複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.6 )
日時: 2019/01/28 19:51
名前: 燐音 (ID: OHq3ryuj)

第一章 まっすぐな瞳で

 彼女たちエリエル騎士団がイース王国王都ブリタニアにたどり着いた頃には、夕陽が眩しく王都を照らす頃であった。
 シャラは今迄に見たことのないような大きな街に圧倒された。エドワードの話によると、ブリタニアの人口はおよそ十数万人、周辺の産業や文化の中心として栄えており、街自体も商店や職人の工房が集まる商業区、行政施設が集まる区画、市民の住居が軒を並べる居住区と、区画が整理されている。どれも、草原の小国であるエリエルとは比べ物にならない規模だった。
 ブリタニアの街は二重の構造になっている。まず大きな外堀が街の外周を囲い、外堀の内側に石を積み重ねて作った巨大な城壁がそびえ立つ。その中にブリタニアの街が広がっているのだ。
 とくに珍しかったのは街の地面がほぼ完全に石畳で覆われていることだ。これで何が変わるかというと人々の足元だった。雨が降り地面がぬかるめば泥が跳ね脚が汚れる。ブーツがもてはやされるのも素足が汚れないようにという意味合いが強い。だから地面が整備されているこの街では短靴が普通だった。
 そしてこの広大な街の北側にもう一つ内堀と城壁が築かれており、その内側にこの国を治める人物が生活していた。

「姉さん、見てよ!やっぱり王都は広いよな!」
「コラ、スコル!まだ任務の途中だ、はしゃぐんじゃない!」

 街に圧倒されていると、後ろの方で騎士団の一員である男の騎士がはしゃいでいるような声を上げ、女の騎士がそれを叱りつけていた。二人は双子であるのか顔つきが似ており、シャラも小さい頃は二人の区別がつかなかったものだ。シャラはその様子に「またあの二人か」と苦笑いする。二人もエリエル公国の出身で、今迄にこれほどの大きな街に出たこともないのだろう。シャラも年相応に気持ちが昂ってはいたが、二人の騎士のやり取りを見て冷静さを保たせていた。エドワードも二人の様子を見て呆れて肩をすくめている。エドワードの後ろにいる白髪の弓騎士も吹き出しそうになるのを必死にこらえていた。
 夕陽が沈みゆく中、街では職人や男性は仕事帰り女性は夕飯の支度などにいそしむ中、ごく普通の夕方に紛れ込んできたシャラ達騎士団の姿を見て、王都の民たちは興味深げに、或いは恐る恐る遠巻きに眺めていた。

 ブリタニアの街では現在、厳戒態勢が敷かれている。
 イース同盟とトゥリア帝国との争いで、同盟は帝国によって一方的に領地を奪われ追い詰められていた。盟主であったイース王「アーサー・ユリウス・ネァ・イース」も、二年前の「ユピテル山脈」での戦いで命を落としている。盟主を失った同盟軍は一気に屋台骨が揺らぎ、その隙をついて侵攻を開始したトゥリア帝国によって多くの領土が奪われ、多くの同盟国の人々が捕虜、奴隷として捕まった。
 イース王国は亡きアーサー王の代わりに、彼の嫡子である「モルドレッド・ユリウス・ネァ・イース」を新たな盟主とすることで混乱を収めようとした。だが、王の威光により状況が落ち着くより早く、次々と同盟国の領土は奪われていく一方であった。
 そして今、シャラらエリエル騎士団の目の前にはイース王国の王城である内門の目の前に到着していた。それを出迎えたのは、二人の門番であった。エドワードが一歩前に出て、二人に伝わるよう、ひときわ大きな声を上げる。

「我らは貴き盟約に従い、イースの名の下にトゥリア帝国と戦うためやってきた者である。どうか、このイース同盟の盟主の補佐である「アルフレド・ヴォルク・ディーネ」公にお取次ぎ願いたい」

 シャラはエドワードの言葉に頷き、門番の二人を見る。来意を承諾し、うやうやしく一礼した兵たちは門を開き騎士団を中へと導き入れるのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.7 )
日時: 2019/03/02 12:28
名前: 燐音 (ID: YzjHwQYu)

 長旅に疲れた体を休める暇もなく、盟主モルドレッドへの謁見が許可された。ともにここまでやってきた兵たちは城門の前で待機させ、シャラのみ王宮の謁見の間、控えの間へと通された。しばらく待つようにと言い渡された後、案内役は別の場所へと去っていく。
 控えの間とは言っても、ちゃんとした部屋ではなく、謁見の間の扉の前である廊下の突き当たりが、少し広くなっているだけである。長椅子がいくつか壁際に置かれ、夕陽が沈んでいるのもあり、小さな窓しかないこともあってか、薄暗くなり城の使用人らが壁の松明に火をつけ始めている。これから盟主に会うという緊張を収めるのにこの静けさは正直ありがたかった。
 街の規模に恥じる事なく、この王城は大きかった。
 シャラとてエリエルの城で育った身である。しかし城の大きさ、内装の凝りよう、どれをとっても比べるのが恥ずかしくなるほどであった。
 エドワードはシャラの護衛として、謁見の間の控えの間まで通ることを許された。そのエドワードが言うには、「街に来てすぐに謁見が叶うのは運がいい」らしい。
 時間帯はギリギリではあったが、謁見の儀の時間に滑り込めたからこんなにあっさりと謁見が叶ったのだという。確かにシャラが控えの間にやって来た時に、最期の陳情者が出ていくところであった。普通、国王は同等の地位を持つ者にでもない限り己の予定を変えはしない。例えそれが自らの招聘によってやってきた兵団であろうと、その着任の報告を受けるのは、兵達がどれだけ急いでやってきたのだとしても翌日の謁見の儀の時間となる。
 兵達は急いでやってきたのに、そんな所で兵達が必死に稼いだ時間が無駄にされるのかとシャラは思った。だが王と臣下とはそういうものなのだと、エドワードに諭されてしまった。
 シャラの心が逸る。
 生まれて初めての大役である。父であるエリエル公爵「アイオロス」は、デザイト公国で戦っており、イース王国へと馳せ参じることは叶わなかった。その代理を任されたのである。代理とはいえ、これはエリエル公国にとって公務。事実上、現在のシャラの爵位こそ得てはいないもののアイオロスに告ぐ権力を持つことになっている。だが何より、シャラは尊敬する父の役に立てることが嬉しかった。

「シャラ公女、陛下がお会いになる。くれぐれも粗相のないように」

 シャラを呼びに来た文官はそう念をおしてから謁見の間へと続く扉を開く。
一瞬、外に出たのではないかと思った。それまでの廊下とは違い、そう錯覚するぐらい視界が開けたのだ。明るい。それはあちらこちらに設けられた松明のおかげで、まるで昼間のような明るさであった。
謁見の間は驚くほど広く、天井は見上げるほど高い。
 出入り口から王座までの床は、先ほどの控えの間など比べ物にならないほど毛足の長い絨毯が敷かれており、それはシミ一つないほど美しく保たれていた。まるで貴婦人が羽織る毛皮のコートのようである。
 絨毯の外の床や柱はシャラの顔が映りそうなほど磨き込まれており、シャラは思わずここに来た用件も忘れ謁見の間の作りに見惚れてしまっていた。

「シャラ公女、どうされた?」

 立ち止まったシャラに誰かが問いかける。その人物が誰かを確かめる余裕もなく、シャラはようやく視線を前に戻し、ゆっくりと絨毯の上を歩き出した。
 シャラは旅装のままである。まとった鎧の肩当てや可動部分がこすれ合い僅かな金属音を立てる。そんな僅かな音が耳障りになってしまいそうなほど、謁見の間は静まり返っていた。
 空間の大きさに比べ人間の姿は少ない。奥に数名が立ち並び、その中央は一段高く壇になっている。壇上には重厚な造りの椅子が置かれ、そこに深々と腰を下ろしている人物がいた。
 まず目を引くのは、金糸銀糸で刺しゅうを施された豪奢な衣だ。シャラよりも一回り、二回り年上の、灰色の髪をした青年。やや煩わしげな表情を浮かべ、剣呑な雰囲気をまき散らしている。
 そう見えるのはシャラが緊張しているだろうか。
 他の人々に関しても、壇上の人物より一段劣るとはいえ、誰もが清潔で贅沢な身なりをしていた。洗いたてだろうと思える服とマントに身を包み、髪には丁寧に櫛を入れ、ある者は立派なひげを蓄えているが、好きに生やしっぱなしの熊髭ではない。
 エリエルを出て、これまでの旅路で出会った人々を考えれば、まるで天上人の集まりに紛れ込んだかのような、居心地の悪さを感じてしまう。
 それに引き換え、とシャラは自分の身なりを顧みた。先ほども述べた通り、エリエル公国から何日も旅をしたそのままの格好でここにきている。服、鎧、マント、どれもが埃や泥で汚れ、一歩踏み出すごとにブーツからは渇いた泥がポロポロとこぼれ落ちた。
 明らかに場違いである。絨毯を汚すのが心苦しくて歩みが重くなるが、それでもここまで来れば引き返すことなどできない。覚悟を決め、再び緩みかけた足の動きを意思の力で進ませた。
 決められた位置まで近づき、跪くと安堵した。一度跪くと許されるまで顔を上げないのが礼儀である。ひとまず天上人達と目を合わせずに済むからだ。
 シャラが名乗りを上げると前方にいるモルドレッドが口を開く気配がした。

「シャラザードと申したな。遠方よりご苦労であった」
「は、貴き盟約に従うために、我らエリエルの民、陛下の御前にまかりこしました」

 王の声にシャラの身体は自然と緊張する。同じ貴族とはいえ、エリエルのような小国の一領主とイース同盟の盟主であるイース王国国王とではまさに雲泥の差だ。平時であれば父であるアイオロスでさえ簡単に会う事の出来ない相手。ましてその娘でしかないシャラであれば、爵位を継ぐまでは会う事などほぼ不可能といってよかった。

「して、アイオロスは壮健か?」

 シャラは問われた。口を開いていいとなれば、王に申し上げたいことが次々と湧き出してくる。まずは自分が代理できたことを詫びよう。だがそれは決してアイオロスがモルドレッドを蔑ろにしているわけではなく、デザイト公国の東部の激戦区を支えることこそ、安易に持ち場を離れご機嫌伺いをするよりも王への忠誠を示す事になると判断しての事だった。

「は、我が——」
「やって来たのは百騎というが、それは事実か?」

 言いたいことが何も言えず遮られた。そのせいで咄嗟に問われたことに答えられない。だがモルドレッドはさらに問いかけた。いや、詰問した。

「アイオロスは何をしておる! 王直々の招聘に応じずこのような小娘に任せるなど、しかもそれで寄越した兵がたった百など、余を馬鹿にしておるのか!? それともアイオロスは他国と示し合わせて余を裏切る腹づもりかっ!」

 シャラにはとっさに何を言われているのかわからなかった。
 父が裏切る——そんなことは天地が逆になろうとも起こりえるはずがない。アイオロスは実直な武人だ。権謀術数のできる人間ではない。

「い、いえ、我が父に決して翻意などなく。ただ東部戦線において、陛下の為に奮戦しておりますれば、その胸中どうかお察しください!」

 非礼を承知ながらも思わず顔を上げシャラは釈明する。それがさらに王の怒りを買ったようだ。だが、モルドレッドはそれ以上シャラを罵倒する事はなかった。なぜなら、王の言葉を制する者があったからである。

「陛下、お怒りはごもっともです。ですが我が同盟を取り囲む状況は我々が考えている以上に厳しいのでしょう。それ故、我らとアイオロスとの間に考え方のずれが生じているだけです。私もアイオロスの事は存じております。あれは実直な武人。決して陛下が心配されるようなことはあり得ませぬ!」

 それを告げたのは、シャラから見てモルドレッドの右側に控えた壮年の男性だった。銀色に染まった頭髪を丁寧に後ろになでつけ、豊かな口髭を蓄えた人物だ。知的で、物静かな雰囲気を漂わせたその人は、モルドレッドに進言すると、シャラを見て安心させるように頷いた。だが、

「どうでしょうな」

 王をなだめた男性の反対側から声が上がる。

「アイオロス殿と言えば、あの「ソスラン」殿の副官となっている男。何を考えているやら……」

 「あの」の部分に力を入れて、男は二人の人物を酷評した。王の右隣にいることを考えれば、先ほどの男性より王に近しい人物なのだろう。貴族社会では、王との距離がそのまま地位に反映される。護衛は例外だが、より王に近い人物、そして同じ距離であれば右手に近い人物の地位が高い。
 王の助言者だろうか、冷たい印象の男だ。狡猾な笑みを浮かべシャラを見下ろしている。男が酷評した二人の人物。シャラはどちらもよく知っている。ともあれ、今大切なのはアイオロスの事だ。せっかく盟約に従うためにここまでやって来たというのに、これではイース王家への忠誠心を見せるどころか逆効果である。
 王家と公爵家は完全な主従関係にあるわけではない。公爵家はそれぞれの領土で荘園を営み、そこから得た利益で自らの生活や統治の体制を支えている。決して王家から何らかの賃金を得ているわけではない。だが現実問題として王家は多大な影響力を及ぼし、王家の逆鱗に触れ取り潰しとなった家系は少なくはない。
 シャラは歯を食いしばった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.8 )
日時: 2019/02/16 16:53
名前: 燐音 (ID: I.inwBVK)

「忠誠には礼節を以って……」


 そこへ、凛とした女性の声が突き抜けた。
 謁見の間が一瞬で静まり返る。それは王のすぐ隣から聞こえてきた。国家の重鎮と思われる先ほどの二人の人物ですら壇上には上がっていないというのに、その女性は王座に寄り添うようにして立っている。シャラよりいくつか年上だろう。深い海のような碧い髪。輪郭はなだらかな線を描き、知的な微笑みを浮かべた淑女だ。
 額にはサークレットを飾っている。華美な宝石や総則の施されていない単調な造りのものだ。他の装飾品についても控えめなものを好んでいるように見えた。それが彼女の楚々とした魅力を醸し出している。だがその視線は、外見のしとやかさに反し強い意思を秘めているのが見て取れた。

「忠誠には礼節を以って報いる。それが我が王家のしきたりではございませんか?」

 モルドレッドは眉をひそめて背後を軽く振り返った。

「兄上、シャラ公女の姿をご覧下さい」

 その女性の一言で、場の全員の視線がシャラに注がれる。にわかに身動きが取れなくなった。呼吸を一つするのにも緊張を催す。

「御召し物は埃で汚れ、マントにも灌木でひっかけたのか鉤裂きができています。ブーツは泥にまみれ、お顔も疲れでやつれておられます……。王家への忠義なくして、どうしてあのような姿になれましょう?その姿こそ、兄上への忠義の証」

 モルドレッドの視線が鋭さを増す。とてもその女性の言葉で納得した様子ではなかった。
 シャラはその女性が誰なのか、ようやく見当がついた。モルドレッドはまだ后を迎えていない。王に最も近い、あの年ごろの女性は一人しかいない。モルドレッドの妹である、王妹「アムル・ユリウス・ネァ・イース」。女性ながら聡明な人物として国民から支持を受け、名も広く知られていた。

「もちろん、宮殿の中しか知らぬ、女の身であるわたくしが気づいた事。兄上も当然そうお考えだとは思いますが……」

 ちらりとアムルはモルドレッドを見る。モルドレッドは忌々しそうな表情を浮かべ、「もういい」と言った。

「その忠誠が真の物かは今後の貴様の態度で見ていくとする」
「はっ!」

 深々と首を垂れながらシャラは安堵のため息を吐き出すのだった。
 そこへアムルはシャラを見つめ、名前を呼ぶ。

「「シャラザード・グン・エリエル」、あなたの思いはそのまっすぐな瞳を見ればわかります。我が王国に失われたものがエリエルではまだ生きている……。罪多きイースの王女としてわたくしは救われた思いがいたします」

 シャラはその言葉に返答しようと口を開けようとするが、それを遮るようにアムルは続けた。

「シャラ公女、いろいろとご苦労が多いと思いますが、苦しみに喘ぐ人々を救うことが母なるイースの願い。そして私たちに課せられた使命です。どうか最後まで諦めることのなきように……」