複雑・ファジー小説
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.2 )
- 日時: 2019/02/21 09:37
- 名前: 燐音 (ID: y47auljZ)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=1084.jpg
序章 戦いの序曲
その男は地面が震えていることに気が付く。
だがそれは地震ではない。その震動はごく表面的のものであったからだ。揺れもそこまで大きいものではない。擂れて薄くなった革のブーツの底越しに足の裏がわずかに感じ取れる違和感程度のものである。
彼は試しにしゃがみ込んで、耳を地面に押し当てた。すると耳朶には小刻みに規則正しく震動が伝わってくるのがわかる。
ドドド、ドドド、ドドド、と巨大な棍棒で地面を打ち鳴らしているかのような……。
彼はにわかに恐怖を覚えた。
辺りを見回しても隠れられそうな場所はない。ここは見晴らしのいい、緩い坂道の途中だ。避難できそうな民家も、身を隠すための岩陰も地面のくぼみもない。皮肉なまでの晴天が、地面に刻まれた自身の濃い影が、ますます彼の姿を浮かび上がらせていた。来た道を振り返れば、坂の下の方に村が見える。だがその姿はあまりに小さく、つまるところ遠い。
これから向かうはずだった坂の頂上付近に小さな森がある。だが震動がやってくるのはまさにその森がある方向なのだ。そちらに向かうなど、論外である。
次の瞬間、迷ってる間に何かを選ぶべきだったと、彼は後悔した。
森の向こうから、とうとう謎の振動を起こしていた何かが姿を見せたのだ。
黒い影。
それが森の向こうから顔を出し、一気に地面を這うように膨れ上がる。
巨大だった。だがひとしきり怯えた後、彼は影の正体に気が付いた。人間なのだ。人が騎乗して、そして隣同士が触れ合うような距離で密集して駆けてくる。余程の訓練を受けているのであろう、まるでひとつの生物のように息を合わせて突き進んでいた。だからひとつの巨大な存在に見えたのだ。黒と銀にいどろられた疾風に。
先ほどまでとは違う恐怖がこみ上げてくる。
彼は行商で村々を回っている。だが坂の下に見えた村には寄らなかった。なぜなら、坂の下の村は今、王国から逃亡した脱走兵達に占拠されているからである。
突然現れ、男たちを皆殺しにし、残った女子供を人質として居座っている。水や酒、食糧などの村の蓄えを食いつぶしながら、そこを足掛かりとしてさらにほかの村に害を及ぼしているらしい。旅人の間では決して立ち寄らないように警告されている村だった。
脱走兵は王国の過酷な兵役に堪えられず逃げ出し、この辺りで人々を襲うようになった……と噂を聞く。
では森の向こうから姿を現したこの集団は……と、男の頭の中に連鎖的に想像が膨らんでいく。その時には、もう逃げ隠れできないほどの距離に騎馬集団は近づいてしまっていた。
「ひぃ」
男は情けない悲鳴を上げ、その場に座り込んだ。商売に使う品物を、稼いだ金を、あるいは自身の命を奪われるのではないか。そんな恐れに恥も外聞もなく頭を抱え、これまで一度も祈ったことのない「イース神」に助けてくれと祈った。
その直後、謎の騎馬集団は座り込む男の横を一陣の風と共に駆け抜けた。
祈りが通じたのだろうか、彼はそう思い顔を上げる。目に入ったのは、見事な馬に跨りそして武装していた。全員が剣や槍や弓、そして鈍色に光る鎧で武装を固めている。
これが彼らと同じ脱走兵なのであろうか、あまりに見事な姿に彼は怯えていたのも忘れて眺めていた。
「驚かせてしまったようで、申し訳ありません」
一団から、一人の若者が馬から降りて、彼に歩み寄ってしゃがみ彼に目線を合わせる。若者の跨っていた馬は純白の毛並みが美しい駿馬であり、男の目の前にいる若者は、翠色の透き通った宝石で飾られたベールを頭に被り、同じ色のマントを羽織る、決して華美ではないが凝った作りの鎧を身にまとった少女。精悍ながら、品を兼ねそろえた、まだ幼さを残す凛とした顔には穏やかな微笑みを浮かべている。燦々と降り注ぐ陽の光を受け、少女の桃色の髪が一層輝きを見せた。
彼は座り込んだまましばらく立ち上がれなかった。
「もう怯える必要はありません。彼らは国の恥。それは我々が成敗いたします」
「あ、あなたがたが……?」
ようやく意味ある言葉が口から出てきた。声は震えていたけれども。
「はい、お任せください。我々エリエル公国騎士団の名の下、必ずや」
少女は男に対し、目を細めてにこりと笑う。そして、男を立ち上がらせて少女は馬に跨る。
ハァッ!と少女は愛馬に鞭を入れ一瞬で元の疾風の一部となって坂を駆け下りていく。彼は呆然と風の後姿を眺め、立ちつくしていたのであった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.3 )
- 日時: 2019/01/29 07:49
- 名前: 燐音 (ID: RVrqr3ZE)
昨晩、宿を求めた村での出来事であった。提供された家屋の中で彼女らは話し合っていた。
「シャラ公女、もう半日お待ちいただければ……」
質素な小屋の中で、シャラと呼ばれた少女は壮年の逞しい男と向き合っていた。
男はシャラに対し翻意を求めていた。背は彼女の二回り程大きく、大樹のようにがっしりとした身体。その見た目は老いを感じさせない勇姿であった。彼女は幼い頃、その男のそびえる巨体が恐ろしく見えていたが、今では誰よりも頼りになる副官である。
「いいえ、村の方々の話では、「ハッカ共和国」から来訪した治療師の方が一人、村に病人が出たと聞かされ出ていったそうです。どのみち村を救うなら、犠牲者は少ない方がいいでしょう」
若い娘が山賊と大差ない者たちが支配する村へ出かければどういうことになるか。想像は難しくない。しかし、それでも尚そこへ向かったと言う事は無謀なのか正義感があるのか……
どちらにせよ、シャラには真似できない行為であった。シャラは騎士だ。国の為に剣をとり、危険な戦場に赴く。だがそれとて十分な軍備を整えての事である。何の抵抗の手段も持たぬ若い娘がそのような場所に向かうなど、考えられない。
ただ今は、シャラの進むべき道は彼女を救った先にある。イース王国の恥部となる脱走兵たちを排除し、民衆を救う。それが騎士であるシャラの任務であり使命であった。
「しかし、あと半日あれば兵たちも合流いたします。その上で十分に下見をし……」
「エドワード、わかっています」
副官の言葉を遮り、彼が続けようとしていた言葉を受け継いだ。
「そうすれば安全に我らは勝利を得ることができます。いずれも屈強な我が騎士達にとって、十分な数と相手に合わせた作戦さえあれば損耗は最低限度に抑えられます。ですが、それは私達「騎士」の勝利ではありません。今、誰かが危機に瀕していることを知りながらそれを見過ごすのは、騎士の戦いではありません」
「では、どうなさるおつもりで?」
エドワードの顔に、自分の提案を拒絶されたものの怒りはない。むしろ師が弟子の成長度合いを見守るときの顔に似ていた。
「まず、彼らの状況を予想してみましょう。同盟軍から征伐隊は出ていません。おそらく王城を守るだけで手一杯なのでしょう。近隣に彼らに敵う軍勢はない。……彼らが知る限りでは」
シャラは窓の近くまで歩み寄り、外の夜空を見上げる。そして一つ息を吸い込んで、続けた。
「彼らは常に臨戦態勢をとっているはずがありません。恫喝する相手もいないのに、村人の首筋に刃を突き続ける理由がありません」
「ふむ、確かに……」
「我々は、その速度を以って敵を翻弄することこそを信条とする騎士団です。最大の速度を以って一気に村の中へと駆け込む。相手に駆け引きなどさせる暇も与えず、相手が状況を理解するよりも早く一瞬で制圧する。そうすれば誰も傷つきません」
一気にそう説明してエドワードを見ると、彼は満足げに頷いていた。
「よく学ばれましたな」
「いえ、エドワードの教えが良かったのですよ」
シャラはにこりと微笑むと、エドワードは「無駄に年を重ねているだけです」と謙遜をしながら地図の一点を指さす。シャラもテーブルに近づき、エドワードの言葉を聞いた。
「ではこの老骨がその作戦に一つ花を添えましょう。村への侵入は、多少遠回りとなりますが南西からにされた方がよろしいでしょう」
「南西、ですか?」
「そうです」
エドワードは静かに頷き、目の前の地図を指さした。この村と目的地である「エコー村」を繋いでいる街道をまっすぐ突き進めば、村へは北西から侵入する事となる。
「この地図を見る限り、南西側に向かって、なだらかではありますが上り坂が続いております。坂を一気に下ることで速度が乗り、また坂が我々の接近をギリギリまで隠してくれましょう」
エドワードはにっと笑う。
「……そうですね。確かにエドワードの言う通りです。私は一刻も早くエコー村に乗り込むことしか考えていませんでした。」
まだエドワードの用兵の腕には及ばない。発想ではなく、冷静に戦場を見つめる目がまだ備わっていないとシャラは感じた。
「では作戦はこの通りで、皆さんに通達してください。決して村人を傷つけてはいけません。そして共和国の治療師の方を保護する事」
「はっ、承知しました」
そしてエドワードは部屋を出ていった。
翌日、商人の男と別れたエリエル公国騎士団は、シャラを先頭にエコー村を目指していった。
一糸乱れぬ陣形を崩さぬまま、エリエル騎士団は一気にエコー村へと突入した。ごく普通の村である。戸数は数十から百は下回る程度。
数多の見張りが表に立っていた、これはすぐに騎馬弓兵によって無力化された。あとはどれだけ手際よく終えるかの問題である。
エコー村での戦いは、日暮れまでに片が付いた。戦闘でのエリエル騎士団の死傷者は驚いたことにゼロである。シャラの予想通り、ならず者たちはほぼ無警戒であった。おまけに、昼前から酒を喰らって多くが前後不覚になっていたのだ。
「あ、あの、あんたが騎士団の隊長?」
ふと一人の少女が手に持っている杖を抱えたまま、シャラの目の前に現れた。薄い桃色のベールを被り、濃い桃色のスリーブのない服を着た、気の強そうな少女であった。シャラは馬から降りて少女に頭を下げる。
「はい、私はエリエル公国騎士団を率いる、「シャラザード・グン・エリエル」と申します。あなたは、エコー村で脱走兵に捕らわれていたという共和国の治療師の方ですか?」
「そうよ、おかげで助かったわ公女様」
強気で不敵な態度を崩さない彼女に、シャラも胸を撫でおろす。怪我もなさそうだ。
「いえ、あなたが無事で本当によかったです」
このイストリア大陸では今、大きな戦乱が渦巻いていた。
「イース連合同盟」と「トゥリア帝国」の果てしのない戦い……それが今日まで続いているのである。
シャラ達エリエル公国の騎士団も、イース連合同盟の盟約に従うべく、西に位置する草原の国から盟主であり、イース国王の下へと馳せ参じるため旅を続けていたのだ。
エコー村での戦いは、その旅路の最期に出会ったほんの些細な出来事だった。
だがこの日より、シャラの戦いの日々は幕を開けたのである。