複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.103 )
日時: 2019/03/12 07:08
名前: 燐音 (ID: XyK12djH)

第二章 風吹きて


 叙勲式の日の夜、エリエル騎士団の本部となっている宿舎ではささやかな岩井が催されていた。体裁としてはシャラのハイロード位を祝うためであるが、実のところ、激戦を潜り抜け疲れの見え始めた部下達を労うための宴であった。
 トゥリア帝国の進軍に晒され、食うや食わずの生活を続ける民も多い。それはわかっていたが、今日だけは兵達のためそれを忘れようと決心し、軍費から宴の費用をひねり出した。

「公女〜!おめれとうございあすぅ〜」

 会場は一階の大食堂だった。
 シャラはいつも一人執務室で食事をとっているのでこの食堂に足を運んだのは初めての事だった。よく手入れされた絨毯が敷き詰められ、四人掛けのテーブルがいくつも置かれている。今日は立食形式なのでテーブルだけで椅子は部屋の角にどけられ、机上には美味しそうな料理の数々が山のように盛られていた。
 宴が始まってそれほど時間は経っていなかったが、既にスコルは出来上がっていた。片手にブリタニアワイン。もう片方に料理の数々を山盛りにした皿を抱え、歩き回りながらあちこちに出没している。
 シャラに挨拶に来たかと思えば、ユミルやシルガルナなどと豪快に飲み比べに興じる。そしてスコルの女癖の悪さがさらに悪化し、セレスやヒルダに軽口をたたいていると、ハティがそれを拳骨で止める。
 エルはラルと共にはしゃいで他の騎士達と何かしゃべっているし、クリスとナハトとフィアンナも何か会話をしているのか、ナハトも珍しく笑みを浮かべていた。ミタマはルァシーに食器の持ち方を教わりながらぎこちなく料理を口に運び、シャノンは料理を箱に詰めていた。ワルターがそれを止めているようだが。シャルレーヌはスピネルとタマヨリヒメにミズチ国の事を聞いているのか、シャルレーヌが興味津々に頷いていた。エドワードとアスランは物静かに料理を味わっていたが、酒が回ると普段の愚痴をこぼし始めていた。
 他の部下達も、騎士と一兵卒、正規軍と傭兵隊の区別なく酒を酌み交わし料理を味わっている。
 酒の匂いと肉料理の脂の匂いが混じり合い会場を充たした。
 少し気分がよくなってきたのか、ラクシュミが楽器を取り出すと歌いだし、それに合わせて誰かが共に歌い踊りだした。
 そんな中、リオンはラクシュミが楽しそうに歌っているのを見て、普段無表情だが心なしか微笑んでいるようにも見えた。
 そんな宴を、主役であるはずのシャラは一人壁際にもたれかかり眺めていた。宴の始まりに簡単な挨拶をした後は、すぐに壁際に移動し少しずつ盃を口元に運んでいた。
 考えていたのはこれからの事だ。
 民の為に戦うと誓った。しかし具体的に何をすればいいのか、シャラはまだそれを見いだせずにいた。このまま戦えばいいのか。しかしトゥリア帝国の力は圧倒的だ。
 ただ命じられるままに闘い続けるだけでは状況は変わらない。
 しかもエリエル騎士団はもはや王の為だけに戦う事をしないと決意したのだ。唯々諾々と戦い続けるだけでは、無駄に部下を危険に晒すだけになる。それは避けなければならない。だとすれば、一体どうすればいいのだろう。
 シャラは口に運びかけた盃を途中で止め、小さく嘆息を漏らした。

「シャラ様」

 見るとはなしに食堂の中心を見ていたシャラの右から、不意に声がかけられた。普段あまり聞くことのない、冷静さのあるこの声の正体は……

「イグニス?」

 イグニスは片手に料理を盛りつけた皿を持って、シャラを見下ろしている。相変わらず不愛想な顔で、シャラを見つめていた。

「シャラ様、主役の癖になんでそんな思いつめた顔してんですか」

 シャラは思わず盃に入っているワインをぐいっと飲み干す。

「そ、そんな顔はしてないですよ、ほら、ちゃんと飲んでますし……」

 笑いながらシャラは自分の手にある盃を示した。

「いーや、全然楽しんでいないね。ほら、ナハトだって普段強面なのに今日は撫でられた子犬みたいな顔してますよ」

 イグニスは談笑しているナハトを指示しながら、片手に持っていた瓶のコルクを器用に親指で抜き、シャラの盃に強引に新たなワインを注いだ。

「わっ、こぼれちゃう!」

 慌てて盃を安定させる。ワインは盃の縁ギリギリまで注ぎ足され、波打っていた。

「どうしたんですか? 私の事はいいですから、イグニスこそ楽しんできてきたらどうですか?」

 盃を揺らさないように両手で支えるシャラに、イグニスはしかめっ面を見せる。

「……今日は、戦場に散っていった仲間のために、戦いを忘れて楽しもうって言ったじゃないですか。だけど公女は最初に挨拶した後、すぐに壁にもたれかかって皆と楽しもうとしない。……楽しくないんですか?」
「た、楽しくないんじゃないですよ! ただ……」
「ただ?」

 シャラはふうっとため息をついてうつむいた。

「これからの事を考えていたんです。私はどう戦っていけばいいのか、どこに行けばいいのか。そう考えていたんです」

 イグニスは「そんな事か」とため息交じりに呟いて視線を逸らす。

「いいですかシャラ様。今日のこの時間はそんな事を忘れろって言ってんですよ」
「そ、そんな事って——」
「そんな事ですよ。シャラ様がそんな顔だったら、せっかくの美味しい料理が不味くなりますよ」

 イグニスは瓶を足元に置いて、シャラの口に料理を突っ込む。驚いてシャラは口をもごもごさせる。その顔が可笑しくてついイグニスは吹き出して笑った。

「わ、笑う事ないじゃないですかっ!」

 シャラは怒って仕返しとばかりにイグニスの口に料理を突っ込んだ。イグニスは思わず驚いて目を見開く。シャラはその顔を見て耐えきれずに笑ってしまった。

「やっぱシャラ様は笑顔が似合いますね」

 イグニスはシャラの笑顔を見て頷いた。

「……でもひどいです。急に料理を口に突っ込むんですから」
「そうでもしないとシャラ様、ず〜〜〜〜〜っと仏頂面で終わるところでしたよ」
「ふふっ」

 シャラはイグニスの言葉に小さく吹き出して笑う。

「わかりました。今日は私も戦いを忘れて楽しみます、これでいいですよねイグニス」
「もちろん」

 シャラの言葉にイグニスは頷いた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.104 )
日時: 2019/03/16 00:40
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 宴の数日後。シャラはイース王城の会議室で開かれている定例会議に出席していた。
 会議はイース王国をめぐる状況を議長であるリデルフが説明した後、各戦線の責任者がそれぞれの細かな戦況を報告する流れになっていた。

「現状でディーネ公国は完全に敵の手に渡った。その上、帝国は三万もの軍勢をグランパス要塞に派遣し、橋の復旧と共にイース王国に総攻撃を仕掛けると考えられる」

 リデルフが壁に張り出された地図を指すための指し棒を悔しそうに握りしめる。
 東部戦線は完全に崩壊した。現在は各国に戻り籠城を続けているという。
 東部諸国同盟と戦っていた帝国西部軍はディーネ、エリエルに侵入し、そこでイース王国侵攻の準備を整えているという。

「では、デザイト方面軍の報告はイスラフィル公子からお願いする」

 リデルフが名指しすると、それまで席についていたイスラフィルが小さく頷いて立ち上がる。

「現在、我々は五千の軍勢を率いてデザイトの公都であるルクを奪還するべく進軍している。だが途中にあるハルト砦に手を焼いている状況だ」

 確かに、当初の予定ではもうルクを落とすか、少なくとも公都を目の前にする位置まで軍を進めているはずだった。
 ブリタニアから単純な距離だけでいえば、ハルト砦は公都ルクまでの道の中間地点に存在する。つまり、知勇を兼ね揃えたイスラフィルが五千もの軍を率いて、まだ予定の半分しか消化できていないのだ。

「現在、無駄な消耗を避けるためにハルト砦自体には攻撃を控え、周辺の掌握に努めている」
「補給を断つつもりか?」

 どのような堅牢な砦であろうと、中に人間がいる限り補給が必要となる。正面から武力で砦を落とせないなら補給を断ち枯渇させてから降伏を迫る。直接戦うにしても、物資が乏しくなった後なら士気も落ちるだろう。そうなれば手を焼かされている今の結果もおのずと変わってくる。

「だが、時間がない」

 時間とは、トゥリア帝国がイース王国に全面攻撃を仕掛けてくるまでの時間の事だ。

「この方法を続ければ確実に砦を落とす事ができる。しかし……」

 ハルト砦を落とし、ルクを取り戻すまでにイースは攻め落とされる。そうなればイース同盟の敗北だ。トゥリア帝国がイースを攻めるまでに、デザイトを取り戻しその勢力を戦場に持ってこられなければ、イース同盟は万に一つも生き残れない。

「誰か考えがある者はいないか? どんなものでもいい! どんな型破りな提案でもいいのだ! 何かあれば、私がそれを実現してみせる!」

 会議室の机をたたいて訴えるイスラフィルに、しかし誰もが沈黙を守った。ただ一人、シャラを除いては。

「イスラフィル公子。ハルト砦に裏口は存在しますか?」
「無論だ」
「では、私達エリエル騎士団が秘密裏に公子の軍と合流し、ハルト砦の裏より忍び込みましょう」

 イスラフィルは顎を撫でながらしばらく考え込んだ。自分でも頭の中で計算を立てているのだろう。
 そしてしばらくの沈黙の後、「うむ」と頷いた。

「なるほど、いい加減、敵は我らの戦力がどれだけあるか知っているだろう。我々は五千。正面から五千が攻めていけば、敵はこちらが全力で攻め込んだと思い裏口が手薄になる、か……。だがシャラ公女。裏口は私に任せてもらおう」
「ですが……」

 シャラは言い淀む。裏口からの隊は危険だ。うまくこちらの策に乗ってくれればいい。しかしそうでなければ敵に囲まれてしまう。だからこそ、シャラは自分で裏口を受け持ちたかったのだ。

「いや、ハルトの裏口は口で教えるのは難しい。それにあの砦を指揮している者には心当たりがある。私の勘が当たっていれば、どうにか説得できるかもしれない」
「そう、ですか。そうであれば正面からの攻めはお任せください」
「うむ。シャラ公女も、残りの軍の指揮をよろしくお願いしたい」

 そう、イスラフィルが少数の人員を引き連れ裏口を攻める。残る多くの部下達は、代わりにシャラが指揮する事になるのだ。

「わかりました。若輩者ではありますが、イスラフィル公子の代わりを務められるように努力いたします」
「なに、公女なら大丈夫だ。しばらくの間、戦線を持たせてくれればそれでいい。よろしく頼む」

 会議はその後、細かな手筈を打ち合わせて終わった。
 これが次に進むべき道なのか、あるいはこの戦いでそれが発見できるのか、シャラはまだ道を見つける事ができないまま新たな戦いへと赴くのである。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.105 )
日時: 2019/03/12 23:34
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 風がブリタニアの街がよく見える丘の上を吹いている。風が整った白い髪を撫でるように、穏やかな風だ。少女はそこに立っていた。
 白装束を着込み赤いローブを羽織る、よく晴れた蒼天のような蒼い瞳を持つ少女だった。

「ふう、ようやくたどり着いたな。あそこが王都ブリタニアってとこかな?」

 少女は誰かに話しかけているかのように、風に語り掛ける。その声は凛としていてはっきりとしている。
 風は返事をするかのようにつむじ風が舞う。不思議な事に、そのつむじ風から一人の青年がどこからともなく現れた。
 褐色肌を持ち、橙色の目立つ短髪が風で揺れている。顔には赤い模様が描かれ、肩を出した薄い上衣、腕にも顔と同じく赤い模様が描かれていた。その青年は普通の人間には持っていないものを持っている。それは背中から生えているまるで鳥のような大きな翼だ。

「そうだよ「カンナ」。あそこがイース同盟の最後の砦……ん? なんかすっごい強い力を持った存在が王の近くにいるようだな」
「ああ、大精霊様の言う通りなら……恐らく近いうちに王は身近にいて、しかもとても信頼している人物に殺される事になるだろう」

 カンナの言葉に青年は二回頷いた。そして目を凝らして街を見る。

「カンナ、あの街は気を付けた方がいいぞぉ。幾人か帝国軍が混じってるみたいだ」
「やはりか……この事を誰かに伝えなきゃいけないんだが……」

 カンナは腕を組んでうーんっと唸る。
 すると、青年は瞳を閉じて手をかざしてみた。そして、しばらくした後に瞳を開け、指をさす。

「あそこに魔女がいるみたい、俺の魔力を感知して手招きしてくれてるぞ」
「相変わらず君は本当に便利な精霊だね」

 カンナは青年に笑いかける。青年も釣られて笑みを浮かべ、再び腕を組んだ。

「当然、なんてったって風の精霊「ゼフィロス」様だぞ」
「まあ、それはいいや。その魔女さんとやらにこの事を伝えて、協力してもらうよう頼みに行こう」
「オッケー!」

 カンナの言葉に手を振り上げて叫ぶゼフィロス。カンナはふうっとため息をついて、ブリタニアの街に向かって一歩歩み出した。風がそれを後押しするように吹き、二人を見送った。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.106 )
日時: 2019/03/13 19:49
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 ハルト砦直前の平原に、デザイト方面軍の宿営地はあった。
 行軍時、町や村で宿を借りられない場合、このようにテントを張って宿営地を作るのがふつうであった。特に今回のような城攻めや砦攻めでは、長期間同じ場所で足止めを喰らう場合が多く、宿営地の果たす役割は大きい。
 戦闘に巻き込まれる事が少ないので戦闘力の低い補給隊はここで待機しているのが普通で、また本国の文官が視察に訪れる場合なども、実際には戦場までは行かずこの場で前線からの報告を聞いて状況を把握する事が多かった
 デザイト方面軍の宿営地はシャラが見たこともないような大きなものだった。
 数え切れないほどのテントが林立し、木の杭を地面に突き立てるだけの簡単なものながら、防壁を備え、兵営地の入り口にいるシャラからではその果てがよく見えなかった。
 そして宿営地のすぐ外に兵達が直立姿勢のまま待機していた。その数、約五千。一部の偵察隊や伝令兵を除いて、デザイト方面軍の全てがここに集まっている。彼らが待っていたのは王都に向かったイスラフィルである。彼が一進一退の状況を覆す術を持ち帰るのを待っていたのだ。
 五千の兵の前に、にわかに演台が築かれその上にイスラフィルが登った。
 兵達の目が一斉に彼に注がれ、だがイスラフィルは身じろぎもせず兵達の視線を浴び、受け止めていた。

「皆、よく聞け。我々の使命はデザイトを解放し、デザイト軍に再びイース同盟の先陣を飾らせることである!」

 イスラフィルのよく通る声が草原に響き渡る。

「我々の責任は大きい。この使命が果たされるか否かによって、イース同盟の命運が決すると言っても過言ではないだろう。だが目下、我々は苦戦を強いられている。このハルト砦が立ちはだかっているせいだ。だが、私は王都よりハルト砦を陥落させる秘策を持って戻って来た!」

 兵達が歓声を上げる。
 デザイト方面軍には、イスラフィルを慕って降伏してきたデザイトの人間も多く含まれている。つまり郷土を同じくする者同士が戦い合っているのだ。心身ともに疲弊しているだろう。だが兵達の士気は高かった。皆、しっかりと目に力が宿っている。

「さあ、シャラ公女」

 演台の下で聞いていたシャラを、イスラフィルは急に振り向きその腕をつかむと強引に演台の上へと引っ張り上げる。

「私は少数を率いてハルト砦の裏を突く。貴君らは、この若き司令官に従い砦の正面より侵攻し、敵の目を逸らして欲しい。彼女はエリエル公国の公女、シャラザード公女だ!」

 五千の兵が静まり返った。
 シャラは胃のあたりが重くなったのを感じた。最初、裏口側を担当すると言ったのはこのためでもある。陽動であるならエリエル騎士団だけでなく、五千のデザイト方面軍が一斉に行動を起こす必要がある。そうでないなら敵の指揮官もエリエル騎士団のほかに五千の兵がある事を知っているからだ。
 あくまでハルト砦を攻めていた大多数の兵が行動を起こさない限り、本気で攻めて来たなどと考えないだろう。であるなら、イスラフィルの軍をシャラが借り受け指揮を執る事となる。
 軍は生き物のようなものだ。頭だけ挿げ替えた所で上手く動くはずがない。少なくとも兵達がシャラを指揮官と認め、自分の命を預ける事が出来なければ、まともな戦いにすらならないだろう。
 何日か時間があればまだしも、作戦はこの後、ここを出たその足で開始される。すぐに認められると思っていたわけではない。だが思ってもみなかったこの沈黙は、重く、痛かった。
 それにシャラは今迄も初めて出会った人物からよく「小娘」と切り捨てられてきていたが、それを含めてもきっと「こんな小娘」なんかに指揮などされても、気分は良くないのだろう。
 兵達は壇上に登ったシャラを凝視し、そして近くの者と何か囁き合っている。とても歓迎している雰囲気ではなかった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.107 )
日時: 2019/03/14 23:32
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 不安を抱えたまま、シャラは軍をハルト砦へと進めた。
 本当ならもう少し時間が欲しいところである。しかしイスラフィルはもう出発している、その上でシャラが不自然に戸惑っていては余計に兵達に不信感を植え付けてしまう。それだけはできなかったのだ。
 ハルト砦は、小さな湖の畔にある、小高い丘に建てられていた。
 砦自体の建物は堅牢な城壁に覆われシャラの目からは見えない。ここから見えるのは物見用だと思える三本の塔のみである。ただ、一目でこの砦のやりにくさは見て取ることができた。
 砦の周囲は小さな林が点在するものの見通しはいい。その意味で、よほど少数の隊でなければ奇襲は不可能である。さらにこの砦の厄介なところは、城壁が二重になっており、外側の城壁は丘の外周とその下に広がる平野部——そこにある街ごと砦を覆っているのだ。
 砦の周りを流れる河川のせいで、例えば大人数で破城鎚を使って城壁を打ち破るような広さがない。自然と襲撃点は城壁の門に限られるのだが、門の裏には常に敵騎士団が待機しているようなのだ。
 シャラ達が砦に近づくと門が開き、何十騎もの騎馬兵が姿を現した。それも、長大なランスを携えたランスナイトと弓騎馬兵との混合部隊がだ。
 砦の城壁とその周囲を囲む川との間はそれほど広くはない。まともにこれを迎え撃つことは困難だ。それが充分命令系統の整っていない部隊であればなおの事……

「シャラ様」

 川の対岸で進軍を止め様子を窺うシャラにセレスが歩み寄ってくる。

「ひとまず私を偵察にお出しください。そうすればその間、軍を止めていても逡巡しているようには見えません」

 セレスの提案に、シャラは無言で頷いた。

「すみません。そうしていただけると助かります。実際、街の中にいる敵の配置も知っておきたいですし、どの程度の敵を引き付ければいいか……おそらく数ではこちらの方が優位に立っているはずなんです」
「はい、お任せを」

 セレスはシャラを励ますように微笑んで踵を返す。
 少し離れた場所に騎竜を着地させていたセレスは、青く艶やかな髪を風になびかせ、飛び立った。
 竜騎士に見慣れていないデザイト方面軍の面々は、その姿に感嘆の息を漏らしながら目を奪われているようだった。
 イスラフィルにはこちらの状況を知るすべがない。打ち合わせ通りの時間に突入してしまうだろう。このままここに立ち止まっている事は出来ない。かといって、無謀に攻め込んで兵を無駄に危険に合わせる訳にはいかなかった。借りものとはいえ、任されたからにはこの隊はシャラの隊。騎士や兵士達はシャラの部下なのだ。
 出来れば無傷で、無理だとしても少しでも犠牲を少なくしたい。
 馬上でため息を漏らしながら、シャラもまたセレスの姿を目で追った。優美に空を舞う竜。まるで蒼穹の一部となったかのようである。
 だがその瞬間、木が軋むような不気味な音がキリキリキリキリと風に乗って響き渡る。

「この音……なんでしょうか」

 シャラは視線を巡らせる。風はほぼ無風に近い。それに煽られ軋みを上げている木などどこにもなかった。砦の中から、銀の光が一条の筋となって飛び立った。それは鋭い風切り音を残してセレスと騎竜に襲い掛かる。

「危ない!」

 思わずシャラは馬上で叫ぶ。その声が聞こえたかのようにセレスの乗る竜は体勢を崩しながらも身をよじりどうにか銀の光をやり過ごす。
 第二撃を警戒したのかセレスはそのまま方向を転換し隊の方へと撤退してくる。

「バリスタです」

 しばらくして、戻ってきたセレスが緊張した顔でそう告げた。
 バリスタとは、簡単に言えば巨大な弓である。人の身長の倍ほどもある巨大な弓を、木で組み上げた枠で固定し、強靭な弦から、細い樹から枝や根を払って穂先をつけただけのような巨大な矢をつがえて放つ、強力な射程兵器である。帝国が開発し、帝国の要塞などで見かける事があるという。シャラも話だけは聞いたことはあったが実物を見たことはまだなかった。
 バリスタまで?
 兵の誰かが騒めいた。空から偵察する事がなかったデザイト方面軍も、バリスタの存在を知ったのは今が初めてだったのだろう。

「セレス、数はわかりますか?」
「はい、幸い配備されているのは一基のみです」

 恐らくトゥリア帝国から運び込まれたのだろう。

「射程は?」

 セレスはしばらく考え、その質問に答える。

「恐らく城壁の外に届くかどうかというところかと。ただ、私はかなり接近してからバリスタの存在に気が付きました。ですが冷静に思い出すと、あの攻撃は狙いが少しずれていた気がします。もちろん避けなければ当たっていましたが」
「つまり、運用している人間は不慣れなこの砦の人間だと?」
「はい、ですから城壁の外にいる限り、それほど警戒せずともよいでしょう。特に城壁があるため、どうしても矢の軌道を山なりにしなくてはなりません。上に打ち上げそれを命中させるのは困難だと聞きます」

 つまりハルト砦の城壁が、皮肉にもシャラ達を守ってくれるのだ。
 背中越しに兵の動揺を感じる。シャラは大きく息を吸い込んで、周りの兵に聞こえるように声を張り上げた。

「わかりました。練度が低いのであれば恐れる事はありません! すでに算段は整っています」

 そう言い放ち、シャラは愛馬を振り向かせると固唾を飲んでこちらを見守っていたデザイト方面軍の兵達に号令を発した。

「これより砦攻めを開始します!」

 もはや迷っている暇はない。腹をくくるしかないのだ。

「急に司令官が挿げ替えられ、しかも諸君らの半数は同胞であるデザイト軍と戦わなければなりません。さぞ混乱していると思います。だから……」

 兵達は言葉に引き寄せられた。恐らく、彼らは不安を感じている。感じながら、不安に思ってはいけないと焦っているのだろう。少なくとも悪意は感じない。兵としての義務感と本能との間で揺れ動いている。シャラにはそう見えた。

「だから、混乱していてもらっても構いません」

 五千の兵がどよめいた。

「私が貴方がたに望むのは、この戦いの中で命令に反しない事だけです。それさえ守ってくれれば少々士気が低かろうと混乱していようと関係はありません。私が貴方がたを勝利へ導くことを約束します!」

 シャラは愛馬を翻らせ、自ら先陣を切って砦に続く橋に向かう。その後にエリエル騎士団が続く。デザイト方面軍は戸惑いながらも後を追うのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.108 )
日時: 2019/03/15 00:07
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 シャラ達が砦に向かって出発した頃、イスラフィルは少数の部下の実を引き連れ砦の裏側で息を潜めていた。
 森の中は重く湿った空気が沈殿している。
 空はほとんど見えない。大人が何人もかかってやっと一回りできるほどの太い幹を持った木々が乱立していた。葉は青々と生い茂り、空を覆う緑の天蓋となっている。
 年老いた森のようだ。ひょっとすればイストリア帝国の民がこの大陸にやって来たよりも長い時間、ここで人々の営みを見守っていたのかもしれない。
 地面の下では根と根が絡み合い、苔むした地面を押し上げ、あるいは陥没させて複雑な凹凸を生んでいる。不意に鳥の鳴き声が聞こえ、部下の一人が驚いて振り仰ぐ。

「おいこら、このぐらいで驚いているんじゃない」

 イスラフィルはことさら明るく言い放った。

「こんな事で驚くなんて、お前ちゃんとタマがついとらんのじゃないか?」

 どっと周囲が沸いた。

「おいこらお前たち、俺達は一応隠密行動をとっているんだぞ! ……俺が一番うるさいか」

 もっと大きな声を張り上げ、慌てて口を押さえる。
 この程度の声で見つかりはしない。砦からはまだ距離を置いて待機しているからだ。こうしておどけておけば、兵達の緊張が解けると考えたのである。

「イスラ様こそ気を付けてくださいよ!」
「いやー、すまんすまん」

 兵の一人に笑いながら注意されると、イスラフィルはおどけて肩をすくめた後、笑い飛ばした。それでまた兵達は笑う。場の空気が和んだ。

「大丈夫だ。きっと砦は落ちる。俺達は自分たちのできる事をすればいい。それだけでいい。だから皆、心配するな」

 そういうと、皆の笑みが消え再び不安そうな表情を浮かべた。沈黙が立ち込める。イスラフィルはただ黙って誰かが口を開くのを待った。
 こちらの部隊は慎重な行動が要求される。だからこそ、イスラフィルはデザイト出身の兵だけでこの部隊を構成した。少しの蟠りも存在してはいけないからだ。戦闘が始まる前に、全ての蟠りを吐き出させておいた方がいい。
 しばらくして、兵の一人がおずおずと口を開いた。

「あの、エリエル公国のシャラザード公女は、信用のおける人物でしょうか?」
「ん?」
「あのような若い……しかも年端もいかない指揮官が、我々のように様々な国から寄せ集めた軍を掌握しきれるものでしょうか?」

 五千は、数だけを見れば確かに大きな軍隊である。しかしデザイト方面軍は、デザイト軍から離反した兵と、ディーネ、イース両軍から派遣された人員で構成されている。当然、デザイト奪還に対する考え方や情熱にはそれぞれズレがある。イスラフィルもそこに細心の注意を払っていた。決して差別したり、部下の理解に手を抜いたりしない。

「あの上品そうな……戦も知らないような少女に、それができるのでしょうか?」

 一人の兵がおずおずと言い出した言葉の答えに、部隊の全員が耳をそばだてていた。デザイト軍から離反した兵とは言っても、イスラフィルと共にウエスト砦から救い出された人間は一人もいなかった。まだほとんどが戦場に復帰できていないからだ。イスラフィルとて、未だに本調子ではない。あの時の誰かがこの場にいてくれれば、話は楽だったのだが。

「皆、いい事を教えてやろう」

 ニンマリと笑いながらイスラフィルは内緒話をするように声をひそめた。

「公女はな、たった三百の兵を率い、五千の軍を撃退したのだぞ」

 その瞬間、部下達の顔が青ざめた。その数の差は十五倍以上。聞いただけで、あるいは自分がその戦場に追いやられたらと想像しただけで、肝が冷える状況である。

「しかもその相手というのが、我がデザイト騎士団の精鋭だ。彼女、そして彼女を支える仲間達は強い。俺や、お前達よりも確実にな」

 兵達は怯えたように口をつぐんだ。兵にとって圧倒的な強さは、憧れと共に恐怖の対象である。

「わずか百騎で同盟に加わり、千人もの規模を誇る盗賊団をうち倒し、ソール王国が落ちれば、そこから落ち延びる騎士達を数千の帝国追撃隊の中から救い出し、そしてウエスト砦からは俺達を救い出した。お前たちも聞いたことがあるだろう? グランパス大橋破壊工作。アレもシャラ公女の手柄なのだぞ」

 シャラはモルドレッド以下、イース王国の重鎮達には疎まれているのか、その手柄は公式にはほとんど公示されていない。だから兵は、彼女の優し気な風貌と歳、性別だけを見て不安に思うのだろう。

「あの歳で歴戦の勇者の一人だ。それが五千の軍を得た今、不可能などないさ。だから俺は、彼女に軍を任せた。安心しろ!」

 兵達は、誰もが目を丸くし口をパクパクさせていた。

「おいお前ら、あんまり失礼な事を考えていると、シャラ公女に言いつけてしまうぞ〜」

 ニヤリ、と笑うと兵達は思わず立ち上がって声も出せずに頭を振る。

「よ〜し、それでいい」

 イスラフィルは小さく頷いた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.109 )
日時: 2019/03/16 01:39
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 デザイト方面軍は各国から編成された混合軍だ。当然士気の問題はついて回る。しかしその問題を無視できるなら、あとは多様な兵種による恩恵に浴すことができた。
 シャラはハルト砦への橋を渡り切った時点で、重歩兵を前面に展開した。鉄の壁が城壁前の狭い場所に広がる。鎧の集団が、まるで一匹の巨大な昆虫のようにじわりじわりと前進していく。
 拠点防衛でもない限り、全身を鎧に包み大きく厚い盾を携えた、鈍重な兵を前に出す事は少ない。実際、機動力を売りにする敵騎馬兵のほとんどが、進むべき場所がなく橋の向こう側で屯させられていた。
 重歩兵たちは剣を抜くこともなく、厚い壁を両腕で支えていた。シャラが命じたのはただ盾を構え、決して的に突破されない事のみである。
 そう、グランパス大橋での戦いと同じだ。まずは敵のランスナイト部隊を沈黙させるのが狙いだった。
 ランスナイト団は、この異様な戦法に戸惑い、攻めあぐんでいた。なまじこちらの足が遅いだけに、考える時間は迷いに変わる。
 彼らの考えはこうだ。「砦の前は狭い。攻め込んだ敵は逃げる場所もなくランスに貫かれ命を落とすしかない……」と。
 しかし逃げ場がないのは彼らも同じなのだ。彼らは城門を守らなければならない。そのためにはこちらが城門に近づけば戦いを挑むしかない。だが重歩兵の盾を槍で貫くのは至難の業だった。できるとするなら、その勢いで押し切り、盾を弾き飛ばし、その間隙に槍をねじ込むだけ。
 だがそれも、武器を持つべき右腕まで盾の保持に回した時点で不可能となる。
 場の緊迫感は頂点に達した。我慢しきれなくなった敵のランスナイトの一人が、ランスを構え駆け出したのだ。
 重歩兵達に緊張が走る。

「恐れるな! 盾の陰から体が出なければやられはしません!」

 シャラは愛馬から飛び降りると自らも盾を取り出し重歩兵の背中から鉄の壁を支える。
 一瞬の間を置き、凄まじい衝撃が重歩兵たちを揺るがした。
 重歩兵の鎧の重量は、伊達ではないのだ。その重さは、防御を高めると同時に敵に押し切られないためのものである。
 衝撃はすぐに止んだ。グランパス大橋の戦いでもそうだったように、騎馬の入れ替えがうまくいっていない。ランスナイトが恐ろしいのは強い突進力を持った攻撃が連続して襲いかかる点だ。
 だが先に突撃したランスナイトがどかなければ、続けて攻撃することはできない。味方ごと攻撃するのでもなければ。そうなればただ少々強力な突進でしかなくなるのだ。

「おぉ」

 重騎士の誰かが感嘆のため息を漏らした。
 ランスナイト……特に集団で現れたランスナイトは、戦場で最も恐ろしい敵の一つだ。歩兵を蹴散らし、弓兵の攻撃を弾き返し、立ちはだかる敵を薙ぎ払う。たとえ重歩兵であろうと、片腕では盾を支えきれない。
 そのランスナイトの突撃を、自分たちの盾が受け止めた。それは驚きと共に興奮を生み出す。

「よし。陣形を乱さないでください。防御に徹すれば、ランスナイトの攻撃といえど恐れるに足りません!」

 グランパス大橋での戦いがそうだったように、この戦いを制するには次の一手が重要なのである。敵は、すぐにランスに持ち替え、小ぶりな槍や剣で隙間を狙ってくる。シャラに必要なのは、敵が冷静さを取り戻すまでに次の手を打つことであった。

「失礼します!」
「お先じゃ〜♪」

 背後から現れた声は、シャラの馬の背、重歩兵の肩を飛び渡り、鉄壁の向こうへと躍り出る。

「スピネル!」

 異国風の服に身を包み、細身の蒼い剣を携えた妙齢の女性は単独で敵の中に飛び込んだ。着地すると同時、剣を抜き放ち銀色の刃を水のように青く一閃させた。
 彼女の周りにいた何騎かの馬が呆気なく崩れ落ちる。
 ランスナイトの包囲が一瞬広がると同時にスピネルはその隙間をすり抜けつつさらに数騎の騎士を薙ぎ払った。
 それは攻撃というよりまるで華麗な舞い。
 刃が陽光を弾き返し、銀の光が優雅に流れた。
 敵も味方も、誰もが一瞬その舞いに心を奪われ、そして敵には確実な死が与えられる。
 シャラはただ一人冷静に事態を見極め、そして後方に指示を飛ばした。
 命令が届くと、後方に屯していた味方の騎馬部隊から、いくつかの小隊が駆け出した。目指すのはこちらではない。橋は未だに人が密集し、とてもではないが入り込む余地はない。
 飛び出した小隊が進むのは橋の向こう側。遠巻きに回り込み、そして小川が挟んだ対岸に辿りついた。兵種は弓騎馬隊。ヒルダ、イグニスが指揮する小隊とデザイト方面軍の弓騎馬隊。弓を操れるありったけの兵員が全て、重歩兵とランスナイトが押し合っているこの場の対岸に駆けつけた。
 スピネルはランスナイトの包囲を突き抜け、その後方に待機している敵の騎馬部隊へと突き進んでいた。シャラの目の前には、スピネルの突撃で動揺を強め、屯する敵のランスナイト部隊。

「放てぇっ!」

 シャラは対岸の弓騎馬隊に向かって号令を発した。
 弓騎馬隊は向こう岸で一列に並んだが、号令への反応は鈍かった。素早く行動に移したのは、ヒルダとイグニスの部隊だけである。
 敵のランスナイト達は、不思議そうにその様子を見ていた。普通の騎士とは違いランスを保持し突進する事が基本であるランスナイトは、重歩兵には及ばないものの細かい動作を必要としない分防御に関してはかなり重武装である。乗馬にも鎧を纏わせ、弓の効果は薄い。ランスナイトに最も効果的なのは魔法による一撃なのだ。
 だがヒルダとイグニスは迷うことなくそれぞれ第一撃を放った。
 風を裂いて、一本の矢が川の向こうから飛来した。

「がっ!?」

 それは一人のランスナイトの、分厚い鎧に吸い込まれるようにして、彼を馬上から突き落とした。
 デザイト方面軍は、潤沢な装備を整えていた。エリエル騎士団には扱う事が出来ないような高価な武器防具が配備されている。モルドレッドがどれだけデザイトを恐れているかの証拠だろう。
 その中に、貫きの矢というものがあった。貫通力を極限まで高め、鋼鉄の盾であろうとはじき返される事はなく突き刺さる。ランスナイトがいくら武装を固めようと、足を止め、精度の高い狙撃が行える状況へ持ち込めば、その鎧の弱い部分を貫通して本体に損傷を与えることができる。
 ヒルダの一撃が、それを証明した。
 すると動きの鈍かったデザイト方面軍の弓騎馬隊が、にわかに色めき立つ。
 ヒルダとイグニスの隊は彼らに構わず次々と矢をつがえ放っていく。さも、やる気がなければ自分たちで充分だというように。
 音を立て矢が敵のランスナイトを襲い、そして次々と馬上から突き落としていった。
 戸惑っていた弓兵達が、慌てて自分たちも貫きの矢をつがえ射始める。
 城門前の勝負が決するのはそれから間もなくの事である。ほとんどが戦闘不能になると残りの敵兵も次々と投降した。
 城門前の戦いはひとまず沈静化した。だが破城鎚を使う広さはない。乗馬した人間が悠々通れるほどの背の高い門は、分厚い木の扉によって閉ざされていた。扉は鋼の板によって補強され、いくつもの鋲が打ちつけてある。
 このような場合、根気よく斧か何かで扉を削っていくのが常識だ。だがシャラ達には今、そのような余分な時間は残されていない。手をこまねいている内に、イスラフィルが潜入してしまう。ハルトの街にも相当数の兵力が待機しているはずだ。少なくとも街中の勢力だけは排除しておかなければならない。

「フィアンナ、クリス!」

 後方から、黒いローブを着込んだ黒髪の女性と、ローブに身を包んだ少年が姿を見せる。

「どうか、お願いします」
「御意のままに」
「お任せください」

 二人はしっかりと返事をして頷く。
 シャラはかつてこのハルト砦に赴任していたという騎士を呼び寄せると、重騎士達に円陣を組ませ、その背にフィアンナとクリスを登らせる。
 呼び寄せた騎士の指示に従い、フィアンナとクリスは重騎士の背に乗ってやっと届く高い位置にフィアンナは両手を、クリスは魔導書を片手に右手を押し当てた。二人は目を閉じ精神を集中させる。

「炎よ」
「舞え」

 力を引き出す言葉と共に赤と青の火柱が二つ立ち上った。扉の向こう側に。

「炎よ!」

 二人はさらに力強く言葉を発する。さらにもう一撃立ち上るのが見えた。
 爆音が轟き、一瞬の後、扉の向こうで地響きが轟いた。
 木の焼き焦げる臭いが辺りに充満する。

「な、何をしたのですか?」

 傍にいた重騎士の一人が恐る恐るシャラに問いかけた。
 シャラは振り返って笑顔を浮かべる。

「この門の閂は、頑丈な鋼鉄製です。ですが、あまりに頑丈にし過ぎたせいで横に滑らすのではなく、丈夫な鋼を巻き付け滑車で上に引き上げなければならないそうなんです。つまり、閂を支えている金具は上に解放した形になっています。魔法の力は大きな爆発力を持っています。あの二人は、自在にその方向を操れるのです。片や精霊、片や優秀な魔道士。その二人の持つ爆発力を一点に集束させたのです」

 シャラは扉を振り返り、言葉を続けた。

「すると、ああなります」

 扉が大きな音を立てて開かれていく。その向こうに、中心を真っ赤に灼熱された鋼鉄の閂が落ちていた。外れたのだ、魔法の爆熱が下から押し上げたことによって。

「しかし、中に入ればバリスタが……」

 心配そうに表情を曇らせる重騎士に、シャラは砦を指示した。

「それならもうすぐ沈黙します」

 シャラが指した先に、予め指示を出していたセレスの姿があった。だが彼女は一人ではない。その背にしがみつくもう一人の人影こそが、この策を左右する人物であった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.110 )
日時: 2019/03/16 01:44
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 凄まじい音を立て、竜の翼は空気の壁を切り裂いていく。その背は鋼のような筋肉の動きで思った以上に揺れ。暴れ馬の背が心地よく思える程だった。
 吹き付ける風は、まるで嵐のように激しく、一瞬でも気を抜けば彼女の身体を呆気なく中空へと吹き飛ばしそうであった。
 その後は緩やかな落下と死。
 ラクシュミは竜を操るセレスの背に必死でしがみついていた。

「気分は悪くありませんか?」

 振り返るセレスに、ラクシュミは意地だけを支えに頷いた。
 常に突風に近い風が吹き荒れ、息が苦しい。気圧のせいか、少しばかり頭痛もしている。だが弱音は吐きたくなかった。同じ女のセレスが平然としているならばなおの事だ。

「大したものです。初めて飛竜に乗った人は、目を開けている事すら容易ではありませんから」

 静かに言うセレスに、ラクシュミも負けるものかと口を開いた。

「貴女も大したものです! 空の上がこんなに激しい世界だなんて思ってもみませんでしたわ!」

 コツがあるのだろうか、ラクシュミは力一杯声を張り上げなければ届かなかった。
 上昇が止まった。
 狙いを定めるように飛竜は一度だけ大きく円を描いて旋回する。
 急な上昇をやめたからだろう、セレスの背にしがみついたままではあったが、ラクシュミにもようやく周囲を見渡す余裕が出てきた。
 そこからは、ハルト砦の全貌が一望できた。だけではない。はるか遠く、イース王国やテンペスト王国、デザイト公国の砂漠地帯や公都ルクも見えていた。
 ふと振り返る。ひょっとしたらここからなら愛する祖国であるソール王国が見えるのではないかと思ったからだ。
 流石に無理だった。ラクシュミはセレスの背に視線を戻し、頷く。見えなかった事で、祖国を取り戻そうという思いがラクシュミの中で余計に膨らんだのだ。

「殿下。では、よろしくお願いします」
「任せなさい! 私はソール王国第一王女、「ラクシュミ・リート・ソール」。雷は私の下僕なのですから!」

 ラクシュミが力強く言うと、セレスは小さく頷き、竜の首を目的の方向へと巡らせた。つまり、ハルト砦の建物部分にである。
 竜の身体が凄まじい速度で降下し始める。みるみる砦の建物が近づいてくる。詳細が理解できるようになる。窓の数や、歩哨の兵、立てかけられた武器、そして一基のバリスタがハッキリ見えるようになった。
 バリスタの脇には人員が配備されていた。すでに矢はつがえられ、そして放たれる。
 その瞬間、ラクシュミの身体は影のような黒い腕が、落ちないように支える。
 セレスの背中から、ラクシュミはまっすぐに両手を突きだした。そして、魔導球を握り意味ある言葉を吐き出した。

「迅雷よ、放て!」

 言葉と共に空が暗くなり、上空からゴロッと轟音が一瞬響く。そして地上に向かって、雷の束が空気を裂くように轟音を立てながら真っ直ぐに落ちた。バリスタに向かって一直線。
 それは巨大な雷だった。
 荒れ狂う、天を突くような雷の束がラクシュミ達を撃ち落そうと放たれた無粋な矢をあっさり消し炭にしてしまう。
 バリスタは一基しかない。そして兵器の性質上、連射のきく武器ではないのだ。それがシャラが二人に授けた策だった。
 魔導球の魔法の雷が消えた直後、震える空気を切り裂いて突っ切るセレスは砦へと突進する。すれ違いざま、ピラムを投げつけ、それは狙いを寸分違わず射抜き恐ろしいバリスタをただの焦げた材木へと変じさせた。
 城壁から弓兵がラクシュミ達を狙う。しかしその時には、セレスに操られた竜はとっくに上昇に転じ、弓矢の射程範囲の外へ抜け出してしまっていた。
 まさに一撃離脱の策である。バリスタがあると判明してからほんのわずかな間にこのような作戦を立てたシャラに、ラクシュミは改めて敬意を覚えるのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.111 )
日時: 2019/03/16 20:01
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 イスラフィルが裏門からハルト砦の市街地に侵入した時、シャラ達の市街地の戦いはすでに終わろうとしていた。シャラが指揮を執るデザイト方面軍は、街中に潜んでいたデザイト兵や傭兵を煽りだし、圧倒的な兵力を以て制する。
 見せつけられた力の差に敵兵は続々と投降していく。それがシャラの狙いなのだろう。
 辻々にデザイト方面軍の兵達が行き渡る。もはや残るは丘の上にそびえる砦部分のみ。バリスタも沈黙したようだ。どうあがいてもハルト砦に勝ち目はなくなったと言えるだろう。イスラフィルは思わず笑っていた。

「ははは、こりゃあいい。俺が指揮しているよりいい働きじゃないか。これなら裏口から回り込まなくてもよかったかな」

 驚いて異論を差し挟もうとする部下達を制して、イスラフィルはゆっくりと砦への道を歩き出した。
 その日の夕暮れを待たずして、ハルト砦は陥落した。ハルト砦側の被害は甚大だったが、砦攻めには珍しく、全体の半数近い捕虜が生き残った。
 デザイト方面軍の被害は微々たるものである。
 そしてハルト砦の市街地に寝起きする民間人の犠牲者はゼロであった。