複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.135 )
日時: 2019/03/24 09:36
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

第六章 騎士の誇り

 何者かによるソスラン奪還が明らかになった後、イース城は数日間、昼も夜もないほどの騒ぎとなった。
 誰もがソスランの復讐を勝手に思い描き、勝手に恐れ、勝手に取り乱した。宮殿内はまことしやかに、ソスランがトゥリア帝国の力を借りてイース同盟を滅ぼしに来ると噂がささやかれるようになっていった。
 シャラとアルフレド、ソスランを知る者達は人知れず憤慨していた。
 ソスランはこのような目に遭ってもまだイース同盟を、イース教を信ずる人々を救おうとしている。立ち上がったというなら、復讐ではなく人々の盾となるためなのだ。
 だが今はその時ではない。シャラを始めとするエリエル騎士団や、アルフレド、リデルフなど、事情を知る一部の人々はきたるべき「その時」に備え、今は堪え忍んでいた。モルドレッドもシャラやアルフレドを怪しんだようだったが、ソスランを逃がした証拠はどこからも出てこなかったために、表向きこの件は収束した。
 収束せざるを得ない事件が起こったのだ。

「本当ですか、イスラフィル様が行方不明というのは!?」

 会議室に飛び込んだシャラに待ち構えていたイース同盟の重鎮達は重々しい表情で頷いた。

「本当だ、シャラ公女」

 集団を代表してアルフレドが答えた。

「今朝、デザイト軍に奇襲を受け、イース同盟デザイト方面軍の本隊が壊滅状態になったとの連絡が入った」
「本隊が壊滅!?」

 デザイト方面軍は、デザイト公都であるルクを除いてデザイト公国のほぼ全土を解放していたはずだ。その数も、途中で寝返ったデザイト軍の兵をも柔軟に受け入れ膨れ上がっていたはずだ。デザイト公国内に、子の軍勢を退ける力は残されていない。それが大勢の見方であった。

「そうだ、本隊のみが電撃的な奇襲に遭い壊滅。イスラフィルは生死不明」
「イスラフィル公子が……」

 数か月前、ブリタニアに凱旋したシャラを待ち受け豪快に笑っていたイスラフィルの顔を思い出す。

「しかし、一体誰が……」
「宮廷司祭メフィスト。それが今、デザイトを操る男の名前だ」

 その名はシャラも聞いたことがあった。

「しかし、たった一人の司祭にそこまでの力があるものなのでしょうか」
「ある」

 アルフレドはあっさりと断言した。

「メフィストはトゥリア教の中心人物である四大司祭の一人であり、現教皇である「ルキファー」の腹心の一人」
「四大司教……若い娘をさらったあの「アラストル」という男もそうでしたね」
「うむ。メフィストは恐るべき暗黒の術と強大なトゥリア教の兵を意のままに操る恐るべき男。あやつはトゥリア本国から己の手駒をデザイトに招き入れていたのだ」
「では、これまでのようなデザイト兵との戦いではなく……」
「トゥリア帝国の、教団の戦力だったのだろう」

 トゥリア帝国で真に恐ろしいのは、トゥリア教団の抱える親衛隊である。彼らはトゥリア教の教えに心酔し、教皇ルキファーのためであれば苦痛も、死すら恐れないという狂信者だけで結成された、僧兵の集団。
 その死に物狂いの戦いは、戦場で遭遇した敵を、髪の一本、血の一滴すら残らずこの世から滅ぼすと恐れられていた。

「しかも我々の内情が何者かによって漏えいしている疑いが強い」
「間諜、ですか。……確かに考えられる話です」

 ソスラン失脚直後に、不安定な東部諸国同盟を揺さぶるように掛けられた攻勢。こちらの状況が筒抜けになっているのではと思わせる出来事は、枚挙にいとまがない。
 イスラフィルは知勇を兼ね備えた名将だ。だが、それだけの想定外の敵戦力に、間諜の存在が加わればひとたまりもなかっただろう。

「だが、イスラフィルはまだ死んではおらぬ」
「何か情報が?」
「うむ。傷だらけのあやつを背負い、走り去る部下の姿が目撃されておる。本体の部下達が我が身を盾として、イスラフィルを逃がしたのだ」

 イスラフィルは部下からの信頼が厚かった。あり得る話だろう。それであれば、すぐに援軍を送り何としても助け出さなければならない。シャラがそう訴えるとアルフレドは苦々しい顔で頷いた。

「そう、我らもそれを話し合っていた」

 現在、イース王国は帝国軍に取り囲まれている状況だ。ディーネ公国からの軍勢は、辛うじてグランパス大河が防いでくれている。だがこれにかかるグランパス大橋の復旧はいよいよ大詰めに差し掛かっていた。
 東部戦線は完全に崩壊し、エリエル公国側からイース王国に攻め入ろうとする軍勢の影も、着々と膨らみつつあった。エリエル公国から攻め込まれないのは、イースとエリエルにかかる橋がさほど大きい物ではなく、大軍で押し寄せるには時間がかかるためだ。
 全てはグランパス大橋が復旧されるまで。完全に復旧されるまで、既に一か月を切っているという報告だった。
 それまでにデザイト方面に派遣していた軍と、デザイト軍を前線に配備する事。これのみがイース王国が生き残る唯一の方法である。

「グランパス大橋への妨害と、エリエル公国側から姿を現した軍への警戒のためにイスラフィル公子と救出する戦力をひねり出せない、と言う事ですか?」

 アルフレドは深々と頷いた。

「デザイト方面軍の大半は健在だ。だが突然将を失い、今は完全に麻痺している。まさに頭を潰された状態だ。元がイース王国軍と寝返ったデザイト軍との混成軍。無理に動かせば内部分裂して同士討ちすら起こりかねない」
「むしろ、メフィストが部下を潜り込ませてそう先導しかねない……と?」

 場にいる者達のほとんどが、忌々しげな表情を浮かべる。
 手足はあるのだ。だがそれを動かす頭はなく、また無理に動かせば手足はバラバラになって崩壊する。

「我々が……」

 イース同盟の重鎮たちが一斉にシャラの顔に注目した。

「我々がデザイトに参ります!」
「シャラ公女……」

 恐らくアルフレドの頭の中にもその選択肢はあっただろう。いや、むしろそれしかなかっただろう。イース王国軍はデザイト方面軍とグランパス大橋復旧の妨害に割かれほとんど残っていない。その上、このブリタニアの街も守らなければならないのだ。

「だが……だが、これはかつてない危険を伴う任務なのだぞ。それを——」
「無論、承知しております」

 デザイト方面軍の協力はほぼあてにできない。むしろその中のデザイト軍出身の兵に関しては突然牙を剥く可能性すらある。
 あからさまに警戒する事も出来ない。こちらが警戒心を剥き出しにすれば、それを感じたデザイト出身の兵はこちらに不信感を抱くだろう。そうなればファウストの思う壺だ。

「それでも、誰かがイスラフィル公子をお救いしなければ、イース同盟に生き残る道はありません。それは即ち、イース教を信じる人々の生きる道を閉ざす事になるのです! 私は、人々の為に戦います! どうか出撃の許可を!」

 張り上げたシャラの声が、会場の淀んだ空気を圧倒し、押し流した。

「公女、すまぬ」

 わずかの時間に十も老け込んだかのようなアルフレドの声が、すべてだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.136 )
日時: 2019/03/24 17:53
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 デザイト公国に向かう準備を進めるシャラに、会って話がしたいという人物がシャラの目の前に現れる。
 赤いローブを羽織り、白装束を着込んだ白髪の少女「カンナ・アマテラス」、そして背中に翼を持った精霊の青年「ゼフィロス」であった。
 二人は不敵な面持ちでシャラの目の前にいる。なんでも、メフィストに協力するミズチ国の人間がいるという話であった。

「ミズチ国は基本的に中立国。貴女方の戦いに関与する義理はないのだけれど、今回はその人間が持つある物を回収するために、貴女に協力したいと思ってね」

 カンナはそういうと、腰から下げている剣を差し出す。純白の柄と刀身。澄んだ青色の珠が埋め込まれた刀剣であった。

「これは?」
「「神刀アマノハバキリ」。ミズチ国を守るための神器だよ。今は片割れを失ってただの刀になっているけど」
「片割れ?」
「「呪刀カケツシントウ」……夜の力を持つと言われているんだ」

 カンナの話はこうだ。
 ミズチ国はその歴史をさかのぼる事幾百年。イースとトゥリアの戦いに疲弊した脱走兵がその土地を見つけ、荒廃した大地を耕し開拓した独自の文化を持つ中立国であり、その島には白の神刀と黒の呪刀がその島を守っていた。
 その刀の中に入っていたのがその島を守護していた精霊である「霊神トヨタマヒメ」と「姫神タマヨリヒメ」。
 二人は二つの神器がある限りは島を守る力を増幅させられ、イースやトゥリアからの侵攻を阻止する事ができていた。だからこその中立国であり、二人がいる限りミズチ国は水や風に恵まれ、平和に暮らしていた。
 そしてその二つの神器を代々守ってきた一族が「アサギリ家」。アサギリ家はかつてミズチ国を脅かしていた妖魔「タマモノマエ」を退け封印したという由緒正しき英雄の子孫で、今も神器を守る役割を担っていたのだ。
 だが、「ウカ・アサギリ」というアサギリ家の子息が神器を奪い逃走した。それも、父である「ミコト・アサギリ」を手にかけたという。
 姉である「ミタマ・アサギリ」は弟を探し出し必ずミズチの民に詫びさせると言い残してこちらに来ているという。
 だが、事態は一刻を争う規模のものとなり、タマヨリヒメが助けたという記憶喪失の女剣士「スピネル」と、ミズチ国の危機を察知した彼女、「カンナ・アマテラス」が動き出したというわけである。

「一刻を争う、とは……」
「ミズチ国を守るための力……双神の片割れである「トヨタマヒメ」様の不在により、ミズチ国は天災に見舞われ始めている。作物が育たず、島によっては日照りや大雨や地震、そして強風でミズチ国は荒廃していっているんだ。だから早急にウカを見つけ出し、トヨタマヒメ様と呪刀を取り戻さなければ、ミズチ国は滅びる」

 カンナはそういうと、シャラは頷いた。

「事情は分かりました。我々もウカという人物を探すために協力しましょう」
「……ありがとう」
「そういえば、カンナ。貴女は何者なのですか?」

 シャラは率直な疑問を彼女に投げる。
 危機を察知する能力、そして彼女にはとてつもない力を感じるとシャラは思ったからだ。カンナはふふっと不敵な笑みを浮かべ、胸に手を当てる。

「私は「炎の乙女」。大精霊からお言葉を賜った者だよ」
「えっ!?」

 シャラは驚いて思わず立ち上がる。
 炎の乙女とは、「大精霊フラム」から聖玉を授かり、大陸を救うと言われる伝承に記された聖女の事だ。

「そんなに驚くことはないだろう。な、ゼファー」
「無理もない、人間と大精霊は月と鼈みたいな関係だし」

 ゼファーと呼ばれた青年は、カンナを見てケラケラ笑う。彼は髪で右目を隠し、風で乱れたような髪型だ。背中に翼がある事から人間ではない事は一目瞭然なのだが。

「まあ公女、俺達は弱き者のために戦うアンタの仲間さ。いつだってな。それにアンタはいつだって誰かのために戦って傷ついて泣いて笑って怒って。……風がいつも教えてくれたよ」

 ゼファーは腕を組んでシャラを褒め称える。
 風が教えてくれる……恐らく彼は風の精霊として風を読み、エリエル騎士団の行いをよく見ていたのだろう。

「そんな誰かのために戦うアンタのために、俺達は協力するってだけだよ。戦力は大事にした方がいいぞ〜?」

 ゼファーはまたケラケラ笑った。カンナもそれに頷く。
 彼らの目的は、「ミズチ国」を守るため、そして人々の為に戦うシャラに協力するため。
 シャラは二人の言葉と真意を聞き、深々と頷いた。

「わかりました。二人のご協力に感謝いたします。よろしくお願いします」

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.137 )
日時: 2019/03/24 23:52
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 七日後。シャラはデザイト公都ルクを見下ろす丘の上に立っていた。
 出撃の準備とブリタニアからの距離を思えば神速の早業といっていいだろう。
 城や砦を築くときの常識だが、デザイト公都ルクもまた定石通り大きな河の傍に建てられていた。
 小さな山の上に、白亜の居城が訪れた者達を睥睨するように存在していた。
 イースが街と共に発展した平野の城であるのに比べ、デザイト城は周囲の集落を見下ろすように建てられた孤高の城である。
 城の周囲には、城に付き従うようにいくつかの集落が点在しているよ言う。今も、河のこちら側、シャラのいる場所からしばらく西に進んだところに小さな村の姿が見えた。

「公女。先遣隊の報告によれば、デザイト軍はイスラフィル公子を探し出すために近隣の村々に焼き討ちを掛けているようです」
「なんですって!? 自分達の領土にある村を焼き討ちに……正気ですか!?」

 兵の配備が整ったことを報せに現れたエドワードにそう吐き捨てながら、シャラはアルフレドの言葉を思い出していた。

「……トゥリア教の僧兵達、ですか」
「は。その僧兵——親衛隊が入り込んでいるとのことです」

 トゥリア教親衛隊とは、トゥリア教団の高位司祭に付き従う狂信者の集団。肉体の痛みも、魂の痛みも、自らの死すらも恐れず厭わぬ集団である。
 当然、司祭からの命令があれば他人の苦しみなど毛の先ほども意に介さないのだ。

「……よし、我々もイスラフィル公子救出を急ぎましょう。イスラフィル公子救出後、我々はそれを代替的に喧伝します!」

 ポカンとなるエドワードにシャラはいたずらっぽい笑みを漏らした。エドワードが訝しむのも当然だ。イスラフィルの居場所をわざわざ敵に教えてやろうとシャラは言っている。一刻も早くブリタニアに護送しなければならないというのに。

「確かにイスラフィル公子の身を危険に晒しかねないのはわかっています。ですが、公子も許してくださいましょう。もし我々がイスラフィル公子を救出したと敵に広まれば、普通の敵兵には十分牽制になります。デザイト方面軍の麻痺も解けるでしょう。そうなれば親衛隊とはいえ村々を焼き払っている暇はなくなる」
「おお」

 エドワードは起死回生の策を聞かされた少年のように表情を輝かせる。

「エドワード、急ぎましょう。まずは西にある村を目指す!」
「はっ!」

 本当ならここでセレスに西にある村へと先行してもらいたかった。そこでイスラフィルが見つかればよし。見つからなくてもシャラ達に不足しているこの周辺の貴重な情報が手に入っただろう。
 だが、セレスはもういない。あの島で、シャラの前に立ちはだかったその足で、クリスと共に姿を消したのだ。
 空を飛ぶ兵士はセレスのほかにエルがいるが、彼女は何分偵察に慣れていない。
 セレスとクリスの事は、エドワードにすら教えていない。二人の事は負傷で戦線を離れている事にしてある。
 二人と仲が良かった騎士や傭兵達は、それで納得してくれてはいたが、薄々何があったのか気付いている者もいる。二人とはあのような別れ方をしてしまったのが心苦しい。
 シャラは二人ともう一度話がしたい。そう思っていた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.138 )
日時: 2019/03/25 20:28
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 西に見えた村は「フォース」といった。シャラ達が村に到達したのは、そろそろ陽が西に傾きかける時間だ。
 フォースはどこにでもあるような寒村だった。取り立てて産業が発達している様子もないが、自給自足でどうにか暮らしている。そんな村だ。
 だが平穏であっただろう村は今、常ならぬ緊張感に覆われていた。
 男たちは寂れた武器や農耕具を武器の代わりにして警戒を固め、女や子供は家の中に閉じこもり恐れおののいた視線で時折窓の奥から外を窺う。

「では、こちらにイスラフィル公子は匿われていないと言う事ですね?」

 村人たちを怯えさせないようシャラは騎士団の大部分を村の外に待機させ、村にあるイース神殿を訪ねた。神殿とはいっても、地方によくある一般市民の家と大差ないほどの小さな神殿だ。
 出迎えてくれた司祭に身分と目的を明かし協力を願った。司祭は名を「リード」といい温和そうな人物であったが、村に迫るトゥリア教親衛隊の影を感じているのか焦燥の色が濃かった。

「いえ、わたくしどもの村にイスラフィル様はおられません。ただ、ここからずっと東に行った場所にある「フィフス」の村に、同盟軍の方が担ぎ込まれたと噂が聞こえてまいりました」

 リードに見せてもらったルク近辺の地図によると、フィフスという村はルク城の東。河を越えた対岸にある。ここから向かうとなると一度元の場所まで戻り、そこからさらに東に向かう。浅瀬になっているところから河を渡りなんかする。完全に逆方向だ。
 時間的な損失を考え、シャラは舌打ちをしたい気分になった。
 そこからさらに悪い報せがもたらされる。村人の一人が、村に近づく軍隊の影を見たと神殿に駆け込んできたのだ。方角からしてエリエル騎士団ではない。

「親衛隊か……?」

 今は一刻も早くイスラフィルを救出しなければならない。だがこの村を見捨てる事もまた、できはしなかった。すがりつくような目でこちらを見るリードを安心させるようにシャラは頷く。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.139 )
日時: 2019/03/25 23:50
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 シャラはエドワードに命じエリエル騎士団を村の南側に配置した。村に近づきつつある軍隊は河の向こうからやってくるからだ。配置が終わる頃には陽は、西の山々の稜線に沈み切る直前だった。
 むらのあちらこちらに篝火がともされ、こちらの軍勢を誇示するように浮かび上がらせる。男達は村の奥に籠り表には出てきていない。シャラは村人たちに村の中で入り込んでくる敵だけを相手するように指示を出したからだ。
 中には気の荒い者もいて、シャラと共に戦うと息巻いていた。しかしそれは鍛え抜かれた軍隊の中にあってはむしろ邪魔になりかねない。
 全ての準備が終わった頃、所属不明の軍隊が、河の向こうに姿を現す。もはや肉眼で詳細はわからないがその影からすれば軍隊の主力は騎馬兵のようであった。

「親衛隊ではないのか?」

 トゥリア教のそれは、僧兵であり、戦場から戦場への移動時以外騎乗して戦う事はない。数は百程。今のエリエル騎士団からすれば村を守りながらでも後れを取る事はないだろうが。
 シャラが逡巡していると、向かい合った騎馬隊の中から隊長ら敷き一騎が進み出る。
 エリエル騎士団に緊張が走った。
 だが進み出た一騎は敵意がない事を示すように両腕を高々と掲げ挙げた。

「エリエル公国、シャラザード公女であらせられますかっ!」

 彼は正確にシャラの名を言い当てたのだ。

「公女、お気を付けください。安心させておいて公女を狙っているやもしれませぬ」

 馬を横付けしそう囁くエドワード。確かに言いたい事はわかる。しかしシャラは思うところがあって心配するエドワードを制し自分もまた単独で進み出た。
 ルク河はこのあたりでいったん浅瀬になっており、騎乗したままでも渡河するのに不便はなかった。河の中央でどこの誰ともわからぬ騎士と対峙する。

「あなたは、デザイト方面軍の一員ではないのですか?」

 シャラが先に口を開いた。すると騎士は、一瞬驚いたように黙るが

「そ、その通りです。ご慧眼感服いたしました」
「私に何が御用ですか?」

 重要なのはこの先だ。イスラフィルがいなくなったためデザイト軍に戻るとなれば敵となる。しかしシャラはそうではないと踏んでいた。

「我々物見が、ルク城から親衛隊が出撃した所を目撃いたしました。目的は恐らくこちらの村でしょう」

 やはりという思いだった。目の前に現れた彼らは、デザイト方面軍から抜け出しイスラフィルを救出する機会を待っていたのだ。

「イスラフィル公子はやはりフィフスの村におられるのですか?」

 騎士は深々と頷いた。

「我らもイスラフィル様をお救いしようと考えておりました。ですが分断され、ルク城のあちらとこちらにわかれてしまいました。ルク城の傍を突っ切ることは叶わず、かといって河を迂回していては敵にイスラフィル様の居所を感づかれてしまいます」
「そこで援軍が来るのをじっと待っていた、というわけですね」
「は、面目ございません。エリエル公国の方々の手を煩わせてはならぬのは重々承知してはいるのですが」
「いいえ、今、イスラフィル公子はイース同盟に必要不可欠な方。その方をお救いするためであれば、我々は骨惜しみいたしません。ではまずは親衛隊をどうにかして……」

 共闘の申し出を、しかし騎士は頭を振って拒否する。

「ご厚意は嬉しく存じます。しかし今は一刻も早くイスラフィル様をお救いすることの方が肝要かと。ここは我々が食い止めます。ですから公女はどうか河の期待を迂回してフィフスにお急ぎください」
「ですが……」

 確かにもたもたしている暇はない。ここで戦い、足止めされている間に他の部隊がフィフスに向かうかもしれない。ルク城は周囲の村々全てに親衛隊を送っている。このフォースに向かっている隊以外にも多くの部隊がルク城周辺で動き回っているのだ。
 平時ならともかく、傷を負った今のイスラフィルが敵に発見されるのは危険だ。

「わかりました。隊を二つに分けましょう。腕の立つ指揮官と二百の兵をこちらに残しておきます。あなた達と私の騎士団の二百。計三百がいれば、この村を守り抜けましょう」
「は! この命に代えても、必ずこの村は守り抜いてご覧に入れます!」

 その言葉を聞きながら、シャラの心は早くもフィフスへと向かっていた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.140 )
日時: 2019/03/26 23:32
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 フィフスに到着したのは次の日の昼過ぎだった。
 それでも睡眠はもちろん、ほとんど休憩をとらず駆けつけたのだ。夜の間に移動したのがよかったのだろう。フォースからかなり迂回する事になったというのにルク城からの軍勢がフィフスを襲った形跡はなかった。
 だが村の様子はフォースと同じで、男たちが農耕具を武器代わりに携え、表に立って周辺を警戒していた。

「私はイース同盟、エリエル公国軍のシャラザードという者です! ここに保護されている人物を救出に参りました」

 そう叫びながらシャラは馬を走らせ村の中に駆け込んだ。例によって村人を怯えさせないようにアスランとヒルダの二騎のみを引き連れてである。
 シャラが自分の身分を述べた途端、フィフスの村人達の表情が一気に輝いた。

「い、イース同盟だ! イース同盟がやって来たぞぉ!」

 歩哨に立っていた村人の一人は、諸手を挙げて叫びながら村の奥へと消えていった。するとその声を聞きつけた人々がわらわらと戸口から姿を見せる。
 喜びの表情があった。警戒の表情もある。戸惑いの表情も少なくない。
 だが一番多いのは、やはり安堵から脱力した表情だった。
 よほど緊張状態が長く続いていたのだろう。村の主要な道を、愛馬を引いて歩きながらそう思った。襲撃を受けたわけではない。しかし常に緊張を強いられたせいで村の中の空気が澱み、どこか煤けて見えた。
 シャラを先導する青年も満面の笑顔を浮かべ時折振り返りながら一つの建物に案内していく。どうやら村長の屋敷も別棟のようだ。

「あそこに、イスラフィル公子が?」
「そうだ! 俺達が匿ったんだ。匿って、一生懸命手当てした!」

 誇らしげに青年は言った。今まではルク城の目があって言いたくとも言えなかったのだろう。兵からも、民からも慕われるこの国の公子の命を救ったという一大事件である。

「ありがとうございます、あなた方の勇気に、私は……いえイース同盟に連なるすべての国々は、感謝することでしょう」

 シャラは心からの本心を目を細めて微笑みながらそう言った。だがあまりに尺度の大きな話だったためか、青年は実感できずポカンと口を開いたままになるだけだった。


 別棟は、半ば物置になっていた。使わなくなった棚や、机、古くなった絨毯は丸めて壁に立てかけてある。さびた甲冑などという物まであった。様々な物が所狭しと詰め込まれ、子供が見つけたら喜びそうな、そんな雰囲気が漂っていた。
 表から見るとこの建物は二階建てになっていた。しかし実際には二階部分の床は半分ほどを残して吹き抜けになっており、床の残っている部分はちょっとした屋根裏部屋風の作りになっているようだ。
 壁際に梯子が設けられており、一階からはそれで昇り降りするようである。
 小さく息を吸い込んで、声を出すまでに少しだけ、緊張した。
 もし、万が一、ここに匿われているイスラフィルが偽物だったら、きっとその落胆は想像を絶するに違いない。

「イスラフィル公子! いらっしゃいますか!?」

 もちろんほとんどのその心配はないだろう。今、このルクのすぐそばでイスラフィルの名を騙る者などいるはずがない。見つかって捕らえられたが最後、どう言い訳しようとトゥリア教団の手で処刑されてしまう。だから本気で心配しているわけではなかった。
 けれど運命は時々信じられない意地悪をするために、またシャラ自身がそれを理解しているだけに、体が自然と強張った。

「な〜んだシャラ公女。意外な所で会うじゃないか。まあ上がって来いよ」

 思って見なかったほど、普通の声が返ってきた。
 二階部分には、簡単な寝台が持ち込まれ、そこでイスラフィルは退屈そうに横になっている。

「ご無事でなによりです」

 そう言うシャラに、イスラフィルは苦笑を浮かべた。

「それはほとんど嫌味だぞシャラ公女。生き恥を晒しているだけだ」

 寝台から起き上がって、イスラフィルは肩をすくめた。
 ウエスト砦で会った時のように、服はボロをまとい、体中包帯に覆われていた。

「それでも、生きてさえいればやり直しはききます」
「……部下を何人も失ってな」

 イスラフィルはふて腐れたように視線を逸らし、すぐ傍の壁についている小さな窓を開けて外を眺めた。だがすぐに首を振る。

「……いや、こんな所で拗ねている場合ではないな。貴女がきたという事は、ルク奪還の好機がきたという事だ」
 そう、シャラもそれは考えていた。モルドレッドやアルフレドにはイスラフィル救出しか申請していなかったが、ここまで深くルクの傍まで来たのなら、一気にルク城を落とす事も夢物語ではない。確かにルク城に残っているだろう、トゥリア帝国の戦力は脅威だったのだが。

「行きましょう、イスラフィル公子。あなたの部下が命懸けであなたを逃がした事は、無駄ではない。それを証明するために!」

 イスラフィルはようやく真っ直ぐシャラを見て大きく頷くのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.141 )
日時: 2019/03/27 00:16
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 シャラは、予定通りイスラフィル救出を触れて回った。
 例えばこんな風に。
 イスラフィルを救出した次の日、村人の情報に従い、フィフス村の近くを通りかかるルク城の偵察隊を森の陰で待ち伏せしていた。
 ルク城からは毎日、決まった時間に偵察隊が出ている。その日の朝早く、情報通り現れた偵察隊の前にシャラ達は飛び出した。

「ひ、ひぃ」

 偵察隊の数は五。前衛の三人がライトスピアで武装し、後衛の二人が弓矢で武装していた。シャラはアスランの隊とヒルダの隊を同行させていたため、数は十ほどである。だが戦いはしなかった。それぞれ武器を抜き、ヒルダに命じ偵察隊の鼻先に矢を一本撃たせ高らかに宣言した。

「我々はイスラフィル公子を救出した! もはや我々に足枷ありません。早晩、貴公らの城を数千の軍勢で取り囲むことでしょう!」

 唖然とする偵察隊を放置し、走り去った。
 同じ事がルク城の各所で展開された。ルクからの兵の動きは目に見えて大人しくなる。警戒を強めたのだ。
 数日後、シャラの言葉通り、デザイト方面軍の軍勢がルク城を取り囲む。そう、イスラフィルの無事を知り、彼の強力な求心力が一度動けなくなったデザイト方面軍に再び活力を与えたのだった。
 フォースを守り抜いたエリエル騎士団を加え、その軍勢は五千にものぼった。

「お〜、こりゃあ壮観だな」

 敵は籠城の構えを見せていた。
 城の表も裏もすっかり友軍によって固められている。

「イスラフィル公子。そんな呑気な……」

 水筒を渡しながら、シャラは呆れたように言った。

「ははは、若いなシャラちゃんは」
「シャラちゃん……」
「攻城戦の経験はないのか?」
「経験はありませんが……」

 城攻めの経験はなかった。ただ知識はある。敵が籠城した時は、こちらはできる限り消耗を抑え最大限に敵を消耗させなければならない。
 デザイト方面軍も、ルク城をやや遠巻きに包囲し、これ見よがしにテントを張って城を監視していた。敵に圧迫感を与えるため、必要とするよりも多くのテントが張られている。敵に見えにくいところにあるテントなど、物置代わりに使われていたぐらいだ。

「心配するな。ここは俺の国だ。手段は講じてある」

 イスラフィルの言う「手段」のせいかだったのかはわからない。ただ城を包囲して一日が経った頃、城勤めをしている下級兵の投稿が目に見えて増えていた。



 王の間——。
 そこに王座に座る漆黒を羽織る司祭と同じく漆黒を纏う黒髪の剣士がいた。

「閣下、もう後がないよ。この城は囲まれちゃってる」

 剣士は思ったより軽い口調で何か楽しそうに司祭に報告する。
 そして、剣士は漆黒の剣を構えながらニヤリと笑った。

「そういえばあの中に、僕の姉さんがいるんだ。殺してきてもいいかな?」

 司祭は深く頷く。

「構わぬ。お前の好きにするがよい」
「やっさしいね、「メフィスト」様は。それじゃあ行ってくるよ」

 剣士は笑顔で司祭に手を振ると、くるりと後ろを振り返ってゆっくりと歩きながらその場を立ち去った。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.142 )
日時: 2019/03/27 18:24
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 さらに一日、その日の朝、イスラフィルは突然動いた。

「全軍、進撃!」

 敵はおろか味方まで虚をつかれた号令だった。黄金の鎧に身を包む獅子は、常人であればまともに動けないほどの深手を負いながら、顔色にそれを窺わせず軍の先頭に立った。
 城の城門に続く坂道に取りつくが、中からの攻撃はない。それどころか城門からは閂が引き抜かれ、イスラフィル達をまるで賓客にそうするかのように出迎えたのだ。

「シャラ公女。助けてもらった礼だ。今回は俺の傍で俺の戦い方を見ておけ」
「イスラフィル公子の、戦い方?」
「そうだ。エリエル騎士団も前線から引かせてくれ」
「……わかりました。学ばせていただきます」

 シャラは素直に頷いて、部下に指示を出した。デザイト方面軍の後方に付き、逃げ出す兵だけを相手にするようにと。
 城門から入ると、城の前庭が広がっていた。前庭は千の兵を並べる事ができる程に広い。そして向こう側にもう一つ門が見える。シャラが通った正門の城門より一回り小さい。裏門だ。そちらの閂も既に引き抜かれ、裏側を取り囲んでいたデザイト方面軍の兵が、まるで包みを決壊させる洪水のように流れ込んできた。

「これは……」

 イスラフィルは忙しく指示を出しながら、シャラを振り返った。

「抜け道だ」
「抜け道、ですか?」

 普通、攻城戦でもっとも気を付けなければならないのが抜け道だ。兵達に外を警戒させ籠城が続いているように見せかけ、その実、城主や一部の要人だけが抜け道で外に逃れる。
 ルク城の隅々まで知り抜いているイスラフィルは、逆に部下を抜け道から侵入させ、そして城門を解放したのだ。
 既にデザイト兵の大半が降伏していた。イスラフィルがデザイト方面軍の指揮を執っていると聞かされ、トゥリア帝国の軍勢の流入に疑問を抱いていた兵達は瞬く間に戦意を失ったのだ。

「残るは城内の敵のみ! 気をつけろよお前達、ここまできて死んだら死に損だ。戦いが終わったら腹いっぱい美味いモンを食わせてやるから、死ぬんじゃないぞ!」

 とても戦争中とは思えない号令だった。だが兵達の動きはさらに活き活きとし始める。
 まるで一個の生き物のように、デザイト方面軍は統制のとれた動きで城の中に流れ込み、各部に戦闘が分散して広がっていった。
 敵親衛隊の攻撃もまた激しく、デザイト方面軍は多くの犠牲者を出す。

「貴様らぁっ!」

 イスラフィルは部下の死を目にすると、誰よりも真剣に怒り、先頭に立って親衛隊を切り倒していった。
 そこに、漆黒をまとう剣士がイスラフィルに斬りかかる。剣も服と同じく漆黒だった。

「楽しそうですね公子。僕も混ぜてはいただけませんか?」

 剣士はにやりと不気味に笑う。イスラフィルは一瞬怯んだが、その剣を受け止めたのはイスラフィルの剣ではなく、斬り込んできた純白の剣だった。

「公子は今ご多忙の身で在らせられる。公子の代わりとは言っちゃなんだが、私がお相手しよう」

 共についてきた純白の剣を持つ少女、カンナだった。カンナは不敵な表情を崩さず剣士にふふんと鼻で笑う。

「邪魔、するの?」
「ええ。その剣を返していただきたくって。「ウカ・アサギリ」殿」

 カンナはウカの名前を呼び、イスラフィルに振り返る。

「公子、王の間へ!」

 イスラフィルはカンナの真意を察すると、頷いて親衛隊を引き連れて先を急いだ。

「カンナ殿! ……ウカ!」

 そこへ同じくシャラについていたミタマとスピネルがカンナに近づく。ウカはミタマの姿を見て口元を三日月のように歪ませる。そしてカンナから離れるべく、一歩下がって飛び跳ねて着地した。

「姉さん! 生きてたんだ。嬉しいなぁ……あの時確かにとどめを刺したのに、また生きて僕に殺されに来るなんて!」
「勘違いしないでくださいウカ。私はあなたを必ずミズチに連れ帰ると誓っていますから」
「あははっ、呪刀さえあれば姉さんなんか……!」

 ウカはそういって手に持っている呪刀を構える。呪刀は黒く光った。
 だが、カンナは手に持っている純白の剣を構えると、呪刀の光が消えうせる。ウカはそれに驚いて目を見開いた。

「——っ!? な、なんで!?」
「これは「神刀アマノハバキリ」。呪刀の対なる存在であり、互いの力を打ち消し合う。……この剣がある限り、その剣はただのナマクラだ」

 カンナは不敵な笑みでそう言い放つ。
 呪刀カケツシントウと神刀アマノハバキリは互いが弱点であり、二つの力は相殺する。だから二つの剣は互いに離しあわなければ、力を打ち消し合って力を持たないただの刃のない剣となってしまう。ミズチ国では、二つの剣は別々の場所に祀っていたのだ。
 ウカはそれを聞いて、一瞬強張った顔をしたかと思いきや、高笑いを上げて呪刀を投げ捨てる。

「面白い、面白いね君たちは! これでこそ殺し甲斐がある! だったらあんなナマクラなんか必要ない、僕自身の手で君たちを殺してあげるね!」
「二人とも、下がって。ここは私が」

 ミタマは二人を下がらせると、手に持っている刀剣を鞘から引き抜いて構える。その顔には、迷いがなかった。

「最初は姉さんが相手してくれるの? じゃあ死ぬ直前まで痛めつけてかわいがってあげなくちゃねえ」
「そうはさせません。あの時の私とは違います」

 ウカの嘲笑に、ミタマは顔色一つ変えずにウカの動きを睨み据える。そして、小声でつぶやく。

「あの時の私とは、サヨナラです」

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.143 )
日時: 2019/03/27 22:28
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 シャラとイスラフィルは数名の兵を引き連れ王の間に飛び込んだのだ。

「ふふふ、イスラフィル公子。早かったですな」

 王座にその男が座っていた。
 衣服こそトゥリア教の司祭の物だが、その姿には強い違和感がまとわりついていた。
 まとった物に収まりきらない禍々しさが、その男から放散されていた。
 歳は四十を超えたあたりだろか。緩く波を描く豊かな髪を、いく房か残して無造作に後ろで束ねている。その顔には、他人を嘲笑うかのような表情が浮かべられていた。

「久しいな、メフィスト。もっと早く退治しておくべきだったと反省しているよ、国を腐らせる害虫をな」

 静かに自らの剣を抜き放ちながらイスラフィルは冷静にそう言った。

「くっくっく。害虫とは、随分な言われようだ」

 ゆっくりと王座から立ち上がりながら、メフィストは懐から魔導球を取り出した。
 夜の闇よりもなお黒い闇を宿した魔導球。

「もう逃げられんぞ、おとなしく投降しろ」
「投降……私が、ですかな?」

 さもおかしそうに、くつくつと笑いながら自分の手の中にある魔導球を愛おしそうに撫でまわしていた。

「貪欲なる闇に蝕まれるがいい」

 その声は、不気味なほど近くで響いた。シャラと王座との間にはまだ十数歩は歩かなければならない距離がある。
 だというのに、メフィストの声がほとんど耳のすぐそばで囁かれたのではないかと錯覚するほどだった。
 その途端、シャラの身体から自由が奪われた。

「な、なに!?」

 暗黒魔法とは呪いと幻だ人々を恐怖で縛り、使役するための力。
 その声は呪いだ。
 呪いは見えない綱となってシャラの身体を縛る。

「あ、ぅ」

 全て幻のはず。だが現実以上の力を以って、シャラを苛み始めていた。
 呻くが、無駄だ。どれほど力を込めても動けない。それどころか、シャラの身体の自由を奪った何かは瞬く間に力を強め締め上げていく。
 あまりの力に視界が霞みチカチカし始めた。その朦朧とした視界に、目に見えぬはずの呪いが姿を現し始める。
 蛇だ。
 人間を数名丸呑みにできる程の、漆黒の鱗を持つ巨大な蛇が、シャラの身体に絡みつきその巨大な顎を開いて毒々しい口蓋を外気に晒していた。
 暗黒魔法で作られた幻だ。だが生々しい質感を持つそれは、ぬらぬらと唾液を滴らせながら先が二股に分かれた細い舌をちらつかせていた。

「ぐぅ」

 胴を締め付ける力が、さらに高まる。このままでは鎖骨の一本や二本すぐにへし折られるだろう。
 いや、これも幻のはずなのだ。

「ああああああっ!」

 ついにシャラは絶叫を上げた。肺が絞られ、息が吸い込めない。このままでは死んでしまう。
 そんな恐怖が脳裏に去来した瞬間、蛇を光の刃が切り裂いた。
 シャラは突然の出来事に辺りを見回す。突然身体が自由を取り戻すが、平衡感覚が伴わず床に崩れるように倒れ込んだ。

「若いな、公女。世の中にはに手も焼いても食えない奴がいる。敵と対峙したら一瞬だろうと気を抜くな。それが一軍の将であるならなおの事。できなければ部下を無駄に殺す事になるぞ」
「ごはっ、ごほっ」

 喉が痛むほど大量の空気をむさぼる。シャラが振り仰ぐと、イスラフィルが剣を振るったままこちらを見下ろしていた。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

「い、すらふぃ……ごほっ、公子には、幻が……?」

 おかしな言い方だが、この幻が見えないのだろうか。
 あたりを見れば、一緒に突入した兵達が、やはり戒めを解かれシャラと同じように床に座り込んでいた。
 シャラはようやく、メフィストが王の間に飛び込んだ人間を全て、一気に呪殺しようとしていたのだと気が付いた、改めてその恐ろしさに背筋が凍る思いがする。イスラフィルがいなければ間違いなくシャラ達はここで全滅していただろう。

「痛いんだ」
「……え?」
「体中の痛みのせいで、幻影に惑わされている暇がない」

 イスラフィルは照れくさそうに、他の者には内緒だぞと口止めをしてからメフィストに向き直った。

「何!? 私の暗黒魔法が……?」

 今度はメフィストが驚く番であった。自慢の術が通じず、狼狽え、そして後ずさる。
 シャラ達を救い出したイスラフィルは、もはや何の憂いもなくメフィストに向かい、そして剣を突きつけた。
 イスラフィルはシャラのすぐそばに立っている。先ほどと同じ立ち位置にいるメフィストとは、まだ距離が開いていた。それでもメフィストは、すぐ喉元に刃物を突き付けられたように凍りつき青くなっている。

「ぬ、き、貴様!」

 最初の余裕など、もはやどこにもない。そこにいるのは、追い詰められた一人の悪党。それだけだった。
 イスラフィルはそれを見て、ふふん、と鼻を鳴らす。

「ようやく化けの皮がはがれてきたな。悪いが貴様は殺すぞ。生かしておくにはあまりに危険な存在だからな」

 生け捕りにできれば、トゥリア帝国の情報を引き出せるかもしれない。しかしもし暗黒魔法を使われれば、たった一人とはいえ一軍を壊滅に追い込みかねない危険性がある。

「ふ、ふはははは! 殺す? 私を殺すだと!? 私は蛇。帝国の古き蛇よ! 貴様のような若造に渡しを殺すなどでき——」

 メフィストが高笑いをあげながら叫んでいるとイスラフィルは一気に間合いを詰め、凄まじい突きを放つ。そしてそのまま魔導球ごと剣に貫かれた。
 割れた魔導球が音を立てて床に落ちて砕け散る。

「さてシャラちゃん、勉強になったかな?」

 イスラフィルは子供のように無邪気な笑顔を浮かべ振り返ってシャラを見た。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.144 )
日時: 2019/03/28 18:08
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

「ははは……やるね、姉さん」

 ミタマの渾身の斬り込みに胸を斬られ、衣服と肉が切り裂かれたウカは、不気味な笑みを絶やさずに剣を杖代わりに身体を支え、やっとの思いで立っていた。
 激しい剣の打ち合いの末、ウカが見せた隙をついて、ミタマは一気に斬り込んで致命傷を与えた。スピネルが杖を持って近づこうとしたが、カンナにそれを制され、ウカとミタマの様子を窺っていた。頃合いを見て、ウカの治療をしようと考える。スピネルは杖を持ったままそれを見ていた。
 荒い呼吸でミタマが刀剣を鞘に納める様子を眺める。

「とどめ、ささないの……?」
「あなたを連れて帰る事が目的です。それに虫の息、もうあなたに私を殺す術はありません」
「甘いんだねぇ、今殺さないと後悔するよ〜?」

 ウカは煽るように笑みを絶やさない。ウカの傷は早く治療しなければ、失血して倒れ込んでしまうようなものだった。だが彼は余裕そうな表情だ。
 ミタマは首を振る。

「甘いとかは、父上から散々言われてきましたから。それに」

 ミタマはウカに近づいて手を差し伸べる。

「大事な弟ですから」

 ウカはミタマを驚いたように目を見開いて、純粋な子供のような表情を見せる。
 だが、そのすぐ後に口を大きく開けて高笑いを上げる。

「あはははっ、あはははははっ! 姉さんってばまだそんな事が言えるんだ? 優しいんだねえ!」

 そして鋭い眼光と憤怒の表情でミタマを睨み据えた。

「虫唾が走るんだよっ! 僕は姉さんのそういうところが嫌いなんだよ、何もかも持ってて父上に認められて、誰からにも期待されててさあ!」

 ウカは吐き捨てるように、血を口に滲ませながら叫ぶ。
 ミタマは黙ってそれを聞いていた。

「だから、父さんを殺した。ついでに同盟軍とかも皆ね。僕が同盟軍を殺すたびに帝国軍の皆から褒められたんだよ。それにメフィスト様はさ、僕の事を認めてくれてたんだ。いずれ捨てられるなんて、捨て駒だってわかってる。だけどね、僕を必要としてくれる人が、期待してくれてる人がいたんだよ! 姉さんに僕の気持ちはわかんないでしょ!」
「わかりません」

 ミタマは静かに言葉にする。……ただ、静かに。

「認められないからって、誰かを傷つけていいはずがありません。期待されていないから、誰かを不幸にしてしまうのも間違っています」
「じゃ、あ……」

 ウカはミタマに今まで以上に激しく怒り、指をさす。

「どうすればよかったんだよ! 僕は」
「私達を頼ってくれたらよかったんです」

 ミタマはウカの頭に手を置く。

「そりゃあそんな悩み口にできないですよね、ですが……ほかに方法があったはずです。だって私達は姉弟なんですから。姉弟だったら必ず一緒に解決方法が見つけられたはずです。根拠はないかもですけど」

 ミタマはウカの目を見て微笑む。その顔はまるで母が子を制するための笑顔だった。
 ウカは黙ってミタマを見る。

「……そうだね」

 しかし、次の瞬間ウカはミタマを思いっきり突き飛ばす。ミタマは驚いてウカを見るが、ウカは口を歪ませ笑みを浮かべた。

「でも、僕は姉さんが大っ嫌いだったんだ」

 ウカは高笑いをあげながら、剣を握りしめて、自身の首を掻っ切った。
 鮮血が飛び散り、ウカは歪んだ笑みを浮かべながら床に突っ伏す。音を立てて倒れ込み、床に黒いしみが広がっていった。それきり、彼はもうそれ以上動かなくなった。
 残された者達はその様子を唖然として見ていた。



 戦いは、その日の夕暮れまでに終結した。
 デザイト公爵であり、イスラフィルの父親であるマリクは自分の寝室で発見された。命の危険はないが、メフィストの術と毒とで正気を失っており、元の健康な体を取り戻すのにはしばらくの時間が必要となるらしい。
 ルク城に入り込んでいた親衛隊はその全てが討ち死にするか自害して果てた。
 メフィストもイスラフィルの突きによって即死しており、帝国の情報は得られなかった。結局イース同盟は何も得られなかったのだ。ただ、奪われた物を取り戻しただけ。
 つまるところ戦争というものはそういうものだと、事後処理を手伝いながら少し愚痴を吐いたシャラに、イスラフィルは妙に寂し気にそう言った。
 だがこれで、イース同盟はデザイト方面軍を解体し、同盟軍の全ての勢力をトゥリア帝国軍へと注ぎ込む事ができる。その上、デザイトの精鋭一万が戦線に加わるのだ。
 イース王国、いや、イース同盟に差した一条の光明であった。