶であればあるほど、後の人々には好まれるものです」

 シュヴァルの話はよく分からなかった。私にはまだ難しすぎたのかもしれない。

 ただ、一つだけ思ったことがある。

 もし人々が壮絶な最期を望むのだとしたら——それはあまりに夢のない世界で、悲しいとしか言い様がない。


 シュヴァルとそんな風に話した後、私たちは、今夜泊まる予定のホテルへと向かった。

 私たちが到着した頃には、既に、ホテルの玄関口に人が集まってきていた。服装からして一般人だと分かる人々の中に、きっちりした服装の人がちらほらと混ざっている。恐らく、きっちりした服装の彼らはホテルの従業員なのだろう。

 私は、父親やシュヴァルの後ろに、続いて歩く。

「凄い人の数だな」

 私のすぐ左側を歩いているベルンハルトが、歩きながら、そんなことを呟いた。集まった人の多さに驚いているようだ。

「とーぜんよ。星王様に王女様だものー」

 ベルンハルトの逆、私のすぐ右側を歩むリンディアは、「当たり前」と言いたげに述べる。

「こーんなにお偉いさんたちがやって来るのは、この辺りじゃごく稀だものねー」
「それはそうだな。上の人間ほど、街には来ないものだ」
「なーに、それ。もしかして、不満なのー?」
「いやべつに。深い意味など、何もありはしない」

 リンディアとベルンハルトは、私を挟んだ位置にいながら、そんな風に喋っていた。

 本当は少し話に参加してみたかった。けれど、人がたくさんいるところで何かやらかしてしまったら大変だ。だから私は、黙って歩くだけにしておいた。その方が安全だから。


 ロビーへ入ると、少し空き時間ができた。というのも、ホテルの支配人がやって来て、シュヴァルや父親と話し始めたからである。その間、私は、ベルンハルトら従者三人組と一緒に過ごした。

「イーダ王女」
「何? ベルンハルト」
「ここは……凄く高級感のある建物だな」

 ベルンハルトは高い天井を見上げながら言った。
 その声には、感心の色が滲んでいる。

「そうね。素敵なところだわ」

 すると、ベルンハルトは驚いた顔をした。

「……常に贅沢な暮らしをしている貴女でも、そう思うのか」

 驚くポイントが掴めない。

 それにそもそも、私とて、毎日贅沢な暮らしをしているわけではない。もちろん、たまには贅沢もしているかもしれないが、日頃は「少々良い暮らし」程度である。

 これまでのオルマリン史の中には、もっと贅沢をしていた統治者もいる。
 それに比べれば、私たち今の星王家など、たいした贅沢はしていない。

「もちろんよ。立派なものを立派だと思うのは、当然だわ」
「そうなのか」
「えぇ。といっても、個人差は多少あるかもしれないけれどね」

 言ってから、ベルンハルトの顔を見つめ、口角を持ち上げる。すると、彼の表情も微かに和らいだ。

 人は鏡、というのも、あながち間違いではないのかもしれない。

「しかし、立派なホテルだね」

 私とベルンハルトがさりげなく頬を緩め合っていたところ、アスターが唐突に言葉を挟んできた。

「スイーツがあれば、なお良いのだがね」
「スイーツ? アスターさんは、スイーツを食べたいの?」
「なに、主人に対してわがままを言う気はないよ。ただ、途中で少し動いたせいで、糖分が欲しくなってしまってね」

 アスターは軽やかな調子で話しながら笑っている。何やら楽しげだ。

「ちょっと、アスター。それは王女様に言うことじゃないでしょー?」
「リンディア。厳しいことを言わないでくれるかね」
「相手は王女様なのよー? 他の依頼者とはまったく別物だって、分かってるの?」
「もちろんだとも! 念のため言っておくが、私はそこまで馬鹿ではないよ」

 アスターとリンディアが話し始めると、私は入っていけない空気になる。

 二人は、恋人同士なわけでもなければ、特別仲良しなわけでもない。いや、それどころか、リンディアなんてアスターを鬱陶しがっているくらいだ。

 にもかかわらず、二人には二人だけの世界がある。

 実に不思議なことだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.57 )
日時: 2018/12/02 18:26
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

54話 広くて綺麗な客室

 案内されたのは、ホテルの最上階——十二階にある一室。
 私が泊まるために用意されたその客室は、非常に広く、もはや住めそうな気さえする部屋だった。

「王女様とその従者のリンディアさんは、こちらのお部屋でお過ごし下さい」

 黒髪を後頭部で一つのお団子にまとめた女性従業員は、私たちを部屋に案内した後、そう言った。

「あの、待って。ベルンハルトとアスターが過ごすのは、ここではないの?」

 ふと気になったので尋ねてみる。すると女性従業員は、落ち着きのある静かな声で、「お二人には、別のお部屋をご用意しております」と答えた。

「男女は別、ということか」
「はい。そのように伺っております」

 ベルンハルトは女性従業員をじっと見つめていた。
 しばらくしてそのことに気がついたらしい女性従業員は、それなりに整った顔に、不安げな表情を浮かべる。

「……あの、何か?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」

 その時になって、ベルンハルトはようやく、彼女から視線を逸らした。彼が何を思っていたのかは、結局分からずじまいだ。

 ……もっとも、何も思っていなかったという可能性もあるのだが。

「では、我々の泊まる部屋へも案内していただこうかね?」

 何げに気が早いアスター。

「はい。それでは案内致します」
「それと、甘いものはあるかね? 少しばかりいただきたいのだが」
「え。甘いもの……ですか?」

 アスターの甘いもの攻撃が始まった。
 どうやら、彼はよほど糖分を欲しているらしい。

「洋菓子和菓子、どちらでも構わないのだが」
「承知しました。それ、後ほどお部屋へ運ばせていただきます。苦手な食材やアレルギーなどはございますか?」
「好きな食べ物は綿菓子だね」

 いや、好きな食べ物についてなんて聞かれてはいなかったと思うのだが……。

「綿菓子がお好きなのですね。承知しました」

 黒髪の女性従業員は、最初にアスターから話を振られた瞬間は、戸惑った顔をしていた。が、すぐに冷静さを取り戻し、きっちりと対応している。

 その切り替えの早さは、「さすが」としか言い様がない。久々に、心の底から感心した。

 凄いなぁ、と思いながら女性従業員の背を眺めていると、彼女がくるりと振り返った。

「それでは王女様。これにて、失礼致します」

 わざわざお辞儀までしてくれた。
 凄く丁寧だ。

「案内してくれて、ありがとう」

 私は軽く頭を下げて、感謝の意を述べた。

 これだけで気持ちがちゃんと伝わったのかは分からない。だが、何もせず何も言わないよりかはましだろう。仮にすべてが伝わってはいないとしても、少しくらいは感謝の気持ちを伝えられたはずだ。


 そして、リンディアと二人きりになった。
 なぜだろう。よく分からないけれど、気まずい。何を話せば、という感じだ。

 こういう時だけは、「もっと社交的な人間に生まれたかった」と思ってしまう。無論、そんなことを考えても無駄だと分かってはいる。だがそれでも、考えずにはいられない。

「綺麗な部屋ね、リンディア」

 外の見える窓の方まで歩いていっているリンディアに、声をかけてみた。

 当然勇気は必要だ。
 しかし、この程度なら、胃を痛めるほどの努力は必要ない。

「そーね」

 窓の外をぼんやりと眺めていた彼女は、くるりと振り返り、笑みを浮かべた。
 何も言わずとも強気であることが伝わってくる顔に浮かぶ笑み。それはとても爽やかで、どこか優しさも感じさせる。

「リンディアは空が好きなのね」
「……どーして?」
「だってほら、窓の外を見ていたじゃない」

 すると彼女は、ぷっ、と吹き出した。

「ちょっと、何それー?」

 まただ。また笑われてしまった。
 笑わせる気なんて、欠片もなかったというのに。

「やーね! 笑わせるのは止めてちょーだい! あー、おかしー」

 彼女が真剣に私を馬鹿にしているわけではない、ということは理解している。私の発言が偶然彼女の笑いのツボを刺激した。ただそれだけのことだ。

 だから、私が真剣になる必要だってない。

 ——ないのだけれど。

「私……何か変だった?」

 問わずにはいられなかった。

 もしも私に明らかにおかしいところがあるなら、どうにかしなくてはならない。一度そんな風に思った時から、質問せずにはいられなくなったのだ。

「おかしいところがあるなら、指摘してくれていいのよ?」

 するとリンディアは、さらに笑い出した。体をくの字に曲げて、笑い、笑う。

「え? え?」
「やーね! 王女様ったら、おっかしー!」
「リンディア? どういうこと?」
「そんなに真剣な話じゃないじゃなーい? なのに王女様ったら!」

 まさか、さらに笑われてしまうとは。

 しかし……そろそろどうでもよくなってきた。

 私は、笑わせるつもりのない行動で笑われることを、疑問に思っていた。どこがおかしいのだろう、と、不安で。

 けれども、今のリンディアを見ていて気がついた。何も真剣に考えるほどのことではないのだ、と。
 だから、これ以上この話題について話すのは止めることにした。

「ところでリンディア」
「なーに?」

 客室内に置かれている二人掛けのソファへ腰を下ろす。すると、リンディアもソファへ歩み寄ってきた。

「リンディアはどんな風に生きてきたの?」

 ふと気になったことを尋ねてみた。

 ……もっとも、深い意味などないのだけれど。

「へー。ちょっと意外だわー」
「え?」
「王女様があたしの人生にきょーみ持つなんて、しょーじき予想外よ」

 言いながら、リンディアは私のすぐ横に座る。座っていいか確認しない辺り、彼女らしい。

「で、何から聞きたいのかしらー」
「何から、って?」
「どーいう話を聞きたいのかと思ってねー」
「えっと……じゃあ、アスターさんとの出会いとか?」

 私はそれから、リンディアと色々話をした。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.58 )
日時: 2018/12/04 21:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gKP4noKB)

55話 嫌い嫌いは好きという意味?

 リンディアとアスターの出会いは、今から十年以上前。リンディアの父親であるシュヴァルが、彼女を、知り合いだったアスターに弟子入りさせたことがきっかけだったらしい。

「これからの時代を生きていくには、強さが必要だ! なーんて言って、可愛い娘を他人に預けるんだから、てきとーな父親よねー」

 その話を聞いて、私は妙に納得した。

 リンディアとシュヴァル。二人は、父娘という関係でありながら、とてもそうとは思えないような接し方をしていた。それがなぜなのか、ずっと不思議に思っていたのだが、その理由がやっと分かった気がする。

「ちょっと星王様を見習えーって感じ!」

 リンディアは改めて足を組み、ソファの背もたれにズッともたれかかった。

 周囲への気遣い、なんてものは彼女には存在しないのだろうか? 時折そんな風に思ったりはする。が、嫌いではない。飾り気のないところは、彼女の美点でもあると思う。

「けど、ベタベタしてくるのも面倒臭いわよ」
「大事にされてるってことよ。いーじゃなーい」
「リンディア的にはそうかもしれないけど……」
「案外そーでもないのー?」

 大事にされるのは良いのだ。感謝すべきことだとも思う。ただ、たまに面倒臭いと思ってしまうことも事実である。

「そうなの。大事にしてもらえるのは幸せなことだとは思うわ。でも、愛情表現が過剰なのは、少し困ることでもあるの」

 私がそんな風に話している間、リンディアは、ゆっくりと頷きながら聞いてくれていた。

「なるほどねー。面白いわ。育った環境が違うと、思考もここまで変わるのねー」
「ふふ。私も不思議な感じ」
「何その反応。可愛いじゃなーい」

 リンディアは笑っていた。

 こんな私が相手だと、話していても楽しくないかもしれない。そんな不安もあった。
 しかし、今の彼女の表情を見ている感じでは、退屈してはいなさそうだ。

 取り敢えず、良かった。

「あ、そーだ。王女様に言っておきたいことがあったんだけどー」
「何? リンディア」
「その……ありがとね」

 リンディアは気恥ずかしそうな顔をしながら礼を述べてきた。

「どういうこと? お礼を言うとしたら、私の方じゃない?」

 いつも傍にいてもらい、しかも護ってもらっているのだ。
 ありがとうと言わなくてはならないのは、本来、私の方である。

「アスターのこと、受け入れてくれてありがとう……って、言いたかったの」
「え?」

 思わず首を傾げてしまった。
 彼女の口から発された言葉が、想定の範囲外だったからだ。

「あいつは王女様に、処刑されてもおかしくないよーなことをしたでしょ。けど、王女様の優しさのおかげで、今もああやって普通に生活できてるじゃなーい」

 リンディアはなんだかんだでアスターのことを心配しているのかもしれない。

「あいつはあんなだけど、本当は悪人じゃなーいのよー。狙撃手なんてやってるせーで、誤解されてるけどねー」
「分かるわ」
「……そーなの?」

 なぜか眉をひそめるリンディア。

「あ……い、いえ。もちろん、私は、アスターさんのすべてを知ってはいないわ。ただ、彼が根っからの悪人ではないということくらいは分かるの」
「そーなの?」
「私を誘拐した時だって、彼は私に乱暴なことはしなかったわ。むしろ、普通に話をしてくれたぐらいよ」
「ま、そーでしょーね。アスターは狙撃以外ではあまり人を殺さないものー」

 アスターについて話すリンディアは、どこか自慢げだ。

「あいつはねー、本当は温厚な人間なの。ま、空気が読めないからか、たまにおかしな言動が出るけどねー」
「リンディアはアスターさんが大好きなのね」
「は!?」

 大きな声を出されてしまった。

 私の発言がまずかったのだろうか……。

「ごめんなさい。何か悪いことを言ってしまったかしら」
「あー……気にしないで。それより、こっちこそごめんなさーい」

 そこまで言うと、彼女は一旦言葉を切る。そして、それから数秒空けて、再び口を開く。

「けどね!」
「えぇ」
「あたしはべつに! アスターのこと! 大好きなんかじゃないわよ!」

 どうやら、それを言いたかったようだ。

「そ、そうなの?」
「そーよ!」
「けど、誇らしげに話してくれたじゃない?」
「違うって言ってるでしょー!? むしろ嫌いよ! 嫌い!」

 リンディアは嫌い嫌いと言うが、それは、大好きであることの裏返しなのかもしれない。そんな風に考えると、何だか微笑ましい気持ちになった。

「ごめんなさいごめんなさい」

 思わず笑みをこぼしてしまいながら、私は謝る。

「それ、信じてないわよねー? 言っておくけど、ほんとーに好きとかないからねー?」
「えぇ。もちろん分かっているわ」

 一応そう返しておいた。

 もっとも、リンディアがアスターを嫌っている、なんて思うことはできないのだが。

 すると彼女は話題を変える。

「あ、そーだ」

 唐突に話を変えてきたため、少しばかり驚いた。が、驚きを露わにはせず、リンディアの水色の瞳へと視線を向ける。

「王女様、何か注文するー?」
「……へ?」
「食べ物とか飲み物とか、電話で頼んだら、客室まで持ってきてくれるみたいよー」

 リンディアはそう教えてくれた。しかし、残念なことに、今はあまりお腹が空いていない。

「今はいいわ。私、あまりお腹が空いていないの」
「そ? 分かったわー」
「せっかく言ってくれたのに、ごめんなさいね」
「いーわよ、いちいち謝らなくて。べつに、王女様が悪いわけじゃなーいわー」

 彼女が心の広い人で良かった。そう思いながら、内心安堵の溜め息をつく。

「注文したくなったらいつでも言ってちょーだい。あたしが注文してあげるから」

 リンディアは後からそう付け加える。

 それにしても、彼女は何と親切なのだろう。注文してくれる、だなんて。私に手間をかけさせまいとするその姿勢には、本当に感謝しかない。

「ありがとう。リンディアは頼りになるわね」
「そりゃーねー」
「これからも色々頼っていい?」
「もちろんよー。面倒事は、あたしに任せておきなさーい」

 ソファの背もたれにはがっつりもたれ、堂々と足を組む。リンディアは、王女の従者とはとても思えない座り方をしている。しかし、その口から出てくる言葉は、「まさに頼りになる従者」といった感じのものだった。

「嬉しいわ」
「ちょっと、何にやにやしてるのよー?」
「だって、従者とこんな風に過ごせるとは思わなかったから」
「どーいう意味よ?」

 リンディアは怪訝な顔になる。

「今までの従者はね、みんな私にとても気を遣ってくれていたの。でも、そのせいで、あまり仲良しにはなれなかったのよ」

 ヘレナほどではないにしろ、誰もが私を「王女」として扱っていた。王女である私と一般人である従者たちの間には、見えない壁のようなものが存在していたのである。

「けどリンディアはそうじゃなくて、こうやって、普通の友達みたいに接してくれる。それが嬉しいの」
「あー……恐ろしく贅沢な悩みを持ってたのねー……」

 リンディアが呆れ顔でそう言った——直後。

 一度、爆発音のような大きな音が聞こえた。

「な、何の音……?」
「爆発みたいな音だったわね。この部屋じゃなさそーだけど」
「他の部屋から、ってこと?」
「避難が必要か確認してみるわー」

 穏やかな時間は決して続かない。

 また嵐が来るのだろうか。そんなことを考えると、不安の波に襲われる。
 けれど、「このくらいで負けていてはいけない」と思う心も、確かに存在していた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.59 )
日時: 2018/12/04 21:01
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gKP4noKB)

56話 真面目不真面目クリームブリュレ

 イーダとリンディアが話をしていた頃、ベルンハルトとアスターは、案内された客室内で寛いでいた。

 ……いや、正しくは、アスターだけが寛いでいたのだが。

「ふむ。このクリームブリュレ、なかなか美味しい」

 アスターはソファに腰掛け、持ってきてもらったクリームブリュレを食べている。
 好物である甘いものを食べることができて、満足しているようだ。

 一方ベルンハルトはというと、幸せそうにクリームブリュレを食べ続けているアスターを、じっと見つめている。呆れたような目つきで。

「アスター。何をしている」
「ん? クリームブリュレを食べているのだよ。君も食べるかね?」

 そう答えつつ顔を持ち上げたアスターの唇には、ホイップクリームが付着していた。
 だが本人は気づいていない様子だ。

「いや、いい。それより、いい年した大人が口を汚すな」

 唇にホイップクリームが付着していることを欠片も気にしていないアスターに、ベルンハルトは少し苛立っているらしい。恐らくそのせいなのだろうが、ベルンハルトは、いつもより低い声を発している。

「口くらい拭け。不潔だ」
「何かついていたかね?」
「白いクリームがついている」

 するとアスターは、ようやく気がついたらしく、「これは困った」などと言った。

 しかし、すぐに続きを食べ始める。

 恐るべきマイペースぶりに、ベルンハルトは溜め息を漏らす。もはや何も言えない、というような呆れ顔で、アスターを見ている。

「ベルンハルトくんも一口いかがかね?」
「要らない」
「そう言わず!」

 アスターはほんの少しだけ声を大きくする。その手には、一口分をすくった銀のスプーンが握られていた。

「ほら、特別に、このパリパリな部分をあげよう」
「必要ない、と言ったはずだ」
「まったく……。君には、美味しいを共有したい、という感情はないのかね?」
「僕は仕事中だ。のんびりお菓子を食べるほど暇ではない」

 ベルンハルトは鋭い目でアスターを睨んでいる。

「お前だって仕事中だろう。少しは緊張感を持って取り組むべきだ」

 その口調は、後輩を叱る先輩のようだ。
 ベルンハルトは、相手がかなり年上であっても、臆することなく物を言う才能を持っている——のかもしれない。

「君はなぜそうも……固いのかね」
「これが僕だ」
「なぜ、もっと柔軟な人間になろうとは思わないのか? 私としては、そこが不思議で仕方ないのだがね」

 アスターが「理解できない」というような顔で言うと、ベルンハルトはきっぱりと返す。

「僕は僕だ。変えられない」

 真っ直ぐな言葉だ。ベルンハルトが発した言葉は、時に他者とぶつかり合うかもしれないほどに、迷いのないものだった。

 彼の頑固さが滲み出た発言に、アスターは頭を掻く。

「やれやれ。ただ、非常に君らしい言葉だ。そこは評価しよう」
「お前に評価されても嬉しくない」
「おっと! 厳しい発言が来た!」
「僕はお前のそういうところが大嫌いだ」

 アスターがやたらと冗談めかすのに対し、ベルンハルトは真剣そのもの。
 二人は正反対の性格だ。

「残念。実に、残念。クリームブリュレを食べ終えてしまった。すまないね、ベルンハルトくん。本当は君にも食べさせてあげたかったのだがね……生憎、完食してしまった」

 アスターはジャケットの内ポケットからティッシュを一枚取り出した。それから、そのティッシュで口元を拭く。ゆったりとした動作だ。

「食べ終わったら、イーダ王女のところへ行くからな」
「君は少し気が早くないかね?」
「従者は主のもとにいるものだ」
「おぉ。実に真面目だね」

 アスターが感心したように手を叩くと、ベルンハルトは眉間にしわを寄せる。当たり前のことをしているだけなのに「真面目」と言われたことが、少し不快だったのかもしれない。

「僕が真面目なのではない。アスター、お前が不真面目なだけだ」
「ん? そうかね」

 クリームブリュレを完食し満足しているアスターは、ソファから立ち上がると、うーんと背伸びをする。

「では、行くとしようか」
「遅い」
「ベルンハルトくん、君は少し……厳しすぎやしないかね」

 こうしてリラックスタイムを終えたアスターは、ベルンハルトとともに、扉へ向かって歩き出す。イーダらに合流するために。


 ーーしかし。


「そうはさせへんで」


 それは、先に歩いていっていたベルンハルトとの指先が、ドアノブに触れた瞬間だった。

 少女のような甘い声に乗って、独特の方言が放たれたのだ。

 ベルンハルトもアスターも、その声を聞いたことがあった——そう、先ほど起きた襲撃の時に聞いたのである。

「……この声」

 警戒心を露わにしながらベルンハルトが呟く。

 その直後、客室内に少女が現れた。

 身長は低め。また、あまり凹凸のない体つきは、十四か十五くらいに見える。紺色の髪は、肩に擦れるほどの長さ、とあまり長くはない。左耳のすぐ上辺りで、乱雑に一つにまとめてあった。

「あの時の襲撃者か」
「そうやねん。あの時は遊び足りなかったから、また来てみたんよ」

 少女はそう言って、口元にうっすらと笑みを浮かべる。
 そして、スクール水着のような服の腰元にかけていた、刃部分が波打った形状の剣を手に取る。

「今度こそ、ちゃんと相手してな」

 彼女は剣を左手で持つと、柄部分に設置されている一枚の歯車を、くるりと一周回転させた。

 すると、彼女の右腕がむくむくと変形し始める。

「……何をするつもりだ」
「おや。これまた奇妙な敵が現れたものだね」

 ベルンハルトはナイフを抜き、胸の前で構えている。その表情は極めて険しいものだ。

「相棒を連れてくるべきだったもしれないね、これは」
「……相棒?」
「いつもの狙撃用銃だよ」

 警戒心を剥き出しにしているベルンハルトとは対照的に、アスターはどこか呑気な顔をしている。客室という限られた空間の中で敵に襲われている最中だというのに、危機感はさほど抱いていないようだ。

「それがあると役に立つのか? べつに、狙撃するわけではないだろう」
「いやいや、そういう意味ではない。ただ、相棒がいるのといないのでは、動き方が少々変わってくるのだよ」

 ベルンハルトとアスターが話しているうちに、少女の右腕は原形を留めないほど変わり果てていた。

 引き締まってはいるものの華奢だった腕は、今や、怪物のそれのようになっている。

 小さな体に明らかに似合わない、太い腕と巨大な手。そして、手のひら部分以外すべてに、深緑の鱗が張り付いている。また、長く鋭い爪が生えている。

 引っかかれたら軽傷では済まないだろう。

「今回は本気でいくで!」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.60 )
日時: 2018/12/06 22:02
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

57話 剣と腕とラナと

 襲撃者の少女は、巨大化させた右腕を大きく掲げながら、ベルンハルトら二人へ迫る。かなりのスピードだ。

「さて……どう動くかね? ベルンハルトくん」

 今一つ緊張感のないアスターに対し、ベルンハルトは鋭く言い放つ。

「下がれ!」
「おや。それでいいのかね?」
「いいから下がれ!」
「承知」

 アスターは指示に従い、速やかに後ろへ下がる。
 刹那、少女の巨大化した手がベルンハルトに叩きつけられた。

「……っ!」

 ベルンハルトは咄嗟に後ろへ飛び退き、振り下ろされてきた巨大化した手をかわす。手は彼に命中することなく空を切り、絨毯を敷いた床にめり込んだ。

「なかなかやるやん?」

 少女は言いながら、流れるように次の動作へと入っていく。

「でもまだまだやで!」

 彼女の左手に握られている刃が波打った形状の剣が、ベルンハルトの胸を狙う。が、彼の目は剣をしっかりと捉えていた。

「長引かせる気はない」

 ベルンハルトは持っていたナイフで剣の軌道を逸らすと、右足で蹴りを繰り出す。彼の足は少女の鳩尾辺りを直撃——するかと思われたが、少女はそれを避けた。すれすれのところでの回避だった。

「兄ちゃん、なかなかの実力者やん? ちょっと意外やわ。ただのイケメンかと思ってたけど、それは間違いやったみたいやな」

 少女は一旦後退し、体勢を立て直しながら続ける。

「気に入ったから、特別にうちの名前教えたるわ」

 濃紺の瞳がギラリと輝く。

「うちの名前は、ラナ・ルシェフ」

 ベルンハルトは両の眉を微かに寄せる。目の前の少女——ラナが軽やかな調子で話している間も、彼は決して警戒を緩めていなかった。

「さ、こっちは名乗ったで。そっちもちゃーんと名乗ってや」
「断る」
「えー、自己紹介もできへんの? 大人やのに変やね」

 挑発するような発言をするラナ。しかしベルンハルトはそんな安易な挑発には乗らなかった。低い声で「名乗る気はない」とだけ返し、床を蹴る。

 ナイフを手に、ベルンハルトはラナへ接近。

「遅いわ!」

 ベルンハルトはナイフをひと振りする。が、ラナは軽やかに避ける。

 しかし、彼の狙いは別にあった。
 攻撃を避け着地したばかりのラナの腹部を狙い、ベルンハルトは拳を突き出す。

「んなっ!?」

 今度は命中した。

 ベルンハルトの拳は、ラナの腹部中央辺りへ見事に突き刺さる。ラナは咄嗟に腹部に力を入れたようだが、それでも威力を殺しきれず、二三メートルほど後ろへ飛んでいってしまった。

 その隙にベルンハルトは叫ぶ。

「アスター! イーダ王女のところへ!」
「私一人で、かね?」
「そうだ!」
「しかし……君が一人になってしまうよ?」
「僕は一人で十分だ!」

 するとアスターは、十秒にも満たないくらいの沈黙の後、こくりと頷く。

「承知」
「向こうは頼む」
「もちろん。イーダくんは任せたまえ」

 言葉を交わし終えると、アスターは客室から出ていった。
 ベルンハルトは改めて、ラナへと体を真っ直ぐに向ける。その表情は、固く険しい。

「うちに一人で勝つつもりなん?」

 ラナは軽やかなステップを踏みながら、くふっ、と気味の悪い笑みをこぼす。他人を馬鹿にしたような笑い方だ。

「やってやる」
「甘いわ。うち、そんなに弱くはないで」

 刃が波打った形状の剣の柄部分についている、親指の爪くらいの大きさのスイッチを、ラナは押す。

 すると、数秒後、小規模爆発が起きた。
 爆発が起こったのは、客室の中央辺りの天井である。

「なに……」

 煙が充満する部屋の中、ベルンハルトは少し身を屈めて様子を窺う。

 ——が。

 ベルンハルトは、いつの間にか、ラナに背後に回り込まれていた。
 後ろから巨大な手が迫る。

「覚悟してや」

 咄嗟に対応しようとするベルンハルトだったが、間に合わず、巨大な手に背中を引っ掻かれてしまった。

「く……っ」

 詰まるような息を吐き出し、床にしゃがみ込むベルンハルト。そんな彼を、ラナの巨大な手は容赦なく、床へと押さえつける。

「これでちょっとは大人しくなるんかなー?」
「……なるものか」
「んー? 何て?」
「調子に乗るなよ……」

 背中をえぐられ、床に押さえつけられるという、かなり危険な状況だ。しかし、それでもベルンハルトは諦めていない。むしろ、先ほどまでよりも瞳に力があるくらいだ。

「こんだけ有利な状況やったら、誰だって調子に乗るやろ」

 ラナは楽しそうだ。ベルンハルトを押さえつけている手を、右へ左へ微かに傾け、遊んでいる。

「そろそろ名乗ってくれへん?」
「断る」

 するとラナは一旦剣をしまった。それから、巨大化していない方の手でベルンハルトの右腕を掴み、強く捻る。彼が持っていたナイフは、床に落ちた。

「これでも?」
「断る」
「え。ちょっと無理しすぎちゃう?」
「不愉快だ」
「いやいや! さすがにこの状況やったら吐くやろ!?」

 頑なに口を閉ざすベルンハルトに対し、ラナは突っ込みを入れる。彼女からしてみれば、危機の中にありながら一切従うことのないベルンハルトが、不思議で仕方なかったのかもしれない。

「血も出てるんやで!?」
「いや、血はもう止まった」
「んなっ!?」
「お前が手で押さえつけてくれたおかげでな」

 ベルンハルトの言葉に、ラナは目を大きく見開く。そして、確認しようと少しだけ手を上げた。

 その隙を逃さず、ベルンハルトはラナの手から抜け出す。
 もちろんナイフも拾って。

「嘘やん!」
「油断しすぎだ」
「う……」

 愛らしい顔に悔しさを滲ませるラナ。

「なっ、なかなか的確なこと言ってくれるやん!?」

 一応認める辺り、素直である。

「認めるのか」
「何や! 認めたら悪いん!?」
「べつに悪いとは言わないが」
「あっそ! まぁいいわ!」

 言いながら、ラナは窓に向かって走る。凄まじい速さだ。

「今日はこのくらいにしといたる!」

 巨大化した手で窓ガラスを木っ端微塵にし、ラナはそこから飛び降りる。

 残されたのは、火薬の香りと静寂だけであった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.61 )
日時: 2018/12/06 22:03
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

58話 貴女の射撃、非効率的

 謎の爆発音から一分も経たないうちに、誰かが扉をノックしてきた。

 タイミングがタイミングだ、不審者の可能性もある。そのため、かなり警戒しながら、リンディアが扉を開ける。

「アスター!」

 どうやら、扉をノックしたのはアスターだったようだ。
 私は胸を撫で下ろす。

「何か異変はないかね?」
「異変? さっき爆発音が聞こえたくらいかしらねー。他はないわよー」
「そうか。なら良いのだがね」

 言いながら、アスターは客室内へと入ってくる。許可を得もせずに入ってくる辺り、相変わらずのマイペースさだ。

「実は先ほど、我々の部屋に少女がやって来たのだよ」
「少女って……あの時のー?」
「そう。リンディアと戦った、あの少女だよ」

 ——またしても。

 リンディアとアスターの会話に、不安が駆け巡る。

 せっかく無事逃れてここまで来たというのに、また襲われるなんて。そんなこと、少しも考えてみなかった。もっとも、よくよく考えてみれば、一旦退いた敵がまた襲ってくるということもあり得たのだが。

「まーだ追ってきてたってわけね。まったく、しつこい奴だわー」
「まさに」
「で? 彼女の相手はベルンハルトがしてるってわけ?」
「その通り」

 アスターは白髪頭を掻く動作をする。

「私は接近戦には長けていないのでね」
「逃げてこないで、ちょっとは協力してあげなさいよー」
「いや、それは無理なのだよ」

 リンディアは怪訝な顔で首を傾げる。

「イーダくんのところへ行くよう、命じられてしまったからね」
「ベルンハルトが命令したって言うのー? 怪しーわねー」

 アスターに疑いの目を向けるリンディア。

「信じてくれたまえ」
「怪しーわよー。また誰か悪い奴に雇われたんじゃないでしょーねー」
「まさか! そんなことはあり得ないよ!」

 アスターは、ははは、と呑気に笑った。

 それから数秒して、今度は真剣な顔になる。

「私は今や、身も心もイーダくんのものだからね」

 これまた奇妙な発言が飛び出してきたものだ。

「ちょ……。何言ってんのよ、アンタ。さすがにそれはキモくない?」
「ま、それは冗談だけどね」
「寒すぎる冗談は止めてちょーだい……」


 ——刹那。


「アスター邪魔!」

 リンディアが拳銃を抜いた。
 彼女はそこから、目にも留まらぬ速さで発砲する。

「どうしたの!?」
「話は待ってちょーだい!」

 数秒後、硝煙の香りが漂う中で、何かが床に落ちるのが見えた。

 いつもの見方では、はっきりとは捉えられない。しかし、目を凝らすと、それが長さ十センチほどの剣のようなものであることが分かった。いや、剣よりかは——クナイに近いだろうか。飛び道具と思われる物体である。

「……落とされて、しまいましたか」

 聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声。

「何しに来たのかしら」
「イーダ王女の命、いただきに参りました」

 リンディアの視線の先——扉のところには、一人の女性が立っていた。

 灰色がかった水色をした髪は頭の右側で一つに束ねたサイドテール。その房の長さは、胸にかかるかかからないかくらい。髪は手入れの行き届いていて、さらりとしている。そして、真っ白な肌に、黄色みを帯びたガラス玉のような瞳。

 美しい女性だけに、敵なのが残念で仕方ない。

 女性は床を蹴り、こちらに向かってくる。ヒールのある靴なのにこれだけの勢いをつけられるとは、脚力が凄まじい。

「ご安心を。長引かせはしませんから」

 接近してくる彼女の手には、小さな武器——クナイのようなものが、何本も握られている。

「来ないで!」
「それはできません」

 ほんの数秒のうちに、女性は、二三メートルのところまで距離を縮めてきた。が、女性と私の間には、赤い拳銃を構えたリンディアがいる。

「あっさりいくと思ったらおー間違いよー」

 リンディアは拳銃の引き金を引く。

 緑色の光が放たれた。

 しかし、女性はその光をすべてかわした。それも、当たりそうだが当たらない、というところで。そんなギリギリな動きをしながらも、彼女の顔にはまだ余裕の色が浮かんでいる。

「遅いですよ。貴女の射撃は、極めて非効率的です」
「あら、言ってくれるじゃなーい」
「人生には限りがあります」

 言いながら、女性は、片手に持った四本のクナイを投げつけてくる。

「そーね!」

 リンディアは素早く拳銃を連射し、クナイを落とす。そして、唯一落とせなかった一本は足で払った。

 私はほんの一瞬安心した。

 が、ほっとしたのも束の間。次は女性本体が攻めてくる。リンディアに狙いを定める女性の手には、いつの間にか、短刀が握られている。

「ふっ!」

 女性はリンディアに向けて短刀を振る。リンディアは手に持っていた拳銃で短刀の刃を防ぐ。

「くっ……」

 急襲したにもかかわらず止められた女性は顔をしかめた——その直後。

「ほいっ!」

 ガンッ、と痛々しい音が響いた。何事かと思い、音がした方へ目を向ける。アスターが、客室内に置かれていたランプで、女性の後頭部を殴っていたのだった。

 ランプでもろに殴られた女性は、そのまま床にドサリと倒れ込む。

「女は一撃だね」

 倒れた女性を見下しながら、自慢げな顔をするアスター。

 リンディアは何事もなかったかのように「ナーイス」なんて言っている。が、私からしてみれば、ランプで人を殴るなど、驚き以外の何物でもない。しかも気絶するほど殴るなんて、信じられない光景だった。

「これでもー安心よ、王女様」
「……あっ。え、えぇ。ありがとう」

 ランプで殴るところを見てしまった衝撃でぼんやりしてしまっていたが、リンディアの言葉によって正気を取り戻した。

「もう大丈夫なの?」

 私がそう問うと、リンディアとアスターが同時に答える。

「そーね。もー大丈夫よー」
「さすがにもう動けないだろうね」

 素早く返してくれるのは嬉しい。

 しかし、やはり、アスターがランプで殴ったということに対する衝撃が消えない。


 その時。
 ガタン、と扉が勝手に開いた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.62 )
日時: 2018/12/08 17:56
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qRt8qnz/)

59話 甘いもの命

 勝手に扉が開いた。

 またしても敵か!? と不安の波に襲いかかられる。が、その不安は、一瞬にして消えた。
 ベルンハルトの姿が視界に入ったからである。

 しかし、それから数秒して、彼の顔色がおかしいことに気づく。無表情であることは珍しいことではないが、顔つきがいつもの彼のそれとは少し違っているのだ。

「ベルンハルト!」

 すぐに彼へ駆け寄る。
 どことなく体調が悪そうな彼を、放ってはおけなかったから。

「顔色が悪いわ。どうしたの?」
「……気にするな」

 声をかけてみたが、ベルンハルトは小さく返しただけだった。

「あの女の子にまた襲われたのでしょう? 怪我はない?」

 すると、ベルンハルトは黙った。気まずそうな顔をしている。

「ベルンハルト?」
「……少しだけ」
「少しだけ、って……どういう意味?」

 そこへアスターが口を挟んでくる。

「少しだけ負傷した、ということかね?」

 彼は言いながら、ベルンハルトの方へ歩み寄っていく。

「ふむ。なるほど。確かに負傷しているね」

 アスターの視線はベルンハルトの背中へと注がれていた。
 何だろう? と思い、私もベルンハルトの背中へ目を向ける。すると、彼の背中に大きな傷があることが分かった。

「ベルンハルト! これは何!?」

 服が破れ、身も抉れている——そんな光景を見て、私は思わず声を発してしまった。

「怪我してるじゃない! それも、結構酷いわ!」
「……たいした怪我ではない」
「何を言っているの。とても軽傷には見えないわよ。早く手当てしなくちゃ」

 だが、ベルンハルトは首を左右に動かす。

「たいした怪我ではない」

 こんなところで頑固さを発揮するのは止めていただきたい。

「貴女は他人の心配より自分の心配をするべきだ」

 ——イラッ。

 私は、日々穏やかに過ごすよう心がけているつもりだ。
 だがしかし、こればかりは苛立ちを覚えてしまった。

「そういう話じゃないの!」

 自然と口調を強めてしまう。

「手当てしなくちゃ駄目でしょ!」

 またしても強く言ってしまった。だが仕方ないではないか、ベルンハルトが状況を分かっていないようなことを言うのだから。

 とはいえ、いきなりこんな風に強く出たら、少し引かれてしまったかもしれない。そう思い、近くにいるアスターを一瞥する。すると、彼は口を開いた。

「お、おぉ……。イーダくん、君はなかなか……気が強いのだね」

 アスターは引いたような顔をしていた。

 そこへ、リンディアが口を挟んでくる。

「ま、手当てしなきゃならないことは確かよねー」
「やっぱりそうよね?」
「傷を放置するのは感心しないわー」

 良かった。彼女は私が言おうとしていることを理解してくれそうだ。私がおかしいのではない、と分かり、自信が持てた。

「爆発音がしたわけだし、まー放っておいても人は来るでしょーけど? 取り敢えずフロントに電話かけましょーか」
「賢明な判断だね、リンディア。さすがは私の弟子だけある」
「アンタに言ってるんじゃないのよねー」
「そうかね。それは実に残念だ」

 リンディアは、客室内に設置されている電話の方へと、流れるように歩いていく。一つに束ねた赤い髪が、ふわりと宙を舞っていた。

「その……さっきはきつく言ってしまってごめんなさい。でもね、ベルンハルト。私は貴方に、無理をしてほしくないのよ」

 利口なリンディアがフロントに電話をかけている間、私はベルンハルトに話しかける。

「無理などしていない」
「本当に?」
「僕は嘘はつかない」
「……そうね。疑って悪かったわね」

 ベルンハルトはパッと嘘をつけるほど器用な人間ではない。それは十分理解している。

「一旦座るといいわ。立っていると辛いでしょう?」
「辛くなどない」
「もう! またそうやって強がる!」
「……すまない」

 それから私は、負傷しているベルンハルトを、室内のソファへ座らせた。強がってばかりいた彼だが、ソファに座った時には、少しホッとした顔をしていた。


 それからしばらくは、騒々しかった。

 小規模とはいえ爆発が起きたのだ、騒ぎになるのも無理はない。爆発が起きた原因を調査する者、周囲の客室に影響がないか確認する者などが、あっちへこっちへ、バタバタと行き来していた。

 アスターのランプによる打撃で沈んだ女性は、アスターが星王へ直接引き渡した。
 その時彼は、「シュヴァルには渡さないように」と言っていたのだが、その理由はよく分からない。


 その後、私は、一階にある喫茶店へ移動。

 ベルンハルトは傷の手当てがあるため抜けた。それによって、今は、リンディアとアスターと私という妙な三人での行動だ。

 私はストレートのアイスティー。リンディアはホットコーヒー。そして、アスターはこのホテル名物のマアイパフェ。

 一人一品、それぞれ注文した。

「アスターさんは本当に甘いものが好きなのね」
「うむ、その通り。甘いものがあれば、他には何も要らない」

 パフェを注文することができたアスターは、幸せそうな顔をしている。注文した、という事実だけでも嬉しいのだろう。

「そんなに好きなのね」
「本来、一番好きなものは綿菓子なのだよ。しかし、それ以外は駄目というわけではない。甘くて美味しければ、大体のものは食べられる」

 アスターが幸せそうな目つきで話していると、リンディアが口を挟んでくる。

「肥えるわよー」

 確かに、糖分の摂りすぎは体に良くないかもしれない……。

「いきなり失礼だね、リンディア。私とて馬鹿ではないよ。ちゃんと考えて食べているとも」
「けどアンタのご飯、大体甘いものじゃなーい?」
「そんなことはない。バランスのとれた食事だよ」
「嘘ねー。綿菓子だけで済ますところ、何度も見たわよー」
「……う」

 リンディアの発言に、アスターは言葉を詰まらせていた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.63 )
日時: 2018/12/08 17:57
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qRt8qnz/)

60話 告白

 待つことしばらく。注文した品が運ばれてきた。

 私のアイスストレートティーとリンディアのホットコーヒーが普通なのに対し、アスターが注文したパフェだけは非常に大きい。高さのある器に入っている上、果物やらプチケーキやらが山盛りになっているという、驚きの状態だ。

 しかし、当のアスターはあまり驚いていない。驚くどころか、むしろ嬉しそうである。

「すっごいのが来たわねー」

 巨大なパフェを目にしたリンディアは、呆れ笑いしながら、そんなことを言っていた。同感だ。

「ワクワクしてきた……!」

 しかし、当のアスターは呑気に目を輝かせている。
 彼にとっては、周囲の人の反応などどうでもいいことなのかもしれない。目の前にパフェがある。視界の中に甘いものがある。その事実だけが重要なのだろう。

「さすがに多すぎじゃなーい?」
「こんなに美味しそうだと、食べるのが楽しみすぎて動悸が」
「ちょ、動悸て……」
「ではいただくとしようかね。いただきます!」
「会話成り立たなすぎでしょ!?」

 アスターはとにかくマイペースだ。リンディアの発言に対する返答より、自分の言いたいことを優先している。とても大人とは思えない振る舞いだ。

「イーダくんは飲まないのかね? せっかくの紅茶だよ、楽しみたまえ」

 しかも、あんなことがあった後だということを忘れてしまったかのような顔をしている。これはもはや、「呑気」を通り越して「奇妙」の域である。

「え、えぇ。そうね。いただくことにするわ」

 シロップを混ぜ、アイスティーを口に含む。茶葉の香りとほどよい甘みが絶妙だった。


「そういえば、アスターさん」

 しばらくして、ふと思いついたことを尋ねてみることにした。

「何かね?」
「さっき父さんに、『シュヴァルには渡さないように』って言っていたわよね。あれはどうして?」

 するとアスターは目をぱちぱちさせる。

「そんなことを言っていたかね? 私は」

 本当に無意識だったのだろうか。それとも、惚けているだけなのだろうか。
 そこのところがよく分からない。

 ただ、私は確かにアスターのあの言葉を聞いた。それだけは間違いないことだ。

「そーいえば、そーんなこと言ってたわねー」
「リンディアまで! そんなことを言った覚えはないのだが……」

 どうやら、リンディアもあの発言を聞いていたようだ。それが分かり、私はホッとした。
 私の勘違いでなくて良かった。

「とぼけてんじゃないわよー」

 リンディアにそう言われたアスターは黙る。

「アンタも今は従者でしょー? 王女様に隠し事をするなんて、論外よー」

 暫し、沈黙。

 それから十秒ほど経って、アスターはようやく口を開く。

「……確かに、それもそうかもしれない。仕方ないね。話すとしようか」
「よーやく口を割る気になったのねー?」
「リンディア、止めてくれたまえ。その言い方はあまり嬉しくないよ」

 アスターは、パフェの器の底に残っていたクリームをスプーンですくい、口に含む。これで完食だ。彼は大きなパフェを、少しの苦もなく食べ終えた。

「何を話してくれるの?」

 パフェを食べ終えたアスターに、改めて尋ねた。
 すると彼は静かに返してくる。

「君の命を狙う者について、なんていう話題はどうかな」
「そんな話題!?」

 予想外だったので、思わず大きな声を出してしまった。

「君が先ほど問っていた『シュヴァルには渡さないように』の答えが分かるよ」
「あ、そうなのね」

 もはや悪い予感しかしないのだが……。

「では」

 こんな場面でも、アスターの表情には柔らかさがある。

「イーダくん——君の命を狙っているのは、シュヴァルなのだよ」

 アスターの「シュヴァルには渡さないように」という発言を聞いた時から、薄々感じてはいた。シュヴァルに何かがあるのではないか、と。

 だから、本来それほどショックを受けるようなことではないはずなのだ。

「……本当、に?」

 けれど、やはりショックだった。

 シュヴァルは長年父親の傍で働いていた人間だ。私は彼をあまり好きではなかったが、父親は彼を信頼していた。そして、今も彼を疑ってはいないだろう。

 そんなシュヴァルが、私を狙っていたなんて。
 彼が悲劇の根源だったなんて。

 ——できれば信じたくはない。

「もちろん。まぎれもない事実だとも。なんせ、かつて私に君の殺害を命じたのは、シュヴァルだったからね」

 冗談であってほしいと思った。ちょっとしたブラックなネタであってほしい、と。

 だが、アスターの目つきには真剣さがあった。
 今の彼の目は、どう考えても、冗談を言っている人間の目ではない。

「本当……なのね」
「その通りだとも。私は他人からよく変わっていると言われるが、主を困らせるような嘘をついたりはしないよ」


 その時。

「何よそれ!」

 リンディアが叫んだ。
 周囲の客が驚いてこちらを見たほどの、大声だった。

「どーいうこと!?」
「落ち着いてくれたまえ」
「は!? こんなこと聞かされて、黙ってられるわけがないでしょ!!」

 リンディアはいつになく取り乱している。

「あたしの父親が王女様を狙ってる張本人だって言うのー!?」

 取り乱しているリンディアの片腕を、アスターは強く掴んだ。日頃の彼からは想像できないような、豪快な掴み方である。

「リンディア。騒ぐと周囲に迷惑になるよ」
「どーしてそんな大事なことを黙ってたのよ!」

 彼女の口から発される声は鋭いものだった。

 だが、そうなるのも無理はない。突然こんな重大なことを打ち明けられたのだから、冷静でいられない方が普通だろう。

 事実、私も冷静でいることはできていない。

「それはすまないと思っているよ。だが、私は元々、以前の依頼人について口外することはしない主義でね」
「今回はそーいう問題じゃないでしょ!?」
「そう。想像以上に酷いことになってきたから、こうして話すことに決めたのだよ」

 しかし、アスターを責めても何も変わらない。彼を責めることに価値などない。

 今は「打ち明けてくれてありがとう」と感謝する方が良いのかもしれない、と思ったりもする。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.64 )
日時: 2018/12/09 15:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: b9FZOMBf)

61話 デートのお誘い……なわけがないでしょう

 シュヴァルこそが悪。
 シュヴァルがすべての元凶。

 アスターはそう仄めかすようなことを言った。

 私は何となく分からないでもなかった。もちろん驚きはしたけれど。ただ、「そういうことがあってもおかしくはないかな」と思うことはできた。

 だが、リンディアは違った。
 彼女にとってシュヴァルは父親だ。つまり、彼女にとって今の状況は、「父親が反逆者」と言われているようなものなのである。

「アスター! ちょーしに乗ってんじゃないわよ!」
「調子に乗ってなどいないよ、リンディア。私はただ、事実を述べただけのこと」
「あいつは確かに生意気な人間よ!? けど、さすがに、星王様を裏切ったりはしないでしょー!」

 アスターは冷静に対応し続ける。

 しかし、リンディアの怒りは一向に収まらない。リンディアの激しい声が、喫茶店内に響き続けている。

 彼女の気持ちは分からないでもない。が、このままでは周囲に迷惑がかかるばかりだ。だから私は、勇気を出して、彼女を制止することに決めた。

「一旦止まって、リンディア。騒ぐだけでは何にもならないわ」
「王女様はこんなジジイの言葉を鵜呑みにするっていうのー!?」

 鋭い声を浴び、一瞬怯む。
 しかし、「ここで逃げては駄目」と自分を鼓舞して、言葉を返す。

「いいえ。そうじゃないわ」

 私は王女。彼女は従者。
 こういう時こそ、その地位を活かさなくては。

「鵜呑みにするわけではないけれど、可能性を考慮することは必要だと思うの」
「リンディアは罪人の娘だーって、そう思っているんじゃないのー?」
「違う。それは断じて違うわ」

 今までの私なら、彼女に気圧されて何も言えなくなっていたことだろう。だが、今は違う。今は、はっきりと言葉を述べることができる。

「まずは父さんに話してみるわ。それから、シュヴァルに反逆の意思があるのか調べる。それで良いでしょう?」
「妥当だ。もっとも……彼は真実を語りはしないだろうがね」
「それはそうでしょうね。そこは何とか考えるしかないわ」
「うむ。後のことは皆で考えるとしよう」

 アスターは納得してくれたようだ。

 私はそれから、再び、リンディアへ視線を向ける。
 彼女は唇を真一文字に結んでいた。

「それでいい?」
「……そーね。そーいうことははっきりさせた方がいーわ」
「ありがとう、リンディア」

 リンディアには少し申し訳ない気もするが、私が狙われなくて済むようになる可能性が少しでもあるなら、確かめてみなくてはならない。

 すべては平穏を手にするためだ。

「ベルンハルトにも後で言っておかなくちゃね」


 私はその後、父親と合流。だが、すぐに話すことはできなかった。というのも、近くにシュヴァル本人がいたからである。

「イーダぁ!! またしても狙われたのかよぉぉぉ!!」
「え、えぇ……」
「従者、まったく役に立っていないじゃないかぁぁぁ!」

 父親は相変わらず騒々しい。星一つを治める星王だとはとても思えぬ振る舞いだ。

「違うのよ、父さん。悪いのは従者のみんなではないの」
「え。そうなのかぁ?」
「そうよ。みんな働いてくれているわ」
「ならいいんだがなぁ……」

 父親は何やら不安げな表情を浮かべている。
 少し失礼かもしれないが、「こんな人でも不安になったりするのか」と思ったりした。

「心配なさることはありませんよ、星王様」

 シュヴァルは鋭い。
 父親の表情が曇ったことをすぐに察し、口を動かした。

「三人も従者がいれば、そう易々とやられはしません。王女様が命を奪われるようなことが起きる可能性は、かなり低いかと」
「けど、イーダは怪我したんだぞ?」
「あれは急襲でしたから……」

 父親とシュヴァルの会話を聞いて、私は、足を怪我していたことを思い出した。さほど痛まないため、すっかり忘れてしまっていた。

「しかし、従者が傍にいたからこそ、軽傷で済んだのです」
「まぁそうかもしれないが……」
「それに、先ほどの襲撃では王女様はご無事でしたでしょう? それは、従者がいたからこそ、です」
「確かに、そうかもしれないなぁ」

 父親は納得したようだ、話が一旦途切れた。
 そのタイミングを逃さず、私は口を開く。

「ねぇ、父さん」
「何だぁ?」
「後で少し、二人きりで話さない?」
「デートのお誘いかぁっ!?」

 父親は急に叫ぶ。
 こちらまで恥ずかしい。

「いいえ。ただ、少し話したいことがあるの」
「またお願いか何かかぁっ!?」
「えっと……どちらかというと、相談、という感じね」
「もちろん! いいぞぉーっ!」

 父親の妙なテンションには、若干、恐怖すら覚える。だが彼に悪意はない。それは確かだ。なので、わざわざ注意することもないだろう。

「相談なら、シュヴァルも一緒にってのはどうだ? シュヴァルがいてくれれば、より正確な答えが出るか——」
「二人で話したいの」
「えっ?」
「シュヴァルはいなくていいわ。私と父さん、二人きりで話したいことなのよ」

 すると、父親は頬を赤らめる。

「そ、そんなぁ……イーダ……さすがに照れるぞぉぉぉ……」
「そういうのは要らないから!」
「……ごめん」

 父親は子どものようにしゅんとした。肩を落とし、身を縮めている。またしても大人とは思えぬ振る舞いだ——が、害はないため突っ込まないでおくことにした。

「よし。イーダがそう言うなら、二人で話そう」
「ありがとう!」

 ようやく話がまとまった。

「じゃ、シュヴァル」
「部屋をご用意致しましょうか」
「よく分かっているな! さすがはシュヴァル!」
「……長い付き合いですから」

 やはり、父親はシュヴァルを信頼しきっている。
 長く仕えてくれているシュヴァルが……なんて、彼は微塵も考えていないだろう。

 ——私が話したくらいで信じてくれるだろうか。

 不安だ。もはや、不安しかない。

 だが、それでも話さなくてはならないのだ。
 私が決めたことだから。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.65 )
日時: 2018/12/09 15:09
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: b9FZOMBf)

62話 沈黙から展開

 あれから数十分、ようやく父親と二人になれた。

「それでイーダ、二人きりで話したい話って何だぁ?」
「少し、驚かせてしまうかもしれない話なの」
「おぉ!? サプライズか何かかぁーっ?」

 私と父親がいるのは、一人用ソファ二つとテーブル一個があるだけの、狭く殺風景な部屋だ。

 急に頼んだため、この狭い部屋しか空いていなかったのだと思われる。すぐ近くに壁があるためかなりの圧迫感だが、文句を言うわけにはいかない。前もってではなく急に頼んだのだから、一室貸してもらえただけで幸運なのである。

「違うわ。サプライズなんかじゃない……」
「えぇ? そうなのかぁ? 残念だぁぁー!」
「……騒がないでくれるかしら」
「お、おぉっ! すまん!」

 シュヴァルが私の命を狙っているかもしれない——そんなことを言ったら、父親はどんな顔をするだろう。
 そして、どんな風に思うだろうか。

 その答えは、実際に言ってみないことには分からない。が、すぐに「そうなんだ」と受け入れてもらえる可能性は、かなり低いと見て間違いないだろう。

 シュヴァルとさほど仲良くないリンディアでもあの反応だったのだから。

「実はね——」

 まともに聞いてもらえないかもしれない。けれど、もう引くことはできない。言うしかないのだ。

「私を狙っていたのは、シュヴァル……かもしれないの」

 そう言い放った後、私はしばらく、父親の顔を見ることができなかった。どんな顔をされるか、怖かったのだ。

「シュヴァルから私を殺害するよう頼まれていた、って……アスターさんが」

 宇宙へ放り出されたかのような、沈黙。

「シュヴァルはずっと父さんに仕えてくれている人だもの、彼を疑ってみたことはなかった。もちろん、疑いたくもないわ。けれど、べつに追い詰められているわけでもないアスターさんが嘘をつくとも思えなくて」

 私は話す。込み上げる不安を掻き消すように、口を動かす。
 しかし、父親から返事はない。

「父さん。一度確認してみた方がいいと思うの。シュヴァルが白か黒か、はっきりさせるべきだわ」

 直後、父親は突然、カッと目を見開いた。

「シュヴァルは白だろ」

 父親はそう言った。微かな迷いもない、はっきりとした声で。

「……そう?」
「何を言い出すんだ、イーダ。あいつが裏切るわけがないだろぉ」

 私だって、そうであってほしいわよ。

「なら……アスターさんが嘘をついているということなのね」
「よく考えてみろよぉ! シュヴァルはもう数十年一緒にいるんだぞぉ。その中で、あいつが裏切るような素振りを見せたことは一度もなーいっ!」

 やはり、父親はシュヴァルを完全に信頼している。
 想定の範囲内ではあるが——これはなかなか厄介そうだ。

「長年忠実に仕えてくれているシュヴァルと、一度はイーダを拐ったりしたアスターだぞぉ!? どっちが間違っているかなんて、明白だろぅ!!」
「そうかもしれない……けれど、アスターさんが嘘をついているという証拠はないわ」
「シュヴァルが反逆者である証拠もないだろぅ!」

 父親はそう言ってから、ゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。

 そして、私の体をそっと抱く。

「イーダは疲れているんだぁ。だから、そんな冗談を真に受けてしまう」
「……父さん?」
「これだけ色々あったら、そりゃあ疲れもするよなぁ」

 わけが分からない。
 彼は、私がおかしくなっているとでも思っているのか。

「無理しちゃ駄目だぞぉ? イーダ。辛い時はゆっくり休む方がいいんだぁ」
「待って、父さん。そういう話をしているわけじゃないのよ」

 何とか上手く伝えようとするのだが、父親は一向に聞く耳を持ってくれない。

「本当に私が言いたいのは……」

 父親は、私の言葉を聞くことはせず、ますます距離を縮めてくる。顔と顔の距離が、三十センチも離れていないくらいまで近づく。

「アスター、あいつは駄目だなぁ」

 耳元でそう囁いた父親の声の冷たさに、私は思わず身震いした。

「可愛いイーダに悪いことを吹き込むやつは、悪いやつだぞぉ」
「父さん……?」

 いつもと雰囲気の違う父親。不気味に思わざるを得ない。

 しかし、数秒後にはいつもの彼の顔つきに戻っていた。

「よし、決めた!」
「何を?」
「あいつを牢にぶち込む!」

 父親は溌剌とした表情で発する。

「アスターはやっぱり罪人だぁ!」
「えええ!?」

 思わず叫んでしまった。

「ちょ、ちょっと待って! 父さん、それは変よ!」
「もう決めたんだぁーっ!」
「お願い! それは止めてちょうだい!」

 アスターを危険な目に遭わせるわけにはいかない。

「やっぱりシュヴァルの言った通りだったぁ!」
「待って。お願いだから待って」
「アスターには気をつけておいた方がいいって、シュヴァルが言っていたんだよぉーっ!」

 シュヴァルは父親にそんなことを言っていたようだ。

 ——ということはやはり、アスターの言ったことは事実なのではないか?

 個人的には、そう感じてしまうのだが。

「そんな! 父さん、アスターは悪くないのよ!」
「取り敢えずシュヴァルに相談してみるぅ!」

 父親はそんなことを言いながらスタスタ歩いていく。走ってはいないのだが、結構なスピードだ。

「待って——」

 私はそんな父親の背を追う。

 しかし、追いつくことは叶わなかった。


 部屋を出てすぐのところに、シュヴァルはいた。
 私たちの話が終わるのを待っていたのだろう。

「もう終わられたのですか?」

 退屈そうな顔つきで立っていたシュヴァルは、父親の姿を目にするや否や、素早く声をかけた。

「あぁ、終わった」
「そうでしたか。お疲れ様です」
「少し、シュヴァルに相談したいことがあるのだが……今でも大丈夫かぁ?」
「はい。もちろんです」

 ——う。
 やはりシュヴァルに言うつもりなのか、父親は。

 それだけは勘弁してほしいのだが。

「アスターが『シュヴァルから私を殺害するよう頼まれていた』と言っているらしいんだ」
「そんなことを?」

 シュヴァルの眉がぴくりと動いた。

「彼はこのシュヴァルに罪を押し付けるつもりなのでしょうかね……?」
「イーダにおかしなことを吹き込もうとしているみたいだ」

 父親がそう述べると、シュヴァルはふっと笑みをこぼす。

「なるほど」

 まさか、このタイミングで笑みをこぼせるとは。

「王女様に間違った知識を教えるような者は、従者に相応しくありませんね」
「だろぅ? イーダは可愛くて素直だから、すっかり信じ込んでしまっているんだ」
「……それは非常に困ったことです」

 シュヴァルは静かに言いながら目を細める。

「では、このシュヴァルが対応しておきましょう」
「牢にぶち込むんだ!」

 父親は声を大きくする。
 それに対してシュヴァルは、少しばかり呆れたような顔で返す。

「……それはさすがにやりすぎでは」

 こればかりは同意。

「そうか? なら、どうするのがいいんだ?」
「このシュヴァルにお任せ下さい。嘘つきには、然るべき罰を与えます」

 私は何度も口を挟もうと試みた。しかし、父親とシュヴァルの会話は、その隙をまったく与えてくれない。

「牢にぶち込むだけがすべてではありませんから」
「おぉ……そうか。そうだな」
「任せていただけますか?」
「この件に関する対応は、シュヴァルに一任する!」
「承知しました」

 これは……やらかしてしまったかもしれない。

 最悪、なんて言葉は極力使いたくはない。
 が、こればかりは最悪の事態にもなりかねない展開だ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.66 )
日時: 2018/12/11 17:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: JbPm4Szp)

63話 無力

 その後、シュヴァルの命によって、アスターは拘束されてしまった。

 こんな時に限って、リンディアが近くにいなかったのだ。
 彼女が近くにいたなら、少しは何か言ってくれただろうに。これはアンラッキーとしか言い様がない。

「この星の未来を担う王女様に嘘を吹き込むなど、極めて悪質です」
「嘘、だって? まさか! 私は嘘を吹き込んでなどいないよ。ただ真実を述べただけだとも」

 シュヴァルの命により身柄を拘束されてしまったアスター。

 しかし、こんな状況下でも、彼は比較的冷静だった。

「私は真実しか述べていない。それはシュヴァル、君が一番知っているだろう」
「は? 何を言っているのやら、という感じですが」

 アスターはシュヴァルの部下の男に両腕をしっかり拘束されている。痛そうだな、なんて思ってしまうほどにがっちりと拘束されている様を目にすると、何だか申し訳なくなってきた。

 私がもっと考えて行動していれば、慎重になっていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。

「シュヴァル! アスターさんをどうするつもり!?」

 勇気を出し、思いきって口を挟む。
 しかしシュヴァルは、ほんの一瞬こちらを見ただけで、言葉を返してはくれなかった。

「ちょっと、シュヴァル……!」

 さすがに無視はないだろう。
 こちらが声をかけているのに、ほんの一瞬ちらりと見るだけとは、失礼極まりない。

 王女である私を崇めろなんて言う気はないが、せめて返事くらいはしていただきたいものだ。

「返事くらいしてちょうだい……!」
「はい」
「え?」
「返事させていただきましたが」

 おっと、これは感じ悪い。
 さすがシュヴァル、という感じの、嫌み満点な対応だ。

 もっとも、それが意図的なのか否かは分からないが。

「アスターさんをどうするつもりなの? シュヴァル」
「身柄を拘束させていただきます」
「今の彼は私の従者なのよ。そんな勝手なことが許されると思っているの」
「それが、許されるのですよ。星王様より一任されていますから」

 シュヴァルが言うことも、確かに、間違いではない。星王である父親が「一任する」と言ったのだから。私が口出しするなど、もはや許されたことではないのかもしれない。

 けれど、アスターは私の従者だ。
 まだその関係が切れたわけではない。

 だから、シュヴァルに好き勝手されるというのは、どうも納得できない。

「アスターさんは私の従者になったのよ! いくら父さんでも、私に断りなく彼のことを他人に一任するなんて、できっこないわ!」

 このまま黙って引くというのもなんなので、一応言ってやった。

 しかしシュヴァルは、「可能です。星王様こそが最高権力者ですから」などと返してくるだけ。私の意見には、微塵も耳を傾けてくれなかった。


 シュヴァルは去っていってしまった。拘束されたアスターとは、結局何も話せずじまいだ。

 私は場に一人取り残される。

 王女でありながら、何もできなかった。アスターを擁護してあげることさえできなかった。
 なんて無力なのだろう——そんな思いが、胸を締めつけてくる。

「王女様!」

 そんな風に、一人で辛くなっていると、背後からリンディアの声が聞こえてきた。

 振り返ると、赤い髪をなびかせるリンディアが視界に入る。彼女の隣には、ベルンハルトの姿もあった。
 二人が一緒に行動しているのは珍しい気がする。

「リンディア、それにベルンハルトも。珍しく組み合わせね。どこかへ行っていたの?」

 そう問うと、リンディアは軽やかな調子で返してくる。

「こいつの手当てが済んだからー、迎えに行ってあげてたのよー」

 どうやらそういうことらしい。
 ……なら仕方ない、か。

「そうだったのね」
「どーかしたのー?」

 私は彼女に、アスターが拘束されてしまったことを話さなくてはならない。だが、どうも言う気にはなれなかった。

 言わない、なんて選択肢が存在していないことは分かっている。
 ただ、弟子であるリンディアにそれを打ち明けるのは、少々胸が痛い。

 だが、いずれはばれてしまうこと。
 それなら、今こちらから話しておいた方が、彼女を動揺させずに済むだろう。

「実は、その……」
「なーに?」
「アスターさんが拘束されてしまったの」
「そーなの!?」

 リンディアは目を見開く。
 瑞々しい水色の瞳の奥に潜む瞳孔が、いつもより拡張しているのが見てとれる。

「どーいう展開? やっぱあいつが嘘ついてたってことー?」
「父さんに相談したのよ。でも、そんなことはあり得ないって一蹴されてしまって……」
「アスターの発言が嘘だーって、証明されたわけじゃないのねー?」
「えぇ……無理矢理嘘なことにされてしまったの……」

 私が上手く擁護できていれば、こんなことにならずに済んだかもしれないのに。

「止めようとはしたのだけれど……ごめんなさい」

 取り敢えず謝っておく。

 するとリンディアは、ニコッ、と明るい笑みを浮かべた。

「いーのよ!」
「えっ……」

 あっけらかんとしているリンディアを目にし、私の頭は戸惑いに満ちる。まさかこんなにも明るい感じで返されるとは思っていなかったから。

「そーなっちゃったものは仕方ないわー」
「え、えっと……」

 リンディアは優しかった。
 だが、その優しさに甘えて「仕方ないよねー!」なんて返せるほど、呑気にはなれそうもない。

「気にしなくていーわよ! 王女様!」

 彼女の優しさが胸に染みる。
 思わずウルッとなってしまった。

「リンディア……」
「アスターなら大丈夫。拘束されたぐらいでへこたれやしないわー」

 私は半ば無意識で口元に手を添えていた。

「王女様は正しいことをしただけじゃなーい。だから、王女様が気にすることなーんて……」
「少々迂闊だったかもしれないがな」
「ちょっと、ベルンハルト!」
「事実だ」
「アンタねぇ! いい加減にしなさいよ!」
「嘘は言っていないだろう」

 隣のベルンハルトと暫し言い合いをした後、リンディアは再びこちらへ視線を向けてくる。

「ま、さほど気にすることじゃないってことよー」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.67 )
日時: 2018/12/11 17:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: JbPm4Szp)

64話 夜の戯れ?

 その晩、私はベルンハルトとリンディアと三人で、ホテルに泊まった。

 最上階の客室が使えなくなってしまったのは残念だが、私たちが泊まった客室も結構綺麗な部屋だった。
 だから、文句など欠片もない。

 丁寧に整えられたベッドに、綺麗に磨かれた真っ白な浴槽。それだけでも、一泊するには十分な条件だ。しかしそれだけでなく、無料で自由に飲める紅茶やコーヒーも置かれていた。贅沢し放題である。

「ふう……」

 私は入浴を終えると、持ってきた荷物の中から予め取り出しておいた寝巻きに着替え、髪を乾かす。そして、髪がしっかり乾いてから、ベッドがある部屋の方へと戻った。

「お疲れ様ー。ちゃんと入れたー?」

 部屋へ戻るなり、リンディアが声をかけてくる。

「えぇ、気持ち良かったわ」
「シャワーが使いにくいとか、問題はなかったー?」
「なかったわよ。温かくて、凄く良かったわ」

 私とリンディアが会話していても、ベルンハルトは入ってこない。彼はなぜか、私から離れている方のベッドに腰を掛け、そっぽを向いている。

 会話に入ってこないのはともかく、まったくこちらを向かないというのは妙だ。
 そう思い、私の方から声をかけてみることにした。

「ベルンハルト、どうしたの?」

 彼が腰掛けているベッドの方へと近寄っていきながら、そんな風に声をかける。しかし彼は何も返してこない。

「ねぇ、ベルンハルト」
「…………」
「ベルンハルト?」

 まったく反応がない。
 よく分からないが、取り敢えず彼のすぐ隣に座ってみる。

「どうかしたの?」

 私が彼に手を伸ばしかけた刹那、彼はようやくこちらを向いた。非常に気まずそうな顔をしている。

「……あまり近寄るな」
「え?」

 予想外の発言に、私は思わず言葉を失う。

「そんな薄い布一枚で僕に寄るな」
「……薄い、布……?」
「イーダ王女。貴女も女性なのだから、格好には気をつけた方がいい。そんな無防備でいると、いずれ痛い目に遭う」

 ベルンハルトは淡々とした口調でそんなことを言ってきた。
 いまいち理解しきれていないのだが、彼が言っているのは、私の服装のことなのだろうか。

「えっと……この服が駄目ということ?」

 ひとまず尋ねてみる。
 すると彼は、静かに、首を縦に動かした。

「似合っていない……かしら」

 胸元だけが白いレース素材で、その他はシルクで作られている、ワンピースタイプの柔らかな寝巻き。とにかく着心地が良く、デザインもそれなりに可愛らしいため、私としては気に入っているのだが。

「いや、違う。そういう意味ではない」
「違うの?」
「違う」
「なら、どういう意味なの」

 するとベルンハルトは、一度、私から視線を逸らした。それから数秒経って、彼は再び話し出す。

「男がいるところで、そんな肌が透けるような服装をするな。そう言いたかったんだ」

 そこへ、リンディアが口を挟んでくる。

「なるほどなるほどー。アンタ、可愛い王女様を見るのが恥ずかしーのねー」
「な。ち、違う!」

 ベルンハルトは慌てた様子で否定した。が、顔が赤くなってしまっている。

「あー。赤くなってるー」
「なっ、何を言うんだ! 赤くなってなどいない!」
「否定するのに必死ねー」

 リンディアが言葉を発すれば発するほど、ベルンハルトの顔は赤く染まっていく。これはもう、完全にリンディアのペースだ。

「僕はただ、女性としての自覚を持つように注意しただけだ!」
「アンタ、王女様のこと大好きねー」
「勘違いするな! そしてそれを大声で言うな! イーダ王女に失礼だろう!」

 リンディアのペースではあるが、ベルンハルトも負けてはいない。彼は持ち前である気の強さを十分に発揮している。二人の口喧嘩は、なかなかいい勝負だ。

 だが、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかない。
 なぜなら、今はもう夜だからである。

「まぁまぁ落ち着いて」

 子どもではないのだから、いつまでも騒いでいるわけにはいかない。

「ベルンハルト、リンディア、喧嘩は止めてちょうだい」

 私がそう言うと、ベルンハルトがパッとこちらを向いた。

「喧嘩しているわけではない。勘違いしないでくれ、イーダ王女」

 どうやら、喧嘩、と言われるのは不服のようだ。

「僕はそこまで子どもじみてはいない。それに、先に余計なことを言ったのはリンディアの方だ」

 ベルンハルトの言葉に、リンディアが噛みつく。

「は? なーによ、それ! あたしを悪者扱いするつもりー?」
「何を怒っているんだ。僕は真実しか述べていない」
「真実ですって!? アンタの発言のどこが真実なのよー!」

 なぜすぐに言い合いになるのか、私には理解不能だ。

 二人が血気盛んな質なことは知っているが、いつまでもこんな言い合いに付き合ってはいられない。

「喧嘩は止めて!」

 だから私は、はっきりと言い放った。

 すると、ベルンハルトとリンディア——二人の声は、ぴたりと止んだ。
 私の発言にも、多少の制止力はあったようである。

「言い合いしている場合じゃないでしょう。こんな時くらい、楽しく過ごせる方がいいわ」

 アスターのこともあるし、襲撃のこともあるし、不安は尽きない。ただ、穏やかであれる今くらいは、せめて楽しく過ごしたいと思う。それが私の心だ。

「……ま、そーねー」
「イーダ王女がそう言うなら黙っておくことにしよう」
「あ。ベルンハルトったら、王女様には素直ねー」
「悪いが、もう乗らない」
「えー。つまらなーい」

 ベルンハルトを怒らせられなくなったリンディアは、面白くなさそうな顔。彼女はどうやら、他人を怒らせることがかなり好きみたいだ。

「ところでイーダ王女」
「何? ベルンハルト」
「勘違いのないように一応言っておくが……」

 いきなり何だろう。

「その服が似合っていない、というわけではないからな」

 あら、褒められた?

「本当に? ありがとう」
「僕は嘘はつかない」
「嬉しいわ!」

 お気に入りの服を褒めてもらえたことが嬉しくて、つい抱きついてしまった。すぐ隣にいたために、衝動を抑えるより早く行動してしまっていたのである。

「やっ……止めろ! イーダ王女!」
「だって嬉しいのよ。ベルンハルトに褒めてもらえて」
「そんなにくっつくな!」

 抱き締められたくらいで慌てているベルンハルトを見ていると、何だか愛らしく思えた。初々しい反応をされればされるほど、なぜかもっと困らせたくなってしまう。

「たまにはいいじゃない。くっついたって、何も減らないでしょう」
「駄目なんだ! 止めてくれ」
「どうしてよ」
「背中が痛むからだ!」

 ……まさか、そういう理由だったとは。

 確かに彼は背中を怪我してはいたが……まぁ……うん。
 正直、少し残念。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.68 )
日時: 2018/12/17 18:52
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Ga5FD7ZE)

65話 何事もなかったかのような

 翌朝、私は荷物をまとめ、ベルンハルトやリンディアとともにホテルのラウンジへと向かった。そこで、父親やシュヴァルと合流する。

「おはよぅ! イーダぁ!」

 父親は私の顔を見るなりそんな風に声をかけてきた。いつもと何一つ変わらない、明るい調子だ。彼はどうやら、アスターの件のことなどすっかり忘れてしまっているらしい。

 私は内心、「少し顔を合わせづらいな」なんて思っていた。
 それだけに、父親のこの態度はかなり衝撃的だった。

 まさか何事もなかったかのように接してくるとは。

「おはよう、父さん」
「昨夜はよく眠れたかぁー!?」
「え、えぇ」

 私は取り敢えず普通に対応した。

 だが、内心かなり動揺している。

 相手が何事もなかったかのように接してきたからといって、私も何事もなかったかのように接し返すということは、そんなに容易なことではない。

 しかし、そこへ追い討ちをかけるように、シュヴァルまで挨拶してくる。

「おはようございます、王女様。良い朝ですね」

 シュヴァルも、何事もなかったかのような顔をしていた。その口元には、微笑みさえ浮かんでいるように見える。

 不思議な感覚だ。

 昨日のアスターに関するいざこざなんて、本当は起こっていなかったのだろうか——そんな風に思ってしまうくらいの状況である。

「どうなさったのです? 王女様」
「……え」

 おっと、まずい。

 不思議な感覚について考えすぎているあまり、返答を忘れてしまっていた。

「王女様がそんなにもぼんやりなさっているなんて、珍しいですね」
「そ、そう? ごめんなさい」
「いえ。少しばかり心配に思っただけですよ、お気になさらず」

 妙に丁寧な接し方が逆に不気味だ。だが、話がそこで終わっただけ、まだましだったのかもしれない。

 そんな妙な挨拶を終えると、父親とシュヴァルは、先に歩いていってしまった。場には、私とベルンハルト、そしてリンディアの三人だけが残される。

「何もなかったかのような態度だったわねー」

 色々と考え込んでしまっていた私に、リンディアがそんな声をかけてきた。

「えぇ……アスターのことなんてなかったかのようね……」
「何なのかしらねー。よーく分かんないわー」

 何事もなかったかのような接し方に違和感を抱いていたのは、どうやら私だけではなかったようだ。リンディアも同じような違和感を覚えていた様子である。

「それに、あの襲撃者の女もどうなったのかーしらねー」

 リンディアが独り言のようにぽそりと呟く。

 それによって私は思い出した。アスターが父親に引き渡した、襲撃者の女性の存在を。
 色々あったせいでその存在をすっかり忘れてしまっていたが、そういえばあの女性がどうなったかは聞いていない。

「確認してみた方がいいか」

 唐突に会話に入ってきたのはベルンハルト。
 彼はこれまで特に何も言うことはしなかった。が、私とリンディアの会話を聞いていないわけではなかったようだ。

「そんなのいいわよ。ベルンハルトにばかり頼れないわ」
「僕は貴女の従者だ。気を遣う必要などない」
「そういう問題じゃないわ。ベルンハルトは怪我しているでしょう、今は適度に休まなくちゃ駄目よ」
「いや、このくらいどうということはない」

 ベルンハルトは鋭い目つきでこちらを凝視している。彼の瞳の奥には、私の姿が映り込んでいた。

「従者として働くに支障はない程度の怪我だ」
「重傷でなくて良かったわ」

 ベルンハルトは首を傾げる。

「日常生活に支障があるような怪我は……嫌だものね」
「そういうものか」
「当然じゃない。まともな生活すらできなくなってしまうような怪我、誰だってしたくないでしょう?」

 するとベルンハルトは、数秒空けて、「そうか」と小さく発した。
 顔つきから察するに、納得してくれたようだ。


 その後、私たちは、再び浮遊自動車に乗って移動することとなった。

 昨日一台減ってしまったのが気になっていたが、今朝には既に代わりの浮遊自動車が配備されていたため、特に困ることはなかった。

 浮遊自動車は、本日の目的地である第一収容所を目指して、走り続ける。

 ただひたすらに、大地を駆け続けた。


 数回の休憩を挟みながら移動を続け、第一収容所へ到着した時には、出発から既に数時間が経過していた。朝のうちにホテルを出たというのに、もうお昼前だ。

「ダイイティシュウヨウドヘヨーコソ!」

 第一収容所へ到着した一行を迎えてくれたのは、一人の男性。
 非常に個性的な容姿をした人だった。

 根元から数センチほどだけは茶色の長い金髪を右側頭部で束ね、三つ編みにしている。また、それとは別に、頭頂部にはとんがりがある。

 そんな珍しい髪型に加え、緑色の眉毛は男性の親指ほどの幅で、かなり目立つ。

「ワタクティハ、ルンルン・クリタヴェール! ダイイティシュウヨウドノゲンショチョウデス!」
「久しぶりですね、クリタヴェール」

 個性的な髪型の男性——ルンルンに対し親しみを持って話しかけるのは、シュヴァル。

「オオ、シュヴァル! オヒタチブリデス!」
「相変わらず妙な話し方をしますね、クリタヴェール」
「クリタヴェールモワルクハナイデスガ、デクィレバ、ルンルントヨンデホティデス!」
「無理です」
「ウフゥ……」

 シュヴァルとルンルンの会話は実に興味深い。
 二人の会話をじっくり聞いたところで、賢くなれるわけではない。だが、それでも、耳を澄まして聞いてしまった。

「何だか変わった方ね」

 私は隣にいたベルンハルトにそんなことを言ってみた。もちろん、小さな声で。

 それに対して、彼は、一度こくりと頷く。それから、さりげなく「前からあんな感じだった」と教えてくれた。さらに、ルンルンはダンダの部下だった、ということも小声で教えてもらえた。

 元々この第一収容所で暮らしていたベルンハルトは、ルンルンのことを知っていたようだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.69 )
日時: 2018/12/17 18:53
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Ga5FD7ZE)

66話 片言ルンルン

 第一収容所の入り口付近。
 肌がじんと痛むような寒い風が頬を撫でてゆく中、私たちは話を続けている。

 正直、少し寒くなってきた。口から出すことはなかなかできないが、本音を言うなら、「早く屋内に入りたいなぁ」という気分である。

「シュヴァル、彼が今の所長なのか?」
「そうです。ルンルン・クリタヴェールという名です」
「確か、前は違うやつだったような?」
「はい。元々所長はダンダという男でした。が、襲撃に巻き込まれて命を落としたため、クリタヴェールに変わりました」

 父親とシュヴァルはそんな風に話していた。

 どうやら父親は、事情を何も知らなかったようだ。シュヴァルの発言を「ふん、ふん」と頷きながら聞いていた。その顔は真剣そのもの。シュヴァルの発言を疑うことは一切ないのだろう。

「トコロデシュヴァル!」
「何ですか」
「イツマデモクォコニイルノハサムイデショウ。オティツケルタテモノヘアンナイシマスヨ」

 ルンルンは安定の独特な調子で長文を発する。

 私は、その独特なイントネーションのせいで、ルンルンが何を言っているのか聞き取りきれなかった。まったく理解不能というわけではないのだが、彼の発言のすべてをしっかりと理解するには、結構な時間がかかってしまうのだ。

 しかしシュヴァルは困っていないようだった。

「そうですね。ここは少し寒いですし、できれば屋内へ移動したいところです」

 ルンルンと話すことに慣れているシュヴァルは、彼の珍しいイントネーションにも慣れているのだろう。聞き取りづらい、ということはないようである。

 慣れてしまえば問題なし、ということか。

「ですが、その前に一つ、クリタヴェールに頼みがあります」
「エェッ! ナンデツカー!?」

 シュヴァルの言葉をうけ、ルンルンは、戸惑ったように目をぱちぱちさせる。

「一人、預かっていただきたい者がいるのです」
「オォ! ソウナンディスネ!」

 ルンルンの顔に、明るめの笑みが浮かぶ。

「シュヴァルノツァノミナラ、カマイマセンヨ!」

 彼は、右手で三つ編みをくるくるといじりながら、左手をパタパタさせていた。

 かなり不思議な動き。
 しかも、男性が行っているにもかかわらず可愛らしさがあるところが、意外だ。

 いくら愛らしい小鳥のような動作でも、男性がやれば、可愛らしいという雰囲気にはならないものだと、そう思っていた。けれど、今のルンルンからは愛らしさが溢れている。とても不思議である。

「デ? ザイニンデスカ、アクニンデスカ、ソレトモ……オルマリンジンデナイヒトデスカ」
「初老です」

 シュヴァルが落ち着きのある声で答えると、ルンルンは小さく首を傾げる。

「ショ、ロウ……?」

 彼は初老の意味が分かっていないようだった。

「そして、嘘つきです」
「ショロウノウソトゥキ、デスカ?」
「はい。そのような感じであっています」

 恐らくアスターのことなのだろう。それは分かる。
 が、「初老の嘘つき」はさすがに言いすぎではないだろうか、と内心思った。

 いや、そもそも、アスターが嘘つきである証拠はまだない。

「デ、ソノヒトヲドウツレバイイノデスカ?」
「預かって下さい。他の罪人らと同じよう、拘束しておいて下されば構いません」

 そこまで言ってから、シュヴァルはパチンと指を鳴らした。
 私が「何だろう?」と思っていると、背後から、二人の男性と彼らに拘束されたアスターが現れる。

 先ほどシュヴァルが指を鳴らしたのは、恐らく、「アスターを連れてこい」という合図だったのだろう。

「アスターをここに置いていくのか? シュヴァル」
「はい。そのように考えております」
「大丈夫なのか?」
「星王様が『駄目』と仰るのであれば、他の方法を考えさせていただきますが……」
「いや。シュヴァルに任せる」

 父親はやはり、シュヴァルを完全に信じきっている様子だ。

「ありがたきお言葉。感謝致します」

 シュヴァルは胸元へ手を添えると、仰々しくお辞儀をする。

 不気味なほどに丁寧な動作を見たせいか、私は鳥肌がたつのを感じた。もっとも、これといった理由があるわけではないけれど。

「ではクリタヴェール、この男を頼みます」
「ハイ! オマカスェクダサイ! ……ア、ダンセイノオナマエヲキカセテイタダイテモ、カマイマテンカ?」
「アスター・ヴァレンタインです」
「ショウチイタチマシタッ!」


 ルンルンはやる気に満ちた顔つきで、ビシッと敬礼する。
 肘をしっかり張れているため、キビキビ感の伝わる敬礼になっていた。

 そんな様子を眺めていた私に、隣のベルンハルトがそっと話しかけてくる。

「このままで良いのか、イーダ王女」

 私は一瞬、ベルンハルトの言おうとしていることを掴めなかった。しかし、数秒考えてみるうちに、アスターのことを言っているのだと察することに成功する。

「アスターさんのこと?」
「このままでは、離れ離れになってしまうが」
「そうね。それは問題だわ。待っていて、ベルンハルト。少し言ってみる」

 順調に話を進めている人に対して批判的なことを言うのは、とても勇気がいる。
 だが、アスターのためだ。口を挟むしかない。

「待って! シュヴァル!」

 アスターには、これといった恩があるわけではない。特別気に入っているというわけでもない。しかし、彼はリンディアの師であり、彼女の大切な人である。

「アスターさんを収容所へ置いていくなんて、本気?」
「はい」

 シュヴァルは落ち着いた声で短く答えた。淡々とした調子を崩さないあたり、彼らしい。

「アスターさんを罪人扱いするのは止めてちょうだい」
「他人を悪人に仕立てあげようとしたのですよ? もう完全に罪人でしょう」
「それはそうかもしれないけれど……でも! 彼の発言が嘘だという証拠はないわ!」

 シュヴァルが嘘をついている、という可能性が皆無なわけではない。
 アスターが嘘をついたと広めることで、自分の身を守ろうとしている——その可能性だってあるのだ。

「では王女様。貴女は、このシュヴァルが裏切り者だと、そう仰るのですね?」
「他人を罪人扱いをするならば、証拠が必要。そう言っているだけのことよ」

 すると、シュヴァルは黙った。

 沈黙の後、数秒経ってから、小さく唇を動かす。

「……貴女の発言には力などありません」

 吐き捨てるような言い方だった。しかも、煩わしいものを見るような目で私を見てくる始末だ。

「デハツレテイキマトゥネ!」
「頼みます」
「ハイッ! オマクァセクダタイ!」

 ルンルンは歩き出す。
 拘束されたアスターも、その後ろに続いて進み始めてしまった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.70 )
日時: 2018/12/17 18:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Ga5FD7ZE)

67話 私の従者だもの

 斜め後方に立っているリンディアを一瞥する。

 彼女は何も言わない。眉ひとつ動かさず、そこに立っているだけだ。

 今、彼女はどう思っているのだろう。アスターが拘束され連れていかれるのを、嫌とは思っていないのだろうか。

 ……もっとも、いくら考えようとも彼女の心を察することはできないわけなのだが。

 私はそれから、視線をベルンハルトに移す。
 すると、彼も偶然こちらを見ていたらしく、ばっちり目が合った。

「どうする?」
「え」
「アスターを放っておいていいのか」

 ベルンハルトはかなり小さな声で尋ねてきた。
 五メートルでも離れていれば聞こえないだろうな、と思うような小声だ。

「良くはないけれど……もはや手の打ちようがないわ」
「いや、方法はある」

 こんな風に話している間にも、アスターは遠ざかっていってしまっている。

「方法?」

 この状況でアスターを取り戻す方法があるというのか。そんなことができるとは、とても思えないのだが。

「貴女が命じるならば、僕がアスターをここへ連れてくるが」
「……そんなことができるの?」
「可能だ」

 どんな手を使うつもりなのかは不明だ。が、正直なところ、ベルンハルトを働かせることはあまりしたくない。負傷している彼に無理をさせたくないのである。

「……無理しない方がいいわ」
「どうなんだ」
「私だって、アスターさんをこんなところに置いていくのは嫌よ。けれど、ベルンハルトに無理させるのはもっと嫌」

 すると彼は、眉間にしわをよせた。

「それは、放っておいていいということか」

 その問いに、私はすぐには答えられなかった。
 放っておいていい、と、はっきり答える勇気はなかったのである。

「…………」
「後から悔やんでも遅いが」

 ベルンハルトの言う通りだ。
 いつでもアスターを取り戻せるわけではない。

「……そうね」

 ひんやりとした風が、頬を撫で、髪を揺らす。

「……じゃあ、お願い」

 ベルンハルトを無理させたくはない。けれど、アスターを罪人として収容所へ置いていくというのも嫌だ。それはリンディアだって同じのはず。

「分かった」

 私の発言に、彼はそっと頷いた。
 その後、彼は、狩りをする肉食動物のような鋭い目つきになる。

 ——そして、駆け出した。

「ちょっ……ベルンハルト!?」

 突然駆け出したベルンハルトを目にして驚きの声をあげたのはリンディア。
 しかし当のベルンハルトはというと、リンディアの言葉に何かを返すことはしなかった。彼はただ、一直線に、アスターの方へと走っていく。かなりの速さだ。

「ナッ!?」

 接近する彼に一番に気づいたのは、ルンルン。

「イ、イッタイナンデツカ!?」
「そちらに用はない」

 刃のように鋭い視線を放つベルンハルトの瞳。それが捉えているのは、ルンルンではない。アスターを拘束する男たちだ。

「失礼」

 ベルンハルトはそう呟くと、アスターの右腕を掴んでいる男性の鳩尾へ膝蹴りを放つ。真正面からの、まるで突くかのような膝蹴りである。

「ケホッ!」

 対応が遅れた男性はかわすことも防御することもできず、ベルンハルトの膝蹴りをもろに受け、むせていた。苦痛に顔を歪めている。鳩尾を膝で強打されたのだから、無理もない。

「いきなり何をする!」

 その様を見ていたもう一人の男性は、素早くアスターの左腕を離すと、拳銃を取り出す。そして、その銃口をベルンハルトへ向ける。

 しかし、ベルンハルトは怯まない。
 男性の手首を掴んで強く捻ると、その手が握っている拳銃を奪い取った。

「ぐ……くそっ!」

 拳銃を奪われた男性は、次の手を打とうとしているようだ。拳銃を持っていたのと逆の手を、自分の腰元へと伸ばす。恐らく、他の武器を取り出そうとでもしているのだろう。

 だが、そう易々と二度目を許すベルンハルトではなかった。

 彼は男性の脇腹へ回し蹴りを食らわせる。そして、男性が一瞬息を詰まらせた瞬間に、その体を放り投げた。

「がっ!」

 男性の体は刹那だけ宙に浮き、次の瞬間には砂だらけの地面へ叩きつけられる。

 見ているだけの私でさえ、「痛そうだな」と思った。

「チョット! イクィナリデテクィテ、ナンナンデスカ!」
「答える必要はない」
「ベルンハルトくん!?」
「何も言うな、アスター」

 戸惑った顔で固まっているアスターの片手首を掴むベルンハルト。

「戻る」
「い、一体どうなっているのかね……?」
「イーダ王女の命だ」

 アスターはまだ状況を飲み込めていないようだった。何が起きたのか、理解が追いついていない様子である。

 そんな彼を、ベルンハルトは無理矢理引っ張る。

「エエエッ! ナニボーットシテルンデスカ!?」

 驚きの声を大きく発するのはルンルン。

 場が混乱に包まれる。

 しかしベルンハルトは、そんなことは気にしない。アスターの手首を掴んだまま、私やリンディアの方へと戻ってきている。

 これはまたややこしいことになりそう——な気がしないこともない。
 だが、アスターが罪人として収容されてしまうよりかはましだ。

「完了だ」

 アスターを連れて帰ってきたベルンハルトは、私のすぐ近くまで戻ってくると、そう言った。

「体は大丈夫?」
「問題ない」

 さらに負傷する、なんてことにならなくて良かった。私がそんな風に安堵していると、ベルンハルトの後ろにいるアスターが口を開いた。

「これは一体……どういう展開なのかね?」

 彼はまだ状況を飲み込めていないようだ。

「アスターさん、一つだけ聞かせて」
「何かね」
「貴方、嘘はついていないわよね?」

 すると彼は、静かな声で答える。

「……もちろんだとも」

 嘘つきがこんな顔をするとは思えない。私はやはり、アスターを疑う気にはなれなかった。残念なことに、彼の発言が真実であることを証明できるものは何もないけれど。

「分かったわ、ありがとう」
「……私を信じてくれるというのかね?」
「もちろんよ」

 たとえ始まりが敵であったとしても、今の彼は私の従者だ。

 だから、信じないなんていう選択肢はない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.71 )
日時: 2018/12/17 19:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Ga5FD7ZE)

68話 嘘つきは誰

 取り敢えずアスターを取り戻すことはできた。が、ここからが問題だ。

 私は勝手な行動をした。

 これは、父親——星王への反逆も同然。
 たとえ王女であっても、無事で済むという保証はない。

「何をやっているんだ、イーダ! せっかく拘束したんだぞぉ!?」
「父さん。私、やっぱり、アスターさんの疑うことはできないわ」
「賢いイーダだろぅ!? どうして理解できないんだぁっ!!」

 父親は正直者。そして、馬鹿と言っても言い過ぎでないほどの、素直な人間だ。だから彼は、シュヴァルのことを完全に信じきっている。

「アスターさんが嘘をついてまでシュヴァルを悪に仕立てあげる理由がないわ!」
「どうしてそう言えるんだっ! だったら、シュヴァルが嘘つきだと言うのかぁっ!?」
「その可能性もあるのよ!」

 他人が相手なら、こうもきつく言うことはしなかっただろう。父親が相手だから、度胸のない私でもここまで言えたのだ。

「私がダンダに襲われた時、シュヴァルは、すべてが終わってから部屋に入ってきたわ! まるでタイミングを見計らっていたかのように!」

 この際、怪しく思っていたことは躊躇いなく言ってやろう。
 私はそう決意した。

「それはたまたまに決まっているじゃないかぁ! きっと、連絡を受けてそこへ駆けつけたんだろぅ!」
「それだけじゃないわ!」

 もう引き返すことはできないが、それでも後悔はない。

「駆けつけてきた後、シュヴァルは『役立たずめ』って言ったの。あの時は私、ヘレナに対して言ったのだと思っていたわ。彼は一応否定したけれど、本当はヘレナに対しての言葉なのだと、当たり前のようにそう思っていた。けれども、今は思うの」
「……何をだぁ?」
「それはダンダへの言葉だったのかもしれないって。私を殺し損ねた彼に対し呟いた言葉だったという可能性もないわけじゃないって」

 後悔しないためには、今ちゃんと話しておくしかない。

「それにね、私と父さんとベルンハルトで夕食をとった時もね」
「途中で襲撃された時のことかぁ?」
「えぇ。あの時も、シュヴァルが出ていくなり襲撃が始まったでしょう」

 私の言葉に、父親は目をぱちぱちさせる。

 まだ納得しきってはいないかもしれない。が、多少は心が動いてきている様子だ。
 この感じならば、そのうち理解してもらえるかもしれない。

「けどそれは、偶然ってこともあるだろぅ……?」
「確かにそうね。ただ、偶然がそんなに何度も重なるとは、とても思えなくて」

 父親と話しながら、リンディアやアスターを一瞥する。二人の面には戸惑いの色が浮かんでいた。

「まぁ、それはそうかもしれないけどなぁ……。だが、シュヴァルが裏切るとは、とても思えないぞぉ……」

 父親は揺れている。それは間違いない。無論そう簡単に同意してはくれないだろうが、私の言葉に耳を傾けようとしてくれつつあることは確かだ。もうひと頑張り、というところか。

 ——そう思っていたのだが。

「星王様。このシュヴァルが裏切ることなど、あり得ません」

 それまでは黙っていた本人が、唐突に口を挟んできた。

「恐らく、王女様はお疲れなのでしょう」
「イーダがおかしいってことか?」
「アスターが吹き込みでもしたのでしょう。そして、疲れていらっしゃる王女様は、それを素直にお信じになった。そういうことかと」

 やはりシュヴァルは上手い。
 決定的な証拠のないことを言っているという意味ではお互い様なのに、彼の言葉の方が真実らしさが感じられる。

「そうか……」
「あくまで推測ではありますが、それが有力かと」
「確かに、それもそうだな」

 納得してしまった。

 せっかくここまで頑張ったのに……残念だ。

 私がそんな風にがっかりしていると、父親は、シュヴァルに向かって声を発した。

「シュヴァル。やはり、もう少し様子を確認することにする」

 父親の発言に、シュヴァルは驚いた顔をする。
 しかし、彼が顔面に驚きの色を浮かべたのはほんの数秒だけで、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻った。

 シュヴァルは、それから、淡々とした調子で唇を動かす。

「アスターをもうしばらく泳がせておく、ということですか」
「そういうことになるな。可愛いイーダの訴えを無視するわけにもいかないからなぁ」

 するとシュヴァルは冷ややかな目つきになった。妙に呑気な父親は気がついていないようだが、今のシュヴァルの目つきは、主に向けるものとは到底思えないようなものであった。

「……大事になってから騒いでも知りませんよ」

 彼はそんなことをぽそりと漏らす。
 自分の思い通りにならなかったのが悔しかったのだろう。

「父さん」
「何だぁ、イーダ」
「アスターさんをまだ従者として傍においておいても構わない?」
「あぁ! 可愛いイーダがそこまで言うなら、おいておいて構わないぞぉ!」

 やった。良かった。

「ただし!」
「……ただし?」
「アスターが悪であったと明らかになった時には、従者としておくことは認めないからなぁ」
「分かったわ。それでいいわよ」

 今はそれで十分だ。

 アスターが収容所へ放り込まれずに済むなら、それだけでいい。


 その後、私たち一向は、第一収容所の中を視察した。

 たくさんの人。淀んだ空気。
 第一収容所は、良い環境だとはとても言えないような環境であった。

 ただ、それでも、かつてベルンハルトが暮らしていた場所を見ることができるのは嬉しかった。彼について、また一つ知ることができたような気がして、ワクワクするのである。

 とはいえ、当のベルンハルトは、あまり楽しくなさそうだった。過去の忌まわしき記憶が蘇るから——かもしれない。

 彼には少し辛い思いをさせてしまっただろうか。

 そんな風に思い、微かな不安を抱きながらも、私は視察を続ける。

 昨日負傷したばかり足は、幸運なことに、歩いても痛くならなかった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.72 )
日時: 2018/12/18 17:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 62e0Birk)

69話 一段落して、お茶の時間

 視察が一段落すると、休憩時間に入る。
 ルンルンが、みんなに、お茶とお菓子を振る舞ってくれた。

「ドゥオウゾー!」
「ありがとう」
「ドゥオウゾー!」
「あたしも貰っていーの?」
「ドゥオウゾー!」
「僕は要らない」

 私だけではなく、従者であるリンディアやベルンハルトにも渡してくれるところは、良いと思った。

 ……もっとも、アスターにはくれなかったのだが。

 だが、それにしても、ハーブティーとクッキーだなんて、最高の組み合わせではないか。

「ベルンハルト、受け取らなくて良かったの?」
「……あんなやつから施しを受けようとは思わない」

 私とリンディアはハーブティーとクッキーを受け取ったが、ベルンハルトは断っていた。それを見て「なぜ受け取らないのだろう」と不思議に思っていたのだが、どうやら、「ルンルンから施しを受けるのが嫌」という理由だったようである。少々意外ではあるが、ベルンハルトらしい理由だと思った。

「なーに意地張ってんのよー。素直に受け取ればいーじゃなーい」

 リンディアは紙コップを片手に、クッキーをポリポリ食べている。彼女には、貰い物を食べることに対する抵抗など、欠片もないようだ。

「借りを作りたくはない」
「あーいかわらず、重苦しい男ねー。クッキーなんて、借りとかいう大層なものじゃないでしょー?」
「小さなことだろうが、借りを作るのは嫌だ」
「あーヤダヤダー」

 リンディアは顔を不快そうにしかめながら、紙コップに入ったハーブティーを口内へ注ぎ込む。
 その様子を穏やかに見つめていたアスターが、ゆっくりと口を開く。

「私は綿菓子が食べたい気分なのだがね」

 相変わらずの唐突ぶりだ。

 彼との付き合いが長いリンディアは何も感じていないようだが、私は密かに驚いた。
 だって、いきなり綿菓子の話を始めるなんて思わなかったのだもの。

「アンタ、ほーんと綿菓子が好きなのねー」
「もちろんだとも。私は糖分が無いと死んでしまう」
「摂りすぎても死ぬわよー」

 そんな風に話しながらも、リンディアはクッキーを食べている。わりと気に入っているみたいだ。恐らく美味しいのだろう。

 彼女の様子を見ている感じでは特に問題なさそうなので、私もクッキーを食べることにした。

「……あ!」

 クッキーを口に含んだ瞬間、半ば無意識に、声を漏らしてしまった。

「何事だ」
「どーしたの」

 ベルンハルトとリンディアが、ほぼ同時に私の方を向く。

 二人とも、警戒した顔つきをしていた。
 だが、私が思わず声を漏らしたのは、何か異変を感じたからではない。クッキーが美味しかったから、なのである。

「美味しい!」

 私がそう言うと、ベルンハルトとリンディアは溜め息をつきながら返してくる。

「……何だ、そんなことか」
「なーんだ、それだけだったのねー」

 二人が言葉を発したタイミングは、ほぼ同時。その合いぶりといったら、まるで事前に練習を重ねていたかのようだった。

「そのクッキー……そんなに美味しいのかね?」
「えぇ! アスターさんも食べる?」
「実に気になるところではあるのだがね……そんな美味しい物を貰うなど、申し訳ない」

 アスターは遠慮がちにそんなことを言う。しかし、その瞳には「欲しい」と書いてある。非常に分かりやすい。

 きっと食べたいのだろうな、と思ったため、私はクッキーを一枚アスターに差し出す。

「どうぞ」
「……いただいて良いのかね?」

 貰えると思ってはいなかったのか、アスターはきょとんとした顔をする。

「アスターさん、甘いものは好きでしょう? あげるわ。……要らない?」
「いやいや。もちろん、いただけると嬉しいよ。ただ、こんな至れり尽くせりで罰が当たらないかと、そう思ってね」
「おかしなことを言うのね。罰なんて当たらないわよ」
「……ではいただくとしようかね」

 アスターは、この時になってようやく、私が差し出しているクッキーを手に取った。そして、つまんだクッキーをそのまま口へと放り込む。

 それからしばらく咀嚼して、アスターは口を開く。

「……おぉ! 確かに!」

 驚きと感動が混じったような、張りのある声だ。

「甘い!」
「なーに言ってんのよ。クッキーだもの、甘いのはとーぜんじゃなーい」

 しっかり聞いていたらしいリンディアが会話に入ってくる。

「美味だね、これは。なかなか素晴らしい味だよ」
「アンタ、ホーント甘いものが好きよね。よく肥えずにいられたものだわー」
「狙撃は結構な糖分を消費するからね、摂取量も多くなければやっていけないのだよ」
「今はなーんにもしてないじゃなーい」
「……それは言わないでくれたまえ」

 リンディアの発言に、アスターは顔をしかめた。渋柿をかじりでもしたかのような顔である。

 そもそもが、年齢を感じさせるしわの刻まれた顔だ。それをしかめると、若者が顔をしかめた時よりも、もっと渋いものを食べた顔に見える。

 その時、それまでは黙っていたベルンハルトが声を発した。

「イーダ王女。少し構わないか」
「何? ベルンハルト」

 そう問うと、ベルンハルトは、少々気まずそうな顔をした。

 とても言いにくいことなのだろうか? と思いつつ、彼の顔を見つめてみる。

「ベルンハルト?」
「その、僕も一枚欲しいのだが」

 視線を逸らしつつ彼は言った。

「欲しい、って……クッキー?」

 ベルンハルトはこくりと頷く。
 彼はどうやら、クッキーが欲しかったようだ。

 気難しい彼のことだ、自ら気軽に「欲しい」と言うことは容易でなかったのだろう。

「いいわよ。はい!」
「……感謝する」
「もっと気軽に言って構わないのよ、ベルンハルト」

 気を遣う必要などないのだから。

「いや、気軽には無理だ」
「そう?」
「従者が主に対して気軽に物を要求する、というのは問題だ」

 ベルンハルトはいつも、妙なところで真面目さを発揮する。私からすれば、不思議で仕方がなかった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.73 )
日時: 2018/12/19 19:19
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

70話 手と手

「ディハ、アトゥハ、Cエリアヲアンナイイタシマスネ!」

 ゆっくりとティータイムを済ませた後、視察が再開される。ルンルンは張りきった足取りで私たちを案内してくれた。

 私は、父親やシュヴァルの後ろに連なるようにして、ゆっくりと歩いていく。

 そんな中で、ふと、隣を歩くベルンハルトへと視線を向けた。そして、彼が憂鬱そうな顔をしていることに気がついた。

 かつて生活していた場所へ帰ってくる、ということは、やはり嫌なことなのだろうか。

「ベルンハルト」
「何だ」

 浮かない顔をしていた彼だったが、意外にもすぐに言葉を返してきた。

「どうかしたの?」

 こんなことは聞かない方がいいかもしれない。そう思いながらも、気になるので尋ねてみた。
 するとベルンハルトは、ほんの少し俯いて答える。

「……どうもしない」

 彼ははっきりとそう言いきった。けれども、その表情は、明らかに何かある人間の表情だ。何かを抱いていながら言わないでおこうとしていることは、誰の目にも明らかである。

「本当に?」

 今は移動中ゆえ、ルンルンやシュヴァルが近くにいる。だから、あまり大きな声で話すことはできない。

「本当に、何もないの?」

 自分の従者のことくらいは知っておきたい。中でも、ベルンハルトの心には、特に関心がある。だから、こうして問いを重ねるのだ。迷惑かもしれないけれど。

「……ふと昔を思い出した」

 けれども、結果的には何度か聞いてみて良かった。
 というのも、何度も質問を重ねたことで、ようやく口を開いてくれたからである。

「Cエリアは僕の生まれ育ったところだ」
「今から向かうところ?」
「そうだ」
「なら、知り合いとかに会えるんじゃない?」
「……そうだな」

 ベルンハルトはそう言って、ふっ、と自嘲気味な笑みを浮かべる。

「オルマリンに屈服するなんて、と幻滅されるに違いない」
「まさか! そんなことないわよ」
「いや、そういうものなんだ。オルマリンの王女に仕えるなど、裏切り以外の何でもない」

 ベルンハルトは裏切り者ではない。
 従者となった今でも、彼は、彼であることを諦めず暮らしているのだから。

 それに、もしベルンハルトが王女の従者になっただけで裏切り者扱いするような人がいるならば、そんな人たちとの関係を持ち続ける価値などあまりないだろう。

 そんな心の狭い人間は、ベルンハルトには相応しくない。

「何を言うの。誇り高い貴方が、裏切り者なわけないじゃない」
「僕はネージアを捨てた。それがすべてだ」

 ベルンハルトは考えを変える気はないようだ。裏切ったと言われる、と、完全に思い込んでいる様子である。

「スォロスォロトゥーチャクシマスヨ!」

 ルンルンが告げる。
 まもなくCエリアに着くようだ。


「ココハ、ネージアディンヲオオクシュウヨウシトゥエイル、イェリアニナリマス!」

 先頭を行くルンルンが、父親に説明していた。

「おぉ、ネージア人か。ネージア人といったら確か——」
「セイトヨリズゥーットキタニイッタトゥコロニアルシマニスンデイタヒトタチドゥエス!」
「そういえばそうだったな」

 父親はあまりよく分かっていないのかもしれない——会話を聞いていて、そんな風に思った。

 もっとも、あまり大きな声では言えないことだけれども。

「星王様。くれぐれもお気をつけ下さいませ」
「シュヴァル? 何を言うんだ?」
「ネージア人は極めて危険な種族ですから、何をやらかすか分かりませんよ」

 父親はよく分かっていないらしく、シュヴァルの言葉を聞いても目をぱちぱちさせていた。

「クリタヴェール。星王様に危害を加えようとする者がおらぬか、確認済みなのでしょうね?」
「モティロンデス!」
「反逆者には死を」
「ダ、ダ、ダ、ダイジョウブディスヨー! サトゥガニ、ソンナアブナイヤトゥハイマテンヨー!」

 殺伐とした空気を漂わせるシュヴァルを見て、ルンルンは慌てたように言う。その時のルンルンは、シュヴァルの冷たい瞳から放たれる威圧感に怯えているようにも見えた。

「……なら構いませんが」
「アンシンシテクドゥァサイ! オエライサマグァタニメイワクヲオカケスルコトノナイヨウ、キッチリミハラスェテイタドゥァキマツ!」

 シュヴァルとルンルンが言葉を交わすのを聞きながら、私はそっと、隣にいるベルンハルトを一瞥する。

 彼の表情は明るくはなかった。
 ひんやりしていて、どこか寂しげ。この土地の気候はそんな感じだ。今のベルンハルトの表情は、それによく似ていた。

「大丈夫? ベルンハルト」

 小声で話しかけてみる。

 すると彼は、こちらへすっと視線を向けて、一度だけ静かに頷いた。

 彼の表情は明るいものではない。けれども、瞳の鋭さは健在だ。目つきが弱々しい、ということはまったくない。

「無理しなくていいのよ」
「……していない」
「強いのね、貴方は」

 そう返してから、私は、すぐ近くにあったベルンハルトの手を握る。
 いきなりこんなことをしたら、驚かせてしまうかもしれないが。

「っ!?」

 ……案の定、驚かせてしまったようだ。

「な。いきなり何をするんだ」
「こうしていた方が元気が出るかなー、なんて」
「イーダ王女が僕に気を遣う必要はない」

 ベルンハルトはそう言うと、離してほしそうに手をぱたぱた動かし始めた。

「……こうしているのは、嫌?」
「いや、そういうわけではないが」
「ならどうして拒むの?」
「主に手を握ってもらう従者など、情けないからだ」

 思わず「そんなこと?」と言いそうになった。が、気を悪くさせてしまっては申し訳ないので、寸前のところで口を閉ざした。

「……離してはもらえないだろうか」
「嫌よ。もう少しこうしていたいわ」
「その……人の目があるところで手を繋ぐというのは、どうかと思うのだが……」
「大丈夫よ。誰も見ていないもの」
「そ、そうか……」

 直後、私たちに降り注ぐリンディアの声。

「まったく、仲良しねー」

 誰も見ていないものと思っていたが、どうやら、見られてしまっていたようだ。見られていない、というのは、私の勝手な思い込みだったのかもしれない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.74 )
日時: 2018/12/21 22:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KXQB7i/G)

71話 いや、おかしい

 整備されていない、砂利だらけの地面。
 灰色のかなり古そうな建物。

 今私たちがいるCエリアは、第一収容所の中でも、特に薄汚い場所だった。

 隣にいるベルンハルトは、かつてここで暮らしていたからか、さほど何も感じていないような顔をしている。

 それとは対照的に、リンディアとアスターは、渋柿をかじってしまったかのような顔つきをしていた。この場所に馴染みがないため、複雑な心境になっているものと思われる。

「怪しーところねー」
「まぁ、収容所だからね。怪しいのも無理はない」
「……それもそーね」

 リンディアとアスターがそんな風に話していても、ベルンハルトは話に加わろうとはしなかった。ただ、じっと前を見据えているだけである。


 そんなベルンハルトの様子を観察していた時だ。
 道の向こうから、何やら、ぱたぱたじゃりじゃりという足音が聞こえてきた。

「お前、また失敗しただろう!」
「うわぁーん! ごめんなさーい!」

 足音に続いて耳に飛び込んできたのは、二種類の声。
 威圧的な雰囲気のある男性の声と、おっとりした感じの少女の声である。

「何事ですか? クリタヴェール」
「アァ、アレハイトゥモノクォトナノデ……ホウッテオイテェクダサイ」
「そうですか」
「ムガイナクォムスメデス」

 唐突なことに警戒するシュヴァルと、いつものことと適当に流すルンルン。二人の様子は対照的だった。

「お願いしますぅー! 許して下さいー!」
「待てェッ! 取り敢えず止まれェ!」

 ——と、その時。

 視界に、全力疾走する二人の姿が入った。

 追われているのは、少女。

 やや赤みを帯びた濃い茶色をした髪は、肩辺りまで伸びている。軽くウエーブがかかっていて、暗い色にもかかわらず柔らかな毛質に見える。

 愛らしい雰囲気を持つ少女だ。

 そんな彼女を追いかけているのは、男性。

 角刈り以外にこれといった特徴のない、極めて普通な男性である。説明できる点を敢えて探すとしたら、昆布色の服を着ている、くらいのものだろうか。

「逃げるなァ!」
「怖いですよぉーっ! ……って、あっ!」

 昆布色の服の男性から走って逃げていた少女は、私まで数メートルという辺りまで来た時、なぜ急につまずいた。

 こちらへ倒れ込んでくる。
 このままではぶつかってしまう——そう焦った、が。

「イーダ王女!」

 ベルンハルトが咄嗟に動き、倒れ込んできた少女から私を庇ってくれた。

「はわっ」

 少女は可愛らしい声を出しながら、ベルンハルトの胸元へ額から突っ込む。それによって、結果的に、ベルンハルトが少女を抱き留めるような形となった。

 それから数秒経って、少女は顔をゆっくりと持ち上げる。

「あ、あの……すみませんっ!」

 大慌てで謝罪する彼女の瞳は、琥珀のような色をしていた。あまり見かけない色みではあるが、こうして見ると、結構綺麗だ。

「走るな。危険だ」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」
「気をつけろ」

 ベルンハルトは淡々と警告する。
 すると、少女の瞳の奥に潜む瞳孔が、明らかに大きくなった。

「は、はいぃ……失礼しました……」

 なぜだろう。少女は歪だ。

 彼女は一見、ベルンハルトに警告されたことで落ち込んでいる風だ。声も小さくなっているし、身を縮めているから、そう感じるのだろう。

 しかし、その一方で、表情は直前までより輝いているように感じられる。
 広がった瞳孔、恥じらいが表出した顔面、そしてほんのり赤らんだ頬。そのすべてが、ベルンハルトにぶつかった後に生まれたものだ。

 見ている側からすると、何とも言えない複雑な心境である。

 ……いや、おかしい。

 少女はベルンハルトに謝罪していただけ。ただそれだけで、それ以上のことなんて何もない。にもかかわらず、その光景を見て私は複雑な心境になった。

 ……なぜ?

「コラァ! やっと止まったな、この小娘がァッ!」

 少女が穏やかな表情になっていたのも束の間。彼女を追いかけていた男性が、追いついてきた。

「ひえぇぇぇーっ」

 昆布色の服をまとった男性は、少女に追いつくや否や、彼女の片手首を掴んで、ぐいと引っ張る。

「またしても配り間違えるとは、どういうことだァ!」
「ふわぁー! ごめんなさいぃぃぃー!」

 手首をがっしり掴まれた少女は、半泣きになりながらジタバタしている。しかし、少女が少し体を動かした程度では、男性の手から逃れることはできない。

「118から121にはロールケーキパンじゃないって、何度言ったら分かるんだァ!」
「ふぇぇぇー! そ、そうなんですかー!?」
「もう三週間近く言い続けてるだろォが!」
「すみませんー!」

 目の前で騒ぐ、少女と男性。
 しかし、こちらからしてみれば、何を騒いでいるのやらまったく分からない。

「クリタヴェール、止めなさい。星王様の目前で騒ぐ愚か者を制止せぬなど、無礼にもほどがありますよ」
「ハ、ハイ! モウスィワケアリマセン!」

 シュヴァルに冷ややかな声をかけられたルンルンは、慌てたように言葉を返しながら、ペコペコと何度も頭を下げる。

 そして、それから数十秒ほど経過した後、騒いでいる男性と少女に向けて言い放つ。

「サワグノハヤメナタイ!」

 非常にユニークな容姿に似合わない、真面目な声だった。
 いきなり強く注意され、男性と少女は黙る。

「オウタマノムァエデソンナコトヲスルナンテ!」

 厳しく述べるルンルンに、少女は頭を下げた。
 頭部が動くたび、赤みを帯びた髪がふわりと揺れる。触りたくなるような柔らかな揺れが印象的だ。

「す、すみませんー」
「所長! 配膳ミスをしたこいつが悪いのです!」
「ふぇ……」
「お叱りになるなら、この娘をお叱り下さい!」

 何やら騒々しい。

 それに、こんな愛らしい少女に責任を押し付けようとするなんて、何て嫌な男性だろう。
 昆布色の服を着た男性の行動は、私には理解できなかった。

「トニカク、ココカラスァリナサイ!」
「は、はいー」
「承知しました」

 ルンルンの命に従い去っていく——のかと思いきや、少女はくるりと身を返して、私の方へと駆け寄ってきた。

「ごっ、ご迷惑おかけしてすみませんでしたっ」
「え。私?」
「先ほど、ぶつかりそうになってしまいましたよね!?」

 少女の琥珀のような瞳が、私をじっと捉えている。

「お怪我はありませんでしたか?」
「え、えぇ……大丈夫よ」
「そうですかっ。それなら良かったです!」

 なんて純粋な目をした少女なのだろう。

「おい、もたもたするな!」
「はいーっ」

 その後、男性と少女は走り去っていた。

「凄く元気な二人だったな!」
「……まったくです」
「シュヴァルは不機嫌なのか?」
「まさか。ただ、騒がしい輩に少し疲れただけのことです」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.75 )
日時: 2018/12/21 22:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KXQB7i/G)

72話 間違いありませんね

「ミグルシイムォノヲオミセシテシマイ、シツレイシマシタ。デハ、ロウドウスルヒトヴィトヲゴルァンクダツァイ」

 ルンルンがそう言いながら見せてくれたのは、工場だった。
 椅子に座った人たちが、何やらせっせと働いている。男性も女性もいるが、皆真面目に働いているのだから不思議だ。十人以上集まれば、普通は、誰か一人くらいさぼりそうなものなのだが。

「へぇ……意外とみんな真面目なのね」
「真面目に働かないと痛い目に遭うからな」
「あ、そうなの?」

 独り言のような呟きにベルンハルトが言葉を返してきたことは、少々意外だった。このタイミングで彼が自ら言葉を返してくるとは、予想していなかった。

「逆らえば厳しい罰が与えられる。それは、ここでは当然のことだ」

 そう話すベルンハルトの表情は、哀愁を帯びている。

 彼の瞳を何かに例えるとしたら、木枯らしが肌を撫でる秋の終わりの夕暮れのよう、という表現が相応しいだろうか。ベルンハルトは、何もなくてもほんのり寂しくなる季節のような、静かで切なげな顔をしていた。

「……ベルンハルトは、そんなところで生まれ育ったのね」
「そうだ」
「そんな厳しい環境で生まれ育ったなら、貴方の心が冷えきっていたのも分かる気がするわ」

 濃い色をしたベルンハルトの瞳を、私はそっと見つめる。

「……僕はいまだによく分からない」
「何が?」
「自由を許さぬ環境でありながら、なぜ子を生むことが許されたのか」

 ベルンハルトは静かに唇を動かす。

「僕には理解不能だ」
「まぁ確かに……それはそうね」
「それに、子を生んだところで、どのみちその子がまともな人生をゆけぬことは、分かっていたはずだ」

 確かに、と、私は内心頷く。

 けれども、「そうね」とは言えなかった——いや、言いたくなかった。

 厳しい環境で生まれ育った人間がまともに生きていくのは、難しいのかもしれない。ただ、だからといって諦めてほしくはないし、「そんなものだ」と思いたくもない。

 少しでも良い道を。
 ほんの少しでも、幸福な人生を。

 彼には求めていってほしい。

 たとえ、それがとても難しいことなのだとしても。

「でも、ベルンハルトが生まれてきてくれて良かった」
「……イーダ王女?」
「もし貴方が生まれてこなかったら、私と貴方が出会うこともなかったはずだもの」

 ベルンハルトは、理解しきれない、というような顔をしている。

「出会わなかった今より、出会うことのできた今の方が、ずっと素敵だと思うわ」


 Cエリアにある工場をひと通り見学した後、父親らと私たちは、別ルートを辿ることとなった。

 無論、帰りには合流するわけだが。

 父親らがどのような見学ルートを行ったのかはしらない。が、私たち四人——私とベルンハルト、リンディア、アスターは、ネージア人を収容しているエリアへと向かうことになった。

 王女が気軽に見に行っていいところなのか甚だ疑問ではある。しかし、勝手にこのルートに決まってしまった。私たちがこのルートを選び決めたわけではないのだ。

「あー退屈だわー。早く帰りたーい」

 歩いている途中、リンディアが唐突にそんなことを言った。

 正直、同感だ。
 本当のところを言うなら、私も少し飽きてきている。

 歩きながら、代わり映えしない光景を眺め続けるというのは、結構退屈なこと。今、それを改めて感じている。

「そういうことを言うものではないよ、リンディア」
「アンタは黙っててちょーだい。ジジイ」
「この私をジジイ呼ばわりとは、なかなか酷いね」
「間違いじゃないでしょー」

 リンディアとアスターは相変わらず。
 二人のぶれなさは、もはや、尊敬に値するくらいのものだと思う。

 前を行く案内役の男性は、とても無口だ。ほとんど何も言わない。ダンダともルンルンとも違ったタイプの振る舞いが、妙に印象的である。

「それはまぁ、確かに、間違いではないがね……」
「でしょー? 分かったら、大人しくしてなさーい」

 案内役の男性は黙々と歩いていく。私とベルンハルトは、その背中を追って歩む。そして、リンディアとアスターは仲良く喋る。

 ……何やらおかしな気もするが、まぁいいだろう。


 それからも、私たちは歩き続けた。
 建物は古く、屋内にもかかわらず、外からの風が入ってきていた。ひんやりとした冷気が、足下を這う。

「ねー、ちょっとー。まだ着かないのー?」

 退屈さに耐えきれなくなったらしく、リンディアがそう発した。
 しかし、案内役の無口な男性は、「もう少しです」と返すだけ。それ以上のことは何も言わなかった。

「なーんか愛想悪いやつねー」
「リンディア、そういうことは言わない方がいいよ」
「は? 本当のことなんだから、べつにいーじゃなーい」

 個人的には、リンディアの意見もアスターの意見も理解できる。間違ってはいないと思う。ただ、社会でスムーズに生きていくには、という方向で考えた場合には、アスターの方が正しいのかもしれない。

「嫌われてしまうかもしれないよ?」
「嫌われるくらい、いーわよ。言ーたいこと言えないよりましだわ」
「リンディア自身はそれでいいかもしれない。だが、イーダくんにも迷惑がかかるのだよ?」
「そんなことがあるかしらー」
「従者の評価は、主の評価に繋がるからね」

 アスターの言葉を聞き、リンディアは大人しい表情になる。

「それは厄介ねー」

 以降、リンディアは愚痴を言わなくなった。
 もっとも、表情は数分のうちに不満げなものに戻っていたのだが。


 静寂の中を歩き続けて、数分。

 案内役の男性は不意に足を止めた。

 着いたのかな? と思いながら、私は立ち止まる。隣のベルンハルトも、不思議なものを見たような顔つきをしながら足を止めている。

「……失礼ですが」

 案内役の男性がそっと口を開く。

「イーダ・オルマリン王女、で、間違いありませんね?」
「えぇ」

 唐突に名を確認するなんて、一体どうしたのだろう。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.76 )
日時: 2018/12/21 22:48
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KXQB7i/G)

73話 まずは身を護る

 それまでほとんど口を開かなかった案内役の男性が、唐突に私の名を確認した。

 極めて不思議な現象だ。
 何のために? という疑問が、今、私の胸を満たしている。

「あ、あの、ここは?」
「…………」

 勇気を出して男性に尋ねてみる。
 しかし、彼は何も答えてくれなかった。彼はただ、黙ったまま、その場に立っているだけ。

 実に謎だ。
 これはもう、不気味と言っても過言ではない。

「ねぇ、ベルンハルト。ここは何なの」

 男性から聞くことは諦め、私はベルンハルトに問う。ここで生まれ育った彼なら少しは知っているだろう、と思ったから。

「ここは人を収容しておく施設だ。入っているのは、主にネージア人だな。ただし、昼間はあまりいない」
「そうなの?」
「昼間は工場なんかで働かされている人が多いからな」
「そう……」

 ベルンハルトの話が真実ならば、今はまだ人の少ない時間であるはずだ。だとしたら、なぜその時間に見学させるのか、不思議で仕方がない。

「あの、少し構わないかしら」
「……何でしょうか」

 案内役の男性は、今度は言葉を返してくれた。

「ここで一体、何を見せてくれるの?」

 こんなことを言うのは、正直気が引ける。嫌な感じで伝わらないかどうか、不安だからだ。
 だが、聞かなければ気になって仕方がない。だから尋ねてみた。

「何を見せてくれるのか、ですか」

 案内役の無口な男性は、私の問いに対し、そんなことを返してきた。

 そして、暫し沈黙。

 それから十秒ほど経過して。
 彼はそっと口を開く。

「終わりの幕開け……なんていうのはどうですか」

 男性の口から零れたのは、意味深な言葉。私には、その言葉の意味が、よく分からなかった。


 ——が、その直後、ただならぬ殺気を感じる。


「イーダ王女!」

 耳に飛び込んできたのは、ベルンハルトの鋭い叫び声。
 そして、突き飛ばされる。

「きゃっ!」

 ベルンハルトに突き飛ばされた私は、一メートルほど離れたところへ倒れ込む。身構えていない時に押されたため、転倒してしまったのだ。

 彼が私を突き飛ばしたのには、何か理由があるのだろう——そう思い、私は顔を上げる。
 すると、大柄な男に襲いかかられているベルンハルトが見えた。

「ベルンハルトッ!?」

 突如現れた大柄な男は、ベルンハルトの両手首をがっちりと掴んでいる。
 両手首を掴まれてしまっているベルンハルトは、ナイフを抜けないため、反撃することができないようだ。

「大丈夫? 王女様」
「リンディア。私は平気。それよりベルンハルトを……」
「なーに言ってんのよ! 王女様ゆーせんに決まってるじゃない!」

 何よりも私を優先してくれる従者というのは、非常にありがたいものだ。

 ただ、ベルンハルトのことが心配でならない。そもそも負傷しているうえ、ナイフを取り出せない状況なのだ、放っておくなんてできるわけがないではないか。

 私としては、今は私よりベルンハルトを優先してほしい、という気分だ。

「で、でもっ……」
「あいつは従者よ!」

 リンディアの声は鋭かった。
 こんな鋭く言われてしまっては、これ以上言い返すことはできない。

 私が言い返すのを諦めた、刹那。

「また来たよ!」

 今度はアスターの声が聞こえてきた。いつものんびりマイペースな彼にしては緊迫感のある声だ。

「また来た、ですって!? 何がよー!?」
「敵と思われる人間が、だよ」

 アスターは指差しながら答えた。

「ちょっ、ホントにー!?」

 リンディアは素早く、アスターが指差している方へ目をやる。そして、その整った顔面に焦りの色を滲ませた。

 私も彼女と同じように視線を動かす。すると、通路の向こうから、何人かの男が駆けてくる様子を捉えることができた。

 駆けてきている者たちは、皆、黒に近い髪色をしている。
 また、シャツと半ズボンだけという、みすぼらしい格好だ。

「作戦通りいくぞー!」
「ゲッ! 護衛がいるじゃないか」
「護衛なんか気にするなー!」
「数で押せば余裕どす!」
「作戦通りいくぞー!」
「おい、お前それしか言えないのかよ……」

 男たちは、威勢よくそんな言葉を発しながら、私たちを目がけて走ってきている。結構な速度だ。このままだと、一分もしないうちに、私たちがいるところまでたどり着いてきそうである。

「……男とは厄介ね。それに、けっこーな数じゃなーい」
「どうする? リンディア」
「ちょ、どうするも何も、今からじゃ逃げようがないでしょー?」

 言いながら、リンディアは拳銃を抜く。

「迎え撃つしかないわねー」

 水晶のように透き通った水色の瞳に、凛々しい輝きが宿る。

「アスター。アンタも働きなさいよ」
「いや、何を言っているのかね? 私はあくまで狙撃手。あんな屈強な男どもを倒すような技術は持っていないのだが」
「はい嘘ー」
「なっ。なぜバレたのかね!?」

 敵意を抱いている男たちが迫ってきている、という危機的な状況下にあっても、リンディアとアスターの会話はいつも通りだった。

「昔、敵を叩きのめすところを見た記憶があるわよー」
「そんなことを覚えていたのかね!? 記憶力が良すぎると思うが!?」
「ま。とにかく、ちゃーんと働いてちょーだいね」
「……仕方あるまい」

 ベルンハルトのことが心配で仕方ない。

 辛いことをされていたら、痛い目に遭わされていたら。そんな風に考えるたび、胸が苦しくなる。私のせいでベルンハルトが……なんて、考えたくない。

 けれど、危機的な状況にあるのは、彼だけではなくて。私も、リンディアも、アスターも、何か危害を加えられる可能性がある状況にあるということを、失念してはならない。

 ベルンハルトは気になるが、今は自分の身を護ることが最優先事項。

 私は、改めて、自分にそう言い聞かせた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.77 )
日時: 2018/12/22 15:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: z5ML5wzR)

74話 アスターとリンディアと、複雑な痛み

 緊迫した空気がぴりぴりと肌を刺す。
 そんな中に、私たちはいた。

「いくどー!」

 迫ってくる男のうちの一人が、両手で担いでいる太いホースのようなものの口を私たちの方へ向け、威勢よく叫んだ

 すると、ホースのようなものの口から白い煙が放たれた。
 一気に視界が悪くなる。

「アスター! しっかりしてちょーだいよ!」
「あぁ、もちろんだとも!」

 放たれた煙のせいで、視界がかなり狭くなってしまった。おかげで、近くしか見えない。これでは、敵がどこから仕掛けてくるかも、直前まで分からないではないか。

 そんな状況に、私は個人的に「どうしよう」と焦っていたのだが、リンディアとアスターは冷静だった。

「今のうちに仕留めるどすー!」
「来たね」

 煙の中から一番最初に現れたのは、木製の太い棍棒を二本持った男。どうやら筋肉がかなり発達しているようで、太い棍棒に負け劣らないくらいたくましい腕をしている。

「いくどすー!」

 男は棍棒を握った二本の腕を同時に振り下ろす。

 しかし、棍棒が完全に振り下ろされるより早く、アスターは男の懐へ潜り込んでいた。

 アスターが敵の懐へ潜り込むスピードといったら、獲物に飛びつく蜘蛛といい勝負になるくらいの、凄まじい速さである。

「遅すぎやしないかね?」

 低い姿勢を保ちつつ、アスターはそんなことを言った。
 そして、男の鳩尾付近を、拳で突き上げる。

「ゲホォッ!!」

 男は派手にむせた。

 しかも、衝撃がかなり大きかったのか、両手に持っていた棍棒を落としている。

 アスターは、まともに呼吸することさえままならない男の腹部を両手で掴んで抱え上げると、大きく振り被ってから地面へ叩きつけた。ずぅん、と重苦しい音が響く。

「やれやれ、関節が痛む」

 男を地面へ叩きつけたアスターは、ふぅ、と溜め息をつく。いつの間にか、表情に穏やかさが戻ってきていた。

 ——しかし、その背後から、もう一人迫ってきている。

「アスターさん!」
「何かね、イーダく——ん!?」

 言いかけた瞬間、アスターはようやくもう一人の敵に気がついたようだった。

「まったく! まだいたのかね!」
「……多様性を認めないオルマリン人は死ね」

 アスターは一瞬にして振り返る——が、今度は敵の男の方が速い。

「ぐうっ!」

 男の回し蹴りが、アスターの脇腹にもろに突き刺さる。これには、さすがのアスターも顔をしかめていた。

 横側からの蹴りを決められたアスターは、よろりと数歩後退する。

「他人をいきなり蹴るとは! 君たちには礼儀というものがないのかね!?」

 蹴られた部分を手で押さえながら、アスターは抗議する。

 しかし、敵の男がそんな言葉を聞くわけもなく。

 男はアスターに更なる攻撃を加えるべく、地を蹴る。その勢いに乗り、アスターがいる方へと一気に近づいていく。

「……多様性を認めないオルマリン人には、存在価値がない」
「存在価値がない、なんて言わないでいただきたいものだがね」

 この時になって、初めて、アスターの顔に焦りの色が滲む。
 一撃叩き込まれたことで、かなり呑気なアスターにも、ようやく危機感というものが生まれたようだ。

 もっとも、それが良いことなのか悪いことなのかは、よく分からないけれど。

「……ここで消えろ」
「多様性を認めない、というのは、君も当てはまると思うのだがね——ぐっ!」

 男が宙から放った蹴りを、アスターは片腕で防ぐ。
 疾風のごとく放った蹴りを防がれたからか、男は眉を寄せ、一旦距離をとる。アスターを少し警戒している様子だ。

「こんな乱暴なこと、もう止めたらどうかね? 無意味な戦いを続けたところで、何も変わりやしないのだから」
「……黙れ、オルマリンの手下め」

 なぜだろう——よく分からないけれど、敵の男から、ベルンハルトと同じようなものを感じた。

 オルマリン人を憎む心。
 オルマリン人を悪と信じ疑おうとしない心。

 今アスターと交戦中の彼は、出会った頃のベルンハルトに、どことなく似ている。

「……消えろ、オルマリン人」
「退いてはくれないようだね。実に、残念だ」

 男は再びアスターへと迫る。

 どことなくかつてのベルンハルトに似た雰囲気のある男が傷つくところは、個人的にはあまり見たくない。ベルンハルトが傷つくところを見てしまったような感覚に陥る気がするから。

 けれど、男を応援するわけにもいかない。
 そんなことをしたら、アスターを見捨てるも同然だからである。

 私はどうすれば……。

 そんな風に揺れていた時、一筋の閃光が男の背中を貫いた。

 男は前向けに、ドサリ、と音をたてながら倒れ込む。

「ぼさーっとしてんじゃないわよ! アスター!」
「すまなかった。助かったよ、リンディア」

 どうやら、男を撃ったのはリンディアだったようだ。

 胸の奥がじわりと痛む。
 けれども、これはやむを得ない痛みだ。

 アスターの無事と引き換えなのだから。

「助かったよ、なんて言ってる場合じゃないでしょーよ! アンタ、一人二人にてこずるって、どーいうこと!?」

 アスターの情けなさに、リンディアは憤慨していた。

 彼女は荒々しい足取りでこちらへ歩いてくると、水色の瞳でアスターを鋭く睨み、はっきりと言い放つ。

「こんな素人相手に苦戦してるよーじゃ、アスター・ヴァレンタインの名が泣くわよー」
「相変わらず厳しいね、リンディア」
「アンタが役立たずなおかげで、あたしが何人も片付けることになっちゃったじゃなーい」

 リンディアはそう言ってから、かっこつけるように、片手で赤い髪を背中側へと流す。
 その動作は、そこらの男性に負けず劣らないくらいかっこよく、同時に色っぽくもある。

 かっこいい、と、色っぽい、が同時に存在することがあるなんて、私は知らなかった。だから、正直かなり驚いている。

「ま、でもいーわよ。あたしがみーんな片付けたからー」
「さすがはリンディア。素晴らしい強さだね」
「ふん。褒めてもいーわよ。ま、ジジイに褒められても、さほど嬉しくないけどねー」

 それから、リンディアは私に顔を向けてくる。

「王女様、怪我はない?」
「えぇ。無事よ」
「それは何よりー」

 アスターもリンディアも、大きな怪我をせずに済んで良かった。

「じゃ、あとは——」
「リンディア?」
「ベルンハルトの方を手伝うとしよーかしらー」

 そうだった。色々あったせいで忘れてしまっていたが、ベルンハルトも敵と対峙していたのだった。

「よし。では私も……」
「アスター、アンタは王女様についててちょーだい」
「な!?」
「ベルンハルトのサポートは、あたし一人でじゅーぶんよ」

 リンディアはきっぱり言い、ベルンハルトの方へと歩み出す。

 よほど自分一人で片付ける自信があるのだろう——彼女の背中からは、余裕の色さえ感じ取ることができた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.78 )
日時: 2018/12/23 05:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: VXkkD50w)

75話 他人が勝手に敷いただけのレール

 リンディアが向かった時、ベルンハルトは、まだあの男と戦っていた。

 ちなみに、あの男というのは、最初に仕掛けてきた大柄な男のことである。

 それにしても、ベルンハルトが苦戦するなんて。意外としか言い様がない。
 彼がこんなにも互角の戦いに持ち込まれるというのは、凄く珍しい気がする。

「ベルンハルト! 援護しに来てやったわよー!」

 リンディアは銃を撃つ。

 それにより、組み合っていたベルンハルトと大柄な男——二人の体が離れた。リンディアが参戦したことで、膠着状態にあった戦況が大きく動きそうだ。

「……リンディア」

 大柄な男と距離をとることに成功したベルンハルトは、警戒心剥き出しの顔をしたまま、視線をリンディアへ向ける。

「なーに互角の戦いされてんのよー。情けなーい」

 赤い拳銃の銃口を大柄な男に向けながら、リンディアは挑発的に言い放つ。
 しかし、今の状況においては、彼女の言葉も挑発の意味を持たなかった。

「すぐに勝負を決められず、すまない」
「あら。今日は素直じゃなーい」
「今に限っては、お前の言葉が正しい」

 ベルンハルトの発言に、顔をしかめるリンディア。

「ちょ、何それ。素直すぎて気持ち悪ーい」
「特別なことは何もない。僕は、自身に非があるならば、それを認める」

 二人はしばらくそんな風に話していたが、少しして、大柄な男へと視線を戻す。

「アンタは怪我があるでしょ。下がってなさい」
「いや、このまま下がっているわけにはいかない」
「……アンタって、変なところだけ頑固よねー」

 リンディアはまたしても顔をしかめていた。

 ベルンハルトとリンディア。二人は一見仲が悪いようなのに、こういう時には意外と息が合っていたりするから、不思議だ。

 その時、大柄な男が唐突に口を開いた。

「おい」

 大柄な男の両目は、ベルンハルト一人だけを真っ直ぐに捉えている。

「お前、デューラーさんの息子だろ」

 ベルンハルトは目を見開く。
 その瞳には、動揺の色が浮かんでいる。

「ネージア人の誇りを体現したようなあの人の息子でありながら、どうしてオルマリンについたのか。ちゃんと説明しろよ」
「……説明する気はない」
「あの人の後を継いで、ネージア独立のための戦いを指揮するんじゃなかったのかよ!」

 彼もネージア人なのだろう。
 だから、オルマリン側についたベルンハルトに怒っている——それなら理解できないこともない。

 ただ、だからといって暴力に訴えるのは野蛮すぎると思うが。

「それは僕の意思ではない。他人が勝手に敷いただけのレールだ」

 ベルンハルトは静かに返す。
 すると、男はさらに激昂する。

「オルマリンにつくということは、ネージアを捨てるということだな!?」
「……そんなことは言っていないが」
「多くのネージア人の命を奪った忌まわしきオルマリンにつくとは! 見損なったぞ!!」

 リンディアは銃口を下ろさぬまま様子を見つめている。特に何も言わない。

「理不尽に拘束され! 理不尽に働かされ! 理不尽に殺められた! その憎しみを忘れるとは、それでもネージア人なのか!!」
「ネージア人であることに変わりはない」
「ならば、なぜオルマリンに、しかも王女なんかに従うんだ!」

 王女なんかに、なんて言われたら、胸がもやもやする。

 ネージア人たちからすれば、オルマリンの王女である私は憎むべき相手なのだろう。
 彼らからすれば、王女も収容所で働く者たちも、同じオルマリン人。そう考えれば、彼らが特に何の縁もない私を憎むのも、無理はない。

「イーダ王女は僕が仕えるに値する人だ、と判断した。だから、この道を選んだ。ただそれだけのことだ」

 大柄な男が荒々しく叫んでも、ベルンハルトは冷静だった。しっかりした言葉を発し続けているが、顔は眉ひとつ動かさない。

 冷淡。
 そういう言葉が相応しいだろうか。

「裏切り者め!」
「何とでも言えばいい」
「たとえデューラーさんの息子であっても、絶対に許さない!!」

 大柄な男は腹の底からの叫び声をあげる。

 そして、ベルンハルトに向かって駆け出す。
 地鳴りのような足音だ。

「おおおぉぉぉぉ!」

 鼓膜を突き破るような叫び。凄まじい迫力だ。

 しかし、ベルンハルトもリンディアも怯んでいない。ベルンハルトは素早くナイフを抜いて構え、リンディアは銃口を男へと向ける。

「これだからネージア人は!」

 リンディアは拳銃の引き金を引いた。
 光の弾が男に向かって飛んでいく。走ってくる大柄な男に、嵐のように降り注ぐ。

「やられるかぁぁぁ!」

 大柄な男は、光の弾が体に刺さるのも気にせず、突っ込んでくる。彼はベルンハルトしか見ていない。

 ベルンハルトは強い。
 ナイフがあれば、少なくとも負けることはないだろう。

 だが、今回だけは話が別だ。

 今回の相手は、同じ血を持つネージア人。いくら勇敢なベルンハルトであっても、同胞を躊躇いなく倒せるかどうかとなると分からない。どこかで躊躇いが生まれるという可能性は、十分にある。

 もしその隙をつかれたら——。

 今、私の胸の内には、そんな暗雲が立ち込めている。

「来るわよ、ベルンハルト! ほんとーに戦えるんでしょーね!?」
「もちろんだ」

 ベルンハルトの瞳が、大柄な男に焦点を合わせる。

「へまやらかすんじゃないわよ!」
「……あぁ」

 男が襲いかかってくるのを待つベルンハルトの目つきは、よく研がれた刃のよう。この世に存在するありとあらゆるものを切り裂きそうな、そんな目つきだ。

「裏切りは許さああぁぁぁーん!!」

 大柄な男は、獰猛な肉食獣のように歯茎を剥き出しながら、ベルンハルトに襲いかかる。

 しかしベルンハルトは、落ち着きを保っている。
 静かに、その時を待つ。

「おおおおぉぉぉ!」

 男が至近距離に迫る。

「……すまない」

 ベルンハルトは小さく息を吐き出す。
 その時には、既に、彼から躊躇いなんてものは消え去っていた。


「——がっ!」


 直後、男の詰まるような声。

 彼はそのまま、何も言うことなく、どさりと地面に倒れ込んだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.79 )
日時: 2018/12/26 21:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gF4d7gY7)

76話 躊躇い

 ベルンハルトは一切躊躇わなかった。

 ——同じ血を持つ者を刺すことを。

「あら。まったく躊躇しないとは、やるじゃなーい」

 同じネージア人の血を持つ男の腹部を、ベルンハルトは、何の躊躇いもなく突き刺した。

 いや、本当は「躊躇いなく」ではなかったのかもしれないけれど。

 ただ、私の目には、ベルンハルトの心に躊躇いがあるようには見えなかった。男を刺した彼の瞳は、ほんの少しも揺れていなかったから。

「ベルンハルト!」

 大柄な男は地面に倒れ、もう動かない。それをある程度確認してから、私は、ベルンハルトの名を呼ぶ。
 すると彼は、男の腹に刺さったナイフを抜いて、振り返った。

「無事か」
「え、えぇ……」
「なら良かった」

 ベルンハルトは静かに言う。

 けれど——それは本心だろうか。

 たとえ仲間意識があるわけではないとしても、同じ血を持つ同胞をその手で傷つけるというのは、良い気がしないものであろう。

 もちろん、世には同じ血を持つ人間を殺す者だっている。それは事実だ。ただ、そういった場合の多くは、お金で揉めたとか恋人のことで揉めたとか、何かしら理由があるものであろう。何の理由もなく、なんてことは、どちらかというと少数なはずだ。

 しかし、今回のベルンハルトの件は、その少数の方なのである。

 やむを得なかったからだとしても、ベルンハルトの精神にダメージがないという保証はない。

 辺りをキョロキョロ見て、もう襲ってきそうな者がいないか確認した後、ベルンハルトのもとへと駆け寄る。

「ベルンハルト……その、平気?」
「何がだ」
「だってほら、同じネージア人なのに刺すなんて……酷じゃない」

 するとベルンハルトは、ほんの僅かに目を細めた。

「そうだろうか」

 その表情に、私は、「言わない方が良かったかもしれない」と思った。
 じっくり考えず物を言ってしまったことを、正直、とても後悔している。私の言葉がベルンハルトを傷つけたかもしれない、なんて、考えるだけで胸が痛む。

「……いや、それもそうだな。貴女の言う通りだ。酷な人間だな、僕は」
「あ、い、いいえ! そういう意味ではないの! 勘違いだわ!」
「なら、正しくはどういう意味なんだ?」

 ナイフを握るベルンハルトの手は、紅に染まっている。

「私の従者になったせいで、ベルンハルトは同胞に刃を向けなくてはならなくなってしまった……そう思ったら、悲しくて。私の存在が、貴方に酷なことを強いていると思うと……」

 私がそこまで言った時、それを遮るように、ベルンハルトは口を開いた。

「べつに、貴女のせいではない」

 静かながら力を感じる、しっかりとした声だ。

「イーダ王女、貴女はそうやって、すぐに自分を責めようとする。だが、それは何の意味もない行為だ。無意味としか言い様がない」
「……ベルンハルト」
「僕は、貴女が自分を責めることを望んではいない。だから、僕のことで自身を責めるのは、もう止めてくれ」

 辛い思いをした後だろうに、なぜこんなにも淡々と物を言えるのだろう。どうして、こうも冷静であれるのだろう。不思議で仕方がない。

「今の僕は、貴女の従者。貴女が無事でいてくれさえすれば、それ以上は望まない」
「……う」

 ベルンハルトの言葉に、涙が込み上げる。

「な、イーダ王女!? なぜ涙ぐむ!?」
「うぅ……」
「ど、どうして泣くんだ!」

 ぽろぽろと涙の粒が落ちる。
 泣きたいわけでも、悲しいわけでも、ないというのに。

「あーあ、泣かせちゃったわねー」

 リンディアが挑発的に発する。

「おい! 僕のせいみたいに言うなよ!」
「必要以上に優しくするからよー」
「……なに? 僕は優しくなんてしていない!」

 取り敢えず涙を止めなくては。そう思いはするのだけれど、一度溢れた涙というのは、そう簡単に止められるものではない。

「まさか、無自覚? それはさすがに、きっついわー」
「説明しろ!」
「だってほらー『無事でいてくれさえすれば、それ以上は望まない』なんて、ふつー言わないじゃなーい?」

 リンディアの言葉に、ベルンハルトは首を傾げる。

「そうなのか」

 ベルンハルトの表情から鋭さは消えていた。穏やかな時の彼の顔をしている。

「そーよ。女の子はね、優しくされたことで泣いてしまうことだってあーるのよー」
「……なるほど」
「もちろん、優しくしたから嫌われるーってことはないわ。ただ、反応には色々あるってことよ。それくらいは覚えときなさーい」
「そうか。そのつもりはなくとも優しくしたと思われることはある、ということだな」

 ベルンハルトにしては珍しく、リンディアの話を真面目に聞いている。

「ま、これはいーずれ恋愛する時にも役立つから。今のうちに覚えておきなさーい」

 リンディアは妙に上から目線。しかも、話が微妙にずれているような気さえする。

 襲われた後だというのに、こんなのんびり話していて大丈夫なのだろうか。
 ふと、そんなことを思ったりした。

「で、どうするかね? イーダくん」

 リンディアとベルンハルトの会話をぼんやり見ていた私に、アスターが話しかけてきた。

 彼はまだ、脇腹の戦闘時にダメージを受けた部分に、片手を当てている。恐らく、痛んでいるのだろう。体にダメージが残らなければいいのだが。

「向こうのグループと合流するかね?」
「父さんたちの方と?」
「そういうことだよ」
「そうね。また襲われても怖いし、早めに合流しましょう」

 ただ、父親と合流してしまえば絶対に安全、ということではない。
 父親の横には、必ずシュヴァルがいるだろうから。

 彼を悪と決めつけるのはまだ早いかもしれない。ただ、彼が何か罠を仕掛けている可能性とてゼロではないのである。

「……イーダくん?」
「あ」
「ぼんやりしているようだが、大丈夫かね」

 このままでは駄目だ。ぼんやりしている、と思われるような顔をしているなんて、一番駄目な状態。

 ……しっかりしなくては。

「え、えぇ。大丈夫よ」
「私もリンディアも、もちろんベルンハルトくんも、必ずイーダくんを護るよ。君が心配することは何もないからね」
「お気遣い、ありがとう」

 今は、傍にいて護ってくれる人たちがいる。それも、結構な実力を持った人たちが。

 だから大丈夫。

 きっと、あの春は繰り返されない——。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.80 )
日時: 2018/12/26 21:38
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gF4d7gY7)

77話 少女との契約

「けど、合流するって言っても、簡単ではないでしょー?」
「確かにそうね。父さんがどこにいるかも分からないし……」
「取り敢えず、受付へ行って確認するのが懸命だろうな」
「そろそろ綿菓子が食べたくなってきたのだがね」

 そんな風に話しつつ歩き出すイーダたち四人の後ろ姿を、壁の陰からそっと見ている者がいた。

 一人は少女。一人は男性だ。

「ふ、ふわぁぁぁ……」

 ネージア人の男が幾人も倒れている光景を目にし、少女は、困りと驚きが混ざったような声を漏らす。

「みんなやられてしまいましたぁ……」
「見ましたか? オルマリン人の残虐な本性を」

 少女に語りかける男声は——シュヴァルのものだ。

「彼らは極めて凶悪です。逆らう者は誰であろうと、今のように、蹴散らしてしまうのです」

 そんなシュヴァルの言葉に、少女は困った顔をする。
 琥珀色の美しい瞳が、動揺に色を映しながら揺れていた。

「こ、殺してはいませんよね……?」
「さすがに全員を殺すほどの余裕はなかったようでしたね」
「なら、まだましなのでは……?」

 少女がイーダらを擁護するような発言をした瞬間、彼女を見下ろすシュヴァルの目が一瞬にして色を変える。

「……あっ」

 シュヴァルの機嫌が変わったことを察したようだ。少女の顔が強張る。
 彼女のはそれまでより少し硬めの表情で言う。

「ご、ごめんなさい。それで……頼みっていうのは、何でしたっけ」

 流れる空気は冷たい。それはもちろん、外が寒いというのもあるのだろうが、それだけの冷たさだとは思えないような冷たい空気が流れている。血まで凍りつきそう、という表現が相応しいような冷たさだ。

「そうでした。その件でしたね」
「……はい」
「貴女には、王女つきの侍女として働きに来ていただきたいのです」

 少女は目を見開き、体を大きく仰け反らせる。

「えええ!」
「しっ。静かにしなさい」
「は、はいぃ……」

 少女は胸に手を当てて、心を落ち着かせるように、ふう、と息を吐く。
 彼女なりに動揺を緩和しようと努めている様子だ。

「何も侍女として一人前になれとは言いません。そもそも、不器用な貴女が一人前になれるわけがありませんから」

 シュヴァルは淡々と述べる。

「貴女には、ただ、王女様が一人になる時間を作っていただきたいだけなのです」
「おうじょさまがひとりになるじかん?」
「そう。つまり、従者が王女様から完全に離れる時間を作れれば、それだけで良いのです」

 赤みを帯びた柔らかな髪の少女は、シュヴァルの話を聞き、小さく「えぇぇ……」と漏らしている。

「まさか、やりたくないのですか」
「い、いえ! そんなことはありません! ……ただ」
「ただ?」
「王女様をお一人にするなんて、危険ではありませんか……?」

 少女が放ったまさかの発言に、シュヴァルは思わず顔をしかめる。

「貴女は馬鹿ですかね」
「へ?」
「王女様を確実に仕留めるために、一人にするのです」
「えええ!」

 またしても大声をあげる少女。その口を、シュヴァルは片手でパッと塞いだ。

「いちいち騒ぐのは止めなさい」

 イーダたちの背は遠ざかっていく。

「で、協力していただけますか? いただけますよね?」
「はわわ……王女様を仕留めるために協力なんてできませんよぉ……」

 少女は首を左右に動かす。

 するとシュヴァルは、「おや」と言いながら、彼女に顔を近づける。

「ご家族がどうなっても良いのですか」
「……へ? あの、え?」
「貴女が協力してくれるのならば、貴女のご家族への労働をすべて免除します。ただ、協力していただけない場合は、貴女のご家族の労働を今の二倍量に増やします」

 シュヴァルは脅すような口調でそんなことを言い、顔を近づけながら、ジリジリと圧をかけていく。
 こんな圧のかけられ方をすれば、誰だって折れざるを得ないだろう。

「そ、それは止めて下さいぃぃー! 今でも一日十時間以上なのに!」
「では、協力していただけますね」
「うぅ……」

 少女は元々小さい体をさらに縮めた。その琥珀のような瞳には、うっすらと、涙の粒が浮かんでいる。

「協力していただけますか」
「う……は、はいぃ……」

 シュヴァルの口角が持ち上がる。

「これで成立ですね」

 そう言った時、既に、シュヴァルは笑顔になっていた。冷ややかな目つきも、半ば脅しのような声色も、今はもうない。

「あの、でも、本当に……たいしたことはできません……」
「大丈夫ですよ。心配せずとも、このシュヴァルがサポートします」
「そ、それにぃ……王女様を仕留めるのは無理ですよ……」
「仕留めるのは他の者の役割です」

 静かな空間の中、シュヴァルと少女、二人だけの話し合いが進んでいく。

「まずは星都へ出てきて、一週間ほどで、その暮らしに慣れて下さい。その間に、侍女として何とか働けるようなところまで、教育させます」
「で、でも、あまり向いていないかもしれませんっ!」
「貴女は今も配膳係でしょう? その経験がきっと役に立つはずです」
「そうでしょうか……」

 彼女が配膳係であることは事実。

 もっとも、まともに配膳できない配膳係ではあるが。

「そうです。このシュヴァルの言葉に間違いなどありはしません」
「は、はいっ! では、よ、よろしくお願いします!」

 少女はペコペコとお辞儀を繰り返す。その度に赤みを帯びた髪がふぁさふぁさと揺れるのが、見る者に、彼女を幼く感じさせる。

「あ、それと一つ」
「はいっ。何ですか?」
「このシュヴァルと話したことについては、決して口外しないよう頼みます」
「わ……分かりましたっ!」

 こうして結ばれた、シュヴァルと少女の契約。
 それがイーダたちにどのような影響を与えるのかは、まだもう少し先の話であろう。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.81 )
日時: 2018/12/26 21:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gF4d7gY7)

78話 視察を終えて、帰路につく

 ネージア人らを退けた後、私たちは父親と合流。
 そして帰路につく。


「この二日間、色々あったわね」
「そうだな」

 帰りの浮遊自動車の中で、私は、右隣に座っているベルンハルトへ話しかける。

「厄介なことが多々あったな」

 帰り道も、行きと同じで、父親は別の浮遊自動車だ。
 父親はやはり、シュヴァルと乗っていた。彼はよほど、シュヴァルのことを気に入っているのだろう。

「そーねー、疲れちゃったわー。王女様と出掛けると、こーんな大変なのねー」
「リンディア。そういうことは言わない方が良いと思うのだがね」

 リンディアの発言に対し、アスターが注意を加える。

「は? ジジイは黙っていてちょーだい!」
「ジジイ、は余計だよ」
「なーによ、事実じゃなーい。実際、一人二人にてこずるくらい、ジジイ化してたでしょー」
「心外だよ。確かに年老いてきつつはあるが、そこまで弱ってはいない。それに、私の本来の専門は狙撃だからね」
「はー、ヤダヤダ! かっこつけてんじゃないわよー!」

 決して若くはない年でありながら、あれほどの戦いを見せてくれたアスターだ。若い頃ならもっと強かったものと思われる。

 そう考えると、リンディアが言っていることもあながち間違いではないのだろう。

「それにしても、アスターさんが接近戦もいける人だったなんて、驚きだわ」
「お。そうかね?」
「狙撃手って、狙撃だけじゃないのね」

 アスターが接近戦でもあれほど戦えるというのは、正直意外だった。狙撃特化のイメージが強かったからである。

「若い頃、『もしもに備えてある程度訓練しておけ』と言われていたものでね」
「へぇ。さすがだわ」
「ま、たいしたことではないよ。しかし……『さすが』だなんて照れてしまう」

 すると、ベルンハルトがすかさず口を挟む。

「勘違いするなよ、アスター」

 ベルンハルトがアスターに向ける視線は、見ているだけでも痛みを覚えたかのように錯覚するほど、冷ややかだ。

 例えるならば、氷で作られた剣のよう。いかにも冷たげで、鋭さのある視線である。

「イーダ王女はお人好しで優しい。だから、そうやって、心地よいことを言ってくれる。ただそれだけのことだ」

 ベルンハルトにそう言われたアスターは、きょとんとした顔をした。唐突なことで、話についていけなかったのかもしれない。

「ん? 一体何の話をしているのかね?」
「いや。ただ、イーダ王女の優しさに勘違いするなよ、と警告しておいただけのことだ」
「警告? どういう意味だね、それは」

 アスターの言動は謎に満ちている。

 ベルンハルトの心を察していながら何も分かっていないふりをしているのか。あるいは、本当にまったく何も分かっていないのか。どちらもあり得そうな気はする。しかし、実際のところを知る方法は、今の私にはない。彼の言動から想像する——それ以上のことはできないのだ。

「もういい」

 呑気に似たようなことばかり尋ねるアスターの相手をするのが嫌になったからだろうか。
 ベルンハルトはそう小さく呟いて、ぷいとそっぽを向いた。

「おぉ……そうかね」

 そっぽを向かれてしまったアスターは、残念がっているような声色で、そんなことを言う。しかし、表情からは、残念そうな感じは伝わってこなかった。

 アスターの謎がまたしても深まる。

 ……もっとも、絶対に解き明かさなくてはならない謎なわけではないのだが。

「あららー。もしかしてベルンハルト、妬いてるのかしらー?」

 それまでは窓の外を眺めていたリンディアだったが、いきなりそんなことを言い始めた。
 実に愉快そうな顔をしているあたり、本当にシュヴァルの血を引いているのだな、という感じだ。

「な。僕が嫉妬していると言いたいのか」
「そーなんでしょー?」
「わけが分からない。誰の何に僕が嫉妬するというんだ」

 ベルンハルトはそっぽを向いたまま、ぽそりと放つ。
 それに対してリンディアは、ニヤリと笑みを浮かべたまま返す。

「アスターと王女様が楽しそーな感じなのが、悔しかったんじゃないのー?」

 刹那、ベルンハルトの表情が固くなる。
 彼はその後もしばらく、何も返さぬまま、眉を寄せていた。

「そう……なのだろうか?」
「少なくともあたしにはそー見えたわー」
「なるほど。リンディアがそう言うなら、ある意味ではそうなのかもしれないな」

 ベルンハルトは意外と素直だった。

 リンディアに刺激するようなことを言われたにもかかわらず、怒ることなく、しっかりと受け止めている。

 彼もそろそろ、リンディアに刺激されることに慣れてきたのかもしれない。
 そう思わせてくれる光景だった。


 私たちがこうやって話している間も、浮遊自動車は走り続けている。

 いや、浮遊しているのだから「走り」という表現は相応しくないのかもしれないが。ただ、とにかく進み続けているのである。

 時が経つにつれ、窓の外の景色も、その姿を変えていく。

 第一収容所に近い辺りは、あまり都会という雰囲気ではなく、木々を始めとする自然の物が目立っていた。
 だが、徐々に街の面影が露わになってくる。

 その変化は、私たちを乗せた浮遊自動車が星都に近づきつつあることを、私に教えてくれた。


「ねぇ、ベルンハルト」

 浮遊自動車は、もうあと少しで、星都へと入りそうだ。

「何だ」
「久々に戻ってみて、どうだった?」

 沈黙は嫌なので、私は車内でも、ベルンハルトにちょくちょく話しかける。一応「迷惑かな?」と思いはするのだが、しんとしてしまうと過ごしづらいのだ。

「第一収容所に、か」
「えぇ」

 どんな答えが返ってくるだろう、と少し期待していたのだが、ベルンハルトから返ってきたのは非常にあっさりとした言葉だった。

「特に何も思うことはなかった」

 まさか、という感じだ。

「逆に、貴女はどう感じたんだ」
「私?」
「初めて行ったのだろう。感想が……少し聞いてみたい」

 ベルンハルトは気まずそうな顔をしながら尋ねてくる。

 私としては、正直、かなり意外だった。
 彼が私の心について問うことなんて、ありはしないと思っていたから。

「見たことのないものがたくさん見られて、勉強になったと思うわ」

 私は、内心戸惑いつつも、そう答えた。
 せっかく私に興味を抱いて質問してくれたのだ。敢えて答えない理由なんて存在しない。

「……嫌なところだろう」
「え、そう?」
「あそこは、ろくに掃除もしていない不潔なところだからな。イーダ王女、貴女みたいな人にはとても似合わない」

 そんな風に話すベルンハルトの表情は、微かに陰っていた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.82 )
日時: 2018/12/29 23:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GbhM/jTP)

79話 おはよう

 こうして、第一収容所への視察は無事終了した。

 いや、もちろん、何もなく終わったわけではない。何度も襲われたし、多少の負傷もあった。だから「無事終了した」という表現はあまり相応しくないかもしれない。

 ただ、重傷者や死傷者が出なかったのは良かった。

 ベルンハルトも、リンディアも、アスターも。色々ありはしたけれど、ちゃんと生きている。
 今はそれだけで十分だ。


 ——星都へ戻り、翌朝。


 自室のベッドの上で、私はふっと目を覚ました。

 昨夜のことはあまり記憶にない。ただ、ベッドの上で目を覚ましたことから、ちゃんと寝たのだということだけは理解できた。

 あくびによって濡れた目もとを手の甲で拭き、ゆっくりと上半身を起こす。

「おはよう」
「おはよう……って、え?」

 まだ起ききっていない目を開くと、ベルンハルトの姿を捉えることができた。

「べ、ベルンハルトッ!?」

 私は思わず大声を出してしまう。
 彼が意外と近くにいたからである。

 起きてすぐの時はぼんやりしていたからか、気づかなかった。しかし、彼は私のすぐ隣にいたのだ。

「どうして!?」
「驚かせてしまったか」
「い、いえ。それは大丈夫よ。ただ、どうしてベルンハルトがここに?」

 何をするためにここにいたのかが気になるところだ。

「僕は見張っていただけだ」

 意外な答えが返ってきて、驚いた。

 見張っていてもらえるのはありがたい。が、主の枕元で見張るというのは、少々距離が近すぎる気がする。
 嫌とは言わないが……何とも言えない心境だ。

「最近はやたらと襲撃があるだろう。だから、貴女が眠っている間も見張りをつけておかなくてはならない、と思ったんだ」

 邪な企みのためにここにいたわけではないようで、取り敢えず安心した。

 いや、べつに、ベルンハルトのことを疑っているわけではないけれど。

「なんだ、そういうことだったのね」
「不快にしてしまったなら謝る」
「いえ、気にしないで。そういうことなら、むしろ私がお礼を言わなくちゃだわ」

 ベルンハルトが枕元にいて驚いたということは事実。しかし、彼の行動が私の身を護るためであったのならば、彼を責めるわけにはいかないだろう。

「で、特に何もなかった?」
「あぁ。実は僕も途中から寝てしまっていたのだがな」

 ずっと見張っていたわけではないのか。
 私は内心そんな風に突っ込みを入れてしまった。

「ただ、異変がなかったことは確かだ」
「ありがとう、ベルンハルト」

 ベルンハルトとて、寝る気で寝たわけではないのだろう。ならば仕方のないことだ。生き物である以上、寝ずに生きていくことはできまい。

 あんな戦いのあった日だ。
 きっと、ベルンハルトも疲れていたのだろう。

「ベルンハルトはよく眠れた?」
「恥ずかしながら、ぐっすり眠ってしまった」
「ふふ。私もよ。昨夜ベッドに入った記憶がないわ」

 そのうちリンディアやアスターが来るかと思っていたが、案外来なかった。

 それゆえ、ベルンハルトと二人きりの時間が続いていく。

 けれど、それを嫌だとは思わなかった。ベルンハルトと二人きりでゆっくり話すというのも、時には悪くない。

「そうだ。ベルンハルト、怪我したんだったわよね」
「怪我……背中のことか」
「そうそう。もう大丈夫なの?」
「あぁ。手当てはしている、問題はない」

 ネージア人の大柄な男との戦いの時も、ベルンハルトは動けていた。そこから察するに、生活に支障があるほどの怪我ではないのだろう。

 ただ、それでも、少し心配になる時はあるものだ。

「ならいいけれど……くれぐれも無理はしないでちょうだいね。何か問題があったら、すぐに言うのよ」
「分かった。そうする」

 今日のベルンハルトは妙に素直だ。
 それが何だか微笑ましくて、私は思わず笑い声を漏らしてしまう。

「ふふっ」

 私が何の前触れもなく笑ったからか、ベルンハルトは怪訝な顔をする。

「……なぜ笑う?」
「ごめんなさい。何だか、微笑ましくって」
「微笑ましい、だと?」

 ますます怪訝な顔になるベルンハルト。

「変な意味じゃないわよ。ただ、素直なベルンハルトを見ていたら、温かい気持ちになって」

 苦しい言い訳のように聞こえないこともないが、これはすべて事実だ。ごまかすための言葉なんかではない。

「温かい気持ち、か……。僕にはよく分からないな」
「そうなの?」
「気持ちなのに温かい、というところが、まったく理解できない。温かいは、主に温度に使うものだと思っていたのだが」
「まぁ、そうね。貴方みたいな人生を送っていたら、温かい気持ちになることなんてなかったでしょうね……」

 するとベルンハルトは黙った。
 悪いことを言ってしまっただろうか、と密かに焦る。

「……あ。え、えと……」

 ベルンハルトは勇敢で凛々しいが、それでいて繊細だ。ほんの一言、小さなことでも、傷ついてしまうかもしれない。

 彼をそんな目には遭わせたくない。

「その、ごめんなさい。ベルンハルト。変な意味じゃないのよ。私はただ……」

 悪意がなかったことを何とか伝えたいのだが、上手く言葉が出てこない。心をちゃんと伝えなくてはならない時に限ってこれだから、嫌になってくる。

 言葉を上手く発することができずあたふたしていると、ベルンハルトは唐突に、私の顔をじっと見つめてきた。

「イーダ王女」
「へっ?」

 うっかり、情けない声を発してしまった。

 恥ずかしい……。

「僕に対して気を遣うのは止めてくれ」
「え、えぇ」
「そういうことをされると、こちらも困ってしまう」
「そう……ごめんなさい」

 どういった対応が最も相応しいのか不明だが、一応謝っておく。

 するとベルンハルトは、私の手をそっと掴んできた。

「貴女が優しいことを責めるつもりはない。ただ、僕としては、こき使ってもらえる方がしっくりくる」

 ベルンハルトの手は大きい。
 単に握っているだけだろうに、いとも容易く、私の手を包み込んでしまう。

「こき使って……だなんて。面白いことを言うのね」
「いや、面白いことを言ったつもりはないのだが」
「面白いわよ。ただ、残念ながら、その希望に応えることはできないわ。私には、ベルンハルトをこき使うなんて、できっこないもの」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.83 )
日時: 2018/12/29 23:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GbhM/jTP)

80話 二人きりという特別感

 自室内でベルンハルトと二人きりという状況は、私を非常に緊張させる。

 彼が私の従者になってくれてから、もうだいぶ経った。しかし、彼と二人になってしまった時の得体の知れない緊張感は、いまだに消えない。

 敵意向けられているわけでもないのに……謎だ。

「ねぇ、ベルンハルト。そういえば、リンディアとアスターさんはどこにいるの?」

 ベッドから起き上がった私は、寝癖のついた髪を見られたことを恥ずかしく思いつつ、尋ねてみた。
 すると、彼はさらりと答える。

「今日はアスターの家へ行くと言っていた」

 よく考えてみれば存在して当然なのだが、「アスターの家」という言葉に驚いた。彼は一軒の家に留まるような暮らしをしていないものと、そう思い込んでいたから。

「そうだったのね」
「あぁ」
「じゃあ今日は、ベルンハルトしかいないのね」
「そうなるな。二人きりだ」

 二人きり。

 その言葉が耳に入った瞬間、胸の鼓動が速まった。

 緊張はする。けれども、それと同時にワクワクもする。そこが実に不思議なところだ。人の心は単純なものではないのだと、改めてそう教えてくれる。

「二人きり、かぁ……」

 私が思わず漏らしたのを聞き逃さず、ベルンハルトは鋭めの声を発する。

「心配するな。襲撃者が来たら、すぐに撃退する」

 いや、いきなり物騒過ぎないだろうか。

「違うのよ。そういう心配をしているわけじゃないの」
「そうなのか?」
「せっかくの二人きりをどう活かそうかなって、ワクワクしながら考えていたのよ」

 ベルンハルトと二人きりになるなんて、なかなかないことだ。この機会を逃すのは勿体ない。運良く与えられた機会なのだから、それを上手く活かして、少しでも楽しく過ごしたいものだ。

「ワクワク? なぜだ。よく分からない」
「ふふ。私の心のことだから、まだ分からなくていいわよ」
「そうか」

 言いながら、ベルンハルトは立ち上がる。

「ところで、僕はここにいた方がいいのか」
「え?」
「外へ出ておいた方が良ければ、そう言ってくれ」

 立ち上がったベルンハルトは、涼しい顔でそんなことを言った。

「だ、駄目よ! 外へ行っちゃ駄目!」

 外に出ていかれたりしたら、私のワクワクは完全に消滅してしまう。それだけは、何としても防がねばならない。

「今日は一緒に過ごすの!」

 ——あ。

 勢いのままに、言ってしまった。

「一緒に、だと?」
「そ、そうよ! 一緒に、よ!」

 ベルンハルトに怪訝な顔をされてしまったのは若干辛いが、このくらいで挫けるわけにはいかない。

「せっかく二人なんだもの!」
「僕と一緒にいても、あまり楽しくないと思うが」
「いいえ。きっと楽しいわ」
「不愉快な思いをするだけだと思うが」
「そんなことないわ!」

 私はベルンハルトの手を掴む。

「絶対楽しい!」

 これは、従者と主が言い争うような内容ではない。しかし、私としては、「楽しい」と言わなくては気が済まなかった。

「……そうなのか」

 私が急に調子を強めたからか、ベルンハルトは、戸惑ったように目をぱちぱちさせている。

「えぇ!」
「ならいいが。……では、何をする?」

 そうだった。私はそれを考えていたのだった。

「ベルンハルトは何がしたい?」
「僕に意見を求めるな」
「それは、何でもいいということ?」
「あぁ。そんな感じだ」

 こくりと頷くベルンハルトは、どこか子どものような雰囲気をまとっていた。

「じゃあ……うーん……」

 暫し考えた後。

「お出掛け!」

 パッと思いついたことを口から出した。

 が、よくよく考えてみれば、お出掛けなんてできるわけがない。
 これといった行き先があるわけではないし、そもそも、どこへならすぐに出掛けられるというのか。

「それは難しくないか」
「そうよね……」
「だが、貴女がどうしてもと言うなら、何か考えようか」

 ベルンハルトの口から出たのは、意外な言葉だった。

「いいの!?」
「もちろんだ」

 そう話すベルンハルトは、口角を微かに持ち上げている。また、目つきも、どことなく柔らかさを感じさせる目つきだ。

「どこへ行くか考えよう」
「そうね!」

 今のところ、順調。

「この建物の外は無理なのか」
「そうなの。勝手に出ることはできないわ」

 王女でなければ、どこへでも行けるのに——その思いは、なかなか捨てきれない。

「なら、建物の中で決めなくてはならないな」
「えぇ」
「建物の中を散策、というのはどうだ」

 確かにね。そのくらいしかないわよね。

「それならすぐに行けるから良いと思うわ」
「貴女のお気に入りの場所があれば、ぜひ紹介してほしい」
「……そんなことでいいの?」
「あぁ。僕はまだ、あまりたくさんの場所へは行ったことがない。従者をしていると、よく行く場所というのも限られてくるからな」

 建物の外へ出なくていいなら、許可を取る必要もない。それに、襲撃に遭う可能性も、外へ行く場合よりかは低いだろう。もちろん「絶対に大丈夫」とは言えないが。ただ、慣れていないところへ行くより安全であることは確かだと思う。

 しかし、問題が一つ。

 私にはお気に入りの場所なんてない。
 唯一にして、大きな問題だ。

「いいわよ、そうしましょう」
「よし」
「ただね……」
「何だ」
「私、お気に入りの場所なんてないの」

 素敵なところをたくさん案内してあげたいという心はあるのだが、生憎、私はこの建物についてそれほど詳しくない。だから、どこが素敵だとか、どこに魅力があるだとかまでは、あまり紹介できそうにないのである。

「だから……知っている場所の紹介でもいい?」

 すると、ベルンハルトはこくりと頷く。
 子どものような頷き方が、素直な感じを漂わせている。

「分かった」
「せっかく案を考えてくれたのに、ごめんなさいね」
「いや。ただ紹介してもらえるだけでもありがたい」

 ベルンハルトの優しさに、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.84 )
日時: 2018/12/29 23:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GbhM/jTP)

81話 どこへ行こう?

 建物内を散策すると決めた後、私は、速やかに準備をした。
 髪を整えたり、服を着替えたり、である。

「お待たせ!」
「意外と早いな」
「そう?」
「あぁ。驚いた」

 そして、ベルンハルトと共に自室を出る。

 ——さて、どこへ行こう?


 半年ほど出歩いていなかったということもあってか、廊下を歩いていると妙に視線を感じる。その多くは、恐らく、行き来する侍女からのものだろう。

 だが、それらの視線も、今はさほど気にならない。
 それは多分、隣にベルンハルトがいてくれるからだと思う。

 落ち着き払った彼が傍にいてくれる。ただそれだけで、私の心は強くなるのだ。

「で、どこへ行くんだ」
「そうね……中庭?」

 するとベルンハルトは、数秒間を空けてから返してくる。

「なんというか、ロマンチックな感じだな」

 そんなことを言われるとは思わなかった。
 私からすれば、中庭がロマンチックという発想こそがロマンチックだ。

「そうかしら」
「いや、もちろん、あくまでイメージだが」
「ふふっ。ベルンハルト、可愛いわね」

 私が笑うと、ベルンハルトは気恥ずかしそうな顔つきになる。

「可愛い、と言われるのは初めてだ」
「それは嬉しいわ」
「な。どういう意味だ」
「だって、可愛いベルンハルトを知っているのは私だけだってことでしょう」
「いや、それの何が嬉しいんだ。理解できない」

 ベルンハルトは何も分かっていないようだ。

 だが、そこがいい。
 そういうところこそが、彼の魅力的なところなのである。


 暫し歩き、中庭へ着いた。

 中庭と言っても完全に屋外なわけではなく、見上げると、ドーム状の透明な天井が見える。雨が降っても濡れずに寛げるようになっているのだ。

 しかし、そこを除けば、見た目はいたって普通の庭。
 芝生に覆われた地面も、手入れされた樹木も、自然の色を失ってはいない。

「なるほど。これが中庭なんだな」

 ベルンハルトは周囲を見回しながら呟く。

「ここは何をするための場所なんだ」
「何をするため? ……えーと」

 小さい頃、父親とよく見に来た。そんな記憶はあるのだが、これといって何かをした記憶はない。

「心を休めるため、とかかしら」

 自分でもよく分からない答えを言ってしまった。

「心を休める?」
「美しい風景を眺めていると、穏やかな気持ちになれるでしょう」
「なるほど」

 花が咲いているからか、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。ベルンハルトと二人で来るにはもってこいの雰囲気だ。

「確かに、穏やかな気持ちになってきた」
「でしょう」
「眠く……なって……く……る……」
「寝ちゃ駄目よ!?」

 意外な展開に驚き、私は思わず、大きな声を発してしまう。

 しかし、ベルンハルトは本当に寝そうだったわけではなかったらしく、「大丈夫だ、寝ない」などと言っていた。

 もしかしたら、彼なりの冗談だったのかもしれない。

「なかなか綺麗なところだったな」
「そうでしょう? 私も、小さい頃はよく、父さんと見に来たの! と言いつつも、記憶は曖昧なのだけどね」
「良いところを紹介してもらえて嬉しい。感謝する」

 そう述べるベルンハルトの表情は、いつもより柔らかい。マシュマロのような頬をしていた。


 中庭の次は、書庫へと向かった。

 書庫は、背の高い本棚がたくさん立ち並ぶ広い部屋である。

 人の行き来が少ないせいか、他の場所と比べると少々埃臭い。また、空気もやや重いように感じられる。
 けれども嫌いではない。

 埃臭さが醸し出す静かな雰囲気のおかげか、とても落ち着くのだ。

「本がたくさんあるな」
「書庫だもの」
「ここにある本、貴女はすべて読んだのか?」
「まさか! 無理よ!」

 私は読書が得意でないのだ、すべてなんて読めるわけがない。

「ベルンハルトは本が好き?」
「いや。よく分からない」
「そうなの?」
「収容所では、本を読む機会はなかった」

 私とベルンハルトでは、育ってきた環境が違いすぎる。
 改めて、それを実感した。

 私は、ある程度は好きなことをできるにもかかわらず、王女ゆえのほんの少しの制約を憎んでいた。

 けれど、それは贅沢なことで。

 収容所で生まれ育ったベルンハルトには、もっともっとたくさんの制約があったのだろう。
 してみたくてもできないことや、行ってみたくても行けないところは、私なんかよりずっと多かったはずだ。

「だが、こちらへ出てきてからは、少しばかり本を読むようになった」
「そうなの?」
「マナーやルール、それから言葉遣い。そういう本を読む」

 意外。
 小説とかじゃないのね。

「だが……そういう本は難しい。難しくて、その必要性が理解できない」

 それは私も一緒だ。
 基本的なマナーやルールの必要性は理解できる。しかし、細かすぎることになってくると、「なぜ?」と思ってしまう。

「ふふっ。一緒ね」
「いや、貴女と僕が一緒だとはとても思えないが」
「私も、細かすぎるルールやマナーには、ぐったりしてしまうわ」
「王女であってもそうなのか」
「そうよ!」

 王女だって、普通の娘だ。
 面倒臭いことは嫌だし、厳しい教育を受けることには疲れる。

「なるほど。イーダ王女は、案外、普通の人なのだな」

 普通の人、なんて言われるのは、少々切ない気もする。

 しかし、それは事実だ。
 私は王女という身分だが、その正体はただの娘でしかない。

「そうね。王女とて、ただの人間よ」
「勉強になる」
「そう? たいしたことは言えないけれど、そう言ってもらえると嬉しいわ」


 私たちは書庫を出る。
 次の目的地へと向かうためだ。

 ——だが、その途中。

「おい! ちょっといいか!」

 見知らぬ男性から、そんな風に声をかけられた。

「……何か用か」

 ベルンハルトは、さりげなく私の前へ出ながら、警戒した顔で返す。

「アンタ、確か、王女さんの従者の人だよな?」
「あぁ。ベルンハルトという」
「やっぱり! 収容所から出てきていきなり従者になった、噂のやつだよな!?」

 敢えて「収容所」なんて言わなくていいのに。

「……そうだが」
「ちょっと手合わせしてくれないか!?」

 またしても予想外の展開がやって来た。

 ……もっとも、襲撃よりかはましだけれど。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.85 )
日時: 2019/01/01 08:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0rBrxZqP)

82話 証明したい

「実は俺、今困ってるんだよ! 周りから、サボってばかりだから弱い、なんて言われてさー」

 突如話しかけてきた男性は、妙に気さくな人だった。
 警戒心剥き出しのベルンハルトに対してでも躊躇いなく喋りかけていけるというその度胸は、見ていて密かに感心したくらいだ。

「だから、俺と戦ってくれないか?」
「……なぜ僕なんだ」
「なぜって? そんなの簡単なことだろ! 噂になってる有名なやつに勝つところを見せつけて、俺が弱くないってことを周りに証明したいんだ!」

 なんて人だろう。
 そんなことにベルンハルトを利用しようだなんて、最低。

「随分な自信だな」
「まーな! 俺、腕っぷしには自信あるんだ!」

 男性は自信に満ちた表情で言う。
 そんな彼を見て、ベルンハルトは暫し黙り込む。

「王女さんの従者より強いってことを証明できれば、もう『サボってばかりだから弱い』なんて言われなくて済むからな!」

 男性はそんなことを平然と言ってのけた。

 信じられない。本人の目の前で「今から利用させてもらう」みたいな意味の発言をするなんて、まったく理解できない。できるなら「よく平然とそんなことを言えるわね」と食ってかかっていきたいくらいだ。

 無論、知り合いでもない人にいきなり食ってかかるなんて、できっこないのだけれど。

「頼む! 俺と戦ってくれ!」

 男性は、両の手のひらを合わせながら、ベルンハルトに頼み込む。

「断る」
「頼む、頼むよぉ」
「断る」
「ホント、困るんだよ! 頼む! いや、お願いします!」

 必死に頼み込む男性へベルンハルトが向ける視線は、冷ややかなものだった。

「あ! もしかして、自信がないのか!?」
「…………」
「なぁーに、それは心配するな! 俺に負けても、誰も馬鹿になんてしねぇよ! それはただ、俺が強かっただけだからな!」
「……不愉快だ、消えろ」

 ベルンハルトが顔をしかめていることに、男性は気がついていないみたいだ。
 もしかしたら、彼は少し残念な人なのかもしれない。

「頼むよ! 俺と戦ってくれ!」
「他の相手を探した方がいい」
「何だって?」
「僕は手加減などできない。だから、負けてくれる者を探す方が望ましい」

 言ってやれ言ってやれ、という気分だ。

「負けてくれる者と戦う方が、確実だろう」

 ベルンハルトは淡々とそう言った。

 すると、男性は急に怒り出す。

「はぁ!? 何勘違いしてんだ! アンタみたいなのが俺に勝てるわけないだろ!」

 男性はその面に憤怒の色を浮かべながら、ベルンハルトの襟元をぐいと掴む。

「王女さんの従者だからって、調子こくなよ!」
「……普通に受け答えしただけなのだが」
「オルマリン人でもないくせに! 偉そうな顔をするな!」
「……話がずれていると思うのだが」

 ベルンハルトは落ち着き払っている。襟元を掴まれているにもかかわらず、その顔に動揺の色が浮かぶことはない。

 しかし、このままでは男性の怒りは収まらないだろう。
 怒りがさらに激しくなるということはあっても、放っておいて収まるということはなさそうだ。

 彼の怒りを収めるには、勝負を受けるしかないのかもしれない。そうしなくては、今ここで戦いなってしまいそうな勢いだ。

 こんな場所で乱闘騒ぎなんて、絶対に嫌である。

「落ち着きなさい!」

 怒りに操られてしまっている男性を止めるには、私が出ていくしかない。

「なっ……けど、王女さん!」
「ひとまず黙りなさい」
「は……はい」

 男性は、私が予想していたよりかは素直だった。

「そんなにベルンハルトと勝負したいというなら、受けても構わないわ」
「イーダ王女!?」

 驚きの声をあげるベルンハルト。
 しかし私は、それを気にせずに続ける。

「ただし、もしベルンハルトが勝っても恨まないこと。それでどう?」
「あ……あぁ! それでもいい! ま、俺が勝つけどな」

 随分な自信である。

「ベルンハルトもそれでいい?」
「勝ってしまっても問題ないのか」
「もちろんよ。わざと負ける必要なんてないでしょう」
「……そうだな。貴女がそう言うのなら、受けよう」

 話はまとまった。

 これで良かったのか、よく分からないところもある。
 ただ、これが乱闘騒ぎにならないための数少ない道だったのだ。大きな騒ぎを起こさないためだから、仕方ない。


 移動した先は、修練場。
 星王に仕える者たちが、その戦闘力を上げるために訓練をする場所らしい。

 ここの来たのは初めてだ。

 しかし、『諦めない心』『挫けない心』『一日百善』などと書かれた紙が壁に貼り付けられていることから、ただならぬ熱さを感じる。

「では、ただいまより! カッタッタとベルンハルトの模擬試合を開始する!」

 挑んできた男性は、カッタッタという名前だったようだ。

「いかなる武器の使用も認めない! 両者とも体一つで戦うこととし、相手を先にギブアップさせた方を勝者とする!」

 ベルンハルトは勝者となれるのだろうか——そういった不安が消えることはない。私の胸には、今もまだ、不安という名の暗雲が立ち込めている。

 けれども、私が不安になったところで何も変わりはしないのだ。

 私が不安になったからといって、ベルンハルトが強くなるわけではない。私が心配したからといって、ベルンハルトの勝利が約束されるわけではない。

 なら、今私がすべきことは、ただ一つではないか。

 不安を与えない。
 意識を極力私へ向けさせない。

 それだけが、無力な私にできる、唯一の協力だ。

「では、両者位置につけ。試合——」

 大丈夫。ベルンハルトならきっと、そう易々と負けはしない。

「開始!」

 カッタッタとベルンハルトの勝負が始まる。

 どのような結末が待ち受けているのかは知るよしもないけれど——今はただ、ベルンハルトがカッタッタに勝ってくれることを願うのみだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.86 )
日時: 2019/01/01 08:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0rBrxZqP)

83話 勝負

 私を含む何人もが見守る中、カッタッタとベルンハルトの勝負は幕を開けた。


 地面を蹴り、先に仕掛けていくのはカッタッタ。

 彼は素早くベルンハルトへ接近すると、拳を大きく振る。しかしベルンハルトは、片腕を使い、その拳の勢いを殺した。

「くそっ!」

 思わず声をあげるカッタッタ。

「まだまだ!」

 カッタッタはもう一方の手で、もう一度殴りかかる。

 しかし、ベルンハルトは読んでいた。

 今度は、襲いかかる拳に対処するのではなく、その手首をがっと掴む。
 そして、カッタッタを放り投げる。

「ぎゃっ!」

 地面に叩きつけられたカッタッタは、短い悲鳴を漏らした。

 しかし、十秒も経たないうちに、カッタッタは起き上がってきた。根性で、という感じの起き上がり方である。

「勝ったと思うなよ!」

 カッタッタは、そう叫びながら、ベルンハルトの方へ再び突っ込んでいく。

 素人の私がこんなことを言うのも問題かもしれないが、正直、「もう少し考えて仕掛けていけばいいのに」と思ってしまった。

「……この程度で勝った気になるほど脳内花畑ではない」

 カッタッタはまたしても殴りかかる。
 攻撃が完全にワンパターンだ。

 ただ、私は内心ほっとしていた。
 攻撃がワンパターンな相手なら、ベルンハルトも戦いやすいだろう。そんな風に思ったからである。

 ベルンハルトは眉ひとつ動かすことなく、カッタッタの拳を、防ぎ、受け流していっている。連続パンチも、ベルンハルトの前には無力だ。

「とぅお! とぅお! ふぁー! とぅおとぅお! とぅお! ふぁー!」

 それでもカッタッタは、拳を繰り出し続けている。
 よほどパンチに自信があるのか。あるいは、それ以外の攻撃方法を知らないのか。そこは分からないが、明らかに効いていないと分かる状況でその攻撃を続けるというのは、ある意味才能かもしれない。

「とぅお! とぅお! ふぁー! とぅお! とぅおとぅお! とぅとぅとぅっふぃー! てぃお! てぃお! ふぁー!」

 妙な声を発しながら、両の拳を交互に突き出す。が、ベルンハルトにダメージを与えるには至らない。

 ——数秒後。

 パンチの隙を掻い潜り、ベルンハルトは蹴りを繰り出した。

「ぐしっ!」

 ベルンハルトの脚は、カッタッタの脇腹を強打する。
 脇腹を蹴られた彼は、その場でしゃがみ込んだ。唇が微かに震えているのが見て取れる。

「……早く終わらせないか」

 カッタッタを見下ろしながら、ベルンハルトはそう言った。
 静かに放たれる冷淡な声は、刃のような鋭さをはらんでいる。その鋭さといったら、どんなものでも切り裂いてしまいそうなくらいである。

「無益な行為に時間を費やすのは、人生の無駄遣いとしか思えない」
「なっ! この勝負を人生の無駄遣いだと言うのか!?」
「……僕からすれば、だがな」

 その瞬間、カッタッタの目の色が変わった。

 活発な雰囲気をまといはしているものの、いたって平凡だった彼の瞳。そこに、熱く燃える炎が宿った。

「俺にとっては重要な勝負なんだ!!」

 目の色を変えたカッタッタは、突如ガバッと起き上がり、ベルンハルトに飛びかかる。

「っ!?」
「どりゃあッ!」

 カッタッタはベルンハルトを床へ押し倒す。いきなりのことに反応しきれず、ベルンハルトは、俯せの状態で押さえ込まれてしまった。

「せい!」

 彼はそれから、床に押し付けたベルンハルトの片腕を強く掴み、捻りつつ引っ張る。ギシギシと音が鳴っていた。

 今のベルンハルトは、見ているだけでも痛みを覚えるような体勢だ。

 途中までは圧倒的な強さを十分に発揮していたベルンハルトであったが、ここに来て、形勢逆転されかかっている。

「悪いが一気に決めさせてもらう!」

 カッタッタは必死だ。
 よほど、自身の強さを誇示したいのだろう。

「ギブアップしてくれさえすれば、すぐに終わるぞ!」
「断る」

 完全に押さえ込まれる体勢に持ち込まれているが、それでも、ベルンハルトはベルンハルトだった。彼は微塵も慌てることなく、カッタッタを鋭く睨んでいる。

「おぉ!」
「カッタッタ、今日は気合い半端ねぇな」
「ボクはうつくしい……」
「おぅ! しっかりしろや!」

 懸命に戦うカッタッタに向けて、応援の声が飛び始める。

「ガンバレクイナ!」
「いけやいけや! 今さら負けんなよ!」
「ボクはやはりうつくしい……」
「しっかりー! 勝てー! やー!」

 凄まじい応援だ。
 いや、もちろん、いつも一緒に鍛え合っている仲間ならば、応援するのは当然といえるのだが。

 ——しかし、相手だけが応援されている状況というのは、複雑な心境だ。

 とはいえ、ベルンハルト側で今ここにいるのは私だけ。リンディアやアスターがいてくれたならもっと応援できたのだろうが、私一人で激しく応援するというのは厳しめである。

「うぉりゃ!」
「……く」
「いい加減ギブアップしてくれよ!」
「……断る」

 パッと見た感じではベルンハルトばかりがやられているようだが、案外そうでもないのかもしれない。というのも、カッタッタも意外と汗をかいていたのだ。

「頼む! ギブアップしてくれ!」
「断る」
「後でロックンロールパフェ奢るから! なぁ?」

 謎の説得が始まった。
 が、ベルンハルトはまったく応じない。

「……そんなことを言うなら、なおさら断る」
「うおい! 何でだ!」
「不愉快だからだ」
「はぁ!? そんなにはっきり言わなくてもいいだろ!」

 俯けに床に押さえ付けられ、しかも片腕をがっちり固められているにもかかわらず、ベルンハルトは涼しい顔をしている。

 厳しく拘束されることに慣れているから——かもしれない。

「くそっ……なら、もういい! こうしてやる!」

 カッタッタはベルンハルトの腕をさらに強く捻る。しかし、ベルンハルトの顔つきが変わることはなかった。

「何をしようが無駄だ。僕は屈しない」
「ぐ……くそ……」

 悔しげに歯軋りするカッタッタ。

「僕を折りたいならば、本気で潰しにかかれ」
「き、きぇぇぇ!」

 ベルンハルトの言葉に刺激されてか、カッタッタは叫ぶ。そして、押さえ付けていたベルンハルトの体を持ち上げた。

 刹那、ベルンハルトの瞳に一筋の光が宿る。

「……かかったな」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.87 )
日時: 2019/01/01 08:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0rBrxZqP)

84話 自覚なき優しさ

 カッタッタに抱え上げられ、足が宙に浮くベルンハルトだが、その表情に緊迫感なんてものは存在していなかった。むしろ、直前までより余裕が生まれているような感じさえする顔つきだ。

 そんな余裕を見せるベルンハルトとは対照的に、カッタッタは必死の形相。

 追い込んでいる側のはずなのに追い込めている気がしない、という状況に、苛立っているようにも見える。

「おい、アンタ! 強がるのもいい加減にし——」
「ふっ」
「ぎゃっ!」

 カッタッタが発する言葉を最後まで聞くことなく、ベルンハルトは、カッタッタの鳩尾へ踵で打撃を加える。

 予期せぬタイミングで打撃を食らったカッタッタは、短い悲鳴と共に、ベルンハルトから手を離した。そして、そのまま床に倒れ込み、眉をピクピクと微動させる。

 素人の私でも、よほど痛かったのだな、と察することができた。

 強烈な一撃を食らわせたベルンハルトは、床に着地すると、その場でゆっくりと立ち上がる。
 それから、冷たく言い放つ。

「まだ続けるか」

 押さえ付けられていたことによる疲労もあるだろう。
 しばらく捻られ続けていた腕には痛みもあるに違いない。

 けれども、今のベルンハルトの様子から、それらを察することはできなかった。

「どうする」

 夜の湖畔のように静かな表情に、感情を感じさせない淡々とした声。それらは、ベルンハルトの今の状態を、見る者に教えてはくれなかった。

 彼とて不老不死の身ではない。だから、ダメージはあるはずなのだが。

「う……く、くそ……」

 鳩尾を踵で強打されたカッタッタは、まだ立ち上がれそうにない。

 打撃を食らってから一二分は経っている今でも、まだ、床に伏せたまま全身を震わせている。

 肉弾戦なんてものを経験したことがない私には、今カッタッタがどのくらい苦しい状態にあるのかは理解できない。が、その様子を見ていると、ある程度想像はつく。

「どうするんだ」
「う……うぅ……」
「継続するのか」
「くそ……ギブ……アップ……」

 刹那、声が飛ぶ。

「カッタッタがギブアップ! よって、ベルンハルトの勝利!」

 それを聞くや否や、私は思わず声を発してしまう。

「やった!」

 私が勝ったわけではないというのに、まるで自分が勝ったかのような嬉しさが込み上げてきた。
 今はただ、純粋に、ベルンハルトの勝利が嬉しい。

「これで終わりだな。では、失礼する」

 ベルンハルトは静かながらはっきりとそう述べ、くるりと身を返すと、私の方へと歩いてきた。


「イーダ王女、これで問題なかっただろうか」
「素晴らしいわ!」

 勝利があまりに嬉しくて、思わず、ベルンハルトに抱き着いてしまった。

「な、何だ。どうしたんだ」
「最後は華麗な勝利だったわね! 見惚れてしまったわ!」

 一時はどうなることかと思ったけれど、ベルンハルトの強さは本物だった。

 相手の知り合いが多いというやや不利な状況下で、しかも、押さえ込まれ続けるというあまり嬉しくない展開。けれども、最後には逆転を見せてくれた。それには感謝しかない。

「本当はもう少し早く終わらせるつもりでいたのだが……」
「いいのよ! 勝ったんだもの!」
「そういうものなのか……」
「えぇ! もちろんよ!」

 ぎゅっと強く抱き締めると、ベルンハルトの胸の鼓動が聞こえてくる。
 温かく愛おしい、彼の拍動だ。

「ところでイーダ王女」
「何? ベルンハルト」
「その……離してはもらえないだろうか」

 気まずそうな顔をしつつ述べるベルンハルト。

「どうして?」
「周囲からの視線が痛いのだが」

 なるほど。
 そう納得し、私は彼から離れた。

 本当はもう少し抱き締めていたかったのだが、彼に嫌な思いをさせてまで抱き締めていたいとは思わない。


 ちょうどその時、カッタッタがやって来た。

「勝負してくれてありがとな!」

 そう言って、彼は手を差し出す。
 警戒心に満ちた表情のベルンハルトとは対照的に、カッタッタは爽やかな表情を浮かべている。

「握手しようぜ!」
「断る」
「熱い戦いを繰り広げた仲だろ。握手しようぜ!」
「断る」
「くっそぉぉぉ!!」

 握手を希望したもののばっさりと断られてしまったカッタッタは、頭を抱えて絶叫していた。

「ロックンロールパフェ奢るから! な? 握手しようぜ!」
「断る」
「じゃあボサノヴァパフェならどうだ!」
「わけが分からない。断る」
「くっそぉぉぉぉぉっ!!」

 ……なぜ同じことを繰り返すのだろう。

 似たようなことを二度も行うなど、無意味だとは思わないのだろうか。非常に謎である。


 その後、私とベルンハルトは修練場を出た。

「お疲れ様、ベルンハルト」

 ゆったりと歩きながら、すぐ隣を歩む彼に労いの言葉をかける。

「……これで貴女の株が上がれば良いのだが」
「そんなことを考えてくれていたの? ベルンハルトったら、優しいのね」
「優しくなどない。ただ、従者が主の評価を下げることは許されないと、そう思うだけだ」

 当てはないが、私たちは歩き続ける。

 私は、できるなら、二人だけでいられる今この瞬間を大切にしたい。
 大勢で過ごすのも楽しいことだが、時にはこうして、静かに語らうことも必要だと思うから。

「やっぱり優しいじゃない」
「いや、それは間違いだ。僕が優しいはずがない」
「優しいわよ。気がついていないだけで」
「そんなことはあり得ないと思うのだが……」

 ベルンハルトは気づいていないのだろう。彼の中にある、大きな優しさに。

 他人から見れば容易に分かっても、本人にはなかなか分からない——そういうことも、世にはある。

「……いつかきっと気づくわ」
「そういうものなのだろうか」
「えぇ。そういうものよ」

 こんな穏やかな時間が、いつまでも続けばいいのに。私は、心からそう思った。

 一歩ずつ、一歩ずつ。
 少しずつ、少しずつ。

 これからも、手を取り合って歩んでいけたなら——。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.88 )
日時: 2019/01/04 02:03
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 69bzu.rx)

85話 十日ほど経過して

 それから十日ほど経過した、ある日。

 父親から呼び出しを受けた。

 星王の間へ呼ばれるなんて珍しい。
 私は、念のためベルンハルトを連れて、星王の間へと向かった。

「来てくれたかぁ! イーダ!」
「それで父さん、話って何?」
「実は、紹介したい人がいてなぁ!」

 最初は、何か叱られでもするのかと不安だった。しかし、父親の表情や言葉から、すぐに、「叱られるのではなさそうだな」と察することができた。

「紹介したい人?」
「そうだ! イーダの侍女にもってこいの女の子だぞぉ!」

 ……侍女、か。

 私としては、もうこれ以上知り合いを増やす気はないのだが。

「じゃ、少し待っていてくれぇ!」
「えぇ」

 今から連れてくるのか。そう突っ込みたい気分だが、取り敢えず、大人しく待っておくことにした。


「紹介しよう! フィリーナちゃんだぁ!」

 父親が連れてきたのは、やや赤みを帯びた濃い茶色の髪と琥珀のような瞳が特徴的な少女——そう、第一収容所で会った彼女だった。

 黒のブラウスに、同じく黒の膝下まであるスカート。そして、その上に乳白色のエプロン。
 そんな侍女の制服を身にまとっている。

「よ、よろしくお願いしますぅ……」

 彼女、フィリーナは、弱々しく挨拶しながら頭を下げる。
 頭を下げる度、軽く波打った肩辺りまでの髪がふわりと揺れる。その様は、非常に女の子らしい。

「侍女として働いてくれるからなぁ! イーダ、仲良くするんだぞぉ!」

 父親がそう言うと、ベルンハルトは一歩前へ進み出る。

「待て。その女が役に立つとは、とても思えないのだが」

 ベルンハルトの冷たい瞳が、父親へ、フィリーナへ、鋭い視線を放つ。

「何を言うんだぁ? やる気は十分だぞぉ」
「彼女は視察の時に一度会ったが、有能と思える状態ではなかった。イーダ王女に仕えるには、能力不足かと」

 ベルンハルトは淡々と述べた。

 それを聞いたフィリーナは、琥珀のような瞳を潤ませる。ほんの数十秒前までは軽く微笑んでいたのに、今は、今にも泣き出しそうな表情になってしまっている。

「ふ、ふぇぇ……。反対ですかぁ……?」
「ベルンハルト! 女の子を泣かしちゃ駄目だろぉっ!」
「だ、駄目ですよね……やっぱり……こんな馬鹿じゃ……」

 数秒後、ついに、彼女の琥珀色の瞳から涙が零れた。
 ぽつり、ぽつり、と。

 それはまるで、雨の降り始めのよう。

「うぅう……」

 両の手を顔へ当て、いかにも女の子らしく泣くフィリーナ。

「ほらぁ! 泣いちゃっただろぅ!」
「僕は関係ない」
「ベルンハルトが能力不足とか言うからだぞぉ!」

 父親に責められても、ベルンハルトは動じない。ぷいとそっぽを向くだけだ。

「謝れよぉ!」
「謝る気はない。僕はただ、真実を述べただけだ」
「女の子が泣いてしまったんだぞぉ!?」
「知るものか」

 ベルンハルトがあまりに淡々と返すものだから、さすがの父親も、謝らせるのは諦めたようだ。
 視線を私へと移してくる。

「イーダは駄目とか言わないよなぁ? いい娘だもんなぁ?」
「あまり増やす気はないのだけれど……」
「うそーん!」

 父親は、眼球が飛び出しそうなくらい目を見開き、唇が裂けそうなほどに口を開けている。星王がこんなでいいのか、と突っ込みたくなるような、凄く派手な表情だ。

「い、いや! でもイーダぁ! 可愛い系はまだいないだろぅ!?」

 可愛い系、て。
 そういう問題ではないだろう。

「だから、さ、ほら! 泣いてるし!?」

 父親は必死だ。これだけ懸命に説得してくるということは、彼としてはフィリーナを私の侍女にさせたいのだろう。

「……分かったわ」
「分かってくれたか!?」

 ここで断ると、余計に面倒臭いことになりそうだ。だから、受け入れておくことにした。

「そこまで言うなら、それでもいいわよ」
「フィリーナちゃんを受け入れてくれるのかぁっ!?」
「えぇ」

 私がそう言うと、父親の顔つきが、ぱあっと明るくなる。

「さすがイーダだぁーっ!」

 父親は両腕を開いて飛びかかってくる。
 私は、咄嗟に横へ移動し、抱き着こうとしてくる父親をかわす。

「へぶっ」

 父親は、飛びかかった勢いのまま、床に転んでしまっていた。

 とても星王とは思えない振る舞いを続ける父親に、フィリーナは困惑した顔。愛らしい顔に、何がどうなっているのか理解できない、というような表情を滲ませている。

 フィリーナが困惑するのも無理はない。
 星一つを治めるという高い位にある星王が、抱き着こうと娘に飛びかかり、しかも避けられているのだから。

「あ、あの……えぇと……大丈夫、なのですか?」

 笑えてしまうほど見事に転倒した父親を見下ろしながら、フィリーナが尋ねてくる。

「えぇ、気にしないで。よくあることよ」
「そ、そうなのですね……」

 フィリーナは、胸に手を当て、安堵の溜め息を漏らしていた。

「それで、その……本当に、侍女として雇っていただけるのでしょうか?」

 安堵の溜め息をついた後、彼女は、私を真っ直ぐに見つめて質問してくる。
 琥珀色の澄んだ瞳には、私の姿だけが映っていた。

「えぇ。父さんに頼まれちゃ断れないもの」
「ほわぁ……。星王様の権力、凄いですね」
「まぁ、そうね」
「ふわぁ……! 凄いですぅ……!」

 胸の前で両の手のひらを合わせ、瞳を輝かせるフィリーナ。

「やはり、星王様にはとてつもない権力が……!」

 権力の話でなぜここまで目を輝かせるのかがよく分からない。

「でも、絶対的な権力があるわけではないわよ」
「そうなんですか?」
「当然よ。世には『絶対』なんてないもの」

 すると、フィリーナは黙り込んだ。
 言わない方がいいことを言ってしまっただろうか? と、少し不安になる。

 しかし、数秒経つと、彼女は明るい笑みを浮かべた。

「……そうですよね!」

 穏やかそうな愛らしい顔に、雲一つない空のような笑みが浮かんでいる。眩しいくらいの、屈託のない笑みだ。

「受け入れて下さって、ありがとうございます!」

 私には、こんなに愛らしく笑うことはできない。
 意味もなく、そんなことを確信した。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.89 )
日時: 2019/01/04 02:04
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 69bzu.rx)

86話 また人が増えた……けど?

 こうして、私の周りには、また人が増えた。

 今度は従者ではなく、身の回りの世話をしてくれる、王女つきの侍女である。

 といっても、従者との違いはいまいち分からない。ただ一つ確かなことは、私の自室に出入りする人が増えた、ということだけだ。


「——で、その娘が侍女になったーってわけ?」

 星王の間を出て自室へ戻ると、そこで待機していたリンディアやアスターに、フィリーナのことを紹介した。

 しかし、リンディアもアスターも、眉間にしわを寄せている。

「そうなの。フィリーナっていうのよ」
「ほう。これまた、若々しい娘が当たったものだね」
「アスターさんは若い女の子が増えて嬉しいんじゃない?」
「いや、まったく。失礼ながら、まったくだよ」

 なぜだろう。二人とも、フィリーナを受け入れてくれそうにない。

「よ、よろしくお願いしますぅ……」

 冷たい態度を取られたフィリーナだが、向けられた冷ややかな視線に負けず、懸命に頭を下げる。
 もっとも、それでもリンディアとアスターの表情が変わることはなかったのだけれど。


 ——翌朝。

 私がベッドの上で目を覚ますと、室内が何やら騒々しかった。

「ちょっとー! 何やってんのよ!?」
「す、すみませんー!」
「ここは王女様の部屋よ、分かっているのー!?」
「は、はいぃ!」

 暫し聞いていると、その騒々しさの原因が、リンディアとフィリーナであることが分かった。

 恐らくは、フィリーナが何かやらかしたのが原因なのだろう。しかし、今私が出ていくと、さらなる大騒ぎになりそうな気がして仕方ない。

 ただ、ずっとこうしていても、いつかは起きているとばれるだろう。
 後から「起きていたの!?」となるのも、少々恥ずかしいものがある。

 そんなことを一人考え、「どうしよう……」と悩んでいた最中。唐突に、アスターが現れた。

「おはよう、イーダくん。目が覚めたのかね」
「アスターさん!?」

 思わず大きな声を出してしまった。恥ずかしい。

「起床早々枯れ果てた男の顔を拝むことになるなんて、と、がっかりしているかな?」
「まさか。そんなことはないわ」

 正直、男の年齢なんてどうでもいい。
 べつに、起きてすぐに美男子を見たいなんて欲望があるわけでもないし。

「ところでアスターさん。あの騒ぎは何?」

 今一番気になっていることを尋ねてみた。
 するとアスターは、呆れたような顔で、口を開く。

「あの侍女の娘が、信じられないほど不器用でね。運んできたトイレットペーパーを部屋中に散乱させたり、花瓶の水を入れ替えようとして洗面所を水浸しにしたり、早朝から色々凄まじいことになっていたのだよ」

 うわぁ……。

「最初はリンディアが色々と手伝っていたのだがね……」
「もっと酷いことがあったの?」
「お疲れ様、と出された紅茶に謎の虫がこんにゅ——」
「お願い! それ以上は言わないで!」

 思わず耳を塞いだ。
 起きるなりそんなことを聞いてしまったら、今日一日、何も飲めなくなってしまう。

「おっと失礼。そう。そういうことがあって、リンディアは、ついに爆発してしまったのだよ」
「そうだったのね……」

 私がのんびり眠っている間に、どうやら、結構凄まじいことが起きていたようだ。眠っていた私は、ある意味ラッキーだったのかもしれない。

「いー加減にしないとアンタ! ほーり出すわよ!」
「ふぇーん! お願いですぅ。それだけは、それだけは勘弁して下さいぃぃぃ!」

 リンディアとフィリーナは、まだ騒いでいる。

「……そろそろ黙らせた方がいいかね?」
「そうね。近くの部屋に迷惑になるかもしれないわ」
「承知。では、私が黙らせてくるとしようかな」
「お願いね」

 本気で怒っているリンディアを、アスターが制止できるとはとても思えない。だが、私になら制止できるという保証があるわけでもないので、ひとまず彼に頼んでおいた。

 若干情けなくとも、師匠は師匠だ。
 きっと何とかしてくれるだろう。


 それから数分経って、リンディアの声が聞こえなくなったため、私はベッドから出ていった。

「おはよう、リンディア」
「……おはよー」

 リンディアは乱雑にソファに腰掛けている。しかも、非常に不機嫌そうな顔で。
 私に挨拶を返してくれたのが不思議なくらいだ。

「お、おはようございますぅ……」

 侍女の制服を身にまとったフィリーナは、おどおどしながら、私に挨拶をしてくれた。

「おはよう、フィリーナ」
「ふぇぇ……お優しい……」

 よく見ると、彼女の着ている服はかなり汚れていた。

 黒いスカートの裾は見ただけで分かるほどに湿っており、エプロンには茶色い染みがいくつもできている。
 まだ朝だというのに、この汚れよう。なかなか凄まじいものがある。

 一日経ったらどうなってしまうのだろう……、という感じだ。

「フィリーナ、朝早くからご苦労様」
「はっ、はいっ! ありがとうございますっ!」

 素直なところは悪くないのだが。

「ちょっと王女様、聞ーてくれなーい?」

 口を挟んできたのはリンディア。
 恐らく、フィリーナに関する文句を言いたいのだろう。

「どうしたの?」
「彼女、ぜーんぜん役に立たないわよー」

 リンディアは一切躊躇うことなく言った。本人が目の前にいるというのに。

「朝から見ていたのだけど、ほぼ、よけーなことしかしてなかったわよ。むしろ、彼女がいることで状況が悪化してるとしか思えないわー」

 フィリーナは俯く。その唇は、微かに震えていた。

「お世辞にも侍女に向いてるとは言い難いわねー」
「そう? まだ慣れていないだけじゃなくて?」
「どう考えても、慣れてる慣れてないの問題じゃないわよー」

 確かに、フィリーナは不器用なのだろう。
 第一収容所で会った時も、また間違った、みたいなことで怒られていた記憶がある。

 だが、父親があれほど推薦していたことには、何か意味があるはずだ。

 もしフィリーナがただの無能であるのなら、あれほど必死に推薦することはないと思うのだが。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.90 )
日時: 2019/01/14 09:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: YJQDmsfX)

87話 恋か否か

 リンディアやフィリーナと会話していると、洗面所の方から、ベルンハルトがやって来た。
 濡れたタオルを持っている。

「……イーダ王女!」

 ベルンハルトは、すぐに私に気づいた。

「おはよう、ベルンハルト。働いてくれていたの?」
「いや、少し手伝っただけだ」
「もしかして、フィリーナの手伝い?」

 すると彼は、ほんの少し黙った後、静かな声で「そうだ」と言った。

「助かるわ、ありがとう」
「……貴女に不快な思いをさせるわけにはいかないからな」
「いい人ね!」
「いや、べつに。そんなことはない」

 言いながら、ベルンハルトは部屋から出ていった。恐らく、濡れたタオルをどこかへ運んでいったのだろう。

 そうして、またベルンハルトがいなくなった時、フィリーナがぽつりと漏らした。

「……優しい方ですよね」

 彼女の柔らかそうな頬は、微かに紅潮している。

 しかも、それだけではない。

 彼女の瞳は、ベルンハルトが出ていった扉を、じっと捉えていた。彼が出ていってから少なくとも十秒は経っているにもかかわらず、である。

「ベルンハルトさん……」

 基本的にいろんなことに疎い私でも、この時のフィリーナの異変には、すぐに気がついた。

 ベルンハルトを見つめる彼女の瞳には、日頃の彼女の瞳にはない輝きが宿っている。そう、あれは——恋する乙女の瞳に宿る輝き。

 間違いない。
 彼女はベルンハルトに好意を抱いている。

 確信した私は、ストレートに尋ねてみることにした。

「ねぇ、フィリーナ」
「は、はいっ。何でしょうか!」

 とうに消えた男の背を眺め続けていたフィリーナは、私の問いによって正気に戻ったらしく、慌ててこちらへ視線を向ける。

「フィリーナは、ベルンハルトのことが好きなの?」

 王女がこんな下世話なことを言うなんて、と幻滅されるかもしれない。が、今はそんなことはどうでもいい、という気分だ。

「え……あ、あのっ……そんなことありませんよ……?」

 怪しい。
 明らかに不自然な言い方だ。

「た、ただ……失敗したのをフォローして下さったので、優しい方だなぁと……」
「本当に、それだけ?」

 なぜ自分がこんなにも、フィリーナがベルンハルトに好意を抱いているのかどうかを気にしているのか、よく分からない。

 ただ、はっきりさせておきたかったのだ。

 フィリーナがベルンハルトをどう思っているのかを。

「本当に……優しい人だと思っただけ? それ以上のことはないと、言い切ることができる?」
「そ、それは誰だって言い切れませんよぉ……」

 彼女はまずは逃げるだろう。それは想定していた。だから、動揺するようなことはなかった。
 が、その先で想定外のことが起こる。

「あたしは言い切れるわよー」

 リンディアがそう言ったのだ。

「アンタの目、見逃さなかったのは王女様だけじゃなーいわよー」

 予想外の発言。
 しかし、今の状況においては、心強い援護でもある。

「フィリーナがベルンハルトを見る目は、恋する女の目。そーいうことでしょ? 王女様」
「……ふと、そんな気がしたの」
「ま、あたしでも気づいたほどだものねー。王女様が気づかないわけなーいわよねー」

 ソファに腰掛けたまま、リンディアはばっさり言う。

「無能なくせに恋はするーっていうのは、侍女なんかに向いてないわー。いや、そもそも、てんけー的な無能よねー」

 今のリンディアには、遠慮なんてものは存在しない。

「こら、リンディア。さすがに失礼ではないかね? それに、無能に無能と言ったら、傷つけてしまうよ」

 アスターは注意する。

 しかし、その注意自体も遠慮がなく、かなり失礼だ。
 間違ったことは言っていないのかもしれないが、少しは柔らかな物言いをできないものだろうか。

「なーによ、善人ぶって。ジジイは黙ってなさーい」
「ジジイ!? 違う! せめて、おじさんと呼んでくれたまえ!」
「じゃ、おじじいさんにするわー」
「おじじいさん!? それはまた、おじさんなのかじいさんなのか分かりづらい!」

 リンディアとアスターの会話は、いつの間にやら、本題から逸れていってしまった。二人は恐らく、もう、フィリーナのことなど忘れているのだろう。

 ……気を取り直そう。

「それで、フィリーナ」
「は、はい……」
「ベルンハルトのこと、かっこいいと思う?」

 質問を少し変えてみることにした。

「それは……はい。いつも凛としていて、さすが王女様の従者、と思いますぅ……」
「優しい、とも思うのよね?」
「はいっ……! それはとても思います。失敗しても、何度もフォローして下さって……優しいです!」

 自覚はないが、実際のところは好意を抱いている——といったところか。

「そうよね。おかしなことを聞いて悪かったわね」
「い、いえ……」

 今は様子を探れただけで十分。

 それにしても、ベルンハルトへの好意絡みになると神経質になる私は、一体何なのだろう。

 こんなことを言っていると「自分のこともまともに分からないのか」と怒られそうな気もするが、実際、私は私を理解しきれていない。

「これからも、その……何でも聞いて下さい」

 可愛らしい顔に安堵の色を浮かべつつ、フィリーナはそんなことを言ってくれる。

「たいして役には立てないかもしれませんが、取り敢えず、答えられることは答えさせていただきますので……」
「ありがとう」
「い、いえ……。こちらこそ、ありがとうございます」

 フィリーナは善良な少女。
 素直に謝るし、純粋に笑う。

 彼女には、悪意なんてものは欠片もない。

 だからきっと、良い関係を築いていけるはずだ。お互いに歩み寄っていけたなら、いつかは仲良しになれるに違いない。

 ただ、そうなるためには、胸に立ち込めたこの薄汚いものをどうにかしなくてはならないだろう。

 そうでなくては、純粋に関わることができないから。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.91 )
日時: 2019/01/14 09:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: YJQDmsfX)

88話 呼びに行こうと

 時の流れとは早いもので、フィリーナが私の侍女になってから、あっという間に数日が過ぎた。

 彼女のことをよく思っておらず批判ばかりしていたリンディアも、日が経つにつれて、段々、厳しいことは言わなくなっていった。

 批判しても無意味だと諦めたからなのか、フィリーナの残念さに慣れたからなのか、そこは分からない。ただ、責められ続けるフィリーナを見るのは心苦しいので、私は、リンディアが厳しいことを言わなくなって良かったと思っている。

 一時はどうなることかと思ったが、取り敢えずは上手くやっていけそうな感じだ。

 また、私の胸を満たしていた黒いものも、時の経過とともに、徐々に消えてきつつある。それは、フィリーナとベルンハルトが特に何も進展していない様子だからかもしれない。

 私の心は少しおかしい。
 王女でありながら、侍女の少女に嫉妬するなんて、どうかしている。

 当初はそんな風に思ったけれど、その黒い気持ちはすぐに小さくなっていってくれたから、いつしか忘れている時間が多くなった。

 単に少し不安定になっていただけだったようだ。


「ん……?」

 数日後の夜、私がふと目を覚ますと、まだ真夜中だった。

 窓の外は暗い。
 カーテン越しでも、そのくらいは分かるものだ。

「起きてしまっただけ……だったみたいね」

 室内には、私以外誰もいない。不気味なほどに、しん、としている。

 ——なぜこんなに、嫌な予感がするのだろう。

 私はベッドの上で、何とも言えない恐怖感に襲われた。
 既存の言葉では上手く説明できないような恐怖感が、津波のように押し寄せてくる。

 確かに、ここのところは、夜も誰かが傍にいてくれていた日も多かった。けれども、誰もいない夜だってあったはずだ。それでも私は、ちゃんと夜を明かすことができた。子どもの頃のように「夜が怖い」と怯えたことなんて、ほとんどなかったと思う。

 ただ、今夜だけは違う。
 何かが違っている。

 そう思う具体的な理由があるわけではないけれど、本能的にそう感じるのだ。

「そうだ……誰か呼びに行こう……」

 所詮予感。確実に何かが起こるという根拠があるわけではない。
 だが、何かが起こってからでは遅いのだ。

 なので私は、ベッドから下りて、人を呼びに行くことにした。

 不気味なほどに静かであることは変わらないけれど、ひとまず明かりを点けてしまえば、恐怖感は少しは緩和された。

 大丈夫。行ける。


 自室を出て、廊下を歩く。
 見慣れた光景のはずなのに、夜中だからか、いつもより不気味に感じる。

 けれども、広い自室で一人ぽつんと夜を明かすよりはましだ。

 だから私は、引き返すことなく、歩いていく。


 しばらくすると、【王女・従者】と描かれた小さな看板のついた扉の前へたどり着いた。

 よくよく考えてみると、私が従者の部屋へ行ったのはこれが初めてかもしれない。が、小さな看板に描かれた名称的に、ここで間違いないだろう。

 私は扉をノックしてみる。

 しかし、返事はない。

 いや、返事がないのは当然だ。今は真夜中なのだから。
 どうしよう、と思いつつ、私は扉のノブを捻ってみた。

「……開いてる」

 意外にも、扉は開いていた。
 これまた不気味な感じはするが、勇気を出して、扉を開けて中へ入ることにした。

 扉を開けて中へ入ると、そこはまた、廊下のようになっていた。中央に細い道があって、その両サイドに部屋がある、という造りだ。

 なるほど、だから扉は開いていたのか。

 まずは入ってすぐ右手側の扉をノックする。しかし反応はない。寝ているのだろう。

 諦めて移動しようとした刹那、扉のすぐ傍に【リンディア・リンク】と文字が刻まれた小さな札が掛けられていることに気がついた。

 どうやら、その札でどこが誰の部屋か分かるようになっているみたいだ。

 リンディアの部屋の向かいの部屋の札を確認する。

 そこは予想通り【アスター・ヴァレンタイン】だった。
 不規則な生活をしていそうな彼なら、夜中でも起きているかもしれない。そんな風に淡い期待を抱きながら、扉をノックする。

 ——が、返答はなかった。

 期待は一瞬にして塵と化してしまった。

「この時間じゃ、普通寝ているわよね……」

 仕方ない、と自分を納得させつつ、奥の部屋へ視線を向ける。
 そして、驚いた。

「えっ……あ、開いてる……?」

 リンディアとアスターの部屋はもう確認した。ということは、ベルンハルトの部屋だろうか。いや、しかし、部屋はその向かいにもあって、そこは閉まっている。ということは、その閉まっている方がベルンハルトで、扉が開いているのは空室だからなのかもしれない。

 色々考えてしまい、混乱する一方だ。

 私は、自分に、取り敢えず落ち着くよう言って聞かせる。こんなところで狼狽えても意味がない、と。

 しかし、この状況で冷静でいることは難しかった。

 不気味なところに一人でいるという状況は極力避けたい。一刻も早く、誰か信頼できる人と合流しなくては。

 私は微かに恐怖心を抱きながらも、じわりじわりと、扉の開いている部屋へ近づいていく。

 ……泥棒になった気分だ。

 扉まであと数歩、という距離まで近づいた時、何やら声が聞こえてきた。
 私は咄嗟に、開いた扉の陰に隠れる。

「……めて」
「い……ない……」

 空室だから扉が開いている、という可能性は消えた。人の声が聞こえてくるのだから、空室なわけがない。

「ほ……や……」
「……して……ば」

 何を話しているのかまでは、はっきりとは聞こえないのだが、男女の声であることは確か。

 まさか、ベルンハルトが女遊びを?

 まさか、ね。

 あんな初々しい彼が、夜中に女遊びなんて。
 やんちゃじゃあるまいし、あり得ないことだ。

 ……いや、気になる。

 ちゃんと確認しよう。そうすれば、この何とも言えない思いは消えるから。


 そう思っていたの。

 ベルンハルトとフィリーナが二人でいるところを、見てしまうまでは。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.92 )
日時: 2019/01/14 09:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: YJQDmsfX)

89話 いや、それはやりすぎ

 扉が開きっぱなしだったから、私は見てしまった。

 一つのベッドに腰掛けて語らっている、ベルンハルトとフィリーナの姿を。

 とても楽しそうな顔をしているわけではなかったけれど、それでも、二人が並んでいる光景には衝撃を受けた。

 もっとも、見たのが私でなかったなら、ここまで衝撃的には感じなかったのかもしれないが。

「あ……」

 思わず声が漏れる。
 そのせいで、ベルンハルトの視線がこちらへ向く。

「イーダ王女?」

 ベルンハルトの凛々しい瞳は、私を捉えた瞬間、大きく広がる。
 そこに滲むのは、驚きの色。

「べ、ベルンハルト……その……何をしているの」
「貴女こそ、なぜここに」

 彼の言葉に、わけの分からない怒りが込み上げる。

「そういうことじゃないでしょう!?」

 私は感情的になった。いつになく鋭い声を発しただろうと思う。

 いつもの私なら、怒りが込み上げたとしても、少しくらい我慢したはず。自分を落ち着かせるように努力もしただろう。

 けれども、今は違った。

「こんな真夜中に女の子と何をしていたのか聞いているのよ!!」

 大きな衝撃を受けたばかりの頭は、完全に理性を失っていたのだ。

「何をそんなに怒っているんだ」

 ベッドから下りたベルンハルトは、こちらへ歩み寄ってきて、私の手を取ろうとした——が、私はその手を強く払った。

「触らないで!」
「イーダ王女、一体どうしたんだ」
「フィリーナと何をしていたの⁉ まずはそれを答えて!」

 分かってはいるのだ。こんな風にベルンハルトを責めても、何も生まれないということくらい。分かっている。私のこの苛立ちは、ただの焦りに過ぎないのだということも。

 フィリーナは可愛い娘だ。素直で、純粋で、穢れもない、天使のような娘。そして、男性なら誰もが、彼女のような人を愛おしく思うだろう。

 きっと、彼女のような人こそが、理想形の女性。

 けれども、私が頑張ったとしても——あんな風になることはできない。

「説明はする。だから落ち着け」
「おかしなことだったら許さないわよ!」
「僕は王女の名を汚すような真似はしない」
「いいから早く話しなさいよ!」

 私はただ、恐れていたのだろう。

 フィリーナのような娘が近くにいたら、今私の傍にいる人を奪われてしまうのではないか、と。

「あ……」

 恐れが苛立ちとなり、衝撃によって激しい怒りへと変貌したのだと思う。

 しかし、その怒りもいつかは落ち着き、その先に待っているのは——虚しさ。

「ご……ごめんなさい。取り乱したりして」

 勝手に不安になって、勝手にいらついて、勝手に怒って当り散らして。
 結局私は、人を傷つけただけではないか。

「お楽しみ中、邪魔して悪かったわね」

 今夜は傍にいてもらおうと考えていたが、私がこんな状態では、「傍にいてくれ」なんてとても頼めそうにない。それに、もし頼んで彼が頷いてくれたとしても、きっとまた当たってしまう。

 それは駄目。そこまで迷惑をかけるわけにはいかない。

「帰るわ」

 私は向きを変え、歩み出す。

 あの不気味な自室へ帰るのは喜ばしいことではないが、非常に気まずい空気の場所にいるよりかはましだと思ったから。

 ——しかし、そんな私の腕を、ベルンハルトは掴んだ。

「少し待ってくれ」
「……離して」
「いや、それはできない」
「……どうしてよ」
「誤解は解消しておくべきだと思うからだ」

 こんな時でも、ベルンハルトは淡々としていた。

「また余計なことを言ってしまうかもしれない。だから、これ以上話さない方がいいわ」

 今話をしたら、またカッとなってしまう可能性がある。カッとなって、心以上の酷いことを言ってしまうかもしれない。だから、私としては、今は話したくない。

「べつに、言いたいことがあるなら言ってくれて構わない」
「……お願いよ、離して」
「それはできない」
「どうしてよ……!」
「このまま別れて、貴女に悪い夢をみせたくないからだ」

 ベルンハルトの口から飛び出した言葉に、私は、暫し何も言えなかった。彼の発した言葉が、予想を遥かに越えてきたからである。

 彼の言葉を聞いた瞬間は、「ふざけているの?」と思ったほどだ。
 が、ベルンハルトの表情は真剣そのものだった。笑わせようとしているとは、とても思えない。

「……悪い夢、ですって? 貴方、こんな時に限って、ふざけているの?」
「ふざけているわけがないだろう。僕は真剣だ」

 でしょうね。真剣な顔をしているわ。

 ただ、言葉はふざけているとしか思えない。真面目に言ったとは、とても理解し難い。

「何をしていたのかは、包み隠さず説明する。だから聞いてくれ」
「……聞きたくないわよ」
「なぜだ。説明しろと言っていただろう」
「あれは……衝動的に言っただけ。本心じゃないわ」

 そこまで言っても、ベルンハルトは離してくれなかった。彼は私の腕を掴んだままだ。

 できることなら逃れたい。

 けれど、恐らく、少し抵抗したくらいでは彼から逃れることはできないだろう。
 力の差が大きすぎる。

「僕とあの女は、ただ、話をしていただけだ」
「……楽しい話?」
「いや、まぁまぁな話だ」
「まぁまぁな話って何よ!?」

 そういう空気でもないのに、思わず突っ込みを入れてしまった。

「失敗の多さに関する話だ」
「し、失敗の……?」
「あまり迷惑をかけるなよ、と」

 そんなことを、こんな夜中に話すものだろうか。

「嘘ね」
「いや、事実だ」
「嘘だわ」
「僕は主に嘘をつくほど卑怯な人間ではない」

 信じられるわけがない。

 ないのだけれど——彼の発言が完全に嘘だとも思えなかった。

 なぜなら、ベルンハルトの瞳が私を真っ直ぐ見つめていたから。嘘をついている時にこんな目はできないだろう、と考えたのだ。

「……そう」
「納得してくれたのか」
「していないわよ!」
「な。そうなのか」

 ベルンハルトは目をぱちぱちさせる。

「そうだな……何なら、僕と彼女の間に情などないと、この場で証明してもいい」
「そんなことができるの?」
「もちろんだ。今ここであの女を殺す」

 ベルンハルトの目が本気だったので、少し怖かった。

「そんなの駄目よ! ……というか、何よそれ!?」
「いや、だから、証明しようと」
「べつに、そこまでしろとは言わないわよ!」

 するとベルンハルトは、首を傾げた。

「そうなのか?」

 いや、そんな可愛い感じに首を傾げられても。
 美少女がするならともかく、青年に首を傾げられても、コメントに困る。

「そうよ。……もういいわ」

 ただ、ベルンハルトとフィリーナがいやらしい関係でないことは、ある程度分かった。今はそれだけで十分だ。

「いいのか」
「今後は、誤解を招くような行動は慎んでちょうだい」
「分かった。なるべく気をつけよう」

 はぁ……何だか一人で疲れてしまったわ……。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.93 )
日時: 2019/01/14 16:52
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: CejVezoo)

90話 傍にいて

「ところで。イーダ王女は、夜中に、こんなところへ何をしに来たんだ」

 話が一段落したところで、ベルンハルトが尋ねてきた。

「……目が覚めたの」
「夜中に一人で自室の外を出歩くなんて、危険すぎる」
「不気味だったのよ……部屋が」

 この場所へ来なければ、ベルンハルトとフィリーナが一緒にいるところなど見ずに済んだ。が、もしあのまま自室にいたら、間違いなく胃を痛めていただろう。少なくとも精神的に疲労したことは確かだし、ろくに眠れなかった可能性も高い。

 そう考えると、まだこちらの方がましだったような気がする。

「不気味、だと? 物音でもしたのか」
「いえ……」
「なら、なぜ不気味なんだ」
「何かがあったわけじゃないの。ただ何となく……嫌な感じがしたのよ」

 本当にそれだけだ。
 あの時は、至って普通の静けさすら、恐怖の対象になっていた。

 単に私がおかしいだけなのかもしれないけれど。

「そうだったのか」
「えぇ……ちょっとどうかしているわよね、私」

 夜は相変わらず静かだ。

 けれど、今は怖いとは思わない。

 それはきっと、ベルンハルトがいてくれるから。信頼できる人が近くにいて、声をかけてくれるからだと思う。

「部屋まで送ろう」

 ベルンハルトがそう言ってくれた。
 その言葉に、私は、天に昇りそうなほどの嬉しさを感じた。喜びと安堵が、胸の奥で混ざり合う。

「……いいの?」
「構わない。従者の勤めだ」
「……あんなに一方的に当たり散らしたのに?」

 すると、ベルンハルトは黙った。

 私の胸に緊張が走る。
 また不快にしてしまっただろうか、なんて思って。

 しかし、数秒の沈黙の後、彼はそっと口を開いた。

「叫ばれることには慣れている」

 発されたのは、意外な言葉。
 しかし、発した彼の顔つきが穏やかなものだったから、嫌みではないのだと判断することができた。

「そうなの?」
「収容所にいた頃は、よく怒鳴られていたからな」
「そっか。そういえば、フィリーナも怒鳴られていたわね」
「……あれは別物だが」

 まぁ、そうよね。ベルンハルトはフィリーナほどどじっ子ではなかっただろうし。

「とにかく、部屋まで送ろう」
「……ありがとう。お願い」
「よし」

 ベルンハルトは淡々とした声を発しつつ、くるりと振り返る。彼の瞳がフィリーナを捉えた。

「もういい。解散だ」
「は、はいぃー……すみませんー……」

 短く述べた後、ベルンハルトは再び私の方へと体を向ける。

「行こう」


 私とベルンハルトは歩く。
 目的地は、私の自室。

「フィリーナに悪いことしてしまったかもしれないわね……」

 彼女のことだ、悪意などなくベルンハルトと話していたのだろう。なのにいきなり私に怒鳴られ、驚いたに違いない。

 申し訳ないことをしてしまった。

「いや、気にする必要はない」
「案外冷たいのね」
「あの女は、夜にいきなり訪ねてきたうえ、半ば無理矢理部屋に入り込んできた。話をしたい、と」
「……冷たくない?」
「そしてずっと帰らない。仕方がないから話していたが、あのままでは睡眠時間がゼロになってしまうところだ」

 ベルンハルトの口から溢れるフィリーナに対する言葉は、意外にも、かなり冷たいものだった。

「だから、イーダ王女が来てくれて、ある意味では助かった」
「……何だか冷たいのね、ベルンハルト」
「問題か?」
「いいえ、べつに」

 私たちは歩き続ける。
 目的地は、私の自室だ。


 しばらくして、自室に着く。
 二人でいるからか、今度は、不気味だとは感じなかった。

「ゆっくり眠ってくれ」
「えぇ、ありがとう」

 ベッドに上り、横たわって、掛け布団を被る。

「その……ベルンハルト」
「何だ」
「今夜は傍にいてくれない?」

 こんなこと、異性の従者に頼んでいいことだとは思えない。が、今さら他の人を呼びに行くというのも面倒だ。

「僕が、か」
「駄目?」
「いや。貴女が望むのなら、それでもいい」

 ベルンハルトはそんな風に言いながら、ベッドの方へと近づいてくる。

「隣にいれば良いのか」
「構わない?」
「分かった。近くにいておく」

 歩いてきたベルンハルトは、ベッドのすぐ近くまで来ると、その場にしゃがみ込んだ。

「ここでいいか」
「えぇ。ありがとう」

 送ってもらったうえ、傍にいてほしいという我儘まで聞いてもらって、感謝しかない。返せるものがないのが少し辛いけれど。

 これでようやく心穏やかに眠れる。

 ——そう思ったのだけれど。

「こんな真夜中まで男とイチャイチャなんて、なかなかやんちゃな王女様やね」

 瞼を閉じかけた瞬間、聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。

「……え?」

 その声がどこから聞こえてきたのか、私は、すぐには判断できなかった。

 ここは私の自室だ。今、この部屋の中に、私とベルンハルト以外の人間がいるということは、あり得ないことである。

 もしあり得たとしたら、それは、勝手に入ってきていたということになってしまう。

「ねぇ、ベルンハルト。今何か……声がしなかった?」
「はっ!」
「え?」
「す、すまない。ついうとうとしてしまっていた」

 寝ていないんだもの、仕方ないわ。

 けど、そんな呑気なことを言っていていいのだろうか。

「あはっ。見つからへんみたいやね。うちがどこにいるか当ててごらーん」

 また声が聞こえた。
 それを耳にしたベルンハルトの顔面が引きつる。

「……ラナか!」
「え? ちょ、あの、ラナって? 誰よそれ」

 ベルンハルトの発言についていけない。

「あの危険な少女だ」
「フィリーナの他の少女にまで手を出していたの!?」
「違う! 断じて!」

 なら一体……あ。

 もしかして、前にも襲撃してきたあの少女の名だろうか。

「前に襲撃してきた女の子?」
「そうだ」
「やっぱり……」
「もう一度言っておくが、手を出した女の名ではないからな」

 ベルンハルトは根に持っているみたいだ。
 手を出していたの、は、さすがに少し可哀想だったかもしれない。

 その時、ベッドの下から一人の少女が現れた。

「ちょっと! うちのこと無視せんといてくれる!?」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.94 )
日時: 2019/01/15 08:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)

91話 再戦は不気味な夜に

 ベッドの下から幼子のように這って出てきたのは、一人の少女だった。

 身長は低めで、あまり凹凸のない体つきをした少女だ。本当のところは分からないが、十四歳か十五歳くらいに見える。
 また、紺色の髪は肩に擦れるほどの長さ。長い、というほどの長さはない。それを、左耳のすぐ上辺りで、乱雑に一つにまとめている。

 あまり飾り気のない容姿だ。

 そんな中で一際目立つ個性的なところは、服装。

 学生が水泳の授業で着る水着をアレンジしたような服で、腰元には、刃部分が波打った不思議な形状の剣がかかっている。

「せっかくかっこよく登場したろうと思ってたのに、何やねん! もう! こんな登場やったら、全然かっこよないわ!」

 その少女は、ベッドの下から完全に抜け出すと、素早く立ち上がる。

「困るわ! ちゃんとした対応してもらわな!」

 素早く立ち上がってから、少女はそんなことを言った。

 敵なのだろうから、こんなことを言っていては駄目なのかもしれないが……頬を膨らませているところがとても愛らしい。

「やはりラナか」

 ベッドのすぐ傍に待機していたベルンハルトは、警戒心を剥き出しにしながら立ち上がる。

「あ、名前覚えててくれたんや? 嬉しいわー」
「何をしに来た」
「兄ちゃん、意外とせっかちやね」

 少女——ラナは、くふっ、と笑みをこぼす。

「真剣な話をしているんだ。笑うところじゃない」
「ま、それもそうやね」

 適当な返しをしながら、ラナは、腰にぶら下げている剣を手に取る。

「か弱い王女様だけならともかく、兄ちゃんもいるんやもんな、笑ってられへんわ」
「狙いはイーダ王女か」
「そうそう。しっかしまぁ……ドジ女はまたしっかりドジったんやな」

 やれやれというような動作をとるラナ。

「……ドジ女?」
「名前は確かー……フィリーナやったっけ」

 ラナの発言に、ベルンハルトの目つきは一段と鋭くなる。

「フィリーナ、だと」

 そんな……。

「確かそんな名前やった気がするわ」
「彼女もお前らの仲間か」
「厳密にはちゃうんやけど、ま、半分仲間みたいな感じやな。同じ依頼主から同じ任務を貰ったって意味では、仲間と言えると思うわ」

 ラナは何やら楽しげな声色でそんなことを話す。他人が驚き戸惑うところを見るのが楽しいのかもしれない。

「そうか。あの女、やはり敵だったか」
「びっくりしないんや?」
「あれほど能力のないやつが王女つきの侍女になるのはおかしいと思っていた」

 淡々とした調子で述べながら、懐からナイフを取り出すベルンハルト。

「一人になったイーダ王女を狙いでもする作戦だったのか」
「そんなとこやな」
「卑怯の極みだな。けれど、卑怯者であってくれる方がいい。その方が、僕もやりやすい」

 ラナとベルンハルトは普通に話している。どちらも武器を持ってはいるが、手を出そうとしている感じはまだない。

 しかし、このまま時が経てば、いずれは戦いに発展してしまうことだろう。

 殺意を向けられることは怖い。けれど、それよりずっと恐ろしいのは、ベルンハルトが傷つくこと。
 あるいは、従者が負傷すること、とも言える。

「こっちから行くで!」
「ここで暴れるな」

 先に仕掛けよう動いたのはラナ。
 しかし、先に放たれたのはベルンハルトの蹴りだった。

 彼の蹴りをラナは咄嗟に防ぐ。が、勢いを殺しきれなかったのか、数メートル後ろへ飛ばされていた。

 ベルンハルトとラナの位置が、ベッドから一気に離れる。
 これで少しは動けそうだ。

「いきなり蹴るんはなしやろ!」
「何とでも言えばいい」
「そんな生意気言ってられんのも今だけや」

 ラナは剣を左手で持つと、柄の部分に設置されている一枚の歯車を、くるりと一周回転させる。

 何だろう?
 そう思っていると、ラナの右腕が変化し始めた。

 小さな体にまったく似合わない、太い腕と巨大な手。しかも、手のひら部分以外すべてに、深緑の鱗が張り付いている。また、指先には長く鋭い爪が生えている。

 とても人間のものとは思えない腕だ。

「……またそれか」

 ベルンハルトは目を細める。
 私はラナの腕の変化に動揺を隠せなかったが、彼は驚いてはいないようだった。

「そうや。これはうちの武器の一個やからね」

 ラナの右腕は、今や、化け物の腕。
 直視できるものではない。

「知ってる? うち、小さい頃は第一収容所にいたんよ」
「……だったら何だ」
「うちはそこで、強化人間を作る実験のために、手術を受けさせられてん。やからこんなことができるってわけ」

 ラナは本当によく喋る。
 刺客とは思えないくらいのお喋りだ。

「ま、実験は破綻したみたいやけどね」
「……時間稼ぎか」

 ベルンハルトは怪訝な顔で発する。

「何やそれ! そんなせこいこと、するわけないやんか!」
「……違うのか」
「時間稼ぎなんかせーへんわ。そんなんせんでも、うちは強いもん!」

 直後、ラナはベルンハルトに飛びかかった。
 ベルンハルトは咄嗟に飛び退く。

「遅いわ!」

 着地したベルンハルトに向けて、ラナの巨大な手が振り下ろされる。

「一発で終わらせたる!」
「……あまりなめるなよ」

 ラナの巨大な手を、ベルンハルトは、すれすれでかわす。

「ふっ!」

 そして、ナイフを振る。
 銀色に煌めく刃が、ラナの左腕を切り裂いた。

「……ちっ。わりとやるやん」

 しかしラナは、腕をナイフで切りつけられたくらいでは止まらない。彼女の瞳には、まだ、戦う意思が宿っている。

「ここからは本気やで!」

 ラナはベルンハルトに再び接近する。

 目にも留まらぬ速さで。

 そして、彼の前まで来ると、姿勢を低くする。
 それでもベルンハルトの目は、ラナの姿を確かに捉えていた。

「とぅおりゃ!」

 ラナは背の低さを活かし、低い位置でベルンハルトに突進する。

 それに気づかないベルンハルトではない。が、高さに結構な差があるため、彼は適切に対応しきれなかった。

「……っ!?」

 ラナに突き飛ばされたベルンハルトは、バランスを崩し、転倒とまではいかないがよろける。

 恐らく、それがラナの狙いだったのだろう。

 体勢を保ちきれないベルンハルトに向かって、ラナは、巨大な手を振った。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.95 )
日時: 2019/01/15 08:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)

92話 もう一つの作戦

 ——同時刻、王女つき従者の間。

 ベルンハルトはイーダと共に去っていき、リンディアとアスターは自分の部屋の中にいるため、王女つき従者の間にて活動しているのはフィリーナ一人だけ。

「ふ、ふわぁ……! 失敗してしまいましたぁ……! ど、ど、どうしましょう……」

 フィリーナは両手で口元を押さえながら、そんなことを漏らす。誰に、ということはなく、独り言のように発しているのだ。

「上手くいってると思っていたのに、まさかあんなことが起きるなんてぇ……うぅ」

 そんな風にして、フィリーナが落ち込んでいた時。
 キィ、と音をたてながら、扉が開いた。

「見事な失敗でした」

 そこに立っていたのは、一人の女性。
 灰色がかった水色の髪を、頭の右側で一つに束ねている、静かそうな人だ。

 ——そう、彼女は、かつてアスターがランプで殴って倒した刺客。

「ど、どなたですか……?」
「ご心配なく。味方です」

 いきなり見知らぬ者が入ってきたことに、フィリーナは怯えていた。

「向こうはラナが仕留めます。わたしと貴女で、こちらに残っているあのじいさんを片付けましょう」
「え? あの……えっ?」

 フィリーナは、まったくと言っても過言ではないほど、女性の話についていけていなかった。唐突に言われたことを確実に理解する能力は、フィリーナにはなかったようだ。

「貴女の名は、フィリーナで良いのでしたね」
「ふぇ? どうして名前を……」
「シュヴァルさんから聞きました」
「ふえぇ……そうだったんですか……!」

 灰色がかった水色の髪をした女性は、何も発することなく、口角だけをくいと持ち上げる。

「わたしのことはミストと呼んで下さい、フィリーナ」
「は、はいっ!」

 物静かな女性——ミストに対し、フィリーナはハキハキと返事をする。フィリーナのことだから、ちゃんと状況を飲み込めてはいないのだろうが、少しはやる気があるようだ。

「それで、何をすれば……?」
「フィリーナは、アスターを起こして下さい」
「夜中ですよ? 無理ですぅ……」
「そういう問題ではありません。非効率的な発言は慎んで下さい」
「はうぅ……」

 フィリーナは、がっくり肩を落とす。

「貴女は、アスターを個室の外へ連れ出して少し時間を稼ぐだけで構いません。仕留めるのはわたしがやります」

 淡々と述べるミストの瞳の奥には、憎しみの光が宿っている。

「あの、戦いはミストさんにお任せして、本当にいいんですか……?」

 恐る恐る質問するフィリーナ。

「構いません。むしろ、わたしがそれを望むのです」
「どうして……ですか?」
「あのじいさんには恨みがあるからです」
「……恨み、ですか? ふえぇ……怖い……」

 フィリーナは身を縮める。
 彼女は、恨み、という言葉に怯えているのだ。

「ランプで殴って気絶させられたのです、恨みがないわけがないでしょう。それに、シュヴァルさんがいなければかなり危ないところでした。危うく投獄されるところです」

 意外にも、今日のミストはよく話す。

「では、わたしは隠れて待機しておきます。フィリーナ、今度はしっかり頼みますよ」
「はっ……はいっ!」

 ミストの言葉に、フィリーナは一度大きく頷く。

 フィリーナは既に一回失敗している。だからこそ、彼女は真剣なのだろう。もっとも、真剣になったことで何かが変わる保証があるわけではないのだけれど。


「あ、あのぅ……夜中に失礼します!」

 フィリーナは、アスターの部屋の扉を、コンコンとノックする。しかし返事はない。それでも彼女は諦めず、ノックを続ける。

「すみませんー! 今少し構いませんかー?」

 待つことしばらく。
 扉の向こう側、部屋の中から、足音が聞こえてきた。

 フィリーナの喉が上下する。

 それから十秒ほど経過して、カチャと鍵の開ける音が鳴った。そして、ゆっくりと扉が開く。

「……こんな夜中に、どなたかね?」

 出てきたアスターは、寝巻きに身を包んでいるうえ、眩しそうに眉を寄せている。目も半分くらいしか開けていない。

「あ、あのっ……フィリーナ、です……」
「フィリーナ? えぇと……あぁ。侍女かね」
「はいっ」
「困るよ、こんな時間に起こされては」

 寝起きだからか、アスターはいつもより不機嫌だった。

「それで、用は何かね?」
「えと……少し見ていただきたいものがあって……」

 フィリーナは嘘をつく。
 申し訳なさそうな顔をしながら。

「なぜ私なのかね。夜勤の警備員でも呼べばどうかな」
「アスターさんにでないと……頼めないんですぅ……」

 断りづらいことを言われたアスターは、はぁ、と溜め息を漏らす。

「仕方ない、行こう。ただし、早めに終わらせてくれたまえ」
「ありがとうございます……!」

 フィリーナは明るい笑みを浮かべた。
 屈託のない、真っ直ぐさのある笑みを。

 それから彼女は、アスターを連れて、ベルンハルトの部屋の方へと歩き出す。アスターは、まだ眠そうな顔をしているが、フィリーナについていく。

 もちろん、行き先はない。

 アスターに見てもらいたいものがあるというのも、完全に嘘。

 が、屈託のない笑みを浮かべたフィリーナを見て彼女が嘘をついていると分かるはずもない。そんなことが分かる者がいたとしたら、その者の感覚は、とうに人間の域を超越している。

「……どこへ行くのかね?」
「ここなんですぅ」

 フィリーナはしゃがみ込む。

「ここの、床の隙間のところに」

 アスターも床にしゃがみ、懸命に目を凝らす。しかし何も見えなかったらしく、怪訝な顔で首を傾げる。

「床の隙間? うぅむ……老眼のせいか、あまり見えない」
「ここ、ここ。この隙間なんですよぅ」
「隙間? いや、だから、隙間が見当たらないのだが……」

 しゃがんだまま床を凝視するアスター。

 その背後に、大きめのクナイを持ったミストが迫る。
 ミストは、対象物であるアスターに気づかれぬように、ゆっくり彼へ接近していく。音も出ないしっとりした足取りで。

 そして——アスターの背に、クナイを振り下ろした。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.96 )
日時: 2019/01/18 00:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XsTmunS8)

93話 漏れる声

 ランプで殴られたことをいまだに根に持っているミストは、一切躊躇いのない顔つきで、アスターに向けてクナイを振り下ろす。

 ——しかし。

 背後から武器が振り下ろされる気配に気づいたアスターは、咄嗟に振り返り、身を捻った。

 ミストのクナイは、アスターの首筋を抉る。

 ただ、咄嗟に回避する行動をとっていたため、深く抉られずに済んだ。

 アスターからすれば幸運。
 しかし、ミストからすればかなり悔しい結果だろう。

「……いきなり襲いかかるのは、少々卑怯ではないかね?」

 アスターは、首筋の抉られた部分を手で押さえながら、数歩下がってミストから離れる。
 首筋の傷口からは、赤いものがポタポタと落ちている。が、その表情に焦りはない。アスターはかなり落ち着いている。

「ホテルではお世話になりました」
「ん……?」
「今日はお返しをさせていただきます」

 ミストは冷ややかな声でそう宣言すると、右手にはクナイ、左手にはステッキを、それぞれ持つ。

「お覚悟を」

 それに対し、アスターは呆れ顔になる。

「やれやれ。武装してもいない相手に武器を持って襲いかかるなど、淑女のすることではないよ?」
「ご心配なく。わたしは元より淑女ではありませんから」
「……そうかね」

 眉間にしわを寄せるアスター。

 アスターとミストが対峙している時、フィリーナはというと、こそこそとその場から退散していっていた。

「君は、こんな老人を虐めて、楽しいのかね?」
「もちろんです」
「ほほう……なかなか素晴らしい性癖だね」
「性癖というよりは、やられたことはやり返す主義という方が相応しいかもしれません」

 冷たい声色でそんな風に言いながら、ミストはステッキをアスターへ向ける。

「遠慮なく、いかせていただきます」

 直後、ステッキの先から空気の塊が発射される。

 アスターは横へ素早く走り、その空気の塊を避けた。

 しかし、ミストの空気砲攻撃はまだ続く。一秒に二発くらいの速度で、アスター目がけて、空気の塊を発射し続けるのだ。

 無論、そう易々とやられるアスターではない。

 彼は、年老いた体ながら、それなりに激しい動作で迫りくる空気の塊をかわし続けていた。

 しかし、それもいつまでもは続かない。激しい動きを続けた体には疲れが溜まっていたようで、ついにバランスを崩して転んでしまった。

「ぐっ」

 片方の手を首を押さえることに使っていたため、転倒の際に片手しか床につけず、アスターは苦痛の声を漏らす。

「くはっ!」

 そんなアスターの背に、空気の塊が命中した。

「何をするのかね⁉ 危ない……!」
「少しは苦しんで下さい」

 ミストの空気砲攻撃を背に受けたアスターは、顔をしかめつつも、徐々に上半身を起こしてくる。
 だが、その途中で、アスターは突然崩れ落ちた。

「な……」

 アスターの額を汗が伝う。

「力が入ら、ない……?」
「効いてきたみたいですね」
「な。効いてきた、とは何かね……」

 顔に動揺の色を浮かべるアスターに、ミストはそっと答える。

「毒です」

 彼女は、珍しく笑みを浮かべていた。

「最初に攻撃した時のクナイに、毒を塗っておきました。あれだけ動き回れば、効きも早いでしょうね」

 アスターは、床に倒れ込んだ体勢のままで、ミストのことをじっと見ていた。その額や頬には、透明な汗の粒が無数に浮かんでいる。

「ありがちな作戦ではありますが、上手くはまってくれて助かりました」
「毒……とは、強烈だね」
「お楽しみはここからです。移動する能力を奪って、初めて、切り刻むことができるのですから」

 毒が回っている。
 もう、まともには動けない。

 そんな状況でも、アスターはまだ諦めてはいなかった。ゆっくりとゆっくりと、体を起こそうと努力している。

 けれど、そんな努力も空しく。

「ぐあっ!」

 空気砲による追撃を受け、アスターは再び倒れ込む。

「じっとしていて下さい」

 言いながら、ミストはアスターの肩にクナイを突き立てる。

「ん!」

 既に抵抗する力を奪われているアスターには、ミストのクナイから逃れる術はない。彼はもう、蜘蛛の巣にかかった獲物も同然だ。

 逃れることはできない。
 やり返すことも不可能。

 今のアスターには、ミストの思いのままにやられる以外に道はないのである。

「よくもランプで殴ってくれましたね。武器でない物で他人を殴るような人間には、罰が必要です」

 肩に、手の甲に、太ももに。
 アスターの体のあちこちに、クナイが突き刺さっていく。

 もちろん、刺していくのはすべてミスト。

「つぅっ……!」
「ところでアスター・ヴァレンタイン。貴方は、シュヴァルさんを裏切ったそうですね」
「……裏切った? 違う。ただ、彼にはついていけなくなったのだよ……」
「依頼主はお客様、お客様は神様です。なのに、それを裏切るなんて。信じられません」

 アスターは荒い呼吸をしながら返す。

「私も一人の……人間だよ。自分の意思というものも……存在しないわけではない……」

 しかし、少し話したくらいでミストの思考は変わらない。彼女がアスターへ向ける視線は、まだ冷ややかなままだった。

「己の意思より、依頼主の意思を優先する。それは、裏の仕事を受けたのならば当然のことではないですか」
「それもそうだ……確かに、自分を優先した私は……ある意味、失格と言えるかもしれない……」

 このままでは、アスターはミストに負けるだろう。抵抗する手段を失い、体力もかなり削がれてしまっているのだから。

 もっとも、リンディアが起きれば話はまた別かもしれないが。

「ただ、悔いはないよ……」

 唇さえ、徐々に動きづらくなってきている。しかし、それでもアスターは口を開いた。話すことを止めはしない。

「若く綺麗な命が奪われる……ことを、避けられる、なら……それで……良いとも」

 アスターはそこで意識を失い、壊れたおもちゃのように動かなくなった。

「……非効率的ですね」

 ミストは独り言のように漏らし、歩き出す。

「さて、ラナのサポートに回りましょうか」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.97 )
日時: 2019/01/18 00:24
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XsTmunS8)

94話 剣とナイフ

「ちょ、かわすとか! 空気読まなすぎやろ!」

 驚き、叫ぶラナ。

 彼女が叫んだのは、彼女の化け物のような手による攻撃を、ベルンハルトが避けたからである。

 攻撃された時、ベルンハルトはバランスを崩していた。それゆえ、ラナの手が命中する可能性はかなり高かったのだ。しかし、そんな中でも、ベルンハルトは回避した。

 だから、ラナが驚くのも無理はない。

「空気など、どうでもいい」

 攻撃を回避したベルンハルトは、冷ややかな視線をラナへと向ける。

 そんな彼の背に向かって、私は発する。

「ベルンハルト。誰か呼んできた方がいい?」

 すると、彼は静かに返してきた。

「いや、貴女はそこに隠れていてくれ。被害が拡大したら困る」

 確かにそうかもしれない、と思った。

 私はベルンハルトのことを心配して「誰か呼んできた方がいい?」と言ったけれど、狙われているのは彼ではなく私なのだ。つまり、私が下手に動けば、ラナが有利になってしまうのである。

 危なかった……。

 ろくに戦えもしないくせにすぐ人を呼びに行こうと考えてしまうのは、私の悪い癖だ。

「誰か呼んできた方がいいんちゃう? このままやったら、二人とも、うちに殺されてまうで」

 ラナはそんなことを言う。
 けれども、ベルンハルトは動揺しない。

「そちらが殺すつもりなら、こちらも殺すつもりでいく」
「はーっ。さすがは従者、結構勇ましいやん」
「もう逃がす気はない。今回こそ、確実に仕留める」

 ベルンハルトは、ラナから距離を取りつつ、胸の前でナイフを構える。

「ふん……ならやってみ!」

 鋭く叫び、駆け出すラナ。
 彼女の瞳は、今や、ベルンハルト一人しか見ていない。

 また巨大な手による攻撃か——と思ったのだが、そうではなかった。ラナは、手ではなく剣を使う作戦に変えたようだ。

 ちなみに剣とは、刃部分が波打った形状をした剣のことである。

 ラナは背が低く、体つきも細めだ。たくましい、なんてことは決してない。にもかかわらず、しっかりと剣を操ることができていた。ベルンハルトを仕留めるには至らないものの、慣れた手つきで剣を扱っている。

 ベルンハルトはナイフ。ラナは剣。
 扱う武器は違うが、その実力は、ほぼ互角と言っても差し支えないだろう。

 だからこそ、決着がつかない。

 二人の戦いは、それからもしばらく続いた。

 ベルンハルトは、ラナからの攻撃を上手く防ぎつつ、隙をついて反撃を仕掛ける。一方ラナは、低い位置から緩急のある動きで、積極的に攻めていく。

 戦闘スタイルにそれぞれ個性を持った二人の戦いは、時間が経つにつれ、どんどん激しくなっていった。

 私は無力で、何もできない。それゆえ、ベルンハルトの力になれない。彼が勝てるようにサポートしてあげられないことが、何より辛かった。

 だが、そんなことで悩んでいてはいけない。
 共に戦うことのできない私が彼のために唯一できることは、足を引っ張らないこと。つまり——彼の弱点となってしまわぬよう細心の注意を払うことだ。

「もう、ホンマ嫌やわ! こんなことしてたら朝が来てまう。王女様一人って聞いてたから、はよ帰れると思ってたのに!」
「あの女がいなければ一人だったのにな」
「ホンマそれ! いらんことするとか、役立たなすぎや!」

 声だけを聞いていると、友達同士の会話のようにも聞こえる。が、実際は違う。実際は、戦いながら言葉を交わしているのだ。

 私なんかは、とても入っていけそうにない。

「仲間が無能とは、不幸だったな」
「そうやな。そっちも、弱い弱い王女様を護らなあかんとか、不幸やね」

 ドキッ。

 心臓が大きく脈打つ。

「それとこれとは話が別だ」

 ベルンハルトはラナの腹部へ蹴りを繰り出す。その蹴りを、ラナは、素早く後ろへ飛び退くことでかわした。

「そうなん? うちからすれば、どっちも同じようなもんやと思うけど」
「イーダ王女は仲間ではない」

 ラナを鋭く睨みつけるベルンハルト。

「ふーん。仲間やと思ってないんや? 意外やわ」
「……何を言いたい」
「王女様のこと、仲間やと思ってないんやろ? 仲間でもない人を護るとか、変やと思わへんの」
「仲間ではないが、主ではある。それゆえ、護ることを変だとは思わない」

 そう述べるベルンハルトの顔つきは、真剣そのものだ。声も表情もとにかく真っ直ぐで、そこに迷いなんてものは存在しない。

「ふーん、そうなんや。うちには理解できへんわ。何でそこまで王女様に尽くすん? 説明してみてや」

 ぴょんぴょんと左右に跳び跳ねながら、ラナはそんなことを発する。

「敵に説明する気はない」
「あ。もしかして、よく分からんと護ってるん? そしたら、何となく、なんや」
「……従者になるよう求められたから。ただそれだけだ」
「ホンマにそれだけなん?」
「それ以外に何があると言うんだ」

 刹那、ラナはベルンハルトに向かって駆け出した。そのまま、彼の横側へ回る。

「べっつにー。ただ……」

 そして、目にも留まらぬ速さで剣を振り下ろす。
 ベルンハルトはその刃を、少しだけ移動することでぎりぎりかわした。

 ——が。

 そんな彼の体を、ラナの巨大化した手が凪ぎ払った。

「たいした利益もないのに体を張るってことは、特別な感情でも抱いてるんかなーと思っただけや」

 ベルンハルトの体は向こう側の壁まで飛んでいく。その様は、まるで、蹴飛ばされた空き缶のよう。
 巨大な手に凪ぎ払われたベルンハルトは、壁に激突し、床に落ちる。

「……っ」

 彼は詰まるような息を吐きながら、すぐに上半身を起こした。

 引っ掻く攻撃ではなかったため出血はなさそうだ。しかし、硬めの壁で体を強打している。そのため、痛みはあるようだ。

「さぁ王女様。うちの手柄になってもらおか」

 ラナが私へ歩み寄ってくる。
 ここには、もはや、私を護ってくれるものはない。ベルンハルトも、すぐに戻ってくることはできないだろう。

「そろそろ失敗は許されへんからね。躊躇なくいかせてもらうで」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.98 )
日時: 2019/01/20 13:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hAr.TppX)

95話 魔の手から逃れよ

 じわりじわりと歩み寄ってくるラナの瞳は、確かに私を捉えている。

 このままではまずい。
 このままでは、仕留められてしまう。

 反撃する術を考えたいところではある。が、考えても無駄かもしれない。私が何かしようと、ラナには通用しないだろうから。

 彼女はベルンハルトと互角に戦えるほどの力を持っているのだ。

「……こ、来ないで!」
「悪いけど、それは無理やわ」

 ラナは徐々に寄ってくる。私は徐々に後ろへ下がる。

「お願いだから、待って。武器を置いて。話をしましょう」

 ベルンハルトが「イーダ王女!」と叫ぶのが聞こえた。けれど、視線を彼へ移すことはできない。彼の方を見たのがほんの数秒だけであっても、その隙に、ラナに殺られそうな気がしたからである。

「話? 今さら何を言い出すんや。そんなん無理に決まってるやろ」

 ラナの濃紺の瞳に、ジロリと睨まれてしまった。

「不愉快やわ!」

 私に向かって振り下ろされる手。それを私は、ベッドの後ろへ回ることによって何とか避けた。

「危ないじゃない! 止めて!」
「ちょこまか逃げんな!」
「逃げるわよ! 死にたくないもの!」

 しかし、まだ終わってはいない。
 というのも、ラナが、またしても巨大な手を振り上げたのだ。

 もう一撃来る。

 本能的に、そう察した。

 ただ、察することができたところでどうしようもない。攻撃される察することは大事だが、最重要なのは攻撃をかわすことだからである。

「観念しぃや!」

 巨大な手が迫る。

 今度こそ、逃げ場はない。

 私はこんなところで死ぬのか。大人しく殺られる道しかないというのか。ベルンハルトやリンディアなんかと出会い、ようやく、少しずつ幸せになってきたというのに。

 ——嫌だ。

 迫る手を見ながら、初めて、はっきりとそう思った。

 ずっと流されるように生きてきたけれど、今この瞬間だけは、流れに逆らいたいと強く思った。

 終わりにするのは嫌だ。
 私はまだ、この人生を続けていきたい。

 イーダ・オルマリンとして、この人生を……。

「イーダ王女ッ!!」


 …………。


 はっ、と正気を取り戻す。

 その時、ちょうど、ラナの顔面に枕が当たっている瞬間だった。

 私が投げつけたのだろう。はっきりとした記憶はないが、恐らく、半ば無意識のうちに投げつけたに違いない。

 柔らかい枕ゆえ、ラナにダメージを与えることはできていないだろう。しかし、顔面に命中したことで、彼女の動きが止まっている。

 これは絶好のチャンス!

 そう思い、私はベルンハルトがいる方へと走った。

「ベルンハルト!」
「イーダ王女!」

 懸命に駆ける私を、彼は温かく迎えてくれた。

「無事か、イーダ王女」
「えぇ。平気よ」

 ベルンハルトも取り敢えずは大丈夫そうだ。

「ちっ! 案外素早いやん!」

 ラナは舌打ちしつつ顔をしかめている。

「枕で隙を作るとは、なかなか面白いな。イーダ王女にそんな頭があるとは思わなかった」
「ほぼ無意識よ」
「なるほど。それなら納得だ」
「少し失礼じゃない……?」

 余裕が生まれたからとこんなことを言うのは調子に乗りすぎかもしれないが——正直、彼女は詰めが甘いと思う。

 無論、詰めが甘い彼女が相手だったから生き延びられたわけだから、感謝すべきことなのだが。


 その時、扉が開く。


 私は一切迷いなく思った。
 異変を察知したリンディアが、様子を見に来てくれたのだと。

「やはり交戦中でしたか」

 が、それは間違いだった。
 現れたのはリンディアではなく、前にホテルでアスターが気絶させたあの女性。

「なぜここに……」

 思わずそう漏らしてしまう。

「こんばんは。なぜ、なんて聞かないでいただきたいものですね」
「どうしているの? 確か、貴女の身は父さんに引き渡したはず……」
「効率的に復活しました」

 そんな馬鹿な、という気分だ。

 このタイミングでラナ側の人間が増えるなんて……。

「ミスト! 何で来たん!?」
「ラナが苦戦しているかもと思ったからです」
「何やそれ! うちが苦戦なんかするわけないやろ」

 以前アスターにランプで殴られた女性は、ミストという名前のようだ。
 ラナとの会話から、それを察することができた。

「苦戦していたのではないのですか」
「ミスト! うちは苦戦なんかしてへん! 勘違いせんとってくれる!?」
「分かりました。これ以上は言いません」

 ラナとミストは、話し終えると、二人揃って私たちの方を向いた。

「これで二対二です」

 ミストは淡々とした調子で言ってきた。

 だが、それはおかしい。

 確かに、人の数ということでならば、二対二だ。しかし、向こうが二人とも強いのに比べて、こちらは戦闘要員がベルンハルト一人しかいない。つまり、戦うとなると二対一になってしまうのだ。

 今この状況で戦闘が勃発すると、明らかにこちら側が不利である。

「ま、来てしまったら仕方ないな。ミスト。ここからは二人で仕掛けるで」
「そうですね。効率的に仕留めましょう」

 敵が増えてしまうとは、アンラッキー。
 こちらにも仲間が増えないものだろうか……リンディアとか。

「どうする? ベルンハルト。このままじゃまずいわ」
「まともにやり合っては、かなり不利だろうな」

 ベルンハルトは落ち着いた口調で返してきた。
 こんな状況におかれていながら、落ち着きを保っていられるなんて。私には絶対に真似できない。

「何とかならないのかしら」

 すると、ベルンハルトは私の手首を掴んだ。

「えっと……何をするつもり?」
「一旦退く」

 数秒後。
 ベルンハルトは私の手首を掴んだまま、扉に向かって駆け出す。

 私は彼に引っ張られるまま、扉の方へと進んでいった。

「ちょ、逃げるんかいっ!」
「逃がしません」
「追うで! ミスト!」
「分かっています」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.99 )
日時: 2019/01/20 13:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hAr.TppX)

96話 駆けて、駆けた

 ベルンハルトに手を引かれ、私は廊下を駆ける。

 日頃ならロマンチックとも思えそうな状況だが、今は、そんな風にはとても思えない。殺す気満々の人たちに追われているからだ。

「ねぇベルンハルト! どこへ逃げるつもりなの!」
「リンディアたちを起こす」

 走りながら、私は問い、彼は答える。

「従者の部屋に行くってこと?」
「そうだ」
「起きてくれるかしら……」
「緊急用の連絡手段がある」

 ラナらの魔の手から逃れるべく、私たちはひたすら走る。

 止まることは許されない。ほんの数十秒止まっただけでも、ラナたちに追いつかれてしまうから。

 それにしても、凄い速さ。
 ベルンハルトが手首を掴んでいるため、私も、彼の速さに近い速さで走っている。時折宙に浮きそうになるくらいだ。

 しかしながら、彼が手を引いてくれるからか、いつもよりは走りやすい。

 長く伸びた金髪が、少しばかり重いけれど。


 従者の部屋の扉が見えてきた。

 あと少しで着く。

 けれど、リンディアやアスターを速やかに起こすことなんて、本当にできるのだろうか。寝ている人を一分もかからずに起こすなんて、可能だとは思えない。

「もうすぐ!?」
「そうだ」
「本当にこれで大丈夫なの……?」
「問題ない」

 落ち着きを保っているベルンハルトを見ると、狼狽えている自分が馬鹿みたいに感じてきてしまう。けれど、だからといって落ち着けるわけもない。

 一二分の余裕すらない緊迫した状況におかれるというのは、寿命が縮みそうである。

 ベルンハルトは、片手で、勢いよく扉を開ける。
 ここからどうなるのだろう、と不安に思っていると、ベルンハルトは、入ってすぐのところの壁の傍にある一本の紐を下に引いた。

「よし」

 納得したように一人頷くベルンハルト。

「紐? 引っ張ることにどんな意味があるの?」
「これで連絡がいく」
「原始的ね。本当に大丈夫なの?」
「あぁ」
「それならいいけど……」

 言いながら、何となく、奥へと目を向ける。
 そして、驚いた。

「アスターさん!?」

 床に、アスターが倒れ込んでいたからである。

「どうした、イーダ王女」
「あれってアスターさんじゃない?」

 私はベルンハルトにそう言ってみた。
 すると彼は私と同じように奥へ目を向ける。そして、その目を大きく開いた。

 いつも多少のことには動じず、常に淡々としている彼だが、これにはさすがに驚いているようだ。

「アスター、だと?」
「寝ているのかしら」

 一応言いはしたものの、「恐らくそうではない」と内心思っている。

 変わり者のアスターではあるが、さすがに、こんな夜中に自室から出て床で寝る、なんてことはしないだろう。

「いや、さすがに自室から出て寝たりはしないだろう」
「少し様子を見てくるわ」

 倒れているアスターへ駆け寄る。

 そして、さらに驚いた。

 彼の体の数ヵ所に、クナイが刺さっていたから。

 離れたところから見た時には気づかなかったが、刺さっているのは一二本ではない。急所に刺さってはいなさそうだが、結構な数だけに、見た時の衝撃が大きい。

「アスターさん!? アスターさん!」

 何度か名を呼んでみる。

 しかし返事はない。

 目を凝らすと、首筋が赤く濡れていることにも気がついた。そちらも極めて深いことはなさそうだが、痛々しい状態になってしまっている。

 アスターの横に座り込んだまま、私はベルンハルトへ視線を向けた。

「ベルンハルト! 駄目だわ、反応がないの!」

 ただそう述べることしかできない。アスターの状態を細やかに説明するなんて、急には不可能だ。

「それに怪我をしているわ!」
「取り敢えず、触れるなよ」
「どうして!?」

 助けなくてはならないのに。

「特に、血液には触れるな」
「……アスターさんを汚いものみたく言うのね」
「他人の血液には触れないのが鉄則だ」

 ベルンハルトがそう言った、直後。

「追いついたで!」
「もう逃げ場はありません」

 ラナとミストが部屋に現れた。

 もはや追いつかれてしまった。恐ろしい速さの二人である。

「……来たか」

 ほんの少し顔をしかめ、呟くベルンハルト。

「閉所へ逃げ込むとは、極めて非効率的です」
「くたばってもらうで!」

 またしても二対一になってしまう——と思った、その瞬間。

 リンディアの部屋の扉が、バァンと大きな音をたてながら、豪快に開いた。

「何があったっていうのよ!」

 赤い髪が視界を駆ける。

「リンディア!」

 私は思わず叫んでしまった。

 彼女が援護しに来てくれたらどんなにいいか、と思っていた。それが叶い、私は嬉しい。
 喜びと安堵が、凄まじい勢いで湧いてくる。

「ちっ……。また増えるとか、だるすぎやわ」
「ラナ、まだ二対二です。負けてはいません」
「そりゃそうやけどさ……」

 リンディアの登場に、ラナは不機嫌な顔つきになった。しかも、かなり愚痴を漏らしている。

「王女様に、ベルンハルト。お待たせしたわねー」
「遅かったな」
「うっさいわよー。ベルンハルト」

 リンディアはほんの数秒だけベルンハルトや私を見た。そして、すぐに、ラナらの方へ視線を移す。

「アンタたち、よくも弄んでくれたわねー」

 ラナとミストの表情が固くなる。

「いーい? 覚悟なさい」

 冷ややかに放つのはリンディア。
 彼女がアスターに気づいたかどうかは分からない。が、もしかしたら気づいたのではと思うほどに、彼女の目つきは鋭かった。

「覚悟すんのはそっちや!」
「その言葉、そっくりそのまま返して差し上げるわよー」
「調子に乗っとんとちゃうぞ!」
「あらー。がら悪ーい」

 ラナの発言があまり品の良いものでなかったということは、私にも理解できる。しかし、その発言が生まれたのは、リンディアが挑発的な態度を取ったからであろう。

 ……いや、今はそんなことはどうでもいいのだが。

 片側の口角を持ち上げて笑みを浮かべながら、リンディアは赤い拳銃を取り出し構える。

「ここからは、あたしが相手してあげるわ。さ、二人まとめてかかってらっしゃーい」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.100 )
日時: 2019/01/24 17:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: w93.1umH)

97話 紅の女

 ラナたちを鋭く睨みながら、いつでも撃てる状態になった赤い拳銃を構えるリンディア。
 その全身からは、ただならぬ殺気が漂っている。

 対する二人はというと。

 ラナは刃が波打った剣と巨大化した手を、ミストはクナイとステッキを、それぞれ構えている。

「アンタら……二人まとめて地獄に落としてあげるわよー」

 リンディアは低い声を発し、直後、拳銃の引き金を引いた。

 光が飛ぶ。
 宙に華麗な線を描く。

「ミストは下がり! うちがやる!」
「はい」

 ラナがミストの前に出る。そして、巨大化した右手を前に出す。その大きな手のひらで、リンディアの拳銃から放たれた光の弾丸を、すべて防いだ。

 しかし、防御によって生まれた隙を突いて、リンディアはラナへ接近していた。
 拳銃で攻撃することが狙いではなかったようだ。

「ふっ!」

 ラナに急接近したリンディアは、その足を振り上げる。

「くっ」

 蹴りは何とか防いだラナ。
 しかし、短い声を漏らしている。

「まだまだいーくわよー」

 リンディアは再び蹴りを繰り出す。

 ラナは、リンディアの蹴りを防ぐことで精一杯だ。今のリンディアは、運動神経が良いラナですら反撃できないほどに、隙のない動きをしている。

 接近戦を繰り広げる二人の後ろにいるミストは、クナイとステッキを構えたまま、様子を窺っている。恐らく、リンディアに隙が生まれるのを待っているのだろう。

 だがリンディアに隙はない。
 それに、彼女の瞳は、ぶつかり合うラナだけではなく、ミストのことも見ている。

「リンディア凄い……! ねぇ、ベルンハルト」
「そうか?」
「だって、二対一でも負けそうにないのよ。凄いことじゃないかしら」

 私は純粋に感動しているのだが、ベルンハルトは真顔のまま。

「凄く……ない?」

 彼があまりに真顔のままだから、少し不安になってしまって、私は弱めに問う。自分の考えに、自信がなくなってきたのである。

 暫し沈黙。

 その後、彼は述べる。

「……そうだな。確かに凄い」

 静かな声だった。

「そうだった。今のうちに、アスターの状態を確認しよう」
「そ、そうね! そうだわ!」

 おっと、アスターのことを失念していた。
 そうだ。今は彼の容態を確認することが大切なのだ。もうしばらくこのまま放置しておいて大丈夫なのか、確認してみなくては。

「けど、私は知識がないわ。ベルンハルト、一人で確認できる?」
「当然だ」
「私は何をしたらいい?」
「何もしなくていい。ただ、狙われないよう僕の近くにいろ」

 やはり私は役に立てない。

 そんな思いが、胸を痛くする。

「……役立たずはもう嫌なの。私にできることを言って」
「ない」
「どうして!」
「怪我人に触れるのは、貴女の役目ではない」

 ベルンハルトは、ポケットから透明の手袋を取り出し、手に装着する。そして、アスターに触れていた。

「……アスターさんは私の従者よ。何もしてあげられないなんて……」
「貴女は、自分の身を護っていればそれでいい」
「そんな……!」
「余計なことをするな。下手に動いて敵に襲われては面倒だ」

 ベルンハルトの声は静かなものだった。とても静かな調子で、しかも、非常に落ち着いている。

 落ち着いている彼が傍にいてくれるおかげで、私は狼狽えずに済んでいる——そういう意味では、彼はありがたい存在だ。

 ただ、少し冷たくも見えるけれど。

「……そうね。その通りだわ」

 彼は冷たくも見える。
 しかし、言っていることは事実だ。

 力のない者がやみくもに動いたところで、被害が拡大するだけ。それならば、動かない方が良い。不必要に動かなければ、取り敢えず、今より悪い状況に陥ってしまうことは避けられるから。

 私とベルンハルトがそんな風に話している間も、リンディアとラナらの戦闘は続いていた。

「邪魔よー」

 しばらく空いてそちらを見た時、ちょうど、リンディアの蹴りがラナに突き刺さる瞬間だった。

 リンディアの蹴りは威力があるようで、ラナの体が後方へ大きく飛ぶ。

「隙あり、です」

 蹴りを放った後、リンディアの動きが少し止まった瞬間に、ミストはクナイを投げる。リンディアは、それを、射撃によって落とした。

「そーんなおっそい攻撃で、ちょーしに乗ってんじゃないわよー」

 なぜそんな芸当ができるのか、不思議で仕方ない。

 ただ一つ確かに分かることは、リンディアの腕が確かだということ。

 彼女は自信家で、自分の強さに誇りを持っている。そして、時折ではあるが、それを自慢してくる。

 能力のない者ほど小さなことをいちいち自慢すると言うが、彼女の場合はそうではない。
 自慢はするが、伴った能力をちゃんと持っている。

 それがリンディアだ。

「次はアンタよー」

 先ほどの蹴りでラナの動きが少し止まった。そのため、リンディアは意識をミストへと移す。

「……わたしですか」
「大人しくやられてちょーだい」

 ミストの顔つきが固くなる。
 それとは対照的に、リンディアの口元には笑みが浮かんでいた。

「そうですね」

 ひとまとめにした赤い髪をなびかせながら、ミストへ接近するリンディア。
 対するミストは、リンディアの拳銃を持っている手にステッキの先を向ける。

「そんな夢があれば良いですね」

 刹那、リンディアが持っていた拳銃が吹っ飛んだ。

 手を離れた拳銃は、宙を舞い、床へ落下する。

 一体何が起きたというのか。私はその現象がちっとも理解できなかった。今この胸は、何がどうなってこうなったのか、という疑問に埋め尽くされている。

「な——」

 リンディアの口元から笑みが消えた。

「では、さようなら」

 ミストの瞳は冷たい光を帯びている。

 数秒後、ミストはクナイを振る。
 後退してかわす時間はないと判断したのか、リンディアは腕で防御。

「——っ!」
「非効率的な人ですね」

 クナイはリンディアの腕を傷つけた。

「終わっていただきます」

 リンディアへステッキを向けるミスト。
 その双眸には、真剣な色が滲んでいる。

「ちょーしに乗るんじゃないわよー」
「もちろん、気は抜きません」

 向けられたステッキの先を、リンディアは回し蹴る。ミストはステッキを落としはしなかったが、ほんの少しバランスを崩す。

 そんなこんなで、リンディアとミストの戦いはまだ続くのだった——。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.101 )
日時: 2019/01/30 19:32
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Btri0/Fl)

98話 固定して拘束して、それから

 ベルンハルトはアスターの容態を確認。その間も、リンディアはミストと戦っていた。

 それぞれが役目を果たす中、私はただ見ていることしかできない。

 それがもどかしくて、胸の奥から言葉にならないような何かが込み上げてくる。その何かの正体は、自分でもよく分からないけれど……悔しさであり、焦りでもあり、色々なものが混ざりあったようなものなのだと、そう思う。


「敢えて腕で受けることによって重傷を免れようと考えたのでしょうが、残念ながら、今この状況においては、それは不正解です」

 リンディアはミストを鋭く睨んでいる。が、ミストは逆に、どこか穏やかさの感じられる目つきだ。
 二人の表情は対照的である。

「なぜなら、このクナイには毒が塗ってあるから」
「……何ですって?」
「引っ掛かって下さり、ありがとうございます。おかげで、戦うことなく勝つことができそうです」

 微かに笑みを浮かべるミスト。

「はー? なーによ、勝った気になっちゃってー」
「すべて事実です」
「そーんなしょぼーい毒なんかで、あたしに勝てるわけないじゃなーい!」

 リンディアは引き金を引いた。

 光の弾丸が飛び出す。

 すべて、ミストに向かって飛んでいく。

 短時間に何度も撃たれては、さすがのミストも対応しきれないだろう。私はそう思っていたのだけれど、案外そんなことはなくて。

「ふっ!」

 ミストは、クナイとステッキを華麗に扱い、光の弾丸を弾く。
 が、その隙にリンディアは駆ける。

 そして、そのままミストの背後に回ると、襟を後ろから掴んだ。そこからさらに、ミストの体をぐいと引き寄せ、ついには羽交い締めにまで持っていく。

「確か……ミトンだったかしらー?」

 リンディアはにっこり笑っている。

「違います。ミストです」
「ミリン? あらー、調味料みたいで素敵な名前ねー」
「違います」

 あ、これは。

 完全にわざとだろう。
 聞かずとも分かる。他人を挑発して遊ぶスイッチが入ったのだと。

「ベルンハルト!」
「……何だ」

 床に顔を当てるようにして倒れていたアスターを仰向けに寝かせて微調整していたベルンハルトは、リンディアの方へと目を向けた。

「手伝ってちょーだい!」
「僕は無理だ」
「は!? ちょっと! なんて態度よ!」

 苛立った顔になるリンディア。

「アスターが放置になってもいいと言うのか」

 淡々と述べるベルンハルト。
 その言葉に、リンディアは、ほんの少し気まずそうな顔つきになる。

「何よ……」
「どうなんだ」
「じっ、ジジイなんか放置でいーのよ! それより、ラナをこーそくしてちょーだい!」

 なるほど。
 リンディアは、ラナら二人を捕らえる気のようだ。

 それはいい、と、私は思った。だって、捕らえるのならば殺傷せずに済むから。いくら刺客とはいえ一つの命なのだから、可能ならば、死に至らない方が望ましい。

「拘束……分かった。部屋から縄を取ってくる」
「ちょ、縄!? 原始的過ぎでしょ!?」
「贅沢を言わないでくれ」

 そう言って、ベルンハルトは自室の方へと走っていった。

 なかなか仕事が早い。

 それから十数秒ほど経過して、戻ってくる。
 その手には、がっちりと編まれたやや太い縄が持たれていた。

「リンディア。どっちからだ」
「こいつからがいーわね」

 リンディアの答えに従い、ベルンハルトは、ミストの手足を縛る。体に触れそうな時だけリンディアに任せるところが、妙に真面目だ。

「よし、次だな」

 上手く縛れたらしく、満足そうに頷くベルンハルト。

「次も手伝ってあげてもいーわよー?」
「なら頼む」
「お願いします! って言うなら、だけどねー」
「お願いします」
「ちょ、本当に言うの!?」

 リンディアは驚いていた。

 その後、二人はラナの手足を拘束する。

 自由を奪うなんて酷い、と思われるかもしれない。が、どちらかが殺されるくらいなら、この方がずっと良い。

 平和的解決が理想系である。

 こうして、真夜中の襲撃は幕を下ろした。


 リンディアが夜間警備隊と連絡を取り、駆けつけた彼らに、ラナとミストの身を渡す。彼女はとても仕事が早いため、引き渡しが終了するまでに、二十分もかからなかった。

 その後、完全に気を失ってしまっているアスターを救護の者たちへ渡し、負傷のあるリンディアとベルンハルトも、検査及び治療を受けることとなった。私は負傷していない。が、特に行きたいところもないため、リンディアやベルンハルトに同行した。


「まったくもー。しばらく寝ていろだなんて、面倒の極みだわー」

 検査の結果、リンディアは、ベッドに横になっていなくてはならないことになった。毒を塗ったクナイで腕を傷つけられていたから、である。

 もうしばらく様子を見た方がいい、ということなのだろう。

「寝ていた方がいいと言われているのなら、ちゃんと寝ておいた方がいい」
「うっさいわねー。ベルンハルト」
「痛い目に遭ってから泣いても、助けない」
「はいはーい、分かってますよーだ。何があったって、アンタだけには助けを求めたりしないわー」

 指示があるためベッドの上にいるリンディアだが、声は大きいし嫌みも言うし、とても元気そうだ。平常運転である。

「で? アンタはどーなのよ。怪我がないわけじゃないんでしょー?」
「僕は毒は受けていない」
「けど、無傷なわけじゃないんでしょ?」
「それはそうだ」

 ベルンハルトは真顔で返す。
 彼はもう、負傷することに慣れてきているのだろう。だからこんなに冷静でいられる。

 ……きっと、そう。

「ただ、それほど深い傷はない。すぐに治る」
「そーいう問題?」

 リンディアは呆れ顔になっていた。呆れるあまり、笑みが零れてきている。

「そういう問題だ。速やかに回復する程度の傷なら、あってもなくても、同じようなものだからな」

 わけが分からない……。

 意外なタイミングで、謎理論が登場だ。

「あ、そーだ。それで王女様」
「リンディア?」
「怪我はなかったのー?」

 彼女は私の身を案じてくれていた。
 自分も傷を負っている厳しい状況の時なのに。

「えぇ、私は大丈夫」
「そ。良かったわねー」
「ありがとう」

 私が短く礼を述べると、彼女は視線を少し横へずらす。そして、気まずい関係の人と話す時のような顔つきになりながら、言葉を返してくれる。

「……ありがとうなんて言われるよーなこと、してないわよ」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.102 )
日時: 2019/01/30 19:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Btri0/Fl)

99話 恥ずかしがる自分が恥ずかしい

 その日は、リンディアが寝るベッドのすぐ近くにあるソファで、朝まで眠ることとなった。

 戦ったり、逃げたり、色々しているうちに、意外と時間が経過していたらしく、朝はもう近い。だから、眠ると言っても、そんなに長く眠れはしないかもしれない。だがそれでも、少しは寝た方が良いという話になり、眠ることになったのである。


 ーーふと、目が覚めた。

 視界にベルンハルトの姿が入る。

「起きたか、イーダ王女」
「……ベルンハルト」
「もう昼だ」

 その言葉に驚いて、急激に意識が戻る。

「え! 昼なのっ!?」
「そうだ」
「そんな! 長いこと寝てしまったってこと!?」
「まぁ……そうなるな」

 まさかの展開に驚きを隠せない。
 少なくとも遅めの朝くらいには起きられると思っていただけに、既に昼になっているという事実は衝撃的だった。

「だが、慌てることはない。むしろ、ちゃんと眠れたようで良かった。あんなことがあった後だからな、疲れて眠ってしまうのは普通のことだ」

 ベルンハルトが優しい。妙な感じだ。

「そうかもしれないわね……って、あれ? リンディアは?」

 周囲を見回してみたが、リンディアの姿がない。

「あいつはアスターのところへ行った」

 そういうことらしい。

 ……そりゃそうよね。アスターはリンディアの師匠だもの。

 リンディアがアスターのことを心配しないはずがない。日頃はアスターに失礼なことを言ってばかりのリンディアだが、倒れた彼を心配していないということはないだろう。

「私たちも行きましょうか」
「アスターのところへ行くのか?」
「えぇ。ベルンハルトは嫌?」

 嫌ということはないだろうが、一応尋ねてみておいた。
 それに対し、彼は、静かな調子で返してくる。

「いや、そんなことはない」

 彼はそう述べた後、私に向けて手を差し出してくる。

 あら、王子様みたい。

 ——なんて思ったことは、私だけの秘密にしておこう。

「何かあったら困るからな。僕も行く」
「手?」
「おかしいだろうか? 繋いでいた方が、もしもの時に迅速に対応できるかと思ったのだが」

 ……やはり。

 さすがはベルンハルト、まったく夢のない言葉を発してくれた。そんな具体的に言われては、夢のある捉え方をできないではないか。

 実に何とも言えない気分である。

「いえ。そうよね……それが貴方よね。貴方がそういう人だってこと、うっかり忘れてしまっていたわ」

 失礼なことを言ってしまったかもしれない、と、後から若干後悔した。
 しかし、ベルンハルトはあまり気にしていないようで、特に何でもない、といったような顔をしている。

「この性格だと、何か問題があるだろうか?」
「いいえ。ベルンハルトらしくて良いと思うわよ」

 時折発揮される頑固さには多少苦労する。が、それが大きな問題であるとは思わない。

 彼が従者らしい性格かというと、そうではないかもしれない。けれど、従者らしい性格であれば優秀な従者、というわけではない——少なくとも、私はそう思っている。

「ベルンハルトはベルンハルトだもの。今のままでいいの」

 私はこの手を、彼の手に重ねる。

 一見ロマンチックな状態でも、彼があまりに無表情だから、ロマンチックさなんてまったくない。小さい子が父親と手を繋ぐのと変わらないくらい、何でもない雰囲気だ。

 けど、これでいい。
 何でもないこんな関係のままで、構わない。


 そっと手を繋いで、私とベルンハルトは歩く。アスターの様子を見に行くために。

 その間、私は、少し恥ずかしかった。

 こんなことを言うと「乙女か」と笑われてしまうかもしれないが、異性と手を繋いでいるところを他人に見られるのが恥ずかしかったのである。

 前を行くベルンハルトが無表情なので、周囲は多分何とも思っていないのだろう。幾人かの侍女とすれ違ったが、何も言われなかったし、凝視されることもなかった。

 どちらかというと、そんな中で一人恥じらっている残念な自分を恥じらうべきかもしれない。


 歩くことしばらく、アスターがいるという部屋へ到着した。

 私たちが扉の前へ立つと、入口の扉が自動的に開く。白く曇ったガラスで作られているかのような質素な見た目をした扉だが、性能は悪くないみたいだ。

「失礼する」

 ベルンハルトは短く挨拶をし、部屋へ入っていく。そんな彼に手を引かれ、私も部屋へ入ることとなった。

 そんなこんなで入った部屋は、扉と同じく質素な見た目をしていた。
 あまり特徴のない、白一色の壁と天井。病院に置かれていそうな、平凡なベッド。そして、その脇には何やら機械がある。が、その機械は、色鮮やかなわけでも柄があるわけでもないため、そんなに目立たない。

「リンディア!」

 ベッドの脇の椅子に腰掛けている彼女を見つけ、声をかける。

「あーら、王女様じゃなーい」

 私が声をかけると、彼女は、すぐに気づいて返してくれた。

「アスターの容態は? どのような感じだ」
「ベルンハルト、まずは挨拶なさーい。王女様を見習ってー」
「容態の確認が最重要事項だ」
「……頑固な男ねー」

 柔らかさのないベルンハルトの発言に、リンディアは顔をしかめた。
 整った美しい顔が、渋柿を食べた時のような状態になってしまっている。

「ま、いーわ」

 眉を寄せつつ溜め息をつくリンディア。

「命に別状はないよーよ。ただ、怪我に加えて毒が体内に入ってしまってるから、完治には時間がかかりそーねー」

 リンディアはさらりと述べる。けれど、彼女の言葉は私にとっては苦痛だった。従者になったがためにアスターがこんなことに巻き込まれた、と、考えてしまうから。

 心が陰る。
 責められているわけではないのだから気にしなくていいと、分かっているのに。

「……ちゃんと治る?」
「王女様、どーしたの。急にそーんな深刻な顔してー」

 勝手に悶々としていた私は、リンディアの発言に、正気を取り戻す。

「本当? それならいいのだけれど……」

 するとリンディアは、ニコッと笑う。

「アスターならだいじょーぶよー! そのうちケロッと元気になるわー」

 だが私には、彼女の笑みが、寂しげなものに見えた。

 思うのだ。
 秘めた想いを隠すための笑みなのではないだろうか、と。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.103 )
日時: 2019/02/02 20:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xPtJmUl6)

100話 雑草は根っこから

 ベッドの上で眠るアスターは、意外に穏やかな顔をしていた。

 幾本ものよく分からない管で機械に繋がれているにもかかわらず、単に眠っているだけ、というような寝顔である。

 そんな彼の顔を、リンディアはじっと見つめていた。
 何か思うところがあるのだろうな、と推測しつつ、私は彼女へ声をかけてみる。

「あの、リンディア」
「なーに?」

 アスターの寝顔に視線を注いでいたリンディアが、体ごと私の方を向く。その時、彼女の表情は、明るさを感じられるものへと戻っていた。

「ごめんなさい」
「え?」

 彼女は眉をひそめる。

「アスターさんまで巻き込んでしまって、ごめんなさい」

 私の従者になっていなければ、アスターはこんな目に遭わずに済んだかもしれない。
 そう思うと、胸が痛んで。

「ちょ、なになにー? 王女様ったら、いきなりどーしたのよ?」
「もう二度と悲劇を繰り返さないと、心に決めてはいた。けれど、またこんなことになってしまって……私、自分が情けないわ」

 いつもはわりとでしゃばってくるベルンハルトだが、今は口を挟んでこない。自分が出ていかない方がいい、と考えてくれているのだろう。

「アスターさんがこんなことになったら、リンディアは辛いでしょう? それは二人共に迷惑をかけてしまったということで……だから、ごめんなさい」

 私は王女だけれど、それはただ星王家に生まれただけのことであって、この命に他人の命以上の価値があるというわけではない。

「痛かっただろうし、怖かっただろうし、アスターさんには酷いことをしてしま——」
「なーに言ってんのよ!」
「……リンディア」
「いい? アスターは王女様じゃないのよ。護られる側の人間じゃないの。負傷することくらい、慣れてるわ!」

 リンディアははっきりと述べた。

「まーずは、任務を達成すること。それが一番なのよ!」

 しっかりした口調だ。

「けれど、刺されて……」
「刺されたくらいじゃ死なないわよー」
「毒も……」
「対処すればどーにかなるわー」

 リンディアは、私の発言に相応しい返しを、スピーディーに放ってくる。

「えっと……大丈夫なの?」
「とーぜんよ!」
「気を遣っているわけではなく?」
「そりゃそーよ! いくらあたしでも、さすがに嘘はつかないわー!」

 リンディアは、あっけらかんとそんなことを言いながら、笑みをこぼしていた。
 爽やかと明るいが混じったような表情だ。

「さ。それより、次のことを考えましょー」

 その時になって、ベルンハルトがついに口を挟んでくる。

「それが賢明だな」

 すかさず入ってきた。
 やはり、話を聞いてはいたようだ。

「襲撃者をぷちぷち潰していったところで、イーダ王女が狙われることに変わりはない。雑草は根っこから抜かなければ意味がないのと、同じようなものだ」
「そーねー。ま、例えがちょっとおかしーけど」

 仕掛けてきた敵を順に倒していくだけでは何も変わらない、ということは、素人の私にも理解できる。

「シュヴァルが真の敵であることを明らかにし、その上であの男を倒せば、すべて終わりだ」
「ちょっと、ベルンハルト」
「何だ、イーダ王女。他に何か作戦があるのか」
「シュヴァルはリンディアのお父さんなのよ。倒す、なんて言ったら、酷だわ」

 リンディアとシュヴァルの関係は、父娘とはとても思えないものだ。しかし、それでも、「シュヴァルを倒す」なんて言われれば、良い気はしないだろう。

 仲良し父娘だろうが、疎遠寄りの父娘だろうが、血の繋がりがあることに変わりはないのだから。

 ——そんな風に考えていたのだけれど。

「あたしは酷とは思わないわよー」

 リンディアはケロッとしていた。
 私の想像とはまったく逆だ。

「それじゃーあたし、もう少ししたら吐かせに行ってくーるわ」
「吐かせに……って? 胃を押したりするの?」
「やーね、違うわよ! ラナとミストを取り調べて、情報を聞き出してくるーってこと!」

 なるほど、そちらだったのか。

「では僕は、フィリーナを捕まえてこよう」
「どーしてよ?」
「メインで襲ってきたのはラナともう一人の女だが、フィリーナも荷担していた。襲撃者に協力した者は、襲撃者側の人間に違いない」

 淡々と述べるベルンハルト。
 その瞳は、定規のように真っ直ぐな視線を放っていた。

 無論、その視線の先にいるのはリンディア。

「アンタって……案外過激じゃなーい?」
「捕らえるだけだ」
「敵にはよーしゃないのねー」

 リンディアが言うと、ベルンハルトは視線を床へ落とす。真剣なことを考えているような顔だ。

 それから数秒ほど経って、彼はしっとりと発する。

「そうするように習ったから。それだけだ」

 ベルンハルトは過去を懐かしむような目をしていた。

「へーっ。アンタがいたとこって、けっこーきっつい世界なのねー」
「外に比べれば、厳しいところだ。だが、生まれた時からそこにいたならば、さほど厳しいとは思わない」
「ふーん。ま、何でもいーわよ」

 リンディアはガタンと椅子から立ち上がる。

「じゃあ動きましょーか」
「そうだな」
「行ってくるわねー」

 手を振りながら、リンディアは部屋から去っていった。

 彼女とて無傷であったわけではない。多少毒も入っている。にもかかわらず、彼女はいつもと変わらない足取りだった。


 こうして、私とベルンハルトだけが部屋に残された。

 アスターはまだ眠っている。ベッドの上で横たわり、少しも動かない。が、呼吸はしている。そのことを考えると、命を失ってはいないようだ。ただ、意識が戻らないだけなのだろう。

「ねぇ、ベルンハルト。アスターさん、ちゃんと治るのかしら」

 ずっとこのまま眠っていたら——不安になって、私は発した。

「治ると言われているなら、治るのだろう」
「絶対、かしら」
「僕は医者ではない。それゆえ、絶対かどうかなど分かるわけがない」

 確かに、それはそうだ。
 絶対かどうかなんて、愚問である。

「ただ、アスターがそう易々と黙るとは思えないからな。数日もすればまた陽気に話し出すのでは、と、僕はそう考えている」

 ベルンハルトはアスターのことを信じているようだった。

 そうよ、私も彼を信じなくちゃ。彼は年老いているけれど、普通の年老いた人じゃないんだもの。

「……そうよ。そうよね!」

 悪くばかり考えるのは、もう止める。これからは、前向きなことを考えていこう。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.104 )
日時: 2019/02/02 20:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xPtJmUl6)

101話 みんな頑張る

 それから二三日が経っても、アスターは目覚めなかった。

 ベッドの上の顔を変わらず穏やかで。けれども、意識が戻ることはなく。
 そんな状況のまま、時だけが流れてゆく。

 私の周りは、また、ベルンハルトとリンディアだけになってしまった。

 マイペースながらいつも周囲を癒やしてくれていたアスターがいなくなって、何だか寂しい。彼がいた間はアスターのことを考える時間なんてさほどなかったけれど、彼がいなくなってからは、彼のことをよく思い出すようになった。


「まだ意識が戻らないのね」
「そーなのよー。変よねー」

 夜中の襲撃から四日、私は、病室のベッドで眠るアスターに会いにいった。

 ちなみに、ベルンハルトはフィリーナを捜索するということだったので、今はリンディアと二人である。

「解毒は済んだみたいなのよー。でも、まだ起きない。どーなってんのかしらねー」

 同感だ。
 いや、解毒が済んだみたいということは知らなかったわけだが。

 ——しかし、それにしても、こんなに起きないというのは不思議で仕方ない。

 何がどうなっているのやら。

「もしかして……寝不足だったから?」
「いや、それはないでしょー」

 まぁそりゃそうよね。
 一応言ってはみたけれど、よく考えてみれば、寝不足が関係しているなんてあり得ないわよね。

「なら、えぇと……なかなか思いつかないわ」
「思いつかないってー?」
「アスターさんが目覚めない理由」
「べつに考えなくていーわよー」

 それもそうか。
 理由を考えたからって、アスターが目覚めるわけじゃない。

「ところで、ベルンハルトはー?」

 リンディアは両手を腰に添えて立ちながら、軽い調子で尋ねてきた。その表情は、雲ひとつない空のようにさっぱりしている。

「今はフィリーナを探していると思うわ」

 私はそう答えた。
 するとリンディアは、低い声を発しつつ、ほんの少し眉間にしわを寄せる。

「フィリーナ? ……ふーん」

 リンディアがなぜこんな顔をするのか、謎だ。

「何か問題があるの?」
「いーえ。ただ、フィリーナは裏切り者だったのねー、って思っただけ」

 ほんの僅かに視線を上げ、宙を眺めながら、リンディアは漏らす。

「裏切り者……」

 彼女の言葉を聞いて、私は思わず呟いてしまった。

 何だか、悲しくて。

「王女様にフィリーナを紹介したのって、確か、星王様だったかしらー?」
「えぇ、そうよ」

 リンディアと話しながら、眠っているアスターの顔面を一瞥する。やはりまだ眠っていた。

「だとしたらおかしー話よね。星王様が王女様を狙うわけないのに、フィリーナが王女様を裏切るなんてー」
「想像でこんなことを言ったら失礼かもしれないけれど……またシュヴァルが関係しているのかもしれないわね」

 私の発言に、リンディアは一瞬黙る。が、すぐに口を開く。

「確認しなくちゃ駄目ねー」
「じゃあ、私が確認してくるわ! 父さんから話を聞いてみる!」

 みんなに任せてばかりというわけにはいかない。一つでもできることがあるならば、私も頑張ってやっていかなくては。

「一人でだいじょーぶ?」
「えぇ。たまには私も何かしたいの」
「くれぐれも気をつけるのよー」
「もちろん!」

 胸の前で拳を握る。
 やる気に満ちてきた。

「あ、ところで一つ聞いてもいい?」
「どーぞ」
「ラナたちから何か情報はあった?」

 それに対し、リンディアは首を左右に振る。

「それが、まだなのよねー。なかなか吐かせられないのよー」
「リンディアが吐かせられないって……ある意味凄いわね」
「本当よー」

 ひと呼吸空けて、彼女は続ける。

「ま、お互い頑張りましょー」

 リンディアも、ベルンハルトも、色々頑張ってくれているのだ。私も頑張ろう。

「そうね! じゃあ、父さんのところへ行ってくるわ!」
「行ってらっしゃーい」

 こうして私は、リンディアと別れた。

 アスターの寝ている病室を出て、星王の間へと向かう。


 廊下を一人で歩く。

 星王の間に向かって、歩く。

 自室の外を一人で歩くのは、いつ以来だろう。ベルンハルトらと出会ってからはもうずっと、一人で歩いていないような気がする。

 ……いや、一人で歩いたこともあったか。

 ラナらに襲撃された夜だ。

 私は、自室から従者の部屋辺りまで、一人で移動した。

 しかし、あれは夜だった。だから、誰とも合わなかったように思う。
 けれども、今は夜ではないため、侍女とすれ違うこともよくある。

「こんにちは!」
「あっ……こんにちは」

 ふと気が向いたため、私は、元気に挨拶してみた。すると、通りすがりの侍女に引かれてしまった。

 確かに、私はあまり陽気な方ではない。そのことは有名だ。だから、そんな私にいきなり挨拶をされて、彼女は驚いたのだろう。

 慣れないことをするのは、ある意味難しい。


 星王の間の前へ着く。

 豪華さのある扉の近くには、警備の者が二人立っている。
 二人ともがっしりした体つきの男性だ。かなり厳つい見た目をしているため、小心者の私は声をかけられない。

 どうしよう……。

 早く父親に会いたい。なのに、勇気がなくて会えない。

 どうすれば。
 そんな風に考えながら星王の間の前を彷徨うろついていると、警備の男が声をかけてきた。

「王女様、何をなさっているのですか?」

 ——う。

 向こうから声をかけてきてくれたのはありがたいが、まだ心の準備ができていない。

「あ、えっと、父さんを探しているの」
「星王様を、ですか?」
「えぇ。今、部屋にいるかしら」
「いらっしゃいますよ」

 あ、意外と普通。
 厳ついのは見た目だけのようだ。

「入っても構わないかしら」
「はい。では、お開けしますね」

 警備の者が、星王の間へと続く扉を開けてくれた。

「どうぞ」
「ありがとう。助かるわ」

 開けてもらった扉を通過し、私は星王の間へと入っていく。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.105 )
日時: 2019/02/02 20:18
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xPtJmUl6)

102話 父さんと

 警備の者が開けてくれた扉を通過し、星王の間へ入る。私が部屋へ完全に入りきると、扉はゆっくりと閉まった。恐らく、警備の者が閉めてくれたのだろう。意外と気が利く人だったようだ。

「父さん! 来たわよ!」

 いきなりやって来て、しかも断りなく入ったのだから、驚かせてしまうかもしれない。一瞬そう思いはしたが、「父さんなら怒りはしないだろう」と考え、迷いなく呼ぶことに決めた。

「父さーん! いる?」

 しかし、すぐには返事がなかった。

 星王の間は、しん、としている。人の気配がない。

 この感じだと、取り敢えず、シュヴァルはいないだろう。そこは幸運だ。彼がいない時の方が話しやすい。

 だが……父親もいないとなると、出直しになってしまう。
 そうなると、厄介だ。

 ただ、それはないはず。

 扉の前に待機していた警備の者は「いらっしゃいますよ」と言っていたのだから。

 眠りでもしているの?

 そんなことを考えつつ、星王の間の奥へと進んでいく。

 そして、ベッドの辺りをこっそり覗いてみる。
 しかし、そこにも父親の姿はなかった。

「何してるんだぁ!!」
「ひぇっ!?」

 背後から叫ばれ、私は思わず情けない声を漏らしてしまった。
 ただ、背後で叫んだのが父親であるということは、声で既に分かっている。だから私は、躊躇うことなく振り向いた。

「……いきなり叫ばないでもらえるかしら」

 背後にいたのは、やはり父親。
 予想通りの展開だ。

「おぅ!? イーダだったのかぁ!!」
「そうよ」

 すると彼は、両の足を急にぴっちりと閉じ、もじもじし始める。

「父さんのベッドを漁るなんてぇ……。イーダはやっぱり、父さんのことが大好きだなぁ……」
「は!?」
「もしかして、父さんの取って置きを探しに来たのかぁ? 残念だけどなぁ、危ない本はベッドには隠していないぞぅ」
「ちょっと、そういう話は止めて!」

 そんなことを話しに来たわけではないので、一応制止しておいた。

 ……まったく。

 そもそも、娘に対して話すようなことではないだろう。危ない本、なんて発言は慎んでいただきたい。

「私はそういう話をしに来たわけじゃないの」
「そうなのかぁ?」

 ひと呼吸空けて、彼は続ける。

「なら、何の話をしに来たんだよぅ?」

 父親は軽い調子で言葉を発している。

 彼にとって私と話すことは、冗談を言うような軽い感覚なのかもしれない。

 けれど、今はそういった空気であってはならない。
 私が今から話そうとしているのは、とても真剣なこと。私たちのこれからに関わること、と言っても過言ではないようなことなのだから。

「前に父さんが紹介してくれた侍女——フィリーナについて、聞かせてほしいの」

 意識的に真面目な顔を作り、私は述べた。
 すると父親は、ほんの数秒深く考えるような顔をする。そして、その後、彼は口を開き提案してくる。

「シュヴァルも呼ばないかぁ?」
「彼は必要ないわ」

 即座に返した。

 せっかくシュヴァルのいないタイミングでここへ来ることができたのだ、この機を逃してたまるものか。

「二人だけで話がしたいの」
「可愛いイーダがそこまで言うのなら……いいぞぅ! 二人にしよう二人にしよう!!」

 これまで何度もしくじってきた。せっかくのチャンスを台無しにするようなことを、何度も繰り返してしまってきた。だから、もうしくじるわけにはいかない。

 私のこれは任務ではない。だから、しくじったことを責める者はいないだろう。

 けれど、それに甘えてはいられない。

 やると言ったことは必ずやり遂げる。それは最低限のこと。
 最低限のことすらできず、何が王女だというのか。

 こんな小さなことでさえ繰り返ししくじってばかりいるようでは、星王となりこのオルマリンを治めるなど、夢のまた夢だ。


「フィリーナは父さんの知り合いなの?」

 話ができる状態が整ってから、私はそんな問いを放った。

「いやぁ、それは違うぞぅ」
「なら、なぜ推薦したの?」
「それは……いや。たいした理由はない」
「隠さず答えて」

 星王という地位にある父親に対して心置きなく何でも尋ねられるのは、王女の特権だ。
 父娘だからこそ聞けること、という範囲も、結構広い。

「あの娘を薦めたのは、そう……シュヴァルが連れてきたから、だったかなぁ」
「それは事実なのね」
「そう! 確か、そうだったはずぅ!」

 やはりシュヴァル絡みだったようだ。
 それなら、フィリーナが襲撃者側と繋がりを持っていたとしても不思議ではない。

「シュヴァルから紹介された彼女を、父さんが私へ紹介した。そういうことなのね?」

 私は、父親を真っ直ぐに見つめて、そう確認した。
 その確認に対し、彼はこくりと頷く。

「そうだぞぉ」
「父さんが聞いているかどうか知らないけれど、あの娘、襲撃者と繋がっていたのよ」

 すると彼は、その目を大きく見開く。

「そうなのかぁッ!?」

 裂けそうなほどに開いた瞼、今にも飛び出しそうな目、外れているのかと不安になるほど大きく下へ下がっている顎。

 今の父親の顔は、とにかく凄い状態だ。

「嘘ぅッ!?」
「……聞いていなかったの?」
「襲撃のことは聞いていたぁ! 刺客が数名捕らえられたこともぉ! が、あの娘のことは知らなかったぁーっ!」

 父親はかなり驚いている様子だった。
 これほど驚いているということは、「実は父親も私を狙っていた」という可能性は低いと見て構わないだろう。

 もっとも、驚愕している演技をしているという可能性もゼロではないのだけれど。

 ただ、私は思うのだ。
 父親は演技できるような器用な人間ではない、と。

「それで、その娘は今、どこにいるんだぁ!?」
「行方不明よ。どこかに隠れているんじゃないかしら。今はベルンハルトが探しているわ」
「ベルンハルトがぁ!? あいつ、イーダの従者にもかかわらず、そんな関係ないことをしてるのかぁ!!」

 いや、そうでなく。

 父親はいちいち騒がしい。だから、こうやって話すのは、正直言うと面倒臭い。重要な話でなかったなら、さっさと退散しているところだ。

「父さん、怒るのはそこじゃないのよ」
「え! まぁ、確かにぃ……そうかぁ」

 今回は分かってくれたようだ。

「あのね、父さん」

 私は、シュヴァルのことについて、もう一度話してみようと思った。

 あの時は上手くいかなかったけれど、今なら少しは聞いてくれるかもしれない。
 そんな風に考えたからである。

「シュヴァルのことなんだけど」
「イーダ?」
「やっぱり……ちゃんと調査してみた方が良いと思うわ」

 上手く伝わる保証はない。

 でも、それでも、挑戦は必要だ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.106 )
日時: 2019/02/04 16:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kct9F1dw)

103話 静寂を揺らすもの

 時は、ほんの少し遡り。

 イーダと別れたリンディアは、アスターの眠るベッドの脇に置かれた椅子へ、そっと腰を掛けた。
 リンディアの水色の瞳は、時折微かに揺らぎつつも、アスターの寝顔を凝視している。

「……アスター」

 部屋にはアスターとリンディアだけ。他には誰もいないため、室内は非常に静かだ。呼吸する音さえ聞こえそうなほどの静寂である。

 そんな無音の世界の中、リンディアは、脱力したアスターの手を握った。

「なーにやってんのよ」

 リンディアが吐き出した言葉。それはまるで、溜め息のようだ。

「ばっかじゃないの、アンタ。こんな怪我して……めーわくかけてんじゃないわよー」

 そんな風に彼女が声をかけても、アスターは何も返さない。
 彼はずっと眠ったままで、微かな反応さえない。

 リンディアは、アスターの目覚めを望んでいることだろう。けれども、その望みが叶うことはなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。

「起きなさいよ、アスター」

 静寂の中、リンディアの声だけが空気を揺らす。

「アスター! こんなところで死んだら、あたしが死んだ後、さんじゅー年くらいしばき回すから!」

 リンディアは叫んだ。
 それでも、アスターからの返事はない。

 アスターの手を握る手に力を加え、彼女は目を細める。水色がかってはいるものの水晶のように美しいその瞳には、うっすらと、涙の粒が浮かんでいた。

「そんなの嫌でしょー。帰ってきなさいよ」

 彼女は独り言を発し続ける。
 唇を震わせながら。

「アスター、起きてちょーだいよ……」

 ベッドに横たわるアスターは、確かに呼吸している。だから、もう二度と帰ってこないような状態ではないはずだ。意識が戻りさえすれば、きっと、また再び動き出すことだろう。

 けれど、なかなか動き出さない。

「アスター……」

 リンディアの声が震える。
 その息さえ、今は掠れている。

 そんな時だった。

「……っ!?」

 握っていたアスターの手——否、指が、ぴくりと動いた。

 リンディアはすぐに気がつき、驚きを露わにしながら顔を上げる。その瞳は、アスターの手を暫し見つめた後、顔へと視線を移す。

「アスター?」

 悲しげな色を湛えていた彼女の双眸に、僅かではあるが希望の光が宿る。

 直後、再び彼の指が動いた。

「目が覚めそーなの?」
「…………」

 反応はない。

 再び静寂が訪れる。
 二人きりの空間は痛いほどに静かで、心音まで他人に聞こえそうだ。

「ちょっと、ねぇ、どーなのよ」

 リンディアはそうやって声をかけるのだけど、何かが返ってくることはなくて。彼女は、はぁ、と、小さな溜め息を漏らした。

 そして、諦めたようにアスターから視線を逸らした——その刹那。

「……リン、ディア」

 低い声が発された。

 突然のことに驚き、リンディアはアスターの方を向く。

「アスター!?」

 リンディアが叫んだのは、アスターの目が微かに開いていたから。

「……赤い、髪」
「もしかして、目が覚めたのー!?」
「やはり……リンディア、なのだね……?」

 アスターは確かに、自分の力で声を発していた。

「そーよ!」

 リンディアは泣きそうな顔で、彼の手を強く握る。

「覚えてるんじゃない!」
「……もちろん、覚えている……とも……」

 ベッドの上に横たわったままのアスターは、まだ、目が開ききらないようだ。瞼が上がりきらないのか、うっすらとしか目を開くことができていない。

 だが、意識ははっきりしている。

「私が何をしていたかは……よく思い出せないが……」
「が?」
「今はただ……綿菓子が食べたい」

 いつもと変わらないアスターの発言に、リンディアは呆れたように笑う。

「……相変わらずねー」

 彼女は呆れているようだ。しかし、嫌そうではない。いつも通りな彼を見て、安心しているのだろう。

「リンディア、私は……記憶がはっきりしない」

 今度はアスターの方から手を握る。

「何がどうなって……こんなことになったのかね?」
「こっちが聞きたいわよー。誰かにやられでもしたーってわけ?」
「いや、それが……私もあまり記憶がなくてだねー……ん」

 唐突に眉を寄せるアスター。

「ちょっと、どーかしたの?」

 リンディアは怪訝な顔をする。

「今、ふと思い出したのだよ」
「ふと思い出した、ですって? なーによ、それは」
「確か私は、あの侍女の娘に起こされて……その後、もう一人の女に襲われ……いつの間にか意識が」

 アスターが記憶をたどりつつ話すと、リンディアの表情がみるみる固くなっていく。頬だけではなく、口角までもが強張っている。

「侍女の娘というのは、フィリーナ?」
「そんな名前だったか……記憶は怪しいのだがね……」
「急に王女様の侍女になった、あの女の子でしょー?」
「そうそう」

 横になったまま、アスターは頷く。

「それでー、もう一人の女っていうのは?」
「前にホテルで会った……あの女だよ。私が……ランプで殴った」

 アスターがそう述べると、リンディアの目つきが急激に鋭くなる。女性のそれから一変、まるで肉食獣のような目つきへと変貌した。

「やーっぱねー」

 リンディアの片側の口角が、くいっと持ち上がる。

「いーわ。その女、あたしが叩きのめしておいてやるわー」
「……相変わらず、血の気が多いね」
「ちょっと、何よそれ。あたしが可愛くないとでも言いたいのー?」
「いいや、そんなことを言えるはずがない。……可愛いよ、君は」

 リンディアは頬を赤らめ、全力でアスターをビンタした。

 ぱぁん、と乾いた音が響く。

「ふざけてんじゃないわよっ!」

 きょとんとした顔をするアスター。

「言っておくけどねー! あたしからすれば、アンタみたいなジジイ、どーでもいーんだから!」
「おや、心配してくれたのではなかったのかね?」
「そーんなわけ、ないでしょー!」

 恥じらいを隠すように、リンディアは鋭く放つ。そして、アスターに視線を合わせないまま、彼女はバッと立ち上がった。

「目が覚めたって、王女様に伝えてくるわー」
「そうかね」
「ちゃーんと起きてなさいよ!」

 そそくさと去ってゆくリンディア。

 その後ろ姿を眺めながらアスターが微笑んでいたことを、彼女は知らない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.107 )
日時: 2019/02/04 17:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kct9F1dw)

104話 放て、言葉を

 その頃、星王の間。

「あのね父さん、私やっぱり、アスターさんが嘘をつくとは思えないのよ。父さんがシュヴァルを信頼していることは知っているけれど……ちゃんと確認するべきだわ」

 私はフィリーナのことについて確認するべく星王の間へ行き、今は父親と二人でシュヴァルについて話している。

「父さんだって、変にシュヴァルが疑われるのは嫌でしょう? 少しでも早くはっきりさせた方がいいわ」
「イーダ、またそれを言うのかぁ? シュヴァルを疑うのは、もう止めにしでくれよぉ」

 父親は相変わらずの調子だった。
 子どもが親を信じるように、彼はシュヴァルのことを無条件に信じきっている。

「父さん! いい加減にしてちょうだい!」

 根拠もなく信じきっている父親の様子に苛立った私は、つい口調を強めてしまった。純粋なだけの父親を責めても何も変わらないということは、ちゃんと分かっていたのだけれど。

「い、イーダ……」
「なぜ、少しも理解しようとしてくれないのよ!」

 感情的になっても、良いことは何一つとしてない。それは理解しているつもりだ。
 ただ、それでも、今は言いたかった。

「父さんは私のこと、いつも、可愛いって言ってくれるわよね。けど、シュヴァルのことに関してだけは、ちっとも私の言うことを聞いてくれない。どうしてなのよ!」
「な、イーダぁ……そんなに怒るなよぉ……」
「シュヴァルのことだけは無条件に信じて、実の娘の言葉さえ聞こうとはしない。そんなのおかしいわ!」

 いつもと違って激しい物言いをする私に驚いているのか、父親は、星王らしくなくおろおろしている。

 だが、言うしかない。

 私だって本当はこんなことは言いたくないのだ。

 けれども、自分やアスター、そして従者の皆を護るためには、強く言うことが必要で。

 襲われるのは、できればもう止めにしたい。
 そのためには私も動かなくては。

「父さんは星王でしょう! しっかりしてちょうだいよ!」
「なぁにぃ!? 今日のイーダ、不必要に厳しくないかぁ!?」
「いつまでもシュヴァルの言いなりになっているのは止めて!」

 呼吸が乱れるほど、私は叫んでしまった。
 私が王女でなかったなら、「星王になんたる無礼」と消されてしまっていたことだろう。

 暫し、沈黙。

 空気の揺れぬ静寂の中、私は、「逆に怒られたらどうしよう」なんて考えて不安になる。

 けれど、心の中ですぐに首を左右に振る。
 これは必要なことなのだ、と。

 それからだいぶ経って。

 長い沈黙を先に破ったのは、父親の方だった。

「……そうかぁ」

 父親の声は穏やかだ。

「確かに……確認してみることは必要かもしれないなぁ」

 分かってくれた!? と、私は、ある意味動揺する。
 だって、シュヴァルを信じきっている彼が私の言うことを理解してくれるなんて思わなかったんだもの。

「よし、そうするかぁ。まずはシュヴァルを呼んで……」

 父親が言いかけた時。

 突如、何者かが扉をドンドン叩いた。
 ノックにしては大きい音。

「ちょっと待っててくれよぉ、イーダ。見てくるからなぁ」
「えぇ」

 父親はのそのそと歩き、扉の方へと向かっていく。扉のロックはかかっていないらしく、父親は、そのまま扉を開けた。

「何の騒ぎだ?」
「リンディアです」

 ——リンディア!

 ラナたちから何か有力情報を得られたのか? あるいは、アスターに何かあったのか?

 いずれにせよ、気になる。

「イーダに用かぁ?」
「ここにいます?」
「いるぞぅ! 呼んでくるから、少し待っていてくれよ」

 リンディアを中へ入れれば早いのに……、と思ったことは秘密。

「イーダぁ!」
「分かっているわよ、父さん」

 私は扉の方へと歩いていく。
 そして、扉の外に立っているリンディアへ視線を注いだ。

「何かあったの? リンディア」
「さっきねー、アスターが意識を取り戻したのよー」

 アスターが!

 希望の光が差し込んだ……気がした。

「そうだったの! 会いに行きたいわ」
「そーそー。誘いに来たのよー」
「行ってもいいのね!?」
「もーちろん」

 リンディアの表情は明るい。
 やはり、アスターが目覚めて嬉しいのだろうか。

「そういうわけだから父さん! ちょっと行ってくるわ!」

 私は視線を、リンディアから父親へと移す。

「一緒に行ったら駄目かぁ?」
「……え」

 父親から返ってきた予想外の言葉に、私は正直戸惑った。

「アスターのところへ行くんだろぅ? 俺もお見舞いに行ったら駄目かぁ?」
「大丈夫だと思うけど……どう? リンディア」
「構わないわー。ま、気の利いたことはできないだろーけどー」

 リンディアは微かに頬を緩めつつ返してくれた。父親がアスターに会いに行くことに関して、彼女は不満を抱いてはいないようだ。

「じゃあそうしましょ、父さん」
「よっしゃあ! 行くぅ!」

 父親がアスターに会いに行きたいと思ってくれた、そのこと自体はありがたいこと。

 ただ、騒いだり余計なことを言ったりしたらアスターに迷惑がかかってしまう。
 だから私は、前もって注意しておくことにした。

「ただし、騒がないこと!」
「まっさかぁ! 父さんが騒ぐわけないだろぅ? 子どもじゃあるまいしぃ」
「いつも騒いでいるじゃない……」
「うそーん!! 父さん、騒いでいるかぁー!?」

 ……無自覚とは、恐ろしい。

 その後、私と父親は、リンディアに連れられて、アスターが寝ている部屋まで移動した。


 歩くことしばらく、部屋に到着する。
 先頭を行っていたリンディアが扉を開けてくれ、私と父親はそこを通過。室内へと進む。

「おぉ、イーダくん」

 私たちが部屋へ入るや否や、アスターの声が聞こえてきた。私は思わず、ベッドの方へと駆け寄る。

「アスターさん!」
「……来てくれたのかね、イーダくん」

 アスターは言いながら、片手を持ち上げ、ひらひらと動かす。

 彼はまだ、ベッドの上で横になっている。体を起こすことは難しいのかもしれない。しかし、意識ははっきりしているし、手も自分で操れている。素晴らしいことだ。

「えぇ。父さんも一緒よ」
「父さ……んっ!? それは、星王同伴ということかね」

 驚いた顔をするアスター。

「そうなの。あ、でも、安心してちょうだい。騒がないようにって、前もって注意しておいたわ」
「そうかね……」
「でも、アスターさんの意識が戻って良かった。心配したのよ」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.108 )
日時: 2019/02/07 07:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5VHpYoUr)

105話 時は人を変えるもの

「主に心配をかけるというのは問題だね。すまなかった」

 そう言って笑うアスターは、彼らしさを取り戻しているように見えた。

 呑気で穏やかで、無害。
 襲撃前と何も変わらない、アスターらしいアスターだ。

「いいえ、アスターさんが謝ることじゃないわ」
「おぉ……優しいのだね、君は……」

 アスターは戸惑った顔をしている。
 そんな彼に対し、リンディアは言い放つ。

「そーよ! 王女様はあたしと違って優しーんだから!」
「……いや、それは違うよ。リンディアも優しい」

 アスターの返しに、リンディアは頬を赤く染める。

「はぁ!?」

 明らかに照れているような表情だ。

「リンディアにはリンディアの優しさがあるのだよ。綿菓子が甘いように、君は優し……」
「どーしてジジイにそんなこと言われなきゃなんないのよー!」

 リンディアは相変わらずだ。
 どんな状況下でも、アスターに対してだけは厳しい言葉を吐く。

「ジジイ!? このタイミングでジジイ呼ばわりは酷くないかね!?」
「事実じゃなーい」
「いや、まぁ、ジジイだが! ジジイだがね!?」

 アスターの発する声は、元気な人と大差ないほど張りがあった。勢いにも満ちている。つい先ほどまで意識を失っていた人だとは、とても思えない。

「ふふ、元気そうで良かった」

 私は思わず言ってしまった。

 年下の私がこんなことを言うのは、少し失礼なことかもしれない。ただ、これが本心なのだ。
 もし仮に失礼なのだとしても、嘘をつくよりかはいいだろう。

「……ま」

 リンディアは、唐突に、視線を宙へ泳がせる。数秒ほどそのままにしてから、今度はその視線を私へ向けた。

「じゃーそろそろ、あたしは働いてくるわー」
「働いて?」
「今日こそは、ラナたちからじょーほーを抜き取ってきてやるわよー」

 そう言って拳を握り締めるリンディアは、これまでよりもやる気に満ちているように見える。

 不思議だ。
 もしかしたら、アスターが目覚めたからやる気になっているのかもしれない。

「私たちはここにいてもいいの?」
「もちろんいーわよ。王女様がそーしたいならねー」
「分かったわ! じゃあ、もう少しここにいるわね。リンディア、気をつけて」
「お気遣い、どーも」

 リンディアはニコッと笑って、胸の前で片手を小さく掲げる。
 その動作は、女の子らしいというよりかは少年のような雰囲気を漂わせていた。


 リンディアが出ていき、部屋にはアスターと私と父親だけが残る。
 そもそもあまり広くない部屋だから、三人でも狭さを感じるくらいだ。ただ、一人減ると、ほんの少し広くなった気がしないこともない。

「少しいいかぁ? アスター」

 三人になってすぐ、父親が、そんな風に口を開いた。

「構わないが……何かね」
「あの話は、事実なのかぁ?」
「ん。あの話、とは?」
「アスターにイーダ殺害を依頼したのがシュヴァルだとかいう話のことだぞぅ」

 妙に真面目な顔で話を振られたからか、アスターは顔面に戸惑いの色を浮かべている。

「あぁ、それかね」
「事実なのか、偽りなのか、はっきりしてもらいたいなぁ」

 父親の言葉に、アスターは目を閉じる。

「事実だとも」

 そう述べる彼の表情は、嘘をついている者の表情ではなかった。

 なぜ分かる、と問われれば、答えることは容易でないかもしれない。すべてを知る神なわけでもないし、具体的な根拠があるわけでもないから。

 ただ、それでも、アスターは嘘をついてはいないと思う。

「私とシュヴァルは元々知り合いでね。それも、結構親しい仲だった。娘を押し付けるくらいの仲だからね、まぁ、かなり仲が良いことは分かってもらえるだろうが」

 娘を押し付ける、て。

 それは仲が良いと言えるのだろうか……。

「私は本当はもう、引退するつもりでいたのだよ。けれど、親しいシュヴァルに頼まれたら仕方ない。そういうわけで、イーダくん殺害の依頼を受けたわけだよ」

 そんな風に話すアスターは、ベッドに横になったまま、どこか寂しげな顔をしていた。

「シュヴァルとは親しい仲だったのね……」
「そうだとも! ま、個人的に好ましい人物だと思っていたというのもあるがね」
「シュヴァルが好ましい人物だなんて、ちょっと不思議」
「ははは、そうだろうね。今の彼を見て好ましいと思う人間などは、ほとんど皆無だろうと思うよ」

 ——かつては、好ましい人物だったのだろうか。

 ふと、そんなことを考えた。

 私はシュヴァルのすべてを知らない。彼の若者時代なんて、まったくと言っていいほどに知らない。
 だから、私の記憶の中にあるのは、今のシュヴァルだけ。

 けれど、アスターは違う。

 アスターの中には、私が知るより前のシュヴァルの姿が、鮮明に刻まれているのかもしれない。

「……もはや、欲に溺れた化け物にすぎないのだから」

 時が流れれば、人は変わるものだ。
 一時は他人との関わりを拒むようになっていた私が、こうやって苦なく出歩き話せるようになっているくらいだから、シュヴァルだって変わりはするだろう。

「欲に溺れた化け物ぉ!? おい! それはさすがに、シュヴァルに対して失礼だろぅっ!?」
「確かに失礼かもしれない。ただ……事実だから仕方ないね。綿菓子に対して『もこもこで甘い』と言うようなものだよ」

 アスターがあげた例は、よく分からないものだった。

 もこもこで甘い、て。

「シュヴァルは欲に溺れてなんかいないぞ。今も忠誠心の塊だぁ」
「それは演技だと思うがね」
「演技ぃ!?」

 父親は今にもアスターに飛びかかりそうになっている。いくら星王とはいえ怪我人に飛びかかるようなことがあってはならないので、私は一応、「落ち着いて」とだけ声をかけておいた。

「アスター、なぜそんなにシュヴァルを悪く……」

 一旦呼吸を整えた父親が、言いかけた時。

 何の前触れもなく、驚くほど唐突に、扉が開いた。

「急にすまない」

 開いた扉の向こう側に立っていたのは、真剣な顔つきのベルンハルトと——フィリーナ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.109 )
日時: 2019/02/07 07:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5VHpYoUr)

106話 ごめんなさい、と

 赤みを帯びた濃い茶色の髪に、琥珀のような瞳——間違いない。
 ベルンハルトの隣にいるのは、フィリーナだ。

「イーダ王女、やはりここにいたか」

 彼の顔は整っている。それに加え、とても凛々しい。また、目つきは鋭く、戦うために生まれてきたのかと思ってしまいそうなほどだ。

 そんなベルンハルトは、フィリーナの手首を掴んでいる。

「ベルンハルト!」
「フィリーナを捕まえた。話はする、と言っている」

 ベルンハルトにがっちり手首を掴まれてしまっているフィリーナは、肩を落とし身を縮め、すっかり弱っている。それはもう、可哀想と思ってしまうほどに。

「それに……フィリーナ」

 目が合うと、彼女は視線を逸らした。
 私は彼女へ歩み寄る。

「フィリーナ、何がどうなっているの」
「……あ」

 怒られると思っているのだろう。彼女の琥珀色の瞳は弱々しく震えていた。

「襲撃に荷担していたと聞いたわ。事実なの?」
「す……すみませ……」
「事実なのね? 貴女がそんなことをする人だとは今でも思えないけれど。もしかして、誰かに命じられたの?」

 私がそう問った時、フィリーナは泣き出しそうな顔をしていた。

「ふ……ふぁい……。し、しゅ……」
「ししゅ?」
「シュヴァル……さんに……」

 やはり関係していた——シュヴァルが。

 フィリーナは突然頭を下げる。

「す、す……すみませーんっ!」

 首が折れないか心配になってしまうほどの凄まじい勢いで、彼女は、何度も何度も頭を下げる。頭部がとれて飛んでいかないか、少々不安だ。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「お、落ち着いて」

 混乱してしまっているフィリーナを何とか落ち着かせようと、私は咄嗟に、彼女の手を握った。ベルンハルトが手首を掴んでいない方の手を、である。

「ふ、ふぇぇ……ごめんなさいー……」
「いいの。それより、その、シュヴァルに関する話を聞かせて」

 ベルンハルトが私へ視線を向けてくる。それはまるで、「甘すぎないか」とでも言いたげな視線だ。

「どういう話なの? 大丈夫なら、そこを聞かせてほしいのだけど」
「は、はい……」

 今は、ベルンハルトもアスターも、そして父親もいる。リンディアだけは欠けているが、そのくらいは問題ないだろう。

 これは、絶好のタイミングだ。

「王女様の傍に……お仕えする侍女になって……」
「えぇ」
「王女様が一人になる時間を作るようにと、頼まれたんですぅ……それは、仕留めやすくするためだって……」

 父親が突如叫ぶ。

「そんなことがあるものかぁっ!」

 シュヴァルのことを悪く言われて苛立ったのかもしれない。

「ひっ……」
「おかしなことを言うなよぅ!」
「ふ、ふえぇ……」

 迫力ある父親の言葉に、フィリーナは、小動物のように怯えている。

「父さん! 騒がないで!」
「イーダぁ! だって、おかしいだろぅ!」
「黙って最後まで聞く!」
「……分かった。仕方ないなぁ。分かったよぅ」

 何が「仕方ないなぁ」よ!

 そんな言葉を鋭く吐いてやりたくなる衝動を抑える。

 王女だけに、下手なことは言えない。だから、そんな衝動に駆られていたことは、私だけの秘密にしておこうと思う。

「続けて、フィリーナ」
「は、はい……」

 ふぅ、と息を吐き出す動作を二三回繰り返してから、フィリーナは再び話し出す。

「最初は断りました……けど……家族のことを言われて……」
「家族のこと?」
「従わなかったら、家族に強いる労働を増やすって……」

 ベルンハルトに片側の手首を掴まれたまま、フィリーナはそんなことを述べる。
 その体は、縮んで、小さくなってしまっていた。

 フィリーナが襲撃に荷担したことは事実。けれども、彼女もまた被害者なのではないかと、そう思ってしまう部分もある。

 私としては、彼女を責める気にはあまりなれない。

「それで……ふえぇ……」

 琥珀のような瞳から、涙の粒がぽろぽろと零れ落ちる。

「すみま……せん……」

 一度は、演技だろうか、と疑った。許してもらうために、悪かったと思っているかのように振る舞っているという可能性も考えた。

 けれど、どうしてもそうは思えなくて。

「泣かないで、フィリーナ。泣かなくていいのよ」

 こんなことを言ったらお人好しと笑われてしまうかもしれないが、私は、フィリーナを責めたくはなかった。

 彼女は悪人ではない。だからきっと、自分がしたことを後悔しているはずだ。

 襲撃者に力を貸したということはこちらとしては許せないこと。
 けれど、彼女が自ら望んで力を貸したわけではないのなら、一方的に責め続けるというのもおかしな話だ。

「ふ、ふえぇ……でも……」
「え?」
「でも、おじいさんにも……ご迷惑を……」

 おじいさん?

 アスターのことだろうか。

「すっ……すみませんでした……」

 フィリーナはアスターに視線を向け、頭を下げる。
 それに対しアスターは、ベッドに寝たまま、「次から気をつけてくれれば問題ないよ」と返していた。

 それを見て少しほっこりしていると。

「どうする、イーダ王女」

 ベルンハルトが尋ねてきた。

「え」
「この女をどうするか、と聞いているんだ」
「フィリーナを?」

 こくりと頷くベルンハルト。
 彼の眼差しは、真剣そのものであった。

「それは……これからも侍女として働いてもらえば良くないかしら」
「こんなコロコロ変わるような女は、置いておいても何の役にも立たない。むしろ迷惑になる」

 どうやら、ベルンハルトはフィリーナに腹を立てているようだ。彼は非常に不機嫌そうな顔つきをしている。

「フィリーナだって、きっと、望んでそうなっているわけじゃないわよ?」
「忠誠心のない人間は、イーダ王女に仕えるには相応しくない」

 ベルンハルトは冷たかった。

 だが、その言葉は私を思ってのものだと分かる。だから私は、ベルンハルトを悪いとは思わない。

 彼は器用ではないけれど、私のことを考えてくれている。
 それはありがたいことだし、感謝すべきことだ。

「……ありがとう、ベルンハルト。私のことを考えてくれているのね」
「いや。考えてなどいない」
「ふふっ。貴方らしい発言ね」
「僕らしい? それは、少し馬鹿にしているのか?」
「まさか! 褒め言葉よ」

 すると、ベルンハルトの口角がほんの少しだけ持ち上がる。

「……そうか」

 彼は嬉しげだった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.110 )
日時: 2019/02/07 07:38
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5VHpYoUr)

107話 奇妙な理由とモティロン

「それにしても——シュヴァルは本当に、やり過ぎではないかね?」

 唐突に切り出したのはアスター。

 ベッドに横たわっている彼は、まだ体を起こすことはできない様子だ。しかし、その表情や目つきはというと、弱々しいこともなく、元気そうである。

「いくら望みを叶えるためだとしても、ここまですることが正しいとは思えないのだよ。まぁ……私には、だがね」

 部屋が静寂に包まれる。
 皆が黙るのも無理もない。それほどに深刻な話題なのだから。

 無音の世界の中、アスターは視線をそっと父親へと向ける。

「シュヴァルが星王の座を狙っていることは事実。いずれ、君も狙われることになると思うよ」

 情けないとはいえ一応星王である人間を「君」なんて呼ぶとは。さりげなく驚いた。

「イーダくんの次に狙われるのは、間違いなく君だとも。星王家の人間だからね」
「シュヴァルが俺の命を狙うというのかぁ? ……馬鹿らしいぞぅ!」

 ぷいっとそっぽを向く父親。
 その様は、まるで子どもだ。星王らしくないどころか、もはや大人らしくすらない。

「勘違いしないでくれよぉっ! シュヴァルは確かにたまーに口が悪いけどなぁ、そんな悪人じゃないんだぞぅ」
「罪のないイーダくんが命を狙われ続けることを、可哀想とは思わないのかね?」

 父親はやや苛立っているようで、つんつんした態度を取っている。
 一方アスターはというと、落ち着きは保ちながらも、いつもより少し棘のある口調になっていた。

「可愛いイーダが狙われるのは、もちろん嫌だぁ!」
「なら、彼女が狙われないために何かしようとは思わないのかね」
「思うよぅ!」
「それならば、シュヴァルについて考えた方が良いと思うのだが」

 アスターははっきりとした声で述べる。

 いつもの穏やかでマイペースな彼とは、雰囲気が明らかに違っていた。
 もしかしたら彼は、シュヴァルの件について話を進めようと頑張ってくれているのかもしれない。

「そういうものなのかぁ……?」
「もちろん。そういうものだとも」

 アスターの言葉を聞いた父親は、酸っぱいものを食べたかのように口をすぼめる。眉間には、日頃はない小さなしわがたくさん寄っていた。

 ……凄い顔。

「イーダは正直なところ、どう思っているんだぁ?」
「確認は必要だと思うわ」

 だから、前からずっと言ってるじゃないの。
 つい、真顔でそう言いたくなってしまった。

「そうかぁ……イーダも賛同してぇいるのかぁ……」

 父親はすぼめた口に片手の人差し指を添える。どうやら、何か考えているようだ。私は様子を窺いつつ、彼が次に言葉を発するのを待つ。

 十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ……三十秒が過ぎても、父親は言葉を発しそうにない。

 仕方がないからこちらから声をかけようと思った——その時。

「ベルンハルトォ!」

 父親は突如、ベルンハルトへ視線を向けた。

「……何だろうか」

 フィリーナの手首を掴んだ体勢のまま、ベルンハルトは淡々と返す。

 その表情は冷めていた。
 どんなくらいの冷めっぷりかというと、凄まじくつまらないギャグを急に聞かされた時くらいの冷めっぷりである。

「お前はどう思う?」
「イーダ王女の意思に従う」
「ちゅうじつぅーん!?」

 見ていただけの私が一瞬「眼球が飛び出すのでは」と恐れたほど、父親は目を見開いていた。

「……忠実なわけではない」

 敢えてわざわざ否定するベルンハルト。

「今回の件において、僕にはこれといった意思がない。別段意思がないから、イーダ王女と同じにしておこうと考えただけだ」

 ベルンハルトはこういう時に限って長文を話す。聞かれてもいないのに妙に話すから、いろんな意味で分かりやすい。

「意思がないのかぁ? なら、イーダに賛同するという意思もないかもしれないんじゃないかぁ?」
「いや、それは別だ」
「何となく矛盾してるぞぅ?」
「僕はイーダ王女に仕えている。彼女の意思に従うのは、おかしなことではないはずだ」

 父親は自分の考えに賛同してくれる人を見つけたいのだろう。が、この状況この顔触れでシュヴァルを庇う者など、いるわけがない。

「そ……そうだよなぁ……」

 手を頭に当て、悩んだような顔をする父親。

「どうしたの、父さん。頭でも痛いの?」
「ち、違うぞぅ……」
「疲れた顔をしているわよ」
「イーダが可愛す——あ、いや、違った。シュヴァルにどう対応すべきかで悩んでいるんだよぉ!」

 どうやら父親は揺れているようだ。

 彼はずっと、長年傍にいてくれてきたシュヴァルを、完全に信じてきっていた。だから、私なんかが色々言ったくらいでは、シュヴァルを疑おうとはしなかった。多分、父親の中には、「シュヴァルを疑う」という発想がなかったのだろう。

 けれども、それが変わり始めている。
 少しずつではあるだろうけど、父親の思考は動き始めている。

 ——今なら話を動かせるかもしれない。

「父さん。シュヴァルと話し合いをする場を与えて」

 父親を真っ直ぐ見据え、私はそう言った。

「話し合いをする場ぁ?」
「えぇ」

 数秒間を空けて、続ける。

「私はね、シュヴァルと話したいことが色々あるの」

 今のまま何も手を打たなければ、これから先も、ずっと襲撃されることになるだろう。
 例えるなら、今までのように。

 襲撃され傷つくのが自分であるならまだいい。けれど、実際はそうではなく、傷つくのは私の周りにいる人なのだ。つまり、襲撃によって一番に危険に曝されるのは従者たちだ、ということである。

 この前の襲撃においてアスターがやられたことで、その事実が、より一層浮き彫りになった。

 今回アスターは命に別状はなかったから良かったものの、次やその次も大丈夫という保証はどこにもない。

 それに、次はアスターだけでは済まないかもしれない。
 リンディアやベルンハルトが今回のアスターのような目に遭う可能性も、十分に存在するのだ。

「シュヴァルと話をさせてくれないかしら」
「むっ、無理に決まっているだろぅ!」

 え、意外。

「いくら忠実なシュヴァルが相手とはいえ、可愛いイーダと二人きりにするわけにはいかなぁーいっ!」

 ……うわぁ。

 理由がきつすぎた。

「もちろん、二人きりじゃなくていいわよ」
「父さん同伴ならアリだぞぅ」
「ならそれで。よろしく頼むわ」

 すると父親は、急に、親指をグッと立てる。

「モティロン!」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.111 )
日時: 2019/02/18 02:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

108話 髪の毛

 あの後、父親がシュヴァルと相談してくれ、私とシュヴァルが会って話す日が決まった。

 ちなみに、三日後である。

 まだ先のような気もするが、三日なんてあっという間に過ぎるだろう。その日は、思っているよりすぐに来るかもしれない。

 だから、心の準備をしておかなくては。


「おっはよー、王女様ー」

 アスターが意識を取り戻した翌日。
 自室で寝ていた私がいつものベッドの上で目を覚ますと、すぐにリンディアが声をかけてきた。

 私が目覚めたことに、こんなにも早く気づくなんて。

 驚きの発見力である。

「リンディア!」
「今日はあたし、一日ここにいるからー。よろしくねー」
「よろしく。……ってリンディア、今日はラナたちのところへは行かなくていいの?」
「そーなのよー」

 その時になって、私はリンディアの異変に気づいた。

 ……いや、「異変」と言うのは大袈裟かもしれないけれど。

 何に気づいたのかというと、いつもは後頭部で一つに束ねている赤い髪が束ねられていないことに気づいたのである。

 彼女が髪を下ろしているなんて、かなり珍しい。

「たまには休めー、なんて言われちゃったのよー」
「誰に?」
「アスターよ」

 アスターはリンディアを大切に思っている。そういう意味では、彼がリンディアに「たまには休め」と言うのも、理解できないことではない。

「あのジジイ、相変わらずうっざいわー」

 リンディアは、アスターの話をする時は特別口が悪くなる。今に始まったことではないが、実に不思議である。

 彼女だって、師であるアスターを嫌ってはいないはずなのに。

「リンディアって、アスターさんの話をする時は厳しいわよね」

 思いきって言ってみた。
 するとリンディアは、眉をひそめて怪訝な顔をする。

「そー?」

 頭部が動くたび、真っ直ぐに伸びた紅の髪が微かに揺れ動く。さら、さら、と。その様は、女性らしい魅力に満ちていて、女の私でさえ「おぉ!」と思ったほどに素敵だ。

「あたしはいっつも口が悪いわよー? そーいう性格なの。アスターに対してだけに限ったことじゃないわー」

 彼女はそう言うが、それは本当だろうか?

 もちろん、リンディアがベルンハルトに対して挑発的なことを言っている場面なんかも見たことはある。だから、アスターに対してだけではないというのも、あながち間違いではないのかもしれない。

 けれどやはり、アスターに関することを話す時は、他のことを話す時に比べて厳しいような気がする。

 私の誤解なのかもしれないが……私はどうしても、そんな風に感じてしまうのだ。

「ま、王女様にそー見えるなら、本当はそーなのかもしれないけどねー」
「……無自覚ということもあるものね」
「そーね! その可能性はゼロじゃないわねー!」

 リンディアは爽やかだった。

「あ、そーだ」
「何?」
「フィリーナっていたじゃなーい? あの娘、捕まったらしーわよー」
「え! そうなの!?」

 思わず口を大きく開いてしまった。
 襲撃者らに荷担したのだから、捕まるのも、当然といえば当然で。今さら驚くようなことではないのだが。

「そーみたい」
「酷いことをされたりしないかしら……」

 少し心配だ。

「ま、大丈夫なんじゃなーい? あの娘、下手に抵抗したりはしなさそーだし」
「あまり酷いことをされていないといいけど……」

 フィリーナは少々残念なところのある少女だが、悪人という感じの人ではなかった。それだけに、彼女が酷いことをされるところを想像すると、胸が痛む。

「きっとだいじょーぶよ!」
「本当に……?」
「あのラナたちでも、特に何もされることなくまだ生きてるんだものー」

 言いながら、リンディアは笑う。
 その笑みは快晴の空のよう。

「……そうね、そうだわ」

 リンディアの笑みを見ていたら、段々、大丈夫な気がしてきた。

「必要以上に心配するのは良くないわね」
「そーよ!」

 リンディアと言葉を交わしつつ立ち上がった私は、ゆっくり洗面所へと向かう。
 洗面所の鏡の前に立ち、そこに映る自分の姿を見て、溜め息を漏らしてしまった。

「……うわ」

 寝癖が酷い。
 私の金の髪は元々真っ直ぐではないけれど、いつも以上に乱れている。

 リンディアにこの状態を見られていたと思うと、少し恥ずかしい。

「なーにしてるのー?」
「へっ!?」

 洗面所の鏡を見つめていたところ、リンディアが背後から声をかけてきた。突然のことだったので、つい、かっこ悪い声を発してしまった。

「あ、驚かせちゃった? ごめんなさいねー」
「い、いえ。大丈夫よ」
「そ? ならいーんだけど。王女様は何をしてるのかなーなんて思ってねー、見に来てみたの」

 そんな風に話すリンディアの髪は真っ直ぐ。
 燃えるような赤の髪は、ほんの僅かに波打つことすらしていない。

 正直、羨ましい。

「寝癖を確認していたところよ」
「ふーん、そーだったの」

 リンディアはこちらへと一直線に歩いてくる。そして、私のすぐ隣で停止した。

「もしかして、寝癖気にしてるのー?」
「あ、いえ……気にはしていないわ。ただ、身嗜みを意識することは大切かと考えていただけよ」

 人は「気にしているのか」と聞かれると「気にしていない」と答えたくなるものだ。

「べつに、そんなに気にしなくていーんじゃなーい? ふわふわした髪も、かわいーわよー?」
「気にしてないって言ってるでしょ!?」

 うっかり調子を強めてしまった。

「あ……ごめんなさい。つい」
「いーえ、気にしないで」

 沈黙が訪れてしまった。
 気まずい。

 ……けれど。

 このまま黙っていたら、ますます気まずくなってしまうかもしれない。そんな風に思い、私は、勇気を出して話しかけてみることにした。

「そういえば、リンディアは綺麗な髪の毛をしているわよね」

 するとリンディアは、意外にも、何事もなかったかのように返してきた。

「あたしー? まっさか。そんなわけないじゃなーい」

 良かった。
 嫌われてはいないようだ。

「リンディアの髪、真っ直ぐで羨ましいわ」
「そ? あたしからすれば、王女様の髪の方が素敵よー?」
「……寝癖が酷いわ。直すのが面倒よ」
「まー確かに、それはそーかもしれないけど……でも、直毛過ぎるっていうのも、あまり色気ないのよねー」

 リンディアと話す時は、いつも不思議な気分だ。

 彼女のように飾り気のない女性と話す機会というのは、これまで、滅多になかったからである。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.112 )
日時: 2019/02/18 02:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

109話 料理見学、それもあり

「ところで王女様、朝食は?」

 直前までは髪の毛について話していたのだが、リンディアの方から急に話題を変えてきた。

「朝食?」
「食べるものは、もー決まってるのかしらー」

 水で髪を湿らせて寝癖を直そうと努力しながら、私は、リンディアの発言に対する言葉を返す。

「決まってはいないわ」

 一方リンディアはというと、洗面所内の壁にもたれて立っている。
 ほんの僅かに脱力したような立ち方が大人っぽい。

「そ。じゃーさ、今日はあたしが作ってあげるわー」

 いきなりの発言に、私は暫し何も返せなかった。返すべき言葉が、何一つ見つからなかったのである。

「あらー。意外とはんのー薄いじゃなーい」

 彼女が求めているのは、どのような言葉なのだろう。どう返事をすれば、彼女が喜ぶだろう。
 そんなことを色々考えてみるが、答えはなかなか出ない。

「ちょーっと、王女様? 聞いてるのかしらー?」
「……あっ。え、えぇ。もちろんよ」
「ホント? 怪しーわねー。ぼんやりして聞いてなかったんじゃないかしらー?」

 一応、ちゃんと聞いてはいた。が、ぼんやりしていたかと聞かれれば、ぼんやりしていたと答えざるをえないと思う。

 ちなみに、ぼんやりしていることと他人の話を聞かないことは、イコールではない。

「ぼんやりしてはいたけれど、聞いていないことはなかったわよ。朝食の話でしょう」

 するとリンディアは、一度目を見開いた後、ふっと笑みをこぼした。

「なーんだ! 聞ーてるじゃなーい!」
「もちろんよ」
「で、どーなの? あたしが作った料理、食べてみたーい?」

 どうやら、リンディアは料理を作りたいようだ。
 せっかく作りたいと思ってくれているのに、無下に断るというのも申し訳ない。ここは話を合わせておこう。

「ぜひ食べてみたいわ!」

 ……思っていたより明るい声になってしまった。

 明らかにいつもと違う声。
 わざとらしいと感じられていないか、少々不安だ。

 ——しかし、その不安は次の瞬間払拭された。

「ま、そー言ってくれると思ってたわよー!」

 リンディアが嬉しそうな顔をしながら、そんな風に言ったからである。

 今の彼女は、胸を張り、誇らしげな顔をしている。私のことをあれこれ考えているとはとても思えない。
 この様子だと、私が考えていたことはすべて杞憂で終わりそうだ。取り敢えず良かった。

「じゃ、行きましょーか!」
「え。どこへ?」
「どこへ、ですって? やーね! 調理場に決まってるじゃなーい!」

 なるほど、調理場か。
 まぁ確かに……料理をするなら調理場へ行くのが普通と言えよう。

「いいわね、楽しそう。けど……調理場なんて、勝手に入っていいの?」

 素朴な疑問を放ってみた。
 すると彼女は、さらりと答える。

「いーのよ!」

 一切迷いのない答え方だった。

「誰でも自由に使える調理場があーるのよー」
「そんなところが……!」
「着替えたら、早速行きましょー」

 なぜだろう、ワクワクしてきた。

「えぇ! すぐに着替えるわ!」

 こうして、私とリンディアは、調理場へ移動することになった。


 調理場は、想像を遥かに越える綺麗な場所だった。

 磨かれた鏡のようなシンク。何もこびりついていないコンロ。
 隅から隅まで清潔感に満ちている。

 私の中では、調理場といえばあまり綺麗でないイメージだった。水なんかによるくすみがあったり、油が飛んでいたり、そんな状態になっているものなのだと思っていた。

 けれど、今この瞬間目の前に広がる調理場は、そんなイメージとは真逆。

「とても綺麗ね!」
「そーね。食べ物を扱うところだもの、清潔にしてなくちゃならないわよねー」

 リンディアは、まず、赤い髪を一つに束ねる。それから、エプロンを着て、三角巾を頭に装着した。慣れた手つきだ。

「リンディア、私はエプロンがないわ」

 適当に選んだ服を着てきたため、今の私は、少々場に馴染まない服装になってしまっている。
 膝より二三センチほど下までの丈の、桜色をしたワンピース。

 ……なぜこれを選んでしまったのだろう。

「エプロン? なーに言ってるのよ。王女様は作らないでしょー?」
「けど、ここにいる以上、エプロンをしておいた方がいいんじゃないかって」
「いーのいーの! 気にする必要なんて、なーんもないのよー!」

 そういうものなのだろうか。
 調理場に来たのは初めてなので、私には、ここでの決まりがよく分からない。

「あたしが作るんだものー。ま、王女様はその辺にいてちょーだい!」

 結構適当なことを言われ、正直少し戸惑った。

「リンディアが料理するところ、見ていても構わないかしら」
「え。べつにいーけど……そんなに上手くはないわよー?」
「プロレベルなんかじゃなくてもいいの。ただ、料理というものを見てみたいだけだから」

 料理は、したことがないどころか、見たこともほとんどない。大体、完成したものを目の前に出されるのが普通だから。

「そーなの? ならもちろんいーわよ」
「やった! ありがとう」

 分からないことや知らないことほど、興味が湧くというものである。

「ところで、何を作ってくれるの?」
「んー……何にしよーかしら」
「卵焼きとか作れる?」
「えぇ、できるわよ。そーしましょっか!」

 こうして、意味もなく卵焼きに決まってしまった。


 それから私は、リンディアが料理するところを見学した。

 ——が、その様は想像を絶する凄まじいものであった。

 まず最初、卵を割る時、ボウルの端に当てる勢いが半端なかった。恨みのある相手を鈍器で殴る時のような、激しい叩きつけ方。その迫力に、私は圧倒されてしまった。

 凄まじい勢いで卵を割り、その中身をボウルへ入れる。そこへ、白い粒——塩だろうか、を入れ、掻き混ぜる。それから少しして、黒みを帯びた粒——多分胡椒を少し入れ、さらに掻き混ぜていく。

 その掻き混ぜ方も凄い。
 ボウルの中で渦潮が発生するかと思うような、とても人間業とは思えない混ぜ方なのである。

 果たして、ちゃんとした卵焼きが完成するのか——不安はあるが、今はただ見守ろう。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.113 )
日時: 2019/02/18 02:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

110話 ブラックな卵焼き

 リンディアの凄まじい卵焼き作りは続く。

 熱したフライパンに油をピューッとかけ、そこへ、先ほど渦潮が発生しかけていたボウルの中の卵を注ぎ入れる。

 コンロの火力は最大。
 噴き出す炎が目視でき、若干怖い。

 フライパンに投入された卵は、みるみるうちに固形化していく。こんなに早く焼けるものなのか、という感じだ。

 リンディアは近くに置いてあった菜箸を掴み、フライパンの上の固まりつつある卵を混ぜる。ぐちゃぐちゃにしてしまうようだ。

 言葉が出ない。

 彼女は、そうしてぐちゃぐちゃの塊のようになった黒い卵を、前もって用意していた二つの皿へずるんと乗せた。勢いのままにずるんと。卵焼きを皿へ移す時の動作とは思えない。驚くべき移し方だ。

 最後に、胡椒をパラパラとかけ、彼女は私の方へ視線を向ける。

「かんせーよ」

 おぉ……。
 どうやら出来上がったようだ。

「料理って、凄いのね」
「いいえ。あたしは素人だし、そんなに凄くないわよー」

 言いながら、リンディアは皿を二つ渡してくる。

「これ、向こうに持っていっといてもらってもいーかしら」
「もちろん。リンディアはまだ何かするの?」
「片付けをしなくちゃでしょー」
「そっか! 確かに!」

 つい失念してしまっていたが、リンディアに言われて気づいた。誰かが片付けをしてくれるわけではないのだ、と。

「分かったわ、持っていっておくわね」

 皿を二つ同時に持つことなんて滅多にないから、落とさず運べるか不安はあるけれど。

「あっちのテーブルでいいのよね?」
「そーよ。よろしくー」
「任せて!」

 二つの皿を持ち、調理場エリア内にあるテーブルのコーナーへと歩いていく。

 ゆっくり、慎重に。


 少し歩いて、テーブルのコーナーへ着く。

 私はぐちゃぐちゃな卵焼きが乗った二つの皿をテーブルへそっと置くと、すぐに転びそうなほど軽い椅子に腰掛ける。それから、隣の椅子を私が座っている椅子にぴったりとくっつけておいた。万が一リンディアが来たときに満席になっていたら困るからである。

 私は椅子に腰掛けて、リンディアが来るのをぼんやりと待つ。

「アンタ、薬はもう取りに行けたのか?」
「行けたっぷ」
「ならいいんだが……ちゃんと働けよ」
「もちろんっぷ」

 ぼんやりしていた私の視界を、話し声の大きい二人の男が通り過ぎていく。
 一人はやや腹が出た三十代くらいと思われる男。もう一人は、紫の髪を頭頂部で角のように固めているスリムな男。

「あの方は失敗には厳しいからな。アンタは詰めが甘いところがある、ミスには気をつけろよ」
「分かっているっぷ! ミスなんかしないっぷ!」

 元気そうな声で話しながら、ゆっくりと歩いている。

 知り合いでさえない人をジロジロ見るのは失礼なのだろうが、声が大きいうえ個性的な外見の二人なので、気になってつい見てしまう。

「ご褒美がお姉ちゃんだなんて、楽しみっぷねー」

 紫の髪のスリムな男は、そんなことを言いながらニヤニヤしていた。

 ……不思議な人たち。


「お待たせー」

 待つことしばらく、リンディアがやって来た。
 彼女の手には紙製コップとフォークが二つずつ。

「リンディア!」
「フォークと、ついでに飲み物も、持ってきたわよー」
「飲み物? あ、そうね。必要よね。ありがとう!」

 彼女は既に、三角巾とエプロンを外していた。髪だけはくくったままだが、他は料理をする前の状態に戻っている。

「ただのお茶だけど、良かったかしらー」

 言いながら、リンディアは私の向かいの椅子へ腰を下ろした。

 そうか。
 彼女が座るのは、隣ではなく向かい側だったか。

「えぇ、ありがとう。嬉しいわ」
「良かったー」

 お茶と黒い焼き卵が揃った。

「「いただきまーす!」」

 こうして、私たちはようやく手を合わせることができた。


 黒い焼き卵を、恐る恐る口へ運ぶ。

「……あっ」
「どー?」

 見た目の邪悪さとは裏腹に、わりと美味しい。

 意外だが、卵焼きらしい味。
 若干甘みが強い気はするが、吐き出したくなるほど甘いということはなかった。

「美味しいわ」

 表面がカリカリしていて渋苦いところだけは微妙だが、他は悪くない。

「ちょっと焦げちゃって悪かったわねー」
「表面は大人な味よね。肝なんかの味に似ている気がするわ」
「それは焦げてるのよー。だから、表面は残していーのよ」
「そんな、もったいないわ」

 表面はあまり美味しくはない。でも、リンディアが作ってくれたものだと思えば、ほとんど気にせず食べられる。

「せっかくリンディアが作ってくれたのだもの。食べられるところは全部食べなくちゃ、損よ」

 美味しいものを食べたい、と思うのは普通。もちろん私だってそうだし、誰だってそうだろう。

 けど、それだけではないと思うの。

 自分のために誰かが作ってくれるということは、とても嬉しいこと。だから、私にとっては、リンディアの手作りであるということが嬉しい。

 ぐちゃぐちゃに固まった黒い卵でも構わない。多少苦くたって、気にはならない。

「ふーん、心優しーのねー」
「当然のことだわ」
「そーなの? あたしにはよく分かんないわー」

 リンディアは自身の優しさに気づいていないのだろう。彼女の言動からは、自分を心ない人間だと思っている、ということを感じ取ることができる。

 けれど、彼女は本当は優しい人間。
 彼女自身は気づいていないのかもしれないけれど、私はその優しさを知っている。

 ……って、あれ?

 私、前にもそんなことを考えたことがあるような気がする。
 今と同じようなことを、誰かに対して思っていた覚えがある。

 誰に思っていたのだっけ。

 確か……ベルンハルト?

 記憶は正確ではないかもしれない。が、確か彼だったような気がする。

 だとしたら、不思議なことだ。
 運命という糸によって集められた私たちが、同じような部分を持っているのだとしたら、それはとても不思議なこと。

「ちょっと。どーしたのよ」
「えっ」
「王女様ったら、ぼんやりしちゃってー」

 つい自分の世界に入り込んでしまっていた。

「卵焼きが苦すぎて失神したのかと思ったわよー」
「まさか! それはないわ。ただ、考え事をしていただけなの」

 リンディアの卵焼きは、確かに苦い。魚介類の肝に似た、独特の苦みがある。卵焼きなのに表面が肝のような味、というのは、なかなか珍しい。生まれてこのかた、苦みのある卵焼きなんて食べたことがない。

 ーーけど、さすがに失神はないと思うわよ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.114 )
日時: 2019/02/26 15:18
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

111話 第五会議室

 それなりに穏やかな時間を送り、ついに、約束の日が来た。
 シュヴァルと話をする約束の日である。

 場所は第五会議室。
 会議室にしてはあまり広さのない、コンパクトな部屋だ。

 室内にあるのは、横幅が五メートルほどある横長のテーブルといくつかの椅子、そしてロッカー。ちなみに、ロッカーは部屋の隅にある。

 テーブルを挟み、私とシュヴァルは向き合って座る。これまでは、彼とこんな風に真っ直ぐ向き合うことはなかったから、今私は、妙に緊張している。

 室内には、父親もいる。

 だが、私としてはそれは好都合なこと。なぜなら、シュヴァルの言動すべてを父親に見せられるということだからだ。

 もちろん、室内にいるのは、それだけではない。

 アスターは回復しきっていないため来ていないが、ベルンハルトとリンディアは来てくれている。もし何かあった時に備えて、である。

 そして、フィリーナもいる。
 ちなみに、彼女のことを見張っているのはリンディア。

「それで王女様、お話とは?」

 先に切り出したのは、シュヴァル。

「王女様からこのシュヴァルに用があると、そう伺っておりますが」
「……単刀直入に聞かせてもらうわ」

 できれば早く決着をつけたい。
 だから、本題から入っていくことにした。

「シュヴァル、貴方……私のことを狙っているの?」

 彼にこんなことを問う日が来るなんて、夢にも思わなかった。
 以前から彼のことはあまり好きではなかったけれど、それでも、ずっと王女と星王の側近という関係であり続けられるのだと思っていた。

「ここ最近の襲撃、貴方が仕掛けたことなのではない?」
「何を仰っているのか分かりませんが。このシュヴァルが王女様を狙う理由なんて、あるものでしょうか」

 シュヴァルの表情には、まだ余裕がある。
 王女なんかに口で負けるわけがない、とでも思っているのだろう。

「このシュヴァルは、長年、星王様にお仕えしてきた身です。裏切るつもりなら、もっと早くに裏切っていたはずではありませんか」
「長年仕えることで『絶対裏切らない』と思い込ませておいてから、裏切る。そういうことはないかしら」

 ふと視線の端に入ったベルンハルトは、部屋の隅にあるロッカーをじっと見つめていた。
 ベルンハルトが余所見だなんて、珍しい。

「王女様、そんなことはあり得ませんよ」
「そうかしら」
「色々あって心配になられるのは理解できます。疑心暗鬼になられるのも、無理はありません。ただ、身近な者から疑っていくというのは少々おかしな話かと」

 シュヴァルに隙はない。

「そうだよな! シュヴァル!」

 唐突に口を挟んできたのは父親。

「裏切るわけがないよなぁ!」
「もちろんです」

 父親は「シュヴァルは裏切らない」と信じたがっている。彼が求めているのは自分にとって都合のいい答えで、それはシュヴァルも理解しているだろう。

 それだけに、厄介だ。

 何か証拠があれば、話が早いのだが。

 ——そんな風に思っていた時。

「あ、あの……!」

 リンディアに見張られているフィリーナが、体を縮こめたまま、口を開いた。

「フィリーナ?」

 物陰に隠れる小動物のように小さくなっているフィリーナは、怯えているのか、その琥珀のような瞳を揺らしている。

「少し……その、構いませんか……」
「何か言いたいことがあるの?」
「は、はいぃ……」

 私がフィリーナの立場だったら、多分、小さくなってじっとしていることしかできなかったと思う。このような冷たい空気の中にいても発言しようとする彼女の度胸は、私も見習わねばならぬ立派なものだ。

 フィリーナの琥珀の双眸が、シュヴァルを捉える。

「その……役目を果たせなくて、すみません……」

 彼女はシュヴァルに対し謝罪した。

「はい?」

 突然の謝罪に、怪訝な顔をするシュヴァル。

「失敗したことは謝りますぅ。で、でも……やっぱり、人を傷つけるのは……良くないです……」
「何の話ですか」

 シュヴァルはますます怪訝な顔になる。

「悪い人でもない人を殺すなんて……やっぱり、良くないと思うんです……」
「待って下さい。一体何を」
「忘れていませんよね……『王女様を確実に仕留めるために、一人にする』と、そう……言ったこと」

 フィリーナは両手を胸の前に寄せつつ、言葉を紡いでいく。

「あの時は……家族のことを言われて、怖くなって……拒めなくなりました……。でも、今なら言えます……! 仕留める、なんて、間違っているって!」

 いつもは失敗ばかりのフィリーナ。ちょっとのことですぐ涙目になる、情けないフィリーナ。
 けれど、今の彼女からは、凛とした空気が感じられる。

 不思議な現象だ。

 まるで、別人とすり変わってしまったかのよう。

「……もう止めて下さい。止めましょう、もう……こんなことは。こんなことを続けても、誰も幸せになんて……」

 その時。

 シュヴァルが突如、テーブルを強く叩いて立ち上がった。
 ばぁん、という刺々しい音が空気を揺らし、部屋全体に緊張の波が押し寄せる。

「貴女、一体何を言っているのですか」

 脅すような低い声で述べるシュヴァルの顔からは、先ほどまでのような余裕は消えていた。

 ——フィリーナの言葉は真実。

 シュヴァルの顔つきから、私はそう察した。

 だって、そうだろう。
 元々血の気の多い者ならともかく、冷静なシュヴァルなら嘘を言われて怒ったりはするまい。

 いや、もちろん、嘘を言われて腹が立つのは分かる。

 しかし、日頃のシュヴァルなら、こんな乱暴な行動には出ないと思うのだ。普段の彼ならちゃんと言葉で説明すると、そう思うのである。

「誤解を招くような嘘は控えていただけますかね?」
「あ……ごめんなさい。でも……! 嘘は言っていません……!」

 シュヴァルは無表情だ。
 目の前のフィリーナへ、憎しみのこもった視線を向けるだけである。

「シュヴァル、どうなっているの」

 私はシュヴァルに向けて言い放つ。

「やっぱり無関係じゃなかったのね?」
「…………」
「答えてちょうだい!」
「……えぇ」

 ——刹那。

 フィリーナの首に、弾丸が突き刺さった。

「あ」

 紅の飛沫が散る。

 それは、本当に一瞬のことだった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.115 )
日時: 2019/02/26 15:19
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

112話 動く

 少女は崩れ落ち、残るは紅と硝煙の匂いのみ。

「フィリーナ!」

 私は思わず叫ぶ。
 けれども、もう、この声が彼女に届いているかは分からない。

 突如撃ち抜かれたフィリーナの隣にいたリンディアは、目を見開いている。驚愕しているようだった。

 驚くのも無理はない、あまりに急なことだったから。

「シュヴァル……!」

 私はすぐに彼の方へと視線を向ける。

「なぜこんなことを」

 フィリーナへ向けていた銃口を下ろし、シュヴァルは襟を整えていた。何事もなかったかのような顔で。

「彼女は味方だったのではないの……!?」

 シュヴァルは彼女を利用していた。半ば無理矢理、協力させたのだ。歪な形だとしても、敵か味方かといえば味方だったはず。

 にもかかわらず、彼は彼女を躊躇いなく撃った。

 なぜそのようことを平気でできるのか、私にはまったく理解できない。説明なしでは欠片も理解できないし、たとえ説明されたとしても理解することは不可能に近いだろう。

「味方? ……いやはや、面白いことを言いますね」

 緊迫した空気の中、シュヴァルは微かに口角を持ち上げる。
 その表情は、動揺する私たちを嘲笑うかのようなものだった。

「彼女はただの駒にすぎません。味方、なんて近しいものではないのです」
「お……おいっ!」

 愕然とし言葉を失っていた父親が、この頃になって、ようやく口を開いた。

「シュヴァル! これは一体、どういうことなんだぁ!?」

 ずっと信じていた相手に裏切られた父親は、かなり動揺しているようだ。顔面は引きつり、瞳は震えていた。

「こんなにも早くこの時が来るとは思っていなかったのですが……」
「おい、シュヴァル! 問いに答えろぅ!」
「ま、仕方ないですね。こうなってしまってはもう」

 そこまで言って、シュヴァルは拳銃を構える。

 その銃口が睨むのは、父親。
 シュヴァルはついに、父親——星王にまで牙を剥くことにしたようだ。

「銃!?」
「申し訳ありませんが、ここで消えていただきます」
「おいぃ! 話が理解できないぞぅ!」
「理解していただかなくて、結構です」

 冷ややかに言い放ち、シュヴァルは引き金に指を添える。

「や、止め、止めてくれよ! そんなことぅ!」

 本来取り敢えず逃げなくてはならないような状況にもかかわらず、叫ぶことしかしていない。誰より信頼していた側近に銃口を向けられるという事態に、父親はかなり混乱しているようだ。

 そんな父親に駆け寄っていくのは、ベルンハルト。

 彼はすぐに、シュヴァルと父親の間に入った。

「べ、ベルンハルトぉ……」
「危険だ。逃げろ」

 ベルンハルトは落ち着いた声で父親に言う。

 しかし、父親はぼんやりしているまま。
 受けたショックが大きすぎたせいだと思われる。

「こんなの嘘だろぅ……夢だって……」
「現実だ」
「嘘だ! 嘘に決まってるぅ!」

 シュヴァルの裏切りを認めたくない父親は、冷静に現実を突きつけるベルンハルトに掴みかかる。

「嘘だと言ってくれよぅ!」
「これは現実。それが真実だ」

 そんな風に言葉を交わしていた父親とベルンハルトに向けて、銃弾が放たれた。

 ベルンハルトは咄嗟に気づき、反応。
 取り乱している父親諸共、地面に伏せる。

 おかげで、シュヴァルの拳銃から飛び出した弾丸が父親やベルンハルトに命中することはなかった。

 これは、ベルンハルトの動きによって助かったと言っても、過言ではない。父親一人であったなら、銃弾の餌食になっていたことだろう。

「王女様!」
「……リンディア」

 私の方へやって来たのは、リンディア。

「逃げるわよ!」
「わ、私?」
「そーに決まってるでしょー!」

 確かに、と思う。

 父親が狙われているところを見ていたため、私はまったく無関係であるかのように錯覚してしまっていた。が、よくよく考えてみれば、私も無関係ではないのだ。私だってシュヴァルに狙われる対象である。

「でも、フィリーナ」
「……そんなのは後でいーのよ」
「けど、命を落としてしまったら……!」

 ——ぱぁん。

 一瞬何が起きたか分からなかった。
 ただ、頬にじんわりとした痛みだけが残っている。

「どっちが大事なのよ!」

 リンディアは叫んでいた。
 どうやら私は、彼女にビンタされてしまったようだ。

「こんなところで殺されていーって言うの? だったら、大人しく殺られればいーじゃない!」

 シュヴァルの意識は、まだ父親らに向いている。

「生き残るためには捨てなくちゃならないものもあるのよ!」
「……リンディア」
「真実を明るみに出せた、今日はそれだけでじゅーぶんよ。一旦退きましょう」

 リンディアは手を差し出してくれた。

「星王様はベルンハルトが連れて逃げるから、こっちも脱出しましょ」

 私は、彼女の手を取る。
 まだ死にたくなんてないから。

「そうね」

 ——けれど。

「そうはさせませんよ、王女様」

 その時には既に、シュヴァルが、私たちの目の前にまで迫っていた。

 父親とベルンハルトは、もう室内にいない。無事脱出したようだ。そこはホッとできるところである。

 しかし、今度はこちらが危ない。

「こんなことになる原因を作ったのは、貴女です。このシュヴァル、貴女だけは生かして帰らせません」

 私たち二人と扉の間に、シュヴァルがいる。
 この状態では部屋から出られない。

「こんなことして、どーするつもり」

 リンディアが言い放つ。

「実の娘を巻き込むというのは、さすがに良い気がしません。そこを退きなさい、リンディア」
「残念ながら、それは無理よ!」
「父に逆らうつもりですか? そんな愚かな娘を持った覚えはありませんが」

 本当の父娘がこんな形で対峙することになるなんて。
 そんな思いが、胸の内を暗くする。

「愚かはそっちじゃなーい? あたしみたいなのを従者に推薦しちゃうなんて、ばっかねー」
「…………」
「あたしが言いなりになんないことくらい、分かってたでしょー?」

 挑発的に述べるリンディア。しかし、対するシュヴァルは、挑発などには乗らない。彼は、実の娘を、冷淡な目で見つめていた。

 一体どうなってしまうのだろう。

「……少々、娘を舐めていたのかもしれませんね」

 やがて、彼はそう呟いた。
 そして片手を挙げる。

「ま、想像の範囲内ではありますがね!」

 シュヴァルはパチンと指を鳴らした。

 すると、部屋の隅にあったロッカーの扉が開き、そこから男が二人も現れる。
 その男たちを——私は見たことがあった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.116 )
日時: 2019/02/27 16:30
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pD6zOaMa)

113話 腹とユニコーン

 シュヴァルが指をパチンと鳴らしたのを合図に、部屋の隅に置かれたロッカーから二人の男が現れた。

 その男たちを、私は見たことがある。

 あれは確か、数日前リンディアと調理場へ行った時のことだ。完成した卵焼きを持って、リンディアと合流するのを待っていると、二人の男が大きな声で喋りながら通過していった。

 一人はやや腹が出た三十代くらいと思われる男。もう一人は、紫の髪を頭頂部で角のように固めているスリムな男。数日経っているためある程度薄れてしまってはいるが、個性的な二人だったから、記憶から消え去ってはいなかった。

「捕らえなさい」

 冷ややかに命じるシュヴァル。

「承知!」
「はいっぷ!」

 二人の個性的な男はほぼ同時に返事をし、私とリンディアの方へ向かってきた。

 リンディアは拳銃を抜く。
 そして、引き金を引く。

「うわぉっぷ!」

 光の弾丸は、ユニコーンのような髪型をしたスリムな男の脚を掠めた。

「何してるんだ」
「ち、ちょっと当たったっぷ……」
「そのくらいで弱ってる場合かよっ!」

 意外にも、腹が出ている方の男が迫ってくる。

 リンディアは銃口を彼に向け、何度も光の弾丸を放つ。が、男はそれを確実にかわし、みるみるうちに接近してきた。

 距離を詰められたリンディアは、拳銃を下ろし、戦闘体勢をとる。
 肉弾戦になることを想定して、なのだろう。

 ——と、その時、突如腕を後ろ向きに引っ張られた。

「なっ……!」

 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。しかし、すぐ後ろに人影があるのを見た瞬間、背後に回られたのだと悟った。

「悪いけど、大人しくしておいていただけるっぷ?」

 いつの間にか背後に回り私の腕を掴んでいたのは、ユニコーンのような髪型をした男。リンディアに向かっていっているのとは違う方の男だ。

「……離して下さい」
「そういうわけにはいかないんっぷ」
「離して!」

 私は調子を強める。
 しかし、結局何の意味もなかった。

「無理なんっぷ!」

 離してもらえないどころか、逆に力を強められてしまった。

「ちょっと、痛いわ! 止めて!」
「……ごめんなさいっぷ」
「離してちょうだい!」

 腕をこんなに強く掴まれるのは、初めての経験だ。それだけに、衝撃が大きい。

 ただ腕を掴まれただけ。
 そう考えると、そんなに騒ぐようなことではないのだろうが。

「一体、何をするつもりなの」
「大人しくしてくれていれば、痛いことはしないっぷ!」

 ユニコーンのような頭の男は、そんな悪人には見えない。けれど、私の腕を離してくれそうにはなかった。

 大人しくしているしかないのだろうか。
 私には、腕を掴まれたままじっとしているという道しか存在しないのだろうか。

 無力。それを改めて突きつけられているようで、胸がずぅんと重い。何もできない無能。そう嘲笑われているようで、悔しい。

 でも、それらは真実だ。

 他人を救うどころか、自分の身を護ることさえ満足にできないのだから。

「お願い、離して」
「それは無理なんだっぷ」
「お願いよ」
「怖いのは分かるっぷ。でも、だからって離すわけにはいかないっぷ」


 それからしばらく、腹が出ている方の男がやって来た。
 彼の肩には、意識のないリンディアが担がれている。その光景に、私はさらに衝撃を受けた。

 ——私のせいだ。

 そんな思いが一気に押し寄せ、この胸の内で渦巻く。

「完了っぷ?」
「あぁ。これを使えばすぐに終わった」

 リンディアを担いでいる腹が出た男の手には、折り畳まれた白い紙。

「紙っぷ?」
「あの薬品で塗らした紙だよ」
「なるほどっぷ!」

 今すぐ突き飛ばしてやりたい、と思った。今すぐ駆け出して転倒させてやりたい、と。
 リンディアに酷いことをした男を、私は許せなかったのだ。

 だが、何かしてやりたいと思ったところで何かができるわけではない。このユニコーン頭から逃れない限り、自由に動くことはできないのだ。

「アンタも順調か?」
「もちっぷ! この娘は力が弱いから、気絶させなくても大丈夫そうっぷ」
「そのまま連れていくのか」

 ……連れていく?

「一応そのつもりっぷ!」
「なら目隠ししておけよー」
「このままで大丈夫だと思うっぷよ?」

 どこか真面目さのある腹が出た男と、非常に呑気なユニコーン風な髪型の男。二人の会話からは、彼らの親しさが溢れ出ている。

「そんなだから、アンタは詰めが甘いんだよ」
「えぇー。そんな言い方、酷いっぷ!」
「取り敢えず、目隠ししろよ」
「分かったっぷ! 分かったっぷ!」

 その後、私の腕は腹が出ている方の男に渡された。それから、ユニコーン頭の男によって、白く細長い紙で目隠しを施される。

 視覚さえ奪われた。
 周囲の状況を確認することさえままならない。

「よしっ。これで行くっぷよ!」

 ユニコーン頭の男は個性的な口調だ。だから、彼は話し方だけで彼だと判別できる。少々イラッとする口調ではあるが、判別しやすいという意味ではありがたいかもしれない。

 しかし、どこへ連れていかれるのだろう?

 それだけが謎だ。

 捕らわれ殺されるというなら分かる。だが、どうやらそうではないらしい。
 すぐに殺されないのはありがたいことではある。けれど、「死以上の悲劇が待っていたら……」という不安は、どうしても残ってしまう。

「あの方の指示通り、あそこへ行くぞ!」
「分かっているっぷ。そんなに慌てなくていいっぷ」
「アンタは呑気すぎるんだよ」

 私は強制的に歩かされた。

 目隠しのせいで何一つ見えず、一歩踏み出すことすら不安だ。

 どこへ行くのか、どんなところを行くのか。そういったことが何も分からない状態でただひたすらに歩くことがこんなに不安にさせるということに、私は初めて気づいた。

 しばらくして、私は考えることを止めた。

 考えれば考えるほど不安になる。
 良いことはまったくない、と感じたから。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.117 )
日時: 2019/03/04 18:02
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1Fvr9aUF)

114話 廃墟

「さぁ、着いたっぷよ」

 そんな言葉が耳に入ったのとほぼ同時のタイミングで、紙製の目隠しが外された。視界に光が戻る。

「ここは……」

 今おかれている状況を理解しようと、私は、辺りを見回してみた。しかし、辺りを見回しても、まともな情報を得ることはできそうにない。というのも、天井や壁、床など、すべてが同一の材質なのである。

 私が今いるこの場所には、真っ黒なコンクリートしか存在しない。

 ここはどこなのか。
 何のための場所なのか。

 また、なぜこんなところへ私を連れてきたのか。

 疑問は山ほどある。けれど、そのすべてを問うことなどできないだろう。それに、もし仮に問えたとしても、答えてもらえないに違いない。

「……ここは、どこ?」

 辺りには、髪の毛がユニコーンの角のようになっている男だけしかいないようだ。

 親しくもない男と二人きりというのは、何とも言えない気分になってしまう。嫌なことをされたりしないだろうか、というような不安も生まれる。

 ただ、一対多の状況よりかはましかもしれない。

 一対一ならば、何とかなりそうな気がしないこともないからだ。

「ここは郊外の廃ビルだっぷ」
「廃ビル?」
「そうそう、廃ビルっぷ!」

 なるほど。使われていない建物、ということか。

 ……通行人に助けを求めることはできそうにないわね。

「ねぇ」
「何っぷ何っぷ?」
「貴方も、シュヴァルに頼まれてこんなことをしているの?」

 私の問いに、男は笑顔で答える。

「そうっぷ! 成功したらお姉ちゃんを貰えるんっぷ!」

 角が生えたかのような髪型の男は、頭を上下させながら、そんなことを言った。
 男の言動からは、彼が褒美を楽しみにしているということがひしひしと伝わってくる。もっとも、お姉ちゃんを貰うもののように言っているところは謎で仕方ないのだが。

「そう……」
「お姉ちゃんを貰うため、頑張っているんっぷ!」
「そんなに女の人が欲しいのね」

 人を物みたいに言う男に少々苛立ち、つい嫌みを言ってしまった。こんなこと、私らしくない。

 しかし、男は怒りはしなかった。
 ただ、じわりと距離を詰めてくる。

「そうっぷ。女の子は癒やしなんっぷ」

 近づいてきた男は、私の片側の手首を掴む。そして、腕を上へ引き上げる。

「……何をするつもり?」
「褒美の前に、少し楽しませてもらうっぷ」

 男の片手が私の体へと伸びかけた——その時。

 ガタン、と音がして、遠くに見える扉が開いた。やや腹が出ている方の男がやって来たのだ。

「何勝手なことしてんだ、アンタ」
「う、うわ、うわわっぷ!」

 突如声をかけられたユニコーン頭は、驚き、私の手首から手を離す。
 ぎりぎりのところで触られずに済んだ。これはかなりの幸運である。今ばかりは、やや腹が出た三十代くらいと思われる男に、感謝しなくてはならない。

「な、何もっ……してないっぷ」
「本当か?」
「ほ、ほんっとうっぷ! 嘘なんかつかないっぷ!」

 ユニコーンのような髪型の男は、胸の前で両手をひらひらと動かし、ごまかそうとしている。しかし、明らかに不自然なその動作のせいで、焦っていることがまるばれ。彼は嘘をつくのが苦手なタイプのようだ。

「嘘なんかつかない? そんな当たり前のことを敢えて言うなんて、怪しいと思うぞ」
「そっ……そうかなっぷ?」
「ま、いいけどさ。取り敢えず、勝手なことはするなよ」
「分かっているっぷ」

 やや腹が出ている方の男は、ユニコーン頭が嘘をついていることに気づいているようだった。分かってはいるけれど、敢えて追求はしない——そういうことなのだろう。

「じゃあ、アンタは彼女を連れてこっちへ来てくれ」
「え。今っぷ?」
「そうだ。あっちの女が目覚めたからな、一緒に閉じ込めておこう」

 私は今から、どこかに閉じ込められるというのか。

 男たちの会話は、聞けば聞くほど不安になってしまう。できるなら、耳を閉じておきたいくらいだ。

 こういう時は不便よね、耳って。
 目なら閉じれば何も見ずに済むのに、耳はどうやっても聞こえなくできないんだもの。

「オッケーっぷ! 行こう行こうっぷー」
「逃がさないよう、ちゃんと捕まえておいてくれよ」
「大丈夫っぷ」

 ユニコーン頭に再び手を掴まれる。
 けれど、先ほどの掴まれた時に比べると、精神的な負担はあまりない。

 いや、もちろん、これから起こることに対する不安はあるわけなのだが。けれども、先ほどのように嫌らしい目で見られることに比べれば、まだましと言えるのである。


 先ほど腹が出ている方の男が入ってきた扉を通過。そこには、狭い廊下があった。三人横に並んで歩くのはかなり厳しい、というくらいの幅しかない廊下を、私は歩かされた。腹が出ている方の男が案内役であるかのように前を行き、私は、ユニコーン頭に腕を握られた状態で歩く。罪人にでもなったような気分だ。

 しばらく歩くと、前を行っていた男が足を止めた。それに合わせ、ユニコーン頭と私もその場で停止する。

「ここから入るぞ」
「え、そこからどこかへ行けるっぷ? 扉なんかないっぷけどっぷ」

 腹が出ている方の男が手を当てているのは、ただの壁。雨降りの前の空みたいな灰色をした、人工的な素材の壁だ。扉らしきものは見当たらないし、ロック解除のための何かがある様子もない。

「呪文でも唱えるっぷ?」
「いや」

 しかし、そこには本当に扉があった。

「押せば開く」

 腹が出ている方の男が壁を押すと、驚いたことに、ギィと音をたてながら壁が動いた。まるで、扉のように。

「おおうっぷ!?」

 驚いていたのは、どうやら、私だけではないようだ。
 私の腕を掴んでいるユニコーン風な髪型の男も、目を大きく開き、愕然としていた。

 現れた扉を通り、その中へと入っていく……。


 部屋の中に入って、驚いた。
 暗い部屋の一番奥にリンディアの姿があったから。

「リンディア!」

 一つに束ねた赤い髪。見間違うはずがない。彼女は間違いなく、リンディアだ。
 私一人だけが連れられてきたという可能性もあったのだが、どうやら、そうではなかったようだ。

 こんなことを思うのは酷いかもしれないが……彼女も連れられてきていたのだと知り、ほんの少し安堵した。ずっと一緒にはいられないにしても、完全に一人きりという状況よりかは、彼女もいてくれる方が安心感がある。

「リンディアなの!?」
「……その声、王女様ねー」

 室内が明るくないため、視界はあまり良くない。けれど、目の前の女性が発した声を聞いて、彼女がリンディアであると確信することができた。赤い髪と声。それらが揃っているのに別人だった、という可能性は低いだろう。

「……無事なの」
「えぇ、大丈夫。リンディアは?」
「問題ないわー」

 この頃になってようやく冷静さを取り戻してきた私は、改めて、目を凝らす。リンディアの状態が気になるからだ。

 ただ、問題が一つ。

 それは、かなり見えにくいこと。

 私は目が悪いわけではないけれど、この環境下ですべてをちゃんと捉えることは難しい。そのため、赤い髪のように目立つところは見えるのだが、それ以外の黒っぽい部分などは上手く捉えられないのである。

 目を凝らしリンディアの姿を確かに捉えようと試みていると、唐突に、両腕を後ろへ回された。

「えっ」
「じっとしててっぷ」

 手首には縄のざらついた感覚。

 ——くくるつもり?

「何も言わず始めるのは、止めてちょうだい!」
「このくらい、前もって伝えることではないっぷ。大袈裟っぷよっぷ」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.118 )
日時: 2019/03/04 18:03
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1Fvr9aUF)

115話 現状を知り

 イーダとリンディアが廃ビルへ連れていかれていた頃、父親——星王は、ベルンハルトと一緒にいた。

「はぁ、はぁ……」

 久々にまともに走ったからか、星王は荒い呼吸をしている。

「大丈夫か」

 呼吸が乱れる星王を、ベルンハルトは不安げに見つめる。

「もちろん大丈夫だけどなぁ……ただ、ちょっと……」
「何だ」
「ショックが……大きすぎてぇ……」

 星王の足取りはかなり不安定だ。まるで酒を飲み過ぎたかのように、ふらりふらりとした歩き方になっている。

「気分が悪いのか」
「まさか本当にぃ……シュヴァルが……ううぅ」

 シュヴァルの裏切りを知ってしまったことがよほどショックだったらしく、星王は涙目になっていた。長い間シュヴァルを純粋に信じていた彼にとって、突きつけられた現実は少々酷だったかもしれない。

「無理はしない方がいい」
「うぅ……」

 すっかり落ち込んでしまっている星王は、ベルンハルトにもたれかかる。

「……そうだぁ」
「何か?」

 ベルンハルトは星王の体を支えつつ、会話を続ける。

「イーダは、イーダはどうなったんだぁ……?」
「リンディアがついている」
「なかなか来ないけどぅ……本当に大丈夫なのかぁ……?」
「もしものことがあった時には、と、リンディアとは前もって話をしていた。だから大丈夫だ。彼女はきっと、イーダ王女を護る」

 その時。一人の侍女が、星王らのもとへと走ってきた。

「あのっ!」

 すべての侍女が星王と接触したことがあるわけではない。いや、それどころか、むしろ星王と直接関わったことのない侍女の方が多いくらいだ。

 そのような状態だから、星王は、走ってきた彼女のことを知らない。

 ただ、彼女の顔が青ざめているのを見て、何かが起こったのだろうと察することはできたようだ。

「今さっき、目隠しされたイーダ王女が連れていかれるところを目撃しました!」
「まさか!」

 侍女の発言に対し、すぐに言葉を返したのはベルンハルト。
 彼の瞳は、動揺の色をくっきりと映し出している。

「……赤い髪の女はいたか」

 ベルンハルトの双眸がキッと鋭くなるのを見て、侍女は少々怯えたような目つきになった。

「赤い髪の……女性、ですか?」
「近くにいなかったか」
「えぇと……」

 侍女は視線をほんの少し左上へ移動させる。

「あっ! そうでした!」

 暫し何やら考えた後、彼女はそう発した。

「いてました! 赤い髪の方! 確か、男に担がれていたような……そんな記憶があります」

 ベルンハルトは眉を寄せる。
 それから少しして、彼は静かな声で「そうか」と発した。

「う……嘘だろぅ……!?」

 その時になって、ベルンハルトに支えられていた星王がようやく口を開いたのだった。

「イーダが……イーダがぁ……」

 星王の瞳は、凄まじい勢いで震えていた。

「また、あの時みたいになったら……!」
「落ち着いてくれ」
「あ、あぁ……! そんなぁ……!」

 ベルンハルトは情報を教えてくれた侍女に軽く礼を言うと、混乱した状態の星王の体を支えて歩き出す。

「嫌だ嫌だ嫌だ……」
「取り敢えず、アスターのところへ行こう。その方が、一人よりかはましだろう」
「イーダイーダイーダ……」

 正気を失ってしまっている星王はよく分からないことを繰り返す。意味もなく、ただひたすらに繰り返す。その光景は、狂気さえ感じられるようなものだった。

 そんな中にあっても、ベルンハルトは表情を崩さない。

 彼とて、この急展開に動揺していないということはないだろう。不安や焦りも、多少はあるはずだ。
 ただ、それでも表情は変えなかった。


 アスターがいる部屋に着いた。
 ベルンハルトは星王の体を支えたまま、室内へと入る。

「おぉ、ベルンハルトくん!」

 ベッドの端に座り本を読んでいたアスターは、ベルンハルトらの気配にすぐに気づき、振り返った。少し嬉しそうな顔で。

「話は終わったのかね?」
「……れた」
「ん? 悪いが、もう一度言ってもらっても構わないかな」
「連れていかれた」

 やや俯いているベルンハルトの唇から零れた言葉に、アスターは口をあんぐりと空けた。

「そんなことが……?」
「リンディアも」
「な! リンディアまで!」

 驚いた顔でアスターは言った。
 いきなり告げられた言葉を、彼は、まだ理解しきれていないようだ。

「アスター、この人をここへ置いていってもいいか」
「星王だね。構わないよ」

 言いながら、アスターはゆっくりと立ち上がる。そして、部屋の隅にあった椅子をベルンハルトの目の前にまで運んできた。

「もう歩けるのか、アスター」
「戦えるかは分からない。ただ、普通に生活する程度なら何の問題もないよ」

 肩や手の甲にある刺された跡は、まだ消え去ってはいないだろう。完治してもいないはずだ。しかしアスターは、何事もなかったかのように振る舞っている。

「さぁ、この椅子に座るといい」

 アスターは意外にも、柔らかな笑みを浮かべた。甘い微笑みだ。
 それに対しベルンハルトは、あっさりとした声色で「感謝する」とだけ言い、星王を意外へ座らせる。

「嫌だ……嫌だ嫌だぁ……」

 意識があるのかないのか、それすらはっきりしないような状態の星王は、まだ言葉を漏らしていた。

「すまんイーダ……すまん……ああ嫌だぁ……」

 とても正気とは思えないような振る舞いを続ける星王を、アスターとベルンハルトは、それぞれじっと見つめる。

 十秒ほど見つめ、二人はほぼ同時に顔を上げる。

「……これは一体、どうなっているのかね?」
「イーダ王女が連れていかれたショックでこうなってしまった」

 ベルンハルトの言葉に、眉を上げるアスター。

「そうか……まぁ無理もない」

 アスターの呟きに、ベルンハルトは首を傾げる。

「どういう意味だ」
「娘を失うということはだね、それだけ辛いことなのだよ」

 二人が言葉を交わしている間も、星王はずっと、「嫌だ」だとか「イーダ」だとかを繰り返し発していた。

「アスターにも娘が?」
「私の娘はリンディアだよ」
「……リンディア? あいつはシュヴァルの娘ではなかったのか」
「そうだとも。ただ、彼女の一番近くにいたのは私だ。だから、父親のようなものなのだよ」

 アスターは過去に思いを馳せるような遠い目をしていた。

「……父親は」

 ベルンハルトは小さく口を動かす。

「父親は、子の幸福を望むものなのだろうか」
「ん?」
「子が、用意されていたのとは違う勝手に選んだ道を行ったとしても、それでも、幸福を望んでくれるのだろうか」

 アスターは不思議なものを見たような顔。
 戸惑っているようだ。

「僕の父親はオルマリンと戦ってきた。そして、結果的に命を落とした。けど、その意思が消えるわけじゃない——父親はそう思っていたはずだ」

 ベルンハルトは俯く。

「打倒オルマリンの意思は、息子である僕が継ぐ。誰もがそう思っていたはずで。だが、僕はその意思を継げなかった」
「……ベルンハルトくん」
「今でも時折思うことがある。僕は選ぶ道を間違えたのではないか、と」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.119 )
日時: 2019/03/04 18:04
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1Fvr9aUF)

116話 それぞれの方法で

「僕はイーダ王女に仕えるという道を選んだ。後悔していないと思ってはいたが……それでも、どうしても引っ掛かりが消えない」

 心の内を話すベルンハルトの表情は、明るくはなかった。

「本当は、オルマリンではなくネージアの味方をして生きる方が、ずっと良かったのかもしれないと……たまに思うことがある」

 それに対しアスターは言う。

「その方が楽だから、かね」

 アスターの声は、それまでとはまったく違った。直前までの穏やかさはどこへやら、今の彼の声は刃のような鋭さを帯びている。

「君がそうしたいのなら、そうすればいい。義務なんてないのだから」

 そう言ってから、アスターは扉に向かって歩き出す。
 アスターが移動し始めたことに気づいたベルンハルトは、その背に向かって叫ぶ。

「アスター! どこへ行くんだ!」

 しかし、アスターは振り向かない。

「どこへ」
「……迎えに行く。それだけだよ」
「イーダ王女たちのところへ行くつもりか? どこへ行ったかも分からないのに?」

 ベルンハルトはアスターに歩み寄っていく。そして腕を掴もうと伸ばした手を——アスターは強く払った。
 ぱぁん、と乾いた音が響く。

「……っ!?」
「君は来なくていい」

 アスターがベルンハルトに向けた視線は、非常に鋭いものだった。

「僕も行く!」
「迷っているのならば、行かない方がいい。……私はそう思うのだがね」

 何か言いたげなベルンハルトも、人を寄せ付けないような目をしているアスターも、暫し何も発さなかった。室内は葬儀中のような静けさだ。

 それからだいぶ経過して、先に沈黙を破ったのはベルンハルト。

「イーダ王女がどこへ連れていかれたのか、分かるのか」
「あるよ。心当たりは、だがね」
「ならはっきりと言え!」
「イーダくんに仕えることを後悔しているような者に、情報を教える気はないのだがね」

 アスターはいつになく冷ややかな目をしている。

「一人で行くつもりなのか」
「……そうだ、と言ったら?」
「戦えるような状態でないことは分かっているんだろう、アスター」

 ベルンハルトがそう言うと、アスターは再び歩き出してしまう。

「待て!」

 歩き出した彼の背に向かって、ベルンハルトは叫ぶ。

 しかし、アスターがそれに返事をすることはなく、彼はそのまま出ていってしまった。

 ベルンハルトは、正気を失った星王以外に誰もいない部屋に取り残され、俯きつつ拳を握る。

 一人俯く彼の顔に浮かぶのは、複雑な表情。
 既存の言葉では言い表せないような、繊細な色。

 ——だが、それを誰かが目にすることはなかった。


 一方、アスターはというと。

「はぁ……。つい出てきてしまった」

 らしくなく部屋を飛び出してしまった彼は、ベルンハルトに対して冷たい態度を取ったことを少々後悔していた。

 彼は一人歩く。
 相棒とも言える狙撃用銃を取りに、自室へ向かっているのである。

「一人で、は、さすがに無茶だったかね……」

 自室へ着くと、その中に置いてある相棒を担ぎ上げる。

「そういえば、禁止されていたのだったな」

 相棒を担ぎ上げてから、アスターは小さく呟いた。以前イーダに言われたことを、今になって思い出したのだろう。

 けれど彼は、相棒を置きはしなかった。
 相棒の狙撃用銃を持ち、アスターは自室を出る。

「あの弾……まだ使えるのか謎でしかない」

 その後、アスターは建物を出た。

「さて……どこへ行こうかね」

 心当たりなんてなかったのだ。
 イーダが連れていかれた場所、なんて分かりっこない。

 それでも、今さら戻ることなんてできない。アスターの後ろに道はなかった。ただ前に進むしかない。例え何も分からずとも、今の彼にはそれ以外の道は選べなかったのだ。

 相棒を片腕で抱えたアスターは、おぼつかない足取りで街を歩く。

 この前の戦いで負った傷は回復しきっていない。だから、歩くことさえ十分にはできないような状態で。けれど、もはや引き返すことはできないから、彼は歩いていく。足を動かす。

 憂鬱な顔で街を歩くアスターは、かつて天才とも言われた狙撃手と同一人物とはとても思えない。

 今や彼は、浮かない顔をした一人の初老にすぎないのだ。


 アスターが街を歩いていた頃、ベルンハルトはというと、カッタッタのもとを訪ねていた。

「突然訪ねてすまない」
「気にすんな! 俺らはもう、友だもんな!」
「いや、友のつもりはないが」
「ガーン!!」

 カッタッタは相変わらず陽気だ。ベルンハルトの心がどんな状況であるかも知らず、元気に騒いでいる。

「一つ頼みたいことがある」

 そんな呑気なカッタッタに対し、ベルンハルトは暗い顔で言う。

「何だ何だ? もちろん協力するっ!」
「シュヴァルの仲間と思われる人物に連れていかれたイーダ王女を探してほしい」
「えっ」
「これが頼みだ」

 ベルンハルトの言葉に、カッタッタは戸惑った顔をする。

「ちょ、あの、えっと……どういう話なんだ? それは」
「なるべく早く、イーダ王女のもとへ行きたい。捜索だけでいい、それ以上は求めない」

 言いながら、ベルンハルトは頭を下げた。

「え、ちょ……何? 何?」

 いきなり頭を下げられたカッタッタは、混乱したように漏らす。

「それは、王女さんが拐われたってこと……だよな? でも、俺らに情報は来ていない。一体どうなってんだ?」
「情報はシュヴァルが止めたのかもしれない。僕にはよく分からないが……」

 その時、カッタッタは急に明るい声を出した。

「なるほどな! 理解したっ!」

 今このタイミングでそれ? と言いたくなるくらいの明るい声。
 これには、ベルンハルトもさすがに驚いていた。

「困った時はお互い様だからな!」
「任せていいか」
「もっちろん! 前はこっちが世話になったからなー。お返しと言ってはなんだが、今度は俺が助ける番だ!」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.120 )
日時: 2019/03/04 18:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1Fvr9aUF)

117話 それだけに、恐ろしい

「大丈夫? リンディア」
「へーきよ」

 私の両手首をくくった後、男たちは部屋から出ていった。
 カチャンと音がしたことから、私は、施錠されたということを察する。

「酷いことされたり……しなかった?」
「特にー。拘束されたのと、拳銃を持っていかれたのだけよー」
「なら良かったけれど……」

 リンディアは、腕も足もくくられていた。それに対して、私は腕だけ。足は自由だ。

 男たちが、私よりリンディアを警戒しているという証明だろう。

 それはつまり、私は舐められているということ。
 どうせ何もできやしない、と考えられているということ。

 そういう考えると、悔しい。

 けれど、呑気に「悔しい!」なんて言っていられるような状況ではない。
 せっかく足が自由なのだ、そこを上手く活用せねば。

「王女様は、あたしのことより自分のことを心配した方が、いーんじゃない?」
「そうね。私にできることを考えるわ」

 辺りを見回す。が、室内に物はなかった。何か使えそうな物があれば、と辺りを確認したのだが、使えそうな物どころか物が何一つとしてなかった。見えるのは、灰色の味気ない壁と窓一つだけである。

「ここから逃げ出すには……どうすればいいのかしら。それを考えなくちゃならないわよね」
「違うわよ、王女様」
「え?」
「逃げ出しただけじゃ、同じことが繰り返されるだけだわー」

 確かに、と納得する。

 私はここから脱出することだけを考えていたけれど、それではいけないのだ。脱出したところで、また狙われるなら何の意味もない。

「根本的なところをどーにかしなくちゃでしょー」
「確かにそうね。けど……それだと、なおさら難しい話になってしまうわ」

 その時。

 入り口部分の壁をドンドンと乱暴に叩く音が聞こえてきた。

 私は咄嗟に身構える。
 隣にいるリンディアも、先ほどまでより鋭い目つきになっていた。

「入るぞ!」

 入り口部分の向こうから聞こえてきたのは、男の声。恐らくは、私たちをここへ連れてきた、やや腹が出ている方の男だろう。

 その声から十秒ほどが経ち、入り口部分がゆっくりと開いた。

 最初に部屋へ入ってきたのは、やや腹が出ている男。そして——その後ろには、シュヴァルの姿もあった。

「……っ!」

 目を開き、詰まるような音を漏らしたのはリンディア。彼女の水色の瞳は、実の父親であるシュヴァルを捉えている。

「……シュヴァル」

 私は威嚇するように低く呟く。

 気を許してはならない。彼はもう、父親に使えている側近ではないのだから。

 今の彼は、敵。
 私の命を狙う、絶対的な敵だ。

「気分はいかがです? 王女様」
「……答える義理はないわ」
「なるほど。答えられるような気分ではない、と」

 なにやら曲解されてしまったようだが、まぁそのくらいは良しとしよう。

 黒いスーツに身を包んだシュヴァルは、こつんこつんと乾いた足音をたてながら、こちらへ歩いてくる。

「ま、そうでしょうね……」

 徐々に近づいてくるシュヴァルを、リンディアは鋭く睨みつける。
 そこには、父娘らしいものなど欠片も存在していなかった。

 私に向かって歩いてきているシュヴァルだったが、ある程度の距離のところで足を止めた。

「近寄るんじゃないわよ!」

 リンディアが立ち塞がったからである。

 ……いや、実際には立てていないので「立ち塞がった」という表現はおかしいのかもしれないが。

「邪魔しないで下さい」
「悪いけど、させてもらうわー」
「邪魔をするというのなら、娘であっても容赦はしません」

 シュヴァルは、私との間に入りしかも睨んでくるリンディアに、苛立っているようだ。湧き上がる苛立ちを制するためか、彼は、眉間にしわを寄せ、乱雑に頭を掻いている。

「べっつにー。よーしゃなんてしていらないわよー」

 彼が苛立っていることに気づいているのか否か。そこは不明だが、リンディアは相変わらずの挑発的な物言いである。シュヴァルがイライラしてしまうのも、分からないことはない。

「好きにしてくれればけっこーよ。ただし、王女様に手を出させたりはしないわー」

 両手両足の自由を奪われてもなお、リンディアは強気な姿勢を崩していない。
 そこは尊敬すべきところだと思ったりする。

「邪魔をするのは止めなさい。リンディア」
「そー言われると、逆に邪魔したくなるわねー」
「何ですか、その態度は……!」

 シュヴァルは震えている。
 苛立ちが大きく膨らんできたのだろう。

「言っておくけど、あたしはアンタに従う気なんてさらさらないわよー」
「ふざけた真似を!」

 苛立ちがついに爆発。

 シュヴァルはリンディアの襟を掴み、彼女の体を引き寄せる。

 それなりに背のある彼女の体が簡単に地面から浮いたことに、見ていた私は驚きを隠せなかった。シュヴァルにそこまでの腕力があるとは思っていなかったからである。

「なーによ」

 シュヴァルに体を引き上げられたリンディア。しかし彼女はまったく動じていなかった。両手両足を縄でくくられ抵抗できない状態で、しかも宙に体を持ち上げられているにもかかわらず、動揺の色は一切見せない。

「こんなことしたくらいで、あたしを止められる気でいるってのー?」

 私だったら狼狽えていただろう。

「無駄よー」
「……ふざけるな!」

 苛立ちを抑えきれないシュヴァルは、リンディアを床に投げつける。

 ドサッと音をたてて、彼女の体は床へと落ちた。

「リンディア!」

 思わず叫んだ。

 けれど、彼女に駆け寄る時間はなかった。
 というのも、リンディアが起き上がってくるまでの間に、シュヴァルが私へ寄ってきたのである。

「……来ないで」
「来るなと言われて行かないのなら、最初から行きません」

 シュヴァルは嫌み混じりに言いながら、みるみるうちに接近してきた。

 何を仕掛けてくるか分からない。だから、油断はできない。このような状況においては、油断は命取りになり兼ねないのだ。それに、少しでも隙を見せるようなことがあっても駄目。絶対に、隙も弱みも見せてはならない。

「殺しでもするつもり?」
「まさか。それはまだです」

 一歩、二歩、三歩……彼が足を動かす度、私と彼の間の距離が縮む。

「まだ、ですって? じゃあ、いずれは殺すつもりなのね」
「それはまぁ、そうなるでしょうね」
「そんなことが許されるわけがないわ!」

 脅しであるなら、神経質に気にすることはない。
 気にしなければ勝ちなのだから。

 だが、相手はこれまで何人もの刺客を見捨ててきた彼。

 あのフィリーナさえ、己の手で傷つけた彼。

 それだけに、恐ろしい。
 本当に殺しにくる可能性も大いにある、と思ってしまうから。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.121 )
日時: 2019/03/04 19:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 50PasCpc)

118話 冷たき静寂

 一歩、一歩、歩み寄ってくるシュヴァル。彼との距離が縮まるたび、私の鼓動は大きく速くなってゆく。さらに、背筋を冷たいものが駆け抜け、生物としての危機感を覚える。

「……こんなことをして、どうするつもりなの」
「どうするつもり? そんなこと、貴女にお話しする必要はありません」

 シュヴァルは私へ手を伸ばそうとする。

 私は咄嗟に後ろへ下がった。
 幸い足はくくられていなかったので、一二歩下がるくらいのことは容易であったのだ。

「話してちょうだい!」
「おや……随分強気ですね。分かっているのですか? 今の状況を」

 分かっていないわけがないじゃない。
 危険な状況だってことくらい、素人の私でも分かるわ。

 でも——だからこそ。

 不利で危険な状況におかれているからこそ、弱音を吐いてはいられない。不安であってもそれは隠し、強気に振る舞わなくてはならないのだ。

「シュヴァル! こんなこと、もう止めて!」
「それは無理な願いです」
「貴方だって馬鹿ではないはず。分かるでしょう、こんなことを続けても何も変わらないと」

 私がそう言うと、シュヴァルは大股で接近してきて私が着ている服の襟を乱暴に掴んだ。そしてそのまま、私の体を壁の近くへと移動させる。

「……っ!」

 体を壁に押し付けられ、私は思わず音を漏らしてしまった。声にもならないような、微かな音を。

 その次の瞬間、私は思わず喉を上下させた。

 ——首筋に銃口が突きつけられていたからである。

「立場を理解できないというのなら、恐怖で理解させて差し上げても良いのですよ?」
「……そんな脅しが何になるというの」
「脅し? まさか。このシュヴァル、そのような生温いことは致しません。常に本気です」

 この男、本気でやりかねないから恐ろしい。

 私は少しも動かず、助けを求めるようにリンディアを一瞥する。だが、ほんの一二秒で、彼女に助けを求めるのは無理だと悟った。彼女は彼女で、やや腹が出ている男に捕まえられていたからである。

 もはや、自力で抜け出すか、時間稼ぎする以外の選択肢はない。
 そんな風に思っていた時。

「シュヴァル様」

 リンディアを捕らえている男が、唐突に口を開いた。

「何です」
「この女、もう連れていっても?」
「リンディアを、ですか」

 シュヴァルは私の首筋に銃口を押し当てたまま、淡々とした調子で話している。

「はい。そろそろもう一人のあいつが帰ってきます。あいつは凄く楽しみにしていたので」
「なるほど。……ま、そろそろいいでしょう」

 その返事に、男の瞳が輝く。

「ありがとうございまっす!」
「あまり騒ぎを起こさないで下さいよ」
「はい!」

 急激に生き生きした顔つきになった男は、身をよじり抵抗するリンディアの体を押さえこみながら、入り口の方へと歩いていく。

「リンディア!」

 我慢できず、思わず叫んだ。

 でも、男の足は止まらない。
 私の声など完全に無視で、どんどん歩いていってしまう。

「ちょっと、シュヴァル! あんなやつにリンディアを渡していいの!?」

 男とリンディアの姿が見えなくなってから、私は、視線を再びシュヴァルへ戻す。

「良いのです。もとよりそういう約束でしたから」
「リンディアは貴方の娘じゃない! あんな男に差し出していいの!?」
「役に立たぬ者は、もはや必要ありません」

 シュヴァルの口から放たれる言葉を、私は理解することができなかった。

 例え仲良しではなくとも、距離は遠く離れていても、父と娘であることに変わりはないのだと……そう信じていたかった。日頃は罵り合っていたとしても、肝心な時にはお互いを大切にできるものだと、そう信じていた。

 ——けれども、それは幻想だったのかもしれない。

 私はずっと大切にされてきた。父親に可愛がられて育ってきた。時折面倒臭くなることはあったけれど、私だって、無条件に愛してくれる父親を嫌いではなくて。

 そういう関係が父娘の関係であるのだと、ずっとそう思っていた。

 でも、違うのだ。

 すべての父娘がそうなれるわけじゃなくて、誰もがそれを望んでいるというわけでもない。きっと、それが真実なのだろう。

「自分に従わない娘なんて要らないと、そう言うの……?」
「そういうことです」
「どうして……。貴方の血を引く彼女が惜しくないの」
「血など、どうでもいい。このシュヴァルが求めるもの、それは、我が願いの成就だけなのです」

 なんて冷たいのだろう。
 彼の言葉も、首筋に触れる銃口も。

 そしてきっと——彼の心はもっと冷えきっているに違いない。

「こんなこと止めて。もう一度やり直して、と、そう言いたい。でもきっと……そんな言葉は貴方には届かないのね」

 父親を騙し続け、私の命を執拗に狙い、役に立たなくなった者は消す。そんなやり方をしてきた彼が、許されるはずがない。許されていいはずがない。

 でも、彼を消してしまっただけで、本当にすべては終わるのだろうか。

 ふとそんなことを考えた。

 裏切り者を、罪人を、始末するだけなら簡単だ。消してしまえばいいのなら、それはきっと容易いことで。けれど……それでは、彼のしてきたことと同じことをすることになるのではないかと、考えてしまった。

 そんなことを考えているうちに、段々よく分からなくなって、私は深みにはまっていく。
 出よう出ようともがいても、もう、思考という沼から自力で抜け出すことはできない。

「……ねぇ、シュヴァル。もう、戻れないの?」

 十八の春を迎える前に、何も知らずにいた頃に戻れたら、どんなに幸せだろう。

「私たち、もう、穏やかだった頃には戻れないの?」
「それは無理です。なぜなら、穏やかだった頃なんてなかったからです」
「でも、平和だったじゃない! 私が最初に襲撃された、十八の春までは!」

 すぐに何か言い返してくるものと思っていたが、意外にも、シュヴァルはそこで黙った。言葉を止めた。

 暫し、沈黙。
 無機質な部屋から、音が消える。

 それから、どのくらい時間が経っただろう。シュヴァルがようやく、再び口を開いた。

「平和? 十八の春までは? ……本当に、そうでしたか」

 シュヴァルはそっと耳打ちしてくる。

「お考えになったことはないのですか。例えば……貴女のお母上である、王妃様の行方なんて」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.122 )
日時: 2019/03/04 19:32
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 50PasCpc)

119話 あの日々という幻影

「母さん……?」
「そうです」
「一体、何の話?」
「王妃様は、貴女が幼い頃に亡くなられたのでしたよね」

 シュヴァルは、唇を私の耳へ寄せ、そっと述べる。

「えぇ、確か。よく覚えてはいないけれど」

 私の中には、母親の記憶がない。
 日常生活においてそういった話題が出ないというのもあり、これまで、母親の存在について考えたことはなかった。それが普通だった。
 けれど、よくよく考えてみれば、それはおかしなことなのかもしれない。

「……疑問に思ったことはないのですか? なぜ母親がいないのだろう、と」
「私が幼い頃に亡くなったと聞いているもの。敢えて『なぜ』とは思わないわ」

 シュヴァルの手に握られている拳銃の口は、まだ、私の首筋にひんやりした感触を与え続けている。

 彼が引き金を引けば、私の命は——そういう意味では、私の命は今、彼の手の中にあると言えよう。

「それはそれは。実に幸福なことですね。……親の仇が目の前にいるとも知らず」
「シュヴァル……もしかして、貴方が?」

 これまで心を隠し続けてきた彼が、自らの罪をこんなにもあっさりとばらしたりするものだろうか?

 いや、それはあり得ない。
 普通起こり得ないようなことだ。

 しかし、もし彼が勝ち誇ってかなり油断しているとしたら……うっかりばらしてしまうということも、考えられないことはない。

「そうです」
「……っ!」

 シュヴァルが機械的な声で発した言葉に、私は、思わず短い音を発してしまった。

 動揺しているのもあり、緊張しているのもあって、まともな言葉にはならなかった。今の私には、まともな言葉を発するような余裕はなかったのである。

「そして、次は貴女」

 背中に軽い膝蹴りを入れられた。
 そのせいで、背の中央辺りに鈍い痛みが広がる。

「イーダ王女。次は貴女に、消えていただきます」

 シュヴァルの声は冷たい。
 氷のような、金属のような、そんな声色だ。

「……本気、なのね」
「それはもちろん。このシュヴァル、冗談でこんなことをするほど馬鹿ではありません」

 そうだろうと思った。

 が、本音を言うなら、「冗談でしたー」と笑って言ってほしかった。
 そうすれば、今起こっていることのすべてが、一つのほろ苦い経験で済むから。

「貴女が大人しくしていれば、今すぐここで殺すようなことはしません。餌としての利用価値は十分にあるからです」
「利用価値がある、ですって? よく言うわ!」

 可愛がってくれとは言わない。大事に守ってくれとも言わない。けれど、「利用価値がある」なんて言い方をされるのは気に食わなかった。物のように扱われるのは不愉快だ。

「私が相手だから、簡単に勝てる気でいるのね。分からないではないわ、私は弱いもの」

 弱虫な私だって、時に怒りはする。

「でもね! 思い上がっているシュヴァルなんかに、そう易々と屈する気はないわよ!」

 はっきり言ってやった。

 するとシュヴァルは、首筋に当てていた銃口をこめかみまで移動させる。

 冷たい感触が皮膚上を動く。
 その感覚は、なかなか不気味なものだった。

「あまり生意気な口を利くなよ、イーダ・オルマリン……!」

 シュヴァルが私に向ける視線が変わった。

「生意気な口、ですって? それはこちらのセリフよ!」
「調子に乗るなよ! 女の分際で……!」

 彼が拳銃を握る手に力を加えたのが、視界の端に入る。

 ——今撃たれたらまずい。

 それが本心だ。

 怪我は何度かしたが、こめかみを撃たれた経験はない。だから、頭部を撃たれた時どうなってしまうかは分からない。が、とんでもないことになることは確かだろう。

 今この場所で動けなくなったりしたら、致命的だ。
 それだけは避けたいところである。

「あまり苛立たせないで下さいよ!」

 シュヴァルの指が、微かに動く。

 ——撃たれる。

 そう思った瞬間、脳内に映像が流れ込んできた。

 それは、従者との穏やかな日々。

 ベルンハルトとの運命的な出会いから始まって——ヘレナの葬儀にリンディアと参加したり、最初は敵として出会ったアスターが仲間になったり、みんな揃って視察に行ったり。

 望んで始まった関係ではなかったけれど。
 でもそれが、いつしか幸福となり、そして当たり前へと姿を変えて。

 ……ごめんなさい。

 私はもう、ここで終わるかもしれない。

 でも、これだけは言わせて。

 私は後悔はしていないわ。オルマリンの王女であれたことを、今は誇りに思っているの。


 ——ありがとう。


 こめかみの近くで、何か火花のようなものが散るのが見えた。
 きっと、シュヴァルの拳銃から放たれたものなのだろう。


 でも、痛みはなかった。
 死ぬ時って、案外痛くないのね。


 薄れてゆく、意識が。


 消えてゆく、すべてが。


 何もかも……。


 ……………………。




 闇の中、目を覚ます。

 瞼を持ち上げる。でも、ぼやけてしか見えない。

 頬に感じるのは、微かな風。
 その正体は分からない。

 分からないけれど——どこか優しげだ。

「……ょ」

 声が耳に入る。
 少し掠れた、乱雑な声。

 どことなく懐かしい。故郷に帰ったみたいな気分。

「……じょ!」

 徐々に近づいてくる。大きくなってゆく。けれど、言葉をきちんと聞き取ることは難しかった。前の方が特に聞き取りにくい。

「……なに?」

 唇を動かす。
 呼び掛けてくれている者に、意識があると伝えたかったから。

「……だれ?」

 意識がぼんやりしているせいか、視界もぼやけてしまっている。だから、黒い影が見えはするけれど、それが誰かまでは分からないのだ。

「……おねがい、もういちどいって?」

 この言葉は、ちゃんと届いているだろうか? 私の名を呼ぶ誰かに、聞こえているだろうか?

 そこは少し心配だ。

 でも、きっと大丈夫。
 呼び掛けてくれるような優しい人なら、私の声にも気づいてくれるはず。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.123 )
日時: 2019/03/04 19:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 50PasCpc)

120話 王女という言葉に

「……王女!」

 ようやく少し聞き取れたその「王女」という言葉に、私は、急激に目を覚ました。

 なぜなら、私を「王女」と付けて呼ぶのはベルンハルトだけだから。
 何がどうなってこうなったかのかは分からない。ただ、ベルンハルトの顔を思い出すたびに、明るいものが込み上げてきた。

 彼が私を呼んでくれている。

 手を取って、早く返事をしなくては——!


 その時、視界が晴れた。

 目に映るのは、灰色をした無機質な天井と——ベルンハルトではなく、アスター。

「……アスター、さん?」

 セットされた白髪。
 それは確かに、アスターのものだった。

 私の記憶にあるアスターの姿とは、服装が異なっている。けれど、頭部を見れば、彼がアスターであることは明らかである。

「おぉ。目が覚めたようだね」
「……どう、して?」

 声は確かに、私を「王女」と呼んでいた。私の周りにいる人で、私を呼ぶ時「王女」と付けるのはベルンハルトだけだ。だから、私を呼んでくれているのはベルンハルトだと思い、それを疑わなかった。

 けれど、アスターだった。
 ベルンハルトではなかったのだ。

「どうして……貴方が」

 拍子抜けだ。

 もちろん、嬉しいことは嬉しいけれど。

「ベルンハルトくんだと勘違いさせてしまったなら、すまなかったね。私が『イーダ王女』と呼んだのは、わざとなのだよ」

 ……やはり、そうだったのね。

 騙されたことに対して腹はまったく立たない、と言うと嘘になるだろう。ベルンハルトが来てくれたと思い喜んだ瞬間を返してくれ、と言いたいくらいだ。

 しかし、アスターを恨む気はない。

 むしろ感謝している。
 彼が来てくれたから、私は今こうして生きているのだ。感謝しないわけがない。

「また嘘をついてしまったが……まぁそこは許してくれたまえ」
「……えぇ」
「もちろん、タダで許せとは言わないよ。綿菓子でも林檎飴でも、後で好きなものをプレゼントするとも」

 プレゼントの例のチョイスが謎。

「で、イーダくん。座れるかな?」
「えぇ……」

 私はゆっくりと上半身を起こした。

 特に痛みはない。

 数秒して拳銃のことを思い出し、こめかみに手を当てる。
 特に何もついていないようだ。

「私、確か……拳銃で撃たれかけて……」

 撃たれたはずなのに傷一つないこめかみを、不思議に思いながら触っていると、アスターは軽やかに笑った。

「ははは。大丈夫だよ」
「え」
「私の狙撃が、何とか間に合ったからね」

 その言葉を聞き、ハッとする。

 気を失う直前に火花が散るのを見た記憶が、今になって、鮮明に蘇ってきたのだ。

「じゃあ、あの火花も……アスターさんの狙撃?」
「火花?」
「見えたの、気を失う直前に。私はシュヴァルが拳銃を撃った時に出たのだと思っていたのだけど……」

 するとアスターは、目を大きく開く。

「なるほど! そういう火花なら、狙撃によるものだろうね」
「良かった……って、違った!」

 シュヴァルは? シュヴァルはどうなったのよ!?

 すっかり忘れてしまっていたけれど、一番重要なのはそこだ。

「アスターさん、シュヴァルはっ!?」
「眠っているよ」
「へ?」

 意外な答えに、私はつい情けない声を漏らしてしまった。

「そこを見たまえ」

 アスターが示した方へ、視線を向ける。

 そして驚いた。
 なぜなら、シュヴァルが床に仰向けに横たわっていたから。

「まさか……アスターさんが殺したの」
「えっ、ないない! 殺したりはしていないよ!」
「……本当に?」
「もちろん! 薬品を撃ち込んだだけだとも! 少しすれば目を覚ますよ。もっとも、できれば数日は目覚めないでもらえる方がありがたいのだがね」

 何その発言、ちょっと怖い。

「さて、今のうちに脱出するとするかな」
「待って。リンディアが……」
「分かっている」

 いつもは軽やかさのあるアスターの声だが、その時だけは硬く重苦しかった。

「だが、君を連れ出すのが先なのだよ」

 アスターはきっと、リンディアのことが心配でならないのだろう。そんな中でも、彼は私を優先してくれた。

 それは多分、仕事だから。

 本当は、彼の心は、リンディアを助けたいと願っているに違いない。

「……ごめんなさい」

 私は思わず謝った。
 彼の心を少しも考えず、軽い気持ちで余計なことを言ってしまったから。

 しかし、アスターはというと、私の謝罪に戸惑った顔をした。

「ん? どうしたのかね、いきなり」
「私、アスターさんの気持ちも考えず余計なことを言ってしまったから、申し訳ないなと思って」

 敢えて説明するというのも複雑な気分ではあるが、やむを得ない状況なので、簡単に説明しておいた。

 するとアスターは、大型の銃を片手に立ち上がる。

「なに、気にすることはないよ」

 そう言って、銃を持っているのとは違う方の手を、私へ差し出してくれた。

 なぜだろう。ベルンハルトが手を差し出してくれた時と違って、まったくときめかない。胸の鼓動が速まることさえない。

 ただ、落ち着きはする。
 それは、アスターに包容力があるからかもしれない。

「ありがとう、アスターさん」

 私は彼の手を掴み、十秒ほどかかって立ち上がった。

 立つだけに十秒も、と驚かれそうな気もする。しかし、アスターの支えがなければ、もっとかかってしまっていたことだろう。

 ようやく立ち上がった時、ふと髪に風を感じて、振り返る。
 部屋に唯一あった窓が、割れていた。私が感じた風は、どうやら、そこから吹き込んでいるようだ。

 ……あそこから狙撃したのかしら。

 私は密かに、そんな風に考えたりした。

「歩けるかね? イーダくん」
「えぇ」
「よし。では行こ——」

 アスターが言いかけた、ちょうどその時。
 入り口部分が開いた。

 そこから現れたのは、二人の男。

 そう、私とリンディアをここへ連れてきた、やや腹が出ている男とユニコーン頭の男だ。

「侵入者は覚悟しろよ!」
「行かせないっぷ!」

 やや腹の出た三十代くらいと思われる男は、太くてごつい斧を。ユニコーン頭の男は、手のひらで包み込める程度の細さの金属製棒を。それぞれ持っている。

 暴力に訴える気か、二人は。

「……やれやれ。面倒臭いね」

 アスターはそう呟くと、大型の銃を男たちへ向ける。

「大丈夫なんですか? アスターさん」
「何かね、その質問は」
「だってほら、アスターさん、まだ病み上がりでしょう?」

 すると彼は、口角をくいっと持ち上げた。

「なるほど。その心配なら不要だよ。なぜなら……」

 アスターの瞳に鋭い光が宿るのが分かった。

「やる気になれば、体調なんて関係ないからね」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.124 )
日時: 2019/03/05 04:52
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zT2VMAiJ)

121話 眠らせる初老

 斧やら金属製棒やらを持った男たちを前にしても、アスターはまったく動揺していない。冷静そのものだった。

「覚悟しろーっぷ!」

 ユニコーン頭が叫ぶ。
 その叫びとほぼ同時に、やや腹が出ている方の男が斧を持って突撃してきた。

 アスターは怯まず前へ出る。

「イーダくんは下がっていてくれるかな」
「えぇ」
「助かるよ」

 彼は片手に持っていた大型の銃を持ち上げ、斧を手に駆け寄ってきている男へと、その先端を向ける。

 アスターは撃つ気なのだろう。

 男は斧を振り上げる。
 その大きな刃が振り下ろされる直前、アスターは引き金を引いた。

「あっ!」

 この場の雰囲気に似合わない斧を持っていた男は、アスターの銃から放たれた弾丸によって肩に傷を負う。

「くっ……」

 直撃ではなかったが、男は怯んで、後ろへ一二歩下がった。

「アスターさん、これでいいの? 掠っただけよ?」

 失敗したのでは、と不安になり、尋ねてみた。
 しかし当のアスターはというと、かなり淡々としている。冷静さを失ってはいない。

「良いのだよ、これで」
「そうなの?」

 するとアスターは、頭を掻く動作をする。

「いやー本当に信頼がないね、私は」
「待って、アスターさん。べつに疑っているわけじゃないわ」
「……光栄だ」

 時折冗談めかしつつも、落ち着き払っているアスター。
 その後ろ姿に、私は思わず見惚れてしまった。

 背を見つめる。ただそれだけのことなのに、彼が生きてきた道が、彼が背負っている物が、より一層鮮明に感じられるようになった——そんな気がする。

 と、その時。

「アスターさん! 来ているわ!」

 金属製の棒をいかにも素人らしく握っているユニコーン頭の男が、アスターに向かって走ってきていた。
 回り込むようにして横から走ってきているところから察するに、ユニコーン頭は腹が出ている方の男よりかは頭を使っているようだ。

 しかし、アスターは慌てない。

 瞳を微かに揺らすことさえせず、ただ、大型の銃を構える。

 これが多分、彼の、仕事中の姿なのだろう。
 そう思いはするのだが、いまだに不思議な感覚だ。

 私は、日頃のマイペースで呑気なアスターを、アスターの本当の姿なのだと思っていた。そのため、このような真剣な眼差しの彼を見ていると、非常に不思議な感じがするのである。

 タァン!

 室内に乾いた音が響く。

「痛いっぷ!」

 ユニコーン頭の男は叫んだ。
 どうやら、アスターが放った弾丸が男の脇腹に当たったようである。

 男は「痛い」と言っている。が、派手な出血はない。そこから察するに、弾丸が突き刺さることはなかったようだ。掠った程度だったのだろう。

「何するんっぷ! 痛かったっぷ!」

 腹が出ている方の男とは違い、ユニコーン頭は足を止めなかった。
 金属製の棒を手に、まだ接近してくる。

「おや、まだ動けるのかね」
「舐めるなよーっぷ!」

 ユニコーン頭はアスターに向かって、棒を派手にスイング。アスターはそれを、銃によって軽やかに防御した。

「防がれたっぷ!?」
「乱暴は止めていただきたいのだがね」

 金属製の棒を思いきりスイングしたユニコーン頭は、軽く防がれてしまったことにショックを受けているようだった。

 けれど、彼は諦めない。
 もう一度やってやる! とばかりに、棒を握り直す。

「次は仕留めるっぷ!」

 そんなことを恥ずかしげもなく言っている時点で、少なくとも強い方ではなさそうだ。ただ、今の彼はやる気に満ちている。やる気に満ちている者は奇跡を起こす可能性もあるため、油断はできない。

「では、その前に」

 タァン!

 再び、乾いた音が空気を揺らした。
 アスターが銃の引き金を引いたのだ。

「……っぷ!」

 今度は、ユニコーン頭の男の脇腹に、弾丸が刺さった。

 撃たれた男は思わず脱力し、握っていた金属製の棒を落とす。棒は、固い音をたてながら、床に落下。その後、男の体も床へと崩れ落ちた。

「ぷ……っぷ……ぷっぷっ……」

 床に倒れた後も、男は何か言っていた。どうも、絶命してはいないようである。そのことに気づき、私は内心安堵した。

「ひ、人に銃を向けるとは! 卑怯か!」

 その時になって急に叫んだのは、やや腹が出ている方の男だ。

「卑怯者! 悪魔!」

 男の足は微かに震えていた。
 彼は、アスターの躊躇いのない銃撃に、怯えているようにも見える。

「そんなことは自覚しているとも」
「うっ……」
「それに、こんなか弱い娘を連れ去るというのも、それはそれで卑怯者だと思うのだがね」

 アスターが放つ声は、静かだ。驚くくらい静かな声である。

「う、うるさい!」

 腹が出た男は、品なく喚く。

「罪なき者に牙を剥く、アンタの方が悪質だ!」
「……それもそうだね」

 アスターは片側の口角を微かに持ち上げる。

「ただ、感謝してもらいたいものだね。実弾は使わないでおいているのだから」
「何だとォ!? ……って、あれ……?」

 それまでは威勢よく騒いでいた男だったが、みるみるうちに急に声が小さくなっていく。それに加え、目つきも徐々に力なくなってきている。

「お、おいっ……何を……」
「安心したまえ、死にやしないとも。ちょっぴり眠ってもらうだけのことだよ」
「う……嘘だぁっ……」

 やや腹が出ている男は、膝をカクンと折る。その時には、表情はなくなってきつつあった。彼はそのまま、床に倒れ込む。

 一体何が起きたのだろう。
 今この瞬間、目の前で起こったことを、私は理解することができなかった。何がどうなったのか、私の脳では理解不能である。

「何がどうなったの? アスターさん」
「先ほどの弾丸、麻酔弾だったのだよ」
「麻酔!?」
「まぁ、その……あまり深く突っ込まないでくれたまえ」

 なかなか謎な部分が多い。

 が、男たちを取り敢えず退けることができて良かった。
 これなら何とかなりそうだ。

「今のうちに行こう」
「えぇ」

 連れていかれたリンディアのことが気がかりだ。だが今は、そんなことを言っていられるほど余裕のある状況ではない。

 私はアスターに連れられ、部屋から出ようとした——のだが。

「帰らせません」

 入り口を通って外へ出ようとした瞬間、一人の女性が現れた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.125 )
日時: 2019/03/05 18:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 62e0Birk)

122話 ミスト

 私たちの前に現れたのは、灰色がかった水色の髪をした女性——ミスト。

 私は、彼女がこの場にいるという現実を、すぐには信じられなかった。というのも、彼女はラナと共に捕らわれているはずだったのである。

 にもかかわらず、今彼女は目の前にいる。つまり、解放されたということだ。

 私にはそれが、どうしても信じられなかった。

「……何をしに来たのかね?」

 アスターは眉をひそめる。
 またしても現れた敵に攻撃されないよう、私はさりげなく彼の後ろへと隠れた。

「生き延びたと聞いて驚きました、アスター・ヴァレンタイン。あれだけ刺せば……まともに復活はできまいと思っていたのですが」

 淡々と述べる彼女の手には、ステッキが握られている。
 以前顔を合わせた時、彼女は確か、クナイを持っていたような気がする。しかし、今の彼女が持っているのはステッキのみだ。

「はは。予想が外れて残念だったね」
「……そう簡単にはいきませんか」
「そうそう! そういうことだよ!」

 ミストは真剣な顔。アスターのことをじっとりと睨んでいる。一方アスターはというと、夏の空のように明るさのある笑みを浮かべている。ミストの陰湿な表情とは真逆で、爽やかさのある顔つきだ。

「で、何か用かね」
「シュヴァルさんより、王女及びその従者の殺害を命じられています」

 アスターは目を細め、銃を持っているのとは逆の手で頭を掻く。

「やれやれ、面倒臭いね」

 それから彼は、はぁ、と、わざとらしい溜め息を漏らした。ミストを刺激しようとしているかのような、大袈裟な溜め息のつき方である。

 そんな嫌みな態度を取るアスターへ、ミストはステッキを向けた。

 ミストの顔面には何一つとして変化は起こっていない。ただ、ステッキを握る手に微かに力を加えたところから察するに、今のミストは平常心ではないのだろう。怒鳴り散らしたり暴れまわったりとまではいかずとも、多少苛ついていることは確かと考えて間違いないはずだ。

「言いたいことがあるような顔だね? 君は。私に話したいことは、何かな?」

 無言でステッキの先を向けてくるミストに対し、アスターはそんなことを発した。
 言葉自体は特に何でもないようなものだ。しかし、その声色は、少々嫌み混じりなものである。

「付き合って下さい、なら、丁重にお断りするがね?」
「……馬鹿なことを言わないで下さい」

 その時になって、ミストの表情が初めて揺らいだ。

 ——不快の色に。

「品のないジョークは嫌いです。もはや、不快を通り越して、最低です」
「最低? いやはや、酷い言われようだ」
「自覚があるなら、改善していただきたいもので——」


 ミストが言い終えないうちだった。


 入り口の向こう側から、バタバタと足音が聞こえてきた。

 またしても敵が!? と焦り、冷や汗が背を伝う。

 こちらはアスターしかいない。しかも、この前怪我したばかりの、まだ完全でない状態のアスターだ。これ以上敵が増えたりしたら、さすがに危険だろう。

 一人そんなことを考えていると、入り口が急に開く。

「イーダ王女!」

 聞こえてきたのは、青年の声。よく聞いたことのある——ベルンハルトの声だった。

「ベルンハルト!?」

 思わず叫ぶ。

 直後、入り口から一人の青年が入ってきた。
 黒に近い色をした髪。素早い動き。そして、凛々しい顔立ち。

「ベルンハルト!」

 やはりそうだ!
 彼はベルンハルト。間違いない、彼だ!

「……イーダ王女!」
「来てくれたのね!」

 私の存在に気づいた彼は、すぐにこちらへ駆け寄ってこようとした——が、ミストの姿を目にし、ナイフを構える。

 彼が私やアスターのところへ来るには、ミストという高い壁を越えなくてはならないのだ。

「またしても仲間ですか。鬱陶しいですね」
「邪魔者は退け」

 ベルンハルトは一切の躊躇いなく、ミストに向かっていく。
 今の彼は、これまでのいつよりも積極的に、攻撃に出ていた。

「ふっ!」

 腕ごと振る動作と握ったまま突く動作を巧みに織り交ぜ、攪乱しつつ攻めてゆくベルンハルト。対するミストは、ナイフによる攻撃をステッキで弾いたり受け流したりして、何とか凌いでいる。

 けれど、ベルンハルトが圧倒している。
 ミストも弱いことはないのだろうが、今はベルンハルトが有利な状態だ。

「……くっ」
「通してくれ」

 激しい攻防の果て、隙を作ってしまったミストはベルンハルトに回し蹴りを入れられる。

「……っ!」

 一度の回し蹴りくらいでは、大きなダメージを与えることはできなかったようだ。ミストは、上体を下げることさえなかった。

 ただ、動きは止まった。
 その隙にベルンハルトは、私たちの方へと駆けてくる。

「ベルンハルト!」
「無事か、イーダ王女」
「えぇ」

 再会することに成功した私とベルンハルトは、勢いに乗って、つい手を取り合ってしまった。

 こんなことをする関係ではないのに……。

 しかしベルンハルトは、まったく何も意識してはいないようで、すぐに、私の横のアスターへと視線を移した。

「ところでアスター。お前はいつからここにいた」
「いつから? ……うーむ、それは難しい質問だね。なんせ、ここには時計がない。だから、私がここへ来てからどのくらい時間が経ったのかなんて、分からないよ」

 アスターはわりとよく喋る。

「あのまま直接ここへ来たのか?」
「んー……少し違うかな」
「違うのか」
「糖分を摂取してから、まずは狙撃。そして、ここへ来たのだよ」

 アスターが楽しげに話す間、ベルンハルトはずっと怪訝な顔をしていた。

「だがまぁ、安心してくれたまえ。イーダくんに傷はないよ」
「そうだな……それは助かった」

 ベルンハルトは珍しく、あっさりと話を終わらせる。そしてすぐにミストへ視線を向けた。突き刺すような、鋭い視線を。

「ここからは僕がやる。アスターは帰れ」
「帰れ!? それは酷くないかね!?」
「酷い、だと? 意味不明だな。まだ本調子でないことを考慮して言ったのだが」
「な、なるほど。確かに、それなら酷くはないね。勘違いしてすまない」

 そんな風にアスターと言葉を交わしつつも、ベルンハルトはミストを睨み続けている。

「そんな憎しみのこもった目で見られるのは久々です」
「……お前は拘束されていたはず。なぜまたしても出てきた」
「シュヴァルさんのお力です。感謝せねばなりませんね」

 ベルンハルトはまだミストを睨んでいる。

「やはりな。……もはや完全に倒すしかないということか」

 低い声で呟くベルンハルト。彼は、倒すべき敵である目の前のミストを睨み続けている。その眼差しは鋭く、まるで剣の先のようだ。

 戦いが始まるかと思われた——刹那。

「倒されるのはそちらですよ」

 背後から声が聞こえ、振り返る。
 そこには、意識を取り戻したシュヴァルの姿があった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.126 )
日時: 2019/03/05 18:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 62e0Birk)

123話 じっとしてはいられない

「……はぁ。このシュヴァルとしたことが、不覚をとってしまいました」

 シュヴァルは既に立っていた。

 いつの間に——そんな思いでいっぱいだ。

 彼は確かに気を失っていた。仰向けに倒れていたし、動いたり声を発することもなかった。それに、アスターも「眠っている」と言っていた。だから、私だけが勝手に「意識がない」と解釈していた、ということはないと思う。

 しかし、今、彼は立っている。
 それは間違いのない事実だ。

 しかも、意識がはっきりしているような顔つきをしているし、声も発している。

「どうして……」

 シュヴァルがいつの間にか意識を取り戻していた。その事実に、私は愕然とする外なかった。

「こんなことをしたのは……アスターですね」
「な! もう起きてしまったのかね!?」

 アスターは目を皿のようにして驚いている。
 シュヴァルが意識を取り戻すという展開は、アスターにとっても予想外だったようだ。

「許しませんよ……!」

 小さく言ったシュヴァルの声は、微かに震えていた。

 震えている、と聞けば、怖いだとか怯えているだとかを連想する者もいるかもしれない。実際私がそうだった。

 けれども、今のシュヴァルの声の震えは、それらとは違う。
 彼の声が震えているのは、多分、彼が怒りに震えているからだろう。

「よくもこんなことをしてくれましたね!」

 シュヴァルは黒いスーツのジャケットの内側から、拳銃を取り出す。そして、その銃口を私たちに向ける。

 私に向けているの?
 それとも、アスターに?

 何だかよく分からない。けど、危険さだけは感じる。

「許しませんよ」

 よくもこんなことを、許さない——シュヴァルがそう言っていることから考えると、彼が狙っているのはアスターだろうか。

「な、ちょっと待ってくれたまえ! いきなり拳銃を突きつけるというのは、さすがに野蛮すぎないかね!?」

 アスターはそんな風に言葉を発する。しかし、シュヴァルはそんな言葉には反応しない。淡々と、スライドを引き、引き金に指を当てる。

「拳銃を向けるのは問題だと思うが? どうなのかね?」
「願いのためなら何でもします」
「おぉ……固い決意…… !そうか、なら仕方ない」

 アスターはシュヴァルを説得することを諦めたようだ。片腕で持っていた大型の銃をぐいと上げ、その先をシュヴァルへと向ける。

「本来こういうことはしたくなかったのだがね。ま、やむを得ない」
「このシュヴァルに銃口を向ける気ですか」
「ははは、そうだよ。これでも一応、悪いとは思うのだがね」

 そうか! 銃には銃ね!

 シュヴァルとアスターは、どちらも銃を持っている。似た武器を持っている者同士の戦いならば、平等だ。

「アスター。悪いと思うのなら、退けばどうなのです。今ならまだ、見逃して差し上げても構いませんよ」
「悪いが、それはできないね」
「そうですか……残念です。物分かりのいい貴方なら、理解してくれるものと思っていたのですが」

 ——刹那、弾丸が飛んだ。

 何の前触れもなく飛び出した弾丸は、私たちにはぎりぎり当たらず、無機質な壁にぶつかる。

 ちなみに、アスターが背中でぐいと押してきてくれたおかげで当たらずに済んだのである。
 こればかりは、アスターに感謝。

「イーダくんはそちらへ寄っていてくれるかな」
「えぇ」

 私は一二歩横へ移動した。

 ただ、シュヴァルの反対側にはミストがいる。ベルンハルトが牽制してくれているとはいえ、彼女が何をしてくるか分からない以上、油断はできない。

 そんな状況だから、立ち位置が非常に難しい。

「シュヴァルは私が相手をする」
「平気なの? アスターさん」
「もちろん! 綿菓子を食べながらでも勝てる!」

 綿菓子を食べながら?

 ……いや、気にしたら負けか。

 何のことやら分からないが、取り敢えず、アスターには「勝てる」という自信があるようだ。彼に任せるというのも悪くはないかもしれない。

「じゃあ、そっちはお願いね。アスターさん」
「もちろん!」

 アスターの瞳に、生き生きとした輝きが宿る。

 それから私は、ベルンハルトの方へと視線を移す。
 その時ベルンハルトは、まだ、ミストをじっと睨んでいた。こちらは動きがないようだ。状況が変わらないのは、ベルンハルトとミスト——お互いが、慎重になっているからだと思われる。

「ベルンハルト、リンディアは?」

 私は彼に話しかける。
 すると彼は、視線はミストに向けたままの状態で返してくれた。

「分からない」

 まぁ……そうよね。
 こんな廃墟ビルの中だもの。どこの部屋に誰がいるかなんて、そう簡単に分かりやしないわよね。

「だったら私、探してくるわ」
「馬鹿か、貴女は」
「どうしてよ。いいじゃない」

 確かに私は無能よ? でも、こんなはっきり「馬鹿」なんて言われたら、さすがにイラッとはするわ!

「何を言っているんだ、イーダ王女。貴女が一人で行って、何ができる」

 間違いじゃないわ。
 だけど、リンディアのことは心配なの。

 ……いや、実はさっきまで忘れていたのだけれど。

 でも、心配なのよ! リンディアだって女性だもの。何かされていたらどうしようって、考えてしまうの!

「分かっているわ。でも、リンディアを助けに行きたいの」
「駄目だ。許可しない」

 ベルンハルトの声は冷たい。

「どうして! 助けに行って何が悪いの!?」
「助けに行くことが悪いわけではない。ただ、貴女が他人を物理的に助けるなど、不可能だ」
「……無能だって、言いたいのね」

 駄目と言われれば言われるほど、行きたくなる。
 人の心とは、そういうものなのだ。

 だから、私は駆け出した。

 入り口に向かって。

「無能とは言っていない。僕はただ……イーダ王女!?」

 こんなこと勝手すぎると、自己満足に過ぎないのだと、分かってはいる。

 でも、何もできないのは嫌。

 アスターもベルンハルトも、誰もが戦っているというのに、私だけじっとしているのは嫌なの。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.127 )
日時: 2019/03/06 22:20
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)

124話 弱い心を捨てる時

 幸運なことに、入り口は開いていた。そのため、ただ体をぶつけるだけで部屋の外へ出ることができた。

 背後からは、ベルンハルトの声が聞こえた気がする。
 でも、私は何も返さなかった。

 こんな勝手なことをしたのだ、怒られるに決まっている。もし今、彼に返事をしたりなんかすれば、怒られ、連れ戻されるに違いない。

 そんなことをされたら、たまったものじゃない。

 せっかく勇気を持てたのだ、今さら止まるのは嫌だ。

 無謀かもしれないけれど。
 でもどうか、私にも何かさせてほしい。


 廊下へ出る。
 そこはとにかく狭かった。無機質な壁のせいで圧迫感が凄まじい。

 人の気配はなく、かなり不気味だ。

 頬を一筋の汗が伝う。

「……どこへ行けば」

 答えてくれる人なんていないけれど、私は一人呟いた。
 静寂の中で佇み続けるくらいなら、自分のものであっても声が聞こえる方がいいから。

「……よし!」

 リンディアを探そう。

 ——けど、どこを探せばいいのだろう?

 散々偉そうなことを言っておいてなんだが、私は、こういった類いの経験はしたことがない。そんな私が、いきなり一人でリンディアを探すなんて、可能なのだろうか。

 胸の内は不安でいっぱいだ。

 ……いや、これはもはや、「不安でいっぱい」などという次元ではない。「不安しかない」という表現の方が相応しいくらいだと思う。

 でも、今さら引き返すことなんてできないのだ。
 これは私が選んだ道だから。

「行かなくちゃ」

 私は自身を鼓舞するようにそう呟き、頬を手のひらで二度軽く叩き、真っ直ぐ前を見つめる。

 今こそ、弱い心を捨てる時だ。

 弱くても無力でも、いつまでも護られるだけでいるわけにはいかない——そう思うことができたのは、リンディアのおかげかもしれない。

 私は歩き出す。
 前だけを見つめて。


 時折、風が窓を揺らす。
 恐らくもう使われていないからだろう、このビルの窓は、よくガタガタと揺れる。怪物でも出てきそうな雰囲気だ。

 そんな不気味な廊下を、しばらく歩いた時だった。

 目の前に現れた一室。その扉は、全開になっていた。不思議なくらい、完全に開いている。

「……え」

 ここへ来るまでに、いくつもの部屋の前を通り過ぎてきた。それらの部屋にも扉があったが、すべてきちんと閉まっていたように思う。私の記憶によれば、数センチほど開いている、という扉さえなかった。

 なら、どうして?
 なぜ、ここだけ扉が開いているの?

 すぐに脳内で繋がった。
 私は、その部屋の方へと走る。

「誰かいるの!?」

 開いている扉を通過し、室内に入る。

「……やっぱり」

 そこにはリンディアと思われる女性の姿があった。
 殺風景な室内には、掛け布団のないベッド一つだけが置かれている。彼女はそこに横たわっていた。

「リン……ディア?」

 ベッドの上に横たわる、脱力した女性の体。
 こんなに艶めかしいものはない。

 ……って、そうじゃなかった。

 私がしなくてはならないのは、ベッドの上にいる彼女がリンディア本人かどうかを確認すること。そして、もしそれが本人であったなら、怪我をしていないかどうかであったり体調が悪いことはないかであったりを、聞いてみなければならない。

 私はゆっくりとベッドの方へ歩み寄る。

 そして、数メートルも離れていないくらいの位置まで行って、初めて顔を覗き込んだ。

「リンディア!」

 やはりだ。やはり、彼女はリンディアだった。

 やればできるじゃない、私! ……なんてね。

「……王女、様?」
「私よ。イーダ! 分かるでしょう?」
「ん……そーね。……分かるわよー」

 正常な意識があるようだ。返答もおかしさはない。まともな会話になっている。

 だが、どうしてだろう。
 彼女は体を動かすことはあまりしない。

「起きられる? リンディア」
「……それは、まだ無理ねー……」

 ベッドの脇にしゃがみ込み、彼女の片手をそっと掴む。
 彼女の手は、ちゃんと握り返してきた。

「無理? 無理ってどういうこと?」

 そう尋ねると、リンディアは元々細くしか開いていなかった目をさらに細める。

「……なーんか打たれたのよー」
「打たれたって……注射?」
「……そー」
「リンディアは同意したの? それとも勝手に?」
「……無理矢理、ねー」

 そこで私は、思わず叫んでしまった。

「無理矢理!? 何よそれ! おかしいじゃない!」

 リンディアが望んだのならいい。同意したというなら、まだいい。しかし、無理矢理なんて論外だ。許可なく他人に注射を、なんて、どうかんがえてもおかしな話ではないか。

「……あまり騒がないほーが……いーわよ」
「どうして?」
「敵に……気づかれたりなんかしたら、ややこしーもの……」

 言われてみれば、と、私は納得。

 起き上がることさえままならないリンディアと、戦闘能力ゼロの私。
 二人でいる時に敵に遭遇したら、とんでもないことになってしまうだろう。

 何もできぬまま、二人揃って死。そういう展開だけは避けたい。

「確かにそうね。気をつけるわ。……ところで」
「……なーに?」
「リンディア、武器は持っていないの?」

 私……は何一つ持っていない。
 一つでも持っておいた方が安心なのだが。

「……武器、ですってー……?」
「そうそう」
「……あるわよ、拳銃」

 ベッドに横たわったまま肘から先だけを持ち上げ、少し離れたところを指し示すリンディア。
 彼女が示す方へ視線を向ける。

 するとそこには、赤い拳銃が落ちていた。

「あ。あれ、リンディアがいつも持っているやつね」
「……そーよ」
「拾ってくるわ!」

 小走りで赤い拳銃に寄る。そして、それを拾い、リンディアの方へと戻った。

「はい、これ!」

 ベッドの上のリンディアは、弱々しい声質で「どーも」などと言いながら赤い拳銃を受け取った。

 リンディアは動けない。でも、肘から先くらいは動かせるみたいだ。
 闇の中で煌めく、唯一の救いの星である。

「これで少しは安心ね」
「……そーね。けど王女様、どーやって……一人でここへ来たの?」

 その言葉を聞いて気づいた。
 彼女はアスターやベルンハルトが来てくれたことをまだ知らないのだと。

「実はね、アスターさんとベルンハルトが来てくれたの。それで、向こうは二人に任せてきたのよ。だから、ここへ来ることができたのは私だけ」

 するとリンディアは、怪訝な顔をする。

「……どーやってここを、突き止めたのかしらねー……」
「そこまでは分からないわ」
「……そーよね」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.128 )
日時: 2019/03/06 22:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)

125話 少し嬉しい?

 リンディアと無事合流できた。
 それは良かったのだけれど、これからどうしよう。

 彼女は正常な意識を保っている。しかし、注射されたとかなんとかで、体がまともに動かないようだ。

 一体、どうすればいいのだろう。
 彼女の体を抱え上げて運ぶ、というのは、私の力ではさすがに不可能だ。

「とにかく無事で良かったわ。注射以外に酷いことはされなかった?」
「……えぇ、大丈夫だったわよー」
「本当に良かった」

 この言葉は本心だ。
 従者が傷ついたり命を落としたりするところは、もう二度と見たくない。

「ところで、これからどうする? リンディア」
「……どーすべきなのかしらねー……」

 ベッドに横たわったまま、溜め息を漏らすリンディア。

「……動けないあたし、完全に、足手まといよねー……やだわー……」

 リンディアの手は、赤い拳銃をしっかりと握っている。
 持ち慣れている拳銃だからか、持ちにくそうということはまったくなかった。

「そんなことないわ! リンディアが無事でいてくれれば、それでいいの」

 私はいつもより明るめに発する。
 リンディアを暗い気持ちにさせたくないから。

「……ありがとー」
「いえいえ」


 ——その時。


「何してるん?」

 背後には影。
 そして、人の声。

 振り返るとそこには、ラナの姿があった。

 あどけなさの残る体つき。私よりも低い背。片耳の付近で乱雑にまとめた紺の髪。それらの要素から「彼女がラナである」と判断するのに、そう時間はかからなかった。

「貴女は……!」
「ラナ・ルシェフや。久しぶりやね」

 全身が強張る。
 私は恐怖心を抱いているのだ、と、その時初めて自覚した。

「何しに来たの」
「今日はあの男はいないんや? 珍しいやん」
「あの男……ベルンハルトのことね」
「んー、多分そうやわ」

 ラナは呑気に喋っている。
 もしかしたら説得できるのでは、なんて思ってしまったほどに、今の彼女は明るい。

「おらんとは思わんかったわ。また戦いを楽しめるかと、期待してたんやけど」
「……なーに言ってんのよー」

 ベッドに横たわるリンディアが、唐突に口を挟んできた。
 ラナへ拳銃の口を向けながら。

「……戦いを楽しむなんて、じょーだんでも……言ってんじゃないわよー」

 リンディアの言葉に、ラナは目を見開いた。しかし、それも束の間。すぐに普段の顔に戻る。さらに、片側の口角を持ち上げ、ニヤリと笑みを浮かべることまでしていた。

「ま、それもそうやな」

 意外。
 こう来るとは思わなかった。

「……分かって、んなら……最初から言うのは、止めなさいよー……」

 真っ当だと思う。
 だが、発言における配慮というのは難しいものなのかもしれない。

「ごめんって。許してちょうだいよ」

 ラナは顔の前で手を合わせる。

 なぜだろう。今日のラナからは、殺気のようなものを感じない。これまでもそうだったように、彼女は今日も、私たちの命を狙っているはずだ。なのに、どうして、こんなにも穏やかなのだろう。私には理解できない。

「何をするつもり?」
「……ちょっと聞きたいことがあるんよ」

 真剣な顔つきのラナ。

「聞きたいこと?」
「フィリーナを撃ったのは、王女様の仲間なん?」

 ラナは、彼女にしては静かな声色で尋ねてきた。

 騒々しいイメージがあっただけに、彼女が静かな声を発しているところを見ると不思議な感じだ。

「解放され呼び出され、ミストと二人で、会議室みたいなとこに向かったんよ。そしたらそこには、フィリーナだけ。しかも倒れてるフィリーナやったから、びびったわ」
「……フィリーナは死んでいたの?」

 恐る恐る尋ねると、ラナは笑みを浮かべつつ答えてくれる。

「いやいや。死んではなかった。大丈夫やったで」

 ラナの声を聞き、私は思わず声をあげる。

「そうなの!?」

 嬉しかった。

 フィリーナには酷いことをしてしまった。しかし、まだ謝れていない。だから、もしこのまま彼女が亡くなってしまったりしたら、きちんと謝れないまま別れることになってしまう。それは嫌だ。

 もう一度ちゃんと話をしなくては。

 ちゃんと話をして、理解しあうことができれば、私たちはきっと仲良しになれるだろう。

「良かった……」

 無意識のうちに、安堵の溜め息を漏らしていた。

「ふーん。そんなこと言うんや」
「そうよ。フィリーナは少し残念な娘だけれど、でも、明るくて優しいの」

 それに少し嫉妬していた、なんてことは言えないけれど。

「へー、案外気に入ってるんやね。裏切られて恨んでるもんやと、そう思ってたわ」

 ラナは剣を抜かない。手を巨大化させることもしない。ただ、愉快そうな笑みを浮かべている。

 ——攻撃する気はないというの?

「ま、でも、そうゆうことなら良かったわ」
「……どういう意味?」
「フィリーナは今頃ちゃんと手当てされてるわ。心配せんでも、助かるやろ」

 ひと呼吸おいて、ラナは続ける。

「にしてもあのおっさん、やっぱワルやったんやな」
「……おっさん?」
「名前何やったっけ……えーと、シュトーレン? いや、ちゃうわ。えーと……」

 言いたい人の名を忘れてしまったらしく、ラナは、妙なことを言い始める。そんな彼女に対し、リンディアはベッドに横たわったまま放つ。

「……シュヴァル、でしょー」

 なるほど、と思った。

 シュヴァルのことを言おうとしていたのなら、「シュトーレン」などと間違えるのも無理はない。

 ……いや、そうだろうか?

 さすがにシュトーレンと間違えることはないだろう、と思ってしまうところもある。ただ、私にとっては明らかに異なる二つの単語だが、ラナにとっては「シュヴァル」も「シュトーレン」も同じようなものなのかもしれない。

「そうや! それやわ!」

 ラナは手を合わせ、パンと乾いた音を鳴らした。

「うちはシュヴァルから依頼を受けて、王女様らを殺しに来たんよ。けど、その依頼をうちが受けたんは、あの男が『星王家はこの国に悪い影響を与えている』なんて言うからや」
「……そんなこと言うなんて、サイテーねー……」
「国のためになるんやったらと思て受けたんや。やのに、結果はこれ。はー呆れてまうわー」

 ラナにはラナの信条があるのかもしれない、と、この時初めて気がついた。
 彼女とて、殺人鬼ではない。だから、ただの人を殺したいというだけではないのかもしれない。今は、そんな風に思うことができた。

 ……少し嬉しい。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.129 )
日時: 2019/03/06 22:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)

126話 撃退に必要なのは、強さだけではない

 両方の手のひらを上へ向け、やれやれ、といった風に首を横に振るラナ。
 あどけなさの残る少女の姿をした彼女がそんな動作をすると、大人と子どもが混ざったような奇妙さが漂う。

「……ちょっと、どーなってんのかしらー……?」
「私も知らないの。でも、攻撃してくる感じではなさそうね」

 私とリンディアがひそひそ話をしていると、ラナが「ひそひそせんとはっきり言いや!」なんて声をかけてきた。

 真っ直ぐさの感じられる発言に、私は微かに笑みを浮かべてしまう。

 もちろん、変な意味ではない。
 ただ、少々ほっこりしたのである。

「そうね。小さな声で話すなんて失礼よね、ごめんなさい」
「……素直やな。調子狂うわ」

 ラナは歯切れよく呟き、耳元を軽く掻く。
 そんな彼女に、私は言う。

「ねぇ、お願いがあるの。私たちのこと、見逃してくれない?」

 完全に敵であるラナに対してこんなことを言うのは、凄く勇気のいることだった。すぐに頷いてもらえるとはとても思えないようなことを言うわけだから、発する瞬間の緊張感といったら恐ろしいものがある。

「シュヴァルに絶対的な忠誠を誓っているわけではないのでしょう? それなら、どうか、見逃してほしいの」
「……見逃してほしい、やって?」
「そう。私は戦えないし、リンディアも今はまともに動けないのよ。だからどうか。お願い」

 ——暫し沈黙。

 ベッド以外には何もない殺風景な部屋の中、ラナだけを見つめ続ける。

 宇宙に飛び出したかのような静寂の中で、敵である人物の瞳を凝視し続けるというのは、簡単なことではなかった。

 いきなり攻撃されたらどうしよう。
 心ない言葉をかけられたらどうしよう。

 もちろんそれだけではなく、他にも色々あるが、とにかく考えてしまうのである。

 けれど私は、ラナから視線を逸らさなかった。

 それは、彼女と分かり合えたら、という思いがあったからだ。

 目を逸らすことは簡単。視線をラナから外すだけでいいのだから、難しいことではない。私にだって、苦なくできることである。

 だが、簡単な方向に逃げているだけでは何も変わらない。

「……ん、まぁ、そやな」

 長い沈黙の果て、先に口を開いたのはラナだった。

「うちかてそっちに直接的な恨みがあるというわけやないし……まぁ、見逃してやってもいいか」

 ラナの口から出たのは、意外な言葉。

「分かった。今日のところは見逃したる」

 そう言ってから、ラナはびしっと指を差してきた。私に向けて、だ。

「でもな、王女様」
「……何」
「王女様はいずれ頂点に立つんやろ?せやから言っとくけど、この星は今のままやったらあかん」

 ラナの口から出ている言葉だとは、とても思えない。
 けれども、発しているのは確かにラナだ。

「こんなままやったら、保ち続けていくんは無理や。いずれ反乱か何かが起こって、滅茶苦茶になるかもしれんよ。まぁ、うちは予言者ちゃうから、『絶対』なんてことは言えへんけどな」

 言い終わると、ラナは軽く手を掲げる。

「そしたら、失礼するわ」

 体をくるりと返し、開いている扉の方へと歩き出す。
 その背中に、私は叫んだ。

「待って!」

 私たちは敵同士。
 でも、今はもう、狙う狙われるの関係ではなくなった。

 だからこそ、言いたい。

「ラナ! フィリーナを心配してくれてありがとう!」

 私の発言に、驚きを露わにするリンディア。

 今この状況下でこんなことを言うというのは、もしかしたら、少しおかしいのかもしれない。誰もが選ぶ選択肢ではないのかもしれない。リンディアが驚いた顔で言葉を失っていたのを見て、若干そう思った。

 でもいいの。
 たとえ普通でないとしても、それが私の選んだ選択肢だから。

「その……今度は、敵としてではなく会えたら嬉しいわ」

 返事はなかった。
 静寂の中、ラナの小さな影は闇に沈む。


「……やるじゃなーい」

 ラナが去った後、ベッドに横たわったままのリンディアがそう言った。

 視線をリンディアへ落とす。
 彼女の目は、前に見た時よりかは開いていた。もしかしたら、注射された薬品の効果が少しずつ切れてきたのかもしれない。

「ふぅ。取り敢えず何とかなったわね」
「か弱いわりには……頑張った方じゃなーい?」
「えぇ、頑張ったつもりよ」

 今は緊張状態にあるおかげで疲れを感じにくくなっている。しかし、気が緩んだ瞬間どっと疲れが来そうな気がする。

「……ふーん。頑張ったなんて、自分で言っちゃうのねー」
「まさか。つもりよ、つもり」

 自分としてはかなり頑張った気でいるが、物差しには個人差があるものだ。私が頑張ったと思っていても、「べつに頑張っていないじゃないか」と思う人もいるかもしれない。だから「頑張った」ではなく、「頑張ったつもり」という表現にしたのである。

「自分で『自分は頑張った』なんてことは、少し言いづらいわ」

 私が口を動かすと、リンディアは柔らかく、ふふ、と笑みをこぼした。
 女性らしさのある表情。男性が見ていたなら、十人中八人は恋に落ちそうなくらい魅力のある笑みだった。

「……そーね」

 それから彼女は、横になったまま、右手を上へと伸ばす。

「……ちょーっと、手を貸してもらえるかしらー」

 段々起きられる気がしてきたのかもしれない。そう思い、私は、彼女が上へ伸ばした腕を掴む。

 掴む時の力加減が難しい。
 弱すぎたら意味がないだろうし、強すぎると痛いだろうから。

「こう?」
「そ。……起こしてもらえるかしらー」
「えぇ、やってみるわ」

 腕を掴んでいるのと違う方の手は、リンディアの背中に添える。

「こ、こんな感じ……?」
「……やり方なんて、何でもいーわよー」
「分かったわ」

 ゆっくりと上半身を起こすリンディア。私は両手で、それをサポート。
 結果、彼女は上半身を起こすことに成功した。
 胸に得たいの知れない達成感が込み上げてくる。私は軽くサポートしただけだというのに、まるで自分が起き上がることに成功したかのような達成感があった。

「やったわね! リンディア!」
「……喜んでる場合じゃ、ないわよー……」
「あ、そうね。つい。ごめんなさい」
「……べつに、謝らなくていーわ」

 上半身を起こし、ようやく座る体勢になれたリンディアは、片手で乱れた髪を整える。
 紅葉のような赤が、私の視界をさらりと流れた。

「……さて。これから……どーすべきかしらねー……」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.130 )
日時: 2019/03/12 16:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0dFK.yJT)

127話 一つ、過ぎて

 ラナは去った。
 一つ、嵐が過ぎた。

 けれど、まだ安心はできない。というのも、これで終わりではないからだ。ラナから逃れただけで、すべてが終わるわけではない。

 すべてを終わらせるためには、元凶であるシュヴァルをどうにかせねばならないのである。

「リンディア、歩くのはまだ無理よね?」
「……そーね。この感じだと、どーも……そのうち歩けるよーには、なりそーだけどねー」

 リンディアを一人ここに残していくのは心配。だが、アスターやベルンハルトの様子も気になる。

 結局何もできない私だから、いてもいなくても同じこと。
 それは分かっているのだけれど、でも、やはり気になって仕方がない。

「もう少し時間がかかりそうよね」
「そーね」
「……ベルンハルトたち、大丈夫かしら」

 制止を聞かず飛び出してきた私には、こんなことを言う資格なんてないのだろうけど。

「……相変わらず、他人の心配ばっかしてるのねー」
「えぇ、心配よ。もう誰も失いたくないんだもの」
「そ。ま、心配したっていーんじゃない? あたしからすれば、他人の心配より……自分の心配をなさいよーって、感じだけどー……」

 リンディアの言うことはもっともだと思う。
 本当は、他人の心配をしている余裕なんてないはずなのだ。私の存在によってベルンハルトらが巻き込まれてしまうのだから、本当は、私が自分の身を護れるようになることが最優先なのである。

「……そうね、そうよね」

 必要なのは、現実に向き合う勇気。
 ただそれだけで。

 けれど、私はそれを手にすることができずに、ここまで来た。

「私が変わらなくちゃ、何も変わらない」

 すると、リンディアは口を開く。

「……そーね」

 ベッドの上で上半身を起こしているリンディアは、静かな声を発する。

「でも……もう変わりつつあると思うわよー」
「えっ」

 リンディアの水色の瞳が、私をじっと見つめてきた。

 水晶のような美しさのある瞳に凝視されると、言葉を発せなくなってしまう。しかも、その瞳と一度視線を合わせてからは、目を逸らせなくなってしまった。

「……王女様はもー、弱々しい王女様じゃなくなったでしょー?」

 さらりとそんなことを言うリンディア。

 だが、私には分からなかった。
 彼女が何を言っているのか、正確に理解することができなかったのである。

「どういう意味? 私は強くなれてなんかいないと思うけど……」
「それはねー……気づいていないだけよー」
「気づいていない、ですって?」

 私は改めて、彼女の瞳を見つめる。

 そして、彼女の発言が冗談でないことを悟った。

 リンディアが真剣に物を言っていると感じられたのは、彼女の瞳が真っ直ぐな光を放っていたからだ。もしその光に気づかなかったとしたら、私は、彼女は冗談を言っているものと思い込んで終わっていただろう。

「何を言い出すの? リンディア。よく分からないわ。私は……あの春から、何一つとして成長できていない。そう思うの」
「……それはそー思い込んでるだけよ」

 視線が重なり合う。

「……なら聞くわ。その春の頃の王女様なら、ラナを口で追い払うことなんて、できたかしらー?」

 ——私は何か変わったのだろうか。

 リンディアに言われて、もう一度それを考えてみる気になった。
 けれど、私の脳が「変わることができた」という答えを出すことはなかった。

 武術を学んだわけでもない。熱心に勉強に取り組み、知識を蓄えたわけでもない。ただひたすら、従者たちに護られ続けてきただけ。そんな私が「変わることができた」とは、とても思えなくて。

「あるいは……一人で勝手にこんなとこまで来たり、したかしらー? ……どーなのよ?」

 リンディアはそう問う。私はその問いに、すぐには答えられない。

「……どーなの? 答えるくらい簡単でしょー? ねぇ——んっ!」

 途中で言葉を切り、リンディアは拳銃を構える。

 赤い銃口が、扉の方へと向けられた。

 私は一瞬何事か理解できず、焦る。しかし、四五秒が経過してから、リンディアが武器を構えた理由に気づいた。
 ぱたぱたという足音が聞こえてきたから、ということなのだろう。

「敵?」
「分かんないわよー。ま、でも……いちおーね」

 足音は徐々に近づいてきているようだった。

 ラナが戻ってきた? シュヴァルが狙いに来た? それとも、ベルンハルトかアスター?

 考えられるパターンは山のようにあるが、ヒントは何もない。

「……備えておいて損はないでしょー」
「それはそうね」

 私も心の準備をしておかなくちゃ。

 もちろん、足音が味方のものという可能性もある。けれど、敵の足音である可能性だって高いのだ。まだ気を緩める時ではない。
 そんなことを考えているうちに、足音が大きくなってきた。見えない誰かが近づいてくるのが分かる。リンディアが構えている拳銃の安全装置を解除するところを見て、全身に緊張が駆け巡った。

「……もーそろそろ来そーね」
「えぇ……」
「……そんな顔、してるんじゃないわよー。あたしがいるわ。少しくらいなら、戦えるわよ」

 リンディアは、まだ、立ち上がれそうにない。

 彼女が傍にいてくれることは、とてもありがたいこと。けれど、今の状態のままでは、いくら彼女でもまともに戦えないだろう。

 だが、親切心で言ってくれた言葉に対して否定的なことを返すというのは、善の心が少々痛む。なので私は、「そうね。頼もしいわ」と、短く返しておいた。


 やがて、視界に現れる人影。
 リンディアは咄嗟に引き金を引いた。

 緑色をした細い光が、彼女が構える赤い拳銃の先端から放たれる。発射された光は、微かに曲がることさえなく、宙を駆けていく。

「くっ!」

 人影の声。

 ……ん? ちょっと待って。

 思わずそう言いたい衝動に駆られた。というのも、人影から漏れた声に、聞き覚えがあったのである。それも、非常に聞いたことのある声だ。

 宙を駆けた緑色の光。それは、何か——恐らく人影の正体にぶつかり、花火のように散った。光が散るまでにかかったのは、ほんの数秒。十秒にも満たない、本当に一瞬のことだった。

「敵か!」

 そんな一瞬の出来事の後、開いた扉の向こう側に、ナイフを構えて警戒しているベルンハルトの姿が見えた。

「……あらー」

 ベッドの上のリンディアが漏らす。

「やっちゃったわねー」

 リンディアも、人影の正体がベルンハルトであったことに気がついたようだ。しかし、謝る気はなさそうである。

「リンディア?」
「……ごめんなさいねー。まさかアンタだとは思わなかったわー」

 一言交わして、ベルンハルトはナイフを構えることを止めた。
 彼はナイフを下ろし、私たちがいる方へと歩いてくる。

「イーダ王女も一緒か」

 あ、これはまずい。
 言うことを聞かず飛び出してきて、それっきりだっただけに、かなり気まずい。

「そーなのー。……逆に助けられちゃったわー」
「しっかりしてくれ」
「……は? うっさいわねー、黙ってなさいよ」

 ベルンハルトにはきつい言葉を向けるリンディア。
 しかし、当のベルンハルトはというと、彼女の方など見てはいなかった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.131 )
日時: 2019/03/12 16:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0dFK.yJT)

128話 本当の間違いは

 ベルンハルトは私を見つめ、そのまま、私がいる方へと真っ直ぐに歩いてくる。

 そして、一メートルも離れていない辺りで止まった。

「無事だったか、イーダ王女」
「えぇ」
「それなら良かった。だが、今後はあまり無茶をするなよ」

 私は視線を下げる。
 あんな別れ方をしたベルンハルトと話すのが、気まずかったのだ。

「……そうね」

 ベルンハルトが私を見ている。じっと見つめている。それには気づいていた。けれど私は、気づかないふりをする。目を合わせたら怒られそうな気がして、彼の凛々しい双眸へ視線を向けることはできなかった。

「勝手なことをして、ごめんなさい」

 助けに来てくれたのに。護ってくれたのに。それなのに私は、ベルンハルトに逆らった。彼の言葉を聞かず、反抗期の子どものように飛び出して。

 ラナが見逃してくれたから良かったものの、これでもし私が殺されていたりなんかしたら、ベルンハルトに大変な迷惑をかけてしまうところだったのだ。

「……本当に、ごめんなさい」

 視線を合わせることはできぬまま、謝る。

 顔を上げることはできない。
 だって、ベルンハルトに嫌われてしまった現実なんて見たくないから。

 私が二度目に謝ってから数秒が経った時、ふと、手に何かが触れた。

「べつに、謝ることはない」

 優しいベルンハルトの言葉に、私は初めて顔を上げることができた。

「……いいえ。私がしてしまった行為は、謝るべきことだわ」
「貴女が謝ることを望むのなら、謝ってもらって問題ない。が、そうでないのなら、謝ってもらわなくて結構だ」

 彼は私の手を取って、そんな風に言ってくれた。

「同じことを繰り返さない。それが最重要事項だ」

 そう、そうなの。一度やらかした間違いを、次に活かすことが必要なのよ。本当にいけないのは、多分、間違うことではなくて同じ間違いを繰り返すことなのよね。

「そーね。……なかなかいーこと言うじゃなーい?」
「お前には関係ない」
「……なーによ、感じ悪ーい」

 口を挟んできたリンディアに対するベルンハルトの態度は、お世辞にも良いとは言えないものだった。

「ごめんなさい、ベルンハルト。もうあんなことはしないわ」
「ならいいが……」

 ベルンハルトはリンディアを一瞥し、すぐに視線を私へ戻す。

「あまり心配させないでくれ」

 絡む指が、重なる手が、温かい。

 こんなことを言うのは間違いかもしれない。おかしいと思われる可能性もある。
 けれど、心から思う。

 ——心配してくれて嬉しい、と。


「その程度で逃げたつもりですか」


 温かな空気を一変させたのは、ミストの無機質な声だった。

 灰がかった水色の髪。黄色に近い色みの光なき瞳。そして、白い手に握られているステッキ。
 そのすべて——ミストというただ一つの存在が、温かな空気を消し去ってしまう。

「そう易々と、わたしから逃れられるとは思わないで下さい」

 ミストはステッキを大袈裟に振り上げる。それから、その先端をスッと私たちに向けた。

 それは、彼女に戦意があるということを表している。

 彼女が戦う気であることを察知し、リンディアとベルンハルトが同時に戦闘体勢をとった。
 ベルンハルトは胸の前でナイフを構え、リンディアはベッドに座ったままだが赤い拳銃を握り直す。

「……またアンタと戦う日が来るなんて、思わなかったけどー……こーなっちゃ仕方ないわねー」
「まったく。しつこいやつは嫌いだ」

 二人が戦闘体勢をとっても、ミストの表情が揺らぐことはない。

「三人まとめて、処分させていただきます」

 ミストは何の躊躇いもなく、ヒールのある靴で床を蹴る。

 彼女の速さは凄まじい。二三秒も経たないうちに、かなり接近してきた。
 ベルンハルトまで、あと三四メートルといったところか。

「お覚悟を」

 ミストの冷たい声。
 しかし、ベルンハルトは怯まない。むしろ踏み出していく。

 結果、先に仕掛けていったのは、意外にもベルンハルトだった。

 ベルンハルトがナイフを振る。ミストはそれをステッキで軽く防ぎ、さらに一歩踏み込む。ベルンハルトにかなり接近し、静かに膝を振り上げる。

「……っ!」

 脇腹に刺さりかけたミストの膝を、ベルンハルトは片腕で止めた。

 すぐに反撃。
 距離がかなり近くなっているところを逆に利用し、拳を突き出す。

 だが、その拳は命中せず。

 ミストがベルンハルトの横側へと回り込んだからである。

「非効率的な動作が多すぎます」

 小さく言って、ミストはステッキをベルンハルトに向けた。

 ——直後。

 ベルンハルトの体が大きく飛んだ。
 彼の体は、リンディアが乗っているベッドにぶつかり、床に落ちる。

「ベルンハルト!」

 思わず叫んでしまった。
 ミストの視線が私に向く。

「では」
「……来ないで!」

 威嚇するように、鋭く叫んでやる。

 だが、私が叫んだくらいで諦めてくれるミストではない。彼女は一切躊躇わず、ステッキの先をこちらへ向けてきた。

 直後、体に何かがぶつかる。

「え」

 腹から胸にかけての辺りに見えない何かがぶつかり、体が後ろへ吹き飛ぶ。
 尻餅をついてしまった。

 腰を打ち、すぐには動き出せない。そんな私に、ミストは歩み寄ってくる。

「さぁ、終わっていただきま——くっ!」

 私の方へと歩いてきていたミストに、緑色の光が飛んできた。ミストは咄嗟にステッキで防ぐ。

「……思いどーりには、させないわよー」

 リンディアだった。
 彼女が助けてくれたのだ。

「邪魔しないで下さい」
「はん! おっかしー。邪魔しないわけないじゃなーい」

 ミストの視線が、私からリンディアへ映る。

「では、そちらから先に仕留めることにしま——っ!」

 リンディアが拳銃の引き金を引いた。緑色の光がミストに向かって飛ぶ。最後まで言い終わらないうちに攻撃されたミストは、不快そうに眉をひそめつつ、リンディアが放った光を避けた。

「他人の話は最後まできちんと聞くべきです」
「あらー。教師みたいなことを言うのねー」
「当然のことを言ったまでです」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.132 )
日時: 2019/03/15 23:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: W2jlL.74)

129話 そういう人だからなのだろう

 リンディアの下半身はまだ動かない。だがそれでも、彼女は恐怖心を抱いてはいない様子だ。

「貴女の射撃、非効率的です」
「……何とでも言ってればいーわよ」

 ミストはステッキの先端をリンディアへ向ける。

 先ほどベルンハルトや私がやられたような攻撃を、今度はリンディアにやるつもりなのだろう。

 しかし、リンディアの方が早い。
 リンディアが放った緑色の光が、ミストの手からステッキを吹き飛ばす。

「……っ!」

 ミストの手から離れたステッキは、私の頭上を越え、カランと音をたてて床に落ちた。
 こんなに飛ぶのか、という感じだ。

「……まーったく、非効率的よねー」

 武器を失い、一瞬表情を揺らしたミスト。そんな彼女に、リンディアは挑発的な言葉を投げかける。

「躊躇できないなんて、非効率的ー」

 リンディアの口角が僅かに持ち上がる。

 ——そして。

 構えている赤い拳銃の引き金を、リンディアは、一切躊躇わずに引いた。
 細い緑色の光が飛ぶ。

 一発目、ミストは右へ飛び退いて避ける。着地したところへ、迫る二発目。今度は逆に左へ飛び、転がるように着地。ミストは軽々と二発目もかわした。が、ほっとする間もなく三発目が襲いかかる。

「くっ……!」

 ミストは素早く立ち上がり、リンディアが放った三発目から、すれすれのところで逃れる。三発目は、ミストの一つに束ねている髪の先を、ジュッと焦がした。

「これもかわすなんて……なかなかやるじゃなーい」

 クスッと笑いつつ述べるリンディア。
 彼女が挑発しようと敢えて言っていることは、誰の目にも明らかだ。

「……これはどーかしらねー」

 余裕のある笑みを唇に浮かべつつ、リンディアはまた引き金を引く。

 一撃目は、ミストの頭の数センチ右を通過。
 ミストが動けば当たっていたかもしれない。そういう意味では、じっとしているというミストの判断が功を奏したと言えるだろう。

 だが、その二三秒後。
 リンディアが放った二撃目が、ミストの右肩を捉えた。

「……くっ!」

 飛び散るは、赤き飛沫。

 ミストは、右肩を抱え、数歩下がる。

「あらー、ごめんなさーい」
「この程度で止められると思わないで下さい」
「あたし非効率的な射撃だからー……外しちゃった」
「ふざけたことを……!」
「ごめんなさいねー。ほんとーは一撃で仕留めるつもりだったのにー」

 テヘッという感じで、立てた人差し指を唇に当てる。

 ……分かる、わざとだ。

 リンディアは、ミストを怒らせるために言っているのだ。
 それ以外は考えられない。

「あたしー……しょーじき、近距離戦は苦手なのよねー。だ、か、ら」

 片側の口角をくいと持ち上げるリンディア。

「苦しめちゃって、ごめんなさーい」

 リンディアの放った光が、ミストの眉間を貫いた。
 ミストは何も言わず、床に倒れる。力なく崩れ落ちた彼女は、滑らかな肌が妙に映えて、陶器人形のようだった。

「……終わったか」

 ベッド付近に座り込んでいたベルンハルトが、立ち上がりながら言う。

「はーい、おしまーい」

 リンディアは体の前で片手をひらひらさせていた。
 そんな彼女に対し、ベルンハルトは述べる。

「なかなかのものだな」

 珍しく、ベルンハルトがリンディアを褒めた。私にとっては、そこがかなり衝撃だった。

 いや、ベルンハルトは正直者だ。良い意味でも悪い意味でも、嘘はつけないタイプである。だから、良いと思えば褒めるものかもしれない。

 ただ、それでも、ベルンハルトがリンディアを褒めたことは大きな驚きであった。

「……なーによ、気持ち悪いわねー」
「気持ち悪いだと?」
「アンタが他人を褒めるなんて……不気味すぎよー」

 リンディアにはっきりと言われてしまったベルンハルトだったが、怒りはしなかった。少し失礼なことを言われたにもかかわらず、短く「確かに、そうだな」と返すだけ。

 それから彼は、私の方へ視線を向けてくる。

「イーダ王女」
「何?」
「これで一人片付いたな」
「えぇ……」

 ベルンハルトはさらりと「片付いた」なんて言う。

 彼にとっては自然なことなのかもしれないが、そういったことに馴染んでいない私からすれば不思議で仕方ない。

 ——なぜそんなさっぱりしているの?

 今私の胸を満たすのは、そんな思い。

「ところでイーダ王女、一つ不気味に思うところがあるのだが」
「何?」
「この女が来ているのに、なぜラナは来ていないのか」

 ベルンハルトは眉間にしわを寄せていた。

 そう、彼は知らないのだ。
 ラナは私たちを見逃してくれた、ということを。

「見逃してくれたのよ」

 私がそう言うと、ベルンハルトは怪訝な顔になる。理解不能、というような表情だ。

「ラナも来ていたの。でも、話をしたら、帰ってくれたわ」
「……帰って?」

 話を掴めない、というような顔つきのベルンハルトに向けて、ベッドの上のリンディアが言葉を放つ。

「王女様が撃退したーってわけよー」
「馬鹿な。そんなこと、あり得るわけがない」
「それが、嘘じゃないのよねー」
「まさか! あり得るわけがない!」

 驚きすぎたせいか、ベルンハルトは口調を強める。

「僕でも倒すには至らなかったやつだ! か弱いイーダ王女が撃退なんて、できるわけがない!」

 なんてこと。
 驚くべき、信頼のなさね。

「ま、アンタがそーあってほしいと思うのは、分からないでもないわー。か弱い王女様ってのもー、悪くはないわよねー」

 ベルンハルトはしばらくリンディアを見つめていた。その後、私へと視線を移してくる。

「本当なのだな」
「撃退と言うほどのことはないけれど……話せば見逃してもらえたわ」
「なるほど。平和的解決、というやつか」

 ベルンハルトはもう落ち着いていた。

「イーダ王女らしいな」
「戦うことはできないけれど……何かできればと思って」
「貴女らしい」

 それは、良い意味なのだろうか。
 悪い意味ではないだろうか。

「そんな貴女だから、皆に大事にされるんだ」
「……えっ」

 否定されるのだと思った。しかし違った。ベルンハルトの言葉は、私のあり方を否定する言葉ではなかったのだ。

「オルマリンに仕える気のなかった僕が貴女の従者になったのも、敵だったアスターがこちらへついたのも、貴女がそういう人だからなのだろうな」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.133 )
日時: 2019/03/15 23:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: W2jlL.74)

130話 ちゅーしゃ?

 三人になったところで、さて、どうしよう。

 そんな風に思っていた時だ。
 またしても足音が聞こえてきた。

「足音……?」

 私はぽつりと漏らす。

 ベルンハルトの時と比べると、重さのある足音だ。音から考えると、ベルンハルトより体重のある者が駆けてきているものと思われる。

「シュヴァルだろうか」
「あのユニコーンみたいな頭の人かもしれないわ」

 ベルンハルトと私が誰の足音か予想していると、リンディアはさらりと言う。

「……これはアスターねー」

 驚きの、あっさりとした言い方だった。

「リンディア、分かるの!?」
「分かるわよー」
「そうなの! 凄い!」
「べっつにー……長年聞ーてれば、足音くらい分かるよーになるでしょー」

 そういうものなのだろうか。
 私には、足音だけで判別できる人なんていないのだが。

「この足音はアスターだというのか」
「そーよ。……恐らくねー」
「なら、攻撃の準備は必要ないな」

 ベルンハルトは、ナイフを握っている手を、構えず下ろしていた。油断してナイフを片付けたりはしない辺り、彼らしい。

 それから五秒ほどが経過し、開いた扉の向こう側を誰かが通過するのが見えた。

「アスター!」

 通り過ぎかけた誰かに、ベルンハルトはそう声をかける。
 すると、数秒経ってから、一度は通り過ぎた誰かが戻ってきた。

 誰かの正体は、リンディアの言った通り、アスター。

 彼は、部屋に入ってくると、開いていた扉を素早く閉めた。

「おぉ! ベルンハルトくん!」

 大型の銃器を片手で抱えている彼は、明るい声を発する。

 しかし、そんな陽気な声とは裏腹に、体にはダメージがある様子であった。
 いつもは意外ときっちりセットしてある白髪だが、今はかなり乱れている。それに、唇の端や服が赤く滲んでいたりもする。

「何をしていた」
「ん? それはこちらが聞きたいのだがね」
「僕は一旦あの場を離れ、イーダ王女を探した。そして、ここでイーダ王女やリンディアと合流。そして、追ってきたミストと戦い、彼女を下した」

 淡々と話すベルンハルト。

「そして今に至る」
「おぉ! そうだったのだね!」

 アスターは、ベルンハルトの説明を聞いてから、床に倒れているミストの存在に気がついたようだ。動かなくなった陶器人形のようなミストを見て、瞳を少し揺らしていた。

「アスター、お前は? シュヴァルはどうなったんだ」
「私は簡単。逃げてきたのだよ」
「逃げてきた、だと?」

 ベルンハルトは眉間にしわを寄せる。

「では、シュヴァルはまだ動いているのだな」
「そう! 途中までは上手くいっていたのだがね……うっかり反撃されてしまったのだよ。だから、取り敢えず逃げてきた」

 アスターは乱れた白髪を掻き上げる。

「いやはや、やはり、近距離戦は私には向かないようだね。消耗するばかりだよ」

 掻き上げた瞬間に覗いた額には、小さな汗の粒がついていた。

「老化って怖いわねー」
「それは酷くないかね!?」
「事実じゃなーい」
「まぁ、それはそうだが……」

 リンディアは相変わらず、遠慮がない。

「余計なことを言うのは止めろ、リンディア」
「……はい?」

 ベルンハルトが制止すると、リンディアは彼を睨み返す。

「ちょーしに乗ってんじゃないわよー、ベルンハルト」
「余計なことを話している余裕はない」
「……ま、それもそーね」

 意外にも、リンディアはそこで食い下がった。それ以上何かを言うことはなかった。

「ところでリンディア。君は無事だったのかね?」
「何よジジイ」
「ジジ⁉ ……いや、それはいいとして。何かされたりしなかったのかね?」

 アスターは、ジジイ呼ばわりされたことに、少しばかりショックを受けているようだった。しかし、敢えてそこに触れることはしない。そういうところはさらりと流し、本題にもっていく。

「私は私なりに心配していたのだよ、リンディア。生きていて何よりだが、嫌がらせをされたりしなかったのかな?」
「ちょーっと、嫌がらせされたわよー」

 刹那、アスターの顔面が引きつる。

「ウソッ!! そうなのかね!?」

 顔面を引きつらせながら、ベッド上に座るリンディアに駆け寄るアスター。彼は、リンディアに寄るや否や、彼女の体を包み込むように抱き締めた。

「すまないね……リンディア……」

 なぜだろう。
 今のアスターは、どこか、私の父親を彷彿とさせる。

「何をされたのかね」
「べつに、たいしたことじゃなーいわよー?」
「遠慮は要らない! 言ってくれていいのだよ」

 リンディアは戸惑った顔をしながら、小さく答える。

「……ちゅーしゃ」
「チュー!?」
「は!? ふざけてんじゃないわよ!!」

 大きく離れたことを言ったアスターは、リンディアにパシンと叩かれていた。

 なんだろう、この父娘感は。
 リンディアの父親は、本当は、アスターでなくシュヴァルなのに。

「キモッ! いきなり『チュー』なんて、気持ち悪すぎよー!」
「な! べつに、気持ち悪いことを考えて言ったわけでは……!」
「いい年してそれはないわー。離れてちょーだい」

 アスターはリンディアが大切で。でも、リンディアはアスターに対して素直でない。
 だから、二人はいつもこんな感じなのだろう。

 嫌い合って離れることはなく。しかし、だからといって思いやり合える関係になれるわけでもなくて。

 そんな風に絡み合うリンディアとアスターを見ていた時。
 背後から、キィという軋むような音が聞こえてきた。


「やれやれ。少々馴れ合いが過ぎるのではありませんか?」


 その声に振り返る。

 そこには、シュヴァルが立っていた。
 片手には拳銃を持っている。

「シュヴァル……!」

 私は意味もなく、彼の名を呟いてしまった。

「よくここまで逃れましたね、王女様。しかし、ちょこまか逃げるのも、これでもうおしまいです」

 ベルンハルトが一歩前へ出る。

「……まだ逆らう気ですか? ベルンハルト」
「僕はイーダ王女の従者だ。屈服する気はない」
「威勢がいいですね」

 少し空けて、シュヴァルは叫ぶ。

「ネージア人ごときが!!」

 シュヴァルはそう叫ぶと同時に、拳銃の引き金を引いた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.134 )
日時: 2019/03/15 23:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: W2jlL.74)

131話 弾丸の応酬

 放たれる弾丸。
 ベルンハルトはそれを、ナイフで弾いた。

 こんなことができるのか、と、私は内心感心する。

 だって、拳銃から放たれた弾丸なんて、目ではとても追えないものだもの。それをナイフみたいな細いもので弾き返すなんて、普通無理があるわ。

「我が野望の存在を知る者など、この世には必要ないのです。なので、ここで消えていただきます」

 淡々と述べるシュヴァル。
 彼はまだ、冷静さを保っている。

「イーダ王女」
「え?」

 緊迫した空気の中、ベルンハルトが唐突に声をかけてきた。私は戸惑いつつも、彼の方へと目をやる。

「殺害か生け捕りか、どっちだ」
「え? あの……」
「シュヴァルをどうするのか、ということを聞いている」

 そんなこと、いきなり聞かれても。
 シュヴァルをどうすべきか、というのは重大な決断だ。聞かれてパッと答えられるような、簡単なことではない。

「……生け捕りじゃない?」

 取り敢えず、そう答えておく。
 殺害はさすがにまずいだろう、と思ったからである。

「そうか。分かった」
「何を仕掛けてくるか分からないわ。無理しちゃ駄目よ」

 ベルンハルトは駆け出す。シュヴァルにかなり接近したところで大きく一歩を踏み出し、彼の背後へと回り込む。

 ほんの数秒反応が遅れたシュヴァルの背に、ベルンハルトは蹴りを加える。

「野蛮人め……!」
「何とでも言え」

 シュヴァルはベルンハルトを、鬼のような形相で睨む。
 しかし、その程度で怯むベルンハルトではない。

 恐ろしいくらいの気迫で睨まれても、ベルンハルトの表情はまったく変化していなかった。

 ベルンハルトはさらに蹴りを繰り出す。

 しかし、今度は背後からではなかったため、シュヴァルは腕で防いだ。

 シュヴァルは父親の側近。それゆえ、戦闘能力が高いというイメージはなかった。が、今の動きを見ると、シュヴァルが弱くはないということはまる分かりである。少なくとも素人ではなさそうだ。

 余裕を感じさせる、悪さのある笑みを浮かべるシュヴァル。

「そんなことで、このシュヴァルを倒せるとでも?」

 シュヴァルは恐らく、わざと刺激するようなことを言っているのだろう。

 だが、ベルンハルトは顔色を変えない。

 それを見て、私は安堵した。冷静さを保てているようだと分かったからである。

 一つ一つの発言に過敏に反応していると、その隙をつかれてうっかりやられかねない。もちろん戦闘能力そのものも関係ないことはないが、冷静さを保つこともまた、やられにくくなる方法の一つだろう。

「そんな考えは甘いのだということを、教えて差し上げましょう」

 シュヴァルはまだ余裕のある表情。そんな彼に、ベルンハルトは急接近する。そして繰り出される、遠心力を加えた横からの蹴り。ベルンハルトが放ったその蹴りは、決まったように見えた。が、シュヴァルは上手くかわしていて。蹴りをかわしたシュヴァルは、握っている拳銃の銃口を、ベルンハルトへと向ける。

 そして響く、乾いた銃声。

 私は思わず目を閉じる。

 音が宙に溶けてから五秒ほどが経ち、恐る恐る目を開けると、銃弾が壁に傷をつくっているのが見えた。
 ベルンハルトには当たらなかったようだ。

 ——刹那。

 視界に火花が散る。

 火花が散ったのは、ベルンハルトがいるのとは逆の方向。
 ベルンハルトがやったわけではなさそうだ。

「く!」

 シュヴァルの顔が引きつる。

「ははは。私のことを忘れていたかね?」
「アスター……!」
「甘いものがあればもっと元気になれるのだが、まぁ、少し休憩するだけでも復活できるのだよ」

 ベルンハルトに気を取られ、彼らの存在をつい忘れてしまっていた。

「うーむ……六十五点といったところかな! しかし、掠り傷しかつけられないとは情けない」
「ホンット情けないわねー」
「リンディア! それは酷い!」
「なーによ。事実じゃなーい」

 アスターは大型の銃器を、リンディアは赤い拳銃を、それぞれ構えていた。二つの銃口が捉えているのはシュヴァルだ。

「……アスターはともかく、リンディア。一体どうなっているのです?」
「あたし? 最期に言ーたいことでもあるのかしらー? 遺言なら聞いてあげてもいーわよー」

 緊迫した状況下にありながら、冗談めかすリンディア。

「そうではありません! 父親に銃口を向けるとはどういうつもりなのか、聞いているのです!」

 真面目さのない発言をするリンディアに苛立ったのか、シュヴァルは口調を強める。それに対しリンディアは、一瞬目を細めたが、すぐに返す。

「……今さら父親ぶってんじゃないわよー」

 彼女らしくない、静かな声色だった。

「何を言うのです! 親に孝行するのは子の努めでしょう。馬鹿な真似は止めなさい!」
「……は? 馬鹿はそっちよ! アンタは父親らしーことなんて、何一つとしてしてないじゃない!!」

 シュヴァルが口調を強めたからだろう、リンディアも鋭く言い返した。
 刺々しい空気が漂う。

「落ち着きたまえ、リンディア」
「は!? ジジイは黙ってなさいよ!!」
「怒らされていては、思うつぼだよ?」
「なーに善人ぶってんのよ。怒らずにいられるわけがないじゃない!」

 落ち着かせようとするアスターだが、リンディアは反発する。

「普通は怒るでしょー!?」
「な。そうなのかね? しかし、シュヴァルの思い通りになるというのは、悔しくないかな?」

 アスターの瞳は、リンディアの整った顔をじっと捉え続けている。

「……悔しーわよ」
「だろう? なら、相手することなどないのだよ」
「けどね! 黙ってるってのは、もっと悔しーの!」

 吐き捨てるように言い、リンディアは引き金を引いた。
 緑色の光が、シュヴァルに向かって飛んでいく。

 ——父親に向かって引き金を引くとは、どのような心境だろうか。

「ちっ!」

 シュヴァルは舌打ちをしつつ、緑に輝く光の弾をかわす。
 そして彼は反撃に回る。拳銃の引き金を引くと、弾丸が飛び出す。

 ——タァン!

 シュヴァルが放った弾丸は、リンディアの手元に見事に命中。赤い拳銃がリンディアの手から離れる。

「仕方ありませんね」

 さらに、いくつかの弾丸がリンディアに向かっていく。
 そんなことはないと思いたかったのだが——シュヴァルは本気でリンディアを仕留めるつもりのようだ。

「親孝行もできぬ馬鹿娘は、消えなさい!」

 リンディアは動けない。
 ただ、目を大きく開くだけ。

「逃げて、リンディ——」

 私は言いかけ、途中で言葉を止めた。

 止めざるを得なかったのだ。
 アスターが、リンディアを庇ったから。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.135 )
日時: 2019/03/19 02:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: h4V7lSlN)

132話 いつまでもそんな

「ちょ、アスター……何して……」

 リンディアは小さく漏らす。

 シュヴァルの拳銃から放たれた弾丸はリンディアを狙っていた。その数発の弾丸は、動けないリンディアに突き刺さるものかと思われたのだが、そうではなく。彼女を庇ったアスターの背に、命中した。

「なるほど、そう来ましたか」

 シュヴァルの口元に浮かぶのは、黒い笑み。世界を飲み込んでしまいそうなほど邪悪な雰囲気のある笑みだ。

 弾丸を浴びたアスターは、リンディアにもたれかかるようにして倒れ込む。

「ちょ、アスター!? 何なの。どーして!?」
「……リンディア」
「は?」
「君は……私の大切な人なのだよ」

 この時ばかりは、さすがのリンディアも嫌がるような行動はしていなかった。恐らく、動揺するあまり、嫌がる余裕もなかったのだろう。

「リンディアは私にとって……娘のような存在。綿菓子と同じくらい……好きでね」
「……何なのよ、それ」
「だから……君が撃たれるところなんて見たくはない」

 その先、アスターが言葉を発することはなかった。

「ちょっと、アスター。どーなってるの? 生きているわよね? 返事くらいなさいよ!」

 リンディアは調子を強める。
 その顔には、いつになく、焦りの色が浮かんでいる。

 どうすればいいのだろう。やはり私には、何もできないのだろうか。

 もしかしたら、それが真実なのかもしれない。
 揺らぐことのない、変えられない、一つの真実なのかもしれない。

 けれど私は、その真実を、何の抵抗もなく受け入れたりはしたくないのだ。

 確かに、私は弱いかもしれない。腕力勝負になれば確実に負けるだろうし、勇敢な心を持っているわけでもないし。

「シュヴァル、貴方……!」
「何か仰いましたか、王女様」

 でもね。他人を理不尽に傷つけることを躊躇しないような者に、怯えてはいたくない。そんな心ない者に負けるような、弱い人間ではありたくないの。

「アスターさんは友人だったのではないの!?」

 もはや悪魔と言っても過言ではない、シュヴァル。そんな彼に向けて言葉を発するのは、やはり、どうしても緊張する。何かされたら、だとか、攻撃してこられたら、だとか、そういうことばかり考えてしまうのだ。

「友人? 何を馬鹿げたことを」
「……違うの」
「馬鹿なことを言わないで下さい。彼とて結局は、一つの駒に過ぎません」

 シュヴァルの瞳には、もはや、人の面影はなかった。

 彼の瞳に宿るは、狂気。
 己の願望を成就させる。ただそれだけしか、彼には残っていないのだろう。

「駒ですって」
「そう、我が願いを叶えるための駒なのです」
「よくそんなことを言えるわね……!」

 ただ唇が震えた。

 他人を物のように扱うその姿勢が、どうしても許せなくて。

「事実ですから」
「心ないにもほどがあるわ!」

 私は思わず声を荒らげてしまった。

「邪魔な存在である私を狙うということは、まだしも分かる。でも、仲間であった人まで傷つけるなんて、意味不明よ! そんなのは、絶対に許されることではないわ!」

 偽善と笑われるだろうか。

 いや、べつに笑われてもいい。

 許せないものは許せないのだ。

「貴女から許しを得る必要などありません」
「もう止めなさいよ! こんなこと!」

 あの春の悲劇は、もう繰り返させたりしない。

「喚くなど品がありませんよ、王女様」

 終わらせるの。

 こんなこと、ずっと続けても悲しみしか生まれない。
 そこに意味なんてない。

 命は奪われ、悲しみだけが生まれる。そんな行為は、無意味だ。

「そう喚かずに。取り敢えず、大人しくしてはどうです」
「大人しくなんて、無理だわ」
「いつも臆病だったではありませんか。貴女はあの頃のように、ただ怯えていれば良いのです」

 そう、私は臆病だった。

 心身共に強靭とはとても言えない状態で、いつもどこか怯えていた。
 強さ、なんて言葉からはほど遠い人間で。

 けれど、それはもう昔の話。

 今だって強くはない。
 ただ、迷わずに前を向くことはできるようになった。散々巻き込まれてきたのだ、今や怖いものなんてそう多くはない。

「強くなったと勘違いするのは止めなさい、王女様。貴女は所詮、か弱き王女なのです。隅で怯えて震えているのが、貴女に相応しい姿。いつまでもそんな貴女でいて下さい」

 ——刹那。

 ベルンハルトがシュヴァルに飛びかかった。
 背後から飛びかかられ、さすがのシュヴァルも反応しきれない。ベルンハルトに押し倒されるような形で、シュヴァルは前向けに倒れた。

「なっ……!」

 床に押さえつけられる形になったシュヴァルは、珍しく慌てた様子で身をよじる。少し遠心力をかけて手足を動かしたり、腰を上げてみたりしている。

 しかし、その程度で逃すベルンハルトではない。
 彼はシュヴァルの手や足をからめ捕り、徐々に動きを制限していく。

「ぐ……」
「お前はイーダ王女を分かっていない」
「……離しなさい、野蛮人」
「イーダ王女はか弱いが、今や、お前が思っているほど臆病ではない」

 いつもはナイフを使うベルンハルトだが、今は、珍しく素手でいっていた。
 表情は冷ややか、声は静かで淡々としている。

「離せと言っているでしょう!」

 シュヴァルはまだ諦めていないようで、身を振り、手足をばたつかせて、激しく抵抗している。が、ベルンハルトは既に、シュヴァルを完全に押さえ込んでいる。

「離せと言われて離すのならば、初めから捕らえてはいない」
「こんな乱暴なことをして、許されると思っているのですか!」

 シュヴァルはらしくなく声を荒らげる。

「一般人になら許されないだろう。だが、お前が相手なら話は別だ。裏切り者だからな」
「オルマリン人でもないくせに、調子に乗らないで下さいよ!」
「そんなことは関係ない」

 絡み合うベルンハルトとシュヴァルの様子をじっと見ていた時、またもや足音が聞こえてきた。

 今日はこういうパターンばかりね、なんて思いつつ、警戒する。新手の敵かもしれないから、油断はできない。

 だが、その正体はすぐに明らかになった。

「友が来たぞ! ベルンハルトッ!!」

 その正体とは、以前ベルンハルトと対決した男性——カッタッタだったのだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.136 )
日時: 2019/03/19 02:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: h4V7lSlN)

133話 何だこの沈黙

 カッタッタのいきなりの登場。そのあまりの唐突さに、私は言葉を失った。

 だって、こんな展開はまったく予想していなかったんだもの。

 そもそも、カッタッタのことなんて顔を見るまですっかり忘れていた。それに、顔を見て名を導き出せたことさえ、奇跡なのだ。

「ぅおーい!? 何だこの沈黙ッ!!」

 彼の登場に言葉を失ったのは、私だけではない。シュヴァルを床に押さえ込んでいるベルンハルトも、私と同じように、言葉を失っていた。

「友が来たのにノーコメントとは! ベルンハルト! 何だそれは!」
「……友ではない」
「ガアァァーン」

 ベルンハルトがようやく発した第一声に、カッタッタは凄まじい勢いで肩を落とす。

「うそー……それは酷すぎだろー……せっかく助けに来たのによー……それなのに友じゃないとかよー……」

 カッタッタは、何やら、ぶつくさ漏らしている。ベルンハルトの発言がかなりショックだったようだ。

「って、そうじゃなかった!」

 独り言を言い終えると、カッタッタは、ハッと目を開いた。

「ベルンハルト! 今行くからな!」

 シュヴァルを押さえ込むベルンハルトのもとへと駆け寄っていくカッタッタ。

「大丈夫かっ!」
「……あぁ、問題ない」

 カッタッタの目には、善意という名の光が宿っていた。彼に悪意がないということは明らかだ。

「他にも何人か来てるからな!」
「そうなのか」

 ベルンハルトはシュヴァルの四肢を固く締めつつ話している。

「星王様の命とカッタッタの優しさが合わさったんだ!」

 緊迫した状況にあるはずなのに、カッタッタの話し方はどことなく呑気。そこが彼の良いところでもあるのかもしれないが、それにしても、少々場に不釣り合いである。

「……はぁ」
「溜め息とか止めてくれよ!」
「すまない」
「な、素直に謝っただとッ!?」

 カッタッタは謎だ。真面目なのかふざけているのか、まったく掴めない。

「そういう冗談はいい。それより——拘束を手伝ってくれ」
「拘束? されてたまるものですか!」

 ベルンハルトの発言に対し抗いの声をあげるのは、シュヴァル。
 今や彼は、ベルンハルトから逃れようと必死だ。

「カッタッタ、拘束具か何かは?」
「要るのか!?」
「そうだな。ある方が確実だ」

 いや、なぜ手ぶらで来たのか。

「分かった! 少し待っていてくれ。外の奴らを呼んでくる!」

 カッタッタは部屋から出ていった。
 部屋から騒がしさが消える。

「大丈夫なの? ベルンハルト」

 静けさが戻ってきてから、私は、ベルンハルトに話しかけてみた。
 すると彼は、落ち着きのある声色で返してくる。

「問題ない。イーダ王女はそこにいろ」
「分かったわ」

 ベルンハルトは冷静だ。
 彼の年齢からすれば信じられないくらいの落ち着きである。

「離しなさい、野蛮人!」
「それはできない」
「くっ……こんなところで終わるわけにはいきません……!」

 シュヴァルは顔をしかめている。
 しかしまだ諦めてはいないようで、隙あらば逃れてやろう、と考えていそうな顔をしていた。


 一旦部屋から出ていったカッタッタは、五分ほど経過して、またこの部屋に戻ってきた。二人の男性と共に。

「待たせたな! 拘束に使えそうな物、それと仲間、持ってきた!」

 カッタッタのことはあまり知らない。だから、本当なら、信じきってしまってはいけないのだろう。疑ってみることだって必要かもしれない。

 ただ、今の私には「疑う」なんて発想はなかった。

 それは多分、私自身が、協力的なカッタッタを疑いたくなかったからなのだろうと思う。
 人間、都合のいいことは信じたくなるものだ。

「ベルンハルト! そいつを拘束すればいいんだな!?」

 言いながらベルンハルトに駆け寄るカッタッタの手には、太く頑丈そうな縄。がっしりと編み込まれていて、そう易々とちぎれることはなさそうな縄だ。

「頼む」
「おう! 任せろ!」

 カッタッタと彼が連れてきた男性二人は、一斉に、ベルンハルトの方へと向かう。
 シュヴァルを取り押さえ続けていたベルンハルトの顔面に、ほんの少し、明るいものが差し込んだ。

「よしっ。まずは首だな!」
「いやいや、首やのうて手首ですがな」
「手首か! 確かにな!」
「しっかり頼んます」

 カッタッタは、彼が連れてきた二人のうち一人と何やら喋りながら、シュヴァルの手首に縄をかけている。

「いきなりこんなことをして、許されると思っているのですか!」
「許される! なぜなら、星王様の命だからだ!」

 カッタッタが連れてきた二人のうち、彼と一緒に行動しているのではない方の男性は、リンディアがいるベッドの方へ向かっていた。

 私はどう動けばいいのだろう。

 足を引っ張ってしまうことになりかねないので、シュヴァルの方へ行くのは避けた方が無難だろう。だとしたら、リンディアの方へ行くべきか。

 ……いや。

 私が彼女のところへ行っても、何かできるとは思えない。力になれる気がしない。

 撃たれたアスターのことは心配だ。そして、それにショックを受けているであろうリンディアのことも心配である。

 本当に、どうすべきなのだろう。

 私は考える。

 誰かがこうすべきと教えてくれれば、どんなにいいか。答えを教えてもらえたなら、それに従うだけでいいので、きっととても楽だろう。

 しかし、世の中そう簡単にできてはいなくて。
 自分で考え判断しなくてはならない。そういうことも、たくさんあるものだ。

 ……どうしよう。

 悩んだ結果、私は、リンディアとアスターの方へ向かうことにした。そちらの方がシュヴァルから離れていて安全だろう、と思ったからである。

 ベッドに向かって駆け出す。

 その時、アスターの体は既に、男性に抱えられていた。

「彼は大丈夫そう?」

 私は男性に問う。
 すると男性はこくりと頷き、静かな声で「治療は必要ですが」と答えてくれた。

 治療は必要ということだが、それはつまり、治療すれば助かる可能性が高いということ。このまま話が進めば、アスターはきっと大丈夫だろう。

「ありがとう」
「いえ、任務ですので。では先に失礼致します」

 アスターの体を抱えた男性は、そそくさと部屋から出ていった。

 それなりに身長があるアスターの体は、脱力しているのもあって、かなり重そうだ。しかし男性は、そんなアスターの体を軽々と持ち上げ、運んでいる。

 力持ちなのだな、と、密かに感心した。

 アスターが運ばれていってから、私は、リンディアへ視線を向ける。そして、歩み寄る。

「リンディア! 平気?」
「……そーね。へーきよー」
「怪我はない?」
「特にないわねー」

 リンディアは、いつもより、疲れたような表情をしていた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.137 )
日時: 2019/03/19 02:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: h4V7lSlN)

134話 泣きすぎ

 こうして、シュヴァルは拘束され、ひとまず今回の騒動は幕を下ろした。

 最後ここまで良い結果に持ち込めたのは、カッタッタらの協力があったということが大きいと思う。無論、そこまで戦い続けてくれたリンディアやベルンハルトやアスターの功績もかなり大きいわけだが。

 これでもう、私たちが襲われることはないだろう。

 シュヴァルが自由の身でなくなった。それだけのことだが、多分、とても大きなことだと思う。彼が自由に動けなければ、彼の手の者に襲われることはなくなるのだから。


「イーダアァァァッ!!」

 ベルンハルトと共にいつも暮らしている建物へ戻ると、父親が出迎えてくれた。
 彼は私の姿を見ると、瞳を濡らし鼻水を垂らしながら、躊躇いなく抱き締めてきた。

 いつもなら「止めて!」と言っていただろう。そして、絡みつく体を振り払おうとしていたはずである。ただ、今日はそうしなかった。それは、私もまた父親に会えて嬉しかったから。死を覚悟した瞬間もあったけれど、またここへ戻ってこられた。それが、とても嬉しいから。

「良かったぁぁぁっ!!」
「耳元で叫ぶのは止めてちょうだい、父さん」
「これが、叫ばずにいられるかぁぁぁっ!!」

 私の体を強く抱き締め、父親は大声を出す。
 そのたびに鼓膜が痛む。至近距離で叫ばれると、耳の奥がじんじんしてきてしまうものだ。

「止めて! 耳が痛いわ!」
「耳なんてどうでもいいだろぉうぅぅぅ!? 今大事なのは、イーダが無事だったことだろぅぅぅ!?」

 いや、本当にもう勘弁していただきたい。

 叫ぶのは勝手だが、他人の耳元の近くでというのは、できれば避けてほしい。せめて、もう少し離れたところで叫んでもらえると助かるのだが。

 私は助けを求めるように、背後のベルンハルトを一瞥する。

 しかし、彼は助けてはくれなかった。
 視線が合った瞬間に苦笑するだけ。彼は傍観に徹している。

 なんてこと! こういう時こそ力を貸してほしいのに!
 ……などと思いつつ、私は父親に言う。

「心配してくれたのね、父さん。ありがとう。それは感謝しているわ」
「うううっ……良かったぁぁぁ……」
「心配かけてごめんなさい」
「いや、いや、いいんだぁ……。イーダは悪くないぃぃぃ……」

 目元は赤く腫れ、鼻の付近は鼻水でびしょびしょになり、唇は震えて。そんな、とても人前には出られないような顔面になりながら、父親は私を抱き締め続ける。

 好きな人にならともかく、父親に抱き締められるなんて。
 あまり嬉しいことではない。

 ないのだけれど、今は、嫌ということはなくて。

 私は父親を心配させてしまった。だから、その償いと言ってはなんだが、もう少しこうしていようと思う。離せとは言わないようにしよう、と、密かに思っている。

「悪かったのは俺だぁ……シュヴァルの言うことばかり信じてぇぇぇ……ごめんな、イーダぁ……」
「いいのよ。謝らないで」
「けど、俺がもっと早く気づいていればぁぁぁ……」
「父さんは悪くないわ。だって、最後は分かってくれたもの」

 買ってほしいおもちゃがあるのに帰らされそうになっている子どもといい勝負ができそうなくらい、父親は泣いていた。

 大きな娘のいる父親とはとても思えないような、豪快な泣き方。今の彼を見たならば、彼が星王であると、誰が気づくだろう。きっと、百人に一人も気づかないに違いない。


 抱き締められてからだいぶ時間が経ち、私はようやく離してもらえた。
 そのタイミングで、それまでずっと黙っていたベルンハルトが口を開く。

「遅くなってすまなかった」

 いきなりそう言われた父親は少し戸惑ったような顔をしたが、十秒ほど経過してから、首を左右に動かした。

「いいんだよぅぅぅ……」

 父親はそう言って、頭を下げる。

「イーダを助けてくれたこと、感謝するぅぅぅ……!」
「そう言ってもらえることは嬉しい。が、僕は何も、感謝されるようなことはしていない。ただ、従者としてできることをしただけのこと」

 ベルンハルトは父親を見つめながら、微かに頬を緩める。

「僕をイーダ王女に出会わせてくれたのは、貴方だ」


 父親としばらく話してから、私とベルンハルトは移動することになった。行き先は、リンディアがいるという部屋。彼女に会いに行くのだ。


 白い壁紙の小さな部屋に入ると、ベッドに横たわっているリンディアの姿が視界に入った。
 彼女は、部屋に入っていった私に気づくと、すぐに上半身を起こす。そして、胸の前で開いた右手をひらひらさせる。

「あらー来てくれたのねー」
「リンディア! 大丈夫?」

 私は彼女のベッドへ駆け寄りつつ尋ねる。

「もっちろん、大丈夫よー。心配かけちゃって、悪かったわねー」

 水晶のような透明感のある水色の瞳は、湖の水面のように澄んで。皮膚も、白すぎず黒すぎもしない、健康的な色になっている。

 表情は生き生きしているし、元気そうだ。

「それは良かった」
「あらー。ベルンハルトったら、どーいうつもりかしらー? あたしの心配するなんて、アンタらしくなーいわよー」

 リンディアの言葉に対し、ベルンハルトは唇を閉じる。そして数秒、考えるような顔をした。彼は、それから口を開く。

「僕はべつに、お前が心配で言っているわけではない」
「そーでしょーねー」
「僕はただ、お前のことを心配しているイーダ王女を心配しているだけだ」

 え、何それ。どういう意味。

「お前が弱っていると、イーダ王女も不安になるだろうからな」
「そーねー」
「なるべく元気に振る舞ってくれよ」
「……それここで言っちゃ駄目でしょー?」

 リンディアは小さく苦笑して、再び私へ視線を戻してくる。

「でも、良かったわねー」
「え?」
「これでもー襲撃は起こらないんだもの」
「あ、えぇ。そうね」

 シュヴァルが捕まった。だから、恐らくもう、襲撃は起こらないだろう。

 頭では分かっている。
 けれど、まだ実感が湧かない。

 ことあるごとに発生する襲撃。度々身の危険に晒される。そんな暮らしを数ヵ月続けてきた。だから、平穏な暮らしなんてもう忘れてしまった。何も起こらない日々なんて、想像できない。

「そうね! きっと平和になるわね!」

 私は一応そう返しておいた。

 でも、しっくりこない。

 平和な日々。穏やかな暮らし。
 あんなに望んでいたはずなのに——今は少し、おかしな感じがするの。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.138 )
日時: 2019/03/19 02:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: h4V7lSlN)

135話 話をしながら

 ベッドのある個室で、私とベルンハルトは、リンディアと話す。

「そーいえばさー」
「何?」
「その……アスターはどーなったのかしらー」

 リンディアは、非常に気まずそうな顔をしながら尋ねてきた。

 いつも嫌いと言っていて、酷い言葉を投げかけることも日常茶飯事。けれど、それは外向きであって。

 リンディアは、本当は、アスターのことをちゃんと考えているのだ。
 そして、アスターはそれに気づいている。

 彼女に酷いことを言われてもアスターが怒らないのは、きっと、リンディアが素直になれない性格であることを知っているからなのだろう。

「アスターさん……実は私も知らないの。でも多分、命に別状はないと思うわよ」
「そーなの?」
「きちんと治療すれば、みたいなことを言っていたわよ」
「あー、そーそー! そーいえば、そんなこと言ってたわねー!」

 とはいえ、もろに撃たれている。
 軽傷とはいかないだろう。

 後遺症なんかが残らなければいいのだが。

「アスターさんに会いに行ってみる?」
「……いーわよ、べつに。アスターに会いたくて仕方ないわけじゃなーいものー」

 リンディアは唇を尖らせる。

 見た感じ明らかに嘘をついていそうな雰囲気だが……突っ込むことはしないで、そっとしておこう。

 私は視線を、一旦、リンディアからベルンハルトへ移す。

「アスターさんはどこに?」
「僕も知らない」
「そう……」
「確認してこようか」

 ベルンハルトの口から発された親切な言葉に、私は数秒声を失ってしまった。彼の口からそんな親切な言葉が出てくるとは、欠片も想像していなかったからである。

「え……いいのかしら」
「貴女が望むなら」

 なぜだろう。理由はよく分からないけれど、今のベルンハルトは、かなり穏やかな顔をしていた。これまでのような冷淡な顔つきとは、少々違っている。

「アスターの居場所と、話せるかどうか。それらの確認で問題ないな?」
「えぇ」
「分かった」

 素直にこくりと頷くベルンハルト。

 その様子は、どことなく愛らしいものだった。
 言葉で表現することは難しいが、何とか表現するとすれば、「可愛げがある」という感じだろうか。

「では、少し失礼する」

 淡々とした声でそれだけ言うと、ベルンハルトは部屋から出ていった。

「……王女様はここにいていーの?」
「え。なぜ?」

 問いの意図が分からず、質問に質問を返してしまう。
 するとリンディアは、口角を僅かに持ち上げ、ニヤリと笑った。

「ベルンハルトと行かなくていーの? ……ってことよー」

 なるほど、そういうことね。
 説明してもらって初めて、リンディアが言おうとしていることの意味を理解することができた。

「それなら、べつにいいのよ」
「そーなの?」
「リンディアと一緒に過ごす時間だって、大切だわ」

 彼女は従者。
 でも、それと同時に、友のような存在でもある。

 王女ゆえ、私は友人が少ない。なかなか友人と言えるような関係は築けないのだ。

 だからこそ、友のような存在の彼女は大切にしたい。これからも、いろんなことを話したりして、関わっていきたいと思う。

「もっといろんなことを話してみたいの」
「……そーなのー?」
「えぇ。外の世界のことなんか、リンディアならよく知っていそうだもの」

 するとリンディアは、垂れてきていた赤い髪を片手でさらりと後ろへ流し、微かに胸を張る。少し自慢げな表情で。

「ま! そーね! 王女様よりは色々知ってるわよー。望むなら、教えてあげてもいーわ」
「本当!?」
「もっちろん! 教えないなんて、ケチ臭いことはしないわよー」

 平和になったら、平穏が訪れたら、もっと色々なことを聞きたいの。

 明るいこと。楽しいこと。
 そして、夢が広がるようなことを。


 その日の晩は、すぐに眠ることができた。
 自室のベッドで眠るのは、物凄く久しぶり。なので、とても不思議な感じで。でも、その柔らかな感触に癒やされて、あっという間に眠りに落ちてしまったのである。


 そして、気づけば朝になっていた。


 窓から差し込む朝日。
 温かく、穏やかで、まるで私たち人間を祝福してくれているかのよう。

 朝がいつもより明るく見える。でも、本当にいつもより明るいということはないのだろう。もちろん、晴れで光が差し込んできているというのはあるが、この明るさは、それだけによるものではない。

 世界を明るく見せているのは、私の心。
 この胸の内がすっきりしているからこそ、こんなにも晴れやかな朝なのだろうと思う。


 ベッドから起き上がり部屋の中央へ向かうと、そこにはベルンハルトの姿があった。

「おはよう」
「あぁ、イーダ王女。起きたのか」

 私から声をかけると、ベルンハルトはこちらを向いた。

「えぇ。おはよう、ベルンハルト」
「おはよう」

 ベルンハルトはあまり愛想よくはない。
 が、それは彼の「普通」なので、私が気にするようなことではないだろう。

「昨夜は眠れたか」
「えぇ。もうぐっすりと」
「それなら良かった」

 ベルンハルトは微かに頬を緩める。

 固さのある、ぎこちない表情。しかし、見る者に嫌な印象を与えるような表情ではない。

「ところで、アスターの件なのだが」
「……あ!」

 そうだった。
 昨夜は眠すぎて、聞き忘れてしまったのだった。

「そうだったわね。どんな感じ?」
「無事は無事のようだ、生きている」

 彼の言葉に、胸を撫で下ろす。

 生きてさえいればいいのだ。どんな状態であったとしても、生きていればどうにかなる。

「ただ、面会はまだ無理そうだな」
「そうなの?」
「数日すれば可能かもしれない、とは言われたが」

 面会は無理——その言葉に、少し動揺。

 だが、数日すれば可能かもしれないと聞き、再び安堵。

「リンディアは知っているの?」
「いや、知らない」
「まだ教えてあげていないのね」
「それは頼まれていなかったからな。伝えておいた方が良かったか」

 確かに、私は、「リンディアに伝えるように」とお願いしてはいなかった。だから、彼がリンディアに伝えていないのは、当たり前のことである。

「できれば、ね」
「分かった。では伝えてこよう」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.139 )
日時: 2019/03/19 02:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: h4V7lSlN)

136話 先ゆく者の足跡を、辿りゆくわけではなく

 ベルンハルトは、アスターの容態をリンディアに伝えるべく、私の自室から出ていった。

 部屋に一人になる。
 ふと目を向けた窓の外は、よく晴れている。

 ——もう襲撃されることもないのね。

 そう思うと、不思議な感じがした。言葉では言い表せないような不思議な感覚に襲われた。

 私だってべつに、長年襲撃され続けてきたわけではない。十八の春、従者の多くを失ったあの一件が起きるまでは、それなりに穏やかに過ごしていたのだ。

 けれど、襲撃されるようになってからの日々は実際の時間よりも長く感じられて。

 だからもう、数年襲撃され続けているかのような気分だ。

 だが、そんな日々ももう終わる。
 嵐が過ぎて太陽の光が差し込むように、穏やかな日々へ戻ってゆくのだ。

「……これから、どうなるのかしら」

 きっと、変わってゆくものもあるのだろう。もちろん変わらないものはあるだろうが、変わりゆくものも少なくはないはずだ。

 未来はまだ見えない。
 私は何も知らない。

 いや——もしかしたら何も知らないのは、私だけではないのかもしれない。誰もが未来を知らず、ただ今を歩んでいく。それが真実なのかもしれない、と、そんな風に思ったりした。


 コンコン。

 一人窓の外を眺めていた時、誰かがノックした。

「はーい」
「父さんだぞぅ」

 ベルンハルトじゃなかったのね、と少しがっかりしたことは秘密にしておこう。

「鍵はかかっていないわ。勝手に入ってちょうだい」
「えぇー! 開けてくれないのかぁー!?」
「自分で開けて!」

 父親のためにわざわざ扉の方まで歩くというのは、正直面倒臭い。鍵がかかっているのなら仕方がないから動くが、開いているのだから自力で入ってきていただきたいものだ。

 しばらくすると、扉がゆっくりと開く。
 そして、父親が現れた。

 彼はなぜか、凄く疲れたような顔つきをしている。

「開けてくれないなんてぇ……酷いぞぅ……イーダぁ……」

 初め私は、扉を開けてもらえなかったことに対しがっかりしていて、弱ったふりをしているのかと思った。どうせわざと大袈裟に振る舞っているだけでしょ、なんて考えていた。

 しかし、どうもそうではないようで。

 というのも、少し時が経っても、父親の顔つきに変化はなかったのである。

 扉を開けてもらえなかった。それにがっかりして落ち込んでいる演技なのならば、そのうち普段の表情に戻っていくことだろう。
 だが父親は、疲れた顔のままだった。

 そこから私は、恐らく本当に疲れているのだろうな、と察した。

「どうしたの? 父さん。そんな疲れた顔をして」

 シュヴァルは拘束され、私も戻ってきた。父親は喜ぶはずなのだ。

 にもかかわらず、この顔。
 嫌なことばかりが続いて精神が摩耗している人みたいな表情。

 どうなっているのやら。

「今日はなぁ……シュヴァルと話をしてきたんだよぅ……」

 あ、なるほど。

 そういうことなら、浮かない顔をするのも無理はないかもしれない。ずっと信じてきた相手が裏切り者で、そうと分かって話すとなれば、心は疲労するだろう。

「シュヴァルと?」
「あぁ……」
「で、何か分かったの?」
「やっぱりあいつは……裏切り者だったんだなぁ……」

 父親の顔は暗い。まるで、雨が降り出す直前の空のよう。

「アスターの言っていることは間違いではなかったんだぁ……うぅ……」

 いつもやけにテンションの高い父親が落ち込んでいる。それを見ると、なんだか調子が狂ってしまう。こっちまで、暗い気分になってしまいそうだ。テンションが高すぎるというのも若干鬱陶しいのだが、暗い顔をされるよりかは良いのだと、今さら気がついてしまった。

「王妃殺害も、イーダが狙われたのも、全部あいつの仕業だった……うぅう……」

 父親は世に絶望したような顔。私はさすがに見ていられなくなって、彼の片手を握った。そして、もう一方の手で背中を撫でる。

「落ち込まないで、父さん。大丈夫よ」
「大丈夫じゃないぃ……。もう星王なんて無理だぁ……」

 なんて面倒臭いの、この父親。

「シュヴァルしかいないわけではないでしょう? だから大丈夫。みんな助けてくれるわ」

 私がそう言うと、父親は首を左右に激しく振った。

「誰も助けてなんてくれないんだよぅ……!」
「そう? どうしてよ」

 そこで急に声を大きくする父親。

「俺が星王に就任した時だってなぁ! みんな『馬鹿だ馬鹿だ』ってネタにするだけで、協力なんてちっともしてくれなかったんだぞぅ! そのくせぇ、星内で何か事件があったらぁ、『星王が無能だから』なんて言いやがるんだぁ!」

 私は静かに聞いた。
 心に溜まっている汚れは、吐き出した方がいい——そう思うから。

「寄ってたかって批判ばかりしやがってぇ!」

 父親の声は怒りの色を帯びている。
 けれど、胸に伝わってくるのは悲しみと孤独。

 星王は一人だ。一人で、この星で起こるすべてを受け入れなくてはならない。丁重に扱われはするだろうが、そこにまとわりつくのは孤独感のみ。

 これが未来の私の姿なのか。
 こんな虚しいものに、いずれならねばならないというのか。

 ……いいえ。

 私は父親のようにはならない。

 父親が来た道をなぞるだけの人生なんて、絶対にごめんだ。

 たとえいつか星王となる日が来たとしても、父親みたいに、裏切り者しか傍にいてくれない星王なんかにはなりたくない。私は、そうならないために、できる限りの努力をしよう。

「しかもぅ……唯一手を貸してくれたシュヴァルが裏切りとかぁ……何なんだよぅ!!」

 そう父親が叫んだ時、扉が開いた。

「一体何の騒ぎだ」

 ベルンハルトだった。
 用事を済ませて帰ってきたのだろう。

「外まで声が聞こえていたが、喧嘩か」
「違うわ、ベルンハルト。喧嘩なわけがないじゃない」
「そうなのか。ならいいが」

 ベルンハルトは納得していないような顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。

「それで? リンディアには伝えられたの?」

 父親の背を撫でながら、ベルンハルトに尋ねる。

「あぁ。伝えておいた」
「どんな感じだった?」

 すると、ベルンハルトは一瞬黙る。そして、数秒後に口を開く。

「やーっぱねー。あのジジイ、ほんとーに馬鹿なことばっかりするんだからー」
「え」
「……と、言っていた」

 ベルンハルトは、わざわざ口調まで真似て、リンディアの反応を再現してくれた。気合いの入った伝え方だ。

「物真似はあまり得意でないのだが、きちんと伝わっただろうか」

 少し驚いたけれどね。

「……えぇ!」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.140 )
日時: 2019/03/20 22:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oUAIGTv4)

137話 苦労について

 自室には、私と父親とベルンハルト。
 さほど珍しい組み合わせではないはずなのだが、妙に新鮮な感じがするから不思議だ。

「ところでイーダ王女。先ほどまでは何の話をしていた?」
「父さんと?」
「そう。僕が来るまで、だ」

 ベルンハルトが他人の会話に興味を持つなんて、少し意外だ。彼は「他人の話の内容など、どうでもいい」と考えるような質だと思っていた。

「星王ゆえの苦労について、聞いていたのよ」

 私は正直に答えた。

 本当は、こんなことを答えるべきではなかったのかもしれない。夢のない真実など、関係ない者に明かすべきではなかったのかもしれない。

 だが、隠すというのも問題な気がしたのだ。

 辛いことや暗いことを、隠してしまうのは簡単だ。苦痛は明かさず、良い面だけを表に出すという生き方も、一つなのだろう。

 しかし、それでは苦痛は消えない。

 一人で抱え込み続けることが正義、ということではないはずだ。

「星王ゆえの苦労……なるほど。確かに、星一つを統治するとなれば、苦労も多いだろうな」
「ベルンハルトは、父さんを理解しようとしてくれるのね」
「主の父親のことだ、少しは知っておかなくてはならないだろう」

 相変わらず真面目ね、ベルンハルト。

「嬉しいわ」
「……貴女が喜ぶようなことではないと思うのだが」
「そうかしら。家族以外にも、父親のことを理解しようとしてくれる人がいる。それはとても喜ばしいことだと思うけど」

 するとベルンハルトは、視線を、私から父親へと移した。

「な、何だぁ……? ベルンハルト、少し怖いぞぉ。そんなジロジロ見るなよぅ……」

 いきなり凝視された父親は少し戸惑っているようで、眉を寄せ、反応に困っているような顔つきをしている。

「見つめることに問題があるのか?」
「ジロジロ見られるのはなぁ……怖いぞぅ……」

 理解できない、というような表情を浮かべるベルンハルト。

「不快だったなら謝ろう。すまない」
「いや、まぁ……そう真面目に謝らなくてもいいがなぁ……」
「不快感を抱かせてしまった時は謝る。それは当然のことだ」

 きっぱりと述べるベルンハルト。

 彼はとにかく真面目だった。
 真面目過ぎる、と、思わず叫びたくなるほどに。

「それで、星王ゆえの苦労とは何だ」
「うぅ。傷を抉るような問いは止めてくれよぉ」
「気になるんだ」
「遊び半分かぁ……? そういうのは勘弁してくれよぅ……」

 父親がそう言った瞬間、ベルンハルトは鋭く首を左右に振る。

「遊び半分ではない」

 ベルンハルトは、またしても、きっぱりと述べた。

「イーダ王女が星王になった時の参考になるかもしれないから、聞きたいんだ」
「そういうことだったの!?」

 思わず大きめの声を発してしまう私。

 王女という身分にありながら、声の大きさの調節もまともにできないなんて……少々恥ずかしい。

「何を驚いているんだ、イーダ王女」
「驚くわよ! 予想外だったんだもの!」
「貴女が驚くような話は何もしていないだろう」

 普通はそうなのかもしれない。驚くほどのことではないのかもしれない。けれど、私としては驚きだったのだ。ベルンハルトが私のことを考えてくれていたなんて、と。

「そうかぁ……! ベルンハルトはイーダを思って聞いてくれているんだなぁ……!」
「そうだ」

 すると、父親は急に片方の拳を突き上げる。

「よぅし! なら話そぅ!」
「いいのか」
「モティロン!」
「感謝する」

 ベルンハルトは頭を下げた。
 どうやら話はまとまったみたいだ。

「ならベルンハルトぉ! お茶しながらというのはどうだぁ!?」
「いや、それはいい。気を遣うな」
「気を遣ってるのはそっちだろぅ!?」
「いいんだ。僕は茶などしない」

 お茶を飲みつつ語り合いたそうな父親。それとは対照的に、お茶などには微塵も興味がなさそうなベルンハルト。

 二人は見事にすれ違ってしまっている。

「お茶は嫌かぁ!? なら、他の飲み物はどうなんだぁ!!」
「そういう問題ではない」
「ウソーン! ヒドーイ!!」

 いちいち大袈裟な父親に、ベルンハルトは呆れ顔。もちろん私も、呆れずにはいられない。

「話だけ聞かせてくれ」
「嫌だぁ! ティータイムするぅ!」
「それはイーダ王女とすれば……そうか」

 何か閃いたように目を開くベルンハルト。彼は、私の方へと視線を向けてくる。

「イーダ王女、彼とお茶をしろ」
「え。わ、私?」
「そうだ。貴女はお茶、僕は話。役目を分けよう」

 なるほど、そう来たか。

「どうだろうか」
「いいわよ。ただし……」
「ただし?」
「ベルンハルトもお茶を飲むこと!」

 私が言うと、ベルンハルトは瞳を大きく揺らした。

「それでは分ける意味がない……!」

 ベルンハルトは強く言い放つ。
 なぜお茶をすることをそんなに嫌がるのか分からない。が、恐らくは、苦手意識があるといったところだろうか。

「少しでいいから」
「いや、僕は……」
「いずれ星王に仕える身になるのよ? お茶することくらいに苦手意識を持っているようじゃ、やっていけないわ」

 するとベルンハルトは、言葉を詰まらせた。

 十秒ほどの沈黙の後、彼は小さく言う。

「……そうか」
「そうよ」
「……分かった」

 相手は頑固なベルンハルトだ。それゆえ、もう少し粘られるものと予想していた。しかし、案外そんなことはなく。意外にも、あっさりと受け入れてもらうことができた。話が早くて、非常にありがたい。

「そういうことだから父さん。三人でお茶にしましょ?」
「おぉ! それはいいなぁ!」

 お茶なんて、呑気すぎやしないだろうか。そんな風に思ってしまう部分も、少しはある。

 だが、時には良いだろう。
 のんびりと過ごしたって、罰は当たらないはずだ。

「今から早速、でいいのかぁ!?」

 父親はやる気に満ちている。
 お茶を飲めることになって、嬉しいみたいだ。

「そうね。それでいいと思うわよ」
「同意だ」

 珍しく、ベルンハルトもすんなりと頷いた。

「でも父さん。準備は大丈夫?」
「それは、もう、もうっ……大丈夫だともォッ!!」

 父親の両目からは、涙が溢れ出ていた。

 恐らく、嬉しいのだろう。

 喜んでくれるのは嬉しいことだ。
 落ち込んでいるよりかは、こうやって嬉し泣きしている方が、ずっと良い。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.141 )
日時: 2019/03/20 22:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oUAIGTv4)

138話 お茶とお菓子と愚痴と

 何の準備もしていないのにどこでお茶をするのか。そんな風に考えていたのだが、その疑問はすぐに消えた。私の部屋に侍女がお茶を運び込んできたからだ。

 お茶やお菓子を乗せたワゴンが室内に運び込まれたのは、父親がやる気になって指示しに行ってから十分ほどしか経っていない時だった。

「驚くべき早さだな」

 お茶をするための準備がみるみるうちに進んでいくのを眺めていると、一緒に待機していたベルンハルトが言ってきた。

「同感。ここまで早いとは思わなかったわ」
「恐るべし、だ」
「そうよね。だって……まだ、十分くらいしか経っていないんだもの」

 ベルンハルトと私は、侍女たちの準備がかなり早いことに驚きを隠せないでいた。

 彼はともかく、私は長年ここで暮らしてきた。それゆえ、侍女たちの働きぶりはよく知っている。侍女たちがきびきびと働いているということは、当たり前のように分かっているのだ。

 だがそれでも驚いてしまう。

 それは多分、こうしてじっと見つめたことはなかったからだろうと思う。

「私だったら絶対できないわ」

 黙々となすべきことをなしてゆく侍女たちを眺めつつ、私は言った。

「僕も無理だ」

 ベルンハルトはそんなことを述べる。
 少し意外だ。

「そう? ベルンハルトならできそうじゃない」
「いや、得意な分野でない」

 ベルンハルトは、軽く目を伏せつつ唇を動かす。

「戦闘以外はまったく駄目だ」

 私からしてみれば、まったく駄目ということはないと思うのだが。
 ただ、彼はそう思い込んでいるのだろう。戦闘以外は駄目だ、と。他者から見ればそんなことはないのだが、彼の中には苦手意識があるものと思われる。

「そんなことはないと思うわよ」

 思いきって言ってみた。
 が、ベルンハルトに対して彼の意見と逆のことを言うというのは、いまだに少し緊張してしまう。

「ベルンハルトは優しいでしょう? だからきっと、給仕にも向いているわ」
「いや、それはないと思うが」
「いいえ! 絶対できるわよ!」

 つい口調を強めてしまう。
 私は、言ってしまってから、内心後悔した。

 しかしベルンハルトは冷静だ。嫌そうな顔をするでもなく、怒り出すでもなく、静かに呟く。

「……そうだろうか」

 本当に、静かな声だった。
 どうやら彼は、私の意見に、あまり納得していないようだ。


 準備が済むと、私たち三人は席につく。私とベルンハルトは隣同士、父親は向かい、という席順だ。
 私たち三人が席についたのを見ると、侍女の一人が、それぞれの前にティーカップを置いてくれる。白地にサーモンピンクの小花が描かれた、少女のように愛らしいティーカップを。

「妙に可愛らしいカップだな」

 独り言のように呟くベルンハルト。

「癒やされるわよね」
「しっくりこない」

 微妙な心境に陥っていそうなベルンハルトだった。

「さてぇ、何から話せばいいんだぁ?」

 侍女がポットからティーカップにお茶を注いでくれている間に、父親が話を切り出す。

「星王の苦労について、聞かせてくれ」
「そうだった! そうだったなぁ! で、どういう苦労について聞きたいんだぁ?」
「特にこれといった指定はない。ただ……敢えて言うなれば、精神的な部分について聞かせてほしい」

 ベルンハルトの声色は普段通り。淡々としていて、波がそれほどない。しかし、表情は普段通りではなかった。ぱっと見た感じ変化はないようなのだが、目を凝らして見てみると、少しワクワクしている顔に感じられる。恐らく、興味のある話を聞こうとしているからだろう。

「精神的な部分、だとぅ?」
「そうだ。特にサポートが必要なのは、そこだろう」
「まぁそぅだけどなぁ……ベルンハルト、お前にそんなことが分かるのかぁ?」

 眉を内側へ寄せ、困ったような顔つきで尋ねる父親。

「分かる分からないではない。聞かせてほしいんだ」
「そういうものなのかぁ……?」
「可能ならば、頼みたい」

 そんな風に述べるベルンハルトの表情は、真剣そのものだ。彼は父親を真っ直ぐ見つめている。
 彼の真っ直ぐさに心を動かされたのか、しばらくしてから父親は、「分かったぞぅ! 話そう!」と言った。

 その頃になって、お茶菓子としてパウンドケーキが出された。りんごの蜜煮を小さく刻んだものが入った、黄土色のパウンドケーキである。

「では、失礼致します」

 一通り用事を終えると、侍女は退室していった。

 室内に残ったのは、私と父親とベルンハルト。三人だけだ。

 とはいえ、私の自室という一人が生活することに適した部屋に三人がいるのだ。だから、寂しさは感じない。むしろ、賑やかさの方が色濃いような気がする。

「そうだなぁ……星王としてまず一番大変なのは、褒められることは少なく批判されることは多い、というところだろぅなぁ」

 侍女が出ていくと、早速語り始める父親。

「何かを考えついて実行しても、褒められることはあまりない。だが、小さくともミスをすれば叩かれるぅ」

 まぁ、世の中そんなものよね。
 父親の話を聞いて、密かにそんなことを思った。

「それになぁ、ミスをしていなくともぅ、少しでも不満が出れば批判されるんだよぅ」
「なかなか面倒だな」
「そう! その通りぃ!」

 父親は急に勢いよく発した。

「星王なんてなぁ! 結局なぁ! 不満の捌け口なんだよぅ!」

 妙に強い調子で言い放つ父親。

 なかなか褒められはしないのに、批判はすぐにされる。父親は、その状況に、よほど不満を抱いていたのだろう。

「統治する者というのは、場所が変われどそういうものなのだろうな。批判したいだけの者はどこにでもいる」
「文句は言うくせ、協力してはくれない! ただ傍観しているだけ! 本当に嫌なんだよぅ!!」

 ここぞとばかりに、父親は日頃の不満をぶちまける。私とベルンハルト以外に誰もいないから、遠慮なく愚痴を漏らせるようだ。

「なるほど。それが星王の苦労か」
「……もちろんそれだけではないけどなぁ」
「そうなのか?」
「当たり前だろぅ! 他にももっとあるんだぁ! 聞いてくれよぅ!」

 父親の愚痴はまだまだ続きそう。現時点では、その話の終わりは見えない。

 だが、それでいいのだろう。

 ベルンハルトは父親の愚痴を興味深そうに聞いている。
 そういう意味では、父親が愚痴をぶちまけるのも、多少は役立っているのかもしれない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.142 )
日時: 2019/03/22 08:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nEqByxTs)

139話 禁止で止められないこともある

 イーダらがお茶をしていた頃、リンディアはアスターがいるという部屋を訪ねていた。

 面会は禁止。
 娘のような近い関係であるリンディアでさえ、容易く許可を貰うことはできなかった。

「どーして禁止なのよー」
「申し訳ございません。禁止なものは禁止なのです」

 アスターがいるという部屋の前で、リンディアは、見張りの女性と言葉を交わしている。アスターとの面会を許可してもらえるよう、説得しようとしているのだ。

「他人なら分かるわよー? けど、あたしとアスターは、親子みたいなものだわー。近いかんけーなわけだし、面会するくらい良くないかしらー」

 冷静さを保ち、調子を強めることもなく、ただひたすらに言葉を放つリンディア。
 彼女は彼女なりに、説得しようと頑張っているのだろう。

「しかし、面会は禁止されております」
「あー、もう。どーしてそんなに頑固なのよー?」
「禁止は禁止です。といいますのも、関係の近い者なら面会可能という場合はありますが、今回はそうではないのです」

 見張りの女性は「禁止」の一点張り。リンディアが何を言っても、考えを変えそうにはない。

「面会可能になるまでお待ち下さい」
「かったいこと言わないでちょーだーい」
「いえ、禁止なものは禁止ですから。許可が出ない限りは、ここをお通しすることはできません」

 アスターがいるという部屋の前に立っているいかにも真面目そうな女性。彼女は、眉ひとつ動かすことなく、禁止だと言い続ける。

 リンディアが何か言ったところで、無駄なのだ。

 正式に「面会可能」という指示が出ない限り、彼女が面会を許可することはないだろう。

 人間誰しも心というものを持っていて、必死に訴えられれば、心は容易く揺れるものだ。しかし、彼女にはそれがない。リンディアの前に立ち塞がる彼女は、「面会禁止」という言いつけに忠実すぎる。

 そんな心ない女性の対応に、リンディアはついに腹を立てる。

「そ。ならいーわ」

 ぶっきらぼうに述べるリンディア。

「こーなったら、最終手段」
「……何です?」
「きょーこー突破よ!」

 リンディアの双眸に、鋭い光が宿る。

 彼女は説得を諦めた。
 心ない女性の体を横へ押し退け、突き飛ばし、扉のノブに手をかける。

「な! 無理矢理入るおつもりですか!?」

 女性はその面に驚きの色を滲ませて放つ。
 真面目な彼女は、リンディアがこのような行動に出るとは、欠片も想像していなかったのだろう。

「そーよ! 失礼するわね!」

 リンディアはきっぱり言い、アスターがいるという部屋の扉を開ける。そして、中へと入っていく。女性の「お待ち下さい!」という制止は、リンディアの耳には届かなかった。


 見張りの女性を強行突破し、部屋の中へ入ったリンディア。彼女は、部屋に入るや否や、部屋の端にあるベッドの方へと歩き出す。

「……アスター」

 そのベッドに、アスターは寝ていた。
 白い枕に頭を乗せ、ベージュの毛布をかけてもらっている。

 そんな状態で眠るアスターは、穏やかな顔をしていた。苦しみや悲しみといった、すべての負のものから解放されたような、そんな寝顔だ。

 リンディアはそれを見て、小さく溜め息を漏らす。

「……またこーゆー展開ねー」

 アスターは前に一度動けなくなっている。数日かけてようやく目を覚ましたというのに、病み上がりに戦い、またしても動けない状態になってしまった。あっという間に逆戻り、だ。

「無理してんじゃないわよー。バーカ」

 リンディアは呆れた顔で呟く。そして、偶然ベッドの近くにあった簡易椅子に座る。

 室内に音はない。
 そこに存在するのは、突き刺すような静寂のみ。

「……どーしてあたしなんか庇ったのよ」

 簡易椅子に腰掛けたまま、のリンディアは腕を伸ばす。アスターの手を握るために。

「ばっかみたい。他人のためにやられるなーんて、馬鹿のすることだわー」

 リンディアの細い指と、アスターの脱力した指。それらが互いに絡み合う。気を失っているアスターは何も考えていないのだろうが、二人の指は、パズルのピースのようにぴったり合わさっている。

 手と手が重なり、指と指が絡む。それでも、アスターは目覚めない。彼が意識を取り戻すことはない。

「……アスター」

 らしくなく、切なげな表情を浮かべるリンディア。

 室内に人はいない。ベッドに横たわっているアスターはいるが、彼は意識がないため、いないも同然だ。それゆえ、リンディアは今、一人なのである。

 だからだろうか。
 リンディアはいつになく弱々しい顔をしていた。

 水晶のような透明感のある、水色の瞳。整った弧を描いている眉。聡明そうな薄めの唇。
 それらはいつもと変わらない。何一つとして、変わっていない。顔の作り自体は、普段通りなのだ。

 けれど、そこに浮かぶ色は、日頃と明らかに違っている。

 強気で自信家、そしてどこか挑発的。
 ことあるごとに刺激するようなことを発し、他人を怒らせることを楽しむ。

 それがいつものリンディア。

 しかし、今の彼女にはそういった雰囲気はない。

 今の彼女は少女だった。
 まだ若い、十五十六の娘のような顔をしている。

 大切な者の身を案じ、不安の風に揺れる。そこには、リンディアらしい強気さは欠片も存在していない。

 静寂の中、彼女はただアスターの手を取り続ける。

 そっと握る。
 それ以上でもそれ以下でもない。

 アスターは寝返りをしたいようで、時折体を左右に動かす。だがリンディアは、そんな時でもアスターの手を離さなかった。

「……ねーアスター」

 周囲を見渡し、近くに誰もいないことを確認してから、リンディアは切り出す。

「あたし……何なら、アンタの娘になってもいーのよ」

 アスターは目を閉じている。
 リンディアの言葉は、彼には聞こえていないだろう。

「実の親はどーせあんなやつだもの」

 一人、口を動かす。

「アンタのこと、べつに、好きなわけじゃなーいわー。……けど、あんなやつに比べたら、アンタのほーがずーっといーわよ」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.143 )
日時: 2019/03/22 08:40
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nEqByxTs)

140話 意外な面を知ってしまった

 お茶をしながらの父親の愚痴タイムは、長時間続いた。

 開始当初私が思っていたよりもずっと長くて、内心驚いている。星王の苦労について、という話題で、これほど話が続くとは思ってもみなかったのだ。

 そもそも、私は、父親がこんなにいろんな不満を抱いているとは想像していなかった。私は、これまでずっと、彼の明るい方の面しか見ることができていなかったのである。彼のことを「呑気で少々面倒な父親」としか思っていなかったことを、今、少しばかり後悔している。

「……と、こんなものでいいか? ベルンハルト」
「あぁ。色々聞かせてもらえて、参考になった。これだけ分かれば、少しはイーダ王女をサポートできそうだ」

 散々愚痴を聞かされたにもかかわらず、ベルンハルトは穏やかな顔。鬱陶しがるどころか、父親に感謝しているような素振りを見せている。

「ベルンハルトォ! これからもイーダを頼むぞぅ!」

 父親は安定の大声。
 星王とはとても思えない振る舞いだ。威厳も風格も、彼には存在していない。

 もっとも、捉え方次第ではそこが美点なのかもしれないけれど。

「あぁ。できる限りのサポートをする」
「おぉっ! はっきりとした答えだなぁっ!!」
「あくまで『できる限り』ではあるが」
「いい! いいんだ! 寄り添おうという心だけでも、人は救われるものなんだぁっ」

 父親とベルンハルトがそんな風に話をしていた時、誰かが扉をノックした。

 侍女か? あるいは、リンディアか?

 私の頭でぱっと思いつける可能性は、それら二つくらいしかない。

「んん? 何だぁ?」
「確認してくるわ、父さん」
「危ないやつだったら逃げるんだぞぅ!」
「えぇ」

 私は速やかに立ち上がると、扉に向かって真っ直ぐに歩いていく。ノックしたのが誰なのかを確認するためだ。そのまま暫し歩き、ゆっくりと扉を開けてみた。

「どーも」

 扉の向こうにいたのは、リンディア。
 どことなく軽さのある口調と、一つに束ねた赤い髪のおかげで、そこにいるのが彼女であるとすぐに判別できた。

「リンディア!」
「来ちゃった」
「体調は? もう歩けるの?」

 訪ねてきたのが不審者であった時に備えて、扉を開けるのは少しだけにしていた。が、さすがにもう大丈夫だろう。目の前にいるのは、間違いなくリンディアなのだから。そう考え、扉を、人が通ることができるくらい大きく開けた。

 すると彼女は、何事もなかったかのように、室内へ入ってくる。

「あたしはたいした怪我じゃないものー」
「意外と元気そうね」

 赤い髪をさらりと揺らしながら、許可を取ることもせずに堂々と入ってくる。

 その行動は、非常にリンディアらしいと感じた。

 常識などには囚われず遠慮もしない。そういったところが普通の人とは少し違っていて、結果的に、彼女らしさを感じさせているのだろう。

「そーね。元気よ、元気。さっき、アスターのよーすを覗きに行ってきたわー」
「アスターさんの!? 面会は無理だったのではないの?」

 ベルンハルトはまだ無理だと言っていた。それに、そのことはリンディアにも伝わっているはずだ。なのにリンディアは、「アスターのところへ行ってきた」というようなことを言う。謎、とにかく謎だ。アスターにはまだ会えないはずなのに。

「面会はまだ禁止だったわー」
「部屋の前まで行ったけど無理だったってこと?」

 するとリンディアは、首を左右に振った。

「いーえ、そーじゃないわ。無理矢理入ってやったのよー」

 ……え。

 無理矢理。そんなことができるの? アスターも今は怪我人だもの、見張りくらいいるはず。無理矢理入るなんて、見張りの者に止められなかったのかしら。

「無理矢理……?」
「そーよ! 見張りの女が不愉快だったから、強行突破してやったーってわけ!」

 なんてこと。

 リンディアらしいといえばリンディアらしい行動だが、少々やり過ぎな気がしてしまう。いや、もちろん、彼女がアスターに早く会いたい気持ちはとても分かるけれど。

「アスターは意識が戻っていたのか」

 口を挟んでくるベルンハルト。

「いーえ。ありゃ駄目だわー」
「やはりまだ意識不明か」
「そ。そーんな感じねー。同じことを何回繰り返すつもりなのかしらねー」

 リンディアは、その凛々しく整った顔に呆れの色を滲ませつつ、話す。

「二回もほぼ同じことをするなんてねー」
「前回は襲撃、今回はお前を庇って。ほぼ同じではないと思うが」
「うっさいわね! 黙ってなさーい!」

 ベルンハルトの言っていることも、間違ってはいない。否、むしろ正しい。
 しかし、ここで私がベルンハルトに同意すると、それはそれでまたややこしくなりそうである。


 リンディアがやって来て二時間ほどが経過した頃、一人の侍女が私の部屋を訪ねてきた。

「はーい」
「お時間、少し構いませんか?」
「はーい!」

 私はそっと扉を開ける。

 扉の向こう側には、一人の女性が立っていた。
 侍女のコスチュームを見にまとい、暗い茶髪をうなじで一つにまとめた、平凡な容姿の女性だ。

 ……平凡な容姿、なんて言ったら失礼かもしれないが。

「お話の最中に、失礼致します」

 侍女と思われる平凡な容姿の女性は、軽く頭を下げつつ、いかにも定型な挨拶をする。

「何か用?」
「フィリーナという侍女はご存知でしょうか」

 私はその問いに、短く「えぇ」とだけ返す。

 というのも、フィリーナに関するどういった話なのかがまだ分からないからだ。どのような方向性の話なのかが不明である以上、まだ、あまり長文は述べられない。

「首を撃たれたとのお話でしたが、回復してきました」

 それを聞き、私は思わず両の手のひらを合わせた。

「そう!」

 嬉しかったのだ、フィリーナが回復してきたと聞いて。

「その彼女が、実は、王女様に会いたいと申しておりまして」
「そうなの?」
「はい。それをお伝えするべく、来させていただきました」

 悪い話じゃなくて良かった、と、私は密かに安堵する。

 フィリーナは悪人ではない。
 襲撃者に荷担したこと、それ自体は問題だけれど、彼女にそんなことをさせたのはシュヴァルだ。

 言うなれば、フィリーナもまた、被害者の一人。

 弱みに付け込まれ、襲撃に協力せざるを得なかった。それを考えれば、彼女の罪はそんなに大きなものではないように感じる。

「父さん、ベルンハルト、リンディア」

 私は三人がいる方へ視線を向ける。

「少し、フィリーナに会いに行ってくるわ」

 すると彼らは、それぞれ発する。

「そうかぁ! 一応シュヴァルは出てこないだろぅが、気をつけてくれよぉーっ!」
「一人でか? それはさすがに無理があるだろう」
「ベルンハルト過保護過ぎなーい? たまには一人でーってのも、悪くはないと思うわよー」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.144 )
日時: 2019/03/23 13:49
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nEqByxTs)

141話 フィリーナと会い

 呼びに来てくれた侍女に案内してもらい、フィリーナに会いに行くことになった。

 今回は向こうからコンタクトがあったわけだが、私としても、彼女にはもう一度会いたいと思っていた。会って、改めてきちんと話したいと考えていたのだ。それゆえ、このような機会が巡ってきたことは、私にとって幸運であった。

「ベルンハルト……やっぱり来るのね」

 本当は一人でフィリーナに会いに行こうと思っていたのだが、結局ベルンハルトもついてきてしまった。

「もちろんだ。何が起こるか分からないからな」
「少し心配性過ぎない?」
「油断するなよ、イーダ王女。シュヴァルが自由の身でなくなったからといって、貴女を狙う者がいなくなるとは限らないのだから」

 ベルンハルトは相変わらず落ち着いている。

 淡々とした喋り方。揺れない表情。
 シュヴァルが罪人として拘束された今でも、ベルンハルトはそれまでと変わっていない。

 育った環境もあるのかもしれないが、彼は警戒心が強い。だから、シュヴァルがいなくなったからといってすぐに油断できるような心の持ち主ではないのだろう。

 そう考えると……私はやはり、まだ少し甘いのかもしれない。

 ここしばらく私を狙っていたのはシュヴァルだ。だが、星王の座を狙っている人間がシュヴァルだけだという証拠があるわけではない。今は特に誰も表には出ていないし、別段動いている様子もない。けれど、もしかしたら、また星王家の人間の命を狙う者が現れる可能性だって、ゼロではないのだ。

「そうね。気をつけるわ」

 私は小さく返す。

 周囲の者を進んで疑いたくはないが、ベルンハルトの言うことも間違いではない。そう思ったから。


「こちらです」

 暗い茶髪をうなじで一つにまとめた侍女が案内してくれた先は、建物の端辺りにある狭い部屋。
 いくつもある談話室のうちの一室だ。

「ありがとう」
「いえ。それでは、失礼します」

 私とベルンハルトは、案内してくれた侍女と別れる。

「いきなり入っていいのかしら?」
「案内されたのだから、問題ないということなのだろう」

 ベルンハルトは、私の疑問に、冷静に答えてくれた。

 どっしりと構えている彼が言うのだから、間違いない。そんな風に思えたため、私の心の内にあった疑問とそれに付随する不安は、一瞬にして消え去った。

「そうね」

 扉を二三回ノック。それからドアノブを握る。どうやら動きそうだったので、ゆっくりと扉を開けてみた。


 低いテーブルを挟むようにして、一人用ソファが二つずつ置かれている、四人用の談話室。
 そこには、フィリーナの姿があった。

「あ」

 四つあるソファのうちの一つに座っていたフィリーナが、顔を上げ、こちらへ視線を向ける。

「……フィリーナ?」
「あ、は、はい」

 念のため確認しておく。
 すると、ソファに座っている彼女は、こくりと頷いた。

 柔らかそうな、赤みを帯びた濃い茶色の髪。琥珀のような瞳。その二つの要素だけで、彼女がフィリーナであることは十分に分かる。侍女の制服を着ておらずとも、彼女のことは、その容姿だけで判別できるのだ。

「助かったみたいね、安心したわ。怪我はどんな感じ?」
「へ、平気ですぅ……」
「なら良かった。もしかしたら駄目かもなんて思ってしまって、ごめんなさいね」
「い、いえ! 心配していただけて……嬉しく思います」

 私とフィリーナは、まず、そんなどうでもいいような会話をした。
 それから、本題に入っていく。

「呼ばれて来たの。何か用があるの?」

 談話室内へ足を進めつつ、私は彼女に質問した。

 こちらからしたい話もあるが、先に会いたいという意思を示したのは向こう。それゆえ、彼女の話を優先するべきだと考えたのだ。

「は……はいっ……。実は」

 体のラインの出ない真っ白なワンピースを身にまとった彼女は、怯えたような顔つきをしながら、弱々しく言った。

「分かったわ。実は私もお話したいことがあったのだけれど、フィリーナから先にどうぞ」

 私はフィリーナの向かいの席に腰掛ける。
 後ろから部屋に入ってきたベルンハルトは、静かに扉を閉めていた。

「え、い、いえっ。そちらから……」
「いいの。フィリーナが先に話してちょうだい」

 すると彼女は、数秒困ったような顔をして。

「は、はい。分かりました……」

 そんな風に言った。

 無理矢理言わせるような形になってしまったことは、申し訳なく思う。だが、言いたいことをこちらから一方的に言うような形になってしまうとなおさら申し訳ない。だから、可能ならば、彼女から話してほしかったのだ。

「えと……その、すみませんでした」

 フィリーナの口から出たのは、謝罪の言葉。
 私は、すぐに何かを返すことはできなかった。予想外の言葉をかけられたからである。

「弱い心のせいで、王女様に迷惑を……すみません」

 泣き出しそうな顔で謝るフィリーナ。

「待って、フィリーナ。そんな顔をしないでちょうだい」

 弱々しい、泣き出しそうな顔をされると、こちらとしても良心が痛む。責めてしまっているような気分になって、苦しい。

「べつに謝らなくていいわ。悪いのはシュヴァルだもの」
「でも……」
「フィリーナの弱みに付け込んだシュヴァルが一番の悪だわ」

 ベルンハルトは私のすぐ後ろに立ち、フィリーナをじっと睨んでいる。その目つきは妙に鋭い。

「ちょっと、ベルンハルト? 睨むのは止めて?」
「いや。無理だ」
「え? ちょ、どういうことよ」
「放っておくと何をするか分からない」

 私は内心、はぁ、と溜め息を漏らす。

 心配してもらえること自体は嬉しいことなのだが、こうも警戒心剥き出しの顔をされては、フィリーナときちんと語り合えないではないか。

「あ。ごめんなさいね、フィリーナ」
「い、いえ……」
「ベルンハルトは少し目つきが悪いけど、気にしなくていいわよ」
「は……はい」

 冗談混じりに言ってみたつもりだったのだが、まったく笑ってもらえなかった。苦笑すらしてもらえないというのは、少々辛いところがある。

 ——が、そんなことを気にしている暇はない。

「で、フィリーナのお話はそれだけ?」
「はい。謝罪をさせていただこうと、そう思って……」
「分かったわ。ならもういいわね」

 フィリーナはまだ怯えているみたいだ。
 胸の前で両手を合わせ、肩をすくめて、小さくなっている。

「そ……それで、王女様のお話は……?」
「実はね、こちらも謝罪なのよ」

 私が言うと、フィリーナの琥珀のような瞳が揺れる。

「えっ」
「フィリーナには謝るなと言っておいてなんだけど、謝罪してもいいかしら。貴女が許可してくれれば、前の無礼をきちんと謝りたいの」

 フィリーナの罪は、彼女が自ら生み出したものではない。シュヴァルという元凶があって生み出されたもので、一種の悲劇とも言えよう。

 しかし、私の罪はそうではない。

 私が彼女にしてしまったことは、自分自身が生み出したものだ。
 だからこそ、小さな過ちであっても、謝る必要がある。

 理性を失い感情的になり、さほど罪のない人に当たり散らした。それは、非常に失礼なことだと思う。

 そんなことを、私はしてしまったのである。

 それゆえ、謝らないままというのは嫌なのだ。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.145 )
日時: 2019/03/23 13:50
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nEqByxTs)

142話 私は多分、恵まれている

 私はフィリーナを見つめる。彼女のその、琥珀のブローチみたいな瞳を凝視する。

 彼女はまだ、少し怯えているような顔をしていた。

 それはまるで、肉食動物に狙われているかも、と密かに恐れる小動物のよう。眺めていると少し可哀想になってくるような顔である。

「謝っても、いい?」
「あ……謝っていただくようなことは、何もありませんよぅ……?」
「ベルンハルト絡みで色々と当たり散らしてしまったでしょう」

 フィリーナは気づいていないのかもしれない。そう思い、こちらから言うことにした。その方が早いだろうなと感じたからだ。

「いきなりよく分からないことを聞いたり、急に感情的になったりして、不快な思いをさせてしまったでしょう」

 すると、きょとんとした顔をするフィリーナ。

「ふぇ……?」

 あんなことをされて、不快感を覚えないはずがない。なのにフィリーナは、よく分からない、というような顔をしている。一体どうなっているのだろう。

 一番に思いつくのは、私に気を遣ってフィリーナが忘れたふりをしている、ということ。

 しかし、フィリーナがそんな気の利かせ方をするだろうか?

「何のこと……でした?」

 彼女は本来正直者だ。
 シュヴァルの命がなくなった今、彼女が嘘をつくとは思えない。

「フィリーナが私の侍女になってくれてすぐの頃、ベルンハルトとのことについて色々聞いたわよね」
「はいぃ……。それは覚えていますぅ」
「一方的に深いところまで聞いてしまって、悪かったわね」

 私が謝ると、フィリーナは首を傾げる。

「ふぇ? あ、あの……それのどこに問題が?」

 彼女は本当に分かっていないのかもしれない。
 少し、そんな風に思った。

「個人の好き嫌いに突っ込んだ質問をするなんて、問題でしょう」
「そ、そうですかぁ……?」

 あぁ、もう。話がまともに進まない。

「それと、夜にベルンハルトと貴女が一緒にいた件の時!」

 話がスムーズに進まない苛立ちからか、つい口調を強めてしまう。

「は、はいっ」
「事情も聞かずに怒鳴り散らして、ごめんなさい!」
「はっ、はいぃ! いえいえ、お気になさらな……って、違いました! あれはこちらが悪くて……す、すみませんっ!」

 フィリーナはソファから立ち上がる。両手は腹部の前辺りで重ねている。何をしようとしているのかと不思議に思っていると、彼女は凄まじい勢いで頭を下げた。

「迷惑……かけてすみませんっ!」

 彼女はそれからも、何度も頭を下げた。
 首を痛めてしまわないか心配になったほどの凄まじい勢いで、彼女は頭を下げている。

「待って、フィリーナ。落ち着いて」

 こんなことを続けられてしまうと、こちらの胸には罪悪感が募るばかり。
 謝ってすっきりしようと考えていたのに、これでは完全に逆効果だ。

 だから私は、彼女を制止することにした。

「もう謝らなくていいわ」
「ふ、ふぇぇ……」

 彼女の手を取り、柔らかく握る。

「お願い、もう謝らないで」
「……ふぇ?」
「そうだ! フィリーナ、これからも一緒にいない?」
「ふ、ふえぇ? それは、その……何ですかぁ……?」

 フィリーナは頭を下げ続けるのは止めてくれた。ただ、今度は、非常に戸惑っているような顔をしている。

「改めて……友人になりたいの。駄目かしら」

 すると、フィリーナは急に涙ぐむ。ふぇぇ、などと漏らしながら、琥珀の瞳を震わせていた。

 何かやらかしてしまっただろうか。またしても傷つけてしまったのだろうか。
 そんな不安が込み上げてくる。

 けれど、数秒後にはその不安は消え去った。

「ぴぇぇぇぇえぇぇぇ!!」

 フィリーナが抱きついてきたからである。

「え、フィリーナ?」
「嬉しいぃぃ! 嬉しいですぅぅぅ!」

 彼女は泣いていた。
 でも、喜んでいるみたいにも見えて。

 ……少し謎ね。

「それは、友人になってくれるということ?」
「はい! もちろん!」

 私の後ろに立っているベルンハルトは、呆れた顔をしていた。馬鹿者を見るような目で、私とフィリーナを見ている。

「決まりね! ……ということで、改めてよろしく」
「は、はいっ」

 フィリーナと手を取り合う。

 私たちの間には、もう、かつてのような暗雲はない。そして、嘘も存在しないだろう。

 今度こそ、純粋に関わることができる——私はそう確信している。


 談話室からの帰り道、ベルンハルトが淡々とした声で話しかけてきた。

「あんなことで良かったのか。イーダ王女」

 ベルンハルトは「何とも言えない」とでも言いたげな顔をしている。もしかしたら、私とフィリーナの出した答えに納得できていないのかもしれない。

「フィリーナ。あの女は、貴女を一度裏切った。また裏切る可能性がないわけではない」

 自室へ戻るべく歩きつつ、ベルンハルトはそんなことを述べた。
 その凛々しい顔には、警戒心が滲み出ている。

「イーダ王女は甘過ぎる。一度裏切った女を友人にするなど、まったく理解できない」
「そうね。そうかもしれないわね。……ただ」

 数秒空けて、私は続ける。

「警戒してばかりいるのって、少し辛くない?」

 ベルンハルトは眉間にしわを寄せる。

「そういうものなのか」
「私はそう思う、というだけのことだけれどね」

 すると彼は、ふっ、と小さく笑みをこぼす。

「やはり甘いな、イーダ王女は」

 彼は呆れているみたいだった。
 厳しい世界で生まれ育ってきた彼から見れば、護られてばかりで育ってきた私は甘過ぎる人間なのだろう。

「そうよね。一応、分かってはいるわ。でも……貴方みたいに厳しくはなれないの」

 ベルンハルトは、ふっ、と笑みをこぼす。

「だろうな」
「ちょ。さすがにそれは失礼じゃないかしら」
「悪い意味ではない」

 次の瞬間、ベルンハルトは私の手を握ってきた。

「時には短所となるかもしれないが、そこは貴女の長所でもある」
「……ベルンハルト?」

 私は彼の凛々しい双眸を見つめる。彼の瞳も、私の姿をじっと捉えていた。

「今は、そう思うよ」


 それから、自室へ帰った。

 私の自室には、その時まだ、父親とリンディアがいて。私は「フィリーナときちんと話すことができた」と二人に伝えた。すると、二人とも安堵したような穏やかな顔つきをしてくれたので、私はほっとした。そして、ほっとすると同時に、嬉しくもあった。

 私の幸福を喜んでくれる人がいる。
 その事実が、妙に温かくて。

 少しむず痒さもあるけれど、純粋に嬉しかった。

 そして、私は恵まれているのだと、改めて気がついた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.146 )
日時: 2019/03/23 13:51
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nEqByxTs)

143話 進まないなら

 翌日のお昼頃、私は、自室でのっそり勉強をしていた。

 ……といっても、実際にはあまり進んでいないのだが。

 窓の外はよく晴れていて、室内にまで柔らかな日差しが降り注いできている。その日差しのせいか、部屋の中が妙にぽかぽかして、段々眠たくなってきてしまう。

 ここしばらく、度重なる襲撃のせいで、ろくに落ち着く間もなかった。それゆえ、勉強はまったく進んでいなくて。しかし、ようやく平和になった。だから、久々に取りかかろうと思い立ったのだが。

 しかしまぁ、進まない。

 誰もいないのに気は散る。睡眠不足でもないのに眠くなる。
 もはや、どうしようもない。

 なぜこうも上手くいかないのかと悩み、溜め息を漏らしかけた——その時、唐突に扉が開いた。

「あら、ベルンハルト」

 やって来たのは、ベルンハルトだった。相変わらず感情の読み取れない顔つきをしているが、特別機嫌が悪いということはなさそうだ。

「一人?」
「あぁ。リンディアはシュヴァルのところへ行った」

 なるほど、と思う。

 リンディアはシュヴァルの実娘だ。今や罪人となった父親に対し、話したいこともあるのだろう。

「アスターさんは、まだ面会は無理なの?」
「今朝も確認してきたが、もうしばらくかかりそうだ」

 リンディアはシュヴァルのところへ行ってしまい、アスターとはただ会うことさえままならない。何とも言えない寂しさが、この胸の内側を満たす。

「そう……」

 それでなくとも進まなかった勉強が、寂しさを感じたせいか余計に進まなくなってしまった。

「いつか元気になるといいけれど」
「そうだな」

 ベルンハルトは淡々とした声で返しつつ、こちらへ歩いてくる。

「ところでイーダ王女。それは何をしているんだ」

 彼にとっては、アスターの容体などどうでもいいことなのかもしれない。そんな風に感じたほど、彼は、何でもないような顔つきをしていた。

「これ? 勉強よ」
「勉強。……あぁ、あれの続きか」

 彼は以前、私に、勉強のためのものを届けてくれたことがある。どうやら覚えていたようだ。

「そうなの。でも、全然進まなくって」

 進まなさをごまかすように苦笑する。
 しかし、ベルンハルトは笑わない。口角を持ち上げることさえしない。真面目な顔つきのまま、言ってくる。

「内容が難しすぎるということか」
「まぁ……それもあるけれど」
「それだけではないのか?」

 ベルンハルトは、興味深い形態の生物を発見した生物学者のような目で、私を見つめてくる。

「……散るのよ、気が」
「僕がいると、か?」
「いいえ、そうじゃないわ。貴方は関係ないのよ。ただ、今日は何だか落ち着かないの」

 今私が陥っている状況を、既存の言葉で説明するのは難しい。
 もっとも、私がもっと語彙力のある人間であったなら、きっときちんと説明できたのだろうけど。

 上手く説明できず困っていた私に、ベルンハルトはきっぱりと言う。

「なら、今やらなければいい」

 恨みのある相手を剣で斬り捨てる時のような、一切躊躇いのない言い方だった。

「昼中に仕上げろと言われているのか?」
「いいえ。べつに、そうは言われていないわ」

 私は首を左右に動かす。
 すると彼は、ふっ、と小さな笑みをこぼす。

「なら止めておけばいいだろう」

 それまでは無表情に近い顔つきをしていたベルンハルトだったが、今のでようやく、口角が微かに持ち上がった。

 無表情というのも、彼らしくて悪くはない。置かれている状況によっては、その冷静さに救われることだってあるわけで。しかし、今のような状況下では、微かでも笑みが浮かんでいる顔の方が望ましい。もちろん、個人的な意見に過ぎないのだが。

「一度休憩したらどうだ」
「……そうね!」

 私が言うと、彼は手を口元に当てて笑った。

「え。どうして笑うのよ?」
「凄く嬉しそうな顔をしたのが笑えてしまっただけだ」

 そんなに嬉しそうな顔をしたのかしら、私は。

「イーダ王女は、本当は勉強が嫌いなのだな」

 うっ……。

 本当のことを言うなら、ベルンハルトが言うことも間違いではない。私は、新しい経験をすることは嫌いでないが、こういった紙の上の勉強をするのはあまり好きでない。大嫌いということはないのだが、日によっては、面倒臭いと思ってしまうこともあるのだ。


 それから二日ほどが経過した、ある夕暮れ。
 私は父親の部下の一人から、シュヴァルを処刑することになったと聞いた。

 仕方のないことだ。幾人もを使い捨ての駒として利用し、星王家の人間を狙ったのだから、処刑という最期も不自然ではない。もう二度と同じことを繰り返させないためには、それが最善の方法なのだろう。

 でも——私はなぜか納得できなかった。

 死をもって償わせることは簡単だ。だが、本当にそれでいいのだろうか。そんな風に考えてしまって。

 邪魔者は消す。裏切り者は消す。
 それは結局、シュヴァルがやっていたことと大差ないのではないだろうか。

 こんなことを言えば、また「甘い」と笑われてしまうだろう。

 しかし、言いたいことがあった。
 だから私は、父親がいる星王の間へと向かった。


 夜になってすぐの頃だったので、父親は星王の間にいた。
 上手く会えたのは、幸運といえよう。

「おぉ! イーダぁ! 来てくれたのかぁっ!!」
「えぇ。来たわ」

 父親は相変わらずのハイテンションで迎えてくれる。
 私がここへ来た理由など、彼はまったく知らないし、想像してもいないのだろう。

「父さんと一緒に眠りたくなったのかぁ!?」
「止めて。それはないわ」
「えぇっ! 今日のイーダは冷たくないかぁ!?」
「いつだってこう答えるわよ」
「うぅぅ……」

 妙な誤解が生まれぬよう、一応きちんと返しておいた。

 早く本題に入りたい。
 だから私は、父親が自分のしたい話を始める前に、本題を切り出すことにした。

「シュヴァルの処刑が決まったと聞いたわ。それは本当?」

 父親はほんの数秒だけ気まずそうな顔をしたが、すぐに普段通りの顔つきに戻ると、こくりと頷く。そして「決定に何か問題があるのかぁ?」と、独り言のような声の大きさで放った。

「本当なのね。それはもう、決定事項なの?」
「そうだぞぅ」

 父親は自信なさげな表情になっている。

「……父さんが決めたことなのね」
「その通りだぁ」

 今さらシュヴァルを擁護するのか。
 そう怒られそうな気もするが、私は、本心を伝えてみることにした。

「命まで取ることはないんじゃない?」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.147 )
日時: 2019/03/24 10:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: .uCwXdh9)

144話 処刑までせずとも

 騒がしかった父親が黙った。星王の間に静寂が訪れる。父親は言葉を失い、ただ、私の顔をじっと見ていた。

「こんなことを言ったら馬鹿だと思われるかもしれない。それは分かっているわ。覚悟のうえで言っているの」

 そっと父親を見つめ返す。

「シュヴァルは罪人よ。だから、罰を与えるのも、間違ったことではないと思うわ」

 私とて聖人ではない。だから、シュヴァルが犯した罪を許すことはできないし、これまで通り接するなんてこともできない。どうしても、敵として見てしまう。

 ただ、「命を奪うほどのことなのだろうか」という思いが、少しあるだけだ。

「処刑ではない、別の罰を与えるべきなのではないかしら」
「……イーダ」
「例えばー……えぇと」

 良い例が思いつかない。どうしたものか、と考えていると、父親が小さく言ってくる。

「追放とかかぁ?」
「できる?」
「もちろんできないことはない。が……その程度の罰だと、軽すぎないかぁ」

 父親は納得していないような口ぶりだ。

 ついこの前まで、彼はシュヴァルを盲信していた。誰が何を言おうと、シュヴァルを疑うことは絶対にしなかった。それはもう、不気味と言っても差し支えがないほどに、信じきっていたのだ。

 なのに、今は、こんなにもシュヴァルに厳しい。

 そこがどうもしっくりこない。

「一生外に出られないというだけでも、ほぼ死んだも同然よ。わざわざ殺さなくても、人のいない島なんかに行ってもらえば、それでいいんじゃないかしら」

 私の言葉に、父親は考えているような顔をした。何も発することなく、じっとして、考え込んでいる。

 父親が何か発するのを待つ。

 誰も言葉を放たなくなって、数十秒。
 ようやく、父親が沈黙を破った。

「そうかぁ……それもそうだな!」

 良い返事が来るとは思っていなかったため、少々驚いた。が、この感じだと話は早そうだ。

「分かったぁ! イーダがそう言うなら、変更するぅ!」

 父親にしては物分かりがいい。
 少し不気味だと思ってしまったほどに。

「間に合うの?」
「もちろん! 星王に不可能はないぃっ!」

 妙に張り切っている父親を見ると、不安は募るばかり。

「……本当に大丈夫?」
「もちろんだぁ! ……って、まさかイーダ! 父さんのこと、信頼していないのかぁ!?」
「信頼していないわけじゃないけれど、不安はいっぱいだわ」


 父親への進言から、またたく間に二日が過ぎた。
 結果、シュヴァルに与える罰は、処刑ではなく本島からの追放に変わった。

 その日、私が自室で勉強に取りかかっていると、室内にいたリンディアが声をかけてくる。

「ねー王女様ー」

 勉強中に躊躇いなく話しかけてくるとは、さすがはリンディア。

「何?」
「シュヴァルへの罰を軽くするよーに言ったらしーわね」
「えぇ」

 リンディアが何を言おうとしているのか、まだ分からない。なので、どういった返答をするのが最善なのかは不明だ。

 取り敢えず、無難な言葉を返しておくこととしよう。

「どーして?」

 冷たい声。
 思わず動揺してしまう。

「……リンディア?」

 胸の鼓動が加速する。

「どーしてそんなことを言ったのかしらー」
「命を奪うのはやり過ぎだと思ったからよ」
「ほんとーに、それだけ?」

 リンディアは私を凝視していた。
 彼女の透明感のある瞳には、動揺した私の顔が映り込んでいる。

 何を言いたいのか。何を言おうとしているのか。私には、分からない。察することができない。

「……それはどういう意味?」

 緊張で、声が微かに震えた気がした。

「べつにー。深い意味なんてなーいわよー。ただ、なぜそんなことを言ったのか、理解できなくてねー」

 リンディアは何食わぬ顔で言ってくる。

「シュヴァルのせいで、イーダ王女は何度も危なーい目に遭ったわけでしょー。なのに、そんな相手への罰を軽くしよーだなんて。おかしな話よー」
「……リンディア」
「少なくともあたしには理解できないわねー」

 言われるだろうと思っていた。

 私は甘い。そして、普通でないことを進言した。それは理解しているつもりだ。
 けれど、改めて言われると、複雑な心境になってしまう。

「リンディアは……処刑の方が良かったの?」

 恐る恐る聞いてみる。
 すると彼女は、数秒私をじっと見て、それから述べる。

「良いも何も、とーぜんってものがあるでしょー」
「でも、シュヴァルはリンディアのお父さんよね。お父さんが処刑されるなんて——」

 言いかけた時だ。

 すたすたと歩み寄ってきたと思ったら、彼女はばぁんと机を叩いた。
 机の上に置かれていた勉強のための冊子が、床に落ちる。

「勘違いしてんじゃないわよ」

 机を叩く力の強さに、私は、ただただ圧倒されるばかり。何も返せない。

「……リンディア」
「あんなやつ、もーあたしの父親じゃなーいのよ」

 リンディアの顔つきと声色は、冷たさのあるものだ。しかし、机に叩きつけられた拳は震えている。

「どうしたの、リンディア」

 私は椅子から立ち、彼女の整った顔を見上げる。

「大丈夫?」
「……どーかしてるんじゃないの」
「えっ」

 リンディアの心が分からない。私には、彼女の心を掴むことはできない。理解しようとしてはいるつもりなのだが。

「もーいーわ」

 吐き捨てるようにリンディアは言う。

「待って。ごめんなさい。不快なことをしてしまったなら謝るわ」
「べつにいーわよ。謝らせたいわけじゃないものー」

 何を言っても、空回りばかり。

「お願い、リンディア。言ってちょうだい」
「いーのよ」
「どうして!」

 思わず大きな声を出してしまう。
 すると、歩き出しかけていたリンディアはぴたりと足を止め、振り返った。

「もーいーって言ってるじゃない!」

 飛んできた鋭い言葉に、全身が一気に強張る。

 リンディアは歩き出す。私は「待って」と言おうとしたけれど、緊張のせいで何も言えずじまい。結果、彼女はそのまま部屋から出ていってしまった。


 それと入れ替わるようなタイミングで、ベルンハルトがやって来る。

「何があったんだ?」

 飛び出していったリンディアのことを聞いているのだろう。

「怒らせてしまったみたい……」
「状況が掴めない」

 ベルンハルトは、その凛々しい顔に、困惑の色を濃く滲ませている。状況がまったく理解できない、というような顔だ。

「机を叩かれてしまったの……」
「状況が掴めない。なぜ机を叩かれるんだ」
「怒らせてしまったから……」
「何の話をしていたんだ?」

 ベルンハルトの問いに、私は小さく答える。

「……シュヴァルの」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.148 )
日時: 2019/03/24 10:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: .uCwXdh9)

145話 久々に?

「シュヴァルの……罰を軽くした件か?」

 怪訝な顔をしつつ、ベルンハルトは尋ねてきた。

 彼はまだ、話を飲み込みきれていないのだろう。
 無理もない。当事者である私でさえ、この状況を理解しきれていないのだから。

「えぇ」

 一度ベルンハルトへ視線を向けた。しかし、すぐに視線を下ろしてしまう。憂鬱な気分を振り払えなくて。

「リンディアだって、お父さんであるシュヴァルが処刑されるなんて嫌なはずなのに……」

 父親が処刑されて何も感じない娘などいないはずだ。いや、もしかしたら稀にはいるのかもしれないが。しかし、そう多くはないだろう。

 だから、シュヴァルへの罰を軽くすることは、リンディアのためにもなると思っていた。

「……違うのかしら」

 だが、今やもう、よく分からない。

「ねぇ、ベルンハルト」

 考えれば考えるほど混乱する。こんな状態では、自分で悩み続けても、何も変わらないだろう。
 そう思ったから、ベルンハルトに聞いてみることにした。

「何だ」
「私がしたことは、間違っていたの?」

 ベルンハルトの目をじっと見つめる。すると彼は、ほんの少し目を伏せた。それから、ゆっくりと口を開く。

「いや。べつに間違ってはいないと思う」

 彼の声は淡々としている。
 感情的でないところが、今の私にとってはありがたい。

「多少優しすぎる気はするが、それが貴女の選択ならば間違いではないだろう」

 ベルンハルトは私を肯定してくれた。
 それはとても嬉しくて。

 けれど、このままではリンディアとの関係は気まずいままだ。

「……ありがとう、ベルンハルト」
「気にすることはない」

 礼を述べると、彼は首を左右に振った。

「そうだ! 私、リンディアに謝らなくちゃ。どうすればいいと思う?」
「それは自分で決めろ」

 ばっさりいかれてしまった。

「そ、そうよね! 頼りすぎは良くないわよね!」
「貴女の人生は貴女が決めるべきだ。……僕もそうした」
「僕も、って?」

 思わず尋ねてしまう。
 それに対して彼は、「敢えて聞くなよ」というような顔をした。

 しかし、答えてはくれる。

「貴女に仕えると決めた。それが、僕の選択だ」

 なるほど、と思った。

 オルマリンを敵視している環境で育った彼にとって、星王家の人間に仕えるという選択は、とても大きな選択だったのだろう。

 そこには、私などにはとても想像できないような苦悩があったはず。

「……ありがとう、ベルンハルト」

 分岐点に達した時、どちらの道を選ぶのか。それを決められるのは、自分自身しかいない。

「私、会いに行くわ! リンディアに!」

 フィリーナとだって、話せば分かり合えたのだ。リンディアとだって、きっと理解し合える。誤解があったとしても、今はすれ違っていても、きちんと話せば分かり合えるはずだ。

「行くのか」
「えぇ!」

 今、私はやる気に満ちている。

 きっとできる! きちんと話せる!

 根拠はないが、自信だけはあるのだ。

「リンディアがどこにいるのか、分かっているのか?」
「いいえ。分からないわ」

 すると、ベルンハルトは苦笑する。

「しっかりしてくれ」

 確かに、やる気だけじゃ意味がないかもしれないわね……。

「だが、恐らくはあそこだろう」
「あそこ?」
「アスターのいる部屋だ」

 確かに! そこへ行っていそうな気がする!

 ……少し単純かもしれないが。

「分かった! アスターさんのところへ、行ってみるわ!」
「場所、分かるのか?」

 言われて気がついた。今アスターがいる部屋の場所は知らないということに。

「……分からないわ」
「仕方ない。僕が案内しよう」
「ありがとう!」

 何だかんだ言いつつも、ベルンハルトはいつも私に協力してくれる。困った時には、いつだって手を貸してくれる。彼は、本当にありがたい存在だ。


「ここだ」

 歩くことしばらく、ベルンハルトは足を止めた。

「ここが、アスターの部屋」
「へぇ……こんなところだったの」

 これといった装飾はない扉だ。この感じだと、部屋も普通の部屋なのだろう。扉を見ただけですべてを判断できるとは思わないが、それほど広い部屋でもなさそうだ。

 ベルンハルトは周囲を見回す。
 しかし、彼の目が人を捉えることはなかっただろう。なぜなら、本当に誰もいなかったから。私も一応見回したが、人の姿を捉えることはできなかった。

「おかしいな」

 首を傾げるベルンハルト。

「いつもなら、扉の近くに人がいるはずなのだが」
「見張り?」
「あぁ。そんなところだ。これまで覗きに来た時は、ほぼ毎回、誰かが立っていたのだが」

 休憩か何かだろうか。

 いや、これまでいつも誰かがいたというのなら、その可能性は低いだろう。
 今日から休憩が導入された、なんてことは、さすがにないだろうし。

「取り敢えず入ってみるか」

 言いながら、ベルンハルトはノブを掴む。

「開いているかしら」
「開けてみれば分かる」

 彼は小さく言って、掴んだノブを回した。ノブは何事もなかったかのよう回る。そして、扉が開いた。

「入ろう」
「えぇ。そうね」

 ベルンハルトは部屋に入っていく。私は彼の後ろについて、恐る恐る入室した。


 赤い髪が視界に入る。

 ベルンハルトが言った通り。リンディアは、やはり、アスターのところへ行っていたのだ。

 入り口に背を向けるようにして椅子に座っているリンディア。彼女は私たちが入室したことに気づいていないようで、特に反応しない。

「何をしている」

 一番に口を開いたのは、ベルンハルト。

「……っ!?」

 その声でようやく気がついたらしく、リンディアは振り返った。
 水色の水晶みたいな瞳には、まだ涙の粒が残っている。

「……あ、あらー。ベルンハルト? なーにしに来たのよ」

 リンディアは手の甲で、目もとを慌てて拭う。
 その動作は彼女らしくない。が、とても女性的だ。案外似合う。

「イーダ王女が、お前と話したいと」
「あらそーなの?」
「だが、まずは謝れ」

 きっぱり述べるベルンハルト。いきなり謝罪を求められたリンディアは、眉をひそめる。

「は?」
「勝手に怒り飛び出したことを、イーダ王女に謝れ」

 ……え。

 そういう話をしに来たわけではないのだが。

「どーしてアンタに命令されなきゃなんないのよー」
「従者が主に当たり散らすのは問題だ」
「は? アンタはかんけーないじゃなーい。出てこないでちょーだいよ」

 リンディアは私の存在には気がついていないようだ。彼女はベルンハルトだけを見ていた。

「関係は大いにある!」

 ベルンハルトが調子を強める。
 攻撃的な口調だ。

「どーこがよー」
「イーダ王女は僕の主だ!」

 まずい。
 喧嘩が始まりそうな予感。

「主を落ち込ませ、しかも謝りもしないような者を、イーダ王女の傍に置いておくわけにはいかない!」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.149 )
日時: 2019/03/24 11:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: .uCwXdh9)

146話 皆で

「は? なーにかっこつけてんのよー?」
「かっこつけてなどいない! 僕はただ、イーダ王女に忠実であるだけだ!」
「馬鹿みたいに騒いでんじゃないわよー!」

 ベルンハルトとリンディアの言い合いが始まってしまった。

 ここしばらく、二人が口喧嘩をすることはなくなっていて。それどころか、お互いを認めるような場面さえあった。

 それゆえ、二人は仲良くなったものと思っていた。

 だが、そうではなかったようだ。

「とにかく謝れ! イーダ王女に!」
「はぁ!? どーしてアンタに言われなくちゃなんないのよー!」
「謝らないつもりか?」
「謝るわよ! ……後で」

 驚くべきことだが、リンディアはまだ私に気づいていないようだ。

「今謝れ!」
「……うっさいわねー。分かった! 分かったわよ!」

 リンディアは吐き捨てるように言って、扉の方へと歩き出す——そして、彼女は初めて私に気づいた。

「……王女様!?」
「あ。リンディア」
「あらー? いつからいたのー?」

 ずっと前からいた、なんて、少し言いづらい。
 だが、嘘をつくわけにもいかないので、本当のことを言っておく。

「え、えっと……ベルンハルトと一緒に来たのよ」

 するとリンディアは、ふっと笑みをこぼしながら、「あら、そーだったのー」などと言った。軽やかな口調だ。それから二三秒間を空けて、彼女は、「さっきはカッとなって悪かったわねー」と謝ってきた。

「謝るのはリンディアじゃないわ。私の方よ。けど……どうして不快な思いをさせてしまったのかしら」

 本当は突っ込むべきではないのかもしれない。しかし、同じミスを繰り返さないためにも、質問しておきたくなったのだ。

 だが、リンディアは答えてはくれなかった。

「べっつにー。言うほどのことじゃなーいわよー」

 彼女はそう言うだけ。
 答える気はないようだ。

「で、でも……!」
「気にしないでちょーだい」
「ごめんなさい! けど、気にしないでいるなんて無理なの!」

 勇気を出し、さらに聞いてみることにした。

「……教えて?」

 だが、リンディアはさらりと「嫌よ」と返してきた。その表情は冷たくて。私は思わず、言葉を詰まらせてしまった。

「リンディア。イーダ王女の問いには答えろ」

 ベルンハルトが口を挟んでくる。

「は? そんなのあたしの勝手でしょー」
「勝手ではない。主の問いに答えるのは、当然のことだろう」

 みるみるうちに険悪な空気に包まれる、リンディアとベルンハルト。

「当然? 馬っ鹿みたい!」
「なに!?」
「挑発に引っ掛かってくる辺りも、馬鹿ねー」
「何だと!」

 またしても言い合いが始まってしまいそうな雰囲気だ。
 嫌な空気になってしまっては困る。そのため、私は、二人を落ち着けるように言葉を発する。

「待って! 落ち着いて。喧嘩は止めてちょうだい!」

 すると二人は、ほぼ同時に私を見た。

「けど!」
「だが!」

 二人が言葉を発したのも、ほとんど同時だった。

 妙に息がぴったり。

 実は相性が良いのでは、と思ってしまうのは私だけだろうか……。

「ごめんなさい、リンディア。私が余計なことを聞いたのが悪かったわね」

 一応謝っておく。
 すると、リンディアは首を左右に振った。

「べっつにー。王女様が悪いわけじゃなーいのよー」
「そうかしら」

 リンディアはベルンハルトを指差して述べる。

「こいつがいちいち首突っ込んでくるのが悪いのよー」

 彼女の発言に対し、「は!?」というような顔をするベルンハルト。

 リンディアとベルンハルトの間に漂う空気が柔らかくなることはない。今私たちを包み込む固く冷ややかな空気は、恐ろしいほど揺るがない。

「責任を僕に押し付けるのか!」
「だーって事実じゃなーい」
「あり得ない!」

 自分が悪いかのように言われ、ベルンハルトは憤慨する。

「なぜ僕がそんな風に言われなくてはならないんだ!」
「事実だから仕方なーいのー」
「な。ふざけたことを言うな! 事実の『じ』の字もないだろう!」
「そーかしらー?」

 あぁ、また喧嘩。
 これはもはやどうしようもないのかもしれないわね。

 私が止めようとしても、まったく止まりそうにない。それどころか、入っていけば入っていくほど状況は悪化する。


 そんな時だ。


「ん……」

 小さな低い声が耳に入ってくる。

 その声がアスターが発したものだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 もちろん、すぐに気づいたのは私だけではない。リンディアも、ベルンハルトも、すぐに気づいてベッドへ視線を向ける。

「アスター!?」

 ベッドへ駆け寄るリンディア。

「……ここ、は」
「気がついたの!?」

 リンディアは、ベルンハルトと言い合っていたことなど忘れてしまったかのように、凄まじい勢いでアスターに声をかけている。

「あぁ……リンディアかね」

 ベッドに横たわっているアスターは、息がたくさん混じった声を漏らす。

「少しいいかな……」
「なーに? アスター」
「イーダくんに、だね……」

 リンディアは、ベッドに横たわるアスターへ顔を近づけ、懸命に彼の言葉を聞こうとしていた。そんな彼女の瞳からは、真剣さが伝わってくる。

「王女様にー?」
「綿菓子か、林檎飴……」

 アスターの口から発された言葉に、リンディアは戸惑ったような顔をした。

「綿菓子? 林檎飴? 何の話よー?」
「約束したのだよ……あげると……」

 直後、リンディアは急に、私の方へ視線を向けてくる。

「そーなの?」

 そういえば、いつかそんな話をしたような気はする。しかし、それがいつ話したことだったかは、すぐには思い出せない。きちんと説明できるほどの明瞭な記憶はないのだ。

「確か、いつかそんなことも話したわね」
「事実なのねー?」
「えぇ。はっきりとした記憶はないけれど」

 私の言葉に対し、リンディアは、「ふーん」と呟いていた。

「ま、それはいーとして」
「……良くはない。もう嘘をつくわけにはいかないのだよ……」

 起き上がろうとするアスター。リンディアは彼を制止する。

「アンタはじっとしてなさーい」

 制止されたアスターは、奇妙なものを見たかのような表情を浮かべた。

「……ん? リンディア? 一体何を言い出すのかね」
「まだ寝てろーって言ってんのよ!」
「いや、だが……」

 制止を聞かず上半身を起こそうとしたアスターを、リンディアは無理矢理横たわらせる。本当に、無理矢理、である。

「いーから寝てなさい!」
「しかし仕事が……」
「そーいうのはいーから!」

 リンディアが制止するものの、アスターは起き上がろうとし続ける。そんな変わらない繰り返しを一変させたのは、ベルンハルトの言葉だった。

「そうだ。まだ動かない方がいい」

 シンプルな言葉。飾り気のない意見。
 これといった特徴のない、ありふれた発言ではあるが、その発言がアスターを止めた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.150 )
日時: 2019/03/25 21:19
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

147話 私にとっては

「ベルンハルトくんがそう言うなら……もうしばらく大人しくしておくことにするかな」

 リンディアの制止は聞かなかったアスターだが、ベルンハルトの制止には従い、起こそうとしていた体を横にする。

「ちょ、ベルンハルトの言うことは聞くわけー!?」
「ベルンハルトくんが言ってくれているからね」

 アスターの発言に、リンディアは眉を寄せた。
 若干苛立っているように見える。

「は? あたしの意見は聞かなかったくせにー!」

 両手をそれぞれ腰に当て、圧をかけるように発するリンディア。しかし、アスターはというと、まったく動じていない。

「いや、リンディアが言うのは気遣いだろうと思ったのだよ」
「は? ちょ、なーに言ってんのよ」
「気遣いに甘えるわけには……いかないからね」

 アスターはベッドに横たわりながら、すぐ近くにいるリンディアへ微笑みかける。
 唐突に微笑みかけられたリンディアは、状況を飲み込めていないような、きょとんとした顔をしていた。

「ところでリンディア」

 穏やかに微笑みながら、口を開くアスター。

「……娘と妻、どちらが良いかね?」
「え」

 想定の範囲を大きく出たアスターの発言に、さすがのリンディアも戸惑いを隠せなくなっている。

「君がシュヴァルの娘であること分かっているよ。ただ、私はいずれ、君を引き取りたい」
「は……?」
「娘としてでも、妻としてでも、形は問わない。共に暮らせるなら、ね」

 これは遠回しなプロポーズなのだろうか?

 ……いや、娘という選択肢がある時点でプロポーズではないか。

「ちょ、どーしたのよ? しょーき? いきなりそんなこと言って、どーかしてるわよ」
「また共に暮らしたくてね」
「ろーごのお供をしろーとでも言いたいわけ?」

 怪訝な顔で尋ねるリンディアに、アスターは控えめな声で返す。

「まぁ……そんなところだね」

 正直、意外だ。
 アスターがこんなことを言い出すとは思っていなかった。

 だが、このような展開を意外に思っているのは、私だけではないはず。ベルンハルトも、リンディアだって、驚き戸惑っているに違いない。

「ははは。どうかな?」
「おっ断りよ!」

 リンディアはきっぱり述べた。

「な! 即答はさすがに酷くないかね!?」

 大袈裟に、ショックを受けたような顔をするアスター。
 だが、こればかりは私でも分かった。今のこの表情は、意図的なものだと。自然と生まれた表情ではないと、簡単に判断できた。

「言っておくけど、あたしは、アンタのろーごの世話をする気はないわよー」

 リンディアは眉を寄せたまま、日頃より低い声で言った。

「おぉ……冷たい……」

 訝しむような顔をされ、しかも低い声で言葉を返されたアスター。
 彼は、「残念だ……」とでも言いたげに、そんなことを漏らしていた。

「甘やかす気はないから」
「分かっている! それは分かっているとも!」

 なんだかんだでリンディアとアスターの息がぴったりだと感じるのは、私だけなのだろうか。

「ま、でもー」
「ん?」
「どーしてもって言うなら、考えてあげてもいーわよ」

 そう述べるリンディアの頬は、微かに紅潮している。

「ま、もし一緒にいても甘やかしはしないけどー」

 頬を林檎のように染めているリンディアに向かって、アスターは大きめの声を発する。

「本当かね!? いいのかね!?」

 大きめの声を発するアスターは、今にも起き上がりそうな勢いをまとっている。

「……甘やかしてもらおーって魂胆じゃなーいなら、考えてあげないこともないけど」
「もちろん! 甘やかしてもらおうなんて、欠片も思っていない。私にとっては、君がいてくれることそのものが幸福だからね!」

 なんだかんだで上手くいきそうなアスターとリンディアを眺めていると、何だか温かい気持ちになって、つい笑みをこぼしてしまった。

「イーダ王女?」

 ベルンハルトは私が笑っていることに気がついたらしく、首を軽く傾げつつ声をかけてくる。

「何を笑っている」
「え」
「面白いことがあったわけでもないのに、笑っている。こんなに不思議なことはない」

 真顔。ベルンハルトは真顔だ。
 恐らく彼は、私が笑みをこぼしていたことを、心から不思議に思っているのだろう。

 だが、私からしてみれば、ベルンハルトの思考も不思議なものである。

 もちろん、面白い時に笑う、という発想自体は分かる。しかし、彼は「面白い時以外に笑うのはおかしい」と考えているようで。そこは少し理解できない。

 安堵した時だとか、ほっこりした時なんかに、ついつい笑みをこぼしてしまう。
 それは、何ら珍しいことではないはず。

 ……個人的には、そう思うのだが。

「笑うのは面白い時だけじゃないのよ、ベルンハルト。心温まるった時なんかも、笑みをこぼすことはあるの」

 改めて説明するというのは、少しばかり恥ずかしさがある。

「そうなのか?」
「えぇ」
「では、イーダ王女は心温まっていたのだな」

 ベルンハルトは案外素直。
 説明すれば理解してはくれるようだ。

「そうよ。仲良しなリンディアとアスターさんを見ていたら、ね」

 私はそう言った。

 これは本心だ。
 リンディアとアスターがなんだかんだで良い雰囲気になっているところを見ると、とてもほっこりする。

「なるほど。……だが」

 一度そこで言葉を切る。
 そして、少し間を空けて、続けるベルンハルト。

「心からの謝罪が、まだない。それは問題ではないのか」

 真面目過ぎる発言に、不覚にも、一瞬吹き出しそうになってしまった。

「もう怒ってはいないみたいだし——まぁいいんじゃないかしら」
「まともな謝罪もなしで、納得できるのか」
「いいのよ。そもそも私、謝罪してもらいにここまで来たわけじゃないもの」

 私としては、リンディアが怒っていないならそれだけで十分なのである。

「それはそうだな。だが! 僕は納得できない。身勝手な言動でイーダ王女を不安にさせたのだから、もっときちんと謝るべきだ」

 今のベルンハルトは、まるで、真面目を練って固めたかのよう。

「いいのいいの!」
「良くない。僕は納得できない」

 リンディアの方へ歩き出そうとするベルンハルトの腕を掴む。そして「今は二人にしてあげた方がいいわ」と述べる。それに対してベルンハルトは、納得できていない顔。何か言いたげな表情だ。しかし、足はきちんと止めてくれている。

「……邪魔しないでくれ、イーダ王女。僕はただ、貴女のためになることをしたいだけだ」
「ならここにいてちょうだい!」
「どういうことだ」

 リンディアとアスターは二人の世界。もはや、私などが入っていく隙はない。
 だからこそ、ベルンハルトにはここにいてほしい。

「何も、わざわざあっちへ首を突っ込むことはないわ」
「そうなのか」
「今は……ベルンハルトは私の傍にいて」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.151 )
日時: 2019/03/25 21:20
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

148話 父と娘に

 私は、それからしばらく、ベルンハルトと二人でいた。リンディアとアスターの感動の再会を、邪魔したくなかったからだ。

 その後、十分ほどが経過し。

 リンディアは私たちの方へと、ゆっくりと歩いてきた。
 赤い髪をさらりと揺らしながら。

「ごめんなさいねー、王女様」

 アスターとの話が一段落したようだ。

「話は終わったの? リンディア」
「えぇ」

 リンディアはすっと口角を持ち上げ、ふふっ、と笑みを浮かべる。それから数秒経つと、今度は少し気まずそうな顔。

 表情がくるくる変わって、少し面白い。

「さっきは……悪かったわねー」

 突然の謝罪。
 私は暫し、戸惑いを隠せなかった。

 彼女はべつに、何も間違ったことはしていない。ただ、私に謝ってくれただけだ。なのに私が戸惑ってしまったのは、単に「突然だったから」というだけの理由である。

「一時の感情で当たり散らして悪かったと、そー思ってるわー」
「……いいの」

 戸惑いが晴れた後、私はようやく答えることができた。

「いいのよ、リンディア。私はただ、貴女を怒らせてしまったことを後悔していただけなの」

 一度口を開くと、その先の言葉は案外するすると口から出た。迷いなく、躊躇いなく。望む言葉をきちんと紡ぐことができた。

「悪いわねー」
「いいえ!」

 私とリンディアの間にそびえ立ちかけていた壁は、みるみるうちに崩れ去った。
 もはや何も残ってはいない。


 以後、大きな事件が発生することはなく。

 ただ時だけが過ぎていった。

 シュヴァルは、星都より遥か西にある絶海の孤島へと流され、生涯その島から出てはならないという罰が与えられた。

 残りの人生を、絶海の孤島の中だけで生きなくてはならない。
 それは、少しばかり残酷なことのようにも思える。

 けれど、彼は罪人。

 それゆえ、ある程度の罰が与えられるのは仕方のないことなのかもしれない。



 二ヶ月ほどが経ったある日。
 リンディアとアスターが、二人揃って、妙に改まった様子でやって来た。

 二人とは、ここしばらく、あまり会うことがなかった。それゆえ、私の自室にて、こういった形で四人で会うのは、何だか久々な気がする。

「聞ーて! 王女様」
「何?」

 それにしても、リンディアとアスターは最近妙に仲良くなった気がする。

 以前はリンディアが、アスターを嫌っているような発言ばかりしていた。例えば「好きなわけないでしょー」というような発言。そういった言葉を繰り返し、距離が縮みきらないという状態に陥っていた。

 しかし、ここのところ、二人の距離がぐっと縮んだような気がする。

 もっとも、単なる気のせいなのかもしれないけれど。

「あたし、アスターの娘になったのよー!」

 リンディアの口から飛び出した言葉に、私は思わずきょとんとしてしまった。

「……え?」

 彼女の様子を窺いつつ、尋ねる。

「娘にって……どういうこと?」

 リンディアは、機嫌の良さそうな顔のまま、私の問いに答えてくれる。

「ちゃーんと申請して、娘ってことになーったのー」
「え、えぇ!?」

 思わず声を大きくしてしまう。

 アスターがリンディアを娘のように大事に思っているということには気づいていたが、まさか本当に父娘の関係になってしまうとは、欠片も想像していなかった。

「はは、少し驚かせてしまったようだね。すまない」

 リンディアの隣にいるアスターは、穏やかに微笑んでいる。
 今の彼は、幸福の頂点にいる者のような、優しく穏やかな表情だ。

「だから言っただろう? リンディア。いきなりそんなことを言っては混乱させてしまう、と」
「は? なーに偉そーなこと言ってんのよ、ジジイ。アンタが頼りになんないから、あたしが報告したんでしょーが」

 仲良くなったように見えた二人だが、その関係性は、実はそれほど変わっていないのかもしれない。二人のやり取りを見て、そんな風に感じた。

「そーいうことだから。ま、だからどーってことはないでしょーけど……一応知らせておくわねー」

 リンディアは軽やかな口調で述べる。
 つい先ほどアスターに対して物を言っていた時とは、様子や雰囲気が全然違っていた。

「知らせてくれてありがとう」

 私は礼を言っておいた。

「ところで……リンディア。一つ聞いてもいい?」
「いーわよ。何かしらー」
「これからは、一緒にいられないの?」

 リンディアとアスターが幸せであれるなら、それに越したことはない。お世話になった大切な人たちだからこそ、幸せに生きてほしいと願う。

 だが、それとは別に。

 これから先は二人で歩んでいくというなら、そこに私が入る余地はない。主と従者でなくなるどころか、無関係になってしまうという可能性も存在するわけだ。

 いきなりそんな現実を突きつけられたら、正直辛い。胸が痛くなるだろう。

 だからこそ、私はここで確認しておかなくてはならなかったのだ。

「私の従者は……もう辞める?」

 嫌な答えが返ってきたらと思うと、それだけで怖い。聞きたくない。耳を塞ぎたくなる。

 だが、聞かないわけにはいかない。
 二人の決断。それに向き合わないでゆくことはできないのだから。

「王女様のじゅーしゃを辞めるかどーかですって?」
「そう。……できれば、答えてほしいの」

 一刻も早く、答えを聞かせてほしい。
 それが現在の私の心だ。

 答えが出るまでのこの空白が苦しい。喜ぶことも悲しむこともできないというこの瞬間が、少しでも早く終わってほしい。

「まっさか!」
「え」
「辞めるわけなーいじゃなーい」

 長らくもやがかかっていた視界に、光が射し込む。

「本当!?」
「嘘をつくわけないじゃなーい。ま。そーは言っても、アスターはそろそろ引退でしょーけどねー」

 言われてみれば、確かに、彼は結構いい年だ。寂しくはなるが、そろそろ穏やかな生活を手にするというのも悪くはないだろう。

「な! 引退!? 何だね、それは!」
「だってそーでしょ。アンタはもー、まともには戦えない」
「いやいや! まだ辞めるつもりはないのだが!?」

 あれ? アスター自身は辞める気ではないの?

 生まれる小さな疑問。

「うっさい! まともに戦えない人間が傍にいても、ただのお荷物じゃなーい」
「お荷物! ……それは酷くないかね? リンディア!?」
「なーに勘違いしてんのよー。アンタの体のこと考えて言ってあげてるんじゃないのー」
「……お。そうだったのかね」

 真相は不明だ。
 ただ一つ確かなのは、リンディアはアスターをあまり働かせたくないと思っているということ。

 そんなことを考えていると、リンディアが私の方へと視線を向けてきた。

「ま、そーいうこと。取り敢えず、あたしはまだまだじゅーしゃを続けるつもりよー」
「これからも傍にいてくれるのね!」
「そりゃそーよ。新しー仕事見つけるなんてめんどーだものー」

 リンディアはわざとらしい理由をつけて言った。

 だが、どんな理由であってもいいのだ。

 何が理由であったとしても、彼女と近くにいられるだけで、嬉しいことに変わりはない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.152 )
日時: 2019/03/25 21:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

149話 いつか、お手製の約束

 四人で話している途中、リンディアは唐突にベルンハルトの方へと顔を向けた。

「そーだ。ベルンハルト」
「何だ、いきなり」

 いきなり声をかけられ、顔面に戸惑いの色を浮かべるベルンハルト。

「ちょーっといーかしら?」

 リンディアは、赤い髪を片手でさらりと背中側に流しつつ、口を動かす。

「僕に何か用でもあるのか」
「そーそー。そーんな感じよー」

 リンディアは口元に笑みを湛えつつ述べている。

 すると、ベルンハルトは戸惑ったような顔のまま、私へ視線を向けてきた。その眼差しは「いいのか?」と問いかけてきているようで。

 だから私は、一度ゆっくり頷いた。

「好きにしていいわよ、ベルンハルト」
「そうか。分かった」

 私の言葉に、ベルンハルトはこくりと頷く。そして、リンディアへ視線を向ける。

「よし。何でも話せ」
「そーしましょ! じゃ、ちょーっとこっちに来てもらえるかしらー?」

 リンディアはくすっと笑う。
 それに対し、ベルンハルトは怪訝な顔をする。

「なぜだ」
「いーから!」
「断る。理由の説明もしない女と二人にはなれない」

 怪訝な顔になっていたベルンハルトは、真顔になって返していた。

 リンディアとならば、おかしなことにはならないだろう。彼女のことは信頼している。だから、相手が彼女であるならば、ベルンハルトが女性と二人きりになったとしても、怒る気はない。

「アンタだけに言っておきたい話があーるのよー」
「何だそれは。イーダ王女には聞かせられない話か」
「いーからいーから」
「おい! どうなっているんだ!」

 ベルンハルトはリンディアに連れていかれてしまった。


 私は自室に、アスターと二人取り残される。


 四人だった室内が、二人になった。そう聞くだけだと、たいした変化がないようにも思えるかもしれない。しかし、実際にはかなりの変化を感じた。二人減ると、人がだいぶ減ったような感じがする。

 アスターと二人で何を話せと。
 よく分からない。

「リンディア、アスターさんの娘さんになったのね」

 取り敢えず話を振ってみる。

 するとアスターは、最初、少し驚いたような顔をした。
 もしかしたら、話しかけられるとは想像していなかったのかもしれない。

「うむ。そうなのだよ」
「意外だわ。あのリンディアがそれを受け入れるなんて、正直思っていなかった」

 するとアスターは、はは、と平淡に笑った。

「そうだね。君のおかげだよ」
「……そうかしら」

 アスターが発した言葉の意味を、私は、すぐには理解できなかった。

「もちろん。君がいたからリンディアに再会できて、君が受け入れてくれたからリンディアと共に過ごせるようになった。それが君のおかげでないと言うのなら、一体誰のおかげなのかね」

 穏やかに笑うアスターを見て、私は少し安堵する。

 私は私の選んだ道を完全に正しかったとは思えずにいた。でも、私が選んだこの道はすべての人を不幸にしたわけではないのだと分かって。それなら、私が選び歩んできたこの道にも意味はあったのだと、今はそう思える。

「……貴方のためになっていれば良いのだけれど」
「もちろん! なっている、なっているとも!」

 アスターはご機嫌なようで、明るく笑っている。まるで、顔面に向日葵が咲いたかのようだ。

「ありがとう、イーダくん」

 真っ直ぐに言われると何だか気恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまう。

「あ! そうだった!」
「え、何?」
「綿菓子か林檎飴、まだ贈っていなかったね!」

 そんなこと。

 もう、すっかり忘れていた。
 私でさえ記憶から消えていたことをアスターが覚えていたとは、驚きだ。

「どちらがいいかね?」
「いいわよ、そんなの。私はお礼を貰うようなことはしていないわ」

 綿菓子も林檎飴も要らない。

 私はただ、こうして穏やかに過ごせる時間だけが欲しかったの。

「いやいや! 何度も騙しておいて、言葉の謝罪だけというわけには!」
「いいの!」

 つい口調を強めてしまう。

「……あ、あぁ、そうかね。分かったよ」

 アスターの声が小さくなる。

 傷つけてしまっただろうか、と不安が過る。

 しかし、それは杞憂だった。

「では! 私お手製の綿菓子というのはどうかな!」

 私が心配したようなことはまったくなく、アスターは明るい表情のままであった。

「お手製……!」

 魅力的な響きだ。
 綿菓子をこよなく愛するアスターが作った綿菓子なら、きっと美味しいはず。

「悪くないわね!」
「ははは。そう言っていただけて光栄だよ」
「楽しみにしているわ」

 私とアスターを包み込むのは、和やかな空気。穏やかで温かい、そんな雰囲気だ。

「そうそう。それと」

 ぱたりと話題を変えてくるアスター。

「私はまだ君の従者を続けるつもりでいるのだが、リンディアは辞めろとばかり言う。どうすればいいと思うかね? 君の意見を聞いてみたいのだが」

 彼は、それまでと変わらない柔らかな笑みを浮かべたまま、そんなことを尋ねてきた。

 意見。
 前触れなく聞かれては、上手く答えることができない。

 咄嗟に答えられれば理想形なのだろう。しかし、それは容易なことではない。

 ……特に、私のような質の人間にとっては。

 だが、答えないというわけにもいかないので、私は思いついたことを簡単に述べる。

「アスターさんがしたいようにするのが一番だと思うわ」

 単純過ぎる。当たり前だ。
 そんな風に言われてしまうかも、と思いはしたけれど。

 だが、これが私の意見。意見を聞いてみたい、と言われたのだから、私の意見がくだらなくたって怒られはしないはずだ。

「だよね! そう言ってくれると思っていたよ! ……ということで、もうしばらくはお世話になるよ!」

 ……私への質問に意味はあったのだろうか。

 私が密かに色々考えた時間は、無駄だったのかもしれない。

「えぇ! 嬉しいわ」

 色々考えたにもかかわらず話があっさり終わってしまったというところは少々切ない。だが、また皆で過ごせるということは、何にも代えがたい幸福だ。

「そう言ってもらえると、こちらとしてもありがたいよ」

 アスターはにっこり微笑み言う。それから少し空けて、彼はずいと身を寄せてきた。否、正しくは、顔を近づけてきたのだ。

 彼の唐突な行動に戸惑い、言葉を失う。

 だが、彼は私の様子などまったく気にしていないようだ。ほんの少しの躊躇いもなく、口を私の耳元へ近づける。

「あの……アスターさ……」
「ところで、ベルンハルトくんとはどうなのかね?」

 アスターが耳元で小さく放った問いに、私の頭は真っ白になった。その問いが、予想の範囲外だったからだ。一瞬、時が止まったかのように、言葉を失ってしまう。すぐにまともな文章を返すことは、できなくて。

「えっ!?」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.153 )
日時: 2019/03/25 21:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

150話 彼女なりの?

「動揺しているということはやはり……なのかね」

 予想外の言葉をかけられ、私は思わず平常心を失ってしまった。そんな私の様子を見て、アスターは何やら察したようだ。

「ベルンハルトくんはいいよね。しっかりしていて、愛嬌もあって」
「えっ……あ……」

 心が乱れ、まともに返せない。
 言葉を発する。それだけのことが、こんなに難しいなんて。

「君の相手に相応しいと思うよ」

 アスターは悪戯な笑みを浮かべる。
 しわの刻まれた顔は大人びているのに、そこに浮かぶ表情は少年のようだった。

 私はただ動揺することしかできない。胸の内を覗き見られたみたいで、鼓動は速まるばかりだ。大人には隠せない、ということなのだろうか。

「では、今日はこれで失礼するよ!」

 アスターは身をくるりと返す。それから、首より上だけをこちらへ向けて、そんな風に言った。

「もう行ってしまうの?」
「申し訳ない! ただ、リンディアとの用があってね」

 彼には彼の都合があるのだろう。

 一応主の立場である私には、彼を引き留める権限がある。行くな、と言うことだってできるのだ。
 だが、彼を引き留めることはしなかった。

「そうだったの。気をつけて」

 短くそれだけ述べて、私は、アスターを見送った。

 彼には彼の幸せがある。それは私がどうこうできるものではない。だから、不必要な干渉はなるべくしないようにしようと、心の内で誓った。

 私は私の幸せを見つけるのだ。
 他人に干渉している暇はない。


 アスターが部屋から出ていくと、それと入れ替わるようにベルンハルトが入ってきた。彼は話をするためリンディアに連れていかれていたのだが、どうやら終わったようだ。

「終わったの? ベルンハルト」
「あぁ。終わった」

 彼は滑らかな足取りで歩み寄ってくる。

「案ずるな。やましいことは何もない」
「大丈夫よ、リンディアのことは疑っていないわ」
「そうか。あいつのことは信頼しているんだな」
「えぇ」

 私はベルンハルトの顔をじっと見つめる。すると、彼も私のことを見てきた。それぞれの視線が、お互いの姿を捉えている。

「リンディアは信頼できる人だわ」
「口は悪いが、な」

 すかさずそういうことを言う辺り、ベルンハルトらしいというかなんというか。

 だが、彼とて、リンディアが信頼するに値する人間だということは分かっているはずだ。

「……そうね」
「何か悪いことを言ったか?」

 私はただぼんやりしていただけなのだが、少しばかり誤解させてしまったようだ。ベルンハルトが私へ向ける眼差しには、不安の色が微かに混じっていた。

「い、いいえ! そんなことはないわ!」

 開いた両手を胸の前で振りながら、慌てて返す。
 するとベルンハルトは、静かな声で「ならいいが」とだけ漏らした。

 心なしか気まずい空気。

 それを振り払おうと、私は話題を変える。

「ところで、何の話だったの?」

 話題を変えれば、気まずさも消してしまえるだろう。恐らくは。

「貴女は? アスターと何か話したのか」

 問いに問いで返されてしまった。
 私には言いにくい話でもしたのだろうか? などと考えつつも、先に答えておく。

「リンディアとのことに関する感謝とか、お詫びの綿菓子か林檎飴の件とか、そういったことを話したわ」

 ベルンハルト絡みの話は、一応伏せておく。

 理由はシンプル。
 本人に言うのが恥ずかしいからである。

「そうか。当たり障りのない内容だな」

 それは、良い意味だろうか。悪い意味だろうか。
 判断の難しい言い方だ。

 だが、ベルンハルトは不快そうな顔つきをしてはいない。ということは、少なくとも悪い意味ではないのだろう。

 ……あくまで推測だが。

「えぇ。意味なんて特にない、普通の話よ」
「それなら安心した」

 肝心なところを伏せているということには、多少の罪悪感が付きまとう。

「ありがとう。で、ベルンハルトは?」

 話を先へ進めようと、もう一度質問した。するとベルンハルトは、視線を床へ落とし、目を伏せる。
 やはり、私には言えない話をしたのだろうか。

「私には……言えないこと?」

 ——訪れる沈黙。

 何だろう、この凍りつくような雰囲気は。

 静かだ。とにかく静か。

 こんな空気になってしまうとは思っていなかった。それだけに、驚きや戸惑いも大きい。どうすれば、という感じだ。

「……言いたくないならいいわ!」

 今はただ、その重苦しい空気から抜け出したくて。私は逃げるように、ベッドの方へと向かっていく。

「誰だって、秘密の一つや二つあるわよね」

 ——刹那。

 そんな私の背に向かって、ベルンハルトは叫んできた。

「ち、違う! 違うんだ!」

 多分、こういう時は振り返らないべきなのだろう。しかし、私は振り返ってしまった。振り返らない決意なんて、欠片もなかったから。

「……そうなの?」
「そうだ!」

 ベルンハルトはいつもより大きい声で発する。

「したのは一つ! 貴女の話だけだ!」
「……え?」

 予想外の発言に戸惑っている私へ、彼はすたすたと歩み寄ってくる。そして彼は、私の手首を掴んだ。

「私の、悪口?」
「違う! そうじゃない!」
「な……なら何なの?」

 少しの空白の後。

「一歩踏み出せ、と」

 ベルンハルトは言った。

「リンディアが……そう言ったの?」
「そうだ」

 至近距離で頷くベルンハルト。

「意味がよく分からないわ……」
「僕だって分からない」
「リンディアは一体何を……」
「あいつはどうも、僕とイーダ王女をくっつけたいようだった」

 ベルンハルトの言葉に、はっとする。

 リンディアは私の心に気づいているようだった。ということは、彼女は私のために、彼を呼び出して話したのではないだろうか。

 つまり……彼女なりの思いやり?

「おかしな女だ」

 ベルンハルトは私から視線を逸らす。

「僕がイーダ王女に釣り合う存在でないということくらい、分かっているだろうに」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.154 )
日時: 2019/03/25 21:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

151話 本心を

 それでなくても気まずかったのに、ベルンハルトの呟きを聞いてますます気まずくなってしまった。

 だが、このまま黙っているわけにもいかない。
 なので私は、頭を捻り、取り敢えず何か言葉を発することに決めた。

「そんなことないわ、ベルンハルト。貴方がいてくれれば心強い」

 彼の双眸をじっと見つめる。

 お互いの視線が重なった。
 今、私たちは二人。他には誰もいない。ここは、二人だけの世界だ。

「貴方は強い。それに、愛想なくても優しい。だから、これからもずっと、いつまでも……傍にいてほしいなって思うわ」

 私は思いきってそう言った。
 しかし、ベルンハルトは何も答えない。

「……ねぇ、覚えてる? 初めて会ったあの日。ダンダに撃たれそうになった私を、足を払って助けてくれたわよね」

 すると、それまでは黙り続けていたベルンハルトが、ようやく口を開いた。

「そんなこともあったな」
「あの時は驚いたわ。だって、転倒させられたことなんてなかったんだもの」

 言っていると何だか笑えてきて、しまいに笑ってしまった。
 なにもかもが懐かしい。

 けれど——今でも鮮明に思い出せるわ。

 ベルンハルトとの出会い。

「あの時はすまなかった」
「あ! そんなつもりで言ったわけじゃないのよ! 私はただ……最初から助けられてばかりだったなって」

 もしあの時、彼に出会っていなかったら。もしあの場に、彼がいなかったら。恐らく私は、とうに生きていなかっただろう。きっと、こうして笑っている私は存在していなかったはずだ。

「それに、ベルンハルトに助けられたのは私だけじゃないわ。父さんもよ。貴方がいなかったら、星王家は終わっていたかもしれないわね」

 私も父親も命はなく、オルマリンはシュヴァルの手に落ちていたことだろう。

「それは大袈裟だ」
「大袈裟じゃないわ」
「いや、話を大きくしすぎだ」
「そんなことない!」

 むきになって、調子を強めてしまう。

「貴方の功績は大きいの!」
「それは思い込みだ」

 きっぱりと言われてしまった。
 これは切ない。

「……そうね。でも、思い込みだっていいじゃない」

 少し間を空けて、続ける。

「私にとっては、そうなんだから」

 その頃になって、ベルンハルトはようやく私の手首を離した。自由の身になった私は、数歩歩いてベッドに腰掛ける。

「それにね」

 ベッドの柔らかい触感に、心なしか癒やされた。

「死なないって言ってくれたのも、嬉しかったわ」

 ベルンハルトは私の顔を見つめたまま、微かに首を傾げる。

「そんな昔のことを掘り起こして、何を言いたいんだ」
「感謝。たくさん伝えたいの」

 彼はまだ「よく分からない」と言いたげな顔をしている。

「あの頃の私はね、失うことをただやみくもに恐れて、何もできなくなっていたの。新しい従者を雇うことさえ怖くて」

 もう懐かしい話だけれど……あの頃の私は、本当に何もできなかった。すべてを恐れ、部屋に引きこもっているだけで。

「でも、ベルンハルトは『僕は死なない』って断言してくれた。だから、勇気を持てたの」
「そうか」
「えぇ。貴方の強さが、私を救ってくれたわ」

 彼に出会わなかった世界。
 その場合の私。

 想像することは容易ではないが、きっと、今とは全然違っていただろうと思う。

「……正直なところを言うと、死ぬかもと思った時期もあったがな」

 ベルンハルトはそう発する。
 その言葉は、正直、少し意外なものだった。

「そうなの?」
「嘘はつかない」
「……そう」

 つい、少し俯いてしまう。
 そんなことをしても意味はないと、分かってはいるのに。

「そんな顔をしないでくれ。もう過ぎたことだ」

 ベルンハルトは淡々とした調子で述べる。

「貴女を護れて良かったと思っている」

 その言葉に、私は顔を上げる。

「ベルンハルト……!」

 するとベルンハルトは、ふっ、と笑みをこぼした。どちらかというと苦笑に近い笑みである。

「単純だな」
「へ?」
「悪い意味ではない。ただ、貴女は素直な人間だなと思っただけだ」

 単純と素直は同義だろうか……。

「そういうことなのね」
「あぁ。実に興味深い」
「何よ、それ!?」

 興味深い、なんて言われるとは想定していなかったため、衝撃を受けた。また、そのせいで声を大きくしてしまった。

 もっとも、悪い意味での衝撃ではないのでまだましだが。

「なぜそんなに驚く?」
「だって、興味深いなんて、未知の生物に対して言うようなことじゃない」
「そうだろうか。人間にも使うと思うが」

 まぁ、それはそうだけど……って、私たちは一体何の話をしているのかしら。

「そうね! そうよね!」
「急にどうした」
「ベルンハルトが言うなら、きっとそうなんだわ」
「何なんだ、その理由は……」

 穏やかな時間は好き。

 暗いことを考えずにいられる。世の闇を見ずにいられる。
 そんな瞬間が好き。

 できるなら、こんな何の意味もない時が永遠に続いていってほしい。そうすれば、ずっと幸せの中にあれるから。

「私、本当に良かった。貴方に会えて、共に過ごせて、良かったと思っているわ」

 改めて言うのは、少々気恥ずかしかった。
 だが、本心を偽ることはできない。本心は本心。それを変えることなんて、自分にだってできやしないのだ。

「そうか」

 だが。

 私は気恥ずかしい思いをしながら本心を述べたにもかかわらず、ベルンハルトの反応は非常に淡々としたものだった。

「ありがたいことだ」

 ——なぜそんなにも平然としていられるの?

 そんな風に思ったりした。

 無論、そこが彼の長所でもあるわけなのだが。

「ベルンハルトはさすがに冷静ね」
「冷静? そんなことはない」
「私からすれば、冷静すぎるくらいに見えるわよ?」

 すると彼は、普通にしていても鋭さのある凛々しい目を、大きく見開く。

「冷静すぎる、か。それは一種の問題かもしれない。だが……」
「え? あの、変な意味じゃないのよ!?」
「だが、どうすれば」
「べつに、貴方を否定したわけじゃないのよ!?」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.155 )
日時: 2019/03/25 21:24
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

152話 貴女と過ごす時間が

「否定したわけじゃない、か」

 ベルンハルトはぽつりと呟く。

 私は慌てていた。だから、おかしなことを言ってしまったかもしれない、と少し不安がある。彼に幻滅されたら、という思いも。

 でも、彼ならきっと大丈夫。受け入れてくれるだろう。
 今はそう信じられる。

 ベルンハルトは少々ひねくれてもいるが、悪い人間ではないと知っているから。

「迷惑でないならいいのだが」
「迷惑? まさか! そんなわけないじゃない!」
「そうだろうか」

 ベルンハルトは私を見つめてくる。
 その瞳は、揺れていた。

「そうよ! 頼りにしているわ」

 もしかしたら、彼も不安なのかもしれない。そう思ったから、私は言った。可能ならば、彼には安心してほしいのだ。

 ——だが、物事とはそう単純ではないようで。

「過剰な期待をしないでくれ。もちろんできることはするが、不可能もある」

 ベルンハルトは気まずそうな顔をしていた。

 頼りにしているという心を正直に伝えれば、彼を安心させられる。私はそう考えていた。が、少々短絡的過ぎたのかもしれない。

 信頼されていれば安心、というわけでもないようだ。
 人の心とは不思議である。

 ……いや、私があまりに知らないというだけなのかもしれないが。

「分かったわ、過剰な期待はしない。でも、過剰でなければいいわね?」

 するとベルンハルトは、数秒の沈黙の後。

「……そうだな」

 静かく小さな声で、独り言のように発した。
 さらに、少し空けて続ける。

「過剰でなければ、信頼されるのも悪くはない」

 彼の瞳に、ほんの僅かに暖色がさす。それはまるで、夜明けの空のよう。柔らかく、それでいて真っ直ぐな、胸を震わせるような色。

「今後も、僕にできることはすべてしよう」
「ベルンハルト……!」

 私はベッドの上。
 彼は最初に話していた場所。

 この距離感は、何とも言えない。

 私たちは、まるで心と心の間に一枚壁が建っているような距離にある。そのことは、私を、少し複雑な心境にさせる。

「ねぇ、ベルンハルト」

 もっと近くにいられればいいのに。触れられるような距離であればいいのに。
 つい、そんなことを考えてしまう。

 私は王女で、彼は従者。

 いやというくらい分かっているのに。

「もう少し、こっちへ来てちょうだい」
「なぜだ」

 ベルンハルトは眉を寄せた。
 今の彼の眉間には、凄まじい数のしわができている。

 そんな警戒心剥き出しな顔をしないでほしかった——はともかく、威嚇しているかのような迫力のある顔だ。

「……傍にいたいの」

 ただ、私は、それでももっと近くにありたくて。

「駄目……かしら」

 眉間に大量のしわを寄せられようと、警戒心剥き出しの顔をされようと、この心が変わることはない。
 どんな対応でも来い! という感じだ。

「イーダ王女。今日の貴女は少しおかしいように思うが、一体どうしたんだ」
「そうね。どうかしてるわ、私」

 その時、ベルンハルトはハッと何かに気づいたような顔をした。

「まさか、熱でもあるのか? ならば早めに手当てを——」

 彼はそんなことを言いながら、ベッドの方、つまり私の方へと、歩いてくる。

「ち、違うわ!」

 接近するよう頼んでおいてなんだが、いざ近づいてこられると怖くなった。

 否、怖くなったという表現は相応しくないかもしれない。
 だが、どのように対応すれば良いのか分からなくて混乱してしまっていることは確かだ。

「額、少し失礼する」

 傍らまで歩いてくると、彼は、私の額にそっと手のひらを当てた。

 頭から湯気が噴出しそうだ。

 しかしベルンハルトはというと、私の様子などまったく気にしていない。私の額に手を当て、ただ首を傾げるだけである。

「確かに、熱ではなさそうだな」
「そ、そうよ! 熱なんてないわ!」

 いきなり発熱するわけがないではないか。

「私は元気!」
「な。そうなのか」

 驚いた顔をされてしまった。

 心配してくれているのだから、敢えて文句を言うこともないのだろうが……。

「なら、様子がおかしかったのは一体何なんだ?」

 熱があって、体調が変だから様子もおかしい。ベルンハルトは、本気でそう思っていたようだ。

 そんなに気分が優れないならこちらから言うわよ、と、少々思ってしまう。

 だが、本来は嬉しいことのはずだ。
 ベルンハルトがこの身を案じてくれた。こんなありがたいことは、そうたくさんはない。

「それは多分……本心を言ったから」
「本心?」
「えぇ。きっとそう。本当のことを言ったからだわ」

 わけが分からない、というような顔をするベルンハルト。

「本心を、本当のことを言ったら、おかしな言動になるものなのか?」
「それは、その……誰でもってわけじゃないわ」

 裏表のない者なら、隠している部分のない者なら、そうはならないだろう。

「ただ、私がそうだっただけよ」

 するとベルンハルトは、奇妙なものを見たかのような顔つきになる。

「そうなのか。僕にはよく分からないが、取り敢えず、体調不良ではないのだな?」

 ベルンハルトの問いに、私は「大丈夫よ」と答えた。すると彼は、ほんのりと笑みをこぼして、「なら良かった」と言う。

 彼の安堵の笑みは、私の心を掴んで離さない。
 無表情寄りの傾向がある彼だからこそ、その笑みには威力がある。希少価値、というやつだ。

「心配してくれてありがとう」

 それから私は、ベッドを手でぽんぽんと叩く。

「座って?」
「なぜだ」
「お願い。ベルンハルト」

 すると彼は、困った顔をしながらも、私のすぐ隣に座ってくれた。

「これでいいのか」

 ベルンハルトは非常に気まずそうな目つきをしている。
 私と隣同士で座る。ただそれだけのことなのに、そんなに気まずいのだろうか。彼の感性は、たまに、よく分からない時がある。

「……こういうのは嫌?」

 思いきって尋ねてみた。

 その問いに、ベルンハルトはすぐには答えなかったーーが、数十秒ほどが経過した後、彼は小ぶりに口を開く。

「嫌ではない」

 ここには、私と彼だけ。それ以外に人はいない。音もほとんどない。ただ、時間だけがゆっくりと過ぎてゆく。

「貴女と過ごす時間が、嫌なわけがない」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.156 )
日時: 2019/03/25 21:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

153話 あの春はいつだって蘇る

 嫌なわけがない。
 ベルンハルトはそう言って、ほんの少し笑みを浮かべた。

 私にとっては、何より嬉しい言葉だ。

「だが、間違えるなよ」

 ぽつりと呟くベルンハルト。

「……え?」
「僕はネージア人だ」

 彼が言わんとしていることを、私は理解できなかった。否、理解できないどころか、察することさえできなかった。何とか掴もうにも、説明が不足している。

「貴女に相応しい人間ではない」

 彼はきっぱりと告げた。

「そんなことない。ベルンハルト、それは勘違いよ」
「いや、事実だ」
「あり得ないわ、そんなこと。もし仮に、私が貴方に相応しくないということはあったとしても、その逆は絶対にない!」

 つい必死になってしまう。

 ベルンハルトが私に相応しくないなんてことは、絶対にない!

 それを訴えたくて。

「アスターさんだって言っていたわ! 相応しいって!」
「……アスター、だと?」
「彼は私に、ベルンハルトのこと、『君の相手に相応しいと思うよ』って言ってくれた!」

 私が思い込んでいるだけじゃない。アスターだって、私と同じように感じている。だからこそ、自信を持って言えるのだ。

 そんな風に自信に満ちていた私に対し、ベルンハルトは尋ねてくる。

「待て、イーダ王女。アスターがそんなことを言ったのか?」

 ……あ。

「先ほどの別れていた時か? だが、貴女は僕の話をしたなどと言ってはいなかった。一体どうなっている?」

 アスターのことは言うべきでなかったかもしれない。が、時既に遅し。今さら「なーんてね! 想像でーす!」なんて言って適当にごまかすことはできないだろう。一度発してしまったのだ、もはやどうしようもない。

「そ……そう」

 こうなれば仕方ない。

 もう逃げない! この際はっきり真実を話す!

 ……何を当たり前のことを、と笑われてしまいそうだが。

「さっき、実はね、少し話したの」
「アスターと、か」
「そう。ベルンハルトのことについて」

 怪訝な顔をするベルンハルト。

「なるほど。だが、それならなぜ、先ほど聞いた時には言わなかったんだ」

 こういう質問が来るだろうとは予想していた。
 予想してはいたのだけれど——やはり、喉元が強張る。

「か、隠そうとか……そんなつもりはなかったの……」

 責められているわけではないのだから、恐れを抱く必要なんてないのだ。忘れでもしていたかのように振る舞えばいいだけのこと。

 しかし、力んでしまう。
 顔に、喉に、変な力が入ってしまって、日頃のようには振る舞えない。

「悪意があってのことだろうと疑っているわけではない。が、あの時に敢えて言わなかった理由が気になる」

 ベルンハルトの真っ直ぐな視線が、今は少し痛い。

「ただ……恥ずかしくて」
「恥ずかしい、だと? 何がどうなっているんだ」
「……私にとっては恥ずかしかったの。アスターさんがベルンハルトを良く言ってくれたこと自体は嬉しかったけれど」

 普通とても成り立たないような、滅茶苦茶なことを言ってしまった。が、それが真実だから仕方ない。

「言わなかったことは謝るわ。ごめんなさい。でも勘違いしないで! 悪意があってしたわけじゃないの。ただ、軽い気持ちで——え?」

 言いかけて、途中で止める。
 隣に座っていたベルンハルトが、私の手を握ってきたからだ。

「分かった」
「え、あの……」

 今や私には戸惑いしかない。

「特に深い意味はないということだな」

 ベルンハルトの凛々しい双眸が、私をじっと捉える。その眼差しは真っ直ぐで、しかしながら、どこか柔らかさもあるものだった。

「え、えぇ。そうよ。別段これといった理由があったわけじゃないの。少し恥ずかしかっただけ」

 平静を保つよう努めつつ、答えた。

 すると彼は、一度瞼を下ろす。そして、三秒ほど経ってから、再び目を開いた。彼の双眸は、やはり私を捉えている。

「そうか。色々質問してしまって、すまなかった」

 いきなりの謝罪。
 私は慌てて、開いた両手を胸の前で振ろうとする——が、手を握られているためそれはできなかった。


 その時。
 誰かが扉をノックした。

 ノック音に反応し、ベルンハルトはすぐに動く。私の手から手を離し、ベッドから立ち上がる。

 直後、扉が開いた。

「イーダぁ!」

 現れたのは、父親。
 これはまた賑やかになりそうである。

「父さん。どうかした?」
「次の誕生日のことなんだがなぁ!」

 ——誕生日。

 その言葉が、胸にぐさりと突き刺さる。
 忘れもしない。あの春の、忌々しい記憶。多くのものが奪われた、あの日。思い出したくもないけれど、消えはしない。

「……誕生日? もう?」
「まだ少し先にはなるがなぁ、盛大に祝おうと思うんだぁ!」

 父親の目に曇りはない。

 彼は忘れてしまったのだろうか。前の春、何があったかを。

「どうだぁ? イーダぁ?」
「そうね……でも、盛大に、なんて困るわ」
「えぇぇ。何でなんだよぅ」
「思い出すから嫌なの」

 熱心に考えてくれている者に対して冷たい態度をとるというのは、あまり気が進まない。申し訳ない気がして。しかし、胸の奥に刻まれた暗い記憶は、そう簡単に消えるものではない。日頃は消えたように感じていたとしても、何かきっかけがあればすぐに蘇るものだ。

「……イーダ」
「ごめんなさい。でも、本当に、盛り上がる気にはなれないの」

 楽しくすればいい。
 盛り上がればいい。

 そうすれば、きっと楽しいだろうし。

 私だって、そう思わないことはない。過去に囚われることに意味などないのだと、分かってはいる。

 けれど、無理なのだ。
 私はそんなに強い人間ではない。

「ごめんなさい、父さん。せっかく考えてくれたの……っ!?」

 申し訳ない気持ちでいっぱいになっている私を、父親は急に抱き締めてきた。

「そうか、そうだったんだなぁ……すまん! 父さんが悪かったぁっ!!」

 ベルンハルトの目の前で父親に抱き締められる、というのは何とも言えない心境だ。ベルンハルトにどう思われているだろう、なんて、ついつい考えてしまう。

「なら、親しい仲間だけで誕生日会を開こう!!」
「……し、親しい仲間?」
「ベルンハルトとか、リンディアとかアスターとかなら、イーダも平気だろぅ!?」

 父親は配慮してくれたようだ。

「えぇ、その方がありがたいわ。って、あれ? 父さんは?」
「もちろん参加するぅ! まさか、嫌なのかぁ!?」
「まさか。嫌なわけがないじゃない。……ただ、ベタベタされるのは嫌だけど」

 妙に絡まれるのが嫌なだけで、父親自体が嫌というわけではない。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.157 )
日時: 2019/03/25 21:26
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

154話 平穏でない平穏?

 そんなことを話していると、カッタッタがノックもせずに駆け込んできた。

「失礼しまーっす!」

 声は大きく、しかもはきはきとした挨拶。考えようによっては、良いことなのかもしれない。捉え方によっては、礼儀正しい、と言えないこともない。

 が、ノックもせずいきなり入ってくるというのは、挨拶以前の問題ではないだろうか。

 いや、百歩譲ってノックはしなくてもいいとしても、せめてゆっくりと扉を開けるようには意識してもらいたかった。

 今は話をしているだけだったから良かったが、もしこれが着替えているタイミングであったりしたら。そんなことになったら、困ってしまう。それに、もし扉の付近にいる時だったら、ぶつかっていたかもしれない。
 何の前触れもなく勢いよく入ってくるというのは、非常に危険な行為である。

 だが父親は、そういったところには触れなかった。

「おぉ! カッタッタ!」
「ここにいらっしゃったんですね!」
「そうだぞぅ。イーダとお喋りしていたんだぁ!」

 父親は何やら楽しげ。
 元気そうな調子で、勢いよく言葉を発している。

 私は何とも言えない気分になりつつ、近くのベルンハルトを一瞥する。

 予想通り、彼は眉を寄せていた。口元も、渋柿を食べてしまったかのような状態になっていて、不快感を抱いていることがよく分かる。

 私とて、何でもかんでも指摘する気はない。
 が、こんな登場の仕方はさすがに問題と言わざるを得ない。

「待て、カッタッタ。イーダ王女の部屋へいきなり入ってくるのは失礼だろう」

 数秒後、ベルンハルトが発した。

 彼と私はまったく同じ考えのようだ。

 今回は完全に彼の発言の味方をしたい。というのも、ベルンハルトの発言は、私の心を見事に表現してくれていたのである。

「なーに言ってんだぁ? ベルンハルト。硬すぎだぞぅ!」
「父親として、問題とは思わないのか」
「どういうことだぁ?」

 カッタッタの行いを欠片も問題視しない父親に対し、鋭い言葉を投げるベルンハルト。

「イーダ王女の自室に男が勝手に入る。貴方は父親として、そんなことを許せるのか」

 ベルンハルトの厳しい発言。
 それまで楽観的だった父親が、急に黙る。

 ここにきてまさかの沈黙。

 カッタッタの行動が問題になっているだけで、厳密には私はあまり関係がない。だが、沈黙の気まずさは私も感じる。いや、むしろ、私が一番気まずさを感じているような気さえする。

「そ、そ、それは許せんっ!!」
「ならば注意しろ」
「カッタッタに……か?」
「そうだ」

 ベルンハルトの顔は真面目そのもの。
 少々厳しいような気もするが、星王に対してでも臆することなく意見を言えるところは尊敬だ。

 ……前にもこんなことを考えたような気がするが。

「きちんと見張っておくべきだ」
「いや、だがなぁ、カッタッタがそんなことをするとは思えないんだが——」
「その油断が、シュヴァルにあそこまでさせたんだ」

 きっぱり言い放つベルンハルト。
 その目つきは、ナイフの刃のように鋭い。まるで、敵を見るかのような目つきだ。

「な! そんな言い方ないだろぅ!」

 珍しく、調子を強める父親。

「事実だ」
「シュヴァルの裏切りを、俺のせいにするのかぁ!?」
「そうではない。最も悪いのはあいつだ。だが、貴方が気づかないふりを続けたがために襲撃回数が増えたことは確か」

 ベルンハルトは、冷静に言い続ける。
 今の彼に躊躇いという文字はない。

「もっと早く対応していたなら、ここまではならなかったはずだ」
「な! 責任を他人に押し付けるなよぅ!」

 父親は、握った両の拳を、胸の前で上下に振る。
 珍妙な動きだ。

「貴方はイーダを愛しているような言動をしてはいる。しかし、僕にはそれが心からであるようには感じられない。行動が伴っていない」

 カッタッタの件から、いつの間にか話が変わっている。ずれている、と言うべきだろうか。

 とにかく、話が変化してしまっている。

「ベルンハルト、ちょっと、落ち着いて」

 これ以上気まずくなるのは嫌なので、取り敢えず制止することにした。

「僕は元より、疑問に思っていたんだ。なぜ、イーダ王女の言葉を真剣に聞かないのかが」
「今はそういう話じゃないでしょう?」
「それはそうだが……」
「私の言葉なんていいの。ね、ベルンハルト。解決したことはもういいじゃない」

 すると、ベルンハルトは口を閉じた。

「考えてくれたことは嬉しいわ。ありがとう」
「……礼を言われるようなことはしていない」
「ふふ。貴方はそういうことが自然とできる人なのね」

 そこへ。

「うおっ! いい感じだな!」

 カッタッタが口を挟んできた。
 雰囲気を切り替える、という意味では、ナイスタイミングだ。

「ベルンハルト! 王女さんと、いつの間にこんなに進展したんだ!?」

 しかし、若干面倒臭そうな感じでもある。

「何を言うの? 元から仲良しだったわよ」
「いやいや! 王女さん、それはないでしょ! 明らかに変わってるじゃないですか!」

 やはり面倒臭そうだ。

 カッタッタは悪人ではない。が、少々面倒臭いところがある。

 もっとも、助けてもらった私には文句を言う権利などないが。

「そう?」
「どう見てもそうですよ!」

 私とベルンハルトは、色々なことに巻き込まれ、様々な経験をしてきた。だから、その中で絆が育まれていたとしても、おかしな話ではない。

「何を言っている、カッタッタ」
「ベルンハルト? 何だ?」
「イーダ王女を困らせるな」
「……は? 事実を言っただけだろ!」

 睨み合う、ベルンハルトとカッタッタ。

 ここにきて、気まずい空気。
 なぜいちいちこういうことになるのだろう。

「余計なことを言うな」
「あ! もしかして、照れてるのか!?」

 カッタッタは茶化す。
 それに対し、ベルンハルトは強く言い返す。

「待て! おかしいだろう! なぜそんな話になる!」

 どうしてこうなった。
 そう言いたいくらいの、どうしようもない状況だ。

 こうして言い合っていられるのも、平和になったから。そういう意味では悪いことではないのかもしれないが。

「……それはさておき。聞いてくれ、ベルンハルト!」

 突然話を変えるカッタッタ。

「さておき、ではないだろう」
「いや、話を止めるなよ! 友だろ!?」
「友ではない。それゆえ、話を止める」
「ちょ! 酷いだろ、それ!」

 カッタッタは何か話したいことがあるようだ。しかし、ベルンハルトに制止され、なかなか話し出せないようである。

 だが、このままでは話が進まない。

 なので私は口を挟んだ。

「カッタッタ、何か話があるの?」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.158 )
日時: 2019/03/25 21:27
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

155話 たとえ未練があったとしても

 私が問うと、カッタッタは瞳を輝かせながら話し出す。

「俺、星王様に仕える中で一番偉い地位になったんだ!」

 詳しいことまでは不明だが、恐らく、シュヴァル絡みで再編でもあったのだろう。そして、カッタッタが父親に一番近い位置についた、といったところだろうか。

「そうだったの?」
「シュヴァルと繋がりがあったことが分かった先輩が何人かいたので!」

 カッタッタはウインク。
 なんてお茶目。

「な。そうだったのか」

 驚きを露わにしつつ口を開いたのは、ベルンハルト。
 彼の瞳は、微かに揺れていた。

「では、あの時お前が僕を相手に選んだのも、意図してだったのか? イーダ王女の関係者である僕を叩き潰すために?」

 ベルンハルトはカッタッタのことさえも警戒しているようだ。
 警戒心が強いというのも、良いような悪いような、である。

「まさか! それはない!」
「……本当か?」
「そう、あれは偶々! それは絶対だ! 誓える!」

 カッタッタは懸命に訴える。
 嘘をついているとは、とても思えない。

「ベルンハルト。疑ってばかりも良くないわ」
「……イーダ王女」
「彼はきっと、嘘なんて言っていないわ」

 本当は口を挟むべきではないのかもしれない、と思いながらも、私は口を挟んだ。また言い合いが始まったら困るからである。

「ね?」

 するとベルンハルトは、唇を結び、視線を私からずらす。そのまま五秒ほど黙った。そしてその後、小さく発する。

「……貴方がそう言うなら」

 そこへ大きな声を挟んでくるのはカッタッタ。

「王女さんナイスゥ!!」

 急にハイテンション。
 その勢いといったら、理性を失った酔っ払いのよう。

「助かったァ!!」
「え、えぇ……」

 反応に困ったため、取り敢えず苦笑いしておいた。
 それから私は視線を動かし、父親へ目を向ける。

「新しい側近ができて良かったわね」

 だが、返答はない。
 父親はぼんやりしているようだ。

「……父さん? 父さん!」

 少し調子を強めると、それまではぼんやりしていた父親が、急にくるりとこちらを向いた。

「何だぁ? イーダ」

 妙に笑顔で気持ち悪い。

「ぼんやりしていたわね」
「すまん!」
「ま、べつにいいわ。それより、新しい側近ができて良かったわね」

 先ほど言ったことだが、聞いていなかったものと思われるため、もう一度言っておく。

「新しい側近?」
「カッタッタよ」
「あぁ、そういうことかぁ……」

 父親は何やら浮かない顔。

「父さん、どうしたの? 嬉しくないの?」

 シュヴァルはいなくなってしまった。が、その代わりとなるかもしれない存在が現れたのだ。それは多分、嫌なことではないはず。特に星王という立場にある父親にとっては、相談できる相手がいることは何よりありがたいことのはずなのだ。

 なのに、父親は嬉しくなさそうな顔をしている。

 私には彼の心が分からない。父娘の関係であっても、どうも理解できない。

「……嬉しいぞぅ」
「ならどうしてそんな顔をしているのよ」
「もちろん嬉しい。が……シュヴァルの代わりにはならないんだぁ……」

 本当はまだ未練があるのかもしれない。父親の顔つきを見ていると、ふとそんな風に思った。

 だが、無理もない。
 あれだけ頼りきっていた人間がいなくなったのだから。

「って、あ! ち、違!」

 父親は、目を見開き、慌てたように首を左右に動かす。

「すまんイーダ! あんなやつのことを言ったりしてぇ!」

 今にも泣き出しそうな父親に対し、私は小さく述べる。

「……いいのよ、父さん」

 この言葉に偽りはない。

 頼っていた人がいなくなったら、誰だって、しばらくは喪失感を覚えるだろう。たとえ、いなくなった原因が、その人が罪を犯したからであったとしても。

「誰だって、本音を漏らしたい時はあるわ」

 そう言って笑う。
 すると父親は、瞳に涙の粒を浮かべる。

 ——直後。

「イーダあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 父親は抱きついてきた。

 薄々予感してはいたものの、まさかそれが現実になるとは思っていなかったため、正直驚きだった。

「ありがとうぅぅぅぅ!!」
「と、父さん……」

 苦しいから離してほしい。
 本当のところを言うなら、そんな気分だ。

 でも、今は本心を言おうとは思わなかった。

 彼はこんな性格だが、悪人ではない。それに、私を育ててきてくれた。私が弱っていた時も、常に気にしてくれていて。ベルンハルトと出会うことができたのだって、彼の計らいのおかげだ。

 だから。

 たまには好きにさせてあげても問題はないだろう。

「可愛いぃぃぃぃぃぃ!!」

 父親が叫ぶ。

 ……鼓膜が破れるかと思った。

「それは止めて、父さん。さすがに耳が痛いわ」
「好きだぁぁぁぁ!」

 耳元で、しかも驚くべき大きさで叫ばれ、耳どころか頭まで痛い。震動が凄まじい。

「や、止めて! さすがにうるさいわ」
「な! 何でだあぁぁぁ!?」

 ベルンハルトを一瞥する。

 彼は呆れに満ちた表情をしていた。

 できるなら、助けてほしい。だが、ベルンハルトは助けてくれそうにない。恐らくは、いつものことだから、とでも考えているのだろう。

「耳が痛いの!」
「嘘だろぅぅぅっ!? 可愛いイーダがそんなことを言うわけがないッ!!」

 何なんだ、この人は。
 今、無性にそう言いたい。

 そもそも、いくら実の娘相手だとはいえ、いきなり抱き締めるなんておかしいだろう。しかも、抱き締めたうえに騒ぐ。もはや謎でしかない。さらに、平気で「可愛いイーダ」なんて言ってのける。

 父親の言動は、私には到底理解できそうにない。

「止めて、本当に」
「何でだぁ……!」
「うるさいからよ。耳が痛いの」
「酷いぞぅぅぅぅ!」
「……まったく」

 基本的には善良。素直で真っ直ぐ。

 だから嫌いというわけではないのだけれど。

 ただ、騒ぎ出すと収拾がつかなくなる。そこだけは、父親の悪いところだ。私は今まで、それに何度も振り回されてきた。

「ふっ。仲良しだな、イーダ王女」
「ベルンハルト! 見ていないで助けて!」

 でも、こうして呑気に騒いでいられるようになったこと自体は、悪いことではない

「助けてだってぇ!? 何を言っているんだぁぁぁ!」
「父さんは黙ってちょうだい!」

 騒がしいのは苦手で。
 だけど、平和に過ごせる時間は好き。

 そういう意味では、今みたいなこんな時間も、悪くはないのかもしれない。そう思わないこともなかった。

 もっとも、父親が叫ぶと耳が痛いけれど。