複雑・ファジー小説
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.63 )
- 日時: 2019/02/21 06:39
- 名前: 燐音 (ID: KBFVK1Mo)
第十一章 覚悟
シャラの怒りが乗り移ったように、エリエル騎士団は激化する戦場を駆け抜けた。
親しいソスラン一人救えず、天と地がひっくり返っても同盟にとって害にしかならない愚策を止められず、戦場に出ても行く先々で虐げられる人々を見せつけられ、全てを救いきれない、自分への怒り。戦争への怒りだ。
デザイト方面は、リデルフと共にイスラフィルがまだ完治していない体に鞭打って対応している。自然とエリエル騎士団の戦場はディーネ公国に移っていった。
ディーネ公国内では、イースからは一兵の援護もパン一つ水一滴の支援もないまま厳しい戦いが続いていた。
東部戦線の善戦と彼らの踏ん張りのおかげで最初の予想以上に帝国軍のイース侵攻の足は鈍ったのだ。だが流石にどの砦も抵抗の力を失い、徐々に撤退戦の様相を呈し始めていた。
だがもはやディーネ公国やエリエル公国に逃げ場はない。トゥリア帝国軍は同盟諸国の人々を捕まえると、利用できる兵士などは無理やりトゥリア教に改宗させ、奴隷兵として酷使する。そうではない老人や女子供は、奴隷として本国に送り死ぬまで過酷な労働を課すか、抵抗する場合問答無用で焼き殺すという。
アルフレドはこれを聞き、難民を積極的に受け入れる決定を下した。
その数は数万人に上ると言われている。もちろんイース王国とはいえそれだけの難民を簡単に養えるわけではない。難民が全て善人であるわけでもない。謁見の間でアルフレドがその決定を下した時、グリフレットなどは難民など閉め出した方がいいなどと言いだした。だがアルフレドは敢然とこの愚策を拒み、自らの決定を押し通したのだ。
エリエル騎士団は積極的にディーネ公国領に遠征し、各街、各村など、市民や同盟軍の兵士たちの撤退を援護していった。
シャラは、ブリタニアの商業ギルドが難民の流入を歓迎してくれないかと心配していた。何故なら商人とは、結局は経済の流れに乗っている者を相手にしている、だから自活する能力がなくむしろイース王国の治安を悪化させかねない難民たちを拒絶するのでは、と。
しかしシャラの心配以上に商業ギルドの商人達は抜け目はなかった。もちろん治安を乱す無頼の輩を取り締まったり、難民たちにある程度の我慢を強いることは出てくるという。しかしそれ以外は積極的に難民を人手として雇い入れていきたいと、ニムエはギルドの方針をシャラに伝えていた。しかもイース教団は教団を挙げての援助を表明しており、さしあたり難民のための仮宿を建てるらしい。
そして現在、シャラ達はディーネ公国の戦いにおける一つの転機を迎えていた。
「騎馬弓部隊は崖上の弓兵を牽制してください」
シャラの号令と共にヒルダとイグニスの隊が右手にそびえている崖の上にめがけ、牽制の矢を放つ。ここからは敵の姿は見えない。だが一足先に上空から偵察したセレスの報告ではあの岩棚の上に少数の弓兵隊が潜んでいるとの事だった。
牽制でも何本かは命中したのか、傷口を押さえ何人かの帝国兵が転がり落ちてくる。
「騎馬兵団は一気に駆け抜けろ!」
そうしておいてシャラは下馬し、数名の部下だけを連れ一気に岩棚を駆け上った。
伏兵は十人。だが全員が弓装備で接近戦闘の剣や石弓と言った武器は何一つ持っていなかった。
シエラザッドを抜き放つ。
しゃん、と鋼の刃と鞘のこすれる音が耳に届く。それですら鈴の音のように澄み渡っていた。傍にいた弓兵との距離を詰め、一気に懐に踏み込み剣を跳ね上げる。
微かな抵抗も感じさせず、その刃は敵兵が装備している鋼鉄の弓籠手ごと左手の腱を断ちきる。
くぐもった悲鳴を上げる弓兵のみぞおちを蹴って身を離すと、その勢いのまま次の兵に斬りかかる。目の前で仲間が斬り倒され、目的の弓兵は慌てながらも右手を矢筒に伸ばそうとしていた。
シャラは力いっぱい地面を蹴りだすとすれ違いざまに剣を翻し、右上腕の筋を断つ。
最後にそのすぐ後ろにいた者の手にしている弓をバッサリと斬り落とした。
命を奪わなくてもいい。だが必ず戦闘能力を奪う一撃を放つ。
三人を無力化し厳しく残りを睨みつけると、七人の敵兵は大人しく弓と弓筒を投げ捨てて投降した。
ここはグランパス要塞。
ディーネ公国領での戦いはついに最終局面を迎えていた。
東部戦線はソスランを失った事で勢いをなくした。そのため東部戦線に回されていた戦力が改めてディーネ、エリエルに四散した。これまでどうにか持ちこたえていたディーネ公国兵も一気に押し切られ、とうとうディーネ公国とイース王国を繋ぐ、グランパス大橋とこれを守護するグランパス要塞まで占領されてしまった。
今、帝国軍はイース王国に攻め入るためにグランパス要塞に精鋭部隊を次々と送り込んでいる。この敵部隊が流れ込んだが最後、もはや同盟軍にこれを撃退する力は残されていないのだ。
作戦が練られた。例によってモルドレッドは要塞を守り切れなかった兵達や将軍を問い詰めることしかしない。いつも人の揚げ足を取るためならいくらでも口の回るルーカン、グリフレットにしたところでただ口を閉ざすしかなかった。
ここで作戦を発案したのはアルフレドである。グランパス要塞には工作兵が常駐していた。最後の手段として、敵に奪われそうになったらグランパス大橋を爆破して行き来できなくするためだ。あまりに素早いトゥリア帝国の侵攻に、要塞を占領される前に爆破することは叶わなかったようだが、それでも帝国側に工作兵の真の目的は気づかれていないようであった。
何故なら、帝国兵は自らが要塞を制圧する時に破壊した城壁の補修のために工作兵を使役しているらしい。物見の報告があったとアルフレドが言っていた。
どうにか要塞の敵兵には知られぬように工作兵達を救い出し、橋を爆破してしまおうと計画したのだ。
投降した弓兵をヒルダの騎馬弓隊に任せると、シャラは愛馬の背中に跨り先行した騎馬部隊の後を追った。
シャラの採ったのは二面作戦だ。グランパス要塞は橋を渡ったディーネ公国側にあった。橋の上は当然のように国境警備隊の精鋭によって警備されている。これを突破する戦力はないため、シャラ達騎馬部隊は積極的に陽動に徹し、歩兵部隊による潜入班によって工作兵達を救出するという者である。
橋の手前で先発隊に追いついた。
砦は橋を渡ったディーネ公国側に建てられていた。だが砦を管理していたのはイース王国である。本来であれば、イース王国側に立てるべき砦がディーネ側にあるのは、イース側は岩棚が続き、崖と岩棚に阻まれた細い道が続いていたからだ。しかも、グランパス大河で最も対岸同士が接近しているのがこのあたりであるため、他の場所は橋を築けなかったのである。
グランパス大橋は橋の上で大型馬車が楽々すれ違えるほどの幅がある。もっとも接近しているとはいえ、イースからディーネまでは、対岸に人が立っていてもはっきりと顔かたちを見分けることができないほどの距離があった。
「まともに相手にしないでください! 敵はこちらよりも量の面でも質の面でも上回っています」
敵部隊はトゥリア帝国軍の本隊である。今はまだ、エリエル騎士団が叶う相手ではなかった。
だが、だからと言っていつまでも橋を挟んでにらみ合っているわけにはいかない。わざわざ攻め込んできて足踏みをしているだけでは、伏兵の存在を怪しまれかねないからだ。
おまけに、こちらを倒しやすいと判断してか、敵の何小隊かが突進を始めた。
敵の騎馬部隊はことごとくランスを装備しているという報告が、偵察に出てくれたセレスから聞かされていた。
ランスとは、普通の槍が気の棒の先に鉄の穂先がついているのに比べ、全長の七割が穂先となっており、柄は手で握るほんの短い部分だけという形の槍である。
使用法も違い、槍が突くか払う貸して攻撃するのに比べ、ランスは突き一辺倒だ。しかもその場にとどまり腕や腰で突くのではなく、進行方向に構えそのまま馬体ごと突進するのである。
もちろんこんな使い方では小回りは利かないし、避けられたりそれ以前に弓矢で迎え撃たれたら終わりである。だがランスの真価は集団戦において発揮される。小隊単位で密集陣形を組み、そして突撃するのだ。一人や二人を迎え撃った所で残った兵が減らされた以上の被害を敵に与える。そういう戦法に用いられる槍だ。
多少の被害は度外視してでも確実に敵を倒す。人員も物資も不足しがちなエリエル騎士団にはとても真似のできない戦法である。これの厄介な所は、相手にしたが最後、どうしてもある程度の被害はこちらに出てしまうところなのだ。しかも相手もこちらが弓兵などで攻撃するのはわかっているため、分厚い鎧で人も馬までも防御している。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.64 )
- 日時: 2019/02/21 00:21
- 名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
土煙を巻き上げながらグランパス大橋を激走してくる国境警備隊を前に、シャラは素早く命令を出した。
「全軍、橋の出口を固めて! 飛び道具を持つ者以外は防御陣形を組んで敵の足を止めてください!」
それならば、こちらもなまじ損害を恐れず、最小限の被害にとどめる作戦で迎え撃てばいいのである。
速度を以って敵を翻弄する事を信条としていたエリエル騎士団も、本来の団員が半分以下となり多くを補充した人員に頼っている今、兵種も多様性に富んでいた。元ソール王国兵やブリタニアの傭兵ギルドから派遣された兵には重騎士の部隊も含まれる。彼らはシャラの意図を汲み取り、橋の出口を横一線に並んで固め頑丈な盾を前面に押し出した。敵から見れば鉄の壁が現れたに等しい。しかも後ろからも次々他の兵達が重騎士の体を支え、敵のランスによる突進をしばらくは受け止められるようにしたのだ。
これはこのグランパス要塞の、この橋の出口でのみ使える作戦だった。
橋の出口に兵力を結集し固い蓋をしてしまえば、奥から突進してくる騎馬兵に逃げ道はなくなる。ランスによる攻撃は長い助走がいるため、一度ぶつかった敵は後退しなければ再攻撃に移れない。もちろん橋の上にいるがために、後発の正体のために避けることはできない。つまり、次々と並みのように押し寄せる攻撃を受け続けずに済むのだ。
「おお、兵の機動力を過信し、慢心した帝国軍の大失態ですな!」
エドワードは年甲斐もなく目を輝かせてシャラの傍に馬を寄せてくる。
「いいえ、まだです。このままでは敵はランスを捨てて他の武器を手に取るはず。そうすれば防御に全力を注いでいる重騎士隊が全滅してしまいます。……弓兵!」
シャラの号令にヒルダとイグニスは頷き、純白の橋梁の左右に展開し、そして一斉にあらん限りの矢を放った。
それは横殴りに吹き付ける黒い雨。
襲いかかった矢に、今度は敵の騎士達が互いに身を寄せ合い装甲や盾を構え矢の雨を凌ごうとする。
ひとまずこれで時間が稼げる。しかしこれはいかにも時間稼ぎでしかなかった。いずれ弓兵の矢も尽きる。そうなればシャラが心配した通りの消耗戦になるだろう。それは避けなければならなかった。だが、逆にこの矢の雨の中を突き進んで攻撃できる手段は……。
シャラははっとなって天を見上げた。
そこには蒼穹を我が物顔で滑空する二つの影。
二つの影は翼をはためかせ、風の壁を切り裂き上昇する。竜と巨鳥だ。
「セレス、エル!」
シャラの声が聞こえたかのように、上昇できるだけ上昇した二人は、息を合わせて反転して地面を向かせると、いきなり騎乗している竜と巨鳥に翼を畳ませる。
巨体が落下を始めた。
セレスとエルは一直線に落ちてくる。その勢いは凄まじく、狙うべき機会はほんの一瞬だ。だが二人はよどみない動きでその一瞬の機会を貫いた。
落下の勢いを乗せられた投げ槍が、風切り音と共に敵の一団に襲い掛かり、数名の騎士の肩や足を貫いて橋の上から川へと突き落とした。
その勢いのまま二人は河面へと迫り、墜落すると思った瞬間、強靭な翼を一気に展開させ橋桁の下を潜り、一転して急上昇に転じるのだった。
「ナイスコンビネーションだよセレス!」
空の上でエルはセレスに向かって手を振って無邪気に笑う。セレスもエルを見て口元を緩め、一礼した。
橋の上では主を失った馬が今の二人の一撃に怯え、嘶いて暴れ出した。後ろ足で立ち上がり、味方のはずの騎士や馬を蹴り倒す。蹴られた馬はまた驚いて暴れ出し、と連鎖的な恐慌が橋の上に広がり、橋の上で立ち往生していた敵騎士の小隊のほとんどは河の中へと消えていった。
橋の下はグランパス大河の急流。落ちたら海まで一気に押し流されてしまうだろう。
エリエル騎士団の面々から、「ほう」という感嘆のため息や冷やかすような口笛が聞こえた。
セレスとエルは涼しい顔でシャラの上空を旋回し、セレスが橋の向こう側を指さした。そこには敵の騎士の小隊が既に次の突撃に備え終えている。しかもさらに力押しに傾け、突撃する騎士の数を倍に増やしているようだ。此方の重騎士の壁を無理やり突破しようというのだろう。
セレスとエルはまた同じ事をしようと言うのだろうか。確かにシャラの側には足を止める以上の策はない。だが二度も三度もあんな危うい方法がうまくいくはずがなかった。
「公女」
その時背後から躍り出る二つの影があった。
「ここは我々にお任せを」
現れたのはラクシュミと、フィアンナであった。
「魔法に装甲は関係ありません」
フィアンナはそう言いながら手の内に燃え盛る青い炎を集め始める。ラクシュミも向かいくる敵軍に向かって魔導球を取り出し、詠唱を始めた。彼女のとりだした魔導球に不思議な光が宿り、次の瞬間、バリッとけたたましい音が鳴り始める。そして空が一瞬暗くなったと思うと、ラクシュミは魔導球を腕に天に仰ぐ。
橋の上に空から凄まじい雷の束が落ち、耳を劈くような爆音と轟音で橋が壊れるのではないかと思ったが、橋の中央が抉れる程度だった。新たに押し寄せた敵騎士達は雷に巻き込まれるが一歩も動けなくなりながらも吹き飛びはしない。
ラクシュミはその場で倒れかけたが、リオンがそれを支える。その間にフィアンナは手を空に仰いだ。
微動だにできない兵達に蒼炎が襲いかかり、爆発する。
その爆発の勢いは敵騎士達を吹き飛ばし、橋を焦がす程であった。吹き飛ばされた敵騎士達は声もなく河に落ちる。
これが決め手となった。シャラの作戦にセレスとエルの神業、そして魔道士と精霊による攻撃。敵司令官はこれらの攻撃を突き通す策を思いつかなかったのだろうこれ以降沈黙を守った。
先ほども言ったようにセレスとエルの攻撃は敵を全滅させるまで何度も繰り返せるようなものではない。こちらにいる魔道士もラクシュミとフィアンナ、そしてリオンのみ。リオンに関しては一度放てば次はかなり時間がかかる。二人とて、大規模な攻撃など、そう何度も繰り出せるものではない。
だがそれがわからず、敵は橋の向こう側から動かなくなる。
「リオン、別働隊は?」
リオンにそう声を掛けると、リオンはラクシュミを介抱しながら無表情で答える。
「ご心配なく。今はもう、橋の工作に入っているはずです」
リオンの言葉は数瞬間後に裏付けられた。橋桁から激しい火花が上がり、胃の底からこみ上げるような鈍い音とともに起こった爆発で、巨大な石の橋は地響きを立てて崩れ落ち、急流に飲み込まれていった。
しばらくは埃っぽい空気が漂っていたものの、それもやがては風に運ばれていき、ここにグランパス大橋があったと物語るのはそれぞれの岸に残されたわずかな石材と河の中央に一本だけ残った橋脚のみである。
「シャラ様、やりましたな」
すぐ近くにいるエドワードに振り返り、シャラは大きく頷いた。
「私は、この素晴らしい仲間たちがいてくれるなら、戦い続けられます」
「もちろんですとも!」
これで帝国軍の進軍は阻めるはずだ。だが完全に敵の攻撃を阻めるわけではない。帝国の力を以ってすればこの橋をかけ直す事も不可能ではないだろう。だが稼いだ時間は大きいはずだと、このディーネ公国領の戦いで死んでいった人々に哀悼の礼を捧げるのだった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.65 )
- 日時: 2019/02/20 20:02
- 名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
帰還したシャラ達は住民の歓喜を以て迎えられた。
ブリタニアの街の城門から城へと向かう道すがら、人々は一目エリエル騎士団の勇姿を見ようとこぞって路上に姿を現し、大通りの両脇に建ち並ぶ建物からは、女子供が綺麗な花々を投げ寄越す。まるでお祭りのような華やかさに包まれた。
皆、知っているのだ。エリエル騎士団の活躍によって、トゥリア帝国軍の来襲がひとまず阻まれた事を。
いつも通り部下達を宿舎へと向かわせ、シャラとエドワードはブリタニアの王宮へ帰還の報告に向かった。その王宮の城門を潜ると、そこには一人の青年がシャラを待っていた。黄金の鎧を見にまとい、獅子のように豊かな髪を無造作に後ろに流し、眼光鋭く佇む一人の騎士。その人物は、
「イスラフィル公子!」
素早く下馬し跪いたエドワードに倣い、シャラも慌ててこれに続こうとした。エリエルは小国。同じ公子と言う立場であろうとも、デザイトという大国の公子であるイスラフィルが相手ではシャラの方が礼を尽くす立場にある。
だがイスラフィルは無造作にシャラに近寄ると、がっしり肩を捕まえ無理やり立ち上がらせたのだ。シャラは小柄の為、一瞬足が地面から離れたかと錯覚してしまった。イスラフィルは背こそエドワードよりも小さいが、シャラから見れば見上げるほどの立派な青年だった。
「イ、イスラフィル公子?」
おそるおそる呼びかけると、それまで難しい顔をしていたイスラフィルがニカッと無邪気な笑みを浮かべたのだ。
「おお、シャラ公女。ようやく見つけたぞ! よくもまあ俺を救うだけ救っておいて、礼も言わせず逃げ回っていたものだ!」
わっはっはと豪快に笑いながらイスラフィルはバンバンと力強く何度もシャラの背を叩いた。
「ご、ごほ、ごほ……。い、いえ、私は何も逃げていたわけでは……」
咳き込みながら弁解するとイスラフィルは一層愉快そうに高笑いを上げる。
どうしたものかとエドワードを見るが、忠実なはずの副官は、跪いたまま決して頭を上げず、よく見ると目を閉ざしてすらいた。つまり、シャラを見捨てたのだ。
「イスラ、そのぐらいにしておくんだな。シャラ公女が困っておられる」
そう言って城門の影から姿を現したのはリデルフである。
「リデルフ様」
やっと救世主が現れた気配に、思わず胸をなで下ろす。
諭されたイスラフィルはげんなりと毒気を抜かれた様子だった。
「無粋な事を言うな、リデルフ。俺は、こうしてシャラちゃんと親睦を図っているのだ。」
「シャ、シャラちゃん・・・・」
シャラは困っていいやら呆れていいやら、複雑な心境であった。
「あ、俺の事はイスラと呼ぶといいぞシャラちゃん」
「い、いえ、その……」
「イスラ!」
リデルフが言葉を強めるとイスラフィルはやれやれと肩をすくめる。
「はあ、驚かせてすまなかったシャラ公女。実はイスラは君に礼が言いたくて待っていたんだ」
「私にですか? ですが、お二人ともデザイト方面はよろしいので?」
二人が主となって攻め上がろうとするデザイト公国軍を押しとどめているはずではないか。
「いやあ、これがどうしたものか、さっぱりデザイトの攻め足が止まってしまってな」
「イスラの用兵が優れているのさ。私ではああはいかなかった」
デザイト公国軍は、イスラフィルの母国の軍隊だ。聞けば、戦いにならないようにあらゆる手を尽くしているのだという。もっとも悪辣な手は、デザイト公国軍の補給物資……食料に前線を迂回して近寄り、そして下剤を混ぜたという。
「この手の悪戯をさせれば俺の右に出る者はいない」
大笑いをするイスラフィルの横で、シャラは頭を抱えそうになった。なんというか、敵に同情すらしてしまう。
デザイト公国軍は、この稀代の策士の前にすっかり戦意を失っているという。
「イスラフィルが同盟軍にいると知れ渡ったのだろう。こいつはこんな無茶苦茶な……いや、無茶苦茶だからこそ民達には好かれているらしい」
真面目なリデルフはその破天荒さが少し羨ましいようだった。だが正反対の性格をしているからこそ、この二人は親友なのかもしれない。
「とにかくだ!」
イスラフィルは再び真顔に戻るとシャラの両肩に手を置き握りしめる。鋼鉄の肩当てが、ギリギリと音を立てるほどの力でだ。
「ありがとう、シャラ公女のおかげで俺は命が助かった。しかも部下全員と一緒にだ!」
その勢いにシャラは思わず気圧されていた。
「俺はあの時神に誓った。もし部下達の命を助けてくれるなら、どんなヤツにだろうと魂を売ってやると。公女は俺を助けたんだ。だから今度は俺が公女を助ける! 何が敵になろうと、どれ程の大軍であろうと、公女の危機にはこの俺と、デザイト公国軍が必ず駆けつける! それだけは覚えておいてくれ」
それだけを言うと、イスラフィルはあっさりとシャラを解放しそのままきびすを返して去っていった。去り際にシャラに振り返って、言い残す。
「ああ、エレインに言っておいてくれ。暇ができたら寄らせてもらうから」
リデルフは苦笑しながらシャラと共にイスラフィルを見送る。
「照れ隠しなのだ。イスラは部下を大切にする。自分の行動に巻き込んで部下を殺しかけたと、随分公女に感謝していたんだ」
「そう、だったんですか……」
肩にのせられた力がまだ残っているような気すらする。イスラフィルの思いが伝わってくるようだった。そして、
「私もだ」
「え?」
振り向くシャラにリデルフは微笑んだ。
「立場上、自由に動かせる戦力は多くない。しかし、君が危機に陥ったら、必ず私も駆けつける。忘れないでくれよ」
イスラフィルの炎のような眼差しとは違い、リデルフの眼差しは静かだった。だが静かだからこそ、その瞳からは波一つ立たない湖のような誠実さを感じた。
「ありがとうございます、リデルフ様。あ、イスラフィル公子にも、そうお伝えください」
リデルフは微笑しながら大きく頷いた。
「そう言えばイスラフィル公子、エレインがどうとか……あれは何だったんですか?」
「ああ、イスラはエレインにぞっこんなんだ。きっと君の宿舎にも押し掛けるだろう。エレインにはぜひ教えておいてやってくれ」
笑いながらリデルフはその場を立ち去った。
あのイスラフィルがエレインの事を好きだという。こんな時代に、あんな立場の人間が、それは何とも逞しい話ではないだろうか。シャラはおかしくなって思わず声を上げて笑ってしまった。
「何とも、意外な組み合わせですな」
そうこうしていると、エドワードが平然と話しかけてくる。エドワードの逞しさも相当なものだ。
楽しい。エリエルを出発して、シャラは初めて心から「楽しい」と思えた。
だが、その楽しい思いは、その日の夜、跡形もなく崩れ去った。
モルドレッドの決定によりソスランは流刑となった。彼が采配を振るっていた東部戦線は元々イース同盟にありながら、独自の行動を取っている。むしろ自らの立場を保証してくれるなら帝国に寝返ってもいいと考える者すらあった。
その定まらない態度を引き付け、一つの軍にまとめ上げたのは一重にソスランの人徳である、恐らく自ら大きな過ちを犯した経験がそうさせるのだろう。彼は自然と隣人を共にする才能に恵まれていた。
だがそんなソスランを、モルドレッドは愚かにも流刑に処した。結果、ソスランと言うたがが外れた東部戦線は、指揮がこれ以上ないほど落ち込み、ソール王国は再びトゥリア帝国の手に堕ち、幾人かの兵士達が帝国へと寝返った。そして勝てたはずの戦に負け続け、徐々に敗戦を重ねる。
おまけに、帝国はソスランの失脚を知っていたのだろうか、ここにきて帝国軍の最大戦力である竜騎士団をイース王国にではなく東部戦線に投入したのだ。
ユピテル山脈で、同盟軍数十万の軍勢を敗戦に追いやった漆黒の翼。帝国軍の奴隷将軍である「竜将ティニーン」。その名は雷より早く東部戦線へと飛び交った。
形成が不利になると士気は落ち、そして裏切る者も増える。すべては悪循環であった。
そしてシャラの下に届けられた報せとは、父、アイオロス戦死の報せであった。
- Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.66 )
- 日時: 2019/02/20 20:40
- 名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
ざざーん、ざざーん、と足元から規則正しい波の音が聞こえる。
シャラは一人、宿舎を抜け出し夜の街を彷徨い歩いた。
ブリタニアの街を歩いていつの間にか王都の外れの修道院の近くにある……かつてソール王国兵救助の後にも訪れていた岬へやってきていた。やはり今日も人はいない。気が付いた時にはシャラは岬の突端に立ち尽くしていた。
ざざーん、ざざーん。
下を見れば目が眩むほどの高さがある。だが、少しも恐ろしいとは思わなかった。
「何故なのです……」
誰もいない岬の突端で、シャラは力の限り叫んでいた。
「何故、父上が死ななければならないのッ!」
答えは返ってこない。いや、返ってきてほしくなかった。誰かが父の死に理由をつけたとしても、とても納得できる自信がないからだ。それならば運命の残酷さを憎んでいられる方が、よほど気が楽だった。
何故、モルドレッドはあのような愚かな選択をしたのだろう。東部戦線を支えていたのがソスランである事は、誰の目にも明らかだった。
人気が集まりすぎたせいで再び叛乱を起こす危険性があると、それがソスランを流刑にする根拠だという。叛乱など起こるものか。そんなつもりがあるなら、誰が好きこのんであのような厳しい戦場で先頭に立って戦うものか。
ソスランは、真にイース同盟諸国の平和のため、民のため、そのためだけに戦っていたのだ。恐らくは自らが引き起こした内紛で犠牲になった人々の命に報いるために。
「なぜ、どうして……どうしてそれが分からないんだっ!!」
あれほど、痛々しいまでの真摯な償いの思いが、どうして通じないのだ。
シャラはその場に座り込んで涙を流す。そういえば、エオスが前に言っていた気がする……
「戦争は大切なものを奪っていく」
まさにその通りだ。戦争は、こんな「下らない殺戮」は、大切なものをどんどん奪っていく。部下も、ソスランも祖国も、父ですら……
やり場のない怒りをどうする事も出来ず、シャラはただ泣きじゃくるしかなかった。こんなに胸が痛いのはあの時以来かもしれない。みっともなくたっていい、今はただ泣いていたかった。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっっっ!」
シャラの瞳からとめどなく涙が溢れて止まらない。声が枯れそうだ。
しばらく声を上げて泣いていると、力尽きて地面に寝転がった。きっと自分の顔は今、ひどい顔をしているんだろうなとふと考える。
静かだった。
自身の呼吸と波の音が聞こえる。ふと見ると、岬の突端のさらに先、水平線から少しだけ朝日が顔をのぞかせていた。
何も変わらない。昨日までの朝と、今日の朝と、そして明日の朝もおそらくは。きっと太陽は同じように顔を出し、そして同じように沈んで行くのだろう。
人の死もそれと同じだ。やがて、激しい怒りと悲しみと苦しみも、シャラの死と共に時間の海に押し流され忘れ去られるだろう。
それは哀しかった。どうしようもなく哀しかった。
だが、だとしてもここで立ち止まるわけにはいかないのだ。自分が何をしなければならないのか、その答えはもう出ていた。だから苦しくもあるのだが。
ふと顔の傍に小さな花々が咲いていた。その内の黄色い花を一輪摘み取り、シャラは岬の突端に立った。
「父上、私は、それでも戦い続けます。私はやっと、自分の身が、自分の勝手な都合だけで動かしていい物ではないと……それが公爵家の人間の務めなのだと、気が付いたのです」
エリエルを出るときにはわかっていなかった。もしエリエルに引きこもったまま今日という日を迎えていたら、きっと二度と立ち上がれなかっただろう。だがエリエルから旅立ったシャラは立ち上がることができた。
いくつかの戦いを潜り抜けたおかげで悟ることができたのだ。それがわかっているからこそ苦しいのだとしても。
「王妹殿下に言われました。人々の為に戦う。それが貴き者の務めなのだと。我々は常に先頭に立ち、民達を害する者に立ち向かいこれにうち勝たねばならないと。最初は、よくわかっていませんでした。今でもわかっていないかもしれません」
だがそうして思い浮かべるのは、仲間の顔だった。エリエル騎士団の仲間達。そしてシャラを頼りにし、信頼してくれて、また助けてくれる人々の顔だった。アルフレドの、リデルフの、自身を信じていると言ったニムエの、窮地には必ず駆けつけると言ってくれたイスラフィルの。
その思いに応えたかった。だから、彼らを放って、裏切って、自分勝手に動くことはできないのだ。
「だから安心してお眠りください、父上。父上の分まで、私が戦います。人々を、エオスを守ります。だから、私達を、至らぬ私達を見守っていてください……」
そうして長い祈りを終え、シャラは手にした一輪の花を暁の光に照らされる海へと投げ入れた。
これより先、この大陸は激動の局面に突入する。
やがて英雄と呼ばれる事になる一人の少女の物語は、今まさに、この瞬間から新たな始まりを迎えるのだった。
そして、もう一人の青年も……。