複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.55 )
日時: 2019/02/17 06:59
名前: 燐音 (ID: mnvJJNll)

第九章 開かれた扉


 マビノギオン砦で負傷したシャラは、全快するまでに結局一月近くの時間を必要とした。この場合の全快とは、元通り戦場に出、剣を振るえるようになるまではと言う事である。
 ルァシーと以前に助けたアウロラの神聖魔法での治療のおかげで、普通に生活するまでにはすぐに回復したが、外側の傷は塞げても内側の傷はなかなか癒えないものだ。
 騎士団の騎士達もしばらくは戦場を駆けることはできなかったが、治療のおかげでなんとか動けるようにはなった。一番傷の浅かったイグニスは、すぐに元気になって治療を手伝っていた。
 シャラは現在、運動がてら街に出て、マビノギオンで失った鎧と剣を探している。鎧はすぐに新調できたが、剣はなかなかいい物に出会えず少しばかり腰が寂しかった。
 エリエル騎士団には大きな変化があった。マビノギオンでユミル達が言った通り、ブリタニアの街に存在する商業ギルドが正式に援助を申し出たのだ。エリエル騎士団の代表としてシャラといくつかの約定を取り交わすために、商業ギルドの筆頭「ニムエ・ファウスト」がエリエル騎士団の宿舎まで来ていた。もちろん、モルドレッドには知られぬよう極秘裏に。

「しかし、意外にお若く見えますね。驚きました」
「お上手ですのねえ」

 シャラは率直な感想をニムエに伝えると、彼女は微笑む。紫色の腰まである長い髪、右目が赤く、左目が紫色の不思議な瞳。紫色を基調とした貴族の令嬢を思わせる高貴なドレス。頭には同色のボンネットと、とても上品で若くというか、幼く見えた。
 そしてニムエはこの街の裏の実情をシャラに聞かせた。
 王都ブリタニアは一言でいうと荒れていた。先王アーサーが戦死してイース同盟諸国がどんどん陥落し、モルドレッドは軍備を整えるためにまずは税を重くした。そして彼に付き従う兵士たちは好き放題振る舞うために治安は乱れる。それでも王都だけは守ってくれればまだいい。だが同盟軍はモルドレッドのためにしか動かず必要以上に宮殿の警備を固めさせ、モルドレッドのために逆に街を守るイース兵が減ってしまったほどだ。王都はまだいい。近隣の村々は完全に見捨てられた形で、野党や盗賊に悩まされていた。
 そしてソール王国を見捨てた事件や、デザイト公国がモルドレッドを見限ったという噂が流れるやいなや、市民たちの不満も頂点に達した。

「そこで私たちは考えたのですよ。私達は騎士様とは違い自分の命を賭けて忠誠を尽くすなんて感覚はありません。陛下を崇めるのはあくまで私達の利益、財産、そして命を守ってくれるからです。ですが陛下はご自身の事しか考えていないのです。私達の命や商売のために必要な街や近隣の村々を守っていただけるなら、税が高かろうと兵士さんが横柄に振る舞おうと別にどうということはなかったのです」

 ニムエは笑顔を崩さない。だが、その笑顔の裏では街を乱した王や貴族への恨みがあるのだろう。声はだんだん低くなっていった。

「ですが、陛下や貴族の皆様方が私達の命や財産を守ってくれないのでしたら意味はないんですよ」

 恨み節を吐いたニムエは、ふうっと深呼吸してからシャラを指さす。

「で、私たちはあなた方エリエル騎士団の皆さまの御活躍のお噂を聞きました次第です。幾度となく陛下の意見に異論を唱え、睨まれ、そのせいで過酷な任務を強いられようとも乗り越えられてきたあなた方を支援したいと思いましてね。ふふっ」

 ニムエはシャラに向かって指をさした手でそのまま三本指を突きだす。

「我々のギルドが提供するのは三つです」

 一つは戦争を行うための資金、一つは有能な人材、一つは情報である。

「もちろん陛下には内密で、あなた方のために基金を設け、傭兵ギルドの信頼できる傭兵さんを率先して騎士団に回し、貴族の皆さまとは全く違う独自の経路からなる情報網を駆使しまして、あなた方を支援したいと考えています」

 ニムエは満面の笑みで「その条件はたった一つ」と人差し指を突きだした。

「イース王国に暮らしている皆様の平穏を約束してください。我々はエリエル騎士団の皆様を信じておりますわ」
「……それは、私たちも望むところです、ニムエ殿」

 シャラは嬉しかった。勢い込んでやって来たイースで、忠義を尽くすべきモルドレッドは何も返してくれなかった。だが今は、イース王国の多くの人々がシャラの事を待っていてくれる。正確には、シャラの存在は表に出てはいないけれど、それでもシャラが任務を果たすのを待っていてくれる人々がいるのだ。

「公女はやはり、噂通りの素晴らしいお方ですねえ。今後の活躍に期待しておりますね」

 ニムエとシャラは、堅く握手を交わした。

 それ以来、シャラとエリエル騎士団は街の人々の声に耳を傾け、街の人々の為の出撃を積極的に増やしていった。
 同盟からの任務がない時には、盗賊団や山賊団を崩壊させ、海賊が出没する海を通る商船の護衛まで引き受けた。
 それでいて、やはりシャラの目が向けられているのは、トゥリア帝国との戦いなのである。この期に及んでモルドレッドに忠誠を誓っているわけではない。まだどうやればいいか、最善はわからないが、この戦争を終わらせる事こそ、本当の意味で人々に平穏をもたらすと気づいたからだ。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.56 )
日時: 2019/02/17 01:03
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 ある昼下がり、シャラは傭兵ギルドまで来ていた。
 なんでもエルが新しい傭兵を紹介したいのだと執務室に直接飛んできたからである。流石に三階にある執務室の窓から直接顔を出すのは心臓に悪いなと思った。
 シャラは自身の足腰で動けるようにはなっていた。今迄はエドワードやエレイン、イグニスやハティとスコルなど日替わりで支えてもらっていたが、正直誰が一番楽だったかというと、イグニスである。身長や丁寧さは彼が一番だった。
 そんなことを思い出していると、エルが一人の少女とフードを被って顔を隠した少年を連れて来た。

「お待たせ公女様!こっちの私の顔に似たのが「ラル・スマラクト」!私のお姉ちゃんで、斧使いなの!」
「どもども〜、妹がお世話になってます!」

 ラルはアイスブルーの長い二つのおさげが特徴的で、深い青色の瞳を持つ、肩の露出した白い服とマントを羽織った、エルに顔がそっくりな少女だった。
 紹介されると、にこやかな笑顔でシャラに手を振る。

「そしてこっちが——」
「「クリスクリア」と申します、クリスとお呼びください、公女」

 クリスはそう言いながらフードを払いとる。フードの下は紫色の短髪、整った顔立ちの美少年だった。青ぶちのメガネをかけ、メガネの下の燃え盛る炎のような色をした瞳は、心を見透かすように神秘的なものだった。

「はじめまして、ラルにクリス。よろしくお願いします」

 シャラはにこりと笑い、二人と握手を交わした。クリスはシャラの手を握ると、目を輝かす。

「僕、貴方のお噂はかねがね聞いております。弱き者に手を差し伸べ、民を守るその姿に感動しました!」

 クリスはそう言って、シャラの手を両手でとる。シャラはまじまじと顔を見つめられて頬を赤く染める。

「あ、ありがとう、ございます……」
「公女様、顔赤いね」

 エルがにやにやした顔で茶化した。ラルも「これもセイシュンだね〜」と感心している。
 二人は数か月前にはもう傭兵ギルドにはいたのだが、タイミングが合わずにシャラとは会えなかったという。シャラの噂を聞いている内に一度会っておきたいと踏んだらしい。

「予想通り、いい人そうでよかったよ」

 ラルはそういうと、ケラケラ笑った。笑い方もエルにそっくりだなとシャラは思った。
 クリスはというと、次の任務から共に戦いたいと申し出た。

「クリスの得物はなんですか?」
「僕は魔導書と短剣……」

 クリスは魔導書と短剣を取り出した。すると、エルが短剣を見るや指をさして声を上げる。

「その短剣、帝国の紋章が刻まれてるね!」
「えっ」

 シャラはクリスの持つ短剣を見る。確かに帝国軍がもつ正式剣や槍などに刻まれている国章が刃に刻まれているのだ。

「帝国軍から奪ったんです、自前のは折れてしまって」

 クリスはそういうと笑いながら短剣に布を巻き付けてしまった。

「そうなのですね、ところであなたの出身地は?」
「ディーネ公国です」

 クリスはにこりと笑顔でシャラの質問に答える。
 シャラは短剣を指摘されてからクリスの態度が変わったような気がしたが、気のせいだろうと考える。

「わかりました、次回の出撃にはクリスも同行をお願いします」

 シャラはそういうと、再びクリスと握手を交わした。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.57 )
日時: 2019/02/18 08:16
名前: 燐音 (ID: Yke88qhS)

 ブリタニアの王宮へ登城したのは実に一月ぶりだった。
 この間の登城や連絡は、エドワードやエレインに肩代わりしてもらっていた。エレインはともかく、エドワードはひたすら「肩が凝る」だの「性に合ってない」だのと弱音を吐いていたのだが、部屋を見舞ってくれたセレスや傭兵達にそれを聞かせてやると、一緒にいたルァシーやイグニスまで吹き出す始末であった。

「シャラ公女、全快おめでとう」
「ありがとうございます」

 会議室でリデルフが出迎えてくれた。アルフレドやその他の諸侯も集まり、ほとんどが好意的な顔を向けてくれている。
 聞けば、最近では作戦の一々までモルドレッドに同席してもらうのではなく、大筋で同意を取り付けてからこうした会議室で、実際に戦場に出る者のみで作戦を決定する事が多くなったという。徐々に人々の気持ちがモルドレッドから離れようとしているのかもしれない。

「まずは公女が療養していた間の状況を聞いてくれ」

 謁見の間ではなく会議室には大きな机と椅子が用意されている。奥の壁にはマビノギオン砦の会議室と同じようにこの大陸の地図が貼られ、色付きの針を目印にさしている。

「現在、主な戦場は三つある」

 そう言ってリデルフは地図を指した。

「一つ目、まずは東部戦線だ。ソール王国第一王子ソスランが一度は破綻しかけた同盟をうまくまとめ、帝国軍の侵略に相対している。その戦果は華々しく、一度は陥落したソール王国を現在ではほぼ取り戻し、次はハッカ共和国にまで迫ろうという勢いだ」

 おそらく、とリデルフの言葉を引き継ぎ席に着いたままのアルフレドが発言した。

「東部戦線の快進撃のおかげで、こちらに回されるはずだった戦力が向こうに送られていると推測される。公女の父君であるアイオロス公も、ソスラン殿下の副官として奮闘されているようだな」
「はい!」

 父が誉められてシャラは誇らしかった。あちらの状況はもちろん知っていたが、他人の口から改めてきかされるとまた違った嬉しさがある。

「二つ目の戦場だが、これは公女もよく知っている通り、ディーネ公国内での戦いだ。現在、ディーネ公国軍による散発的な抵抗は続いている。帝国軍は各地の砦を落としグランパス大橋に迫っているが、いましばらくの余裕はありそうだ」

 ディーネ公国とイース王国の間には、グランパスと呼ばれる大きな河が横たわっており、昔より自然とその河が両国の国境とされてきた。
 深く流れも速い。容易な方法で渡れはしなかったのだ。だが両国が国交を結んだ時、平和の証としてグランパス大橋を築いた。人と物の流通を支え、文字通り両国の橋渡しをするための橋である。だが現在、トゥリア帝国軍がイース王国に攻め入るために、この橋を占領しようとしていた。

「我々もグランパス砦に五千もの兵を派遣し守りを固めてはいる。しかし帝国軍がディーネ公国を突き進む速度を考えれば……」
「敵の数は数万に匹敵する、と……?」
「うむ」
「まさか、竜将「ティニーン」が現れたのでは?」

 それはイース同盟に属する人々にとっては、ある意味で帝国そのものよりも恐れられている名である。かのユピテル山脈での戦いによって、ライラ王国軍の援護に駆けつけていた先王アーサーの軍を全滅に追いやったのが「竜将ティニーン」……「キドル・ティニーン」だからだ。
 帝国の奴隷であり、十九という齢ながらその勇猛果敢な戦歴によって一軍の将に登り詰めた男。アーサーとて物見遊山に出かけていたわけではない。陥落しそうな同盟軍を救うために出陣したのだ。当然、それ相応の……いやそれ以上の軍勢を引き連れていた。事によれば、アーサー王はライラ王国侵攻を口実にして、一気に帝国領に戦いを仕掛けるつもりだったかもしれない。
 イース同盟各国からかき集められた兵はそれほど多く、数万とも数十万とも言われている。それを例え不意を突いたとはいえ、キドルは全滅に追いやったのだ。そして帝国軍は逆に、主な戦力を失った同盟諸国に襲い掛かり一気に領土を拡大した。
 今日の苦境はこうしてもたらされたのだ。

「いや、その報告はきていない。いずれにしても、こちらの戦場はまだ急に対策を練らなければならない状況ではない」
「ではやはり、今どうにかすべきなのはデザイト公国ですね」
「そうだ」

 東部戦線はソスランの活躍により今は落ち着いている。だが問題となるのはいつイースに攻め込もうかと機会をうかがっているデザイト公国軍だ。

「公女が療養している間も何度か小競り合いは起こったのだが、デザイト公国軍は強く寄せ集めの軍では——」
「リデルフ。苦戦を兵のせいにしてはいけない」

 唐突に言葉を遮ったアルフレドの厳しい声にリデルフははっとなって言い直した。

「申し訳ありません。確かに公女は私よりずっと少ない戦力で戦ってきたのだ。言い訳です。公女もすまない」
「い、いえ!」

 実際にデザイト軍は手強い。それは実際に戦ったシャラがよく分かっている。だが安易な慰めはかえってリデルフの誇りを傷つけることになるだろう。そう思い、シャラはあえて黙っていた。

「マビノギオン砦での勝利で、ひとまずイース王国に大軍が攻め込んでくることは防げた。だがそう遠くない内に帝国軍が攻めてくるとわかっている今、早急にデザイトを何とかしたい。最良なのはデザイトが同盟に復帰してくれる事だが、それが無理なら現在の戦力を全て帝国に預けられる方法でもいい。何か意見はないだろうか」

 そう言いリデルフは会議室に集まった一同を見回した。だが誰も発言しようとしない。なぜデザイトが同盟から離反したか、その理由すらわかっていない今、どうすればデザイトが元に戻るのか。戻らないまでも敵対行動をとらなくなるか、そんなことがわかる者などいないのだ。
 だが、シャラはそこで口を開いた。

「私が耳にした情報なのですが……」

 場の視線が、一斉に地図の前に立っていたシャラに集まる。

「デザイトとディーネの国境のすぐ北に、ウエストという砦があります」

 シャラは地図のデザイトとディーネの国境からすぐ北を指示し、リデルフも頷く。

「確か、政治犯などを収容し、強制労働をさせる、砦というより監獄に近い場所と聞いたことがある」
「そうです。そこにデザイト公国のイスラフィル公子が幽閉されているそうなのです」
「イスラが!?」

 リデルフとイスラフィルは親友同士であると聞いていた。先日も、デザイトへの使者としてリデルフが遣わされたのは二人の個人的なつながりをアテにしていたのである。

「イスラフィル公子は、信用に足る人物と考えてもよろしいですね?」

 むろんだとリデルフは頷く。

「イスラは勇猛で、それでいて気さくに民達とも接し、兵士からも民からも信頼されていた」
「では、このウエスト砦に幽閉されているイスラフィル公子をお救いしましょう。そして公子にデザイトを説得していただくのです」

 会議場に「おぉ」と感嘆の声が響いた。

「なるほど。だがウエストはデザイト領側にある。それに限られた戦力で攻めるとなれば……」
「ええ、しかけるのは深夜がいいでしょう。全く無防備になりはしませんが、うまく相手の警戒網に引っかからず到着できれば、国境から少し距離のある事もあり少しは警戒が薄らぐのではないでしょうか」
「しかしそれでは夜明までに帰還できない場合が危険だ」
「もちろん、その場合は覚悟を決めなければならないでしょう。ですがお任せいただけるなら、この任務、エリエル騎士団でお引き受けいたしたく思います」

 リデルフはしばらく考えたが、すぐに「それしかないようだ」と同意してくれた。

「では、私はせめてもの陽動作戦に出よう」
「よろしくお願いします」
「それはこちらの台詞だよシャラ公女。イスラを救い出してやってくれ」

 イスラフィルがウエスト砦に囚われている事は、商業ギルドからの情報である。戦争状態にあっても、商人達は危険を潜り抜けデザイトやディーネなどを行き来している。そういった者がもたらしてくれた情報が、シャラの元に続々と集まってきているのだ。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.58 )
日時: 2019/02/18 00:18
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 デザイトへの出撃が決定し、シャラは王宮の西に位置するエリエル軍の宿舎へと戻った。

「おかえりなさいませ、お疲れになりましたでしょう?」

 そう言うと、エレインはお茶の支度をしてくれた。執務室の机についてお茶を味わっていると、エドワードが心配そうな顔で入室してくる。

「いかがでしたか?」

 エドワードは謁見の間に行ったと思っているのだろう。だからまた無理難題を吹っ掛けられたと心配しているのかもしれない。

「大丈夫です。確かに任務は困難なものですが、これまでのような柵はありません。存分に我らの力を発揮すれば、何の問題もないのです」
「は。正直に申しますと、私は王宮の駆け引きやご機嫌伺いに些かうんざりしておりました。戦場で駆け回るのであればこの老骨めにお任せを」

 心底嫌そうに言うエドワードの姿がおかしくて、シャラはおろかエレインまで小さく吹き出す。

「あいや、ははは……。ここだけの話と言う事にしておいてください。では、私は出撃の準備を整えてまいります」

 執務室を後にするエドワード。エレインはまだ口元を抑え笑みを耐えながら、シャラに話しかけた。

「シャラ様。シャラ様にお手紙と荷物が届いております」
「私に?」
「ええ、シャラ様のお部屋の机に置いておきましたので、出立までにお改めください」

 シャラは、手紙をくれる人に心当たりがないわけではない。だが、とりあえず差出人を聞いてみることにした。

「差出人の名は書かれていたのですか?」
「ええ、エリエルの「エオス」、と」

 その瞬間、懐かしい草原の風を思い出す。しかしシャラは少し心配していた。まさか一人置いていっていることを怒っているんじゃないか、手紙を書かないことを心配してるんじゃないかと想いが募る。だが、シャラにとってかけがえのない妹からの手紙だ。嬉しくないわけがない。

「もしかして、殿方ですか?」

 知らぬ間に笑顔になっていたのだろうか、エレインは少しばかり意地の悪い顔になる。そこへ、

「公女様、漢方薬持ってきたわよ」

 そこへルァシーが小包を持って部屋に入ってくる。後ろにはイグニスもいた。
 怪我をして以来、体調をよくするためにルァシーはハッカ共和国に伝わる生薬を調合した薬を出していた。その薬は物凄く苦いが、日に日に元気になってきたような、そんな気分になる。

「あーら、なんか楽しそうね。どったのよ」
「それはルァシーの方じゃないですか?」

 ルァシーはいつも薬を持ってきて来る時、明るい笑顔を浮かべている。大方シャラの薬を飲むところを眺めて楽しんでいるようである。シャラは薬を飲むとき、余りの苦さに顔を歪めてしまうからだ。

「ふふふ、聞いてください」

 エレインがいたずらっぽい満面の笑みを浮かべる。

「んにゃ、どったのエレインさん」
「ちょ、エレイン!」

 慌てて呼び止めるシャラだが、

「ダメです。こんな面白そうな事、皆でわけあわなければいけません!」

 ときっぱり断言されてしまう。その様子にはとても抵抗できないものを感じるのだった。

「何ですか?」

 イグニスまでが興味深げに話の輪に入ってくる。

「実はシャラ様にお手紙が来たんです! しかも殿方からっ!」

 殿方から、にやけに力を込めるエレインに、イグニスは固まった。

「えっ!殿方からお手紙!?」

 ルァシーは顔を赤らめて大袈裟に声を上げる。

「それってやっぱエリエルにいる公女様の恋人!?隅に置けないじゃないの公女様〜!」
「ち、ちち、違います!」

 シャラも顔を真っ赤に染めて慌てて否定した。

「エオスは私の妹です! た、確かに「エオス」という殿方はいますが……そ、そもそも私に恋人なんて……」

 シャラは最後の方が消え入りそうにボソボソ呟く。
 それを聞いたルァシーは「な〜んだ」と詰まらなさそうに頬杖を突く。

「そ、そういうルァシーは恋人とかはいるのですか?」
「えっ!? あ、あたしの事はいいのよ!」

 ルァシーは顔を真っ赤にさせて手をぶんぶんと左右に振る。しかし、エレインはその話題を逃さなかった。

「いえ、シャラ様だけ聞くというのは不公平ですよ、是非聞かせてください!」
「こ、恋人なんていないわよ! 幼馴染はいるけど、幼馴染!」

 ルァシーはそう言って小包をシャラに押し付けると、慌てて執務室から退散した。エレインは残念そうに執務室の扉を見ていた。


 シャラは自室に入る。借り物の部屋なので、書き物机と椅子、ベッド以外はほとんどものを置いていない。その書き物机の上に、手紙の束と布に包まれた長ぼそい包みが置かれてあった。
 手紙を手に取る。差出人は、エレインの言った通りエオスだった。次の一通も、その次の一通もその次も……全てエオスが出した物だった。

「エリエルとイースとの物資の流れを考えれば、半年分まとめて手紙が届くのも無理はないわね……」

 なかなか返事が届かないと、ふて腐れているのではないだろうか。そんな妹の顔が想像できて、シャラは軽く笑った。
 正確に言うなら、シャラとエオスは姉妹ではない。シャラの父アイオロスがテンペスト王国に住んでいる縁者から預かって来た子供だと言う事だ。エリエル公爵家はまだ歴史が浅いので、他国に縁者がいたと聞かされた時には驚きもしたが、父に連れられてきた少女が見慣れないエリエルの宮殿で心細そうにしていた時、この子を守ってやろうと自分の胸の中だけで誓っていたのだ。
 シャラの母はすでに他界している。父は幼い頃から戦場に出ていてほとんど宮殿にはいなかった。エドワードもその時にはアイオロスの副官として付き従っていた。その時にハティとスコルがよく共に遊んでくれて、マジョリタが将来のためにと色々教えてくれていた。
 だからこそ、一人ぼっちだった彼女に手を差し伸べ、手を握り、彼女が寂しくならないように共に過ごした。たった一年という短い期間だが、一緒に暮らした月日は愛おしく感じる。シャラがこのブリタニアに来てからもう半年が経とうとしていた。エオスと過ごした時間の半分を、再び一人で過ごしている。だが遠く離れたとは思わない。また会えると思っているからだろうか。
 エオスからの手紙には、アイオロスが城を留守にするので寂しい事、宮殿に紛れ込んだ猫を飼いたい事、エリエルも戦争の気配が押し寄せている事、不安に感じながらもアイオロスとシャラの無事を毎晩ベッドに入る前に女神イースに祈っている事……。半年分の思いが綴られていた。
 最後の手紙には、彼女の実の父親が使っていたという剣をシャラに使ってほしいと書かれてあった。おもむろに机に置かれた細長い包みを拾い上げる。それは見た目よりずっと重かった。
 布を取り払えば、一振りの剣が現れる。姿は美しい直線を描き、柄は海のように深い青の布を巻き付けられ、鞘も木を削りだした物を、柄と同じ色の顔料で塗り固めている。
 剣を覆っていた布をひとまず机に置き、柄に手を掛けそっと引き抜いてみる。両刃の剣身はため息が出るほど美しく、まるで水に濡れているかのような冷たい輝きを放つ、純白の刃であった。
 完全に抜き放つ。それを構えた時、振るった時、心地よいほどしっくりくる。銘を「風剣シエラザッド」というらしい。
 マビノギオン砦での戦い以来、しっくりくる剣がなくて困っていた。エオスの心遣いに、シャラは剣を鞘に納め、額に剣を当て、心から感謝するのだった。