複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.43 )
日時: 2019/02/11 15:46
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

第八章 戦雲

 夜。
 ブリタニアの街は静まり返っていた。
 この街の最も大きな通りは外への城門からイース王城へと続く道である。日中はひっきりなしに馬車が行き交い、徒歩の人間は危険を避け自然と通りの端を遠慮がちに歩くことになる、そんな道だった。だが今は、その気になる者があれば、道の真ん中に寝転がっていても何の危険もない。
 一部の繁華街を除いて、昼の間は人や物の流れでにぎわうこの街も、この時間はひとときの眠りについていた。
 しかしこの夜に限っては、静寂を引き裂く者があった。
 寝静まったブリタニアの街に蹄の音が響き渡った。蹄の数は一騎ではない。複数の騎馬が大通りを駆け抜ける。
 蹄の音を聞いて、大通りに面した家の住民達が起き出し不安そうに窓から身を乗り出して外を見た。彼らが見たものは、狂ったように馬に鞭を入れ、王宮へと急ぐ十騎程の騎馬兵の姿だった。
 不安は伝染する。
 翌朝、人々はそれまでと同じ生活を送りながら口々に噂した。
 何が起こっているのだろうと。戦争が起こっていることは知っている。だが一般市民の立場では正確な情報が伝わってこない。その分無責任なうわさが飛び交い、余計に人々の不安を煽っていた。
 曰く、帝国軍は暗黒魔法でイース神を信奉する人間を呪い殺そうとしている。
 曰く、血も涙もないトゥリア人は、イース人を根絶やしにしようとしている。
 曰く、トゥリア教には食人の教えがあり、イース教の信奉者は焼き殺され、食べられる。
 曰く、空を埋め尽くすほどの、竜騎士の大軍が大挙して押し寄せてくる。
 曰く、友好国のデザイトが裏切って帝国側についた。
 などなど。どれも無責任な噂だった。だが人々は、いつ火種が自分の隣に巡ってくるかわからない不安から、信用できないものが混ざっているのを知りながらも、それらに耳をそばだてずにはいられなかった。それらの噂の中には、時折真実が紛れ込んでいる事もあったがために。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.44 )
日時: 2019/02/11 15:31
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 王妹アムルが予言した通り、イース同盟諸国とトゥリア帝国との戦いは急激な動きを見せ始めた。
 デザイト公国がイース同盟から離反したとの報せがイースの王宮にもたらされたのである。同時に国境警備隊からはデザイト公国軍が国境を侵し、ディーネ公国に侵攻を開始したとの報告が入る。
 これを受け、イース宮殿は緊急事態に突入したことを知った。
 エリエル公国の宿舎にも宮殿からの使者が訪れ、シャラも慌てて身支度を整えると登城するのだった。

「エリエル公国シャラザード。まかり越しました!」

 シャラが謁見の間に入ると、ちょうどいつもの面々の半分くらいが既にいつもの自分の立ち位置に控えていた。
 シャラも自分に与えられた場所に立つと、既に他の者が来るのを待っていたアルフレドに視線だけで小さく会釈をした。

「まだ揃わんのか!」

 そこへ王のローブを揺らしながらモルドレッドが現れる。当然だが今日はいつもよりも機嫌が悪そうである。

「は、なにぶん急な招集故、皆準備に手間取っているようです」

 ルーカン、グリフレットは既に王のわきに付き従っている。どうやらモルドレッドの部屋の前にまで出迎えに行ったようだ。
 それでも半時間後には全員が揃っていた。

「皆もすでに大体の事は耳にしていると思うが、デザイト公国が反乱を起こした」

 アルフレドが告げると謁見の間に大きなため息が漏れる。
 デザイト公国は、イース王国を除けばイース同盟に加わる国々の中で最も潤沢な戦力を有している。
 そんな国が総力を以て攻めて来れば、ディーネ公国はおろかエリエル公国も陥落し、やがてイース王国のみとなりかなり厳しい状況に陥る可能性がある。現在はそのような危機的状況なのだ。

「早急に対策を立てねばなりません! ディーネ公国もエリエル公国もいまだ抵抗を続けてはおりますが、救援も補給もない状況で抵抗を続けたところでその効果は知れております。あと何日猶予があるかはわかりませんが、帝国軍の軍勢は確実にこのイースに近づいております!」
「ええい、そんな報せなど聞きたくもないわ!」

 モルドレッドは王座の肘掛けを乱暴に叩きつける。何人かがその音に驚き慌てて居住まいを正した。
 ここ数日、エリエル公国、ディーネ公国の砦が陥落したという知らせが次々ともたらされている。帝国軍は確実にイース王国へと近づいているのだ。イース王国とディーネ公国との国境は大きな河によって占められている。この河は深く、流れも速いので、渡る方法は一つしかない。「グランパス砦」にかかる「グランパス大橋」を渡るという方法だけである。
 幸い、その河のおかげで大軍が一気にイース王国になだれ込んでくる事はないが、それでもこの河を突破されればもはやイース同盟にモルドレッドを守り抜く術は残されていない。
 そんな時期にデザイト反乱の報せである。

「アルフレド! 貴様の息子は何をしている!」
「は!」

 アルフレドは設問され、すぐに答える事はできなかった。アルフレドの息子でディーネ軍を任されているリデルフは、大使としてデザイトに向かっていた。何故なら、リデルフはデザイト公国の公子「イスラフィル・コーラン・デザイト」と親交がある。そのツテを使ってデザイトに態度を改め同盟に協力するように促すつもりだった。
 それが、逆にデザイトの反乱という報告がもたらされた。幸いというべきなのか、リデルフはデザイトに捕われずに済んでいる。これでリデルフが人質に取られでもすれば、ディーネはさらに窮地に追い込まれていたところだ。

「リデルフはデザイト公国を脱出し、現在デザイトを迎え撃つべく戦力を立て直しております。ただデザイト公国軍の初動には対応できず、マビノギオン砦まで後退し、ここでデザイト公国軍を食い止めております」

 国境を越え侵攻してきたデザイト公国軍は一万。対するディーネ軍は五千。これでは撃退をするどころか足止めも叶わない。リデルフはそう判断して、素早く国境から後退し今はここブリタニアの街から一日と離れていないマビノギオン砦に籠城し、どうにか持ちこたえている。

「陛下、これは好機にございます。敵はリデルフに誘われるがままにイース奥深く踏み込んでまいりました。一見すると危機のようでございますが、ただ一直線に進んできただけの敵軍など、こちらから援軍を送りリデルフの軍と挟み撃ちにしてしまえばひとたまりもありません!」

 力説するアルフレドの弁に、今回ばかりはモルドレッドも興味を示した。

「ほう、ではこのブリタニアから余直属のイース軍を率いて出陣し、デザイト軍を蹴散らしてやるとするか」
「は、そうしていただけますれば、大陸中に陛下の勇名は轟き渡ることでしょう!」

 アルフレドの言葉にモルドレッドは気分を良くしたようだった。
 シャラは胸をなで下ろす。またモルドレッドが「気に入らん」の一言で、或いは何かに理由をつけてリデルフを見捨てるかと思ったからだ。
 だが、

「陛下、お待ちを!」

 その言葉を遮ったのはまたしてもルーカンであった。
 アルフレドは驚いてルーカンを凝視する。

「どうしたルーカン?」
「恐れながら」

 ルーカンは神妙な顔で頭を垂れ、発言を続けた。

「援軍を出す事。しばらくお待ちいただけないでしょうか?」
「なに? 援軍を送るなと?」

 シャラは我が耳を疑った。敵軍はこのブリタニアの街からすぐ北にあるマビノギオン砦まで来ているのだ。今、これを阻まずに、どうやってこのブリタニアを、イース王国を守るというのだろう。
 流石のモルドレッドも自分の身近に敵軍が迫っている今、ルーカンの提案には疑問を持ったのだろう。いぶかしげな表情を浮かべている。

「しかしマビノギオンで敵を防がねば、このブリタニアが戦場になってしまうではないか」

 するとルーカンはより卑屈に頭を下げかしこまる。

「そうです。結果としてそうなりましょう。しかし陛下に置かれましては、真の英断がどちらであるか、おわかりいただかなければなりません」

 モルドレッドはますます困惑を深めた。

「デザイト軍の戦力は約一万。これであればまだこのブリタニアにある戦力で返り討ちにできましょう」
「そうだ、だが今マビノギオンに出撃し、アルフレドの言う通りリデルフと協力すればより簡単にデザイト軍を撃退できるのではないか?」
「確かにその通りです。ですが……」

 そう言い、ちらりとアルフレドに目をやる。

「なんだ。そのような煮え切らぬ態度はやめよ。余が許す。発言いたせ!」
「ははぁ。ではお言葉に甘えまして」

 そういってルーカンはアルフレドを指し示す。

「臣が疑問に思いますのは、なぜリデルフ公子はマビノギオンまで撤退されたのかという事です。確かにデザイトから脱出され、すぐにデザイト軍と戦うよりはある程度後退して態勢を整えてから戦った方が賢いでしょう。ですがそれがマビノギオン砦となると明らかに後退のし過ぎ。臣はそこが不振なのです」
「それはデザイトと我が国が長年に渡って非常に良好な関係を続けてきたせい。両国の間には目ぼしい砦が存在しないのだ。そんな事は、地図をご覧いただければ一目瞭然のはず」

 即座に弁明するアルフレド。日頃の言動を見ているだけに、ルーカンの言葉には神経質になっているようだ。だがルーカンは少しも動じない。

「陛下がもし出陣されたと仮定します。マビノギオン砦にたどり着き、そこで倒すべき敵がデザイト軍だけでなければどうか?」
「伏兵が潜んでいると?」

 モルドレッドの目が細まる。ルーカンの話に興味を持った証拠だ。

「は。陛下の軍を、デザイト軍と戦っているはずのリデルフ公子の軍が裏切りともに迎え撃ちまする」

 アルフレドは絶句している。ルーカンの長広舌はなお調子を上げ続いた。

「そしてこのブリタニアからはアルフレド殿の軍が出撃。これも陛下をお助けする事はなく、マビノギオン砦にいる二軍と共に陛下の軍を挟撃いたしまする!」
「なんと……」

 モルドレッドは驚いて目を見開いた。
 それを聞いたシャラは呆れていいやら頭を抱えてしまいたくなった。だが、自身は発言を許されていないため、黙っているしかなかった。

「三つの軍の数は、数万にのぼりましょう。それではいかに陛下と精鋭揃いのイース軍であろうとひとたまりもございますまい」

 アルフレドはその言葉を横で聞きながら拳を握りしめていた。それもそうだろう、面と向かって「あなたが陛下を裏切るから」と言われたのだ。

「貴様! 私が陛下を陥れるというのかっ!」

 その怒声も当然の物だった。

「いやいや、臣が言いたいのは世の中何が起こるかもわかりません。陛下におかれましては慎重の上にも慎重を期していただきたいという事でございます」

 ルーカンは少しも狼狽えず、平然と進言する。モルドレッドはその言葉を聞き、しばらく考えてから口を開いた。

「言葉が過ぎるぞ、ルーカン」

 アルフレドは安堵してモルドレッドを見やる。またルーカンの口車に乗せられ、モルドレッドが判断を誤るかと思ったのだろう。

「だが、確かに何が起こるかわからんな。アルフレド、余の出撃は取りやめだ」
「陛下!」

 アルフレドの悲鳴のような抗議はモルドレッドの一瞥によって退けられた。

「くくく、アルフレド公。息子可愛さにわがままを仰っては困りますなぁ」

 グリフレットは嘲笑を浮かべる。怒りでアルフレドの頬に朱が差した。だが押し黙る。これ以上言葉を重ねれば重ねるほど、グリフレッドの言葉を肯定しているようなものだ。

「よかろう。確かにマビノギオンで敵を阻めば我々にとって大きな意味を持つ」

 モルドレッドは出陣せず、しかし援軍だけは認めるという結果だろうか。シャラがそう思っていると、モルドレッドはニヤリと笑みシャラの方を見た。

「ならば小娘を貸してやろう」
「は?」

 アルフレドは驚いて振り返る。

「昨今、活躍しているようではないか。どうだ。リデルフを助けに行ってみないか?」

 シャラは笑顔で頷いた。

「その任務。エリエル騎士団がお引き受けいたします!」
「公女……」

 言い淀むアルフレド。モルドレッドは面白くなさそうに、まるで犬猫を追い払うように手を振った。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.45 )
日時: 2019/02/11 21:18
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 「ねえねえ、マビノギオン砦に敵が迫ってるって話、知ってる?」

 傭兵ギルドにて立ち話をしている傭兵たちのそんな話をしているのを、フードで頭を隠した少年が耳にする。
 彼がこの傭兵ギルドにやってきたのは随分と前になる。得意の魔法と短剣を扱い、ちまちまと依頼をこなしてきたのである。しかし、彼自身は自分の名を名乗らないため、人々には「働きがいいが名前がわからない傭兵」として少し評判であった。
 彼はその話をしている男女の傭兵に近づき、笑顔で尋ねる。

「あのすみません。その話、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?」
「お、見ない顔……顔見えないな。まあいいや」

 男の傭兵が先ほどの話を詳しく彼に教えた。
 なんでもイース同盟は今危機的状況らしく、帝国軍がイース王国内のマビノギオン砦まで迫っているのだという。現在はマビノギオン砦にてリデルフ公子が食い止めてはいるが、いずれはそれも持ちこたえられないだろう……そういう話であった。
 彼は顎に手をやって小声で「兄さん……」とつぶやく。

「どうかしたか?」
「あ、いえ……でもひどい話ですね。ソール王国は見捨てられ、それが結果的に大きな損害となって。しかもデザイト公国が裏切ってこちらに攻めて来るだなんて」

 彼は思った事を口にした。傍から見れば自業自得という言葉がよく似合うが、傭兵達も肩をすくめて彼に同意する。

「まったくだよ。噂によると、ディーネもそのうち裏切るんじゃないかって聞いたがね」
「王は一体何を考えてるのかしら」

 彼らも元はイース王国の民の一人である。そう考えるのも無理はない。彼も依頼をこなすうちにそういう話は幾度とも聞いてきた。あらぬ噂、真実に基づく噂……色々な噂が飛び交い、誰の耳にも届くのだ。
 それらの噂を聞いて彼はイース王に対しよく思わなかった。一月ほど前のソール王国陥落から、聞けば救援に出したのはたった百騎かそこそこらしい。信じられないが、ソール王国から敗走した元騎士がそう言っていた。
 しかし、そんな中、その救援に出たという「エリエル騎士団」に興味があった。
 なんでも、エリエルの公女は十七という齢で厳しい環境に乗り込んで三百とはいえ、助けを求める人間に手を差し伸べたのだ。彼女たちの噂は傭兵ギルドでも飛び交って評判もいい。だから彼は、彼女たちについてもっと知りたがっていた。

「そういえば噂によるとまたエリエル騎士団が出陣するんだってね。ユミルがふんぞり返って言ってたわよ」
「あの公女様には同情するなぁ」
「ほんとにね」

 傭兵達はエリエルの公女に対し同情の声を上げる。
 だが彼は違った。彼女と彼女に付き従う騎士達に対し、尊敬の意があった。

「僕は、エリエルの公女様はすごい方だと思います。誰も手を差し伸べなかったソールの王国兵達に唯一、彼女たちだけが手を差し伸べていたんですから」

 彼はそう呟いた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.46 )
日時: 2019/02/15 08:19
名前: 燐音 (ID: mnvJJNll)

 デザイトの離反が伝えられてから三日。シャラは麾下の騎士団を引き連れマビノギオン砦に到着していた。

「公女、よく来てくれた」

 砦に着くと、シャラは会議室に通された。石造りの部屋に絨毯や十人掛けの大きな机が置かれただけの簡素な部屋だ。広さと造りの豪華さでは流石にブリタニアの王宮にある会議室などとは比べ物にならない。
 窓は小さく、時間の関係でそこからはほとんど陽の光が入っておらず、室内は薄暗かった。
 笑顔で出迎えてくれたリデルフだが、部屋の薄暗さのせいばかりでなく憔悴の色が濃かった。
 もちろん荒野を何日も旅してきたような、薄汚れた格好をしているわけではない。イース同盟諸国でも有数の大国、ディーネの公子にふさわしい装いをしている。ただ頬は痩け、目にはうっすらと隈が浮いていたのだ。

「リデルフ様、お食事や休息はしっかりとお取りになっているのですか?」

 リデルフは首を横に振った。

「いや、元々この砦は余分な兵を受け入れるようにはできていないのだよ。食料の備蓄も足りない。まだ兵達が飢えなければならないほどではないが、しかし籠城が続けばいずれはその問題が出てくるだろう」

 もちろんリデルフ一人が絶食したところでどれほど変わるわけではない。だがすぐに食料がなくなると思うと食事が喉を通らないのだろう。

「十分ではありませんが、食料や薬品など補給物資は運び入れております。リデルフ様、少しお休みください」

 すまぬ、と言いながらリデルフは深々と息を吐き出した。

「……シャラ公女、我が軍の状況は見ただろう? デザイト軍の第一波はどうにか防いだ。敵にしてみればほんの前哨戦だ。だが我々は大きな損害を被ってしまった」

 シャラも王宮にてその報告は受けていた。しかしあまりに犠牲を避けることに拘泥したあまり、帰って大きな損害を出してしまったのだ。アルフレドはリデルフに五千の兵を預けていたが、それがマビノギオン砦に逃げ込んだ時点では半分以下の二千にまで減じていた。
 出陣するシャラに、アルフレドは沈鬱な面持ちで漏らしていた。「リデルフには一軍の将としての才覚がないのかもしれぬ」と。
 シャラにもリデルフの気持ちは痛いほどよくわかる。バラカ砂漠でシャラも同じ状況にあった。エリエル騎士団が全滅しなかったのは運がよかったからである。敵が追撃部隊としての任務を果たしてしまっており、エリエル騎士団との戦いは彼らにとってただの余録であった事、そしてセレスという予想外の戦力の介入。
 もし敵がエリエル騎士団を迎撃するために出陣したものであったら、セレスが現れなかったら、シャラは今のリデルフと同じ顔をしていたのかもしれない。

「シャラ公女、現在の状況を説明しておこう——」
「失礼します」

 リデルフが現状の説明をしようと会議室の奥の壁に掛けられている地図の前まで歩み寄ろうとした時、誰かが会議室へ入って来た。
 白いローブで顔を隠した少年……?銀色の髪がのぞく、魔道士のような人物がドアの前に立っていた。

「公子、指示の通り……あ、お客様ですか」
「構わない、「エクラ」。この方は「シャラザード」殿。エリエル公国の公女だよ」

 リデルフはエクラと呼ばれた少年にシャラを紹介する。エクラはそれを聞いて、軽く会釈する。

「はじめまして、私は「エクレール=アルカンシエル」。お気軽に「エクレール」と……いえ、「エクラ」とお呼びください」
「はじめまして、エクラ殿。見たところフィアンナ……我が騎士団に所属する精霊のような雰囲気と言いますか、そんな感じがしますね」

 シャラはエクラと握手を交わす。それを聞いてエクラは「ははは」と笑う。

「初めて会った方に私を精霊と見抜かれたのはあなたで二人目ですよ。貴方は"精霊の加護のある人"なのですね」

 エクラの言葉にどういう顔をすればいいのかシャラは戸惑うが、リデルフが咳払いをする。

「そろそろ本題を」
「あ、っと……そうですね」

 シャラは慌てて居住まいを正す。
 リデルフは地図の前に立った。日に焼け、色あせた羊皮紙にはこの大陸の地図が描かれており、マビノギオン砦の位置に印がつけられている。

「現在、デザイト軍は一旦後退して態勢を立て直している」

 南西に小さな山があり、小さな山があり、その向こう側の、こちらからは見えない場所で補給を受けているというのだ。

「本国から物資を受けているようだ」
「それはこの砦を落とすための補給ではなく……?」
「そうだ、王都を落とすための補給だ。今の場所に補給部隊を一時待機させたまま、再びこの砦の攻略を再開するだろう。砦を落とすと同時に補給部隊とともに一気に王都を目指す算段だ。攻撃再開はそう遠くない」

 今日、明日にも……と、完全に言葉にするのははばかられ口の中だけで呟いた。

「恐らく、砦を落とした後で補給を受けるとイース王国内の警戒が強まるため、だと考えられます」

 エクラが補足して説明する。それにリデルフも頷いた。
 だがシャラは一つの疑問を感じていた。

「しかし、それではまるでマビノギオン砦に大した援軍が来ないことを見越しているようではありませんか?」

 リデルフはそれに頷く。

「我が国とデザイトとは人員の交流もあった。疑いたくはないが、間諜がまぎれている可能性は皆無ではない」

 敵軍の数は、エリエル騎士団を加えても数倍にのぼる。唯一の救いはここが堅牢な砦であると言う事のみだ。

「敵を撃退する方法は……」

 リデルフは沈んだ顔で首を横に振る。それを見かね、エクラが代わりに口を開いた。

「我々にできるのは、少しでもこの砦が落ちるのを先に延ばす事だけ……です」

 シャラは無言で拳を強く握りしめ、歯を食いしばる。
 モルドレッドさえ出陣していれば、あるいは王都に駐屯している同盟軍を動かしてくれたなら、デザイト軍は充分に撃退できただろう。敵の指揮官が無能でなければ、自軍の損害を考え撤退する可能性すらある。
 シャラは黙り、リデルフもエクラも黙り込んだ。
 会議室に居心地の悪い沈黙が満ちる。

「だが、我々にはもうこれ以上の後退は許されない。残る選択肢はたった一つ……」

 それはつまり、ここで砦と運命を共にすると言う事だ。シャラは何も言えない。リデルフの置かれた立場を考えれば、安易な慰めの言葉はかけられなかった。

「ただ、エクラ……君達精霊は戦争に関与する必要などない。この砦が落ちる時は、君一人だけでも逃げるんだ」
「……まあ、私もこんなとこで死にたくはないですし」

 エクラは素っ気なくリデルフに返すが、その顔は曇っていた。できれば彼を助けたいのだろう。

「我々は街の守りを固めます。リデルフ公子も仰った通り、この砦にはこれ以上兵が入る余裕はありません。それに我が騎士団は速度を以って戦うを得意とする騎馬兵団。拠点防御には向きませんので」
「うむ。砦は我が軍勢で持ちこたえられる。シャラ公女、すまぬがよろしく頼む。望みは限りなく薄いが、それでもいつ状況が変わるかはわからない」
「ええ、アルフレド公が陛下を説得されるかもしれない。あるいは陛下もここが落とされる危険にお気づきになり援軍を差し伸べられるかもしれない。諦めてはなりません。最後の一瞬まで、決して!」

 リデルフが力強く頷くのを見て、シャラは会議室を辞した。

「……諦めてはなりません、ねえ……」

 エクラは無表情でシャラの言葉を繰り返した。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.47 )
日時: 2019/02/26 17:16
名前: 燐音 (ID: YzjHwQYu)

 ディーネ公国は、デザイト公国とイース王国に挟まれたイース同盟諸国では、イースに次ぐ軍事力を誇る大国である。イース、デザイト、エリエルの中心に位置し、国家防衛のためというよりは人と物の流通を管理するための砦が多く建てられている。
 マビノギオン砦はグランパス大橋から北西に位置する要衝にある。ここを抑えておけば、ディーネとイースの行き来が把握できるという場所だ。
 砦はちょうどグレム山の北の裾野に乗る形で建てられていた。一段高い場所に建てられた砦からは東側と南側に平原が見渡せた。北へのぼればグレム山脈を越え、デザイト公国へと抜ける道が現れる。
 恐らくデザイト公国軍が補給を受けているのはここだろう。
 マビノギオンの街は開放的な造りになっており、王都のように城壁で囲まれてはいなかった。
 道もほとんど舗装されておらず、家屋の数はそれなりに多かったが、その建てられ方は不規則で大きな街で見られるような区画が整理されているわけではなかった。そのため大きな道には不規則に小道が繋がっており、小道は突然袋小路になっている場合もあった。

「エドワード、街の様子はどうでしょう?」

 シャラは最初から砦の籠城戦に加わるつもりはなかった。そのため、リデルフに面会しに行く間も騎士団は砦の外に控えさせ、エドワードに周辺の状況を調べさせていたのだ。

「は、住民の避難は進んでおります。ですが現状で約半数がまだ残っている状況です」
「は、半分も!?」

 驚いて声が裏返ってしまうが、「いや」と首を振って冷静になる。

「住民もまさかディーネ軍がこちらまで後退するとは思わなかったのでしょうね……」

 砦とはいえ、防衛上の拠点ではない。皆ここが戦場になるとは思っておらず、避難の準備もしていなかったのだろう。

「そうです。親類縁者がある者はともかく、頼る者がいなければなかなか自分の家を捨てて避難はできないでしょう」

 この街を出ても、戦乱は避けられたとしても夜露を凌ぐ場所も糧を得る方法もなければ野垂れ死だけ。残らざるを得ないだろう。

「シャラ様」

 交代で休憩を取っていたセレスが、エドワードの後ろから現れる。まだ緊張している様子がうかがえたが、うまくエリエル騎士団になじんでいるようだ。さっきも休憩中にヒルダやハティと話しているのを見かけた。
 偶然とはいえ、エリエル騎士団は大きな戦力を手に入れた事になるだろう。

「私は空から偵察してまいります」
「よろしくお願いします。ですが気を付けてください。我々の軍には貴女を援護できるものがいないのですから」
「はい、お気遣いありがとうございます」

 少し離れた場所に飛竜を降ろしていたため、セレスは軽く一礼をし勇ましく駆け去る。

「では住民の先導は引き続きハティとスコルの隊に任せます」
「ええ、あとアスランの隊もそちらに回してください。デザイト軍の攻撃再開にそれほど余裕はありません。できる限り市民を避難させてください。手空きの兵達には今のうちに休ませてあげてください」

 セレスを見送りながら、シャラはエドワードに指示を出した。

「では、私は兵の配置を計画しておきます」
「そうですね。暗くなるまでに計画書をお願いします。私も目を通しておきたいので」
「は、かしこまりました」

 エドワードは一礼をし、きびすを返す。
 ちょうどその時に、竜に跨ったセレスの凛々しい姿が、家々の屋根を飛び越え大空へと羽ばたくのが見えた。

「公女」

 何気なくセレスの姿を目で追っていたシャラは、突然後ろから声をかけられ、驚いて振り返った。

「あ、ああ……ナハト、それにフィアンナ」

 朱色の髪と狼の耳が特徴的なナハトと、仮面で顔を隠すフィアンナがそこには立っていた。
 彼らも騎士団の一員であり、ナハトは以前出会ったユミルと同じく大剣を扱う剣士で、フィアンナは蒼炎を操る強力な力を持つ精霊だ。
 騎士団に所属しているとはいえ、彼らもまた目的があるようで普段は宿舎にはおらず傭兵ギルドにいるが、今回は彼らから同行を申し出てくれたのだ。
 ナハトは口数が少なく、フィアンナも自身の事をあまり話してはくれないが、時が来ればきっと話してくれるだろうとシャラは思う。

「何を見ていた?」

 ナハトは不愛想だがシャラに対し少しだけ心を開いてくれている……ような気がする。

「いえ、セレスが飛び立つ姿を。……竜騎士というのは、空を飛ぶというのは気持ちよさそうだなと思いまして」

 戦時中であるにも拘らず我ながら呑気だなと思いながらもシャラは素直に答えた。
 ナハトはそれに対し、フッと笑う。

「そうだな、俺は竜騎士じゃないからわからんが、空を飛ぶというのはさぞかし……」

 ナハトは言い淀む。

「どうしましたか?」
「いや、妹も竜騎士になりたいと言っていたなと、思い出してな」

 ナハトは寂しそうな表情を見せた。

「ナハト、よろしければあなたの妹殿についてお教えいただけないでしょうか?」
「……何故だ?」
「貴方の事を、私はまだ知らないので。それに私にも妹がいますから」

 強引だが、シャラはナハトに詰め寄る。
 彼は騎士団なのにその素性を全く知らないのだ。だから上に立つ者として知っておかねばならない。

「……あまり面白くない話だがな」

 ナハトはそう切り出すと、過去に何があったのかを語り始めた。

 ナハトの話はこうだ。
 「ナハト・アマネセル」とその妹「ディア・アマネセル」はかつてはライラ王国の小さな村で暮らしていた。二人は仲が良く、戦争が始まるまで共に暮らしていたという。
 だがその村にトゥリア帝国軍が現れ、ディアを捕らえた。
 ディアだけでなく、その村のディアぐらいの若い娘は次々に捕らえられ、村の中心に磔にされる。
 ナハトはディアや若い娘達を助けるために剣を握りしめ必死に抵抗したが取り押さえられた。

「そして、奴らは俺の目の前で娘達を……ディアを、焼き殺したんだ」

 その後はフィアンナに助けられるまで監獄島に収監されていたという。
 ナハトの話を聞いていたフィアンナは唇をかみしめ拳を握りしめていたが、シャラとナハトはそれに気づかなかった。

「妹の仇は必ず討つ……それが地の底から這い上がった俺にできることだ」

 ナハトは静かに口にするが、瞳は憎悪で染まっている。彼が騎士団にいるのは、帝国軍を一人残らず殺すためだろうと、予測する。

「それだけじゃない、ディアの親友である精霊に会って、一言謝りたい」

 ナハトは憎しみに染まった瞳から一変して、悲愴な面持ちになる。
 なんでも、ディアには親友である精霊がいて、その精霊に会って妹を守れなかったことを謝罪したいのだという。
 シャラは、ナハトの目的はむしろこちらだろうと考える。

「大体わかりました、ナハト。私も妹殿の親友を探す手伝いをさせてください」
「……公女、これは俺の問題だ」
「いいえ、それくらいはさせてください。貴方の話を聞かせてもらった者の義務です」

 シャラはナハトの両手を取り、握る。ナハトは狼の耳を畳み、そっぽを向いて「あ、ありがとう」と小声でつぶやいたのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.48 )
日時: 2019/02/13 00:45
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 昼間の間は街の北側から非難する市民たちの姿が認められたが、流石に夕刻になるとそれも姿を消す。
 残った人々は息をひそめて家の中に閉じこもっていた。
 デザイト軍が攻めてくるのは恐ろしい。しかし街を、家を捨てて逃げ出すのも恐ろしかった。だから固く扉を閉ざして閉じこもるしかないのだ。
 そんな中、物音に気が付いて窓から外を見た何人かは、街の入り口を守護していた警備隊が逃げ出すのを見ていた。
 ディーネの部隊ではなく、マビノギオン砦に駐屯している部隊のようである。なぜそれが分かったかというと、マビノギオン砦の部隊は基本的に鉄板を重ねて作った鎧を身に着けている、重歩兵がほとんどだった。ディーネの部隊は軽歩兵や騎兵で構成されている。窓の外を通って行ったのは、重歩兵の一団だったのだ。

「ああ、俺達は見捨てられちまった……」

 その光景を見た誰もがそう思った。

 シャラがデザイト軍への準備を終え、遅い夕食を取っていると、スコルが飛び込んできた。ちなみにエリエル騎士団の面々は、リデルフに許可を得て、街の宿屋を接収して使わせてもらっていた。

「シャ、シャラ様……あ、すみません、食事中でしたか……!」
「スコル、急用がある時もドアはノックするように言っているだろう」

 エドワードは慌てて飛び込んできたスコルの不調法を窘める。しかしシャラはナプキンで口を拭い、食器をテーブルに置いてからエドワードを制した。

「いえ、それよりも急を要する報告ですか?」
「は、いえ、お食事のところ……失礼しました……」

 スコルはぜえぜえと息を切らしている様子だ。それほどまでに火急の用事なのだろう。
 そこにハティも現れ、弟の様子にはあっとため息をつく。

「シャラ様、神殿に市民たちが集まっているのです」

 息を切らして報告のできない弟の代わりに、冷静なハティが口を開く。

「神殿? それが何か問題でも?」

 1か所に集まっているというなら、守りやすくなるはずである。

「神殿のある場所が問題なのです。街の北側、厄介な事に北のはずれ……敵が攻めて来れば真っ先に戦場になる場所にあるのです」
「そ、それ……それ……」

 ハティの言葉にスコルも指をさして同意する。相変わらず息を切らして目をぎゅっとつむっている。

「なんだと、あの北のはずれにある古びた神殿か!?」

 エドワードも街の中を見回った時に問題の神殿を見たらしい。そこはシャラ達の計画では完全に戦場になる場所だった。
 シャラはこのデザイトとの戦いに際して、街の全てを守る事は最初からあきらめていた。市民たちには積極的に避難を進め、残らざるを得ない者に関してもせめて街の南側に移動するように勧告を出していた。空き家はいくらでもある。緊急処置として数日それらを間借りしてもらうのだ。
 そうしておいて街の中に敵を誘い込む。すると建物や壁、街路樹などが障害物となる。例えば長い槍を振り回せないような小道に入れば、敵兵が五人一組でやって来たとしても五人全員が一気に戦えるわけではない。こちらにしてみれば五対一ではなく、一対一が五回連続するという状況に持ち込める。もちろん一人で五人相手をしなければならない不利が覆るわけではない。ただ戦いやすくなるのは確かだ。

「むぅ……、戦場の真っただ中になるな」

 エドワードのため息に、シャラはひとまずナプキンを置いて食事を終えた。

 シャラは市民達を説得するために町はずれにある神殿へと赴いた。驚いた事に神殿に集まったのは一人や二人ではなく、数十人の単位である。明らかに一つの家族ではなかった。
 既にイース教の神官は退避しているらしく、神殿を占拠した彼らは神殿にあった椅子や机や書架を窓の内側に立てかけ防御壁代わりにしている。
 デザイトはイース教を信奉する国だ。トゥリア帝国ならともかく、相手がデザイト軍であるなら、いきなり焼き討ちにされる可能性は低いかもしれない。
 しかし、やはりシャラは街の南側に避難してもらいたかった。

「どなたか、この神殿の責任者を呼んでいただきたい! 私は、エリエル公国騎士団のシャラと申す者です!」

 閂がかけられているのだろう、分厚い樹の扉は開けようとしても微動だにしない。シャラは仕方なく声を張り上げ中にいるという市民に呼びかけた。
 扉には手のひらほどの大きさの小さな開き戸がつけられていた。大きな扉を一々開ける訳にはいかず、普段はそれで誰が訪れたかを見るのだろう。しばらく待たされ、覗き窓が小さく開いた。
 血走った目が、奥からシャラを睨みつける。
 目の周りしか見えないため年齢はよくわからないが、かなりの高齢であるように見えた。

「わしらの事は放っておいてくれればいい」

 言いたいことだけを一方的に言うと、覗き窓をぴしゃりと閉める。取り付く島もないとは、まさにこの事だった。

「そんな事を言わず、私の話を聞いてください。ここは戦場になります! 危険なんです!」

 再び窓が開いた。

「どうせあんたら貴族は、自分の事しか考えてないんだろう? わしらの事はわしらでする。だから構ってくれるな!」
「自分の事しか考えない?」
「そうじゃ、この街の警備隊とっとと逃げてしまったではないか!」

 確かにその報告はシャラも耳にしていた。
 エリエル騎士団や、同じディーネ軍でもリデルフが指揮を執る部隊とは違い、このような地方駐屯の部隊は規律が乱れている場合が多い。

「ですが、だからといって、ここは——」
「うるさい! あんたらはどうせわしらを見捨てるんじゃ! だったらわしらは女神さまにおすがりするんじゃ!」

 そう言い捨てると男は乱暴に覗き窓を閉め、そのまま二度と呼び掛けには応えなかった。
 シャラに市民たちを見捨てるつもりなどなかった。だが、彼らを見捨てないのであれば、この街にデザイト軍をおびき寄せる方法は使えない。街の外に出て、真正面から戦う事になればエリエル騎士団の不利は明らかだった。

「アムル様は市民のために戦ってくれと仰った……だけど……」

 シャラもそれは正しいと思った。だが、このままいけば部下たちを危険に晒さなければならない。いや、ただの危険で済めばいい。
 シャラの脳裏に浮かんだのはバラカ砂漠での戦いだった。ボロボロになりながら落ち延びて来たソール王国の兵達の姿だ。
 それに自分の部隊の者達の顔が重なる。
 部下たちがあんな状況に陥る事は恐ろしかった。エドワードが、ヒルダが、アスランが、ハティとスコルが、そしてイグニスが……ナハトやフィアンナ、セレスやルァシー、ラクシュミやリオンが、他の騎士や兵達がもしあんな状況になったら……
 考えるだけで身体に力が入らなくなる。シャラは自身の身体を両腕で支えるように抱いた。
 改めて自分に圧し掛かっているものの重みに気づく。エリエル公爵家と共に、公爵家に仕える家臣、宮廷魔術師、騎士、一兵卒、全ての運命がこの一瞬一瞬の決断で左右されるのだ。
 シャラは呼吸が乱れ、胸を押さえつける。その様子を見かねたエドワードがシャラの肩に大きな手を置き、シャラを落ち着かせるように軽く叩いた。

「シャラ様、どうなさいますか? 今のままの作戦では、この地域は完全に見捨てるしかありません……」
「……ひとまず、宿に戻りましょう。皆さんの意見も聞きたい。それに、何か状況が変わっているかもしれません」

 望み薄ではある、それはシャラ自身が分かっていた。だが、今のシャラには結論を先送りする事しかできなかったのだ。

「エドワード……」
「は、何でしょう」

 シャラは表情に影を落として「すみません」と一言聞こえない程度につぶやく。エドワードは聞こえない振りをし、無言でシャラの肩を叩いた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.49 )
日時: 2019/02/14 11:32
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 各隊の隊長が宿の食堂に集まっていた。兵達の配置は今の所変えてはいない。つまり北の神殿は護衛範囲に入ってはいない配置だ。ただ敵部隊が動き始めれば対応できるように偵察部隊は残してあった。
 隊長たちの意見は真っ二つに分かれた。もちろん、助けるべきという者と、部隊の消耗を考え見捨てるべきという者だ。
 どちらにも一理はある。無力な市民を助けるのは確かに騎士の役目だ。だが戦力は無限にあるわけではない。拾うものは拾い、捨てるものは捨てなければ隊は疲弊する。逆に言えば、そうして隊が全滅してしまえば、この先の戦いで助けられる人や国を助けられなくなってしまう。
 今の作戦の維持を訴えたのは、エドワード、アスラン、スコルなど、男性の隊長が多かった。女性だが、ハティも維持に賛成の意を持っている。逆にヒルダや、隊長ではないが、ラクシュミ、セレスといった女性陣は作戦の変更を訴える。ナハトも変更に賛成をしていた。
 精霊組はというと、黙って話を聞いていたようだが突如、フィアンナが立ち上がり自身の意見を述べた。

「シャラ様、私は彼らを助ける事は騎士の義務であると思います」

 フィアンナは静かに言いたい事を言ってから椅子に腰かける。リオンも手を恐る恐る挙げて、

「僕も、そう思います。それに助けに行かないとラクシュミが怒鳴り散らかして、神殿を雷で吹っ飛ばすと思います」
「ちょっとリオン! 私がそんなことする訳ないじゃないの!」

 リオンの言葉に慌てて食堂の机を叩きつけながら否定し、怒鳴る。その様子に騎士たちは吹き出したり、笑みを浮かべたりしていた。
 シャラも釣られて笑い、皆に作戦の変更の決定を伝えた。


 作戦会議が解散した後、シャラは宿から出て一人歩いた。別に目的があったわけではないが、どうにか動かないと不安で押しつぶされそうになってしまうからだ。
 シャラが夜の静かな街を歩いていると、ルァシーが街の長椅子に座って星空を眺めているのを見つけた。

「あ、公女様」
「ルァシー、夜は冷え込みますよ」
「ん〜、もうちょっとだけ。最近色々ありすぎて心休まらなかったし」

 ルァシーはそういうと、「隣、座る?」とシャラを自身の隣に招いた。シャラは頷いてルァシーの隣に座る。

「ねえ公女様、あなたは神殿にいるあの人たちをどうするの?」
「……私は——」
「見捨てるならそれでいいと思うけどね」

 ルァシーはシャラの答えを待つより先に、剣で胸を突き刺すような言葉を口にした。
 ルァシーは、無力な民の為に身を削るシャラに対し、尊敬していた。だがそれと同時に、シャラがいつの日か裏切られ、或いは守るべき者を守った末、命を落とすんじゃないかと懸念していた。
 ソール王国兵を助けるために戦ってきた所も、民の為に命を賭してきたことも知っているからこそ、シャラが心配なのである。

「あたしは公女様がどういう選択をしようとも、それについていくだけよ。命の恩人だし」

 ルァシーはにこりと笑う。彼女はシャラを信じているからこそ、笑う事が出来るのだ。

「ルァシーは、本当に強いですね。私に比べれば……」

 シャラがそうぼやくと、ルァシーはむっとした顔で否定する。

「強くなんかないわよ。だってあたしは公女様や皆みたいに戦う力がないもの」
「それは——」
「だけどそれを言い訳になんかしないわよ。あたしにはあたしの戦い方ってモンがあるもの。公女様だって公女様なりの戦い方があるでしょ? 人の戦い方なんて、教科書なんかないんだから自分なりに自分の戦い方で戦ったらいいのよ、簡単じゃない!」

 ルァシーはふんっと鼻を鳴らし、ふんぞり返る。
 ルァシーの言葉が妙に突き刺さるシャラ。……確かに、そうだ。そう考えたシャラは急に立ち上がる。

「そうですね。ありがとうございます、ルァシー!」
「え、あ、お、お粗末様でした……?」

 急に立ち上がったため、ルァシーは驚いてシャラをじっと見つめていた。

 戦い方に教科書なんてない。だったら、答えは簡単だ。そう考えたシャラは夜の星空を見上げた。



 偵察隊から第一報がシャラの所にもたらされたのは、空が白み始めた頃だった。
 刻々と闇が薄らいでいく光景に、なぜか胸は高まりを覚える。

「よし、全軍出撃! 敵はデザイト公国軍。ですが積極的に戦う必要はありません。まずは相手の出方を見守るのです!」

 檄を飛ばしシャラは自分の馬に跨った。
 街のあちらこちらから騒めきや軍靴の音が聞こえ始めた。予め戦力をあちこちに配置しており、伝令兵によって同時に行動を開始したのだ。
 砦の方を見れば、城壁の上に次々と弓兵の姿が現れ、これからやってくる敵軍に備えた。
 眠りについていた街が目覚める。そんな雰囲気だった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.50 )
日時: 2019/02/14 20:15
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 デザイト軍は軍を二つに分け、砦の北側と東側の二方向から進撃を開始した。
 だがその一方だけを取ってみても、エリエル騎士団の数十倍にもなる大軍だ。
 起死回生の策はなかった。
 立てていた策も無に帰した。だがシャラは、それでも神殿を見捨てるという選択をすることができなかった。綺麗事ではない。だから半ば以上神殿を見捨てようかと思った。しかしそれをしてしまえば、シャラにイース同盟に残る理由がなくなってしまう。もはやモルドレッドを守る事など、シャラにとってはどうでもいい。シャラが守っているのはモルドレッド個人ではなく、人々が生きていくための国を支える「国王」である。それがたまたまモルドレッドという個人ではあるが。
 だから市民は見捨てない。
 それでも、部下が、仲間が犠牲になる姿も見たくはなかった。
 だが状況は、シャラのそうした割り切れない判断に早々と現実の厳しさを突きつけるのだった。

「先発していた槍騎士第四小隊が全滅いたしました!」

 その報告にシャラは馬上で、ギリギリと音がする程強く手綱を握りしめた。

「敵は、戦線を突破したのですか?」
「いえ、第一、第二小隊が素早く穴を埋め、数機が紛れ込んだのみです。ヒルダ隊長の石弓隊が迎撃しております」

 「そうですか」とシャラは頷いて伝令を戻した。
 陣形は南側の神殿を基準点として、扇形に展開していた。
 街のすぐそばを川が流れているが、これは浅すぎて防壁代わりには利用できない。
 あまり一か所に固まっていると後ろを突かれかねないため、数に比べ広げすぎている配置であった。ただ、これは敵を警戒させる狙いもあった。
 伏兵があると思いこませれば、敵は、特に統制が取れている部隊であれば容易には攻め込んでこない。だからこそ、様子見で攻めてきた部隊は必ず全滅させなければならない。そうでなければこちらの戦力の薄さが相手に明らかになってしまう。
 にらみ合いが続いた。陽が高くなり、照り付ける日差しがジリジリと肌を焼く。そうしながらもこちら側からは絶対に攻勢に出られないのだ。
 しかしこれを続けてどうするのだろう。
 援軍の望みはない。補給を受けたばかりの敵軍は、撤退するとも思えない。戦力差は圧倒的。目の前には暗い条件しか転がってはいなかった。

「ううん、私が挫けちゃだめよ……! 私が挫けたら部隊が全滅してしまう」

 シャラは不安を振り払うように自分に言い聞かせ、自身を奮い立たせながら耐え続けた。



 リデルフはテラスから城壁の門を見下ろしていた。
 門の扉は基本的に木製だが、内側も外側も、鉄板や鋲で補強された強固なものだ。鋼鉄製の閂で、感嘆に破れるものではない。
 だが先ほどから、門の外側から激しい打撃音が砦中に響き渡っていた。
 エクラの報告によると、デザイト軍はすぐ傍の森から一本の木を伐り出し、それに何本もの綱を巻き付け取手とし、即席の破城鎚として門の扉に突進しているのだ。もちろんリデルフもただ見守っていたわけではない。
 門に憑りつくまでに弓兵に命じ狙撃させていた。だが波状鎚を構えた数名をそれ以外の騎馬兵が体を張って守り、矢が届かなかったのだ。
 エクラに魔法攻撃を頼んでみたが、城壁に取りついた人間はもちろん、城壁も壊してしまう可能性がある。それにもはや弓での攻撃は効果が半減する。城壁の上からすぐ下を狙うには、射角の問題が出てくるのだ。
 城壁には下からの攻撃を防ぐため、弓兵が配置される場所は高い壁が築かれている。多くの場合は壁に切れ目が入っており、その隙間から近付く兵を狙撃する。そのため近づきすぎた敵を狙撃するためには、この防壁から大きく身を乗り出さなければならないのだ。当然そんな無防備な弓兵は敵の狙撃の格好の的となる。
 リデルフは、門の外に出て迎撃しなければ、あとは手をこまねいてみているしかなかった。
 破城鎚が門扉をたたきつける音が、不気味なほど規則正しく砦に響き渡った。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.51 )
日時: 2019/02/15 00:14
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 早朝から始まったにらみ合いは、散発的な衝突を繰り返しながら昼過ぎまで続いた。
 照り付ける日差し、殺気立つ敵と向かい合うための消耗。
 こちらから攻勢に出ては絶対的に不利なはずのエリエル騎士団の方が、むしろ焦れていた。
 このまま戦えば負ける。だから時間を引き延ばす。しかし時間を引き延ばしたからと言って何かが起こるわけではない。それはわかっていた。
 それ故に、予定調和な膠着状態の終焉を、シャラはすでに予感していたのかもしれない。

「シャラ様! 左翼防衛線が突破されました!」

 拠点である宿屋の前で待機しているシャラに報告が次々ともたらされた。

「シャルレーヌの傭兵隊を差し向けてください!」

 抜き取った剣を振るい指示を飛ばす。

「砦方向から煙が見えます。どうやら敵は火矢を使い始めたようです!」
「砦はそう簡単には燃えません! 飾りが燃えているだけ。ただの脅しです! 狼狽えないでください!」

 破城鎚だろう、鈍い打撃音は戦場に鳴り響いていた。これが鳴りやまないうちはまだ砦の門が破られていない証拠だ。
 デザイト公国軍はとうとう伏兵は存在しないものと見て、東側の部隊を進ませ始めたのだ。
 元々、張りぼてに等しい戦力配置だ。
 戦力という物は、厚みを持たせてこそ信用できる。特にエリエル騎士団のような騎馬兵を主力としている部隊は前進する力は優れているものの、横の動きは苦手とする。どうしても騎馬を方向転換する時にもたつくからだ。
 であるから、防衛線を任されればそこを突破されてはならない。突破されたが最後、敵は味方の後ろから襲いかかるだろう。そうなれば被害は一気に跳ね上がる。
 扇形に展開したエリエル騎士団は、しかし少ない数で広い場所を守ろうとするが故に戦力を薄く分散させなければならなかった。
 デザイト公国軍はエリエル騎士団の戦力を虚勢と見て、一気に紡錘型の陣形でもって襲いかかった。これは中から二十騎単位で尖った陣形を形作り、突進することで楔を打ち込むように敵の陣を引き裂くのに用いる。通常、これには陣の厚みを増して突破されないように吸収するのだが、今のエリエル騎士団の戦力ではされるがままになるしかなかった。
 前線は易々と破られた。
 小隊単位で散り散りになり、慌てて街の中に逃げ込んで行く者、玉砕覚悟で突撃する者、中には咄嗟に方針を選べず、その場で敵軍の全身に押しつぶされた部隊もあった。
 「全滅」、その言葉がシャラの頭の中に浮かび上がる。
 いつかは犠牲が出る。追い込まれる時がくる。それらはエリエル公国を出た時に覚悟していたつもりだ。だがそれでも、神殿に立て籠もった彼らが大人しく避難していてくれていれば、こんな状況に陥らなかったと、焦りに似た怒りが腹の底からこみ上げる。
 後退させ、戦力を立て直させるか。
 しかしその命令が伝わるまでに被害は甚大な数に上るだろう。

「私も前線に出ます!」
「シャラ様!」

 傍に控えていたエドワードが馬を寄せ、シャラをいさめる。

「将が安易に動いては兵が動揺いたします」
「しかし父上はいつも先頭に立って戦場を駆けていました!」

 ディーネのアルフレドが知性の人であるなら、エリエルのアイオロスは勇猛の人であった。若くから戦場に出、いくつもの武功を上げている。

「アイオロス公は最初からご自分が出陣することを前提としておられました。しかしシャラ様は、今回ここから指揮を執る予定だったのです。それを突然変えれば兵が動揺いたします。指揮も……」

 そう言いかけてエドワードは言い淀む。もう、指揮を執る意味などないのだ。すでに指揮系統は寸断され、あれほど頻繁にやって来た伝令兵も一気に回数が少なくなった。

「私が出ます」

 エドワードを押し退け前に出ると、ラクシュミが横に付き従った。

「私も戦います!」
「僕も、ラクシュミと皆さんのためなら、戦います」

 ラクシュミの影からリオンも這い出て来た。二人はバラカ砂漠以来、何度かエリエル騎士団に同行して戦力として共に戦っている。
 だがリオンは負の感情を吸い取る杖が魔力を調整できない上に連発もできないし、ラクシュミも王女という立場から危険な目に合わせたくはなかった。

「しかし……」
「シャラ公女、単純な破壊力だけでいうなら、私の魔法とリオンの暗黒魔法の方が強力です。この期に及んで遠慮は無用です」

 厳しい目を向けられ、シャラは反論する事が出来なかった。王女だろうが何だろうが、使えるものは全て使わなければ、全滅してしまう。

「俺も同意だな」
「えっ……?」

 突然背後から野太い声が聞こえたため、驚いてシャラは振り返る。
 そこには、見上げるほどの鎧を着た大男が立っていた。ダークグレーの髪を一本に束ね、このマビノギオン砦にいた重装兵のような頑丈な鎧を着ている。手には長槍を持ち、その体格から以前出会ったワスタールのような人物だとシャラは思った。
 そして後ろには金髪の女性が立っていた。髪を二本に束ね、バレッタで頭の上にまるで獣人の耳のように立たせている。瞳は深い森のような翠。剣士なのか、腰に銀色の剣を携え、服装は以前出会ったミタマのように白装束を腰のリボンで締めて、黒く脹脛までの丈のズボンを纏っていた。

「あの、貴方がたは?」
「俺はジャレッド。「ジャレッド・オーウェン・モーガン」。デザイト公国の元騎士だ」
「デザイト公国……!?」

 シャラは反射的に剣を構える。だがジャレッドはそれを制した。

「まあ待て、俺はあんたらに協力したくてここに来た。戦力が欲しいんだろ?」
「……理由を聞いていいですか?」
「強いて言うなら、帝国軍を憎んでるから、だ。デザイト公国に寝返った奴らの目を覚まさせたい」

 ジャレッドは手に持っている槍を握る力を強める。恐らく彼なりに考えての行動だろう……シャラはそう思う。

「私は「スピネル」。ミズチ国から目的の為に来ました」

 落ち着いた雰囲気を持つ金髪の女性……スピネルは静かに頭を下げる。

「目的、とは?」
「「呪刀カケツシントウ」を取り戻す事です」

 スピネルはそう静かに言うと、突然腰から下げていた剣が水が泡立つような音を発し、人の姿となった。

「それよか、この「下らん殺戮」を終わらせるためじゃ」

 シャラとエドワードは驚いてその人物を凝視する。長い髪を二つに掻き分け黄色のリボンで束ね、白装束と白いスカートを穿いた、海のように碧い瞳を持つ少女であった。

「あ、貴方は?」

 シャラは恐る恐る尋ねる。すると、彼女はふんぞり返ってふんっと鼻息を出す。

「余はミズチ国を守る精霊「タマヨリヒメ」じゃ!あ、気軽にタマちゃんって呼ぶがよいぞ〜」

 笑顔で軽く挨拶をするタマヨリヒメ。案外人懐っこく壁を作らないフランクな人物なのだろう。以前出会ったエルのような雰囲気を持っていた。

「というかそんなこたぁどうでもいいわい! 主らは戦力に困っておるんじゃろう?黙って余らを使うがいい! 四の五の言ってる場合じゃなかろう!」

 タマヨリヒメはじれったそうにシャラを指さす。
 詳しいことはよくわからないが、彼らは味方でしかも手を貸してくれるようだ。

「それに主は死んではならん存在じゃ、この戦いを終わらせる鍵であるからな」

 タマヨリヒメはそう付け加える。その言葉の意味はわからないが彼女の眼差しはまっすぐで、シャラは先ほど市民に怒りを覚えた自分を見透かされてしまうような気がして、落ち着かなかった。

「言われなくとも、死にたいわけではありません」
「なら、俺達を使ってくれるな」
「……そうですね、よろしくお願いします」

 ジャレッドにそう頼むと、三人は頷いた。
 そのやり取りを見ていたエドワードがシャラに向かって厳しい表情で諭した。

「しかしシャラ様。お辛いでしょうが、引き際だけはお考え下さい」

 エドワードの言葉はもっともだ。子供が駄々をこねるように粘っていても、戦況は好転しない。であるなら、適当なところで撤退を考えなければならないのだ。
 しかし、そうなれば街に残された市民達が気がかりだった。
 デザイト公国はトゥリア帝国ではない。市民を以前セレスが言っていたような扱いはしないだろう。だが彼らを置き去りにして逃げるのはやはり心苦しい。
 だから大人しく街の南側に避難してくれればまだなんとかなったかもしれないというのに。口惜しさがこみ上げる。
 苦虫を噛み潰したような顔をしているシャラに、リオンがシャラの頭を撫でる。

「大丈夫ですよ」

 リオンはそれだけ言うと、影に潜んでしまった。シャラは驚いて撫でられた頭に触れる。

「……そうですね」

 シャラは深呼吸をしてからゆっくりと全身を開始する。残っている戦力は、エドワード麾下のエリエル騎士団と、ラクシュミやリオン、空で偵察していたセレス、先ほど加入したジャレッドとスピネルなど、隊列を組んでいない遊撃要員のみだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.52 )
日時: 2019/02/15 19:52
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 砦の火災はどれもボヤ程度で、被害は取るに足りない。しかしそれでも消火に人手が奪われ、煙を吸い込んで動けなくなる者もあった。
 城壁の門は、もはや破られる寸前だ。内側に貼られていた鉄板は何枚か弾け飛び、鋼鉄製の閂こそ折れていないものの、それを通す金具は衝撃に耐えかね変形し始めた。
 木製の部分は何条もの亀裂が入り、小さな裂け目から扉一枚隔てた向こうにひしめく敵の姿が垣間見えた。
 既に北側の門に面した前庭には、この砦の戦力を終結させている。だが扉が破られれば容易く蹴散らされるだろう。何しろ、ここに残っているのはリデルフ直属の部隊だけで、元からマビノギオン砦に駐屯していた戦力は、既に全てが遁走していた。

「公子……」
「わかっている、エクラ。君はこの砦から脱出してくれ」

 リデルフはエクラに対し逃げるように促す。彼は精霊であり、元々ディーネにもイース同盟にも関係のない者だ。
 だがエクラは首を振る。

「私は命令は聞きません」
「じゃあお願いだ」

 エクラは無言でリデルフを見る。エクラにはリデルフやディーネ軍を助ける義理なんかないし、普通ならお願い通り逃げていたが……ここで逃げれば男が廃るというものだ。エクラはそう思う。

「門が破られたと同時に僕の魔法でなんとか凌ぎます」
「……エクラ!」
「僕が逃げたせいで砦が陥落してしまったら寝覚めが悪いんです。貴方が化けて出そうだ」

 エクラはそう言い放つといつの間にか雷が渦巻く球体……魔導球オーブを取り出し、詠唱を始めた。

「せめて一宿一飯の恩義は果たさせてもらいます」

 リデルフは何も言わなかった。恐らく彼の魔法を以てしても、デザイト軍を止めることはできないだろう。そもそも相手の数が多すぎる。それはエクラだってわかっているはずだが、彼は逃げるどころか戦う事を選択してくれた。

「……すまない」

 時間と共にリデルフの胸には絶望がこみ上げてきた。元々無茶な戦いなのだ。だが当初は勝てるはずの戦いだった。イース同盟が援軍を派遣さえしてくれていれば……。
 リデルフは半ば戦う事を諦めかけていた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.53 )
日時: 2019/02/16 12:26
名前: 燐音 (ID: lU2b9h8R)

 シャラが前線に到着した時、既に戦況は掃討戦に移っていた。
 もちろんデザイト公国軍が逃げ惑うエリエル騎士団を討っていく掃討戦だ。
 すれ違いざまに槍で胸を突かれ味方の騎士が馬上から叩き落された。彼はしばらく地面でのたうっていたが、やがて動かなくなる。
 バラカ砂漠と同じ状況だった。

「私に続け!」

 シャラは抜き放った剣を振り上げ、馬の腹を蹴り駆け出した。

「おおぅ!」

 エドワードとその麾下の騎士十騎がシャラの後に続いた。空には、かき集めたピラムを竜の身体に縛り付けたセレスが旋回を続けている。
 シャラはジャレッドとスピネルに任せてある、歩兵ばかり集めた傭兵隊にラクシュミの護衛を委ね、前線に駆け込む。
 目の前には三騎の槍騎士が立ちはだかった。一人を先頭に残りの二人が先頭の斜め後ろを固める。小規模紡錘陣形だ。一人を相手にしようとしても、残りの二人が左右から援護する。基本的に一旦距離を置いてから一気に攻め込む戦法をとるための陣形だ。左右のどちらかを攻撃しようとしても、突進するうちに微調節をし中央で受け止めるようにしてしまう。騎馬は横への動きが素早くないのが弱点なのだ。
 シャラの姿を認めると、三騎は一直線に駆け出した。呼吸を合わせ、三騎ひと塊となって駆け寄ってくる。
 ところが、シャラは真っ向からこれを迎え撃つべく愛馬の腹を蹴った。騎乗したエリエル馬が嘶きをあげながら疾走する。瞬く間に両者の距離がつまり、すれ違いざま、シャラは馬の背に密着するほど頭を低くし背中の上で敵の槍をやり過ごす。そして剣を持った右手側を通る敵の足を斬りつけた。

「がぁ」

 くぐもった悲鳴を上げて敵は落馬する。残った二騎は随伴していたエドワードが即座に斬り倒した。すぐさまシャラは落馬した騎士を捕縛し捕虜とすると、エドワードの部下に命じ後方に下がらせる。
 そこは街の東の外れだ。いくつかの家がまちまちの間隔で建ち並び、そこには何人かの騎士達の遺体が転がっていた。

「しかし、こうしてただ戦いを続けていてもキリがありませんぞ」

 馬上で使うための大振りな剣から、血糊を拭き取りながらエドワードは言った。

「わかっています」

 シャラとて漫然と戦い続けるつもりはない。しかし分断され、街中に散った騎士団の面々と合流するのは簡単な事ではなかった。

「もう撤退命令を下すべきだと言う事も、わかっているのです」

 シャラはエドワードに、というわけではなく自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

「兵達には各個で撤退を開始するように指示を出してください。私は、もう一度だけ神殿に立て籠もっている市民達を説得してみます」
「承知しました。シャラ様、お気をつけて!」
「大丈夫です、セレスが上から援護してくれますから」

 仰ぎ見れば、上空で旋回を繰り返しているセレスはしっかりとこちらの動きを捕捉してくれていた。


 結果から言えば、シャラが神殿に立て籠もる市民たちを説得する事はなかった。
 なぜなら、神殿の扉は無残にも破れていたからだ。

「まさか……!?」

 シャラの期待は裏切られた。デザイトが市民に手を出すとは思っていなかった。だがその予想が甘かったことを、ぽっかりと口を開けた入り口が物語っている。
 シャラは馬から飛び降りると素早く手綱を手近な木にくくりつけ、神殿の中へと駆け込んでいった。
 神殿の廊下には、市民だと思われる何人かの若い男が倒れていた。息がない者もあれば、ただ気を失っているだけの者もいるようだ。一瞬、手当てをするべきか迷う。
 だが彼らはそう長い時間放置されていたわけではないようだった。
 であるなら、扉が破られてから間がないのかもしれない。

「すみません。私は、先に奥へ……」

 物陰に誰かが潜んでいる可能性はあった。だが、シャラは無防備に奥へとつっづく扉に手を掛けた。
 視界の端に動く者があった。
 柱の陰。
 構えているのは石弓。
 とっさに扉から手を離し、シャラは転がりながら無我夢中で剣を跳ね上げた。
 手応えはある。だが同時に、鋭い痛みが左肩から全身を駆け抜けた。

「くっ……!」

 膝を突きながら、柱の陰に隠れる。幸い後続はなかった。
 歯を食いしばって矢を抜き、そしてマントをちぎってその布を当てきつく巻く。脳天を突きあげるように痛んだ。だが、この程度で音を上げる訳にはいかない。

「まだ、奥がある」

 神殿とは言ってもブリタニアにあるような立派なものではない。
 玄関広間と、礼拝堂があるだけ。
 まだそれほど時間が経ってないなら、まだ助かる命があるかもしれない。
 シャラは歯を食いしばって扉のノブに手を掛けた。


 神殿の礼拝堂の奥にある祭壇の前で、市民達が身を寄せ合うようにして震えていた。若者も、年老いた者も、男も女も。十人ほどが奥の壁際に追い詰められている。
 そこには三人の重騎士が凶悪なほど巨大な剣を突きつけて何か怒鳴り散らしていた。そのうち一人は、無言でその様子を見ている。

「どけ! その奥に何か隠しているんだろ!」

 見れば礼拝堂の奥にはもう一つ小さな扉がついている。

「隠れているのは砦の兵士か? それとも同盟軍か!?」
「ち、違う! でもアンタに言っても信じてくれんから——」
「何ごちゃごちゃ言ってやがる。どかねえなら叩き切って通るまでだ!」

 追い詰められているのではなく、奥に敵が入るのを阻んでいるのだ。
 シャラは大剣を振りかぶった騎士に走り寄り、そして鎧の隙間に長剣を突き入れた。
 悲鳴もなく重騎士の体が崩れ落ちた。大剣がその手からこぼれ、地響きを立てて石の床に落ちる。

「き、貴様! 何を!」

 倒れた騎士の名前を呼び、残る二人の内一人がシャラに向かって斬りつけてくる。
 左肩の痛みが思考を乱す。思ったように体が動かない。だが女の身では重騎士の大剣を受け止めようとしても剣ごと自分が斬られてしまうだろう。鼓動の音に合わせ、痛みで視界が歪む。それでもどうにか体をひねってそれをやり過ごした。
 鉄の塊が頭のすぐ上を通り過ぎる。

「やはり敵兵を匿っていたか」

 一歩、二歩と、市民達から離れていく中、最後の一人がそう呟いて市民達を見下ろしていた。彼はどこかで見たことがあるような……だが、今はそんなことを考えている暇はない。その重騎士は大剣を振りかぶる。狙っているのは一番前に出ている一人の老人だった。
 シャラは目の前の重騎士の一撃をさらにかわす。敵が微かにつんのめった隙を逃さず渾身の力と体重を乗せ腹部にある鎧の継ぎ目に突きを放った。
 嫌な手応えがあり、シャラの剣がへし折れた。

「……ナマクラだわ!」

 シャラは思わず叫んだ。敵を倒しながらも、その奥では最後の重騎士が今にも大剣を振り下ろそうとしていた。
 気が付いた時、もはや絶叫なのか雄叫びなのかわからない声を上げ、シャラは自分の身を振り下ろされる大剣の前に投げ出していた。
 ガツン、と激しい衝撃が左肩から背中へと突き抜ける。
 その一撃で左肩と背中を覆っていた鎧が砕け散り、庇おうとした老人ごと倒れ込んだ。倒れ込む瞬間、一瞬老人と目が合う。その老人は、昨日扉越しにシャラを追い返したあの人物だった。
 シャラにはもう、身体を起こすだけの力も残ってはいなかった。どうにか仰向きになって近づいてくる重騎士に目をやる。

「あ、あんた、わしを庇って……」

 老人が驚いて目を見開いていた。
 ついさっきまで、シャラは彼らの事を怒っていた。勝手な事ばかり言って、そのせいでエリエル騎士団にも大きな被害が出たのだ。
 老人と同じようにシャラ自身も自分の行動に驚いていた。

「その心意気は結構。だが、これで終わりのようだな」

 重騎士はさらに一歩を詰める。
 もうシャラは動けない。シャラは瞳を閉じた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.54 )
日時: 2019/02/16 20:51
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 一瞬、気を失っていたようだった。気が付けば傷口をきつく締め付け応急処置が施されていた。

「公女様、大丈夫?ごめんなさい、今杖が折れちゃって治療ができないのよ」

 そう言いながら傷口が床に触れないようにうつ伏せのままのシャラを膝枕していてくれたのはルァシーだった。
 重騎士はいない……が、近くにある折れた杖を見る限り、ルァシーがなんとか撃退してくれたのだろうか……。
 ありがとう、と助けに駆けつけてくれた礼を言おうと口を開いたが、思った以上に体力を消耗していたのか声が出ない。
 市民達も無事だ。シャラを取り囲み、心配そうにのぞき込んでいる。

「今は寝てて。次に目が覚めた時には助けもきて傷なんかすーぐ治ってんだから」

 シャラはそれを聞いて小さく頷いた。そして眠りに落ちようとした瞬間、奥からけたたましい産声が聞こえてきた。

「おおぉ!」

 シャラを取り囲んでいた人々が一斉に奥を見た。ここに立て籠もった人々が守っていたのは、出産を控えた妊婦だった。

「足手まといになるからよぉ、きっと見捨てられると思ったんだ!」

 誰かが言った。だから避難しなかったのだ。

「あんたぁ! アンタのおかげだよ!」

 感激した声で誰かが言った。

「なあ、あんたシャラザードってんだろ? 生まれた子供にあんたの名前をもらっちゃダメかい?」

 シャラは全身ボロボロになりながら笑いたくなった。
 だが実際には、シャラは笑顔を浮かべる前にルァシーの肩を借りて立ち上がることになった。そして見つめる。神殿の壁を、決して見えはしないが壁を通り抜けた外を。

「ど、どうしたんじゃ、急にそんな怖い顔をして?」

 老人が戸惑ったようにシャラを見上げる。だが、シャラには彼らにどう答えていいかわからなかった。

「……皆さんは、ここで待っていてください。何があっても、出てきてはいけません!」

 シャラは厳しく言い置いて、ルァシーに肩を借りながら礼拝堂に出た。

「公女様、貴方……今度こそ本当に死ぬわよ」

 ルァシーはいつもより低い声で警告する。敵騎士や、住民達の亡骸が折り重なるように倒れる廊下を歩きながら、シャラは首を振る。

「大丈夫、今度はルァシーもいます」
「セレスもいるわよ、そこに」

 ルァシーは槍を構えて敵を警戒していたセレスが立っていた。

「シャラ様!」
「大丈夫です、セレス。私はまだ戦えます」

 シャラは精一杯笑って見せる。それが空元気だと言う事は、誰が見ても一目瞭然だ。

「馬鹿おっしゃい! そんな体で戦えるわけないでしょ!」

 ルァシーが一喝するが、シャラは震える右手で折れた剣を握りしめた。
 尚も進もうとするシャラを支えるルァシーは、シャラに肩を貸したまま神殿の扉を潜った。そこには、一面の草原を埋め尽くす、デザイト公国軍がひしめいていた。この騎士たちが発散する殺気を感じ取ったのだ。
 満身創痍のシャラと、杖も戦う力もないルァシー、そして飛竜に乗っていないセレス。それに対するのは、百に近い無傷の騎士達。デザイトからここまでの道のりでもさして疲れた様子もなく、まだほとんど使った様子のない剣や槍が陽光を反射してギラギラ輝いている。
 神殿の市民達を守る事は出来た。だが、デザイト公国軍はまだその戦力のほとんどを温存している。これから、肉食獣が獲物を甚振るようにしてエリエル騎士団を追い詰めていくだろう。
 それでも、シャラはまだ諦めてはいなかった。もちろん勝算などない。起死回生の策など、敵に懇願してでも教えてもらいたいところだ。
 だが、シャラが投げ出したら、神殿の中にいる市民達が危険に晒される。何ともわかりやすい構図だ。そうであれば、もう諦めることなどあり得ない。ああも必死で生きている民達。生まれてきた赤子。無力な人々。
 守らなければならないと、アムルの言葉通り彼らを守る事こそが騎士たる己の真の責務だと気づいたのだ。
 左腕は動かない。剣も、へし折れて刃もボロボロで鎧に叩きつけるだけでさらに折れてしまいそうだ。足も震える。だがシャラはルァシーの肩を借りることを止め、歩き出した。
 デザイトの騎士達は、シャラの気迫に圧されたのだろうか、すぐには動き出さなかった。そしてその数瞬の沈黙が、両者の運命を決定的にわけたのだ。
 横合いから、空気を引き裂くような音が聞こえた。
 そう思った瞬間、雨が降り注いだ。
 水滴ではなく、大量に降り注ぐ矢の雨だ。
 それらはシャラ達にではなく、デザイト公国軍めがけ降り注いだ。いくつもの、驚きと痛みの悲鳴が上がる。それらを蹴散らすように、矢が飛んで来た方向から新たな騎影が出現した。どこにそんな軍勢が潜んでいたというのだろう。彼らは一斉にデザイト軍へと襲いかかる。
 初手で浮足だったデザイト軍は呆気ないほど簡単に陣形を崩されていった。騎馬兵は強力だが、隙も多い。陣形とはこの隙をなくし、兵の長所を最大限に引き出すための物。この前に少々の力量の差は意味を失う。
 デザイト公国軍は精鋭揃いだ。だが、謎の軍団によって追われ、分断され、細分化された者がバラバラに戦いを始めた。
 シャラはそれを呆気にとられたまま見つめ続けていた。だが、統率を失ったデザイト公国軍の数名が、この場に乗り込んできた謎の軍ではなくシャラ達の方が倒しやすいと見て方向転換をし突進してくる。
 現実はこんなものなのかもしれない。謎の軍団によって事態は好転しつつあるというのに、たった数騎。今のシャラにはそれを退けるだけの力が、武器が残されていない。
 しかし、その数騎の動きを空から降って来た何かが止めた。それは、セレスが使っているようなピラムであった。

「やっほ〜! 公女様」

 少女の気の抜けたような声が降ってくる。シャラが見上げると、ロックバードに乗っていた少女エルが手を振っていたのだ。
 そして地上からは動きが止まっていた騎士たちを、傭兵が切り倒していた。

「よ、公女! 久しぶりだな」
「どもども〜、ピンチに参上シャノンちゃんでーっす♪」

 騎士を倒したのは、ユミルとシャノン、そしてワルターだった。

「ユミル、シャノン……それにワルター!?」

 シャラが驚いて声を上げると、ユミルは口の端を上げて笑った。
 彼らはここに来るときに雇おうとしていたが、「ちょっと忙しいから」と断られたのだが、なぜここにいるのだろうか……?

「いやはや、俺達を覚えてくれてるなんて嬉しいじゃないの!」
「私も覚えてる? ねえ、覚えてる公女様?」

 ユミルが笑っていると、空から降りて来たエルが腕を上下に振りながらシャラに尋ねる。シャラは「印象が強すぎて覚えてますよ」と答えると、エルは黄色い声を上げて喜んだ。
 そして、ルァシーがユミルに対し指をさした。

「遅いわよ、何してたっていうの!?」
「ごめんごめん、以外と手間取っちゃって……」

 戦場は混乱を極めた。ユミル達と共に現れた一団は、少なくともシャラの敵ではないようだ。デザイト公国軍にその矛先を向けている。気付けば、バラカ砂漠で見た事のある騎士もちらほらいた。ソール王国の敗走兵だ。
 シャラの様子を見たシャノンは、「座って待ってて」と言い残してからデザイト公国軍の方へと武器を持って歩き出す。他の皆も武器を持ってシャラを守るようにして戦っていた。
 いつの間にか陽も西に傾き、大地は夕陽で真っ赤に彩られていた。シャラの下へミタマがやってくる。

「シャラ公女、デザイトは撤退しましたよ」

 ミタマはニッと笑って北の方を示す。あれほどの軍勢が撤退したと聞かされても、シャラにはにわかに信じられなかった。そこへ、シルガルナも姿を現す。

「補給部隊を叩いておいて正解だったね」

 開戦からシャラ達がにらみ合っている間に、王都からグレム山の東を通りデザイト公国がイースへ攻め込むために用意しておいた物資を奪ったのだ。
 万の単位の軍勢は確かに強力だ。だが同時にこれを運用するためには驚くほど多くの物資が必要だった。簡単に言えば、戦わない間にも時間が来れば兵達は必ず食料や水を必要とする。戦いになれば、武器が壊れるだろう。弓兵となれば矢が尽きるだろう。それらを補充できなければ兵はただの人形と変わらなくなる。
 そして今、デザイト軍は武器も食料も失った。
 こうなればイースに攻め入るどころか、ここからデザイトまで帰り着くことすら容易ではない。万の単位の人間が動くというのはそういう事なのである。だからデザイト公国軍はマビノギオン砦攻略を諦め、早々に撤退をしたのだ。
 いつの間にか、謎の一団がミタマとシルガルナの後ろに控えていた。騎馬兵達は下馬し、直立不動で待機している。
 そこにシルガルナがシャラの手を引いて、強引に立たせる。

「彼らは……」

 その問いに、戦い終わったシャノンが近づいて答える。

「この人たちはソール王国の元騎士様、だよ」

 シャノンの言葉にシャラは驚いて顔を上げた。ソール王国から敗走し、半分以上が帝国軍の追撃部隊の犠牲になり、生き残った者達もモルドレッドの怒りに触れことごとく騎士の称号を剥奪された。
 散り散りになり、これからどうするのかと心配していたのだ。

「こいつら、今は傭兵ギルドに雇われてるんだぜ」
「傭兵ギルドに?」

 シャラが問うと、ユミルが答える。

「ブリタニアの商人たちがやーっと重い腰を上げたんだ。あいつらやっとわかったみたいだ、モルドレッドの馬鹿王に任せておいちゃ未来はないってな」

 あまりに率直な物言いにシャラは呆気にとられた。

「ぶふっ、ユミルってば言いすぎだって〜」

 エルは吹き出して大笑いしながら指摘する。そしてエルが続けた。

「それで、商人さん達は考えたんだよ。どうしたら自分たちの安全が図れるかってね。結果、公女様が選ばれたんです!」
「国王の意見に逆らう事を恐れず、そして民達のために戦える、貴族としては珍しい人間であるお前を、だ。」

 ワルターが腕を組みながら鼻を鳴らし口元を吊り上げる。
 これから、ブリタニアの商人達が秘密裏にシャラの後ろ盾をしてくれるという。補給はもちろん、彼らのような傭兵団も派遣してくれる。ユミルもそれで人員を急いで集め、傭兵団を結成していたという。傭兵ギルドに通っていたルァシーも話は聞いていたという。
 ディーネ公爵アルフレドからも推挙があったらしい。
 元ソール王国兵は、今回の依頼に自ら志願したそうだ。敵だらけのマビノギオン砦からシャラ達を連れ戻すという、まだ態勢も整っておらず、危険極まりない仕事になるというのに。
 元王国兵の一人が前に出た。

「シャラ公女! 御礼が遅れ、申し訳ございませんでした。ずっと御前に参上しようと思っておりましたが、身辺の整理がつかず、ズルズルと遅れてしまいました。ですがこれからは公女に命を救っていただいた恩、この身命を賭してお仕えいたします!」

 我ら、身分は奪われようと騎士の魂まで奪われておりませんと男は言った。

「あとね、公女様……遅れたけど、あたしの父さんを助けてくれてありがとう!」

 シャノンはシャラの手を取って笑顔で礼を言う。王国兵達を見ると、ひとり紫の髪の兵士が頭を下げる。彼がシャノンの父なのだろう。

「やっぱり俺が見込んだ通りだな公女。お前は絶対大物になるぜ」
「僕も最初に声をかけた時から絶対すごい人だって予感してたんだよ」

 ユミルもシルガルナもそう言ってシャラを称賛する。

 こうして、エリエル騎士団はこのマビノギオンの戦いで半数近くの死者を含む戦線離脱者を出した。だが、ブリタニアの傭兵ギルドからの援助で、一気にその数は回復し、総数は三百迄に達した。