複雑・ファジー小説
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.27 )
- 日時: 2019/02/04 00:07
- 名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
第五章 死闘
爽やかな初夏の風が窓から吹き込み、緩やかにカーテンを揺らした。
私は手にしていたペンを机に置き、椅子にもたれかかって背伸びをする。
「ん〜〜っ」
窓の外から、一枚の葉っぱが風に乗って部屋の中へと迷い込んできた。二階にあるこの部屋に入ってくるのは、庭に植えてあるアプリコットの木のものだろう。
私は椅子から立ち上がると床に舞い落ちた葉を拾い、テラスへと出る。目の前によく茂った樹が植えられていた。これを見て私が思い出すのは姉の顔である。彼女と出会ったのはほんの一年前の事だった。この城に来たばかりで馴染めずにいた私に、あの人は木に登ってアプリコットの実を二つ、もぎ取ってくれたのだ。
「ほら、そんな暗い顔してないで、一緒にこれを食べましょうよ」
後で聞いてみたら、あの人も私の事をどう扱っていいかわからず苦し紛れでそうしたらしい。だけどその実は酸っぱくて、とても食べられたものではなかった。二人して余りの酸っぱさに顔をしかめる。その顔があまりにもお菓子かったおかげで、私は久しぶりに笑う事が出来た。
「うふふっ、エオスは笑ってた方がかわいいわね」
桃色の髪と、太陽のような笑顔を持った少女は私の頭を撫でながらそんな風に言っていた。何も心配しなくてもいい、と。
でも、この大陸中を巻き込んで繰り広げられている戦争は、彼女の言葉を嘘にした。私の周りは日に日に慌ただしくなっていく。父は戦場と城とを行き来する毎日だ。それとて、私を心配させないために無理に時間を作ってくれているのだろう事は、重々理解している。
父の上官は私達と家族ぐるみで付き合いがありよく城に遊びに来てくれる。まだ若いから「おじさま」と呼ぶと苦い顔をするその人も、戦争に行っている。
城に仕えていた騎士も、父とは別の戦場に出かけてしまった。出て行く男の人ばかりではなく、城で働く侍女たちもどこか張り詰めているように思える。
何より、大切な姉が、戦場に出かけてしまった。きっと無事で帰ってきてくれると信じている。でも心配は尽きない。
だからいつも手紙を書くのだ。少しでもつながっていられるように。でも今日はなかなかペンが進まなかった。
「何を書いたらいいのかしら……」
そもそも城の中にそれほど変化はない。忙しいのだろう、姉は手紙を出しても返事をくれたことがない。それでもよかった。ただ無事でさえいてくれれば……。
「イースの女神様、どうかお姉さまを無事で返してください。そのためでしたら私はどうなっても構いません。ですから、どうか……」
私は椅子に戻り、再びペンを手に取った。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.28 )
- 日時: 2019/02/18 12:40
- 名前: 燐音 (ID: XQp3U0Mo)
その日、王都ブリタニアにあるイース王国王宮に激震が走った。
「なに! もう一度言ってくれ!」
謁見の間に走り込んできた伝令兵は求められるままに、絶叫に近い報告を繰り返した。
「ソール王国王宮陥落! 繰り返します、ソール王国が陥落いたしました!」
閣議のため謁見の間に招集されていた貴族・神官たちは、謁見の間では静寂を持ってよしとされているにもかかわらず隣り合った者と勝手に言葉を交わし始めていた。そうでもしなければ足元から突き上げてくる不安に、自分が保てなかったのかもしれない。
ソール王国は、帝国軍のデザイト公国への侵攻を阻止し、懸命に自国と同盟国を守るべく戦い続けていた。しかし、報告によるとソール王国国王の宰相が帝国に寝返り、王宮への侵入を許してしまったようである。そして国王は死闘の末戦死した、という。その息女である王女は現在消息不明である。
ソール王国が陥落したことで戦力も落ち、デザイト公国への進撃を阻むことは不可能となった。遠からずデザイト公国東部戦線はこれまで以上に不利な状況となるだろう。デザイト公国が陥落すれば次はディーネ公国、その後にイース王国が戦場となる。考えたくもない未来が、そこにあった。
だがそうなるまでにはまだいくらか時間は残されているだろう。だが時間が残されているというだけであって、状況を覆す方法などなかった。残されているのは、その時間を少しでも引き延ばす方法だけである。
謁見の間の末席に控えながら、シャラは自身の予感が的中したことに心苦しくなった。あの時、援軍を送っていれば状況は良くなったかもしれない……。だが、全て後の祭りというものであった。
見ればモルドレッドの左手に控えているアルフレドも悔しそうに歯がみしていた。恐らくは同じことを考えているのではないだろうか。
「ヴィシュヌ王は、最後まで城に残って抵抗を続けたと思われます。恐らくは……」
伝令の兵は言いにくそうに報告し、さらに続けた。
「ヴィシュヌ王の指示かと思われますが、兵達は王宮より敗走を始めております」
「なに?」
モルドレッドの声が低くなる。
「その数は約千!」
千人もの傷病者が命からがらこのイースを目指して撤退を開始しているというのだ。
謁見の間のあちらこちらから「おお」とため息が漏れる。
「当然、追撃隊が組織されているでしょう。おまけにソール王国の王宮の位置からすれば、恐らくデザイト公国のバラカ砂漠を通過すると思われます。あそこはかなり規模の大きな盗賊団が縄張りとしており、通りかかる旅人や商隊を襲うと言います。傷ついた敗走兵は彼らの恰好の餌食です」
伝令兵の言葉にアルフレドは即座に願い出る。
「陛下、どうか救援を差し向けてください!」
イース同盟の為に、ひいてはモルドレッドへの忠義を尽くすために戦い傷ついた者達だ。謁見の間の何人もが、アルフレドの言葉に同調して頷いていた。
だが……
「ならん! なぜ余がそのような者共を助けねばならんのだ! 千だと? それだけの数があるならどうして戦いを続けぬ? 最期の一兵となるまで戦い続けるのが真の忠誠というものだ! けしからんっ!」
怒りも甚だしく、モルドレッドは王座から立ち上がったのだ。
「兄上!」
モルドレッドの隣に控えていた王妹アムルが驚いたように声を上げた。
「陛下! それでは逃げ延びてくる者たちに死ねと申されるのですか!?」
「そうだ! そのような者達を助けるために割く余分な力は残されておらん!」
「陛下……」
翻意を求めるアルフレドの声を振り払うように立ち去ろうとするモルドレッド。
「陛下!」
シャラは思わず声を上げていた。場の視線がシャラに集中し、立ち去ろうとしていたモルドレッドも足を止め振り返った。
「また貴様か、小娘」
元々モルドレッドはシャラの事を嫌っている。シャラよりずっと身分の高いものですらわかりやすいお追従を口にするものがほとんどだ。だがシャラは礼儀をわきまえながらも言うべきだと感じたことは率直に口にする。それが面白くないのだろう。
その視線にはソール王国の兵達への怒りが上乗せされ、血走っていた。
「貴様も役立たず共に救援を送るべきというか?」
刃物のように言葉を突きつけてくるモルドレッド。シャラはそれがさらなる不興を買うとわかりながらも頷かずにはいられなかった。
「ふ、わかった。では許可してやろうではないか」
救援を求めながら、求めている当人であるシャラですら許可されるとは思っていなかった。
アルフレドが、アムルが、その場にいる貴族や神官の何人かが、驚いたようにシャラとモルドレッドの顔を見比べる。
「ただし出陣を許可するのは貴様の部隊のみだ。他のものが手を貸すことは許さん。当然、軍費も同盟軍から捻出する事はまかりならん。それでもいいのか?」
千人に上る兵達の救援に、エリエル騎士団はただ百と数十である。明らかに少なすぎた。それでもシャラはモルドレッドに一礼をせざるを得ないのだ。
「は、ただ一隊のみ出撃を許されるのが我が騎士団である事を、栄誉と思いますれば」
「ふ、ふふふ。やせ我慢がどこまで続くか見物だな」
「では、出撃の準備があります故、私はこれにて失礼いたします」
シャラはモルドレッドの哄笑を背に浴びながら、謁見の間を退出するのだった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.29 )
- 日時: 2019/02/16 18:10
- 名前: 燐音 (ID: I.inwBVK)
バラカ砂漠は、デザイト公国の周りにある突起した巨石の影響で上昇気流が大気上層を中緯度まで移動してから下降することによって発生する亜熱帯高圧帯の影響下に一年中ある場所であり、さらに降水量も他の地域に比べ少ない事の影響により、砂漠化している。デザイト公国全域に緑は少なく、荒野が広がっている。このバラカ砂漠も砂地は見晴らしがいいが、ところどころに突起した巨石が存在する砂漠で、思わぬところに死角が生まれる。さらに乾燥した風が吹き、巻き上げられた砂や埃などが顔に当たり、ずっと目を開けているのは辛い。
砂漠とはいえ、地面はひび割れ、そこから顔を出した枯れた灌木が風にうたれ揺れていた。
シャラ達エリエル騎士団は、王都ブリタニアを出て四日後にこの砂漠に到達していた。この四日という時間にも大きな意味がある。謁見の間で救援の許可を得て出撃の準備をしていると、追い打ちをかけるようにモルドレッドからの伝令がエリエル騎士団の宿舎を訪れ、今回の任務に許される期限を告げたのだ。
ブリタニアを出撃してから、九日で戻れ、と。
四日経った。当然戻るにも四日がかかる。万が一予期できぬ何かが起こった時の為に、そろそろ引き返さなければならない状況に差し掛かっていた。
だが、シャラ達はソール王国から落ち延びてくる兵達に、まだ一人も出会ってはいなかった。
シャラの胸には焦りがこみ上げ始めていた。
このままでは何もできない内に帰還しなければならない。モルドレッドやルーカン、グリフレットが嬉々としてシャラの失敗をあげつらうのは目に見えている。だがそれはシャラ一人が我慢すればいいだけだ。それよりも、一人の兵とも出会わないのはどういう事なのだ。
これだけ広大な砂漠だ、行き違っていたとしても不思議ではないが……。
ただ馬に揺られ進んでいるだけであるが故に、考えは悪い方へ悪い方へと転がり落ちていく。
「シャラ様! あれをご覧ください、人影です!」
エドワードの野太い大声が、シャラを現実へと引き戻す。まだ遠い、敵か味方かの識別どころか何人いるのかすらわからない。それでも、それは人間の影だった。
「急ぎましょう!」
疲れが見え始めている愛馬に鞭を打って、シャラは駆け出した。
それはまさしく目指していたソール王国の敗走兵達だった。
誰もが傷を負っていた。半死半生で他人の肩を借りなければ歩けないものも多く、無事の者など一人もいない。
そこに、シャラに一人の少女が近づいた。
「あなた……もしかしてイース王国から来てくださったの?」
少女は負傷している兵士に肩を貸しながら、シャラに弱弱しく尋ねた。
少女は艶のある碧く長い髪が整い、髪と同じく碧い瞳が美しい少女だった。額にサークレットを飾り、白いマントを羽織り、黒いローブを着込む、女神もかくやと言った風貌のその人は、シャラも聞いたことがあった。ソール王国第一王女であり、王家の歌姫の異名を持つ……「ラクシュミ・リート・ソール」その人であった。
シャラは自身の名と身分を名乗り、慌てて膝を突こうとするが、ラクシュミはそれを制止し肩を貸している兵士をその場に座らせる。
「イース王国のモルドレッド王は、ようやく救援を派遣してくださったのですね」
ラクシュミは、「この方の治療を」と言ってから、そう安心しきった顔でシャラに微笑む。だが、シャラは首を振り否定した。
「……まさか、救援はあなた方だけ、なのですか……!?」
「申し訳、ありません……」
シャラはどういう顔で彼女を見ればいいのかわからず、ラクシュミに対しただ頭を下げることしかできなかった。ラクシュミはシャラの真意を悟ると、後ろに振り向き指をさす。
「公女、まだ我が国の助けねばならない者がたくさんいます。どうか、その慈悲ある心で私の愛する兵士たちを……」
ラクシュミがそう言いかけると、言葉を詰まらせる。彼女が眼に涙を浮かべていることに気づいた。
ラクシュミは消息不明と言われていたが、恐らく敗走する兵士を先導していたからであろう。それが父の……ソール国王の最期の願いであるから。彼女も相当な思いでここにいると言う事は、その涙で理解できた。
「承知しました、必ず皆をお救いいたします」
シャラの言葉に、ラクシュミは「ありがとうございます」と一言、深々と頭を垂れた。
「シスター達は傷ついた兵達の治療を! 他のものは周辺を警戒してください!」
シャラはラクシュミに頷いて、兵達を治療するために同行していたシスター達を呼ぶ。
シャラの号令と共に運搬用の荷馬車に同乗していたルァシーやその他シスターや治療に詳しい傭兵などが降りてくる。他の騎士たちも一斉に動きだした。
シスター達が治療するために、どうしても足が止まる。それは敵からすれば襲撃する格好の機会となってしまう。
ラクシュミは兵士達に肩を貸しシスターの前まで運び出した。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.30 )
- 日時: 2019/02/06 00:05
- 名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
大部隊が敗走する場合、半ば生還するのを諦め、残りの仲間たちのために体を張って追撃部隊の足止めをする殿隊が存在する。傷ついた姿を見ると、彼らがその部隊であるようにも思えた。ラクシュミのあの性格だ、殿隊を先導したのは彼女だろう。彼女の立場であるなら、兵達を守りたいという気持ちはシャラにも痛いほどわかる。
今回はこのように移動時間が長いため、シャラ達には物資運搬用の荷馬車も多く同行していた。その荷台から大きな布を張って即席の天幕を作る。
ラクシュミや騎士達はそこに怪我人を次々と寝かせ怪我の重い者はルァシーやシスターの神聖魔法で、怪我の軽い者は医療の知識のある者の薬草や包帯などで治療を施していく。
怪我が軽くとも、ほとんどの者が合流した途端に疲労で動けなくなった。
十分な食料や水を持ち出す余裕もなかったのだろう、シャラ達が荷馬車に乗せていた水を分け与えると、だれもが奪い合うように水筒を受け取り喉が避けるのではないかという勢いで飲み干した。中には渇きが癒えた安心感のせいか失神する者までいる。
そんな中で一人の大男がシャラの前にやって来た。軍支給の鎧を窮屈そうに纏っている。だがその鎧はいくつもの傷を帯び、敵の者と思しき返り血で汚れていた。
荒い木彫りの面のような無骨な顔、髪は赤毛で頭のてっぺんに犬のような耳が立っており、おまけに黄色い毛並みのふわっとしている大きな尻尾もある。彼は犬の獣人であろうか。手には半分に割れた鋼鉄の盾を携えている。
「あなたは……?」
シャラが問うと男は無骨な外見そのままに、無言のまま直角に腰を追って頭を下げた。
「俺は、ラクシュミ殿下の近衛騎士、「ワスタール・ベオウルフ」」
「騎士ワスタール。私はエリエル公国公女「シャラザード・グン・エリエル」。遅れてこちらにたどり着いたことを、深くお詫びします……」
言い淀むシャラにワスタールは首を横に振る。
「いや、あなたのおかげで殿下と多くの部下の命が助かりそうだ。……図々しいようだがもう一つだけ俺の願いを聞き届けてはいただけまいか?」
「願い?」
シャラが問うとワスタールは大きく頷いた。
「予備の斧と盾を」
そう言って空の右手と左手に持った半分になった盾を示す。
「できれば、馬も貸していただきたい」
ワスタールはそう言うと、自分たちが来た方向を振り返った。
「まさか、戻る気ですか!?」
それは自殺行為である。
だがワスタールの決意は岩のように固い。それあその両の目が、体中ボロボロに汚れ疲れ切りながらもいまだ鋭い眼光を発する両目が物語っていた。
「助けねばならぬ者がおります」
「まだ、戦うつもりなのですか?」
ワスタールは深々と頷く。
「……わかりました。あなたに斧と盾、それに馬をお貸しします。」
「かたじけない」
ルァシーが杖を持って駆けつけるのも待たず、ワスタールは傷口を布で縛っただけでシャラが貸した馬を駆り来た道を戻っていった。
「馬鹿よ、騎士なんて……あんな傷で誰かを守れるはずがないじゃない……」
ルァシーは杖を握りしめ、周りに聞こえないくらいの小声でそっと呟いた。
「シャラ様!」
その様子を遠くから見ていたのだろう、エドワードが駆け寄ってくる。
シャラはあたりを見回す。砂漠の一角に、いきなり野戦病院が出現した、そんな状況だ。次々やってくる兵達に治療の手が足りず、わずかな水を与えられるだけで傷病兵達は待たされ、その時間は見る間に長くなっていく。
怪我の軽い者は自ら薬や水を運び、応急手当を手伝っていた。
幸い、まだ敵の姿は見えない。だがすべての傷病兵を収容し治療を終えるまではまだしばらくかかるだろう。
シャラは一つの決断を下した。
「エドワード、危険ですが隊を二つに分けましょう。ここで治療を施すシスター達とその護衛を残し、私は少数の騎馬兵のみを連れて先へ進む」
「シャラ様自らが?」
ラクシュミやワスタールが率いていた隊の者は、こうしている間にも新たな兵が姿を現しこちらを目指しやってくる。仲間たちが保護されている様子を見て最後の力を振り絞っているのだろう。
刃こぼれが酷くもう使い物になりそうもない剣を、あるいは穂先が折れて短くなった槍を杖にして体を引きずりながら近寄ってくる。生き延びるための執念だけが彼らを支えているように見えた。
「そうです、私は彼らを救いたいんです。……誰からにも見捨てられた彼らを、私は……」
この感情を表すには、シャラの知っている言葉だけでは足りなかった。そんな彼女のわななく肩にエドワードはその大きな手を置く。
「わかりました。歩兵の多い傭兵隊にここを任せ、我らは先を急ぎましょう」
「すみません、エドワード……」
一軍の指揮官としてはもう撤退の判断を下さなければならなかった。今の戦力ではとても追撃部隊と戦う事は出来ない。せっかく助けた兵達を危険に晒すことになる。下手をすればシャラ達自身が敗走兵の二の舞になるだろう。
「ですが私は、行かなければなりません。私が行かなければ、誰も彼らに手を差し伸べる者はいないんです!」
シャラはエドワードにそう訴えながら手近な兵を呼び止めた。治療のために物資は見る間に消費され、そのためにが空になった馬車が目立ち始めている。これに治療を終えた兵士を乗せ、王都ブリタニアまで運ばせるように指示を出す。
エドワードはその間に部隊を編成し直し、兵達に指示を出した。
シャラは、危なくなれば先行隊に構わず撤退するようにと残る者たちに堅く言い残しそして再び愛馬に飛び乗った。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.31 )
- 日時: 2019/02/16 18:14
- 名前: 燐音 (ID: I.inwBVK)
ワスタールの言葉は本当だった。駆けだしてしばらくすると大きな岩棚が目の前に現れる。それを迂回すると、別のソール王国兵が足止めを喰らっていたのだ。
岩棚に登れば残してきた部隊がまだ遠くに見えるのではないか、そのぐらいの位置関係だった。幸いというべきか襲い掛かっているのは帝国軍の追撃隊ではない。あれが謁見の間で伝令兵が言っていた盗賊団だろう。
王国兵の数は約三十。それを襲う盗賊の数は約二十と言ったところだろうか。大きな規模と聞いていた割には大した数ではない。これであれば、例え戦力を二分したとはいえ、まだエリエル騎士団に勝機はある。
「行きましょう! 友軍の兵達を助けますよ!」
そう判断し、馬上で声を張り上げると同時に、シャラは誰よりも先に愛馬に鞭を入れ駆け出した。
突然の出来事に驚いて後ろ足立ちになる馬をどうにかなだめ、シャラはすばやくあたりを窺った。
「くっ」
遠くの岩の上で何かが閃いた。とっさに手綱を引いて馬を翻させる。シャラのマントに一瞬で丸い穴が三つ穿たれた。見れば、一瞬前までにはいなかった四本の矢が地面に刺さっている。突き立った衝撃で矢の尻が微かに振動していた。
「物陰に隠れてください!」
幸い迂回したばかりの岩棚がそこにある。身を隠す場所に不自由はない。
弓兵だろうか。しかし一か所に四本も同時に矢を注ぎ込むなど、生半可な技量ではない。
岩棚越しに王国兵達の雄叫びがこだましていた。その声にはまだ精気がある。必死で抵抗しているのだ。
「早く助けに行かなければ……」
岩陰から少しだけ顔を出して矢の狙撃点を窺った。
どの位置から狙撃されたのかはおおよそでだがわかる。だが思っていた以上に遠かった。ここからその岩の真下にたどり着くまでに数回は狙撃を受けるだろう。
「あれは一体、何だったんでしょう……」
自分のマントの裾をつまみあげ、綺麗に穿たれた穴を見る。
「公女」
後方から近付いてきたのはヒルダだった。
「おそらく連発式の石弓かと考えられます。実物を見たことはありませんが、高性能の物になるなら四連発のものまであるという話です。」
「四連発……」
そんなものを喰らったらひとたまりもない。
「そのような高価な武器をたかが盗賊風情が持っているというのか?」
エドワードが横から口を出す。ヒルダは一瞬逡巡した後、硬い表情のままエドワードの問いに答えた。
「恐らく兵隊を襲って手に入れたか、武器が高価なことを考えれば章隊を襲って商人たちが雇っていた傭兵から奪ったか、いずれにしても不当に入手したものでしょう」
「なるほど」
「うむぅ」とエドワードは唸りながら顎に手を当てた。
「ヒルダ」
「は」
エドワードが呼ぶと、ヒルダは直立不動で返事を返す。
「ここから敵を狙撃できぬか?」
「……失礼します」
ヒルダは断りを入れてシャラの脇から狙撃兵がいると思しき岩を見た。
「この距離では無理です。残念ですが……」
ヒルダは冷静に答えながらも悔しそうにしていた。シャラは彼女の本質を知っている。清楚な見た目の裏腹に、芯は負けず嫌いで女だからとナメられることを嫌う強い意思を持っていることを。
ヒルダは指をさしながら続けた。
「まず、ここからでは敵の姿がよく見えません。それに、向こうは高所から射撃しているのです。矢はまっすぐ飛ぶわけではなく、山なりに……つまり落ちているのです。打ち上げるのと打ち下ろすのでは圧倒的に後者の方が有利なのはおわかりでしょう」
「イグニスでもか?」
ヒルダとイグニスはエリエル軍で一、二を争う弓の使い手であった。弓には普通の弓と石弓の二種類がある。エリエル一の狙撃手と言えばその両方を使いこなすヒルダの事を指すが、こと弓にかけてはわずかにイグニスの方が上手であった。
エドワードに呼ばれたイグニスは近づいて、その場所を顔をしかめて見る。
「いえ、俺でもダメですよ隊長。確かに石弓より弓の方が飛距離はありますが、ここからじゃ無理ですね」
イグニスは盗賊がいるであろう岩山を指さしながら首を振り、説明する。冷静そうに振る舞っていても、少し悔しそうに歯を食いしばっているのが、シャラには見えた。
「しかし、このままでは兵達がなぶり殺しにあってしまうではないか」
エドワードは微妙な機微には気づかず声を荒げた。いや、とシャラは反省する。指揮官は大局を見なければならない。気になるからといって、目の前の一事に囚われてはいけない。シャラはエドワードのように振る舞わなければならないのだ。
盗賊の戦い方は、騎士のそれほど直線的ではない。槍や剣を持って斬り込むのではなく、ナイフなどで軽く斬りつけては相手の攻撃が届かない場所まで逃げる。これを繰り返して獲物が弱るのを待つのだ。もちろん自分が傷つかないために。
相手が盗賊であれば、すぐに犠牲者が出るわけではないだろう。しかし、急がなければ最初の死者が出るのは時間の問題だ。
シャラは腰から鞘ごと剣を外すと、岩陰から勢いよく突き出した。
途端に、地面に四本の矢が突き立つ。
「技量も悪くないようですな」
鞘には当たらなかった。しかし飛び出した物が人間であれば間違いなく体のどこかには命中していただろう。
「ここからもう一度迂回して近づけないでしょうか」
可能性が少ない事はシャラもわかっていた。
「無理でしょうな。この砂漠はあやつら盗賊団の庭。狙撃手を待機させるのに、物陰を伝って近づけるような場所を選ぶはずもありますまい」
「あの……僕ならできると思います」
その時、頭からすっぽりとフードを被った魔道士がシャラに話しかけてくるのだった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.32 )
- 日時: 2019/02/16 18:08
- 名前: 燐音 (ID: I.inwBVK)
「え?」
シャラは驚いて振り返る。何とかすると言った言葉に驚いたのではない。騎士団の騎士の者ではない声だったからだ。
「あなたは……」
魔道士は頭を覆うフードを払い除けた。その下から現れた顔は、シャラと同じぐらいの年頃の少年であった。
白い髪は毛先が薄い紫色に染まり、瞳は青く無表情。紺色のローブを羽織るその少年はシャラの影に溶けているのか、足元が影と一体化していた。恐らく精霊だろうとシャラは思う。
「僕はえっと、確か「リオン」、闇の精霊です。」
曖昧そうにシャラの質問に答えるリオン。シャラはそれを聞いて、闇の精霊ならば影に溶けているのも頷ける。しかし、なぜここにいるのか?……少なくとも、さっきまではいなかったはずだ。シャラは気になったので尋ねてみた。
「あの、リオン殿、先ほどまでここにはいなかったはずですよね。」
「はい、僕は闇の精霊ですので、影さえあればどんな場所にも移動ができます。」
「影さえあれば……」
流石精霊だと、シャラは思った。フィアンナもそうだが、精霊とは本当に想像からかけ離れた力を持っている。
「しかし、どうやって……」
「僕のこの杖……「ムーンクレイドル」を使います」
リオンはそういうと、自身の身長ぐらいある杖を自身の影に手を突っ込んで取り出し、両手で抱えた。少し黒く濁った三日月の形をした宝石が先端にある長杖だ。見たこともないその杖からは、異様な力を感じる。
「これは?」
シャラが問うと、リオンは淡々と答える。
「これは、負の感情を吸い取り、魔力変換して暗黒魔法を放つことができる強力なものです。」
魔法……シャラはあまり馴染みがないが、ルァシーがいつも使っている神聖魔法のように、大精霊やイース神、トゥリア神から力を借りて放つことができる魔力エネルギーである。
かつてイストリア帝国という国があった。イストリアの人々は特殊な石の中に大精霊の力を封じ込め、術者の遺志と魔法の言葉によって奇跡を引き起こす。それが人間や魔女の扱う魔法である。そして魔法を封じ込める石の事を魔導球と呼んでいた。
しかし近年、その古代の遺産である魔導球の数が減りつつあり、その問題を解決すべく「ダランベール・クリスト・ファ・ヴィンチ」という魔導学者が、「魔導書」と呼ばれる魔導球の代用品を発案、開発し、普及した。現在主に使われる魔法を放つために使われるのが「魔導書」であり、人間も魔女もこれを使って魔法を扱う事ができる。高位の魔女……「ナインストレーガ」と呼ばれる者達なら、魔導書がなくとも自身の魔力を放つことができるらしいが。
魔導書と魔導球の違いは、石の中に封じ込められているか、本に書かれている魔法の言葉を読み取り大精霊の力を借りるかである。
だが精霊の力はその限りでない。恐らくリオンの魔法はフィアンナのように強力なものなのだろうと思う。
「今は時間が惜しい。公女様、どうか僕を信用してください。」
シャラはしばし逡巡した後、リオンの提案を飲む事にした。今は多くの兵達を助けるためにはどんな力にもすがりたい気持ちだったのだ。
「あの、一瞬で構いません。どなたか敵の目を逸らせてください。……僕が敵の影に潜んでも、気づかれて僕は穴だらけになってしまいます」
「そうか、精霊も万能じゃないからな……」
イグニスはリオンの言葉に頷く。精霊とて人間と同じく呼吸し心臓も動いている。人間と同じく脆い肉体を持って生きているのだ。
「負の感情の魔力変換は既に敵兵の命を一瞬で奪うくらいには済んでいます。ただ……」
「ただ?」
シャラの問いに、リオンは苦笑いを浮かべた。
「その一撃で魔力は失われ、僕は無防備になってしまうんです。そんな僕は恰好の的となってしまいます」
「なるほど……」
それは危険だ。連射式の石弓などという強力な武器でなくとも、ただ一丁の弓矢で彼の命は奪われてしまうかもしれない。
「なので、後はお任せしてもらってよろしいでしょうか?」
リオンが狙撃手を黙らせたと同時に突撃し、彼を他の敵から守れと言うのだ。
「それはお任せください。ですが、なぜそこまでして?……私達とあなたは全くの無関係では」
「無関係ではありません」
リオンがぴしゃりとシャラの言葉を遮る。
「あなた方はラクシュミを、ソール王国の皆さんを助けようとしてくださった。僕はラクシュミや皆さんを助けたかった、だけど一人じゃどうしようもできなかったんです。ですがあなた方は力を持ってます。皆さんを助ける力を……だから僕はそのお手伝いをしたい。それだけです」
リオンは相変わらず無表情だが、言葉にはどこか強い思いを秘めていた。その言葉に、嘘偽りなんてないだろう……シャラはそう考えた。
「わかりました。我がエリエル騎士団が命に代えて、貴方の身を守りましょう」
リオンは杖を固く握ると一つ頷いた。
「では、囮役は私が」
「ヒルダ?」
彼女は驚くシャラを尻目に愛馬に歩み寄ると、愛用の石弓から普通の弓に持ち替える。石弓は普通、一度撃つと思い切り体重をかけたり専用の巻き上げ器を使わなければならない。それを持ち替えたのは一度撃つと再び弦を引くのが大変な石弓ではなく、自分の力で引くことのできる弓の方が使いやすいと判断したからだ。
「弓兵の私が囮となれば、例え囮の可能性を疑ったとしても攻撃をせざるを得ません。リオンはその隙にお願いね」
「わかりました」
ヒルダとリオンはすばやく打ち合わせを終える。それにこれ以上異論を差し挟むのは無粋というもの。できるのは二人が無事に生還できるよう、全力で援護するだけだ。
「わかりました。では作戦はそれでいきましょう。ですがヒルダには私も同行します」
「シャラ様!?」
ヒルダは感情豊かな少女のように目を見開く。日頃の冷静な彼女からすれば珍しいことだった。自分の言いだした囮役に、まさか主君を巻き込むとは思っていなかったのだろう。止めようとしたのか慌てて口を開こうとするヒルダを制してシャラは言葉をつづけた。
「あなたは私の大切な部下です。私だって、いつも守られているばかりではないのですよ。今度は私がヒルダを守らせてください」
額面通りヒルダを守る事ができるとは思っていない。この先はわからないが、現時点では技量も経験も彼女の方が上手である。
だが前にヒルダは体を張ってシャラを守って、重傷を負った事がある。ヒルダは見かけによらずどこか無理をする時がある。そんないつも張りつめている彼女を放ってはおけなかった。
彼女を助けることができるとするなら、それは一緒にいる事。一人なら無理をしてしまうだろうヒルダも、シャラが一緒にいれば危険なことができないだろうからだ。
「では私はリオン殿の護衛を。影に潜めるとはいえ、無防備では危険も伴うだろう」
唐突にエドワードがそんなことを言った。
「巨木のような方のエスコートですね」
リオンが無表情でそんなことをつぶやいた。その言葉を聞いたイグニスは吹き出し、つられて皆が笑い出した。
「大丈夫ですよ、私達ならきっとやり遂げられます!自分たちの力を信じましょう」
シャラがそう言うと、各々はそれぞれの位置についた。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.33 )
- 日時: 2019/02/06 12:45
- 名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
開戦の合図は、ヒルダの放った一本の矢だ。それは鏃に工夫をし、風の抵抗で甲高い音が鳴るように細工した物だった、
ピュ〜ルルルルル〜という音を立てて矢は飛んでいく。
その矢の行方を確認することなく、ヒルダは岩陰から飛び出した。シャラも音を頭上に感じながらそれに続く。
ヒルダは狙撃手に向かわなかった。艶やかな長い髪をはためかせ、狙撃手のいる岩を左に見ながら走り出す。その直後、四本の矢が飛んでくる。だがまさかあの威力を見せつけられて飛び出すとは思っていなかったのだろう。狙いは外れ、一瞬前に走りすぎた地面を穿った。
即座に次の四連射が襲いかかる。どう考えても石弓に矢を再装填できる隙はなかった。となれば狙撃手は一人ではない。二人以上いるのだ。
だがヒルダとシャラはその場を立ち止まっていた。一瞬遅れてやって来た矢は二人の前方に突き立つ。第二射を予想していたわけではない。相手の思惑を外すため、全力で駆け出し、そして急に止まる。そして再び駆け出す。
これは最初から考えていた事だった。だから第一射がなくとも立ち止まっていたし、第二射を確認してから走り出したのではない。もう少し遅れていたら走り出したシャラかヒルダのどちらかは矢の餌食になっていたかもしれなかった。結局は賭けなのだ。
矢はまっすぐ近づいてくるより横に動かれた方があてづらい。しかも微妙に距離を変えていればなおの事だ。確率で、狙いにくい方向へ逃げ、そしてさらに裏をかくために突然走り出したかと思えば急に止まり、あるいは歩いたりした。
第二射から第三射の間はさっきより時間がかかった。狙撃手は二人しかいないとみていいだろう。
「シャラ様、このまま——」
「わかっています!」
頷き合って、二人は全力で走り出した。すぐに仲間たちが追い付いてくれる。そうであれば一足先に王国兵を助けに回っている方が賢明だ。
走り出した二人に、追撃はこなかった。
その代わりに辺りに巻き上がったのは凄まじい轟音だ。走りながら振り返った肩越しに見えたのは、黒く吸い込まれそうな闇の塊だった。
その闇の塊はズズズと低く空気が歪むような音を立てていた。
闇が渦巻きながら突き立った岩を削り取っていく。いや、飲み込んでいると言う方が正しいのか。巨大な岩塊だったそれは、不気味なほどに呆気なく飲みこまれていく。
「あれが、精霊の魔法……」
前にアスランの報告でも聞いたが、精霊の魔法は普段傭兵の魔道士などが使う魔法とは違い、凄まじい威力を誇る。あれを集団の中に放り込めば十人やそこらの敵は一瞬で戦闘不能になるではないだろうか。フィアンナも普段は冷静沈着ではあるが、いざ本気を出せばあれ以上の魔法を放つことができるかもしれない。
驚きと、疑問と、少しばかりの恐怖で足がすくみそうになるのを振り払ってシャラはさらに速度を上げた。
目の前にはもう戦場が迫っている。
シャラの予想通りだった。盗賊団は自分たちの損耗を最小限に抑えるため、大人数で取り囲んで王国兵の様子を窺っていた。かと思えば、兵達の気が削がれた瞬間いきなり近づいてナイフでかすり傷を負わせる。
盗賊は焦らない。たとえ慎重に立ち回ったせいで成果が少なくなろうとも、全くのゼロでなければ彼らにはそれで充分なのだ。仮に完全に逃してしまったとしても次の得物を待つだけ。彼らの敗北は敵を逃す事ではない。自らが死ぬことなのだ。だから、このような戦い方をする。それは騎士団を相手にしているのとはまた違う手強さだった。
盗賊の扱うナイフなど、盾で簡単に受け止められる程度の物だ。だが彼らは器用に盾で庇っていない部分や、鎧の隙間などを突いてくる。一撃で致命傷というわけではない。だが積み重なった手傷はやがて致命的な隙を生み出してしまう。
シャラは素早く長剣を抜き放ち、盗賊たちの包囲網に駆け込んだ。
ヒルダは少し離れた間合いからシャラの援護に回っている。その射撃は的確で、シャラの死角を突いて襲いかかる盗賊を確実に射抜いていった。
中にはヒルダを先に標的とする者もいた。だがヒルダは小気味よく動き回り、襲いかかる盗賊と間合いを保ち、素早く矢筒から矢を引き抜いて射る。残されるのは盗賊の悲鳴だけだった。
シャラもヒルダの活躍に負けじと襲いかかる盗賊をなぎ倒していく。
盗賊はナイフを手に次々襲いかかってきた。それを払い、逸らし、そして斬り倒す。手入れの息届いていない長剣を持つ者もいた。だがその構えはいかにもぎこちない。正式な訓練を積んだシャラの敵ではなかった。
「ぬぉっ、小娘! 俺達をバラカ盗賊団と知ってかかってきやがるのか、あぁ?」
シャラの前に大男が立ちはだかる。薄汚れたチュニックに何かのシミで汚れたズボン。ボロボロのブーツを身にまとい、剥き出しの逞しい腕に携えられた斧だけが真新しく輝いている。頭は禿頭で、顔面にはいくつもの傷跡が刻み込まれていた。肌は日に焼け、折れたのか歯は所々抜け落ち、にやりと笑むと黄色く変色したそれが覗いている。
「け、そんな細い腕で俺様の斧が受け止められるとでも思ってやがんのかっ!」
そう言いながら男は巨大な戦斧を振りかぶった。シャラでは持ち上げることすら難しそうな斧。それを男は易々と片腕で振り回した。
膂力ではとてもかなわない。しかし戦いは単純な力比べ、破壊力比べではないのだ。
自分に向かって振り下ろされる斧を、シャラは自分の体をその巨大な刃物が描く軌跡の半歩外側にずらして避けた。
男は自分が振り回した斧の重量に振り回されかすかに上体を泳がせる。あの重量のものを振り回してそれで済んでいるのは充分に驚くべきことだ。だがシャラにはその僅かな隙で充分だった。
渾身の力を込めて男の喉元へ長剣を突き入れる。手応えを確かめてからシャラが素早く剣を抜くと、男は断末魔の声もなく地面に崩れ落ちた。
その男が指揮官だったのだろう。あたりを取り囲んでいた盗賊たちがおずおずと後退を始め、やがて敵影は消えた。
剣を納めるとシャラは一か所に固まっている王国兵へと駆け寄った。
「皆さん、無事ですか!」
兵達は半信半疑の面持ちでシャラに視線を注いだ。敵なのか味方なのか、判断できないのだろう。
「私はエリエル公国の「シャラザード・グン・エリエル」。イース同盟の者です! 貴方がたを助けに参りました」
同盟の名が出た途端、それまで虚ろだった兵達の表情に精気が戻った。まるで渇き切った砂漠に泉が湧き出すように。
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
兵達が一斉に、天を仰いで雄叫びを上げた。ある者は女神の名を称え、ある者は隣同士抱き合い、助かったことを喜び合った。その後はさっきの部隊と同じく気が抜けて座り込む者が続出する。
「ヒルダ! 他の者は追いついてきましたか?」
「はい、皆無事にこちらへ向かってますよ」
シャラが問うと、ヒルダは元来た道を指示した。
狙撃兵のところで別れた者たちが追い付こうとしていた。リオンは杖を抱きかかえてイグニスの馬に同乗させてもらっている。杖の三日月の形をした石は、先ほどまで黒く濁っていたが、今は透き通った綺麗な紫色で日光を反射している。
エドワードの姿もあった。ただエドワードは布で固く肩を縛っている。
「エドワード、大丈夫ですか?」
追いついてきた所で聞くと、彼は鷹揚に頷いた。
「は、申し訳ありません。たかが盗賊と侮っておりましたら、伏兵が潜んでおりました」
矢を受けたのだ。本人は笑いながらポンと左肩を叩いて平気だという。それでもしばらく左腕は使えそうにない。するとヒルダが一歩前に進み出る。
「隊長、あなたは部下に指示を与え動かす立場にあります。お体は、ご自愛ください」
いつもの調子にそう言いながらエドワードとすれ違い、ハティが連れてきてくれた自分の馬に歩み寄る。彼女は愛馬の首を撫でながら弓を石弓に持ち替えた。
一方のエドワードは「お、う、うむ」と本当は嬉しいのに無理やりしかめっ面を作ろうとして、微妙に失敗する。付き合いの長いエリエル騎士団の面々はその気持ちが手に取るように分かり、微笑ましく見ていた。
シャラの体は心地よい達成感で充たされる。困難な任務だった。だが、今回も自分は、自分たちは成し遂げたのだと。
「ところで、先ほどの騎士は、ワスタールはどこでしょうか?」
「ベオウルフ隊長ですか? ……我々は見てはいませんが」
シャラは仲間たちの無事を確認すると、手近な所にいる騎士の一人に尋ねた。だが、その騎士は見ていないという。姿を見ていないどころか、助けに戻った事を知らないという。では彼はどこに向かったのか……?
シャラは訝しんでいると、王国兵の一人がシャラにすがりつくようにして訴えた。
「そ、それよりも、俺達の後ろにもまだいるんだ!あんた、お願いだ!あいつらも助けてやってくれ!」
「……っ! まだ兵がいるのですか!?」
兵は何度も頷き自分たちがやって来た方向を指出した。
シャラは反射的に立ち上がってスコルが連れて来た自分の馬に飛び乗っていた。
「ハティ、スコル、あなた方は彼らをお願いします。私は残された者を!」
「ちょ、シャラ様——」
スコルはこれ以上は危険だというのだろう。しかしシャラにはここで引き返すことなどできなかった。取り残された兵士の顔を一人も知らなければ、あるいは撤退したかもしれない。しかしさっきのワスタールは恐らく残された仲間の救助に向かったのだ。一瞬とはいえ言葉を交わしたものがまだ残っている。そう思うととてもこのまま逃げ帰ることなどできなかった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.34 )
- 日時: 2019/02/07 12:48
- 名前: 燐音 (ID: RVrqr3ZE)
丘を一つ越えた時、それは目に入った。
深紅と黒のまだら模様の鎧に身を包む、帝国の追撃隊。それは地平線を埋め尽くす勢いで展開していた。
強い日差しを受け、帝国軍の掲げる槍や剣がギラギラと輝く。そして彼らは、その大軍をもって王国兵を取り囲んでいた。
「一方的、じゃないか……」
シャラは丘の上で立ち止まり、声を震わせていた。
取り囲まれている人数は、先ほどの救った部隊と盗賊団、それに加えラクシュミが率いていた部隊を合せた数倍にもなる。だがそれでも、あまりに一方的な戦いだった。
王国兵はもはや戦う力などひとかけらも残していない。百近い兵のうち、まともに武器を握っているものは一握りしかいなかった。
だというのに、帝国兵は容赦なく瀕死の兵達に襲い掛かる。後ろから乗馬したまま急接近し、すれ違いざまに背後から斬りつける。馬はその蹄で二人を蹴り倒した。
王国兵の何人かが身を翻し、降伏するような素振りを見せている。
そうだ、いっそのこと降伏してしまえばいい。そうすれば捕虜として命だけは存えるだろう。だが帝国兵は凶悪な形をした戦斧で無抵抗な、降伏を求めていた兵を叩き潰した。
「っ……くっ……なん、て……!」
手綱を握るシャラの手が震えた。
血が飛び散り帝国兵の鎧や馬に降り注ぐ。
その時になって、シャラは初めて気がついた。帝国兵達は深紅と黒のまだら模様の鎧を身に着けているわけではない。あれは返り血なのだ。膨大な王国兵をむさぼり、その返り血を浴びた色。
必死の形相で仲間の亡骸を引きずりながら逃げる兵に、帝国兵は容赦なく無数の矢を射かけた。
血が流れ大地を染めていく。
剣を持った王国兵が、斬るというより手にしたそれを振り回して追い払おうとする。もはや剣術の型も何もあったものではない。だが帝国兵達は易々と逃れ、そして剣を持った兵が疲れて動けなくなったところで改めて襲いかかる。
そう、帝国兵は戦いに少しも恐怖を覚えている様子はなく、半ば笑いながら遊びのように攻撃を加えていった。ごく淡々と。
「そ、それでも——」
シャラは怒りで震えが止まらなかった。
「それでもお前たちは人間かっ!」
頭のどこかは冷静で、もはや退却するべきだと盛んに警鐘を鳴らしている。だが体は勝手に動き出し、愛馬の鼻先を殺戮の場に向け駆け出させていた。
吐き出すと息のように、滲みだす汗のように、全てから激情が迸り出る。
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
怒りのあまり、目の前が真っ赤に染まるようだ。喉が張り裂けるほどの絶叫をあげていなければ気が狂いそうだった。
風が耳元で唸り、シャラは剣を振り上げ斜面を駆け下りた。
突如現れたシャラに帝国兵達はとっさに対応できない。最も近くにいた槍騎士を一撃の下に斬り伏せる。それは悲鳴を上げて落馬し、動かなくなった。
左手一本で手綱を操り、向きを変える。
「私が相手だっ!」
雄叫びをあげながらシャラは怒りに任せ剣を振るった。
何人かの敵兵がシャラに向かって槍を突きだす。それらをことごとく件でたたき落とし、できた隙に馬体をねじ込んで斬り捨てていった。
突然現れたシャラを敵兵ばかりでなく王国兵もようやく認識する。味方だと。自分たちを救いに来たのだと認識する。
助けてやる、とその姿を見て決意を固めたシャラの眼前で、反対側にいた敵兵があっさりとまた一人の王国兵を手にかけた。
シャラは場に飛び込んだ。だがそれで変化が起こったのは全体からすればほんの一部でしかない。敵兵の包囲の外は、たった今、丘の上で見たのと何の違いもない光景が繰り広げられていた。
無力な王国兵は次々と帝国兵の攻撃の犠牲になっていく。
シャラはそれを阻止しようと愛馬を駆り突進した。敵兵の包囲は、思った以上にあっさりと解かれシャラの行く手を阻まない。そうして今にも王国兵の命を奪わんとしていた敵兵を追い払う。だが少し離れた場所で、別の帝国兵が別の王国兵を屠る。あっさりと、どこまでも無情に。
「やめろ、やめろ、やめろぉっ!」
さっきの盗賊と同じだ。追撃部隊にとって、敗走兵を一人でも多く倒すことが任務だ。だが、それ以前に無駄に死ぬことは許されない。この作戦自体、将来的な敵の戦力を削ぐ事が目的であり、そのために消耗する事は許されないのだ。
だから、近づけば倒される可能性があるシャラには、誰も近づいてこなかった。こんなに沢山の敵兵がいながら、シャラが距離を詰めれば同じだけ離れる。
そして何よりシャラから離れた所で王国兵が数を減らすのだ。
その瞬間に走り寄れば一人か二人は助けることができるだろう。だが敵はシャラと刃を交えることはせず、他の場所にいるより楽な王国兵に一方的な攻撃を加える。
そして他の王国兵を助けようとその場を離れた隙に、再び近寄る。だれ一人助けられなかった。どれほど懸命に動き回ろうと、敵兵は蜘蛛の子を散らすように距離を取り、そして確実に王国兵の数を減らしていく。
その頃になるとエリエル騎士団もシャラに追いついてきている。だが、もはや守るべき王国兵の姿はほとんど残されていなかった。
「シャラ様!」
シャラは立ち止まっていた。戦場の真っただ中で。
「何をなさってるんですか! ……貴方、死ぬつもりですか!?」
イグニスがシャラに襲いかかろうとしていた敵兵を射落とし、シャラの腕を強く引く。矢筒から二本の矢を取り出して同時に射た。
敵兵を牽制しながら、イグニスはシャラを自身の馬に抱きかかえて乗せる。その顔には、焦りと怒りで染まっており普段の不愛想な表情などどこにもなかった。
「シャラ様! 撤退を命じてください。そうじゃないと、俺達も全滅してしまう」
王国兵がほぼ全滅した今、戦力の有り余る帝国軍の追撃隊は一転してシャラ達を新たなる獲物と認めた様子だった。
理性では、イグニスの言っていることも理解できた。だが、感情がこの場を離れる事を許さなかったのだ。
怒りが、悔しさが、哀しみが、この場で全て吐き出すまでシャラに動くなと命じている。
「シャラ様!」
イグニスの表情に焦りがこみ上げ、彼女の肩を揺さぶる。
ヒルダが、ハティが、スコルが、アスランが、他の騎士達が、シャラを守ろうと懸命に戦っていた。
あまりにも数が違う。
シャラは動けない。だが戦場は徐々に後退しつつあった。このまま動かなければ、シャラは一人で敵の真っただ中に取り残されてしまう。それでも動けなかった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.35 )
- 日時: 2019/02/07 07:14
- 名前: 燐音 (ID: C6aJsCIT)
その時、巨大な影が覆いかぶさった。
シャラは思わず天を仰ぐ。
蒼天には、どこからともなく飛来した巨大な影が浮かんでいた。
いや、それは影ではない。飛竜の腹だ。
この大陸でもっとも強靭な肉体を誇る生物の一つ、飛竜。それを騎馬の代わりに大空を翔る騎士、竜騎士。
竜騎士は、そして竜騎士団は、トゥリア帝国が保有する強大な力を持った集団だ。何者にも阻まれることなく空から飛来し、そして有利な上空から一方的に地面を這う事しかできない普通の騎士団を蹴散らしていく。かのユピテル山脈での戦いでも同盟軍を壊滅に追い込んだのは竜騎士団だと言われていた。
シャラはこう思う……敵だ。
「竜騎士まで……」
たった一騎とはいえ、誰かが絶望的な声を漏らした。
飛竜の上で、これに騎乗した騎士が一本の槍を構えた。普通の槍ではなく、ピラムと呼ばれる投擲用の槍のようだ。ロングスピアなどに比べて短めで、ハンドスピアなどが折れたり曲がったりしにくいように頑丈な造りをしているのに比べ、ピラムは投擲しやすいように華奢な造りをしている。形状も直線が基本の槍に比べ、投擲した後の安定を考えた重りなど、形のみを見れば槍というより矢に近いように思えた。竜騎士がピラムを握れば、それは上空からの一方的な攻撃を意味する。
騎士の手がピラムを放った。
それは風の中を滑るように突き進み、標的へと突き刺さった。
「ぐぉ……」
最期の息を吐き出して馬上から転げ落ちたのは、帝国軍の騎士だった。
エリエルの騎士達は何が起こったのかわからなかった。だが最も混乱したのは帝国軍の兵達だ。シャラ達を攻撃する手も止まり、何が起こったのかと空を振り仰ぐ。
竜騎士は、次のピラムを手に取った。そして投擲。寸分の狂いもなく命中したピラムは再び帝国兵の数を一人減らした。
結局、五本のピラムを投擲し、六本目を構えた所で、
「く、こんな所でこれ以上消耗するわけにはいかん!撤退だ、撤退せよ!」
敵指揮官と思しき漆黒の鎧を纏う騎士が号令を発した。
その途端、敵兵達は一瞬の躊躇もなく反転し、一気に戦場から離脱していく。鮮やかなまでの手際で会った。この手際からわかるのは、敵が高度に訓練された部隊だったと言う事だ。もちろん誰も後を追おうとする者はいない。これ以上戦わずに済んだ事に、誰もが胸をなで下ろしているようだった。
竜騎士は急旋回し、シャラの目の前へと降り立った。
「エリエル公国のシャラ公女であられますね!」
その声は、驚いたことに女性のものだった。
「帝国軍所属、ズメウの竜騎士「セレスティア・ウンセギラ」と申します。私は、帝国軍のやり方についていけなくなりました。どうか公女の軍に加えてください」
シャラはまともに返事を返せなかった。イグニスはシャラの様子に気づき、弓を構えて警戒する。そして、セレスティアと名乗った女騎士にアスランが応じた。
「すまない。シャラ様は今、お疲れだ。貴方の身柄は私が預かる。後に我がエリエル騎士団を預かる隊長に話をしよう」
セレスティアは心配そうな眼差しをシャラに向けた後、アスランに向かって頷いた。
「わかりました。確かにこんな状況を急に見せられたら無理もありません」
そうしてシャラはイグニスに連れられ、帰還の途についた。
王国兵の遺体が折り重なる中を、力なく進んでいく。その中にワスタールの亡骸もあった。見つけたのは偶然である。彼はまだ幼さの残る若い騎士を背に庇い、だが庇った騎士ごと槍に貫かれ、絶命していた。
その夜、シャラは初めて悔しさで涙が止まらなかった。