複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.36 )
日時: 2019/02/09 15:20
名前: 燐音 (ID: XyK12djH)

第六章 誰が為に

 ブリタニアに帰還したのは期限一杯の九日目の夕暮れだった。
 城門には憲兵がエリエル騎士団を待ち構えており、帰還を労ってくれた。どうやらアルフレドの配下のようである。シャラはどうにか平常心を取り戻していた。迎えてくれた兵達に手を挙げて応えながら、エリエル騎士団の宿舎へと帰り着く。
 エドワードの怪我は思った通りそれほど重くはなかった。ルァシーたちと合流した後、神聖魔法の治療でほぼ完治した。今では、必要がなければ静かにしていた方がいいが日常生活には何一つ不自由はなくなっている。

「隊長さんは無茶したがりなのね、まるで公女様みたい」

 ルァシーが冗談交じりに肩をすくめて笑い飛ばす。エドワードも釣られて笑みをこぼした。

「生きてればどんな困難だってあるものよ。……亡くなった母さんが言ってたもの」

 ルァシーはシャラに対し、そうこぼした。彼女は普段は不敵で強気な態度を崩さないが、時折見せる寂しそうな表情はやはり故郷への思いがあるのだろう。シャラはそう思った。
 一方、ラクシュミとリオンは宿舎に来ていた。なんでもラクシュミは「ソール王国を見捨てるような王様なんて顔も見たくない」とモルドレッドに対し憎しみを抱いている。この状態で彼に会せれば、ラクシュミは何をしでかすか分かったものではない。
 対しリオンは、「ラクシュミの傍にいたい」と言って傍を離れなかった。彼なりにラクシュミを想っての事だろうと思う。
 シャラは部下達へ休息をとるように言い残し、自分は一人宮殿へと向かう。モルドレッドから出頭の命令が下ったのだ。体を休める暇も、着替える時間すらなかった。

「公女……」
「イグニス、ありがとうございます。貴方はずっと私の傍にいてくれましたね」
「……別に」

 イグニスはやはり不愛想に答える。彼の中でシャラに対する思いが揺らぎ始めているが、イグニス自身はそれが何なのかがよくわからなかった。ただ、シャラはまだ年端もいかない少女だ。そんな彼女が守るべき者の為に剣を握って突撃したり、涙を流す姿が居た堪れなく思った。それだけだ。

「では、行ってきます」

 シャラは作り笑いをしてから宮殿へと向かった。イグニスは黙ってその後姿を小さくなるまで見ていた。



「エリエル騎士団、シャラザード。陛下の命によりまかり越しました」

 外はもう陽が落ち、薄い闇が満ち始めていた。謁見の間にも燭台のろうそくに灯りが点され、いつもと雰囲気が一変している。
 まるで葬儀のような。
 いや、気分の問題なのだとシャラはかぶりを振った。
 その証拠に、そこに集まっていた人々はいつもと全く変わる事のない装いだ。モルドレッドが、ルーカンが、グリフレットが、アルフレドやアムルが、シャラを待っていた。その表情が暗く見えたのも、夜なのとシャラの気持ちが落ち込んでいるからなのだと自分に言い聞かせた。

「よく帰って来たな」
「は、ねぎらいをいただきまして、ありがとうございます。騎士団員達の疲れも陛下のそのお言葉で癒されましょう」
「ふふ、くくく、はははははは」

 モルドレッドの前で跪くシャラを、モルドレッドは大声をあげて笑い飛ばす。
 シャラは驚いて顔を上げた。王座に座ったまま、モルドレッドは手で顔を覆って、これ以上ないほど大声をあげて笑っていた。

「陛下……?」

 シャラは不安になってアルフレドを見た。アルフレドも、それどころかアムルやグリフレットまで、驚いた顔でモルドレッドを見やる。

「ねぎらい? ねぎらいだと? 全くおめでたい頭をしているものだな小娘。余は貴様をねぎらったりなどしておらん」
「し、しかし……」
「よく帰ってこれたなと言っておるのだ!」

 モルドレッドは衛兵の一人に何かを命じた。命じられた兵は、隣の部屋から何かを引っ張り出してくる。それは、鎧や盾、剣や槍だった。
 だが新しい物ではない。どれも傷だらけで、泥や血で汚れ、中には明らかにもう使えないものまで混じっていた。それらを衛兵はモルドレッドの前にゆっくりと降ろす。

「……これは?」

 シャラは呼吸がしづらくなって息を荒げる。この先を聞きたくないという恐怖感で心臓の動きが早まったような気がする。

「わからぬか? せっかく貴様のために残しておいてやったというのに。くくく、ねぎらって欲しいというならねぎらってしんぜよう。バラカ砂漠くんだりまでご苦労であった。無駄な努力をな!」
「陛下!」

 アルフレドが驚いて声を上げる。アムルもモルドレッドの物言いに眉をひそめていた。

「いいことを教えてやろう。ルーカン、今回のソール王国からの撤退兵、どうなった?」

 ルーカンは何かの書類を手に厳かに前へと歩み出る。

「は、約千の撤退兵がいたとの報告でしたが、無事このブリタニアまでたどり着いた兵の数は大体三百といったところでした」
「っ……!?」

 シャラは掠れて声が出なかった。だが、喉から声を放り出す。

「た、った……三百なのですか? では私たちが救助したのは……」
「殿隊だとでも思ったのか?」

 ルーカンがモルドレッドの尻馬に乗る。

「あれは全体を十に区切れば、前から四番目か五番目と言ったところだそうだ。其方に助けられたという隊の者からの報告だ」

 確かに、彼らは後ろにもいる、としか言わなかった。進む速度から殿隊だとばかり思っていたのだが。

「そうさ、貴様が活躍したと思っていたはるか以前の場所で、王国兵共は半数以上嬲り殺されていたのだよ」

 モルドレッドの声が鞭のようにシャラを叩く。

「ふん、生きて帰ってきた所で、あのような者共の使い道などないというものを!」
「使い道? ですが彼らは立派な騎士で——」

 確かに多くの犠牲が出たかもしれない。だがエリエル騎士団の倍以上の兵が生き残っているのだ。使い道がないはずもない。

「シャラ殿。貴様もわからぬ娘よな。戦は数ではない。陛下のために戦わず、我が身可愛さで逃げ帰った者共などもはや騎士ではあり得ぬ!」
「そうだ、ルーカンの進言に従って、あやつらからは早速騎士の称号を剥奪してやったわ!」

 口にするのも汚らわしいという様子でモルドレッドは吐き捨てた。シャラは、息が詰まるかと思った。あのバラカ砂漠で、ただ水を飲んだだけで気絶するほど消耗しきったあの者達。やっとの思いでブリタニアに辿りついたというのに、それが彼らに対する報いだというのだろうか。

「陛下! 聞けば満足に動くこともかなわなくなった者も多数いるとか、それでは恩給も貰えず、彼らが生きる術が……」

 アルフレドもその事実を初めて聞かされたのだろうか、驚いて食い下がった。

「ふん、余の知った事か! 動けぬ者など、どちらにしても国家の蓄えを食い潰す事しかできぬゴミではないか。処分できてせいせいするであろう」

 ルーカンとグリフレットは満面の笑みを浮かべながら首肯する。

「まったくその通りでございます。無駄を出さず、その分を他の部隊に回せば同盟軍は強化されましょう。これはいわば、犠牲ではなく同盟軍の洗練に必要不可欠な選択というわけですな。いや、流石は陛下、慧眼であらせられる!」

 高らかに褒め称えるルーカンにシャラは吐き気を覚えた。彼らにとって、騎士とは、人間とは、自分の身を守るための道具でしかないのだ。

「それとシャラ公女。貴殿は投降した帝国兵を勝手に自分の隊に加えたそうだな?」

 ルーカンが言っているのは、セレスティアの事だ。シャラはふさぎ込んでいたので、代わりにエドワードが彼女を騎士団に加えてもいいと判断を下していた。

「おお、それは危険だ。シャラ公女はやはり田舎者よな。敵の戯言をそのように容易く信じるとは。だが安心されよ、貴殿が騙される前に我々が指示してその竜騎士とやらをひっ捕らえた。近日中に処刑してやろう」

 グリフレットは得意げにそういった。

「なっ……! 投降した兵をいきなり処刑なされるのですか!?」

 アルフレドが驚いて言葉を差し込む。

「そうだ。同盟軍の危機。異議を挟むでない」

 異議を唱えようにも、弁護しようにも、シャラはまともに彼女と言葉を交わしたことがない。何を言っても空しいだけだ。シャラとて、敵軍に属していた者から一緒に闘いたいと言われ、いきなりはいそうですかと信用するわけではない。彼女には一度しっかりと話を聞こうとしていたのだ。

「ふふん、まあいい。そういえば貴公の軍には正式に同盟軍からの軍資金は出しておらんかったな。よかろう。今回の事を功績と考え、以後はそれ相応の資金を出してやろうではないか。エリエル公国のシャラザード。よくぞ間に合わなかった、褒めてつかわす。はははははははははっ!」

 シャラは何も言わずその場に立ち上がった。

「あ、ありがとうございます。では私は、こ、これにて、失礼いたしますっ!」

 顔が上げられなかった。モルドレッドの許可も待たずシャラは逃げ出すようにその場を走り去る。そうしなければ、自分が何をするかわからなかったからだ。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.37 )
日時: 2019/02/08 00:30
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 シャラはまっすぐ宿舎へは帰らず、見晴らしのいい岬に一人佇んでいた。夕刻から完全に夜となり、王都の外れの修道院の近くにあるこの場所は、シャラのお気に入りの場所であり思いつめた日は自然と足を運んでいた。
 月の光に照らされる静かな海。シャラは体の奥から、深々とため息をついた。
 このまま宿舎には帰りたくなかった。体の中に汚いモノが溜まっている気がする。この身体の中にこびりついた穢れを、ここで拭い落としていきたかった。

「何故、どうして、あんな非道なことができるの……? 私は、私はあんな非道な王の為に戦ってきたというの?」

 また眼から涙が流れ落ちる。
 戦場での兵達の最期が頭の中で繰り返し蘇る。繰り返し、繰り返し、悲鳴と血の匂いと、背中を突き抜けるほどの怒りが、だ。それに「助けられなかった」、という後悔で息が詰まりそうである。助けを求める手を握ることもできなかった。
 シャラは自身の両手を見つめる。その手は震え切っていた。
 どのくらいそうしていたのだろう、不意に背後に気配を感じシャラは振り向く。人影があった。

「アムル王妹殿下!?」

 シャラは驚いて一歩後ずさる。
 目の前に現れたのは、まとい物こそ控えめなものに着替えているものの間違えるはずもない、王妹アムルであった。夜の、しかも王都の外れであるこの場所で、衛士もつけずに出歩いていい人物ではない。彼女に付き従っているのは、修道服姿の一人の女性のみ。

「シャラ公女。貴方に話があって参りました」

 そういってにこりと微笑む。

「参りました、と仰られても。城は衛兵達は殿下をお引き留めしなかったのですか?」

 そうだ、こんな事がモルドレッドに知られようものなら、門番に立っていた衛兵は厳しい罪に問われかねない。だが、

「抜け出して参りました。門番に罪はありません」

 アムルはあっさりそう言い切るのだ。

「いえ、しかし——」
「シャラ公女、大丈夫ですか?」

 余計な言葉を封じるためのような問いだったが、シャラはとっさに答えることはできなかった。謁見の間を飛び出して以来、ずっと心の奥に何かが引っかかっていたのだ。だがアムルの言葉で引っかかった気持ちがポロリとこぼれ、そして口から飛び出した。

「私は、私たちは……エリエルへ帰ろうと思います」

 シャラは気まずさで目を逸らしながらそう言った。口にして、その言葉が及ぼす影響の大きさに気づき、後悔がこみ上げる。これではエリエルは盟約を果たしたことにはならない。過去、王の怒りに触れ消滅したいくつかの家系と同じ末路を辿りかねないのだ。
 しかし帰りたいという思いは、心の底からこみ上げてきた本音であった。
 もはやあのような王の下で、彼のために戦う事などできはしない。

「それは、当然ですね……」

 責められても、叱責されても、あるいは罵倒されても仕方ないと思っていた。だというのに、アムルは優しくシャラの両手を取ってそう言う。こちらをまっすぐ見つめる深い湖底を思わせる翠色の瞳は、どこまでも澄んでいた。

「ですが、もう少しだけ、もう少しだけ闘ってはいただけませんか? 今度は兄上のためなどではなく、"人々の為"に……」
「"人々の為"に……」
「そう、人々の為に。貴族や神官ではなく、この広大な大陸で暮らすイース神を信じる民の為に」
「民の為……」

 アムルの言葉を口の中で繰り返すと、彼女は慈愛に満ちた顔で頷き先を続けた。

「これからこの戦争は激しさを増していくでしょう」

 ソール王国は陥落して支配されていき、次はデザイト公国が攻め込まれる。だがデザイト公国では不穏な雰囲気が漂っている。彼の国は一人の援軍も寄越さず沈黙を守っている。しかもマリク公は音信不通であり、子息である公子も同じくである。

「戦争が激しくなれば、トゥリア帝国によって無辜なる民衆の生活や命が踏みにじられてしまうのです」

 東部戦線もこれからますます戦況が激しくなるだろう。戦争に巻き込まれ、アムルの言う通り命を落とす人々は後を絶たない。

「シャラ公女、彼女の話を聞いて上げてください」

 アムルは同行しているシスターを示した。
 シスターはアムルの後ろからおずおずと前に出てくる。竜人なのか耳が長く、青く長い髪を後ろで束ねていた。紅い瞳は悲壮に潤み、口元は儚げに引き結ばれている。華奢なおとがいと相まって、今にも消えてしまいそうな印象を覚えた。
 どこかで、彼女を見たような気がしていた。シャラにシスターの知り合いはそう多くないのだが。

「トゥリア帝国は、イース神を信奉する者達を支配し、どうするかご存知ですか?」

 シャラは素直に知っていることを答えた。彼女の瞳に湛えられた悲しい光に抗えなかったのだ。

「トゥリア帝国は、捕まえた兵や騎士を奴隷として、自らの戦力を補充しています。だからこそ、こんなにも急速にイース同盟諸国を制圧してこれた……と」

 シスターは頷いた。

「確かにそうです。ですが、それが一般の民になればもっと酷いことが平然と行われているのです」

 彼女が語ったのは、トゥリア帝国の北にある、とある国のある小さな村での出来事だった。
 園村はもともと帝国軍に抵抗できるような力を持っていなかった。多くの民たちは家を捨て、その国の王都へ避難し、空き家も多くなっていた。そこへ攻め込んだ帝国軍は、容易く村の制圧に成功したという。
 帝国軍の司令官は村人達に改宗を迫った。トゥリア教を信奉し、これからは帝国のために働けと言う。それだけならばまだいい。だが彼は民たちを選別し始めた。若い者——働ける者、戦える者——と、それ以外を分けたのだ。
 そしてその後起こった出来事を、彼女は自分で自分の肩を抱きながら話した。
 そうでもしないと、自分を支えられなかったというように。

「お年寄りや、大けがをした人、幼い子供を、彼らは村で大きな家に集めた。そして彼らは……燃やしたのです。抵抗できない人々を閉じ込め、油をまいて、火をつけ焼き殺した! 私の耳から、人々の悲鳴がいつまでたっても離れません」

 彼女は、いつの間にか小刻みに震えながら涙を流していた。涙がこんなに静かに流れ落ちるものだったのかと、シャラは初めて知る。それは堪えに堪えたものが、最後にこぼれ落ちた、そんな涙に見えた。

「あなたは、いったい……」

 目の前のシスターは、崩れ落ちるように地面に座り込んだ。手を差し伸べようとするシャラに、アムルは静かにその名を告げる。

「彼女の名前は、「セレスティア・ウンセギラ」」
「え!?」

 セレスティアは、モルドレッドに捕らえられ、数日の間に処刑されるはずなのだ。そんな人物が、なぜここにいるのだろう。

「わたくしが助け出しました。もちろん、兄上には内緒で」
「アムル様……こんな事をなさって、貴方のお立場が危うくはならないのですか?」
「わたくしの立場など、どうでもいいのです。それより、わたくしの卑怯な願いを聞き届けてください。シャラ公女、もう一度戦ってください。今度は兄の為などでなく、無力な民達がこれ以上踏みにじられないように。貴方の力を待っているのは、兄などではなく無力な民達なのです。」
「民達が……」
「そうです。貴方が戦ってくれるなら、わたくしは彼女の身柄を引き渡しましょう。そしてできる限りの手を使い、彼女が生きていることを隠し通しましょう」
「アムル様」

 地面に座り込んでいたセレスティアがシャラを見上げた。

「あなたは、無力な民衆の為に怒ってくださいました。戦う事が出来なくなった兵士たちの為に泣いてくださいました。貴方のような人の下であれば、私ももう一度戦う事ができる」

 民のために戦える場所を探そうと、セレスティアは危険も顧みず単身バラカ砂漠にまでやって来たのだ。

「わかりました。……いえ、アムル様の仰ったことはよくわかりません。ですがもう一度だけ、戦います。今度は王や公爵家の為でなく、人々を守るために」

 シャラは立ち上がった。
 必死で逃げてきた兵達の思いを踏みにじるモルドレッドも、罪のない人々を虐げるトゥリア帝国も、同じだ。
 だが助け出した時に感謝していた王国兵のような者達の為と考えるなら、荒くれ者から解放され感謝していたエコー村の村人やルァシーのような、そしてシャノンやユミルやミタマ、フィアンナやナハト、ラクシュミ、リオンのような人々の為に戦うのであれば、まだ戦えるのではないかと思った。シャラの瞳に、輝く光が灯る。

「セレスティア、エリエル騎士団はあなたを歓迎します」
「はい、シャラ様、我が力をあなたに捧げます。……よろしければ、セレスとお呼びください」

 座り込んだセレスにシャラは手を差し伸べる。握り返した彼女の手は、思っていた以上に細かった。